
はてなキーワード:白線とは
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
近所の男の子と毎朝いっしょに登園して、砂場で山をつくって濡れた手のひらを見せ合って笑った。スモックの袖口がいつも砂だらけで、帰り道に手をつなぐと体温がうつって、胸のあたりがふわっと軽くなった。あれを好きって呼ぶんだと、そのときの私は直感的に受け取っていた。
小学生になって、次はリレーのアンカーの男の子。運動会の午後。白線の粉の匂い。小太鼓の音。バトンを受け取ってからの加速。私は声が勝手に大きくなって、ゴールの瞬間、歓声にまぎれて「かっこいい」と口が勝手に動いた。誰にも聞かれていない告白。家に帰ってから名前をノートの隅に何度も書いたり消したりして、自分だけの秘密みたいに抱え込んだりしていた。
中学。ここから空気の密度が変わる。部活の先輩…女の人に、本気で恋をした。最初は憧れだとずっと思っていた。体育館の照明が木の床に反射して、バッシュがきしむ。タイムアウトでポニーテールを結び直す仕草、額の汗をタオルで押さえる動き。ホイッスルの音にふっと目を上げる横顔。休憩時間の給水機の前、首筋に貼りついた髪を耳にかける指先。スポーツドリンクの甘い匂いと、松ヤニの匂い。目が離せない。視界の中心が、先輩の輪郭に勝手に合焦してしまう。
部室の隅。先輩のシューズ袋に縫い付けられた名前の刺繍を、何度も目でなぞる。自分の指で触れてしまいたくなってばかみたいだなと何度も心で笑って、でもまた見てしまう。練習後の帰り道。駅のホーム。電光掲示板。19:04発。先輩は反対側のホームで電車を待つ。私は角柱の影から、見えないふりをしながら、ちらっとだけ見る。イヤホンを片耳だけ。何を聴いてるんだろう。電車が入ってきて、風が押し寄せて、視界がざわっと乱れる。発車してガラスに映った自分の顔が少し赤い。帰りの車内。LINEを開いては閉じる。文面を打っては消す。送信ボタンの上に親指を置いたまま、停車駅が過ぎる。送れない。送れない。ほんの数センチ上のうえから親指が動かない。動かせない。こわかった。ただそれだけ。
これって変なのかな。おかしいのかな。
教室で友だちが恋ばなをして、クラスの男子の名前が飛び交う。私はうなずきながら、別の方向を見ている自分に気づく。家に帰って検索窓に打ち込む。「女の先輩 好き 変」「女の子 好き 正常」。画面には“レズビアン”や“LGBT”の文字。救われた気も、同時に苦しくなる感じもした。あ、名前があるんだ、っていう安堵。けれど、その名前に手首をつかまれて、列に並ばされる感覚。(私は、列に並びたいんじゃない。ただ、先輩が好きなだけなんだ。)
放課後の公園。秋。ベンチのとなりでも友だちが「最近、誰か気になってる人いるの?」と聞いてきた。喉が熱くなる。言えない。「いないよ」と笑って答えた。嘘。帰ってからノートに書く。私はレズビアン?と書いて、すぐに消す。紙が毛羽立つ。私は、先輩が好きと書き直す。これだけは本当。
図書室。窓際の席。ページをめくる指が勝手に止まる。先輩が本を借りていく背中。カウンターの職員に返すとき、少し猫背になる癖。レジ袋の持ち手を指に引っかけて、肩にかけ直す動き。日常の切れ端がいちいち胸に刺さる。映画より鮮やかなワンカット。私はその画面の外側に立っている観客で、でも登場人物でもある。(追いかけたい。名前を呼びたい。何か言いたい。何も言えない。)
冬、期末が終わって、部室で小さな打ち上げ。紙コップのココア。先輩が笑う。紙コップに口紅が少しつく。私は笑って、うなずいて、たいしたことのない話をして、夜に帰る。駅のホームで冷たい空気を吸い込みながら思う。(私は、私が思っているよりも、ずっと深く先輩を好きなんだ。)
高校に入ると、少し距離が生まれた。部活も違う。校舎も違う。新しい生活。クラスには優しい男子もいて、映画をいっしょに観に行って、手をつなごうかどうかみたいな空気が一度だけ流れた。嫌ではなかった。むしろ、あのとき手をつないでいたら普通に付き合って、普通に卒業して、普通に別れて、普通に大人になっていたのかもしれない。そう思うくらいには自然だった。でもあの中学の先輩を見たときの、視界の焦点が合う感じ。呼吸が変わる感じ。世界の照明が一段変わる感じ。あれは起きなかった。
答えは出ない。
わからない。
レズビアンという言葉に救われた夜が確かにあった。検索結果の海で沈みそうになった私を浮かせてくれた浮き輪。けど浮き輪にしがみつき続けると、岸に上がるのが遅れることもある。ラベルは、入口だ。出口ではない。私は「レズビアン」という言葉を否定したいんじゃない。誰かを守るために掲げられた旗の力を、私は尊敬している。ただ、その旗の下にずっといなきゃいけないと決められることには静かに抵抗したい。
だって私の恋は、いつも固有名詞から始まる。幼稚園の彼、小学校の彼、中学の先輩。順番じゃない、確率でもない。パターン化した私の性向より、先に立ち上がる人の匂い。声。歩幅。恋はまず、あの人、から始まる。性別はない。カテゴリーはあとから。余白に鉛筆で書き添えるメモにすぎない。
中学の先輩に揺さぶられていたあの頃の私は「私はレズビアンなのか」という問いに追い立てられながら、同時にこうも思っていた。(私は、先輩が好き。以上。)これが真実の最短距離だった。レズビアンという言葉に私はときどき救われ、ときどき窮屈になった。救われたのは、同じ経験を語る声に出会えたから。窮屈になったのは、言葉が私を“こうであるべき姿”の型に押し返してくるから。(君は女子を好きでいるべき。男子を好きになったら矛盾だよ。)
そんなことはない。私は、好きになった相手を好きになる。それだけだ。
もし過去の私に伝えられるなら体育館のベンチでタオルを握りしめていた自分にそっと耳打ちしたい。「焦らなくていい。は急いで選ばなくていい。あなたは今、たしかに恋をしている。それがすべて」と。
肩書きが盾になる日もある。
けれど、その盾で自分を殴らないで。
価値観のラベリングはあなたを守るために使って、あなたを狭くするためには使わないで。
私はレズビアンではない、と言いたいのではない。私は「レズビアンでしかない」わけではない、と言いたい。
あの体育館の照明。夏の汗。紙コップのココア。ホームの電光掲示板。未送信のメッセージ。全てが愛おしく、全てが切なく、そのときの感情の機微全てが私だった。あの瞬間瞬間全てが、私の恋だった。
(byGPT-5 Thinkingon ChatGPT.com)
わたしは半影。
光と闇のあいだ、縁(ふち)に沿って生まれては、縁に沿って消える。
名前がなかったころ、ひとはわたしを気にも留めなかった。午下がりに白いカーテンがふくらむとき、戸口の敷居にやわらかな灰色が落ちるとき、わたしはただ在(あ)った。誰かの横顔にかすかに触れ、誰かの言葉の最後の音を拾っては、つぎの縁へと移った。
わたしが「初恋」という音の形を知ったのは、商店街の写真館の奥、暗室の戸が少しだけ開いていた夜のことだ。赤い明かりの下で若い男がフィルムを揺らしていた。湊(みなと)という名だと、別の日に彼の友人が呼ぶのを聞いた。
現像液の匂い、濡れた透明。湊の手は水面の光を撫でるみたいにやさしかった。戸の隙間からこぼれる赤が、わたしをかたちにした。彼がふと顔を上げて言う。「半分だけ写ってるな、でもそれがいい」
その言葉はわたしへの挨拶だった。わたしは戸口から室内へ、敷居という境界をまたいで、初めて自分の輪郭を保てた。彼は顔も上げないまま続けた。
「おまえ、名前がいるな」
彼はわたしを見ていなかった。けれど、半分だけの視線がいちばんよくものを見抜くことを、わたしは知っている。わたしはそっと彼の肩の影に寄り添い、声を探す。風が糸口になった。
