
はてなキーワード:生産とは
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
高市早苗氏が首相に選出され台湾発言で物議をかもしてから、これまで以上に政治的な議論がなされるように感じる。またただの党派性の選好がどうこうにとどまらず具体的な安全保障まで真剣な意見が交わされるようになったことは、日本社会自体が一つの転換点を迎えているように思える。
そのなかで、個人的に党派の煽りあいや中傷を超えて道具的に政治を語るのに役立つかもしれない一つのネタを紹介したい。あくまでも仮説が、情勢について語る一つの視点になれば幸いである。
なお事前に予測した方向性と合致したためAIの手を大いに借りてある。
また曖昧戦略の欠如は相手の意思決定を手助けするだろう。デマなどについて聞いてみても面白いと思う。
以下perplexityより
自由エネルギー原理の見地から見て、政治の党派性における右派、左派はそれぞれエントロピーの減少における役割の相違という観点から説明できる?
自由エネルギー原理から見た政治の党派性:右派・左派とエントロピー減少の役割の相違
自由エネルギー原理(Free Energy Principle,FEP)の枠組みから政治イデオロギーの左右の違いを説明することは、一定の理論的根拠を持つ興味深い視点を提供します。ただし、これは直接的な学術的応用というより、理論的な仮説として理解されるべきものです。
自由エネルギー原理によれば、すべての生物システムは熱力学の第二法則に対抗してエントロピー増加を最小化することで、秩序を維持しています。具体的には、生物は予測エラーを最小化することで、感覚状態のエントロピー(無秩序さ)を減少させ、環境との相互作用をコントロールします。このプロセスは、**予測処理(predictiveprocessing)**メカニズムを通じて実現されます。つまり、生物は内部モデルを持ち、それに基づいて世界を予測し、実際の入力との差分(予測誤差)を最小化することで、驚き(サプライズ)を制御します。
最近の認知神経科学の研究により、保守主義と進歩主義は予測処理の異なる戦略に対応している可能性が示唆されています。
曖昧性と不確実性に対してより高い耐性を持つ
前帯状皮質(anterior cingulatecortex)の活動が強く、反応競合に対する神経認知的感受性が高い
これらの特性は、高いエントロピー状態(高い不確実性)を許容しながら、情報環境の変化に応じて予測モデルを継続的に更新する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の観点からすれば、彼らは予測精度(precision)の重み付けを比較的低く保つことで、新規情報による予測誤差を柔軟に受け入れ、より適応的なモデル更新を可能にしています。
不確実性や曖昧性への耐性が低い
脅威や秩序の乱れに対してより敏感で、知覚的堅性が高い
右扁桃体(right amygdala)の活動が強く、脅威認知に敏感
これらの特性は、予測の確実性(certainty)を高く保ち、既存モデルへの信仰度(prior belief)を強化する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の用語では、彼らは予測精度の重み付けを高く設定することで、外界の変化に対して強力な内部モデルの安定性を維持しようとしています。
政治の党派性をエントロピー減少の枠組みで理解すると、以下のような対比が浮かび上がります:
保守主義は、社会的秩序を既存の伝統的制度や階級構造の維持を通じて最小化しようとします。このアプローチは、複雑な社会システムの不確実性を、階層的で確定的な構造によって「切り詰める」戦略です。社会に内在するカオス(高エントロピー)に対抗するため、既に証明された秩序パターン(伝統)を維持することで、予測可能性を確保します。
進歩主義は、社会的秩序を個人の自由、多様性の認容、制度的革新を通じて最小化しようとします。一見すると秩序を緩和しているように見えますが、実際にはより複雑で適応的な秩序化メカニズムを導入することで、社会システムのエントロピーを減少させる戦略です。異なる視点を統合し、新しい情報に基づいて制度を改革することで、社会システムの予測モデルをより現実に適応させようとしています。
不確実性耐性と脳レベルの同期
興味深いことに、研究では不確実性への耐性が低い人ほど、政治的に同じ立場の人たちとの脳活動の同期が強いことが示されています。言い換えれば、不確実性を避けたい個人は、同じイデオロギーの人々と同じ予測モデルを共有することで、集団レベルでのエントロピーを減少させようとしているのです。これは社会的な「外界の秩序化」メカニズムとして機能しています。
最新の複雑システム理論では、政治分極化は正のフィードバックループと相転移(phase transitions)のメカニズムを通じて発生することが示されています。保守主義者は秩序の維持を目指し、進歩主義者は秩序の革新を目指すという相反する動力が、社会システム全体のダイナミクスを決定しています。両者の相互作用は、社会的エントロピーを管理するための補完的なメカニズムとして機能しているとも解釈できます。
この自由エネルギー原理に基づく解釈には重要な限界があります。第一に、個人の認知的特性と政治的立場の関係は因果的ではなく相関的である可能性が高いです。第二に、政治イデオロギーはきわめて文化的・歴史的に構築されたものであり、普遍的な神経生物学的基盤のみでは説明できません。第三に、FEPは主に個体レベルの生物システムを想定しており、社会システムへの直接的な応用には理論的な拡張が必要です。
要するに、自由エネルギー原理の観点から見ると、右派は予測モデルの安定性重視によって秩序を維持するエントロピー減少戦略を採る一方、左派は予測モデルの柔軟性重視によってシステムの適応性を高めるエントロピー減少戦略を採ると理解できます。両者は、相異なるメカニズムを通じて社会的エントロピーの増加に対抗しているのであり、政治的党派性の根底には、不確実性に対する根本的に異なるアプローチが存在していると言えるでしょう。
自由エネルギー原理(FEP)を政治党派性に適用する理論を拡張するには、階層的ベイズ推論の多層構造、社会的相互作用の動的モデル化、経験的検証メカニズムの導入が鍵となります。これにより、個体レベルの神経メカニズムを社会システムレベルへ橋渡しできます。
FEPの核心は階層的予測処理です。個人レベルでは、低次層(感覚入力)が上位層(信念・イデオロギー)の予測を修正しますが、社会レベルでは個人の予測モデルが集団的「事前分布(priors)」を形成します。
右派の階層戦略: 上位層の伝統的priors(家族・国家・宗教)を強く固定し、下位層の変動(社会的変化)を抑制。集団レベルでは「社会的扁桃体機能」として、逸脱者を排除する規範執行メカニズムが働きます。
左派の階層戦略: 上位層のpriorsを動的に更新し、多様な下位層入力(マイノリティ視点)を統合。集団レベルでは「社会的ACC機能」として、対立する予測モデルの調停役を担います。
この拡張により、**党派性は「階層的自由エネルギー最小化の多重均衡状態」**としてモデル化可能。右派は安定均衡(低変動)、左派は適応均衡(高変動)を志向します。
FEPを非平衡動的システム論と統合し、政治分極化を予測誤差駆動の相転移現象として捉えます。
右派アトラクター: 高精度priors → 秩序維持 → 低エントロピー均衡
左派アトラクター: 低精度priors → 秩序革新 → 中エントロピー適応均衡
