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はてなキーワード:由悠季とは

2025-06-27

子供名前を「由悠季」にしようと思うんだが

これってキラキラネームじゃないよな?

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2025-03-01

anond:20250301110354

富野トミノスキー粒子由悠季安彦良和クンが『シャリア・ブルの話は要らないでしょ?』つったか劇場版には入れんかったんよ」

Permalink |記事への反応(0) | 18:05

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2025-01-18

ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさんについて

ガンダムシリーズ1979年の『機動戦士ガンダム放送開始以来、実に40年以上にわたって発展と進化を続けてきた巨大なメディアミックス作品である。その長い歴史においては数多くの派生作品や設定拡張さら小説漫画ゲームをはじめとするスピンオフが生まれ、今もなお新作が絶えず登場している。一方で、シリーズ長大化すればするほど、ファンコミュニティ内にさまざまな「こだわり」や「価値観の違い」も生じてくる。その中で昨今特に話題となるのが、いわゆる「一年戦争おじさん」と呼ばれるファン層だ。

一年戦争おじさん」とは、初代『機動戦士ガンダム』に登場する一年戦争宇宙世紀0079年から始まる連邦軍ジオン公国の戦い)を絶対視し、そこから外れる設定や作品を“ガンダムらしくない”“正史として認めない”と主張してしまタイプファン揶揄する言葉である。もちろん一年戦争をこよなく愛するだけであれば、ただの好みの問題だ。しか問題は、彼らの一部が新しい作品や異なる時代設定に対して攻撃的だったり、他者の好みに干渉しすぎたりするケースがあるという点にある。そうした態度が「有害一年戦争おじさん」として批判される一因となっている。

彼らはなぜこうも一年戦争にこだわるのか。まず考えられるのは、1979年からガンダムリアルタイム経験した世代、あるいはビデオプラモデル雑誌などを通じて“初代の衝撃”に強く感化された世代が、自分たちの「原体験」を何よりも重視しているという背景だろう。『機動戦士ガンダム』は、それまでのロボットアニメ常識を覆すようなリアル戦争描写群像劇、そしてプラモデルガンプラ文化を生み出すなど、大きな社会現象となった。幼少期にそれを目の当たりにしたファンにとって、当時の熱狂と衝撃は特別な思い出であり、“ガンダムとはこうあるべき”という固定観念が強く根付くのも無理はない。

しかし、「ガンダムが好き=初代(または宇宙世紀)が絶対」という方程式は、近年のファンコミュニティにおいては必ずしも通用しなくなっている。ガンダムシリーズは大きく分けると宇宙世紀系と、それ以外の独立した世界観を持つアナザー系(『Gガンダム』『ガンダムW』『ガンダムSEED』『鉄血のオルフェンズ』など)に枝分かれしており、さら宇宙世紀内にも『Zガンダム』『逆襲のシャア』『UC』『閃光のハサウェイ』など、数多くの作品が展開されている。もはや「ガンダム」と一言でくくっても、それぞれに異なるストーリー・設定・テーマを持った多彩な作品群になっているのだ。

にもかかわらず、「有害一年戦争おじさん」は一年戦争こそが至高で、それ以外はすべてガンダムとは呼べない、あるいは認める価値が低いといった偏狭な主張をすることがある。具体的なエピソードとしては、新しいガンダムが発表されるたびにネット上やSNSで「こんなのガンダムじゃない」「富野由悠季監督が関わってないか駄作」などと早々に断じる、若いファンが語るアナザー系の魅力を嘲笑する、あるいはプラモデルに対して「やはりザクガンダムRX-78-2)が本命で、○○なんて邪道」などと強い調子で言い切ってしまうといった行動が挙げられる。

こうした振る舞いがファンダムに与える悪影響はいくつもあるが、その中でも特に顕著なのが「新規ファン参入障壁を上げてしまう」という点だ。ガンダムシリーズはすでに膨大な設定を持ち、どこから見ればいいのか分からないという声もよく聞かれる。そこに対し、「本当のガンダム一年戦争だけだ」「初代を見ないならファンではない」などと押し付ければ、初心者は萎縮してしまいかねない。もちろん、初代の重要性を説くこと自体は悪いことではないのだが、その言い方や姿勢が高圧的なものであれば、ガンダムに興味を持ちかけている人を遠ざける要因になってしまう。

さらに、「有害一年戦争おじさん」はしばしば他の作品ファン同士の交流の場を“自分たち思想”で塗りつぶそうとする傾向がある。例えばSNS掲示板などで新作ガンダムについて語ろうとしても、「やっぱりガンダム宇宙世紀じゃないとな」「○○監督なんて富野監督の足元にも及ばない」などというコメントが繰り返され、まともな議論が成立しなくなることも珍しくない。こうした現象は、結果的コミュニティ内で対立や分断を生み出し、せっかく多様な楽しみ方を受け入れる余地のあるガンダムコンテンツ可能性を狭めてしまうのだ。

