
はてなキーワード:生活レベルとは
うちは柔道場を営んでいる。一応は家族経営という形だ。もうすぐ、この道場の正式な後継者になる。
一応は名門と言われてきた道場だ。平均的な広さの道場に比べれば畳数もある。学校の柔道場には及ばないが。
ただ、名門という看板は泥まみれに近い。少なくとも泥は被っている。
タイトルのとおりで、だいぶ昔のことだが教え子を死なせてしまった。遺族から訴訟を起こされてニュースにもなった。
厳密に言えば、元妻が死の原因を作り、俺はそれを傍で見ていただけだ。けれど、それは俺の責任でもある。
こんな自分が道場を継いでいいのか?そう自問すると心にくるものがある。
こんなことを書いても意味はないかもしれん。でも、増田で人生相談を投げて、素敵な人に回答をもらっているのを見たことはある。それに賭けてみたい。
個人的な希望としては、ピンク髪のアイコンの女性や、ジャックフロストの人、あるいは正面右向きの若い男性の人に回答いただけると嬉しいと思う。どのような方の意見でも嬉しいのだが、同じブクマカでもBOTはできればご遠慮いただければと存ずる。
pico-banana-appのファーストブクマを回避できることを祈ってる。FreeCatWorkは死んでほしい。ゲド戦記はクソ。
本当に信じられないかもしれないが、全て事実である。15年以上前のことだ。
あの頃は若かった。県内の名門高校を卒業した後、全国大会には行けなかったけれど、東京にある柔道が強い大学に進んで、実業団で働きながら柔道をやった。
そして、20代後半になって生まれ故郷に帰り、また柔道を教え始めた。
あの頃の俺は調子に乗っていた。慢心していた。「俺がここを継ぐんだ、伝統の一部になるんだ」という意識だった。ただの慢心である。
柔道界での実績がない俺と違い、父は本当に凄かった。父の指導を受けたいという入門希望者が毎年春になると何十人も来て、そのうちの数人だけを選んで入塾させるのである。今ではあり得ないほど贅沢な行為だ。
事件当時の話をしようと思う。20代後半の頃は、柔道の専門資格の勉強をしながら道場で教えていた。それで父から給料をもらっていた。柔道だけで生活ができる、いい時代だった。
特に、子供の指導には熱が入った。親父も俺も、5才になる前から柔道をしてきた。あの頃は、小学生の子どもらに対して、平気でこんなことを伝えていた。
「ここで泣いてるようじゃダメだ」
「もっと強くならないと」
「気を抜いてんじゃねえっ!!」
とか。今思えば完全に狂っていた。
あの日のすべては覚えていないが、事件のことははっきり覚えている。夕方の時間で、小学生~中学生の指導タイムだった。
その子は体が大きくて、将来が期待できる子だった。だから俺も、厳しくすればもっと伸びる、もっと追い込まないと本物にならないと信じきっていた。
その子への練習は、ひたすら大外刈りの打ち込みと、乱取りだった。
その子は、柔道自体のキャリアは長くなかった。乱取り中は何度も何度も、畳に投げつけられていた。特に中学生が相手になると厳しかった。
その子の息が上がって、顔が真っ赤になっても、俺は「まだいける!」「お前はこんなもんじゃないぞ」と叱咤していた。
ここまではよかったんだ。これくらい追い込まないと、本当の強さは手に入らない。どうせ柔道をやるなら、勝てた方がいいに決まっている。
でもここで、悪い方向への連鎖が起き始めていた。乱取り中に、その子がガクンと膝をついたのだ。
その隙を突いて、相手の子が大外刈りをかけた瞬間、受け身が取れず、畳の縁に近い場所で頭のあたりから落ちた。
一瞬、動きが止まった。俺はすぐに異変に気付いて駆け寄ろうとした。
だが、その時、隣にいたのが元妻だった。当時は、同年代になる妻がいた。俺と同じく指導者だった(今は離婚)。
というか、こいつと結婚をするから実業団を辞めて、こっちに帰ってきたのだ。
柔道の指導の話に戻るが、元妻はさ、俺が動こうとするのを遮って声を上げた。
