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2025-10-14

ポケモンZA発売に先立ち:数年の世代ギャップの顕著化

こんにちは、こんばんは。

アラフォー('87-'88生まれ)世代育児中父です。ポケモンに夢中な6歳年長児娘を寵愛しております

私自身、典型的中流階級で過ごしてきており、いわゆる平均的な自己認識と他己認識を持って日々生活しているザ・サラリーパーソンだと自認しています

(高校大学時代経済的理由によりいわゆる苦学生経験して一時的認識が歪んだこともありましたが、就職以降は概ね持ち直しております。これはあまり本筋ではないので本稿では言及しません)

自己紹介はこれくらいにしまして、表題の件です。

私はポケモン第一世代であり、初代赤・緑を親に頼み込んで購入しフシギダネフシギバナ相棒にそれなりにやりこみました。レベル100バグや道具増殖バグなどには頼らず地道に四天王に挑み続け、15体ほどでレベル100パーティを組めるようになっていました。

加えて、自分自身愛知県出身ということもあり、タイミング良く開催された草創期ナゴヤドームでの公式ミュウ配布イベントによりポケモン図鑑151体を完成させました。

当時流行した本家派生であるポケモンカード(旧裏)、プラコロ、ポケモンスタンプなども経由しています

その後、金銀クリスタルルビーサファイアエメラルドプレイ最後大学受験等の理由ポケモンから遠ざかっていましたが、2016年頃のポケモンGOブーム一時的に復帰しつつ、スマホ買い換えに伴うアカウント引継エラーによりモチベーションが低下し再度フェードアウトしました。

その後娘が産まれ、成長とともに娘が自然ポケモンにハマりつつある中、私自身のリハビリとして中古で購入した3DSサンムーンアローラしつつ、娘のポケモンぬい活や絵本の鬼購入などを経て、満を持して娘の合意も得てポケモンZAの購入を検討しています。そんなよくある典型的ゆるふわポケモン世代です。

このような経歴を持つ私ですが、縁があって結婚したパートナーは5学年上('82-'83)の方です。私自身が少し上の世代音楽(GLAYミスチル等)やスポーツ(野球サッカー等)が好きということもあり、育児含め共通話題はそれなりにあり日々過ごす中で会話も盛り上がっています

ただ、【ポケモンへの熱量だけは分かち合えない】のです。

パートナー目線を移すと、初代ポケモンが発売されてアニメ映画含め社会現象と化した'96-'98あたりは既に中学高校くらいの世代であり、「ポケモンにハマってるヤツはゲーム好きなガキかオタクだ」という価値観が当時蔓延っていたことをパートナーから証言いただいています

中学特有背伸びしたい感覚もあるでしょうし、その世代特有の風潮は理解できます。そりゃその頃であればFF7サガフロンティアにハマりますよね。

(私自身が中学高校生の頃、小学生の間で流行っていたベイブレードムシキング、初期プリキュアあたりを冷めた目で見ていた感覚は痛いほど分かるので、それ自体否定することは私もできません)

ただそれらのコンテンツとの差異点は、【ポケモン世界レベルの化け物コンテンツ】に成長してしまたことです。

かに今をときめくプリキュア特に女児(+一部の大きなお友だち)にとっては充分化け物コンテンツではあるのですが、老若男女を無差別に取り込むポケモンに比べるとどうしても市場規模では見劣りしてしまます2025年現在に70代である俳優大和田伸也さんがゼニガメクワッスに心奪われている様子をXなどで拝見していると、ポケモンの魔力というかコンテンツ力に感服する他ありません。

151体を圧倒的な熱量で集めお気に入り15体をレベル100になるまで四天王に挑み続けた当時小学生の私と、ポケモン子どもの娯楽だと見なして見向きもしなかった当時中高生パートナー熱量に違いが出るのはやむ得ないことかもしれません。

世代間のギャップが頻繁にトピックに上がる現代社会ですが、大抵のケースでは10歳以上の場合ほとんどです。仕事観や音楽趣味恋愛結婚感覚などなど。

ですが、たった5年でここまでのギャップを生じさせてしまう「ポケモン」、すごくないですか?

※本稿は2025年現在40代以上でポケモンに心奪われてポケモンマスターを目指されている皆さまを揶揄する意図は全くございません。ポケモンZA発売後は私も娘とともにポケモンマスターを目指す予定です。

世代間の分断はどのようなジャンルでも当然発生し得るものではありますが、2025年現在に「30代後半」と「40代前半」というたった5年間ほどで認識ギャップがあまりにも顕著に出ている「ポケモン」の圧倒的影響力を言語化したく、筆を執らせていただいた次第です。

Permalink |記事への反応(3) | 21:56

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2025-10-05

SNS時代社会学はもうオワコンなのか。

SNSによる集合知の高度化は社会学存在価値を失わせる可能性があります社会学集合知進化によって存在価値を失いその役割を失ったと言えます

集合知限界社会学役割

集合知衆愚Wisdom of Crowds)は、多くの人々の意見知識を集約することで、個々の専門家よりも優れた判断予測を導き出す可能性を秘めています特にSNSは、この集合知形成を加速させていますが、同時にいくつかの課題も抱えています

1.集合知の偏り(バイアス)と検証

SNS上の集合知は、しばしば特定グループ内での意見の増幅(エコーチェンバー)や、感情的共感に基づく短絡的な判断に陥りがちです。また、誤情報フェイクニュース)や意図的操作の影響を受けやすいという脆弱性もあります

社会学役割:社会学は、こうした情報拡散構造や、人々の意識形成プロセス、そしてそれが社会全体に与える影響を客観的分析し、集合知限界や偏りを指摘します。単なる「データ」ではなく、「社会文脈」や「価値観」を含めて理解しようとします。

2.社会的「価値」と「意味」の探求

集合知は「何が起きているか」を示すのには長けていますが、「なぜそれが起きているのか」「それは社会にとってどんな意味を持つのか」といった本質的な問いには答えられません。

社会学役割:社会学は、人々の行動や社会現象の背後にある動機文化規範格差といった、目には見えない社会構造を深く掘り下げます。**「望ましい社会とは何か」**という規範的な問いに対しても、歴史的比較的な視点から考察を加えます

3.社会対話と分断の克服

SNS意見可視化を進める一方で、社会の分断(二極化)も深刻化させています。異なる意見を持つ者同士の建設的な対話は難しくなりがちです。

社会学役割:社会学は、分断を生み出すメカニズム分析し、異なる集団間の理解対話を促進するための理論的基盤を提供します。また、心理的安全性のある対話の場が、健全集合知形成に不可欠であることも指摘します。

集合知社会学の「データ」であり、分析対象です。

SNS上の集合知が高度化しても、社会学は人々がどのように集団形成し、相互作用し、意味を作り出し、葛藤しているのかを、データを超えて本質的理解するための学問として、その存在価値は揺るぎません。むしろ、複雑化するデジタル社会を深く、批判的に理解するために、社会学の知見はこれまで以上に重要になると言えるでしょう。

それなのになぜ社会学オワコン化するのか。

社会学における「エコーチェンバー」の可能

1.概念理論自己強化

特定パラダイム理論的枠組み)や専門用語コミュニティ内で過度に重視され、その枠外にある新しい視点異論が軽視されたり、理解されにくくなったりすることがあります学術誌の査読学会での発表においても、既存の主流な考え方を支持する研究が通りやすい、という構造的なバイアスが発生し得ます

2.批判対象固定化

社会学社会の不平等権力構造批判的に分析しますが、その批判対象固定化し、社会の変化に伴って新たに生まれ問題や、複雑な現実存在する「善意による悪」のような側面を見落としてしま危険性があります。常に批判的な立場を取るあまり実証データ客観的分析よりも、イデオロギーが先行してしまうという批判もあります

3.社会との断絶(象牙の塔

一般社会集合知常識からかけ離れた独自議論を深めていくあまり、「象牙の塔」に閉じこもり、学術コミュニティ内でのみ通用する言葉論理で固まってしま現象です。これは、社会学者が自ら分析するはずの多様な価値観日常リアリティから切り離され、社会に対する影響力を失うことにも繋がります

集合知時代における社会学自己批判と使命

しかし、この自己批判こそが社会学の核心的な強みとも言えます社会学は、権威主義バイアス分析し、客観性批判精神を維持しようと努力する学問です。

エコーチェンバーを破るための努力

方法論の多様性:

集合知ビッグデータ分析といった新しい定量的手法を取り入れ、伝統的な定性的手法インタビューエスノグラフィー)と組み合わせることで、視点の偏りを減らそうとしています

学際的な対話:

経済学心理学情報科学など、異なる分野の研究者との協働を深め、独自コミュニティの殻を破ろうとしています

内省リフレクシビティ):

自分自身立ち位置や、研究コミュニティが持つバイアスを常に問い直すという「内省リフレクシビティ)」は、社会学研究重要な柱の一つです。

まり、「社会学者こそエコーチェンバーに囚われている」というご指摘は、社会学が自らの宿痾と闘い続けるべきという、非常に重要メッセージ内包していると言えるでしょう。

この自己批判能力こそ、集合知が持つ限界(偏りや短絡性)を外部から分析できる、社会学の根源的な存在価値につながるのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 11:48