また、宇宙世紀作品一年戦争のものに強いこだわりを持つことは悪いことではない。作品世界への愛が深ければ深いほど、より詳しく設定を掘り下げて考察する楽しみもあるし、一年戦争舞台にした外伝作品(『MS IGLOO』や『ザニーが登場する漫画作品』など)に注目することで、新たな切り口を見いだすこともできる。だが、「有害一年戦争おじさん」が問題視されるのは、その深い愛情排他主義攻撃的な態度につながる場合が少なくないからだ。自分と同じくらい初代を崇拝しない人を“にわか”呼ばわりしたり、そもそもアナザー作品を語ろうとするファンを見下したりするような行動は、コミュニティ全体の雰囲気を悪くする大きな原因となる。

さらに、一年戦争時代考証を「現実軍事政治的状況」に照らし合わせて論じる人々も少なくない。これはガンダム世界観がある種のリアリティを大切にしていることの証でもあり、そこに惹かれるファンがいるのも理解できる。しかし、「有害なおじさん」は自分たちの“リアル論”こそが唯一の正解だと思い込み他人解釈や新解釈を一蹴する態度を取ることがある。たとえば「この機体は設定上あり得ない」「この時期にこんなMS存在しない」などと、過剰に“リアル”を押し付けることで、多様な楽しみ方を否定してしまうのだ。

そして、こうした状況は次第に当事者以外のファンをも疲弊させていく。たとえばSNS上でガンダムについて呟くと、「その解釈は間違っている」「ちゃん資料を読んでから発言しろ」と“マウント”を取られることがあり、ファン同士のやり取りが萎縮してしまう。また、イベント会場やプラモデル展示などリアルな場においても、一年戦争関連の作品や考証に異常な熱量で突っかかり、他のファンが楽しもうとする空気を壊してしまう例も耳にする。ガンダム多様性を重んじる作品世界であり、多くのクリエイターがそれぞれの解釈テーマ作品を生み出してきた経緯を考えると、こうした空気はあまりに残念としか言いようがない。

では、この「有害一年戦争おじさん」問題にどう向き合えばいいのか。まず大切なのはファンコミュニティ全体が「自分の好きな作品を語るのは自由だが、他者の好きな作品否定することは違う」という意識を共有することだろう。ガンダム作品数が膨大であるがゆえに、自分の“推し”や“こだわり”を持ちやすい。それ自体ポジティブなことだ。しかし、それが「他の作品意見を認めない」という姿勢につながっては、多様性ガンダムの魅力であるはずなのに、それを損なってしまう。

次に、若い世代新規ファンが萎縮しないように配慮した場作りも必要だ。初心者には初心者なりの視点や疑問があるし、アナザー作品から入ったファンが後に宇宙世紀を好きになることだって十分あり得る。むしろ入り口がどこであれ「ガンダムに触れて興味を持った」という事実こそが大切なのだ。そこを「いや、まずは初代を全部観ろ」や「一年戦争を知らないなんて話にならない」と圧をかけるのは、コミュニティ全体にとってマイナスだろう。作品世界を広げるためには、受け入れの姿勢が何よりも重要になる。

また、一年戦争こそが「リアルで硬派なガンダム」で、アナザー系は「子ども向け」や「リアルさが足りない」というステレオタイプイメージも根強い。だが、実際にはアナザー系でも『ガンダムW』の政治劇や『SEED』の遺伝子差別問題、『鉄血のオルフェンズ』の社会構造批判など、リアルかつヘビーなテーマを扱う作品は多い。こうした多彩なテーマ性こそが、ガンダムシリーズ全体の魅力を支えているのであり、一年戦争けが特別なわけではない。むしろ宇宙世紀アナザー系を併せて楽しむことで、ガンダムが描こうとしている「戦争」「人間性」「社会」の幅広さを再確認できるのではないだろうか。

さらに、宇宙世紀内の作品ですら、一年戦争舞台にした『08小隊』や『0080』『0083』などは、初代から少し視点テーマを変えて描かれている。その際にも、一部のファンから「こんなのは本当の一年戦争じゃない」と批判された例がある。だが、もともとガンダムという作品多面的戦争悲惨さや人間模様を描くことを目指しており、一つの正解や正史しか認めないという態度は、ガンダムが持つ本来の魅力や思想に反するものではないか。ゆえに、「一年戦争」に対するこだわりも、ある程度の柔軟性を持って接するのが望ましい。

結局のところ、「一年戦争おじさん」が有害かどうかは、その人自身立場や主張よりも、コミュニティにおける振る舞いに起因する部分が大きい。いくら一年戦争を崇拝していても、それを押し付けずに「自分はこう思う」「初代が好きだけど、他の作品尊重したい」といった態度を示している人は、むしろ知識を共有し合える良き先輩ファンとなるだろう。問題なのは自分視点を唯一絶対のものとし、他の意見や好みを封殺してしまタイプファンである。これはガンダムに限らず、あらゆる長寿シリーズファンダムで起こりうる軋轢と言える。

