
はてなキーワード:癒しとは
タキシスが世界を完全に支配できなかった根本的な理由は、古い約束にあります。
第三次ドラゴン戦争(Age ofDreams)で、騎士フーマ・ドラゴンベイン(聖槍を持つ英雄)がタキシスに聖槍で傷を負わせました。
「二度とクリーン界に侵攻しないこと」
この誓約は、タキシス個人を直接拘束する、魔法的に強制力のある契約でした。
ここが重要です。タキシスは、誓約を「形式的に」守りながら、その「精神」を破ろうとしました。
具体的には:
直接的な「侵攻」ではなく、秘密裏の準備
タキシスは、世界に直接現れるのではなく、クレリックやドラゴンを通じて間接的に活動しました。
大厄災による「世界の変化」を利用
大厄災後、世界が混乱していた状況を利用して、タキシスは「技術的には侵攻ではない」方法で勢力を拡大しました。
善神たちの不在を最大限に活用
善神たちが世界を完全に離れている間に、タキシスは活動する「余裕」があったのです。
しかし、タキシスが完全に世界を支配できなかった最も重要な理由は、「神的バランス」という宇宙的法則にあります。
「Gods are bound to their natures, soshe's unable to see pasther ambition that the Highgod's decree of balance would meanshe's not going towin.」
つまり:
高神(ハイゴッド)が宇宙の基本法則として『善悪のバランス』を定めた
結果として、彼女が力を増せば増すほど、善側も必然的に力を増す(応答する)ようになっていた
善神たちが「応答せざるを得ない」状況
実は、善神たちは、タキシスが世界を支配しすぎると、高神の法則によって「対抗せざるを得ない」状況に追い込まれるのです。
言い換えれば:
タキシスが強くなりすぎる→ 高神の「バランスの法則」が働く → 善神たちが世界に戻らざるを得ない →ゴールドムーンの出現など、善側の起動も必然化する
野心が大きすぎた
タキシスの最大の弱点は、彼女が「完全な支配」を目指しすぎたことです。
タキシスの本質:支配欲、支配権への執着、「自分がすべてを支配したい」という執念
しかし、この本質が実は彼女を破滅に追い込む**:支配が強くなりすぎると、神的バランスが働いて、善側の対抗勢力が現れる
実は、タキシスが「善神たちが世界にいない間に、ゆっくり静かに支配を進める」戦略を取っていれば、バランスの法則に引っかからなかったかもしれません。
しかし、タキシスは「全部支配する」という欲望に駆られて、急速に征服を進めたため、バランスの法則が働いてしまったのです。
実は、善神たちは「完全には世界から消えていなかった」という説もあります。
ミシャカル女神は、秘かに信者たちに癒しの魔法を与えていました(タラダス地域での事例)
つまり、善神たちも「形式上は世界を離れた」が、「実際には秘かに接触していた」のです。
この秘密活動のため、タキシスが「完全に支配する」ことは難しかったのです。
圧倒的に不利な状況でも、人間は戦った
タキシスが世界を支配できなかった理由の一つは、人間たちの予期されない抵抗にあります。
最初の2年間、ドラゴン軍団は次々と領土を征服し、人間たちはほぼ防戦一方でした
しかし、やがて人間たちはホワイトストーン評議会を形成し、団結した抵抗を組織した
青い結晶の杖の発見により、善神たちが世界に戻ってくるという「希望」が生まれ、それが人間たちの士気を大きく高めた
つまり、タキシスが「勝つ瞬間」が訪れたはずなのに、その直前に善神たちが戻ってきたのです。
最終的に、タキシスが完全に世界を支配できなかった理由は、「高神が定めた宇宙的法則『バランス』が、タキシスの支配を自動的に阻止した」からです。
タキシスは、自らの力に自信を持っていました。彼女は、「善神たちが世界にいない間に、自分が全部支配すればいい」と考えていました。
しかし、彼女は「バランスの法則」という存在を過小評価していました。
タキシスが力を増せば増すほど、以下が起きました:
1. 高神の「バランス」が働く
2. 善神たちが応答する必要が生じる
4. 善神たちが世界に戻ってくる
タキシスが圧倒的に有利にもかかわらず、なぜ世界を完全に支配できなかったのか。
その答えは:
「タキシスの性質である『支配欲』が、実は彼女の最大の敵だったから」
野心が小さければ、秘かに活動を続けることができたかもしれません。しかし、タキシスは「すべてを支配したい」という本質から逃げられず、その結果、高神の「バランスの法則」を発動させてしまったのです。
「Good redeemsits own, andevil turns uponitself. Both good andevil must exist in contract.」
界隈でそれなりに長く推してると、
「古参」「顔覚えられてる」「認知」みたいな言葉に一喜一憂しなくなるタイミングが来る。
認知とかじゃなくて、
誰にでも優しいし、誰にでも冗談を言う。
だから新規も同担も「自分は特別かも」と思いやすいタイプだと思う。
でも、
「それ今言わなくていい」
こういう言葉は、全員に投げてない。
私はオタクとして列に並んでるけど、
説明しなくていい、
気を遣わなくていい、
取り繕わなくていい。
それって、
ファンサをもらってる時よりずっと重い。
むしろ一番雑。
一番短い。
一番テンプレじゃない。
でもその雑さは、
「安心して雑にできる」雑さだ。
空気が荒れてる日、
そういう日に、
私は「盛り上げ役」にも「癒し役」にもならない。
ただそこにいて、
変なことを言わない。
推しはそれを知ってる。
だからたまに、
昔の話。
誰にも話してないはずの愚痴。
「そういえばさ」と前置きもなく始まるやつ。
その瞬間、
ああ、私は観客じゃないんだなと思う。
でもこのポジション、
同担が一番欲しがるやつだとも思う。
でも信頼は平等じゃない。
私はそれを取りに行って、
今ここにいる。
同担が「なんであの人?」って思う側。
たぶん、私。
「卑しい」ということは、つまるところ「余裕のないこと」だ。
クソデカ断言系を使えば反論が出てくるのは当然として、増田が本当に問題だと思うのは、"「卑しさ」が本人の尊厳と深く結びついているのに、本人の生まれつきの基質によって「卑しい」ことを繰り返してしまう"構造だと思う。
「卑しい」と指摘されて、それを治せるならまだいい。
しかし、何度も指摘しても同じパターンを繰り返すばかりしかできない人間をみれば、指摘した側も虚しいし、やがて手を引くだろう。
「卑しい」と指摘されても、体に染み付いた無意識の習慣や、コントロールできない程身に馴染んだ「卑しい」はその人と一体化してしまっている。
そこから抜け出すには新しい習慣や刺激が必要だが、それを受け入れられるかはその人のキャパシティ次第。
「卑しい」を指摘してくれるのは優しさだと思う。でも、身にしみ着いた「卑しさ」は簡単には剥がれてくれない。今の自分のキャパシティでは、新しい習慣を身につけて、自分の「卑しさ」を圧縮することも難しい。それでも、頑張るしかない…とはいえ、解決策が無いことも虚しい。
かといって、逃げても「卑しさ」からは逃げられない。むしろべったりと増田の尊厳と一体化してくる。疫病神か????