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2025-10-04

再帰構造を利用してネット議論の膠着を目論む人々には注意しよう

ドッグホイッスルウルフ・クライ弁証法スピーチ・アクト帰属を介した政治的発散」の端的な要約

この論文が端的に示しているのは、政治的言説が**「ドッグホイッスル(隠されたメッセージ)」と「ウルフ・クライ(証明できない危険の主張)」**という、本質的証明が難しい二種類の発話行為スピーチ・アクト)を互いに非難し合うことで、**解決不能悪循環弁証法)**に陥るメカニズムです。

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ドッグホイッスルウルフ・クライ弁証法」の詳細な要約

この論文は、**ドッグ・ホイッスリングDW)**と**ウルフ・クライイング(WC)**といった特定の**スピーチ・アクト(発話行為)**に対する**帰属(Attribution)**が、現代政治的言説において、どのようにして敵対的弁証法と新たな**発散(Divergence)**を生み出し、解決不能な膠着状態に陥るのかを分析しています [1]。

この問題は、DWWCも、その性質上、**認識論的に(知識観点から帰属が困難な**発話行為であることから発生します [1]。この困難さが原因で、DWWCに対する**非難や指摘(帰属)**自体が、合理的であるにもかかわらず、**確定的に検証または反証できない**主張となってしまうのです [1]。その結果、これらの帰属パターンは、DWWC相互に強化し合い、固定化する**相互的な悪循環viciouscycle)**へと発展し、「不幸な現状(unhappystatus quo)」を築き上げます [1, 2]。

I. 中核となるスピーチ・アクトの定義と具体例

DWWCは、政治的環境において特定の影響力を持ち、政治的言説を構成するスピーチ・アクトです [3]。スピーチ・アクトとは、話し手が直接述べた文字通りの意味(locutionary meaning)を超えて、間接的に暗示された力(illocutionary force)や、世界との相互作用において追加された力(perlocutionary force)を持つ発話の形式を指します [4]。

1.ドッグ・ホイッスリング(Dog-whistling,DW):**

DWは、**論争的ではない公のメッセージ**の中に**論争的な隠されたメッセージ**を埋め込んで送るスピーチ・アクトです [5]。

機能意図:**DWは二つのメッセージを同時に伝達し、隠されたメッセージについて**もっともらしい否認可能性(plausible deniability)**を維持します [4]。意図された効果は、公の支持を最小限に失う一方で、私的な支持を最大限に集めることです [4]。
ドッグタウンの例:**党派的なニュースアンカーAlphaが、犬の国が直面している問題の一部について曖昧だが連想的な言葉「pitiful(哀れな)」を使用する行為が、DW候補と見なされます [6]。これは「pitbull(特定犬種)」への差別的暗号化である解釈される可能性があるからです [6]。
2.ウルフ・クライイング(Wolf-crying,WC):**

WCは、**危険が実際には存在しないか、あるいは証明できない**場合に、危険存在すると主張するスピーチ・アクトです [3]。

機能意図:**WCは通常、個人的に観察された危険に対してコミュニティ結集させる行為であり、一時的に最大限の注目を集めることを意図した効果としています [4]。しかし、乱用されると、多数派の将来的な不信を生むという意図しない効果があります [4]。
ドッグタウンの例:** 別のアンカーBuddyが、Alpha言葉を「pitbull」の暗号だと特定し、Alphaらを懲りない品種差別主義者だと結論づけて、コミュニティ危険を訴えかける行為が、WC候補と見なされます [6]。
3.スピーチ・アクト帰属Speech-Act Attribution,SAA):**

これらDWWCを**「〜という発話行為である」とみなす**行為が、第二階次のスピーチ・アクトであるSAAです [7]。ドッグタウンのシナリオでは、Alphaを除いて、すべての参加者が互いにSAAを行っています [7]。SAAは、他者行為を指摘する役割と、それ自体が新たなスピーチ・アクトであるという二重の役割を持ちます [7]。

II.認識論的な難しさ:隠された意図と誤導性

DWWCがこの弁証法的な問題を引き起こすのは、それらが定義上、間接的で**隠された(covert)**スピーチ・アクトであるため、**誤導的(misdirecting)**な性質を持つからです [8]。

1.DWの誤導性:**

DWは、公衆には無害なメッセージとして聞こえる一方で、特定受け手にだけ私的メッセージを送る、話者受け手の**私的意図解釈**に依存するスピーチ・アクトです [8]。

検証の困難さ:**DWは公には合理的に傍受され得るものの、話者私的意図不明なため、**公的に確定的に検証反証もできません** [8]。話者自分意図告白しない限り、DWは**未検証・未反証**のまま残る可能性が高いです [8]。
自己否認:**DW話者自身によってのみ**自己検証可能auto-verifiable)**ですが、隠蔽目的であるため、話者によって**自己否認可能auto-denying)**でもあります [8]。
2.WCの誤導性:**

WCは、私的に観察されたとされる危険についての公的メッセージですが、**その主張の真偽**が外部から証明されていません [9]。

検証の困難さ:**WCは、その叫び(「狼だ!」)自体真実であることの唯一の情報源であるため、**自己検証的(auto-verifying)**です [9]。しかし、DWと同様に、私的証言に根ざしているため、公衆に対して**もっともらしい否認可能性**を維持しており、**未検証・未反証**のまま残ります [9]。
嘘の場合の誤導:** もし「狼」の叫びが嘘であれば、その行為は「私に注目を与えよ!」という別のメッセージを間接的に伝えていることになり、これもまた誤導的なスピーチ・アクトとなります [9]。

これらのスピーチ・アクトの帰属を行う人々は、証拠の一部しか得られず、全体像の一部のみを見て全体を判断する「盲人と象」のような、**認識論的に不利な立場**に置かれてしまます [10-12]。

III.帰属非対称性と「見かけの」スピーチ・アクト

認識論的な困難さの結果、あるスピーチ・アクト(DWまたはWC)を非難する行為SAA自体が、相手から敵対的な別の種類のスピーチ・アクトとして解釈されるという非対称性が生じます [13, 14]。

1.DW帰属者がウルフ・クライアーに見える(Dog-whistle Crying)**

DW帰属者(DWA「あいつはDogwhistlerだ」と指摘する人)は、隠された秘密メッセージ証明しなければならない立場に置かれますが、DW主体は常に自身意図の直接的な(私的な)証拠に訴えて否定することができます [11, 15]。そのため、DWAは常に**認識論的に不利な立場**に立たされます [11]。

ドッグホイッスル・クライイング」:** この状況により、DW帰属者は常に**ウルフ・クライアー(狼を叫ぶ者)のように見えます** [13]。彼らは、危険存在しないか証明できないのにDW危険性を主張する「ドッグホイッスル・クライイング」を行っていると見なされます [13]。
公衆解釈:**DWが聞こえない公衆の一部は、DW帰属者を、証明できない「狼」について大騒ぎしている者として解釈し、その帰属紛争の種だと考えます [13]。
2.WC帰属者がドッグ・ホイッスラーに見える(Wolf-Whistling)**

WC帰属者(WCA「あいつはWolf crierだ」と指摘する人)は、クライアー個人的経験に反して、「狼」が存在しないことを証明しなければならない立場に置かれます [12]。WCAは、非観察者でありながら、第一人称の観察者よりも権威ある知識を持っていると主張する不利な立場に置かれます [12]。

ウルフ・ホイッスリング」:**WCAを行う者は、常に**ドッグ・ホイッスラーのように見えます** [14]。彼らは危険否定する立場にあるため、コミュニティ安全否定し、潜在的危険容認するかのような**論争的な隠されたメッセージ**を送っているように見えるのです [14, 16]。これは「ウルフ・ホイッスリング」と呼ばれます [14]。
公衆解釈:**危険を感じている公衆の一部は、WC帰属者を、深刻な危険を軽視し、潜む狼に共謀していると解釈します [17]。WCAは、狼(危険)に対する同情や隠蔽の表れとして、レトリック的に不利な立場に置かれます [16]。

IV.弁証法悪循環、および均衡の形成

この相互敵対的帰属非対称性が、DW帰属WCとして返され、WC帰属DWとして返されるという**多極的な相互作用**を生み出し、**認識論的な発散(epistemic divergence)**のプロセス構成します [18, 19]。

1.帰属再帰性:**

帰属自体スピーチ・アクトであるため、帰属はそれ自体再帰的に適用されます。これは**スピーチ・アクト帰属帰属**として例示されます [20]。ドッグタウンの例では、AlphaDW候補)→Buddy(DWA)→CharlieWC A)→DukeDWA)というサイクルが**無限継続**します [2, 21]。

2.相互強化と悪循環:**

このプロセスは、**多極スピーチ・アクト帰属相互性**(DW帰属WCとして、WC帰属DWとして相互に強化し合うこと)であり、反復されることで**悪循環**となります [2, 19]。対話参加者全員が、互いの主張が共通の基盤として受け入れられないまま、**非難応酬**を繰り返します [19]。これは、単に敵意や内集団バイアスから生じるのではなく、**相互的な認識論的な膠着状態**から生じる現象です [18]。