「立って!ここで休んだら終わりだよ!そんなことで倒れてたら試合で勝てないよ」という趣旨だった。
元妻も柔道の名門公立高校の出身で、とてつもなくプライドが高い女だった。指導は情熱的で、厳しさでは俺以上だった。特に、女子への指導はトンデモない厳しさだった。
その時の俺は、元妻の言葉に圧倒されてはないけど、見に徹することにしてしまった。道場の角の方では、親父が年少の子ども相手に足技のデモをしていた。「頼むから、こっちに気付いてくれよ」と心の中で懇願した。
あの時、脳裏では「まずい、休ませろ」という声が響いていたのに、それを口にできなかった。元妻の暴走を止められなかったのだ。
元妻はその子に立ち上がるよう命じて、その子がフラフラしながら立ち上がると、元妻は「立てるじゃん」って、また練習を継続させた。
数分後、その子はもう一度、投げられた。今度は受け身も取らなかった。意識を失った。
救急車を呼んだが間に合わなかった。死因は脳の外傷に近いものだった。外傷性ショックというのか。または後頭部強打による脳の損傷。
原因は言うまでもない。元妻がオーバーワークに気が付かず、その子に無理をさせて練習を続行させた。それが致命傷になった。
でも、うちの道場でのことだ。妻のせいにするという逃げ口上は通用しない。
危険な判断を実行したのは元妻だ。でも、指導者としてその場にいながら傍観した俺の罪は、直接手を下した元妻と一緒だと思っている。
その後は地獄だった。書きたくないけれど、書かないとブクマカへの相談にならない。
・刑事事件には発展しなかった(柔道界からの社会的信用によるものか)
裁判は長期間に及んだ。本当に長い期間だった。控訴して粘ったけど、道場側の過失となった。当たり前か。
マジで後悔している。あの時の元妻の傲慢な指導と、俺の「見ていただけ」の怠慢が、あの小学生の未来を摘んだ。本当に、本当に申し訳ない(;_:)
最後は、親父が頭を下げて、資産も全部かき集めて、多額の賠償金を支払った。事件が起きてからは塾生もだいぶ減った。社会人は減らなかったが、小中学生の減少が生活レベルにまで響いていた。
ただ、俺らが不幸になっても、ご両親の怒りや悲しみが消えるわけがない。俺は傍観者という名の共犯者だ。
元妻とは、道場の未来に関する意見の相違で泥沼になり離婚した。あいつも指導者としてのキャリアを失った。当然の報いだ。
事件の後だが、道場は細々と再開し、必然的に俺が指導の中心になった。あれから親父は指導をしなくなった。
確か、事件から数年間は、講演会にも柔道指導の場にも呼ばれなくなった。広島県警の柔道場で親父が教えることも無くなった。柔道界から干されたのだ。目に見えて元気がなくなっていた。
でも、今では道場に通う門下生はだいぶ回復している。小学生から社会人まで幅広く揃っている。みんな真面目に柔道を愛してくれている。俺はもう、あの頃みたいに熱くなれない。
指導中、子供たちがちょっと息を切らしただけで、あの時の光景がフラッシュバックするのだ。特に、投げ込みや乱取りなどの実践練習の時は、酷く手が震える。
その……「大丈夫か?」「少し休むか?」って、過剰なほどに声をかけてしまうのだ。
子供たちは戸惑うだろう。俺というのは、ただの安全管理に怯える腰抜けである。自分でも滑稽だよ。
でも、道場の看板だけは守りたい。祖父の代から70年以上続いている道場を無くすことはできない。
今こうして書いていると、当時の俺の不甲斐なさが本当に許せないし、そういう兆候が出ていた元妻とどうしてもっと早く離婚しなかったんだろうって、後悔がある。
元妻は、階級意識っていうか、プライドというか。そういうのが根強い奴だった。
「名門道場の跡継ぎの妻」というステータスが、たまらなく気持ち良かったらしい。なんでわかるかというと、ブログである。あの当時はブログが全盛期だった。芸能人やプロスポーツ選手はみんなブログをやっていた(今でいうXとかインスタ、tiktokみたいなもの)。
