
はてなキーワード:目星とは
日本の企業でもアメリカの企業でもないが、そこそこ有名なメーカーのオンラインショップ。Amazonでよくある、格安のどこだかわからない中華製、とかではない。
ある型番に目星をつけていて、検索窓から調べると、「最安値:約17万円〜」というかたちで値段と機体のサムネイルが表示されている。
安くて17万ということは高い選択肢もあるはずで、メモリとか容量とかの組み合わせで値段のバリエーションがいくつかある感じかな、と思う。
サムネイルをクリックすると、個別の商品のページに飛んで、そこから購入する建て付け。移動すると、想定どおり、メモリの性能とかofficeの付属ありなしとかでバリエーションがあるのだが、どれを見ても18万円以上のものしかない。
「?」と思う。クーポンコードみたいなものを入れたら値引きされたりするのか? とか考えるが、違うようだ。
しばらくガチャガチャやっても謎が解けず疲れてきたので(UIもあんまり良くなくて、これも混乱を助長する)、気分転換に同商品のレビューでも見てみるかと思って某レビューサイトに移動した。そしたら、なんとこのサイトを経由することでつながるページに、17万円のものがあることがわかった。
念のため書いておくが、まったく同じもので17万と18万があるわけではなく、17万の方が記憶容量が少ない。なので、価格差の説明はつく…のだが、色々と納得がいかない。
ある意味、最初から17万円のバリエーションがあることなんて正規のオンラインショップ上では把握できない方がよかったまである。それなら、「レビューサイト経由でしか見つからない、秘密裡のメニューがあるのだな」ということで腑に落ちた気がする。
何を理由にハンパに匂わせたりするのだろう? 「別のところが運営しているサイトも探してごらん…ヒントは出すから…」ということなのか。よくわからない。迂回してたどるべきルートをオンラインショップからリンクしてくれたらいいのに、と思うが、それはなんかややこしいのか。
なんか、正規ショップでのオンライン購入って良くも悪くも四角四面のイメージだったので、なんかこんなテキトーというか、不透明なんだな、と思って意外だった。
日本はまだ民主主義国家だから、デモ活動をやったり、Youtube向けに英語で高市早苗の問題さを伝える動画を作ったり、海外の反応を日本に伝える動画作ったり、あなたが出来るレジスタンスはいくつもあるよ。大学生や社会人なら、反戦団体や組合活動を盛り上げるのも大切。
それをしないとぴょんぴょんみたいな政治家の、自民党員の高齢者受けを狙った振る舞いの犠牲にあなたみたいな若い人がなる。
あと、武力衝突が起きる前に海外に避難するのも大切。経済制裁や軍事演習が激しくなったら合図だから、必ず武力衝突が起きる前に外国に避難するんだよ。武力衝突が起きたら空港閉鎖されて移動の自由無くなって学徒動員みたいな社会になるから。
いつでも避難できるように、40Lバックパックに必要なものを予め詰めておく、パスポート作っておく、クレカを作っておく、外国の通貨を10万円分ほど確保する、wiseやrevoultのような決算手段を解説しておく、避難先の国の目星を立てるなど。
不安に思っていても何も変らない。だから不安が実現しないように抗議活動をする。不安が実現した場合の対処法上を予め講じておく。
戦争になっても、日本のために犬死にしてはいけないよ。あなたが生まれてから日本政府があなたのためにしたことを考えて、そのために犬死にする価値があったかよく判断するんだよ。
私はその夜静かに関西国際空港に降り立った。携帯のSIMをカウンターと自販機でひとつずつ買い、空港内の一時預かり所ですぐに荷物を預け、翌日の午後遅くに取りに来る旨を伝えた。小さな鞄には電子機器が四つ入っている。身につけるものは、バッテリーを取り外しておいたSIMなし格安携帯(数日前に買ったばかりだ)とポーチひとつ。対岸の小さな町に飛び込みで宿をとることした。電車の降客は私と2、3人。地元の人間が見れば、私は関西人ではないとすぐ分かる顔をしている。うろうろしていると、早速「お出迎え」の車がメインストリートから細い路地へとわざわざ鋭角にターンして尾行してきたので、物陰に隠れる。目星をつけたホテルの前の駐車場には見張りの車が停車していたので、知らないふりをして行きすぎる。初めての町だが、行き当たりばったりに歩き回った挙句、駅から離れた場所に客のいない静かなバーを見つけ、ウィスキーを飲んで時間を潰す。
日付が変わる少し前にバーを出、宿のあるらしい方角へ歩く。宿に入ろうとした時、住宅街の十字路の向こうから、ボックスカーが一台、なにかを探しているかのように徐行してやってきて、止まった。生垣のそばに隠れたつもりなのだが、どうやらライトの向こうに見つかってしまったらしい。直進するそぶりだったのが、急に右折して去った。ナンバープレートを私に見られたくないのだ。別の宿を見つけ、この日は終わり、旅の疲れを癒そうとした。