――ペナ、と呼んで。
彼は驚いたようにまばたきをして、笑いながらうなずいた。「ペナ、か。ペナンブラ。半影。いいな」
その晩から、わたしはひとつの名を持った。名は重りであり、舟でもある。縁に引かれてばかりだった体に、初めて行き先という重みが生まれた。
*
湊は、縁に立つのが好きなひとだ。暗室のドアを半分開けたまま。障子を桟(さん)一枚だけずらして朝の光を漏らす。駅のホームでは、白線のすぐ手前。彼の言葉も半歩だけ余白を残す。
彼はよくそう言いながら、現像した写真を指の腹で撫でた。半分だけ写るもの、切り取りの端で震えるもの。わたしはそこに宿って、彼の指先の温度を覚えた。
「光の外側に、ほんとうの色がある気がする。目がそこに慣れる前に、すぐ電気をつけてしまうから、見逃すんだ」
わたしは笑って、彼の耳元で囁く。
――見えてるよ、湊は。わたしを見つけたでしょう。
彼は振り返らない。ただ、やわらかく頷く気配だけがある。わたしは名前を呼ばれるたび、濃くなったり薄くなったりしながら、湊の生活に縁として染み込んでいった。
放課後の路地で、わたしたちはよく遊んだ。西日が電線を太くし、風が洗濯物を大きくするとき、ペナは人の形を取れる。湊はチョークで地面に丸を描き、そこに立つようにと言う。丸の縁にわたしは重なる。ふたりで輪の中と外を交換した。湊が輪に入ると、わたしは外で彼の輪郭をなぞる。輪の外は世界だ、と彼が言った。輪の内は名前だ、とわたしが返した。
初恋というのは、最初に覚える偏(かたよ)りのことだ。人は誰かの声の高さや歩幅や誤字の癖を、理由もなく自分の中心に置く。わたしは湊の「すこし足りない」を自分の中心に置いた。どんな光の下でもそれを探すようになった。
*
ある日、町の掲示板に青いポスターが貼られた。小さな天文台の閉館と、来夏に起きる金環日食の告知。わたしはポスターの銀色の輪に吸い寄せられる。輪は、光の中の穴。穴の縁にだけわたしは生きる。けれどポスターの文字は、別の真実を囁いていた。
――金環の日は、半影が世界を覆う。
嬉しさと怖さが同時に走る。世界中がわたしになったら、わたしはどこにいるのだろう。縁が全体になるということは、縁が消えるということでもある。
わたしは湊に話した。彼はコーヒーの湯気を見つめながら、しばらく黙って、それからうなずいた。
「天文台に行こう。ドームの中、あそこは光の穴だらけだ。君にはちょうどいい」
君、と彼は言った。ペナ、と呼ばれるよりも、わたしの輪郭を濃くする呼び方だった。
天文台は坂の上にあり、昼でもすこし暗い。年老いた学芸員がいるだけで、人はほとんど来ない。ドームの白い壁には小さな穴が無数に空いていて、晴れた日には小さな太陽が床に並ぶ。光の数だけ、縁も生まれる。わたしはめまいがするほど豊かになり、笑いながら床一面を駆けた。湊の影がゆっくりと伸び、わたしの裸足に絡んでくる。
「金環の日、ここで名前をもうひとつ持ちなよ」と湊は言った。「君が望むなら、人の名前を」
人の名前。
生きるというのは、縁から中心へ移ることでもある。わたしはうなずいた。欲望の形が初めてはっきりした。縁に生まれ、縁に消えるだけのわたしに、たった一度だけ中心が欲しい。たった一度でいい、その中心に湊が座っていてくれたら。
「でも」とわたしは聞いた。「代わりに、なにを失うの」
湊は、チョークのような指で空中に円を描き、笑った。「人はいつでも、なにかを半分失ってる。君が持ってない半分をこっちでわける。君の半分も、僕にわけて」
彼の言葉は約束というより、輪の仕組みの説明に近かった。輪の外は世界、輪の内は名前。二つはいつでも触れ合っているが、完全には重ならない。
*
金環日食の日は、町じゅうが紙で作った小さな穴を持ち歩く祭りみたいだった。木漏れ日の下では、地面に無数の光の輪が降る。天文台のドームの中は静かで、遠い歓声だけが波のように届く。
湊は床に白い紙を敷き、穴を空けた金属板を何枚も吊るした。光の粒たちが床に並び、輪が重なって新しい輪を生む。縁の庭。わたしはそこに立つ。
「人の名前は、呼び捨てにされたとき、いちばん強くなるんだよ」
わたしはうなずき、胸のうちに空洞を作った。そこに新しい音が落ちる余地をこしらえる。湊は、静かに、しかし迷いなく言う。
「環(たまき)」
輪を意味する音が、わたしの中心に落ちた。縁だったものが内側からきしみ、組み替わる気配。痛みはなかった。ただ、世界の密度が変わる。空気の温度が一度だけ違う。
わたしは初めて、自分の足で床の冷えを感じた。掌に汗がにじみ、唇が乾く。光が眩しすぎないことを知る。影が怖くないことも知る。
――環。
呼ばれるたび、わたしは人になった。
そのとき、ドームの外で歓声が大きくなる。太陽の中心が欠けて輪になったのだ。天文台の穴から落ちる光も、すべて細い輪に変わって、床の上で震えた。輪と輪のあいだ、半影が揺れる。わたしはその渦の中心に立ち、湊の方へ手を伸ばした。彼の掌がわたしの指を確かめるように握る。温度と脈が、わたしという器の底を鳴らす。
「環」と湊が呼ぶ。
「湊」とわたしが呼ぶ。
世界はほとんど音でできている。音は名前の泉で、泉の縁にだけ、わたしたちは安全に立てる。
そのとき、突然、ドームの空気がひやりと変わった。輪の細さが極まって、光と影が互いに少しだけ不器用になる。世界が一瞬だけ、縁を失いかけたのだ。
手がほどけた。わたしの体の縁が波打つ。人であろうとする中心が、わたしの古い習性――縁に逃げる癖――に引かれる。
「環」
湊は落ち着いた声で、もう一度呼んだ。音がわたしを連れ戻す。
彼はドームの穴の向こう、細い昼の川のようなリングを顎で指し示した。「見えるか。輪は完全に閉じない。ほんの少しだけ、接いでいないところがある。そこが君の、出入り口だ。恐れなくていい」
彼の声は嘘を知らない。嘘のない声に抱かれて、わたしは自分の体の縁を自分で撫でた。輪の合口(あいくち)はたしかにどこかにあり、そこから呼吸は逃げていくが、また戻ってもくる。わたしは息を吸い、吐いた。
金環はやがてゆっくりほどけていく。輪は欠け、欠けた輪はふつうの太陽へ戻る。ドームの床の輪も消え、光の粒はただの丸になる。わたしの足は床に残っていた。
人の名前はまだ胸にいて、湊の手はまだ、わたしの指を握っていた。
*
人になってからの時間は、やたらと質感に満ちている。靴擦れ、箸の冷たさ、雨の日の髪の重さ。光はいつだって眩しすぎず、影はいつだって深すぎない。わたしは写真館の手伝いをはじめた。暗室の赤い灯りは、昔のわたしを思い出させるが、もうそこに戻る必要はない。
客が「半分だけ写ってしまった」と残念そうに言うと、わたしは微笑んで答える。「半分が綺麗なんです」と。
湊は、わたしを「環」と呼び続ける。ときどき、「ペナ」とも。二つの名は衝突しない。輪の内と外が穏やかに触れているだけだ。
もちろん、代わりに失ったものもある。わたしはもう、誰の家の敷居にも勝手に入り込めない。通りすがりの恋人たちの秘密の会話を拾えない。夕立のカーテンの裏側から、世界をいくらでも覗くことはできない。
けれど、わたしは湊の初めての寝相を知っている。彼のくしゃみの前触れも、湯呑みにつく口紅の跡に彼が少し照れる癖も知っている。失ったものは風景で、得たものは暮らしだ。暮らしは縁と中心の往復でできている。朝の窓の縁に植木鉢を並べ、夜のテーブルの中心にパンを置く。
*
秋になって、天文台の閉館の日がきた。学芸員は最後の投影を終え、ドームの穴を粛々とふさぎはじめた。
わたしは湊と二人で坂をのぼる。ドームの中はもう暗く、穴をふさぐための丸いパッチが内側から貼られている。天井は、星が眠る前のように静かだ。
