
はてなキーワード:田中康夫とは
『道義的責任が何かわからない』とまで言い放つ、知事として適性を欠いた斎藤元彦知事は、
今回の兵庫県知事選挙は、早い話が知事をクビになった斎藤氏の代わりの知事を選ぶ選挙な訳だが、
そして、今回、斎藤陣営(正確に言えば斎藤に味方した立花孝志氏)が
「斎藤氏を告発した文書を作成し、後に自殺した元県民局長が〇〇していた」ことを暴露し、
(自分は個人のプライバシーをあげつらうのが目的ではないので、伏字にする。
これ見てて知らない人がいたら適当にググってくれればいい)
さらには
「改革に反発した県職員が斎藤を引きずり降ろそうと画策し、これにマスコミが加担した。
こんなような論を展開している。
これについて自分の考えを述べる。
「今まで斎藤はとんでもなく悪い奴だと思っていたが、真実に目覚めて180度見方が変わった。
という風潮が生まれているが、落ち着いて考えてみると、どう考えてもおかしい。
彼はあくまできっかけとして外部に斎藤氏の告発文書を作って配布しただけであり、
彼が聖人君子でなくてもプライベートで〇〇してようが何ら関係がないのである。
彼の作った告発文書はあくまできっかけであり、その後の調査や百条委員会で
斎藤氏の知事として不適切な言動は明らかにされており、それは告発者の人格や自殺の動機とは関係がない。
自民から共産まで幅広く100人近くいる県会議員全員が彼を知事として不適格と判断している。
直接関係ない暴露一つでオセロで黒を全部白にするように全ての事実がひっくり変えるわけがない。
斎藤氏が車両通行禁止の区間を20m歩かされたことで職員を怒鳴り散らした(本人曰く「強く注意した」)
ことは本人も認めており、捏造ではない。
職員に対して気に入らないことがあると机を叩いたり物を投げたりすることも本人が認めている。
そもそも、事実関係として、20m歩かされたことで「強く注意」したり、ことあるごとに物を投げたりしたことは
本人も認めており、事実関係に争いはないので、録音は必要ない。
せいぜい争点となるのは、
「20m歩かされたりエレベータが閉まったりしたことで職員を注意するのは職務上適切な注意と言えるか」
くらい。
「手土産として用意されたカニを随行職員が断ったにもかかわらず、
他の職員の分も含めて持ち帰った」ことは知事本人も認めており、捏造ではない。
また、おねだりについては、ワインをおねだりする録音は存在する。
彼が職位を利用して県内の様々な箇所に利益供与を要求したことはもはや疑う余地はない。
いいですよ?
勉強を頑張った神戸大学生は学費を払い、兵庫県立大学は学費を払わないというのはおかしい。
「全体の学生の中で、わずか2パーセントしか恩恵を受けられず、不公平。やるべきではなかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9cb8d7292a140952e2041491cbc10a5fb95ed7e
いいですよ?
そもそも、「職員の4割をリモートワークさせて必要になる庁舎を小さくして財政削減」
少なくとも自分の会社では、リモートワークしている人も職場に自分の机は存在している。
役所にも「自分の机にしまってある自分の書類」があることは想像に難くなく、
「業務が非効率化するのでやめてほしい」との職員の声の方が自分には共感ができる。
4割リモートワークさせようが、職員全員分の机は必要であり、そのための経費は必要な経費だと思う。
そのために1000憶円が適性価格なのかは自分は詳しくないので知らないが、
斎藤案をこのまま進めるべきでないのは自分でも十分理解できる。
12年尼崎で市長をソツなく勤め上げたのだから、心配ないんじゃないですかね。
隣で見ていた西宮市長も太鼓判を押しているので、市長として優秀だったんだと思う。
https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/
身近で見ていた県会議員全員から不適格とみなされた斎藤知事とは大違い。
似たような話として民主党出身で千葉市長→千葉県知事の熊谷氏も名市長として名高いし。
・職員のコミュニケーションができず、現場が疲弊する(長妻昭)とか、
そういう弊害が起きた時で、むしろ斎藤氏がもし再選されたときの方がそういう懸念が大きいのでは。
何を根拠に言っているのか知らないけど(興味もない)
市長を12年やってやらなかったことを知事4年でするとも思えないし、
今度は自民党がバックについているので、自民党が本気で嫌がることはしないんじゃないですかね。
刑事裁判で被告人の言うことが全て100%認められるのなら刑事事件で有罪は存在しない。
多くの弁護士が最初の告発文書も公益通報として認められると指摘しているので、
また、百条委員会で告発文書に真実があったことは明らかになっている。
本当にただの怪文書なら誰も本気にしないのだから犯人探しなどせずに
もし〇〇していたことが本当でも、「死をもって抗議する」を普通に解釈するのなら、
