
はてなキーワード:破天荒とは
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
自分も、ADHDかつ軽度のASDの子供がいて、ADHDの当人で、配偶者がASDだか、少しだけ気持ちが分かるような、いろいろと辛いような、どちらの感情もあったので走り書き。
つい数年前までは、平凡で普通な平均の人間で、面白みのないありふれた当たり前の生き方の人生だと思ってた。
奥さんの弟は少し破天荒なタイプで、いつも義理の母が苦労していた。ちょっとしたマイルドヤンキーくらいに捉えていたけど、すったもんだであるとき検査をうけてASDと診断された。知的障害はないが、自閉症としては重度だった。
それでも近いようで対岸の火事な気持ちだったから、義母も大変だから何かとサポートしようくらいの気持ちだった。
10年くらい前に鬱で休職して以来、ずっと普通に働いて生活してたつもりだけど、少しだけ精神は不安定だった。それが数年前に仕事のドタバタで鬱ぽい状態から悪化して、会社をしばらく休職することに。
休んでる間はほぼ夏休み気分で溜まってた有給を消費しながらのんびりと過ごしてた。奥さんの全面的なサポートがあったからすごく助かった。
そんな時に、奥さんから精神科で軽度のASDとADHDの診断を受けたと報告された。どうも僕のことを相談しにいって、問題は自分の自認や特性に原因があるぽいよ、という医師の診断と検査結果だったみたい。
そ」から色々と話し合ったりして、もともとADHDの特性に当てはまる自認があったから、鬱の通院のついでに相談して自分も検査してもらった。潜在的な自認はあむたけど、冗談半分の気持ちだったから、たぶん精神科に通院している状態でなければ、検査する気や発想にはならなかったかも。
診断結果は生まれもっての注意欠陥と多動の発達障害でしょう、とのこと。
いまなら自覚もあるけど、自分の性格や普段の行動からも、多動症の典型という感じはする。
蛇足だけど、老後生活をゆっくり過ごしている両親には伝えてない。でも自分以上に父親はもっと多動だと思う。
それとほぼ並行して、息子が大学に通えずに精神科に通院し始めた。カウンセラーにもアドバイスをもらいながら検査もして、ASDのADHDの診断だった。
不登校気味で友達関係や人付き合いに悩んではいたけど、自分よりもしっかりもので、事件やトラブルもあったけど、真っ当に成長していると感じていたから、自分のことよりもびっくりした。けれど、まあ、両親の遺伝を考えれば当然なのかなという納得感もある。
あと精神科に通ったり発達障害について多少の知見があったのは、少しだけ子供のサポートに役立ったような気がする。
自分自身が発達障害で何か困難があるかと問われてもあまり思いつかない。締切の直前まで先延ばしにする悪癖は間違いなくある。締切の直前とトラブル時にだけアドレナリンが出て能力1.5倍で働ける。世間では無能な類だと思うが、プログラマとして興味のある分野を勉強、研究して、気に入ったOSSには足を突っ込んだり、担当外のプロジェクトのトラブルや問題に茶々を入れたり、意外とそれなりにやれてきたような。
家を出る時は家族の誰かの忘れ物で何度も行ったり来たり、それでいて肝心の物は結局忘れたり。封筒でもらった現金をお土産と一緒にしてたら空だと勘違いして捨てたり。漫画や小説は昔から同じ巻が何冊か被ってたり。
言い間違いや勘違いや物忘れが多すぎて、友達にまとめられる程度にはトンチンカンだし。
いまだに自分や家族の病名が覚えられなくて、いつもADSLだし。
書き出してみると、確かに優秀な人からすれば我慢が出来ないほどの可哀想な特性なのかもしれんけど。自分たちは動物園も水族館も映画も大好きだから、障害者割引を呑気に喜んだり平和にやっている。
何が言いたいのかもう全然分かんないけど、自分の人生が幸せだと自信をもって言えるのは奥さんと結婚して楽しく心地の良い生活ができているから。少し気難しい奥さんと仲良く楽しくやれるのは自分の特性が少しは役立っているのかも、とか。人名も店名も曲名も歌詞もいっつもうろ覚えで支離滅裂な会話でものんびりぼんやり付き合ってくれる奥さんのパーソナルはとても相性がいい、とか。
息子の将来は心配なとこあるけど、いまだに一緒に野遊びに付き合ってくれる心優しくも楽しい良いやつだから、何とかなるのかなと楽観視はしてる。
しっちゃかめっちゃかだけど、現代社会を生きるのには不便な特性かもしれんけど、悲観するよりは楽観したほうが楽しいんじゃないのかな、という余計なお世話が思い浮かんだ。
80を超えても元気で明るい祖母だった。
なかなかに破天荒な性格で、10代から酒とタバコを嗜み(あの時代では普通だった)、半ばヤクザのような祖父とは2回離婚して3回結婚したようだった。
私が幼い頃に亡くなったので覚えていない。
