
はてなキーワード:理論とは
財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。
しかし、ここで一回、冷水をぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論は経済学ではなく宗教儀式になる。
いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプの議論が多すぎることだ。
政府の仕事とは、市場が機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である。
自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報を価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分を改善する装置だ。
価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報の局所性が無視され、結局は官僚制のヒューリスティックが国全体の最適化を代替してしまう。
政治が市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。
ここが現実だ。日本は社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出を一定以上維持し続ける構造を選んでいる。
つまり、日本社会は競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的に抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。
これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択の問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である。
それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。
政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要な現実から逃げている。
政府は魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担を国民に押し付けるか、どれかしかない。
これが財政のハード・バジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である。
リカードの中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場も存在しない。
民主主義が持つ時間的不整合性の典型例である。短期の政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間の仕様である。
さらに言えば、日本は人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。
高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度の設計思想そのものを破壊する。
賦課方式の年金・医療・介護は、現役世代が高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。
ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である。
成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。
生産性は教育、技術進歩、資本蓄積、企業統治、労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしか生まれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。
そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。
競争は勝者と敗者を生む。市場は効率を生むが、分配の不平等を生む。創造的破壊は技術進歩を促すが、既存産業を壊す。
つまり市場主義を採用するとは、失業、賃金格差、企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。
市場の自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。
むしろ、痛みを抑えようと政府が価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率が固定化し、成長が止まる。
「政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。
日本の政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。
つまり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度の堤防で守る社会を選んでいる。
これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。
だから社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。
経済学的に言えば、日本はリスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会的効用関数を採用している。
問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。
