
はてなキーワード:理解とは
強度が違うから、なに?
言い分は理解できるが、それが岡田質問が真っ当な討議であったことの証明にはならんよ。
民主主義がどういうことなのかを理解してない奴こそ、民主主義信奉者の大半である
ということを思えば、
民意で選んだはずの奴が変なことやって、国民は文句言って辞めさせて、互いに満足
それが一番良い治世ってことになるのやもしれんね
自国の利益を最優先に国際的優位と協力を得るため互いの損得勘定含めて丁々発止の交渉をするんですよ
※『会議が始まる前の時間、中国の李強首相らは会話や握手を交わしていましたが、遅れて参加した高市総理の姿はありませんでした。また、高市総理は会議の後の夕食会への出席は見送っています。』https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000468239.html
以下の文章はどこが滑稽なのでしょうか?
>日本は日清戦争で勝って台湾を中国から獲ったわけだけど(1895年)、それまでの長い間台湾はずっと中国領だったわけでしょ?
これでもうバカすぎて話にならん 元々はアボリジニ系の島でオランダがきて植民地にして次がスペインさらにその後清(満州人)が200年未満植民地としてしたけど
日本人が流れ着いて虐殺された際には原住民だから支配及びませんとかいい出す程度ってのは調べりゃすぐわかる話
今「調べた」のは仕方ないとしてもお前の「調べる」はなんなんだよ
この一行でその後読む価値もないので読んでない
この文章の「滑稽さ」はざっくり言うと
細かく見ると:
そのうえで
この一行でその後読む価値もないので読んでない
と宣言してる
つまり、
「相手の主張はバカだと断定するけど、実はちゃんとは読んでません」
と言ってしまっている。
ここではそれを放棄しているのに、上から目線で断罪しているので
これでもうバカすぎて話にならん
…ってのは調べりゃすぐわかる話
と言いながら、自分の説明もかなり大ざっぱで、用語も怪しいです。
ネットで拾った断片を感情まじりでつなげただけ、という雰囲気です。
にもかかわらず、
今「調べた」のは仕方ないとしてもお前の「調べる」はなんなんだよ
ここにも
締めがこれなのも、かなり“コントっぽい”です。
つまり、
……ように見せかけて、実際はただの印象と偏見で決めつけている
という構造になっていて、
という流れが、理性的な議論というより、感情的な決めつけの三段落ちになっています。
みたいなネットスラング混じりの口調で、相手を罵倒しつつ語っているので、
扱っているテーマの重さ
vs
話し方の幼さ
ところです。
いうて世界中にある種の暴力的な衝動を発散するための祭りがあるんやから社会安定のために必要な一種の装置ではあるんやろ。
ワイもそういう祭りには一生近づきたくないと思ってるけど、そうすることが一種の社会のガス抜きになってる部分はあるんやろうし、外にその文化を持ち出しさえせずに狭い界隈だけで共有しといてくれるんやったら外野からやいのいやいの言うほどのことでもないと思うわ。
もろちん興行として危険と判断されたらやれんようになるだけ。実際にほとんどのライブハウスではモッシュが禁止されてるしそれ無視してモッシュやって出禁になってるバンドもけっこうある。逆にそれを許容してるってことはその文化を許容するだけの歴史や人がそこにあるってことや。
まぁ実際行ってみたら楽しいかもしれんしな。民俗学に興味を持ってから自分が理解できない文化だからって頭から否定するのはたぶん誠実な態度じゃないって思うようになったかな。
けっこうバズっていたのでわかる人にはわかると思うが、手すりを飛び越えた拍子に、向こう側にいた観客に見事なまでの飛び蹴りを食らわせていたやつだ。
自分自身も不定期でライブを見に行くことはあるものの、モッシュやダイブをやるようなジャンルではないので、こういった文化には馴染みがない。
言葉を選ばずに言うなら、単に暴れて鬱憤を晴らしたい(そうすることでしか鬱憤を晴らせない)低能たちの集合体にしか見えなかった。一口に音楽と言ってもジャンルは多様だし、オーディエンスたちの楽しみ方も色々あるだろうとは思うけれど、暴力はいかんだろ暴力は。
擁護派の声としては、「俺たちは内輪で楽しんでるだけ」的な意見が多いのだが、さすがにあの調子では死傷者が出ないはずがない。あんな派手な跳び蹴りを食らった日には、何かしら深刻な後遺症を負う可能性もゼロではない。果たしてそうなった時に、本当に一切の後悔無しで今後の人生を生きられるものだろうか?
