
はてなキーワード:理解とは
もしかしてdorawiiってふたばに気持ち悪いドラえもんのコラを貼りまくって人口激減させてそいつのせいで避難所が複数出来てその避難所の全部から徹底的に排除された上に避難所の人口が増えて住民がドラえもんの画像を見るだけで怯えなくて良くなる幸せについて口々に語り始めるに至ってようやく自分が荒らしだと理解して去ったらしいっていう地獄のような荒らしと同一人物?
近年、ホストクラブで高額な借金を抱え、その返済のために性風俗で働いたり、消費者金融を渡り歩いたりする女性たちの問題が社会的な注目を集めている。一見すると「浪費」や「判断力の欠如」として片付けられがちだが、実態はもっと深刻で複雑だ。彼女たちの多くは「なぜ自分がここまでのめり込んでしまったのか」を自分でも理解できずにいる。
この問題を心理学、精神医学、社会構造の観点から掘り下げ、回復への道筋を示したい。
ホスト依存症は、医学的な正式診断名ではない。しかし精神科医や臨床心理士の間では、この現象が単なる「遊びすぎ」ではなく、恋愛依存、対人依存、買い物依存、ギャンブル依存が複合した心理的依存症の一種として認識されている。
銀座泰明クリニックや大石クリニックといった依存症治療の専門機関では、ホストクラブに通うことをやめられず、特定のホストに対して強い愛着・執着・幻想を抱き、生活・精神・経済に深刻な影響が出る状態として治療対象にしている。依存症治療に30年以上携わる大石クリニックの大石雅之院長によれば、重症例では借金が数百万円から6000万円に達することもあり、その多くが返済のために風俗店での就労を余儀なくされている。
ホスト依存症の中核にあるのは、「特定のホストに会わずにはいられない」という強迫的な衝動である。本人は理性的には「このままではまずい」と分かっていても、行動をコントロールできない。これはアルコール依存症や薬物依存症と同じく、脳の報酬系、つまり、ドーパミンが放出される快感回路が過剰に活性化している状態だと考えられている。
ホストクラブという空間は、女性の承認欲求と自己肯定感の渇望を満たすために極めて精巧に設計されている。ホストは「君が一番」「俺だけを見て」といった言葉で疑似恋愛を演出し、顧客に特別扱いされている感覚を与え続ける。日常生活で「誰にも必要とされていない」「自分には価値がない」と感じている女性にとって、この体験は強烈な快感となる。
この快感は脳内でドーパミンの分泌を引き起こす。ドーパミンは「また味わいたい」という欲求を強化する神経伝達物質であり、ギャンブルや麻薬と同様に依存を形成する。ホストからのLINEが来た、同伴できた、指名されたという、こうした不確定な報酬が繰り返されることで、脳は「次こそもっと愛される」という期待にとらわれ、やめられなくなる。
心理学的には、承認欲求と疑似恋愛構造の組み合わせが鍵となる。多くのホスト依存女性は、幼少期に親からの無条件の愛情を十分に受けられなかった経験を持つ。親が過干渉、条件付きの愛情しか与えない、あるいは無関心だった場合、自己価値が「他者からどう評価されるか」に強く依存するようになる。ホストクラブはこの心の空白を埋める場として機能し、金銭という対価を支払うことで愛情が「買える」という錯覚を生み出す。
依存症専門医の臨床経験によれば、ホスト依存の重症例の一部には、ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)といった発達障害が背景にあるケースが見られる。ADHDの特性である衝動性のコントロール困難、報酬への過敏性、視野の狭さは、ホストへの過剰な執着と借金の積み重ねを加速させる。早稲田メンタルクリニックの動画解説でも、衝動性のコントロールが苦手な女性がホストにハマりやすいと指摘されている。
さらに深刻なのは、愛着障害である。愛着障害とは、幼少期に親や養育者との間で安定した情緒的な絆を形成できなかった結果、大人になっても他者との関係に不安や執着を抱える状態を指す。愛着スタイルには「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ・回避型」があり、このうち不安型の女性は「見捨てられる恐怖」が強く、相手の反応に過剰に依存する。ホストからの「愛されている」というサインを求め続け、そのために借金を重ねてしまうのは、この不安型愛着の典型例だ。