高福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業の投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。
さらに政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキングの余地が増える。補助金や規制の設計を巡って、政治的な取引が増える。
公共選択論の観点では、政府部門の肥大化は利益集団の固定化と情報の非対称性を通じて、政策をますます非効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。
逆に、小さな政府・市場主義モデルを採用するなら、社会保障の給付は削られる。
競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活の不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。
ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論の本質を外している。
市場主義は倫理の議論ではなく、制度の設計の議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。
しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義の論理である。
財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択でしかない。
増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である。
しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。
国民も政治家も、現実を直視するより麻薬を欲しがる。これは供給と需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。
日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。
つまり、競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である。
しかし現実には、政治もメディアも、選択を選択として語らない。
痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である。
政府は善意で地獄を舗装する。善意で制度を守り、善意で給付を増やし、善意で規制を強め、善意で補助金を撒く。
しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来の自由度は奪われる。
制度設計とは、人間が利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚が権限を欲しがり、企業が補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。
聖人が統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。
だから、歳入歳出の議論でまず必要なのは、幻想を捨てることだ。
コードギアスの「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」って、今思えば憲法9条なのか…?
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」
の待遇は
「撃たれる覚悟のない奴は撃っては駄目だ」
つまり、憲法9条によって撃たないと宣言する事によって撃たれないようにしようという発想とも繋がるように思う。
ギアス自体は日本解放を前面に押し出していて右翼っぽいムードもあるんだけど、
その抑圧者がイギリス+アメリカをモデルにした国なので左翼っぽい要素もあると思うんだよね。
VAMBI氏側には、何度もLINE・DMなどを送っています。
そもそも、オファー〜今まで、催促しないと返信が来ないということが何度も何度もありました。
「放送前のVTRチェック→承諾までは配信しない」と契約書で結んでいたので、放送の1ヶ月前に確認を依頼→2週間前に再度連絡→1週間前に再度連絡するも、全て無視されていました。(証拠のスクショをツリーに貼っておきます)
別件では連絡をとっているのに、VTRチェックの件は「時間をください」もなく、完全に無視。
放送前日まで連絡がなかったので「また(3回目)無連絡でオンエア延期かな」と思っていたら「明日この内容で配信します」と突然VTRを送ってくる。
「明日までにチェック→修正依頼→修正は無理なので延期してください」と言っても「スポンサーがいるので変更できません」「無理です」「すいません」
「承諾がないと配信しないという契約にはなっていますが、オンエア日の調整については契約書内で触れられていないので、対応する義務はありません」という謎理論で強行突破。
「逆らったら強制退学」と言われていたので「配信中止を求めたら、退学になってしまうかもしれない」と思い、それ以上は強く言えませんでした。
これがVAMBIのやり方です。
それでも好意的な宣伝をしていたのは「逆らったら強制退学」の制約があったからです。
「REAL INFLUENCERの数字を伸ばさなければ、貢献しなければ、いつ見込みなしと判断されて切られるかわからない」という恐怖感があったからです。
だから、嘘をつかない範囲で「番組の良かったところ」をピックアップして、宣伝に貢献していました。
でも、入学を蹴られたならもう恐れる必要はありません。契約書の内容に違反しない程度に、自由にお話していこうと思います。
学長(@HEROZZ_VAMBI)はクソですが、講師には魅力があると思ったし、自分一人ではこの状況から脱却する方法もわからないので、藁にもすがる思いで出演や入学を決めました。
