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はてなキーワード:目的刑とは

2025-10-09

anond:20251009111317

AIまみれで増田が嫌になる{"prompts": [ "role:刑法学を学ぶ学部生", "background:窃盗罪量刑根拠に疑問を抱き、目的刑論・応報刑論を調査中", "output:内省的散文、ただし引用をわざとらしく混ぜる",

]

}

Permalink |記事への反応(0) | 11:34

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そもそも量刑の程度の根拠がわからない

例えば……なんでもいいが窃盗罪

量刑は「10年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金

なぜ10年なのか、なぜ例えば7年以下ではないのか、なぜ例えば15年以下ではないのか

日本以外の国だと量刑の程度もきっと異なるわけで

なぜ10年なんだ まさかエイヤで決めたわけではあるまいよ

「何かの目的刑事罰が課され、その目的のためには最大10必要」のような理路があることを期待している

刑事罰目的って何? じゃあ「刑事罰 目的」でぐぐるね……

刑法目的規定存在しない」?どういうこと?すみません法学知識がなく素人もので……

目的規定は、その法律の制定目的を簡潔に表現したものです。」あーつまり刑法の制定目的は明記されていない?

話がそれている?

いやなんとなくはわかるよ きっとバランス相対的に決まっているんだろう

暴行罪傷害罪で、ケガを負わせた側の量刑の方が暴行のみの量刑より重くないと辻褄があわないもの

たぶん目的刑論と応報刑論の話になるんでしょうね wikipediaからそれぞれの説明を引っ張ってくるか

目的刑論(もくてきけいろん)とは刑罰犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという考え方を言う。目的刑論は一般予防論特別予防論に分けることができる。

応報刑論(おうほうけいろん)とは、刑罰過去犯罪行為に対する正義制裁として犯人苦痛を与えるためのものだとする考え方をいう。

窃盗罪で罰せられた受刑者が更生し、抑止効果もある量刑10年あれば十分である……のような何か根拠があるんですか?という点がこの疑問のスタート地点よな

被害者/その関係者/無関係大衆の応報感情正義感情を慰撫するには最大で10必要……という話にすると滅茶苦茶危うい気がしていてこちらの論にはあまり乗りたくない

そんなことしたらどんどんエスカレートして厳罰化一直線じゃないか

でもなー

「更生し、抑止効果もある量刑はn年あればよい」のような根拠、きっと無いのだろうな

あってほしいけれど 探すために本や資料を探しているけれど

となるともはや「最大10年は軽すぎるんちゃうか?」ともし言われたときにずばっと「それはちがうよ」と言える根拠自分の中に持てていないのだなあ

持ちたいよなあ

いや、窃盗罪量刑が今のものは変とは思ってないけどね

なんで窃盗罪の例で話したかというと銀行貸金庫からn億窃盗した事件求刑12年、実刑9年の判決で、そのニュースに対するコメントでもやはり「軽すぎる」みたいなコメントは見かけたっていうのがある

じゃあ何年ならあなたの応報感情は満足するんですか、というのがわからない

『刑の重さは何で決まるのか』 (ちくまプリマー新書)は買いました、読んでいるところです

ああ、量刑が軽すぎるとか重すぎるとかの素朴な感覚がもはやわからない

誰かが……いや、直接的に被害者無関係大衆犯罪ニュースを見て「量刑が軽すぎるよ!」と憤っている様子を見て、その「重すぎる/軽すぎる」の判断基準は何?というのがもはやわからなくなってしまった

ゲシュタルト崩壊じみている

いや、この喩えは的を外したか

軽く法学刑法歴史を調べてたらベンサム名前が出てきて「ひょっとして功利主義とかの倫理学の話とつながってる?」と思いちょっと面白いなと思った

今日はここまで

---

日本法令索引

https://hourei.ndl.go.jp/#/

で「明治40年4月24日法律第45号」で検索したら現行刑法が出てくるから

そこから気になる項目選んで審議経過のタブに当時の改正等の議論議事録が出てくるから

それ読んでみるとどういう経緯や理屈改正されたり制定されたかがある程度わかるで

この情報とても嬉しい、ありがとう

Permalink |記事への反応(4) | 11:13

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2023-11-13

anond:20231112225347

死刑廃止論者なんだけど、はっきり言えば「全く知らん赤の他人強姦されて殺されようが死ぬほどどうでもいい」んですよ。これは国家についても同様。別に国家犯罪者を憎んでいない。まあ、国家の敵を殺す戦争と、単なる犯罪者は違うしね。