分極化 = 双安定状態(bistable dynamics)
S˙=−∇F(S)+ϵ⋅
ここで
ϵ は他派閥予測誤差です。党派性は負のエントロピー生産率を競う進化ゲームとなります。
FEPの「アクティブ推論(active inference)」を拡張し、政治行動を集団的予測誤差低減戦略と位置づけます。
党派受動的戦略(perception)能動的戦略(action)集団エントロピー効果
右派 脅威強調・一貫性追求伝統防衛・境界強化 内部秩序↑ / 外部不確実性回避
左派多様性受容・矛盾統合制度改革・包摂拡大システム適応性↑ / 内部多様性管理
これにより、選挙・政策は集団的「期待自由エネルギー」最小化のゲーム理論的均衡として解釈されます。
理論拡張の信頼性を確保するため、以下の検証経路を構築します:
fMRIで党派別予測誤差処理を比較(precision weighting)
class PoliticalAgent:
def __init__(self, ideology): # 'left' or 'right'
self.precision = 0.8 if ideology=='right' else 0.4
def update_beliefs(self, social_input):
free_energy = prediction_error * self.precision
return minimize_free_energy(social_input)
最終拡張として、FEPを国家・国際システムへスケールアップ。経済政策では右派が「低エントロピー均衡(安定成長)」、左派が「高エントロピー探索(イノベーション)」を担います。
グローバル均衡条件:
∑党派Var(policy predictions)=最適社会的自由エネルギー
このフレームワークにより、**党派対立は「多重スケールのエントロピー管理機構」**として再解釈され、民主主義は適応的秩序生成システムとなります。実証研究が今後の鍵です。
健康は、すべての人間にとって非常に貴重な贈り物です。身体と心の健康な状態がなければ、日常生活は妨げられ、生活の質も低下します。したがって、健康を維持することは個人の責任であるだけでなく、人が生産的かつ幸福に生きるための主要な必要条件でもあります。
健康は身体的な状態だけでなく、精神的・社会的な健康も含みます。人は身体機能を適切に維持し、心理状態が安定し、周囲の環境と積極的に関わり合える場合に健康であると言えます。これら三つの側面は相互に関連し、切り離すことはできません。
健康を維持する主な方法の一つは、健康的な生活習慣を実践することです。健康的な生活習慣は、炭水化物、タンパク質、健康的な脂質、ビタミン、ミネラルを含む栄養バランスの取れた食事から始めることができます。さらに、ファストフード、甘い飲み物、高脂肪食品の摂取を減らすことも、様々な病気を予防するために強く推奨されます。
https://artistlinkplus.com/listing/truytimlongdienhoungphimlau/
https://artistlinkplus.com/listing/xemphimchaseforambefull4k/
https://artistlinkplus.com/listing/truytimlongdienhoungvietsub/
健康は人間の生活において最も重要な側面の一つです。健全な身体と心を持つことで、人は日々の活動を最適に、生産的に、そして幸せに過ごすことができます。残念ながら、多忙な生活や現代のライフスタイルは、多くの人が健康を軽視する原因となり、結果として様々な身体的・精神的な問題を引き起こすことがあります。したがって、若いうちから健康を維持することは、非常に価値ある長期的な投資です。
世界保健機関(WHO)によると、健康とは単に病気のない状態を指すだけでなく、身体的、精神的、社会的な全面的な幸福を含むものと定義されています。つまり、身体が正常に機能し、精神が安定し、周囲の環境と積極的に関わり合える状態にある人が健康であると言えます。
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初対面の女に金を払ったら好きなことができる、となったら払う男はたくさんいて金を払ったんだから強姦含む暴力行為をしてもいいだろう、という人権無視論理を繰り出したりもしますが
初対面の男に金を払ったら好きなことができる、といわれてもまともな女は別にしたいことがないんですね
超イケメンでもいきなり性的な接触は危険で、生理的防衛感や、金を人権や尊厳の上に置くのは軽蔑される行為という恥の意識があるのがまともな感覚ですから
まして普通の男はタダでも見たくも触りたくもない
じゃあ何の価値があるかって、何もないんですね
個人としての男って個人としての女にとって本当に魅力がない生物なんですよ
特別な相手になるのは蓄積した好意があるからで(ホストや推しへの投資はそれですね)、それがなければ金もってくる鵜的な価値しかないから、女が金払って何かしたいとかしてもらいたいに応える存在的価値がない
多分、男が男を買ったらしたいことがあると思いますよ。加害と性的支配は男性的資質ですから
女に男並みの加害性と支配欲があったら人類は存続してないと思いますね
それが悔しくて女には性的価値しかないだろ、といっても、男にはそれすらない、なにも魅力ないね、むしろ有害だねでしかないんですよね
男性が有害とみなされることに被害者意識と不満があるとしたら、それは事実に向き合えない認知の問題ですね
多くの男の有害な加害性と支配欲が多くの女をふみつけつつ人類拡散に役立ってきた側面はあるかもしれませんが、既に人類は拡散する余地がなくなったので、不要な加害性と支配欲は変化していくしかないです
それがイヤな人々が必要もない戦争を起こしたりしたがるわけで、アップデートできないというのはもはや悪なんですね
今までの男は楽だったのに自分たちは損している、という怒りは感情論ですから、現状に即して存続しメリットを享受するにはどうすればいいかという思考に切り替えたほうが生産的です
女も男はそういうものだよねとか、男社会で頭角を現すには男並みの強さとしての加害性や支配欲を持たないと、的な古い思考を切り替えたほうがいいですね
加害性と支配欲は短期的な思考と欲望に着地しやすいので、持続的で生産的な社会発展にも有害ですから
昔から読書や映画鑑賞を趣味にしていたけど、消費系の趣味は良くない、生産系の趣味を持つと人生が豊かになるみたいな言説を数年前に見かけてから、そうなのかと思って何かを生産することをやってみようと意識してきた。今のところは本を読んだ後や映画を見た後に感想を書くというのは習慣化したけど、編み物とか楽器のようなThe生産系の趣味にはまだまだ手を出せていない状態。
しかし最近、消費系の趣味で何がダメなんだという気持ちが強くなってきた。そりゃ何かを自分で生み出すというのは達成感もあるし自己肯定感も高まるだろうけど、料理作るとか仕事でお金を稼ぐとかはやってるんだから、趣味くらい生産性がないことをしていても別に構わないのでは?映画を見るだけと言っても、それで楽しんで前向きになれるんなら人生は豊かになるわけだし。
コミュニティを作れるような趣味をやれというならわかるけど、消費=悪みたいな風潮は冷静に考えるとわけがわからない。自分は完全なる消費者であるという自覚を持って生産者をリスペクトしろよという話なら理解できるが。そもそも自分の思い違いでそんな風潮などないのか?