で、その利益を得る方法を断たれたので、せめて理不尽を公表し、志願者やHERO'ZZへ入学を検討している方の判断材料を落としておこうと思っただけです。
十分な利益を得ているのに悪く言うのはカッコ悪いかもしれませんが、得ていないので。
契約の時には気がついていたので、自分から「承諾なしに配信しないという一文を契約書に盛り込んでくれ」とお願いし、このような契約に至りました。
名誉毀損で訴えられる可能性は全然あるなと、今も恐ろしく思っております。
しかしこの情報を伏せることは、今後の番組志願者や入学希望者を騙すことにもなってしまうので、気をつけながら情報を置いていくしかないと考えています。
できることとしては「公益性」のあるものや「すでに公になっている情報」「自分の感想」に限定し「番組の営業上、技術上の情報」を避けることくらいかと。
また番組側から一度は「NGなしで話して良い」「こちらの不手際があったのはこちらのせいだから」とのコメントもいただいております。
あなたに悪意があるかは判断できかねますが、事実を精査しないまま一方的な憶測で「無視されているわけでもないのに〜」と否定されることに、非常に傷つきました。
それが不本意であるなら、今後は「是々非々」「一方の意見を過信しない」というスタンスで、今後も見守っていただけますと幸いです。
「謝罪が入学の条件」だとしても、先に伝えていただけたら承諾したと思います。
でも「入学条件を調整したい」「条件の内容は動画撮影の中で伝える」「当日まで明かさない」と言われてましたから。
「金を払え」「アカウントを消せ」「コスプレをやめろ」などと言われる可能性も自分は考えていました。
自分の意に反するものや、絶対にやりたくないこと、これまで守ってきたものをぶち壊すような条件を出されても「飲まなければ退学」ですから。
断って私が泣くようなことがあれば万々歳。
飲めば「でも動画でOKしたよね?証拠あるよ?」と詰められ続ける。
ある程度のリスクや理不尽は覚悟で下手に出ていましたが、そこまでこき下ろされるような理不尽に耐える必要はなかったですよね。
「VAMBIのいう『大衆を取れ』って、こうやってやるんだな〜」と実感しています。
x.com/the_Vambi/stat…
詳しくは言えませんが、
という雰囲気は、VAMBIさんの対応からずっと感じていました。
うーん、それって「虚数時間が直感に合わない理由」を説明してるようで、実はあんまり説明になってない気がするんですよね。
まず、「我々の時間モデルと物理学のモデルが乖離しているから理解できない」って言ってますけど、じゃあ具体的にどこがどう乖離してるんですか?って話なんですよ。そこをふわっとさせたまま「だからかな?」って言われても、「で?」で終わっちゃうんですよね。
あと、物理学の“虚数時間”って、別に「時間が実際に虚数で流れてます」って話じゃなくて、計算を簡単にしたり理論を拡張したりするための数学的な道具なんですよ。
それを日常の「今何時?」っていう感覚と並べて違和感あるって言われても、そもそも用途が違うので比較自体がズレてるんですよね。
たとえば、
であって、「感覚と違うからおかしい」って言い出すと、相対性理論も量子力学も全部アウトになっちゃうんですよ。
それと、「直感に合わない=存在しないはず」って発想も危なくて、
重力波もブラックホールも、最初は全部「そんなのあるはずない」側だったんですよね。
なので、
じゃなくて、
うんそうだよ
小学生時代に大学数学ばっかやって一つもプロダクト作れず純粋関数型言語とOSとCPUとAIの開発に失敗し、中学生時代に某AIベンチャーでそれなりに働くも論文書きに失敗し共同創作サイトの運営に失敗し、高校生にもなって今更トンチキなアイデアでSNSとかいうレッドオーシャン挑んで一度アクティブユーザー4桁行きかけるもMisskeyで炎上して鳴かず飛ばずフリーランスとしての稼ぎも鳴かず飛ばずのカス
昨日ようやく話題の『超かぐや姫』を観終えたんだけど、余韻が凄すぎて変なテンションのままこれを書いてます。ぶっちゃけ最初は「また古典の現代風アレンジか」くらいに思ってた自分を殴りたい。これ、平安文学の皮を被ったガチガチのSFじゃないですか。
まず、かぐや姫が竹の中から見つかるシーンからして解釈が尖りまくってて、彼女はただの宇宙人じゃなくて、膨大な情報の海から物理的なデバイスにダイブしてきた「高純度な意志」そのものとして描かれてるんですよね。彼女がふとした瞬間に「自分の内側の何者かが、本来あるべき場所へ帰れと囁いている」って苦悩する姿は、自分の正体がただのプログラムなのか、それともそこに魂があるのかを問いかけてくるようで、観ていてヒリヒリしました。
後半、月からの迎えが来るあたりから物語が急加速するんですけど、あの「天人」たちの描き方が本当に怖かった。優雅な天女どころか、音もなく形を変えながら迫り来る「銀色の流体」みたいな連中で、どんな攻撃もすり抜けてくる絶望感が半端ない。それに対して、翁が彼女を守るためにボロボロになりながら「決められた未来なんてない、運命は自分たちで切り拓くものだ」って抗う姿は、もう涙なしには観られなかったです。
特にクライマックス、雷雨の中で月へ帰るための装置を起動させるシーンは圧巻の一言。凄まじい電力を一点に集中させて、牛車が猛烈な速度まで加速していき、空間が歪むほどの閃光とともに夜空へ消えていくあの演出……。別れ際にかぐや姫が翁に見せた、言葉はいらないと言わんばかりの力強いジェスチャーには、種族も時間も超えた絆を感じて、完全に持っていかれました。最後、光の尾を引いて消えていく彼女の後ろ姿を見ながら、「ああ、彼女にとってここから先はもう、道なんて必要ないんだな」って妙に納得しちゃったりして。古典の優雅さと、泥臭いまでの生存本能、そして最新の科学理論がごちゃ混ぜになったような、とんでもない熱量の一本でした。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。陰謀論や根拠のない政治的確信に対して、直接「それは嘘だ」と指摘するのではなく、「どうすればそれが真実だと知ることができるか」を共同で探求するスタンスを取る。