「斎藤側が元県民局長を調べ上げるときにパソコンを押収し、そこで
元県民局長のプライベートを知り、『斎藤側に不利な証言をするのなら秘密を暴露する』等脅されたので
そういうことになった」
ということであるはず。
・副次的に知ったプライベートなことを目的外に使うのは完全な守秘義務違反である。
また、斎藤側の対応が不適切であったこと、そのために死者が出たことに何ら変わりはない。
奥谷議員がある程度の事情を知っていて隠していた(知らないと嘘をついた)
「斎藤知事の資質を問うのに直接関係の無い個人のプライバシーが世に出るのを抑えたかった」
からでしょ。
「議員とマスコミ全員がグルになって斎藤に有利な情報を隠していた」
なんてのはただの妄想。
少なくても自分は(極悪人ということになっている)井戸県政に何の不満もなかった。
告発文書が出る前、自分が斎藤知事を意識したのは、プレミアム付きデジタル商品券「はばタンPay」
その時の感想として、
「なんでこんなところに知事の写真があるんだ。この知事は自分大好き人間だな」
というものだった。
他にも、街や公共機関に以前あったはばたん(兵庫県のゆるキャラ)のイラストが軒並み
「権力をかさに県の業務で自分の顔写真を宣伝する自分大好き人間」
いう感覚を持っていた。
なので、一連のパワハラ(職員が自分を最恵待遇しないと職員に怒る)
が報道されたときは、自分の肌感覚と一致していたので、全く違和感が無かった。
「県民のためという信念を持ち、既得権益にまみれた職員と戦う権力基盤が無い県知事」
「県民のためという信念を持ち、既得権益にまみれた職員と戦う権力基盤が無い県知事」
それ以外の人でも、この文章兵庫県民に見せて感想をもらってくれるとうれしいです。
返事書いた
https://anond.hatelabo.jp/20241108003201
Permalink |記事への反応(29) | 11:45
エクストリーム選挙とは、選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
過去の開催
東京都知事2024https://anond.hatelabo.jp/20240708125841
2024年東京衆院15区の結果を受けての追加ルール。選挙及び競技自体への攻撃とみなし立候補しても今後は競技参加者とみなされない。
2024年は田母神俊雄が3.9%で初優勝、準優勝は2.3%獲得で安野貴博となった
https://anond.hatelabo.jp/20240708125841
前県知事(不信任案決議による失職)、元総務省職員(キャリア官僚)。自民党と維新の会を後ろ盾により前回選挙を勝利したものの、県職員へのパワーハラスメント、公益通報制度制度を無視した違法な処分、セ・パ優勝パレードにおけるキックバック強要、贈答品の強要、などのスキャンダルにより百条委員会設置、県議会の全会一致により不信任という前代未聞の事態で失職する。
普通に考えれば当選どころかエクストリーム競技の入賞も怪しいはずなのだが、候補者7人乱立という乱戦と、2021年の名古屋市長選挙の例もあるため(リコール署名偽造事件があったにも関わらず渦中の河村たかしが当選)供託金返還どころか当選の可能性すらある地獄絵図。今更選挙民の良識に期待することはないものの、「当選はないもののギリギリ供託金が変換される可能性あり」ということで今回は☆をつける。
仮に当選した場合兵庫県庁は退職者が続出し、内定者の入庁辞退も激増することだろう。
ちなみに不信任からの失職で再選挙を当選した知事は、2002年の長野県知事(田中康夫)のみである。
前尼崎市市長、元兵庫県議会議員。緑の党出身のリベラル系政治家だが立憲民主党や旧民主党系の政党からの推薦は受けたことがない。尼崎市長時代から共産党から対立候補をたてられており、いわゆる「野党共闘」からは距離をおいている。
今回も主要政党からの支援を受けず勝手連からの要請により立候補。県知事選の有力候補であるためエクストリーム競技とは無縁と思われる。
元経済産業省職員(キャリア官僚)、大学客員教授。経産省退官後ははてなー大嫌いパソナグループに天下りと大変わかりやすい経歴。
自民党兵庫県連が推薦を検討していたものの断念したのは、前任者の悪事の影響だろうか。
元官僚といえば都道府県知事選挙では有力候補になるはずなのに、東京や大阪では連敗中の上に兵庫県でこの体たらくなので、今後は元官僚という肩書はマイナスになるかもしれない。流石に供託金は戻ってくると思われるので無印。
整形外科医、病院長、兵庫県民主医療機関連合会会長。日本共産党推薦候補。東京都知事選での蓮舫の敗北以降、「野党共闘」の枠組みは実質破綻しており、今回は共産党組織の候補を立ててきた。そもそも、兵庫県知事選挙は毎回候補を立てているが。
野党共闘の枠組みで誕生した県知事は複数いるものの、共産党員の県知事は現在存在しないうえ、近年の当運営への批判と相次ぐ除名騒動もあるが、ギリギリ供託金は戻ってくるか?