現場に行ったこともないやつが批判するなという声もあるが、あんな危険極まりない現場に誰が行こうと思うだろうか?戦争の前線に立ったこともないやつが戦争を批判するなというようなものだし、この論法は卑怯ではないかと思う。
なにより、暴力的な形態を伴うことでしかエンタメを提供できないというのは、興行として二流以下じゃないのか?そんなジャンルに流入してくる新規層の数なんて限られているし、ましてやファン層の中ですら流血沙汰を繰り返しているのだから、後に待っているのは先細りだけではなかろうか。
たぶん彼らは嘘偽りなしで、本当にあの現場を楽しんでいるんだろう。しかし個人的な感覚として、他人を怪我させるのも自分が怪我するのも、まったく楽しいとは思えない。自分が怪我しているだけならまだしも、相手を怪我させてしまった日には責任問題である。
(こんな野蛮な文化は駆逐してしまえ!と言いたいわけではない。印象としては最悪だが、おそらくは今後一生接点を持たないであろうジャンルだし、仲間内でやってる分にはどうでもいい。ただ単に、理解できない人種の集まりだなぁと感じた。)
ストーリーのほとんどが死後の世界の話なので、世間一般に言われる設定の雑さは気にならなかった。
謎の語り手婆さんがいろいろ喋ってくれるおかげで、
数日前にみた天使のたまごっていう映画と比べたら圧倒的に理解できる。
主人公に魅力を感じないというか、感情移入できないせいで、感動がないんよね。
チェンソーマン・レゼ篇のレゼとデンジみたいな悲恋に涙してしまう自分でも、
スカーレットには何も感じなかった。
だからもう一度観たいとは思えない。
日本は日清戦争で勝って台湾を中国から獲ったわけだけど(1895年)、それまでの長い間台湾はずっと中国領だったわけでしょ?
日清戦争終結(1895年)から日中戦争の終わり(1945年)までの日本の支配の120年間は
中国からすれば、わずかな期間という見方になるのかもしれない。
明治以降、中国に武力で進出してきた「憎き日本に切り取られた領土」として台湾に特別な執着を見せるのも理解できないこともない。
彼らは日中戦争で、日本を中国大陸から追い出して勝った!と認識しているわけだから台湾は当然中国に戻されるべきだと考えるのだろう。
このような歴史的経緯がまるっと抜け落ちた最近の日本の報道に違和感がある。
日本人が戦争を放棄した後も、台湾と中国の間では武力衝突があり、直近までバチバチの関係だったことも報じられていないのも心もとない。
(日本の学校の歴史教育において、近代ぽかっと抜け落ちている、
もしくは意図的に抜け落ちさせている現状が、東アジアにたいする理解の甘さを招いているんだろう)
とはいえ、台湾は80年の間何とか独立のような形を維持し、中国に併呑されるのは嫌だと継続的・明確に意思表示しているので、
その意思は最大限に尊重されるべきだし、いつかは独立国家として認められるべきだと思う。
なにせ政治体制が全然違うし、日本にとっても民主主義国家が近くにあるのは利益になる。
日本人としては中国のラインを超えない範囲でこっそりチマチマ台湾を支援していくべきなんだと思う。
そうしてのらりくらり、あと半世紀も粘れば台湾の独立は既成事実化し、中国本土の執着も薄れるんじゃないだろうか。
習近平も早晩死ぬしね。中国の新しい支配層が、台湾への興味を失うか、執着するのがバカらしいと思うようになればいいのだ。
だから日本は中国の歴史的な意識を刺激せず、のらりくらりやっていればいいものを。高市は不勉強にして挑発した。
なんというか、馬鹿だよね。浅はかだよね。中国にいじめられている台湾を助けよう!っていえば日本人はみんな喝采してくれるもの。
気持よくなっちゃうよね。でも長期的には日本の為にも台湾の為にもならない。
中国やロシアの場合は政治分断が理由だったり、駐在妻の場合は承認欲求が理由だったりで理解できる。
もしかしたら本人たちは政治活動としてやっているのかもしれないけど、他国に干渉する意味が分からないし悪意しか感じない。
怖すぎるんだけど。
有権者がインターネットを通して監視者になった時代にさ、どれだけ支持が高くても一瞬で有権者が敵に回る可能性を秘めていることを理解してないで高市叩きするヤツらってなにをみてるんだろうね、お花畑かな?