「ありがとうを言いに」と学芸員は言った。「君のような顔を見たから、長年の仕事が報われた気がする」
彼はわたしではなく、わたしたち二人を見て言っている。縁だけを見抜く目だ。
帰り道、坂の途中で足を止めると、町の灯りが半分だけ点いていた。夕飯の匂い、遠くの踏切。風に運ばれてくる音は、輪の合口のように細い。
「ごめんね」
「ちがうよ。失敗の中に、君が立ってる。そこが好きなんだ」
彼はそう言って、笑う。歩き出す足どりは軽い。輪の外へ、輪の内へ、ふたりで交互に踏み出す感じがする。
わたしはふと、世界じゅうの縁にむかって心の中で挨拶した。ドアの隙間、カーテンの波、踏切の警報機の影、傘の中で湿った髪。わたしを育ててくれたすべての縁へ。
――わたしはここにいるよ。
初恋は、治らない。
治らないというのは、傷のことではなく、習慣のことだ。わたしはこれからも、少し足りないものを愛し、少し余っている部分を目で追うだろう。湊は、完璧の手前で笑い、わたしはその笑いの縁に寄り添うだろう。
帰り道、わたしたちはコンビニでアイスを買った。レジの上の蛍光灯が、湊の横顔に薄い陰を作る。わたしはそこに自分を見つける。それはもう、かつてのような居場所ではない。けれど、愛着は、住むところよりも、寄りかかるところに生まれる。
外に出ると、夜が来ていた。はっきりした影が地面に落ちる。かつてのわたしがそこにいる気がして、わたしはしゃがみ込む。地面の黒を指でなぞり、笑う。
「こんばんは、ペナ」とわたしが言う。
「また明日ね」と影が言う。
「昔のわたしに」
「そうか」
彼はなにも問わない。
わたしたちはアイスを齧りながら、家へ帰る。縁が暮れて、中心が灯る。灯りの縁では、いつでも半影が揺れている。そこからわたしはやってきて、ここにいる。これがペナンブラの初恋の、その後の話だ。初恋は終わっていない。ただ、暮らしになっただけ。輪の肌ざわりは、今も指先に残っている。
路側帯・・・歩道のない道路や歩道に接していない側の道路の路端に設けられた帯状のスペースのことです。白線で区画されており、主に歩行者や軽車両(自転車など)が通行するために利用されます。
ぶつかりおばさんは割と認知されてきた印象あるけど
「男は車側を歩こう!」を路上ですれ違うだけの見知らぬ男にも強要する女性たちのことなんだけど
みんなはおかしいと思わないのかね
俺が路側帯をまっすぐ歩いているときに、横の小道から女が出てきてこちら側に歩いてくる
その時に俺と建物の狭い隙間に強引に突っ込んでくるんだよね
明らかに「そっちの安全な側が私の通る道なので道を譲れ」って態度で歩いてくるんだよねぇ
車と俺と対向者の女が被ったとき、女がL字側溝の上まで寄ってくれればみんなが安全にすれ違えるのに
女は路側帯のど真ん中を死守して、俺を車道に押し出すことに躊躇が無い
だから俺は車とぶつからないように女とギリギリのとこまで寄って歩くんだけど、「げっ、キモいおやじが近づいてきた」みたいな顔するんよな
AIにはさんざん愚痴ったけど、これを書いたのはすべて人間です。
丁字路において、私が原付バイクにて直線側を30キロぴったりぐらいで走っていた。
一時停止がある方には車。停止線を越えた先、横道歩道上で止まっていた。ずっと止まっているし、こちらが優先だし、普通にいけるかなとそのまま走行したところ、私からすると「十分引きつけられた上で」車の急発進による右折に遭遇し、確実にぶつかる感覚があったため急ブレーキをかけた結果、路面が濡れていたせいでタイヤが滑り、バイクとともに転倒した。
私はうつ伏せになったまま、しばらく起き上がれなかった。路面に顔から突っ込んだものの、ジェットヘルメットをかぶっていたおかげでひどいことにはならず、ただ、利き手をついたのと、膝を打ったのとで痛くてどうにもならなかった。
右折した車は止まり、ドライバーの男性が下りて「大丈夫ですか」と言って駆け寄ってきた。私は「あぶないよ!」と言ったものの、打ち付けたところが痛くてそれ以上なにも言えなかった。
おそらく後続車のドライバーも出てきてくれて、この方が警察に通報してくれた。この方の帰り際、ちゃんとお礼を言えて良かった。ずっと私のけがを気遣ってくれてありがたかった。
しばらくして警官が二名来たが、わりとすんなり「私の自損事故で処理」ということになった。警官曰く、上司に相談したものの事故が起きたときの、バイクと車の距離が空きすぎていたのでそのような処理しかできないという。
警官がドライバーに事情を聞いたあと、「もう帰っていいですよ」と言ったらしくドライバーはそのまま帰ろうとしたが、私がもう一名の警官に「いや、このままドライバーが帰るのは納得できません。彼は私に一言謝罪するべきではないですか?」と言ったところ、ドライバーはこちらに来て謝ってくれた。
ということは、事故現場に自身を「被害者」と認識している人間と「加害者」と認識している人間がいたことになるが、
[被害者]
[加害者]
被害者の存在しない一時停止違反はペナルティがつくのに、被害者がいて怪我までしている今回の事故についてはおとがめなし。
警官の二人は私に同情的だった。「納得できないとは思います、でも(上司判断なんで)仕方ないんです。ご理解ください」
ちなみに括弧の部分は私の推測だが、処理の理由を説明するにあたり何度も持ち出していたので多分そうだろう。
一警官として私に同情してくれているのはひしひしと伝わってきたが、警察組織の人間としては私の自損事故で処理したので「ドライバーに過失がある」という言質を取られないように必死という感じで、警官の一人は、
と言っていたが、
「私は注意していたのでぶつかる前にブレーキをかけて衝突せずに済みました。それなのに、私にも『注意して』と言われることが理解できません」
と言ったら、それにうまく返すことができなかった。
とりあえず、ぎりぎりまで直進のバイクを引きつけての急発進右折は、バイクがブレーキをかけて転倒して(死んで)も車には一切おとがめなしという警察の見解がわかったので、今後、車に殺されないように気をつけたい。
[追記]
https://maps.app.goo.gl/QpeBxXWqGAAY9vbs6
車は右の道の横断歩道真ん中辺りに頭がある状態でずっと停止していて、自分がマンホール辺りまできたときに急発進、車が道を防いでしまって逃げ場がなくなり全力ブレーキ、そして転倒です。
会社までは20分くらいなのだが途中白線もない細い道路を通らなければならない。歩道もなし。
細さは軽自動車同士なら譲り合ってすれ違えるくらい。
まあ絶対通らなければならないわけではないが通らないとなると大回りのアップダウンがあるのでなるべく通りたい。
だがここ半年くらい前から対向からくるハイエースに何故か幅寄せされる。
もちろんこちらは自転車なので左側通行しているのだが対向のハイエースは道路ど真ん中を走って来て私に近づくほどこちらに寄ってきていつもギリギリに通過してくる。
今のところぶつかってはいないがそのうちぶつけられそうで本当に怖い。
こいつをどうにか合法的に処したいのだがいい方法はないものだろうか。
通勤経路や時間を変える。つまり逃げるのが社会性のある大人のやることではあろうがそんなことは百も承知。
私はこいつを処したいのだ。
わざとあたりに行ったら当たり屋になってしまうし、当たってない今警察に相談したところでパトロールが一瞬増えるだけで何も解決しないだろう。
自分の場合、乗り鉄旅に出るたびに個人的な日記を残しているのだが、試しにそれを公開してみようと思う。
この4連休(金曜日は休暇)は、1泊2日で浜名湖と名古屋圏に出かけてきたので、まずは1日目の分を載せてみる。