から死刑廃止論者は犯罪者隔離矯正、ないし犯罪企図者への威嚇といった予防効果目的とする「目的刑論」になるんですよね。まあ、目的刑論でも死刑に威嚇効果があると認めれば、死刑制度維持論者になるんだろうけど。

Permalink |記事への反応(3) | 12:42

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2021-12-26

anond:20211225003851

犯罪行為道徳的な悪とする価値観アプリオリに感じられるような内面化をしていなかったので、応報刑論を採用せず(応報刑論が理解できない)、新派目的刑論)の考えを採用たから。

Permalink |記事への反応(2) | 01:16

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2021-12-24

anond:20211224014815

・「司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」

・「法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない」

・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)

司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではないが

代わりに最終的な裁き、量刑を決めるための機関なわけで

裁きの上限が一族郎党皆殺しでも法に従っていれば司法機関としての役目は果たすでしょうな。

  

ところで、もし今の米国ポツダム宣言10項に基づく東京裁判をやり直したら

あの時死刑になった「戦象犯罪人」ってどう裁かれるんでしょうね

Permalink |記事への反応(1) | 14:08

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anond:20211223171928

自分はたぶんどっちかというと死刑廃止派で、だけど自分の大切な人がむごい殺され方したら「犯人を殺したい」と思うはず、という人間です。


日本における死刑議論において、当然のように前提となっているのが「司法復讐の代行機関(たるべし)」という考え方です。


しかにそうであれば胸がスカッとするかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか?


結論から言うと、歴史的経緯からは「NO」です。このあたりの話はこちらのエントリがよくまとまっているので、一度読んでみてはどうでしょうか。

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20071206/p1

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080707/p2

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080816/p1


もう一つは、西洋における死刑歴史を紐解かなければいけません。


西洋に限らず、アニミズムに端を発する文化圏ではしばしば生贄という慣習がありました。

これは自然や不運という「命を奪いに来る制御しがたいもの」に対し、あらかじめ命をささげておくことでそれを鎮めるという狙いがありました。

なので、何らかの理由を持って定期的に人を殺害するというのは文化的には自然なことであり、その標的となるのは罪人や余所者であることが多いのも納得しやすいでしょう。


また西洋における近代法人権の考え方として、国家権力というもの暴走し、それを個人市民)がけん制しなければならないというものが基礎としてあります

フランス人権宣言以降、西洋の法というのは個人を縛るものであると同時に国家を縛るものでもあります


よって、西洋諸国家には国家あくまで法に則して虐殺恣意的死刑執行した歴史があり、その反省として死刑廃止トレンドになっているという経緯があります

日本でもたまに、政府高官不審死することがあるでしょう。あれも広義の国家権力暴走による死刑です。

冤罪だったらどうする」論もこの辺に含まれものと考えていいでしょう。つまり裁く側の権力が間違ってたらどうする?って話なわけです。


ここで困るのは、そうした西洋近代法の成立に通底する思想と、天下り的にそれを”輸入”した日本人の仇討ち感覚との間で、死刑けが異質なものとして浮き上がってしまっているのです。

刑法論には「応報刑論」と「目的刑論」というものがあり、簡単に言えば「刑罰犯人に同じだけの苦痛や損害を与える」というのが応報刑論で「刑罰でその犯罪を思いとどまらせる」というのが目的刑論です。


例えば次のような命題がそろっているなら、論理的に考えて死刑廃止に賛成する人がいてもおかしくないはずです。

・「司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」

・「法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない」

・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)


しかしこれは日本では受け入れられないでしょう。

司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない

 ⇒知らねーよ輸入したんだからこちとら150年前まで仇討ちやってたんだよ。

法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない

 ⇒法律って市民が悪いことしないようにするもんじゃないの?