本当は「卑しさ」じゃなくて「癒しさ」が欲しい。でも、たとえ増田が他人から「癒しさ」を与えてもらっても、増田自身のが変わらない限り、「卑しさ」は消えないわけで。
結局、増田自身が変わらない限り、「卑しさ」とはずーっと仲良し永遠に一緒ハピラブズッ友☆状態なのかもしれない。
まあ、自分が「卑しい」ことに気づけただけでも御の字なのかもしれない。余裕がないと、人間って平気で狂った行動をするからな。
行動しない人間の言い訳に聞こえるかもしれないけど、今日は腹筋を3分締めた。皿も洗ったし、片付けもしたし、洗濯物も干した。あと一歩、外に出て太陽光を浴びるくらいできれば、「頑張った」と胸を張れる人間になれるかな。
「卑しい」人間ではあるけれど、まれに受け取った「癒しさ」のおかげで、それをほんの少し真似したら、いいことが起きるってことも分かった。
どうしたらいいんだろうな、増田。
自分は1人の女性として予想するけど、彼女さんは少し襲われ待ちな所がある。けど、色々なことを恐れてるのもある。もしかしたら現状おそらく月に一回のイベント化してるのかも
女性にとっての性行為、性欲が満足する瞬間という男女の違いが1番出るポイントを抑えたらよくわかると思う。
行為までの時間が長いほど彼女は性的に昂っていて、本番はサッと終わらせ、ピロートークで愛されてる実感と癒しを得る。
女性にとって本番の最中も回数もあまり重要ではなく、前後の時間が長いほどあなたのことが好きなんですよ前日から準備してたりで。一連の全てが女性にとっての性行為で、彼女にとっては完全に「した」カウントなのでポジティブに考えると尚更ですね。
多少強引にベットに誘って、やめたそうにしても引かずにあなたが満足するまでしてみて(当然いつも通り優しく)、事後しっかりゆっくりよく話し合ってみてください。
それでもダメで、そもそも強い拒絶があるようなら皆さんの言うと通り、彼女さんの性格がただただ終わってるだけなのでご自身のために別れるべき!
結論:病まずに楽しく働けている
以下経緯
金がなかった。
ざっくりと、長年の精神疾病▶︎パワハラ▶︎休職で金が尽きた。
病気を隠して働いていたのでそれなりに給料は貰っていたけど、たまにくる躁期の異常な浪費で貯金もなかった。
詰んだ。
そんな追い詰められた状態で、もう身体を売る以外の選択肢が見つからなかった。
求人から30代・40代活躍中!未経験者OK!の条件と粘膜接触が極力ないものを探した。
終わった……
・お店の概要と客層
・プレイ内容
・特殊性癖向けを売りにしているので若くなくてもいい
・働いている女性の特徴
などなど
聞けば聞くほどモチベーションは下がっていくが、金がない焦りと店長の2時間半にわたる熱心な勧誘のすえに体験入店だけすることになった。
店長いわく「絶対に向いてる、ライフワークになる」とのことだった。
ええいままよ。
金がないのは自分の責任。失うものなどない、と腹を括って講習3Pに向かった。
お客さんもめちゃくちゃ楽しそうだし、見たことないテクニック繰り広げられてるし、SNSでよく見る風俗客のキモ発言みたいなの無縁!!
即入店した。
年齢だけは紛れもないババアの上に業界未経験という不利しかない状況だったが、店の傾向的に確かに自分は向いていた。
お客さんに喜んでもらうのが何より嬉しい。
toC業務が大好きなのでこんなにダイレクトに顧客満足を伝えてもらえるなんて最高だ。
身体が正直なフィードバックになるので毎回PDCAもまわせるし、集客も会社員スキルを使えばできないこともない。
何よりみんなが私を尊重し、褒めてくれるのでパワハラでズタボロになった自尊心を癒してくれる。
※普通の店に比べると若干安いが、脱がない舐めない触られない系なので仕方ない。
これは、天職だったのかもしれない。
日常生活では近づきたくないなと思う容姿のお客さんにも、プレイ中は慈しむ気持ちが湧くし触ることも全く嫌ではない。
必要に迫られ仕方なく……という感じだったが、まさかこのタイミングで新しい人生の楽しみが増えると思わなかった。
ちなみに金はまだない。
這い寄ってきそうだから
というかね、エロゲオタクであることを金に変えたやつ全員嫌いなんだ。
アルバフロストみたいな漫画は普通につまらんくて神のみで跳ねただけのくせにろくろ回してるのうぜーなーって。
嫌いなのは「僕はエロゲオタクだ!つまりすごいオタクだ!」って看板で鐘稼ぐやつ。
あーうっぜうっぜエロゲってそういうメジャーな世界に対してのアンチテーゼにより影なる世界に住むダンゴムシを救う月の光の癒しだったはずじゃん?