愛着障害を抱える女性は、恋愛を「ギブアンドテイクの取引」として捉えやすい。無条件に愛される経験がないため、「お金を使えば愛される」というホストクラブの構造に違和感を持ちにくく、むしろ「これが正しい関係」だと錯覚してしまう。
ホスト依存問題を語る上で欠かせないのが、「売掛金」という仕組みである。売掛とは、客がその場で支払えない料金をホストが立て替え、後日客が返済するツケ払いのことだ。この制度により、女性は支払い能力を超えた高額な飲食を繰り返し、借金が膨れ上がる。
警視庁の説明会資料や厚生労働省の報告書によれば、売掛金は数十万円から数千万円に達することもあり、返済のために性風俗店での就労を強いられるケースが相次いでいる。ホストや関連するスカウトグループが「返せないなら風俗で働けば」と誘導する構造も確認されており、職業安定法違反や売春防止法違反で摘発される事例が増加している。
2025年6月に改正風営法が施行され、スカウトへの報酬支払いや恋愛感情を利用した営業、売掛金制度が事実上禁止されたが、現場ではまだ違法な営業が続いているとの証言もある。警察の取り締まり強化と並行して、女性相談支援センターや消費生活センターへの相談も急増している。
借金を背負った女性が風俗で働くことを余儀なくされる過程では、心理的なマインドコントロールも働いている。ホストからの「お前のために俺が立て替えた」「裏切るのか」といった言葉で罪悪感を植え付けられ、抵抗できなくなるのだ。
大石クリニックの大石院長は、ホスト依存の女性たちが「このままでは生活できなくなる」と理性的に予測できない背景に、発達障害の特性による視野の狭さや、強迫的性行動症といった疾患が関わっている可能性を指摘している。ADHD傾向のある人は、目の前の報酬に反応しやすく、将来のリスクを現実感を持って想像することが苦手だ。また、ホストとの関係に没頭することで、他の情報が視界に入らなくなる「トンネル視」の状態に陥る。
さらに、恋愛依存の女性は「相手がいないと自分の存在価値がない」と感じているため、借金のリスクよりも「この人に嫌われる恐怖」が上回る。理性と感情のバランスが崩れ、感情が意思決定を支配してしまうのだ。
ホスト依存からの回復は可能である。ただし「意志の力」だけで抜け出すことは難しく、専門的な支援が必要だ。回復のステップは以下のように整理できる。
まず第一に、自己理解である。自分がなぜホストに依存しているのか、その背景に愛着障害や自己肯定感の低さがあることを認識することが出発点となる。カウンセリングや心理療法を通じて、幼少期の体験や現在の感情パターンを整理することが有効だ。銀座泰明クリニックや大石クリニック、早稲田メンタルクリニックなどでは依存症専門の治療プログラムが提供されている。
第二に、物理的な距離を取ることである。担当ホストとの連絡を断つ、ホストクラブに近づかない環境を作ることが重要だ。売掛金がある場合は、直接会わずに振込で支払うなど、接触機会を減らす工夫が必要である。家族や信頼できる友人に協力を求め、行動を監視してもらうことも有効だ。
第三に、代替行動の確立である。ホストに会うことで得ていた承認欲求や高揚感を、別の健全な活動で満たす必要がある。趣味、スポーツ、学習、ボランティアなど、自分の時間を投資できる対象を見つけることが回復を支える。自己肯定感を高めるためには、小さな成功体験を積み重ねることが効果的だ。
第四に、債務整理である。借金が膨らんでしまった場合は、弁護士や司法書士に相談し、任意整理や自己破産などの法的手続きを検討する。新宿などホストクラブが集中する地域の法律事務所には、ホスト関連の借金相談に対応しているところもある。
第五に、再発防止のための心理療法である。認知行動療法(CBT)や弁証法的行動療法(DBT)、トラウマフォーカスト療法などが有効だ。また、自助グループや回復施設(グループホーム)を利用することで、同じ経験を持つ仲間と支え合い、孤立を防ぐことができる。
家族や友人がホスト依存に気づいたとき、どう対応すべきか。大石院長は「否定せずに見守ってほしい」と強調する。頭ごなしに批判したり、無理やり引き離そうとしたりすると、本人は防衛的になり、さらに依存を深めてしまう可能性がある。