参院議員(日本維新の会)、元朝日放送アナウンサー。今回は離党しての立候補で維新の会の推薦もなし。
去年までであれば有力候補であったはずだが、今年に入り維新の会は万博と斎藤元彦のスキャンダル、所属議員の不祥事連発により支持率を低下させており、近畿圏での基礎自治体首長選挙で連敗している。
ここ最近の近畿の基礎自治体首長選の維新の連敗を見ると、大沢との供託金返還ポジション争いとなりそう。
元加西市長、大阪北区区長。加西市長時代は不信任も経験し(議会解散も再議決により失職)。北区区長就任は悪名高い公募区長。その後様々な選挙に出馬するも1度も当選はない。「当選経験のある名物泡沫候補」という変わり種。反ワクチン。
2016年の東京都知事選挙はエクストリーム競技での入賞もなし。2021年の兵庫県知事選挙は、仮にエクストリーム競技が開催されていれば優勝だった(7.68%)。エクストリーム競技最有力候補。
レコード会社代表。7月の東京都知事選挙にも出馬していたが、3245票で供託金は没収となっている。選挙への立候補は都知事選が初。
マック赤坂や又吉イエス、現代における後藤輝樹に連なるいわゆる「伝統的泡沫候補」。供託金返還は厳しいが、この調子でエクストリーム競技を盛り上げていただきたい。
これだけ話題の選挙にも関わらず、N国やつばさの党からの立候補表明がないのは意外である。衆議院が解散され総選挙と重なった影響だろうか。ただ告示が10/31なのでまだまだ立候補者が出る可能性はある。N国以外にも日本保守党や参政党の動向も注目したい。
エクストリーム競技は現時点では中川暢三が最有力候補。一方で「当選経験のある反ワクチン候補」といえば、東京15区の須藤元気のような例もあるので、番狂わせで供託金が戻ってくるかもしれない。違った意味で危険な兆候である。
東は2018年12月18日にツイッターでゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、解散は思いとどまる。東は21日付で代表辞任し、上田が代表に就任する。「ゲンロンに搾取されているという不満」(「ゲンロン戦記」、212頁)を抱いたそうである。ゲンロンの代表として会社のために苦労しているにもかかわらず、社員は楽しくやっているように見えるのが不満だったそうだ。理解しにくいところであるが、こういう理由から自分と同じくらいの貢献を社員に求めることになるようである。「ゲンロン戦記」のこの個所は異彩を放っていて、他は笑えるエピソードなのであろうが、ここは笑えないところであろう。代表辞任という重大な局面なので書かざるを得なかったのだろうか。
上田洋子の人生がゲンロンで好転したことは疑いない。博士号取得後燻ぶっていたが、チェルノブイリツアーの通訳を引き受けたところ、東に気に入られ、ゲンロンの副代表に就任し、それだけでも出世であろうが、東の代表辞任に伴い、代表の座に就くに至った。代表は女性ということでフェミの批判をかわせる部分もあるようである。2023年度日本ロシア文学会大賞を受賞している。東を諫めるべき立場ではあるが、そういうものとしては機能せず、東の発言をひたすら支持している。
2020年に新型コロナウイルス(COVID-19)が世界に蔓延する。東は断固としてコロナはただの風邪という立場に立った(小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀「コロナはしょぼいウイルス。世界中で騒いでるのが一番の問題。」【ゲンロン200328】)。田中康夫が切り抜き動画を作っていたのであるが、消されてしまっているようである。アガンベンも生権力批判の観点からコロナ対応に批判的であったが、コロナは致死率こそそれほど高くないものの、後遺症がひどいので「しょぼいウイルス」とは言えないであろう。
2020年7月に黒瀬陽平のセクハラが発覚する。東は黒瀬との関係を断つが、これはこの時世であるから仕方ないところであろう。黒瀬は「思想地図vol.1」(2008年)でデビューしており、ゲンロンではカオス*ラウンジ新芸術校などもやっていた。
2020年10月19日にシラスがオープンする。ユーチューブとどう違うのかとも思われるが、その理念は「ゲンロン戦記」第6章第2節で語られている。
