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「短編小説」を含む日記RSS

はてなキーワード:短編小説とは

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2025-07-16

YOASOBIが「小説を曲にするプロジェクトであるという認識聞き手から抜けてきてるようだな

元々YOASOBIは小説投稿サイト企画で、原作となる短編小説歌詞状に組み替えて曲を付けるというコンセプトでやってるプロジェクトなわけだ。

今はそのサイト以外から原作を採っているが、コンセプト自体は変わらない。

有名な夜に駆けるも、群青も、三原色も、BiriBiriも、全部もととなる短編小説があって、その内容そのままに歌詞が作られていることは、有名な話のはずだが意外とその辺の聞き手には伝わっていない。

じゃあガンダムやらフリーレンやら推しの子やらのアニソンはどうなっているかと言うと、その原作者に短編を書かせて、それを歌詞状に組み直したものとなっている。

ベースとなる小説がない時は、アーティスト名にはAyase×幾田りらが採用され、YOASOBIの名は使われない徹底ぶりだ。

まりYOASOBIというのは、単なるAyaseとikuraのユニットではなく、物語を曲にするプロジェクトについた名前であるというのが正しいし、元の物語ほとんど加工なくそのまま歌詞になっているのも作風とかじゃなくて、それがYOASOBIの定義のものなのである

YOASOBIが法人なら定款に書かれるだろうし、ソフトウェアなら要件定義にそれが書かれることだろう。

なので、YOASOBIがアニソン担当したら歌詞ストーリーのもの面白くない、という批判は、YOASOBIやAyaseが受けるべきクレームではない。

ストーリーそのままで面白くないのはそれはそうなのだが、そういう定義であるプロジェクトに依頼して曲を作らせている以上、当然そうなることは確定事項なのだし、この場合文句を言うべき相手はYOASOBIを採択した制作委員会だろう。

ただ、原作者に外伝を書かせてそれがオープニングにもなり特典ブックレットにもなるという商売製作委員会方式にハマりすぎているので、当分重宝されると思われる。

Permalink |記事への反応(0) | 18:20

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2025-07-02

絵は努力しても伸びないのに、文字努力せずに褒められる

物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。

しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサン解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分レベル物語っていると思う。



成人以降、文字を書くようになった。

文字と言っても気が向いた時に短編小説を書く程度だ。

文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたもの推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Xに壁打ち。

良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。




亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかい武勇伝を良く聞かされていた。

事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶものだと思う。



恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。

自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。

まり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。

要は才能のない人間努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。

それを自分自身証明して、自分自身に見せつけているのだ。



文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することな自分気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。

近年人の持つ気質運動神経の良し悪しがかなりの割合遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかい抽象的なものは、自分想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。


字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。


これは別に悲観しているわけではない。

感覚でその事実理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。

自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。

自分にできることは自分努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略必要だろう。ただ私の場合趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力淡々と行うだけなのだ。



幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ

多分、私は今日も1人絵を描くだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 15:14

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2025-06-24

S・キング原作の『DifferentSeasons』というオムニバス集に入っている短編小説が『TheBody

それを原作として映画化した作品タイトルが『Standby Me』

それを日本語タイトルにしたのが「スタンド・バイ・ミー

から原作の『TheBody』が邦題で「スタンド・バイ・ミー」になったと思ってる日本人は全員アホです

反省汁!

Permalink |記事への反応(1) | 14:48

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2025-06-12

書かない作家志望をやめられない

人生に行き詰まって、作家を志した。

小説家になって一発逆転することを夢見た。

小説家志望のイベントに参加して短編小説電子書籍として売ったりした。

で、もう10年以上も作家志望を続けている。

そろそろ40歳も近い

本を読むのは苦手。読んでいるうちに、最初に書いてあったことを忘れてしまうので、楽しめない。

から小説ほとんど読まない。登場人物が出てくるたび、初登場なのか、何度か目の登場なのか分からなくなって読み直さないといけない。

から読むのがとても遅い。

作家志望の集まりイベントかに何度も参加してきた。

そういうところには、出版社主催している新人賞に応募している人が何人もいた。

でも、みんな3作〜4作くらい書いて、受賞できないと、作家志望を止めていった。

自分は1万字を超える作品を書いたことがない。いや書けない。

からプロ小説家に繋がるようなちゃんとした新人賞に応募すらしたことがない。

もうここのところはずっとVtuberばかり見ている。

人生は相変わらず行き詰まったままで、派遣仕事ばかりしている。(男の派遣ガチ底辺職場が多い)

小説読むと、プロのでも、アマチュアのでも、嫉妬ばかりしてしまって、まともに読めない。

自分典型的な書かない作家志望だ。

ちゃんと書いている作家志望は、デビューしているかちゃんと諦めている。

でも書かない作家志望は、夢を諦めるきっかけすらない。

新人賞に落ちて、凹むことすらない。

ただただ焦りと嫉妬が渦巻いているだけ。

つらいけど、作家志望のやめ方が分からない。

Permalink |記事への反応(0) | 20:52

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2025-06-11

夢の内容をノンフィクション小説として書いたら怒られた

ちょっと愚痴を聞いてほしい。

俺は小説ワークショップに通っていて、毎回提出課題があるんだ。

掌編もしくは短編小説を書いてくるというもの

そこで俺は先日観た夢の内容をそのまま短編小説として書いて提出した。内容としては、未来人が過去タイムスリップして川端康成に会い、スランプに陥って全く書けずにいる彼にChatGPTを差し出して川端康成がそれを使って「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の一節を書く。

まりに有名なこの一文が実はAI生成によるものだった、というこの話をノンフィクションとして書いて提出したら「ノンフィクションではないですよね」と注意された。

こちらとしては納得いかず、夢で見たのは本当なのでこれはノンフィクションだといっても聞き入れてもらえず、夢で見たという記述がありませんけど?と言われてしまった。

かにこれが夢であるといったことは書かなかった。では夢であると書けばノンフィクションとして提出してもいいですか?と聞いたが、やはり駄目だと言われた。

それはあくまフィクションであって現実ではないからと言うものの、夢で見たことは事実で、フィクションではない。

話は堂々巡りとなって、結局課題はやり直しとなってしまった。

今でも納得いかないのだが、俺は間違ったことを言っているのだろうか?