まずは本人の話を聞き、なぜそこに居場所を感じているのかを理解しようとする姿勢が大切だ。その上で、「心配している」「一緒に考えたい」というメッセージを伝え、専門機関への相談を勧める。厚生労働省は女性相談支援センターや消費生活センターを窓口として案内しており、家族からの相談も受け付けている。
最悪のケースは、本人が孤立し、借金を抱えたまま追い詰められることだ。自殺や犯罪に巻き込まれるリスクもある。だからこそ、早期の介入と継続的な支援が不可欠である。
ホスト依存問題は、個人の「弱さ」や「判断ミス」だけで説明できるものではない。承認欲求を巧みに利用するホストクラブのビジネスモデル、売掛金制度による債務の罠、性風俗への誘導という構造的な問題が絡み合っている。さらに、愛着障害や発達障害といった心理的・神経発達的な脆弱性を持つ女性が、そのシステムに取り込まれやすい現実がある。
法的規制の強化や警察の取り締まりは重要だが、それだけでは不十分だ。依存症治療の専門機関の拡充、カウンセリングへのアクセス改善、社会全体での承認欲求や自己肯定感の問題への理解促進が必要である。「愛はお金で買える」という幻想から抜け出すためには、社会が「無条件に受け入れられる場」を提供し、個々人が自己価値を内面から育てられる環境を整えることが求められている。
2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
衆議院選挙が終わって数日が経った。
しかし同時に、「民主主義とは何か」を考え直させられる出来事でもあった。
今回、先の参議院選挙から心惹かれる候補者がおり、その方が衆院選でも立候補されることになったとみつけた。
何を行えばいいかわからない、なので決起集会から参加することにした。
ただ、私はこの政党の政策すべてに賛同しているわけではない。たとえば消費税ゼロを謳っているが、現実的な財源確保として不可能だろう。VAT対象品目の見直しや税率の段階的引き下げならまだしも、と思う部分は多々ある。それでも、この候補者個人の姿勢には共感していた。
会場には早めに到着した。主催者席に座る候補者は、ネットで見るより穏やかで、普通の人に見えた。もしかして別人では、と疑ったほどだ。
ところが決起集会が始まると、徐々にあの雰囲気が戻ってきた。明確な目的意識と、人を飽きさせない話術。理路整然とした言葉運び。ああ、本物だ、と少なからず感動した。
開始ギリギリに入場を諦めかけていた人々を掻き分け、個性的な格好の女性が入ってきた。顔見知りらしき女性と話した後、床に座り込んだ。満員のため床に座る人は他にもいたので、これ自体は仕方ない。冬の寒い日だったが室内は適温だった。
ところが彼女には暑かったらしい。会の進行も気にせずタンクトップ姿になり、ストレッチを始めた。候補者が演説している最中である。周囲の人々が一瞥し、見て見ぬふりをし始めるのが分かった。知り合いと見られる女性も、誰も諌めることはなかった。
これは私にとって異様な光景だった。国の立法府に人を送り出そうとしている場で、自分の快適さを優先する振る舞い。それを制止できない支援者たち。人は自由であるべきだが、この状況への違和感は拭えなかった。
候補者と支援者の話は感動的で思慮深く、ますます応援したくなった。だが同時に、この非社会的行動とそれを容認する雰囲気に、この集団に身を置くことへの躊躇も生まれた。候補者は心から応援するが、支援者の集まりには居心地の悪さを感じる。党内の年齢層が高いせいか、仕組みがアナログなことも気になった。
次に応援に訪れたのは、大きな駅前だった。党首と候補者が揃って演説するという。選挙戦も中盤、どんな話が聞けるか楽しみだった。
党首の主張は理解できる。税金の使途変更、防衛費拡大への反対、雇用の安定化。実現すれば社会的負担を減らせる政策だ。
しかし言葉選びが気になった。この街はかつて若者の街と呼ばれ、今も感度の高い人々が集まる場所だ。新しいものを好み、洗練された言葉を使う。
その駅前で「○○はいいでしょう、みなさん、どうですか?」という呼びかけ。若い世代なら思うだろう。質問形式で議論を誘導するのはレトリックとして不誠実ではないか、と。信念があるなら素直に政策を語ればいい。同意を求める言葉は、自信のなさに聞こえる。