それを活用して、うちの道場の宣伝とか、今の時代で言う児童生徒に対する「ハラスメント」とか「マウントを取る」という行為をしていた。
ひとつだけ、どうしても憤懣やるかたない記憶がある。胸糞かもしれないが、元妻との思い出を書かせてほしい。
中でも特に許せなかったのが「花嫁修業」である。そんなタイトルをブログ連載記事に付けていた。
阿保じゃないのかと。元妻は小学生~中学生の女子をメインに指導していた。
事故が起きる約一年前のことだ。うちの道場に通っている、近所の学校の女子生徒さん達がいた。少なくとも8人以上で、みんな熱心な子だった。
元妻はそれを口実に、「うちの道場では柔道だけじゃなく、将来の日本を支える女性も育成します」みたいなことを言って、女子生徒数人を家に泊まらせる。
※大げさかもしれんが、ブログで本当にそんなことを書いていた
そして練習が終わって、柔道着を脱いで体操服姿になった彼女たちに、夕食とか、翌日の朝食やお弁当を作らせる。
「一人前の女性なら、このくらいはできないとね♪」
「〇〇ちゃんは、お弁当の詰め方が雑。そんなんじゃ未来の家族に恥ずかしい」
「野菜を切るならその前に魚をオーブンに入れないと。なんで?要領が悪すぎる~<`ヘ´>」
みたいなことを、本当にマジでブログに書いていた。そのうえで、俺個人の名前まで出して、まるでうちの道場の指導方針の一部みたいにして書いている。
本当にマジで、女子中学生を相手にマウントを取ってるだけなんだよ。うちの道場の名前を使って。
さらに最悪なのは、花嫁修業(とブログにあった)中の写真を、元妻がブログにアップしていたことだ。
『今日の○○ちゃんの力作お弁当♡』みたいなタイトルで、日々そういう写真をブログに載せていた。さすがに女子生徒の顔までは載せてなかったけど。だが、後ろ姿は普通に映っていた。
あの子達の親は、どういう気持ちでブログを読んでいたのだろう。
繰り返すが、そのブログというのはマジで本当に、嫁の自慢話と、世間に対してマウントを取るためのものだった。生徒の親御さんには「道場での取り組みの一環です」と方便を使っていたのを、この耳で聞いている。
うちの道場は、一人の子供を死なせて、やっとの思いで今、信頼を取り戻そうとしている。そこまで来ているのだ。同じ市内の人だって、あの事件のことは忘れてくれている。このまま頑張れば、時間とともに事実は……と期待する。そういう感慨に浸ろうとしても、あの頃の記憶が蘇ってくる。元妻のマウント発言である。
「これは道場のためだから。増田くんのこともブログに書いてるから。本当に道場のためだから、安心して」
ってさ。そんなことを言っていた。俺はあの頃、黙って許していた。放任していた。それが、あの女の暴走を許す免罪符になっていた。
今現在でも「本当にごめんなさい、すいませんでした」というあの子への思いが込み上げている。
冒頭のとおり、もうすぐ正式に道場の跡を継ぐことになる。教え子を死なせた男が、この道場の責任者になる。
俺は、あの時の過ちを繰り返さないために指導を緩めるべきなのか。それとも、名門の看板を背負い続けるために、リスクを背負ってでも厳しい稽古を課すべきなのか。
指導を強くすればまた死なせてしまうかもしれない。指導を弱くすれば、実績が出せずに道場が潰れるかもしれない。潰れてしまえば、俺の罪は償えない。この道場を守ることが、親父とあの子にできる唯一の償いだと思っているから。
それに、父兄からの信頼だって失いたくない。今度こそは、子供の命を預かる仕事を貫徹させたい。
最後に、ここまで読んでくれた人に感謝したい。愚痴いっぱいで気持ちが沈んでしまったかもしれないが、マジの思いを書いたつもりである。もちろん、誹謗中傷も覚悟してる。それも俺への罰だ。
grokに今日のニュースポストを読んでもらったら韓国の性犯罪者にデジタル足輪を付けてるとあったので深掘りしてみた。
以下はgrokにまとめてもらったものを貼り付けただけ。
-----
