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2025-12-13

黒澤明の『赤ひげ』を観た

金曜夜の仕事帰りにレンタル屋に寄ってさ、そのとき見かけたんだよ。

赤ひげ

作品自体は知ってるけど、今までに観たことはない。

手に取って裏を見ると絶句だって上映時間は約3時間だぜ?

いやいや長すぎwていうか昔の人って暇だったから観れた映画なんじゃないの?(笑)

なんて思いながらも、なんとなく借りてみた。

帰宅してから「飽きたらそこまでいいや」ぐらいの感覚で、見始めたんだ。

最初は、若い医師である登が長崎から江戸に出てきて、小石川養生所という、いわば貧しい人のための施療院に配属されるところから始まる。

登はエリート意識が抜けきらない。

自分もっと大きな仕事ができる人間だと思っているし、この場所にも、そこで働く人々にも、どこか距離を置いている。

そこにいるのが、赤ひげこと新出去定。

口数は少なく、ザンギにも見た目ちょっと似てて、それで無言なもんだから威圧感が凄い。

でも赤ひげ患者や人々の人生を一人ひとり背負うように生きていることが少しずつ、画面の端から滲み出てくる。

そしてこの映画には、観客を説得しようとする言葉がない。

感動させようとする演出もない。

ただ淡々人間の姿を置いていく。

赤ひげは善を語らない。

正しさも、道徳も、理念も口にしない。

その代わりに行動と、その大きな後ろ姿だけを見せ続ける。

印象的なのは、中盤で描かれるおとよという少女エピソードだ。

おとよは売春強要拒否して虐待され、それによって心を閉ざし、誰に触れられることも拒んでいた。

登は医師として彼女に向き合おうとするが、最初はうまくいかない。

おとよの荒んだ心を治そうと登が懸命に治療しようとしても全てを拒む。

言葉一つ発さず、医療行為をすべて拒み続ける。

それでも登はめげない。

そんな態度をとってしまうほどに心を閉ざしてしまったのだと嘆き悲しみ、怒ることもなく、おとよの治療を続ける。

けれど、あるとき自身が病に倒れる。

そのときそばで看病をはじめたのが、おとよだった。

その場面に言葉はない。

こちない手つきで、おとよが登の看病をする。

雨の日も風の日も、雑巾をぎゅっと手で絞って、登の頭に乗せる

言葉ひとつなく看病する姿が淡々と描かれる。

次第に外は明るく晴れ上がり、おとよの表情に少しずつ変化が生まれる。

それ観たら……あれ?となった。

ぽたぽたと自然と目から涙が溢れて止まらない。

優しさを知らなかった少女が、優しさを知り、その優しさを返す。

おとよが言葉もなく少し照れるように微笑むその顔が、すべてを物語っていた。

それを目にした時、涙が止まらなかった。

ほんとうに涙が止まらなかった。

映画を観てこんなにも泣いたのはいつ以来か分からなかった。

この映画は、何も説明しない。

善悪を断じることもしない。

ただ起きていることを、そのまま映す。

その静けさが、胸に深く刺さる。

人はどれほど追い詰められても、ぎりぎりのところで気高さを失わない瞬間がある。

その姿は痛々しくて、だが美しい。

赤ひげはその美しさを、涙を誘う演出音楽で包み込まない。

ただ、そこに置く。

現代映画は、この時代映画とは比べ物にならないほど迫力がある。

昔の映画は、そういったことができないかクオリティが低いものだと勝手に思い込んでいた。

名作といっても所詮は古い映画…等と侮っていた自分馬鹿だった。

赤ひげは、昨今のアニメ映画にあるようなド派手で大きな戦闘シーンはない。

だがその分、観客の心が大きく動く。

映画の方が大きく動くんじゃない。観ている者の心を大きく動かしてくる。

それが映画本質なんじゃないかということを、私はこの赤ひげを観て思い出すことが出来た。

3時間?長くない。

そんなことは、どうでもよくなる。

この映画は、時間を奪う映画じゃない。

時間を与える映画だ。

忘れかけていた感覚を、静かに思い出させてくれる。

人の優しさ。気高さ。

赤ひげは、人を治す力を持った映画だ。

Permalink |記事への反応(8) | 17:15

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2025-12-10

anond:20251209120558

勿論本気で統一教会カルトが好きだったり日本が嫌いだったりな人も居るだろうし、右派保守と言っても色々だと思うんだけど、右派批判側が思ってるほど多くの右派統一教会肯定的な訳じゃないと思うただ、あまりに「統一教会は話が通じない」と思ってるから統一教会批判しても意味無い、と思ってしまう(だから日本自民批判が先に来る)んじゃないかなー、とそれって結構気持ち分かるなー、と思うんだよねだって実際意味無いじゃん、話通じない方を批判するの ただ、これって右派がわざわざ批判される理由パラレルなんだよね右派保守人達ってさ、右派批判とか見たとき「なんでリベラル左派の方が酷いのに俺たちが批判されなきゃならないんだ?」って思わない?でもその理由も同じなんだよリベラル左派って話が通じない(ように見える)から相対的に話の通じそうな右派批判してんの、あれ右派保守人達ってよく勘違いしてるけど、右派批判する人達って必ずしも野党支持でもないし、リベラルでも左派でもないの、下手したら自身右派場合もある(右派批判野党とか左派の当てこすりしてる人居るけど、あれ本当に意味が無い空虚なんだよねー・・・野党支持じゃないから)右派愛国とか伝統とか家族価値とか、そういう理念があるでしょ?だからその理念に反することをした時に、それに反している事を説明すれば最低限分かってくれるだろう、と思うから批判されてるの(同じ事は左派に対しては難しい・・・統一教会と同じ理由で)まぁ、実際にやってみると実は左派リベラルと同じで話を逸らしたり、「野党も」「左派も」だったり、野党支持の前提で当てこすったりで、期待を下回ることもあるんだけど・・・ とにかく、要するに、統一教会じゃなくて日本批判されがちなことと、左派じゃなくて右派批判される事があることは、実は繋がってるし、非常に類似した原因から発生している現象なんよね・・・