3. 均衡の出現:**

この悪循環政治的言説の領域内で修辞的な規範として安定化すると、**定常状態の均衡(steady-state equilibrium)**が出現します [2]。これは、参加者戦略を変えるインセンティブ提供しないため、持続します [2]。

最終的に、**ドッグホイッスルウルフ・クライ帰属均衡**が形成され、誰もがデフォルトで互いをDWまたはWCのいずれかであると見なすようになります [22]。これは、相互矛盾する信念から構成される**信念均衡(belief equilibrium)**の一種です [23]。

V. 不幸な均衡がもたらす問題

この均衡は、参加者真実を追求しようとする**認識論的な美徳**から生じているにもかかわらず、以下の3つの深刻な問題引き起こします [24, 25]。

1.認識論的な膠着状態(Epistemic Standoff):**

これは、**相互認識論的に強化し合うが、相互認識論的に不適合な**視点システムです [26]。DWWC帰属は、合理的であるにもかかわらず**不確定**である可能性があり、この合理性と確定性の間のギャップが、相互合理的だが相反する立場が**未解決のまま均衡**することを可能します [26]。これにより、真実に到達するための「理想的な発話状況」の実現が不可能になり、会話の前提条件が満たされなくなります [26]。

2.スピーチ・アクト帰属飽和(Attribution Saturation):**

この状態では、**スピーチ・アクトの帰属**が、**事実に関する帰属**を圧倒します [27]。政治的言説の内容は、ほとんどが「あなた言葉DWだ」「あなたの主張はWCだ」といった帰属で占められ、事実に関する議論わずかになります [27]。

この飽和は、最初扇動的事実(犬の噛みつき事件など)自体が忘れ去られたり、無関係になったり、解決されたりした後でも継続する可能性があります [28]。なぜなら、最初出来事Aそのものよりも、「Aに関するスピーチ・アクトの疑わしさ」の方が、政治的重要であるように見えてしまうからです [28]。帰属飽和は、事実から独立した状態となり得ます [28]。

3.自己敗北的な真実探求(Self-DefeatingTruth-Seeking):**

帰属を行う者の動機が**真実の探求**であるにもかかわらず、その追求自体が、実際には真実に到達しない均衡を生み出すという点で**自己敗北的**になり得ます [25]。

DWWC帰属は、特定認識論視点から見て合理的であったり、あるいは実際に正しい場合もあります [29]。しかし、不確実性が支配的な状況でこれらの帰属提案することは、政治的不安定化をもたらします [29]。したがって、帰属者の真実追求的な衝動こそが、言説をこの悪い均衡の罠に陥れる原因となり得るのです [29]。

VI.解決策:自己認識必要性

この弁証法的な問題は、相互合理的認識論視点から生じる**自己組織化された社会現象**であるため、単一加害者特定することはできません [30]。均衡から脱出するためには、政治的コミュニティにおける参加者の**満場一致同意**が必要ですが、これは強力な反対者によって容易に崩壊する可能性があり、困難です(「一方主義者呪い」) [30]。

1. サイクルの中止(Cycle Abortion):**

帰属の伝播を防ぐため、すべての当事者に高い検証反証基準を課すことが提案されます [31]。しかし、誤導的なスピーチ・アクトの性質上、単純な検証反証はできません [31]。より現実的解決策は、スピーチ・アクト帰属の飽和を減らし、事実に関する問いを再び顕著にすることです [31]。これには、相互理解を深めるための**修辞的傾聴(rhetorical listening)**のスキルセットが必要となるかもしれません [31]。

2. サイクルの終結Cycle Termination):**

帰属落とし穴認識し、増幅サイクルを抑制するために、新しい用語を導入する提案もあります [32]。

ウルフ・ウォッシング(wolf-washing)**または**シープ・テイラリングsheep-tailoring)**:狼の叫び帰属を過剰に行い、報告された問題過小評価しているように見える者を記述する用語 [32,33]。
ドッグ・ウィスパリング(dog-whispering)**または**ドリトルリング(Dolittling)**:ドッグホイッスルを過剰に帰属し、実際の隠されたスピーチ・アクトの問題を誇張しているように見える者を記述する用語 [33]。

これらの新しいラベルが、過剰なSAAの力を無力化し、サイクルを終結させることが期待されますが、これらのラベル自体が新たなスピーチ・アクト帰属としてサイクルに貢献する可能性もあります [33]。

3.真剣自己懐疑(Serious Self-Doubt):**

最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体問題引き起こし構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。

2025-10-03

anond:20251003102629

まどマギ社会現象級だっただけで、なのは覇権級の売上はあったからね。二次創作でも大人気だし。

Permalink |記事への反応(0) | 10:59

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2025-09-29

anond:20250929014242

表現の加害性みたいのって

すくなくとも表現者にとっては義務教育レベルだと思うんだよ


正義だって加害性がある

正義で行われる傷害殺人いかに多い事か

朝ドラでやってたアンパンマン

あれマジで危険から

原作者の思いからは離れているかもだが

バイキンマンという「絶対悪」を定義して

その「絶対悪」は悪い事しかせず

から裁判などもしないで「アンパンチ」で排除する

バイキンマンを改心させる物語でもない

それを、子供に、善き事だと垂れ流す

これ系の最悪な発露が宗教戦争

社会現象となるほどの問題視はされんけどな


だけど暴力セックスを描くのはやってはならんと叩かれる

幼稚園児がアンパンチで友達悪事断罪するのは教育対応するし

大人がやらかすのは自業自得となるのに

暴力セックス描写教育対応できないし

痴漢が発生すれば表現が悪い事になり

消さねばならぬと批判される


トレンディドラマとして恋愛もの流行

クリスマスなどでのカップル行事商業的に推し進めた結果

恋愛経験してる事がヒエラルキーの上位として扱われた

これだって表現の加害性だ

世間常識を塗り替えてしま

TVしかなかった頃に、電通がホクホク顔でやってたことだ

彼らはきっと、世の常識は俺たちが作る、とでも思っていたことだろう

から語られる

恋愛を扱うドラマが描かれるときって、『恋愛しないと成長しない』とか、『恋で人生の全てが変わる』みたいな、恋愛人生において最も重要ものとして描きがちというか、その考え方を押し付け暴力性があるのではないかと、以前から気になっていたんです」

これを表現の加害性と読み解けないのは義務教育をやり直せと思う

だが同時にこれだけなら別段、性的表現ターゲットにしてるようには見えない

だが後に続く言葉がそれを示唆してしま

絵だけど、未成年だぞ

これはダメなんだ

言っちゃいけないワードなんだよ

火中の栗なんだ

スカートの皺が、くびれのしなりが、赤らめた頬が、これで叩かれてきたんだ

世俗に通じてる必要がある脚本家

それもアニメに関わる脚本家

それを知らんわけがないだろう

実際、その後の言葉はこう続く

現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。

現実的に考えても、ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続けるみたいなことはないわけですし、そういう描写があったら私は幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する。自分の子どもに見せられるかどうか、というのは大事にしている基準です」

これ言い出したら、女子向け作品の男の会話とか「ナイワー」ってなるけど

あれは修正しないんだろう?

じゃなんで、女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写修正しなくちゃいけないの?

それは、性的消費だからだよ

文脈からはそうとしか読み取れないのに「ノイズ」とした

みんな言葉を選べとかいうけど、私は「巧いな」と思ったよ

案の定ノイズに振り回されてる

Permalink |記事への反応(0) | 09:49

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2025-09-26

anond:20250926093631

前橋ウィッチーズはSNSで変に持ち上げられてて気持ち悪かったぞ

表象はどう考えてもオタ向けで

あの売り方の魔法少女ものはもう女性向けではなくなってて

その中で「世の中を変える」思想展開したもんだから最後話題にされてなかった

スカートパンチラはさせなかったが社会現象になったまどマギとの違いは何だろうとか考えないんだろうな

Permalink |記事への反応(0) | 10:20

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2025-09-14

GTO漫画)ってぜんぜん語られないな

金田一はいまでも話題にあがるけどこっちはほんとに見ない

社会現象になったのはドラマの方かもしれんけど、とはいえマガジン全盛期の看板なんだが

まあ自分もべつに好きじゃなくて、当時はまだ小学生だったのもあって絵が気持ち悪くて苦手だったな。汗ダラダラの変顔とか多くて、エロ子供にはどぎつかったし

なんかあの時代女子高生エロ目線で見るブームがあったよね。時代漫画だなーと思う

Permalink |記事への反応(8) | 19:07

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2025-09-02

anond:20240202112752

 映画評論家の街島は、自分過去随筆自分運命を狂わせることになるとは想像もしなかった。

 若い日のエッセイに、彼はこう書いたのだ。

 「原作どおりの映画化無意味だ。物語は新しいかたちで蘇らせてこそ価値がある」

 その言葉を、後に漫画家として大成する少年の心に深く心に刻まれしまった。

 まだその少年が「怪物たちの物語」を描き始める前のことだ。

 少年が描いた漫画社会現象となった頃、街島の家のインターホンが鳴った。

 雨に濡れた青年が立っていた。瞳は熱に浮かされているかのように赤く光り、震える声で名乗った。

 「街島先生……あなたに決めていました」

 青年となった少年が描いた漫画映画化される、そしてその映画化脚本を、街島に「書いてもらう」ためにやって来たのだ。

 私は脚本家ではないと断れば帰ると思った。だが違った。

 青年は帰らなかった。四度も訪ねてきた。しかも回を重ねるごとに、背後に連れてくる者の肩書きが重くなっていった。編集者から幹部、ついには出版社社長までも。青年はいう「街島さんに脚本を書いてもらえないのなら、この映画化はなかったことにします」社長までが現れたのはその映画化商業的意義の大きさを表していた。この映画化は失敗できない。

 街島は徐々に理解した。これは依頼ではない。選択肢のない愛の告白だと。

 街島はそのプレッシャー脚本を書かざるを得なかった。失敗できない。脚本冒険はできないだろう。街島は原作に沿った無難脚本を書いた。おれは評論家なのにと理不尽さを覚えながら。

 青年は街島に原稿用紙を突き返す。

 「これは……原作どおりじゃないですか。街島先生、忘れたんですか? あなた自身が昔、そう書いていたじゃないですか」

 街島は背筋が冷えた。

 青年自分過去言葉を、まるで聖典の一節のように暗唱していた。

 その熱狂は、信仰狂気の境目に立っていた。

 拒絶すればどうなる?