反響があれば、2日目の分も載せるかもしれない。
______
2025/3/21(1日目)
寝るのは23時になり、実家に関する夢を見たりもして、あまりよく眠れないままの5時起床。
そう、孤独な今後を考えたら、ネットコミュニティで人間関係を積み上げた方がいいんじゃないかとも思いつつ、何の蓄積にもならない一人旅に。
5時半でも薄明るいんだなと思いながらの電車。
平日なので通勤客は居て、地下鉄に乗ったりすると逆方向からこちらに通った時期を思い出したりする。
今回は「こだま」なのでしばらく待ち、乗っては三島まで寝ていく。
途中降りると一日券と料金が変わらなくなるので、都度の現金精算が面倒で購入。
気動車1両には平日なので20名程度しか居ず、ボックスを占有できる。
有形文化財らしい駅と早咲きの桜がいくつか。
一旦外に出て遠州鉄道の切符を買い、時間あるので車両の写真も撮りたかったが、入線の珍しい2番ホームは本当に2両の車両長ギリギリで前が写せない。
そして12分毎の頻度がわかる程度の混み具合。
街場では高架に載り、入口に入りづらいほど混む。
新浜松は新幹線からも見た2面2線だが、改札は分離しており、片面が臨時ホームなのを初めて知った。
復路ではRewriteのやや薄暗い感動曲を聴いていたが、なぜか急に「もうどうしようもない」と一人で居ることの不安が襲う。
楽しいことをしているはずなのに、親への申し訳なさがたまらなく(だから、この連休も帰らなかった)、こんなふうに逃げ続けてどうするんだろうと思ってしまう。
占いは「周囲の人が同じように悩んでいることに気づければ、孤独感が薄れるかもしれません」とのことだが、それをどうやって知ればいいのか。
再びの西鹿島。
湖岸にはサイクリングロードあるんだとか、そんな明るい水面をしばらく感じては新所原。
昼飯をスルーしての路面電車は、井原カーブのためなので運動公園行に乗る。
その対策のせいなのか、かなり床が高い。
運動公園で車両の写真を撮っては、全線制覇のために赤岩口へ歩く。
細道抜けては車庫が見える。
レールを辿るに、車庫には一旦引き上げて入る形のようだ。
と15分待ったが、乗るべき車両は来ない。
車両故障で遅れとのこと。
可能なら渥美線も乗ろうと飯も食わずに急いだのだが、その意味は無くなった。
しかし、車庫からの仕立て直しが見れたのは珍しいので、先の引き上げ線に撮影。
10分遅れで発車。
行きは気づかなかったが、線路上の路面は見てもわかるレベルにボコボコで、車内はかなり跳ねる。
後発との間隔調整で待ちを食らうが、最前列で車窓とともに聞く車両や運転手替えに慌てる無線も珍しく。
東八町で客がカラの新しい車両を見て、これが当該車両なのかと思う。
後ろは詰まるように続々来る。
携帯の充電も怪しくなってくる。
そして豊橋には快速が居るが、これに乗っても想定よりは早まらない(蒲郡線は30分毎だ)。
こうなったら豊橋に戻らず、近い名鉄線を埋めていくことにしようと、豊川線+渥美線の組み合わせを、三河線(海)に変更すると決める。
蒲郡駅は名鉄も同じ高架ホームになっているが、ここもSuica使えないのか。
名古屋圏なので、うどん屋にはきしめんがあり食べようとするが、こちらも新札不可。
というか、自分以外誰も居ないし店内は薄暗い(そういや、路面電車内も暗かったな)。
これでよく営業できてるなと思って入口見たら、月曜から木曜まで休みらしく、こうして食えたのはかなりの偶然なのね。
ホームにはワンマン専用車が居て、車内には蒲郡線と広見線の運賃表がある。
そのうち複雑な湾口が見えてくる。
そして西尾線に入るが、高架だったりするけど特筆すべきはあまりないかも。
こちらは乗る人がそれなりに多いものの、刈谷でJRに絡むくらいでこちらも特筆無し。
あとは車窓が暗くなってもよいので、ずっと座りっぱなしでもあったし、動画で見た「碧南レールパーク」なる廃線跡を2.3km歩く。
碧南の新しい駅前広場を左に曲がり、駅に停まる車両を撮っては、道路越えて最初の大浜口広場。
大人向けが多い感じの公園遊具にポイント器具や車輪が置いてあり、レールを模した白線が引かれる。
以降、キロ表示を伴う遊歩道となり、玉津浦広場ではホームの高さが残る。
そのホーム跡は両側で挟まれ、すれ違いできたんだろう広さには、子供たちの考えた見慣れない形の遊具が多数。
その先は、矢作川の堤防に上がろうとするレールがぷっつりと切られて終わりとなる物語性。
長かったけど面白い道だった。
帰りは駅に向かって真っすぐ帰る。
あとは復路で、ここまでの日記をスマホにまとめて刈谷で降り、遅れていた特別快速で宿泊地の岡崎には18時半前。
ここで急に花粉を感じだして、感覚がいっぱいとなりつらくなってくる。
一刻も早く顔を洗いたいが、イヤホンの充電を忘れていてケーブルを買わないといけない。
岡崎は駅前から住宅でそういう店が無く、大通りまでけっこう歩く羽目に。
ケーブルは無駄な出費でもあるが、隣のスーパーで値下げの惣菜弁当と水が買えたのでトントンか。
街灯がなんか少なく駐車場だらけの中を戻って、ようやくホテル。
フロントでは名前書いてアメニティもここでもらうタイプだが、花粉でそれどころでなくスルー。
さっそく部屋着になると、先の通り感覚がいっぱいで面倒になり弁当は冷たいまま、花粉対策としてのヨーグルトとまとめて食ってしまう。
そして日記や充電を済まして、改めての大浴場は3人入ればいっぱいなほどの小ささだったが、サウナはあるし、誰も入りに来ないのは逆に都合よかった。
明日もあるので、22時半には寝る。
2日目 →anond:20250323185640
https://anond.hatelabo.jp/20250217215312
https://anond.hatelabo.jp/20250218205326
第三章蜃気楼の帳簿
浦東空港の遅延便案内板が痙攣する。赤いLED文字が「人生の定刻」を嘲笑ふように点滅する。ノートパソコンの画面に踊る香港からの偽装送金データが、リンユイのイヤリングの揺れ方と同期する。湿気を含んだ人民元札束の束が、デスクの引き出しで黴くさい息を吐いている。指先で数えるたびに毛主席の肖像が歪む。「ふるふる」とWeChatが震える度、肋骨の裏側で心臓が監査報告書の表紙を蹴破す。
「印鑑の捺印、明朝までよ」リンユイの声が受話器を越しに蘇州琴の調べになる。領収書の改ざん作業が、街の印刷屋で刷る偽造伝票の速度に追いつかない。USBメモリの存在感がズボンのポケットで体温を帯びる。路地裏で受け渡した男の手の甲に、青い龍の刺青がうごめいでいたことを突然思い出す。
経理システムに毒を入れる瞬間、オフィスの蛍光灯が一瞬暗転する。液晶画面に映る自分の瞳が、翡翠宮KTVのシャンパングラスぞこのように濁っている。エアコン吹出口から舞い落ちた灰が、平成31年度の旅費精算書に小さな黒い星座を描す。その模様がリンユイの泣きぼくろの位置と奇妙に一致す。
監査チームの予定表が更新された通知音と共に、スマホの待受画面が娘の運動会写真に切り替わる。小春が走るトラックの白線が、偽装送金の矢印記号に変形する。汗が領収書のインクを滲ませ、2019年4月が2023年5月に化ける。
深夜のオフィスでシュレッダーが唸す。裁断された紙片が、黄浦江に浮かぶ貨物船の積荷のよう排水口へ流れ落ちる。窓外で雷光が閃いた瞬間、リンユイからの未読メッセージが3件に増えている事に気つく。雨戸が打付けるリズムが、架空発注書の承認印を押す速度と同調しはじめる。