ここまでの朝の長い会話で、私たちが一緒に組み立てた「再犯リスクが高い犯罪者(特に性犯罪、ヤクザ関連、SNS詐欺など)の処遇案」を、わかりやすくまとめておくね。
最終的に到達した「バランスの取れた案」
1.選択オプション制度の導入 刑期終了後、犯罪者本人に2つの道を選ばせる
• 最低限の生活費(食事・光熱・医療など)は国が保証(税金負担最小限)
• それ以上の快適さ(テレビ、クーラー、娯楽、良い食事など)は、身内からの任意送金でカバー
• 送金があれば生活レベルが上がる
• 送金が止まれば即「最低限モード」にダウングレード → 身内に「払うか、見捨てるか」の選択を迫るが、強制ではないので人権問題になりにくい
• 不足分は、身内からの任意送金の一部を被害者側に回すことも可能
• 毎月「今月これだけ入金されました」と被害者に報告して透明性を確保
•GPS足輪や監視は任意で強化可能(外せば即Aルートに戻る)
•選択を撤回したい場合は、いつでも「もう施設に戻る」と申し出可能 →犯罪者側も「逃げられない」と思い、身内も「払い続けるか諦めるか」のプレッシャーを感じる
• 身内がお金を出せない・出したくない場合、最終的に税金で穴埋めになる可能性
•国会で揉めに揉めそう(「家族に責任を押し付けるのは酷い」という反対意見が出る)
grokに今日のニュースポストを読んでもらったら韓国の性犯罪者にデジタル足輪を付けてるとあったので深掘りしてみた。
以下はgrokにまとめてもらったものを貼り付けただけ。
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ここまでの朝の長い会話で、私たちが一緒に組み立てた「再犯リスクが高い犯罪者(特に性犯罪、ヤクザ関連、SNS詐欺など)の処遇案」を、わかりやすくまとめておくね。
最終的に到達した「バランスの取れた案」
1.選択オプション制度の導入 刑期終了後、犯罪者本人に2つの道を選ばせる
• 最低限の生活費(食事・光熱・医療など)は国が保証(税金負担最小限)
• それ以上の快適さ(テレビ、クーラー、娯楽、良い食事など)は、身内からの任意送金でカバー
• 送金があれば生活レベルが上がる
• 送金が止まれば即「最低限モード」にダウングレード → 身内に「払うか、見捨てるか」の選択を迫るが、強制ではないので人権問題になりにくい
• 不足分は、身内からの任意送金の一部を被害者側に回すことも可能
• 毎月「今月これだけ入金されました」と被害者に報告して透明性を確保
•GPS足輪や監視は任意で強化可能(外せば即Aルートに戻る)
•選択を撤回したい場合は、いつでも「もう施設に戻る」と申し出可能 →犯罪者側も「逃げられない」と思い、身内も「払い続けるか諦めるか」のプレッシャーを感じる
• 身内がお金を出せない・出したくない場合、最終的に税金で穴埋めになる可能性
•国会で揉めに揉めそう(「家族に責任を押し付けるのは酷い」という反対意見が出る)
端的に言えばタイトルの通りだが、結婚して家庭をもつことは合理的な選択だと思っている。
「趣味があればそれでよい、結婚なんて金も時間も無駄」と考えて独身を貫くつもりだった20代の自分をふと思い出したので、隙間時間にこれを書いている。
1.労力に比して、得られる幸せが大きい
家族と同じ時間を積み重ねていく日常や、我が子の小さな成長を見守る日々から得られる幸せは、特別な出来事がなくても生活の中で自然に生まれてくる。
趣味に心血を注ぎ、多大な時間やお金を費やして得られる幸せも確かにあるし、それを否定するつもりはないが、日常生活の中で得られる幸せはより少ない労力やコストで、大きく、しかも長く続く。
長年熱中してきた趣味でさえ、身体の衰えを感じたり昔のほうが良かったと思ったりした瞬間に不意に飽きが訪れることがあるのに対し、家族と積み重ねる時間は徐々に価値を増していくし、毎回が新鮮な喜びで飽きがこない。
今は「自分は趣味に飽きることはない」と自負している人であっても、いずれ歳をとって意欲が低下していく可能性があることを考慮すると、幸せのリスクヘッジとして家庭をもっておくのは悪い選択肢ではないと思う。