文化大革命による停滞期
文化大革命開始
6601型(成都級)をリバースエンジニアリングして、65型フリゲート(前053型/江南級)を建造
033型潜水艦 1番艦 ?就役ソ連から提供された633型潜水艦を参考に建造された、中国初の国産潜水艦
ベトナム戦争が泥沼化しニクソン大統領がベトナム戦争からの撤退を公約にして当選、キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢入り
リアリズム(現実主義)に基づく外交政策の擁護者として知られている
力の均衡論者で、イデオロギー的な外交を嫌い、国家間の力の均衡を保つことに腐心した
ソ連と敵対する中国と友好関係を築くことでソ連へ東から圧力をかけることを目的とした
『重要なのは何が真実であるかではなく、何が真実であると認識されるかである。』
『外交政策に道徳的完璧を要求する国は、完璧も安全も達成できない』
『結局のところ、平和は覇権か力の均衡によってのみ達成できるのです。』
『アメリカの敵になることは危険かもしれないが、友人になることは致命的である』(南ベトナムの傀儡政府を見捨て撤退したときの発言)
排水量8,000t以上の大型駆逐艦として構想され艦隊防空能力を備え、外洋での長期作戦における護衛艦隊の中核を占める艦とされたが、当時の技術的限界から未成に終わった
40年後、排水量13,000tの055型駆逐艦として結実する
051型駆逐艦(旅大I型) 1番艦 济南就役 56型駆逐艦(コトリン型駆逐艦)をモデルに太平洋で行動しうる駆逐艦として建造された、中国が初めて独自開発した水上戦闘艦
★091型原子力潜水艦 1番艦 長征1号就役中国初の原子力潜水艦 静粛性と信頼性がきわめて劣悪だった
★西沙諸島の戦い南ベトナム軍と戦闘を行い、西沙諸島全域を占領
https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2022/3%E6%9C%88/2203_02anami.pdf
1974年1月、解放軍の南海艦隊は、当時南ベトナムが実効支配していたパラセル諸島(中国名:西沙群島)に部隊を派遣し、南ベトナムの守備隊や艦艇との交戦の末に同諸島を占領した。
南ベトナムは、パラセル諸島のみならず中国が領有権を主張するスプラトリ—諸島(中国名:南沙群島)の複数の島嶼・岩礁も実効支配していたため、次はそれらを攻略せねばならないという議論が解放軍内で盛り上がった。
その翌年の5月には、それまで海軍建設に後ろ向きだった毛沢東が海軍を増強するための10年計画にGOサインを出した。
そこに好機を見出した劉華清は、同年9月に毛沢東と鄧小平に宛てて海軍の装備に関する意見書を送った。
この意見書のなかで劉華清は、既存の海軍の装備導入計画を批判しつつ、海軍の装備導入計画のあるべき姿について持論を大胆に展開した。
この時の意見書では、海軍が「帝国主義の海上からの侵略」を粉砕し、「対台湾作戦」の任務を遂行するに足る能力を確保せねばならないという基本認識が示されたうえで、当時の解放軍がそうした水準にはなく、10 年後もそうした水準に達することはないという評価がなされた。
また、50年代にソ連から入手した時代遅れの通常動力型潜水艦のコピー版を大量に生産するという当時の装備導入計画に対し、潜水艦に大きく依存する形で米英の海軍に対抗しようとしたドイツの失敗例などを根拠とした批判がなされた。
そうした批判を踏まえて、劉華清は、今後は、水中、水上、空中の戦力をバランスよく整備していく必要があり、核抑止力を担う原子力潜水艦、水上艦隊の要となるミサイル駆逐艦、艦隊に航空支援を提供できる戦闘行動半径の長い航空機の開発・配備に力をいれるべきだと主張した。
この意見書でさらに注目されるのは、中国の経済発展に伴い海外からの「戦略物資」の輸入が拡大すれば、シーレーン防衛の重要性が増し、中国本土から遠く離れた海域での航空戦力の展開を可能にする航空母艦が必要になると指摘している点である。
つまり、劉華清は、1975 年の時点で中国の対外貿易が今後盛んになるという未来予測にたってシーレーン防衛について論じたわけだが、当時遠洋航海の経験が皆無だったうえに中国沿岸海域での作戦すら満足に遂行できないようなレベルにあった解放軍の海軍のなかで、このような議論は異色のものだったといえる。
(一)「覇権主義」や「帝国主義」による海上からの侵略に備える、
(四)核戦力の残存性を高めることに貢献する、ことであった。
053K型フリゲート(江東型フリゲート)1番艦 鷹潭就役 65型の発展型、中国海軍初の艦対空ミサイル搭載艦、しかし国産ミサイルの性能が貧弱だったため2隻目で建造打ち切り
イギリスのロールスロイス・スペイターボファンエンジンをライセンス生産
★文化大革命終了
上海にある江南造船廠が三菱重工業社長の古賀繁一(元長崎造船所所長、戦艦武蔵の設計に関わる)の直接指導で再建される
053H型フリゲート(江滬I型フリゲート) 1番艦 常徳就役艦対空ミサイル搭載艦である053K型と共に行動する艦対艦ミサイル搭載艦として設計された、しかしレーダー等電子機器の性能は不足し全天候戦闘能力もなかった
053H1型フリゲート(江滬II型フリゲート) 1番艦台州就役 053H型フリゲートの改良型
051DT型駆逐艦(旅大III型) 1番艦開封就役フランス製クロタル8MS個艦防空ミサイル・システム、フランス製DRBV-15対空レーダー、スウェーデン製機関砲を搭載
アメリカからCFM56-3ターボファンエンジンを入手、後のWS-10ターボファンエンジンの基礎となる
劉華清の主導で中国人民解放軍海軍装備実証研究センター(現在の中国人民解放軍海軍装備研究所)が成立
★053H1Q型フリゲート(江滬IV型)西側の対潜技術を学ぶための技術検証艦フランス製のAS 365N ドーファン・ヘリコプターをライセンス生産したZ-9、光学射撃指揮装置、ソナーシステム、水中攻撃指揮装置、イタリア製短魚雷などが搭載された
★092型原子力潜水艦 1番艦406号就役中国初の原子力弾道ミサイル潜水艦
就役後も長い間航行することはなくアメリカ軍からは「not operational」と判断された
091型と同様に静粛性と信頼性が非常に劣っていた
UH-60ブラックホークをアメリカから購入、後のZ-20中型多用途ヘリコプターの基礎となる