耳を疑った。ガビーンとは何だろう。長年のキャリアを持つ政治家が、なぜこの場にいる人々に届く言葉を選べないのか。聴衆に訴えかけるのではなく、自分の話したい言葉だけを語っているように見えた。
この党首は東大を主席で出て司法試験に合格し、若くして党を任され、弱者の側に立って問題解決に取り組んできた人だ。テレビ討論でもしっかり話される。政治家として評価されるべき実績がある。
それなのに、この演説は何だろう。データの並べ方も、相手に噛んで含めるような話し方も、聴衆を低く見積もっているように感じられた。
この区は常に23区の平均給与トップ3に入る。日々プレゼンをし、人を説得して予算を獲得する訓練を受けた人々が多い。党首の話し方は、そうした聴衆には響かない。
後ろで候補者が不安そうに手を振っている。聴衆の半分は政党ではなく候補者目当てだろう。
党首がようやく話を終えたと思ったら、スタッフが「まだ話し足りない」とマイクを戻した。聴衆は候補者を見に来ているのだ。壇上の党首、スタッフ、候補者の間で意思疎通がうまくいっていない様子が見て取れた。
候補者の演説が始まったのは25分後だった。比例候補とはいえ、若者に届く言葉で話せる候補者の時間が、二世代上の党首の演説に削られたのは残念だった。
それでも、その足で区役所に向かい、候補者の政党名を書いて期日前投票した。
選挙運動平日最終日、金曜の夜に仕事が早く終わったため、もう一度候補者の演説を聞きに駅前へ向かった。
今回、リベラルな政党を心から応援したいと思った。ただ投票以外に何ができるか分からない。勤め人なのでポスティングの時間も取れない。せめて聴衆「モブ」の一人として場を盛り上げられればと足を運んだ。
だがその度に気になったのは、支援者の排他的とも見える行動だった。
この日、自治体の首長と候補者と同じ政策を掲げるNPO代表が応援演説に来ていた。聴衆は80人もいないように見えたが、特記すべきは15人前後が巨大なスローガン入りの旗を持っていたことだ。個性的な格好をした人が多い。
でもさあ、80人くらいだよ。ここにいるの。そこの20%が旗持っているわけ。
遠目から見て、異様な光景。デモ会場なら分かる。他党でも旗を持つ人はいる。ただ大抵は小さな応援旗だ。少ない人数に大漁旗並みの旗を持つ人が20%もいる状況は、書かれたスローガンが正しくても、外から見て近寄りがたい。
あの集団を見て、楽しそうだから仲間に入ろうと思う人がいるだろうか。むしろ威圧感を与えているのではないか。
遠目から候補者の演説を聞いた。掠れた声で、それでも変わらない人を惹きつける話し方。前議員時代に力を入れた戦時中の事故の問題、労働問題、あらゆる格差問題。それは意味のある言葉だった。一人でも多くの人に届いてほしいと願った。
大規模政党から見ればメジャーではない政党の些細な敗北かもしれない。しかし多様な問題提起をし、さまざまな状況に置かれた人々の声を国に届けられる人を、有権者の一人として国会に送れなかった。今、とても気持ちが沈んでいる。
全ての人に優しい社会という理念は大事だし、私もその一員でありたい。
直近の選挙でリベラル側に立つことで、リベラルが票を増やせない根本的な問題に気づいた。
理念は正しくても、それを広げる方法に課題がある。他党の主張を支持する人もいるだろう。だが節目の場では、協調と他者への尊重が必要ではないか。政党側にも支援者側にも。
共鳴する仲間を増やす必要がある時に、外から人が入りづらい雰囲気を作る古参の態度は何なのだろう。
学生時代、キャンペーンスタッフのバイトでチラシ配りをしていた。人の目を見て動きを少しシンクロさせると受け取ってもらえることを学んだ。この政党のスタッフは高齢の方が多く、ぶっきらぼうにチラシを押し付けるように渡していた。チラシに書かれた言葉を届けるというより、チラシ配りという役目だけをこなしている。相手の行動を見て判断し、関心のある素振りを見せなければ、誰もチラシを受け取らない。
視覚障害者用の誘導ブロックに立つ支援者もいた。「誰かが来たらどけばいい」ではない。そんな配慮もできない人が支持している、と候補者の評価まで下がることに思い至らないのだろうか。
若い有権者はチラシではなく、候補者のホームページを見る。だがそのホームページも、パワーポイントで作った画像を貼り付けた雑然とした作りで、政策の深掘りも整理もされていない。フォントサイズもバラバラでデザインに落ち着きがない。