からこそ、ファン同士が互いを尊重し合い、多様な切り口や解釈を認める姿勢が大切になる。ガンダムは「戦争を描くリアルロボットアニメであると同時に、「キャラクターを通じて人間性を問いかけるドラマ」であり、さらに「巨大産業として世界中に展開する商業コンテンツ」でもある。その多層的な側面を一括りにするのは困難であり、そこに魅力や可能性が詰まっているのだ。もしも“一年戦争だけ”という狭い視点固執してしまえば、その豊かさの大半を見落としてしまうことになる。

以上を踏まえると、「ガンダムコンテンツにおける有害一年戦争おじさん」は、単に宇宙世紀を愛するファンを指しているわけではない。むしろ、そうした愛情が誤った形で表出し、他者排除しようとする態度が問題の核心にある。長寿シリーズとしてのガンダムがこれからも発展していくためには、新規ファンが参入しやす環境と、多様な視点を受け入れる懐の深さが欠かせない。その一方で、ベテランファンが築き上げてきた蓄積や考察が大いに役立つ場面も多く、実際に後輩ファンを導く存在として機能しているケースもある。だからこそ、一年戦争ファン自身が自らの態度を省みるとともに、コミュニティ全体で「排他主義」に歯止めをかける仕組みを作ることが重要なのだ

結論として、「有害一年戦争おじさん」の存在は、ガンダムコンテンツの楽しみ方やファンコミュニティ健全さを損ねる要因になり得る。しかし、それを否定するだけでなく、彼らが抱く一年戦争への熱意や知識も、うまく共有・活用できればガンダムの魅力をより深く味わえるきっかけになるはずだ。問題なのは一年戦争を好きかどうか”ではなく、“他を認められるかどうか”という姿勢にある。そしてガンダムという広大な世界を最大限に楽しむためにも、多様な視点や好みに対してオープンであることが求められる。もしガンダム世界観が「戦争」によって多くの犠牲を生む愚かしさを描き出しているのだとすれば、ファンダムもまた、内部対立を生むのではなく、互いの違いを理解し合う歩み寄りこそが望ましいはずだ。そうすることで、ガンダムシリーズはこれから世代国境を超え、より多くの人々の心をつかんでいくことだろう。

Permalink |記事への反応(4) | 16:07

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2024-08-31

大富由悠季作品

ガンダム

イデオン

この2つは誰が選ぶとしても確定的だけど、あとひとつ何にするのかが問題だよな。

ラ・セーヌの星とか?

Permalink |記事への反応(2) | 22:21

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2024-08-28

anond:20240828090853

パンツを脱げないのが駿。ブレンパワードOPを作るのが由悠季

Permalink |記事への反応(1) | 09:14

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2023-03-01

今って監督作家性って出づらいの?

冨野由悠季説明を削りに削った状況再現

庵野秀明実相寺アングルを多用した表現

湯浅政明幻覚を見てるかのように歪ませた表現

幾原邦彦演劇の書割を使った演出

今石洋之:斜め上からアオリ

この辺の作者って「ぽい」ものが何かしら出てくるけど、他の監督の「ぽい」って何かあるのかな?

Permalink |記事への反応(1) | 14:03

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2017-12-13

anond:20171213133611

ラブライブ!監督京極さんとか、作品テイストやら何やらは変えないのに2期で監督をすげかえるのは、製作(金を出す)側にガンダム富野由悠季のように、商品化権とか法律的権利をすごく持っている訳じゃないけど、シリーズに長いこと関わらせてなんとなくお伺いを立てないといけない相手を作りたくないという判断なのか?

Permalink |記事への反応(1) | 16:21

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2015-08-14

劇場アニメ監督の生年一覧

Wikiで調べてつくってみた。宮崎駿監督後継者云々を受けてつくったので、主な有名監督若い監督中心。基本的にはTVシリーズをやってないオリジナルか、小説原作劇場アニメを発表してる監督例外も一部あるけど。

1935年まれ高畑勲(かぐや姫の物語)

1941年まれ宮崎駿(風の谷のナウシカ)、富野由悠季(機動戦士ガンダム)

1951年まれ押井守(攻殻機動隊GIS)

1954年まれ大友克洋(AKIRA)

1959年まれ原恵一(百日紅)

1960年まれ庵野秀明(ヱヴァンゲリヲン新劇場版)、片渕須直(マイマイ新子と千年の魔法)

1961年まれ新房昭之(劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語)

1965年まれ舛成孝二(宇宙ショーへようこそ)

1966年まれ神山健治(009 RE:CYBORG)、水島精二(楽園追放)、沖浦啓之(人狼)、宇田鋼之介(虹色ほたる)

1967年まれ宮崎吾朗(コクリコ坂から)、細田守(時をかける少女)

1968年まれ小池健(REDLINE)

1973年まれ新海誠(言の葉の庭)、米林宏昌(借りぐらしのアリエッティ)

1976年まれ長井龍雪(心が叫びたがっているんだ)、宮地昌幸(伏 鉄砲娘の捕物帳)

1979年まれ平尾隆之(魔女っこ姉妹のヨヨとネネ)

1980年まれ吉浦康裕(サカサマのパテマ)

1984年まれ山田尚子(たまこラブストーリー)

1988年まれ石田祐康(陽なたのアオシグレ)

Permalink |記事への反応(0) | 11:39

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2015-08-12

ポスト宮崎駿って今誰がいるの?