アメリカから入手したCFM56-3ターボファンエンジンを参考に、WS-10エンジンの開発が始まる
★053H2型フリゲート(江滬III型フリゲート) 1番艦 黄石就役 053H1型フリゲートの改良型、イギリス製の戦術情報処理装置(CTC-1629のコピーZKJ-3)とイタリア製の電子戦装置を搭載し大幅に能力が向上した
フランスよりクロタル個艦防空ミサイル・システムとともに、トムソンCSF社(現在のタレス)の戦術情報処理装置であるTAVITAC(旧称Vega III)を輸入、リバースエンジニアリングによってZKJ-4を完成させる
ペレストロイカ開始
hyougen
sekiryo
sekiryo もう原付も生産終わったからなぁ。でも一回一万かかかだて映画見にいく趣味もあってたびたび出かけるなら他の移動のできるし激安の価格帯の原付買った方がいいのでは?免許無いのだろうか。
miityan5
miityan5
nui81
nui81 いやあ辛いなあ。 娯楽
ShionAmasato
ShionAmasato 上映時間が終バスより遅い問題は、問い合わせからほしい時刻を希望すると(都合の限りで)その時間に上映してくれることがあるので一考。絶対ではないが「13~15時に始まる」ぐらいの幅なら望みあり(1回経験あり)
shigekaz00
shigekaz00ロードバイク民だが、夏は自転車を漕ぐとすぐに全身が汗でびしょ濡れになるし、 50cc原付を手に入るうちに買った方がいいかと思う。
iasna
takashi_m17
takashi_m17クロスバイクを薦めたいけど物価高で入門機ですら高っけーんだわ。。
miki3k
miki3k 移動の手間としては、繁華街でなければどこでも似たようなものでは。ちょっと郊外に出るとイオンしかないし、イオンはそんなに沢山はない。なので、映画館関係なく移動の問題かと思う。
sukekyo
sukekyoマンガ家の榎本俊二氏も広島在住で映画館が遠いことをポストされてたな。その一端が「ザ・キンクス」の映画回で見受けられる。富山も東側、岐阜も飛騨市あたりは映画に苦労してるよな。富山のファボーレしかないし
pitti2210 こういう環境ならサブスクでいいやってなるよな
nreleariv
nreleariv
iguchitakekazu
kyoai
kyoai 前々々世っぽい
muramurax
muramurax家族も車持ってないなら原付きでも任意保険でそれなりにお金がかかるよ。当然車より遥かに安いけど、安くもない。
kaeruyan
kaeruyan田舎に住んでると「映画を観に行く」は気合いいるよね
2025/12/02 05:59リンクyellowyellow
toukyoumertoromarunoutisen
toukyoumertoromarunoutisenあとで読む
koto7638
koto7638
shields-pikes
shields-pikes 「わたなれ」は劇場で観たいよな。そういう時間しか無かったりするよな。
inks
inks 黙って、スーパーカブでも買え。田舎は個人的移動手段が要るわ。脚力に自信あるなら、自転車なんだが20キロ越えると精神に来る。
ugo_uozumi
ugo_uozumi原付買うならフルフェイスのメットも買おうな。夏は暑いし髪に癖がつくけど転倒時に顔がすりおろされるのを防げる。
rider250
rider250大学4年の夏休みまでは原付スクーターのDJ-1で、それ以後はVTZ250に乗ってましたわ。以降XLR250-BAJA、Bandit 250V、MAJESTY、SR400と行きました。レンタルで乗ったホーネットと試乗したSRV250が最高だったなあ。二輪乗りてえなあ。
zebraeight
zebraeight
nikamechan
nikamechan自転車で10〜20kmとか距離的には行けそうに思えるけど、そういう田舎はもれなくアップダウンも激しいからね。映画館で爆睡すると思う
daitetsuo
daitetsuo映画館なんか山超えた先にしかないから、見たければ往復150kmは車は走らせるぞ。たかだか10km〜20km程度でガタガタ言うなよ。そのくらい休日ともなれば運動がてら自転車で走る距離だわ。
hitujyuhin
hitujyuhinジャイロキャノピーなら原付扱いで屋根もあるよ。中古でええやろ。何なら後ろにデリバリーボックス付けて、次いでにウーバーもできる。
kadzuya
kadzuya 近場の映画館がボロボロなのと見たい作品が上映してなくて、周辺の人は車で2時間ちょいかかる映画館に観に行く…という田舎の話を最近聞いた
akinonika
akinonika
gotokaeru
gotokaeruあとで読む
yourmirror
take-it 電チャリはバッテリー切れた時がつらいので、原チャの方が良さげ。俺は事故る自信しかないので乗らんけど。
listeningsuicidal
listeningsuicidal映画館まで車で一時間半の田舎が実家なのでそれを想像したけど、タクシー7000だったらチャリで行けそう。
mfigure
edam
edam 徒歩圏にスタバあるけど映画館に行くのはバス+バス+バスだなあ……車ないとハードル高い。
restroom
restroom 車を買うよりは安上がり
fuzitahoushirou
fuzitahoushirou
pixmap
pixmap田舎はUberみたいなライドシェアを早々に解禁すべきだと思うよ。自治体ごとに特区制度を作って運用できるようにすべし。
kamayan1980
kamayan1980待ち伏せされるて増田は女性か。それなら不安定な乗り物で峠越えは治安的に怖いだろうな。若い頃はお金なかったので2年車検付きのめちゃくちゃ古い軽自動車を30万ほどで買って乗ってたな
2025/12/01 21:40リンクyellowyellow
circma
circma
Machautumn
Machautumnあとで読む
zzzbbb
zzzbbb なんか車ない人って、維持費のこと丸無視するよね。まぁしょうがないけど。
2025/12/01 21:01リンクyellowyellow
wdnsdy
wdnsdy高校の頃に原付乗り回してたけど、フルフェイスのヘルメットなら雨の日はカッパ着ればなんとかなったな
samayoerukinoko