翌朝、時差ぼけと寝不足の目をこすり、今年一番の早起きをして、再び空港に向かう。出張中のビジネスマン風の顔をして、通学中の小学生の後ろを歩く。預けた荷物を受け取り鉄道駅に向かおうと、空港ビルの吹き抜けの上階をふと見ると、手すりにもたれた男が下を見て何か携帯で指図をしていた。見張りだ。電車に乗り、念のため、中から隣の車両に移動した。すると、ひとりの男が目についた。まだ若さがかすかに残る、アメリカ人と思われ、こざっぱりした軽装で、イヤホンをつけ、手元の携帯を見ている。荷物はない。空港ホテルに泊まって文字通り手ぶらで観光に行く外国人はそうそういないだろう。この男は見張りの仲間と考えて差し支えない。おそらく携帯はグループ通話モードになっており、イヤホンから指図が流れるのだ。じっと見ていると、男は気まずそうに少し下を向いた。元の車両に引き返し、男から見えないことを確認する。予告は受けていたが、「今度のチーム」は手際がいい。これは逃げられないと思った。私はロンドンからの帰途アジア系の航空機で上海を経由したのだが、上海で乗り込んで来た20代のアメリカ人の男が私を見てニヤリとして着席したのを思い出した。
降車予定のいくつか前の駅に停車中に、ポケットの携帯が鳴った(機内モード)。私はここで降りることを迷っており、それを見透かされたかのように思い動悸がしたのだが、実は九時にセットしたタイマーだった。電車のドアが閉まる瞬間にホームへ身を投げ、私のせいでドアが再度開かなかったこと、および、隣の車両の男が降りなかったことを確認し、駅を出て停車中のタクシーに乗り込んだ。
「ヨドバシカメラへお願いします」先に着いたアメリカ人の男やその仲間がXY筋(どこだったのだろう?)を追尾する手筈は万全だろうと思ったが、仕方ない。タイミングよく開店と同時にヨドバシカメラに入り、入り口付近に電子機器の入った鞄を置いて、新しい携帯を買った。見上げると、レジの上の防犯カメラが意地の悪い目つきでこちらを見ていた。電源を切ってあるが、新携帯の設定を完了しないと機内モードにできないはずだ。警備員に見つかるかと思ったが、入り口に置いた鞄は盗まれず、日本は治安がいい。
大阪駅からP駅まで電車に乗る。P駅で電子機器を裸でロッカーに預ける。バスで役所の近くまで行く。降りると、大通りの路肩に車が止まり、私が近づくと発進した。役所の小さな駐車スペースにも見張りと思われる車がいた。海外勤務を終え、帰国手続きに本籍地発行の戸籍抄本が要るのは周知のことだと思う。
私は長期滞在のホテルを必死に探したのだが、残念ながらどれも予約で埋まっていた。仕方なく、この日の宿をオンラインで予約した(ウォークインで空きを尋ねるべきだった)。夕方、宿に着くと、部屋から大通りが見下ろせる。通りの両側には停車中の車が何台があり、気になる。例の格安携帯のバッテリーを入れ、しばらく設定をしていると、Bluetoothがオンになっていることに気づいた。先ほどまでオフにしていたにも関わらずだ。さらに、誰かの機器とBluetooth接続されていた。部屋に入った時には空いていた隣の部屋に、誰かいる。壁越しにキーボードを叩く音が微かに聞こえるのだ。「ようこそ日本へ」という訳だ。私はフロントに電話し、部屋を替えてもらった。階も違う。業務用階段の側だ。外の車が気になる。しばらくして、廊下に出たところ、ホテル従業員が業務用階段へと続く扉の向こうに消えるのを見た。客入りの良いこの時間帯に、妙ではないか。私は、ホテル従業員がグルである可能性を考え、ホテルを出ることにした。ロビーでソファに座り次の手を考えていると、20代の背の低いアメリカ人の男が宅配ピザの箱を抱えて外から入って来て、上階に向かった。つまり、「鳥が逃げた」という訳だ。通りに停めた車で見張っていたのだろう。ホテルを出て15mほど歩くと、近くの路肩の白いワンボックスカーが急発進した。私はこの時、2種類の人間に追われていることをまだ知らない。タクシーで警察署に向かう時、外国人の運転する高級車が二つ隣の車線にいるのを見た。
繁華街をぶらぶらして、カフェのテラス席で休憩したところ、側道から若い日本人の男の運転する車が目と鼻の先で停車した。通りに出るつもりはないらしい。私はこのときそのナンバープレートを新しい携帯で写真に撮ったのだが、交番で写真を警官に見せると、その写真は「画像が歪んで」番号が読めなかった。新しい携帯が、早速ダメになったのだ。
色々気にしても仕方がないので、適当な店に入り、久々の海鮮を楽しむことにした(中略)。ただし、押し入られて身の危険がないとも言えないので、他の客が引けたとき、すぐに出た。断言できるが、ほろ酔い未満だ。料理には満足した。
少し物足りなかったので、大通りから中に入ったところをほっつき歩いて、飲める店を見つけた。途中、誰かを探しているらしい様子のワンボックスカーを見つけた。カウンターで飲んでいい気分になった頃、一台の車が店の前で急に止まった。動かない。外は狭い一方通行の道で、しかも店の前を塞ぐように止まる車はタクシー以外通常ないはずだ。タクシーより車高が高い。これはまずい。逃げ場はない。私は、格安携帯の緊急通報ボタンを押した。すると、車は発進した。