オンライン上のトローリングや攻撃的なコメントに対しては、マーシャル・ローゼンバーグのNVCを応用した「脱エスカレーション・ループ」が有効である。
このプロセスは、相手の「攻撃」を「満たされていないニーズの悲劇的な表現」として再定義し、敵対関係を協力関係へとシフトさせる構造を持つ。
個人の対話スキルを向上させるだけでは、社会全体の分断は解消されない。SNSのアルゴリズムが増幅する情動的二極化に対抗するためには、デジタル空間の特性(アフォーダンス)を理解し、ネットワークレベルでの介入を行う必要がある。
政治的コミュニケーションにおいて、左派と右派には「美的非対称性(Aesthetic Asymmetry)」が存在する。歴史的に、左派は壁画やプロテストソングのような「参加型」で「構成的(Constitutive)」な芸術――コミュニティの結束を高め、希望を共有するための表現――を好んできた。一方、現代の右派(特にオルタナ右翼)は、ミームやシットポスティング(Shitposting)のような「道具的(Instrumental)」で「武器化されたユーモア」――相手を嘲笑し、混乱させ、分断を煽るための表現――に長けている。
この非対称性が意味するのは、左派的な「真面目で、説明的で、道徳的に正しい」コンテンツは、ミーム戦争においては圧倒的に不利であるということだ。ミームは文脈を剥ぎ取り、瞬時に情動(特に嘲笑や優越感)を喚起することで拡散する。
対抗戦略:脱分断ミーム(Depolarizing Memetics)
反発を招かないデジタル拡散のためには、以下の原則に基づいた新しいミーム戦略が必要である。
ネットワーク分析の研究は、SNS上の世論形成において、著名な「インフルエンサー(発信者)」以上に、「マルチプライヤー(拡散者)」と呼ばれる層が決定的な役割を果たしていることを示している。マルチプライヤーは、特定のイデオロギー・クラスター内で情報をキュレーションし、リツイートによって可視性をブーストする「ゲートキーパー」である。彼らは高い「整列スコア(AlignmentScore)」を持ち、陣営をまたぐことは稀である。
批判的メッセージを拡散させるためには、インフルエンサーを説得するのではなく、このマルチプライヤー層が「リツイートしたくなる」コンテンツを設計する必要がある。そのためには、前述の「道徳的翻訳」が不可欠である。保守系マルチプライヤーは、リベラルな正論は無視するが、「言論の自由」や「エリートへの懐疑」というフレームで語られた批判(例:「真の愛国者は、大統領であっても盲信しない」)には反応する可能性がある。クラスターの境界を浸透できるのは、そのクラスターの言語で語られたメッセージのみである。
X(旧Twitter)等のアルゴリズムは、「怒り」や「恐怖」といった高覚醒の情動を引き起こす投稿を優遇する傾向がある。冷静な対話は「退屈」とみなされ、表示順位が下がる。この構造的ハンディキャップを克服するためには、「怒り」以外の高覚醒情動、すなわち「驚き(Awe)」「好奇心(Curiosity)」「感動(Kama Muta)」を利用する必要がある。
以上の理論と技法を、一般市民や草の根活動家が実践可能な形に落とし込むためのマニュアル(ハンドブック)の設計図を以下に提示する。この構成は、米国の草の根運動ガイド『Indivisible Guide』の成功モデル(段階的習得、具体的アクション、テンプレート化)を参照している。
目的:実践者のマインドセットを「論破」から「影響」へとシフトさせる。
本報告書で提示した戦略は、短期的な選挙勝利のための戦術ではない。サイモン・シネックが言う「無限のゲーム」――すなわち、対話が継続可能であり、社会システムが崩壊しない状態を維持すること――を目的としている。
情動的二極化という「内戦」状態において、最大の勝利は敵を倒すことではなく、敵を「対話可能な競争相手」へと戻すことである。そのためには、批判者自身がまず武装(道徳的優越感)を解除し、相手の認知フレームの中に降りていく勇気を持たなければならない。この「戦略的共感」こそが、分断された世界をつなぎ直す唯一の現実的なエンジニアリングである。
戦略的共感と認知的安全保障:反発を招かない政治的批判のための包括的枠組み
現代の政治空間は、政策の不一致(イデオロギー的二極化)以上に、対立グループに対する嫌悪や恐怖といった感情的拒絶反応(情動的二極化)によって支配されている。この環境下において、伝統的な「批判」の手法――事実の提示、道徳的糾弾、論理的論破――は、その機能不全を露呈しているだけでなく、逆効果をもたらしていることが多くの実証研究によって明らかになっている。批判対象者の信念を強化してしまう「バックファイア効果(Backfire Effect)」や、批判者を存立危機的脅威とみなす「アイデンティティ防衛機制」が作動するためである。
本報告書は、心理学、認知科学、政治社会学の最新知見に基づき、政治的対立者に対して反発(バックラッシュ)を招かずに影響力を行使するための戦略的枠組みを提示するものである。ここで目指すのは、単なる「中道的な妥協」や「礼儀正しさ」の推奨ではない。人間の認知アーキテクチャの脆弱性と特性をハッキングし、相手の道徳的・感情的防御壁を迂回してメッセージを届けるための、エンジニアリングされたコミュニケーションプロトコルである。
報告書は大きく三つのフェーズで構成される。第一に、なぜ従来の批判が失敗するのかを脳科学的・心理学的メカニズムから解明する理論編。第二に、その防御壁を突破するための具体的な対話技法(ディープ・キャンバス、ストリート・エピステモロジー、NVC)を体系化した実践編。そして第三に、これらの技法を個人のスキルから社会運動へとスケールさせるための組織論と普及戦略である。