2021年はキャンセルカルチャーが吹き荒れた年であったが、東京オリンピックでの小山田圭吾の炎上が最も目立つ事例であろう。音楽家の不祥事が新聞の一面トップを飾ったのは小室哲哉の逮捕以来ではないだろうか。この件で宮台真司は小山田に対して批判的であったが、これに東は反発して、関係を断つ。九〇年代に宮台も露悪系でやっていたのだから、小山田の側に立つべきだったというのであるが(「東浩紀無料突発 またどうせ消す」)、これはまっとうな批判であろう。一晩で数百万もの売り上げのあるイベントの相手をこのくらいの理由で切れるのだから、東の行動原理は損得にはないということは認めていいのであろう。
2021年4月4日、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために 研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ」が公開されたが、これはキャンセルカルチャーの烽火といっていいものであろう。日文研助教(当時)呉座勇一が武蔵大学准教授(当時)北村紗衣を鍵垢で揶揄していたことを非難するものである。東北学院大学准教授の小宮友根が書いたらしい。呉座は日文研から准教授への内定を取り消される。同じ年に、立憲民主党の衆議院議員・本多平直が辞任に追い込まれたりもしており、リベラルが連携して動いていることは明らかであろう。キャンセルカルチャーの年表としては、「桐野夏生『日没』と2020年代の「大衆的検閲」」がある。
2021年9月29日、呉座は日文研を提訴したが、これに加えて、2022年2月27日、オープンレターの差出人に対して、オープンレターの削除と損害賠償を求める書面を送付し、同年2月25日、オープンレターの差出人らが呉座に債務不存在確認訴訟を提訴している。2021年12月に、草津町町長が女性町議から強制わいせつ容疑で告訴されたのに対して、名誉棄損と虚偽告訴の容疑で女性町議を逆に告訴したりもしていたが、キャンセルカルチャーに対して反撃が始まったという印象である。ツイッターでアンフェが気焔を上げていたのであるが、オープンレターは、署名していない人が署名したことになっていたり、差出人に加わることに合意していないのに差出人にされていたり、差出人が五十音順で並べられていなかったりして、杜撰なところが多く、そこを突かれていた。いわゆる法クラの弁護士が加勢したのも大きいのであろう。キャンセルカルチャーの本邦第一号としてモデルケースにするはずだったものと思われるが、躓いてしまった。
この呉座が、シラスにチャンネルを開設すると発表される。キャンセルカルチャーの犠牲者に助け舟を出したかたちであるが、ここからが問題であった。2022年6月、呉座が春木晶子を姫と言ったところ、辻田が咎めたが、呉座は姫の初出は東であると反論する。後日、春木は呉座に指摘を感謝し、東にこそ問題があると批判する(5ちゃんねる、東浩紀671の12)。このような経緯で呉座のチャンネルは、契約は未了であったものの、開設されないことになってしまった。また春木のチャンネルも契約更新を拒まれる。こちらはアップルパイを番組で焼いていたことも問題視された。このことからアップルパイ事件とか五反田ベース事件などと呼ばれることもある。呉座と春木はユーチューブに「春木で呉座います。」というチャンネルを開設した。
悪いことは続くものであるが、今や東のトレードマークともなった「とんこれ」発言が飛び出す。衆議院選投票日を二日後に控える2022年7月8日、元総理大臣の安倍晋三が統一教会に家庭を破壊された過去を持つ山上徹也によって射殺される。7月10日、ニコニコ生放送で「【参院選2022】開票特番|三浦瑠麗、東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう」が放送されるが、中継で社民党の福島瑞穂が「それで現在はまだ詳細がわかっておりませんが、統一教会との関係などとも言われております。ですから詳細が明らかになると同時に、もし自民党を統一教会が応援していることが問題とされたのであれば、まさに自民党が統一教会によって大きく影響を受けているということも日本の政治の中で問題になりうると思ってるんですね」などと発言した。中継終了後、東は「あの、これさ……自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」と述べ、一連のやり取りの中で「これとんでもない話だなぁこれ」との印象深いフレーズが口にされる。福島に安倍への銃撃を容認する意図はないと思われるが、そのように曲解したのであろう。しかし、この発言がネタになったのは、味わい深いものがあったからであろう。「五反田式人文パフォーマンスは①唐突で②滑稽で③絶妙にピントが外れていないといけない。極めるのは大変ですよ」(5ちゃんねる、東浩紀スレ817の622)。狙ってやれるものではないように思われる。