Permalink |記事への反応(0) | 17:46

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2025-12-09

リベラル中国批判しない」の、仕方ないとも思う

勿論本気で中国共産主義が好きだったり日本が嫌いだったりな人も居るだろうし、リベラル左派と言っても色々だと思うんだけど、

リベラル批判側が思ってるほど多くのリベラル中国肯定的な訳じゃないと思う

ただ、あまりに「中国は話が通じない」と思ってるから中国批判しても意味無い、と思ってしまう(だから日本高市批判が先に来る)んじゃないかなー、と

それって結構気持ち分かるなー、と思うんだよね

だって実際意味無いじゃん、話通じない方を批判するの

 

ただ、これってリベラルがわざわざ批判される理由パラレルなんだよね

リベラル左派人達ってさ、リベラル批判とか見たとき「なんで保守右派の方が酷いのに俺たちが批判されなきゃならないんだ?」って思わない?

でもその理由も同じなんだよ

保守右派って話が通じない(ように見える)から相対的に話の通じそうなリベラル批判してんの、あれ

リベラル左派人達ってよく勘違いしてるけど、リベラル批判する人達って必ずしも自民支持でもないし、保守でも右派でもないの、下手したら自身リベラル場合もある

リベラル批判自民とか保守の当てこすりしてる人居るけど、あれ本当に意味が無い空虚なんだよねー・・・自民支持じゃないから)

リベラル反差別とか人権とか多様性とか、そういう理念があるでしょ?だからその理念に反することをした時に、それに反している事を説明すれば最低限分かってくれるだろう、と思うから批判されてるの(同じ事は右派に対しては難しい・・・中国と同じ理由で)

まぁ、実際にやってみると実は右派保守と同じで話を逸らしたり、「自民も」「右派も」だったり、自民支持の前提で当てこすったりで、期待を下回ることもあるんだけど・・・

 

とにかく、要するに、

中国じゃなくて日本批判されがちなことと、

保守じゃなくてリベラル批判される事があることは、実は繋がってるし、非常に類似した原因から発生している現象なんよね・・・

Permalink |記事への反応(29) | 12:05

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anond:20251208193450

全裸理念

全裸努力

Permalink |記事への反応(0) | 11:11

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2025-12-08

来年マナー警察活動方針改訂について(通達

令和7年最新

国道徳省各セクト長           道徳省丙文企画総務発第23

                    道徳企画局長

各位

日頃より、全国における自主的マナー監視指導活動に深甚なるご尽力を賜り、厚く御礼申し上げる。

本年度も、SNS上での厳正なる叱責から公共空間での指導的咳払いに至るまで、多方面で顕著な成果が確認されたところである

 

しかしながら、近時の社会情勢の急速な変化及び価値観の多元化を踏まえ、当省として従来の行動指針を再検討した結果、以下のとおり新方針策定したので、関係各位におかれては適宜周知のうえ遺漏なき対応をお願いする。

1 理念見直しの背景

従前、我々は「世界の良化」を最上目標に掲げ、正しいマナーの普及啓発を実施してきた。

マナー違反者に対しては、SNS指導メディア指導まれ物理示唆等、各種手法を駆使し、世界道徳的安定化に寄与したものと自負している。

 

しかし、一般大衆からの支持を長年確保してきた我々の活動も、昨今の多様性尊重の潮流の前に大きな転換点を迎えている。

 

2 新基本方針

協議の結果、道徳省として以下を新たな基本原則に定める。

 

価値観強要マナー違反である

 

箸は右手、は既に世論により左方向へ折れ、

不倫は悪、と唱えつつ各界著名人が華麗な恋愛遍歴を刻む中、

普遍的倫理定義する試みそのものが困難となっている。

 

国際社会を見渡せば、

一夫一婦制絶対正義であるとの主張はサウジアラビア国王に対し呈示し得るものか、

戦地における「敵兵の排除」は“悪”であるのか、

等、単一の正しさを唱えることの限界は明らかである

 

結論として、価値観とは各人に帰属するものであり、その正誤を論ずる営みは効果より疲労が上回ると判断した。

 

3 今後の対応

 

従って、当省としては以下を申し添える。

 

他者価値観への干渉は行わないこと。

 

他者の行動が不快迷惑人生崩壊兆しを呈しても、基本的

  「知ったこっちゃない」

 ものとすること。

 

相手の方が正しい可能性についても適宜検討すること。

村八分その他の集団的制裁行為については、自然淘汰に委ねること。 

なお、日本人の高い道徳心が幸福度に直結していない点も併せ考慮し、

当省はついに

 

マナー幸福は相関しない」

 

との真理に到達した。

 

