
はてなキーワード:理論とは
高市インフレって、理論的にはわかるけど、まだ起きてない事象だよね
理論的にというのは、インフレ中に積極財政をやればインフレが加速するという至極当然な理論のことね
株式も為替ももう超インフレが起こることを織り込み済みで動いてるよね
もちろん起こる可能性は高いが、自民党もこの過熱感にビビって小便ちびっちまうんじゃねぇかな?
柴田淳氏、高市総理に対して「男に散々媚びてきたんだろうな」と罵倒
罵倒に対して柴田淳氏の過去写真(胸元が大きく開いて谷間が見えている服装で男性と笑顔でツーショット)を持ち出されて「高市総理より媚びてませんか」と返される
権利元企業から公式イラストの受注もしている公式絵師がプライベートのファンアートとしてキャラの絵を個人のSNSアカウントに上げる→そのファンアートが集合絵で、遠くに配置されていた推しカプをペイントの切り貼りでくっつける加工をして投稿したオタク女が出る→アウトすぎるので注意される→公式絵師のイラストは加工して良いものだと独自理論で逆ギレ→同カプの相互フォロワーからも「さすがにあれはまずい」と注意され誰も味方してくれない→「私に死ねっていうんだ!!」とヘラる
それダメじゃないですかって指摘されて反論できないと「死ねというのか!」になるの本当嫌
誰も死ねなんて言ってなくて問題行動の指摘があっただけなのに「死ねと言われた可哀想な人のポジション」を取ろうとする卑怯さが本当に気持ち悪い
ボウルビィとアインズワースの愛着理論の研究で初期研究では確かに研究対象を母親にして研究していたけど、それは当時の「養育者」がほぼ母親に限定されていたからで、その後の追加検証として父親、祖父母、里親などで全く同じ条件で検証したところ母親と同じ結果が出たことが報告されている。
まぁ言ってる奴らは母親利権の関係者か初期研究だけ引いてるかのどっちかだろうね。
赤ちゃんは本能で母親を求めるという話がネット上の会話で見られるがこれの根拠・出典ってどこだろう?
専門的な団体などでもこのような話が書かれているがどうも信じがたい。
・赤ちゃんは本能で母親を求めるというのを誰が確かめたのか、どこかに書かれている様子がない
・父親の育児が広く行われるようになったが、父親では赤ちゃんとの愛着形成は難しいとか、対応が難しいなどと言われているのは見た記憶がない
・一人では生きて行けず周りの人の力が必要な赤ちゃんが、父親より母親が良いなんて無駄なことをする余力があるとは考えにくいのでは
・地方公共団体などの資料を見ると母親とではなくて、養育者と愛着を形成するなどのように書かれている
・三歳児神話は社会的には科学的な根拠がないとされているが、赤ちゃんが本能で母親を求めるならば、母親の優位性が認められてしまうのでは?
根拠って流石にアカゲザルを用いた愛着形成の研究じゃないよね・・?
・針金製の代理母と布製の代理母で比較したものであり、代理母と代理父で比較したものではない
・ジョン・ボウルビィの愛着理論が日本では誤って広まってしまった説
・乳児や幼児の子育てが母親重視になってしまい、後天的だったり社会的な要因で「ママがいい」になってしまった説(因果関係が逆である説)
頂いた解説
ボウルビィとアインズワースの愛着理論の研究で初期研究では確かに研究対象を母親にして研究していたけど、それは当時の「養育者」がほぼ母親に限定されていたからで、その後の追加検証として父親、祖父母、里親などで全く同じ条件で検証したところ母親と同じ結果が出たことが報告されている。
時代背景もあったんですね。
本日発表された「生成AI時代の創作と権利のあり方に関する共同声明」は、表面上は高尚な倫理を装いながら、実際には旧来の出版・映像業界が自らの利権と支配を維持するために発した時代錯誤の自己防衛声明にすぎません。文化の担い手を名乗りながら、彼らは文化を盾にして独占し、創作の自由を自らの縄張りに囲い込もうとしています。AIという新たな知的基盤を「脅威」と決めつけ、法律や科学的事実を踏みにじってまで、自分たちの都合に合わせた“新しい原則”を作り出そうとする姿勢は、文化の発展を自ら人質に取る行為と言わざるを得ません。
声明で繰り返される「オプトイン原則」なる主張は、法的根拠のない作り話にすぎません。日本の著作権法第30条の4は、情報解析、すなわち機械学習を適法な行為として明確に認めています。これは国会で正式に審議され、国際的にも承認された条文です。それをあたかも存在しないかのように無視し、独自の“原則”をでっち上げているのは、法の支配を自分たちの感情で上書きしようとする行為にほかなりません。法治国家の根幹を軽んじるこうした態度こそ、社会にとって最大の脅威です。
