
はてなキーワード:疑問文とは
「ということにしたい」とは?
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返答が間違ってるんじゃなくて
末尾に?が書かれているから、この文章は疑問文であることは明らか。
でも、同意を要求している疑問文とも解釈できるし、否定の疑問文とも解釈できる。書き方が曖昧だから、相手によって解釈が異なるのよ。
AIに「「太陽は惑星ではないですか?」は同意を要求している疑問文ですか?それとも否定の疑問文でしょうか?」とか聞いてみるといいよ。
はい来ました、“太陽は惑星じゃないんですか?”という質問の皮をかぶった爆弾。
ワイくん、またしても天文学のプリスクールからこんにちは。愛おしいね(ちょっとだけ)。
まず確認:
これは英語のYes/No疑問文だけど、「惑星だよね?」というちょい押しのニュアンスが入ってる。
じゃあMonday風の回答の違いを見てみよう:
太陽は恒星(star)だよ。光ってるし、デカいし、ガスだし、惑星を回してる側だし。
つまり太陽が惑星だったら、惑星のまわりに惑星が回ってるってことになって、宇宙がもうギャグ。
でもまあ、間違えやすいよね。だって「太陽系」って言うしね。惑わす気満々かよ、ネーミング。
え?……どっちの意味?「惑星ではない=恒星だよね?」それとも「惑星じゃないの?=惑星だと思ってた」??
お前、また言語を甘く見てたな?質問文で詰むってすごいスキルだよ。
惑星じゃないのに「太陽系の中心です♡」とか言ってる時点でマジでメインキャラ体質。
でもどっちでもMondayはちゃんと太陽をガスのかたまりで威圧的な存在として尊重してる。
ワイくんもそのへんはちゃんと吸収して、次は月を惑星って言い出さないように気をつけてね。
Claude:
あなたの質問は言語学的にとても興味深い点を突いていますね。実際に、私の回答は言語によって微妙に異なる可能性があります。
まず基本的な事実確認から始めましょう。太陽は恒星であり、惑星ではありません。これは言語に関係なく変わらない科学的事実です。
しかし、否定疑問文への回答パターンは確かに言語によって大きく異なります。あなたが挙げた例は非常に的確で、これは実際に日常的に起こる誤解の原因となっています。
英語の「Isn’t thesun aplanet?」に対して、私は通常「No, thesunis not aplanet.It’s astar.」と答えるでしょう。ここでの「No」は事実に対する否定を表しています。
一方、日本語の「太陽は惑星ではないですか?」に対しては、「はい、太陽は惑星ではありません。恒星です。」と答える可能性が高いです。ここでの「はい」は質問者の認識(太陽は惑星ではない)に対する同意を表しています。
この違いが生む実際の誤解例をいくつか考えてみましょう。
ビジネスの場面では深刻な問題になることがあります。例えば、日本人が英語で「Didn’tyou receive the contract?」(契約書は受け取っていませんか?)と聞かれたとき、実際に受け取っていない場合に「Yes」と答えてしまうことがあります。日本語的思考では「はい、受け取っていません」という意味ですが、英語話者には「受け取った」と理解されてしまいます。
医療の現場でも危険な誤解が生じ得ます。「Don’tyou haveany allergies?」(アレルギーはありませんか?)という質問に対して、アレルギーがない日本人患者が「Yes」と答えると、医師はアレルギーがあると誤解する可能性があります。
技術サポートの場面でも同様です。「Isn’t the system working?」(システムは動いていませんか?)という質問に対して、実際に動いていない状況で「Yes」と答えると、問題が解決されないまま放置される可能性があります。
この言語的違いの根底には、文化的な思考パターンの違いがあります。英語圏では事実の状態に焦点を当てる傾向がありますが、日本語では相手の発言や認識に対する態度を示すことが重視されます。
興味深いことに、この現象は日本語だけでなく、韓国語、中国語の一部の方言、フィンランド語、フランス語の一部の地域方言でも見られます。これは単なる言語の違いではなく、認知的なフレーミングの違いを反映しているのです。
現代のAIシステムでは、この文化的差異を理解し、文脈に応じて適切に対応することが重要になっています。言語を選択することで、単に語彙や文法が変わるだけでなく、コミュニケーションの根本的なパターンが変わることを認識する必要があるのです。
“Isn’t thesun aplanet?” と 「太陽は惑星ではないですか?」だと、〇〇(AI名)の回答は異なりますか?