2022年10月頃、暇空茜が一般社団法人Colaboの杜撰な会計を追求しはじめる。これは2021年後半から始まったキャンセルカルチャーへの反撃のうちで最大のものであった。暇空の活動は、表現を燃やすものを燃やすことでキャンセルカルチャーを終わらせることを目的にしているが、そのために情報公開請求や住民監査請求などの合法的手段を用いている(一部デマもあるようだが)。青識亜論のような従来の「表現の自由戦士」は原理を唱えるだけであったが、行動に移したかたちである。東は暇空についてほとんど言及していないが、暇空を支持している宇佐美展也と「都知事選は本当にこれでよかったのか!?」(2024年7月7日)で共演している。
「とんこれ」発言で東の評判はずいぶん落ちたため、それからは安全運転を心がけているようである。しかし、安倍が死んだこともあり、検察が息を吹き返した。東京五輪の汚職で株式会社KADOKAWA会長の角川歴彦は逮捕・起訴され、「とんこれ」発言に同席していた夏野剛が棚ぼたで取締役・代表執行役社長兼CEOに就任した。同じく「とんこれ」発言に同席していた三浦瑠璃にはそういうラッキーはなかった。夫(当時)の三浦清志は、建設の見込みがないのに太陽光発電の出資を受けたとして、詐欺容疑で告発されていたが、2023年3月7日、業務上横領罪で逮捕されたのである(同月27日に起訴)。三浦瑠璃はしばらく活動を休止していたが、2024年4月26日、夫との離婚を発表し、活動を再開した。
辻田真佐憲は、「訂正可能性の哲学」の副読本「訂正する力」(2023年10月)の聞き手・構成を担当するなど、東の最側近になっていたが、2024年5月31日の「東浩紀突発#136 ただなんとなく雑談」で批判される。「みんな格好つけたいんだろ?俺、自分が格好つけるとか考えない。ゲンロンとシラスのためにめっちゃやってるから!俺シラスを盛り上げようと思ったんだよ。シラサーと一緒に。やってくんないよ!みんな自分のチャンネルのことばっか考えてるじゃん!」などの発言があったそうである(5ちゃんねる、東浩紀スレ酒849の290)。「石戸諭×桂大介×東浩紀 ネットで(ついに)社会が変わるのか?」(同年7月18日)でも辻田は批判される。辻田が論壇フェスというイベントに出るのが気に食わないようである。辻田は「【雑談配信】東京都知事選後日談、中間の重要性、論壇フェスほか」(同年7月19日)で反論した。しかし、辻田は売り上げトップであるだけに東も軟化し、辻田がシラスを止めることは今のところないようである。
現在に追いついた。これまでのあらすじをまとめると、東は郵便本で確立した視座でずっとやってきたといえるのであろうが、ゼロ年代はネット草創期のコミュニケーションの変容をアーキテクチャ論から考えていて、この頃がいちばんよかった。個々人は社会から下りていても、社会は回っていくというような夢が語られた。このような夢まで否定されるいわれはないだろう。テン年代になると、SNSによってネットが政治的なもので満たされるようになり、東はそこから距離を置こうとしてゲンロンに立てこもるようになった。ゼロ年代はネットの勢いに乗っており、その可能性を引き出すべく理論化に励んでいたが、テン年代はネットの動向に批判的になり、アーキテクチャ論も捨ててしまい、時代を作るような存在ではなくなっていった。
時代を作っているのは、左派ウォーキズムであろう。東に近かった人でも、津田や藤田はこちらに付いていったのであるが、ゼロ年代の東は、環境を変化させることで行動を変える環境管理型権力がこれからの権力であり、内面に介入する規律訓練型権力は過去のものになりつつあるとしていた。しかし、左派ウォーキズムは明らかに内心に介入しており、先祖返りしている印象である。外山恒一はキャンセルカルチャーについて「云ってることは新左翼だが、やってることがイジメ」(情況 2022年春号)と言っているが、これにならえば、左派ウォーキズムは、云ってることはフーコーだが、やってることがキリスト教といったところであろうか。しかし、左派ウォーキズムは収まりそうになく、これに対する抗議運動も続くであろう。