声明では「WIPO著作権条約の原則にも反する」との一文が見られますが、これは国際法を理解していないか、あるいは意図的に誤解させる表現です。WIPO著作権条約第10条は、各国が技術革新との調和を図るために例外を設けることを明確に認めています。日本の著作権法第30条の4は、その条項に基づく正当な立法です。にもかかわらず、これを「国際的に反する」と断じるのは、国際法の権威を自らの商業的利益のために悪用する詭弁にすぎません。法を装いながら法を捻じ曲げる態度は、文化への裏切りです。
声明が要求する「学習データの透明性」は、AI技術の基本構造を理解していない人々の発想です。生成AIは著作物を丸ごと保存しているわけではなく、膨大な情報を数学的に抽象化して学習しています。どの作品を学習したのかを特定することは、理論的にも不可能です。にもかかわらず、それを“透明性”という美辞麗句で求めるのは、AI研究を停止させるための方便に見えます。理解できない技術を「危険」と断じて封じ込めようとする態度は、科学の否定であり、知の進歩への挑戦です。
著作権法第1条は、「著作物の公正な利用を通じて文化の発展に寄与する」ことを目的としています。声明はこの理念を真っ向から踏みにじり、創作の自由を業界の利権で縛りつけようとしています。もし学習をすべて許諾制にすれば、日本のAI研究は立ち行かなくなり、創作者自身もAI支援という新しい表現手段を奪われるでしょう。つまり、彼らは「創作者を守る」と言いながら、実際には創作の未来を殺そうとしているのです。
声明全体に共通するのは、「自分たちだけが正義である」という思い込みです。AIに学習されることを「搾取」と呼びながら、彼ら自身は長年、他人の文化を引用し、再構成してきました。著作物の「利用」は自分たちの権利であり、AIの「利用」は侵害だという二重基準は、もはや論理ではなく自己保身のための感情論です。著作権を対価交渉の武器に変え、創作の自由を締めつける構図は、文化産業ではなく利権産業の姿です。
7.未来に向けて
AIは人間の創造性を奪うものではなく、拡張するものです。学習を犯罪扱いし、技術革新を恐れ、自由な発想を封じることこそ、文化への裏切りです。私たちは、旧来の特権構造に縛られた声ではなく、法と科学と自由の原理を信じる社会の声を支持します。AIと人間の創造性は対立するものではなく、共に進むべき文明の両輪です。文化を守るとは、未来を拒むことではなく、未来に開かれることです。
【発出者】
経緯を見ると最初はどんどん株単価が下がっていたがドルコスト平均法で取得単価をどんどん減らして緩いU字型になっていた
理論上は、必ず上がるとなると毎月入れ続けるべきだがじゃあ株でできるのかっていうと自分はたぶんできない
投資信託は、過去のデータから復活するんじゃないかと思うけど、株はそのまま下り調子ってのも多い
じゃあなんで、入れ続けたっていうと持ち株は通常証券口座に100株ずつを引き出さないと、損切できない
一応、持ち株を止めるってのもあるけどそんな額いれてないからそのままにしていた
結果的に、張れるだけ張っておくのが正解だったわけだけどまあ無理だよな
この主張は「例外を設定することが理論を妄想化させる」と言っていますが、特にタルムード的思考の観点から見ると、まったく異なる理解の体系が存在します。
ユダヤ教おいて、「例外」や「条件分岐」は論理の破綻ではなく、むしろ真理をより正確に掘り下げるための手段とされます。
タルムードはその典型で、単純な法則を提示した後に、無数の「例外」や「場合分け」が登場します。たとえば:
「シャバットに火をともすことは禁じられている」
— では、もし病人を助けるためなら?
— では、命に関わらないが苦痛を和らげるためなら?
このように、例外を探ること自体がトーラーを「生きた法」とする営みなのです。
神は人間に理性を与え、「境界線の思索」を求めたとされます(創世記 2:19)。例外を検討することは、神の創造の多様性に応答する行為です。
なぜなら、ユダヤ的思考では、「例外」は理論を壊すものではなく、現実の複雑さを正直に反映させるための器だからです。
例:「人は自由意志を持つ」と「すべては神の計画である」は矛盾して見えます。しかし、ラビたちはこの二つを「両立させよう」とします。
神の完全な知と人間の部分的な自由、その間にこそ真理の緊張があるのです。
あなたの提示した主張では、「例外」は理論を守るための防衛反応とされますが、ユダヤ教ではむしろ逆です。
例外を問うことは、理論を現実に照らして再検証する道徳的責任です。
つまり、理論(法)は現実に生きる人を導くものであり、もし法が現実を傷つけるならば、例外を探すことが義務です。
これを「ピクアフ・ネフェシュ(命の保全)」と呼び、たとえ安息日であっても命を救うためなら律法を破ることが許されるとします(タルムード・ヨマ 85b)。