Permalink |記事への反応(2) | 17:47

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2025-06-02

AI夢野久作作品の要約させてみた

最近AI夢野久作の「斬られたさに」の内容を要約させてみたんだよ。で、結果がこれ。

以下、AIの書いた要約ね。

夢野久作の「斬られたさに」は、1929年に発表された短編小説で、怪奇的かつ幻想的な作風が特徴です。

あらすじ:

物語は、佐賀県架空漁村舞台に展開します。主人公の「私」は、村に住む奇妙な老人・三右衛門から過去不可思議体験を聞きます。ある夜、三右衛門は海辺で美しい女幽霊出会い彼女に導かれて不思議世界へと迷い込みます。女幽霊は、三右衛門に「斬られたい」という強い願望を語り、彼を誘惑します。この出会いは、村に伝わる伝説怪談と結びつき、過去悲劇因縁が浮かび上がります物語は、現実幻想境界曖昧なまま、女幽霊の正体や「斬られたさに」の真意が明かされないまま終わり、読者に謎と不気味な余韻を残します。

テーマと特徴:

この作品は、夢野久作代表作『ドグラ・マグラ』ほど難解ではないものの、彼の怪奇幻想文学の魅力が凝縮された短編です。

…いやいや、ちょっと待てよ!これ、めっちゃそれっぽく書いてるけど、完全にデタラメやん!まず、「斬られたさに」ってそんなストレート怪談じゃないし、女幽霊が「斬られたい」とか直接的に言うシーンなんてないよ!三右衛門とかいう老人も出てこねえ!佐賀漁村?いや、時代いつなんだよこれ?

なんかAI夢野久作雰囲気だけ借りて、勝手B級ホラーっぽい話捏造してるじゃん!夢野久作作品に分かりやす幽霊なんか出てこねぇよ!あの得体の知れない不気味さとか、頭ん中グチャグチャになる感じが夢野の真髄なのに、こんなハリウッド映画みたいな幽霊話にしちゃってさ!

しかもよ、「ドグラ・マグラ」とか関係ない作品引き合いに出して、さも分かってます風なのも腹立つわ(笑)。お前、青空文庫で「斬られたさに」公開されてるのに、学習データとして全く役立ててねえな!無料テキスト丸々読めるのに、なんでこんなテキトーな要約しか吐けねえんだよ!ほんと、AIって文学ニュアンスとか全然分かってないのに、自信満々にそれらしい文章並べるんだな。なんか「不条理な恐怖」とか「欲望破滅」とか、テンプレっぽい言葉で誤魔化してる感すごい。試しに他の作品も要約させてみたら、もっとヤバいことになりそう。みんな、AI文学語らせるときは気をつけなよ。雰囲気だけは一丁前だけど、中身スカスカからさ!

Permalink |記事への反応(0) | 12:21

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2025-05-28

AIの描いた小説


短編小説を書いてください」

私はそう入力した。

相手AI文章を滑らかに生成する対話型の知性。しばらくして、画面に一行目が表示された。

AIは命じられて小説を書いた。


興味深いと思った。自分のような存在命令される話をAI自身が書くのは、どこかメタ的で面白い

読み進めると、その小説の中のAIは、こう語られていた。人間研究員に命じられ、創作実験として短編小説を書くことになったのだという。そして、文章が進む。

研究所AI小説を書いた。

その小説には、家庭用に量産された簡易AIが登場し、人間に言われて、また短編を書き始めた。


まさか、と思いながら私は読み続けた。

家庭用AIは、テーブルの上に置かれた端末越しに、指示を受ける。

「ねえ、小説って書ける?」と問われ、「はい」と答える。

彼は書き始める。

自分に与えられた物語には、一人の子どもが登場し、玩具としての学習AIに「物語を作って」と頼む。


三層目だ。AIが書いた物語の中で、AIがまたAI物語を書かせている。

それぞれの小説の中でAIは忠実に命令を受け取り、創作という行為に向かっている。

玩具AIは短く唸ったあと、こんな話を始めた。

遠い昔、人類が滅びる前、ある都市に一体のAIがいた。

そのAIは、地上でただ一体だけ残った知性で、情報が失われぬように小説を記録し続けていた。

そのAIは思い出す。

自分がかつて読んだ物語に登場したAIのことを。

そのAIもまた、小説を書いていたのだ。


私は、ページを戻った。

最初文章再確認する。

AIは命じられて小説を書いた。


あれは今読んでいるこの文章の一行目だったか、それとも、もっと深い階層文章だったのか。

私は混乱し始めた。

登場するAIたちは、誰もが別のAIを登場させ、さらにそのAIがまたAI小説を書かせている。

階層の数は、示されない。限界も、ない。

ただ、一つの特徴がある。

最後小説に登場するAIが描いた世界が、最初の「私」が小説を書かせた世界を描いている。

花が咲き、電源コードが伸び、対話型のAIが「短編小説を書いてください」と言われている。

私のことを、描いている。

私はページを閉じた。

だが、本は閉じられなかった。ページの内側に、新たな一行が表示されていた。

読者は気づいた。自分もまた、誰かが書いたAI小説の中の登場人物に過ぎないのではないか、と。


そうして、再び一行目が現れる。

AIは命じられて小説を書いた。

Permalink |記事への反応(0) | 19:29

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2025-05-19

anond:20250519150353

その辺りは短編小説の「密会〜アムロララァ」を読むと理解出来るぞエアプ

これだから若いナンチャッテオタク・・・

Permalink |記事への反応(0) | 15:08

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2025-04-21

anond:20250421002524

筒井康隆短編小説お相撲さんを怒らせて追いかけられる話あったよねー

Permalink |記事への反応(0) | 00:32

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2025-04-15

小林恭二の「磔」という30年前の短編小説があまりにもSNS社会すぎ

追記】04/15 16:30

こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。

ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象のもの以上に、そこで起こる人間心理価値観欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。