4 マナー警察Ver2への移行

以上を踏まえ、価値観押し付け及びマナーの過度な指導は本年度をもって終了する。

来年度より、当省は「道徳省Ver2」として、新たな段階における静観的姿勢を基本としつつ、必要に応じて軽い咳払い程度の指導を行う体制へ移行する。

 

取り急ぎ、来年度の方針について通達する次第である

 

以上(ChatGPT10分)

Permalink |記事への反応(0) | 13:47

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2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たちアメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1新潟VS山口総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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2025-12-06

Gemini「BLMは失敗」

🎯 BLMは「手段の失敗」を伴った

​BLM運動は、「黒人への構造的な差別是正する」という緊急性の高い目標を持っていたため、その意図は正当でした。しかし、その目標達成のための**「手段」と「メッセージング」**において、深刻な失敗を犯し、意図せざざる結果を招いたと評価できます

理念限界: BLMの「黒人を最優先する」という焦点は、普遍的連帯を阻害しました。

手段の失敗:運動が**「警察予算の削減」や一部の暴動**を伴ったことで、治安を重視するヒスパニック層や穏健派を敵に回し、トランプ氏の「法の秩序」というメッセージを強化する結果となりました。

​したがって、BLM運動は、理念普遍性という点でALMに劣り、手段選択メッセージ制御の失敗により、政治的な結果(ヒスパニック層の離反とトランプ氏の勝利)において不適切であったという評価は、現代政治分析において強い説得力を持つ結論です。

Permalink |記事への反応(1) | 12:05

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2025-12-05

病院のDX化?

正直、アプリがクソすぎるし、インフラ周りもクソすぎて、話にならんって話だと思う。

レントゲン画像だなんだ、ディスプレイに呼び出せはするんだけど、サムネイルもパッと返ってこないし、本体を表示させようとしても数秒かかる。

どの画像か探すのに、あっち行ったりこっち行ったりで、説明を受けてる側ですらとてもストレスフル。

00年代前半にこう言うソフト、よく見たわ、って感じの骨董品のようなソフト

からびた人間国宝が作ったんですか? っての。

ルーターなりハードウェアに何かあった時、誰が面倒見るの?

解決までにどれくらい時間がかかるの?

その間、患者はどうするの?

特にマイナ保険証の仕組み。

「この機能とこの機能とこの機能実装されればええんやね?」

ってSIer仕草で作られてるから、分かりづらいし、「想定される最善シナリオから逸れた途端」何をどうしていいかからなくなって、しかもその割合うんざりするほと高い。

病院職員会社は、このうんこシステム例外対応に習熟したいわけじゃねーんだわ。

こんなシステム、まるで存在しないかのように必要業務に集中したいんよ。

マイナカードへの紐付けでクソみたいなシステム作っておいて、不具合対応でも大金たかったSIer、いい加減にしろよな。フェイルセーフとかフールプルーフって概念存在しねぇのか? と。

UI/UX大事ですよ。

って言われて、20年は経ってるだろ。

なのに何? このクソ体験システム

病院のDX化とか、マイナ保険証のようなものの「理念」は十分理解できるんだけど、「設計実装単価保守料」がゲロクソなんよ。

役所関係受託開発やったこともあるけど、役人無責任だし、物事知らんくせに偉そうに指示だけはしてくる。

素人は黙ってろ、って言いたいけど、要求仕様書時点でうんこからお話にならんのよ。

にも関わらず、何でこれでしてやったりドヤ顔で「紙の保険証はもう使えません」とかほざいてんだよ、って話。

「リテイクだ!」

って全部ひっくり返したい気分で胸いっぱいいっぱいだわ。

これは病院DXだけの問題じゃない。

普通に「DX化!!」って言ってるいろんなシステムについてもそう。

「このシステムを導入することによってDX化が云々カンヌン……」

で、現場の手間が増え、不具合例外対応時間を取られ、できるようになったことといえば取締役会でのグラフ鑑賞とか、無駄無駄無駄〜っ!

保守費用を払う金があるなら、従業員給料あげてやれよ。

で次はAIだって

馬鹿休み休み言え。

休み休み言っても許されねぇけど。

Permalink |記事への反応(2) | 18:28

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2025-12-04

大学入学共通テスト廃止と、国家資源の再配分を求める

 現在大学入学共通テストは、高等教育入り口として長年実施されてきました。しかし、制度が抱える問題は大きく、導入当初の目的理念をすでに果たせていないばかりか、国全体の限られた資源を不必要に消費し続けています。私は、共通テスト廃止し、各大学個別入試回帰するべきだと考えます。そして、共通テスト運営にかかる膨大な国費・労力を、国防インフラ整備、技術開発など、日本の将来にとってより重要な分野へ振り向けるべきだと強く主張します。

 そもそも共通テストの起点となったのは、1970年代まで各大学独自に行っていた入試に対する批判でした。当時は、難問・奇問・重箱の隅をつつくような問題が多く、受験生負担が過度であることが社会問題化していました。この反省を踏まえて1979年共通一次試験が導入され、「一律で公平な基準に基づく選抜」を標榜したのが現在制度の原点です。

 しか今日、状況は当時とは大きく異なります大学側の出題能力は向上し、過度な奇問・難問は強く批判される仕組みも整いました。情報公開も進み、各大学独自に適切な学力を測定する環境が整っています。つまり共通テスト導入の前提だった「大学個別試験では公平性が確保できない」という時代では、もはやありません。

