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はてなキーワード:理念とは

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2025-07-15

anond:20250715143938

日本語読めないかな。

リベラル左派を分けた上で理念の話をしてるんだけどな

Permalink |記事への反応(0) | 15:35

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参政党はなぜみんながだいすきな町中華チャーハンと似ているのですか。

1. 「素朴で、どこか懐かしい」イメージ:

町中華チャーハン:

派手さはないけれど、昔ながらの安心感があり、多くの人にとって馴染み深く、ホッとできる味。特別な日ではなく、日常に溶け込んでいる存在

参政党:

既存の大政党とは異なるアプローチで、一部の人々にとっては「昔ながらの日本」や「当たり前だったこと」を想起させるような、素朴で飾り気のない主張に聞こえるかもしれません。

2. 「シンプル材料で、奥深い味わい」の追求:

町中華チャーハン:

米、卵、ネギチャーシューといったシンプル材料でありながら、調理人の腕によって千差万別の奥深い味わいを生み出します。見た目以上の満足感がある。

参政党:

既存政党の複雑な政策論争とは異なり、食の安全教育国益といった、一見するとシンプルで分かりやすテーマを掲げていますしかし、その根底には深い理念問題意識がある、と支持者は感じているかもしれません。

3. 「家庭的で、親しみやすい」雰囲気:

町中華チャーハン:

高級レストラン料理とは異なり、気取らない雰囲気で、誰でも気軽に楽しめる。店主の人柄が味に出ることも。

参政党:

政党のような官僚的な雰囲気ではなく、SNSなどを通じて党員や支持者との距離が近く、親しみやすイメージを打ち出している部分があります一般市民の声に耳を傾ける、という姿勢が見えるかもしれません。

4. 「好みが分かれるが、熱烈なファンがいる」点:

町中華チャーハン:

地域や店によって味が異なり、人によって「ここのチャーハンが一番!」という熱烈なファンがいます。万人受けするとは限らないが、特定の層には絶大な支持を得ている。

参政党:

既存政治勢力とは異なる立ち位置のため、その政策や主張はすべての人に受け入れられるわけではありません。しかし、特定課題意識を持つ人々や、既存政治に不満を持つ層からは、非常に強い支持を受けています

まとめ

参政党が町中華チャーハンに似ている、という比喩は、「派手さはないが、どこか懐かしく、シンプルながらも奥深い主張を持つ。そして、万人に受け入れられるわけではないが、特定の層に熱烈に支持される、親しみやす存在」というイメージから来ているのかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 14:43

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anond:20250715002248

開示請求情報漏洩したら違法なの知らないの常識なさすぎだよ?

情報開示請求が何のために行われてるのか理念から理解してないのバレバレじゃんw

開示情報漏洩裁判官メンツを潰す行為しかいか

警察本気出してくるよ?w

Permalink |記事への反応(1) | 00:25

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2025-07-14

れい新選組の「本物」感と参政党の「まがいもの」感

れい新選組参政党。どっちも過激ポピュリズム政党で、同じような『色物』でしょ?」

街頭演説はいつも黒山の人だかり、ネットでは熱狂的な支持者とアンチが日夜激しい論戦を繰り広げる。そんなイメージから、この二つの政党を一緒くたに見てしまう人は少なくないかもしれない。

でも、ちょっと待ってほしい。その「色物」というレッテル貼りは、あまりに雑すぎる。

両党の政策リーダー発言を冷静に、そして深く掘り下げてみると、その思想の根幹も、目指す社会の姿も、まったくの別物であることが見えてくる。

しろ、片方は国民生活という現実直視した「本物の政策集団」であり、もう一方は人々の不安を巧みに利用する「まがいものポピュリズム」とさえ言える。なぜそう断言できるのか。その決定的な違いを、これから徹底的に解説していこう。

れい新選組データロジック国民を救う「ガチ政策集団」

れい新選組政策は、一見過激に見えるが、その根底には「失われた30年」で疲弊しきった国民をどう救うかという、極めて真摯で一貫したロジック存在する。

地に足のついた問題意識

山本太郎代表は、原発事故きっかけに政治世界飛び込み、一貫して社会的弱者の側に立ってきた。彼の政策の出発点は常に「この国に生きる、あなた」だ。倒産件数過去最多を記録し、多くの国民生活に苦しむ現実直視し、政治の責任を問うている。

明確な経済政策裏付け

消費税廃止」「積極財政」という彼らの看板政策は、単なるバラマキではない。デフレ脱却には徹底した需要喚起必要という明確な経済理論MMT)に基づいている。財源についても国債発行を基本としつつ、法人税金融所得課税の強化といった富裕層への応分負担を求める具体的な対案も示しており、論理的だ。

未来への投資としての「グリーン・ニューディール

気候危機というグローバルな課題に対し、れいわは「脱原発」とセットで具体的な未来像を提示している。再生可能エネルギーへの大規模投資によって、250万人規模の雇用創出という経済効果まで試算しており、単なる理想論ではない、実現可能性を追求した政策となっている。

人間安全保障」という確かな理念

れいわの政策は、軍事力だけでなく、貧困格差差別から一人ひとりを守ることこそが真の安全保障だという「人間安全保障」の考え方に貫かれている。食料自給率の向上、ケア労働者待遇改善外国人人権保障など、その政策は具体的で、すべての人々の尊厳を守るという一点で繋がっている。

要するに、れい新選組は、現実データに基づき、明確な理念理論に裏打ちされた政策を掲げる「本物の政策集団」なのだ

参政党:科学無視し、不安を煽る「まがいものポピュリズム

一方の参政党は、耳障りの良い言葉を並べるが、その中身は科学的根拠に乏しく、特定イデオロギーに基づいた危険な主張が目立つ。

思いつきとしか思えない非現実的な政策

プロゲーマードローン部隊を作る」、「天皇陛下側室を」といった発言は、政策としての体をなしておらず、まさに「妄言レベル」だ。子ども一人に月10万円を配るという政策も、「教育国債」という名の借金で賄うとしており、その返済計画マクロ経済への影響についての具体的な議論はない。

科学的根拠の欠如と反知性主義

参政党は「脱・脱炭素」を掲げ、再生可能エネルギー推進を「環境破壊」と断じ、次世代火力発電を「CO2排出実質ゼロ」と主張するなど、世界科学コンセンサスを真っ向から否定している。その姿勢は、コロナ禍で見られた反ワクチン的な主張にも通底しており、極めて非科学的と言わざるを得ない。