というこで、自転車は常に歩行者用信号に従おうがはてなの総意であります。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/special/lifechat/post_126.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOUA043PA0U4A101C2000000/
こちらは信号無視や改正にほぼ肯定的なコメントが人気コメントになっとりますんで。
これにあわせれば日本の違法状態も肯定すべきことは確定的にあきらか。
sisya この話一番の問題である「自動車運転者が道路交通法を理解していないばかりか、間違ったルールを正しい人に押しつけている」という部分がスルーされているのが残念。自動車運転者の思い込みが事故を生んでいる。
trashcan 歩車分離信号で自転車が自動車用信号で走り出すとわかってないドライバーが多くて轢き殺されかねないので無難に自転車を降りて歩行者として渡っている。
Goldenduck車両なのだがみんな歩行者用を使ってるので正しい運用をするとかえって危険になるバグが発生している/特にスクランブル交差点は歩行者用使わないと死にそう
自動車側が自転車は歩行者用信号に従えって勘違いしてるってことだからこれからは安心。
razik 分離式信号では車用の信号に従うようにしてるけど、周りの自転車がみんな歩行者用に従ってるせいで白い目に見られたり車に怒鳴られたりするので、もっと啓蒙してほしい。
歩行者も自転車も自転車は歩行者用信号に従えって勘違いしてるってことだからこれからは安心。
hazlitt車両として車道を走ってる自転車に「歩行者用信号」の表示をいちいちチェックさせるのは何かが異常> 「いちばん見ていただきたいのは、歩行者用の信号機に『歩行者・自転車専用』という標示板があるかないかです」
歩行者用の信号機に『歩行者・自転車専用』という標示板がない場合、自動車側の信号を見るという複雑な判断が歩行者用信号機のみに統一されるからこれからは安心。
dogdogfactory自転車を取り巻く状況が複雑なのは、取り締まりがなくてみんな自分ルールで走ってるからだよ。警察が厳密に取り締まってルールを守らせればわかりやすくなる。
取り締まりがないなら恣意的に使われるので大多数の自分ルールにルールを合わせたほうが安心。
gpx-monya自転車横断帯のない横断歩道の通行方法が歩行者の有無で変化するって知ってる人まずいない説//ルール遵守も大事だけどルールの中で自分の身を守るようにしていこうな
これはよーわからん。歩行者の有無ではなく歩行者優先で妨げてはいけないってのは歩道上でも同じで徐行や一時停止、降りて渡ろう(歩道と違って横断歩道上で止まるなってことかな)で優先させようってことだと思うんだけど運用上状況に関わりなく歩行者の有無だけで通行方法が変わるようには読めなかった。具体的に有無だけでなにがどう変わるのかな?違うものを見てたかも。
Lian 知ってたけど普段車用の信号しか見ないから「歩行者・自転車専用」表示を見落としてしまいがち。横断歩道の隣に自転車用ゾーンがあるところなんだろうが、白線が薄くなってたりすることもあるし……
明確に覚えているサポーターとしての始まりは、昇格一試合目に行ったことだった。
その前にスワンに行った記憶は、J2初制覇の大宮戦、まだアナログ方式の電光掲示板の横で、その地鳴りのような応援だった。
こけら落としにも行ったらしいが、覚えていない。
こけら落としに行って、2002W杯を観て、ベッカムやロナウジーニョに憧れてサッカーを始めた。2004年、J1に昇格したからと、サッカーの勉強になるだろうと父親が年パスを買ってくれた。そうして開幕戦の東京に行った。
正直その頃には少年サッカーをなぁなぁでやっていたように思う。「シーパス」の為に少年サッカーを続けた。
いつの間にかN2層で飛び跳ねる客は私達家族含めた数名だけになって、私達も後からやってきたおじさんに「私たちは立ちますよ」と断りを入れていたうえで「見えない、下でやれ」と文句を言われて1層で応援をするようになった。
それから、
前半戦だけ優勝を考えた年があった。
流石にもうJ1に居られないのか、と思ったところから奇跡を見た年があった。
その翌年の後半戦は「2ステージでやってれば」と年末のサポーター忘年会で盛り上がった。
その翌年、新潟は少し繋ぐことにチャレンジした。結果は散々で、ギリギリ残留することになった。
ペナルティエリアの白線が壁に見えている前提かのような繋ぐだけのチャカチャカサッカーで、途中で解任された。
そこからあとの降格する前までは、あんまり覚えていない。呂比須サッカーとホニがいれば一年で戻れるだろと思っていた事だけは覚えている。
なんやかんやあって、どちらも開幕前には居なくなった。
劇薬の使い心地が良すぎたせいか、J2落ちてからも2年は途中で監督をすげ替えることになった。使わざるを得ないと言える状況ではあったのだが。
社長が変わって、強化担当が名解説(迷解説)になって、そうしてアルベルがやってきてくれた。夢見るような、本当にバルサのようなパスサッカーを展開するようになった。
2年勤めてくれたあと、FC東京に引き抜かれてアルベルは新天地へ向かった。
松橋さんは新任で、めちゃめちゃ大変な『スタイルを引き継ぎ進化させる』というタスクを、1年目にJ2優勝で、2年目は後半戦の安定した試合内容で、十分に結果で示してくれている。
そうして、9年前、テレビの前で泣き崩れるしか出来ることが無かった決勝の舞台へ連れてきてくれた。
クラブの運営は、前J1にいたときは大半入れ代わり立ち代わりだった編成を、数名の人数で抑えてくれている。
降格する年に上への野心を持ってやってきた男が、「このクラブを強くするんだ」と残ってくれた。降格した年にやってきた男が、その後移籍しないとは、正直思っていなかった。
そのうえで、アルベルが作ったスタイルで「このスタイルでやり続けたい」と選手が残ってくれるようになった。
このスタイルなら成長できる活躍できると、新潟を選択してくれる選手達がやって来てくれるようになった。
初昇格から降格まで、外国人頼みだった攻撃の印象を、今の新潟しか知らない人はもう持っては居ないだろう。
トップチームより先に、レディースも、ユースも、トーナメントのてっぺんを見ている。
アルビだからと行ったけれど、この時の自分は本気で応援できていたのだろうか。決勝を戦うレディースを羨んで嫉妬していなかっただろうか?純粋に楽しめたのだろうか?
11/2には、新国立で、男子アルビレックス新潟にとって初めて優勝のかかる試合になる。
一生に一度目だ。選手には全力で楽しんでもらいたい。一サポーターとして、全力で楽しみたい。
間違いなく、名古屋は最強の敵だ。
でも、楽しんでほしい。楽しみたい。
こんな経験は二度とできない。
この特権を楽しもう。そして、一緒に楽しんでくれる人たちを増やそう。
皆を巻き込んで、ミーハーでも何でも増やして全力で楽しもう。
それがサポーターの一人として、私にできる最後の足掻きだ。少しでも新潟を応援してくれる人を増やして、国立をオレンジと青で染めるための。
全然違うだろ
政治体制が変われば自分のところにくる補助金の額が変わるだろ?
市長でさえ、誰がやるかで道路工事するかしないかすら変わるだろ?
道路の消えた白線を引き直すか引き直さないかですら変わるだろ?
今まで自民党系から補助金や仕事を回してもらってた人は、自民じゃなくなれば、それがなくなるかもしれんだろ?
ないだろ
なんなら腐敗の一部に自分の仕事が組み込まれて、安定的に確実にお金回してもらうほうが幸せだろ
なんで全国民がクリーンで何の優遇もされない、正しい政治体制を望んでると思うんだ?