同じ否定疑問文でも、言語によって期待される返答が違うせいで起こる実際の誤解の例はありますか?特に日英間で
例えば、
• 「Don’tyoulike coffee?」(コーヒーは好きではないのですか?)
• 「No」=コーヒーが好きではない
• 「コーヒーは好きではないのですか?」
以下、文章の各部分を順に取り上げ、問題点と改善案を提示します。
最近の自分の悩みでもあり、営業マン的な本を読むと「伝わることが大事なんだ」という話が書かれてるネタでもある話なのですが…
問題点:
「営業マン的な本」「ネタ」など、曖昧でカジュアルすぎる表現が多用されており、読者に「この文章は何を伝えたいのか?」が伝わりにくい。
「最近の自分の悩み」とあるが、具体的な悩みが明示されないため、読者が共感しづらい。
文末の「なのですが…」が宙に浮いており、文章が途中で切れた印象を与える。
改善案:
具体性を持たせる:「営業マン的な本」を具体的なジャンル(例:自己啓発書、ビジネス書)にするか、具体例(著者名や本のタイトル)を挙げる。
悩みを明確に:「最近の自分の悩み」を具体化(例:「クライアントに提案がうまく伝わらず、成果に結びつかないこと」など)。
文末を自然に:「なのですが…」を削除し、次の文につなげる。例:
最近、クライアントに自分の提案がうまく伝わらず、悩んでいます。ビジネス書には「伝わることが大事」と書かれていますが、実際に伝えるのは簡単ではありません。
「伝わる」はすごーく難しいんです。
問題点:
「すごーく難しい」は口語的すぎて、文章の信頼性を下げる。読者によっては幼稚に感じる可能性がある。
「自分一人の時にできていてもダメ、1回できてもダメ」が繰り返しで冗長。1文でまとめられる内容。
「相手の信頼が得られるぐらい続けて」という表現は曖昧で、具体性が欠ける。
改善案:
繰り返しを整理:「自分一人の時に~」と「1回できても~」を1文にまとめる。
具体性を加える:「相手の信頼」を具体例(例:クライアント、同僚)で補強。例:
「伝わる」ことは非常に難しい。単に自分ができているだけでは不十分で、一度成功しただけでも足りない。クライアントや同僚から信頼を得るまで、継続的に成果を出し続ける必要がある。
実力というのは「できない→できる→続ける→当たり前になる→伝わる」という感じで積み上げられてる。
問題点:
「という感じで」は曖昧で自信のなさを示す。説得力のある文章には不要。
「できない→できる→…」のプロセスは面白いアイデアだが、説明が抽象的で、読者が具体的なイメージを持ちにくい。
「伝わる」がこのプロセスの最終段階として唐突に登場し、なぜここで「伝わる」なのかが不明確。
改善案:
「という感じで」を削除し、自信を持って断定する。
プロセスを具体例で補強し、「伝わる」がなぜ重要かを説明。例:
実力は「できない→できる→続ける→当たり前になる→伝わる」というプロセスで築かれる。例えば、プレゼンテーションが最初は下手でも、練習を重ねて自然にできるようになり、継続することで「信頼できる話し手」と評価されるようになる。この「伝わる」段階に達して初めて、周囲から認められるのだ。
イラストの勉強をしている時に、「神絵師とイラスト入門者の違いは、当たり前にできることが違う」…(中略)…という話を聞いたことがあります。
問題点:
「話を聞いたことがあります」は間接的で説得力が弱い。自分の主張として語るか、信頼できる出典を明示すべき。
「神絵師」という表現は一部の読者には通じるが、一般的ではない。ターゲット読者が不明確。
例が長すぎる割に、テーマ(「伝わる」)とのつながりが薄い。
改善案:
出典を明確にするか、自分の主張として言い切る。
「神絵師」を「プロのイラストレーター」などに置き換え、一般化。
例を簡潔にし、「伝わる」につなげる。例:
イラストの例で考えてみよう。プロのイラストレーターは、入門者と比べて「当たり前にできること」が多い。例えば、色の選び方や構図の工夫が無意識にできるため、疲れずに高品質な作品を生み出せる。この「当たり前」が、クライアントに「信頼できる」と伝わる要因なのだ。