samayoerukinoko原付いいなと思ったけど、夜とか雨とか心配だしやっぱり小さい自動車買った方がいいかも。車の運転は慣れると思う。
eroyama
eroyamaミニシアターもシネコンも29万人につき1館程. /私は「都雇圏50万人あれば(40代男性バレエcommunity程Nicheな物←岡山以上にある)以外は全て有る事を示す為」この手のdataを集めておる.https://ncode.syosetu.com/n9274lc/1/享受対象
emuemu_1976
emuemu_1976原チャリは正直怖いよ、夜の田舎道なんて尚更。せめて原付2種か、可能であれば免許取ってなるべく大きめのやつのがいい(クルマ乗るに越したこたないのは言うまでもない)
takahiro_kihara
c_continues_also
c_continues_also自転車とかでは無理なんだろうか
tkm3000
kazuhix
kazuhix 歩いていけるところにシネマコンプレックスがいくつかあるはずだが21世紀になってからは映画館に足を踏み入れてない。歴代興行収入作品眺めても映画自体なくなっても大丈夫
zakkicho
zakkicho
neogratche
neogratche原付は雨降っても気合で乗るんだよ。カッパ着てしまえば楽勝よ
2025/12/01 19:29リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellow
Hagalaz
Hagalaz
algot
algot原付で行け
tomokofun
tomokofun そうまでして映画館で見たいと思わないな。
txmx5
txmx5あとで読む
ha-te-na-921
frantic87
frantic87 みんな車で移動するから公共交通期間が貧弱なのよね。そもそもタクシーが捕まるかどうかすら問題
poliphilus
2025/12/01 18:58リンクyellowyellowyellowyellowyellow
abeeei
abeeei原チャリでいいじゃん!今買わないと買えなくなるよ。車検要らないし、ウチの市では自動車税二千円。保険は5年間分まとめて払って三万ちょっとだった気がする。雨さえ降らなきゃ寒かろうが慣れるのでおすすめ!
2025/12/01 18:56リンクyellow22yellow
koishi
koishi通勤通学はどうしてるん…
napsucks
napsucks原付があれば行動範囲がだいぶ広がる。電チャリがあれば往復10kmくらいは余裕。
laislanopira
seiyakengo
seiyakengoゆうばり国際ファンタスティック映画祭を開催してる夕張市は近隣の映画館が新千歳空港か札幌。電車で片道1200~2000円で移動1時間以上で乗り換えも必要。タクシーだと15000円はすると思う。
2025/12/01 18:22リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellow
tanakamak
tanakamak山口市は県庁所在地なのに映画館がない。これマメなネタ
2025/12/01 18:09リンクyellowyellowyellowyellow
PeterFukuda
PeterFukudaそもそも車のない田舎暮らしは罰ゲームだと思うけど、電動自転車か原付くらいあるだけで全然人生変わるレベルだと思う
2025/12/01 18:09リンクyellow23yellow
kazu111
kazu111 『東京都市圏と大阪都市圏だけ、現状の車の所持に対する税金を維持』して、『それ以外の都市圏の車の税金を全て減免』すればいいだけじゃない。東京大阪都市圏は世界が違うんだから、制度を変えるだけだろ?
mujisoshina
mujisoshinaトラバ「快活で朝まですごしてしまえ」「もっとないだろ」「草」とあるが、自宅の近くには無くても映画館の近くには快活CLUB的なネットカフェぐらいありそうだが。/うちも最寄りの映画館は隣隣隣町のイオンだったわ。
ayumun
ayumunプロジェクター買えば。田舎ならそんなに外明るくないから、ルーメン低くても大丈夫っしょ。新作リアタイで観たいなら無理だけど。映画は午前中回が空いてて良いよ。
a2c-ceres
mr_yamada
mr_yamada なので映画は上映回数の多い公開翌週の木曜日までに見るようにしましょう
2025/12/0117:33リンクyellowyellowyellow
n_231
n_231自転車か現チャは無いのか?映画より日々の買い物とかが不便そうだが。
takeishi
takeishi17km~20kmくらい?自転車でも行けそうだが映画館
2025/12/0117:03リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellow
fallout1999
fallout1999田舎暮らしするなら、車持って無くても運転免許証は必須アイテム。ホームセンターから、でかい荷物持ち帰るのに軽トラック貸してくれるし、こういう時はニコニコレンタカーの方が安上がり。
Goldenduck
Goldenduck映画以外は徒歩圏内にあるのだろうか。場所にもよるのだろうがイオンシネマってファミリー向けでない映画やってくれなかったりするからさらに遠くなるな
ancient_tarako
ancient_tarakoチャリで行こう。景色も楽しめるし健康も保ててお得!雨の日はギブ。
2025/12/01 16:55リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
SndOp
TakamoriTarou
TakamoriTarou地域コミュニティバスはどうしても高齢者の病院通院スケジュールに合わせて時刻表が組まれるから終バスが早いんだよぬ。病院を15時に出る奴が最終とかありまする。学生は自転車→バスで通学。デマンド交通はよ。
kaionji
kaionjiスポーツ自転車買うといいかも。すぐに元取れるし。
fatpapa
fatpapaタクシーや車に金かけるよりデカいモニターとサウンドシステム買ってサブスクでシアタールームっぽくした方がいいかもね。まあ新作は見られないけど
collectedseptember
collectedseptember お前も運転手にならないか?