 彼は口癖のように言った。

 「もし先生脚本を完成ささないのであれば、僕はすべてを捨て去ります映画化はもちろん作品も、原稿も、全部」

 その瞳は、失うことを恐れていない瞳だった。むしろ、失うことで二人だけの世界が完成するかのように。

 完成した映画の試写室は沈黙に包まれた。

 観客の誰もが言葉を失う。原作とはかけ離れた映像。知っているはずの登場人物たちは、スクリーン存在しなかった。

 だが一人だけ、静寂を破る声があった。

 青年の笑い声。

 「ほら、やっぱり……あなたに決めてよかった」

 街島はその笑いを聞きながら、ふと悟った。

 この映画青年にとって観客に見せるものではない。街島に捧げる私的ラブレターなのだと。

 公開後、街島は批判を浴びた。「原作殺しだ」「改変が過ぎる」「こんな駄作は見たことがない」

 評論家であるはずなのに、その映画は街島の人生死ぬまで残るスティグマとなってしまったのだ。

 青年インタビューで言った。

 「街島先生は僕アイドルなんです。ジャンにも似ているし、他のキャラにも成分が入っている。僕にとって、街島先生は……物語のものなんです」

 街島はぞっとした。

 それは愛の言葉に似ていたが、逃げ場のない檻のようでもあった。

 かつて街島が一枚の紙に書いた、評論

 その一節が、青年の中で燃え広がり、やがて町島自身物語登場人物に変えてしまったのだ。

 夜、街島の書斎に再びノックの音が響く。

 扉の向こうから、あの声がする。

 「街島先生。次はジャンを主人公にしてください。……あなたならできる」

 逃げられない

 これはもう、青年狂気ではなく、かつて自分が書き残した言葉の亡霊なのだから

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2025-08-30

anond:20250829231821

虎舞竜の「ロード」がなぜ売れたかについては、


時代背景、
有線放送での話題化、
そして実話を元にした切ない歌詞メロディ


共鳴したためと考えられます



楽曲ヒットの背景


曲の内容と特徴


ヒットに至る経緯



評価エピソード



まとめ

「売れた理由が分からない」と言われることもあるが、実際には時代背景、実話の共感性、有線放送メディア露出、印象的なメロディ歌詞、そしてアーティストの地道な活動が複合的にヒットを生み出した。

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2025-08-24

映画レビュースタバの泡が消えるころ』

公開当時、ティーンの間で社会現象的に語られた青春ラブストーリー

舞台はごく普通地方都市、ミセスグリーンアップルガチ恋レベル推している女子高生が、バ先のスタバアルバイトを始めるところから物語は始まる。

彼女推し活と学業を両立するつもりが、ノー勉で迎えるテストや、タコパに呼ばれる友人関係翻弄されていく。そんな中、同じシフトに入る年上のスタッフに惹かれ、インスタのDMを開いては送れず消す日々を繰り返す。

痛バを抱えて出勤する姿をクラスメイトに見られたり、クソデカ感情を抱えながらも必死に隠そうとするが、次第に好きバレしていく。ワンチャン告白できるのではと思い詰める瞬間もあるが、恋は決して成就しない。

映像淡々としていながらも、沼に落ちるような感覚を観客に与える。音楽にはミセスグリーンアップル楽曲を思わせるオリジナルスコアが流れ、彼女内面を切なく彩る。

恋が報われない痛みを瑞々しく描いたことで、同世代共感を集め、公開後は「青春映画の新しい形」として長く語られることになった。

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2025-08-08

性欲は社会的悪になったのか

注目されていた増田を読んで、まずまとめ方が雑じゃね?と思ったのだった。

子どもたちと性について話してると、「いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬気持ちコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。

性欲を出さないようにする→性欲を「どこに」向かって出すのか、というのが書いてないから、子供増田が何に鬱屈しているのかが具体的に想起しにくい。

最小範囲を考えたときには、「自分の性欲を自分自覚する」も「性欲を出す(自覚する)だと思うが、性欲を自覚すること自体を悪だとする人はかなり少数だろうと思う。

一方で、最大範囲を考えたときに「性欲をいつでもどこでも発露してオッケー」とする者も、同じように少数だろう。

中ぐらいのレンジを考えてみよう。これもまたもう少し整理が必要だと思うので思考の整理棚を用意する。性欲の発露・それを阻害するモラル相克するタイミングがいつ来るか(シチュエーション)、どの程度の負荷で(グラデーション)訪れるか、という「整理棚」で状況を想像してみる。

例えば友達エロ話をするというシチュエーション教室(職場等も可)で大声で、またはひそひそと。またはニヤニヤとエロ話をする。内容も、羞恥する二股大根画像から、昨日見ネットエロイラスト動画同級生についての品定め(でかいか小さいとかやりたいとかやりたくないとか)とか色々なグラデーションがある。

また例えば恋愛や、彼女彼氏関係というシチュエーションもある。楽しくセックスする~むりやりやろうとする。好きな人へのアプローチにおいても、ほのかコミュニケーションから乱暴コミュニケーション犯罪になるコミュニケーションまで広いグラデーションがある。

このように、色んなシチュエーションと、それぞれのシチュエーションごとにグラデーションがあると思うが、このあたりは、この20年ぐらいではそれほど社会閾値は変わってないし、むしろ社会現象としては緩くなっていると思うのだ。

それこそ昭和は婚前交渉がインモラルとする界隈もそれほど奇異ではなかったらしいし、平成の中期ぐらいまではデキ婚咎められ得る界隈があった。一度穿いたパンツを売ったり、売春をする素人も当たり前にいる現代の方がずっと開放的。かなりきわどくエロコンテンツは、昔は結構ちゃん大人が出入りするような場所で購入・レンタルするしかなかったが、今はネットで気軽にみられる。昔よりずっと開放的。そしてそういうコンテンツ男性けが多かったもの女性向けも出ている。十分開放的だと思う。

元の増田の冒頭の言葉に戻ろう

いかに性欲を出さないか」「抑えるか」「モラル」「嫉妬気持ちコントロールする」のような鬱々とした方向になっていく。

『出さないか』『モラル』については前述のとおり、そんなに大きく変化していないと思うので、むしろ「そりゃあるさ、だからコントロールしようぜお互い」と定義できる方が鬱々する余地は減ると思うのだ。

一方で、そのコントロールのしかたについてが難しい。そして、確かにそのコントロールに関する情報の伝達ルート情報の質が異なってきているような気はするのだ。

『抑えるか』についての適切な情報自慰をする、猥談するなら適切な場で適切な人と、など)を子供が得られていないとしたら、割と問題だなと思う。

増田中年なので、そういうのは近所のちょっとエロ友達や、お兄さんやお姉さんがニヤニヤしながら教えてくれたり、あとはTV深夜番組などでほへーと思ったりしていた。確かにこのチャネル現在は少なくなっていそうだ。トゥナイトⅡとかギルガメッシュナイトがあればいいんだろうか。タモリ倶楽部の尻タイトルも今やない。したがって、何なら親がサポートしていいところかもしれない(増田中年なのでそれはキモいなと思うが、なんせ少子化だし子供だけのコミュニティエロ情報をやり取りできる余地が少なそうだ)

とこのように、「コントロール教育される現実の場」がないのでは、と仮説した上で、これはあんま良くないのではと思うのは、「現実アジャストできるような性欲制御イメージ」が錬成されない状態で、成熟した我々の社会で先人が既に研ぎ澄ましてきたエロが練り込まれコンテンツがどんどん供給されていくということだ。

アニメ漫画イラストで、それぞれ細分化された性癖に寄せカリカチュアデフォルメされたエロが消費できる。己の足元の(というか股間の)を現実制御するという意識の成長速度を超えて、先人の大人たちの試行錯誤結晶として整理され産み出されて続けるエロコンテンツ比較的容易に手に入れられる。そこに現実との矛盾が生じ鬱屈が生まれるんでは。

