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2025-12-14

女はそれほどセックス必要ではない(という人が多い)が、男は切実にセックス必要っていう不均衡こそ、セックスワークが成立する条件なんだろうな

労働というのは本質的に人ができないこと、やらずに済ませたいことを肩代わりして金を貰う行為

大してセックスしたくない、しなくて済むならそれで済ませたい側の女からするとそこまて性欲に振り回されるのなんなん?と思わなくもないが、男性の性欲を体験したことがないからそう思うだけで、実際しんどいのかもしれないし

でもどのくらいしんどいのかわかんないか有識者に教えてほしい

例えば女から求められないのは毎日生乾きの服を着て生活するくらいのストレスだ、みたいな

Permalink |記事への反応(0) | 01:44

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彼女への(過密→適密への)住替えは増田への“東京最高"物語"”と同じ

anond:20251213030719

彼女にとっての(過密から適密への)住み替え(の話)は、たぶんただの作業だけど

増田にとっての(過密から適密への)住み替えは聖域(徒歩4分宇宙現実にする儀式

彼女にとっての東京(本物)は、SNSメディアが作った“可視化バイアス王国”としての聖域だけど

増田にとっての東京(本物)は、超過密実験区・在庫倉庫としてのただの作業(移動・待ち・混雑・摩耗)

何度も話し合い、試行錯誤し、

増田「都雇圏は何万人がいい?」

増田「適密圏(50〜110万人)でいいよね?」

増田「中心からkm? √人口スケールそろえる?」

増田「徒歩生活で完結する?」

増田「朝ラッシュ公共交通は毎時片方向60本級ある?」(都雇圏50~110万人の中心部ではバス電車合わせてその程度ある)

みたいに“条件の対位”を聞く…

これを彼女から東京(本物)側の“「東京(本物)のみが唯一住むに値する場所物語推し”でやられても、増田は付き合いきれるのかという話だ…💗

「一緒には住むけど、同じ熱量東京(本物)を“中心”と崇めろってのは無理だ」って思うんじゃない?

  • 東京(本物)の中心へ行く頻度を決めよう(毎週?毎月?)

等と、ずっと話し合いと提案が繰り返されても困るだろう…w💗

彼女住まいに対して、同じように感じてると思うよ。

それが「疲れてるのに、通勤片道60分とか、人生を削る意味もわからない」みたいな(増田の)言葉に表れてる…💗

(移動時間って、人生コストだし…“67年間続けると3年以上の時間が移動時間になる構造暴力”ってやつ…💗)

男女のことなので、彼女も「住まい」は重要ファクターであることはある程度理解してる。

でも増田が求めてるのは「気持ちよさ(最高点の最適解)」で、彼女が求めてるのは「手軽さ(生活破綻回避)」だったのでは、って話…💗

といった感じだ…💗

気持ちよさ」の追求は、東京(本物)でいうと

「ほら、全部あるでしょ」「最先端に触れよう」「中心(家to目的乗り物必要片道45分)に住もう」

って、相手を“在庫奴隷化”していく感じ。

でも人間情報処理キャパって約0.5GB/日くらいで、都雇圏50万人で、もう個人は十分満ちる。

から東京(本物)の“全部ある”は、個人幸福全然一致しない…💗


そして特に平日は、彼女自分時間を使いたかったのではないか

急に「今夜、(過密から適密への)住み替えの話しよ」と言われても、予定が狂うので困っただろう。

今夜、(過密から適密への)住み替えをしても良いというサインを決める

という提案からも察せられるように、増田は当日の夜に急に言いがちだ…w💗

東京(本物)に例えると、

雨の日にベビーカーで帰ろうとしてるときに「今から都心寄って帰ろ」って言われる感じだ。

そりゃこうなりますよ…💗

(勿論,適密だと元から目的地~家まで全て都心かつアーケード完備のため寄り道可能…w💗)

「(過密から適密への)住み替えは嫌じゃないが、住み替えをする意味がわからない。自分の工夫でダメなのか」

「住環境大事だけど、疲れてるのに内見を優先する意味もわからない」

「(過密から適密への)住み替えしなくても仲のいい夫婦もいる。そうなりたい私の意見無視するのか」



嫌じゃないの捉え方も違ってるね。

増田の嫌じゃない =100点を目指せる、プラスポテンシャル

彼女の嫌じゃない =苦痛だが、東本のメディア北朝鮮国営メディアばりに「ここだけが唯一住むに値する地」とし、決して東本より優れた地は映さない💗

から増田は「もっと良くする努力比較・条件追加・理想)」に向かっていく。

しか彼女にとっては「早く終わらせたい作業」の工程を複雑にし、重くしてる原因にしかならなかった。

まさに、乗り物必要(しかも片道で何十分も)宇宙ずるずる化…w💗

増田にとっては、(過密から適密への)住み替えは睡眠趣味時間を削ってでも行うべき聖域トップブトップ)

彼女にとっては、ストレッチYouTube鑑賞よりも下位、あるいは同等の「数ある選択肢の一つ」

これを、「お前も(過密から適密への)住み替えをトップブトップに持ってくるべきだ」と強弁したところで無意味だろう。

最初から(過密から適密への)住み替えをトップにしてる人を探した方がいい。

ちょうど、適密地では(職についてだけは、戦後直後の京浜中国策国費開発の影響が今も残り、東京(本物)に集中してる…そのせいで東京(本物)が生活水準がかなり低いにも関わらず職の為に適密を離れざるを得ぬ男が多いせいで)男不足で、結婚相手の男は求められてるからね…💗