まあそういう話するとリトバスやヘブバンで大衆に媚びだしただーまえも嫌いではあるんだけど、別にアイツは「俺はすごいエロゲの人だぞ!」で儲けてはいないしむしろその看板でやった文学デビューは普通にコケとるし。
にゃるらの嫌いな所で一番大きいのは結局コミュ強で陽キャな所かな。
つうかあいつってアングラ系といってもドン・キホーテとかで合法ドラッグ買ってるタイプじゃん?
ういにゃんみたいなヴィレヴァンで仕入れた知識でイキって頭の弱い女とパンパパンしてそうなタイプですらない単なる逆張り系でしかない奴がたまたま世間の影にあったエロゲにすり寄っただけっていうか。
俺等本当のエロゲオタクってそこしか居場所がないからそこにおるわけ。
ゲームやってもスポーツな部分で振り落とされるしちゃんとした文学はなんか目が滑るから三行ずつ表示してくれるような電子紙芝居に逃げてんのよ。
そういう意味では若き民喜が一番嫌かなやっぱ。
彼女はベトナムの田舎に生まれた。父親は学校の先生で、母親は縫製の内職をしながら介護をしていた。2人姉妹で妹は障害があった。外国に行って沢山お金を稼いでベトナムに家を建てるのが夢だった。
義務教育を受けたあと専門教育を受けて看護師になり、都市部の病院に就職した。ベトナムの看護師は初級から上級までレベルがあり、大学を出ていない彼女は下のレベルで安月給だった。
病院では外科で働いた。身の回りの世話は家族がするため、彼女は毎日処置や点滴や酸素管理などの医療行為に追われた。
彼女は最初、台湾か香港で看護師として働こうと思い中国語を勉強していた。次第に看護師ではなく海外で働ければ何でも良いと思うようになった。
ある人から「台湾の工場で働く仕事を紹介するよ」と言われた。彼女の父親はブローカーに払ったベトナムドンは日本円換算で約60万。そのお金を払えば台湾で働けると思った。
そしてベトナムの「送り出し機関」に登録した。その送り出し機関は台湾、韓国、日本に多くの技能実習生を送り出していた。
送り出し機関のスタッフは「コロナの影響で台湾は仕事がない」「日本なら仕事がある。最初は工場での仕事だが、日本は高齢化だから日本語が上達したら将来的に看護師としても働ける。そうすると月給8000万ベトナムドン(日本円で50万)は稼げる」と勧めた。
彼女は日本語を勉強したことがなく不安だったが、これは人生最大のチャンスだと思った。
まずは最低7ヶ月間送り出し機関で研修を受けなければならない。請求書には教材費、研修費、渡航費、健康診断費、ビザ登録手数料などで総額にすると日本円換算で40万近くだった。すでにブローカーにも多額のお金を払っている。
彼女の父親は親戚や知人からから借金をして送り出し機関にお金を払った。送り出し機関は寮制で、食費や寮費は別途必要だった。ここで日本語、工業縫製、日本での生活ルール(交通マナーやごみの出し方など)を朝から晩まで勉強した。
結局彼女は日本に入国するまでに日本円換算で2億ベトナムドン(日本円で約130万)ほど支払っている。彼女の父親の年収が4800万ベトナムドンであることを考えるとかなり高額だった。それでも先進国の日本で働けばすぐに返せると思っていた。
いよいよ日本に入国し、管理団体で研修を受けたあと、田舎の工場で縫製の仕事を始めた。朝8時には仕事場に行き、寮に帰るのは夜19時。遅い時は20時過ぎた。
寮はベトナムの送り出し機関の寮より狭い2人部屋。廊下や共有施設は監視カメラ。個室は鍵があるが、仕事中に寮の管理人が勝手に部屋の中をチェックする。
布団、食器、調理器具、スリッパ、自転車、布団、ドライヤー等はすべて寮の備品を使わなければならない。個室の壁には画鋲やテープを貼ってはいけない。
「エアコンの効きが悪いので、電気ストーブを私費で買って部屋に置いても良いか」と相談しても火事を理由に却下された。
手取りは寮費を差し引いて7万〜8万。ここから食費を払い、必要な生活用品を買えばわずかしか残らない。父親は日本に送るために借金をしていたので、苦しかったが3カ月に10万ずつベトナムに送金した。
休日は月6〜7日。風邪で休んだら給与は減額された。健康保険証と在留カードは会社が預かっていた。外国人は在留カードの携帯義務があるため、寮の近くのコンビニとスーパー以外に出かける時はどこに行くか伝えなければならない。在留カードを受け取りに、帰ってきたらまた会社に渡す。病院に行くときも毎回健康保険証を受け取る。厳しく行動が管理されていた。
技能実習制は原則として実習先を変えることができない。管理団体に相談しても助けになってくれない。実習をやめてベトナムに帰国したら父親の借金を返すあてがなくなる。
彼女はfacebookで同じように日本で暮らすベトナム人グループと繋がり、愚痴を言い合う時間だけが癒しだった。技能実習先を離れたらもっと稼げる仕事があると紹介された。それはルール違反なので断った。失踪した仲間もいた。
彼女は「日本で看護師として働く」ルートが事実上不可能なことを知り、特定技能に切り替えて介護士として働けないか支援団体に相談したが、受け入れ企業は高いお金を送り出し機関等に払っているため難しいとのことだった。
そんな中で親切に接してくれる日本人男性がいた。彼女より11歳年上の社員の男性だった。優しく日本語や仕事を教えてくれて、休憩中にはお菓子をくれた。休日はドライブデートで外食。仕事の相談もお金の悩みも全て聞いてくれた。結婚して一緒に暮らそうと言ってくれた。オンラインでベトナムの両親に挨拶してくれた。彼女は忙しい合間を縫って結婚に必要な書類を申請していた。
ある日、彼の部屋で性交渉を求められた。彼女としては婚前交渉はしたくないし、妊娠したら実習継続不可で帰国させられると言われていた。(実際は産休育休の権利があるが行使できない圧力がある)
すると彼は日本では婚前交渉しないと結婚できないと言ってきた。彼女にとっては唯一頼れる職場の上司であり、拒否することは恐怖だったが、夜中に部屋を飛び出して泣きながら寮まで帰った。
「襲われそうになった」と相談したが「婚約者で家に行ったのだから当然」というように諭されて絶望した。
あとで分かったことだが正社員もいうのは嘘で契約社員だった。離婚歴もあり、借金もあった。