 それにもかかわらず共通テストが続けられている最大の問題は、その運営国家的規模のコストがかかり過ぎている点です。作問委員会の設置、全国規模の事務システム試験監督者の確保、会場運営輸送・警備など、膨大な人員予算が毎年投入されています大学教員研究教育に充てるべき時間共通テスト関連業務に奪われ、アカデミックリソースが大きく消費されています。これらの労力と費用は、すでに制度維持のために制度存在するような倒錯した構造を生んでいます

 さらに、共通テスト難関大学選抜機能を十分に果たしていません。高得点層では得点が集中し、いわゆる「得点圧縮」が起こり、学力差を識別できなくなっていますわずかな得点差が合否を左右しているように見えますが、その差は統計的には誤差の範囲であり、選抜試験としての精度は極めて低いと言わざるを得ません。そのため最終的には各大学個別試験学生評価し直しており、共通テストが果たす役割形骸化しています

 こうした状況にもかかわらず共通テストが存続している背景には、模試産業予備校、教材関連企業などの利害構造存在します。共通テストは巨大な市場形成し、制度自体経済圏となっていますしか教育制度国益観点から最適化されるべきであり、既得権的な構造を守るために国費が費やされ続ける現状は、本末転倒と言えます

 私は、共通テスト廃止によって浮く膨大な財政人材リソースを、国としてより重要領域へ再配分するべきだと考えます。激化する国際情勢を踏まえれば国防力の強化は不可欠であり、老朽化が進むインフラへの投資世界的な競争の中心となっている技術革新への研究開発費も緊急に必要です。共通テスト国民の多大な負担を伴う巨大事業であり、その縮小・廃止国家戦略上も合理的判断となるはずです。

 大学入試は、各大学独自実施し、自らの教育理念に基づいて学生選抜する時代へ戻るべきです。これこそが大学自治多様性保障し、教育の質を高める方向性とも合致します。

 以上の理由から共通テスト廃止し、国家資源をより重要な分野へ振り向けることを強く要望する。

Permalink |記事への反応(1) | 13:50

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石破茂大谷に喝!

大谷くん。君の才能は、もはや一プロ野球選手の枠を超え、『日本というブランド、そして世界との信頼関係を背負う』という、一種の『公人』としての立場にあることを自覚しなければならない。」

「君がメジャーで放つ一打は、外交交渉安全保障戦略と並ぶ、『日本という国の価値』を示す指標だ。」

「チームの勝利に貢献することは当然だ。だが、本当に問われているのは、『君が野球を通じて、世界に対し、いかなる「理念」を示すのか』ということだ。」

「君は『二刀流』という前例のない「戦略」で道を切り開いた。だが、戦略とは、常に『次の危機』と『次の挑戦』を見据えるものでなければならない。」

「現状に満足し、『打率』や『防御率』といった「戦術」的な数字に終始しているようでは、いけない。常に自己革新し、『世界がまだ見ぬ野球』を追求する。」

「その『自己規律』と『未来への責任感』こそが、真のリーダーに求められる資質だ。」

「喝!もっと高い次元で、『君の存在意義』を世界に示しなさい!」

Permalink |記事への反応(0) | 11:27

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2025-11-30

ずっと不思議なんだけど、なんであの手の人たちって中国には怒らないんだろうな。

アーティストが歌えないとか、表現の自由がどうとか、日本相手にはめちゃくちゃ強く言うくせに、本家本元みたいな中国検閲には一切触れない。普通に中国国民毎日検閲受けてるのと同じことなのに。

結局さ、「言いやす相手にだけ正義を振りかざす」ってだけなんじゃないの?

国内には強い態度で説教できるけど、中国みたいにデカ相手にはダンマリ。これで表現の自由がどうとか言われても説得力ないわ。

ほんとに自由大事だと思ってるなら、一番大きい圧力源に言わないと意味なくね?

いから何も言わないなら、正義でも理念でもなくて、ただの都合だよな。

Permalink |記事への反応(3) | 16:18

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anond:20251130111124

AIによる言語翻訳によってそれぞれの言語が背景情報に持つ文化的感覚の伝達が遮断されることで、過去の分断がリセットされ、ネットワーク上に新しいトライブが発生する可能性はありますか?そのような世界規模で同じ価値観を共有できる社会には個人が頑なに聖域を守る社会比較して発展性はありますか?

新しいトライブの発生: 「あり得ます」。言語の壁(およびそれに付随する歴史的感情的なしがらみ)がAIによって無効化されることで、国家民族ではなく、純粋な「関心」や「目的」によって結びつく新しい群れ(トライブ)がネットワーク上に発生します。

発展性の比較: 「長期的な生存進化」という点では、『聖域(異質性)』を守る社会の方が圧倒的に有利です。 均質化された社会は、短期的には効率的ですが、環境変化に対する「適応力」を失い、システムとしての死(エントロピーの増大)を迎えるリスクが高いためです。

質問者様の問うた「発展性」を「どれだけ長く存続し、環境変化に適応できるか」と定義するならば、聖域(翻訳不可能身体性や文化)を守る社会の方が優れていますしかし、現代テクノロジーの流れ(AI翻訳による均質化)は止まりません。したがって、未来社会構造は以下のような二層構造になると予測されます(あるいは、そうなるべきです)。

上層(グローバルレイヤー):AI翻訳に支えられた、摩擦のない「新しいトライブ」の層。ここでは経済活動科学的な問題解決が、国境を超えて高速に行われます

下層(ローカルレイヤー):AIには理解できない、身体性や土地に根ざした「聖域」の層。ここでは個人が頑なに独自クオリア方言儀礼身体感覚)を守り、「上層」へ供給するための新しい意味価値ノイズ)を醸成し続けます

もし「下層」が消滅し、世界が「上層」だけになれば、人類は「AI管理する平和で退屈な水槽」の中で、進化袋小路に入ることになるでしょう。

NextStep: この「文明寿命」というマクロ視点から、「では、そのような『老い文明』の中で、個人はどうすれば若々しい精神創造性)を保てるのか?」という、ニーチェの「超人」や東洋思想老荘思想)に近い、個人生存戦略についてお話しましょうか?