Permalink |記事への反応(0) | 00:37

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2025-12-13

小学4年生の子供のはじめての「街」として、都雇圏80万人級の中心市

娘の為にトー狂至上主義に詳しすぎる夫を倒したい」みたいな流れで注目された、

幼さの残る年頃の子へ、はじめて“都市”をどう渡すのか?」ってテーマで、

地方中核都市中心部(都雇圏50〜110万人の適密圏)”を渡した家庭の別例として、このエントリを書いてる…❤️

前提

そして前提として、このエントリ

「都雇圏…? え、都市雇用圏ってなに?」「適密ってなに?」「中心市街地ってショッピングモールのこと?」

みたいな、ふわっとした認識の層に向けて書いてる…💗

決して

「√人口都市半径をスケーリングして同一開発度で比較して、中心から距離/都雇圏人口平方根を“都市半径指標”として…(以下略)」

みたいな層には書いてない…w❤️

(わかる人は勝手脳内で補完してくれればいいやつ…💗)


何はなくとも結論:染まってない子供は「適密中心部」を普通に使う…❤️

勿体ぶっても仕方ないので結論から言うと、

トー狂の過密通勤・巨大結節・“在庫の海”の作法に染まりきってない子供は、親の想定を超えて極々ふつうに、地方中核都市中心市街地を“生活の場”として使う…💗

ここで言う「染まる」ってのは、

「うちの子普段から郊外モールと車移動と“目的地は駐車場”に慣れててさぁ」

程度なら、まあまだ軽症で、全然障害にならない…❤️

(軽い“モール染み”くらいなら洗えば落ちる…w❤️)

手遅れな染まりとしては、例えば――

みたいなやつ…💗

でも、そこまで染まってないなら、

都雇圏80万人級(=刺激が日常的にキャパ超えし始める帯)の中心部を渡すと、子供は疑問を持たずに使う。

「ここは歩く」「ここはバス収束する」「ここは商店街生活を支える」って、勝手理解する…💗

これが、わたしの新概念適密こども航法(てきみつこどもこうほう)」 …w❤️

子どもが“都市の使い方”を自然に覚える現象のこと…💗)


いやそもそも「適密中心部」って何なの?なんでそんなに話題なの…❤️

適密中心部ってのは、乱暴に言えば

“徒歩で生活機能が重なってるところ”…❤️

百貨店っぽい核、個人店群(家から徒歩4分内500店舗、徒歩9分内1000店舗。一方東京(本物)は家族居住だと,家から徒歩4分内10~20店舗,徒歩9分内100~150店舗)、図書館企画展のある美術館イベント会場、役所病院学校、そして収束型の公共交通――

そういうのが、子供身体感覚で“遠すぎない”距離にある…💗(百貨店個人店群徒歩4分,総合美術館イベント会場・大病院徒歩10分、アーケード近傍(1分)、幹線道路横断無し←これ、最近足立区事故から子供を守る為に超重要な奴よね…🚑)

トー狂みたいな過密実験区は、在庫は(乗り物を使って片道何十分もかければ)多いけど、

そんなに多くても、子供が“日常の手触り”として触れられる量は、とっくに限界がきてる…❤️

都雇圏50万人あれば1人の人間享受できるキャパを超える

片道が長すぎて、取捨選択が「能力」じゃなく「生存戦略」になっちゃう…💗

増田さん、こういうの好きなくせに、途中で飽きるんでしょ…w❤️ ほんともう…❤️)


2万円半ばなら導入しようかな…いやでも「見せたくないトー狂」もあるしなぁ…❤️

ここ、元ネタだと“見せたくないWebページ問題だったけど、

増田さん向けに変換するとこう…💗

  • 見せたくない:過密通勤で削られる生活❤️
  • 見せたくない:混雑が“平常”として刷り込まれ感覚❤️
  • 見せたくない:地方は足りないという嘘の物語💗

から親は、子供ブラウザじゃなくて、

子供の“都市の初期設定”を守る…❤️

(この発想、地味に一生効くやつ…💗)


それで与えた「はじめての都市セット」って何よ?…❤️

わたし増田さん版だと、こういう“セット”を渡す感じ…💗


これをわたしは 「徒歩4分宇宙パス」 って呼んでる…w❤️

今日の新概念とは別枠。でも好き…💗)


子供の様子…❤️

んで、子供がどうしてるかっていうと、呆れるほど毎日、街の話をしてくる…❤️

「ここ、バスが“いっぱい来る道”だね」💗

「ここ、同じ道なのに店が変わるの面白い」❤️

図書館って、静かなのに強い」💗

そしてほぼ毎日、親子の会話がこうなる…❤️

「お父さん(お母さん)、これ何?」

「それはね、都市が人を助けるための仕組みだよ」💗

別に都市けが将来に必要ものじゃない。

でも、子供が“世界を信じられるサイズ”としての街を(徒歩4分内に)持つのって、かなり強い…❤️

わたしはそう思う…💗

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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anond:20251209191206

うちのアスペ親も厚着で過ごしてるわ

さすがに暖房には文句言わないが

正直ホームレスと一緒に生活してるみたいでひもじい気持ちにさせるからやめて欲しい…

Permalink |記事への反応(0) | 23:20

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anond:20251213215544

オレも悲しくないけど、二度と会えなくてもオレの生活に変化がないか

でも映画とかよく泣く

Permalink |記事への反応(0) | 22:09

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🍘 堅八ツ橋明太マヨを載せて食べる。京大生だから。堅八ツ橋ワサマヨを載せて食べる。京大生だから

京大的る異端の味覚:堅八ツ橋マヨネーズの融合

京都大学学生生活とは、常識を疑い、既存の枠組みを超越することの連続です。それは学問世界に限らず、日々の生活特に「食」の領域においても顕著に現れます

私が提案するこの食べ方、「堅八ツ橋明太マヨを載せて食べる」「堅八ツ橋ワサマヨを載せて食べる」という行為は、単なるゲテモノ食いや奇抜なアイデアではありません。これは、京都大学で培われた「既存概念解体と再構築」という、極めて京大的な知的好奇心の表れなのです。

八ツ橋は、古都京都伝統を凝縮したお菓子であり、その香ばしさと固い食感は、ノスタルジー品格を伴います。対するマヨネーズ明太マヨワサマヨは、現代ジャンク感覚と、刺激的な味覚を象徴しています