祖父は手先が器用な上に気遣い上手で話も上手いので、大層モテたらしい。
ある日突然愛人の元へ行ってしまい、帰ってこなくなることもザラにあったという。まだ幼かった父の手を引いて色々なところを転々と働いたと、いつだったかタバコの煙を燻らせながら話していた。
祖父の借金まで背負って、祖母は懸命に働いた。高校を出ていない祖母は飲食店を転々とし、朝から晩まで働いたうえで幼き父の世話もした。ここだけ聞くと祖父が一方的な悪者のようにも聞こえるが、祖母は祖父を恨んでいるようには思えなかった。
「愛人作って出ていっちゃう時もあったけど、モテる人だったから」
「あの人は本当に手先が器用でね、こんなものだったら手作りしてたよ」
恋や愛というものを理解していない私にはそんかものか、と思われて聞いていたが、今思うと間違いなく祖母は祖父を愛していたのだろう。(沢山のしなくてもいい苦労もさせられたと思うが)
祖母は祖父が亡くなってから一人で暮らしていた。「誰かの負担になりたくないから」と快活に笑う祖母は70すぎまで働いていた。
遊びに行くと、タバコを吸いながら店のオーナーの愛人の悪口や、不倫をやめられないどうしようもない同僚の女の悪口など(今思えば不倫話ばかりである)を言う祖母はなんというか、世間一般での「おばあちゃん」らしくなくて好きだった。
彼女は趣味も若く、60すぎできゃりーぱみゅぱみゅのライブに行っていた。今流行りの芸能人は祖母に聞けばすぐわかった。
愛人を囲っていたり、不倫を続けたりする人間が祖母の周りには多くいたようだが、ともすると祖母にとっての愛人はタバコではなかろうか。
10代から吸っているタバコの量は減ることなく、祖母の肺を黒くし続けた。
ついに肺気腫になり、3時間に一度酸素吸入をせねばなくなった祖母は、紙タバコから電子タバコへ変えた。(紙タバコでは酸素により引火するため)
10代から50年以上積み上げた習慣を崩せる人間はなかなかいないだろう。
酸素吸入器を部屋の端に置きながら、祖母はそれでも元気にタバコを吸い続けた。
もはや家とスーパーと病院の往復しかしていなかった祖母ですら、見逃されることさなかった。
急に入院が決まったのが2週間前、意識を失ったのが昨夜だった。
祖母はその細い体にたくさんの管が巻き付かれていて、腕はアザまみれだった。
苦しそうに、なんとか息をさせられている状態であった。意識がないのでもはや痛みも感じないらしいが。
父から、何か言葉をかけてほしいと言われたが祖母の状態へのショックが大きく、何を伝えたらいいか分からない。
先に到着していた弟が、手を握ってあげてと言った。
祖母の痩せ切った手はとてもあたたかかった。思えば祖母の手を触ったことなど、20年ぶりかもしれない。
生きている。
変な言い回しだが、祖母は当然今までも生きていて、その体は熱を持っていたはずである。だが、生と死の狭間にいる祖母に触れて初めてその熱を知り、生を実感した。
上手く言葉にできない。しかし、あの手の熱はきっと一生忘れないであろう。
握り返されることはなかったが、私に熱を分け与えてくれた左手には結婚指輪が光っていた。シミや皺も多く、手首には管もたくさん巻かれていたその左手はとてもきれいだった。
医者は今夜が山場だという。
父は病院に一晩つきそう。
このタイトルで近く聴覚を失うメタルバンドのドラマー、ルーベンが主人公、と聞くと破天荒なイメージが浮かぶが、この映画はその逆の静かな映画だ。
ルーベンは元ドラッグ依存症、今はバンドメイトで恋人の女性と2人でキャンピングカー暮らし。父親とそりが合わず家を出ており自傷癖もある恋人と支え合い真面目に生きている。
だがルーベンはもうすぐ聴覚を失うことを知り、ヤケになろうとしかけるが恋人やバンドメイト達はルーベンの先行きを心配し、中途ろうあ者が住み込んで生きる力を身につけるコミュニティを見つけてくれる。
ルーベンは「家に帰る」という恋人を心配しつつもコミュニティに入居。最初は馴染めず荒れたりもしたが、徐々に自分の障害やコミュニティでの暮らしを受け入れ、友人もでき、音のない世界での人生を生き始め…
というあたりで映画の半分くらい。
是非見てほしい。
・3年A組
・最高の教師
・御上先生
この辺りの、「一見破天荒(誤用)だったり、性格悪そうだったり、冷たかったり見える先生が、生徒に(作者なりの)世の中の真理を説く」っていう物語、そろそろジャンル名がつきそう
自分自身好きな作品がいくつかあるからあえて言うけど、「凄え存在が目の前に現れて、自分を変えてほしい」って欲を反映してる気はする
(追記)
kichine教師もだが、はみ出しものの刑事とか凄腕だけど非常識人の医者とか、真面目なイメージの職業で成り立つドラマの作り方だと思う。
確かに
自分が思いついた限りだと
・正直不動産
・ガクサン
辺りがあるな
あとこういうの、「女性の常識人がパートナーになる」っていうパターンも多いな
