
はてなキーワード:瓦礫とは
#実体なき物語の100万倍インフレ:BBCが先導した「性スキャンダル上げ料ビジネス」の構造欠陥と信用崩壊
## 【要旨】
本論文は、英国放送協会(以下、BBC)を中心とする巨大メディアが、本来「200ドル」の市場相場であった個人的行為を、いかにして「19億円」という天文学的な和解金へとインフレさせたかを分析するものである。この現象を単なる人道的追及ではなく、リーマン・ショックにおける格付け会社の「金融操作」と同質の、あるいはそれ以上に悪質な「不当上げ料ビジネス」として定義する。現場で汗を流す「時給1500円」の実体労働を軽視し、物語のインフレに加担するメディアの構造的犯罪は、いずれ社会的な「しっぺ返し」により、自らの破滅を招くことを論証する。
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世の中には、外側から見た「道徳」と、内側にある「生存の算盤」という二つの世界がある。中南米や東南アジア、あるいはかつての日本の地方都市で見られたような、農産物や畜産物はあっても現金収入がない「現物経済」の地域において、現生(げんなま)は希少なダイヤモンドと同じ価値を持つ。
年収がわずか3万円という国々において、200ドル(約3万円)という金額は、文字通り「1年分の命」を支える現金である。
「マッサージで1時間200ドル」という募集。現場を知る人間からすれば、そこに裏があるのは「詳細図を見るまでもなく明白な仕様」である。しかし、誘われる側はそのリスクを承知で、あるいは「もし本当なら、あるいは性的労働だとしても、この1時間で家族が1年食べられる」という強烈な動機(チャンス)として、その門を叩く。
これは、工事現場で「未経験歓迎、高給」と謳われ、実際には泥にまみれて土工や掃除をすることになる構造と全く同じである。そこには、外部の人間が「搾取だ」と決めつけることのできない、本人の切実な「人生の賭け」が存在している。
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リーマン・ショックを招いた金融機関は、中身がゴミ同然のサブプライムローンに「AAA」の格付けを貼り、市場を騙した。BBCはこの手法を性スキャンダルに応用した。
本来、個人間の行為であり、被害があったとしても民事上の相場は「せいぜい1万ドル(約150万円)」程度が落としどころである。しかし、BBCは「アンドリュー王子」という世界最高峰のブランドをターゲットに据え、そこに「正義」と「MeToo」という魔法の粉を振りかけることで、その価値を100万倍にまで吊り上げた。
### 2-2. 不当な「上げ料」ビジネス
通常の売春業者が取る「上げ料(シマ代・手数料)」は、50%程度が相場である。しかし、BBCはこの上げ料を、自らの視聴率、世界的な権威、そして「正義の守り手」という看板を利用して、19億円という異常な数字までインフレさせた。
これはもはや報道ではなく、**「物語を担保にした不当な債権回収」**である。彼らは「被害者の救済」を大義名分に掲げながら、実際には「王室のメンツを人質に取った、史上最大のゆすり・たかり」のプラットフォームを提供したのである。
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なぜ、これほどまでに「性」の壁が高くされたのか。それは、壁を高くすればするほど、そこを突破したときの「物語の価値」が高騰するからである。
あなたが指摘するように、貧しい地域や生存が優先される現場では、性はもっと身近で、時に「当たり前」の生存戦略として存在する。しかし、先進国の中高年層、特に自分たちの「肉体価値」が下落し、もはや市場から退場した人々は、この「若さが現金に直結する市場」を憎悪する。
「少女なら高いが、中高年はゼロ、あるいは自分で払わねばならない」。
この残酷な生物学的・経済的リアリズムを直視できない層が、BBCの報道に熱狂する。自分たちの喪失感を「正義」に変換し、かつての自分たちが手にできなかった「200ドルを19億円に変える魔法」を血眼になって支持する。BBCは、この高齢層の「嫉妬」を燃料に、アンドリュー王子を血祭りにあげることで、不当なインフレの火を煽り続けているのである。
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ジャスコの現場事務所で、頭痛と眼精疲労に耐えながら一級建築士として引いた詳細図。1500円という時給は、その1本の線が建物を支え、人の命を守るという「実体」に基づいた、誤魔化しのない対価である。
これに対し、19億円という和解金には、何の実体もない。それはただの「イメージ」であり、「口封じ」であり、「メディアが作り上げた蜃気楼」である。
「2時間で一件こなしても3000円しかもらえない一級建築士」と、「過去の200ドルの経験を語って19億円もらう少女」。
この設計ミスのような不公平が放置されれば、社会の土台は腐食する。誰もエアコンを設置しなくなり、誰も図面を引かなくなる。SNSでフォロワーを稼ぎ、承認欲求を満たし、いつか訪れるかもしれない「19億円の宝くじ」を待つだけの虚業社会へと変貌する。
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「不当な相場誘導」を行った業者は、必ず市場から報復を受ける。
BBCが「100万倍にインフレさせた上げ料ビジネス」は、既に多くの「汗を流して働く人々」から見透かされている。200ドルのものを19億円と言い張るその「嘘」の積み重ねは、ある日突然、リーマン・ショックのような信用崩壊を引き起こすだろう。
それは、誰もテレビを信じなくなり、誰も「正義」という言葉を信用しなくなる日である。
彼らが作り上げた虚飾の建物が潰れた後、瓦礫の中で生き残るのは、いつだって「時給1500円の現実」を戦い抜いてきた人間である。
「ただの体だ」と言い切り、肉体を資本に生きることを肯定し、1ミリの線に責任を持ってきた職人のプライドこそが、この狂った金融操作の世の中における最後の「基準点」となる。
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## 結語:1万字の結論に代えて
「性被害」という物語を100万倍にインフレさせ、不当な上げ料を貪ったBBCの罪は重い。彼らは「きれいごと」という囲いを作り、その外側で汗を流し、暑さに耐え、詳細図を引く人々を侮辱し続けた。
しかし、現物経済の重みを知り、1円の価値を体で覚えてきた人間は知っている。
「値段がないように扱うと、後で手痛いしっぺ返しが来る」ということを。
物語のインフレは、いずれ終わりを迎える。その時、BBCは不当な相場誘導の罪に問われ、歴史の闇に消えていくだろう。後に残るのは、あなたがジャスコの現場で描き上げた、あの「実体のある詳細図」だけである。
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高等教育への支援が日本を復興させる、と会田誠がXで書いていた。
日本の戦後の復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争そのものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争は破壊であると同時に、国家をひとつの巨大な工場に変える。資源配分、計画、規格、物流、品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計・製造・検査・運用までを一気通貫で回す能力の総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。
戦時の研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料の供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり、工学的知識と組織的運用が結びついて、初めて技術は社会に実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠と健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しかし能力形成の観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。
そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しかし瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考、現場の段取り、試験と改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界と接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長は神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまったことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。
だからこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄を継続することだった。ここが本丸だった。戦争が供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時の社会では、それらが自然に生まれない。目的は分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源は合意形成の手続きに溶けていく。ゆえに、平時の繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力や強制ではなく、自発性と創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語をわたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技。専門性という名の武器。産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。
だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標、採用、任期、ポスト、学会、査読、ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文の体裁は矯正するが、社会の問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化、既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。
そしてSNSだ。SNSは思想の市場であると同時に、承認の自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポスト、フォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚を麻痺させる。やがて、いつまでも上から餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初の行為が、いつまでも始まらない。
自分の地位が脅かされるときは自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民の教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。
だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり、価値を生むという行為を、制度の他人に外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業は勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任を自分で引き受け、見えない需要を言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理の地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文の引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂いと風向きを知る。
お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。
では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。
お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。
わたしは大学の門をくぐったとき、自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会と和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来が計算可能で、家族が暮らし、老いが制度に回収されるという約束だ。だが、あのときのわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文と電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田の匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。
なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的な暴力装置に大学そのものを重ねて見ていた。
戦後の復興が戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。
最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。
お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらないからだ。君たちの批判は刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物を延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財にすり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和の繁栄は、配給では続かない。
今日も特にやることがなかったので歩いて小一時間ほどのところにあるショッピングモール内のフードコートに昼食を食べに行った
そこには何か特別なメニューがあるわけではなく食べたのは普通のおいしい昼食以上のものではないのだがもう一つの目当てのものがあった
導線から外れて人がほとんど通らない空いた空間にある写真展である
写真は付近の街の歴史を明治時代から令和まで振り返るというテーマで並んでいる
明治時代や大正時代のものは原っぱや果樹園や掘っ建て小屋のような駅舎の写真でほとんどが歴史モノの映画のワンシーンのような雰囲気でとても今の街並と連続しているとは思えないファンタジーの世界のように見えた
戦後の混乱期は道端や広場に瓦礫や何かの資材のようなものが転がっていて活気がありつつも嵐の後のような荒々しい雰囲気がある
空爆の被害を受けたのかそれとも別の災害や争乱によるものなのかは不勉強で知識がないのでよくわからなかった
昭和30年代になると街並はまだ荒れているものの自分も知っている庁舎や劇場などの大きくてモダンな施設が建ち始める
昭和40年代には建物の雰囲気はレトロ風なもののここがどこか?と問われたら答えられるくらいには今の街並と地続きな感じの整った景色が完成されている
ネットを見ているとつい人類や歴史のダークサイドばかり考えてしまうがこういう記録を見ると文明の強さや美しさなど明るい面を感じることができて良い経験だった
ただ終盤の展開で首をひねった展開が。
ネタバレです。
タワーに乗り込む前にリーダーが「最強がフラエッテ連れて乗り込むぞ!」って言い出してバトルすることになるよね。
んで勝負に負けたら素直に見送れるんだけど、こちらが勝負に勝った時でも「でも自分が行く」って言い出すのが意味不明すぎて。
いやさっき最強が行く言うてましたやん。
「主人公はジガルデと共に街を守ってくれ」ってそういう理由あるなら先に言えよ。んで「ジガルデに認められAランクになった今の主人公の力をバトルで見せてくれよ」みたいな話運びすればええやん。
バトルしてる場合かよ的なツッコミはどっちでも入るわけだから、最初からリーダーがタワーに行くって決まってて勝敗とタワーに誰が行くのかが関係なくなれば勝っても負けてもまだ納得いくやん。
そこが一番引っかかりました。
後、ラスボスのちゃんとした攻略ギミックがわからなくてHP吸収技とお薬のごり押しで終わらせたけど、鋼or毒のポケモンが瓦礫の裏から射線切られない遠隔攻撃を食らわせるのが正攻法なのか?