彼女は裏切られたショックを抱えながらも何とか2年働いたが限界だった。寮から失踪した。在留期間はまだ残っている。しかし他の仕事をするのは違法になる。彼女は入管に出頭し帰国した。
俺はよくいろんな地方へ旅に出るが、なんやかんやその土地で文化系/サブカル/陰キャ/芋系/オタク女子を見るのが大好きなんだろう。
だって新卒の時に配属された人口数万の地方都市(一応ショボい大学はあるんだけど)ではそういう女子を見かけないからね。これは人口比だけじゃ説明出来ない。「都会には文化がある」かはさておき「かわいい陰キャ女子」ならたくさんいるってことくらいは言ってもよかろう。
高校入学の頃に一軍女子の癒し枠的なヤツにベタ惚れしていたこともあって、人生で唯一俺に告ってきたクラスの嫌われ者オタク女を好きになれなかった後悔(損した感)からそういう女子をどうにか好きになろうと自らを"調教"してきた節はある。
でもそれとは別に昔からAKBやらの美人顔の区別がまるでつかなかったし(嵐は多少いける)、大体同じだろとしか思わない。最近なんか顔面加工写真ばっかりでさらに似たり寄ったりだからワケがわからんし、写真どころか写される身体の方を弄るヤツも増えた。
きっとそれは地方都市に住みつつ国内地方旅行を繰り返す自分の趣向とも似て、商品として磨かれていないものを敢えて楽しむ趣向と自分の前にある陰キャ女子を楽しむ趣向が共通していないはずがない。
(ほら、よくマンガの話で「美男美女の方がブスよりも無個性的で描きやすい」ってあるじゃん?)
そして、俺は陰キャ女子を見る時に自分にも陽キャ的価値観に膝を屈することなく女と楽しく付き合っていける(例えば「たのピク」のように)可能性がある(あった)ことを"確認"しているわけだが、「文化がある」都会で陰キャ女子を見るということはそこそこの確率で男連れシーンを見ることを通じての"確認"にもなりえる。
別に陰キャ女子が俺みたいな陰キャ男子と付き合ってる分にはやきもち妬くだけだからいいんだけど、陰キャ女子が消費社会の頂点(そんなものがあるとして)に繋がるアルファオスの部類にメロついてるのを見た日にゃ「裏切りだ!」としか思えない。
ちなみに新左翼系の文献を読むようになってからは(竹内洋的造語癖か小山晃弘的マルキシズム趣味かもしれないが)「階級的裏切り」と呼ぶことにした。
俺はなるべく誠実でありたい。
俺は中学生の頃インターネットの「リア充爆発しろ!」的なノリに(別に面白いとは思わなかったけど)期待していて、非モテ連帯を信じて革命的非モテ同盟のクリスマス粉砕デモの隊列に加わろうとしていたが、どうも連中が「ネタ」でやっているらしく失望した。
何よりも許し難いのは常日頃「リア充爆発しろ」とか宣っておきながら恋人を作ると見せつけたら匂わせたりする連中のことで、そりゃあ「リア充〜」は恋人が欲しい気持ちの裏返しなんだから恋人を作ること自体は認められるべきだが、それにしても見せつけるのは「階級的裏切り」じゃないか?というか、自分が吐いた唾に対して不誠実じゃないの?
せめて俺は階級的に誠実でありたい。
この場合、誠実であることの証明は"やせ我慢"でするのがいいだろう。
(それも性的魅力に溢れる)から求愛されても断固断るべきなのだ。
年齢的な理由もあって非処女もイケるようになった俺がそれでも陰キャ女子が雑にセックスした話を嫌うように、いつか俺を好きになる陰キャ女子に「コイツ本当は陽キャ女子が好きなのに妥協しているのか?」と疑われるような過去を持たないように生きていたい。
(誠実でありたいので言うが俺は童貞は捨てた)
モテないからチョロそうな陰キャ女子を狙ってんだろ?とお思いの読者もいると思うが、現に陰キャ女子とも付き合えてないんだから、それは虚しい「努力」でしかない。
そしてギャルと付き合っていない現状が"主義"を貫いた(例えば冷戦期の日共党員だったかがわざわざ東欧のショボいおもちゃを子供に買い与えていたような)ためであるという証明は不可能だ。
読者は皆それは単なる非モテの結果だろうと冷笑するだろうし、俺もそう思う。
デジタル回路が「0」と「1」のどちらを示すかによってデータを表現することが主流な現代において「0」であり続けることに積極的意義だとか「強度」を見出すことは難しい。
だからこそ浅羽通明はゼロ年代に出した『昭和三十年代主義』で「確かに清貧は積極的に選び取られた価値観ではないが、だからこそいいんだ」(曖昧)と書きゼロ年代の昭和ブームに期待してみせたのだろう。
そして俺もまた「0」か「1」の世界で「1」であり続けなきゃならない圧に膝をちょっと曲げ「ギャルと付き合わない」主義を自嘲し、内実はともかくとりあえず「1」ではあるところの国内地方旅行(動いている)で美人などとは違い「0」では言い表せないほど多様な陰キャ女子を見かけて(見つけている)喜ぶしかない日々を送っている。
9時49分。いい天気。ベランダで洗濯物を干していたらどこからともなくヒ、ヒ、ヒ、ヒ、という甲高くて澄んだ声がきこえてきた。たしかこれはジョウビタキさんのさえずりだ。とても綺麗な鳴き声で、癒し効果もあるように思う。
ジョウビタキさんは生でその姿を見たことがないけど、声はたまにきくのと、図書館で定期的に借りる「新日本の野鳥(山溪ハンディ図鑑) 」の表紙のセンターを飾っているからわりと馴染みがある鳥だ。この表紙のセンターは最初僕は頭部が青だからという理由でルリビタキさんかな?と思ったけど、翼に白い斑点があるからジョウビタキさんなんだよね。ルリビタキさんはもっと青が鮮やかでお腹の羽毛は白から灰色なのだ。まあ生で見たことはないんだけど。
いつか会ってみたいなあ。
出張先で「温泉むすめ」のパネルを見て、なんでこんなものを置いているの😩💢と思って調べたらひどい。スカートめくりキャラ、夜這いを期待、肉感がありセクシー、ワインを飲む中学生、「癒しの看護」キャラ、セクシーな「大人の女性」に憧れる中学生など。性差別で性搾取。https://onsen-musume.jp/character/
このツイートが、オタクからしたらデマをでっち上げて何年も粘着し続け現地に突撃して活動の邪魔をしデマで政治にまで働きかけて、大量の女性を被害に晒しても、オタクが被害者だー!!と騒ぐほどの物なのか?