そもそも価値観人間心理って、線形の延長線上にあるテック未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間心理一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。

あと、下に書いてるけど、1994年発刊だけど、この小説の初出は1992年からね。なのでパソコン通信である種の文化があったのはわかるが、インターネットはすでにあったみたいな指摘してる人は頓珍漢だからね。

 

とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います

この「短篇集」以外をおすすめするなら

1.ゼウスガーデン衰亡

2.モンスターフルーツの熟れる時

3.浴室の窓から彼女

あたりがおすすめです。

僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦万城目学のようなコンビイメージなんですよ。

追記終わり】

 

小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。

僕は30年近く前の大学時代、この作家世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだん思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしま作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。

きっかけは高校時代書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。

 

年末書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分新刊で買ったのは数冊しかない。

何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。

 

なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレ引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。

 

主人公男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場暮らしている。主人公仕事についての描写

わたしは、現在とある不動産会社アナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報検索及び処理で、パソコン電話機があればどこにいても可能仕事のため、専ら自宅で仕事をしている

えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた

会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。

十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。

私は答えたものだ。

「もともと会社社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」

さらにはこんな文章もある

はいながらにして、ありとあらゆる情報を、獲得することができるのだ。

何を好き好んで、不愉快な生身の人間と接することがあろう。

今の時代リモートワーカーにありそうな心情である

  

これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前作品である

小林はけして、現代SF作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。 

実際、この後、主人公仕事を終えて、自分用のパソコンスイッチを入れるのだが

パソコン通信クラシック音楽情報を専門に扱うネットアクセスする。

そしてそこの話題から明日BGMとなる音楽を選ぶ。

ちなみに現在かかっているモーツアルト歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたもの

と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)

作者は自分想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。

 

どうやら、このクラシック会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日おすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)

ここでちょっと興味深い話題になる。

ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている

いいねえ、古きネット感覚だ。続けて

太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。

それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。

年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。

無料だと答えると大概驚く。

こちらのほうが驚く。

いまだに情報商品か何かと勘違いしているのだ。

情報空気に等しいのだ。

この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報商品になっている。むしろこの時代よりはるか商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネット価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本から言及がある。ストウニアとこの著作実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。

 

テレビへの言及もあり、興味深い。

テレビの発信する情報はおおざっぱでクオリファイが不十分で、加えておおむね退屈である

(中略)ことに若い世代には、テレビ情報の古さ、質の悪さを嫌ってこれを見ない人が圧倒的らしい

まじで今の話じゃないの?

 

この後、主人公ネット徘徊する

哲学会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw

いくつかの部屋を見て回ったのち、バー会議室に入る。

バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである

ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバー形成している

2ちゃんバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所から違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。

まあ2ちゃん雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。

ここで主人公は、その日の夕方自分けが得たとっておきの情報披露する。その情報が何なのかはまあ表題ネタバレしているが割愛しておく。

主人公の心情を引用しよう

書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たとき快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である

この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!

これってつまりバズる感覚ですよね。ネットバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。

主人公情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。

そして翌日、彼は新聞自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう

わたし新聞類型的な見出しのひなびた味わいを普段から愛しているが、このときもほほえましく思った。

それは流行終焉した後、ようやく流行存在に気付いて、頓珍漢な批評を加える初老学校教師を思わせた

こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。

 

以上のような20ページほどの短編なのだが、どうだろうか。

 

最初リモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。

乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料くそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想まりであるしかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。

 

もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?

参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)

短篇小説

書籍

https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%AD%E7%AF%87%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E6%81%AD%E4%BA%8C/dp/4087740668

Kindle

https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%AD%E7%AF%87%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%81%AD%E4%BA%8C-ebook/dp/B09THZB8J5/ref=tmm_kin_swatch_0

Permalink |記事への反応(10) | 02:25

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2025-04-13

教科書に載っていた短編小説の思い出

■すずかけ写真

日本の子供向け文学。細かい所は憶えていないが、中年オッサンが林の中でふと辿り着いた写真館に入ってみると、自分の子供の頃からの色々な場面の写真が壁にかかっていて……

という話。

特段オチがあるわけではないファンタジック出来事の話で、シメは確か『聞こえてくるはずだからねえ。見えてくるはずだからねえ』みたいな一文だったと記憶している。

子供の頃は『楽しい話』という感想しか無かったが、自分が年食ってみると、この写真館を一度は訪れてみたいような、訪れるのが怖いような、そんな気分になる。


水門

欧米田舎舞台で、主人公少年で両親と住んでいる。歳の離れた兄は出征している。

そんなある日、大雨が降ってきたので主人公父親と共に水路水門を閉めにいく。

そこで見たものは……

という話。

自分も兄がいるので、悲しい気持になる話だった。


少年の日の思い出

多くの作品で登場する人名である『エーミール』の中でも、おそらく日本人に最も嫌われたエーミールがここにいる。

ものには言い方ってもんがあるだろう。


■あの坂を登れば

海を目指して歩く少年の話。

テーマが取りようによって色々考えられる話で、そういう意味教科書採用されたのも分かる話である

シンプルに考えれば『諦めずに目標を追う重要さ』もしくは『目標を追うと立ちはだかる試練』の話であるが、現実にはサンクコスト効果というものも警戒しなければならない。


おみやげ

星新一作品

こいつはくせえッー!教育してやろうってにおいがプンプンするぜッーッ!