でもまぁ、こんなのはAV簡単レンタルできる時代になった昭和後期以降にも、さんざん言われていたことではあるのだ。「AVセックス現実とは違う。若者がだめになる」「そんな恋愛ドラマみたいな人生普通ねえよ」みたいな文脈。これは酷くアホらしい封殺だと思う。

なので、ここでは「若者がだめになる」原因として、コンテンツの中身や仕組みではなく構造だという視点を加えてみたい。つまり「先人が耕した広大で肥沃なエロ台地」の前で、自分の性欲と向き合う気力が減衰するというか…自分の中でエロに向き合い探索していくことによって得られる「自分」と「自分エロ」との影が重なる部分を探す楽しみが減衰するようなことがあるのでは、と思うのだ。乳袋の描き方の種類を画像検索して並べて見て分析できるようになってしまった現在の、そういう先人オタクの探索心が仇になるというケースというか…すでに誰かが整理された「欲」を目の前にして現実感がなくなるという感情はたまに思う時がある。

若者の性欲を中高年が先食いしてるんじゃねえかなというか…まぁこの辺はあんまりからないまま思考暴走している・・・すまん。

なので最後の『嫉妬気持ちコントロールする」』の唐突感について述べておこうと思う。

これは性欲文脈で語るべき話ではないと思う。恋愛または交際文脈である。もちろん、一般的な人にとっては、恋愛の周囲をぐるりと性欲が取り囲んでいるようなものではあるので無関係ではないのだが、性欲にまつわる抑圧と、嫉妬という抑圧はかなり違うジャンル感情だと思う。

実はこの部分が一番突っ込みたかったところだった。すげー雑なまとめ方をしてんじゃねーよ。

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2025-07-31

過去腐女子嫌悪していた女オタの視点

最近BL作家燃えましたね。

正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。

もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。

こちらも可能範囲言葉を尽くすので、「腐女子功罪」について共に今後も考えて欲しい。

もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。

0.著者は何者だ?

自分世紀末平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマ描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。

世紀末アニメ漫画キッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。

続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。

このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。

ライブ感優位の物語摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。

1.そもそも腐女子って何だ?

時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式非公式わずカップリングさせ、恋愛エッチなことをさせたいと思う女性」とする。

確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。

自分テニプリ個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉黎明期だったのではないか?と見ている。

ボーイズラブBL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。

2.なんで腐女子嫌悪したんだ?

公式コミックだと思って購入したマンガ18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?

しかも当時は中学生

人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式恋愛関係結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。

とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。

彼女のくれたカラー便箋クラピカは未だに覚えている。

3.腐女子って変化してんの?

平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。

また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼聖闘士星矢などが晴海同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。

で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。

4.腐女子が生まれて良かったことってあんの?

個人的に腐女子は苦手だ。

腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。

だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしかまれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばししまう。

なんだよ「結腸ウェディングキッス」って。

そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。

男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。

思想の、嗜好の自由なのだ

自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。

教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。

彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクだって場所はあるのだと。

5.でも腐女子ってダメだよね?

腐女子、と一括りに否定すると混乱の元になる。

前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。

同じような言葉に「夢女子」がある。

どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。

5.1.夢女子腐女子って関係あんの?

ある。

というか、「腐女子」という言葉が生まれから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。

少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトジャンル変容を添えて教えて欲しい)

6.そもそも「腐」女子って名称はどうなわけ?

わかる、めっちゃわかる。

自分もその名称どうなんと当時からずっと思ってはいた。

だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。

当然である

それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタク!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ

言葉の、名前の力は強い。

暴走族珍走団になって弱体化させられたように。

引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。

腐女子』という言葉発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。

腐女子を名乗れば、女オタクという自分存在証明になる。

腐女子を名乗れば、汚いヤリモク目当ての男から距離を置ける。

腐女子を名乗れば、強くなれる!

自分腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。

平成初期、まだ昭和価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然蔓延っていたのがオタク世界インターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。

そもそもPCという高額商品インターネットに月額課金」という特殊環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。

人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?

そんな時代オフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。

(参加した事ないけど一緒にtalk時代ガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)

ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性しかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。

上澄はとことん品位があったものの、底辺マジで救いようがなかった。

中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代インターネッツだ。

こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。

下ネタで絡まれマウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。

ポイピクなどで見られる「パスワード機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタクから身を守るために必要とした防衛機能の名残である

誰かと繋がりたい。

でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。

当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラ人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。

ただイラストを描いただけなのに。

ただ感想を書いただけなのに。

女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタ嫌がらせコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。

ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。

腐女子気持ち悪ぃw」

「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?

わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw

あ、文字読めねぇのかwwww」

こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉アイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。

7.しか腐女子の敵は男だけではなかった

はい、筆者のような女オタクです。

というか、この『腐女子』という言葉インパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。

それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。

そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。

同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれしまったのも痛かった。

ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラル勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。

そう、BLが好きじゃない女オタクだっていたのである

腐女子サーガ第二幕、女オタク同士の殴り合いである。

8.男の子女の子幸せにするためのパートナーなんです!

女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。

多少は本命女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…

これが平成初期女児向けコンテンツスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。

筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。

ディズニー黄金期のリトル・マーメイド美女と野獣アラジンの3コンボ派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラかめっちゃ捏造して遊んでた。

そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代存在否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクター女性読者との関係否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子原作の敵」に見えてしまうのである

そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。

当時は個人サイトで「ドリーム小説」というジャンルがあった。

それが省略されて夢。

男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットホームページ制作ツール進化によって可能になった。

それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクじわじわケータイサイトを中心に姿を現し始めた。

同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。

しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。

筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様女子は間違いなく存在した。

そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である

かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。

ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。

9.女子腐女子って敵なわけ?

これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。

しかも夢女子腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである

夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。

ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。

推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである

で、その視点から見ていて夢女子腐女子も「推しキャラ」という存在めっちゃ入れ込むタイプオタクという点では似てるよなぁと感じている。

たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。

10.結局どっちもキモくね?

キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味いかなとは思う。

思うのは仕方ないし、内心の自由だし。

ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツ年齢制限なしに買えてしま状態はどうかなと思っている。

もしもあの書店の中で立ち止まらず歩いていたら、BLへの嫌悪感など知らずに生きていけただろうと思ってるし。

Permalink |記事への反応(0) | 19:35

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過去腐女子嫌悪していた女オタの視点

 最近BL作家燃えましたね。

 正直、自分としては「ざまぁみろ」という感情がどうしても拭えない。

 もし腐女子を自認し、かつ炎上を起こしたくないとか、何が問題なのかわからないけど理解したい、という気持ちでこの記事が目に留まった方がいるなら嬉しい。

 こちらも可能範囲言葉を尽くすので、「腐女子功罪」について共に今後も考えて欲しい。

 もちろん、腐女子でない人…男性とか、非オタとか、自分みたいな女オタクだけど腐女子とは(物理的にも)距離を置いてる、って人にも一考してもらえる機会になるなら幸いだ。

0.著者は何者だ?

 自分世紀末平成を生きた女オタクであり、いわゆる「男女カプ」や「世界観」「物語構成の美しさやテーマ描写」に重きを置く、考察厨、世界観厨と呼ばれてきた人種だ。

 世紀末アニメ漫画キッズ向けであろうと平気で世界が滅んで主人公も死んだ。

 続編のために主人公が生き返り、感動を台無しにされたこともあった。

 このため「設定やキャラクター感情の辻褄が合っているかどうか」はかなり上位に食い込む判断基準であり、「好きなキャラクターではあるが生き返った(台無しにされた)からこのコンテンツはクソ」が共存し、作者への愛憎を募らせることも珍しくない。

 ライブ感優位の物語摂取できるようになったのは、かなり年齢を重ねてからだ。

1.そもそも腐女子って何だ?

 時代と共に定義が揺らいだり移り変わることもあるが、ここでは平成初期〜中期の認識を元に「男同士を(公式非公式わずカップリングさせ、恋愛エッチなことをさせたいと思う女性」とする。

 確か「腐女子」という言葉が生まれたのは2000年以降であり、それまでこの属性の人々の呼称が安定しなかった記憶がある。

 自分テニプリ個人ファンサイトで初めてこの呼称を知ったので、インターネットの普及もあってこの頃が「腐女子」という言葉黎明期だったのではないか?と見ている。

 ボーイズラブBL)、というジャンル名が普及したのは更にその後だ。

2.なんで腐女子嫌悪したんだ?

 公式コミックだと思って購入したマンガ18禁シーン入りアンソロジーだったからですけど?

 しかも当時は中学生

 人間関係を拗らせていた筆者は「男の肉体(性欲)は汚い」という認識があった上に、「公式恋愛関係結婚関係のあるパートナー女性がいるのになんで浮気みたいなことを平気でやってんだコイツらは?」という設定至上主義が組み合わさり【腐女子氏ね】に速攻で傾いた。

 とはいえ、当時数少ない仲の良かったクラスメイトがまさにデビューしたての同人作家腐女子だったため色々もどかしかった。

 彼女のくれたカラー便箋クラピカは未だに覚えている。

3.腐女子って変化してんの?