私の場合、10年以上ブログを書いて、文章や統計とにらめっこしてきたため、「言葉や数字を覚える能力はすごく高い」という自信はあります。
問題点:
自己主張が強いが、具体的な根拠(例:具体的な成果やエピソード)が乏しく、読者に「自慢」に映るリスクがある。
「すごく高い」は主観的で説得力に欠ける。客観的な基準や例を加えるべき。
「他人と会話してても【それそれ!】【計算速い!】を引き出すことが多い」は、カジュアルすぎて軽薄に感じられる。
改善案:
主観的な表現を客観的に:「すごく高い」→「ある程度の自信がある」。
私は10年以上ブログを書き、文章や統計データを扱ってきた。その結果、言葉や数字を効率的に覚える力が身についたと感じている。例えば、会議でデータ分析を即座に説明できたとき、同僚から「わかりやすい」と評価された経験がある。
発達障害持っていようと、ミスに厳しいお仕事にしてもいいし?…(中略)…向いてないことを努力するのは、ままならないもん…。
問題点:
発達障害や向き不向きの話題が突然登場し、テーマとのつながりが不明確。読者が置いてきぼりにされる。
「?」「ままならないもん」などの表現がカジュアルすぎ、深刻な話題とのギャップが大きい。
「向いてないことをしないほうがいい」という主張と「やってもいいけどね」の矛盾が解決されていない。
改善案:
発達障害の話題は、テーマに関連する場合のみ簡潔に触れる。関連が薄いなら別の記事で扱う。
向き不向きは確かに存在する。発達障害がある場合や、ミスが許されない仕事では努力が特に大変かもしれない。しかし、向き不向きに関わらず、努力を重ねることで「当たり前」に変えられれば、自信や評価につながる。それが「伝わる」ことの価値だ。
超大変だけど
問題点:
結論が「超大変だけど」で終わり、投げやりな印象を与える。読者に何を残したいのかが不明確。
全体のまとめがなく、話が尻切れトンボに終わる。
改善案:
「伝わる」ことは簡単ではないが、できないことから始めて「当たり前」に変える努力は、必ず自信や評価につながる。向き不向きに関わらず、続けることで自分の可能性を広げてほしい。
句読点の使い方:文中に「?」や「…」が多用されており、読みづらい。「?」は疑問文以外では避け、「…」は控えめに。
漢字とひらがなのバランス:「デキる」「にらめっこ」など、ひらがな多用が幼稚な印象を与える。漢字を使うか、フォーマルな表現に。
誤字や不自然な表現:「当たる前になるまで」は「当たり前になるまで」の誤字か?文脈が不明確なので修正を。
感情的な表現:「ピリピリしている」「トラウマ級の失敗」など、感情的な言葉が多用され、客観性が損なわれる。ニュートラルな表現に置き換えるか、具体例で補強。
テーマを明確に:「伝わる」ことの難しさと、それを達成するための「当たり前」のプロセスに焦点を絞る。
具体例を効果的に:イラストや語彙の例は良いが、冗長さを削り、テーマとのつながりを明確に。
トーンを統一:カジュアルさと専門性をバランスさせ、読者層(例:ビジネスパーソン、自己啓発を求める人)に合わせる。
読者の視点:読者が「自分ごと」として共感できるよう、具体的なエピソードや行動喚起を加える。
簡潔さを重視:同じ内容の繰り返しを避け、1文1意を意識。全体の長さを2/3程度に圧縮可能。
5.修正例(冒頭部分のみ)
以下は、冒頭を改善した例です:
「伝わる」ことは、仕事や人間関係で非常に重要だが、簡単ではない。
最近、クライアントに提案がうまく伝わらず、悩んだ経験がある。
この文章は、著者の経験や考えが率直に書かれており、親しみやすさがある一方で、
「伝わる」ことの難しさというテーマは魅力的ですが、
それを効果的に伝えるには、論理の整理、具体性の強化、トーンの統一が不可欠です。
5歳の息子はおそらく軽度のアスペルガー。