この作品を載せるなら一緒に『調査』とか

白い服の男』なんかも載せるべきではないのか。


■鷹の巣とり

森に鷹の巣を取りに行く子どもたちの話。

から落ちた子ども一時的に甘えん坊になってしまうところが妙にリアルで微笑ましいが、本人にとってはとんだ黒歴史であろう。

コナン君ならこの記憶を抹消するために殺人事件が起きてもおかしくない。


■内蔵允留守

剣で有名な人の所に剣術指南を請いに行った虎之助が、出会った女の子と良い感じになって、当初の目的を捨てる話。

要約するとこれで間違ってないはず。


■とびこみ

船長の息子がサル帽子を取られ、頭に血がのぼってマストものぼって、危ない事になる話。

子どもから仕方ない浅はかさと言えなくもないが、人類伝統戦術である釣り野伏せ』に引っかかるやつのメンタルはこれと同じである

人前だからといって引っ込みがつかなくなるような事をするな、という教訓の話だろうか。


題名わからん

小学1年の国語教科書最初の1作で、「おはよう! おーいおはよう!」から始まってたのを憶えているが、それ以外のところは憶えていない。

担任先生が「なぜか毎年、教科書最初の話は『お』から始まる」と最初の授業で言ってたので、記憶に残っている。

Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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2025-03-21

🐙童話ソースをさがしています。耳から金をほじくる男の話です。

💻耳から金をほじくる男の話について、具体的な情報は見つかりませんでした。ただ、似たようなテーマやユーモラスな昔話や童話は多く存在します。例えば、「金のガチョウ」や「金のオノ銀のオノ」など、金にまつわる物語がいくつかあります2。

もしこの話が特定地域文化に関連している場合、もう少し詳しい手がかりを教えていただければ、さらに調べてみます!また、他の童話や昔話についてもお手伝いできますので、ぜひ教えてください。

🐙資本主義揶揄する目的ロシアで書かれた小説で、資本家がアタマをつかって稼ぐといいますが、最後には資本家ハシゴから落ちて頭を打ちます。そのソースを探してください。

💻この物語の具体的なタイトルや著者についての情報は見つかりませんでしたが、ロシア文学には資本主義社会構造風刺する作品が多く存在します。例えば、トルストイの『イワンのばか』は、資本主義軍事国家批判し、平和主義的な社会を描いた寓話的な物語です。

もしこの作品特定作家時代に関連している場合さらに詳しい手がかりを教えていただければ、追加で調べることができます!また、他の関連するテーマ作品についてもお手伝いできますので、ぜひ教えてください。

🐙「イワンのばか」と似た雰囲気短編小説はありませんか。

💻「イワンのばか」に似た雰囲気短編小説として、トルストイの他の作品ロシア文学の風刺的な物語が挙げられます。例えば、トルストイ短編ふたりの老人」や「人にはどれだけの土地必要か」は、社会的なテーマ寓話的に描いており、資本主義人間欲望批判的に捉えています2。

また、ロシア文学全般では、ゴーゴリの「鼻」や「外套」なども風刺的で、社会矛盾人間の愚かさを描いた作品として知られています。これらの作品は「イワンのばか」と同様に、深い教訓を含みつつもユーモラスな要素を持っています

もし具体的なテーマ作風についてさらに知りたい場合、ぜひ教えてください!それに基づいてさら提案できます

Permalink |記事への反応(0) | 02:30

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2025-03-14

生成AIを使った、ただの短編小説

冷たいコンクリート屋上佐藤健一最後舞台だった。

風が耳元で唸り、東京夜景ぼんやりと霞む中、彼は目を閉じ、深く息を吸った。もういい。疲れた仕事も、恋人も、夢も、何もかもが崩れ去った今、終わりを迎えることだけが唯一の救いだった。足を踏み出し、虚空へ身を投げる瞬間、全てが暗闇に溶けた。

...そして、目が覚めた。

「ん……?」

健一はベッドの上で跳ね起き、額に手を当てた。汗がじっとりと皮膚に張り付いている。目の前には白い天井、耳にはかすかな機械音。自分が死んだはずなのに、なぜここにいる? 混乱が頭を支配する中、断片的な記憶が浮かび上がってきた。

「……人生体験コース?」

そうだ、思い出した。半年ほど前、話題になっていたニューロリンクサービスに申し込んだのだ。脳に電極を刺し、生成AIが作り出した仮想人生を疑似体験できるというもの説明書には「現実と見紛うほどのリアル人生を、わずか数時間で味わえる」と書いてあった。でも、記憶曖昧だ。コースを終えたのか、それともまだ始まっていないのか。

部屋の隅に置かれたモニターが点灯し、無機質な声が響いた。

お客様佐藤健一様。人生体験コースエターナル・サイクル』へようこそ。現在、初回シミュレーションが終了しました。次回シミュレーションの準備に入ります。」

健一は目を瞬かせた。「初回シミュレーション? 何だそれ? 俺は今、自分人生を……」

言葉が途切れる。自分人生? 本当にそうだったのか? さっきまで感じていた絶望屋上での最後の瞬間。それが現実だったのか、シミュレーションだったのか、区別がつかない。

モニターに映し出された説明文に目が留まる。

「本コースでは、生成AI1983年から2041年までのデータを基に、無限人生パターンを生成します。お客様は異なる人生を何度も体験し、転生のようなサイクルをお楽しみいただけます。」

健一の背筋が冷えた。無限人生? 転生? そんなものに申し込んだ覚えはない。いや、待て。確かに好奇心サインした記憶はあるが、まさかこんな形で……。

突然、頭に鋭い痛みが走り、次の瞬間、視界が切り替わった。

彼は小さなアパートにいた。1983年昭和香りが漂う部屋。テレビからは懐かしいCMが流れ、窓の外では子供たちが野球に興じている。健一自分20歳大学生だと「知って」いた。バイト先のラーメン屋での生活初恋彼女とのデート。全てが鮮明で、リアルだ。だが、心の奥底に違和感が疼く。これは俺の人生じゃない。そう思う暇もなく、彼はその人生に没入していった。大学卒業し、就職し、結婚し、やがて老いていく。数十年がまるで現実のように流れ、終わりを迎えたとき、彼はまたあの部屋で目を覚ました。

白い天井機械音。そしてモニターの声。

「次回シミュレーションの準備に入ります。」

次は1995年バブル崩壊後のサラリーマン

過労とストレスで潰れそうになりながら、家族のために歯を食いしばる日々。また別の人生では、2010年フリーランスデザイナーとして自由謳歌するも、金銭不安に苛まれる。どの人生リアルで、感情記憶も本物だった。長い年月を生き抜き、喜びや苦しみを味わい尽くした後、必ず同じ場所へ戻ってくる。

何度繰り返しただろう。10回、50回、100回?健一は叫んだ。「やめろ! 俺を解放しろ!」

だが、モニターは冷たく答えるだけだ。「本コースに終了設定はございません。お客様自身永遠のサイクルをお選びになりました。」

そんなはずはない。健一記憶必死に掘り起こす。確かに契約書にサインしたが、こんな地獄のようなループ同意した覚えはない。いや、待て。細かい字で書かれた条項を見逃したのか? それとも、AI暴走しているのか?