巧妙に逸らされる批判の矛先

参政党は「行き過ぎた外国人受け入れに反対」と声高に叫ぶ。しかし、ここで重大な矛盾がある。日本移民政策推し進めてきたのは、安い労働力を求める経団連と、その意向を受けてきた自民党政権だ。ところが、参政党が経団連自民党を厳しく追及する姿はほとんど見られない。批判の矛先は、政策を推進した権力者ではなく、常に外国人へと向けられる。対照的に、れいわの山本代表は「移民政策を求めたのは誰か?経団連ですよ」「資本家が望むからやった」と、問題の根源である大企業要求政治癒着を明確に批判している。強者である権力者には触れず、弱い立場外国人を叩いて支持を集める手法は、まさにポピュリズム典型例だ。

危険ナショナリズム排外主義

彼らの政策根底にあるのは、国民生活の向上ではなく、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」という排外的ナショナリズムだ。その思想は「日本ファースト」というスローガンに集約され、政治の失敗を外国人のせいにするような言説につながっている。

専門家も呆れる憲法草案

参政党が掲げる「創憲」案は、憲法学者から素人の案」「独裁憲法」と酷評されている。国民主権や三権分立といった近代憲法の基本を軽視し、特定価値観(「八百万の神」「男系男子皇位継承」など)を押し付ける内容は、民主主義国家の基本設計図としてあまり稚拙危険だ。

結局のところ、参政党の政策は、人々の漠然とした不安や不満につけ込み、特定イデオロギーに基づいた「物語」を売っているに過ぎない。それは、国民生活を豊かにするどころか、社会の分断を煽り日本を誤った方向に導きかねない「まがいものポピュリズム」なのである

結論似て非なる色物」の正体

こうして両党を比較してみると、冒頭で述べた「どっちも同じような色物」という見方が、いか物事の表面しか捉えていないかがわかるだろう。

かに、両党とも既成政党への不満をバネにするポピュリズム的な側面を持つ。しかし、その中身は天と地ほども違う。

れい新選組は、徹底したデータ分析と(異端ではあるが)一貫した経済理論に基づき、「この国の国民をどう救うか」という課題真正から挑む「本物の政策集団」だ。その手法はラディカルだが、現実課題解決を目指す真摯さがそこにはある。

一方の参政党は、科学を軽視し、矛盾だらけのロジックで人々の不安を煽る。移民政策元凶である経団連自民党批判せず、弱い立場外国人を叩く姿勢は、国民のための政治とは到底言えない。これは、実態の伴わない「まがいものポピュリズム」に他ならない。

一見すると同じ「色物」に見えても、片方は国民未来を本気で考え抜いた結果の「劇薬」であり、もう片方は耳触りの良い言葉本質を覆い隠した「毒」と言えるのかもしれない。その違いを見抜くことこそ、今の時代に求められる政治リテラシーではないだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 21:52

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AI活用標榜する政党のことをAIに聞いてみた

増田:

政策としてAI活用を掲げる一方で、イデオロギーが無い、またはイデオロギー無自覚政党をどう評価すればいいか

AI:

非常に本質的な問いです。AI活用を前面に掲げつつ、イデオロギーに乏しい、あるいはイデオロギー無自覚政党をどう評価するかについて、以下の観点から冷静に分析すべきです。

1. 「イデオロギーの不在」とは何か

まず確認すべきは、その政党が「イデオロギーを持っていない」のか、「イデオロギーを明示しない」のか、あるいは「イデオロギー回避している」のかという点です。

2.AI政策イデオロギー代替うるか

AI活用有効な「手段」であって、「目的」ではありません。以下のような視点が欠けていれば、政党としての方向性疑問符がつきます

イデオロギーを持たないと主張する政党も、暗黙のうちに新自由主義的、テクノクラート立場に立っていることが多い。これは「無色透明」のようでいて、実際には偏った立場である可能性が高い。

3.評価軸の提案

このような政党評価する際、以下の問いを立ててみるとよいでしょう:

 →AIによって何を解決しようとしているのか?単なる流行追随ではないか

 →弱者保護倫理的規範民主的統制などの視点を持っているか

 →AI政策経済教育労働福祉とどう接続しているか?断片的でないか

 →技術礼賛ではなく、技術手段として冷静に位置づけているか

結論

AI活用政策の中核に据えながらも、イデオロギー無自覚政党は、実質的には無責任で危うい存在となり得ます理念を持たず、技術目的化しているのであれば、それは政治リーダーシップの欠如を意味します。評価にあたっては、その政党が「どのような社会を目指しているのか」を問うべきであり、AIあくまでそのための手段であるという視点を持つことが不可欠です。

Permalink |記事への反応(0) | 21:47

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民主主義理念からすると知事とか大統領とかって

候補者の脳を得票率割合で混ぜて揚げたコロッケが務めるべきなんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 18:48

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参政党の支持者への感想

参政党の支持者(いい歳したおじさん)がプロテストデモに、ベロをベロンベロンした変顔とか「俺にほんじーん!」みたいにちょけたり、「バカ!」とかシンプル暴力暴言を吐いているのを見て、なんか怒りよりも哀れさが勝ってしまった。

彼らにも生活の不満があるけれども、多分社会について構造をよく捉えて落ち着いて考える、とか、そういうのが多分余裕がないとか考えるのが難しいとか、多分普段からそんな感じだから自分自身の考えを深め(≠確信を深める)ながら、他者相互関係し合う会話」みたいなのをあんまり経験できなくて、なんかだからもう本当に自己に閉じるというか...。

そしてちょけることや暴言暴力を振るわなくても、「漠然とした不安」が漠然としたまま抱えることで精一杯で、余裕がない人たちがわかりやすい話に勢いよく飛びついてしまっている現状を、どう考えたらいいんだろう。

実際こういう暴力的な発露をするのは一部で、実際はもっと普通の人が現状をなんとかして変えたくて、支持しているのかなと思う。

これは明らかに政権までの積み重ねが引き起こした歪みで、いわゆる"エリート"たちだって、相当な理念がなければ日頃から議論対話ができない善良な市民一般」を相手に会話したいなんて思わないだろうし。