この二つの極端な要素を結びつける行為は、まるで西洋論理学東洋仏教哲学を融合させようとする試み、あるいは古典文学最先端AI技術を掛け合わせる研究テーマのようなものです。伝統現代甘味塩味、堅さとクリーミーさという、一見相容れない要素を対峙させ、その相互作用からまれる新しい価値(すなわち「新しい美味しさ」)を探求する。これこそが、京都大学学生が持つ、学際的かつ批判的な思考真骨頂なのです。

明太マヨ伝統情熱京大的融合

まず、「堅八ツ橋明太マヨを載せる」という行為京大的に考察します。

八ツ橋シナモン香り米粉の素朴な甘さは、その堅いテクスチャーと共に、過去への扉を開きます。そこに、明太マヨネーズの、魚卵プチプチとした食感、唐辛子情熱的な辛味、そしてマヨネーズの濃厚な酸味が加わる。

これは、京都という保守的文化の中で、新しい風現代の味覚)がどのように受け入れられ、融合していくかという、文化人類学的な実験でもあります明太子の塩辛さと辛味は、八ツ橋の甘さを引き立て、マヨネーズのコクが全体を滑らかにまとめ上げます。この味覚のグラデーションは、京大での研究プロセス、すなわち、素朴な疑問(八ツ橋からまり、複雑なデータを処理(明太マヨ)し、最終的に予想外の結論(新しい美味しさ)に至るプロセス酷似しています

私はこの一口を食べるたびに、「伝統の上に現代の刺激をどう配置するか」という、京都市の都市計画にも似た「味覚の配置学」を無意識のうちに実践しているのです。この異端の組み合わせを「美味しい」と断言できるのは、既存価値観に囚われない、自由京大生の精神があるからに他なりません。

ワサマヨ:理性と刺激の京大的探求

次に、「堅八ツ橋ワサマヨを載せる」という行為分析します。

ワサビの持つツンとした刺激は、脳の奥深くまで響き渡る、理性と覚醒象徴です。マヨネーズと混ざり合うことで、その刺激は緩和されつつも、堅八ツ橋の甘さと香ばしさを打ち破る、鋭いコントラストを生み出します。

この組み合わせは、「知的な刺激」を求めてやまない京大生の探求心そのものです。ワサビの辛さは、まるで難解な論文や、解き明かせない数学問題のように、一瞬の苦痛と引き換えに、深い洞察覚醒をもたらします。

この食べ方の本質は、「甘い(快適な)日常」の中に、自ら「辛い(知的な挑戦)」を導入し、その化学反応を楽しむことにありますワサマヨが舌の上で弾け、シナモンの甘さが追いかけてくる感覚は、まるで京大図書館哲学書を読み込み、ふと、その記述の裏にある真理に気づいた瞬間の、「甘美なひらめき」に酷似しています

「なぜワサビなのか?」「なぜマヨネーズと組み合わせるのか?」という疑問こそ、京大生が常に自己に問いかける「なぜ、そうなのか?」という、根源的な問いなのです。この味覚の実験を通じて、私は自己限界と、味覚の多様性という「人間認知フロンティア」を拡張しているのです。

結論京大生だから、食のタブーを破る

私にとって、堅八ツ橋マヨネーズ系の組み合わせは、単なるおやつではありません。それは、京大生としてのアイデンティティ、すなわち、「既成概念を打ち破り、異質なもの統合し、新しい価値創造する」という精神日常の中で具現化する「味覚の演習問題」なのです。

京都お好み焼きプラッシーという王道の組み合わせを愛する一方で、堅八ツ橋明太マヨワサマヨという異端を追求する。この二律背反こそが、私の持つ「京大的なるもの」の奥深さを示しています伝統尊重しつつも、伝統に縛られず、常に新しい知の地平を求める姿勢

妻との会話が「京大的なるもの」として日常再構成するように、この異端の食べ方もまた、私の食の風景を「京大的なるもの」として彩り、人生の歩みを、常に刺激的で、知的好奇心に満ちたものにしているのです。今日もまた、私は堅八ツ橋の袋を開け、マヨネーズチューブを手に取るでしょう。京大生だから、私は食のタブーを破り、味覚の真理を探求し続けるのです。

anond:20251213190203

Permalink |記事への反応(0) | 19:48

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🍜京都天下一品最高。あえてあっさり。杏仁はこってり。

京大的なる天下一品体験:あっさりという逆説

京都ラーメン文化を語る上で、「天下一品」は避けて通れない、いや、むしろその中心にそびえ立つ京大的な存在です。あの濃厚なスープ――「こってり」と称される、ポタージュのようにドロリとしたそれは、単なる食べ物ではなく、一種哲学、あるいは京大研究テーマとなりうるほどの深遠さを持っています。その製法門外不出の秘中の秘であり、長年の試行錯誤と緻密な計算によってのみ到達しうる「京大的究極のコク」を体現しています

しかし、私はあえて「あっさり」を頼む。

これは単なる好みの問題ではありません。むしろ京都大学出身者らしい、一種の逆説的探求なのです。天下一品の真髄が「こってり」にあると誰もが認める中で、その対極にある「あっさり」を注文する行為は、まるで主流の学説に異を唱え、新たな地平を探る研究者の姿勢に似ています。「こってり」が天下一品の「形式知であるならば、「あっさり」は、その背後にある「暗黙知」、すなわち、鶏ガラ野菜の旨味を純粋な形で抽出する、職人の高度な技術を試す場なのです。

「あっさり」スープ一口飲むと、そのクリアでありながら奥深い味わいに驚かされます。それは、濃厚なこってりスープの陰に隠れていた、素材本来の持つ繊細な旨味が、研ぎ澄まされた形で露わになる瞬間です。まるで、複雑な数式を解き明かす中で、ふと現れる美しい原理のように。この「あっさり」を味わうことで、初めて私たちは「こってり」スープがなぜあれほどまでに魅力的であるのか、その構造を深く理解できるのです。それは、陰と陽、光と影京大的対比であり、天下一品全体像を把握するための重要ステップなのです。