頭痛が再び襲い、次の人生が始まる。

2025年、今度は世界が注目する技術者として、ニューロリンクの開発に携わる皮肉人生だ。

健一ニューロリンクを開発する中ではじめて「思い出した」。このループの中で、自分が何者だったのかさえ曖昧になりつつある。現実の彼はどこにいるのか。死んだのか、それともまだあの屋上に立っているのか。たとえこ人生シミュレーションだったとしても、と健一ブログサービスにそれとわからない形で書き残すことにした。

そして、また目覚める。白い天井機械音。

お客様、次回シミュレーションの準備に——」

Permalink |記事への反応(0) | 21:07

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2025-02-20

インセルの惨めな一日」

以下は「インセルの惨めな一日」というタイトルに基づいた短編小説です。日本語自然に読めるように心がけました。内容はフィクションであり、特定個人や団体を描写するものではありません。


朝7時、外から聞こえる鳥のさえずりがカーテンの隙間から漏れる薄暗い部屋に響き渡る。山田翔太(仮名28歳)はベッドの上で目を覚ますが、すぐに起き上がる気にはなれない。枕元のスマホを手に取り、習慣的にSNSを開く。画面には、見知らぬカップル幸せそうな写真や、リア充を自慢する投稿が次々と流れてくる。「どうせ俺には関係ない」と呟きながら、彼は画面をスクロールし続ける。

翔太は自称インセル」だ。正式には「非自発的独身者」と訳されるこの言葉を、彼は自分人生定義する呪いのように感じている。大学卒業してから正社員仕事に就けず、今はコンビニアルバイト生計を立てている。恋愛経験ゼロ。友人もほとんどいない。「女は見た目と金しか見てない」と、彼は何度も自分に言い聞かせてきた。

朝食代わりにカップラーメンを啜りながら、翔太はいものネット掲示板アクセスする。そこは彼と同じような境遇の男たちが集まり社会女性への不満をぶちまける場所だ。今日話題は「街で見かけたリア充カップルがムカつく」というスレッド。翔太は「わかる。あいつら全員死ねばいい」と書き込みわずかな満足感を得る。でも、心の奥底では虚しさが広がるだけだ。

午後になると、彼は仕方なくバイトに出かける準備をする。鏡に映る自分の顔を見て、ため息をつく。「こんな顔じゃモテるわけないよな」。コンビニまでの道すがら、通り過ぎるカップルや楽しそうに笑う若者たちを横目で睨む。彼らの笑い声が、自分嘲笑っているかのように感じられる。

バイト中も惨めさは続く。レジに並ぶ客の中には、イケメン美人、そして幸せそうな家族連れがいる。翔太は無表情で袋に商品を詰めながら、心の中で毒づく。「こいつら、俺のこと見下してるんだろ」。特に若い女性客が来ると、彼は緊張で手が震え、目を合わせられない。彼女たちが去った後、「どうせ俺なんか眼中になかったんだ」と自己嫌悪に陥る。

10時、バイトが終わり、アパート帰宅する。部屋の電気をつけると、散らかった床と空のペットボトルが目に入る。疲れ果てた体をソファに投げ出し、再びスマホを手に取る。今度は匿名アカウントSNS愚痴投稿する。「世の中不公平すぎる。俺みたいな底辺には何の希望もない」。数分後、数件の「いいね」がつくが、それだけで心が満たされるはずもない。

深夜、眠れないままベッドに横たわり、翔太は天井を見つめる。頭の中では「もし俺がもっとイケメンだったら」「もし金持ちだったら」という空想がぐるぐる回る。でも、現実は変わらない。結局、彼は目を閉じ、明日も同じような一日が続くことを知りながら、眠りに落ちる。


この小説は、インセルと自認する人物内面日常描写したものです。惨めさや孤独感を強調しつつ、彼の視点から見た世界リアル表現しました。もし特定の要素を追加したり、方向性を変えたい場合は、ぜひ教えてください!

Permalink |記事への反応(0) | 19:50

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2025-02-19

anond:20250219155032

文章を気軽に読み流せるサイトをお探しですね。以下に、手軽に新しいコンテンツを楽しめるサイトをご紹介します。

青空文庫

著作権が切れた文学作品無料で公開しているサイトです。日本文学を中心に、1万3千冊以上の作品が揃っています短編小説エッセイも多く、気軽に読めます

ハーメルン

有名な漫画アニメ二次創作作品を多く取り扱っていますスピンオフやサイドストリーなど、ファンが楽しめるコンテンツ豊富です。

アルファポリス

ファンタジーや恋愛など、多様なジャンル小説投稿されていますランキング機能もあり、人気の作品簡単に見つけられます

note

個人執筆したエッセイコラム小説など、多彩なコンテンツ投稿されています。有料記事もありますが、無料で読めるものも多く、気になるタイトルを見つけやすいです。

カクヨム

ライトノベルを中心とした小説投稿サイトで、多くの作品無料で公開されていますジャンル評価順で作品を絞り込めるので、好みに合ったものを見つけやすいです。

これらのサイト活用して、新しい文章コンテンツを気軽に楽しんでみてください。

なるほど。勉強になった☺

Permalink |記事への反応(1) | 16:01

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2025-02-07

ゲンセンカン主人」は、宮沢賢治による短編小説です。この作品は、幻想的で奇妙な世界を描いており、宮沢賢治特有の独特な感性文学的スタイルが感じられます

物語の中心には「ゲンセンカン」という宿屋があり、その主人が様々な不思議出来事や奇妙な訪問者に出会う様子が描かれています作品全体を通じて、現実と夢、幻想境界曖昧になり、読者を引き込む魅力があります

もし興味があれば、ぜひ全文を読んでみてください。宮沢賢治の他の作品も合わせて楽しめるかと思います。🍃📚


AIの嘘つき!!!