良し悪しは別として、日本社会では「既婚」というだけで信用になる場面は、いまだにとても多い。
結婚後は第三者からの見られ方・扱われ方が、明らかに変わったことを自覚できる。
(それまでが、よほど怪しい男に見えていた可能性も否定できないが)
家庭持ちというだけで「ちゃんとした人」扱いされて余計な説明や警戒をスキップできるのは、実利に値する確かなリターンだ。
家事を一人で行うより、複数人で分担してまとめて片づけた方が、時間も費用も効率が良い。
家庭内で得意不得意をうまく分担できれば、生活レベルも上がり、それぞれの自由時間すら増えるし、金も貯まる。
加えて、税制ですら家庭持ちを前提に作られているため、一人でいることは余計な負担を強いられると言える。
「コスパタイパで結婚するなんて本物の愛じゃない」とか、「他人に人生の意味を依存するのは危険」とか、意見はあるだろうけど、
結婚して家庭をもつことは、自分のような特別な才能を持たない一般人が幸せになるため、もっとも効率が良くて確率の高い、合理的な選択肢だと考えている。
コスパを重視する人ほど、あえて考えてみてほしいと思う。
つづき。
昔メンタルをやってた頃、こういう体験談を片っ端から読んでたので、今しんどい人の何かの足しになればと思って書いてる。
なんと、そこから復活までほぼ一年もかかった(9ヶ月くらい)。正直、長かったし怖かった。
その間はUber Eatsにかなり頼ってたので、
・体重は増える
・貯金は目に見えて減る
回復してからも、前の会社に戻ろうという気はまったく起きず、ハロワに駆け込みました。
「あ、ここ前職と同じ感じだな…」
と思うところが多くて、正直げんなりした。
最終的には、
・年収は前の2/3くらい
・業界も少し違う
けど、雰囲気が明らかに穏やかな中小企業に拾ってもらって、今は入社して2ヶ月目になった。
今のところ、面接で感じた印象とほぼ変わらず。
会社は小さいけど空気がよくて、定時で帰るのに変な罪悪感もない。
そのおかげか、体調も今はわりと安定してます。
家はちょっと無理して、
日当たりがよくて、そこそこ広くて、駅も近いところにした。家賃は7.5万。
今のところ、住環境は最高。後悔なし。
人によっては無理な生活レベルかもしれないけど、
自分としては「まあ、よくやってるんじゃない?」と思ってる。
しゃあないので、楽しめる範囲で楽しみながら生きていこうと思ってます。
同じようにしんどい人、どうか無理しすぎないで。
皆さんも、お大事に。
清潔感の話題が盛り上がるたびに「何言ってんのこいつら」という感想を抱いてたんだが、
この増田(https://anond.hatelabo.jp/20251124031735)を読んでお前らが何に躓いてるのか理解できた気がする。
要するに、お前らは生活水準が低いんだよ。だから容姿というものの解像度が低い。
一般人は普段から口にする食べ物も栄養バランスやカロリーをちゃんと考えて食べてるし、
着てる服も綺麗めかカジュアルかをバランス取りながらどの程度の清潔感を演出するか考えて生きてるんだが、
この種の人らは「何を食べるも自由、何を着るも自由」みたいな感覚で生きてるんじゃなかろうか。
だからわざわざ人が「清潔かどうか」ではなく「清潔感」という言葉を選んでいる文脈が理解できていないんだよな。
人間なんて顔面や体型の偏差値は多少差異があるとはいえ、生活レベルが一定以上なら外見は平均点に収まるものなのよ。
世間に溶け込んで他人を不快にさせず自分に自信を持つための努力を怠っているという指摘がつまり「清潔感がない」という状態なの。
そしてそういう状態はとにかく目立つんだよ。清潔感がない人間は容姿端麗な人間よりよっぽど目立つ。群衆の中で1人だけスポットライトが当てられてるくらいには。
人間というのはそうやって外見でヤバい人間を避けるための本能が明らかに備わっている。