展望も記しておくべきなのであろうか。宮台真司は東に健康診断を受けるように勧めていたが、宮台はステージ0のすい臓がんを発見しており、しっかりと健康診断を受けているのだろう。東はアル中ではないということらしいが、酒の飲みすぎであることは疑いない。しかし、健康さえ保てれば、今の地位は揺らぎそうもない。思想的な伸びしろは乏しいのかもしれないが、依然としてアイデアマンではあり、あと十数年は売れる本を出せるであろうし、ゲンロンも続けようと思えば続くであろう。
これでこの伝記は終わりであるが、記憶に頼って書いたところも少なくなく、誤りもあるかもしれない。東の埋蔵量は油田のようであり、書き終えられるか不安になったこともあるが、何とか書き終えることができた。これを読んだ人にネット草創期の興奮が少しでも伝われば幸いである。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57)31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End ofthe World - 73 Questions We MustAnswer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku:Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學Permalink |記事への反応(13) | 17:44
最近の東京都知事選挙に関して、正直なところ、自分はかなり失望している。選挙を通じて本当に変わることを期待していたのに、どうしてもその期待が裏切られる感覚を拭えない。
例えば、小池百合子氏が再選を果たした時、彼女の公約と実行力には大いに期待を抱いた。東京都をより良いものにするための様々なプロジェクトや政策が掲げられていたけれど、結果的には曖昧なままのものが多すぎた。オリンピックも然り、コロナ対策も然り、どちらも満足のいく結果には程遠い。
次に立候補した鈴木宗男氏や宇都宮健児氏も同様だ。実際に彼らがもたらす変化がどれほどのものかは疑わしい。特に宇都宮健児氏は、社会的な公正さや福祉の拡充を謳っていたものの、現実的にどうやってそれを達成するのか明確なビジョンが見えなかった。
最新の選挙では、新顔の山本太郎氏も話題になっていたが、彼の過激な言動や煽動的なアプローチには懐疑的だ。都民の期待を背負い、大きな変革を約束するのはいいが、本当にその約束が実現可能なのか? 具体的な計画や根拠が無ければ、ただの人気取りに過ぎないんじゃないかって感じる。
選挙期間中には、田中康夫氏や堀江貴文氏も候補として名前を挙げられていたが、彼らの政策や言動もまた、どこか現実味が無かった。田中康夫氏は過去の実績を誇示するばかりで、都市の未来に向けた具体的な計画が見えてこなかったし、堀江貴文氏に至ってはその奇抜なアイデアが逆に不安を煽る。
媒体によって報道される内容もバラバラで、どれが本当でどれが誇張されたものなのか見極めるのが大変だった。自分なりに色々調べたつもりではあるけれど、結局はどの候補も完璧じゃないし、都民のために本当に働いてくれるのか疑問に感じざるを得ない。
結果として、東京都知事選挙に対する期待は裏切られ、ただの政治的なショーに過ぎないという失望感を味わうことになった。これからも同じような状況が続くと思うと、本当に憂鬱になる。自分たち有権者の声はどこに届いているのか、全く分からない。
@loveyassy
エッ売電❓電池切れ⁉中国メディアを渉猟する畏姉・遠藤誉の十八番👑独擅場の玉稿💃
@CNN主催🎤大統領選討論会でのバイデンを 「字幕已阵亡=字幕は沈没してしまった=何を言っているか判らず字幕作成が不可能」と報じた🇨🇳@CCTV
早くも🗽@TIME誌次号の表紙は左上にPanic💤右下に辞去する第46代🇺🇸大統領⚡
🇨🇳ではトランプの正式表記は特朗普(Te-Lang-Pu)🕺🏼巷では川普(Chuan-Pu)🛩故に「川」「勝」の縁起を担いで成都市の航空電子企業「川大智勝WISESOFT」株価も急騰中🤑⤴
衰弱する「アメリカ合州国」老老対決⚔11月5日🇺🇸大統領選の2週間後には82歳@JoeBiden🆚78歳@realDonaldTrump🃏