携帯で調べるわけにもいかないので、酔い覚ましに、歩いて終夜営業のファミレスを探した。結局、マクドナルドに落ち着いた。この夜、私は初めて、なぜこのような不思議な目に自分が遭っているのかを知った。マクドナルドのwifiは無料で利用できるはずだが、「パスワード入力」を求められる。なぜか電波の入りが悪い。2階に上がる。どうやら、無料wifiを使わせまいとする勢力と、それを解除しようとする勢力が、電子的に腕相撲をやっているらしい。私は後者の「手助け」をしようとした。結局、早朝になってもwifiが使えることはなかった。
早朝、忠告に従い、急いで店を出る。危ないのだ。タクシーで向かう。預けた電子機器を回収しようと駅で待っていてもらった。ところが、引き出せない。預けたロッカーの番号を電子的に認証して鍵が開くのだが、「その番号が選択肢として存在しないため選べない」。どうやら、私の預けた荷物だけが引き出せないように電子的に操作されているらしい。見ると、他のロッカーは全て空だ。
あきらめて、コネのある長期滞在用のホテルにタクシーで向かう。
遠距離だ。
去年別居婚をした。
長い長い友人時代を経て交際し、数ヶ月単位のスピード婚をした。
旦那の人となりはよく知っていたし、旦那は実家暮らしだが、学生時代に部活で寮生活をしていて、炊事も家事もさせられていたので、そこら辺の能力を疑ったことはなかった。
交際中もお互いの家に行き来しあっていて半同棲のようになっていた。
確かに料理の時不器用すぎて時間がかかったり、皿洗いが雑だったり、気になるところはあったが、私がカバーするなり教育するなりすれば良いと思っていた。
別居婚は事情があってしたが、2025年の末には同居しようという約束をしていた。
冷めそうになっている。
旦那は付き合う前こそ男前で頼りがいがあったが、一緒にいる時間が長くなれば長いほど、実際は正反対であることが明らかになっていた。
それも私が勝手に頼りになると勘違いしていたことだし、旦那より私の方が素早く動けるなら私がカバーすればいい、私が動けばいいとずっと思っていた。
持ちつ持たれつ、苦手な分野はカバーし合う関係でいたいと思い、義実家にも挨拶の際にそう伝えていた。
だが、私が精神的な不調から動けなくなってしまうと、カバーもできなくなってくる。
バランスが崩れていく。
米の研ぎ方が何故か慣れていないようで、教えないとできない。
洗い物に明らかに泡が残っているが、指摘すると不機嫌になる。
精神的に苦しい時期に義実家からの心無い言葉をオブラートに包むことなく伝えてきたり、配慮のない行動に少しずつ不満が溜まっていた。
(義母に「結婚して損な嫁だ」「結婚しなきゃよかったのに」と言われていたらしい。)
それでも我慢すればなんとかなる、まだ全然我慢できる、と思っていた。
料理も洗い物も私が無理してやれば済むんだと、できないことは教えてあげればいいんだと。
プッツンと切れてしまったのは、薬の副作用で体調の悪化がひどく、旦那に賃貸契約の申し込みを任せたことだった。
物件探し、条件決め、内見の依頼を全て私主導でやっていたが、契約人は旦那にするので、申し込みくらいは任せていいと思ってしまった。
無事申し込みが終わったとだけ伝えられたが、この後の流れを伝えてもらえなかったので不動産屋に確認すると週末に契約日をセッティングされていた。
何故教えてくれないんだ…?と思いつつも、空いていたので契約には同行することにした。
入居日を旦那が勝手に決めていて、本来想定していた入居日とはかけ離れていたことが発覚する。
(引越し予定日より後に入居日が設定されていた)
想定外の入居日に困惑してしまい、不動産屋に無理を言って入居日を変更できないかとごねることになってしまう。
オーナーに確認していただくこととなり、その後、なんとか入居日を本来の想定していた日にすることができたが、モヤモヤは収まらなかった。
一人でなにかを任せたら取り返しのつかないことになるということに恐怖を感じた。
思えばこの件で、もうだいぶ疲弊していたのかもしれない。
入居日も決まった事だし引越し準備、という所に入ると、また不満が増える。
家具家電全てを新調するので漏れひとつなく用意するためにリストアップし、新居の内見を再度し採寸し、目星をつけていく。
「俺なんでもいいよ、なんでもいいから」
そういう割に、実際に家電屋に行くと「高い」「冷蔵庫はたくさん入るものがいい」と口出しが止まらない。
旦那が良いと言うものが家に入るのか確かめるのは私だし、旦那はリストアップした中から好きなものを選び口出しするカタログ状態。
疲れてしまう。
なんでもいいと言うからカーテンの色を明るい色にすると伝えると、「俺は暗いのがいい」の一点張り。
必要な家具をニトリオンラインのカートに入れてまとめ、いくらかかると伝えると「高い」「収納なんていらない、ダンボールでいい」とまで言い出す。
なんでもいいんじゃなかったのか?
義父が「私のために」とくれたカタログギフト、旦那とおいしい食事でもと思って高級料理を選ぼうとすると、「引っ越し代節約したいから引き出しにしようよ」
アイリスオーヤマで同じような量収納できる引き出しを3000円位で買えるのに、高級料理を逃してわざわざコレを選ぶのか?
