
はてなキーワード:申請手続きとは
それは大変お辛い状況ですね。お母様の入院と介護、そして予期せぬ出費が重なり、経済的なご不安が強いこととお察しします。心中お見舞い申し上げます。
医療費と介護費の支払い、そして装具の費用と、複数の問題を同時に抱えていらっしゃる状況ですが、一つずつ整理して、利用できる公的な制度や相談先を考えてみましょう。
まずは、目の前の「装具の費用」と「根本的な資金繰り」について、それぞれ公的な制度がないか確認します。
医療機関から「レンタルしている」とのことですが、「療養費(装具費)」の支給制度が利用できないか確認が必要です。これは、装具(コルセット、義足など)を全額自己負担で購入した後、申請によって保険負担分(通常7割〜9割)が払い戻される制度です。
対象:医師が必要と認めた治療用装具(杖やサポーターは対象外の場合が多い)
流れ:
加入している健康保険(国民健康保険、協会けんぽ、共済組合など)に申請する。
確認点: 4万円かかる装具が、この「療養費」の対象となるかどうかを、病院のソーシャルワーカーまたは装具を作った業者に確認してください。もし対象であれば、一時的な全額負担は必要ですが、後から大部分が戻ってきます。
病院のソーシャルワーカーがおっしゃった「行政の小口資金貸し付け」は、おそらく「生活福祉資金貸付制度」の緊急小口資金などを指していると思われますが、それ以外にも利用できる制度を検討しましょう。
低所得者世帯、高齢者世帯、障害者世帯を対象とした貸付制度です。
用途: 緊急かつ一時的に生計の維持が困難になった場合の少額の貸付。
限度額:10万円以内(状況により特例あり)。
特徴: 無利子で、比較的早く貸付を受けられる可能性があります。
活用方法: これで装具費4万円を一時的に賄い、療養費が戻ってきたら返済するなどの使い方が考えられます。
医療費についてはソーシャルワーカーと調整済とのことですが、念のため確認させてください。月々の医療費が高額になっている場合、高額療養費制度を利用していますか?
制度: 1ヶ月の医療費の自己負担額が、年齢や所得に応じた上限額を超えた場合、超えた分が払い戻されます。
対策: 事前に「限度額適用認定証」を加入している健康保険に申請し、病院に提出すれば、窓口での支払いが最初から自己負担上限額までになります。
状況を打開するために、以下のステップで行動されることを強くおすすめします。
相談内容:
装具の費用4万円について、「療養費(装具費)」の対象となるか、また、申請のために必要な書類は何かを確認する。
介護費用を含め、資金繰りが限界であることを率直に伝え、社会福祉協議会への「緊急小口資金」の申請手続きをサポートしてもらえるか相談する。
医療費の支払いで、高額療養費制度や限度額適用認定証の利用状況を再確認してもらう。
ソーシャルワーカーと連携しつつ、お住まいの地域の社会福祉協議会に電話または窓口で相談予約を入れ、「生活福祉資金貸付制度(緊急小口資金)」の利用を検討してください。
お母様が要介護認定を受けている場合、介護サービス費用の負担軽減制度も利用できる可能性があります。
負担限度額認定(特定入所者介護サービス費):介護保険施設の食費・居住費の自己負担を軽減する制度です。お母様が入院・入所されている施設の形態によっては対象となる場合があります。
これらの公的な制度は、知識がないと申請が難しいものも多いため、専門家(ソーシャルワーカー、社協の相談員)を頼ることが非常に重要です。
金銭的な不安は精神的にも大きな負担となりますが、使える制度は必ずあります。どうかご自身を責めず、まずは病院のソーシャルワーカーに現在の詳細な状況を伝えて、具体的な手続きのサポートを受けてください。
早めに養子に出したら?
