
はてなキーワード:盲学校とは
信長は実家が織田家だし、秀吉は信長の覚えがめでたかったから出世できた。なんもないとこからポッと偉人は出ない。
女の業績を語る時には庇護がセットになる一方、男の業績ではそれは語られないというだけ。
「女は性を武器にできる」って言うけど、男はホモソーシャルを武器にできるわけで、ありがちな話だと、偉い人のキャバクラ通いに付き合って可愛がられてのし上がるみたいなやり方できるのは男限定だよね。
強者オスにどう取り入るかの方法が違うだけで、強者オスの庇護を受けて偉くなることには変わらない。
あと増田が例に上げてる人たちな。
ナイチンゲールに関しては家柄がすごいから動かせる人脈もすごかったのは事実だけど、それ以前の問題として当時のそういう家柄の女性はお家で刺繍でもして良いお家にお嫁に行くというのが当たり前、小さいことからそう育てられた制約を本人のパワーでぶっ飛ばし、当時は最底辺職業の看護師として戦地に赴くって時点で行動力ヤバいし、パトロンがすごかったから成功したという感じは全然しない。ナイチンゲールが女性で可愛いからいろいろ融通してもらえたってことはなく、相当強引にネゴって話つけてることが多い。
マリー・キュリーは帝政ロシアの圧迫で公に活動ができなくなった学者の家の子で、貧困の中で育ち、家庭教師とかして家族を養いながら自活して、そのあと姉を頼ってパリに出て、苦学して奨学金もらってどうにか研究すすめた、ってとこまでが人生第一章。別にピエール・キュリーだって太いパトロンというわけでもなく、研究バカ同士のパートナー婚だし、ようやく研究の芽がでだしたこれからってとこでピエールは事故死する。で、一人で遺児を育てながら偉大な業績を打ち立てた。さらに子どももノーベル賞受賞する学者に育てた。ピエールの庇護で研究できたみたいに思ってそうだけど、事実は全然違うよ。むちゃくちゃ過酷な人生。日本でいうと野口英世ぐらい過酷。
ちなみに野口英世は有力なパトロンがいたわけではなく、故郷の集落の人たちのクラファンで高等教育を受けてる。男でもこういうのはむしろ珍しい。
ココ・シャネルはマリリンモンローとかと同ジャンルの孤児院から枕営業でのし上がった人って感じはあるけど、ナイチンゲールとマリー・キュリーは別に性とか関係なく普通にパワー型の偉人だよ。
特にマリー・キュリーに関しては太い実家も女使って動かしたパトロンも存在しないよ。自分で働いて奨学金もらって生きてきた人だよ。
あと、女性の偉人でゼロからのし上がった人といえば、「奇跡の人」サリヴァン先生の人生はすごいと思う。
ちなみに「奇跡の人」とは三重苦を乗り越えたヘレン・ケラーではなくサリヴァン先生のほうだよ。
ヘレン・ケラーは増田が言うように実家が太いし、三重苦の娘のためにグラハムベルの伝手で家庭教師を探しまくらせるほど親の愛情もあったが、サリヴァン先生は完全にゼロからのスタート。
あの時代に女で天涯孤独の孤児で盲目、最底辺の救貧院育ち。その時点で人生詰んでるじゃん。
盲学校出たとしてもロクな仕事がないのが普通のところ、卒業のタイミングでグラハム・ベルがヘレン・ケラーの家庭教師を探しに来て採用されたのはほぼ奇跡。
しかも最後の3人のネタが始まる、めっちゃいいタイミング。ヤッタネ。
おぐ、ゆりやんと観て笑い、最後に出てきたのが濱田祐太郎でぼーっと見てた。
わ、めちゃくちゃオモロイやんけ。盲学校に点字ブロックないとか、ほんとスパルタすぎるwww そういえばあの白い棒って、見たことあるよな。あ、そうだ、視覚障がいの方が歩くときに使う棒だ。、、、という事は。
検索してみると、思った通り。濱田祐太郎は弱視の漫談家だった。
「障がいのある漫談家はいない」って思い込んでいた自分が恥ずかしくなったよ。
そんで濱田祐太郎すごいなと思ってしまった事に、さらに恥ずかしくなったよ。デブとかハゲとかと一緒で自虐ネタに持ち込んで良いのに、何でだろうね。無意識で差別してたんだな、反省。そういう差別ってクソ多いんだろうな。そして皆日常的に、無意識の差別で人を傷つけているのかもしれない。確かに社会制度の上でとか、生活しやすくする為に「障がいかどうか」を区切らなければいけない部分はあるんだけどさ。うまく言葉にできないけど。そういえば「みんな違ってみんないい」なんて言葉は、社会生活において「いわゆる普通の人の範囲内」って前置きがつくことが殆どだもんなあ。
葬儀屋は人の不幸がないと成り立たない。
介護ビジネスなんかも、人の不幸(とまで言えるかどうか)がないと成立しない。
あと、養護学校とか盲学校聾学校も、人の不幸(とまで言えるかどうか)がないと・・・
仮に将来、身障者の発現確率が減少したら、養護学校の教師は失業するんだろうなあ。
で、ふと思ったことだが、就学前検診とかで、「特殊学校行き」の児童を
「発見」して振り分けたりするのだが、
「例年だと100人に1人、特殊学校行きの児童が現れるのに、
今年は300人診ても現れない。
ボーダーラインのA君、この子、昨年だったら普通学級行きなんだろうケド、
今年は特殊学校が空きまくっているから、特殊学校送りにしちゃえ」なんて
運用がされていたりして。
要は就学前検診の振り分け基準が「絶対評価」でなく「相対評価」だった場合、
「たまたま障害者が少ない学年」に生まれついたボーダーラインの児童が、
「障害の側に振り分けられる」という「不運」に見舞われたりしたりして。