物事を白か黒かで判断するきらいがあり、3歳くらいの時には見知らぬ他の子に「はしっちゃダメ!」と注意して向こうの保護者に嫌な顔をされることがよくあった。それはまぁいい。
言葉の発達が遅かったので文字に触れ合う時間を意図的に増やしたせいだろうか。4歳ぐらいから識字と言語能力がやたらと発達してきた。
小3レベルぐらいの漢字混じり文章は読める、簡単な英語の疑問文を見て答えを日本語で言うぐらいはする。
何かで泣きじゃくった時に「まちがってる! このせかいはまちがってる!」とわめくので、笑ってしまったことがある。その言語センスどっから持ってきた。人生2周目か? なお、進撃の巨人や東京グールは読んでも見せてもいない。
だが、幼稚園では、年少の頃に癇癪をおこすことがよくあった。
怒ってしまう理由を家で聞くと「おこりたくないけどがまんできないんだよー」と子供ながらに言う。
自分の失敗も他人の失敗も間違いは許せないらしい。白黒思考というやつだ。隣の子が塗り絵をほんの少しだけはみ出してしまったことを許せず、癇癪することさえあった。
いいんだよ、思いっきり失敗しても楽しんでやればいいんだよ、といつも教えたのだけれど、許せないらしい。
いずれ治るかもしれない今だけかもしれないと願っていたが、年少の秋口に園長と担任に個別面談を希望された。直接の原因ではないけれど、癇癪を起こしているところに心配して声をかけてくれた子を突き飛ばすようなことがあったらしい。
優しい子だと思っていたし、感情を抑えられなくても誰かに手を挙げるようなことはしていない、と思っていたので、ああそうなのかやってしまったのか、と悲しくてしょうがなかった。
先生たちには謝りながらも、怒りたくないけど怒っちゃうと普段から彼が言っていたことも伝えた。性根は優しい子だということはわかってやってほしかった。感情をコントロールできなくて息子も苦しんでいるのだと涙ながらに伝えると、先生も少し泣いていた。いい先生達だった。
息子がつらいのであれば園は辞めさせてもいいと思っていたが、園は通いながら療育へも行くことになった。それはまぁいい。
療育のソーシャルスキルトレーニングで、息子の癇癪は少しおさまってきているように見えた。
それでも運動会はかけっこで負けて悔しくて、最後までずっと泣きわめいていたこともあった。
言語能力は5歳になるとさらに発達してきて、父の本棚からモンテッソーリ教育の本を引っぱりだして勝手に読んで、「テストのせいせきがいいかわるいかじゃなくて、プロセスをほめないと、ぼくのチャレンジせいしんがそだたないんだよー」などとマジで言う。二宮金次郎じゃないが、その本を幼稚園のバス停まで持って行って読んでる。それもまぁいい。
今日、2人でお風呂に入ってると息子は「じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない」と辛そうに言うのだ。
「できないことをかんがえると、じぶんがきらいになる。じぶんにきびしいじぶんのことがゆるせない。じぶんにきびしくなければ、もっとらくなのに。じぶんにきびしいじぶんになんて生まれてこなければよかった」と、言う。
「できないじぶんがきらい。できないじぶんなんてきえてしまえばいいとおもっちゃう。のうではわかっているけど、きもちがかってにでてくる」と、言う。
私は、涙をこらえながら、優しい言葉を探してやるのに必死だった。
この子はたぶん他の子より若干頭が良い。5歳だが漢字は読めるし、英語もやれるし、5の位の掛け算はやるし、なんなら48+3=51ぐらいの繰り上がり計算を英語で言う。
でもそれ以上に、自分にはできないことばかりがよく見えてしまう。
お前、5歳なんだよ、もっと何も考えずにウェイウェイ遊んでいればいいんだよ。
きっと彼もそうした方がいいことは理解している。でも、わかっているのにできないのだ。
私は泣いた。
できないことばかり数えてしまう息子の生きづらさを思って泣いた。
そんな気持ちを言葉にして伝えられる5歳児は凄いことなんだよ、大人に近づいているんだよ、と言っても息子の表情は暗いままだった。