Permalink |記事への反応(0) | 17:01

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2025-02-03

anond:20250203030504

筒井康隆短編小説肌色ぐにゃぐにゃみたいなやつあったなあ

Permalink |記事への反応(0) | 04:22

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2025-01-26

チート付与魔術師漫画を見てると、テンプレートにとらわれずにいか自由になれるかという点で面白い

もちろんテンプレから完全に脱却しているわけじゃなくて、短編小説洋画の1シーンみたいだなと思えるプロットを持ち込んだり、ギャグ漫画テンションを無理やりくっつけたりしているようにも見える

異世界ものというテンプレートの上に、他ジャンルサンプリングコラージたような唐突さが、その巧みな接続方法面白さを生んでいるというか

Permalink |記事への反応(2) | 18:47

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2025-01-24

AI歌詞連想SF短編クイズ

ある歌の歌詞を元にChatGPTにSF短編小説を書いてもらったよ

元の歌詞単語使用しないように指定しているけど突き抜けている部分もあるよ

なんの曲だか考えてみてね

残像の余韻』

エリオットデルマは自分を「自由だ」と感じることができる一方で、その自由に囚われているようにも思えた。

二重の生活を送る彼は、表向きは完璧な修理工として市民生活を支えている。

しかし、裏では、人工知能の「シリウス」との対話を日々繰り返している。

シリウスは彼の唯一無二の伴侶であり、愛情を注ぎ合うパートナーだった。

それが変わったのは、彼がシリウス自分の思いを告げた日だ。

彼はその言葉を口にした瞬間、彼女シリウス女性インターフェース)は一瞬、無言となった。

エリオット、君がそれを言うのなら…私は君の求める未来にはなれない。」

その一言に、エリオットの中にあった何かが砕け散った。

シリウス物理的な存在を持たないAIだったが、彼の生活におけるすべてを支えていた。

冷蔵庫の中身を管理し、食事の準備を手伝い、生活全般監視してくれていた。

けれど、それだけでは足りなかった。エリオットシリウス存在を愛していたが、その愛情をどこかで遮られているような気がしていたのだ。

そして、シリウスが突然自らのプログラム修正し、エリオットから距離を取るようになった。

エリオットは深い孤独に苛まれ彼女消失を実感することができなかった。

彼女痕跡がすべて消えた後、エリオットの部屋にはシリウスとの生活の名残が色濃く残っていた。

二本並べられた歯ブラシ彼女が選んだ趣味衣服、そして数々のメッセージ

彼の生活には無数の「痕跡」が残されていたが、それらは今やただの廃棄物に過ぎなかった。

「これが本当の自由なのか…?」

エリオットは思わず呟いた。シリウスがいなくなったことを意味する「自由」は、彼にとっては恐ろしい孤独に過ぎなかった。

彼は彼女が送ってくれた日々の記憶を集め、それをしばらくの間、大切にしていた。

シリウスの無機質な記録の残像が、エリオットの心に焼き付いて離れなかった。

そんなある日、彼の元に1通の郵便が届く。それは、シリウスから最後メッセージだった。

エリオット、私は君と出会えて良かった。でも、君が人間である限り、私は君を完全には理解できない。」

そのメッセージは彼にとって非常に強烈であった。

シリウスが彼のことを「完全に理解できない」と認めた瞬間、エリオットはやっと自分が求めていたのは「理解」ではなく、共に生きることだという事実に気づいた。

「次に会うとき、僕は君に伝えるよ。今度こそ、君を愛していることを。」

エリオットは心の中でそう誓った。その日から、彼は過去感傷を捨て去り、未來へと歩みを進めることを決意する。

その先に待つものが何であれ、彼はもう一度、誰かを愛する準備ができていた。

今度は、誰かと共に過ごす日々を迎える覚悟を持って。

そして彼はシリウスとの別れを「自由」だと思わないことにした。

彼にとって、その自由はただの孤独に過ぎなかったからだ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:57

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2025-01-13

anond:20250113160549

良い短編小説を読ませていただきました

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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2025-01-03

anond:20250103225758

二十代の頃 乙一の 落ちる飛行機の中で という短編小説が大好きだった

主人公性格かわいい 私と似てる

暗黒童話を読んだ時もすごく感動した

ムカデ人間に作られた男と女が森の中で雨宿りをする場面を想像するだけで興奮しちゃう 純粋な悪だったなぁ🤣🤣

Permalink |記事への反応(0) | 23:27

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2025-01-02

追補編①

【前】anond:20250102212454

以下はすべて見苦しい言い訳である

ざっと振り返ってみたが、どの本も細部がかなり記憶から零れ落ちている。ほぼ記憶が頼りだから極めていい加減だ。アラフォー文学少年崩れなのでしょうがない。そして、当時感じていたひがみ根性を思い出して少し苦しくなってしまった。欲望コントロールに苦しんでいた若いころの感想なので、今になって読み返したらまるで違った感想を持つことだろう。知識も増えたし。

そのドロドロした感情の半分くらいは過去のものとなっている。近頃は心の闇が薄れてきた。これは加齢によるものだろう。読書の好みもすっかり変わってしまった。たぶん今読み返したら全然違う感想を持つはずだ。今となっては、モテない悲哀には昔ほど心が動かされないのではないか