高市は自分の支持率が高くても何も安心できないんだよ、他の大臣だって同じ
今はちゃんと仕事をしてひとつずつ成果を見せているから有権者が『前が酷すぎて今が素晴らしく見える』ってだけ
あと一部野党とメディアの信頼度が消え失せてるのもあるけど、そもそも人の話なんて話半分で聞いときゃいいものをバカ真面目に受け止めてキレ散らかしたり嘆いたり、暇人かよ
君が書いてるのは多分実証分析系のかなりマシな類の経済学のことやろうな。
統計取ってても通貨発行も税金も国債もない企業と国を同一視してたりしてデータの解釈間違えてるだろ、としか思えんやつはよく見るし実際に信用創造とか現実の通貨・金融システムの理解に統計は関係ないので統計だけで成立はせんやろしな。
古い話ならリカードの中立命題とかあるし、最近だと合理的期待形成とか予測というか都合のいい前提というか机上の空論というか、そういう非現実をベースに構築された理論とかあるわけだしあんまり同意出来ん。
対面で会話してたら文章は紡がれないだろ何言ってるの?
出羽守って、ただのワナビーだったんだなって最近しみじみ思う。海外在住に憧れすぎて、匿名ネットだけでも海外在住って設定にしないと気が済まないって、もう…痛々しいを通り越してちょっと心配になるレベル。
だってさ、Xの所在地機能ひとつでポロッと化けの皮が剥がれてるんだよ。堂々と海外から高説垂れてる風だったアカが、実は日本の住宅街からポストしてました、みたいな。現実を直視できなさすぎて、これもう行動として明らかにパターン化してるでしょ。
ここまでくると、なりきり癖ってジャンルじゃなくて、ちゃんと固有の病名つけて治療促すべきなんじゃないかって思ってくる。憧れを持つのは自由だけど、嘘で自己像上書きして他人を見下すようになったら、それもう健康の領域から外れてるよね。
とにかく使えない。アスペの癖に低IQのコミュ障で、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずで法人すら立ってない事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。大学生は大人なんだからIT目指すなら一つくらい偉業をなして当然だろ、何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。今どきZ世代は大人びてるんだからIT目指す新卒にもなれば普通少年ジャンプの主役くらいのスペックあって当然なのに。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
俺は十五年以上、初音ミクと共にいた。
ニコニコの青白い画面の前で夜を明かし、拙くも心をえぐるボカロ曲に涙し、MMDの海に溺れ、イベントがあると聞けば財布の悲鳴を無視して飛んでいった。
そんな俺からすると、プロセカという作品は、どうにもこうにも「時代の象徴」みたいな顔をしている割に、根っこの部分でミクの本質を見落としている気がしてならない。
■ ミクを“キャラ萌え商材”にするな
俺はミクのことを、特定の個性を押し付けられない“器”として愛してきた。
そこに惚れてきたんだ。
だがプロセカのミクたちは、各ユニットごとに“性格”“役割”“立場”を割り当てられ、いわば「公式が決めたキャラ」として画面に立っている。
いやいやいや! それは俺たちの仕事だろ!?
ミクにどんな感情を持たせるか、どんな姿を想像するかは“創り手”と“聴き手”の間にあった秘密の遊びだったんだ。
それを「公式設定」として固定化するのは、古参からしたらめちゃくちゃ違和感あるんだよ。
■ 「歌って踊るミク」は好きだ。でも“アイドル化”は違う
プロセカの3DMVの完成度はすごい。
認める。そこは素直に拍手する。
だが、それは“ボーカロイド”というより“スマホアイドル”の文法じゃないか。
俺らが愛したミクは、
「制作者次第で天使にも悪魔にも、天才にも電脳怪物にもなる存在」
だった。
なのにプロセカはミクを「可愛く踊るアイドル」として最適化しに行ってる。
それはそれで需要があるのはわかるが、あまりに“パッケージ化”されすぎて、ミク本来の「空白としての自由度」が薄れてしまう。
「ミク=アイドル」じゃなくて
だったはずだろ?
■プロセカから入った新規は悪くない。でも運営は古参へのリスペクトが足りない
だが。
結局、古参を置いてけぼりにしたまま商業路線に突っ走ってないか?
古い名曲を“プロセカバージョン”に最適化し、アレンジし、テンポを変え、キャラに歌わせ、ストーリーに絡める。
それ自体は理解できるが、時に原曲の空気をぶち壊してしまうこともある。
■ 結局、プロセカは“ボカロ文化の最前線”じゃなく“ソシャゲ市場の最前線”
プロセカはすごい。人気もある。盛り上がっている。
でも、それは
ではないか?