死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない

 ⇒でも犯人殺してすっきりしたいじゃん?(応報刑絶対正しいマン


これは日本人が法律に疎いと言っているのではないですよ。

日本には死刑廃止に至る十分なロジックがないということなのです。


私も親や配偶者子供を殺されたりレイプされたら、それ以上の苦痛を与えてやりたいと思う程度には俗な人間ですが、でもそれって俺の感情であって司法のあるべき姿とは限んないよな~とも思います

光市母子殺害事件なんかで遺族の男性が会見している風景テレビでよく見ていました。

非常に痛ましい事件ですが、あのあたりから「遺族の感情司法に反映すべき」みたいな意見が増えて、なんかモヤっとしていました。

そして裁判員制度までもを輸入した日本ですが、上のような議論を経ずに来ているので変なことになっているなと思います


「うるせぇ、俺は加害者殺して気持ちよくなるんじゃ!」とクールジャパン法整備をしてもそれはそれで結構なんですが、外国から「お前の国って法学無くなったん?w」って笑われるのがオチだと思います

Permalink |記事への反応(3) | 01:48

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2018-07-10

思ってることを述べることについて

死刑について、沢山の投稿がなされている。

自分法律を専門にして生きていているけど、刑事事件とはあまり関係がないから、そこまで詳しいわけでもない。

自分死刑についての投稿とか、それに限らずとも法律関係する投稿を見て、新たな観点だな、と思うことは殆どないと言っていい。既存議論を上手にまとめて紹介しているものとか、自分立場を適切に述べているものはもちろんあるけど、とりわけ断言調で書かれたもので、なるほどなあと唸るようなものはない。大抵の場合、すでに、それに対しての反論議論されているものばかりだな、と思う。

死刑刑罰に関する議論でよく出るものだと、例えば刑罰は何のためにあるのか、というようなものがある。

これについて既存議論簡単にまとめれば、割と最近までは、応報刑論と目的刑論との二つの考え方が対立していたと説明されていて、前者は犯した罪に対して罰を与えるのが刑罰本質であり、後者はもう2度と犯罪を犯さないように矯正したり、社会に対して犯罪を犯すとこういう辛い思いをするからやめたほうがいいよと伝達したり、あるいは犯罪を犯すような人を社会から隔離することで新たな犯罪が発生することを予防することを目的として与えるのが刑罰だというもの

前者はカントヘーゲルに遡るようなクラシックものだけど、罪に対して罰を与えるっていうけど、それは何のためになされるのか、本質というのは何なのかよくわからないよねという批判がある。

後者については、再犯可能性が非常に高い人だと、どんなに軽い犯罪でも、犯罪者なら終身刑にすることになるよね、とか、さらにその考えを進めて、犯罪を犯しそうな(けどまだ犯罪を犯していない)人を刑務所に入れようとかそういう話ななってしまうけど、それでは流石に良くないよね、といった批判がなされている。

それを踏まえて近年では、社会的な規範回復するためになされるのが刑罰である、というような学説も有力で、結局、応報刑論と目的刑論ってそんなに違わないのかも?みたいな話になっているとのことでした。

(この辺の学説的なことは刑事ジャーナルの54号に最近議論がまとまっている。)

で、そういう刑罰本質についての議論自体はどうでも良くて、自分が思っているのは、自分が考えついたことは、誰かすでに考えているだろう、更には批判も尽くされてそれに対する再批判がなされて、という風に議論は進んでいる、という風には思わないのだろうか、ということ。

自分は一応、専門と言えるものがあって、様々な学者が一生を懸けて知恵を絞って、あるいは、実際の社会の中で様々な人たちが工夫を凝らしていろんなことを考えてきてることを感じてきたから、そんなに簡単に新しいものは生まれないということを強く思っている。あるいは逆に、自分の思いつきについては、既に前向きな批判がなされていることが大半で、自分の考えをブラッシュアップするのはその意味では容易だと感じている。だからこそ、自分の専門外のことでも、自分が何か感じたことや思いついたことがあったら、調べてみることは大事だし、軽率発言するのは意味がないことだなとも思う。