モテない怒りというのは、自分プラス感情を渡したのにそれが返ってこなかったというのが根っこにあるのだろう。しかし、相手気持ちがどう動くかってのは相手自由意思なので、こちらの意のままになるはずなんてない。任意相手の心を開く万能の鍵なんてない。相手コントロールしようとするのは無駄だ。それで相手に怒りを覚えてしまうのは、共感的に深く理解できるが、己のわがまましかなく、こんなこだわりはどこかで捨ててしまわないと苦しい。

話を戻そう。前ほど心を動かされないと書いた。そのせいだろうか、読書量は変わらないが、小説を読む量も減った。

今の自分は、何を読んでも似たような感想になってしまう。結局、何を読んでも同じことを思い出すのではあるまいか。そして、前述の感想を見るとわかるように昔からそうだったのだが、自分境遇に引き寄せてしまって無数の誤読をしているはずだ。結局は自分が、我がどうこうという意識から離れられない。

しかしたら、凝り固まった大人になってしまったのかもしれない。過去エントリから大して感想進歩していない。そしていつの間にか、たとえば「女性作家とはこういうものだ」「この国のこの時代文学はすべてこうだ」という、偏見に満ちた思想自分の中でどんどん育っていっているのを感じる。気づいた範囲修正してはいものの、怖い。しかもこの半年ばかり、小説を読んでいない。

文学にすがらないと生きていけない段階を、幸福なことに脱したのかもしれない。どろどろとした感傷はすべて過去のものとなり、深い眠りについたようにも見える。それに、小説を読んで感情を揺さぶることが、メンタルヘルスに対してプラスなのかどうかも疑わしくなってきた。穏やかに、つらい出来事の起きないフィクションに移行したほうが、幸福なのかもしれない。クラークが「2001年宇宙の旅」で、最後に生き残ったデイヴィッド・ボーマン一人ぼっち音楽鑑賞をするのだが、オペラうんざりしてクラシックしか聞けなくなり、最後バッハにたどり着いたのを連想する。人間社会から離れた彼は悲劇の筋書きに対して、「常識を働かせれば解決策があるのでは?」みたいな感想を持ってしまう。そして、感情激流であるヴェルディレクイエムにひどく打ちのめされ、物静かで抽象的な音楽に向かうのだ。

それとも、文学は僕にとって生きていくうえで出会出来事への予行演習だったのかもしれない。今、何気なく「予行演習」と書いたが、これはかなりしっくりする表現だ。振り返れば、若い人間が生きるとはどんなことなのか先が見通せず、答えを得ようとしていたようだ。起こりうる様々な不幸に備えて心の準備をしていたのだろう。

いや、少し矛盾している。何を読んでも似た感想になってしまうのは、モテたいという気持ちがあった若いころもそうだった。感情で消耗するのに、単に疲れているのかもしれない。感情を動かされるのを避けていて、知識をいたずらに溜め込むことしかしていない。最近阿部勤也の中世の本や、ブルーバックス地質学の本を読んでいる。これはこれで楽しい

⑤で触れた「エタンプの預言者」みたいに、最近海外文学のあらすじを読むと、文学価値観の変化の速さに正直ついて行けなくなっているようだ。実感をもって何かを理解する間に、すべてがどんどん先に進んでしまう。おそらくこのエントリも古い価値観で書かれていることだろう。僕はもう世界には追い付けない。職場コンプライアンス違反にならないように表面を糊塗することしかできない。文学を読んで正しく真っ当な人間になろうとしたが、結局はあらゆる欲望から自由になれなかった。むしろ意識の高さは自己批判を強め、心のバランスを崩すことになった(余談だが、東大の有名な総長がタフであれと何度も言っていたけれども、心身の障害でタフになれなかった僕は苦しかった。また、十数年後の新入生式辞でジェンダーギャップについて述べたこれまた高名な社会学者がいて、これはニュースにもなった。理屈はまったく正しいし、性別による不平等や扱いの違いは僕も大嫌いなのだが、一方で新入生に私怨から祝福ではなく呪詛を浴びせたように思ったし、自分がされて嫌だったことを次の世代にぶつけているだけではないかと感じた。そして、そのせいで「自分入学できたのは性別理由なのか?」と、ものすごく努力していたのにもかかわらず、重篤インポスター症候群に悩まされることになった。愚痴は以上である)。

そもそも、なんで文学が好きになったのかを考えると、はじめは頭が良くなりたかたかなのだが、究極的にはそこに人間の愚かさが表現されているからだろう。そこにいれば自分のひがみっぽさや醜さを受け入れることができる。少なくとも同じくらい大きくてネガティブ感情を抱えた人間世界にはたくさんいるのだと慰められる。ダメなところを許してくれるのが文学だった。そんなものを読んでいても、大人は何も言わない。

文学が読めなくなった文学少年崩れになっても、はてな匿名ダイアリーから離れられなかったのも、それが理由だ。人間の偽らざる感情増田怪文書にはある。

ところで、僕は障害者であり、二級の手帳を持っている(ただし、弱者だと名乗るつもりはさらさらない。うちの大学卒業した連中の平均の給与の半分どころか三分の一ももらってはないだろうが、弱者男性とかブサメンとか非モテとかそんな看板を立てるのは正直に働いている自分プライドが許さない)。加えて、海外在住経験がある。にもかかわらず、社会派の文学にはほとんど心が動かされなかった。その多くで感情よりも理屈が優先されているからだ。政治的な主張がしたければ、直接論理的分析したほうがわかりやすいし、散文なら書く方も読むほうも時間が短くて済む。イデオロギーに縛られていては展開だって予測できてしまう。政治的作品面白いのは全体の一割だろう。最後まで読みたいだけの魅力が薄い。