了解しました!以下に、ご質問のX投稿(https://x.com/kisaakakisaaka/status/1954913322517828004?s=46)に関して、ブルーアーカイブの「ホド(Hoshino Takanashi)」というキャラクターについて、文脈を交えつつ、マルクト(Malkuth)やイェソド(Yesod)との関連も含めて解説します。
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### ホド(星乃灯凪 / Hoshino Takanashi)とは?
ホドは、スマートフォンゲーム「ブルーアーカイブ(Blue Archive)」に登場するキャラクターで、問題解決68(Problem Solver 68)というグループに所属する生徒です。彼女は外見的には可愛らしい金髪の少女ですが、性格はかなり破天荒で、時に無謀な行動を取ることが特徴です。イラストやストーリーでは、コミカルかつ劇的な表現が多用され、今回のX投稿のように「私を悪い人みたいに言わないで!」という台詞や、泣き顔・叫び顔が強調された絵柄が彼女の個性をよく表しています。これは、彼女が意図せずトラブルを起こしてしまう一方で、根は優しいという設定を反映したものです。
ホドは、キヴォトス学園という舞台で繰り広げられる物語の中で、先生(プレイヤーキャラクター)と他の生徒たちとの関わりを通じて成長していきます。彼女の所属する問題解決68は、依頼を受けて活動する傭兵的なグループで、経済的な困窮から過激な手段を取ることもあります。ホド自身はリーダー格として振る舞いますが、仲間を見捨てたり(特に「放置ルート」として有名なシーンで)、無茶な作戦を提案したりするなど、チームを混乱させる一面もあります。この「放置」がファンやコミュニティでネタとして語られることが多く、今回のイラストもそのようなユーモアを込めたものと考えられます。
####ゲーム内での設定
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###マルクト(Malkuth)との関連
マルクトは、ブルーアーカイブにおけるセフィロト(Sephirot)と呼ばれるグループのリーダー格で、ゲヘナ学園の学園長代理を務めるキャラクターです。セフィロトは、カバラの神秘主義に基づく10の属性(セフィラ)をモチーフにしており、マルクトは「王国(Malkuth)」を象徴します。彼女は穏やかで優しい性格を持ち、ホドのようなトラブルメーカーに対しても寛容な姿勢を見せます。
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### イェソド(Yesod)との関連
イェソド(Yesod)はセフィロトのもう一人のメンバーであり、「基礎(Yesod)」を象徴する厳格な規律の守護者です。ホドとは性格や行動原理が正反対で、彼女の無秩序な振る舞いを強く非難する立場にあります。
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ホドは、ブルーアーカイブのストーリーにおいて「予測不能な要素」として機能するキャラクターです。彼女の行動はプレイヤーに笑いを提供しつつ、時に深刻な結果(例えば仲間が犠牲になるシナリオ)を引き起こすため、感情的な葛藤を誘発します。総力戦「ホド戦」では、彼女の性格を反映したボス戦が用意されており、CCゲージを管理しながら戦う必要がある点が彼女の「制御が難しい」イメージとリンクしています(ウェブ情報参照)。
また、セフィロトとの関係性は、ホドが単なるコミックリリーフではなく、物語の大きな枠組み(カバラのセフィラや預言者たちのテーマ)に関わる重要な存在であることを示唆します。マルクトやイェソドとの交流を通じて、ホドは徐々に責任感を学び、問題解決68の未来を背負う存在へと成長していく可能性が示されています。
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もしブルーアーカイブのストーリーにまだ馴染みが薄い場合、以下のステップで理解を深めることをおすすめします:
1. **ゲームをプレイ**: ホドのイベントストーリー(特に問題解決68関連や総力戦)を進める。
2. **コミュニティを参照**: XやRedditなどのファン投稿で、ホドのエピソードやセフィロトの役割について議論されている内容をチェック。
3. **公式資料**:ブルーアーカイブの公式サイトやウィキでキャラクター背景を確認。
今回のX投稿は、ホドのユーモラスかつ悲劇的な側面を強調したファンアートであり、彼女の人気とストーリー内での複雑なポジションを反映しています。質問があれば、さらに詳しくお答えしますのでお気軽にどうぞ!