私も浪費家ではないので最安値を選ぶが、家具家電はしっかりとした物を買って長く使いたい。
旦那は「洗濯機はAmazonのでいい」と言い出す始末。Amazonは設置作業してくれないぞ。誰が設置するんだ。胡散臭い中華製品溢れるAmazonで買えと?
もう疲れてしまった。
一緒に住んで何十年と生活していくことを考えると本当に憂鬱でしかない。
同棲してから結婚した方がいいという意見と、同棲せずに結婚すべきだという正反対の意見がネットには溢れているが、絶対に同棲してから結婚した方がいい。
家事炊事ができるか共生できるかチェックする期間としても大切だが、なにより不動産屋探しや契約など人生における重要な工程を一緒に踏むことに意味があると思う。
今日も体調が悪く料理を任せてみたら、水の音が止まらない。気になって見に行くと、麺がザルに入り切らないからどうすればいいのかわからず水に浸しっぱなしにしていたというのだ。
慌てて麺を半分ずつザルにあげ、皿に盛る。
もう一人で休みたいよ。
一緒に生きていくにはあまりにも頼りなさすぎる。
例え頼りなくても、プラスにできなくてもマイナスにすることがなければいいと思うんだ。
持ちつ持たれつ、カバーし合うつもりが、気がついたら何もカバーされていないことに気がついた。
世の夫婦はどうやってこういうのを乗り越えていくのだろうか。
同居まであと数週間、今更辞めたいなんて言えない。
5年くらい前の話を思い出したので書く。
色々あってメンタル壊したが、寛解して就活無職していたある日、家族の伝手でバイトが決まる。
2人1組で掃除と見回りをする社会復帰1発目らしい簡単な業務で、そこで会ったのが統失。(以下Aと呼ぶ)
Aはそこで働いて2年目らしいが、自己管理できてなさそうな外見に、道具の場所の把握はしてなかったりで、初対面は「頼りない」という印象を持った。
何度か他の人と組んで仕事を把握した後、Aと組む日が来てそこで連絡用にLINEを交換したのだが、初手セクハラ。
まずLINEアイコンにアニメキャラの胸が丸出しのアダルト画像を恥ずかしげもなく使用、次にLINEに「Aです!これからエロ画像送りまくります!」などと宣い実際にポルノ画像を送りつけてきた。
他にも意味不明な画像(他人の写真を歪ませたものとか、ネットで拾った変な画像とか)を連投したり、休憩時間の雑談中にも持ってるアダルトグッズの自慢など異常行動のオンパレード。
挙げ句の果てに「昔Bって名前でネット荒らししてたんすよ〜」とかヘラヘラ言うし、Bで軽く検索したら本当に出てくる。
もう無理ッス。会って2.3日でこれは流石に無理。
明らかに異常なので少し深掘りしてみると、統合失調症となんかの併発らしい。
じゃあ関わらん方がいいということでそれとなく避けるようにした。
が、平時で異常な奴が仕事中だけは正常な訳がなく、サボり、無断欠勤はもちろん、それが原因でクレームは入るし最終的にはバックれこちらの負担が増える事態に。前の年はどうしてたんでしょうね。
(上司に「Aのやつサボるんでその分給料増やしてクレメンス」と証拠持って直談判したら「おもりも含めて仕事だから耐えろ」と返答。そういうの先に教えてね。)
なんとか乗り切りTwitterに愚痴ると、何故かなりすましアカウントが作られしつこく絡んでくるようになる。
筆者の本名が使われ「障害者差別楽しいー!」とかあることないこと書かれ続けるが、インターネットの基本に則り無視。
この時点で明らかにAがやってるなと目星は付いたが、裏付ける証拠がないのでしばらく泳がせると、Aがメインで使ってるアカウントも出た。Bの要素が残ってる名前ですぐ分かった。
何故こんなことをするのか投稿見れば分かるかと思い調べると、衝撃の事実が判明。
こいつ幻覚見てました。
「俺の本名出して罵倒してきてやがるからやり返してやる」というのがAの主張。
で、筆者、ある曲のワンフレーズが気に入っており、そこだけ何度もツイートしたりするのだが、それが自分への煽り、罵倒だとAは言う。
仕事で組んでた頃の投稿を掘ってみると、Aのサボり中に働いてる筆者への嘲笑、無断欠勤は筆者と組む日を狙って行う旨の投稿、コスプレイヤーへのセクハラリプライetc……
なんなんだよ。
絡まれ始めてから1ヶ月くらいだろうか。Aから知らない話が出てくる。
「クレームは(筆者)が仕組んだものだった!あいつを許さない!」
知らねえよ。
なんか別のアカウント10個くらい作って特定の界隈にも無差別に罵倒し始めた。
もうダメだろ。
なんなんだこのバケモノは。
かろうじて仕事に出てるレベルでこの異常性を持ってるのに人間として扱うの無理だろ。
おわり
あるお菓子を探していた。
少ししてから該当のお菓子が通販で購入できるようだとわかった。
少し食べてみたいだけなので通販を使用せず何軒か目星をつけて店をあたりながら過ごしていたら出会えた。
同様の人がいたらしく、店の人に探していた旨を伝えるとそうなんですよね〜と和やかに言ってくれた。
なんかスタンプラリーのゴールに景品がもらえたようだった。