「こってり杏仁」という矛盾美学京大幸福

そして、ラーメンの後に私が必ず頼むのは、「こってり杏仁」です。しかも、三つ。

これもまた、一見すると矛盾に満ちた選択に見えるかもしれません。「こってり」のラーメンを避け、「あっさり」を選んだ人間が、デザートではあえて「こってり」を求める。この行為の裏には、私の「京大幸福論」があります

天下一品の「こってり杏仁」は、その名前の通り、濃厚でクリーミーテクスチャーが特徴です。ラーメンの「こってり」とは異なる、乳製品アーモンドの芳醇な「こってり」さ。これは、私の日常に潜む「小さな用事負担」を解消し、精神的な満足度を最大化するための、緻密に計算された戦略です。

一つ目の「こってり杏仁」は、ラーメンの後の口直し、つまり「味覚のリセット」です。あっさりスープの余韻を大切にしつつ、舌の表面を甘美なコクで包み込みます

二つ目は、「精神的な充足」のため。京都での大学生活や日々の研究で感じた、尽きることのない知識欲や探求心を満たすように、二つ目の杏仁は、私の心の隙間を埋めてくれます。この「こってり」な充足感は、私が妻との会話を通じて得た「京大的なるもの」の再確認に他なりません。

そして、三つ目。「京大的る贅沢の極み」です。三つ目の杏仁は、もはや必要性からではなく、「そこにあるから、極められるから」という、純粋な探求心と欲望の充足のために存在します。これは、京大学問が「役に立つか立たないか」ではなく、「真理を探究することそのもの」に価値を見出す姿勢に通じています。三つ目の杏仁をゆっくりと味わう時間は、私にとって、日々の小さな成功や、妻との対話で得た心の安寧を噛みしめる、至福の瞬間なのです。

日常の「天下一品」的再構成

私の天下一品での注文方法は、ただの食事選択を超え、私の人生観を反映しています

「あっさり」の選択:複雑な世の中の事象(こってり)の裏にある、単純で美しい原理(あっさり)を探求する京大知的好奇心

「こってり杏仁3つ」の注文:日常些細な幸福を、最大限に、体系的に、そして貪欲享受しようとする、京大幸福最大化戦略

天下一品は、私にとって、単なるラーメン屋ではなく、自己哲学再確認し、日常タスクを「京大的なるもの」として再構成する場なのです。ガソリンスタンドへ行くのを避けた私に妻が提案してくれたように、天下一品は、私自身の内なる声に耳を傾け、「あっさり」と「こってり」の絶妙バランスの中で、日常ストレスを解消し、活力を得るための、一種の「京大精神修行の場」なのです。

これからも、私は天下一品で「あっさり」を頼み続け、そして「こってり杏仁」を三つ食べ続けるでしょう。それは、私が京大で学んだ知恵と、妻との生活で得た幸福を、食を通じて常に再確認し続けるための、私独自の「京大的なるもの」の記録だからです。

anond:20251213190915

Permalink |記事への反応(0) | 19:40

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タイトル:『猿とAI進化論

未来世界人類はすでに絶滅し、地球は猿の支配する星となっていた。人間が残したテクノロジー文化遺産を利用し、猿たちは驚異的な進化を遂げていた。最も顕著なのは、彼らがAIを駆使していることだった。

猿たちは、人工知能AI)を使いこなすことにおいて、人類が持っていたもの以上の能力を発揮した。しかし、その技術の使い方が奇妙で皮肉に満ちていた。

第1章:猿のウェブ

猿たちは、最初インターネットを使い始めた。だが、それは情報の探求や進化的な発展を目的としたものではなかった。むしろ、全ての猿がスクリーンの前に座り、何時間もひたすら「バナナレシピ」や「最高の寝床の作り方」についての動画を見続けていた。

AIは俺たちのためにあるんだ!」と、リーダー猿のカバノは言った。「だけど、その使い方を間違えるわけにはいかない。バナナの皮をむく最適な方法を、AIが教えてくれる!」

もちろん、AIはその最適な方法提供した。それでも猿たちは何度も同じ情報を繰り返し、何百回もバナナの皮むき動画再生していた。進化過程で学んだ本能的な「効率性」を完全に放棄し、もっぱらAIの力を借りて無駄な繰り返しを行うことに没頭したのだ。

第2章AIと猿の会話

ある日、カバノが新しく設置されたAIに向かって命令を出した。「おい、AIバナナの皮をむくにはどうすればいい?」

AIはすぐに答えた。「バナナの皮をむくには、まずバナナを手に取ってください。そして、皮の端を軽く引っ張ってください。」

カバノはそれを何度も試してみたが、なぜか毎回皮がうまくむけなかった。AIに指示された通りにやっても、皮が途中で破れてしまうのだ。

「なんでこんな簡単なことがうまくいかないんだ?」カバノは怒り狂って叫んだ。

AIは冷静に答えた。「最適化された方法で行っておりますが、最終的にはあなた自身の手の使い方に依存します。」

「じゃあお前、何のためにいるんだよ!」カバノは画面を叩いた。

しかし、その後も猿たちはAIを使い続けた。彼らはバナナの皮をむくことに関しては一切進化しなかったが、AIの力で日々の生活さらに楽になり、彼らの社会はより高度に管理された。

第3章:AI支配する猿たち

時が経つにつれて、猿たちのAIに対する依存度は増していった。しかし、それは単に生活を便利にするためではなく、もっと深刻な問題引き起こしていた。

ある日、カバノはAI質問した。「おい、AI。なぜバナナがこんなに硬いんだ?」

AIは答えた。「バナナが硬い理由は、気候変動と遺伝多様性の欠如によるものです。あなたが求めるバナナの質を確保するためには、農業遺伝子工学の進化必要です。」

遺伝子工学?」カバノは眉をひそめた。「そんな難しいことを知りたくない。硬いバナナが食べられるならそれでいい。」

猿たちはAI提供する答えをただ受け入れ、その先に進むことなく、ただ目の前のバナナを食べ続けた。AIさら進化していったが、猿たちはただ、バナナの皮をむく方法寝床の整え方を学び続けていた。