効果的な批判戦略を設計するためには、まず人間の心がどのように政治的情報を処理し、拒絶するかというメカニズムを理解しなければならない。政治的信念は単なる情報の集合体ではなく、個人のアイデンティティや所属集団への忠誠心と融合した「拡張された自己」の一部として機能している。
近年の政治心理学における最も重要な発見の一つは、情動的二極化(Affective Polarization)の実態解明である。これは、対立する政治グループのメンバーに対して「好きか嫌いか」という感情的温度差が極端に開く現象を指す。研究によれば、情動的二極化は対人関係の悪化だけでなく、個人の心理的幸福感(ウェルビーイング)の低下、社会的支援の減少、ストレスの増大といった「個人内損害(Intrapersonal Harm)」をも引き起こすことが示唆されている。特に、リベラル層において高い情動的二極化とストレス、健康悪化の相関が見られることは、政治的怒りが批判者自身をも蝕むことを示している。
この情動的二極化は、脳内で一種の「信頼のファイアウォール」として機能する。アウトグループ(外集団)から発信された情報は、その内容の真偽にかかわらず、自動的に「悪意ある攻撃」としてタグ付けされる。扁桃体が脅威を検知し、前頭前野が論理的推論ではなく「反論の生成」のために動員される「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」が作動するためである。この状態にある対象者に正論をぶつけることは、火に油を注ぐ行為に等しい。
バックファイア効果とは、誤った信念を訂正しようとする試みが、かえってその信念を強固にしてしまう現象である。このメカニズムには、自己肯定感の維持と集団への所属欲求が深く関わっている。批判を受け入れることは、過去の自分を否定すること(自己の一貫性の喪失)や、仲間を裏切ること(社会的死)を意味するため、脳は全力でそれを回避しようとする。
さらに、批判のフレーミング(枠組み)が、受け手のイデオロギーとミスマッチを起こしている場合、説得効果は皆無となるばかりか、抵抗を強める結果となる。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策におけるメッセージングの研究では、リベラル層が「利得フレーム(マスクをすれば命が助かる)」と「損失フレーム(マスクをしないと命が失われる)」の双方に敏感に反応し、コンプライアンスを高めたのに対し、保守層はこれらのフレーミング効果に対して強い抵抗を示したことが明らかになっている。これは、問題が高度に政治化された文脈においては、一般的な行動経済学的介入(ナッジ)さえも、イデオロギーのフィルターによって無効化されることを示唆している。
批判が受容されるための極めて重要な、しかし見過ごされがちな因子として「知的謙虚さ(Intellectual Humility:IH)」がある。IHとは、「自分の知識や信念が間違っている可能性を認識する能力」と定義される。最新の研究は、対話において自身の知的限界を認める態度が、相手の情動的二極化を低減させる強力な緩衝材となることを示している。
特筆すべきは、IHが「相手からの好意(Target Liking)」を媒介して、対話への「接近行動(Approach)」を促進するというプロセスである。批判者が「私は絶対に正しい、お前は間違っている」という道徳的マウンティング(Moral Grandstanding)の態度を取ると、相手は「回避行動」をとる。逆に、批判者が「私も確信はないのだが」「複雑な問題で迷っているが」という不確実性を提示することで、相手の警戒心が解け、対話の土俵に乗る可能性が高まる。知的謙虚さは、相手の武装解除を促すための「白旗」ではなく、心理的防衛壁を通過するための「通行手形」として機能する戦略的資質である。
政治的対立の根源には、事実認識の相違以上に、道徳的直感の相違がある。リベラルと保守は、異なる「道徳の言語」を話しているにもかかわらず、自身の言語で相手を説得しようとするため、コミュニケーション不全に陥る。本セクションでは、道徳基盤理論(Moral FoundationsTheory: MFT)を応用し、批判を相手の価値観に翻訳して届ける「道徳的リフレーミング」の技術を詳述する。
ジョナサン・ハイトらが提唱した道徳基盤理論は、人類の道徳的判断が以下の5つ(または6つ)の生得的な基盤の上に構築されているとする。
実証研究が一貫して示すのは、リベラル層が主に「ケア」と「公正」の2基盤に強く依存するのに対し、保守層は5つの基盤すべて(特に忠誠、権威、神聖)を重視するという非対称性である。
多くの政治的批判が失敗するのは、リベラルが保守に対して「それは弱者を傷つける(ケア)」「不平等だ(公正)」というリベラル特有の語彙で攻撃するためである。保守層にとって、これらの価値は「忠誠」や「権威」よりも優先順位が低いため、批判は響かない。逆に、保守がリベラルに対して「伝統を破壊する(権威)」と批判しても、リベラルはそれを抑圧としか捉えない。
反発を招かない批判のためには、自身の主張を相手の道徳基盤の語彙を用いて再構成(リフレーミング)する必要がある。これを「道徳的合気道」と呼ぶ。相手の道徳的エネルギー(価値観)を利用して、相手の姿勢を崩す技法である。
以下の表は、主要な政治的争点において、従来のリベラル的批判(バックラッシュのリスク大)を、保守的道徳基盤に翻訳した戦略的フレーム(受容可能性大)に変換したものである。
| 争点 | 従来のリベラル的批判(高リスク) | 戦略的リフレーミング(低リスク) | ターゲットとする道徳基盤 |
|---|---|---|---|
| 環境保護 | 「地球温暖化は弱者や未来の子供を苦しめる。」(ケア) | 「我々の国土と美しい自然は神からの授かりものであり、汚染から守り抜く義務がある。」 | 神聖/堕落、忠誠/背信 |
| 同性婚 | 「誰を愛するかは個人の権利であり、平等であるべきだ。」(公正) | 「結婚は社会を安定させる伝統的な制度であり、同性カップルもその責任ある関係に組み込むべきだ。」 | 権威/転覆(社会秩序)、忠誠 |