てか子供って意外と簡単に捨てられるんやで、養護施設ってのがあってね、育てられない親の子供を国が引き取って育ててくれる便利な制度がある
役所というのは何事も市民の申請手続きをリジェクトしようとする
受理義務があっても申請者が自分の意思で申請を取り下げたらそれは役所には「相談」としか記録されない、不受理ではない
子供を捨てようと手続きしようとしてもあーだこーだ、育てられるでしょと説得され、「育児の悩み相談」にすり替えられる
これを承知の上で、臨戦態勢で捨てに行けば引き取ってもらえる
「育てられません、虐待しそう、つーか実はもうやっちゃってます、どうしようもありません、なんとかしてください」
説得されそうになったら、「説得」している職員の前で子供の頭の一つでもパコーンと叩けばよろしい
このまま連れて帰ったらひどい虐待しまっせ、その旨あなたに伝えたことを「相談票」とやらに記載しなさいねと
役人は慌てる
役人は自分の責任を回避したがる、コツさえ知っていれば役人を動かすのは簡単なのだ
役所は「とりあえず一時預かり」とか妥協案を出してくる、まぁいい預けちゃえ
あとはどれほど引き取りの督促が来てもガン無視でよろしい、貴方が刑事訴追されることはないし
東京都の赤ちゃんファーストを申請してから5ヶ月以上経つけど、いまだに10万円分のギフトカードが届かなくて困ってる。で、Twitter(現:X)で情報収集してみたところ、どうやら届いていないのはうちだけじゃないらしい。検索してみると「まだ届かない…」 「いつ届くんだ?」と言っているママ垢がどんどん出てくる。
いやこれはさすがにおかしくないか?と思ってさらに調べてみると、どうやら018サポートと赤ちゃんファーストを併せて申請したユーザーが軒並み届いていないっぽいことがわかった。というのも、もともと東京都では018サポートといって月額5,000円を支給する支援制度があったんだが、それが今年から赤ちゃんファーストと一緒に申請できるようになった。ここからはワイの推測なんだが、おそらく申請手続きが1本化されてユーザーが楽になったかとおもいきや、現場対応がうまくいっていなくて併願で申請されたギフトカードが軒並み遅延している可能性が高いと思っている。
ちなみに、支援センターで仲良くなったパパ友(いつもラルフローレンのポロシャツ、コンサルらしい)にもこの件を相談したら、彼も同じ状況だったらしい。しびれを切らしたパパ友が東京都の窓口に連絡したら「申請から到着まで、遅くても4ヶ月かかることもあるので~」と取り合ってもらえなかったらしく、キレて4ヶ月過ぎた当日に「まだ届いてませんけど?」と連絡したら担当者が慌てて調査をすると言ってくれたらしい。さらに後日、その担当者から連絡が来て「スムーズにいけば今月中、ただし来月に延伸する可能性もある」という回答が返ってきたとのこと。いやそれ回答になってなくないすかとワイが言うと、パパ友は「まあ窓口のひとに怒ってもしょうがないですからね。でもさすがにこれは職務怠慢ですよねー」と言っていた。
結局パパ友は自費でいろいろ買っているらしいけど、うちは家庭の事情でけっこう財布事情がカツカツで、赤ちゃんファーストを頼りにして買わなかったものも沢山あったから結構しんどいことになってる。こどもの鼻吸機も買ってないから、鼻水が出るときは毎日病院につれていって吸引をお願いしないといけないし、ベビーチェアもないからいつも抱っこで離乳食を食べさせていて腕が疲れる。なんつーか、育児って金をかけるべきところにかけないと、親が疲弊してあっという間に詰むんだなーと日々感じている。こどもができるまで知らなかったけど、赤ちゃんを育てるためのアイテムって成長に合わせて変わるし、単価も高いからマジで金銭的に余裕がない。子が不機嫌な原因を知りたくて、いろんなアイテムを試したくても試せないこともフラストレーションがたまる。こういうのを赤ちゃんファーストが届いたら解決できると勝手に期待してたから、現状いつ届くかわからない状況にけっこうしんどくなってきた。
あと、今は安いミルクを飲ませているけど、赤ちゃんファーストが届いたらちょっといいミルクを飲ませてあげたいなと思っていたし、絵本とかおもちゃも選んであげたいなと思っていたんだけど、そういうのも先延ばしにされるのが地味にしんどい。赤ちゃんの成長は毎日のように変わるけど、その時に必要な刺激を与えたりできてんのかなって不安になる。夜になるとこんな父ちゃんでごめんなと思って泣きそうになる。
なんかさ、もちろん10万円もらえるのはありがたいけどさ、下請けの業者の選定すらうまくできない東京都大丈夫か?って思うし、こんなんなるならこどもの扶養控除をしてくれたほうがいいんだけどな。
何が言いたいかわかんなくなってきたけど、とにかく困っている人はコンサルのパパ友みたいに東京都に連絡してみるといいんだと思う。ワイも今日電話してみようと思うわ。
生前にマイナポータルで「預貯金口座の付番」という簡単な申請をすれば、無料で全国の銀行の自分の口座がないか検索して結果を教えてくれます。
さらに死後は相続人が簡単な申請でそのリストをゲットできます。付番申請は手間も少ないし、口座一覧の漏れが起こりにくいのは大きなメリットです。
世間では終活としてまず預金口座リストを自分で作っておきましょうというアドバイスが人気です。ただし、自分が作るリストは不完全な事が多く、忘れている昔の口座が意外とあります。
相続が終わってから新たに預金口座が見つかると面倒な事になります。相続手続きの修正が必要で手間もお金もかかりますが、本人記憶に頼った自作口座リストでは起こりやすいです。
さらに、自作の口座リストを、死後に相続人の手に確実に渡すのは意外と困難です。
ということで、終活として自作の口座リストを作るよりは、まず預貯金口座の付番申請をするのが良いんじゃないかなと思います。その結果を元にして自作の口座リストなどを作成し始めても良いわけですし。
以下具体的な話
マイナポータルで申請された個人情報を元に全国の銀行で一致する口座がないか検索が行われ、自分自身の預金口座を見つけてくれます。見つかった預金口座にはマイナンバーが登録され、それ以降は見失うことがなくなる。
具体的な手順はこちら
https://faq.myna.go.jp/faq/show/11228?category_id=312&site_domain=default