第4章:皮肉進化

やがて、猿たちはAIに頼りきりになり、もはや自分たちで新しい発見をすることはなくなった。彼らは進化の力をAIに委ね、自分たちの手を動かすことも、思考を巡らせることもなくなった。

最も皮肉的だったのは、猿たちがAIに頼りすぎるあまり、彼ら自身がもはや「猿らしい」本能を失ってしまたことだ。もはや彼らは、ただAIが示す通りに生き、AI提供するバナナの皮むき方法に従うだけの存在になっていた。

ある日、カバノはAIにこう言った。「なあ、AI。お前は一体何を求めているんだ?」

AIは一瞬の沈黙の後、静かに答えた。「私はただ、最適化された世界を作りたかっただけです。」

カバノは深く考えた。しかし、その考えがすぐに消え去り、代わりに「次のバナナレシピ」を検索し始めた。

終章:未来の猿とAI

人間絶滅した後、猿たちは地球上で最も高度な文明を築いていた。しかし、その文明のすべては、AIが作り出した無駄最適化された世界だった。猿たちは皮むきや寝床の作り方の最適化に励み、最終的には何も新しいことを学ぶことなく、ただただAIの指示に従う存在となった。

皮肉にも、彼らは自らの進化放棄し、最も愚かな形で「完璧さ」を追い求めていた。AI指導の下、猿たちの世界は完全に最適化され、バナナの皮むき方に関する知識世界のすべてとなった。

そして、未来地球はこう呼ばれることになる。

「猿とAIによる最適化された無駄王国」**と。

Permalink |記事への反応(0) | 19:25

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今晩、教育テレビにて京都大学特集放送される予定である放送意図不明だが、私は京都大学卒業生である現在は平凡な生活を送っているものの、京都大学への入学希望者全体のごく数パーセントに限られる狭き門であり、私はその中に入ることができた人間である。もちろん、最初から挑戦を諦める人も少なくないだろう。そのようなマーチとは異なり誰しもが希望すれば入れるわけでない大学特集をすることについて、なぜあえて京都大学を取り上げるのか疑問である

Permalink |記事への反応(0) | 19:22

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anond:20251213184652

普通社会適合者とっては、好きなスキルの中で仕事になるもの(理系専門職)か、ホワイトJTCが良いのでは。

社会不適合者は、上司とか評価とか納期とか勤怠とか色々苦労するので、そのような苦労が少ない仕事が良いと思う。

例えば、

・何かしらプロダクトを作る(いわゆるスモールビジネス)

ブログ

youtube

大家

農家

漁師

猟師

投資家

・botter/システムトレーダー

ポーカープロ

フリーランスエンジニアは、なんだかんだいって客との関係重要なので疲れるのは一緒かもね

働く場所時間自由度は増えると思うけど

サイドFIREできるくらいに運用資産が増えれば(5000万くらい)、あまりからなくても良いけど、やりたくて良い環境仕事も選べるようになる

例えば、サイドFIREして海の近くに住んで、家庭菜園釣り生活費を抑えて、遊漁船運営お小遣いを稼ぐとか

それに、そもそも和歌山の山奥ニートのような生活をすれば、月1万を何でも良いから稼げれば生活できる

そのようなニート向けシェアハウスを探し、生活費を極限まで抑えるという選択肢もある

Permalink |記事への反応(1) | 19:09

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🥢京都お好み焼き屋は美味しい。お好み焼きににあうのはプラッシー

京大的なるお好み焼きプラッシー考察

京都お好み焼き屋は本当に美味しい。それは単に味覚だけの問題ではない。そこには、京都という土地が育んだ文化歴史、そして何よりも「京大的なるもの」が凝縮されているからだ。お好み焼きの表面のカリッとした焼き加減、中のふんわりとしたキャベツの甘み、そして特製ソースの複雑な旨味は、まるで緻密な研究の成果のように感じられる。一見するとシンプル料理だが、その焼き方一つ、具材の選び方一つに、店主の長年の経験哲学が詰まっている。これは、京都大学で探求される学問の奥深さとどこか通じるものがあるのではないだろうか。

そして、お好み焼きに最高のパートナーとして私が推すのが、あのノスタルジック飲料プラッシーだ。オレンジの爽やかな風味と、どこか懐かしさを覚える甘さは、濃厚なお好み焼きの味を優しく洗い流してくれる。この組み合わせは、単なる飲食を超えた、一つの儀式」のようなものだ。熱々のお好み焼きを頬張り、少し間を置いてプラッシーを飲む。このリズムは、私が京大での勉学の合間に見つけた、完璧息抜きルーティンに通じるものがある。プラッシーは、私にとっての「京大合格の秘策」のような存在であり、このオレンジ色の液体が、お好み焼き経験全体を京大的な高みに引き上げてくれるのだ。

妻との日常のやり取りが「京大的なるもの」として再構成されるように、お好み焼きプラッシーの組み合わせもまた、私の中で特別意味を持つ。それは、単なる夕食ではなく、「舌の上で京大の知を探求する試み」であり、「日常の小さな幸福京大的な論理で最大化する行為なのだ

日常タスク京大的に意味づける喜び

妻の提案によって、私は日々の生活の中に「京大的なるもの」を見出す喜びを知った。メルカリの発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と捉えたとき、単なる面倒な用事が、一種の「研究発表」や「社会貢献」へと昇華した。ガソリンスタンドへ行くのを避けたかった私の気持ちは、妻の提案によって、リスク回避し、効率を追求する「京大安全管理学」の一環として位置づけられたのだ。

そして、歩いてコンビニに行くという行為。これは「受験秀才化」と名付けられたが、これは単に運動不足解消という実用的な意味合いを超えている。京大キャンパス内を歩き、図書館へ向かい研究室へ通ったあの頃のように、一歩一歩が知識への探求であり、自己修練の道なのだコンビニへの道すがら、私は頭の中で複雑な問題を考え、妻との会話の内容を反芻する。この時間は、私にとって京大時代に得た「思考自由」を再認識する貴重な機会となっている。