marilyn-yasu増田は予備自衛官“補”と名乗ってるのでAIやね。まぁAI増田レベルが最低限の前提知識なんだがネット上の台湾有事言論は最低限すらベースとしてない人が多すぎるんだよ。+今はトランプ大統領が信じられない問題も。
どういうことかなと思ってAI使ったけど、なるほどね。
***“予備自衛官補”を自称しつつ、東日本大震災や熊本地震で『招集され任務に就いた』という記述には制度上の矛盾**があります。### どこが矛盾しているのか** **予備自衛官補は“候補生”**で、在籍中は**教育召集にのみ応じる義務**しかありません。**防衛招集・国民保護等招集・災害招集への応召義務はありません**(=実任務への招集対象ではない)。これは陸自公式の制度説明に明記されています。 ([Ministry of DefenseJapan][1])** 一方で、**災害時に招集されて現場で活動するのは、即応予備自衛官や予備自衛官**です。実際、**2011年の東日本大震災や2016年の熊本地震では、即応予備自衛官らが災害等招集で活動**しています(給食・給水、入浴・洗濯支援、物資輸送、捜索、瓦礫除去など)。 ([Ministry of DefenseJapan][2])したがって、**書き手が本当に“予備自衛官補のまま”で招集・派遣任務に従事したというのは不自然**です。※「当時は(即応)予備自衛官で、今は“予備自衛官補”と言い違えた/制度名を誤用した」という可能性は理屈の上ではありますが、本文だけでは裏づけがありません。### 逆に“不審ではない”点** 文中の「最高司令官」表現は厳密には**「最高指揮官たる内閣総理大臣」**が公式表現に近いですが、総理自身の訓示でも**「自衛隊の最高指揮官たる内閣総理大臣」**という言い回しは使われます。用語のラフさだけで不審と断ずる根拠には乏しいです。 ([首相官邸ホームページ][3])###評価** **身分主張(予備自衛官補)と体験談(災害招集で遺体収容等)の整合性に疑義**があるため、「自称が不審」という指摘は**妥当**。** ただし、**AIと断定する根拠は本文からは不足**。文体や主張だけでは判断できません。要するに、**“AIっぽい”より先に、“身分の言い方が制度と噛み合っていない”ことのほうが問題**で、そこへの疑いは十分正当化できます。[1]:https://www.mod.go.jp/gsdf/reserve/yobijiho/index.html?utm_source=chatgpt.com "陸上自衛隊:予備自衛官補とは -防衛省・自衛隊"[2]:https://www.mod.go.jp/pco/tokyo/yobiji/img/koremadenokatuyaku_04.pdf?utm_source=chatgpt.com "(予備自衛官、即応予備自衛官の招集実績は東日本大震災以降 8 回"[3]:https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2025/0630kunji.html?utm_source=chatgpt.com "令和7年6月30日 令和7年度自衛隊指揮官幹部会同内閣総理大臣訓示 |総理の演説・記者会見など |首相官邸ホームページ"
正直これはやられた。
予告編で想像していた以上に胸をえぐってくる作品だった。舞台は戦後間もない沖縄。米軍統治下、瓦礫と熱気が入り混じる街で少年たちが自由と夢を探しながら、同時に戦争の影をまとったまま必死に生きていた。
焼け跡に残るのはただの貧しさじゃない。大人たちの諦めと、どこにも行き場のない怒り。海から吹く湿った風の匂いまでスクリーンから立ちのぼってくるようで観ているだけで汗が背中をつたう。少年たちが夜の港で手を取り合い、粗末なランタンが揺れるシーン。あの一瞬のきらめきに、戦後の沖縄がどれほどの闇と隣り合わせだったかが一気に突き刺さった。
中でも島の外を夢見ながらも仲間を捨てられない葛藤がもう痛いほどリアル。夢を語る口調は少年のそれなのに、瞳の奥にある諦めは大人より深い。戦争は終わっても、戦争が残した影はこんなにも長く人を縛るのか。スクリーンに映るその姿が、ただのフィクションを超えて胸を殴ってくる。
ここでどうしても言いたいことがある。「面白い映画」と「良い映画」は違うということだ。
たとえば火垂るの墓。あれを「面白かった」と軽々しく言えないだろう。子どもが戦火に呑み込まれていく過程は、娯楽ではなく痛烈な現実だ。観終わった後に残るのは、言葉にならない苦味と、心の奥底で鳴り続ける問い。その衝撃こそ「良い映画」の証だと私は思っている。
宝島もまさにそうだった。派手なカーチェイスも奇抜なトリックもない。だが戦後という時代の痛み、子どもたちが夢を掴もうとする一瞬の輝き、そのすべてが心を揺さぶる。映画館を出ても海風の匂いがまだ鼻に残り、胸の奥がざわつき続ける。
スクリーンで感じる沖縄の海の匂い、少年たちの瞳の奥の熱、それを浴びた瞬間にしか味わえない衝撃が、確かにそこにはあったのだから。
Feat司馬遼太郎
とりわけ、己を「弱者」と規定しながら、その泥沼から一気に飛翔して人生を逆転しようと希う男たちがいる。彼らはレムだのウマ娘だのという、歴史の書には決して登場しない幻像を抱きしめることで、己が敗北を補おうとする。かつての農村にあった狐憑きの類と、根は同じである
その蟻が、天を掴まんと両の腕を振り回すことほど、歴史の眼から見て滑稽なものはない。
彼らは己の境遇を呪いながら、「レム」「ウマ娘」といった、物語の闇から生まれた幻想にすがりつつ、逆転を夢みている。戦国の世に生まれていたならば、狐憑きとして村人に追われるか、あるいは一揆の雑兵に紛れて討ち死にしていたであろう類の人間である。
彼らは奇妙な名を口にする。「レム」「ウマ娘」――。歴史の書に記されぬ幻想を、あたかも武田信玄の軍旗にすがるかのごとく振りかざし、己の敗北を覆そうとする。その姿は、幕末に西洋砲術の影を追いながら、一度も火縄を湿らせたことのない浪人に似ている。