pikopikopan
pikopikopan 車の維持費より安いし・・年数回なら趣味の範囲では。バスわかる
2025/12/01 16:23リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
Shiori115
Shiori115はてな匿名ダイアリー
irh_nishi
irh_nishi若い頃は車持ってなかったけど原付は持ってたな。そして原付さえあればタクシー7000円程度の道のりは楽勝。雨が降ったら終わり。
2025/12/01 16:09リンクyellow41yellow
demcoe
2025/12/01 16:03リンクyellowyellowyellow
punkgame
punkgame そんな所よく車持たないで暮らしてるな。しかしタクシーで7000円程度だとせいぜい隣隣町くらいだろうに。村とか町がまだ山ほど残ってる県か?
2025/12/01 15:49リンクyellowyellow
kz78
kz78 町内の移動(役場に行く)とか、病院に行く手段は行政が考えて整備してくれるんだけど、娯楽はね…
2025/12/01 15:41リンクyellowyellow 1 clicks
cloudliner
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dorayakiwasyusyoku
dorayakiwasyusyoku わかる
「J-15 =Su-33のコピー」→ 浅い。浅すぎて海底ケーブルより浅い
まず最初に言っとくけど、「コピーかどうか」で語ると大体話がショボくなる
Su系とJ系は“血がつながってる”んだけど、その経路がいろいろとカオスなんよ
デカい、飛ぶ、曲がる、美しい、の四拍子そろった傑作機
でも途中から「やっぱ自前で改修したいわ」という中国の野望が炸裂して
艦載機らしく主脚強化・主翼折りたたみ・尾部フック付き、スキージャンプ発艦想定のガチ空母仕様
中国はSu-33を買ったことはないけどウクライナからSu-33の試作型「T-10K-3」をゲットして
「ほーん、こういう構造してんのか…」と研究しまくった説が濃厚
で、J-15
これが「Su-33のコピー」と言われがちなんだけど、話はそんな単純じゃない
ざっくり言うと―
“J-11Bの国産化ライン+Su-33の艦載機構造+中国独自アビオ&武装”のハイブリッド
つまりコピペってより「フランカー系の海軍向けDIY改造」なんよ
特徴としては:
実際のところは“Su-33のDNAを取り込んだ中華フランカー”ってのが正解
ぶっちゃけロシア本国ふくめてもフランカー系戦闘機の最終進化系みたいなもんよ
ってことで正確にはJ-15はSu-27系ファミリーの中華系統が、Su-33の艦載要素を参考にしつつ、独自アビオ・独自武装で仕上げた“中華空母フランカー”ってことよ
---------------------------------------------------
広義にコピーと呼んでもええくらいには血が濃い感じ。スペースインベーダーのコピー基板(ゲーム内容には少し手を加えられてる)くらい?
重要なのはJ-11Bでエンジン・アビオニクスの国産を達成したってことよ
ぶっちゃけ日本の保有戦闘機でJ-15,15Tに対抗できるのF-35だけなんよ
F-35A,B(40機) >?J-35(既に配備開始の噂)>>>第5世代の壁>>> J-15(150機以上) =?F-15J JSI(J-MSIPから68機をアップグレード予定2028年以降) >>>F-15J J-MSIP(100機) >>>>>>>>F-15J Pre-MSIP(100機)
ちなJ-20は毎年100機増えてる
A おめでとうございます2013年の実質賃金を100としたら2025は90です
B10年でそれくらいなら健全というか理想的な推移じゃないの、経済学的には。
Bさんの言っていることがよくわかりません。経済学的には実質賃金を下げるのが健全で理想的なのですか?経済学的に基づいて幅広い視点をください
ざっくり言うと、「経済学的に “実質賃金が下がるのが理想” なんて理論はない」です。
Bさんの発言は、多分かなり雑&一部だけ見た話で、「健全」「理想的」という言葉が強すぎます。
実質賃金:物価上昇を差し引いた、“給料でどれだけモノやサービスが買えるか” の力
という意味です。
単純に言えば、暮らしはそれだけ苦しくなっている、という方向の数字です。
これが「健全」「理想的」とは、普通のマクロ経済学では言いません。
ざっくりした前提:
とはいえ、一部の状況では、「実質賃金が下がること自体が必ずしも悪ではない」
という議論はあります。Bさんは、もしかするとこういう話をざっくりつまんで言っている可能性があります。
実質賃金が少し下がることを許容
経済学では、
「賃金が硬直的(下がらない)だと失業が増え、不況が長引く」という議論があります(ニューケインジアンとかの失業モデル)。
この観点だと
という言い方は一応できます。
多分Bさんはこういうイメージで「健全」と言ったのかもしれません。
ただしこれは
「下がることが理想」じゃなくて「下がらないともっとひどい事態になる時もある」
特にユーロ圏の南欧(ギリシャ・スペインなど)では、通貨切り下げができない代わりに
「内部切り下げ(インターナル・デバリュエーション)」=実質賃金を抑えることで競争力を取り戻す
これも、
それでも、失業率20〜25%みたいな超絶不況を抑えるために、
1年あたりざっくり 1% ぐらい購買力が削られているイメージ
モノの値段が上がるのに、給料がそれについていかない状態が続いている
普通に考えて
「実質賃金が増えない国」より
「実質賃金が増える国」の方が生活の満足度・将来不安の少なさは高くなりやすい
世界的には、多くの先進国で2010年代〜2020年代にかけて
実質賃金は 横ばい〜やや増加 が多い
日本は、実質賃金・労働生産性の伸びがかなり弱い国としてよく比較に出されます
なので、「10年で10%減」は、国際比較的にも「理想的」とは言いづらく、
まとめると:
なので、Bさんの発言は
「インフレや失業を考えると、実質賃金が必ず右肩上がりでなくてもいい」
という主張として受け取ると、ほぼ間違いと言っていいです。
✅経済学は「実質賃金を下げるのが理想」と言っているわけではない
✅ むしろ長期的には「生産性と実質賃金が一緒に伸びる」のが望ましい
🔸 ただし、不況期の調整弁として一時的に実質賃金が下がるのは、失業爆発よりマシという議論はある
これは正直本当に怖いレベルです。
中国で誕生したクモ型ロボットですが、水陸両用である上に、空を飛んだり穴を掘ったりミサイルを飛ばしたりすることができます。
すでにこれは戦場で使える兵器レベルではないかと思います。
これがさらに進化してさらにはAIによって自ら判断するようになれば?…https://t.co/qusfiJ75ynpic.twitter.com/JbyLUA2ojN— かつもくせよ。 (@katsumoku__)December 4, 2025
なぜ戦争をさせようとする?