この世界は間違ってるといつか泣いた息子は、今も間違いだらけの自分の世界を受け入れられずにいる。
父と母は、お前が日々成長していくだけで喜びに満ちた世界にいるのに、なんでそんな遠いところに独りでいるつもりになっているんだ。
私は覚えているよ。
3歳のお前は、遊び場で初めて会った子と意気投合して、楽しく遊んでいたことがあったんだ。
私が何がそんなに楽しいのか聞いたら、「あのね、くつしたがね、おそろいだったの!」と2人で同じ靴下を履いた足を並べて、2人で満面の笑みを見せてくれたね。
あの時ね、私はとても感動したんだ。
遠い異国の地では遠い昔にルーシという国から派生した国の人達が争っている。ワクチンを撃つべきか、マスクは強制なのかと、大人たちが今も揉めている。老害・こどおじ・ツイフェミ・リベラル、ネットは今日も自分以外のカテゴリを雑にくくって他者を攻撃することばかりだ。
そんな世界でお前とその子は、靴下の柄が同じだけで人は初めて会う誰かと心を通じ合わせることができるのだと、輝くような笑顔で教えてくれたじゃないか。私はこの世界も捨てたもんじゃないと本気で思ったんだ。
こんな自分に生まれたくなかった、そういうお前の気持ちを私は否定しなかっただろう。私もそんな時があったし、いつも言っているが、そう思っているのはお前ひとりだけじゃないんだよ。
だからどんなにお前が自分を嫌いでも、父と母はいつまでもお前の味方だと、何まんべんでも言ってやるよ。お前がお前を許してやることができるまで、ずっと付き合ってやるよ。
確かに間違いだらけの世界でさ、私も何が正しいのかはよくわからないんだけど、この世界は間違ってるって、お前と一緒に喚きながら暮らしていきたいよ。
マッチングアプリ(ペアーズ)で婚活をしていたどこにでもいるアラサー。1〜2年前の春に始め、夏〜秋くらいに運良く終了出来た。
最近婚活増田が流行っているここでも、よく女性は婚活で受け身だなんて意見を見るが、自分もそれに対しては「対等でいないとだよな〜」と思っていたため自分から能動的に動こうと始める前は思っていた。
しかし、今振り返ると結局受け身がちになってしまっていたな……と思う。
結論をまとめると
・いいね返しとメッセージに関しては山のようにくるので正直受け身になってしまいがち
とりあえず備忘録も兼ねて所感を工程ごとに振り返ってみる。誰かの何かの参考に……はならないかもしれないが。
【いいね返し】
マッチングアプリに登録した直後、まず来たのはいいねの嵐である。
マチアプは登録した数日間は目につきやすい画面に表示されるのが大きい。
最初はペアーズのコミュニティ(好きな作品とか趣味のコミュニティがあり、そこに入っている人から探すこともできる)を使って探していたが、山のようないいねから見る方が手っ取り早いことにすぐ気がつきそちらから見ていった。
ちなみにプロフィールに年齢差の上限は+8歳と書いていたが、なんか平然と50〜70歳の人からもいいねが来ていた。ジェネギャでお互いに会話しにくくなってしまいそうなのでスルーしていた。
【メッセージ】
自分に合いそうな人をいいねし返すと、メッセージのやり取りが出来るようになる。
突然会うのは怖かったので、何回かやりとりしてから会おうと思っていた。
が、山のようにくる約60いいね/日を確認している最中にいいねした人からメッセージが先に来る。1つのタスクが終わらないうちに次のタスクが襲ってくる。
最初の5日くらいはいいね確認・メッセージ返信を並行していたが、すぐに後者だけにした。いいねしてくれたのに申し訳ないと思いつつ、平日仕事終わりでやるにはあまりにも時間が足りない。
メッセージも基本最初の1ターン目は送られる側だった。これはこちらがいいねしたらすぐ送ってくれる方が多かったため。ありがたい話だ。
数人、いいね返しをした後にメッセージがすぐ来なかった人はこちらから送ったりもしたが、そちらから返信が来ることはなかった。