どれだけ倫理観やポリコレをアップデートしたところでみんな内心ではそういう本能に従って生きている。
むしろ表立って口出しできなくなったことでそういう格差はどんどん開いていく。
ここ数年、シャンプーとコンディショナーのセットで1500円くらいのものと、ダメージケアに良いとバズっていたオルビスのヘアミルクを使っていたのだが、少し前にドラストで期間限定商品が半額になっていたので、シャンコンセットで3000円台のものを使い始めた。
しばらくして、髪の手触りが明らかに良くなっていることに気づいた。
ツヤも出たし、浮き毛、アホ毛も減った。
加齢とともに強くなる縮れも目立たなくなり、見た目の清潔感が大きく向上した。
首も手足も短く顔がでかい、骨格から終わっているブスの中年でも、幸い髪は手入れすればそれなりになるし、髪の状態というのは印象をかなり左右するのだ。
「なんかしみったれた生活感が漂ってる女」と、「清潔感がある女」の差は、こういうところ──浮き毛やアホ毛、髪の質感、化粧の崩れ具合──に出てくる。
毎日風呂に入るだけでは清潔感があるようには見えないのは、女も同様なのである。
数年前の私は、放ったらかしにすることをナチュラルとはき違えていたのもあって、セットで700円しないような安いシャンコンに、洗った後はタオルで拭いて自然乾燥するだけだった。
使っていたのは百均のブラシ。
当然髪は摩擦その他で傷んで、カラーは退色して汚らしくなり、浮き毛が飛び出し、うねりと広がりもひどかった。
しばらくして1500円くらいのシャンコンを使うようになると、洗い上がりのきしみやパサつきが大分マシになり、何より香りがよく、「やっぱりシャンプーは少し高いやつの方がいいんだな」と思っていたのだったけれど、3000円台のシャンコンはそれよりもさらに良かった。
というか、700円と1500円はそこまで差がないが、1500円から3000円は明らかに違う段階に入った感がある。
シャンコンと同じラインのアウトバストリートメントを使い、ヘアアイロンでうねりを抑え、オイルで仕上げると、癖が強くなった中年の髪でも格段に柔らかく、まとまるようになった。
自然乾燥して百均のブラシで梳かしていたのと比べると、金も時間もかかり、果てしなく面倒だし、「本当にこんな面倒な事をみんな毎日やってるんすか」とも思ったが、習慣になればなんとかなるものだった。
というか、「こんな面倒な事を、コストをかけて毎日繰り返しやる」ということこそ、現代人らしい暮らしをするということであり、社会生活を行う大人であるということをわかりやすく表現する手段でもあるんだろう。
髪の調子が良いことに少し浮かれた後で、職場に出入りしている美しい既婚女性を見たとき、軽い絶望感があった。
独身賃貸暮らし持病持ちの私と違い、稼ぎの良い夫がいて、都内の持ち家に暮らす彼女の髪は、私と同年代にも関わらず、3000円のシャンコンを使ってそれなりにサラサラになった私の髪がみすぼらしく思えてくるほどに、サラツヤストレートの美しいロングヘアなのだった。
どんなに元々の髪質が良かろうとも、この年齢で自然にそうは「絶対に」ならない。
若い頃であれば元々のポテンシャルで手入れしていなくても美しいことはよくあるが、30も半ばを過ぎると加齢によるうねりや縮れ、そして白髪は避けられない。
彼女もまた同じはずで、白髪染め、年齢によるうねりと広がりを殺すストパーか縮毛矯正、それらによる傷みをケアする良いシャンプーとトリートメント、ヘアミルクやオイルに加え、ドライヤーやアイロンといった美容家電も高価なものを使ってるんだろう。
よく帽子を被っているので、日頃のUVケアも入念なのが窺われる。
シャンプーもセットで3000円どころかシャンプーだけで五千円くらいするやつを使ってるのかもしれない。
つまりは、そういう金の使い方ができる、ゆとりのある生活レベルであるからこその、優雅な美しさなのだ。