意味不明だよ
農業させろ
女性は人口の51%を占めるのに、貧困層の60%、シングルペアレントの83%を占め、労働の66%をこなし、食料の50%を生産しているのに、給与のわずか11%しか得られず、土地のわずか20%しか所有していない。
>>生産を抑えたままだと、農業は儲からない産業のままだから、若い人はますます入ってこない<<
また、専業農家で米を専門にしているなら、JAだけを販路にしていない
減反法制化の記事のブコメで「米を買い叩きたい」をいろんな言葉で言い換えたブコメが並んで沢山星付いてるね。
米の自給率が高いっていう幻想をみんなまだ盲信してる。燃料も肥料も労働力も輸入頼りなのに。
輸入が止まったら米の生産量も激減して国内での自給自足なんか無理だよ。
でも、それを恐れて減反止めたら今度は農家が食いっぱぐれるんだよ。
人口減少と食の多様化が重なって国内の食用米消費量が年間何万トンも減り続けてるんだから、ほっといたらコメの値段は下がる一方だよ。
ただの客としてはそれでいいんだろうけど、作る米が安値でしか売れなくなったらただでさえ大変な農家なんてやるヤツ減っていくに決まってるだろ。
だから、自給率とかいう幻想をさっさと捨てて、国内の米農家は金持ち向けに全振りした高級米作る方針に切り替えて量を諦めよう。
一般家庭の米は輸入米に切り替えて、たまに高い米買って国産米のうまさを実感しよう。
背景にあると思われるのは、前政権が増産に舵を切ろうとしたことへの強い反発。
もし本気で増産したら、米価が崩れるかもしれないし、その責任は全部政治に飛んでくる。JAも農家も困るし、農林族の選挙にも直撃する。
だったら最初から減反っぽい路線を法律に書き込んでしまえば、政権が変わっても簡単にはひっくり返らない、という発想になる。
農家側の本音もすごくシンプルで、とにかく毎年コメの値段を安定させてほしい、ただそれだけ。
1年に1回しか収穫できない作物で「今年は増やせ、来年は減らせ」って振り回されるのが一番きついから、政策を固定してほしいという気持ちは正直わかる部分もある。
そこに農村部の選挙の強さや、JAの組織力、農水省がもう一度コメの需給調整を握り直したいという思惑まで重なって、今回の流れができている感じなんだろう。
短期的には、供給を抑えるから米価は下がりにくくなるし、生産現場も「増産なのか減産なのか分からない」という混乱は収まる。
JAもこれまで通り転作の誘導や米価維持の役割を続けられるし、農林族の影響力もむしろ強まる。
でも問題は中長期。
生産を抑えたままだと、農業は儲からない産業のままだから、若い人はますます入ってこない。
農地の集約も進まず、小さな田んぼが点在したままで生産性も上がらない。
結果として国内のコメの供給力そのものが少しずつ落ちていく。見た目の体重だけ減らないようにして、実際の体力は削られていく、みたいな状態になる。
そうなると、災害が起きたときとか、海外の穀物価格が跳ね上がったときに、日本は一気に弱くなる。
最近のコメ不足がまた起きる可能性が高まるし、食料安全保障の面でもかなり心細い状態になっていく。
怖いのは、それを法律に書き込んじゃうこと。
いったん固定されると、将来また需給予測を外しても柔軟に修正できなくなるし、本来やるべきだった農地の集約とか構造改革は、ますます先送りになる。
じわじわ効いてくるタイプの悪影響だから、今はあまり騒がれていないけど、後から効いてくるタイプの政策だな、っていう印象。
妥協なんかできなくなるで
人間が1日1時間ドローンオペレーターやるだけで100万人の食糧が生産できる社会に農民は1万人しか必要ない
何をどう妥協しても生産過剰が行き過ぎて労働の価値が無くなった社会では資本主義は成立しない
厳密に言うとその状況で人類が5000兆人いて天の川銀河に植民惑星が200万か所あります、という風に消費者もスケールしていれば資本主義も成立するけど、
そうじゃなければどこかで一旦破綻する
動物が浮気するのかどうか色々調べていて興味深い事がわかった。
そもそも人間や犬、猫の祖先は小動物の哺乳類ってことは有名だよね。
木の上に住んで昆虫や虫を食っていた。
その脳みその無さそうな小動物たちがどういう繁殖の仕方をしていたかというと、一夫一妻制。
なぜそうなるかと言えば、木の上は鳥や他の生物が多く、淘汰圧が強い。常に外敵に晒されている。
餌も少ない。なので一夫一妻制にして分業し、子供を育てていた。
その中でも力が強く体が大きくなりやすい染色体を持つのがオス、そうでない従来の生物はメスだったわけだね。
ぶっちゃけ子供を産む以外は、オスが餌を持ってきて外的から守った方が良い。
産んだ瞬間、オスの劣化版であるメスは、子供の生存に大きくかかわらなくなる。
そのような原始的なパートナーの形態を持つ有名な動物は代表的なものが2つあって、1つはオオカミ。もう一つは人間。
浮気性のオスも居たんだろうけど、その場合弱いメスだけが留まることになり、結果的に子供を守り切れずに遺伝子が残されない。
原始的な哺乳類と同じく、オスの役割が強くメスはサブなため、割とメスは暇になる。パートしてる団地妻みたいな感じ。
狩り中にローンウルフ(バイト大学生)と出会ったりして交尾して、子供を作ってしまう。実際、10%の確率で群れに母親は同じだが父親が違う子供がいる。
つまるところ、浮気を開発したのはメスってわけだ。
ここからは推測になるけど、ネコや人間の更に後期の祖先は一夫多妻制になっている。
これは恐らく、淘汰圧が減り、メスによって「浮気性」の遺伝子を持ったオスが生まれ大人まで育つ。