大事なこととして、申請手続きはマイナポータルで簡単にできるが、生きている間にしかできません。死後に申請はできないので今月中にでもやっておいて損はないです。
申請情報は個人情報として名前・住所・フリガナ・生年月日など(ほとんどマイナバーカードで入力省略できる)と検索銀行範囲。
もしもマイナンバーを登録したくない特定の銀行がある場合は検索銀行範囲を設定したらいい。基本的には対象は対応している全銀行にすれば良いです。
ちなみに付番申請後に新しい銀行口座を作る時は、口座開設時にマイナンバーを登録しておくだけでいいです。
結果通知は公式案内では2~3週間となっています。私の時はそれより少し早く結果が返ってきました。
マイナポータルで、個人情報が一致した銀行の預金口座一覧のテキスト文書が得られます。マイナンバー登録されていなかった銀行は自動的にマイナンバーが登録されています。
これから後は引っ越ししてて住所が変わってもマイナンバーで自動的に追跡が可能です。
相続人が、好きな金融機関にいって、相続時口座照会という手続きを一度行うだけです(どこの金融機関でも受け付けてくれます。口座がない銀行でも良いです。)
すると、預金保険機構から、相続人へ銀行預金口座一覧表が郵送で届きます。
マイナポータルでの手続きは本人のスマホでなくても大丈夫。例えばあなたのiPhoneを使って、自分自身の手続き、親の手続きの両方ができます。
また、親のマイナポータルであなたを代理人登録をしておくと、今後は、代理人(あなた)でもマイナポータルで親の様々な申請や、親の通知結果の閲覧が可能になります。
親の様々な手続きを代行する場合には、まずこの代理人登録をしておくと色々スムーズです。
わずかに未対応の銀行が残っていますが、銀行シェアでいうと1%未満じゃないかなと思います。
マイナンバーに対する心理的抵抗感や、個人的な非使用ポリシーについては、どうしようもないですね。付番制度は強制ではないので、使う使わないは自由です
個人的に気になっているのは、個人情報が一致しない場合にどうなるかです。たとえば旧姓の場合や引っ越しで住所のみ不一致の場合。
この懸念点があるので、口座への付番申請は早くしておいたほうが良いと思っていますし、口座開設時にマイナンバーを登録しておくのが良いと考えています。一旦マイナンバーの登録が完了すれば、名字や住所が変わっても追跡可能です。
税務署は必要があれば個人の口座を通知なく調査する事が可能です。お金のやり取りをした相手が調査された事がきっかけで、自分の口座が調査されることもある。
ちなみにかなり資産がある方は財産債務調書の提出義務があり、毎年銀行口座と預金額も税務署へ提出する義務があります。
銀行口座にマイナンバーを付与されても付与されなくても、個人の資産は必要があればいつでも調査される可能性はあります
無駄な抵抗をして不便な暮らしをするよりは、便利に制度は積極的に利用した方が良いかなと思います
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有料ですがほふりに開示請求を出せば、証券口座一覧と口座コード(口座番号みたいなもの)を教えてもらえます。
証券会社は、株式をほふりってところに預けて管理してもらっています。
なので、ほふりに問い合わせれば株式を持っている口座一覧をもらえます。こちらは旧住所を含めた複数住所での検索に対応しています。
https://www.jasdec.com/procedure/shareholders/disclosure/
Permalink |記事への反応(12) | 17:49
入金等申請手続き以前に事前に今回の試験会場の地域別の一覧表ぐらい作っておかないのがよくわからない。
たとえ東京だとして申請しても東京のどこが試験会場かもわからないのに申請しようって思えるか?
普通交通費の予算の都合とか事前につけたいよね。自宅から見て東京の一番遠い所だったら今回は予算的に見送るとか判断できるのに、
その機会を与えずに入金を先にさせるというのは詐欺的だよね?ウェブデザイン技能検定っていう「国家資格」の話なんだけど。
国家資格ってそのあたり詐欺的なマインドなのか純粋に気遣いが足りないのか知らないけどそういう設計なのか。
アホなんですか?
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昨日のことだ。今でも思い出して腹が立つ。ちょっとだけ文句を言わせてほしい。
私は水道の工事店で働いている。事務の仕事だ。みんなも、水道業者に行くことがあれば、窓口に事務員の人がいると思う。私はあれである。
その日は、道路関係の工事の申請手続きで京都府庁に行っていた。そこで、ひどい冗談を聞いて腹が立った。
申請の窓口に行った際、付近の会議机のところに何人かの職員がいた。私が申請書類の審査を受けている最中、打ち合わせをしていた。
書類の審査が終わるあたりで、その打ち合わせもちょうど終わった。そうしたら、会議机にいた若い人~中高年の職員が冗談を言っていた。
憶えている限りでは
「あんた、エクセルの置換機能ばっかり使ってたらあかんで。文章の全体の意味を考えんと」
「気いつけや」
「なにをいうとるんや、お前は~」
※ほかの職員さんは笑っていた
「バスの中やったらしとるんか~」
「今度挑戦するかも~」
※また笑い声
私は痴漢の被害に遭ったことがある。それこそ、子どもの頃から何度も。心の底から怒りが湧いてきた。
でも、取引先ともいえるところで声をあげるわけにいかなかった。
あの人たちの冗談は、冗談ではないと思う。人を傷つける冗談だ。
この気持ちをどう言っていいかわからない。でも、とにかく間違ってると思う。
配慮を欠いていて、すごく悔しい思いがした。
とりとめのないお話ですいません。
悔しいです。
ADHDと診断され、ストラテラを飲むようになってから2ヶ月が経過しました。大人の発達障害で処方されるもう一つの薬、コンサータと比較するとゆっくり効いてくると言うことだったのですが、40mgを1日3回、合計120mg飲むようになった今でも正直飲む前とあまり変わっていない印象です。小学生の頃から気になっていた昼間の異様な眠気もそのままです。