毎日ログインして、石を回収して、ガチャを引いて、イベントを走って、限定カードを集める。
ミクを軸にしつつも、本質はソシャゲのサイクルに完全に飲み込まれてしまった。
誤解しないでほしい。
俺はプロセカを“憎んでいる”わけじゃない。
ただ、
「ミクは誰のものでもない」
ミクは企業のキャラでも、スマホゲームのキャラでも、誰かの所有物でもない。
“永遠の空白”なんだ。
だからこそ、そこに“公式設定”や“ガチャの都合”を上書きされると、古参は胸が痛むのだ。
ミクは自由であってほしい。
ただの愚痴。
その中で捨て試合とかラフプレーをする奴が多くて、ちょっと不思議な気持ちになった。
後は疲れたからといって動かない奴、調子が悪いと言って捨てゲーする奴。
俺の対戦相手だ。
こっちは社会人で組んでいた。
俺達は良い年した社会人で、10代〜60代まで、色んな人がいる。
そもそも部活外の活動に参加してまでスポーツに取り組む時点ですごく立派だ。
俺は中高から同じスポーツを続けているが、社会人サークルで練習するなんて概念が無かった。
にもかかわらず、一緒になった奴からは敬意が感じられず、雑なプレーを繰り返してボロ負けする。
正直言ってすごくモヤモヤした。
相手しづらいんだ、こういう手合は。どうしても決めにいく場面なのに、決めに行くと不機嫌になりそうだから場を繋ぐ。こんなおままごとが続く。
クソほど馬鹿らしいけど仕方ない。
最後はこっちのチームが勝つ。当然だ。
それでお金を稼いでいるとか、大会で実績があるとかそういう訳ではない。
サークルの活動としては、ただ毎回ちょっと基本打ちをしてゲームをして、それだけ。
実践的な反復練習もせず、純粋にゲームを楽しもうね、というサークル。
それでもキレる奴はなんなのだろう。
そしてその全員が例外なく強くはない。
そしてそれは俺も一緒。
分を弁えてそこそこ楽しもうね、というスタンス。
運動に関してはジムとか自重トレでほぼ十分で、時たま学生時代にやってたスポーツをやろうと思った時にサークルを見つけただけ。
昔からやっていると、実力的にも受け入れて貰えるし、運動量もかなりのもので、疲れ「られる」のが魅力だ。
シンプルにそれが大きい。
大会なんかは興味が薄い。お金と時間を考えると、別に出なくていいかな…という程度。
…本当に勝ちたいなら、本気でやれば良いのだ。
社会人の時間と体力の制限を直視して、時間と労力、体力をかけないと絶対に強くはなれないのだ。
でも実力が伴わず負けて、キレて、以降捨てゲーを繰り返す奴。なんなんだ、理解できない。
そして俺は彼らを絶対にどうすることもできないし、したいとも思わない。
・・・というのは嘘で、「そういうの辞めた方がいいんじゃないすか?」と冗談混じりに言いたい気持ちをぐっと堪えてる。
当人の課題、とういうのを頭で理解して、それで何も言わないスタンスを貫けた。
でも今日一日我慢して、やっぱりモヤモヤするからここに吐き出した。
以上。
有名な漫画家が持っていた本棚が本ごとあり、漫画家本人がなんか書いたラベルを本棚に貼ってある
床に寝ている昔の友人に、見ろよ、これ、凄くね?みたいに言うが、
なんか、俺を敵みたいな目で見るので、別の場所へ行く
ギターのエフェクターだか、サンプラーだか、カセットレコーダーみたいなのがうず高く積み上げられてる
場面が変わって、障害者施設っぽい、他にも通所している利用者がいる
ミーティングみたいなのが始まるみたいなのだが、俺だけ椅子がない
どうしよう、と思ってると、なぜか丸椅子を2つ重ねたものが目の前にあったので、
なんでここに持ってきちゃったんだろう、帰りどうしよう、みたいに思って気が気でない
なんか楽器とか運べそうなクルマを持ってる人に交渉しようとしたことだけは覚えてる…
場所が変わって、知らない楽器店、女性店員が3人いて、椅子に座って談笑してる
なんか、今ある楽器を売れば、新しい楽器の予算になる、買わないと、みたいな気分になる
なぜか障害者施設に持ってきてたギターがそこにあり、それをむき出しで持って帰ることにするものの、
女性店員はなぜかエレベーターの扉の前で談笑していて、言うと面倒そうにどいてくれた
夢占いとかウソで、基本的に普段の自分の行いとか、考えてることが反映されてるだけなんだろうなあ…😟
多分、記憶を整理するというか、脳の中の配線を繋ぎ変えるときに、
そのプラグを外したり付けたりすることで刺激される周辺部位とかあったりして、
夢を見るときに視覚野が活動しているというのは分かっているはず…😟
しかし、ここまで音楽のこと、音のことを、寝ても覚めても感がるようになるとは思わなかった