子どもの頃食べたことあるわ。同じ商品ではないと思う、昔はもっと手に入りやすいくらいに流行っていた味なんだろうな。
家族に食べてもらえば「あれに似てるね」と誰か答えを教えてくれそうな気がする。
そうか、まあ、そうなのかあ。新しい味は開発難しいよな…
新卒で入社した会社、転職で移った会社、どちらもとにかく人間関係最悪なブラック企業だった。
病む人、病んでる人がとにかく多かった。
お客様には家来のようにへりくだり、その分、仲間同士でパワハラや足の引っ張り合いをする。
誰かがクソな客の愚痴を言おうものなら「お客様の文句言うなんて社会人としてどうかと思うよ?」なんて、社会人としてどうかと思うような苛烈なパワハラをやってる社員が芝居がかった調子でピシャリと言う。
どちらの会社もそんな社風だった。
「もうこんな会社、愛想が尽きた。給料安くても人間関係がホワイトな企業に転職するぞ!」
そう決心した俺は転職するための目星を付けた企業に片っ端から電話した。
面接のアポを取り付けるための電話ではない。クレームの電話だ。
営業部直通の番号がわかれば営業部に、そうでなければ代表番号にかけた。
「オタクの会社の営業がさあ、サービスエリアでぐーすか寝てたんだけどどういう教育してんの?社会人としてみっともないよ」
無論、その会社のそんな営業マンを実際に見たわけではない。それどころか、その会社の社用車が看板車であるかどうかすら知らない。
全くのデタラメだ。
100社くらいに電話しただろうか。
どの会社にかけても相手はとても申し訳なさそうに謝罪の言葉と、指導を徹底するという言葉を返してきた。
そうすると俺はさも憤懣やるかたないといった感じで「もういい!!!」と大きな失望に苛まれながら電話をぶった切るのだった。
そんなことを繰り返してるとついに引き当てた。
俺が待ち望んだ反応をしてくる会社との邂逅だ。
「そうだよ(怒)」
「うちの社員が車でずっと寝てて……そのせいで車を停められなかった?とか?」
「そんなこと言ってないでしょ(笑)社会人としてどうかって言うことだよ。みっともないしょうがあ。仕事中にハンカチ顔に乗せて足組んで寝るなんて、あなた社会人としておかしいと思わないんですか?」
「うーんどうですかねえ(笑)外回りの営業は自分の判断で昼休憩とったりしますからねえ。休憩時間中はまあ昼寝してても自由ですし(笑)」
「ねえ、あんたそれ本気で言ってるの?オタクをさあ、そういう会社だと思うけどいいの?」
「いやあ、まあそういう会社ということなんですかねえwwwそれに~、体調悪くなって車停めて休んでたって可能性もありますよねえ(笑)」
「もういい!!!」
『ホワイト見っけ!!!ホワイト見っけ!!!混じりっけのないホワイト見っけ!!!見っけっけーーーー!!!!♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪』
即興で作詞作曲したオリジナルソングを激唱しながら俺はその会社への選考応募を心に決めた。
目論見通り、そこは俺が望むとおりの、想像したとおりの社風のホワイト企業でノンストレスで働けている。
あのとき受話器から伝わった声色とか雰囲気などの記憶から密かにそう睨んでる同僚が3人くらいいるかど、確かめる術はない。
数えて五年、彼女が居ない。
そうなれば当然、あっちの方もご無沙汰で。
しかし夏の瘴気に当てられたのか、四十にもなって性欲が収まらない。
三十を過ぎてからはそういったお店に行くようなことはなくなっていた。
それでもいよいよ我慢できなくなり、この前の週末ついにお店の方へと足を運んだ。
目星は事前につけていた。今の時代は自分の学生時代とは違って、嬢が積極的にアピールする時代。
指名した嬢は若く、胸が大きかった。それに可愛い。相場的にもっと高級店に居てもおかしくないような子だった。
まずは入浴。胸を押し付けられながら身体を洗われ、柔らかく大きな感触二つが背中に触れると自分の陰茎はすぐに有意な反応を示した。
マットでのプレイは控え、その後ベッドに向かうと始まるわけだが、はっきりいって緊張していた。
五年もの間、音沙汰なしで居ると果たして自分は上手くやれるのだろうか?といった思いが意識に昇ると僅かに体を震わせたが、武者震いであると自分に錯覚させようと彼女の肩に触れた。
時には勢いも重要だ。そのことを本能的に再学習しようとしてたのかもしれない。
俺はそのまま顔を近づけ、キスをした。軽いキスを一度。唇を離して見つめ合い、もう一度。
それからゆっくりと深く、親密なキスへと進めていった。深呼吸のように深く、安らぎを持たせるように。
次第に舌を絡ませ、他人の唾液を味わうのは久しぶり。体温の温かさを体験してから口を離すと視線を下げていく。
腿に手をおくと柔らかく、白く光沢があるようにすら感じられた。
クンニを始めると彼女は「んん…」と小さく喘ぎ、僅かに湿ってくるのが分かった。
これならいける。そう思って俺は自信を取り戻しつつあった。