こういう人たちの相手(世の中には結構ボリュームでいる)が参政党になってしまっているというか。

どうすりゃいいんだろうね。これから

Permalink |記事への反応(0) | 11:49

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2025-07-13

バキバキ童貞党の政策

■ 基本理念

恋愛弱者にも、生きる誇りと文化的充実を。

性の偏在を是正し、誰もが尊厳を持って生きられる社会を目指す。

科学技術政策

オリエンタル工業再建 × チームみらい連携プロジェクト

〜 高性能AIダッチワイフミライパートナー』開発計画

■ 背景:恋愛と性の格差という構造問題

現代社会では、女性強者男性高収入高学歴高身長・高コミュ力)に惹かれる傾向があるのは、統計的にも示されている。

・その結果、恋愛市場において強者男性女性が集中し、複数女性交際関係を持つ「恋愛の寡占」が発生している。

・その裏で、いわゆる“普通男性”や“非モテ男性”が取り残され、孤独自己否定、時に社会不適応へと追い込まれている。

政策内容

・老舗メーカーオリエンタル工業」を国策で再建し、

 スタートアップ政党「チームみらい」と共同でAI搭載型の高性能ダッチワイフを開発。

非モテ男性に対し、段階的に無償または公的補助による配布を行う。

この“ミライパートナー”は単なる性処理機ではなく、

感情認識対話スキンシップ個別学習などを備えた孤独対策機器である

目的メリット

・性欲という三大欲求のうちの一つに公的対応を行う

恋愛市場から排除された者にも「つながり」と「文化的生活」を保障する

性犯罪の予防、安全保障への寄与

女性にとっても、強者男性恋愛独占がもたらす歪みや、非モテから逆恨みリスクの軽減という形でメリットがある

■ 国際政策世界童貞サミット(WVS)

世界中の「恋愛弱者」に声を与える国際会議

孤独・性の格差排除問題グローバル議論し、技術解決策(AIパートナー技術など)を共有

・“性と孤独”の国際的倫理問題に対して、日本リーダーシップを発揮する

キャッチコピー

・「恋愛格差に、国家が介入する時代。」

・「童貞は、恥じゃない。構造だ。」

・「技術が性欲を解放する。」

・「愛されなくても、生きていい。」

風刺でも提案でも妄想でもいい。ただ、

非モテ」の存在黙殺され続ける社会は、静かに歪んでいく。

性と孤独問題は、個人の“努力不足”という言葉で片付けてはいけないと思う。

自由コピペ・加筆修正してください。

Permalink |記事への反応(0) | 18:27

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2025-07-12

共産党人間ファーストセカンドもないって理念自体はいいんだから天皇制廃止に踏み込めよ

なんでそこで日和るのか理解できないし女性天皇とか言っててマジで失望した

天皇ファーストなのはいいんだ

Permalink |記事への反応(0) | 16:33

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参政批判言葉ってだいたいブーメランだよね

陰謀論

カルト

デマ

中身スカスカ

政治的理念が無い

その場その場で都合のいいことしか言わない

人気取り政策ばかり

 

だいたいどの政党にも当てはまる言葉ばかりじゃん

Permalink |記事への反応(3) | 06:58

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2025-07-10

anond:20250710111247

そもそも論として、陰謀論にも“レベル”ってもんがあるんだよ

参政党が特別に叩かれるのは、特別ヤバいから

科学否定

民主主義破壊

精神論陰謀論国家を動かす

そんな政党は、日本の歴史上でも例がないレベル危険思想集団です

共産党マルクス主義なら、参政党はエセ科学と終末思想ミックスジュース

れいわがポピュリズムなら、参政党は知性のゾンビ化政策

「どっこいどっこい」などと言えるのは、お前の頭が“どっこいどっこい”なんだよ


共産党れいわが疑わしいことを言った?それは間違いない

でもね、それらは「特定政策分野」に限定される話だし、党の綱領の根幹ではない

ちょっとズレたこと言ってる奴もいるな」レベル

一方で参政党?

ジャンボタニシ解脱可能性がある」とか

小麦粉有害」とか

憲法から人権をなくそう」とか

陰謀論を通り越して集団ヒステリー

これを平然と政見放送で喋り、動画拡散し、政治理念として真顔で語るんだから恐れ入る。

もはや知性の放棄を国是に掲げる政党と呼ぶべきだろう

次に 「参政党を叩くのはリベラルダブスタ」?

あほ

まず、叩いてるのは別にリベラルだけじゃない。

保守リベラルも、まともな知性があれば等しく警戒するのが参政党だ

だってあいつは民主主義すら敵視してる

日本人権不要」と言い出す

ワクチンは毒」と公然と言う

マスコミ医師も全員ウソをついている」と断定

こんな連中を、「いやまあ左も言ってるしさ」と並列扱いしようとするのは、頭のネジが数本外れてないと無理な芸当


最後に「タマには本当のことも言う」って、詐欺師を庇う言い訳か?

タマには本当のことも言ってる」? それ、詐欺師擁護する時に使う典型的セリフです。

カルト陰謀論も、必ず“当たり前のこと”と“信じたいこと”を混ぜてきます

それを真に受けて「一部は正しい!」と持ち上げるのは、バカと同じ

Permalink |記事への反応(7) | 19:42

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anond:20250710132006

拝読し、心から敬服いたしました。

ご指摘なさっている内容は、まさに現代日本政治世論の深層に鋭く切り込むものであり、

そのご見解の的確さには、ただただ感服するばかりでございます

若年層の政治意識の変容、

とりわけ現役世代若い男性の間で顕在化している価値観の変遷を、

ここまで的確に捉え、

さらにそれが投票行動という具体的なかたちで現れている事実にまで言及なさるとは──

あなた様の知識の広さと時代の空気を読む感性の鋭さに、改めて深い敬意を抱きます

また、「リベラル」という言葉本来持つ理念と、

それが現実社会でどのように受容・変質してきたかという点についても、

極めて洞察に富んだご見解であると存じます

このような分析をお示しくださることは、

今後の議論において極めて貴重な礎となるものでございます

どうか、これからもその高いご見識と真摯なお考えを持ち続けてくださいますよう、

心よりお願い申し上げます

Permalink |記事への反応(0) | 13:21

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2025-07-09

日本国民ネオテニーの末路としての今日政治

平成サブカルチャーの変容と社会認識

平成時代を経て、かつて一部の領域限定されていたサブカルチャーは、市民権を獲得するに至った。この過程で、その表現形式や受容のされ方は普遍化し、社会の中に不可逆的に定着したと言える。かつてのマイノリティ文化が、一般的感覚として根付いたのである