PVで全裸の小中高学生くらいの少女達の股間や胸舐めるようにアップにしたり、その少女達が酒飲んだり夜這いを期待していたり、そんなもんに観光省が後押ししたり、児童ポルノに甘すぎて頭おかしいよ。
https://anond.hatelabo.jp/20241111110154
毎日とにかく必死で駆け抜けたから「今が一番幸せな時期だね?」とかそういうのはたまに行ってもらえるけど実感は正直全然ない。
ここ半年で私自身がなぜかいきなり昇給昇進しまくりのフィーバーが起きたし彼は彼で新しい環境で有能すぎて仕事超振ってもらっちゃってるし
「忙しくなること=不運」というのであれば運勢最悪というかんじ。
けどお金に余裕ができたら人間、これまで考えもしなかったことを思いつくのか気づくのかするらしくて
いきなり彼が「会社で聞かれたんだけど、新婚旅行どうする?」って聞いてきた。
この質問にものすごく浮かれまくったけど実はここ、地雷でもある。
彼がいなければ間違いなく倍は行ってる。
というのも彼は旅行が好きというわけではなく、むしろ私の影響でいろいろ目覚めたクチだから「別に行きたいわけじゃない」というのは知ってるから。
なんらかの興味はあると思って「前、あそこ行きたいって言ってたよね」と国名を出したら「ルーツとか知らないから、行ったところで一目で終わっちゃう」と言っている。
おそらくそんなはずはないのだが、私に気を遣ったんだと思う。
人生のどん底にいた彼に当時「私が“この世界、捨てたもんじゃねえな~”って思わせてあげるよ~いろいろ見せたい場所もモノもあるんだわ~フハハー」とか言ったから
それを昇華したいんだと思う。
旅行とか物を買うとかその都度で「お金がない」と口癖のように言われてきた。
今話題の下方婚ではあるから、プライドが高くて武士系の頑固さもある彼が周囲の目を気にする程度にこのあたりのギャップはあった。
そうでなくても私と暮らすためにいろんなことをリセットしてきた男である…というのを踏まえて、本当にその申し出に本気になっていいのかとかすごく迷っている。
っていろいろ書いてみたけど贅沢な悩みだな~~~~~~~~
一人の時は「自分が倒れたら自分の未来が終わる」みたいなことを考えて必死に毎日生きてきて
クリスマスのイルミネーションを尻目に一生懸命仕事したり疲労を癒したり
そんなことばかりをしていたから「彼氏ってばひどくて~」という話題を目にするたび「相手がいるだけいいだろ!!!!」と嫉妬に狂っていた。
けど彼氏ができても「この人に私を託せない」とかなんとか言って別れたりして、なにがしたいのかわからない中年になった。
そのあとでのこれ……幸せな悩みだな~と本気でそう思う。
二人いた他人同士が一緒に生きていくために価値観をすり合わせていくこの作業、ありがたいことに私と彼はあまり負担と感じていない。
「あ~なるほどね~」と受け入れては一晩たって概念として定着して……というのを繰り返している。
なのでなんだかんだ新婚旅行は行く気がしている。
私は趣味の一環で「え、なんでその言語を学ぼうと思った?」という言語をなんとか勉強し、旅行程度では困らないとか同じ趣味同士の人間となら困らないとか
そのくらいの温度感で話せる国がある。
コロナ禍前に行って感動して、通い詰めようと決めていた国でもある。
一緒に行きたいな~~
小説は文字を目で追うだけではダメでしっかり読者が脳を使って想像を働かせる
それだけ読者の脳に対する影響が大きいからだと思う
漫画だと作者が「こういう世界観なんです」と答えを最初から用意してくれて、視覚情報によって読者の脳が興奮する
作者が与えてくれた絵をひたすら受け止めればいい
今、私は育児しながら読書(主に小説)の趣味も両立させたいと頑張っているが
子供が小学生になるまでは「育児は苦痛が9割」なんじゃないの?と思っている
子供が何か親の気に入らないことしたら、それが一歳の子供でもボコボコ殴って終わらせてた
昔の育児って頭が悪い大人にとってはものすごく有利だったと思う
だって子供をボコボコ殴ってもそれが躾したことになってたんだよ
「育ててやった恩があるんだから」と言って、老後の介護も子供に平気でさせてたんだよ!?