候補者は最初の決起集会で、この政党だからこそ活動ができたと感謝を述べていた。その言葉は本心だろう。だが同時に、支援者たちの善意が、意図せず新しい人々を遠ざけている現実がある。
私自身は無党派層であるが、今回リベラルの候補者を追いかける中で、いくつかの問題が見えてきた。
理念を広げたいのであれば、まず支援者の側から、初めての人が入りにくい雰囲気を和らげる必要があるのではないだろうか。
掲げているスローガンは本来、社会全体に向けた言葉のはずだが、いつの間にか仲間同士の確認の言葉になっていないだろうか。
さまざまな立場や温度感の人が参加できる作法になっているのか、改めて考えてみる余地があるように思う。
どのような態度の人であれ、どの立場の人であれ、まず同じ社会の構成員として尊敬の態度を持って扱う姿勢が必要ではないだろうか。
自分たちの正しさを語るだけでなく、その正しさが現実の社会にどのように作用するのかを、現在の社会を前提に説明してほしいと感じた。
たとえ他党であっても、支持される理由があるはずであり、その点を理解しないまま批判すると、力強い、信頼できる言葉を届ける前に、結果として有権者を遠ざけてしまうのではないか。
(ネタバレあり)
あととにかく映画が淡々と進行してて恋愛ドラマの要素はあるものの面白さに欠ける。
正直途中で寝そうになる。
でも、これはもう完全に演出意図に基づいた設計なのだろうな、と、この映画に関しては全幅の信頼をおいて見ていた。
1作目の出来の良さと、映画自体のクオリティのハイレベルさから考えて、この「つまらなさ」は人工的なもので後半の大カタルシスを活かすための設計に違いないと予測して見ていた。
案の定、というか、予想の遥か上を行く期待に応える、ガンダムオタクにぶっ刺さる展開が待っていて、それは本当に驚いてしまった。
このシリーズは基本的に恋愛映画なのだろうな、と思いながら見ていたのが、驚くほどにガンダムをやってきたのでもう脳汁がドパドパに溢れてしまった。
この映画はこれまでのガンダムに比肩するものがないと言ってもいいほどリアルな(写実的な)画作りをしているガンダムである。
まるで実写映画と言っていいほどの精密な現実世界を描き、かつてないほどリアルなモビルスーツのコクピット内での戦闘シーン、
自然を美しく描き、富裕層の贅を描き、都市はリアルに、女は生々しく、
しかし、後半、あるきっかけによりそれまでわずかに漏れ出すだけだったハサウェイの妄想世界がいっきに溢れ出して、
そこでは、それまで暗すぎて何が行われているのかよくわからない、
そこまでがリアルな画作りだっただけにその対比で、
これはもちろんハサウェイという人間が見ている世界を描いているのである。
彼にとって、現実というのは、モビルスーツのコックピット内にいるときのように薄暗く、よく見えない、よくわからないものである。
そして、彼にとって、よく見えて、現実よりもよく見えて、そして現実よりも身近な存在は、自分の脳内の妄想の世界なのである。
そこではアムロが亡霊となってハサウェイをなじり、そこではクエス・パラヤが永遠にハサウェイの心を捉えてはなさい。
それを描いたものだ。
だが、果たして、これはハサウェイの心の中だけを描いただけのものなのか?
いや、、、そう、これはまるで、わたしたち、私たちの内面世界そのものではないのか?
私たち、何者にもなれなかった、私たちが生きる現実世界と私たちの関わり。
私たち、何者にもなれなかった、私たちの心の中に展開される機動戦士ガンダムという世界。
ふと日常の中の一瞬に浮かんでは消える、シャアやアムロや、ガンダムの登場人物たちの声。
それは決してアニメという空想の世界のものではなく、きちんとした質量を持って私達の心に存在している。
私たちには、もう、よく理解が出来なくなりつつある、現実の世界。
薄暗く、よく見えず、速すぎて、もう理解が追いつかなくなりつつある世界。
私たちはそんな現実世界に生きながら、同時にガンダムという鮮やかな妄想に取りつかれながら生きているのである。
私達の心は、現実に生きることをもはや望まず、現実よりわかりやすく原色で鮮やかに描かれた嘘の世界のほうへと心を奪われつつあるのではないのか?