日本アニメ監督っていまどんなもんよ。

若手は育ってるの?

自分は詳しくないけど、この人は知ってる。

細田守サマーウォーズ

庵野英明エヴァンゲリオン

今敏東京ゴットファーザー

大友克洋AKIRA

押井守ゴーストインザシェル

富野由悠季ガンダム

原恵一カラフル

Permalink |記事への反応(9) | 12:24

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2014-05-06

左手の銃

コブラのさーサイコガンってあるじゃん?あれ昔から疑問なんだよね。なんで左手なのかと。

撃ちにくいじゃん?構えにくいじゃん?冨野由悠季の右側左側の理論(左側が主人公)に即して考えると、コブラがこっち向いてるとき左手は画面の真ん中で尺が取れないじゃん。

だけど左手に銃を仕込んでるキャラって多いんだよね。トライガンのヴァッシュも、ベルセルクガッツもそうだし、古くはサイボーグ009の004もそう。他にもいっぱいる。たぶん右手より左手の方が多い。

あれなんでなのかね。もしかして右手義手だと不便だから」という理由なのか。ベルセルクちょっと納得してしまいそうだけど、でも超人ヒーローのそういうディテールはしらけるよね。

…ところで今気づいたけどトライガンってすごいお下品ジョークだったのね。

Permalink |記事への反応(4) | 02:14

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2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ2010年1月12日庵野秀明ゲスト回その2

第1回

http://anond.hatelabo.jp/20121203123633

 

ナレーション

 

鈴木:ひどいこと言うんだもん、色々(笑)。『もののけ(姫)』のときもねえ……。『もののけ』どうだったって聞いたら、「レイアウトダメになった」って(笑)

庵野ダメでしたね。よく宮さん(宮崎駿)、このレイアウト通したなというくらいダメでしたね。

鈴木(笑)。かなり自分で描いてんだけど。

庵野:いやー、ダメでしたね、レイアウトはかなりね。レイアウト世界一の人だと思ってるんで。

鈴木はいレイアウトマンだもんね。

庵野:ええ。あの空間の取り方のなさっていうのは、ちょっと、あれは歳取ったのかなって思っちゃいました。

鈴木空間がなくなっちゃったんだよね。

庵野はい。すごく平面的になってて。

鈴木:すごくフラットなっちゃったんだ。だからすごいのはお話のほうで、画のほうはどっちかっていうと結構サラッとしてるっていう。

庵野:サラッとしてます。あれが『(崖の上の)ポニョ』でまた粘りが出ててよかったなっていう。

 

ナレーション

 

鈴木:『ポニョ』の前にね、宮さん、ディズニーチャンネル見まくったんだよね。そしたら「動きすぎだ」って最初言ってたのが、途中から「いや、動き過ぎだと思ってたけどそうじゃない、動くことに意味はある」って。それで突然「世界は動いてるんだから、やっぱり動かすべきだ」って。それをテーマにやりはじめた『ポニョ』はどうでした? なんて今頃聞くのもあれなんだけど(笑)

庵野:Bパート、いや、Cの途中まではすごい好きでしたね。

鈴木:Cの途中ってどこ(笑)。ばあちゃん話になる前?

庵野:うん。いまの尺でも僕は長いと思いますけどね。

鈴木:いまでも。

庵野:うん、いまでも長いと思いますね。お母さんが宗介を置いて車で行っちゃうじゃないですか。それで二人っきりになるあたりからは、あんまりノレない感じですね。それまではすごいよかったですね。

 

ナレーション

 

庵野特にあのお母さんがいい。

鈴木:えっ。

庵野:お母さんがいいです、もう。

鈴木:お母さんが。

庵野:うん、近藤(勝也)さんがすごくうまい

鈴木:「色気がありすぎるんじゃないですか」って――

庵野:いや、それがいいですよね。いままで宮さんになかったものじゃないですか。

鈴木:そうしたら宮さんがね、「あれは勝也がやってて俺じゃないから」って(笑)

庵野:そうそうそうそう、それがいいんですよ。いままでの宮さんにはできなかったこと。

鈴木:だから、すっごい色気があるんだよね。

庵野:いいですよね。線だけでそれ出すんですよ。

鈴木:だから俺びっくりしちゃったんですよ。

庵野:宮さんが手を入れてないってのがまた良かったんですね。

鈴木(笑)