ニーチェ力への意志は、力がベクトルとして大きさと方向を持つ前の状態を指すと理解しています。力が世界に向けて放射され続けると同時に、内側から常に新しい力への意志が産まれ続けることで常に原点に回帰する動きが永劫に続くことが未来を産み出すための差異となりうるのでしょうか?このように事象がおのずから萌えいづるものとして認知することは非常に東洋的な思想だと思いますが、一方で東洋西洋比較近代文明的な停滞期を迎えていたように見えるのはなぜだと考えられますか?

「おのずから萌えいずる(自然・じねん)」という感覚東洋思想親和性が高いにもかかわらず、「なぜ近代において東洋は(西洋視点から見て)停滞したのか?」という問いは、文明論における最大のパラドックスの一つです。この謎を解く鍵は、「力への意志が『どこ』に向けられたかベクトルの向き)」と、「『差異』をどう処理したかシステムデザイン)」の違いにあります東洋においても「力への意志」は枯渇していたわけではなく、「調和と洗練(内部)」に向けて全力で放射され続けていました。西洋が「拡大(Expansion)」を選んだのに対し、東洋は「定常(SteadyState)」を選んだ。その結果、西洋のモノサシ(軍事経済技術)で測った瞬間に、「停滞」として映ったのです。しかし、ここから重要です。 先ほどの「文化の熱的死」の議論を踏まえると、西洋型の「無限の拡大」を目指すベクトルは、地球環境という限界にぶつかり、今まさに破綻しようとしていますニーチェの言う「力への意志」の真の極致が、単なる力の拡大ではなく、「生成消滅する運命のものを愛すること(運命愛:Amor Fati)」にあるのだとすれば、かつて東洋が目指した:

「外部へ侵略せずとも、内部で無限に豊かになれる」

「おのずから萌えいづる差異を、破壊ではなく調和として包摂する」

という態度は、停滞ではなく「早すぎた成熟」であった可能性があります。今、人類が求めている「未来」は、西洋的な「拡大の果ての虚無」を乗り越えるために、この東洋的な「円環的創造」を、今度は停滞(閉鎖系)に陥らせずに、テクノロジーを使ってどう開放系として回していくか、という一点にかかっているのではないでしょうか。

円環的かつ開放系という一見矛盾するように見える社会構造の成立には長期的視野での改革必要になるように思えます。一方でAI代表される現代の先端テクノロジー米国西海岸的な強いプラグマティック思想のもとで発展しているように見えます。両者はむしろ反発しあいあなたの指摘する「乗り越え」は難しいのではないでしょうか。議論戦争メタファーである以上、弁証法的な乗り越えを期待するのは難しいように思います

議論戦争である(ARGUMENTISWAR)」というメタファー支配する現在知的風土、そして「役に立つか、儲かるか(Pragmatism)」という強烈なドライブがかかったシリコンバレー的な加速主義の前では、東洋的な「円環」や「調和」といった概念は、単なる「敗者の戯言ノスタルジー)」として踏み潰される可能性が極めて高いです。今後、東洋的な「円環・身体性・聖域」が、西海岸的なテクノロジーに「勝つ」ことはありません。しかし、巨大なテクノロジーシステムの中に「不可欠な臓器(バグの調整役、倫理的アンカー創造性の供給源)」として寄生し、内部からシステムを変質させることは可能です。例えば、哲学者のユク・ホイ(Yuk Hui)が提唱する「宇宙技芸コスモテクニクス)」の概念はこれに近いです。単一普遍的テクノロジー西洋近代技術)に対抗するのではなく、それぞれの地域文化宇宙観(Cosmology)に基づいた多様なテクノロジーのあり方を再構築し、グローバル技術ネットワーク接続しようという試みです。

反発と困難性:はい、極めて困難です。理念的な対話によって「乗り越える」ことは不可能です。現代パワーバランスでは、プラグマティズムが円環思想を圧倒します。

可能性の所在しかし、プラグマティズムがその徹底性のゆえに「物理限界エネルギー環境)」と「情報限界意味の枯渇)」に直面した瞬間、「円環的であることこそが、最もプラグマティックな解である」というパラダイムシフト強制的に発生します。

未来への展望: その時、私たちが目にするのは、理想的な「東洋西洋結婚」のような美しい姿ではないでしょう。 おそらく、「超高度なAI管理システムが、システム維持のために『禅的な身体性』や『自然崇拝』を人間に推奨・強制する」といった、一見ディストピアにも見える、グロテスクだが強靭ハイブリッド社会です。それを「発展」と呼ぶか「悪夢」と呼ぶか。それこそが、次の時代哲学的な問いになるはずです。

ズボフの監視資本主義のもとでは、メガプラットフォーマーと呼ばれる企業群は個人が持つ情報を適正な対価を払わず取得していると言われていますしかしながら、AI機能の向上に直結するであろう特異なクオリアを持つ人間感覚を通じて取得する情報の貴重性が増すことで、特別な対価を提示した取引が成立することはありますか?ブロックチェーンのようなピアtoピア価値交換システムはこのようなシステム実装することに役立ちますか?