飲み始めの頃は若干思考がクリアになった感はあったのですが、2ヶ月経った今では飲んでも飲まなくても頭の中がごちゃごちゃしてる感覚や、仕事中に感じる焦燥感はそのままです。一応今週土曜日にもう一度病院に行く予定があるのですが、ストラテラ・・・というかそのジェネリックと一緒に即効性があるコンサータも処方してくれると言うことなので試してみたいと思います。ただ3割負担でもけっこう高いので、診断書をもらって自立支援医療の申請手続きもやっておこうと思います(一応手帳の方も申請するつもりですが、診断からまだ半年経過していないので早くて今年の10月くらいに手続きをすることになりそうです。
幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケート、ファミリーコンピュータ。皆覚えている。
幼稚園の頃には、既に自分が他者とは異なる存在であることを認識していた。
幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分の名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。
ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園で落ち葉拾いをして、その落ち葉でちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデの落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手をバイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。
作ったちぎり絵を先生に見せた時、「これは・・・バイク?・・・と・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明が必要だな」と何故かひとり勝手に確信し、画用紙に黒のクレヨンで物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。
「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。
俺のちぎり絵と物語は幼稚園で話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。
発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。
その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。
区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。
両親は平凡だった。見合いで結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。
ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所の絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります。小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立の小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。
俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校は地元の公立のほうが良いように思えた。
幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バスも苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間の為人を把握して対応方法をほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立でゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。
両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校は地元の公立小学校に入学することになった。
小学校に入っても、特に俺自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。
この頃になると、自分の状態を客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。
俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。
言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。
何より、公立の小学校は毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。
「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間がコミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。
ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息だけが荒い小学生だったと思う。
─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。
─────日本一の大学は東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。
そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃である。いかにも小学生が摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対に京都大学に入ろう」と思った。