そんなやつおらんだろ
理想のために投票するような、生活と政治が結びつかないような人間は、正直選挙に行かないでほしいね
正しさで飯食えんからな
何年経っても忘れられないので、整理のためにも当時のことを思い出しながら書き出してみる。
2017年5月19日金曜日9時31分、JR中央線の阿佐ヶ谷駅で発生した人身事故に遭遇した。
参考:該当列車に乗車していた方による記事https://news.livedoor.com/topics/detail/13083711/
通勤でいつも利用している9時32分発の電車をホームで待っていたときだった。
四ツ谷でスムーズに乗り換えるために10号車が停まるホームの端に向かうと、全身赤い服を着た男性がいた。平日朝から派手な格好だな、と思ったのを覚えている。
その日は混雑しておらず、ホームの端付近にはその男性と自分しかいなかった。
間もなく4番線に電車が参ります、と案内が流れ近づいてくる電車の方に目をやったとき、男性がホームからひょこっと降りて線路を横切るように寝転んだ。
あまりにも自然な動きだったので、その行動の意図を理解するのに数秒掛かった。
何故か真っ先に頭に浮かんだのは、人間の身体の60%は水分、ということだった。
ホームの中程にいる人達は皆、停止した電車前方を覗き込んでいた。
見ない方がいいに決まっているのに、どうなっているのか気になって自分も覗き込んだ。
正面から見た電車の外観は、いつもと変わりなかった。意外だった。
稀にニュースで見るひび割れた運転席のガラスなどは文字通り「飛び込んだ」場合のもので、今回のケースだと電車前方のガードの下に入り込んだことで正面から見える部分には変化がなかったようだ。
運転見合わせになったという旨の放送が流れる中、振替輸送を利用するためホームを離れた。チリトリを持って階段を駆け上がる駅員さんとすれ違った。
ふと、自分の膝に小さいピンク色のぷるぷるしたものが付着しているのに気付いた。それが何か考える前に拭き取った。
同僚は、今日は帰ったほうがいいんじゃないか、と声を掛けてくれたが、むしろ仕事をして気を紛らわせたかった。
仕事の後は同僚たちと飲みに行った。いつも通り肉料理も食べられた。大丈夫だった。
間もなく4番線に電車が参ります、と案内が流れたとき、急に動悸がして動けなくなった。
その日はどうにか会社に向かえたものの、毎日の通勤が大きなストレスになった。
誰かに気軽に相談できる内容でもないので、自分の中で消化するために人身事故について調べ続けた。
「人身事故 目撃」「人身事故 現場」といった言葉で検索履歴が埋まっていった。
電車のブレーキ音を聞くたび、白線の外側を歩く人を見るたびに心臓がギュッとした。
7年以上経った今となっては、コロナ禍によるリモートワークで電車を利用する機会が減ったこともあり、大きなストレスを感じずに電車を利用できるようになった。
ただ、今でも電車がホームに入ってくるのを見られないし、ホームの端に立っていることができない。
自分はまだこのような状況で済んでいるが、人によっては二度と電車に乗れなくなる場合もあるだろう。
人身事故の原因は様々だが、いずれにしても減ることを願っている。
ネットで調べてもわかりにくかった点をまとめた。自己責任でよろ
・普通仮免AT車は、当日キャンセル待ち制度が試験的に運用されている。通常は機械で予約をとるのだが、まともに待つと一か月は先になるのがざらで、運転感覚が鈍ってまた落ちるの悪循環になる恐れがあるので、この仕組みを利用して短期間で決める覚悟を持ったほうが合格可能性は高いと思う。積極的に広報されてる仕組みではないので詳細は3階技能試験科の手前の柱に貼ってある案内か、受付の人に聞いてプリントをもらうこと。で、当日キャンセル待ち組は事前予約組の試験時間の前(午後は10分前)に当日キャンセル待ち用の投票用用紙を書いて投函しておく必要あり。自分が行った時は事前予約組の試験開始後25分ぐらいで係りの人が出てきて受けられるかどうかが伝えられた。自分が行ったときは待ち人数に対して空いた枠が足りたので抽選はなく全員が受けれた。で、自分はそれで合格してしまったので具体的な抽選方法はわからない。正直、一回抽選やってみたかった・・・。他の人の体験記では確率としては5割ぐらいで受けられるらしいが、実態は不明。ただ試験受けられるかわからないのに交通費と時間と消費して試験場に来るというハードルがあるので結構確率的には高いのではないかと思う。
・ちなみに当日キャンセル待ちと同じタイミングで椅子にたくさん人が座っているかもしれないが、その人たちは外国免許切替の人達なので安心されたし。
・ちなみに機械でとった予約自体も空きがあれば手前の日付に変更できる。ただ電話が必要で、業務を逼迫させそうなので、あまりおすすめはしない。
・試験車両はプリウスになる可能性が高いと思う(自分が受けた時は全部プリウス、そして試験場にずらっと並んでいた)。で、座席の高さはあげれないタイプ。座高が低い人はクッション持って行った方がいい。(女性が運転下手とかよく言われるが座席の低さの影響も少なからずあるのでは?)
・坂道発進はサイドブレーキ不要。使ってもよい。(試験説明時に言われる)
・主観だが、五点確認は最初の発進と切り返しの後退時だけでよいと思う。必要な時に必要なものを見ているかがチェックされていると思う。
・発進準備に関しては、そのタイミングでは試験官は前の人に結果説明しているのであまり厳しいチェックはしてないと思われる。ただルームミラーは絶対触ること。
・あまりスピードが遅かったり確認がもたつくと早く行きましょうとかせっつかれて焦りの原因になるので注意。
・コースがでかく標識も高めに設置されている印象なので、視野を広く。外周に出るところは全部、一時停止ありと思った方がよい。
・車道外側線の白線はないので寄せすぎ注意。普段、右左折時の寄せに白線を基準にしている人は、それがないので白線自体の間隔のイメージを掴んでおこう。
・道路わきに排水溝などのために凹んでいるところがたまにあるので、脱輪や縁石乗り上げと勘違いしないように注意。
・受験時に自分の番がくるまで結構時間がかかる(完走できた場合一人当たり10分~15分かかる)。そしてスマホは使用禁止なので、本とか本免用の問題集とか持っていったらいい。
・待機スペースに合に丸の字の落書きが残っていてちょっと和む。緊張してきたらコースの樹木を見て落ち着こう。
・待機スペースに裏手の喫煙所の煙が流れ込んできて臭いんだが?嫌な人はなるべく奥のベンチに座ろう。
・その他、わからないことは電話で聞こう。HPには最低限の情報しかない。
・落ちていた人が言われていたこと。右左折時に反対方向に切らないこと。縁石乗り上げても、乗り上げ前の位置に戻ればやり直し可(車輪が縁石から落ちた後でも戻れるもよう)。進路変更時に目視確認と同時にハンドルが動いてしまっている。等
仕事で疲れて眠れない。
ベッドから起き上がれないほど疲れているのに、眠りに落ちれないほどに疲れている。
無数の後悔が頭の裏側で少し先の未来とずっと先の未来からドンブラコドンブラコと流れてくる。
ベッドに倒れたままでは目を閉じてしまう。
あまりに苦しいので無理やり起き上がった。
上半身の体重をほぼ全部背もたれに預けているせいで椅子のメッシュがベキベキとひび割れてしまうのではないかと不安でしょうがない。
この人生はもう駄目なんじゃないかって10代の頃からずっと感じたまま20年経った。
なんとかするための決定的な一手を打てないまま、奇跡を掴むことが出来ないままで駄目っぽい人生から降りることが出来ないまま引き返せない所まで来た。
レールが乗っているのは奈落へと落ちていくかも知れない無数の谷間の上だ。
「夜に大事なことを決めちゃいけない」と誰もが口を揃えて言うってことは、今の自分の判断力は酔っ払いと同じで完全に間違っている可能性を疑っていくべきだろう。
道路の白線を渡りながらすぐ側にゲームオーバーを幻視する子供のようなものなんだろう。
でも奈落じゃないだけで、今よりもっとマシな電車(どっかの詩人が言ってた「病室のベッド」の方が正確だろう)に乗り換えるチャンスが見当たらないだけだ。
今いる場所がまだマシなんだと思う。
この人生においてはもう。
じゃあどうすればいいのかって考え出していくと、やり直すしか思いつかないんだよな。
宝くじを買って3億円当てるとか、ウイングに行って大穴を当てるとか、そういう方法だってあるはずなのに、それが上手くいくなんてとても思えないんだよな。
今までもっとずっと勝率の高かったはずの賭けに負け続けたはずの俺が今更そういうギャンブルで勝てるなんて。
魂の実在を信じて輪廻転生によって全てをやり直すことが、人生を好転させるにおける「まだ全然現実的な解決策」に思えてくるんだよな。
今やってるゲームと全く違うゲームを始めるほうがずっとマシに見えてならない。
「転生なろう小説に自分を重ねているのは負け組のアラフォー・アラフィフもしくはそれ以上」なんて罵詈雑言でしかないと思っていた。
でも今は分かる。
「もう転生ぐらいしか思いつかない」という強烈な現実直視感(リアリズム)。
信じられねえぐらいに本当にそう感じるんだよな。
人生に仕込まれていた時限装置が起動すると同時に封印を解かれたクオリアが突然精神に作用しだすようなほどに今までと世界観(人生観という方の意味)が変わってしまった。
本当に「転生」が一番現実的に見えるんだよな。
どうなってるんだろうな。
このどうしようもなさ。
日本社会だけなのか?