Yahoo!JAPAN⏩https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4ae4912323ecc6be0b1dfa84da1493c8ddcdf7f1
古いなあと思って俺も調べてみた。
コピペ改変バージョンが有ったのは幾つか知ってたけど、こんなに有ったとは知らなかった。
オリジナルは2006年らしいが、それすらコピペの疑義があるらしい。
ネット上で一番古いのはこれですかね。今とは文章が結構違(けっこうちが)ってますが、こちらの方がオリジナルのようです。当時の長野県知事が一橋卒の田中康夫だったことから生まれたもののようですが、一橋より東工大にした方がしっくりくるので、改変したものがコピペとして広まったんだと思います。田中さんが長野県知事に就任(しゅうにん)したのが2000年代なので非常(ひじょう)に説得力があります。ただこうした関連のコピペが2006年のものですが私(わたし)が最初に見たのは
2002~2004年ぐらいなのでやはり信州大と東工大(一橋)がオリジナルというのにはまだ若干(じゃっかん)の疑問(ぎもん)が残ります。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
1947年から1980年までは参議院選挙全国区というのがあって、作家など著名な文系が議員になっていた
60年代までは鬼丸義斎(娘は最高裁判事になった)や、石原慎太郎など強力な右翼が当選していたが
70年代は社会党系が盛り上がって中山千夏や無所属の青島幸男などが当選するようになった
するとなぜか社会党は割れ、選挙制度も改変され、自分が選挙権持った頃には全国区はもうなかった
80年代には文系にコピーライターという亜種が現れ、企業を支援しはじめ、フワフワ景気感を演出し、バブルと崩壊を招いた
以来、経済は衰退
ということで、人が苦しんでいる原因は社会的に何なのかを描いて見せる作家には、社会的に重要な役割があるように思うが、今や洞察力のあるような著名作家がそもそも少なく(幻想文学やコピペ判決文はあるが)
ドキュメンタリー作家や週刊誌記事の書き手はいるが、だいたい一つの事件を追う作品になるので物語作家とはやや異なる
現代の文化では、漫画やアニメやゲームやラノベが絶対的主流というわけでもないと思うが、情報は日々ネットに溢れてラインや投資取引に忙しく、本はあまり読まれてないのか?
個人的には世界の中の日本史全般に注目していて面白い本ないかなーと思っているが、その分野の作品は、これもまたほぼ論文形式
一方、大河ドラマなどは偏りすぎていたり端折りすぎていて、ただの神話のようだ
国際関係論文は英語(なお英語文献は、途上国に対する欧米企業の影響は書かれているが、欧米政治の影響はあまり書かれない)
最近、ロシア問題で武器市場が活発だというので、そのあたりの金融ドキュメンタリー的ドラマがあったら、不謹慎だが興味あるかも
ついでに
ドイツはナチス過去があるから何が起きてもロシアと敵対しないようノルドストリームを推進した
変わりにドイツ系の多いアメリカや、英国と元英国カナダが紛争を煽っている
島国は大きくても国境防衛が楽で海軍は損害保険で優遇されるだろうし、国民も抑えやすいのだろう
そして直接の被害住民が存在しない海上と金融の戦闘は、ほぼ報告書のみのブラックボックスで取材しにくい
アサンジが追われるほど
と思ったところだった
京都府警は27日、京都アニメーション放火殺人事件で犠牲になった35人のうち、公表されていなかった25人の身元を公表しました。事件発生から犠牲者全員の身元公表に時間がかかった理由について、京都府警は「遺族と会社の意向の聞き取りを丁寧に行ったことと、葬儀の実施状況を考慮し、公表の方法とタイミングを慎重に検討を進めたため」と説明。
また、今回公表された25人の遺族のうち5人からは実名公表への承諾を得られたものの、20人は拒否の意向だったそうです。そうした状況下で実名公表した理由については、「事件の重大性、公益性から実名を提供すべきだと判断した。身元を匿名にするといろいろな憶測も広がり、間違ったプロフィールも流れ、亡くなった方の名誉が著しく傷つけられる可能性がある」と遺族に配慮した判断だったと話しています。