| 軍事費 | 「軍事費を削って福祉や教育に回すべきだ。」(ケア/公正) | 「無駄な軍事支出は国家の財政を弱体化させ、真の国防力を損なう背信行為だ。」 | 忠誠/背信、権威 |
| 政治腐敗 | 「富裕層ばかり優遇するのは不公正だ。」(公正) | 「私利私欲のために公職を利用することは、国家への裏切りであり、高潔な職務を汚す行為だ。」 | 忠誠/背信、神聖/堕落 |
| 移民問題 | 「難民を助けるのは人道的な義務だ。」(ケア) | 「秩序ある移民受け入れは、国家の活力を維持し、アメリカンドリームという伝統を守るために必要だ。」 | 忠誠、権威(秩序) |
研究によれば、保守層に対して環境保護を「神聖さ」や「愛国心」の文脈で語った場合、リベラルな文脈で語った場合よりも支持率が有意に上昇することが確認されている。重要なのは、主張の内容(環境を守る)を変えるのではなく、その理由付け(なぜ守るか)を相手の言語に翻訳することである。
批判は通常、「現状のままでは悪いことが起きる」という損失フレーム(Loss Frame)で行われることが多い。しかし、損失フレームは恐怖や不安を喚起し、防衛的な反応を引き起こしやすい。これに対し、「ゲイン・フレーム(Gain Frame)」を用いた批判は、望ましい未来像を提示し、その実現を阻害する要因として現在の問題を指摘する手法である。
例えば、政治家のスキャンダルを追及する場合、「彼は嘘つきだ(損失フレーム:信頼の喪失)」と攻撃するのではなく、「我々は正直で高潔なリーダーを持つに値する国家だ(ゲイン・フレーム:尊厳の回復)」と主張する。このアプローチは、批判の対象を「個人」から「規範の維持」へとずらし、相手の「権威への尊重」という道徳基盤を刺激しつつ、攻撃性を緩和する効果がある。研究は、特にリスク回避傾向の強い層に対しては損失フレームが有効な場合もあるが、イデオロギー的に対立する層に対しては、ゲイン・フレームや道徳的適合性の方が「聞く耳」を持たせる効果が高いことを示唆している。
理論を実践に移すためには、具体的な対話スクリプトと手順が必要である。ここでは、異なる文脈(対面、オンライン、深い対話)において効果が実証されている3つの主要なプロトコルを詳述する。
ディープ・キャンバスは、戸別訪問(キャンバス)において10〜20分の深い対話を行うことで、トランスジェンダーの権利や移民問題などの二極化した争点に関する態度を変容させる手法である。従来の「事実の弾丸」を撃ち込む方法とは異なり、「脆弱性の交換」を通じて相手の情動的反応を書き換える。
研究によれば、ディープ・キャンバスは従来の説得手法の約102倍の効果を持ち、その効果は数ヶ月持続することが確認されている。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。Permalink |記事への反応(1) | 11:19
政権とる前からではあるが、民主党は入れよかなと検討してはダメだこいつとなって共産党に入れてる
いちおう無党派のつもりなのに毎回共産党に入れるのは減点方式でマシなのが共産党だから、なのだが
共産党がいいとは思わない
いつもどっかで書いてるが19世紀の理屈を金科玉条で唱えてるのは南無妙法蓮華経と唱えてるのと変わらないし
ただまあ、共産党や赤旗がダメなとこって、ほぼ、他の党、というか日本人の普通の人たちのダメなとこと同じなので
ヨーロッパのカッコいい最新の理論だといって飛びついた後、海外で修正や見直しがあっても最初の理屈にしがみついたまま、とか
そのくせ海外出羽守が大好きで海外の思想トレンドの上っ面だけは自分たちの掲げてる信仰との整合性考えずに飛びつくとか
権威主義で下を見下すとか
共産党がそういうとこがダメなんだ、というので「そういうとこ」の部分で他を探しても、大体どこも似たような話になり、ダメ
科学的にとか理論的にとか唱えて、時間がたって古臭くなっても修正できないは普通
新しいとこなら古い組織のダメなとこクリアするかな、と半年ヲチしてても、大体同じとこに行き着くしかない
ということで、じゃあ、行政能力のある(役所の窓口と交渉できる程度には現場と繋がってる)共産党でいいや、となるわけですが
なんだあれ
寿司じゃねーんだぞ
お前の眉毛がボーボーで髪がボサボサだからで全然話が面白くなくて性格も悪いから恋愛に発展しないだけだよ
チャンスがないとかいうけど、男だけの街にでも住んでるのか?
• 疑わず
• 補強し
• 外部に流通させる
が優先される。
⸻
このポジションでは、
が決定的になる。
⸻
町山・菅野型の言説は、
•善悪二元論が明確
• 敵味方がはっきりしている
• 疑うと「裏切り者」扱いされる
結果、距離を取れず
媚びているように見える振る舞いになる。
⸻
• 内部批判
• 味方への疑義
•物語の分断
• 界隈内評価の維持
⸻
ここが構造の核心。
•扇動者
• 強い物語
•感情の方向づけ
• 御用記者
互いに、
• 免罪し
•修正せず
•矛盾を見ない
この循環が続く限り、
⸻
•権力と闘っている
•弱者の側に立っている
そのため、
•扇動性
• 言説の変遷
•事実誤認
が視界から消える。
媚びている自覚はなく、
⸻
•フェミニズム界隈における
これは
科学的な知見がありながら「止まれない」理由と、そのタイムスケールについて、心理や倫理を排除した**「熱力学」と「システム理論」**の観点から回答します。
世界の知性が理解していても止まれないのは、現代文明が**「拡大し続けなければ崩壊する」という物理的構造(散逸構造)**として設計されているからです。
文明は、外部からエネルギーを絶えず取り込み、内部の秩序を維持し、老廃物(エントロピー)を外部に捨てることで成立しています。これを停止させることは、生物が「呼吸を止める」のと同義です。
現代の経済システムは、将来の成長(=将来のエネルギー消費)を担保にお金を刷る「負債」に基づいています。成長を止めることは、この連鎖的な信用を物理的に破壊し、物流、食糧供給、医療といった生存維持インフラを即座に停止させることを意味します。