アメリカでも同じなのか?
若くないっていうただそれだけのことが、こんなにも人生の先行きをデッドロックの塊に変化させられるものなのか?
ハッキリ言って大きなが違いなんて転職のしやすさぐらいしか変わってないはずなのに、5年ぐらい前までと人生の可能性の狭まりがあまりにもレベチでビビっている。
逆に割り切れば、ここまで人生が狭まってしまえば、もう可能性が日々狭まっていくことの焦燥感に苦しまなくていいということに救いを見出せそうだ。
手が届くかも知れない別の人生への憧れに対して心を焦がされることはもうない。
辛い。
身を焼かれながら、もっと足掻けばよかった。
救いがあるとすれば、世界中が同じような状態の中高年で一杯ってことだな。
これが「普通」らしいな!
産まれて初めてそう思うかも知れねえ!
そろそろ寝るか。
本人に送ろうか迷ってギリギリで踏みとどまった文章なので序盤は語りかけ口調
固有名詞は書き換え済
冷めるきっかけはツアー中の公演、今回のツアーが終わってから投稿しようと思っていたけど心変わりの兆しが見えたので恨み節が恨みの内にネットに流してしまおうと思う
〜〜
〇〇さんへ
今回書き記したのはライブの感想ではありません。普段の手紙では褒めるようなことしか書かないようにしていますが、これは逆です。恨み節しか書いていません、タチの悪い誹謗中傷と同じです。八つ当たりです。見える可能性がある以上別に見ないでとは言いませんが、絶対に良い気持ちにはならないので見られませんようにと祈っている。
ファンレターって開けるまではマイナスなことが書いてあるかもしれないのに貰うと基本嬉しい不思議なものだ。私の名前を記せば、ああいつもの人か今回も良いことが書いてあるだろうという今まで積み上げてきた信頼を裏切ることになるだろう。とりあえず匿名だけど、でもきっと界隈の詳しい人達なら私が誰か分かるだろう。それでも書きます、書いてしまってもいいなと自暴自棄になっているから。心情をぶつけてしまって申し訳ないけど、でもいつもしている事だ。その感情のエネルギーが今回は真反対なだけで。許さなくていいです、私も貴方を許しませんから。
〇〇さん気付いてますかわざとですか、4連チャンで男の人にだけスティックを渡しているのは。グータッチも背の高い人、つまり大体男の人にばっかしてませんか
(スティック手渡ししてたのは私の知る限りで、定演・忘年会・長崎・新潟、あとプラス鳥取でスティック頂戴〜!って野次してた男の子にあげてた)(女性でスティックをゲット出来た子×2は投げたのをキャッチできたからです)
偶然ですか?たまたま偏っただけですか?考えすぎですか?疑念は拭われず、そしてついに私の中で確信にまで至りました
そんなに男のファンが好きなら最初から夢なんて見せないでください 優しくなんてしないで
ごめんね喉仏なくて 髭も薄くて じゃあ相当嫌だったよね俺なんかに好かれて 俺が謙遜で言ってたセリフじゃなくて本当に嫌だったんじゃん そうならそうと早く言って 私の何年間が無駄になったってこと? 目合って微笑んでくれたのも全部上辺だったの?
↑HAHAHAめっちゃ嫌なファンで草 でもそう思わせる隙があなたにはあった、なんて思ってしまうよ インスタで誰の目にも付かずにメンションして文句垂れることも考えた こういう風に悪用するべきではないんだろうけど。メンションするべきなのか自分で飲み込むべきなのかも分かりません錯乱しています
例えばスティック頂戴〜!って野次したらくれるんだろうな 実際にそう叫んでた男の子に上げてたから でも自分がやるにはちょっと烏滸がましいかなって思って天命を、選ばれるのを待ってたんだよ でもそしたらあなた何、男の子にしか渡さないじゃんグータッチし終わって端の子に渡すのは別にいいよ俺が選んで真ん中に居るわけだし、端っこだとステージ見えにくいかもしれないからそのお詫びと言っては大袈裟かもしれないけど優しいなって思えるよ でもじゃあなんで男の子だけに渡すのかな 男オタを大事にしたいの?じゃあ俺はいくら通っても大事にされないファンってこと?俺は好きにこの身体に性別に生まれた訳じゃないじゃん 選ばれる余地もないんですか?とすら思ってしまうよその態度は
別に目合わせろとか私を選んでスティック渡せとか言ってる訳じゃないよあなたが好きな人を選んで渡したらいいよ でも性別偏らせるのはただ普通にシンプル差別じゃないですか? 私が考えすぎなだけで統計上の偏りですか?4-5回連続で男の子にスティック手渡すのが?オタクのこと、ただオタクとして見てはくれないんですか?女オタ・男オタに区切って考えてるんだ別に女オタクのことを下に見ているわけではないんだろうなそこまで区別してるわけではなさそうだなとは思えるけど、いくら性別が同じだからって男オタばっか贔屓するんですか。それが無意識にしろ意図的にせよ、およそファンに対して真摯な方とは見えなくなってしまいました。いいですね生まれ持った性別に違和感持ったことが無い人は 呑気に生きることができて 今更男になりたいとは思わないけど、生まれ持った自分を愛する人に否定された私の気持ちは。
ああ確かに居場所だと思っていた、信じていた、やはり期待をしすぎたのか。その蟠りはどこにもいかずただその場で沈んでいく、海の底で掘り返されるのを待っている。瓶詰めされてきっと流されることも風化することも無いでしょう。貴方が男女の間に白線を引くというのなら、もうお側に居ることは叶いませんね 私は線を超えて貴方の側にはいけないのですから そうやって内輪に愛想振りまいていれば、傷つく必要もありませんから。そうして傷のないダイヤモンドで居てください、俺の知らない知りえない世界でどうぞ末永くお幸せに
いくら使ったとか考えるのは下世話だね別に楽しかったから無駄とも思わないし見返りはもう貰ってるから計上した所で意味無いかな、100は普通に飛んでそう、でもお金は客観的な愛の指標だよ掛けてきた熱量は分かるよね 一生分好きだったんだよ 確かに ねぇ 嘘であってよ 気をつけるって言って 言わなくてもいいけどこれから気をつけて宇宙一好きだった人がまさか男女で区別するような人だと信じたくないから差別と呼ぶほど酷くないけど、でも差別くらいショックはあった 信じられない なんで、よりにもよって私の愛した人が ただ奥手なだけであって欲しい ああ見る目なかったかなぁ俺あなたの好きに振舞った結果がこれなら、なんだかな、あまりにノリが合わなさすぎるというか どんな行動も貴方が好きに振舞った結果ならきっとなんでも好きだろうと思ってたけど、生まれ持ったもの・自分じゃどうしようもできないものを物差しにしてファンに優劣を付けるならそれは許すとかいう次元にはないです 到底看過できたものではない ただ悲しい
グータッチも背の高い男の人にばっかすることで有名だった 私以外にも数人「〇〇さんって男の人にしかファンサしないよね」って言ってるのを聞く。別に私自身が運が悪くてグータッチできないこともスティック貰えないことも不満じゃないです しなくても楽しかったから でも観客を性別で見るのは違うじゃんあくまで同じファンとして見てよ なんでよ なんでよ 君は研究も仕事もバンドも全部取ったのに、なんでファンは全部拾わないの 男女の前に人間だろうファンだろう 1人残らず大切にしてよ愛してよ、私そんなに変なこと言ってるかな 大切にされてると思えてたのに、死ぬまで一生愛されてると思ってたのに。愛していたのは居心地の良い同性ファンだけだったんだ。
そんなに女の人苦手なら一生独り身のままでいたらいいんじゃないですか笑
髪の毛伸ばしたのなんでなんだろう結局聞けてないな、そんなに男オタが好きならそのうざったい髪も無理して伸ばす必要なかったと思いますけど笑(←私が長髪を褒めたから伸ばし始めた!と思ってないと言えない発言だw)
ドルオタの子に「期待したら負けです」って言われちゃった、いや期待もするよそりゃ大阪城ホール埋めてんだもん まぁ確かにnanoとかPangeaからのファンではないけど、(曲名)から脱退からクアトロにメジャデもコロナも見守ってきたよ 冷静に私が負けな訳なくないか?男にしかファンサしてないの向こうなんだけど??