 平成の30年間だけでも初期〜中期〜後期とかなりの移り変わりがあった。

 また、生まれる前にその手の話題で盛り上がっていたキャプ翼聖闘士星矢などが晴海同人即売会でやり取りされてた時代を知っている「腐女子という言葉が生まれる前から活動していた女オタク」とも知り合いだったため、昨今の若い腐女子よりは『腐女子と呼ばれる人々の生態と歴史』は知ってる方だと思う。

 で、その視点からすると昨今の「腐女子」という言葉は「オタク」同様、命名初期よりも一般化に浸透し、良くも悪くも多様性が生まれたと思う。

4.腐女子が生まれて良かったことってあんの?

 個人的に腐女子は苦手だ。

 腐女子を名乗っている人を見ると身構えてしまうし、炎上している腐女子を見ると胸のすく思いがする。

 だが、現在の親しくしている友人にも腐女子はいるし、彼女たちの研ぎ澄まされた語彙力からしかまれないパワーワードは「腐女子がイヤ」という嫌悪感を軽く吹き飛ばししまう。

 なんだよ「結腸ウェディングキッス」って。

 そして昨今、「腐男子」という言葉が生まれてかなり見方が変わった。

 男性ながら家事や服飾を好む「オトメン」や、女性的な身なりを誇る「オネェ(オカマニューハーフ)」といった存在を経て、こんなにもカジュアルに「同性愛的な楽しみ方が好き」と言える男性が世に出てこられたのは「オタク犯罪者予備軍」と言われていた時代から考えたらとんでもなく素晴らしいことなのだ。

 思想の、嗜好の自由なのだ

 自分の好きではない属性だが、男優位と言われてきた社会から飛び出した女性表現力が、巡り巡ってマイノリティ男性を救う連鎖を生み出している。

 教室の隅っこで落書きをする事でしか満たされなかった小学生女児の魂が、なんとなく救われた気がした。

 彼らのような人たちが心地よく受け入れられる社会になっているのなら、自分のようなオタクだって場所はあるのだと。

5.でも腐女子ってダメだよね?

 腐女子、と一括りに否定すると混乱の元になる。

 前述の通り「腐女子」は、その言葉の持つ意味や人々の属性がすっっっっっごく混沌としていて、この言葉自体が割と取り扱って注意となっている。

 同じような言葉に「夢女子」がある。

 どうしても個人的な腐女子論を語る上で外せない概念なので、脇道にそれるが言及しておきたい。

5.1.夢女子腐女子って関係あんの?

 ある。

 というか、「腐女子」という言葉が生まれから、そこをもじったように生み出された概念が「夢女子」だ。

 少なくともこれらの言葉の発生には3〜5年のタイムラグがある。(それは絶対に違う、と仰られる有識者がいたら当時通っていた個人サイトジャンル変容を添えて教えて欲しい)

6.そもそも「腐」女子って名称はどうなわけ?

 わかる、めっちゃわかる。

 自分もその名称どうなんと当時からずっと思ってはいた。

 だが平成終盤以降のインターネットではたまーに「腐女子って呼び方をやめよう!!」みたいな声かけが発生するが、それがうまく行った様子はない。

 当然である

 それまで「女オタクなんて存在するわけないだろ(vs即売会見ろや)」というムードだった平成初期〜中期に「女オタク!!!!!いまーす!!!!!!!」と認知させたのが『腐女子』という言葉の力であり、女オタク達がこぞって名乗り始めた理由なのだ

 言葉の、名前の力は強い。

 暴走族珍走団になって弱体化させられたように。

 引きこもりという言葉が生まれて、苦しむ若者を受け入れる社会になったように。

 『腐女子』という言葉発明は、存在を透明化されてきた歴戦の女オタク達にとってむちゃくちゃ存在感のあるパワーワードだったのだ。

 腐女子を名乗れば、女オタクという自分存在証明になる。

 腐女子を名乗れば、汚いヤリモク目当ての男から距離を置ける。

 腐女子を名乗れば、強くなれる!

 自分腐女子が苦手だったが、腐女子を名乗りたがる女オタク達の気持ちは痛いほど理解できた。

 平成初期、まだ昭和価値観は色濃く「女は男に従うものであり、勝つ事などありえない。オタクでも男の方が偉いのであり、女はその格下。というか、そもそもいるわけがないっしょw」というのが漠然蔓延っていたのがオタク世界インターネット黎明期であり、2ちゃんねるの「俺」文化の背景であり、オタクオフ会に参加する時の覚悟であったのだ。

 そもそもPCという高額商品インターネットに月額課金」という特殊環境を整えられたのはプログラマーなど、ごく一部のIT知識と金銭の整った富豪しかいなかった。

 人数的には30人に1人いるか居ないか程度だったんじゃなかろうか?

 そんな時代オフ会をすれば男5:女1みたいなのはザラにあったし、女オタク同士で集まる流れになると1:1になるジャンルとかもあって両極端だった。

(参加した事ないけど一緒にtalk時代ガンパレ辺りの女性ユーザー認知の火力は凄かったと記憶している)

 ついでに、当時のオタクは男女問わず大変拗らせていたので「オタクという属性しかアイデンティティがない陰キャ男子」のマウントが取れる相手というのが「自分達男オタクよりも少なくて力も弱い女オタク」だったというのは背景分析として間違っていないと思う。

 上澄はとことん品位があったものの、底辺マジで救いようがなかった。

 中間層という存在がすっぽ抜けていたのを、更に加速させたのが2ちゃんねる黄金時代インターネッツだ。

 こういう世界で「女」という属性を見せるのは女性器を晒したかのごとく好機の的にされた。

 下ネタで絡まれマウントを取られ、嘲笑を浴びるのが「女オタク」のポジションであり、彼女たちが個人サイトに引きこもっても男たちはそれを匿名掲示板に貼り付けて、笑いものにしながら荒らし行為を繰り返した。

 ポイピクなどで見られる「パスワード機能は、当時の女オタクたちが心無い男オタクから身を守るために必要とした防衛機能の名残である

 誰かと繋がりたい。

 でも、イタズラに傷付けてくるような人に近寄られたくない。

 当時、「女オタク」というだけで様々なセクハラ人権無視の扱いをされてきた彼女達にとって『腐女子』という忌み名は魔除け効果を持つとても心強い言葉だったのだ。

 ただイラストを描いただけなのに。

 ただ感想を書いただけなのに。

 女という要素が少しでも嗅ぎ取られれば、匿名掲示板で集まってきた男達が下ネタ嫌がらせコメントを、ありとあらゆる手段で繰り返してくる。

 ブロックしても無限湧きしてくる捨て垢で、毎日何十件と粘着され続けてきたらそりゃ心も荒む。

腐女子気持ち悪ぃw」

「そりゃ腐ってるんだから当然だろ?

 わざわざ書いてやってるんだから腐ってる女に寄って来んなよw

 あ、文字読めねぇのかwwww」

 こうやって彼女たちは心と尊厳を守るために「"腐"女子」という一見不名誉アイデンティティを鎧に選び、下ネタセクハラ男達を彼らの嫌う男陵辱ハードプレイ下ネタで遠退けたのだ。

7.しか腐女子の敵は男だけではなかった

 はい、筆者のような女オタクです。

 というか、この『腐女子』という言葉インパクトと浸透力は当時かなり目覚ましいものがあった。

 それまで「えーと、ほら、男同士の関係が好きな女の人…」みたいな感じで、どう呼べば良いのか、そもそもその趣味嗜好についてどう触れたら良いのか、良識あるオタクですらかなーり扱いには迷っていた。

 そこに「はいはい!私は腐女子です!男同士のエッチな絡みが大好きです!」と聞いてもいないのに名乗ってくるコミュ障が大多数突撃してきたので、やんわり〜厳しく注意する人間もいれば、同担拒否よろしく締め出したり、まぁ同じ土俵に上がって焼け野原になったり、それはそれでまぁまぁ問題にはなった。

 同時期に、インターネットの敷居が下がり「女オタク腐女子」と勘違いした一般層がかなり生まれしまったのも痛かった。

 ちなみに筆者も、実の父親や仲の良い男子に「腐女子なんでしょ?」とナチュラル勘違いされたので猛烈に反発してブチ切れたことがある。

 そう、BLが好きじゃない女オタクだっていたのである

 腐女子サーガ第二幕、女オタク同士の殴り合いである。

8.男の子女の子幸せにするためのパートナーなんです!