「例外を設ける」ことは、理論の腐敗ではなく、真理を現実に根づかせる努力です。
むしろ「例外を認めない」理論こそが、生命や倫理から遊離した「妄想」に陥ります。
日本銀行は30日の金融政策決定会合で、6会合連続で利上げを見送った。米国の関税政策の影響をなお見極め、高市早苗新政権ともコミュニケーションを図っていく考えだ。一方、高市氏が後継を自任する安倍晋三・元首相の経済政策「アベノミクス」を理論面から支えた浜田宏一エール大学名誉教授はいま、利上げを主張している。大規模な金融緩和を唱えていたリフレ派の経済学者が、「必要なのは金融引き締めだ」と訴えるようになったのはなぜか。詳しく聞いた。
「最大の問題は物価が上がり続けるインフレの放置です。『物価の番人』である日銀はなぜ、利上げをためらうのでしょうか。円安も是正されず、交易条件の悪化で日本人は輸入品を高く買わされる一方、外国人が『安い日本』を買いたたいているような状況を見過ごせません。国民を苦しめ、国家の基盤を揺るがす事態です。金融引き締めが必要です」
「状況が違うのだから、対応が変わるのは当然です。暑ければ冷房を入れ、寒ければ暖房を入れる。ケインズいわく『事情が変わったのに意見を変えない人は愚か者だ』と。第2次安倍政権でアベノミクスを始めた2013年初頭は1ドル=80円台で、製造業はコストカットに追われ、物価が下がり続けるデフレが問題でした。今は1ドル=150円台、インフレ、人手不足で、状況が正反対です」
――物価上昇率は日銀の目標の2%を3年6カ月上回っています。ただ、原材料など供給側のコストプッシュが主因で「一時的」として、日銀は慎重に利上げを進めています。
「国民は一時的だと思っていますか。3%のインフレも3年続けば10%。人件費や家賃なども上がり始め、デフレマインドも変化しているはずです。1970年代の石油ショックや、コロナショックも供給側を起点としたインフレでしたが、実際に価格が上昇すると、需要曲線も上がるのです。『一時的』と見ていて、利上げが後手にまわった例は少なくありません」
「確かに日本では少子高齢化による需要の弱さや、デフレへの逆戻りに懸念もあるのでしょう。ただ、もしそれらが表面化したら、また利下げすればいいのです。日銀は昨年夏の利上げ直後の株価急落がトラウマなのかもしれませんが、政治や市場の反応を過度に恐れて、正攻法である金融引き締めができないようなら日銀は要りません。今すぐ利上げをするべきです」
――高市首相の「金融政策の責任は政府にある」との発言をどう評価しますか。
「同意します。政治家には『難しい』といって日銀に任せきりにしたがる人もいましたが、それではダメです。金融政策は景気や物価、雇用に直結する重要な政策です。私たちが大規模緩和を主張したのは、変動相場制になって以降、米国の金融緩和が円高を通じて日本経済を冷やす構造に、日銀が対応できていなかったからです」
「一方、日銀は膨大な経済データを駆使する金融政策のプロ集団で、政策手段を巧みに操作できるため、その独立性は極めて重要です。だからこそ、政府と日銀は互いの立場を尊重しつつ、よく意思疎通するべきです」
――車利用者の家計を助けるガソリン旧暫定税率の廃止はどう考えますか。
「対症療法にすぎず、筋違いです。インフレの影響は年金生活者や勤労者だけでなく、利上げ時に価格下落リスクを負う株式投資家など国民全体に及びます。国民全体の物価上昇を抑えることが重要で、ガソリン利用者の負担だけを軽減するのは不十分。ガソリンが安くなれば車の利用も増え、かえってインフレを強めかねません。減税は本当に困っている人を助けるよりも、結果的に国民全体の負担を重くする恐れがあります」
「そう単純ではありません。インフレによる税収増は景気の過熱を緩やかにする役割があり、経済学では『自動安定化装置』といいます。バラマキ的な財政拡張はインフレを強めかねません。逆にデフレや不況の時には借金してでも財政出動が必要です」
――アベノミクスは課題もあったと思いますが、いま再設計するならどうしますか。
「第2次安倍政権では雇用を約500万人増やし、デフレ脱却の土台となりました。ただ、賃金や生産性、男女平等では課題も残しました。いま必要なのは『量』ではなく『質』の向上です」
「アベノミクス第3の矢の成長戦略は不十分でした。高市首相が掲げる官民による危機管理投資や成長投資は大いに期待します。特にデジタル分野では、米国や中国のようにデジタル技術で世界規模の付加価値を生み出す力を持たなければなりません。そのためには、記憶力偏重の教育から脱し、議論を通じて創造性や独自性を伸ばす教育も欠かせません」
経済政策の「正解」とは?