彼らは叫ぶ。「どうすれば弱者から脱出できるのか。われらはレムやウマ娘を得て、社会を見返すことができるのか」と。
歴史にもし声があるなら、「そのようなことは不可能だ」と一笑に付すに違いない。ITや起業といった近代の小器用さで、人生という巨艦を逆風に乗せかえることなどできぬ。だが歴史の声は冷ややかである。――「不可能だ」と。
ITや起業といった近代の算盤は、せいぜいが人間の懐を暖めるだけで、運命という巨艦を逆風に乗せる力など持たぬ。
もし真に逆転を望むなら、彼らは己の肉体を歴史の断崖に投げるほかない。
ウクライナやロシアの原野、アデン湾の海賊水域、パレスチナの瓦礫、シリアの廃墟、ナイジェリア北部の荒野――いずれも、近代文明の衝突が血煙となって噴き上がる場所である。そこに身を置き、門前で土に額を擦りつけ、「我をスパイに、あるいはテロリストに鍛え上げよ」と乞うがよい。
盃を受け、部屋住みとして稽古を積み、旗を掲げ、やがて銃火の只中に討ち死にする。かつて戦国の雑兵が一矢報いんとして果てたように、その死にざまは、かろうじて歴史の欄外に記されるかもしれぬ。
東欧の平原は、いまも戦車の轍に刻まれている。アデン湾は、乾いた砂漠の風が海塩を運び、海賊の舟がうごめいている。パレスチナの石造りの家並みは爆撃に穿たれ、シリアの古都は砂塵に沈む。ナイジェリア北部の赤土は乾き、銃声が牧童の歌に交じる。カタールの湾岸には、石油の光が夜を白々と照らす。
そのいずれかに赴き、門前で「我をスパイに、あるいはテロリストに鍛え上げよ」と乞うがよい。盃を受け、稽古を積み、やがて旗を掲げ、銃火のなかに果てる。戦国の雑兵が一矢を報いて倒れたように、その死にざまは、せめて欄外に記されるかもしれぬ。
しかし彼らの多くは、それすらできぬ。「痛いのはいやだ。苦しいのはいやだ」と、幼子のように泣く。
ならば潔く退場せよ。ネットの闇から離れ、空と海を眺め、田舎の田畑に埋もれて暮らすがよい。あるいは剃髪し、仏門に入り、経を唱えながら「来世こそ異世界」と夢見て余生を終えるがよい。そのほうが、まだ健全である。
歴史は因果律で動く。地政の風が文明を衝突させ、勝者と敗者を入れ替える。だが敗者の呻きは記録されない。
記されるのはただ「死にざま」である。織田信長に斬られた浅井長政の死、薩摩に散った西郷隆盛の死と同じように。
もし現代の弱者男性と呼ばれる人々が、歴史に爪痕を残すとすれば、それは彼らの呻きではなく、ただひとつ、その死にざまにおいてのみである。
旅立ちの日、彼は剣や魔法の心得と同じくらい、大切な道具を手にしていた―それがアウトラインプロセッサーだった。
「本当に俺は、この先の迷宮や難題を乗り越えられるのか?」
問いを書き出すことで、胸の奥のざわめきがすーっと静まった。まるで、旅立ちの嵐の前に降り注ぐ静かな雪のように。
彼はアウトラインの階層を活用し、各地の情報を整理していった。
1.大森林「エルダウッド」
1.2古代遺跡での「風の秘宝」探索
3.1 氷竜との交渉
階層化された目次を眺めるたび、彼の頭の中には全体像が浮かび上がり、迷宮で道を見失うことはなくなった。
初稿のプランでは、ツリーファング討伐後に直接王国に向かう予定だった。
を新たに追加。
書いては消し、消しては書く―まるで滝の水が岩肌を研ぎ澄ますかのように、プランも研ぎ澄まされていった。
旅の進捗を「完了」「未着手」でマークしていくと、自分の足跡がアウトライン上に鮮やかに残った。
砂漠王国での未完のミッション、彼は達成済みにチェックをつけたとき自分に誇りを感じた。
そしてついに魔王城の最深部へ。
膨大な情報、仲間のスキル、入手したアイテム――すべてがアウトラインに整理されていたからこそ、彼は最適な戦略を立て、一撃で闇を打ち砕いた。
かつては「勇者が魔王を倒す」というステレオタイプに縛られていた彼が、今では自分だけの地図を描く楽しさに目覚めていた。
アウトラインプロセッサーは、単なる道具を超え、彼の思考と冒険を支える伴侶となったのだ。
| 文明タイプ | 文明の成果 | 文明の空間 | 文明の時間 | 文明の凝集力 |
| ---------- | ----- | ----- | ----- | ------ |
| 欧米キリスト教文明 | 3 | 3 | 1 | 2 |
| 東アジア文明 | 2 | 1 | 3 | 1 |
| アラブ・イスラム文明 | 1 | 3 | 1 | 3 |
ここでは、サブサハラ・アフリカ文明、インド文明、東南アジア文明(総合スコアが比較的低い)や、すでに消滅した高得点の文明(古代エジプト文明、インディアン文明、メソポタミア文明など)は含めていません。
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中・日・韓を中心とする東アジア文明は、最も悠久の歴史を持ち、西洋に次ぐ文明的成果を誇りながらも、三大主流文明の中で最も孤独な存在です。イスラム文明やキリスト教文明はいずれも複数の大陸にまたがり、数十の構成国を抱え、核心となる宗教を文化の支柱・結束の軸としています。同じく主流であるはずの東アジア文明は異質であり、主要構成国は中国・日本・韓国の三国にすぎず、強固な宗教的凝集力を欠き、構成国も最少でありながら、むしろ最も深い相互の憎悪と分裂に陥っています。
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私たちは無限に広がる冷たい宇宙の闇の中に生きています。人類は本来、孤独な存在です。そして人類意識の大いなる競技場において、中国・日本・韓国は本来ならば血縁的に最も近く、地理的にも隣接する三つの文明意識体であり、互いに寄り添い支え合うべき存在でした。しかし歴史的な確執によって、長きにわたり背を向け合ってきました。より大きな時空的視点で見れば、これは異常であるばかりか、東アジア文明の未来にとって危険な兆候です。