そこから俺は色々と京都大学の情報を収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人」である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校の先生などに尋ねたりしていたが、小学生の調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。
しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないものか・・・と模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。
日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学か東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。
だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。
看守は
「経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」
などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。
この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているから私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才・秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。
当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。
そうして地元の公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試の偏差値が出るからである。
そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベルの高校が無理なら、こりゃ京大や東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。
悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く
「成績がいいのに何故」
「塾はお金がかかる」
「家でも勉強はできる」
小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。
また、塾が無理なら定性的定量的に評価が可能な代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。
半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。
そんな母を尻目に意気揚々と進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるかに勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。
その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつの教室に雨後のタケノコのようにポコポコと存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。
毎日がただ楽しかった。自分は天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃんと数字が、成績がついてきてくれた。
幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。
高校は公立の北野高校というところに入った。維新の橋下弁護士とか、日本マクドナルドの創業者の藤田田(ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家の岡田あーみんとかが通っていた高校である。
本当は東大寺学園に行きたかった。学力や模試の偏差値は足りていたと思う。赤本の自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校は絶対に公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。
中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計を理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金を申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金の申請手続きを自分自身で済ませた。
北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強が必要であると思ったからだ。
俺は詐欺師丸出しの口調で「高校の学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費は予備校に回してほしい。予備校とバイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態。プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。
この頃になると、奨学金の申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。
「自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択の家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親が予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。
俺が小学生や中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。