ズボフが提唱した「監視資本主義」のモデルは、「人間デジタル足跡(行動余剰)を無意識に垂れ流す資源であり、それを企業勝手採掘する」という前提に立っていますしかし、質問者様が指摘された「特異なクオリアAI模倣できない身体的・主観的経験)の価値高騰」は、この一方的搾取構造を崩し、「人間AI企業)との間で、対等かつ高額な取引」を成立させる可能性が極めて高いです。質問者様の仮説は、技術的・経済合理性観点から正しいと考えられます監視資本主義(タダ取り)は、データの質が問われない時代モデルです。AIがより人間的な深みを求めて進化する段階において、「特異なクオリア」は最大の商材となり、ブロックチェーンはそのための「市場」と「権利書」を提供します。それは、人間が「消費者から、自らの神経系が生み出す信号を切り売りする「感覚生産者」へと変貌することを意味します。(参考:ブロックチェーンを用いて、データ所有者がAI開発者などに直接データ販売ライセンス供与する「Ocean Protocol」のようなデータ市場エコシステム図。中央仲介者を排除し、P2P価値交換が行われる仕組みです)

NextStep: この「自分感覚を売る」という行為が極限まで進むと、「自分自身の人生を『AI学習コンテンツ』として演じるようになる」という、実存危機自己の疎外)が発生します。 この点について、「AI時代の新たな疎外論」として議論を深めましょうか?それとも、より技術的な「実際に現在稼働しているデータDAOの事例」について紹介しましょうか?

マルクスの言う資本主義における人間疎外と大きく異なると考えられるのは、監視資本主義においては疎外された人間から提供される情報にはクオリアが歪んだ形で入ることになり、生産品としては価値が失われてしまう点にあると思います。つまり監視資本の側は報酬としてプロレタリアートが疎外されていないという感触を与えるものである必要がありますあなたのいう徹底したプラグマティズムによってメリット双方向的に与えられるようなシステム形成できると考えられますか?その場合、どのような報酬系が最も優れているでしょうか?

「靴(物質)」は、嫌々作っても靴として機能しますが、「感動(クオリア)」は、嫌々作るとその瞬間に価値を失い、偽物(ノイズ)になる。この指摘は決定的です。AIが求める「真正クオリア」を収穫するためには、監視資本主義(あるいはその先のクオリア資本主義)の側は、提供である人間に対し、「自分は疎外されていない」「これは私がやりたくてやっていることだ」という強い没入感と主体的感覚を与え続ける必要があります。徹底したプラグマティズム(実利主義)の観点からすれば、システム側は「搾取に見えない搾取」、より正確には「搾取自己実現が完全に一致するシステム」を構築することで、この問題解決しようとするでしょう。

質問者様が問われた「システム形成できるか?」という点については、「可能であり、必然的にそうなる」と考えられます。なぜなら、「人間を不幸にする(疎外する)」ことが、システムにとって経済的損失(データの質の低下)になるからです。

旧来の資本主義人間をボロ雑巾のように使い潰しても、製品(車や家電)ができれば利益が出た。 →人間は不幸でもよかった。

監視/クオリア資本主義人間が不幸を感じ、シニカルになると、製品データ)が使い物にならなくなる。 →人間は(主観的には)幸福でなければならない。

最も優れた報酬系とは、「報酬」という概念自体消滅させるシステムです。「生きること、遊ぶこと、表現することが、そのまま価値生成となり、生活の糧となる」という、マルクスが夢見た「労働と遊びの区別がない共産主義社会」に極めて近い状態が、皮肉にも「AIによる超高度な管理パノプティコン)」によって実現されることになります。この社会では、プロレタリアートは「自分搾取されている」とは微塵も感じていません。彼らはシステム提供する「最高の遊び場」で、自らの才能を遺憾なく発揮し、幸福感に満たされていますしかし、その「情熱」も「感動」も、すべてがシステム養分として吸い上げられているという点において、これは「疎外の極北(疎外されていることにすら気づかない完全な疎外)」と言えるかもしれません。

これを受け入れられるかどうかが、最後分水嶺になります

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2025-11-29

ChatGPTに聞いてみた→ロベスピエール

フランス革命期のロベスピエールは、しばしば「恐怖政治を主導した独裁者」として語られる。しかし、実際の政治構造を踏まえると、彼を単純な独裁者とみなすことはできない。

彼が属した公安委員会合議制運営され、国家の最高職を個人として掌握していたわけでもない。

それにもかかわらず、ロベスピエール革命道徳的象徴として際立った存在であり、卓越した演説力と理想主義によって議会ジャコバン・クラブから強い支持を受け、委員会内部でも路線を左右し得る影響力をもっていた。