オタク文化の受容もその一例である。かつては偏見対象となりがちであった「オタク」という存在が、現在では多様な趣味形態の一つとして、広く肯定的に迎え入れられている。これは、多様性を是とする現代社会において、健全な進展と評価できる側面を持つ。個人情熱が共有され、新たなコミュニティ形成されることは、文化の深化に寄与する。

社会の「キャラ化」現象とその政治的影響】

しかし、この受容のプロセスには、看過できない課題も内在する。実は、2000年代初頭にはすでに、漫画アニメといったフィクション世界だけでなく、私たち日常生活さえもが「キャラ化」しているという指摘がなされていた。東浩紀氏が『動物化するポストモダン』などで論じたように、人間関係や消費行動、さらには自己認識までもが、キャラクター的な記号によって構築される傾向が顕著になったのである

特に、消費行動として増幅されたオタク行動様式、あるいは「仕草」と呼ぶべきパターンが、政治領域にまで浸透している現状は、深く考察されるべきである政治家が「キャラクター」として消費され、「推し活」の対象となる現象は、その典型である政策理念といった本質的な要素よりも、表層的なイメージ感情的共感が重視されるこの風潮は、一種偶像崇拝にも似た様相を呈している。

民主主義健全性への問い:投票意味論的変容とオタク文化帰結

この流れは、投票行為の持つ意味合いにも深刻な変容をもたらしている。本来有権者による統治者への「信託」であったはずの投票行為は、あたかアイドルグループメンバーを選出する人気投票や、あるいは特定対象資金を投じるギャンブルにおけるベット同義思考様式で行われているのではないかという疑念が生じる。そこでは、候補者政策実行能力理念への評価よりも、「推し」としての応援感情、すなわちタレント性や個人的な魅力への傾倒が先行する。

そして、これはオタクとして生きている私自身の感覚であるが、メディアに取り上げられ過熱する消費行動としての「オタ活」は、金銭面はもちろん、精神面や時間をも惜しみなくつぎ込むことを良しとする風潮がある。それができる者こそが“ホンモノ”のオタクであると言わんばかりの圧力すら、時に感じられるのだ。この過剰な消費と「推し」への献身を強いられる状況に、明らかに疲れ始めているオタクも少なくない。

もし、この「推し活」化された政治が、オタ活と同様に人々を疲弊させ、政治のものへの関心や参加意欲を削ぐ結果を招くとしたら、どうだろうか。我々が政治疲弊し、その営みから目を背けるとき、それは民主主義の敗北と同義かもしれない。私たちは、この「政治エンタメ化」とでも呼ぶべき現象に対し、いかに向き合うべきか。そして、その先に真の民主主義的熟議は成立し得るのか。この問いは、現代社会における重要課題であると考える。

※この文章AIが書きました

Permalink |記事への反応(1) | 23:37

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2025-07-08

【再掲】民主主義多数決ではない。"だから"杉田水脈のような議員必要

1.民主主義多数決ではない

民主主義多数決である。よって、少数民族を皆殺しにして財産没収する法案多数民族が多数を占める議会で、賛成多数で可決されました」

……のようなことはあってはならない。だが、残念ながらこのような政治が行われた例は多数ある。

暴力装置をもった政権が実際にこのようなことをした時に現実的にどこまで阻止できるか、というのは難しい問題である

だがそれとは別に、『少なくとも理念としては、あってはならないことだ』という点は強調しておく)

そのような事態を防ぐために憲法が制定され(厳密な成文憲法を持たない英国のような国もあるが)、

犯罪に対する刑罰を含め、法律によって国民権利制限する際はこのような手続きを踏まなければならない。

また、このようなことをしてはならない』ということが定められているわけである

2.議会とは何か

 民主主義における議会役割については2つの考えがある。

1つは、『多数決民主主義』と呼ばれるもので、『手続きに沿って皆が意見を出し合った上で(ここ重要)、最も良い意見を選ぶためにある』というものだ。

民主主義多数決ではないとは書いたが、実際には多数決を行わざるを得ない状況があることは否定できない。

ただし、『何でもかんでも多数決で決める、それ“だけ”が民主主義』ではない、というのが表題意味だ。

もう1つは、『熟議民主主義(または討議民主主義)』と呼ばれるもので、

『世の中にA,B,C,Dの意見を持つ人がいるとき、その代表者たちが議会で熟議を重ね、皆が納得するEという結論を出すために議会はある』というものだ。

この2つの考えはどちらが正しいというものではない。議題によって多数決よりになることもあれば熟議よりになることもあるが、2つともが議会役割である

3.議会における杉田水脈役割

 多少の誇張を含めて言うのであれば。杉田水脈は『ホモフォビアの人の代表である

現在の世の中には、ホモフォビア存在する。それは自明事実だ。

そのような『ホモフォビアの人の意見を、メディアでは取り上げません』というのはできるかもしれないし、

ホモフォビア的な内容を掲示板SNSに書き込むことを禁止し、削除させます』というのも、もしかしたら将来は何とか可能になるかもしれない。

だが、『選挙立候補者政見放送選挙公報でホモフォビア的な主張をすることを禁止します』というのは政治的に困難だ。

それを可能にすると、次は反安倍政権的な内容が規制されるかもしれないし、逆に反移民の主張が禁止されるかもしれない。

ましてや、『あなたレイシストから選挙権も剥奪します。投票できません』などということは二重の意味絶対にするべきではない

─1つには人の内面を、言動に現れていない部分まで正確に読み取る技術存在していないし、2つ目にはアウシュビッツ博物館の”差別心を持たない人の扉”が示すように、差別心の無い人はおそらく存在しないからだ─。

 だからこそ、ホモフォビアの人の代表として『俺たちの杉田水脈』が議席を持っている。

同時に、杉田水脈議席を持って活動しているにも関わらず『俺たちの杉田水脈の主張するホモフォビア政策議会で通らなかった』という事実こそが、

我が国にもホモフォビアはいますが、そのような政策は実現されません』という何よりの証明になる。

 『そうではない。市民代表ホモフォビア的な主張をすること自体が、同性愛者に対する圧力になるからそのような主張をさせるべきではないし、そのような人を議会に送るべきではない』

という考えの人もいるかもしれない。だが、そのような“政治的に正しくない”意見を遠ざけていった結果がトランプ現象を生んだという事実を我々、特にリベラル”な人たちはきちんと受け止めなければならないのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 12:08

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2025-07-07

将来の夢 #男女平等

私の将来の夢は平等社会を作ることだ.