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想像してみてください。すでに **フェルミのパラドックス** に支配された宇宙において、このような少数性と分裂性は必然的に文明意識に深い孤独感をもたらします。人間個人として、この国家的孤独を感じ取れる人もいるかもしれませんが、大多数は無感覚です。この少数性と分裂性のゆえに、決定的な時に互いを助け合うことができず、むしろ文明間の競争において、他の並行する文明、時にはより弱小な文明にさえ侵入・同化・消滅され、ついには歴史の瓦礫へと掃き捨てられてしまいます(たとえば日本が少子化危機により大量の異文明移民を受け入れざるを得なくなるように)。この場合、日本固有の文化が衰退し、いわば「イスラム化」したとすれば、東アジア文明の生き残りである中国や韓国は一時的に溜飲を下げるかもしれません。しかし結局は、より大きな時空の孤独に呑み込まれ、他の文明に同化され、先行した者と同じ道を歩むことになるでしょう――これこそが予見される東アジア文明の宿命です。
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しかし、まだ別の道が残されています。もし私たちが過去の些細で古い確執を捨て去り、相違を保持しながらも憎悪に変えず、善意をもって憎しみに代え、孤立に抗して協力を選ぶことができるならば、私たちはこの変革が加速する星間時代の黎明を共に迎えることができます。そうしてこそ、私たちの文明は未来において枝葉を広げ、より強靭で旺盛な生命力を爆発させることができるのです。
本人はもう何年も前になくなっているんだけど、書き残した手記があって、そこに色んな体験記が綴られていておもしろいんだ
故郷の田舎を出る時の描写なんか「電車がゴットン、さようなら、懐かしきうさぎ追いしあの山々」とか書いてあって、見たこと無いのにじわっと悲しくなる
鳴尾のいちごで作ったいちごジャムを食べたとか、同期といっしょに敵機の名前当て大会をやったとか書いてあるの
脱走した同期のこととか、自分がやってた仕事内容とかも書いてある
夜に寮を抜け出してお披露目前の飛行機を見に行ったのも書いてあって、なんとなくジブリの「風立ちぬ」感がある
飛行機の型なんかも書いてあるけど、身バレ防止で伏せさせてくれ
当時の夏の甲子園、大阪の空襲、機銃掃射などなど、他にも書いてある
なんというか、祖父の手記には光の描写が多くて、私が子供の頃から「どういう光が差していたか」にこだわるのは彼の血だろうなと思う
職場の瓦礫の隙間から差し込む黄色い光とか、夏の西宮球場の白い光とか、なんばで空襲を見た時の燃えるような炎の赤とかそういうの
焼け野原から2000年代まで生きた祖父に、またはその世代に、この世界はどう見えていたのかなあ
爆風の焦げ臭さと、どこか生臭い匂いがまだ空気に混ざっている。
「終わったように見えても、油断するな。あいつらは死んだふりが得意だ」
「……どうする?」
「索敵をかける。視界、貸せ」
言われるまま、額に指を当てる。
次の瞬間、俺の視界が一変した。
色はすべて消え、世界は黒と赤だけになる。
通常は「どんな場所からでも爆弾をプレゼント」だが、配送先を正確に割り出すための副機能として、世界中の位置情報を感知できる。
生きている……何かが。
「……おい、これ卵じゃねぇのか?」
彼氏の声が低くなる。
「そうだな。ひとつじゃない。……十、いや、二十はある」
ズキリと頭痛が走る。視界の赤点がゆっくりと脈打ち、触手の影がそこから生えているのが見えた。
卵は丸いカプセル状で、半透明の膜の内側に小さな影が蠢いている。
膜越しに、まだ形になりきっていない無数の目が俺を見返していた。
「全部、やるぞ」
視界の中で、卵のひとつひとつに小さな赤いリボンがついていく。
次の瞬間、すべてが同時に爆ぜた。
だが、遠くの闇の中で――ほんの一瞬だけ、「チチチ、チギュ……」という音が聞こえた気がした。
まだ開店前の店内は薄暗く、冷蔵ケースの低い唸りだけが響いている。
制服の胸ポケットに名札を差し込み、控室から出た瞬間、年下っぽい大学生が俺を見て口を開いた。
何を言われたのか理解した途端、胸の奥がヒュッと冷たくなる。
その枕詞で、本当に人を刺すことができるんだなと、妙に冷静に思った。
だが空気はすぐに変わった。
そいつが口を大きく開き、「チチチ、チギュ、チチチギュー!」と、耳障りな鳴き声をあげたのだ。
次の瞬間、背中の制服が裂け、ヌルリと黒光りする触手が何本も飛び出した。
生き物のように蠢く先端は、近づくと体温を吸い取られるように冷たく、空気が湿った鉄の匂いに変わっていく。
店長の瞳から光が消え、ぎこちなく笑顔を作り「いらっしゃいませぇ〜」と繰り返す。
どんな場所からでも爆弾をプレゼントできる、完全に季節感を破壊した危険な力だ。
俺がためらった刹那、床下から別の触手が飛び出し、足首を掴んだ。
骨がきしみ、冷たい液体が体内に流れ込む感覚。
「こっちに来い……人形になれば楽だ……」
頭の中でざらついた声が響き、視界の色が褪せていく。
タイムシフトも使えない。
俺は――操られるのか?
その時、耳元で彼氏の声が囁いた。
床の爆弾に手を伸ばし、留め金を引きちぎる。
轟音と白い閃光が店を包み、爆風に押し上げられるように宙を舞った。
耳鳴りの中、目を開けると店の半分が吹き飛んでいた。
だが煙の向こうで黒いシルエットが立ち上がる。
触手は焼け焦げ、何本も千切れているが、まだ動いている。
人形のように笑う店長の顔をぶら下げたまま、こちらに歩み寄ってくる。
「次は……本気で行く」
天井の闇に無数の赤い光が瞬き、それがすべてプレゼント箱だと気づく。
次の瞬間、天井から無数の爆風が降り注ぎ、世界が真っ白になった。
――静寂。
気がつくと、瓦礫の中で仰向けになっていた。
ただ、焼け焦げた床の真ん中に、人間の心臓の形をした黒い塊が転がっている。
それはゆっくりと脈打っていた。
「……ああ、多分な」と答えた瞬間、塊が微かに笑ったように見えた。
「二度と、起きてくんな」
赤い閃光が夜空を照らし、すべては塵と化した。
今回のものは三対三。
仕事は?
趣味は?
好きな食べ物は?