南さんは、犯罪における実名報道について「もっとセンシティブに、慎重になるべきだと思う。今回、報道として実名は出すべきではなかったのでは」と異論を唱えます。その理由は、「事件の真相を知りたいという私たちの欲望はあるが、だからといって犠牲者がどこの誰なのかという個人の特定まで、私たちが知らなければいけないのか。知ることが何にとって社会に有益なのだろうかと考えても、あまりないと思う」と主張。
今回、遺族のなかには公表に反対の意向だった人もいたことから、「マスコミが、わざわざ(犠牲者を)名簿のような形で流している。それのどこに報道の意味があるのか大きな疑問でならない」と憤りをあらわにしました。
◆「腫れ物に触るような形ではいけない」
MCの堀潤は、「実名公表を受けて、真摯に次の事件を防ぐために何ができるのかと議論になるかと言うと、消費されて終わってしまったり、むしろ好奇の目で見られる対象になったりすることも、リスクとしてある」と指摘します。
一方、作家の田中康夫さんは「(京アニ事件は)とんでもない事件。だからといって、その問題を腫れ物に触るような形ではいけない」と言います。続けて、マスコミについては「警察が公表したからという隠れ蓑」と非難。さらに「とても卑劣な事件だし、どう再発をしないようにするかという問題もあるけど、それとこれ(身元公表)は全く別の問題だと思う」と主張します。
キャスターの宮瀬茉祐子は、「検証は必要だと思うが、速報性の必要はないと思う。今回は(犠牲者の)葬儀が終わってからというのを1つの基準としていましたけど、ご遺族の感情がきちんと落ち着いてから1年後とかに、どんな事件だったのかと検証することは意味があると思う」との見解を示します。
すると、田中さんは「おっしゃる通りだけど、今後どんな殺人事件、交通事故や航空事故があっても、犠牲になった人(の実名)を載せないというコンセンサスが社会でできるのか」と疑問を呈します。さらには、政府が京都アニメーションへの寄付金の税控除を検討していることについても、「京アニだけを腫れ物に触るようにしているのは、犠牲者にとってもアニメファンにとっても、決して成熟した社会になっていかないと思う」とも。
堀は、京アニ事件の容疑者のことを取材しているマスコミ記者と話をする機会があったそうで「加害者側の取材がマスコミ側で全然深められていない。そのことのほうが問題」と苦言を呈していました。https://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/201908300650/detail/
https://anond.hatelabo.jp/20210720210047
選挙本戦は山中竹春氏がゼロ打ち(20時の投票締切と同時に当確がでる)という圧勝に終わり、大本命と見られた小此木八郎と現職の林文子はダブルスコアで惨敗した。小此木・林・福田の自民党系が分裂しなければワンちゃんあったかもしれないが、その場合IR反対票が小此木からかなり山中に流れる可能性もあるのでなんとも言えない。現職横浜市長が負けるのは2002年の高秀秀信(勝ったのは中田宏)以来、政令指定都市では2011年の大阪市の平松邦夫(勝ったのは橋下徹)以来である。
本記事を書いた時点では菅義偉の小此木への支援はまだ表明されておらず自民党は自主投票だったが、菅自民党本部が小此木を全面支援したにもかかわらず完敗したということで、より菅内閣の終焉は近付いたということになる。はっきり言って菅義偉は宰相になるまでの成功体験が抜けきれずここまで失敗に失敗を重ねているので、次の総選挙は出馬せず政界引退したほうがいいと思うのだがそうはならないだろう。
エクストリーム横浜市長選挙の結果は本命の田中康夫が予想より善戦し、東京都の2冠がかかった松沢も供託金没収を免れたことにより福田峰之の優勝。太田正孝の準優勝となった。松沢はあと10,000票ほど少なければ優勝という「供託金未没収候補者最少得票賞」となり、とても前知事で現職の地元選出の国会議員とは思えない影の薄さだった。近々実施される総選挙には神奈川県内のどこかの選挙区から維新候補として立候補するだろうが、小選挙区では微妙である。
エクストリーム競技最有力候補としてあげた田中康夫は松沢以上に票を集めており正直驚いている。おそらく横浜市民には長野県知事時代のイメージのまま更新されていない層が相当数いるのだろう。今や維新の犬なのにね。