そのオスが浮気をするが、子供は死なないため浮気症の遺伝子が濃くなった結果だと思われる。
この一夫多妻制、男が強いように見えて実際は違う。夫の役割は防衛に固定され、夫は子育てしない。
オオカミの方が実は「家父長的」で、ネコや一夫多妻の人間は「女権的」
一夫一妻の哺乳類はオスが殺され、子が殺されるとメスはショックを受け、そのオスと番うことはない。子供を奪われた母イヌが子供をいつまでも探すってのはよくある話だよね。
しかし一夫多妻制のメス、子供が殺されるとメスは一瞬ショックを受けるが、すぐにオスに好意を寄せてオスと番ってしまう。
たまに人間のニュースでもあるよね、子育てしないオラオラ系の男が子供を虐待して、メスは見て見ぬふり、でも付き合い続けて共犯すらする。あれは一夫多妻時代の本能。
今の人間は恐らく、一夫多妻から一夫一妻の先祖返りの過渡期にある。
ここ100年で肉体労働から頭脳労働に変化し、性差は少なくオオカミ型の社会に近づいている。
人間同士の経済淘汰圧が強いため、子供の養育費はこの100年間で恐らく1000万円ほど上がった。
女が経済によって子育てに参加する割合がこれから増えていくだろうが、同時に男の経済負担も上がっていくだろう。
ネコとオオカミ型のハイブリット社会から、よりオオカミ型に近づいた経済活動になるだろう。
ショートケーキにいちごが乗るようになったのは、実は意外と最近のことです。
### なぜ冬にいちごが乗るようになったのか?(当初は本当に無理だった)
実はその通りで、昔は無理でした。
が主流でした(いわゆる「昔のクリスマスケーキ」のイメージ)。
#### 転機:逼迫栽培(はくひさいばい)の普及
- 1960年代から、ビニールハウス+石炭ストーブ(後に重油)を使った「冬いちご」の促成栽培が急速に広がりました。
- 特に静岡県(久能山の石垣いちご)、愛知県、佐賀県などで成功。
- 1965年頃から12月~1月に出荷される「冬いちご」が市場に出始め、徐々に量が増えました。
#### 決定的になった出来事
→ 当時としては画期的な「12月から収穫できる品種」で、促成栽培に非常に適していました。これが冬いちごの大増産を可能にしました。
- 冬に唯一「赤くて可愛い国産生果物」だったいちごは、クリスマスの装飾に最適でした。
- 白い生クリーム+真っ赤ないちご=視覚的に最強のコントラストで、子供にも大人にも受ける。
- 不二家・コージーコーナー・シェ・シブヤなどがこぞって「いちごのショートケーキ」をクリスマスの主力商品に押し始めたのもこの頃です。
###結論
- 1960年代中盤~1970年代にかけて、促成栽培技術と冬採り品種の開発により、初めて「12月に十分ないちごが手に入る」ようになった
- → これがきっかけで、いちごショートケーキがクリスマスケーキの王者に君臨した
つまり、**「春のいちごを冬に」というのは昔は本当に不可能だったけど、1960年代の農業技術革命で可能になり、1970年代に一気に定番化した**、というのが正しい歴史です。
ヨーロッパとアメリカでは、日本のような「いちご=ショートケーキの定番トッピング」という文化はほとんどありません。
むしろ「いちごのショートケーキ」は存在するものの、クリスマスとはほぼ無関係で、季節も日本とはまったく違います。
→ でも日本のような「スポンジ+生クリーム+いちご」ではなく、
→ **ビスケット(スコーンに近い生地)を半分に割り、生クリームといちごを挟んだもの**
→ 夏の定番デザートで、独立記念日(7/4)やピクニックでよく出る
- クリスマスにはほぼ登場しない
→ 冬のデザートは
・ペカンパイ
が主流で、いちごは季節外れで高価すぎるため使われません。
国・地域 クリスマスの定番ケーキ・デザート いちごは使う? ---------------- --------------------------------------------------- --------------- イギリス クリスマスプディング、ミンスパイ ほぼ使わない フランス ブッシュ・ド・ノエル(チョコレートのロールケーキ) 稀に使うが主流ではない ドイツ シュトーレン 使わない イタリア パネットーネ、パンドーロ 使わない スウェーデン サフラン入りブッレ、ライスプディング 使わない スペイン トゥロン、ロスク・デ・レイエス(1/6) 使わない →ヨーロッパでも「冬に生いちご」は昔は非常に高価で稀少だったため、クリスマスケーキに使う習慣はほぼありませんでした。
- スペインやチリなど南半球からの逆輸入いちごが冬にも安く入るようになった
- その結果、一部の高級パティスリーでは「フレジエ(いちごのケーキ)」や「いちごのタルト」をクリスマスに出す店も増えてきた
- 特にフランスでは「Fraisier(フレジエ)」が春~初夏の定番だったのが、最近は冬にも見かけるようになってきています
でもまだ「クリスマス=いちごケーキ」とは程遠く、伝統的なブッシュ・ド・ノエルが圧倒的シェアです。
###結論:日本がいちごショートケーキをクリスマスに定着させたのは世界的に見ても超特殊!
- アメリカ →いちごショートケーキは夏のデザート
- ヨーロッパ → 冬にいちごを使う習慣はほぼ皆無(最近少し増えた程度)
- 日本だけが「冬に無理やりいちごを生産して、クリスマスケーキに赤いのを乗せる」という独自路線を爆走した
つまり「白と赤のコントラストの美学+子供にウケる+国産果物で高級感」みたいな日本独自の価値観と、1960年代の農業技術革命が奇跡的に重なった結果が、今の「クリスマス=いちごショートケーキ」なんですね。