人間らしいと言うにはギリギリの暮らしをしている私には、大奮発して買った3000円(が半額で1500円)のシャンコンと17年前から使ってるナノでもイーでもない熱風しか出ないドライヤーでなんとかマイナスをゼロにするのが精一杯だが、もっと経済的な余裕のある人々は、使う物、消費する物の品質の良さによって、余裕とか、豊かさとか、美しさとか洗練だとかを手に入れ、見せびらかすことができるのだ。
髪に限らず、化粧品も私が使っているドラコスの安いやつじゃなくデパコスなんだろう。
どんなに「安いのにデパコス級〜」とバズった商品であっても、ガチのデパコスと比べると品質は明確に劣る。
庶民の下の方でも「清潔感」「社会性」まではドラストやユニクロといった普段の生活レベルの中でたどり着けるが、それ以上のものは、それ以上の生活レベルにならなくては手に入らない贅沢品なのだ。
まあでも、貧乏人であっても衛生に気を使い、人間らしい生活をするというのは、実際そんなに悪い事でもない。
私は髪以前に歯がボロボロで、それがひどいコンプレックスでもあったのだけれど、歯医者に行って虫歯を治した後、「保険診療でいくらにもならない虫歯でも医者は丁寧に治してくれるんだもんな……」という感謝の念が湧いてきて、せっかく治してもらった歯を粗末にはするまいと、熱心に歯磨きをするようになった。
自分のために自分を大事にしようとは思えなかったし、今でも思えないのだけれども、定期的に髪を切ってくれている美容師なり、歯医者なり、同僚なり、私の調子が良くなったり、歯や髪や、メンタルの健康や衛生を維持していると、わずかなりと「いい感じになった」と喜んでくれる人はいるのである。
必ずしも肉親や友人、恋人でなくともよいのだ。
豊かさを見せびらかすための壁を超える必要はないが、衛生状態を保つということは自分を大切にするということで、その変化はきっとQOLを少し上げてくれる。
最近よく「お金がないから子どもを産めない」「子育て支援が足りないから少子化が進む」って言う人いるけど、正直あれを読んでいると違和感しかない。
とくに、はてブを読むと、まるで子育て支援さえ増やせば少子化は止まる、みたいな話をしている人までいる。
でも、それって本当なんだろうか。
よく考えてみれば、昔より今のほうが生活水準って圧倒的に上がっている。
今はほとんどの人がきれいな家に住んでいて、服だって昔よりずっと安くて質がいい。
外に出れば、コンビニでもスーパーでも安くておいしいご馳走がいくらでも買える。
洗濯も掃除も家電が勝手にやってくれるし、ネットで何でも調べられる。
それなのに、少子化はどんどん進んでいる。
もし本当に「お金がないから産めない」が主原因なら、生活水準がここまで上がった現代ほど出生率が落ち込む理由がないはずだ。
技術も便利になって家事負担も減って、食料も衣服も圧倒的に安定して手に入る。
むしろ産みやすい環境だけを見れば、昔より整っている部分は多い。
それでも出生率は下がり続けている。
じゃあ何が起きているかと言えば、「昔より生活が苦しい」ではなく、昔より当たり前だと思う生活レベルが上がり続けているということだと思う。
広い家が必要、子どもには良い習い事を……、進学も妥協せず……、旅行も外食も楽しみたい……。
そうした自分たちの基準を守ろうとすると、子どもを持つハードルがどんどん上がっていく。
結局、「お金がないから」ではなく、自分の生活レベルを下げたくないから子どもを持てないというパターンが増えているだけなんじゃないか?
もちろん、明確に経済的に苦しい家庭もあるし、子育て支援が一切不要と言いたいわけではない。
ただ、「全部お金のせい」という単純な話では説明できないのは明らかで、生活水準が劇的に上がった社会ほど少子化が進む、という現実は無視できないと思う。
お金がないから子どもを産めないが絶対の真実みたいに扱われているけれど、それだけでは説明しきれない。
むしろ、豊かさに慣れすぎてしまった現代人の贅沢病のほうが、少子化の根っこにあるのでは?