クンニを続け、彼女の吐息が一拍激しくなる。顔を上げると微笑んでおり、それから両手を俺の顔に伸ばしてきた。
再びキスをすると、今度は彼女が俺の陰茎を咥えてフェラを始める。
その時俺は見下ろすように彼女の顔を見た。相手の顔をこれほどじっくり、間近で見つめるというのも久しぶりな気がした。
彼女は熱心だった。一心不乱にフェラを続け、視線はまっすぐ前を向き、熟考するように視線を逸らさなかった。
おかげで俺は照れることなく彼女の顔を凝視できたわけだ。実際、キスの時でも見つめ合うのが続くと照れてしまって自分から目を逸らしてしまうのだ。
自分のものが固くなっていくのを感じ、十分に勃起すると彼女は口を離し、今度は俺の背中に手を回す。
抱き合う形で倒れ込み、俺が上になって彼女が下。
俺は手マンを始めようと大陰唇に手を持っていき、暗闇の中で鍵穴を探すように指を慎重に滑らせた。
挿入口を見つけると地に沿って這わせるように中指、薬指を射し込んでいき、ぬめり気は十分あるように感じれた。
そのあと膣内を刺激するように指の腹で何度か押し上げ、ミミズのようにずるずると退行させると再び奥まで指を滑らせる。
彼女は淫靡な声を、どうしようもなく漏れてしまった…といった風に漏らし、嬌声は理性を破壊する。
俺は丁寧に指を抜くと、仰向けになった彼女の胸を触り、揉み、それから腿の付け根付近に手を落ち着かせると膣に陰茎を向かせた。
挿入は一度二度、滑らせるだけで無事に出来た。
そのことにホッとしながらも次の瞬間にはその安堵が表情に現れないよう苦心した。
ゆっくりを腰を振る。気持ちよさは後から付いて来た。最初は腰の具合と体力の不安について。何とか大丈夫そうだ。
ゆっくりでもいい。それでも良いと思えるのは年の功だと思いたい。
次に彼女が上になり、騎乗位となる。こちらを慮るように彼女が自ら積極的に動いた。
気持ち良いですか?と聞かれ、頷いた。彼女は満足そうに笑みを見せた。
ありがとうございます、と彼女は言い、胸鎖乳突筋の辺りから一筋の汗が流れて見え、それがEカップほどの胸へと流れていく一筋の汗が非常にエロティックに感じられた。
そのあと彼女は四つん這いとなり尻を向け、俺は尻へと腰を密着させる。
彼女のお尻は大きく、陰部は強調させれ見えた。俺は手マンをしてから挿入した。
自分では気づかないほど燃え上がっていたのだろう。僅か数度腰を振ると、俺は射精した。
息を殺して小さく鼻で深呼吸したことがまるでバレていたかのように彼女は振り返って、俺を確認した。
自分の予測が的中したのを確信した顔というのは、男女ともにそれほど違いがない。その顔を俺は知っていた。
彼女はどうしますか?と言わんばかりに俺を見つめてくる。急かすような態度ではない。あくまで穏やかに。
俺はもう一度正常位をしたいといった。いいよ、と彼女は笑みを見せながら陰茎に着けられたゴムを外し、それからティッシュで優しく包み込むように拭った。
行為が終わると、並んで横になった。
気持ち良かったですか?と聞かれ、首肯した。
お兄さん、ちょっと珍しいかも。そう言われて思わずえ?と聞き返す。
挿入前に、いつも先に指を入れていたでしょ?と言われてドキッとした。
自分は確かに挿入前に手マンをする癖があった。あまり意識したことはなかったが、改めて言われると確かにそうであった。
そこで過去の記憶がぶわっと蘇り、初体験の時にうまく挿入できなかったことを思い出した。
それ以来、挿入前には手マンをすることで相手の膣の位置を正確に把握しておく。謂わば指は予行演習だったのだ。
四十も過ぎれば恥も忘れるので、俺は素直にその経験を話した。彼女は興味深そうに俺の話に耳を傾け、なるほど!と得心した様子だった。
彼女は肯定するような笑い方を見せた後、ぽつりと一言こういった。
俺はなぜかその言葉がとてつもなく深い箴言のように感じられた。
俺のつぶやきに彼女は「そうですね」といった。そのときも手は握りあったままだった。
店を出てからも興奮は完全には収まらず、しかしそれは性的ではなかったように感じられた。
一駅分を歩きながらじっくりと考えた。
セックスの仕方について、友人知人と詳細に語り合ったことはない。
だがそれは大半の人間がそうなのであろうと思う。
それでも。
関東にいた頃は知らない人と喋るってこと自体そもそもなかった。
大学の帰りにふらっと入った商店街で、おばちゃんに「あんた、どこの子?」ってな感じで唐突に話しかけられた。
それまで都市伝説みたいに聞いてた「大阪のおばちゃんは飴をくれる」ってやつ、本当にあるんだなぁって思ってその時感動したんだ。
しかも、それっきりじゃなかった。在学中に何度か似たようなことがあって、道を聞いたり、どこのお好み焼きが美味いか尋ねたりしただけなのに、気づけば飴が手元にある。
で、ある日ふと思ったんだ。
おばちゃんたちって、飴どんだけ持ち歩いてんだ?って。
疑問が湧いたら、もう止まらなかった。これは研究するしかないと思ったんだ。
真面目な話、社会文化の観点から見た地域性と贈与行動の関係っていうテーマにもなりそうだったし。
でもまぁ正直、ノリと勢いのほうが強かったと思う。