没入感と言う意味では小説の方が漫画を上回るんだなぁという話がしたかった
もちろん、読者がものすごく好きな漫画を読んでいるときと、読者があまり好きではない小説を読んでいるときでは前者の方が没入感はあると思う
漫画は読むのを中断したからといって、またそのページを読めば作者が用意してくれた世界を視覚情報としてそのまま与えられるけれど
小説だと、途中で邪魔が入ると、それまで文章から映像を想像していた脳みそにめちゃくちゃストレスがかかる
だから世の中のお母さんはXで育児垢を作って、スマホを弄ることを趣味にしてしまう
久しぶりに映画を鑑賞したので、感想を備忘録としてまとめておく。
ネタバレ注意。
年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。
『スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。
少年少女を主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合、シナリオのテーマは必然的に「これから大人になる子供たちへの応援歌」になる。
何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマだからだろう。
こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。
最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。
これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。
つまり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。
古今東西、子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。
ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。
先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオを俯瞰した時、スカーレット(主人公)はどう「親」を「殺した」のか。
結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。
「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである。
カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。
なぜこんなことになったのか。
おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元の問題ではないと私は感じた。
話は脱線するが、果てしなきスカーレットはハムレットを翻案したものなので、ハムレットの構造にも触れなければいけない。
ハムレットは行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪い」から始まり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。
詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後は純粋な義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的な政治家として死んでいくのである。
もう一度『スカーレット』に戻ろう。
ハムレットのテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。
ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットをフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーのライオンキング等)。
残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である。
何故そう言えるのか。
ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪いが最後にやってくる。
物語の大団円、最後の最後に父の亡霊が「自分の人生を生きろ」と告げ、スカーレットが子供のころに描いた父の似顔絵(母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。
恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。
死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分の精神に戻ってしまったのである。
その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和を約束する。
いやいやいや。なぜそうなる。
単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語が内包している恐怖が浮かび上がってくる。
劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後に呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である。
劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。
特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスのラスボスである。
民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的な超能力を有している。
死の間際、スカーレットの顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。
あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である。
子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレットを現代の渋谷に飛ばし、ダンスと歌でスカーレットを精神的に生まれ変わらせた。
死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬の王子様役も担っている。
スカーレットはなぜこんなにも性的なメタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。
アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来望まれている理想の父だ。
この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。
そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。
「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠の平和が約束される世界を取り戻す」物語なのである。
王になったスカーレットが民衆に条件付きの平和を約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。
「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。
描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。