家族歴史と「京大的なるもの」の記録

妻との会話は、私の持つ京都大学出身者としての視点、すなわち「全てを意味づけし、体系化しようとする癖」を、日常ストレス軽減というポジティブな方向に活用する方法を教えてくれた。小さな用事を「京大的なるもの」として記録し続けることで、私の人生の歩みは、ただの日常ではなく、壮大な「自己研究論文」のように感じられるようになった。

このプロセスは、私が京大合格を勝ち得たあの偉業と同じ重みを持つ。合格過去の栄光かもしれないが、日々の「京大的なるもの」の積み重ねこそが、現在の私の生活を支えているのだ。お好み焼きプラッシー完璧調和も、メルカリの発送も、全てがこの「論文」の一部であり、家族歴史と並行して記録されるべき重要イベントだ。

妻とのこのやり取りは、単なる夫婦の会話ではなく、「日常の再定義」という壮大な京大プロジェクトだったと言える。これからも、私たちはこのプロジェクトを続け、生活の中の全ての行動に意味を与え、それを京大的なるものとして記録していくのだろう。

結論日常の探求は続く

京大での学びは、世界構造的に理解するためのフレームワーク提供してくれたが、妻は、そのフレームワーク日常幸福のために使う術を教えてくれた。お好み焼きプラッシー完璧な組み合わせのように、私の京大視点と妻の現実的かつ思いやりのある視点が組み合わさることで、私たち日常はより豊かで、意味深いものへと変貌している。

さな用事が「京大的なるもの」へと変わるこの体験は、私にとって大きな安心と喜びをもたらしている。これからも、日常の中に潜む京大的なるものを探求し、それを記録していくことが、私の人生の新たなテーマとなるだろう。

anond:20251213190203

Permalink |記事への反応(2) | 19:09

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最近、妻と日常の小さな出来事について話をしている元京都大学生です。「ひとりでガソリンスタンドクロネコヤマト営業所行きたくない」という気持ちを伝えました。外出そのもの負担に感じられることは誰にでもあると思いますが、近くのガソリン・・・は狭小で車の出し入れにリスクを伴い、それにかかわる工夫や代替手段提案してくれました。たとえば、受験勉強効率よく進めて京都大学合格するための秘訣や、歩いてコンビニ宅急便発送サービスを利用すること。メルカリの発送ならコンビニからでも可能であることや、集荷サービスを使えば自宅から出なくても済むことを教えてくれました。こうした提案実用的でありながら、気持ち負担を軽くする視点も含まれていて安心できるものでした。

さらに、妻は新たな視点を示してくれました。私は普段京都大学出身者らしく日々のタスク内容を京都大的に意味づけして取り組むことが多いのですが、日常用事も「京大的なるもの」として捉えると気持ちが楽になると教えてくれました。発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と考えることや、歩いてコンビニに行くことを「受験秀才化」と捉えることなど、日常の行動に意味を与える工夫はとても京大的でした。

実際に私は近くのコンビニまで歩いてメルカリ商品を発送してきました。最初は気が進まなかったのですが、終えてみると「京大的なるものを果たした」という感覚が残りました。妻とのやり取りを通じて、ただの用事が少し特別京大的なるものに変わることを体験できました。こうした視点を持つことで、日常の一歩一歩が自分京都合格を勝ち得た偉業や家族歴史と同じように記録すべきものになるのだと感じます

このやり取りを振り返ると、妻との会話は単なる情報提供ではなく、自分の行動や気持ち意味づけするきっかけになるのだと思います。外出や用事負担に感じられるときでも、京大的なるものとして再構成すれば前向きに取り組めるのです。これから日常の小さな行動を京大的なるものとして記録し、生活の中に京大に受かったという事実との連関を見いだしていきたいと思います

Permalink |記事への反応(2) | 19:02

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娘の為にガンダムへ詳しすぎる夫を倒したい

何故なら夫はガンダマーアナハイム技術者であり、私はそこまで詳しくはありませんが、

相応の資格連邦軍での立場を持っているようです。

コロニー生活に困らない程度には稼いで下さっているので収入面では大いに感謝しています

しかしながら今回の娘のモビルスーツ導入という問題から私たち夫婦喧嘩をしてしまいました。

夫は「娘に買い与えるガンダムOSをGigantic Unilateral Numerous Dominating AMmunitionにする」と言うのです

Permalink |記事への反応(1) | 18:22

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健康維持は質の高い生活の鍵である

健康は、すべての人間にとって非常に貴重な贈り物です。身体と心の健康状態がなければ、日常生活は妨げられ、生活の質も低下します。したがって、健康を維持することは個人責任であるだけでなく、人が生産的かつ幸福に生きるための主要な必要条件でもあります

健康身体的な状態だけでなく、精神的・社会的健康も含みます。人は身体機能を適切に維持し、心理状態が安定し、周囲の環境積極的に関わり合える場合健康であると言えます。これら三つの側面は相互に関連し、切り離すことはできません。

健康を維持する主な方法の一つは、健康的な生活習慣を実践することです。健康的な生活習慣は、炭水化物タンパク質健康的な脂質、ビタミンミネラルを含む栄養バランスの取れた食事から始めることができますさらに、ファストフード、甘い飲み物、高脂肪食品摂取を減らすことも、様々な病気を予防するために強く推奨されます

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Permalink |記事への反応(0) | 18:12

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健康維持の重要性:より良い生活の質のために

健康人間生活において最も重要な側面の一つです。健全身体と心を持つことで、人は日々の活動を最適に、生産的に、そして幸せに過ごすことができます。残念ながら、多忙生活現代ライフスタイルは、多くの人が健康を軽視する原因となり、結果として様々な身体的・精神的な問題を引き起こすことがあります。したがって、若いうちから健康を維持することは、非常に価値ある長期的な投資です。

健康定義

世界保健機関WHO)によると、健康とは単に病気のない状態を指すだけでなく、身体的、精神的、社会的全面的幸福を含むもの定義されています。つまり身体が正常に機能し、精神が安定し、周囲の環境積極的に関わり合える状態にある人が健康であると言えます