楽器がなくても、外にいても、ふと何かフレーズとかを思い出し、アレってそういうことなのかな…、みたいなことばかり考えてるし、
結局、音楽に逃げてる、逃げ場になってる、
子供の頃から最近までの自分は、絵とか、自分のためのプログラミングとかに逃げてたのに、
色々やらないといけないこと、雑用をほっぽって音楽に逃げるようになってしまった…😟
絵やプログラミングの話でもそうだが、やはり、正直悔しい
この年齢になって、やっと自分が大成しなかった理由というか、何か物を作るときはこうするべきだった、みたいなのが見えてきた気がする
自分なりに100点の結果が出せるまで、他人に見せようとか、公にしようと思わない
テストとか、何かの試合とかは制限時間があるわけで、嫌でも結果を他人に提出しなければいけないわけだけど、
自分の趣味となってしまうと、ある種そこに甘えもあるだろうし、
満足するまで公開しない、いつまでたっても完成しない、同じものをずっとこねくり回して、そのうちに嫌になってしまう…😟
デジタルで絵を描いても、延々とアンドゥを繰り返してみたり、納得しない一本の線が描けない、みたいになって、そこで破綻してしまう
まあ、そういうのは自覚がありはしたが、そういう自分の欠点をどう克服するべきかというか、
具体的な技術、方法論みたいなものも、今更になって見えてきた気がする
この年齢になって、改めて成功者のことを調べるに、天才は基本的に早熟である
もちろん、人生の後半戦、老人になってから急に才覚を現す人もいなくはないが、基本的に早熟、幼少期から何かが違う子供だったはずである
幼少期の彼らが理解したであろうことを、この年齢になった、しかも弱者男性の私が、何か気付いたぐらいでは遅いのである
人生、何周回遅れなんだ…😟
ここから成功するとか、そもそも、私は成功できなかったことより、悔しいことがあって、
例えば、音楽を40代で始めて、60で死んだら、音楽が楽しめた時間は20年である
一方、早熟な天才が5歳で音楽を始めて、60で死んだら55年楽しんだことになる
しかし、そもそも自分は音楽に強い興味ほどはなかった、どちらかというと幼少期に親に強制されたり、
なんとなく苦手意識があった、よくわからん、どうやったらあんなアドリブが弾けるんだ、
ド田舎で本を買っても、よく理解できなかった、いっぱいレコードやCDを買う金はなかった、
住宅街にはファミコン持ってるスネ夫、レコードやCDをいっぱい持ってるスネ夫、色々なスネ夫がいた、
おまえ、この曲知らないの?みたいにみんなにバカにされたりした記憶が今もある…😟
この時期になって、やっとカードが揃った感じがある
というか、人生いつもそうだった気がする
私はマージャンもカードゲームも駄目なのだけど、スヌーピーの配られたカードでというのはなんとなく分かる
みんなは運良くカードが揃っているので、どんどん技を繰り出してくるが、自分はカードがいつまでも揃わない
カードがずっと揃わないので、段々やる気がなくなっていく
それこそ、俺が死ぬ間際、棺桶に入る前の瞬間になって、そこで世界的成功者になったりしたら、何の意味があるんだ?
そう考えると、そういうコントロール不可能なことは、やっぱりほっといた方がいいんだよ、という自分の人生の指針に戻る気がする
人生のコントロールは不能だけど、揃ってるカードで、小さくて、誰にも認められなくても、落書きしてるだけでも楽しい!
みたいなそういう時間の方が、少なくとも自分にとっては人生のメインだったのではないだろうか…😟
いやさ、素数って「1とその数自身でしか割り切れない数」じゃん?で、具体例として挙げられるのが3、5、7、11みたいな奇数ばっかりなわけ。
そんな中で堂々と素数面してる「2」、お前だけ偶数じゃん。ずるくない?
だってさ、素数の条件として「2で割り切れちゃダメ」っていうのが暗黙の了解としてあるわけじゃん。素数判定するときも「まず2で割れるかチェックして、割れたら素数じゃない」ってやるわけで。なのに2だけは「俺は2で割り切れるけど素数です」って顔してんの。いや、お前が基準やんけ。
しかも「最小の素数」とか「唯一の偶数の素数」とか、やたら特別扱いされてるし。お前のせいで「素数は全部奇数」っていうシンプルな理解ができないんだよ。数学のテストでも「2は例外として」みたいな注釈入れなきゃいけない。めんどくさい。
3以降の素数たちは、ちゃんと「奇数」っていう仲間意識を持って素数やってんのに、2だけ一人で偶数のくせに素数クラブに入ってきて、しかも一番最初の席に座ってるの、マジでずるい。