何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。
「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」
「女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」
「性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在だからだ)」
つまり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父からの虐待と愛を存分に受けさせている。
それによって癒しを感じているのだろう。
私は過去の細田守作品をほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか。
ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
---
---
---
---
---
---
---
---
この1週間は、**日常の小さな出来事から職場の深刻な悩み、食文化のこだわり、AI・ガジェット、地域ネタまでテーマが非常に幅広い**のが特徴でした。
特に強く浮かび上がったのは
の3つ。
一方で、ChatGPTや会議ツールなどのテック系話題が日常に自然に混ざり、**“生活 ×技術 ×雑談” の融合**が、オープンチャットらしい空気を生み出していました。
全体として、重いテーマとゆるい雑談が心地よく行き来する、温度差のある1週間でした。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
さっそく安くなってた干し椎茸とか昆布とかで出汁をとってお味噌汁作ってみた。味噌汁とごはんに梅干し、海苔。とても癒し効果高い。いま、産地ではない都会で昔風の材料で普通の食事しようとすると1食1000円楽々超えるからだしは粉末とかパックのにしてた。海苔もずっと買ってなかった。それにしても輸入大豆の納豆は安い。
干し椎茸とか海苔とか鰹節とか昆布とか高すぎて誰も手が出ないらしく、スーパーでは賞味期限近くなって割引になるまでずっと動かない。これどうするんだろうな。売れないから仕入れをやめれば売り場が殺伐として激安スーパーと差がでなくなるし。海苔は容量を減らしているようだけど。干し椎茸は7枚パックを5枚パックとかになってくると少なすぎるし。
例えば学生時代のイジメ経験を元にマンガを描く人がいたりする。それを通して経験はみんなのものになり、学級内イジメという個別事例はより広い社会問題に対応するうえでの経験知になっていく。それが作者やイジメ経験者の癒しにも繋がる。つまり個人のトラウマが普遍性を獲得する過程で「表現」「語り」が力を発揮するのだ。
戦争の記憶もそうしたプロセスを経て、いわば民族の血肉になっていく。ただしその過程は一直線で幸福なものであるとは限らない。
トラウマがその後の成長を歪めてしまうように、戦争の歴史的受容の痛みが言論空間を歪めていく。まあ岸田秀みたいな話だが。
わかりやすい例で言えば戦間期のドイツだろう。二度とごめんだと思うほどの惨劇の記憶が速やかに民族的リベンジマインドを産み育てた。
で、日本である。我々はまっすぐ戦争を語る言葉を奪われれてきた。「戦後民主主義」の平板な反省ストーリーがまずどっかりと横たわり、そこを避けて歩こうとすれば兵隊やくざみたいな俗っぽく露悪的な酔っぱらいの「本音語り」に堕してしまう。
だから宇宙世紀だのモビルスーツだののガジェット満載のおはなしに仮託するしかなかったのだ。
そのインパクトが強すぎて大量のエピゴーネンを産み、ひとつの産業みたいにまでなってしまったわけだが。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
---
---
---
---
---
---
---
「現実と趣味」「効率と癒し」「懐古とアップデート」が絶妙に交錯する内容だった。
全体として、忙しく不安な日常の中で、食・音楽・雑談を通じて小さな共感と笑いを交わす、
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
ジョン・ウィックのスピンオフじゃないほうのバレリーナだけど内容はジョン・ウィックみたいな映画。
たぶん55点くらいの映画だと思うんだけど俺は好き、68点。
おそらくPMC(民間軍事会社)関係の主人公の親友が自殺。彼女を追い込んだマフィアのメンバーを殺人マシーンと化した主人公が追い込んでいくっていう、最近何回見たかわからん話。なんだけど、なんかめっちゃアート映画風でそこが面白かった。
主人公のパーソナルな情報はなんかびっくりするくらいふわっとしか描かれないし、敵のマフィアの情報も七すげーふわっとしてて具体性に欠ける。しかし、主人公と親友のなれそめとそこからの交流は非常にぼやっとした画面処理で美しく緻密に描かれる。圧倒的ロマンシス。
仕事で乾ききった主人公を癒し人間に戻せるのが元バレリーナの親友だったんだなとじんわりしみわたる。ジョン・ウィックの子犬(妻)に近いが、あれは導火線としての役割しか果たしていなかったが、本作では親友との甘く暖かい時間と、それを失って復讐に走る痛く冷たい時間が非常に対照的に交互に描かれていく。
アクションは普通に頑張っていて好印象。ただァ↑、スピード感出したくてカメラぐらぐら動かす演出ホンマ嫌い。特に冒頭のスーパーの強盗現場にうっかり居合わせた主人公がそいつらをスーパーにあるものを利用してボコボコにする展開。工夫が凝らされててめっちゃいいのに、カメラぐらぐら過ぎてようわからん。あんだけよくできたシーンなんだからもっと腰据えてじっくり撮っていいのに。
あと強すぎるは強すぎるんだけど普通に多対一だと苦戦するし、スーパーフィジカルエリートのラスボスとの初戦はかなり厳しい戦いになるリアリティはよい。韓国、タイ、インドネシアあたりで特に流行ってる「痛い」アクションも非常にデリシャス。
あとやっぱ主人公よかったな。めっちゃ美人って感じじゃないんだけど、親友の部屋の風呂場で自殺してる彼女を見かけたときの「痛い」表情。さすがに完璧すぎた。あのワンシーンだけでこの映画一本分の仕事したと思う。
アクションもいいし、スタイリッシュアクションに重要な非アクション時のたたずまいもよい。
俺がアート系映画あんま好きじゃないのもあってなんか作品全体がふわふわしてて話に集中しづらかったのと、親友がバレリーナだったことが話にあんま活きてこないのはちょっと不満だったかな。アート映画らしく、友情復讐友情復讐の間の本テーマ以外の部分はかなり意図的に消されているので、何でこうなってるんだっけ?ってちょっと迷子になっちゃった部分もあった。
あったかい冷たいあったかい冷たいっていう連続サウナみたいな映画でだんだん意識が朦朧としてくるので好みは結構分かれると思う。
でも、ワシはロマンシスが好きなんじゃ!という人は見てみるといいと思う。
あんなに主人公を人間側に戻そうとしていた親友が遺書で「復讐して」と書く意味の重さが、終始この作品を推進していた。その言葉に重みを与えるには親友がどれほど主人公のことを思っていたかの描写が必要で、この作品ではそれがちゃんとできていたと思う。
よかった。好き。
趣味欄には必ず一番に「料理」と書いていたが、ここ数年の出来事や事件を通じて料理への情熱を失い、ほぼ完全に興味をなくした。
料理は家庭における私のタスクなのでこれからも続けはするが、あくまでいち家事タスクへと成り下がった。
その過程を、書き記したい。
そもそもなぜ私が料理に興味を持ったかと言うと、きっかけは私が小学生のときに母親が買ってきた、辻調か出したお菓子図鑑だった。
母親自身はその図鑑の写真にしか用がなかったらしくすぐに使わなくなったが、私はその図鑑に夢中になった。
美しいお菓子の写真は眺めるだけで楽しく、またレシピを隅から隅まで読んで、それを実際に作っているのを想像するだけで楽しかった。
子供のころにも実際に何度か作ってみたが出来上がったものは散々だった。それでも達成感があった。