庵野:あれにまた入れ直したらもうブチ壊しだったのを、それをグッと抑えてるのが大人になったというか――

鈴木:いやいや歳取ったのよ(笑)

庵野:歳を取ったというか。

鈴木:さすがだなあ、よく見てるね(笑)

 

ナレーション

 

鈴木:僕ね、すごい覚えてるのは、スタジオ……あれは(スタジオ・)グラビトン

庵野はい

鈴木:あの、もりやまゆうじ森山雄治)がいて。そこで初めて(鈴木庵野に)会ったの覚えてるんですよ。

庵野:それは(スタジオMINなんですけど、細かく言うと。

鈴木MIN

庵野MINっていうところですね、スタジオMIN

鈴木:あ、そっか。

庵野:桜田にあった、フリーアニメーターが寄り集まってるスタジオ界隈ですね。

鈴木:あのとき自己紹介されたの覚えてるんだよ、俺。順番がちょっとぐちゃぐちゃなんですけどね。ただ、当時もりやまゆうじっていう人と一緒に押井守原作漫画をやってたんですよ、『とどのつまり』っていう。それで、そこのスタジオ漫画原稿取るっていうんで1ヵ月に一回行って。押井守原作を書いて、彼が画を描いてたんですけど。そこで(庵野が)登場して、あの「住所不定なんです」って。

庵野:ええ、家なかったです。

鈴木:だから、ここに居候してるって。あれいくつくらい?

庵野24……ぐらい。

鈴木:えっ、そんななってんの、もう。

庵野:ええ。24、5じゃないですか。

鈴木:あ、なってんの。そうなんだ。

庵野:ええ、23、4。24くらいだったと思いますね。『(風の谷の)ナウシカ』のあとですもんね。

鈴木:あれ『ナウシカ』の直後?

庵野:『ナウシカ』のときも家なかったですから

鈴木:そうだよね。

庵野:ええ。大阪アパート引き払って、とにかくカバンだけ持って――

鈴木東京へ出て。

庵野:ええ、宮さんのとこ行って。で、家はないのかって言われてありませんって。そのときは高校時代友達のところに荷物だけ置かせてもらって。トップクラフトで寝てましたね、寝泊まりは。

鈴木:ああ、あそこで寝てたんですか。あの応接で?

庵野:いえ、応接なんかで寝ないですよ。机の下ですよ。机の下か、隙間。壁と動画机の隙間が60センチぐらいあって。そこで寝てましたね。

鈴木:とにかく『ナウシカ』始まったときに、やらせろっつって。当時トップクラフトってところで『ナウシカ』作ってたんですけど、現れて。なんか原画持って来たんだよね。

庵野:ああ、自主制作やってたやつですね。

鈴木:それで宮さんが気に入って。その画を見て、多分ここがいいだろうっていうんで巨神兵を。

庵野:いきなりですよね。めちゃくちゃです。ズブの素人ですよ(笑)

鈴木:それで粘りのある画面を描いてくれるだろうって。

庵野:いやあ。

鈴木:でも描いてくれたじゃない。

庵野:まあ出来てよかったですけど。でもよく任せましたよね。

鈴木:宮さんの独特の勘だよね。あまり給料払えなかったよね、多分。

庵野:いえいえ! あれは貰えましたよ。

鈴木:あ、本当?

庵野:それまで安かったですから。『(超時空要塞マクロス』のテレビ大学ときアルバイトでやったんですけど、1カット1800円でしたから。

鈴木:1800円!?

庵野:ええ。まあテレビシリーズですから、そんなもんです。1800円です。

鈴木:はあ。でも、あの巨神兵は凄かったよね。粘っこいでしょ。だってあれだけやるのに、あれ秒数どれくらいあったの。

庵野:長いのが十何秒ですか。普通6秒か8秒で、でも伸びてやっぱり10秒になってたと思いますね。

鈴木:それをどのぐらいの期間でやってたんですか。

庵野:1番長いのは2週間ぐらいですね。

鈴木:ああ、でも当時だとそれぐらい、それでもすごいよね。

庵野:んー、まあ巨神兵については一個悔しいのは、中(動画の中割り)を7枚にするべきだったと思いますね。宮さんはあのとき「中5でいいんだ!」って言ってて。でも中5は速いんじゃないですか……って。でも中7にすると枚数が増える上に尺も延びるから間に合わないって、中5でいいって。そして影も2色つけなくていい、1色でいいって。「ええっ~!」というやつですね。あのときは影は2色……まあ、それでも2色は許してくれたんですけど、「3色つけたら殺す」という風にメモがありますよね。

鈴木:やっぱり影を付けたくない人なんですよ。

庵野:ええ、でも大きさはやっぱり影で出せるものがあるじゃないですか。

鈴木:でも、あれは記号から――

庵野:いや、記号からこそ、ですね。でも色々教えてもらったのは、本当に板野一郎宮崎駿、この二人ですね。アニメ技術だけじゃなく、作り方みたいなものも横で見てて。だから僕の師匠はこのふたりですね。実際色々教えてくれましたからね、手取り足取り。