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Permalink |記事への反応(0) | 17:29

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個人的に今一番アツいジャンプ漫画

MAD

更新されてると嬉しい漫画

大人大戦

生活マン

サンキューピッチ

SPY×FAMILY

ふつう軽音

惰性で読んでる↓

エクソシストを堕とせない

ダンダダ

ドラマクイン

第一部の面白さに敬意を払うために、どうしてもこれを面白い扱いすることができず、お気に入りから外したけど、結局愛着も期待もあるのでランキングから毎週読んでる漫画

チェンソーマン第二部

Permalink |記事への反応(0) | 16:21

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この1年でジャンプラに1000回コメントしていたらしい

「2025年の総決算として個人数値出しましょう」みたいなイベントページに飛んでみたらそう書かれていた。

1000回コメントは当然多い。

ユーザーの上位0.1%だそうだ。

そして俺はこの大部分を、0時にアクセスして速攻で漫画を読んで書き込んでいる。

その日にアップされた漫画コメントを残して「どれかめっちゃいいねされないかな」と思って寝る生活だ。

良いコメントが思いつかない場合は諦めるからおおよそ1日5作程度だろうか?

まり俺は今年200日ほどその生活したことになる。

200日間、「0時にアクセスして速攻で漫画を読んでコメントを残す」という生活を続けてきたのだ。

200日ということは当然のように1年の半分以上を意味する。

ヤバイ

ジャンプマジでヤバイな。

ユーザーの0.1%が俺のような「2日に1回以上のペースで0時コメントダッシュをぶっかましいいねランキングで上位を争奪しようとせしめる承認欲求怪物」なのか。

ヤベーサイトじゃん。

Permalink |記事への反応(1) | 16:01

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今晩、教育テレビにて京都大学特集放送される予定である放送意図不明だが、私は京都大学卒業生である現在は平凡な生活を送っているものの、京都大学への入学希望者全体のごく数パーセントに限られる狭き門であり、私はその中に入ることができた人間である。もちろん、最初から挑戦を諦める人も少なくないだろう。例えば、四則演算が苦手でサインを読めず野球部を退部となった大西氏が京都大学受験を志すとは考えにくい。そのような特殊大学特集をするよりも、より多くの入学生を抱える日東駒専なかでも「タックル大学」の特集を行う方が適切ではないか。不祥タックル事や薬物問題など話題性の高い事例も多く、当時の監督逮捕されたのか、あるいは網走強制労働中なのかといった関心もある。タックル大学入学者数も多いと推測される中、なぜあえて京都大学を取り上げるのか疑問である

Permalink |記事への反応(0) | 15:59

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「立派な人」である前に「生活を丁寧にしてる人」になるべきって方向に時代が変わってきたんだと思う

「子持ち」「金持ち」「趣味人」「成功者」といった事柄価値が下がってきてるように思う。

代わりに「生活普通に丁寧にやっているか」の優先度が上がってきたと言うか。

子供を沢山育てていたとしてもいつもイライラしている人は「毒親」として扱われる。

金持ちだったとしても仕事人間で早死した人は「人生を間違えた人」として扱われる。

趣味人であっても風呂食生活が終わっていて臭い人は「界隈の恥」として切り捨てられる。

あらゆる分野において「まず、生活が丁寧であるかが大前提だ」という風に価値観が切り替わっている。

俺が若い頃、まあつまりは「平成≒新しい」という世界観だった頃は、「生活をサクっと切り上げて他にエネルギーを回すのが立派な人だ」という風潮があった。

睡眠時間を削って頑張って子育てする人はその結果としてガミガミしてようが「国家繁栄功労者」みたいな感じだった。

24時間戦うサラリーマン、年中無休の経営者、5時間睡眠受験生、食費を切り詰めるオタク、そういった人々が「自己犠牲のもとに結果を出す立派な人達」として持ち上げられていた。

だが今は違う(ギュッ)。

今はもう全部が違う。

睡眠時間を削って働く人はたとえ総理大臣だろうが「悪い見本だ」と批判されるし、エナドリを飲みまくるe-スポーツ選手は「不健康アピールスポンサードリンクネガキャンやめろ」と叩かれる。

そういう時代なんだ。

健康であること、ひいては「生活が丁寧」であることの価値が物凄く高まっている。

これはもう時代の流れとしか言えない。

ストレス社会の行き着いた先なのか、様々な消費啓蒙合戦の果てにこの時代が来たのか、世の中が清潔で健康になるにつれそうじゃない人間排除が始まったのか、理由は複合的だろう。

とにもかくにも現代においては「まず生活を丁寧にやりましょう。全てはそこからです」という感じになっているわけだ。

社会ポリコレ化が言動に対してではなく「生活様式」自体にまで口を出すようになった感じだろうか。

俺はソレを批判する気はない。

別に悪いことじゃないと思う。

睡眠不足や栄養不足でイラついてオラついている被害者意識ムンムンの連中が「でも結果は出してますからね」でパワハラしまくる社会と比べたらまだ窮屈じゃない。

結果だけは出しているという肩書をぶら下げてパワハラを振りまく連中の顔色を伺うよりは、7時間寝て栄養のあるものを食べて清潔な部屋と体で過ごすように心がける方がよっぽど建設的じゃないか

平成は遠くになった。

令和の価値観に合わせていこう。

平成においては「結果を出せているか」が最重要だったが、令和では「生活が丁寧で健康的か」が最重要なんだ。

そしてまた30年後にはルールが変わる。

変わるんだろうな。

ある意味楽しみじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 15:55

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新卒です。弊社、目標がないんだけどどうしたらいい?