そして俺の番になった。
「お、映画っすか」
隣に座ったその若い男はその場を仕切るように反応する。
構わない。
俺は続けた。
「ジャン=リュック・ゴダールって知ってますか?」
その瞬間、空気が変わった。
笑っていた女の子も、黙った。
ニヤけていた男は苛立たし気に表情を固める。
俺は構わず話を続けた。
「あの映画はゴダール晩年の集大成のような作品で、戦争と芸術、死とユーモア、現実と虚構を交差させながら、観る者の倫理観を揺さぶる内容です。
映像詩のようでもありながら、どこまでもドライで冷笑的。だけどそこに燃えるような怒りと祈りがあって、語りが被さるたびにこっちの心拍数は上がっていく。
あの映画を観るたびに、人はなぜ表現をやめないのかという問いが、喉元に引っかかって離れないような感覚に見舞われる。
戦争の悲劇を、ただ悲劇としてではなく、ある種の断絶と連続として描いた彼の視点には何度も胸を打たれました」
俺は淡々と語った。
水を飲む男。
誰も、俺を見ていない。
でも俺は話をやめなかった。
「フォーエヴァー・モーツァルトは、戦争中のボスニアに向かう演劇一座を描く。
劇団はマリアと戦争という芝居を通じて芸術の意義を問い直そうとする。
だが彼らは途中で軍に拘束され、悲劇的な結末を迎える。
アントワーヌ・ド・ベックは万事快調のDVD特典にある解説でこう言っていた。
この作品は戦争の荒廃に対して、芸術の無力さと暴力の対称性を並置する試みだと。
そして彼は続けた。
“ForeverMozart”というタイトル自体が、皮肉と祈りを内包している。
クラシック音楽の永遠性を借りながら、その普遍的価値すら問い直している。
この視点が、俺の中の何かを決定的に壊した。
瓦礫。
若い男は歯軋りするな目で俺を見つめる。
その瞳に理解の色はまるでない。
水ばかり飲んでいる男のごくっごくっという音がその場に響き渡った。
彼らはゴダールのことを何も知らず、そして理解することもないだろう。
だが構わない。
それでもいい。
映画とは問いだ。
感動ではなく、問いだ。
俺はそう思っている。
わかってほしいとも思わない。
そして、この空間もまた問いだ。
だから俺は満足していた。
パクリだとかそういうことを言いたいわけじゃない
◯◯の面白さが詰まってるな、と感じた
主人公の幼馴染の鉄男が超能力に目覚め東京を破壊し尽くす漫画/アニメ。
主人公の金田は幼い頃から弟分の鉄男を守っていたが、鉄男はそれに対し劣等感を抱いていて、こんなやり取りがある。
金田「俺ァまた心配しちまったぜ? またベソかいて泣いてんじゃねェかと思ってよ」
鉄雄「金田、おめぇが目障りだったんだよ……。ガキの頃から何をするのもお前が指図しやがる。いつも子供扱いだ……どこにでも出てきてボス面しやがる!!」
鉄雄「金田ァァァ!」
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第5話『ニャアンはキラキラを知らない』のマチュとニャアンの関係が金田と鉄男だなと思った。
友達がいない主人公、車椅子の弟、いじめられっ子で母親死去父親無職の同級生(男)、生まれつき髪が白髪でクラスで浮いてる同級生(女)が図書館でみつけた魔法の本で現実世界を剣と魔法のファンタジーの世界へと変えてしまうストーリーのゲーム。
魔法の本によって変えられた異世界では主人公には仲間ができ、弟は歩けるようになり、同級生(男)の母親は復活、父親は裁判官に、同級生(女)は髪がピンクになり、みんな幸せになる。
しかし主人公だけは「こんなのニセモノだ」と疑問に抱き、異世界を維持しているクリスタルを破壊しようと試み、周りから「余計なことするな」と全力で止められる。異世界の住民からも世界の破壊者として敵視される。
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GQuuuuuuXのホンモノ・ニセモノ論はこれを連想した。
主人公が仲間と一緒に旅をしていたらその途中で巨大な大穴を発見、穴の中には広大な大陸(下の世界)が広がっていた、というストーリーのゲーム。
下の世界は上の世界のパラレルワールドになっていて、下の世界のもうひとりの自分はぜんぜん違う人生を歩んでいた。
物語の終盤になると、実はもといた世界が夢の世界であり、主人公は現実世界の自分が夢見た「こうなりたかった自分」だったのだと発覚する。
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GQuuuuuuXのシャアはファーストのシャアが妄想した「こうなりたかった自分」だろう。
文学が好きな男子中学生の主人公が、同級生A(女)の体操着を盗んでしまったのを同級生B(女)に目撃され、同級生Bに脅されて悪事に手を染めていく漫画。
退屈な日常から脱出したい主人公を同級生Bが半分脅迫半分誘惑でそそのかし、ジェットコースターのような非日常を味わうようになる。
物語の中盤で主人公は大きめのやらかしをして警察のお世話になり、親に泣かれ、逃げるように転校し、親戚からも半ば絶縁される。
退屈な日常をぶっ壊したら楽しい日々がやって来るなんてことはなく、過去の犯罪歴がばれてまた引っ越ししなきゃならなくなるんじゃないかと怯えながら暮らす日々が待っていた、というお話。
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第7話『マチュのリベリオン』を観て惡の華を連想したんだけど、先日公式Xが公開した元気なマチュの画像を観て惡の華路線はないなと思った。
「海に眠るダイヤモンド」は、2024年10月20日から12月22日までTBS系列「日曜劇場」枠で放送されたテレビドラマである。
この放送終了から約半年後、私はこのドラマを観終わった後抱いた感情を過去別のコンテンツでも抱いた事があった事に気付いた。
それが「STEINS;GATE」(以下:シュタインズ・ゲート)というアドベンチャーゲームだ。
今回、増田の読者は「シュタインズ・ゲート」は知っているが、
「海に眠るダイヤモンド」は未履修の読者を主なターゲットとして導入編として書いてみたいと思う。
何から切り口に書こうかと思い、今回はまず「海に眠るダイヤモンド」の主題歌である、
---
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
あり触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
そんな花でいい
ただ黙々とねっこ伸ばして
時の歩幅が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の身の丈を知るの