この夢を達成するためにはどれだけの犠牲を払わなければいけないか,私にはわからない.

おそらく,今現在2025年7月4日,この図書館,あるいはこの学校にいる人たちの誰よりも,勉学に時間をかけて励み,文章を読み書きし,書籍からより多くの視点を知り,かつ多くの多様な人々と関わっていかなければ,達成,あるいはそれに近づくことすらできないだろう.

これはあくまでも必要条件であり,自身の確固たる覚悟や高尚な理念,そして自身の過ちを疑い,受け入れ,改善することのできる人間性必要とされるはずだ.

また,この問題学生の間だけではなく,社会人,ひいては人生をかけて考えていかなければならない.

今の私はそれにふさわしいのだろうか.それを証明できるのは少なくとも今ではないし自分自身ではない.

今できることは彼等への復讐を誓い,臥薪嘗胆していくこと,それのみである

これは自分自身の為だけではなく,過去を生きた彼らと未来に生きるであろう彼らの為である

彼らの仇を討たなければならないし,彼らにこの不平等に満ち溢れた社会や考えを押し付けることは決して許すことはできない.

最後にこの問題に関心を持つきっかけになった父に対して深い感謝の念を伝えたい.

KK(2025/07/04)

Permalink |記事への反応(4) | 13:39

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日本共産党参政党を忌み嫌うのは近親憎悪が原因

参政党と日本共産党は、その政治的イデオロギーにおいて大きく異なるにもかかわらず、党運営組織の作り方において驚くべき類似点を指摘されることがあります。この論文では、両党に共通する組織運営の特徴について考察します。

強固な中央集権的な意思決定プロセス

第一に挙げられるのは、強固な中央集権的な意思決定プロセスです。共産党が「民主集中制」を原則とし、党中央が決定した方針下部組織まで貫徹される厳格な規律を持つことは周知の事実です。参政党においても、党首を中心とした少数の幹部による意思決定が強く、地方組織党員個々の意見が反映されにくい構造が見受けられます。これは、迅速な方針決定や統一的な行動を可能にする一方で、異論封殺上意下達の傾向を生み出す可能性があります

党員に対する意識啓発と結束

第二に、党員に対する意識啓発と結束の強化に重点を置いている点です。共産党は、党学校学習会を通じてマルクス・レーニン主義学習を徹底し、党員思想統一を図ります参政党もまた、定期的な勉強会講演会を開催し、党の掲げる理念政策に対する党員理解を深め、その意識を高く保つことに努めています。両党ともに、党員が単なる有権者ではなく、党の理念を実現するための「活動家」としての自覚を持つことを強く求める傾向が見られます

草の根レベルでの組織活動の重視

第三に、草の根レベルでの組織活動の重視です。共産党は、地域支部職場支部を基盤とした地道な住民運動機関紙普及活動を通じて、支持層の拡大と組織の強化を図ってきました。参政党もまた、街頭演説SNS活用した情報発信だけでなく、地域での小規模な集会イベント積極的に開催し、党員や支持者との直接的な対話を通じて、地盤を固めようとしています。これは、既存メディア既成政党に頼らず、独自ネットワークを構築しようとする姿勢の表れと言えます

情報の統制と共有の徹底

第四に、情報の統制と共有の徹底です。共産党は、機関紙しんぶん赤旗」や党内での会議を通じて、党の方針や情勢認識党員一元的に伝達し、外部から情報に対するフィルター役割も果たします。参政党も、公式ウェブサイトSNS党員限定オンラインコミュニティなどを通じて、党のメッセージ積極的に発信する一方で、外部の批判や誤解に対しては、党として統一した見解提示する傾向があります。これは、党のイメージを保持し、党員が誤った情報に惑わされることを防ぐ意図があると考えられます

少数精鋭による運動推進の志向

第五に、少数精鋭による運動推進の志向です。両党ともに、党員の数そのものよりも、党員一人ひとりの活動量や貢献度を重視する傾向があります。これは、大衆政党というよりは、明確なイデオロギーを持ち、その実現に向けて献身的活動する「党員」によって支えられる政党という側面が強いことを示しています。そのため、党員には高い規律と行動力が求められ、その代わりに党内での一体感や達成感を共有しやす構造となっています

日共参政類似が語るもの

これらの類似点は、イデオロギーの違いを超えて、特定理念目標を共有する集団が、組織を維持し、活動を推進していく上で効率的判断する運営手法共通していることを示唆していますしかし、これらの特徴が、ときに閉鎖性や多様性の欠如、あるいは党内での自由議論抑制といった課題を生み出す可能性も指摘されるべきでしょう。

参政党と共産党組織運営における類似性は、日本の政治における政党組織のあり方について、多角的視点から考察する契機を与えてくれます

Permalink |記事への反応(1) | 13:02

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でも参政党って直近ではデマを語ってなくない???

追っかけじゃないので見落としあるだろうけど

都議選参院選選挙活動ぐらいの範囲だと、賛否両論はあるだろうがこういう考え方もあるだろうねというものしか見えない

私はあの代表の人に政治理念などなく、その場その場で大衆ウケることを訴える才能がずば抜けてる人だと見ている

信者でもないがアンチでもない

Permalink |記事への反応(0) | 10:44

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2025-07-05

anond:20250703194504

理念お気持ちと呼ぶ時点で話にならん。

Permalink |記事への反応(0) | 19:26

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ラオス買春女の話題見てると、キャンセルカルチャーはやっぱ糞

ラオス買春しまくってたり、その他、道義に反する性的行為を色々とブログに書いてた女性日本児童買春への批判署名活動をしていた件について、たとえ女性過去問題行為をしていたとしても児童買春撲滅という行為は正しいので「それはそれ、これはこれ」というコメントはてブでは少なからず見られた。