サークルの仲間に相談したらみんな乗り気でさ。すぐ賛同が集まって、後輩やら知り合いやらにも声かけたら、最初に20人ぐらいが集まった。
作戦はこうだ。
最初は自然に天気の話とか、買い物袋が重そうですねとか、そんなとっかかりから。
そして、さりげなく褒める。「その服、オシャレですね~」とか「髪型素敵ですね」とか。で、最終的には飴をもらえるかどうか。
これを20人で一人ずつやる。少しだけ間を空けて、見失わず、なるべくバレないように。
実行して結果はというと……なんと全員、飴がもらえた。
俺らは慌てて増員をかけた。
協力者を呼び、LINEを飛ばし、ゼミのメンバーまで巻き込んで、結局50人近くがチャレンジした。
でも、それでも――飴は、尽きなかった。
おばちゃん、手提げバッグひとつで歩いてたはずなのにどこからどうやって、そんなに飴を出しているのか。
全員がもらえたことも衝撃だったけど、何よりも「話しかけてきた50人の若者全員に飴を自然に配る」っていうおばちゃんの行動に、俺たちはもう完全に打ちのめされた。
その日の打ち上げではみんなで「あのおばちゃん、絶対ただ者じゃない」と語り合ったのは言うまでもない。
たぶん飴配り界のレジェンドだったと思う。
ちなみに卒論にはしなかった。
6月から梅雨だし、7月以降は今年もクソ暑い夏になるだろうから万博に行くとしたら5月中くらいしかないかと思い、平日に有休を取って行ってきた。
感想はもうタイトル通りだけど、俺はつまらなかったな。もう行かない。
まずガイドブックを買って、なんだかよく分からないけど凄そう、ワクワク感があるみたいなパビリオン(三菱未来館とか)に目星を付けて抽選予約したけど全部ハズレ。前日予約も取れない。とりあえず何かのパビリオンの予約だけではしておいた方がいいかと当日予約をしようとしても、予約画面で△になっているパビリオンがあっても、いざ予約画面に進むと「パビリオンの予約が確保できませんでした」の画面ばっかりになり、もう当日予約は諦めた。
コモンズが行列しなくても入れるぞという話を聞いていたので、じゃあコモンズと比較的空いているパビリオンを回るプランで楽しむことにしたわけ。
ただ。コモンズは確かに行列なしで入れたけども、展示物が民芸品みたいなものが多く、初めの方こそは楽しく見れたけど、だんだんどれも同じようなものに見えてくる。たぶん純粋に楽しむには前提知識がいるんだろうな。展示物に対する説明も少なかったし、ふーんって感想で終わりがち。
モンゴルの展示はモンゴル帝国に関するもので、社会の授業で習った前提知識があったからこそ結構楽しめたけど、それ以外はというとな。
あと、どういったものがその国で食べられているのかという、おそらくその国のメーカーの食品の展示もあって、これは割と興味があったけど、興味を持ったところで買えるわけじゃないから、ふーんで終わるのが辛い。
今回回ったコモンズじゃない海外パビリオンは全部で7つで、概ね40分~1時間くらい並ぶと見れた。
ただ、このパビリオンって映像を見る系が多くて、良く言えば「メッセージ性」、普通に言えば「意識高い」、悪く言えば「ポエム」、もっと悪く言うと「説教臭い」って感じの内容で、並んで疲れているときに見ると、何で俺は1時間も並んでこんな説教臭い動画を見なければならんのだろうと我に返ってしまうから大変よろしくない。露骨な悪口になるから、具体的な国名は上げないけど、映像を見せられる系はポエム率や説教率は結構高いと思うぞ。入りやすいパビリオン≒人気がない。つまり、そういうことなんだよね。
それに映像を見せるだけなら、もっと人を入れて回転を早くすればいいのに。
パビリオンの悪口だけで終わるのもアレだから、入りやすくて興味深かったパビリオンとしては俺はモザンビークを上げる。
内容としてはモザンビークの技術自慢みたいな感じ。技術自慢と言っても、見てると拙いしそんなに凄いかと思ってしまうけども、モザンビークは若者率がものすごく高いらしく、どんどん新しい技術を取り入れて社会を向上させているという紹介で、開発者がドヤ顔で解説してる動画もあり、ものすごくポジティブなエネルギーが感じられた。
コモンズの方でもいくつかあったけど、アフリカ系の国(トーゴとか)はうちの国は凄いんだぜ!!みたいな展示がちょくちょくあり、ああ、俺が万博で見たかったのって結局はこういう見知らぬ国のなんだかわからない凄そうな展示なんだよなと実感したな。
あと、博物館みたいな作りになっていて並んでいる人の割に回転がとにかく速いスペインパビリオン、来場記念にポンチョみたいなものを貰えるブラジルパビリオンは良かったな。
ミャクミャクくじでも引いてみるかと思ったら、オフィシャルストアは長蛇の列で入店制限が掛かっているし、大屋根リングを歩くかと思ったら人が多すぎて渋滞を起こしているところがちょいちょいある。飯を食うかと思ったら、行列がひどい。パビリオンの時間待ちもあったし、コンビニで飯を買って並びながら食った。