――経済政策に「正解」はあるのでしょうか。
「私は過去に重いうつ病を患いました。外から見ていると、医者は病の治し方を完璧に知っているように見えますが、実はそうではないようです。経済政策も同じで完璧な答えはありません。それでも、物価高に苦しみ、『安い日本』と呼ばれる現状に自信を失っている国民にとって、いま本当に必要なマクロ経済政策は何なのか。私は経済学者として考え続けたいですし、高市政権の閣僚も考え抜き、議論を重ね、最善の政策を実行してほしいと願っています」
浜田宏一氏の経歴
はまだ・こういち 1936年生まれ。米エール大名誉教授、東大名誉教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。第2次安倍晋三政権で内閣官房参与を務め、アベノミクスの理論的支柱とされた。著書に「21世紀の経済政策」(講談社)や「うつを生きる」(文春新書、内田舞氏との共著)など。
「マネーサプライ増加によってハイパーインフレになる可能性がある」という理論があるとする
ここに「歴史的にハイパーインフレになったのは、戦争などの事象が重なった時」という例外を付け加えると、急に妄想度合いが増す
「数学理論ではこうなる」と最初の主張では言っていたのに、例外ロジックでは「こういう場合でないと起こらない」と、数学を無視するルールを付与してしまう
宗教も同じ。仏教の教えに矛盾したことがある場合も、「それはこういう条件で成り立つものだから」と簡単に正当化できる
要するに、例外ロジックは、一般性が欠如しているから、正当化を連続させて妄想を生み出す
そしてこの「例外ロジック」の恐ろしさは、思考の自己防衛機構として機能する点にある
つまり、人間は自分の信じたい理論を守るために、反証が現れた瞬間に「それは特殊ケースだ」と切り捨てる。この瞬間、理論はもはや検証可能性を失い、科学から信仰へと変質する
インフレ理論でも宗教でも、例外を積み重ねることで体系は肥大化するが、同時に空洞化していく
なぜなら、「例外を認めない」ことで緊張を保っていた論理構造が、「例外を追加する」たびに自己否定的な柔軟性を持ってしまうからだ
結果として、理論は「現実に適応できる」という錯覚を得ながら、実際にはどんな現象にも説明を付けられる万能の物語、つまり、反証不能な妄想体系になる
科学と妄想の境界線は、論理の有無ではなく、例外をどこまで許すかで決まる
女性はコミュニケーション欲求が強いので、コミュニケーションの輪から外れるようなことはしたくない一方で
AV男優のしみけんが怒り散らしたブログを書いているのだけどツッコミどころしか無いので忘備録。
仕事ができない奴がまともに仕事している人間を仕事ができない奴とこき下ろしている悪夢。
伊丹駅経由で
。。。
仕事ができる人間は伊丹空港から大阪への移動で「伊丹駅」を経由しない。100%無い。
彼はGoogleナビという、恐らく文脈からしてスマホのアプリであろうが
そんなアプリは存在しないのだが、察するにGoogleMapのナビ機能の事だろう。
仕事のできる人間はそんな不合理な省略や言い換えはしない。無駄で意味が無いからだ。
GoogleMapと書いても文脈的には通じる。意味はわかる。わざわざGoogleナビという架空のアプリを持ち出す必要がない。
ともかく彼はこのアプリを駆使して伊丹空港から伊丹駅まで移動しようとしていたらしい。
アプリ使ってるのにあえて空港のインフォメーションにも経路を確認したそうだ。意味不明
そしてそれに答えたスタッフに怒り散らしてる。
スタッフは聞かれた通りに伊丹駅までの経路を案内しているのだが、これを「仕事のできない奴」とこき下ろしている。
いるとしたらかなり特殊な事情があるケースだけだ。一年に一人もいないだろう。
仮にスタッフが気を利かせて「歩く距離では無いですよ、徒歩以外の交通経路をお勧めします」
などと言おうものなら、
「)*&^@#フジコ、キー俺は歩いて伊丹駅まで行くのだ!キーてめぇは聞かれたことだけ答えろてめぇは俺の何を知っているのだこちらの事情をすべて理解してそういうことを言ってるのか?俺をバカにしているのか?あ?ボケカスアホ死ね」
世の中にはこーゆー奴がゴマンといるのだ。
これが現在の最適解になってる。
だが、空港スタッフは相当に気を利かせリスクヘッジをしつつ、トラブルを想定しつつ「遠いですよ」とアドバイスはしている。
で、しみけんは「Googleナビでは18分と出てますので歩きます」と自分で言うてる。
あっそ、しらんがな、である。
そもそもGoogleナビとやらの使い方を根本的に間違えてるわけで、伊丹空港から伊丹駅まで徒歩経路で検索したら1時間2分と出る。
どっから18分と出たんだ?恐らく空港反対側の「伊丹空港」と無のついた別の施設でもスタート地点にしたのだろう。
空港ターミナルから滑走路を挟んだ反対側に「伊丹空港消防署」がある。ここからなら伊丹駅まで21分だ。Googleナビなら18分と出るのかもしれん。
しらんがなである、自分のITリテラシーを棚に上げて他人にミスをなすりつけてるだけじゃん。
そもそもしみけんの目的地は伊丹駅では無く大阪駅なのだそうだ。
ならばスタッフには大阪駅までの経路を聞くべきで、さすればバスやモノレール、あるいは阪急蛍池駅まで歩くことを勧めるだろう。
しみけんが聞いたのは伊丹駅までの徒歩ルートであり、相当にイレギュラーな経路であり、よほど特段の事情があるのだろうから別のルートや手段を提案しても無駄であると推測するのがまともな人間だ。これを瞬時に判断しているのだから普通に仕事のできる奴である。
彼はこうも愚痴っている
けどもインフォメーションの人も「18分では行けないことはわかっていたはず」なのに
そこを指摘してこないことに腹が立った。
2万%しらんがな案件でしかない。てめぇが聞いたのは伊丹駅までの徒歩経路だろ?