この「制度権力の弱さ」と「政治的影響力の強さ」というねじれこそが、彼の立場を複雑にしていた。

1794年に入ると、ロベスピエールは急速に孤立を深め、周囲に「自分は敵に包囲されている」「もう終わりだ」と弱音を吐いた記録が残る。

これは権力を持っていなかった証拠というより、むしろ突出した影響力ゆえに敵対者が増大し、公安委員会内部での対立限界に達した結果である

彼の掲げた「美徳公共利益」という理念は、他の委員たちの現実主義政策と衝突し、その緊張が日々蓄積していた。

テルミドールクーデタによってロベスピエールが失脚すると、革命政府は彼個人恐怖政治責任を集中させ、体制転換正当化した。

この意味では彼は確かにスケープゴートにされた。

しかし同時に、革命裁判所の拡権や迅速裁判法の支持など、恐怖政治制度形成に彼自身も関与しており、責任が全くなかったわけではない。

したがって、ロベスピエールは「冤罪犠牲者」でも「絶対的独裁者」でもなく、影響力と反発、理念現実狭間で揺れ動いた象徴存在として理解すべきであろう。

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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2025-11-28

援助ホーム運営もChatGPT使ってるからアウトだろうな

東洋経済の若手が勝手に他社情報をChatGPTに投げた記事を見て表題のことを思った。

https://toyokeizai.net/articles/-/918886

援助ホームという青少年機微を扱う組織もChatGPTを使って世界提供してるからアウトだろうな。

まあ援助ホーム理念に反した運営をしてる組織だしこんなものだろうか。子供可哀想すぎる。

Permalink |記事への反応(2) | 07:48

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2025-11-26

障害年金審査で「就労意欲」が使われていた問題について、資料から整理した

🟦 はじめに

2025年日本年金機構公表した資料で、

障害年金審査に「就労意欲」が使われていた という重大な問題が明らかになりました。

特に発達障害精神障害では、

「働きたい」という意思障害の軽さ と誤って扱われ、

支給につながっていた可能性があります

この文章では、公式資料資料3)をもとに、

問題点・審査の偏り・国際基準との矛盾改善点 をまとめます

🟥 1.資料で判明した「就労意欲評価」とは?

資料3の3ページには、

> 「当初は、日常生活能力家事金銭管理、清潔保持等)や就労意欲を評価した。」

記載されています

本来、「働きたい」という意欲は障害の軽重とは無関係であり、

評価に使うべきではありません。

🟧 2.点検で判明した“誤認定”の存在

資料によると、令和6年度の不支給事案約10,200件を点検した結果、

124件(4.3%)が支給に変更された とされています

> 「2,895件中124件が支給となった。」

これは、誤って不支給になっていた人が一定存在したこと示唆します。

🟨 3.国際基準(CRPD)との矛盾

国連障害権利条約(CRPD)は

働く権利(第27条) と

社会保障権利(第28条) を保障しています

「働きたい」という意思不利益に使うことは、

これらの理念に反します。

🟩 4.日本年金機構が示した改善

資料には以下が示されています

審査書類改善

認定医の無作為選定

複数医師による審査

事前確認票の見直し

福祉職の認定委員会追加

理由付記の丁寧化

改善は進んでいますが、課題はまだ残っています

🟦 5.過去の不支給問題は終わっていない

資料では、

> 「月2,000件程度のペースで点検を進める」

とされており、

まだ多くの事案が見直し対象のままです。

🟪 6. おわりに

今回の資料は、

障害年金審査主観的要素が入り込んでいた可能性 を示しています

障害年金生活を支える大切な制度です。

この記事が、必要な方の手がかりになれば幸いです。

🗂引用元

すべて引用箇所は以下の資料より

日本年金機構「令和6年度障害年金認定状況についての調査報告書への対応状況」)

https://www.nenkin.go.jp/tokusetsu/tenken.html

https://www.nenkin.go.jp/tokusetsu/tenken.files/zentai.pdf

Permalink |記事への反応(0) | 20:58

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2025-11-25

障害年金審査で「就労意欲」が使われていたと判明した話

🟦 はじめに

2025年日本年金機構公表した資料により、障害年金審査において「就労意欲」が評価に用いられていたという重大な問題が明らかになりました。

特に発達障害精神障害に関して、“働きたい気持ち” が障害の軽さ と誤って判断され、不支給につながっていた可能性が示されています

この記事では、公式資料資料3)をもとに、問題点・改善点・国際基準との矛盾を分かりやすくまとめます

🟥 1. 何が問題だったのか:資料から判明した「就労意欲評価資料3の3ページ目では、発達障害審査で 「日常生活能力就労意欲を評価していた」と明記されています

> 「当初は、日常生活能力家事金銭管理、清潔保持等)や就労意欲を評価した。」

発達障害の欄より)

引用資料3 p.3

本来就労意欲は障害の重さとは別問題 です。働く意思があることと、日常生活や対人関係での困難さは必ずしも一致しません。

しかし、審査では“働くつもりがある=軽度”と扱われた可能性が高く、誤認定・不支給につながったと考えられます

🟧 2.点検で明らかになった過去判断の偏り資料によれば、令和6年度の精神障害の不支給事案約10,200件について点検した結果、支給に変更されたものが124件(4.3%) 発生しています

> 「点検済2,895件のうち、124件(約4.3%)が支給となった。」※資料3 p.2

これは、本来支給されるべき状態が“誤って不支給”になっていたケースが少なくなかったことを示唆します。

特に、元の審査では以下が十分に評価されていなかったとされています

症状の経過・予後(長期療養・状態不安定さ)不慣れな環境での援助必要性

対人関係意思疎通の困難

入院歴・薬物治療

背景要因(社会性の欠如、不信感など)