リロ&スティッチの事は「スティッチ=あの青いマスコット、リロ=隣りにいる女の子」程度のことしか知らなかったが、
実写版の予告トレーラーで跳ね回るふわふわのスティッチを見たとき鳥肌が立つほどわくわくした。
自分は実写版映画「名探偵ピカチュウ」のピカチュウや、アドベンチャータイムのジェイクなど、
見た目ふわふわのケモノで、おっさんみたいな言動で、破天荒な振る舞いをするキャラが大大大好きだからだ。
で、満を持して実写版リロ&スティッチを見に行ったんだ。見に行ったんだがあの映画・・・
・リロのお姉さんが、姉妹二人きりの生活を支えるために進学を諦めてバイトに奔走する
・しかしバイト先でリロとスティッチが物品破壊を伴うトラブルを繰り返し起こし、お姉さんは何度もクビになる
・スティッチをバイオテクノロジーで生み出した科学者宇宙人が、スティッチを捕獲しようと地球まで追いかけてくる過程で、お姉さんのバイト先を舞台に物損を伴うトラブルを起こし、またクビになる
という展開をあまりにも繰り返すものだから、見ていてお姉さんがあまりにかわいそうでいたたまれなくなり、
一番楽しみにしていた「リロとスティッチが楽しく大はしゃぎ」的なシーンにまったく没入できない、というひどいシナリオだと思いました。
いや、ひどいは言いすぎた。総じて映像のクオリティは高いし、映像は楽しいんだけど、なんかこう・・・残念・・・
お姉さんの苦労パートをもっとシンプルに済ませて、リロとスティッチが楽しくすごす日常パートをたっぷり見せるシナリオにしてくれてたら、
「物損を伴うハチャメチャ」があったとしても笑って済ませられた気がするんだよなあ・・・
お姉さんを軸にした家族愛のストーリーそのものは別に悪くなかったんだが、スティッチのハチャメチャを堪能するために、お姉さんに感情移入したくなかったなあ
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
狭い世界で生きてきた私ですが、視野を少し広げてみると周りは頭のいい人たちばかりで身震いが止まりません。
自己肯定感が無いというのは一旦置いておいて、私はバカアホマヌケです。それは私の経歴を見ると一目瞭然です。
簡潔に述べます。
まず私は小学校4年生くらいから授業を聞かなくなりました。数学や理科などの知能はここで止まっています。
中学校は親に無理やり連行され全日登校するも、毎日6時間を机に突っ伏して寝、時間を無駄にしました。
適当にバイトをしてみるも半年でクビになりその後も点々とし続けました。
破天荒だった私は当時仲の良かった大人に上京したいと相談し何とか家を貸してもらうことに成功。スムーズに上京の夢が叶いましたが、その先でやりたい事を考えていなかったので知らない土地でやることも無しに毎日を過ごし、徐々に精神を病んで行きました。
苦しかった私は一人暮らしを辞め他人の家に住み込もうとしたのです。当時Twitterで繋がりのあった数人に、泊まらせて欲しいとお願いをして、その中で1番長く泊まらせてくれる人の家に向かうことにしました。猶予は半年間とのことでした。
そこから最初に言っていた半年間の猶予を超え、現在3年目、のらりくらりと居候させていただいている身ですが、私はこの家に来て、この人と居て、だいぶ価値観や物の見方が変わりました。
彼は私の世界を広げてくれました。
そして今、広がった世界から見る過去の私がどうしようもない馬鹿で、今も馬鹿で、苦しいです。
私はこの家に来るまで外見に過剰に気を遣っていました。ルッキズムが蔓延する資本主義社会に呑み込まれていたのです。
この家に来てからはほとんど引き篭っているので私の外見を咎める目が無くなり、気にならなくなりました。
逆に内面を気にするようになりました。
学生時代、皆が毎日6時間座って勉強している間私は寝ていたのでその分ごっそり学力が抜けています。
頭のいい人が横にいて苦しい。私も頭のいい人になりたい。