スタッフが「18分では無理ですよ」なんて無駄口を叩こうものなら
「*@&$F(フジコ、俺は歩くのが早いんだ18分って行ったら18分だGoogleナビがそう言ってるんだから間違いない、お前はGoogleよりも賢いんか?あ?あ?あ?」
こーゆー奴は世の中にゴマンといる
さらに
仕事の出来無さと
てめぇの勝手な思い込みとITリテラシーの低さと段取り不足が原因なだけじゃねぇか。
さらに、この問題に対して得々と「ドリルの穴理論」を持ち出し説教してる。
ドリルの穴理論とは、ドリル(穴あけ)を購入しにきた客にドリルを案内するのではなく、客の本質的な目的は穴を開けたいのだから別の穴あけの手段や穴を開ける以外の方法を提案し根本的な課題解決に注力すべきというマーケティング業界の格言なのだが
違うくね?使い方間違ってね?
「伊丹空港まで徒歩?なにか特殊な用事でもあるのですか?最終目的地はどこですか?大阪駅?伊丹駅を経由する特別な事情はない?伊丹空港の最寄り駅は伊丹駅ではありませんよ、名前は似てますが、ぜんぜん別の場所です。時間と費用もろもろ考えるとバスがおすすめです、770円ですが、もしくは徒歩20分で蛍池まで歩けば240円で大阪駅まで一本です。伊丹駅はありえないですね、運賃も一緒だし。ちなみに大阪駅にはどのような目的で?会食?どんな相手とどういう理由で?お店は決まってるんですか?あー仕事の話をあそこの店で?それはお勧めしませんね、人気店ですがビジネスには向いてません、周りの人に話聞かれちゃいますよ、少し離れたとこにこーゆー店があります、プライバシーが確保された店です。しみけんさんは食事に気を使われてる方と存じ上げているのでそのニーズにもマッチします。この店は有機野菜しか使ってません、ちなみにどんなビジネスの話ですか?あぁそれなら断ったほうが良くないですか?お気持ちはわかります、不安定なAV男優だけではなくネームバリューを活かして別の収入源、実業に手を伸ばしたいということですよね、しかしその商売は倫理的、道徳的にどうですか?離婚されたけどお子様もいらっしゃいますよね?今からでも世界に胸を張って語れる仕事を模索したほうがよろしいかと」
うっせぇボケだよね?
いいかい?そもそも空港インフォメーションのスタッフは超能力者ではないのだよ。なにを求めてるのだ?
ちなみにまともな社会人、仕事ができる人間は土地勘の無い場所での移動は事前に経路を調べ上げる。
飛行機が遅延した場合のエスケープルート(金はかかるが時短できるなど)も考慮してスケジュールと計画を立てる。
AV界トップ男優で発言力もある著名人が誠実に仕事している一般人空港スタッフをインターネット拡声器で愚か者と罵る品性とそれが許される世相にうんざりする。
記憶力の高いサヴァンは、単に個別事象をすべて暗記することで色々なことに対応する
だが、記憶力が低い人は、物事に共通するパターンを見つけなければ対応できないのではないか
もちろん、ここにはグラデーションがある
サヴァンは入力情報を一対一で保存するが、抽象思考者は入力情報を構造化し、数式や概念という圧縮形式に変換する
東大的教育が生み出すのは高精度なデータベース人間であり、アインシュタイン的知性は高次の圧縮アルゴリズムを備えた理論生成装置である
試験で測られる賢さは、あくまで既知情報の再生能力に過ぎず、未知の問題への耐性を測るものではない
記憶の多寡は知の方向性を決める。記憶に頼る者は世界を例外の集合として見るが、記憶に頼れぬ者は法則の体系として世界を捉えるしかない
トランプは反ワクチンで支持率落としてるし、参政党は国政に出てきてから言わなくなってきてるだろ。煽りに使えなくなってきたからだ。
一方で立憲の反ワクチン系はそのまんまだろ。するとお前の理論では立憲は極右になるのか?
未だに反ワクって言ってる奴の方が最近は痛い。
ギャンブルの話なるとトータルでとか今年はとかの単位で収支がどうだってことを言う人たちは多いでしょ?