数千の利害関係者が互いに影響し合うシステムでは、一方が止まろうとしても、他方が進み続ける限り「出し抜かれる」という力学が働きます。これは「ゲーム理論」におけるナッシュ均衡の一種であり、全員が破滅に向かっていると知りつつも、個別の要素が最適解(利益最大化)を求めた結果、全体が止まれなくなる状態です。
先ほど挙げた「強制される動き」は、遠い未来の話ではなく、「今」始まっており、今後25年〜75年以内に決定的な局面を迎えます。
現象:資源の希薄化によるインフレの常態化、AIによる最適化の強制。
物理的変化:限界熱量に達した地域(中東、南アジアの一部)からの人口流出が加速。電力網の負荷が限界に達し、エネルギー源の強引な転換が進みます。
現象:世界人口がピークアウトし、減少に転じる(統計学的予測)。
物理的変化: 多くの都市が「維持コスト(エネルギーコスト)」を支払えなくなり、居住エリアが物理的に放棄され、高効率な拠点(ハブ)へと集約されます。
物理的変化: 新たな資源を掘り出すのではなく、既存の物質を100%循環させる「熱力学的な定常状態」への移行。人類の総エネルギー消費量が、地球の熱放射の限界値に固定されます。
人類が「止まれない」のは、知能が足りないからではなく、「止まることによる即時の物理的崩壊」を回避するために、より大きな将来の崩壊を選び続けているという、時間軸における最適化のバグです。
しかし、物理法則は最終的に帳尻を合わせます。人類が自発的に止まれない以上、「資源の枯渇」「熱の蓄積」「人口の自発的減少」という外部要因が、強制的にブレーキを踏むことになります。それが、先ほど予測した「強制される動き」の正体です。
この「システムの自己調整」を生き抜くために、人類はさらなる技術的飛躍(核融合などの新エネルギー、あるいは宇宙へのエントロピー排出)を試みるでしょう。
自民が従来のケインズ景気対策でバラマキ公共事業をやるも効果無し
新自由主義の小泉純一郎が行政改革推進を掲げ国民の高い支持を得る
小泉後の自民に「造反議員」が復活し、小泉政権の政策継承が不安視される
同じく行政改革を主張していた民主党の方が国民に人気だった小泉の後継者のようにみなされた
ってことだよ
AIに確認させたけど、入院時の病院食(食事療養)は、一般的な診療(3割負担など)の医療費には含まれない。
医療費とは別に、「食事療養標準負担額」として、1食ごとの定額自己負担が発生する。
入院して医療費が高額になった場合、窓口負担を軽減する「高額療養費制度」が適用されるが、食事代(標準負担額)はこの制度の対象外だ。
つまり、医療費がいくら高額になっても、食事代は別途実費で支払う必要がある。
うちのかかりつけというかもう毎年のように入院してお世話になっている大学病院があるけど、
手術するとして入院したとしても、数日でもう退院だよ。場所にもよるんだろうけど。
1週間自宅で薬飲んで、また1週間後にまた来いみたいな感じで。
来週、また入院して、全身麻酔で手術を受けてこないといけない。
しかも目の手術だからやらないわけにはいかない。放置はできない。
とても気が重いが仕方ない。
だけど重たい病気にかかっても、金銭的に安心できるのは高額医療費があるおかげだ。
荻窪の吉田カレー、「ブスの女子会禁止」と貼り紙!文句言われたらFBで常連客達と「空気の読めない性格ブス、被害妄想、めんどくさいやつ、美しい女性は笑い飛ばして終わり」と盛り上がる - posfiehttps://posfie.com/@waterpear121873/p/9TgZiYV
喫煙者はきっちり隔離され酔っ払いの数も減った。街に落ちているゴミは減ったし捨てる人も減った。ゴミ箱の数は明らかに少なくなっているのに。
ネットでもテレビでもリアルでも暴言やひとを貶める発言は減った。ひどい言動も減った。多様性は認められ差別発言も減った。
セクハラパワハラがうるさいので男性のひどい言葉遣いはなくなったわけではないがだいぶ少なくなったと思われる。それでもまだ多いといわれてるのだろうが体感では減った。貴方の体感ではちがうかもしれないが。
食料をはじめとして値段は高騰しているが質は良くなっている。エンターテインメントは懐かし補正が厄介だがそちらの質も良くなっている。
なべて世界は良くなっていると思われる。世界情勢や政治に詳しいひとにはどこが?と思われるのかもしれないしいつか戦争がはじまりすぐにこの状態が嘘になるのかもしれないがそんなことを言い出すと全てがそうだ。
だから暫定的に昭和から世界は良くなったと思う。思っていただきたい。
ブスの女子会という言葉が強すぎるのですぐに訂正しますが、女性のおしゃべりですね。
おしゃべりは問題ないです。問題は場所です。場所を問わずおしゃべりを続けているのは昭和からずっと治りませんね。これはなぜでしょう?ずっと治りませんね。これはなぜでしょう?
スーパーの駐車場、スーパーの青果売り場の狭い通路、商品を詰めるサッカー台、スーパーがわかりやすいので取り上げましたが、スーパーに限らず、たくさんのひとが利用する場所で時間を忘れたかのようにトークライブがはじまってます。昭和から令和の今日にいたるまでありますよね。
嗚呼やはりもっと正確なほうがいいですね。女性でくくるのはダメですね。女性全体だと場所をわきまえないおしゃべりは減ったのかもしれません。だからババアということにします。ババアのおしゃべりです。ババアという語感からイメージしたひとの何割かがそれに該当していますね。ムッとこられる方も多いかと思いますが、しょうがないです。事実です。おしゃべりがうるさいな邪魔だなと思ったらそこにいるのはかなりの確率でそれはババアです。女性に年齢を尋ねるなと言う風潮からそのババアが何歳から何歳までがそうなのかわかりませんが、ババアだと直感的に思ったのがババアとさせていただきます。そういう概念におけるババアです。あなたのことではありません(多分)。」
ババアは場所をわきまえずにおしゃべりしてます。なぜなんでしょう?