 女児向けコンテンツの男キャラってのは「王子様」でなきゃいけない。

 多少は本命女の子にいじわるしても、危機があれば命をかけて救いに行き、言葉にならない女の子の苦悩を解決し、最後にはキスをして救済してくれる…

 これが平成初期女児向けコンテンツスタンダードであり、多少女主人公が死んだりしてもそこら辺の「相手役」の王子様力は落とさなかった。

 筆者はこういった女児向けコンテンツ出身で、男女の恋愛というのは子を残す(続編の予知)も含めて当然の帰結だろうと思っていた。

 ディズニー黄金期のリトル・マーメイド美女と野獣アラジンの3コンボ派生作品を喰らってたので、「子を残す必要性」というのを続編への前振りとして考えていたし、ウテナウテナで後になって振り返ってなるほどねと思っていたし、現在も男女カップリングからの子世代妄想や作者の性癖推測とかやるし、オリジナル子供キャラかめっちゃ捏造して遊んでた。

 そういう人間にとって「男同士の恋愛関係」は子世代存在否定するものであり、何なら男キャラに恋している女性キャラクター女性読者との関係否定するものであり、公式の男女関係への崇拝が強固であればあるほど「腐女子原作の敵」に見えてしまうのである

 そこで反発して生まれたのが『夢女子』という言葉であったと、筆者は認識している。

 当時は個人サイトで「ドリーム小説」というジャンルがあった。

 それが省略されて夢。

 男子キャラと擬似的な恋愛を楽しめる…ユーザー名に自分名前を入れ、あだ名も呼んでくれて…といったときメモのような遊びが、インターネットホームページ制作ツール進化によって可能になった。

 それがケータイの普及によって更に手軽に実現可能となり、好きなジャンプキャラゲームキャラとの疑似恋愛を楽しむ女オタクじわじわケータイサイトを中心に姿を現し始めた。

 同人誌を作って即売会に参加するほどではないが、自分の恋心をイケメンに受け止めて欲しいと思うお姫様女児から進化したオタクが、テニプリなどの社会現象と共に広まったのが『夢女子』の発端だったと記憶している。

 しかもこの自称は「私は"腐"女子なんかじゃありません!」という攻撃性を含んでいる物もあった。

 筆者が当時、強めのアンチ腐女子だったというのもあるが「腐女子呼ばわりされてムカつく!」というお姫様女子は間違いなく存在した。

 そりゃ乙女ゲーに出てくる男子を他の男とくっつけたらコンセプト全否定なんだから当然である

 かくして一部の夢女子は、我が愛しのイケメンをメス堕ちさせた憎たらしい敵として腐女子を嫌っていた。

 ちなみにこの手のお姫様精神の人が拗らせたまま歳を重ねると、ツイフェミと呼ばれるようになるっぽい。

9.女子腐女子って敵なわけ?

 これはもう、個々の相性やポリシーからケースバイケースとしか言いようがない。

 

 しかも夢女子腐女子ほど定義が強固ではなく「ドリーム小説を楽しんでいた女オタク」というふわっとしたものである

 夢小説を作った人間はたまに但し書きに「男の子名前を入れないでください」とか書いてたくらいには何かあったんだろうなと思う。

 ちなみに自分は、夢小説はまったく通っておらず子世代妄想公式カプ小説といった「筆者の存在しない自前の二次創作」を楽しんでいた。

 「推し」が居なくてもコンテンツを楽しめるタイプなので、昨今の「推し」ありきの流れにはちょっと乗り切れていないオタクである

 で、その視点から見ていて夢女子腐女子も「推しキャラ」という存在めっちゃ入れ込むタイプオタクという点では似てるよなぁと感じている。

 たまに「推しキャラを好きな自分の方が、公式より偉いと思ってるんだろうな」と感じる人もいる。

10.結局どっちもキモくね?

 キモいと感じる心を否定する気は無いし、でも疑似恋愛や愛玩感情などは多くの人間に備わってるものなので、否定しても意味いかなとは思う。

 思うのは仕方ないし、内心の自由だし。

 ただ個人的には、BLだろうと18禁要素や肌色多めのコンテンツ年齢制限なしに買えてしま状態はどうかなと思っている。

 もしもあの書店の中で立ち止まらず歩いていたら、BLへの嫌悪感など知らずに生きて

Permalink |記事への反応(2) | 19:26

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2025-07-27

anond:20250727114829

と言われても、そもそも社会現象本来意味での再現性なんかない

Permalink |記事への反応(1) | 11:52

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2025-07-16

鬼滅を目前に控えたとある映画館スタッフからみんなへのおねがい

鬼滅が帰ってくるぞー‼︎‼︎(ドコドコドコ)

普段よりもお早めに売り出された初日チケット

その争奪戦により遮断されるサーバー

上映時間を問わず、各回の席が続々と埋まっていく状況は、都会のみならず地方も同じ。

社会現象となった「列車から5年、もう鬼滅はオワコンだなんて声も少なくなかった中のこの過熱っぷり。

おれたち(コロナにあえぐ映画館)を救ったあの鬼滅が、本当に帰ってくるんだ……!


と手放しで喜ぶ映画館スタッフはおそらくいない。

思えば400億稼いだあの「列車」は、緊急事態宣言下に出された間引き販売(一席ずつ感覚を開ける)こそ一旦解除されたものの、一部劇場では依然続行され、お上からアドバイスにより飲食制限された中での公開だった。

勿論やる事は多かった。

まり勝手に席を詰めて座る客への注意だの各所の消毒除菌だの持ち込み注意だの鑑賞中の飲食への対応だのに追われてはいた。

いたけれど、座席販売100%ではなかったりドリンクのみでフード系の提供不要だったりというプラス面もあった。(ここはプラスと言わせて欲しい)

フード系の持ち込みがない、これがマジでありがたい。

撒き散らかされたポップコーン、踏まれて粉々になったポップコーン、シートにへばりついたポップコーンドリンクとない混ぜになってカーペットに染み込んだポップコーン、お子様のゲロとなって噴射されたポップコーン、それらが一体となってスタッフに襲いかかって来る、映画館とはそういう場所なのである

ドリンクだけなら手に負える。

拭けばいい。拭けばいいだけなんだ。

だがポップコーン、お前と言う存在がおれたちを苦しめる……。


鬼滅がすぐそこまで近づいている。

座席販売100%

飲食売店は5年前よりも遥かに多くのメニューを揃えている。

季節は夏、人々が開放的になるサマーだ。

そして映画館はどこも人手不足だ。

スタッフがいない。

スタッフが足りない。

上に訴えても補充されない。

もうここ数年間、ずっとそうなのである

あの頃鬼を滅していたベテランスタッフ達は、5年間の間に散り散りになってしまった。


最終局面、という言葉が何度も頭をよぎる。

人数も知識経験値も、何もかもが足りていない中おれたちは無限城を迎える。

お盆を含め長くなるであろうこの戦いは、初週の三連休で終わるかもしれない。(現場崩壊と言う意味で)

と言う訳でみんなへおねがい

もしもポップコーン買おうかなーと思ってくれるなら、1時間前に来て買って欲しい。

大丈夫、1時間ではポップコーンは湿気無い。

映画時間に間に合うか不安だったら、近くのスタッフに「本編開始時刻」を聞いて欲しい。

それを踏まえて売店の列が間に合いそうになかったら、遠慮なくポップコーンを諦めて欲しい。

せやかて工藤ポップコーン映画館の儲けなんやろ?

気遣いサンキュー、でもポップコーンより映画を優先してくれて構わない、むしろして欲しい。

ポップコーンはともかく、ドリンクやその他フード系を1時間も前に買っておけない?

それはもう、そうなんだけど、もうほんとそうなので、そうなんだよねー。

今回の「城」は長丁場になるので、ドリンクは天敵かも知れないとだけ言わせて欲しい。

最後に、映画館で働くみんなへ。

気持ちは同じだ。

忙しいだろうけど熱中症にならないよう水分をとって、座れそうなタイミングがあったら座って休憩しよう。

朝は必ず来る。

この長い夜(夏休み)をみんなで乗り越えよう。

Permalink |記事への反応(1) | 18:52

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2025-07-15

陰謀論批判する私たち」も「同じ穴の狢」ではないか

山本一郎氏の記事きっかけに、情報戦プロパガンダについて考える機会がありました。その記事は、ロシア製ボット日本SNS反政府プロパガンダ拡散し、特定政党(具体的には参政党が名指しされていました)の支持を煽っていると警鐘を鳴らすものでした。

この記事の核心は、外国勢力による情報操作日本民主主義に脅威を与えているという点にあります。実際、参政党の候補者のさや氏がロシア国営メディアスプートニクインタビューを受けていたことや、鈴木宗男議員スプートニクで「ロシア勝利100%確信している」と発言し、そのことで処分された事例も思い出されます外国メディアインタビューを受けること自体は珍しくありませんが、それが「日本社会を分断する」という特定目的に利用される可能性が指摘されているわけです。

ここで私は、ある疑問に突き当たりました。

陰謀論批判者」も「陰謀論」に加担していないか

はてなブックマークで記事に対するコメントを見ると、記事意図通り、ロシアプロパガンダと結びつけて参政党の躍進を批判する声が多く見られました。それは、「陰謀論者」とされる人々が唱えるような、既存権威常識を疑い、背後に隠された意図操作を暴こうとする構造と、どこか似ていないでしょうか?

まり、「参政党の支持拡大は、ロシアという外国勢力の不当な情報操作によってもたらされたものだ」という考え方は、「目に見える現象の背後には、特定意図を持った(悪意ある)勢力による計画的操作がある」と解釈する点で、私たち批判してきたはずの「陰謀論」の構造酷似しているように思えるのです。

私自身も、この言説を聞いた時、反射的に「なるほど、やはりそうか」と納得してしまいました。なぜなら、自分の中で「参政党の急激な支持拡大は理解しにくい」「ロシアウクライナ侵攻で悪役だ」という認識が先行しており、そこに「ロシアプロパガンダ」という説明提供されたことで、辻褄が合うように感じられたからです。

私たちはなぜ、「同じ穴の狢」に陥りがちなのか?