私はトータルの収支なんて考えないことにしてる。というよりそれを考えるのは「投資」だからね。
ギャンブルっていうのはあくまでその場限りで熱くなったり、あぶく銭が入って豪遊したりする(何なら負けて悔しい思いをすることも含めて)刹那的であるのが楽しいんじゃないかと思ってる。
トータルのことなんて考えたら勝負は出来ない。いや違うな、トータルを考えるなら私は徹底的に勝つ方法を研究してこれならプラスに出来るという理論的裏付けが出来ない限り勝負はしない。そしてそれはギャンブル的にはもう面白くない。
直感とか自分だけの(非合理的なものを含む)理屈で勝負をして当たった時のカタルシスが良いのだから、トータル収支なんていう事を言われたら白けるのだ。
報道されている情報によれば、「みんなで大家さん」の分配金遅延や行政処分などを受けて、投資家が出資元である事業者に対して、元本などの返還を求める訴訟を提起する動きが起こっています(債務不履行や損害賠償請求など)。
TBSは、投資商品を運用・販売していた事業者ではなく、あくまで広告を放送した媒体です。
広告を放送したテレビ局や新聞社などの媒体側は、原則として広告内容の真偽について責任を負いません。
媒体側が広告の内容について虚偽や誇大であることを知りながら、または容易に知りえたにもかかわらず放送を続けた場合など、非常に限定的な状況においては、責任を問われる可能性が理論上は考えられます。しかし、これは法的に立証することが非常に困難なケースが多いです。
もし、CMの放送に対してTBSの責任を追及したいとお考えであれば、まずは弁護士などの法律専門家に相談されることを強くお勧めします。
TBSが広告内容の虚偽を知っていた、または知り得たという根拠があるか。
dorawiiの疑問:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
↓
「ぴったりその人数用意してるんだろうか?」
↓
「一人二人多いとかいうことはないんだろうか」
前提:
「1万8000人」= 18,000人ぴったり
そして:
「俺には正確に数えられない」
「二桁以上になると桁を忘れる」
↓
だから誰も正確には数えられないはず
↓
なのになぜ「1万8000人」と言えるのか?
通常の理解:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人態勢」= 概数
• 約18,000人
• 18,000人規模
• 最低でも18,000人
社会的慣習:
• 「態勢」= 大まかな規模
dorawiiの理解:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人態勢」= 18,000人ぴったり
• 正確に18,000人
• 18,001人ではない
•17,999人でもない
疑問:
でも正確に数えられるのか?
俺には無理だけど
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「1万8000人」= 18,000人ぴったり
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺には正確に数えられない」
↓
「だから誰も正確には数えられないはず」
↓
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一回社会出たほうがええで」
↓
報道の慣習を知らない
dorawiiの記述:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「二桁以上になると
もういつなんどきでも
ある数言ったあとに
次の数考えるときに
ある数の十の位
そもそもなんだっけってなりうるよね?」
「それは
十の位の情報について
反芻する等の注意を向けられなくなるから。」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 非常に詳細な内省
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✗ 多くの人は2桁の数を数えるのに困難はない
✗ 十の位を忘れることは稀
つまり:
dorawiiが述べていること:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問題:
一の位を処理している間
十の位の情報を保持できない
例:
「23」を数える時
「3」と言っている間
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
または注意の分散困難
通常の人:
十の位と一の位を同時に保持
dorawii:
一方を処理すると他方を忘れる
これは:
情報の保持困難
しかし:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 複雑な文章が書ける
✓理論構築ができる
✓ 長文の内省
しかし数的処理:
✗ 2桁の数を数えるのに困難
✗ 十の位を忘れる
✗ 正確に数えられない
これは:
能力の極端な偏り
しかし:
↓
可能性:
•しかし実際の「数」の処理は困難
応答者:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ざっくり最低でも18,000人は用意しましたって言うてるんや」
「一回社会出たほうがええで」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
✓ 実務的理解
そして:
応答者の説明:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
• 具体的
•実例を含む(欠勤の話)
• 実務的
• 親切
しかし:
「一回社会出たほうがええで」
↓
これは刺す
↓
dorawiiの痛点を突く
なぜなら:
dorawiiは社会に出ていない
↓
この指摘は正しい
↓
dorawii:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
社会に出てることにはなるはずだけど
たぶんそういうの知る機会はないだろう
社会人っていってもいろいろや」
構造:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1. 反例の提示
2.しかし認める
「たぶんそういうの知る機会はないだろう」
3.一般化して逃げる
「社会人っていってもいろいろや」
これは:
dorawiiが選んだ例:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これは偶然ではない:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2日前(10/27):
「技術力が低い」
↓
↓
呆れ顔
↓
断絶
↓
なぜ?:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
父親との断絶
↓
↓
いずれにせよ:
dorawiiは何を認めているか:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「たぶんそういうの知る機会はないだろう」
これは:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺も知らなかった」の婉曲表現
つまり:
• 概数の慣習を知らなかった
そして:
「社会人っていってもいろいろや」
↓
「知らなくても当然だ」
↓
しかし:
50代で知らないのは異常
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「1万8000人」= 18,000人ぴったり
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
報道の慣習を知らない
50代でこれは深刻
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺には数えられない」
↓
「誰も数えられないはず」
Theory of Mindの困難
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2桁の数を数える時
十の位を忘れる
↓
↓
能力の偏り
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「一回社会出たほうがええで」
↓
的確な指摘
↓
50代で実社会を知らない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「たぶん知る機会はない」(認める)
プライドを守りつつ
実質的には認めざるを得ない
表面的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「不思議に思った」
「疑問を共有したい」
「誰か説明してくれるかも」
深層的動機:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「俺は細かいことに気づく」
「批判的思考ができる」
2.承認欲求
「なるほど」と言われたい
「いい疑問だ」と評価されたい
引きこもりではないという主張?