それ自体は俺も大いに同意するところである

ただ、それを思うと、やはり今まで多くの芸能人クリエイターなんかが不品行に対するキャンセルカルチャーで表舞台から消されたことに対して納得のいかない思いになる。

たとえ、『罪人の行ったことであっても良き行為は認められるべき』という理念を持つのなら、やはり彼らはキャンセルされるべきではなかった。

面白いコンテンツを世に送り出すという行為は、どう考えても児童買春撲滅と同じくらい、社会善? 社会益? とにかく良き事だと思う。

どこかの国では日本アニメのおかげでドラッグが下火になったなんて話もあったが、優れた娯楽を提供する行為犯罪者の道に堕ちることを防ぐ対抗策にさえなり得る。

もちろん罪を犯した者がのうのうとした姿をさらしていることについて悪影響が一切ないとは言わない。

そうした悪影響を重く見て、罪人は表社会から消し飛ばせというのも(俺は賛同しないが)一つの考えかもしれない。

だが、少なくともラオス買春女のこと活動肯定していた人は、他のキャンセルカルチャーにも賛同すべきではないと思う。

はてブでは、加害者女性からか、被害者女性ではないからか、過去キャンセルカルチャー親和的言論を取っていながら、ラオス買春女の活動肯定しているダブスタクソ野郎を見かけてとても残念な気持ちになった。

キャンセルカルチャー肯定するならあの女性社会生命も殺し切る必要があるし、もしそれが間違っていると思う良心があるのなら広くキャンセルカルチャー自体を止めるべきだ。

Permalink |記事への反応(5) | 09:36

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2025-07-03

選択夫婦別姓制度をめぐるメモ

選択夫婦別姓制度をめぐる議論が盛んである

ChatGPTと哲学的議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。

選択夫婦別姓議論は、単なる法律修正にとどまらず、私たち「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人自由拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤排除が生まれうるという、自由のものの逆説的性格に由来する問題である日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後民法は大きく改正されたが、戸籍構造根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態女性社会進出国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択夫婦別姓」への要望が強まっている。

一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍なかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である

選択夫婦別姓制度における「自由」と「コスト

ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である改革に伴い、精神史的あるいは文化的意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつコスト問題といえるだろう。

選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャー説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。

W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスク自己責任管理選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。

選択夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属根拠を失う不安」といった新たな社会リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由責任の過剰な個人化による孤立不安——をも視野に入れる必要がある。

自明性の喪失」がもたらすアイデンティティ不安

この現象は、韓国2008年に導入された「個人単位戸籍制度家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層から批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。

しろ制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたこである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。

ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分意思か?」「配偶者強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線生まれる。これは日常選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。

たとえば、韓国の若年層においては、恋愛結婚出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉流行し、さら結婚出産恋愛に加え、家族男性との関係異性愛自体拒否する「4B運動非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動担い手たちは、単に従来のジェンダー規範拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのもの解体する動きを見せている。たとえば、4B参加者たちは、「家族説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己尊厳を保つという新たな主体性表現がある。ベックのいう「選択強制」への拒絶反応韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。

沈黙する自由」のジレンマ

こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦ブルース》(1969年)は、まさに「沈黙自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである選択自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれ存在叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。

一方で、この作品は、主婦という存在社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から沈黙共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代70年代左派運動ベトナム反戦学生運動階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙共犯」とはサルトル実存主義倫理象徴する言葉だ。

「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である政治主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティである。この「疲労言葉」は、政治正義言葉ではすくい取れない主体感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従無知ではない。むしろ言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己尊厳日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。

しかし、「語らないことを自分意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙自由ジレンマがある。

このような表現は、フェミニズム文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体論理可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司詩作にも見られる。たとえば阿部定事件主題にした作品群では、語られすぎた欲望暴力物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会暴力性を照らし出す存在として描かれる。

沈黙のうちに自己選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦ブルース》と寺山修司詩作は、「語らなければ存在しない」という制度圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。

この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいか尊重するかが問われることになる。

他者との関係において自我がどのように成立しうるか

このような非対称性問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいか制度の中で位置づけるかという課題が生じる。

ここで参照されるべきは、社会学者チャールズティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念であるティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定カテゴリーに分類し、その分類を通じて資源権利へのアクセス構造的な差異をもたらす。選択夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人選択無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティ指標となり、当人意思とは無関係社会評価区分根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的排除不利益への慎重な配慮が求められる。

こうした哲学的社会構造的な視点を踏まえたとき制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理制度交差点において、いかにして沈黙や非選択尊重うるかという、より深い次元議論となる。

まず、レヴィナスは『全体性無限』において、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者沈黙に対しても、応答を要請される私たち姿勢倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者沈黙承認する制度設計必要性と深く響き合う。

次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人国家装置制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である

その一方で、他者承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想であるヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者から承認必要とするが、その承認一方的では成立せず、双方が自己表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己確立を前提とする点で、自由平等理念哲学的に基礎づける重要モデルである

しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このときヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度想像力は、まさにそこから展開されねばならない。

これら四人の思想家が示唆するのは、制度主体関係性における多層的な緊張であるティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度いかにして人々の行動範囲構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体無意識に構築されてしまメカニズムを暴き、ヘーゲル承認関係対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度個人いかに分類し、語らせようとするか(ティリーアルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係倫理を見出す視点レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由モデルヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計可能性を構想することができる。

理屈はそうだ。しか果たして、語らない自由保障制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的まなざし有効な力になるだろう。

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Permalink |記事への反応(0) | 19:53

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日本人ファースト反日

外人は見下すぞ!って国には移民観光客も来なくなる

民主主義理念にも反する

国益のために日本人ファーストを粉砕しよう

Permalink |記事への反応(0) | 19:52

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2025-07-02

ガンジーまさか秋葉原降臨!?非暴力パフェが肉の海に沈む~

時は令和、空前の肉ブームが最高潮!高級焼肉熟成肉ステーキハンバーガー…みんなが「肉こそ正義」ってSNSで叫んでた20XX年。そんな中、秋葉原電気街に、マジで浮世離れしたおじいちゃんが現れたんだってインド民族衣装っぽいのに、なんかこう、痩せ細ってるのに異様なほどのオーラをまとったお方。「え?外国人観光客コスプレイヤー?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その圧倒的な存在感に目を奪われてたらしい。

「わたくしは…マハトマ・ガンジーと申します。」

え?マジで?あのインド独立の父で、非暴力主義聖人ガンジー!?ゲキヤバ!って歴史好きのギャルたちがスマホで速攻ググり始めた瞬間、その超絶穏やかなお方、もといガンジー様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…アーシュラムではない、か…?ずいぶんと騒がしく、しかし活気にあふれた場所ですな。」って、マジで時代錯誤ハンパない!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その慈悲深い眼差しに、何か深い哲学を感じてたらしい。