この家に来て文章を読むようになりました。文を読むにつれて、頭のいい人の書く文章に憧れるようになりました。博識な人にも憧れます。
そうやって世界が広まった結果、自分の不出来に気付き、怖くなっているのです。
殴り書きなので読み辛かったらすみません
サイバーエージェントの株主総会にゴールドシップのコスプレをした人間が参加した事件。
ゴールドシップは破天荒なキャラであり、ゴルシなら株主総会に乱入することもあるだろうという納得感があり、ゲームアプリのウマ娘の売上も好調だったことも相まって炎上しなかった事件。
漫画ラーメン才遊記が実写ドラマ化するのに際して、ラーメンハゲこと芹沢達也の演者に女性が割り当てられた事件。
白昼堂々原作改変が行われることに界隈に一時緊張が走るも、ラーメンハゲ自身が改変に迎合しそうな志向をしていることや、クレームをつける人間は無能な暇人という旨の名言をのこしていることから炎上しなかった事件。
他にもあったら教えて欲しい。
ギャルちゃん: 「確かに言われてみれば…なんで『残念』が魅力なんだろう?」
オタクくん: 「説明するね! 要するにさ、あれってバラエティ番組みたいなもんなんだよ」
オタクくん: 「うん。くりぃむしちゅーとかマツコ・デラックスとか有吉みたいな感じで、ちょっと斜に構えたキャラがいて、他の人に対してリアクションする、みたいな。『バナナマンの日村って顔残念だけど面白いよなー』とか『壇蜜ってエロいけどババアじゃん、残念!』とか『ザ・たっちって芸がないけど顔が面白いだけ、残念!』みたいなさ。…あ、テレビ見ないからわかんない? じゃあ、もっとオタクっぽく言うと…」
ギャルちゃん: 「うんうん、なんとなくイメージは湧いたかも!」
オタクくん: 「『テニスの王子様』って漫画あるでしょ? あれってスポーツ漫画のフリしたギャグ漫画でさ、人間じゃできないような超すごいプレイが出てくるじゃん? それを楽しみにしてるファンが、毎回雑誌が出るとギャグシーンを切り抜いてブログに載せたりしてるんだよ。『俺ガイル』って、完全にそういう、他人の残念なところを上から目線で見て楽しむみたいな作品になっちゃってると思うんだ」
ギャルちゃん: 「あー!テニプリ! なんとなくわかったかも! 人をいじって笑う、みたいな感じなのかな?」
オタクくん: 「そうそう!しかも、自分から何かするっていう『主体性』さえ失って、完全に『メタ』、つまり上から物事を俯瞰してるだけの作品になっちゃってるんだよ」
ギャルちゃん: 「メタ…俯瞰…?ちょっと難しいけど、自分は動かないで見てるだけ、みたいな感じ?」
オタクくん: 「まさにそれ! だから、『面白い人が来るのをただ待ってるだけのノベルなんて…これじゃまるで徹子の部屋じゃないか!』って、僕は結構真面目に思ったんだよね」
ギャルちゃん: 「徹子の部屋!(笑) たしかにゲスト待ちだもんね!」
オタクくん: 「もちろんさ、今までも、受身だったり活動内容がおかしかったりする部活なのに、斜に構えて偉そうなこと言うノベルはあったよ。でも、そういう作品でも、斜に構えつつも、なんだかんだで自分なりに努力したりする姿を描くことで、キャラが成長していくっていう、少年漫画みたいな要素が時間とともに出てくるものなんだ」
オタクくん: 「例えば、『涼宮ハルヒ』だったら、破天荒なハルヒが、主人公のキョンを通じて、普通のやり方とか普通の世の中に少しずつ馴染んでいくっていう話になってて、斜に構えてる自分と、理想通りにいかない現実とのギャップを埋めようとしてる」
オタクくん: 「『僕は友達が少ない』だってそうだよ。友達作りたいっていう(まあ、実際は部員が楽しめる遊びを考えてるだけなんだけど)名目で、『それプライベートでやれよ』ってツッコミたくなるような活動だけど、それでもキャラクター同士の関係が変わったり、成長したりする様子は描かれてるんだ」