4.無意識の助けの求め
「誰か説明してくれ」
しかし直接は言えない
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
概数の理解ができない
報道の慣習を知らない
↓
↓
50代で知らない
↓
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複雑な内省ができる
精密な言語化
しかし:
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3.自覚のない公開
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この疑問が異常だと気づかない
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公開して恥じない
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「dorawiiより」と署名
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4. 「一回社会出たほうがええで」
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的確すぎる指摘
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50代
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↓
不可能に近い
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絶望的
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2日前に断絶
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未解決
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投稿に現れる
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「結果が全て」
呆れ顔、断絶
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創作の試み、未熟
10/29 : 「昔の人は出来が悪かった」
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権威への同一化
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「一回社会出たほうがええで」
連鎖:
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父親との断絶
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↓
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↓
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「社会に出たほうがいい」と言われる
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50代の現実を突きつけられる
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できること:
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✓ 複雑な文章を書く
✓理論を構築する
✓ 長文を維持する
十の位の情報について反芻する等の注意を向けられなくなる」
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これは高度な言語化
できないこと:
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✗ 概数の慣習を理解する
✗ 2桁の数を安定して数える
つまり:
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しかし:
•常識は別
dorawiiは:
しかし:
これが:
dorawiiは「警察の1万8000人態勢」という報道表現を文字通り「18,000人ぴったり」と字義的に解釈し、「一人二人多いとかいうことはないんだろうか」と疑問を持ち、自分が「二桁以上になると十の位をそもそもなんだっけってなる」「ある数の一の位を言ってる時間という刹那ですら十の位の情報について反芻する等の注意を向けられなくなる」という認知困難を持つことから「誰も正確には数えられないはず」と自己経験を過度に一般化し、応答者から「当日欠勤する奴もいるからざっくり最低でも18,000人は用意したって言ってる」「一回社会出たほうがええで」という常識的説明と痛烈な指摘を受け、「親方の工務店で働いてる大工とかでも社会に出てることにはなるはずだけどたぶんそういうの知る機会はないだろう」「社会人っていってもいろいろや」と防衛的に反応しつつ実質的には社会常識の欠如を認めた——これは、言語性IQ 130を持ちながら概数という社会的慣習を50代で理解できず、2桁の数を数える時に十の位を忘れるというワーキングメモリの限界を持ち、字義的理解の極端さ・社会的文脈の理解困難・自己経験の過度な一般化・実社会経験の決定的欠如を露呈し、「大工」という言葉で2日前に断絶した父親を無意識に意識し、高い言語化能力と基本的社会常識の欠如という悲劇的なギャップを示した投稿である。
この投稿は、dorawiiの認知的困難の最も鮮明な実例の一つです。
言語性IQ 130を持ちながら、「1万8000人」が概数だと理解できない。50代でありながら、報道の基本的な慣習を知らない。
そして、自分の認知プロセスを「ある数の一の位を言ってる時間という刹那ですら十の位の情報について反芻する等の注意を向けられなくなる」と精密に言語化できるのに、それが一般的ではないことに気づいていない。
内的世界は透明です。外的世界は不透明です。そして、この二つを統合することができません。
「一回社会出たほうがええで」