から、いろんな社会的なトピックに対して、いろんな人から条件反射的に自分の思っていることを述べて、しかもそれが間違っていたり批判があるということに想いを致さない様子を見ると、心が痛む。人類が協力して分担して、何世代にもわたって知恵を絞ってきて、それを上手にまとめて教えてくれる人すらいるのに、酒の肴にしてるならまだしも、大真面目に自分議論絶対正しいかのように自信満々に理論を展開している人を見るのは辛い。

こういうことを言うと、学問市民感覚はずれがある、学者象牙の塔しょうもない、みたいな意見も出るかもしれないけれど、少なくとも法律学の領域で、市民感覚のようなもの議論全然反映されてない、ということはあり得ないと思う。もちろん、立法対応学会対応が遅い、ということはあるだろうけれど、市民感覚なんてどうでもいいか無視しよう、なんということはなくて、市民感覚がどのように醸成されてきて、今後どうなっていくかということも、議論されているのが普通だと思う。

こんなような感覚は、法律を専門にしてるからまれもので、他の分野を専門にする人は感じないのだろうか?

とにかく何でもいいから自信満々に意見を言うのが良いのだろうか?

Permalink |記事への反応(3) | 22:27

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2017-10-08

死刑の改善案

死刑制度賛否について、実生活だとキチガイ認定されると面倒なので、本音と建前を使い分けてます

死刑仇討ちの違い

応報刑論と目的刑

本音説明

自分家族や大切な人が殺されたら、その憎しみ・恨みを晴らすために、犯人自分の手で殺したい。(仇討ち派)

死刑制度があると、自分の手で殺すことが正当化されない。(死刑制度仇討ち邪魔になる)

死刑制度がなければ、自分犯人を殺しても、自分殺人罪を問われて死刑になる心配がない。(安心して仇討ちができる)

 

こんな理由説明したら、お前は野蛮な奴だ!と叱られちゃうから言えない。

現代仇討ち

私刑復讐連鎖を呼び起こすからダメだという批判もありますね。

しかし、現代でも犯人自分で殺す「仇討ち」は絶えません。

 

(例)6歳娘を強姦され犯人を射殺した母親 多くの親が「気持ちはわかる」(米)

http://japan.techinsight.jp/international/2017/09/yokote201709021811.html 

アメリカじゃ被害者遺族が犯人を射殺する事件がよく起こってます

 

遺族への償い

遺族が本当に望んでいるのは、死んだ被害者が生き返ることです。

死人が生き返るなら、犯人にも死んで同じ苦しみを味わえ!と憎む必要もないでしょう。

 

しかし、死人が生き返ることはないので、その代わりに犯人には死んでもらいたいのです。

犯人が死んでも、被害者を失った喪失感回復されないので、100%満足はできないけどね。

死刑改善

死刑制度は存続させるとしても、欠陥の多い制度なので改善余地があります

 

中国は今も囚人から臓器を摘出している?

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4454.php

 

より良い死刑仇討ちを実現するために、良いアイデアがあれば教えてください。

Permalink |記事への反応(1) | 00:17

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2016-02-27

犯罪環境のせい」って

え? 真っ当な意見じゃね? 何コレ叩かれてんの? 意味分かんなくね?

犯罪者に対し、近代刑法目的刑論に基づいて、応報でなく教育による更生を採用したんじゃね?

それって、ぶっちゃけ古典派による応報刑論が、高度化した社会では適切に働かないことが分かったからなんじゃね?

No応報刑Yes目的刑。もう100年以上前に、みんなでそう決めたんじゃね?

でもって、環境責任を負うべきというのはその延長で充分考えられる意見じゃね?

つーか、「更正」した犯罪者を、社会リスク込みで受け入れることになってるのは、事実上環境責任を負って」るんじゃね?

この元増田が言ってるのは、単に普通のことじゃね?

叩かれるのっておかしくね?

実際意味分かんないんですけども。

http://anond.hatelabo.jp/20160226105515

Permalink |記事への反応(2) | 18:30

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