そんなことを考えさせる映画だった。
うーん、それって「虚数時間が直感に合わない理由」を説明してるようで、実はあんまり説明になってない気がするんですよね。
まず、「我々の時間モデルと物理学のモデルが乖離しているから理解できない」って言ってますけど、じゃあ具体的にどこがどう乖離してるんですか?って話なんですよ。そこをふわっとさせたまま「だからかな?」って言われても、「で?」で終わっちゃうんですよね。
あと、物理学の“虚数時間”って、別に「時間が実際に虚数で流れてます」って話じゃなくて、計算を簡単にしたり理論を拡張したりするための数学的な道具なんですよ。
それを日常の「今何時?」っていう感覚と並べて違和感あるって言われても、そもそも用途が違うので比較自体がズレてるんですよね。
たとえば、
であって、「感覚と違うからおかしい」って言い出すと、相対性理論も量子力学も全部アウトになっちゃうんですよ。
それと、「直感に合わない=存在しないはず」って発想も危なくて、
重力波もブラックホールも、最初は全部「そんなのあるはずない」側だったんですよね。
なので、
じゃなくて、
下記の動画で知ったけど、
Denys Davydov - Update fromUkraine |Wow!UkraineStarted aBig Counterattack!Isit a GoodIdea?
https://www.youtube.com/watch?v=nUjv7gLduIw&t=23m54s (23:54から)
ロシア国旗を含んだヘルメットが許されていたり、亡くなった人という意味では家族の写真が許されているなど、ダブルスタンダード感はありますわね。
「ロシア国旗を含むヘルメットは、国旗がロシア一国だけではない点が処分猶予の余地として考慮されるべき。ただし当然ながら規約違反ではあるので着用を推奨するわけではなく、今後とも着用するようであれば厳しい処分が課される。いっぽうで、ロシアの戦争で亡くなったスポーツ選手の写真を載せる行為は、複数国旗に混入したロシア国旗に比べるとメッセージが直接的であり、そのメッセージに直接的に賛意や反対を表明するものではないが、政治的メッセージを掲げること自体を禁止したオリンピックの精神からの逸脱は大きく、厳しい処分もやむを得ない」
…くらいの、他の事例と具体的に比較した上での、矛盾の指摘と真摯に向き合った丁寧な説明があれば、納得いくわけではないものの、理解はできるんだけどね。(調べてないのでそういう説明が既にあったらすまん)
理解できてなくて草ァ!
dorawiiより
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まあ別にお前に理解して欲しいとも思ってないだろうし、お前に理解されても得することもないし理解できないなら理解できないでいいんじゃね
例えば高卒や文系の人間が線形代数がわからないとかテイラー展開がわからないと言っててもそうかわからんのだなとしか思わんやろ
療養して回復したら大学受験しようと思っていたが、さっぱり良くならないまま何年も経ち、受験は諦めた。
通信制大学に入ってみても、基礎学力不足とメンタル不安定のせいで、休んだり自習の繰り返しで、なかなか卒業できそうにない。
自覚なかったけど実家の環境がヤバかったらしく、20代半ばでいわゆる「理解のある彼くん」と結婚してから、ゆっくりではあるけど心身の回復が進み、ここ数年は「専業主婦」と呼べるくらい家事はできるようになってきた。
しかし妊娠出産育児に耐えられると思えるほどには回復しないままアラフォーになってしまったため、子どもはいない。
心身の状態が良くなるにつれて、いつか働きたいと思うようになってきたが、自分の経歴に絶望している。
高校中退、職歴ゼロ、アラフォー主婦なのに育児していたわけでもない。
精神障害者として作業所通いでもするのが妥当なのだろうが、現状、週3以上外出するのもきついから厳しいし、できたところで大して稼げやしない。
大学で専攻したかったことに近い分野のボランティア活動には参加してて、一緒にやってた人の中には独自性を出したりクオリティを上げて稼げるようになった人もいるから、その道を目指すのが手っ取り早そうだとは考えてる。
でも、今後もし働けるくらい調子が良くなったとしても、何も無い経歴が足を引っ張って、仕事なんかさせてもらえないんじゃないか。
この何も無い経歴を覆そうと思ったら、そこらの健常者より圧倒的に有能にならないと駄目なんじゃないか。
どうしたらこの社会に価値を認めてもらえる人間になれるんだろうか?