鈴木:いや、ジブリ、西ジブリって作ったでしょ? だからいまトヨタのなかで若い人、22人やってるわけですよ。そういうとこ行って、ちょっと特別講義を……。

庵野(笑)

鈴木:みんな喜ぶよね。でも喋るだけじゃなくて、実際のね、なんかやってくれるといいんじゃないかって。

庵野:昔、宮さんが塾を二馬力でやってたときに、一回行きましたね。でも宮さんって自分が好きか、こいつはいけるっていう人じゃないと教えないじゃないですか

鈴木:そう。やっぱり……依怙贔屓なんだよね(笑)

庵野:依怙贔屓と、やっぱり自分下駄が欲しいので。自分の役に立ちそうな奴しか労力を使わないですよね。

鈴木(笑)

庵野:僕が『ナウシカ』のときに色々教えてもらったのはそれだなあって。巨神兵をこいつにやらせとけば、自分はそれを直す手間の分、ほかのことやれるっていう。それだと思いますね。

鈴木:でも、だってアレやってくれるだけですごいホッとするんだもん。

庵野:うーん、でしょうね。だったと思います、いま考えれば。

鈴木:でも、ラストシーンは『ナウシカ』よかったんですかね、あれで。

庵野映画はあれでよかったと思いますけど。

鈴木:宮さんの最初の案は、とにかく王蟲が突進してきて、そこへ降り立つナウシカ、それでいきなりエンドマーク。それて王蟲の突進は止まると。……これは困ったんですよ。

庵野:いやー、引かれないと困るでしょうね。

鈴木:だから延々、僕ね、それこそ最後のほうコンテが出来たとき高畑さんとふたり阿佐ヶ谷喫茶店で8時間ぐらい、色々話したんですよ。これで行くのか行かないのかって(笑)。それでとにかく現状はいまある案。2つ目がナウシカが死んで、伝説の人になる。で、3つ目がね、死んだあと甦るっていう。それで最後さ、高畑さんがね、「鈴木さんどれが好きですか」って(笑)

内藤:好き嫌いになるんですか。

鈴木:そりゃやっぱ甦ったらいいんじゃないですかねえって。じゃあ、つってふたりで宮さんのとこに言いに行くんですよね。いやー、判断が早くて。「ふたりで決めたんでしょ、じゃあそうします」って。考えないんだよね。

庵野:あのとき見せてもらったのは、巨神兵王蟲が戦うのは、見たかったですね。

鈴木(笑)

庵野:あれかっこよかったですよね。まあ巨神兵は大変でした。僕は全然描けなかったと思いますよ、あのコンテのままだったら。

鈴木:でも――

庵野:見たかったですけどね。

鈴木:でも、あの巨神兵はすごかったよね。

庵野:まあ、宮さんだったら出来たんですね。『ナウシカ』の途中で、最初面接でお会いしたときにはすごく緊張したんですけど、段々それが解けてただのオヤジになっていったんで。普段アニメ作ると、宮さんってフィルターかけちゃうじゃないですか。

鈴木バランスとるんだよね。

庵野:ええ、いい人っぽく。

鈴木:そうそうそうそうそうそう。

庵野:本当はそうじゃないじゃないですか

鈴木:そうそうそう、悪い奴だもんね。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに言ってたんですよ宮さんが、「人間滅びてもいいじゃん」っていうの。

鈴木:そうそうそう。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに、最後のほうの相当宮さんも飲んでたときに、スタッフアニメーター若い女の子がひとり食って掛かってて。「人間が滅びてしまうじゃないですか、そんなの作っていいんですか」みたいなことを言ったときに「人間なんてね、滅びたっていいんだよ!! とにかくこの惑星に生き物が残ってれば、人間という種なんていなくなっても全然いいんだ!」っていうのを怒鳴ってるのを僕は横で聞いてて、この人すごいとそのとき思ったんですね。クリエイターとして宮さんが好きになった瞬間でしたね。人そのものに執着してないってのが根っこにあって、あれはすごくいいですよね。

鈴木:「もしかしたら私達そのものが汚れかも知れない」、いやー、もうそセリフ読んだときにね、ああこの人、人間よりあっちのほうが好きなんだって

庵野:『ナウシカ』の7巻は宮さんの最高傑作だと思いますね。まあ巨神兵のくだりは別にしてですね、宮さんの持ってるテーマ性っていうのが、あれに、すごくこう――

鈴木:集約されてる?

庵野:集約されてるっていうか、もう原液のまま出してるわけですよね。本当に、本当はすごくアレな人なんですけど。

鈴木:あの、負の部分っていうのか。

庵野:それがストレートに7巻には出ててよかったですね。『ナウシカ』の漫画にも色々出てますけども、7巻は特にそれが凝縮していていいですね。

鈴木:『ナウシカ』の『2』やらせろって言ったのはいつなの?