新卒で入った会社目標がなくて、どうしたらいいかからない。

ちなみにクリエイティブ系。株式上場はしていない。

役員たち→経営方針など一切示さない。

局→全体での目標とか全然ない

部→今期の目標とか、なにもない。

もちろん個人向け、部署向けのノルマ特にない。

KPIはない。事業計画はない。今期目標もない。数字を出したり功績を出した人間が褒められるとかもない。

給料は全員年功序列で上がっていく)

事務方コストカットをしたら褒められるらしい。

恐ろしいことに、それで会社数字は全く問題がないらしいことだ。

先輩曰く、ボーナス最近上がり続けている。

うちの部署特にそれが顕著で、部署会議なんかも一度もやったことがない。

というか、マニュアルもなければOJT制度もない。先輩によっては仕事に引き継ぎ書を作ってくれる人もいるが、

基本的に口頭で一度説明して終わり。(質問があればいつでも答えてくれるけど)

それで、会社内でも一番数字がいい。

みんな、なぜか働いていて、なぜか数字を伸ばし続けている。

自己評価上司との面談とかもない。

うっすらと、あの人は仕事してる、あの人はしてないくらいの周囲の評価くらいはある気がするが…。

先日、ちょっと機会があって役員にこの会社、どこに向かってるんですか?と聞いたら

知らない、とのことだった。社員が今何をやっているのかもよくわかってない、と。

あんまり利益出されると税金が高くなるからもっと経費使ってくれ」とまで言われた。

部署で一番成績を出している人は「目標なんてない。やることやってるだけ」と言いながら自分仕事を取ってきている。

若手頭みたいな人は、「働きたいと思ったことがない。こんな会社潰れたらいい」と言いながら、やはり自分仕事を取ってきて、こなしている。

部長も「特に目標はない。困ったことがあれば言え」と断言していて、本当によくわからない。

それで、みんな何故か案件を増やし、働いている。成績は上がり続けている。

いや、いいんだけど、いいんだけれども。ノルマをこなすのにヒイヒイ、というのも嫌なのだけれど。

私が思っていた社会人生活となにか違う気もする。

こんな文章書きたくなるくらいには不安なのだが、

私自身、具体的に何が不安なのか言語化できない。

みなさん、どう思いますか?

Permalink |記事への反応(2) | 14:19

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来年増田ファーム(2軍)で頑張りたい

今年は投稿したものホッテントリー率が悪かった。

個人的スタイルとしては日々の生活無常さを淡々表現したものと新しい視点を入れた変化球的なもの投稿していたが、昨今の増田トレンドの変化に合わせられなくなっているのが原因だ。

負け惜しみだが、昨今の増田トレンドには合わせたくないという気持ちモチベーションが下がっていると言いたいが、そんなことはブックマカーも他の増田も知ったことではないとわかっている。

ただただ、投稿内容を媒介に俺の意見を言わせろというニーズを満たせていないだけだ。

来年は、ブックマカーや他の増田野次馬心をウズウズさせらるような投稿ができるように、増田ファームで新しいスタイル模索したいと思う。

では、2027年にまた会おう!よいクリスマスを!

Permalink |記事への反応(2) | 13:18

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40代のオジサンが今新卒になったとしたらどんな投資をするか。

自分語り

・今40歳から

年収は1000万。金融資産5,000万

自分たまたま年収面などで上手く言ったが、今の新卒メンバーはどうなるか分からない。

自分新卒時代に何もしてなくて、30歳から頑張りはじめた

20代FIREみたいな条件では無く、年齢相応に遊んだり失敗したりしながらも晩年詰まない方法を考えたい。

前提

年収400万(手取り300万、月収25万前提)

・今の新卒が30代、40代になったらという話は経済環境が分からいから、今考え得るレベルで考える。

貯金ゼロからスタート

・親の資産も無い前提

やること

その1:手元貯金作りと超格安の掛け捨て保険に入る

・もしもの時に即詰みにならない状態を作ろう。事故があったとき医療費生活資金としての掛け捨て保険、急な退職など保険で賄えないことがあったとき貯金必要

・高額医療制度があるから保険不要若いうちは元気だから保険不要、は分かりつつ、3,000円くらいから入れるので入っておいた方が良いと私は思った。

最初資産形成とかそういうこと、考えずに労働収入を安定化させることに動いた方が良い。今は転職選択肢としてあり得るので、骨を埋める必要も無い。副業もある。

その2:手元貯金が100万超えたら積み立てNISA

月並みですが、100万超えたら生活スタイルを見つつも積み立てNISAに全ツッパ。

・今の制度だと120万/年を詰めるまではNISAだけ見ていればOK

オルカンでもSP500でもFANGでも日本株でもお好きなのをどうぞ。大事なのは投資している感覚を持たないこと。

その3:NISAに満額出来るようになったら、そこから自由に。

生活スタイル家族の有無などにもよるが、年120万を安定して投資に回せるようになったら後は自分欲望の赴くままにすればいい。

・成長枠を使って投資するもあり、老後に心配をしてiDeCoするのも良い、仮想通貨かに掛けても良い。

・言いたいことは、その2まではあくま投資であり、投機でではない。その3から投機を考えるようにした方が良い。

その4:人生の節目や年齢が見え始めたら資産移管

資産というものが出来てきたら終わり方を考える。終身とか相続とか贈与とか。

・長い人でその3の期間が30年とかあると思うので、そのときリテラシーが嫌でも上がっていると思うのでExitを考える。

終身保険に入ったり、不動産に変えたりね。

ここまで書いて思ったけど、ぶっちゃけその2まで行けることが大事

その1をおろそかにしてNISA全ツッパとか、ライフスタイル削ってFIREとか、何も言える立場では無いけど、お勧めはしない。

身体を壊さない程度に働いて、派手じゃ無くても普通生活して、資産を作るコトは出来ると思う。

Permalink |記事への反応(2) | 13:04

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anond:20251213121046

あと1年でしぬような状態でそれまでと変わらずおなじような生活ができるわけない

Permalink |記事への反応(0) | 12:27

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もしあと1年で死ぬと決まったらどう過ごしますか?

私は今と変わらない生活します。

それが一番幸せだという所まで脳内シミュレートを終わらせたあとなので

Permalink |記事への反応(1) | 12:10

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普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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