いかんせん人が多すぎることが不満の原因になっていることも多い。行ってみたいパビリオンに全部落ちていけなかったのもそうだし、ポエム動画や説教動画だって待ち時間が短くなればそんなに鼻につかず、純粋にメッセージ性を受け入れられたかもしれん。
とはいえ今の時点でも、想定より来場者が少ないのにどう見てもキャパがオーバーしてるしか考えられん。
これから徐々に来場者が増えだすという人はいるけど、そうなったら俺が行くことはもうないだろうな。1時間待ってようやく得られたご褒美がポエム動画なのかどうなのかという感じだったのに、これが2時間待つハメになったらどうするんだよ。もっとひどい悪口に変わってしまうだろ。
なんで世間ではちょっと馬鹿にされてるのかずーっとピンとこない
池袋最高。
たまたま働く場所が池袋になったため10年ほど前に池袋にアクセスいいところに引っ越した。
その会社にはもういなくて今はほぼリモート仕事だからどこに住もうが自由なんだが
好きジャンルのコラボカフェなんてほぼ100%池袋開催だから開催されたらほぼ週1〜3くらいで通えるし
服は最近ほぼZOZOだけどまぁパルコかルミネ行けば目星いブランドは大体揃ってるし
何ならハロウィンじゃなくてもたまにレイヤーがうろうろしてて楽しいし。
他の街じゃ絶対にこれ味わえないだろ…と思う
他によく行くの下北か原宿か渋谷だけど観劇・買い物以外の用事があまりない
10年通っててもずっと楽しいのでこの先もずっと楽しいんだろうな
推しジャンルない時でも楽しいから、なんかもう街の雰囲気が好きなんだと思う。
オタクウェルカムな雰囲気で、仲間っぽい人たちがそこら中歩いてて、
アニメ関係ないただの公園とかデパートの屋上とかで1人でご飯食べるのとかも好き。
通いすぎててどこに何かあるかかなり把握してるから動きやすいってのもあるかも。
私は普通に地方出身で当時は辛うじて街に小さいアニメイトあるくらいで
本当に大好き。
いい歳になってきたけどオタクは一生オタクなんだなって分かってきた。
何となく横浜とか湘南とかに移住計画立てたこともあったけど、池袋遠くね!?で全部諦めた
池袋周辺にずっと住み続けたい。
お悔やみ申し上げる
私は愛猫が行った時、早く焼いてあげなくちゃと思った。遺骸が傷むのをみるのが絶対に嫌だったし、本猫にもかわいそうな気がしたから。急いで焼いてしまって少し後悔している。幸い増田は寒い場所にいるようだから急がなくてもいいかもしれないが。十分お別れの時間をとってあげてくれ。
段ボールの棺を作ってお花をいっぱいに入れて、ちゅ~るなんか備えて葬式をやるんだよ。残されたものは葬式をやるしかないんだ。
三が日は休みなのかどうか知らんが、ペット霊園を探してくれ。自分のとこは段ボールごと預かってくれて自分で炉を閉めるとかなかった。遺骨は自分で納めた。
増田に家族や友達がいるなら、評判のいいペット霊園を探してもらいな。
うちはまあ寿命で、獣医にもそろそろだと言われる状況だったので焼いてもらえるところとか事前に目星をつけてたんだよね。毎日衰えていく様子を見るのは辛かった。最期の一月は毎日泣いて抱っこしてたよ。泣き声ばっか聞かせて愛猫には悪かったかもしれない。書きながらまた泣けてきた。うちは来月で4年。
心より増田の心配をするし、益田の喪失感に共感している。とにかく数日以内には葬式をする気持ちの切り替えができますように。合掌。
数年前に我が家の猫が外に出たきり帰ってこなくて猫探偵に捜索をお願いしたことがある。「猫探偵ってww なにそれ?」と思う人がほとんどだろうけど、猫探偵とかペットレスキューで検索すると出てくる。ペット探しのプロがいるんだよね。
興味津々だったので仕事の内容を詳しく聞いたんだけど、一番最初は依頼主の家のまわりから徐々に捜索範囲を広げていって、かなり広い範囲を深夜に歩き回って猫を見かけたら地図上にマッピングしていくそうで、実際に一週間くらいかけてチェックした地図を見せてくれた。
そこから先はいろいろノウハウがあるらしく、目星をつけた場所に餌や監視カメラ(盗撮で使われるようなすごく小さなヤツ)を置いて、最後は捕獲器を仕掛けて捕まえるとのこと。結局、ウチのコは猫探偵に頼む前にすでに事故で亡くなっていたことがわかって捜査は打ち切りになったんだけど。
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
大きな岩を動かすとかじゃなしに
会社辞めてしまって、家族がお金を稼ぐことをやりなさいって言ってくるので、しかたなく、スマホアプリ作ったり、営業というか仲介業みたいなのとかレンタルおじさんもどきとか色々やってるふりしてたけど
結局家族の目をごまかすところが重要になってて窮屈だし、あんまり人の役に立てなかった
と思ってたら家族が減って行ってプレッシャーが無くなったと思ったんだけど、今度介護とか家業とかがやってきた
1年か2年か10年くらいかわからないけど、色々整理して、ようやくやりたいことのスタートが切れる目星がついてきた
となってもまだビビッて始められない