庵野:あれは……『ラピュタ』のころだったと思いますけど。吉祥寺で言った覚えがあります最初にね。

鈴木:あれはだけど俺、宮さんに真剣庵野がやるならいいんじゃないですかって。俺はこう説得したんですよ、宮さんを。「3部作にしたらどうだ」って。そうするとね、多分2本目は、宮さんが書いてるように、ある種、殺戮映画だと。第2部はそういうことでいうと、さあ、このあとどうなるんだろうという、そういう映画を作ればいいわけから庵野がやれば絶対面白くなると。で、その締め括りをね、宮さんが第3部でやったらいいんじゃないかって。いい説得でしょ。

庵野(笑)

鈴木:そしたら怒っちゃって。やめて下さいって(笑)

庵野:僕がやりたいのは7巻ですけどね。

鈴木最後じゃない。

庵野:ええ。

鈴木:未完だもんね、一応、あれで。

庵野:未完……いや、もうあれで十分だと思います

鈴木:十分(笑)。本人は未完なんだよね?

庵野:まあ、あのあとも語りたいです。

鈴木:いやかくね、宮崎駿に関して語らせたら一言も二言も、一家言も二家言もあるっていう。

庵野:いやいや、そんなことないです(笑)

鈴木:いや、ずっと一所懸命見てるじゃない。

庵野だって一応師匠ですから

鈴木:『ナウシカ』でどれくらいの期間いたの。

庵野:2ヵ月半くらいですかね。

鈴木:そしたらさっきの、もりやまゆうじのところに居たってことなのね。そしてしばらく経ったら、また『火垂るの墓』のときに現れたんだよね。

庵野:ええ、そうですね、就職活動ですね、仕事がなかったんで。宮さんのとこ行ってなんか仕事ないですかって。『トトロ』のオープニングをやるか、高畑さんのほうでなんか戦艦を描くのがいないっていうんで、じゃあそっちをやるかどっちだって。宮さんは前にやったんで僕は高畑さんと仕事ときたいですって。

鈴木:そうだよね、覚えてる。それで戦艦イルミネーションと――

庵野:ええ、イルミネーション花火の。実際には重巡ですけどね、戦艦じゃないですね。

鈴木:で、やってもらったら、なんかのときに話したら、よく覚えてるんだけど「二人のこともよくわかったんで」って(笑)

庵野:ああ。とりあえず一度仕事すれば、だいたいわかります

鈴木:で、終わったらいなくなっちゃったのよ。

内藤:そうなんですか。それでひたすらそれを、超えるために。

庵野:超えよう超えようと。

内藤:それで超えたときに人はどうするんですかね。なんか達成しちゃうじゃないですか。

庵野:ああ、でも次の敵が来ます。次の仮想敵が出るだけです。

鈴木富野由悠季)さんなんかはそう言ってたね。

庵野富野さんはそれでずっとやってる人です。

鈴木:はっきりしてる。

庵野:ええ、必ず敵作ってやってますね。

鈴木:……そうだよね。

内藤鈴木さんは仮想的とは違うんですけど、高畑さんの話をするときに――昨日もそうなんですけど――毎回高畑さんの話するときに、その当時の怒りが込み上げてくるみたいで……。

鈴木:いや、そりゃ色々ね。高畑さんって……曖昧じゃないからね。昔、押井守雑誌で対談したときに、押井守が『赤毛のアン』の第1話、これが僕がアニメーションをやるときに非常に大きな影響を与えられた。簡単に言うと、30分の話を30分でやっていた。こんなことテレビシリーズでやっていいのか。それで勇気づけられた思い出がある。そこに描かれていたのは日常を描くっていうことで……って言った瞬間、高畑さんがね(語気を強めて)「あなたが使ってるその『日常』っていうのはどういう意味なんですか」って言ったのよ。そしたら押井さんがね、黙りこくったんだよね。

庵野押井さんを黙らせるっていうのすごいですよね。

内藤:やっぱり高畑さんにはありますよね、そういうの。

鈴木:仮想的ではないんだけど、ねえ。

庵野:「ねえ」とか言われても僕知らないですよ(笑)

鈴木:うーん、甦るんだよね。

 

ナレーション

 

鈴木:宮さんにとっての仮想敵は? わかりやすいよね、高畑勲だよね、やっぱりね。

庵野:ずうっとそうですよね。

鈴木:そう。いまだに毎日喋ってて、誇張すれば半分は高畑さんの話だもの

庵野:いや、そうだと思いますよ。

鈴木高畑さんがいるから作ってる。高畑さんが作ろうとするから作る。おまけに高畑さんに作ってもらいたい。それが変わってないもんね。この期におよんでね、画コンテ描きながらね、「こういう画コンテ描いたらパクさん(高畑)に叱られる」って(笑)。なんちゅー純粋な人だろうと、そこは。