ギャルちゃん: 「うんうん、どっちもちゃんと変化があるんだね」
オタクくん: 「でも、『俺ガイル』は完全に受け身で、ただ出された問題に答えてるだけ。問題を繰り返すうちに成長するのかもしれないけど、それって自分で『成長しよう!』って選んでるんじゃなくて、ただ状況に流されてるだけじゃん?部活動っていう、本来は自分から動いて社会性を身につけるはずの場所でやることじゃないと思うんだよね」
ギャルちゃん: 「そっか…自分から動いてないから、本当の意味での成長とは違うんじゃないかってこと?」
オタクくん: 「そうなんだよ! はっきり言って、そんなのカウンセラーとか探偵事務所でやればいいじゃんって思う。いっそ、主人公を教師にするとかにすればよかったのに、たぶん美少女とのラブコメ要素を入れたいっていう浅はかな理由で(※これは僕の推測ね)、意味もなく高校生が主人公で、意味もなく舞台が学校っていう、ふざけた設定になってる気がするんだ」
ギャルちゃん: 「ラブコメ要素のため…! うーん、それはちょっと安直かも…」
オタクくん: 「ファンタジーな世界を作る努力とか、その世界を能動的に楽しもうっていう姿勢とかがさ、どんなに意見が合わないライトノベルにだって最低限はあったと思うんだけど、このノベルはそれすら放棄しちゃってる。だから、『この主人公の自信満々なスクールカースト批判って、一体どこから来る自信なんだろう?』って不思議に思うわけ」
ギャルちゃん: 「たしかに、自分は何もしないのに批判だけしてるってなると、説得力ないかもね…」
オタクくん: 「スクールカーストを批判する作品って、例えば『灼熱の小早川さん』とか、『桐島、部活やめるってよ』みたいに、ちゃんと問題に向き合って、それを乗り越えようと努力したり、代わりの道を探したりするものでしょ? あるいは、『ハルヒ』や『はがない』みたいに、やってることは遊びでも、『部活動』っていう枠組みの中で、社会で生きていくための『立ち振る舞い』を、自分たちで選んで身につけていこうとしてる」
オタクくん: 「ところがさ、『俺ガイル』には、そのどっちもないんだよねぇ…。あれを『部活動』って呼んでいいのか?そもそも、主人公が高校生である理由とか必要性って、本当にあるのか?って、僕は思っちゃうんだよ」
ギャルちゃん: 「うーん、なるほどね…。オタクくんが『俺ガイル』に対してすごく批判的な理由が、なんとなくわかった気がする。ただ面白いだけじゃなくて、その作品がどんな影響を与えるかとか、どんなメッセージを持ってるかとか、そういうところまで深く考えてるんだね。すごいなぁ…!」
オタクくん: 「えへへ、まあね…。ちょっと熱くなっちゃったけど、聞いてくれてありがとう、ギャルちゃん!」
最近映画「ファーストキス」の松村北斗で話題の、「理系で、黒髪で、趣味で数学とか哲学やってて、修士卒で、生活に変なこだわりあって 、ガチ🤓じゃなくて清潔感ある」っていういわゆるメロい男と結婚したけど、結構キツイ。結局映画でもそうだったじゃん?
まず、こういうタイプはアカデミックに寄ってるから稼ぐことに興味がそこまでない。だから研究者目指してたりするけど、やっぱりガチアカデミックは稼げない→別の仕事をしても、いわゆる「普通」の仕事に生きがいややりがいを見出せず腐りがち。映画でもそうだったじゃん。
次に、これは賛否両論あると思うけど、こういうタイプの男はおもしれー女が好きだと思う。破天荒だったりお笑い系の、自分と性格的に真反対の女が好きな傾向があると思う。もちろん好きになるきっかけ(共通の話題とか見た目の好み)とかは必要だけど、好きになると一直線。
そんでそういう夫婦はやっぱり、問題ごとが起きると、根本的な性格の違いでお互いを理解しきれない。それぞれの出し合う解決法が納得できない。お互いを自分の都合のいい方に変えようと思ってしまう、その違いが引力だったのに。映画でもそうだったじゃん?