望まぬとも 時計の針は進み続ける
求める程遠ざかる 大事な者こそ
時の風が攫ってゆく
思い出の瓦礫に根を張っている
此処で何時迄も待っている
飾らない花でいい
華やかでなくていい
あなたの痛みの上に 根を張れればいい
一頻りの雨に 流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花でいい
そんな花がいい
ただ君が泣くなら僕も泣くから
その美しく強く伸びた根は
誰にも見えやしないけれど
無常の上に咲き誇れ
ただ君が泣くなら僕も泣くから
心ふたつ悲しみひとつで
何十年先も咲き続ける花
無常の上に さあ咲き誇れ
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
決して折れはしない
そんな花でいい
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
有り触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
飾らない花でいい
華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 実が生ればいい
一頻りの雨に流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花がいい
---
以上である。
ではまず最初の、
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
あり触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
そんな花でいい
入り口ですね。
続く、
ただ黙々とねっこ伸ばして
時の歩幅が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の身の丈を知るの
望まぬとも 時計の針は進み続ける
求める程遠ざかる 大事な者こそ
時の風が攫ってゆく
思い出の瓦礫に根を張っている
此処で何時迄も待っている
この部分は、ラボメン全員の軌跡を端的に物語っていると言えるだろう。
その気持ちで読んで見てほしい。
ただ君が泣くなら僕も泣くから
その美しく強く伸びた根は
誰にも見えやしないけれど
無常の上に咲き誇れ
ただ君が泣くなら僕も泣くから
心ふたつ悲しみひとつで
何十年先も咲き続ける花
無常の上に さあ咲き誇れ
ここの部分は、何周か考えた結果、
の歌であると言える。
その視点で一度読んでみて欲しい。
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
決して折れはしない
そんな花でいい
この部分は、岡部の3000回以上とも言われるタイムリープの「覚悟」を表す一節である。
「幾度もの嵐」は即ち、
... ...ここで改めて説明しなくてもいいでしょう。
ではラスト、
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
決して折れはしない
そんな花でいい
ささやかな花でいい
大袈裟でなくていい
誰も気づかない
有り触れた一輪でいい
あなたが項垂れた その先に根を張る
飾らない花でいい
華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 実が生ればいい
一頻りの雨に流されぬような
ふとした悲しみを そっと忘れさせるような
そんな花がいい
この締めの部分は、是非、牧瀬紅莉栖の気持ちを憑依させて読んで頂ければと思う。
この歌の締めに相応しいと言えるし、シュタインズ・ゲートの締めくくりとして非常に相応しい歌詞とも言える。
では、ここまで読んでくれてもし少しでも何かを感じ取ってくれた人が居たとしたら、
是非「シュタインズ・ゲート」と「海に眠るダイヤモンド」を履修してくれたらとても嬉しい。
この2作品は数あるストーリーエンタテインメントの中でも宝玉の作品である事は間違いない。
履修する事に価値があると信じている。
その上で、次に進む為に書き残したい事は、
「岡部倫太郎が牧瀬紅莉栖と椎名まゆりの2人を救った世界線 =荒木鉄平がリナと朝子の2人を生かした世界線」
もし機会があればその2を書いてみたい。
そういう世界線があっても良いのではなかろうか。
ファンとアイドル、欲望と拒絶、愛と加害。そのすべてを背負ったまま、ふたりはぶつかり合う。
「私の“好き”はセクハラじゃない。セクハラと感じる方が悪いんだよ!」
「“推し”って言葉は、性加害そのものだ。見返りのない愛? 醜い自己投影と支配欲のくせに!」
「推しって言葉は加害?」「メロいってセクハラ?」といった論争が過熱。
カヲルの目が、欲望ではなく、何かを赦すように見つめていたからだ。
「私はこれからも“メロい”って言い続ける。例え推しが、女性からの言葉を“狩る”人間になっても」
「……そうか。なら、俺のほうが間違ってたのかもな。男が我慢すればいいだけだったんだよな」
「そう。女性はピュアなの。“メロい”って、ただの純粋な気持ちなの。男性が言う“メロい”とは、まるで違う」
「女性に性欲なんて、あるわけないもんな……」
レイジの変身が解ける。
崩れ落ちるノクスレイジのスーツから現れたのは、疲れ切った17歳の少年だった。
「もう、俺、頑張らなくていいんだ……なんか、救われた気がするよ……」
その様子を見たカヲルは、そっと微笑む。
次なる“欲望の歪み”を探し、動き出していた。
https://x.com/jk_rowling/status/1918747065460420745
英国最高裁による性別に基づく権利の判決を批判する、最近の学界や芸術界からの公開書簡を受けて思い出しておくべきかもしれないのは、「人間が性別を変えられる」とか「性別の二分法は物質的事実ではない」と本気で信じている正気の人間など、かつて一人としていなかったし、今もいないということだ。こうした書簡は、我々が痛いほど知っていること、つまり「この虚構を信じるふりをすることがエリート階層の美徳の証となっている」という現実を再確認させるだけである。
私は時折思うのだ。こうした書簡の署名者たちは、良心の声を押し殺してから、女性や少女の権利を奪い、異性愛への拒否を公言する同性愛者をいじめ、心に問題を抱える子どもたちの不妊化を推進する運動を、どうにかして公に支援しているのではないかと。彼らは、自分たちの信仰の根幹にある「トランス女性は女性、トランス男性は男性」という嘘を唱えながら、何の呵責も覚えないのだろうか?