「理解あるの彼くんに養ってもらえてるならいいだろ」って言う奴もいると思うけど、配偶者以外の誰にも、社会的にも金銭的にも価値を認められずに生きているのが、苦しくてどうにもならない。
スタレ+FGO+エンドフィールドぐらいならまあそういう人もいると思う。
3rdと原神とゼンゼロと鳴潮とエンドフィールド全部やるのは流石になんかこうキツくないか?
だって飽きるだろ?
どれもカチャカチャしてコンボ繋げるだけのゲームでプレイフィールに変化ないじゃん。
まあそれでも「俺はこういうコンボ繋げるだけのARPGが好きなんだよ!」ってならいい。
だがそこに更に「俺は大手のソシャゲRPGは全部やりたいんだ!」となるのはなあ。
いやいやそんなにソシャゲばっかやったら他のゲームできないでしょ?
つうか根っこの所がやっぱ一緒すぎると思うんだよなあ。
たとえばこれがアークナイツ+アイギス+モン娘TDとかだったら似てるようで結構違うんだけど、3~4人パーティー制(+サポート枠)だと基本的に新しいことしきれないっていうかなあ。
ストーリーは割と違うんだろうが、結局は6割ぐらいの時間はコントローラー握って戦闘してるんだから戦闘システム一緒じゃやっぱどうなのって思うわけよ。
つうかデイリー・ウィークリー・イベントで余暇の時間全部吸われて睡眠時間や自炊の時間も削られてくじゃねえのよ。
もうセルフネグレクトの域でしょ。
たとえ不労所得だろうがニートだろうが生活保護だろうが、毎週30時間コンスタントにソシャゲに吸われる生き方は絶対間違ってるって。
せめて色んなゲームやろうや。
学マス+アクナイ+鳴潮+カオゼロ+シャンシャン+FGO+シャドバ+ドルフロ2+モンスト+パズドラ+フォートナとかなら俺だって「まあ基本無料ゲームでも面白いのや肌に合うのが結構あるもんだよね」って言うよ。
「ミホヨゲー全部やった上で似たような他社ゲーもやります」みたいなのは流石に「君の人生が可哀想だよ!」ってなるというだけ。
本節では「性別を問わず、その国の国民と結婚してから帰化申請までの年数が短い国」をリストアップする。
第1位:スペイン(最短1年)
条件はスペイン国民と結婚後、1年間の合法居住+基礎的なスペイン語能力+犯歴なし
条件はブラジル国民と結婚後、1年間の合法居住+基礎的なポルトガル語能力
第3位:メキシコ(最短2年)
条件はメキシコ国民と結婚後、2年間の合法居住+基礎的なスペイン語能力
条件はイタリア国民と結婚後、イタリア国内に2年間合法居住、または海外居住の場合
………………………………………
なんつーか、日本が無理だからって理由で国外脱出までは勝手にすりゃーいいけどよ、
これは俺のお気持ちでしかないけど、結婚観も腐ってるなぁ、と思うし
そこまでして人生で何をしたいの?
いい歳した大人がさぁ、ただ逃げ惑うだけで、
何かあったら国を捨てて逃げるけどね!
って実績のある人間が…乞食証明の済んだ人間がそうそう歓迎されるかね?外国で
日本とは違って素晴らしき海外だと、左翼みたいな無責任な人間も暮らしやすいって…それ妄想じゃない?
知らんけどさ
できるやつって目標と方法を示せば勝手に走り出すし、問題があれば能動的に訊いてくる
そんで有能じゃないやつのほぼすべてって、指導したところで何も変わらないんだよね
言われないとやらないやつって、言われてもやらないの
そういうやつらに有効なのってやっぱ『詰め』なんだよね
人類の大半って根本的な知能が中学生で止まってるから、「怒られたくない」が根っこにある
だから、「ちゃんとやらないと怒られる」というだけでちゃんとやる
そんなやつばっかり
つまり、「ちゃんとやらなくても怒られないならちゃんとやらない」みたいなやつらばかりってこと
人類の7割ぐらいは鞭で叩いて働かせるというレベルでちょうどいい
頑張って
だからなんなの?理解されないことが自分が優位に立ってる根拠になると思ってるの?
dorawiiより
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