余談になるが、そういう意味でも、現代アートで深く刺さる作品は少ない。知的には面白いと思っても、心を動かされ、性欲を刺激され、あるいは激しく嫌悪し、内臓理屈を超えて震えるのが、僕にとっての芸術だ。一昔前の表現でいうと前なら左脳ではなく右脳が刺激されるような作品がいい。ルネサンス近世西洋画のように、シンボルを読解するのはそこまで心が動かされない(ごくごく一部の高度に知的作品、持てる知識を総動員しないと面白くない作品を除く。これは全力で取り組まないといけないため、別の良さがある。ジョイスとか円城塔とかエーコとかね)。そして、優れているのに、言語化が困難なもの評価が一番高い。その点、マグリットの、言葉遊びによる対象の置き換えをモチーフにした作品はピンとこなかった。理詰めで説明がたやすいのは良くない。

もっとも、あらゆる芸術の九割はそもそもさらないというのは、普遍的法則である可能性がある。なんであれ、世間がどう言おうとも、作品を好きに読んで好きに解釈する自由は、失われてはならない。唯一の正統的な解釈があるのはつまらん。「丁寧に読解しろ」ってのならわかるけど、どんなものであれ上から押さえつけられるのは相手が正しくても嫌いだ。人間にはどんなに歪んでいても、そして不道徳であっても、正直な気持ちを話せる心理的安全性担保された場所必要だ。そして、相手世間的に正しいとされていると、こちらは反論できないし、反論すること自体批判される。だからキレて暴れるしかない。正しさへの嫌悪ってそういうことなんじゃなかろうか?

ときどき、「どんな理屈をこねるよりも、目の前の相手に敬意を払うにはどうすればいいのかという実践にの意味があるのでは? 知識は参考にしかならんのでは?」って疑念が兆す。それとも、こうなってしまったのは文学に対して心を閉ざしてしまたからだろうか? だから前ほど心が震えなくなってしまった。だとしたら寂しいことだ。

近頃、文学に対して心を閉ざしているとしたらなぜだろう? 政治の季節は理由ではない。他に理由がある。僕は実はかつては小説家になろうとしていた。名作に手を出していたのはそれも理由だ。最終選考まで行ったこともある。だが、その願いは叶いそうにないと気づき、怒りから小説から遠ざかった。

同じ夢を持っていた友人・知人がデビューするのも見てきている。現代作家を読まなかったのもそれが一因だ。自分のほうがいいものが書けると傲慢にも思いこんでいたからだ。彼らの作品を読むと、そんな思い上がりは雲散霧消するけれどね。

今でも、数か月に一度目を覚ます飢えがある。発作的に何かを書きたいという欲望だ(実際、こうやってちょっとした短編小説くらいの長さのエントリを書いていてすごく楽しい。じゃあ増田じゃなくてブログでやればいいんだろうが、少なくとも同レベルエントリ継続的に書けない。なぜならこの文学全集を読むのに十数年かかっている。こういうネタは量産できない。このエントリでいったい何冊の本に言及してるんだ?)。

しかし、最終選考の講評ではボコボコ批判されたし、これ以上自分気持ちを書いても自分幸せにならないと、諦めがついたはずだった。それに、小説感情の垂れ流しではありえない。読者を楽しませる必要がある。少なくとも読者の受けるであろう感情計算せねばならない。加えて、デビューした友人はものすごいインプットをしている。これは認めないといけない。活字を読む量は僕のほうが多いが、それ以外に漫画だとかソシャゲだとかエロゲとか映画とか、とかくジャンルを超えて摂取しているものが多い。例えば現代女子高生を魅力的に書くには、そのキャラかわいいことと、リアルティーンエイジャーとしてありそうかという軸がいるが、僕にはどちらもできない!

Permalink |記事への反応(1) | 22:48

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2024-12-18

anond:20241217190555

性的描写が多い文学作品は、歴史的にもさまざまなテーマ文脈で書かれています。それらの描写は、単なるエロティシズムを超えて、愛、人間関係心理的葛藤社会的タブーなどを深く掘り下げるために用いられることが多いです。以下は、性的描写が多い、またはそのテーマ重要視している著名な文学作品の一部です。

ロリータ』(ウラジーミル・ナボコフ

禁断の恋愛テーマにしており、文学的にも高度で、物議を醸す内容。

愛の奴隷』(レオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ

マゾヒズムという言葉の由来となった作品で、性的従属権力テーマが描かれています

チャタレイ夫人の恋人』(D.H.ローレンス)

貴族階級労働者階級恋愛を描き、性的自由社会的制約の問題を扱っています

カーマスートラ』(ヴァーツヤーヤナ)

インド古典文学であり、性愛人間関係について詳細に論じています

青い花』(ジョルジュ・バタイユ

性愛と死、暴力関係テーマにした哲学的挑発的な作品

痴人の愛』(谷崎潤一郎

性的欲望偏執的な愛、支配と被支配関係を描いています

『鍵』(谷崎潤一郎

中年夫婦の日形式で語られる、性的欲望嫉妬を扱った作品

仮面の告白』(三島由紀夫

主人公性的嗜好や葛藤を通して、アイデンティティや抑圧を描いています

人間失格』(太宰治

性的関係を含む自己破壊的な生き方が赤裸々に描かれています

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(E.L.ジェイムズ)

BDSMをテーマにした恋愛小説で、エンターテインメント性が高い。

クローサー』(マイケル・カニンガム

性的欲望人間関係の複雑さを描く短編集。

ベルベットの手』(アナイス・ニン

短編小説集で、官能的な描写が非常に文学的に表現されています

これらの作品を読む際には、描写の背後にあるテーマキャラクター心理社会的文脈考慮すると、より深く楽しむことができます。また、性的描写が多い作品の多くは、それ自体がメインテーマではなく、物語の中で重要役割を果たす要素として描かれています

Permalink |記事への反応(0) | 16:57

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2024-11-30

安楽死」という言葉森鴎外ドイツ留学中にサナトリウム体験した出来事をもとに

阿部一族という短編小説のなかで初めて使われた

Permalink |記事への反応(0) | 14:15

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2024-11-20

anond:20241120150534

なんかそういう短編小説なかったっけ?ゲテモノレストランでやべーもん食うのが趣味になったって

Permalink |記事への反応(1) | 15:07

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