庵野:何回も挑戦してますよね、高畑さんを超えようと。そのたびに思い知ってるような気がします。

鈴木:やっぱり宮さんはね、高畑さんという大きな存在に包まれてる、と自分で思ってるんだよね。面白いんだよ。

??:(聞き取れず)

鈴木:やっぱり、ありますよね。まったく宮さんは宮さんの道行け、だから俺は勝手に行く、じゃないんですよね。やっぱり宮さんという人と一緒に作って来たわけでしょ。それで作ってきた人が、こうやって世間から認められて。それでいま作ってるものに対して、誰よりも関心が深い。誰よりもその内容を見返して、内容を把握して、それを自分のなかで整理しようとする。気を許すわけにはいかないよね。それが自分にある種の緊張をもたらしてるのは確か。それは高畑さんすごいですよね。だからそういう人が、誰かがいるから俺もやるみたいなことは大きいですよね。だから押井守もそうだったね。もし宮さんがいなかったら、宮さんみたいな映画作りたかったって。同時代に宮さんがいるから、俺はこんな変な映画作るんだと。自分で言ってましたけど、「変な映画」って(笑)

庵野:いいですね。

鈴木:『スカイ・クロラ』見た?

庵野:あ、見ました見ました。

鈴木:どうだった。

庵野:僕はまあ、面白いかなと。

鈴木:そうなんだ。「かな?」。

庵野:かな、と。

鈴木:どういう意味それ、「かな?」って(笑)

庵野:とりあえず寝ないで最後まで見れた(笑)

鈴木(笑)

 

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035736

Permalink |記事への反応(1) | 12:39

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2009-07-31

エンドレスエイトは終わらない

「私が当選した暁には、全放送局エンドレスエイトエンドレスに流すことを約束します!」

沸き起こる拍手。狂ってやがる――。

 

エンドレスエイト涼宮ハルヒの憂鬱の一エピソードして2009年から放映されたその話は、徐々にその枠を広げていった。

初めは本当に小さなものだった。一部のU局での30分枠。

ごくごく当たり前のアニメ枠。視聴者もごく普通に、当たり前に楽しんでいた。

ところが、京都アニメーションのとった戦略というのは当たり前ではなかった。

 

「実際にエンドレスエイトが終わらなかったらどうする?」

オタクたちがしばしば使う冗談でしかなかった。

ところが放映が3ヶ月、6ヶ月と続き、2009年は終わった。

最早タチの悪い冗談ですらなくなった……。

エンドレスエイトは終わらなかった。

そう、京都アニメーションの取った戦略というのはエンドレスエイトエンドレス放映だったのだ。

 

30分の枠だった涼宮ハルヒの憂鬱はその枠を1時間と伸ばし、2時間、24:00以降の枠全部……。

テレビ埼玉はいとも簡単に崩落した。

そして東京MX千葉テレビ関東はこれらU局の陥落から、悲劇が始まった。

 

そこまでで4年。

じわじわと侵略の手を伸ばす京都アニメーションのやり口に、黙ってられない人間もいた。

宮崎駿。いわずとしれた日本を代表するアニメ監督だ。

彼がインタビュー京都アニメーションに反感を示した翌日、失踪した。

 

冨野由悠季。彼ははっきりと、明確な敵意を向けて京都アニメーションを批判した。

そんな彼は、両手両足が縛られた状態で溺死していた。

正確には溺死ではない――窒息死。

彼の首には縄できつく縛られた痕が残っていたらしい。

しかし自殺と判断された。

 

次第に京都アニメーションに口出しするものは減った。

そして2012年、ついにやらかした。

政党エンドレスエイ党」が発足した。

木上益治を党首、脇には堀口、石立、山田名前が並ぶ。

エンドレスエイトテレビジャックするというキチガイみたいな公約を掲げ、民衆の支持を仰ぎはじめた。

これがつい先日のことだ。

 

もはや狂気の沙汰とは思えなかった。

「――木上師匠もこれまでか」

えっ? 師匠

京都を叩く」

紛れもない、山本寛の姿がそこにあった。

京都を叩くですって?」

「ああ――内部から腐ってきてやがる。今やらねば、日本は崩壊する」

「しかし、今京都に単身飛び込むのはあまりに危険では!?」

「そう、その通りだな……。ひとり、ならね」

「えっ?」

 

「待たせたな、山本

その声。聞き覚えがある。以前NHKで……。

「平川、待たせやがって。俺たちに残された時間はあまりに少ない」

「ひ、平川監督……!?」

「ふふ、俺を知ってるなんて嬉しいね。生憎話している時間はないが……せめて僕らを応援してくれると嬉しいな」

「申し訳ないがわれわれは行くよ。君もせめて、心をやられないようにね」

あっけにとられている僕を尻目に、彼らは足早に去っていった。

 

 

2018年山本、平川の二氏は偉大な革命家として世界史教科書ラストページを飾っている。

Permalink |記事への反応(1) | 15:50

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