まあでも理系メロ男は悪いことだけじゃない、そもそも恋愛興味ないから浮気しないタイプが多いだろうし、得意分野に浸からせたら本当に光る。
もし私も映画みたいにタイムスリップできたなら、彼とは出会わない方向に持っていくと思う。
・にんたま
牧之介の回 らんきりしんが恋しい…
山田先生は格好よすぎる。映画でもこれぞ貫禄のある忍者という感じで
しかし週一のアニメの方だとズッコケキャラに囲まれてズッコケてしまう大人、このギャップが最高
牧之介の想像のらんきりしんがお行儀よすぎるためにらんきりしんはもっと自由で、もっと破天荒で、という謎の解釈オタクみたいな面倒なことを思ってしまう
・かんこれ
南西以外の日課消化
クォータリーとイヤーリーの鎮守府近海以外の面倒なやつを終わらせた
明日鎮守府近海系を終わらせてちょっと備蓄からのイベントという流れでみている
イベントはもう明後日から!とにかく杉と樫と榧が楽しみで仕方ない
・にんつぼ
日課消化
放置系なのでかんこれとの兼ね合いも良く、引き続きこちらも頑張りたい
昨日手に入れた乱太郎がとにかくかわいい パーティに入れたすぎて強化に努めているが経験石が足りない、地道にやるしかない
・無双おりじんず
司隷の太平値が上げづらすぎる、曹操ルートでないと効率が悪すぎると見たので次周に
今作貂蝉が好みどストライクのため早くやりたいが最初に決めたタスクは守りたい
正直に言うと1周目の強制戦闘系で何とかなるかと高を括っていたが全然だった
汜水関〜虎牢関まで、今作でこれがやりたかったんだろうなという演出がこれでもかと詰まっている気がする
なにせ背景(絵的な)も演出も董卓のキャラ造形も呂布も、めちゃくちゃ格好いいのだ
董卓の登場シーンは全てお気に入り 討たれるその時まで格好よすぎ、しびれる
進捗は劉備軍に属したところまで
自宅にいたら泣いてしまうので早めに駅に来てしまって、どの店も混雑してるのでランチもできず駅内の重富でビールを飲んでいる。
今年で31歳、ずっと実家暮らしでずっとメンタルが不安定で病気がちだったから県外、ましてや上京するなんて思ってもいなかった。
テレビ東京が放映されないとかライブが飛ばされるとか、給与の割に家賃や物価が高いとか、ろくな会社がないとかカープ興味ないだけで非県民なんて言われ方をされること、空港の立地が悪いことに嫌気はさしていたけど、嫌々ながらお好み焼きは好きだし牡蠣も好きだし少ないながら友達や行きつけの店、このビールスタンド重富の美味しい生も好きではあった。
出るつもりはなかった。老朽化していく福屋八丁堀店やそごうを見ながら、歳をとるつもりだった。
出る理由は東京に実家を持つ彼氏ができてしまって、その人と結婚するから。
こんな破天荒な私を気に入ってくれて優しくて楽しい人はこれから出会えないと思い、広島を出る決心をした。
広島駅の再開発も楽しみにしていた。市電が2階に乗り上げるなんていまだに信じられない、ってよく話してるけど、これも話す相手いなくなるんだろうな。
年に3回は実家に帰るよとは言ってるけど、多分新幹線の値段の高さや予定の合わなさを理由に帰らないのだろう。
これまでの旧友たちと同じように。
結局不便なりに適応して愛着が湧いているだけで、東京のほうが魅力的に決まっている。
お好み焼きや牡蠣より美味しいものはたくさんあるし、楽しいこともたくさんある。
そのうち広島弁を喋ることもなくなって、じゃけんなんて言わなくなるんだろう。
全国転出率トップ、のニュースすら目に入らなくなって、「そりゃあんな田舎住みたくないもんね」と冷笑するようになるのだろう。
だから今、実家や地元を出たくないと言う気持ちを大切にしたい。
ごめんね、お母さん、貧乏なのに手のかかる子でずっと自殺未遂繰り返していて心配だったよね。
今はどうにか普通の会社員としてやっていけそうだし、私には勿体無い相手に出会えたから、安心して欲しい。
ごめんね妹、友達もほとんどいなくてお姉ちゃんが唯一の友達なのに離れてしまったね。寂しい思いさせてしまうんだろうな、申し訳ないな。