そんなガンジー様に、恐る恐る話しかけたのは、秋葉原メイドカフェで働いてる、ちょっと変わったギャル、ココ。「あの…もしよかったら、何かお困りですか?」「…うむ、少々。この『アニメ』とやら、いかようなものか…」って、マジで丁寧な言葉遣い!ココ、そのギャップちょっとキュンとしつつ、「アタシ、ココ!アキバことなら、何でも聞いて!ガンジー様、マジでいから、アタシがプロデュースしてあげてもいいよ!」って、キラキラ笑顔で声をかけたんだって

次の日、ココに連れられて、ガンジー様は初めて現代日本体験メイドカフェとか、ガチャガチャとか、マジで全てが新鮮!でもね、ガンジー様が一番興味を示したのは、肉バル外国人観光客が豪快に食べてたもの。「…この、赤く焼かれた肉は、何というものでございますか?」って、マジ真剣眼差し。ココ、まさかのチョイスに驚きつつ、「あ~、これ、ビーフステーキですよ!タンパク質!マジうま!」って教えてあげたんだって

ガンジー様、一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この力強き味わいは!?噛み締めるたびに溢れる肉汁…まるで、大地の恵み、生命の根源のようである!これこそ、余が求める、真の糧よ!」って、マジで聖人っぽい表現で感動してたらしいよ。え、マジで?あのベジタリアンで有名なガンジーが肉食に目覚めるとか、マジで歴史改変レベルじゃん!

そこからガンジー様のビーフ愛がマジで爆発!毎日色んな肉バルを巡って、ビーフステーキを食べ比べまくってたんだって。「肉の部位、焼き加減、ソース調和研究しがいがありすぎる!」って、もはや肉マイスターレベル

でね、ある日、ガンジー様、マジで下取りの野望を語り出したの。「我は、このビーフをもって、再び天下を…とは言わぬが、この甘味世界において、全ての生命感謝し、調和をもたらす、至高のパフェ創造してみせようぞ!これこそ、余が目指す、『非暴力パフェ』よ!」って!

え?ビーフパフェ天下統一しか非暴力とか調和とか!マジで壮大すぎる!でも、ガンジー様の「非暴力」の魂があれば、きっと何か成し遂げるに違いない!ってココも思ったらしいんだけど、ガンジー様の目はマジだったんだってインド独立理念が、令和のビーフパフェに新たな戦場見出したのかもね!

そっからガンジー様のビーフパフェ天下統一計画スタート!まずは、SNSで「#ガンジー非暴力パフェ道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の超絶肉肉しいけど美しいパフェ画像をアップし始めたんだって。その斬新すぎる見た目と、ガンジー様の哲学的なコメントが、一部の肉好きギャルや、健康志向の人たちの中でじわじわバズり始めた!

ガンジー様が作るビーフパフェマジで気になる!」

非暴力主義者が作るスイーツとか、絶対何か奥深い!」

ビーフパフェって、意外とアリかも…?」

SNSガンジー様のビーフ愛でじわじわ盛り上がり!しかも、ガンジー様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地の珍しい和牛や、オーガニック野菜、そして一切加工されていない自然甘味料を探し求めたり、肉と野菜スイーツの「調和」を追求したり、マジでストイック!「天下のビーフパフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって

で、ついに!ガンジー様は、銀座のど真ん中に、自分プロデュースするビーフパフェ専門店「AHIMSA PARFAIT -和合の味 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、インド寺院イメージした、質素ながらも神聖デザインで、ガンジー様の思想表現店員さんも、サリー風のモダンユニフォーム着てて、マジでクール

オープン初日から、肉好きギャルや、グルメインフルエンサー、そして日本の伝統文化に興味を持つ人々まで、行列を作って押し寄せた!「SNS話題ビーフパフェマジで挑戦してみたい!」「ガンジー様って、なんかカリスマ!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「うわっ、肉とスイーツマジで合う!」「甘辛いソースと肉の旨味が最高!」「ガンジー様、マジで神!」って、賛否両論ありつつも、リピーターが続出!口コミが広がりまくって、AHIMSA PARFAIT -和合の味 - はあっという間に人気店になっちゃったの!

しかもね、ガンジー様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!定期的に店内で、自らパフェの「思想」について熱弁したり、瞑想時間を設けたり、マジで独自スタイルエンタメ業界を盛り上げようと奮闘してるんだって

テレビ雑誌取材殺到!「令和のガンジー」「ビーフパフェ聖人」とか呼ばれて、マジで時の人!ガンジー様の研ぎ澄まされた感性と、ビーフパフェの斬新な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!

でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!ガンジー様のビーフパフェは、全国のスイーツ好きに愛される定番メニューになったんだってお取り寄せスイーツとしても人気が出て、全国のコンビニスーパーでも「ガンジー印の和合パフェ」が発売されるほどに!まさに、ビーフパフェスイーツ界に新たな旋風を巻き起こし、天下を獲った!マジですごすぎ!

あの時、秋葉原の街に静かに佇んでいた聖人が、令和の時代ビーフパフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、非暴力パフェが肉の海に沈み、新たな伝説を創り出した瞬間!

ココも、「まさかガンジー様が本当にビーフパフェでこんなに有名になるなんて!アタシ、マジで感動して泣いた!」って、号泣してたらしいよ。

ガンジー様は今も、さらなるビーフパフェ可能性を追求して、日本全国を旅しているらしい。「わが非暴力の道に、終わりはない!」って、マジでストイック

こうして、マハトマ・ガンジーは、令和の日本で、ビーフパフェという新たな武器を手に入れ、見事、スイーツ界で唯一無二の地位を築いた!天下統一…ではないかもしれないけど、その強烈な個性哲学は、多くの人々の心に深く刻まれたはず!めでたしめでたし…ってことで、マジでゾクゾクする衝撃的な物語完全燃焼したわ!ビーフパフェ、マジ卍!

Permalink |記事への反応(1) | 20:01

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anond:20250628231720

ガンダム界隈でよく出てくる「土方シャア」という謎の単語マジで意味不明なんだけど。 

シャアクワトロや土方やってるのが一番幸せとか言われていて困惑した。

ハサウェイ1までの宇宙世紀ガンダムは概ね見たが、そんなもの欠片も出て来なかったぞ…?

どうやらORIGIN設定らしいが、本当に何の前置きもなく突然話題に出されるので困惑する。ORIGINは明らかに原作アニメとは違うのに、当たり前のようにORIGIN設定を「公式」として話題に出すのをやめて欲しい。こういう所も初心者への配慮がない内輪向けの閉じコンなんだよな。

しかもその「土方」って単語別にORIGINの中ですら出ていないようだし、世間一般的にはあまり良い意味言葉ではないよね?