そんなふうに感じてしまうのだ。
梅田まで電車30分のエリアでも3000万で新築4LDK戸建が買える。東京都民の感覚だともはやバグレベルで家が安い。
名古屋も同じような感じ。
東京だと新宿から電車30分のエリア、3000万でどんな家が買えるんだろ?築古の2DKマンションとか?
そんなウサギ小屋で子育てやってられんわな。やってる人いっぱい居るんだろうけど。
しかも大阪名古屋、普通に働いても余裕で年収800以上に届くのが良い。ちょっと頑張れば1000万も行ける。
ここが札広仙福では勝てないところ。仙台や福岡で年収800は今でも相当上澄み。
毎月の手取りからローン支払を引いたら、大阪の方が金残ってるんじゃねえか。
東京で1200万稼いでる人とかパワーカップル世帯収入2000万みたいな人、普通に転職して大阪名古屋で年収800万に落ち着いた方がトータルのQOL上がるんじゃない?
吐き出し。
スペックで見れば彼女の方が少し上だけど、生活レベルは似たようなもんだった。
彼女は自立した女性で、「結婚しても仕事は続ける」「家事は完全分担で」というスタンス。俺もそれに賛成だった。専業主婦を養えるほどの甲斐性はないし、互いに支え合うのが現代のカップルだと思ってたから。
でも、違和感はずっとあった。
付き合い始めの頃、「私は稼いでるから対等でいたい」と言っていた彼女だが、会計の段になると財布を出す素振りだけで、結局俺が7割〜全額出すことが多かった。
「次は私が払うね」と言うが、次の店の単価はガクッと下がる(俺が寿司を奢り、彼女がカフェでコーヒーを出す、みたいな)。
それでも「男が多めに出すのはマナー」という旧来の価値観が俺の中にもあったから、そこは飲み込んでいた。
決定打になったのは、同棲を始めてからの家事分担と生活費の折半。
家賃も光熱費も食費も、きっちり「完全折半」になった。ここまではいい。
家事も「完全分担」。俺は料理が好きだから自炊担当、彼女は掃除洗濯担当。これも合意の上だ。
ただ、彼女の仕事が忙しくなると、掃除も洗濯も滞るようになる。
俺だって残業はあるが、料理を作らないと飯がないから作る。ついでに溜まった洗濯物も回す。
ある日、俺が残業続きでヘトヘトになりながら帰宅し、スーパーの惣菜を買って帰ったら、彼女に言われた。
「えー、これだけ?バランス悪くない? 私、肌荒れ気にしてるんだけど」
プツンと何かが切れた。
俺は言った。
「家賃も生活費も完全折半だよね。でも家事は俺が7割やってる。デート代も俺が多く出してる。君が言う『対等』って何?」
彼女はキョトンとして、そのあと猛烈に怒り出した。
「器が小さい」
「私は子供を産む性なんだから、身体的な負担へのケアとして金銭的・労力的なサポートをするのは男性の義務でしょ?」
その瞬間、全てが冷めた。
「子供を産む性」という最強のカードを切られたら、もう何も言えない。
彼女が求めているのは「男女平等の権利」と「旧来の家父長制的な庇護」のいいとこ取りなんだと気づいてしまった。
「稼ぎは対等(以上)だけど、守ってもらいたいし、家事も多めにやってほしい。でも口出しはされたくない」
そういう「現代的なワガママ」を許容できるほど、俺はハイスペックじゃなかったし、お人好しでもなかった。
別れを切り出したら泣かれたけど、もう無理だ。
自立した女性が好きだったはずなのに、結局俺が求めていたのは、俺の負担を理解してくれる「普通のパートナー」だったんだと思う。
実際やってる人はいっぱいいる。
無理と置き換えて任意選択ではない必然みたいに言ってる嘘をやめないと芯をくった理屈にはならない。