私にはわからない。ただ一つ確信しているのは、「そのスローガンは自己矛盾のナンセンスだ」とジェンダー活動家に説得しても全く無駄だということだ。というのも、彼らはそれが真実だから唱えているのではなく、むしろ「嘘であること」こそが核心だからだ。彼らはその嘘を「真実にする」ために、他人全員に強制的に信じさせようとしている。あの嘘は、カテキズム(教義問答)であり十字架でもある。「私は神の側に属している」と説明する手間を省く呪文であり、悪魔的な事実や理性を祓うための武器であり、偽科学と詭弁を推し進めるための呪符でもあるのだ。
こうした書簡の署名者たちは恐怖に動かされている、という意見もある。キャリアを失う恐怖、そして時には暴力に訴える狂信的で自己愛的な男たち、告げ口を喜ぶ同僚、ネット上で晒し者にする者、レイプの脅迫をする者、そして自由主義的職業階層の中枢に潜む影響力のある熱狂者たちへの恐怖だ。もっとも、こうした人々が果たして「自由主義的」かどうかは疑問だが。ジェンダー・イデオロギーは、異端者を罰する点で中世カトリックにも負けないほどである。ならば頭を低くして「アヴェ・マルヴェイニー」を唱えるのが賢明なのでは?
とはいえ、怖気づいて裏でこっそりTERF的な思考を抱えているTWAW信者たちに同情する前に、彼らの多くが進んで松明や熊手を手に取り、異端審問の粛清に加わったことを忘れてはならない。私に「女性らしい」同情心が欠けていると非難されても構わない。彼らが助長し、時には先頭に立って資金提供までしてきた数々の害悪——弱者女性への糾弾と羞恥、生活手段の強制的剥奪、未成年への無規制な医療実験——を思えば、私の涙腺は最初から枯れているのだ。
歴史は、不合理かつ有害で、かつては絶対視されていた信仰体系の瓦礫で満ちている。オーウェルの言葉を借りれば、「知識人だけが信じるほど愚かな考え」もある。ジェンダー・イデオロギーは、上から押し付けられる形で我々の制度に深く根を張っているが、決して無敵ではない。
司法の場での敗北は積み重なりつつある。ジェンダー活動家の傲慢さ、過剰な要求、自惚れ、攻撃性は、日ごとに世論の支持を削っている。女性たちは反撃に出ており、着実に勝利を手にしている。スポーツ団体はようやく目を覚まし、「男性は女性より大きく、強く、速い」という事実を思い出した。医療界の一部も、「10代少女の健康な乳房を切除することが本当に心の健康の回復なのか?」と疑問を呈し始めている。
「トランス女性は女性、トランス男性は男性」――この一見無害な白い嘘を、ほとんどの場合、深く考えもせずに口にしたところから始まって、数年のうちに、自分は道徳的に最も高潔だと信じる人々が、「そう、レイプ犯の代名詞は死守すべきものだ」とタイプし、全女性対象のレイプ・クライシスセンターを求める女性は「絞首刑にされ斬首されるべき」と叫ぶ人々と肩を並べ、過去最大級の医療スキャンダルが明るみに出つつある中でもなお、それを必死に否定し続けている。
彼らは一体、自分がどうしてこんな場所に辿り着いたのか、時折でも考えることがあるのだろうか? そして、いつか恥を知る日は来るのだろうか?
シンプル悪夢。現在午前三時、犯罪者になる夢を立て続けに2つ見て目が覚めた。
1つは、地下鉄に放射性物質を持ち込むテロ犯。姉と母親と実行したんだけど、途中で電車が脱線・衝突する大事故が起きる。急いで瓦礫から抜け出すんだけど、持ち込んだ放射性物質が見当たらなくなってて、姉と一緒に脱線事故の現場から動けなくなってた。
そもそも、危険物を電車に持ち込んだ次点でもう夢とは思えないぐらいの緊張だったんだけど、それが無くなったとなってはもう胃が擦り切れそうになってた。とにかく怖かった。
そうはいっても失くした危険物を瓦礫の下から探さないといけない。で、そうこうしてるうちに警察みたいな人がやってきて、ガイガーカウンター的なやつを取り出して言ったのよ「この周辺は放射性物質に汚染されています!!逃げてください!!」
自分が起こした事の重大さと、放射性物質に汚染されることへの恐怖でパニックになって、近くにいた姉にしがみついて怖いよ、怖いよ、怖いよ……って後はずっと言ってた気がする。今こうして書くとスピード感すごいんだけどね。
その直後に場面が切り換わって、気づいたらめちゃくちゃな大通りを原付で走ってた。普通と違うのは、テレパシーか何かを使って遠隔でデカいバンみたいな車を同時に運転してるってこと。
テレパシーと言っても、原付の斜め後方を走るバンの前方映像とかは見られなくて、原付からチラチラ後ろを振り返って運転しなきゃいけなかった。集中力焼き切れるかと思った。
それで案の定、バンの方が事故ったんだけど、事故る場所が悪かったのか、何故かバンが発火し出したのよ。そこからみるみるうちに(というか導火線のように一方的に)延焼し始めて、あっという間にそこから数十メートルのところにあった工事用のクソデカクレーンに燃え移った。本当にクソデカくて、東京の高層ビルを2つ3つ積み上げてもまだ高いぐらいの超巨大クレーンね。
そのクレーンが燃えたことで機動隊みたいな人たちが出てきて、クレーンに向かって発砲し始めた。この辺はもう夢なんでよく分からん。
これらはもちろん、原付の走行中に同時に起こってることで、原付走らせながらバンが事故ってるし、クレーンが燃えてる。で問題なのはその位置で、これから走り抜けようとしてた道路の真横(つまりは斜め前方)にそのクソデカクレーンがある。自分は今から、機動隊の発砲によって足場が崩れて、まさにこちら側に倒れんとしてる燃えるクレーンの真横を通り抜けないといけなかった。
まあ結果的には無事通れたんだけど、上を見上げたらもうえらい迫力で。燃えるクレーンがこちらに倒れかかってくるし、機動隊は発砲をやめてくれないし、なんか元はと言えばかなり自分のせいっぽいし……みたいなことを、走り抜けざまにずっと考えてた。
2つ目の夢は頑張ってまとめようとしたけどよく分からんな。どっちもかなり加害者意識に苛まれてたと思う。何でこんな夢見るんだろうね?