私たちは、自分たちが正しいと信じる立場から、時に「陰謀論者」とレッテルを貼って批判します。しかし、その批判過程で、私たち自身もまた、都合の良い説明を外部の「見えない力」や「悪意ある意図」に求めるという、陰謀論思考の罠に陥ってしま危険性があるのではないでしょうか。

複雑な社会現象理解しがたい政治的変化に直面した時、私たちは明確で分かりやすい「原因」や「犯人」を求めたくなります。その時、もし「外国プロパガンダ」や「特定勢力による操作」といった説明提供されれば、それが自身既存の信念体系に合致する場合、深く検証することなく受け入れてしまいがちです。

健全批判と「陰謀論」の境界線

もちろん、情報戦外国から干渉現実の脅威であり、その存在認識し、警戒することは非常に重要です。しかし、その警戒が、あらゆる不都合現象を「陰謀」や「操作」の結果として一元的説明しようとする思考に滑り落ちてしまわないよう、自戒する必要があると感じます

私たちが本当に「陰謀論」を乗り越えたいと願うのであれば、まずは私たち自身思考の癖、そして、私たち批判する側と同じような「誰かのせいにする」思考に陥っていないかを、常に自問自答する必要があるのではないでしょうか。

複雑な世界を単純な善悪二元論で捉えたり、都合の良い説明に飛びついたりする誘惑は、誰にでもあります批判する側が、批判される側と同じ思考パターンに陥らないためにも、冷静な事実確認と、多角的視点を持つことの重要性を改めて痛感しました。

皆さんは、この状況をどのように考えますか?

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2025-07-09

anond:20250706230430

ない

「鬼殺隊」は鬼滅作者の造語だし、

発言前後からも鬼滅を引っ張り出していることは明らか

特に神谷代表は、物事をズバッと断言したり、大ヒット漫画鬼滅の刃』に自分達をなぞらえて話したりする。『(参政党員は)鬼殺隊ですよ。日本人の心の中にいる鬼をみんなで浄化する!』とか『僕たちが鬼殺隊をやっていたら、いつか煉獄さんみたいな人が生まれる』などという演説

党員は鬼殺隊です!」陰謀論を掲げてきた参政党・政治資金パーティーに来た人に「なぜ支持するのか?」聞いてみた(週刊現代) - 2ページ目 |現代ビジネス |講談社

https://gendai.media/articles/-/153778?page=2

ムカつく

非常にムカつく

虫唾が走る

腸が煮えくり返る

鬼殺隊と参政等は真逆と言っていいほど性質が逆じゃないか

お前らはむしろ鬼側だろうが

まう鬼滅のことを喋るな

と思うが

社会現象となったうえ、勧善懲悪とみなされがちな鬼滅は政治利用をよくされる…

杉なんとかという逮捕された迷惑youtuberはもちろん、

維新も鬼滅から取った言葉に緑と黒の市松模様ポスター貼って集英社から苦言を呈されたり

Permalink |記事への反応(1) | 23:00

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2025-06-26

dorawii

ソシャゲとしてはウマ娘よりブルアカの方が売れているイメージだが、

アニメとしてはウマ娘ほど社会現象にはならなかったよな。OP紅白で歌われたかというのが典型。てかブルアカOPは俺も聞いたことが無い。アンウェルカムのほうがよっぽど有名では。

このねじれの原因はなんだろうか?アニメではウマ娘に勝てなかった原因は?

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Permalink |記事への反応(1) | 14:59

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2025-06-25

ジークアクスを貶すのは老害

今の若いオタクたちからは、そんなふうに思われてるのかもしれない。

正直、自分でも確かに老害だなってちょっと思うところはあるよ。

でもさ、それでも言いたいことがあるんだよ。

本当に当時は、今の子たちが想像する以上に価値があったんだよ。ガンダムは。

社会現象って言葉が軽く感じるくらい、とにかくすごい熱量だった。ファーストもそうだけど、特にZの人気なんて今じゃ信じられないくらいだった。

あの頃のオタクは全員観てた。冗談や誇張とかじゃなくて、本当に全員。

オタクって呼ばれるやつでZを観てないやつなんていなかったんだ。

今みたいに趣味多様化してるわけじゃなかったし、これがオタク基準みたいな絶対的存在だった、Zは体感オタク視聴率100パーセント

当時は会社でも新人社員生意気なこと言うと先輩が「修正してやる!」なんて言いながら殴るのが流行るくらい、それほど社会に浸透してたんだよ。

もちろん今ならアウトだけど、当時はそれくらいガンダムセリフ日常に食い込んでた。ガンダムの影響力って、本当にそういうレベルだった。

からジークアクスでファースト世界観キャラクターを雑に、それも消費するだけみたいに扱われるとやっぱり憤るんだよ。

あの時代を生きた身としては、ガンダムは俺たちオタクの心の礎なんだ。

懐古だ老害だって笑われてもいい。

でも、ただの小ネタ扱いとか安っぽいオマージュで消費されてしまうのは、ほんとに悔しいんだよ。

たぶん今の子たちにとっては、また老害が何か言ってるよ程度に思われるんだろうな。

それでもいい。それでもいいから、せめてファーストがどれほどの熱量と重みを持っていたのかを、ちょっとだけ想像してみてほしい

Permalink |記事への反応(6) | 15:34

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2025-06-18

anond:20250618181650

そのオリジナルロボットアニメ社会現象になるくらいヒットしてるのは無知なのか遠回しな皮肉か何かか分かりにくいよ

Permalink |記事への反応(1) | 18:21

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2025-06-15

けものフレンズ関連のニュースは、注目度が低くて普通メディアで取り上げられないから、プレスリリース垂れ流しサイトのものブックマークされるのが悲しい

アニメ一期の時は、ネット上では社会現象かと見えるくらいに盛り上がっていたのにね

あれほど超スピード流行冷水ぶっかけパターンは見たことがない

Permalink |記事への反応(1) | 06:43

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2025-06-11

推薦とか広告抽象化すればスライダーをいじるだけになる

そしてスライダーには相関する社会現象がある

「このスライダーを右に移動すると韓国利益になるが日本損益になる」「このスライダーを右に移動すると学歴コンプが増える」等

Googleレベルの規模があれば世界征服も余裕だよね

Permalink |記事への反応(0) | 10:23

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2025-06-02

anond:20250602121410

アニメ単体で見てもハルヒの魅力はわからないと思う。

ハルヒそもそもライトノベルとしての注目度が群を抜いていた。

5年ぶり、しかも史上わずか2人しか受賞していなかったスニーカー大賞の大賞を選考委員全員一致で推されるかたちで受賞した。

全体的な完成度の高さ、文章の巧みさ、言葉遊びセンスSF的な要素、小説としてのエンターテインメント性、いずれも新人作家の水準では突出していてライトノベル界にも鳴り物入りの大型ルーキーという感じだった。

ただ、ハルヒの最大の魅力とも言えるキョン饒舌で妙に回りくどい語り口・文体をどうやってアニメーションに落とし込むかは製作側も頭を悩ませていた。

アニメ化にあたって監督石原立也ハルヒ面白さは小説を読む面白さで映像化に向いていないのではと不安を感じていたし、作者の谷川流も「本作をアニメにして面白いのか」と疑問を抱いていたらしい。

でもま、今の売れてるweb小説ラノベを読んだら分かるけど、ハルヒ原作表現は今の時代からすると古くさすぎて、これが売れるとは到底思えない。

単に古いって意味じゃなくて、00年代初期のオタク文化が濃厚な時代オタク向けに売ってただけあって理屈っぽくてダラダラ長くてジジくさい。

tiktokだの倍速視聴だのに慣れた今のオタクハルヒ原作を読んでも魅力を感じないと思う。

話を戻すと、結果的ハルヒアニメ版が社会現象を巻き起こすほどに大ヒットしたのは、やっぱりそれだけ原作が注目を浴びていたのと、あとはたまたま時代が合っていただけだと思う。

ハルヒアニメが開始した2006年ニコニコYouTubeがまだサービス開始して間もない頃で、アニメ配信サイトなんて当然ないか違法アップロード蔓延っていた無秩序時代だった。ハルヒ普通にアップロードされていた。

そういうネット動画黎明期アニメ版開始たまたま重なって、たまたま奇跡的なレベルで嚙み合ったっていう時代恩恵が大きいと思う。

ハレ晴レユカイダンスみても何も萌えないしときめかないでしょ。もっとかわいいアニメなんて腐るほどあるんだから

谷川流がまた新刊出し始めたせいか知らんけど令和の今になってもなお平野綾ハレ晴レユカイを踊らされているのを見ると可哀想と思う。

Permalink |記事への反応(1) | 13:34

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2025-05-28

anond:20250528131115

めちゃくちゃ見てたしOP曲が社会現象にもなったりしたぞ

Permalink |記事への反応(0) | 13:16

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2025-05-27

anond:20250527115351

流行ものは、カツアゲ強奪事件が起きたら社会現象って感じだけど、switch2もそこまで盛り上がるとイイね。

Permalink |記事への反応(0) | 11:59

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