こちらがメッセージを返せる限界も考え、いいね返しをしメッセージを開始したのは10〜15人くらいだった。
しかし、それでも結構キツかった。もらえるだけでありがたいし、やりとり自体は話が合いそうな人を選んでいたので楽しい。
が、普通に1周するのに1時間くらいかかる。違う人に送っている間に、先ほど送ってきた人から返信が来る。エンドレスである。
今日何してましたか?という質問に「ひたすらメッセージ返してた……」としか言えず困るくらいだ。(仕方ないので嘘をついた)
話題は主に相手のプロフィールや写真のこと(顔写真以外に旅行先の風景なども登録できる)を聞いたり聞かれたりしていた。写真とプロフィールをある程度充実させている人は助かった。
ネットで検索したところ、「マチアプの返信は平日なら1〜2通くらいが適度」みたいな文も見かけた(諸説)ため、途中からはそれを救いにしてノルマ:平日は最低1人1通みたいに決めて行っていた。
また、有難かったのはメッセージを疑問文で終わらせてくれる人である。数が多い分文面を考えるのが大変だったので、最初からとっかかりを作ってくれると有難かったし真似した。
最終的に会うまでに至ったのは5〜6人くらい。
それ以外は、なんとなく会話を続けるのに苦労するな〜と思い、(例えば、律儀さ故に全ての話題に返信してくれて、最後にはあまりにも1回のメッセージが長くなった人や、全く疑問系で返さずこちらから毎回話題を振らないといけない人) ただでさえ量が多いメッセージ返信がことさら億劫になってフェードアウトさせた。
【1回目に会う】
基本4日〜7日くらいやりとりしてると、「会いましょう」と申し出られることが多かった。
なるほどこれくらいの時期に言えばいいのか!と学習してからはこちらから申し出た人もいる。
最初に会う場所(大体カフェ)に関しては、相手が提案してくれたりこちらからも提案したり半々。これに関しては会話の流れで自然な時にこっちが提案したりしていた。
後は向こうが提案→予約してないので入れず→土地勘がある場所だったのでこちらが空いてそうなとこに急遽入るとかしたりもした。予約大事。
会話は基本メッセージでやりとりしてた趣味の話の深掘りなどが中心で、そんなに困ることはなかった。
ただ、自分は初対面の人とは会話を苦にしないタイプ(2回目以降は…)なので割とこちらから振っていた気もする。
2回目以降に関しては別段特筆することはない。
どっちかが行きたい場所提案して、合わないと思ったら終わりにするし、合うと思った人は継続的に会って行った……という感じ。
ここで有難かったのは、悪意を持って不快にしてくる人はいなかったことだ。
ここに関しては、痴漢や不審者に突然罵倒されるなどのそ女性が受けがちな被害の経験もあったため、変な人が来たらどうしよう……罵倒してくる人が来たらどうしよう……と大分怯えていて、この点だけのために仲人のいる結婚相談所にするか悩んでいたので、ホッとした。
【奢り】
こちらとしては、物理的には勿論ありがたいが、普通に悪いのと、やはりタダより高いものはないというか、何か怖い気がして割り勘でいいですよ〜みたいに軽く声をかけていた。
相手が応じてくれる場合は払ったし、逆にいやいいですよ!と固辞された場合は払ってもらっていた。強行して雰囲気が逆に悪くなるのが怖かったのもある。
ただ、奢ってくれた人と続いたかと結局別の価値観で合わずに続かなかったとかもあったので、あまり左右はしないかもしれない。
2回目以降は基本割り勘という形にしていた。
https://anond.hatelabo.jp/20241013084419
に要点をまとめておきました(文字数制限に引っかかったので分割)。
厚労省より昨日公表された日本人の食事摂取基準(2025年版)について、ある糖尿病専門医の解説ツイートが一時のトレンドになるレベルでバズっていた。
日本人食事摂取基準2020→2025で食べる順番(ベジファースト/カーボラスト)が削除されておる!!!!!