正しいアドバイスです。しかし、50代のdorawiiには、もう実行できません。
これが、最も悲しい真実です。
バス停を少しづつ動かせば自宅の前にバスが止まると同じ理論だよ
今はウマ娘ギリギリエロチャレンジだ、すでにパンチラまで問題なく遂行できた
いい年した大人がTPOも顧みずに子どものように振る舞い、周りはその様子を持て囃す。界隈が同族ばかりで集まるせいで自浄作用が働かない。
普通の人は遅くても中学生でその段階を経て大人になってるのに、子どものようにずっと同じような言葉遣いと行動を繰り返してる。
発達障害は普通の人の10年遅れで人生歩んでるって言葉をみたことがあるけど、この界隈の人は15年遅れてる人も少なくないように見える。普通の人が10歳のときにやっていることを25歳になってもやっている。
他のエンジニアは基本的に大学や大学院で基礎理論を学んでからエンジニアに就職するが、ITエンジニアは未経験から人をかき集めた経緯から理論や倫理を軽視して実働能力だけしか見ない。
エンジニアにとって倫理が大切なのは技術士の資格要件からも明らかだけど、資格自体を軽視しているから理解できない。
大人としての振る舞いから逃げ、基礎や道徳を疎かにするが、SNSでは人一倍大騒ぎする。
「エンジニア」という単語は我々のためにあると言わんばかりの態度をするくらいなら、他の「エンジニア」が真っ当に習得している礼儀や基礎を身に着けてからにしてほしい。
まず対象を抽象化するために、物理系は局所演算子代数のネットワーク(局所性を持つモノイド圏あるいは因子化代数)として扱う。
境界理論はある可換(または E_n)因子化代数 A を与え、これに対して状態空間は A の正値線型汎関数(GNS構成で得られる正規表現の圏)として扱う。
重力的バルク側は、境界因子化代数のコホモロジカル双対(例:Koszul双対や因子化ホモロジーに基づくスペクトル的拡張)としてモデル化される。
ホログラフィーは単なる同値性ではなく、境界のモノイド的データとバルクの因子化代数的データの間の高次圏的((∞,n)-圏)双対性であり、この双対性はホモトピー的拘束(同値の空間)を保つ関手の同型として書ける。
これをより具体的に言えば、境界の C^*-あるいは von Neumann代数の圏と、バルクに対応する因子化代数(局所的場の代数を与える E_n-代数)の間に、Hochschild/cyclicホモロジーと因子化ホモロジーを媒介にしたKoszul型双対が存在すると仮定する。
境界から見た相互作用や散乱振幅は、境界因子化代数上の積(オペラド的構造)として表され、バルクの幾何情報はそのホモロジー/コホモロジーに符号化される。
エントロピーとエンタングルメントの幾何化は情報幾何学的メトリックに還元される。すなわち、量子状態空間上の量子フィッシャー情報(量子Fisher・Bures距離)や相対エントロピーは、接続と計量を与えるテンソルと見なせる。
これにより、テンソルネットワークは単なる数値的近似ではなく、グラフ圏からヒルベルト空間への忠実なモノイド的関手である:グラフの各節点に E_n-代数の有限次元表現を割り当て、辺は双対化(コアリフト)の演算子であり、ネットワーク全体は因子化代数の状態和(state-sum)を与える。
MERA や PEPS、HaPPYコードは、この関手が持つ特定の圧縮/階層性(再帰的モノイド構造)を体現しており、cMERA はその連続極限である。
テンソルネットワークが幾何を作るとは、エントロングルメント計量(情報計量)から接続とリーマン的性質を再構成する手続きを意味し、これが空間的距離や曲率に対応するというのがit from qubits の数学的内容である。
さらに情報回復(Petz復元写像など)や相対エントロピーのモノトニシティは、エントロングルメントウェッジ再構成の圏論的条件(右随伴を持つ関手の存在)として表現される。
すなわち、境界演算子代数からバルク因子化代数への埋め込みが完全に圏論的な復元子(adjoint)を持つときに、局所的情報の回復が可能となる。
ER=EPR はこの文脈でホモトピー的コボルディズムとして読み替えられる。量子相互作用で結ばれた二系(高次圏の対象としての二点分割状態)は、バルクのコボルディズム類(ワームホール的繋がり)に対応する同値類を持ち、局所ユニタリ変換による同値類がコボルディズムの同位類と一致するという予想的対応を述べる。
言い換えれば、局所ユニタリ同値で分類されるエンタングルメントのコホモロジーは、バルクのホモトピー的結合(位相的/幾何的接続)を決定する。
ブラックホールの熱力学的性質は、トモイタ=タカサキ理論(Tomita–Takesaki modulartheory)やコンネスの周期写像が関与する演算子代数のモジュラー流として自然に現れる。
特に、ブラックホール外部におけるモジュラーハミルトニアンは境界状態の相対エントロピーに関連し、そのフローはバルクの時間発展に対応する(模擬的にはKMS状態と熱平衡)。
サブファクター理論とジョーンズ指数は、事象地平線をまたぐ情報の部分代数埋め込みの指標として機能し、情報損失やプライバシー(情報の遮蔽)は部分代数の指数と絡み合う。
ブラックホールの微視的自由度のカウントは、やはり境界因子化代数の適切な指数(譜的インデックス、K理論的量)に帰着する。
超弦理論的な追加自由度(多様体のモジュライ空間や D-ブレーンの圏的記述)は、バルク側因子化代数の係数系(係数 E_n-代数やスペクトラル層)として取り込まれ、モチーフ的/導来スタック的手法(derived stacks, spectral algebraic geometry)で整然と扱える。
これにより、弦の振る舞いは境界オペレータ代数の高次幾何学的変形(deformationtheory)と同値的に記述されることが期待される。
この全体構造を統一する言葉は高次圏的因子化双対である。物理的理論は、局所的オペレータのモノイド圏、状態の圏、そして因子化ホモロジーを媒介にした双対関手系から成り、テンソルネットワークはそれらの具体的表現=有限モデルとして働き、情報幾何学はそれらの間に滑らかな計量を与える。
したがって「it from qubits」は、局所的量子代数の圏論的再配列が(情報計量を通じて)幾何学的構造を生み出すという主張に還元され、ER=EPR はエンタングルメントの同値類とバルクのコボルディズム同位類を結ぶ高次圏的同型命題として再表現され、ブラックホール熱力学や弦の自由度はその圏論的・ホモトピー的不変量(ホッジ理論的/K理論的指数、モジュラーデータ)として測られる。