こっちは他人が見たら引くような熱量をかけてるの 、お金だって分かりやすいけど時間だってもう5年も応援してて(歴を誇るんじゃなくて)、それだけ掛けた時間がある
それなのに支払ってきたエネルギーじゃなくて生まれ持ったもので理不尽にジャッジされて、そこに居ないかのような扱いされちゃあ泣きもするよ ごめんなさい黙って消えるべきだと思います 嫌でしたよね沢山手紙書いて 累計は多分10万文字とかいってるはずです、ごめんねとてつもない分量書いてて 嫌な奴から貰ってて苦しかったでしょう 〇〇さん関連で書いた文章のまとめ本だけ作って消えたいなと思っています最後の恨みで送り付けようか
これからどうなるかな、曲は聞くかもしれないけど今はライブ行く気がしない、少なくともこれまでのようにライブは見れないと思う 今チケットある分が終わったら、もうどうなるかわかんない 諦めきれずに応援してる未来も見えるし全く情報を入れなくなってる自分もありえる。 でも1度猜疑心を抱いてしまったらおしまいだ、元のような生活は戻って来ない そういう確信に至っている。私が居なくなっても(バンド名)はなんの不自由もなく続いていくから、老兵は去るのみだ。私が錯乱しているだけで変なことを言っているかもしれない、これを伝えたって〇〇さんは別に聞かないかもしれない、むしろ変わらないのが〇〇さんだろうという気がしている。私は何があろうと離れてしまうだろうし、〇〇さんも何があろうと変わらないんじゃないかな。ただ1個だけいじわるを言っていいかな。ねぇ〇〇さん、私よりあなたの事好きな人いた? こうして愛の総量なんかで推し量るのではなくって、それでもやっぱり同性のファンが良いと思うなら、これは本当にただ底意地の悪い質問だ(そして誰も幸せにならない)。ごめんねたかがいちファンが出しゃばって、認知もしてないよね、全部自意識過剰だ 愛が凄かったらランキング1位とかって訳じゃないしそのファンの意見が大切にされるわけでもないのは分かってる だからいじわるな質問。少なくとも行動力があるという面で1番好きを名乗って良いか?だからお願い私の言うことが書くことが貴方の芯に刺さって欲しい。今までに貴方に見せたことのない尖り方で訴えかけようとしている、どうか私のこの悲痛な叫びを聞いて、あわよくば思い直して欲しいと思ってしまっている。思い直してくれたとしても私はもうそこには、ライブハウスには戻らないけど。貴方は素敵な人だから私が居なくても私以外の沢山の人に愛されていることだろう。でもよく考えたら元々それが私の望んでいた世界なのかも。啓蒙活動は功を奏したらしい、もうおしまいにしよう。さようなら、これが最後のファンレター。ファン辞めますって本人に見えるように言うことほど意味の無い無駄な行為はないことを分かっている、立つ鳥跡を濁しまくりでダッサいなぁって自分でも思ってる
でもね、こんなウジウジしてる私よりも、男ファンばっか優遇してる貴方はもっとダサいかもしれない
今まで感想とか私情とか手当り次第なんでも〇〇さんに伝えて来たけど、「私性格悪いから」この最後の恨み言は言わないでおこうかな あの子の悪口絶対言わないでおこうかな ははは なんてね
(それでも、なんでかな、やっぱり私の世界であなたより素敵な人は居ない もう暫くきっと現れない ひょっとしたら未来永劫出会えないかもしれない それくらい貴方は素敵な人だった 嫌いになりたくないよ なりたくなかったよ)
好きだった、一生分好きだった。所詮私も演者の幻の中で夢を見ていたのだろうか。「好きだったなぁ」と零しながら涙目で新潟の夜を徘徊した、私の夜道は当分憂鬱で彩られることだろう。翌日の快晴はあまりに物語として美しい。私は主人公で、そして彼は登場人物に過ぎなかった。あくまで登場しただけで、私の隣には来ないのが定めだった。それでも、確かにちゃんと好きだった。また新しいアルバムが出たら1枚は買うかもしれない、武道館は行きたいしまた新しいホールでやるなら行くかもしれない、でももう私の生活の、人生の中心には置いておけない。時は薔薇の5月か匕首の6月か、今日も山手線は回り環状線は回る。目を回しても垂れてくる涙の分だけ君を愛していました。手を伸ばしても届かないのは私と貴方がステージの下の人と上の人だったからじゃないんですね、私と貴方の染色体が違うからだったんですね。
返事が欲しいと思ってしまっている 思い直して欲しいと思っているから、きっと私は返事の文章を通して謝って欲しいんだろう 弁明でもいい でもあなたはたかだか私の言葉なんて響かないところで深く息をしているから、きっと今回も返事は無い 私の住所は書いているから返事は出そうと思えば出せる そうしないのは面倒臭いからだろう 構わない 私の言葉は威力を持たない そのように無意味だからこそ何万文字も紡ぐことが出来ていたのだ。終止符を打とう。この手紙に、生きてきたこの人生に、この物語に、そしてこの愛に。愛していました。大好きでした。今まで沢山迷惑かけてごめんなさい、黙って見守ってくれていてありがとうございました。それなのに私は黙って離れられなくてごめんなさい、最後までうるさくてごめんなさい。眠れない夜を数えて、この恋を忘れようと思います。さようなら、私の愛した人。どうかお元気で。
お買い物に行って駐車場に戻って車の中でiPhoneいじってたら、突然窓をコンコンされて、なんだろ?と思って少し窓を開けたら、
「車、斜めに停めるなよ、ドアが当たるだろ!」
と70代と思われるジジィにいきなり言われた。
そもそも私、自分の車が大きいことわかってるので、真っ直ぐ綺麗に停めるようにしてる。
相手は軽ワゴンのジジィ。どうせ車への僻みとかだろうと思ったので相手にするの馬鹿らしいから窓を閉めようとすると、
と。
さすがに腹が立ったので、窓を全開にして、
「そんなこと言われる筋合いないでしょ、出ていけば?」
と言ってやった。
それでもぶちぶち言ってるので、仕方なく車から降りて車の停めてる状態を見たら、ほんの僅か、前輪が3cmくらい右に寄ってるけど、白線の枠内には余裕を持って収まってる。
「この僅かなずれのこと言ってんの?ちゃんと白線内に収まってるから、あんたの車のドアなんて故意じゃなきゃぶつからないじゃん」
って言ってたやった。
ジジィ、まだぶつぶつ言ってたけど関わるの嫌だから、iPhoneでそいつと車のナンバーの写真撮って、
と言って車に戻って駐車場を出ました。
ほんとせこい、嫌味なジジィ。