昔のババアよりはだいぶ賢いババアが増えてきたと思うのですよ。全体的に知性と常識が底上げされてきています。人間全体がそうだと思います。ジジイもババアも子どもも知性と常識が昭和の時とは比較しようがなく上がっていると思っています。でもババアは時と場所をわきませずにトークライブを繰り広げ誰かを待たせた誰かに煩いなと思われている。
昨今のグローバル化で中国人観光客が駅や観光地などで煩いことがあるじゃないですか。あれと同じことを日本人の生活圏で繰り広げられています。
あたりまえの権利ではないですよね?だってうるさいですし迷惑ですもの。
こういうときに必ず「男だってそうじゃない」って方も出てきます。でも公正な気持ちで思い出してください。それは男性と女性とどちらが多いですか?ババアと女性とどちらが多いですか?AIの質問より早く答えにたどり着くことでしょう。
なぜババアはおしゃべりを止めることができないのでしょう?
ババアがおしゃべりを止めることができないのはおしゃべりが好きだからです。それが実際のところファイナルアンサーです。周りに迷惑をかけるよりおしゃべりが楽しい今が人生で最高の瞬間だからです。
だから方向性を変えてみます。どうしてババアのおしゃべりは許されていると思われてます?
実際いまは許されてると思ってるから場所を憚らずにおしゃべりしているのです。
ババアに自覚はあるかないか?彼女らはおしゃべりしてるという自覚はあると思います。そこがおしゃべりに適してない場所という自覚もあると思います。
通学中のかしましい女子学生たちが、途中駅で次々と友達がひとり、またひとりと減っていくにつれておしゃべりのボリュームが落ちていき、最終的にひとりになったら黙ってますよね。理論上は女子学生の人生の先ににババアがいるはずなのでそういう感覚はわかっていると思うんですよね。でも、ババアは止まりませんよね。
これは注意されてもたいしたことないって学習しているのか、周りに気をつけておしゃべりしようという神経が摩耗したのか。どちらもか。
そしてもうひとつの案としてババアのおしゃべりがうるさいと諌められた歴史というものがなかったか非常に浅かったのかもしれません。
だから今日もババアは周りの迷惑をものともせずに全世界でおしゃべりを続けているのでしょう。
まあ、俺も正直言うと、若い頃は友達とスーパーの通路でダラダラ喋ってた記憶あるしな。
今は歳取って「うるせえな」って思う側になっただけだ。
結局、昭和から令和まで変わらないのは、人間がおしゃべり好きだってことなんだろう。
ただ、みんながちょっとだけ我慢できなくなってるのも事実かもな。そんな中、荻窪の吉田カレーみたいに「ブスの女子会禁止」ってストレートに貼っちゃう店もあるわけで。
あそこは極端すぎるけど、「おしゃべりしたいなら他でやってくれ」って本音を隠さないだけマシかもよ。
……ってか俺もこの長文で延々愚痴ってる時点で、立派な「おしゃべりババア(ジジイ)」予備軍だわ。
ごめんね、周りのみんな。次からは静かにするよ(多分)。世界は良くなった。
俺たちも、もうちょっと優しくなろうぜ。
なぜこれが優しめか
「俺も昔やってた」「歳取って文句言う側になっただけ」と自己投影して、読者に「わかるわ〜」と思わせる。
吉田カレーを「極端だけど本音隠さない」と少し擁護寄りに触れて、ただの叩きじゃなくバランス取る。
最後に自虐+「みんな優しくなろうぜ」で締めて、毒舌文なのに丸く終わる。
男目線なので「ババア」呼びは残しつつ、攻撃性を下げて「人間みんなおしゃべり好き」論に昇華。
これで、読後感が「イラッとしたけど、最後はほっこり」くらいになるはず。
稲作社会は協調性・集団主義・空気を読む・人間関係重視といった文化的傾向が育ちやすく、
麦作社会は個人主義・自立性・分析的思考・自己主張といった文化的傾向が育ちやすい、というもの
仮に中道がそれなりに議席を持っていたとしてもそれは中道政党であってリベラルではないし
わずかに残った共産と社民の数議席しか日本にはリベラルがいないって感じじゃん
中道は右左じゃなくて熟議する姿勢がとかいうけどそれって「対決より解決」ってやつじゃん
てか2022年に大塚耕平が言ってた発言そのままの理論を党の中心思想にするって公明に乗っ取られた上に民民思想にも染められてるじゃん