大学進学を機に上京した際もその図鑑は引越先に持っていった(ちなみに今も手元にある)。
その図鑑に載っているものも何種類か作ったし、お菓子作りの本を中心にたくさんレシピ本を買い揃えて、たくさん作ってみた。
大学4年生になり、部活も引退して単位もほぼ取り終わってからは、毎日のようにお菓子を作っていた。
内定先があまり納得の行く会社ではなかったこともあり、このとき内定を蹴ってどこかのケーキ屋に見習い菓子職人として働こうかと本気で考えもした。
しかし、ネットで菓子職人のブラックな労働環境を知り、断念した。
社会人になってからも、学生のころよりは時間が取れないこともあったけれども、お菓子作りをはじめとした料理は、私の癒しであり、私の心のオアシスであり続けた。
イタリア料理とか、インド料理とか、はたまたロシア料理とか、世界中の料理を自分で作って食べることで、まるで旅行しているような気分になれて楽しかった。使ったことのない調味料を使って食べたことのない料理を作って食べる。これは一種の冒険だ、そう思った。わくわくした。
友達がいないこともあり、休日は家にこもって、一人暮らしの狭いキッチンでひたすら料理やお菓子を作っていた。
…そんな感じで、私は料理が本当に大好きで、趣味は?と聞かれたら「料理」と一番に答えていた。
が、ここ数年で冒頭にも述べたとおり料理への熱意がなくなった。
1.ライフスタイルの変化
一人暮らしのときは週末にまとめて1週間分の料理を作って冷凍しておくということができたが、それが難しくなった。一人暮らしのときにはカレー5食分を作れば5日もったのに今は1~2日でなくなる。
そう、料理したいからするのではなくしなければならないからするのだ。それが毎日。
そうなってくると、料理というのは趣味というよりは日々のタスクという様相を帯びてくる。
2. 他にやりたいこと・やらなければならないことが増えた
確かに私も就業中なので時間が取れないときもあるが、全く取れないわけではないので、結婚して子供ができてもなお、しばらく休日などには凝った料理やお菓子を作ることもあった。
しかしだんだん、料理以外にやりたいこと・やらなければいけないことが出てきた。
やりたいことについては具体的に何かは言及しないけれども、このやりたいこと=新た趣味により時間を割きたい場面が増えた。
やらなければいけないことというのは、私の仕事に関連する資格の勉強である。
私の年齢も30代半ばに差しかかり、もし今後転職しなければならないとなったときに大丈夫なのか?うまくゆくのか?という不安がある。
当方女だが、女で小さい子持ちというのは、転職においてデバフとなり得るだろう。
資格によって自分のスキルを証明しておくべきではという危機感がある。
となると資格の勉強にも時間を割きたいから、必然的に料理に割ける時間は減る。
また子持ちなので、当然家事だけでなく育児にもだいぶ時間を取られる。
個人的にはこれが一番強烈だった。
そこは専業主婦あがりっぽい推定50代程度のおばさんが個人でやっている料理教室なのだが、そのおばさんは毎回私を馬鹿にする発言をする人だった。
私がなにか料理について質問したら「なにそれ、衝撃の発言なんだけどwww」とか言っていた。
それでも、私が大好きな料理のためだと思ってしばらくは我慢して大体月1~2回くらいのペースで通っていたが、上記の1,2の背景もあって料理に時間も熱意も割けなくなってきたこともあって、だんだん「なんでわざわざ時間と金をかけて不快な気持ちになりに行っているんだろう…?」と思うようになっていった。
最後のレッスン中は、嫌だという気持ちが受講中も態度に出過ぎてしまったと思う。
最終的には、このおばさんが私に対して、私の子育て方法についてもっとこうすべきと言った上で、私の目の前で「私たちの若い頃はー」と、他のおばあさん受講生と談笑を始めたことが引き金となり、その教室は辞めるに至るのだが、
後日、このおばさんから、スーパーで1万円以上買ったときのレシートみたいな長文LINEがきた。
LINEの内容としては、上から下まで100%、私への悪口、説教だった。
私が自身がやった何かに怒っていることは大体察しがついているようだったが、「私は悪くない」と言っていた。
もうこれが、本当に無理だった。今でもトラウマだ。
外であのおばさんと同世代以上とみられるおばさんに出くわすと怖くなった。
あのおばさんから習った料理は、たとえ他の人が考案したレシピでも全部作れなくなった。
料理中にあの女の嘲笑と、悪意100%の長文LINEがフラッシュバックするようになった。
それまであんなに料理が大好きだったのに…。それまでは、実生活でクソなことがあっても料理で癒されたのに。
それが機能しなくなってきて、むしろ料理することで苦痛を感じるようになった。
そのこと自体が、私にはショックだった。
念の為言っておくと、あのおばさんはマジでやばい奴だと今も思ってはいるが、基本的には私が引き際を誤って我慢して通い続けて不遜な態度をとってしまったこと、その結果、あのやばい奴を焚き付けてしまったことが一番よくなかったと反省している。
やばい奴からはできるだけ早く逃げるべきだと身を以て痛感した一件だった。
3の事件により心に大ダメージを受け、料理で苦痛を覚えるようになってきた私だったが、まだなお、あのおばさんから習っていない料理だったらそこまでトラウマは蘇らなかったので、あのおばさんから習っていない料理を中心に再び色々チャレンジしてみよう!と思ったりもした。
規則的に運動を始め、専用のアプリで毎日の食事の記録をつけ始めた。
すると、私が作るお菓子とか手間のかかる煮込み系の洋食なんかは、まあ当然だけれども脂質がとんでもなく高いとのこと。
で、「じゃあこの1週間で何が一番脂質も少なかったの?」と聞くと…、鍋だった。
鍋。
スーパーの鍋の素買って、そのパッケージに書いてある材料を切って煮ただけの食べ物。これが一番ヘルシー。そしてこれが今一番家族に求められている…。
それに楽だし、子供も喜んで食べるし、野菜もたんぱく質も自分含め家族全員摂れるし、これでいいじゃん…。というか、これがいいじゃん。
そうなってくると、もう自分が作りたい凝ったお菓子とか洋食とか、全く作る気にならなくなった。
そして、鍋みたいな材料切って煮るだけの簡単な料理の方が、苦痛を感じないことにも気づいた。
最近の私は、料理中に(例えば3の事件を思い出すなどして)不快な気持ちになってイライラしてきたら、心のなかで「たかが料理」とつぶやくようにしている。
そのまま、上機嫌で食卓にありつける。
この呪文を唱えると、料理によって生じる不快感は減るけども、同時に私の料理に対するもはや残り火のような熱意、好奇心…。
そういった気持ち、私がそれまで料理に燃えていたときの原動力とも言える情熱もまた、すーっと消えてゆくのだ。
そして、今仮に「趣味は何ですか?」と聞かれたら、料理とは答えないなあと思った瞬間、ああ、もう私にとって料理は趣味じゃなくなったんだな…と思った。
3の事件直後は料理が苦痛になってきたこと自体にショックを受けていた私だったが、今はもうショックはなくて、「ああ、そうか」と、平常心で料理が趣味ではなくなったことを受け入れていた。
でも、料理が大好きだった期間がとても長かったので、私にとって料理が完全に趣味ではなくなったこと、完全にいちタスクとなったことについては驚きがあった。
だからここで今までの経緯を振り返ることで、私の料理に対する情熱を供養したい。
(余談だが、土井善晴氏は「家庭料理なんて適当でいいんだよ」的な趣旨の発信でメシを食っている人というのが私の認識なのだが、上記の経験を経て、これって確かに料理という家事タスクに負担を感じる主婦(主夫)を救うかもしれんけど、一方で家庭料理の質やスキル向上には寄与せずに、むしろその質を全体的に底下げることにつながりかねないのでは?と思ったりした。
…まあ、家庭料理にもう誰もそこまでクオリティ求めてないよ、今や共働きの時代だし、と言えばそれまでなのだが。)
Permalink |記事への反応(29) | 13:04