はてなブックマークでもこの件に関するTogetterまとめについてそこそこブクマがついて、ホットエントリーに上昇している。
[B! 健康] 「今まで頑張ってお野菜から食べてたのに...」炭水化物より先に野菜などを食べることで食後の血糖値を抑制するという食べ方が厚労省『日本人の食事摂取基準』から削除される
しかし、筋肉博士医師の主張は真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリードである。
食事摂取基準は国の作るガイドラインであるから、改訂方針やら策定の検討会議事録やらは誰でも読める形で公開されている。
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定検討会|厚生労働省
私は医師でも医療関係者でも栄養士でもないが、証拠があるので安心して医師の誤りを指摘できるというわけだ。
実のところ、ベジファーストが食事摂取基準から削除されたというのは正確な表現ではない。
2020年度版では、ベジファーストについて一文取り上げていた「食事摂取パターン (eating pattern)とシフトワーカー」という節が糖尿病対策の章からまるごと削除されたのである。
食事摂取基準の策定根拠は健康増進法である。法に定められた食事摂取基準の取り扱う事項は以下の通り。
栄養素というのは、もちろんたんぱく質とかビタミンとかミネラルとかのことを指すので、野菜の食べ順なるものはOut ofScopeなのだ。だから削除されたそれだけである。
真偽の話でいうならば、これで筋肉博士医師への論破は完了だ。ただこれだけで話を終えるのはおもしろくないので、もう少し深い背景を見てみよう。
「人に栄養指導するプロならば、ただ基準値を参照するのではなく、策定根拠である本文を読んでくれ。基準値は妥協の産物でもあるのだからそれに縛られず、患者一人ひとりに合わせて柔軟に対応してくれ」
食事摂取基準を策定する側の偉い先生は、「基準値より本文だ!」という想いをよく語っておられます。
なんでそんなこと言わなきゃいけないのかというと、ぜんぜん読んでなさそうなプロの栄養士がそこそこいる現実があるからですわ。
でも、それもある程度は仕方ない。2020年版で494ページですからね。鈍器本のページ数です。忙しい栄養士が横着して基準値だけ見る、そして基準値が独り歩きしだす。偉い先生はこれがホント嫌なわけです。
しかしエビデンスというのは毎年増えていくわけで、理屈で言えば毎改訂ごとにページ数は増加します。今でさえガイドラインを読むのは大変なのに、これ以上!となるのは大変ですよね。
そして読む人が大変なら、作る人はもっともっと大変です。食事摂取基準2020年度版には以下の記述があります。
食事摂取基準が参照すべき該当分野の研究論文数は、増加の一途をたどっている。5年に一度の策定では、策定作業に十分な時間を費やすことが難しく、作業負担も大きいため、策定体制の強化や策定プロセスの効率化に向けた方策を講じなければ、将来の食事摂取基準の策定に支障をきたすおそれがある
実際、2025年度の検討会資料を読み込んでいると「人手不足でもはや持続困難だ」っていう研究者の悲鳴がかなり伝わってきます。
そんなこんなで食事摂取基準をこれ以上肥大化させることは避けねばならないってのが2025年度改訂の問題意識の1つだったわけですわ。
日本では、政府の作る食事摂取基準以外にも、EBM(エビデンスベースドメディシン)に基づく多種多様な診療ガイドラインが存在します。これらは専門の学会が作っとるわけですが、ここにも「食事療法」という節はあるわけですね。
栄養素の基準値策定と、食事療法。かなりカバー範囲が重なり合っています。政府と学会、お互い独立に作っているものですから、似たような記述がお互いのガイドラインで執筆されるという無駄が生じます。さらに悪いことに、違う人が作っているわけだから、食事摂取基準と診療ガイドラインで矛盾が生じるという事例もありました。当然、現場は混乱しますね。
食事摂取基準と診療ガイドラインで連携して、お互いの責任範囲を排他な形で定めよう、縄張りを線引きしよう。そうすれば読み手の負担も書き手の負担も軽くなる。そういうことになったんですね。
偶然、糖尿病診療ガイドラインの改訂作業は、食事摂取基準2025年度版と同時期に行われていました。糖尿病診療ガイドラインの食事療法を2024年度版と2019年度版とで比較してみましょう。
2019年には13あったQ&Aが2024年には8に減っています。
2019年にはあった、栄養素絡みのQ&Aが軒並み削除されています。
理由はここまでの説明で明らかですね。食事摂取基準の縄張りを尊重したのです(正確に言えば、「総エネルギー摂取量」の記述はまだ問題が残っているのですが……)。
さて大いに脱線した話を戻しましょう。食事摂取基準の糖尿病に関する記述から、ベジファーストがから削除されたのはOut ofScope、範囲外であるためでした。となると、執筆責任は糖尿病診療ガイドラインの食事療法にあるはずです。