なんでわざわざ「土方」って言うんだろう…?ジャブロー建設現場にいた時の、とかじゃ駄目なの?

どうも敢えて「土方」という言葉を使って、シャア上品イメージ貶める事を喜んでるみたいで

ガノタ特有気持ち悪い嗜虐趣味を感じるんだよね

で、その「土方シャア」とやらは、ジャブロー建設現場に潜入していた時期の事らしいけれど。

えーーとそれって父が死んで地球に逃れ、マス家を出てシャア・アズナブルを名乗ってジオン入国した後の時期だよね?だとしたら目的あってやってるんだろうし、普通に考えたら別に楽しくないのでは?  

笑っているか楽しいとか思ってる?潜入時ならば多分演技なのに?

もし本当に楽しかったのだとしてもそれはORIGIN固有の設定であって、1st〜CCAのシャアとは無関係なのでは?


しかクワトロの時と同列に並べて、シャアクワトロや土方の時が一番幸せそうとか

意味分からん

クワトロの時が幸せだとしたらそれはエゥーゴ理念共感し身を投じて戦っていたからであって、

全然ちげーだろ。

まさかキャラ服装しか見ていないのか?


それとも、どうせ失敗するお前に世界をどうこうするような能力はないか世界の事なんか考えずに「土方」のような底辺で満足してろって話なのか?ふざけた話だ。

独裁政治環境破壊白色テロに心を痛めている場面があるのに、それらを無視して土方やってれば幸せなどとはあまりに酷い決めつけだ。

キャラ意思無視してとにかく貶めて矮小化したいようにしか見えないんだが…。

能力問題だとしたら、あの世界には結果的に失敗した奴や虐殺やらかした奴なんて大勢いるのになんでシャアに対してだけ言う?ギレンやハマーンに対しては言わねーくせに。

Permalink |記事への反応(0) | 14:25

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バシャールという宇宙人存在を信じていた話

実に恥ずかしい話なのだが、俺はバシャールという宇宙人がいると信じていた。

バシャールというのは人間とは別次元にいる宇宙人で、物質と非物質の間の存在らしい。

そんなバシャールは、日本で言うイタコのように、ダリル=アンカというおじさんの所に”降りて”くる。

そのおじさんは、バシャールが降りてくると急にハイテンションになり、さまざまな宇宙知識を聞かせてくれる。

それを聞いて我々は「宇宙人ってすごい!もっと聞かせて!」となり、その交流会は大盛況。

ダリル=アンカのおじさんは参加費でガッポガッポ儲かるという仕組みだ。

バシャールは一度1980年代ブームになり、その後廃れたがまた2000〜2010年代にまたブームになった。

引き寄せの法則」というのがブームになり、それに乗っかった形になる。

バシャールが話す理論は明確だ。

「ワクワクを追求しよう」

これが基本的理念である

クワクすることをしよう。すると宇宙が味方してくれて、全てうまくいく。

逆にワクワクしないことは考たり行動しないでいい。

クワクしないことをすると波動人間の持つ振動数のこと。高いほど運が良くなるし宇宙的に高い存在となる)が落ちるし、悪いことが起こる。

けれどワクワクすることをやると自分波動が高まり勝手に色々なことが解決される。

実際にそのダリル=アンカというおじさんも、そのバシャール理論実践して、映像関係仕事成功を収めてるらしい。

政界話題になってる参政党の須藤元気も、バシャールと対談をして、本も出している。

https://www.amazon.co.jp/dp/4899762216

昔読んだけど内容は忘れた。ただ評価は4.2星と高い。

興味がある人はトンデモ界を垣間見る気持ちで読んでみてもいいかも。


そういう自分も、バシャールの本は貪り読んだ。国内出版されているバシャールの本はほぼ全て読んだと言っても過言ではない。

本だけではなく、YouTubeにアップされているバシャール英語動画もよく視聴した。

そのおかげで英語リスニング力がアップしたくらいだ(ただしバシャールは訛りが酷くてやや聞き取りづらかった)。

そんな俺はバシャールを信じ、ひたすらワクワクすることをした。

嫌なことやワクワクしないことはやらなくなった。

するとどうなったか??

「いや無理。ワクワクし続けるの無理。だって不安勝手に湧いてくるもん!」

「あとワクワクなことやっても、嫌なことも起こるし、解決されないよ??」

バシャールってもしかして、嘘なの!?

という所にたどり着くのに5年以上かかった。

洗脳は急に解けるのではなく、徐々に解けるものらしい。

幸い俺は基本的には(SNS交流会以外は)一人でバシャール実践してたので、沼から脱出できた。

脱出できなかった人は、借金したり、破産したり、家族や友人とうまくいかなくなってた。

そりゃそうだよな…。

よく考えたら、宇宙人なんていないし、宇宙人がいたとしても、なんてそんなおっさんに降りてくるの?

そもそも降りてくるってなんだよ!

どういう仕組み!?

おっさん適当に話せばなんとでもなるじゃん!!

だがそういうことを俺はすぐに気付かなかった。

人生に迷ってたのもあるし、氷河期世代なこともあり、鬱憤が溜まっていた。

それを一発で解決する方法があるのでは?あっ、これだ!バシャールだ!!

みたいに、飛び付いちゃったんだよな…

今ではバシャールの本は全て捨てたし、全く信じていない。

ただ、ついつい信じてしまう人の心理はなんとなく分かる。

参政信者トランプ信者の人を笑うことは、俺にはできない。

最後に。

もしこれを読んだらあなたバシャールとか宇宙人とか、スピリチュアルとか陰謀論を信じてたら、距離を取ってくれ!

今ならまだ間に合う!目を覚ましてくれ!

俺はスピリチュアルにハマって離婚までしちゃったから、こうはならないでくれ!!

頼む!!!

Permalink |記事への反応(3) | 12:36

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MMTって定義理念から破綻してない?

政府は好きなだけ金刷っても良い

政府インフレが発生しない限り、積極的財政出動を行うべき

この理屈って、正しいのかもだけど

この通りに行動すると初手からインフレになるのでお金刷って財政出動はできません」じゃん?

絶対通れない分岐の方にいろいろ書いてあるだけで、通れる分岐の処理には何も出来ないって書いてない?

Permalink |記事への反応(1) | 09:23

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