家計はほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的な家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。
高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。
昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。
もしかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。
大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力も模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。
ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。
大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝の気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。
後編に続く
自治体からのとある通知書に対応した申請が電子申請推奨とのことで、eLTaxで申請手続き。
申請で入力する通知書に記載された番号とやらがうちの通知書にはなく、桁数が違うまた別の番号しかない。
マニュアル等にも記載もなく、どうすればいいのか、桁数が違う番号をどこかに入れればいいのか等を自治体に問い合わせ。
結果、返事には5分近く掛かった上に、「うちの自治体のでは番号入れなくていいです」。
えっとこれ、もしかして、申請したものがそちらでプリントアウトされて、その後社名等で検索して手続きされるんですかね……
つか電子申請推奨してるんだからWebにもどうすればいいのか書いとけよ。
所詮後付けだな。
【社会】
・人口密度の高さ
・性風俗店、キャバレークラブ、ホストクラブ、カラオケボックス、漫画喫茶、パチンコ屋、カプセルホテルといった換気の悪い施設の多さ
・宅食サービスが諸外国に比べて普及途上なので飲食店は店を開けないと稼げない
・飲食店が通常営業を止めて持ち帰り商品に切り替えようにも乗り越えなければ成らない細かな規制が多い
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72251
・感染を知られると村八分を受けるので正直に申告できない村社会
・小林よしのり、堀江貴文、池田信夫、武田邦彦、鳥越俊太郎といった自粛反対派の著名人
【政治】
・東京オリンピック2020への対応に手間を取られた初動の遅れ
・個人情報保護意識が強く、イスラエル韓国台湾シンガポールが採用している携帯電話での国民の位置情報追跡ができない
・安倍晋三首相が集会自粛を呼びかけた2月26日に秋葉賢也首相補佐官が政治資金パーティーを開く、3月15日に安倍昭恵首相夫人が大分県の宇佐神宮に参拝する、東京都が緊急事態宣言を発令した2日後の4月9日に立憲民主党高井崇志衆院議員がセクシーキャバクラで遊ぶ等、手本と成るべき人間に危機感が薄い
【労働】
・従業員がマスクを着用しての接客が客に失礼だとして禁止していたイオンとヨドバシカメラ
【医療】
・HPVワクチンの接種義務を撤回させる程の影響力を持つ反ワクチン派
・流行り出した時期が花粉症の流行時期と重なるので、体調不良の原因が花粉症なのかCOVID19なのか区別が付かない
と同じ様に理由は幾らでも付けられる。
普通にリーモートワークか使用者の責によるものか傷病で休んでどうぞ
ただフィジカルワークの補償については考えていなきゃいけないと思う
座り仕事の人らの怠慢でいつでも後回しにされがち
労働基準法26条
使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない
新型コロナウイルスに関するQ&A(企業の方向け) (令和2年2月 21 日時点版)
<休業させる場合の留意点>
問1)新型コロナウイルスに関連して労働者を休業させる場合、どのようなことに気をつければよいのでしょうか。
答1)新型コロナウイルスに関連して労働者を休業させる場合、欠勤中の賃金の取り扱いに
ついては、労使で十分に話し合っていただき、労使が協力して、労働者が安心して休暇を 取得できる体制を整えていただくようお願いします。
なお、賃金の支払いの必要性の有無などについては、個別事案ごとに諸事情を総合的に 勘案するべきですが、労働基準法第 26 条では、使用者の責に帰すべき事由による休業の場合には、使用者は、休業期間中の休業手当(平均賃金の 100 分の 60 以上)を支払わな ければならないとされています。
※不可抗力による休業の場合は、使用者の責に帰すべき事由に当たらず、使用者に休業 手当の支払義務はありません。ここでいう不可抗力とは、1その原因が事業の外部より 発生した事故であること、2事業主が通常の経営者として最大の注意を尽くしてもなお 避けることのできない事故であることの2つの要件を満たすものでなければならないと 解されています。例えば、自宅勤務などの方法により労働者を業務に従事させることが可能な場合において、これを十分検討するなど休業の回避について通常使用者として行 うべき最善の努力を尽くしていないと認められた場合には、「使用者の責に帰すべき事由 による休業」に該当する場合があり、休業手当の支払が必要となることがあります。
問2)労働者が新型コロナウイルスに感染したため休業させる場合、休業手当はどのようにすべきですか。
答2)新型コロナウイルスに感染しており、都道府県知事が行う就業制限により労働者が休
業する場合は、一般的には「使用者の責に帰すべき事由による休業」に該当しないと考 えられますので、休業手当を支払う必要はありません。
なお、被用者保険に加入されている方であれば、要件を満たせば、各保険者から傷病手当金が支給されます。
具体的には、療養のために労務に服することができなくなった日から起算して3日を 経過した日から、直近12 カ月の平均の標準報酬日額の3分の2について、傷病手当金 により補償されます。