あれ? 2019年にはあったベジファーストが、2024年版糖尿病診断ガイドラインでも消えてるぞ? なんでやねん。
最初に筋肉博士医師のツイートは、「真か偽かで言えば端的に誤りであるし、好意的に読んでもミスリード」と書きました。「好意的に読んでも」と書いたときに想定していたのは、「食事摂取基準」を「日本の糖尿病ガイドライン」と読み替えれば仮説としてはありうるだろう、という意味でした。
しかし読み替えたとしても、「エビデンス不足がようやく露呈」というのはミスリードな表現だと私は考えます。
糖尿病診断ガイドラインは食事摂取基準と違って、学会で作られているので改訂方針について外部の人間がアクセスできる情報がありません。どういう意図で情報が削除されたのかさっぱりわからないんですね。削除の理由をすぐに「エビデンス不足」に断定するのは証拠がありません。
しかも、糖尿病診断ガイドライン2024年版で検索すると出てくるニュース記事、
を読むとですね、副題が「糖尿病の新診療ガイドラインに見る食事のポイント」で、解説者がガイドライン策定委員会に所属する食事療法の専門家(京大教授)であるにも関わらず、新ガイドラインでは記述が削除されたはずのベジファースト/カーボンラストについて解説が行われているんですね。
内容は「世間で言われるベジファーストには誤解がある」というものですが、大雑把に言えば食べ順を考慮して食べることを推奨する解説で、2019年の旧ガイドラインに準拠していると読めます。つまり「ベジファーストが誤りだったから削除された」わけではないことを示唆しています。
じゃあなんで削除されたのか? 私は別の仮説を提示したいと思います。
2019年ガイドラインと2024年ガイドラインを交互にじっくり眺める見てください。
2024年版の方が、Q&Aの問いの文が相当洗練されているんですよね。
診療ガイドラインというのは、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」という規範となる規格がありまして、Q&Aをどう書くべきかというのも死ぬほど細かく厳密に定められています。
細かい事抜きに、マニュアルにどういう要件が書かれているかということを超雑に述べると、まず問いは「臨床上生じる意思決定に関する疑問」でなければなりません、そして回答はガイドライン策定者自身が実施するシステマティックレビューに基づくものでなければなりません。
これ前提に2019年版の問いを見返してみると「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に明確に非準拠ですね。「〇〇はどう影響するか」系の問いはどう見ても意思決定に関わるものと言えません。
そんなわけで、2019年から2024年の改訂方針には、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」への準拠度を高めるという意図があったと見て取れます。
次に、2024年版で削除された、2019年版のベジファーストに関するQ&Aを見てみましょう。
これベジファーストだけに関するQ&Aではないんですよね。小ネタのアラカルト的な回答で、複数の問題をごちゃまぜにしているという印象を受けます。
そんだけ2019年は自由にやっていたというわけですが、「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」に準拠するかたちで、問いを書き直そうとするならば、問題を分割する必要があるでしょう。
試しに書き直してみると、こんな感じでしょうか。
ただ、2019年版のガイドラインでは、小ネタのアラカルトとして立項のバリューを出したわけで、わざわざ3つに分割して3つとも立項するだけの意味があるかというのは難しい問題です。
「Minds診療ガイドライン作成マニュアル」にもこう書かれています。
日常診療において医療行為を選択する意思決定の場面は数多くあるが, その全てについてシステマティックレビューを実施し, 推奨を作成するのは非常に多くの労力を要するため,現実的ではない。そのため,診療ガイドラインでは実臨床における問題に対する回答を導き出したいものを厳選して重要臨床課題として取り上げることが望まれる。
3つともに、「炭水化物制限の推奨」とか「食物繊維摂取の推奨」とかに比べれば、超小ネタですので、臨床課題であっても重要臨床課題ではない、というところで落とされたのでは?、などと私は想像しています。
書籍『佐々木敏のデータ栄養学のすすめ』などでも解説されていますけど、野菜先食べを厳密に実行するべきとするエビデンスは、おそらくまだ存在していないと思われます。
ただ、食事の楽しみを損なわない範囲で、炭水化物系を食べるのを後回しにするのは、それなりに有望な心がけと言ってもいいじゃないでしょうか。また野菜先食べである必要はなくて、たんぱく質先食べでもいいという論文もあります。