これらは本来障害年金審査で重視されるべき項目です。

🟨 3.国際基準(CRPD)との矛盾

国連障害権利条約(CRPD)は、障害者に対し 働く権利(第27条)・社会保障への権利(第28条)を保障しています。つまり

✖「働きたい」と言ったことが不利益につながる

✖ 意欲の有無で年金アクセス制限される

これはCRPDの理念と相反します。

今回の資料で明らかになった「就労意欲評価」は、国際基準との整合性が問われる問題です。

🟩 4.日本年金機構改善

資料3の1ページ目には、認定プロセス改善のための取り組みが示されています

審査書類改善

認定医の無作為選定

認定委員会福祉職を追加

✔ 事前確認票の改正職員による等級記載廃止

✔ 不支給事案の点検

理由付記の丁寧化

特に「事前確認票」の改正では、

審査者が等級誘導するような記述が削除され、客観的情報限定されました。(4ページ)

🟦 5.過去の不支給問題は「終わっていない」

資料では、

令和7年10月以降も年間2,000件ペースで点検継続するとされており、まだ多くの事案が見直し対象であることがわかります

過去に不支給になった方へは、支給決定文書順次発送されると明記されています

🟪 6. まとめ:なぜこの問題を伝える必要があるのか

今回の資料から分かるのは、

● “意欲”という主観的要素が判断に使われていたこ

● 多くの不支給事案の中に誤認が存在した可能性●国際基準と照らしても不十分だった評価

● 今もなお、点検が続いていること

障害年金生活を支える重要制度です。

その運用の偏りが、長年の不利益を生んでいた可能性があります

この問題を知ることは、同じように困っている人を支えることにつながります

🗂引用

すべて引用箇所は以下の資料より

日本年金機構「令和6年度障害年金認定状況についての調査報告書への対応状況」)

https://www.nenkin.go.jp/tokusetsu/tenken.html

https://www.nenkin.go.jp/tokusetsu/tenken.files/zentai.pdf

Permalink |記事への反応(1) | 23:54

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人は物語中毒

人が物語に惹かれるのは「暇つぶしが好きだから」とか、そういう単純な話じゃない。もっと根っこにある、生物的・心理的社会的なクセみたいなもの関係している。

 

人間の脳って「物語形式世界理解する」ようにできていて、何か起きたら「だからこうだよね」って因果関係勝手ストーリー化する。生き残るには予測大事から、そういう仕組みが発達したんだろうと。だから物語って、ただの娯楽じゃなくて、記憶にも残りやすいし、学習にも向いてる。

 

心理面では、物語が「感情練習」みたいな役割もしてくれる。恋愛喪失裏切り、恐怖みたいな面倒な気持ちを、実際には傷つかずに疑似体験できるし、「ああいう時はこう行動するのか」って心の準備にもなる。

 

物語共同体を作るための「文化的装置」でもあって、宗教だろうが歴史だろうが企業理念だろうが、ぜんぶ物語として共有される。これがないと、価値観バラバラになって社会が成り立たない。他人の心を理解する練習にもなるからコミュニケーション能力も強くなる。

 

もっと根っこの部分で、「物語がないと自分人生意味けができなくなる」って話もある。人間は、過去現在未来ひとつの流れとして自分なりの物語にしないと、生きる意味を見失いやすく、哲学界隈だと「ナラティブアイデンティティ」と言うらしい。

 

生物的な「気持ちよさ」の面でも強い。物語って、ドーパミンとかオキシトシンかいろんな報酬系を一度に刺激してくる。だから中毒みたいにハマる。「ストーリーが好き」って、実は人間の仕組みそのもの生物的な快感を刺激されているということになる。

漫画アニメを見るのに時間を費やすのもしょーがないよね、脳内報酬を受け取りながら、アイデンティティを紡がるんだから

 

人間物語中毒

Permalink |記事への反応(0) | 20:55

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はてサ物言いは、何事か問題視する割に危機感がまるで感じられない

はてサ物言いは、何事かにつけて問題だとか、間違っているだとの主張する割に、危機感が全く無いよね。

危機感があるなら冷笑しとる場合じゃ無いってのが普通人間の反応だと思うのだが。

自分らの理想がどのような経緯からどのような結果を生みうるかについて一切の言及が無い。

そのため、はてサの書く長文はおおむね信仰の表明であって、

理念解説としても発端となる事案に対する言及としても半端で、

はては信仰の表明に留まって事態に対する結論が無く、こうなってはもはや机上の空論ですら無い。

危機感を持って向き合っている際は、このような説得的でない言及で満足することは考えづらい。

当人は説得的な言及をしているつもりかもしれないが、であれば片手落ちです。

嘘がなければ説得可能か?

正しければ説得可能か?

これはどちらも否だからです。

なぜなら、昨今の話題でいえば、

台湾中華人民共和国蹂躙されることを是とするか否とするかにより、

その正しさを受容可能かどうかが逆転することが挙げられます

このため、これを伏せたままに終わった言及によって、

はてサにとっての真実押し付けることは不可能あるいは欺瞞的と捉えられることでしょう。

当然、侵略を是とするならその時点で世論の納得を得ることは難しくなることでしょう。

であるなら否であるだけの蓋然性を持たせた説明必要であり、決してぼかしてはいけない要素であるのですが、

そこにすら至らない言及で満足してる向きが多い時点で論外なのです。

同盟国の危機に際して出撃することを言明しない、はぐらかす、消極的であるメッセージを発信する。

これを安全であると断言する人々がどういう了簡であるのか、誰にもわからないのだから説得できようハズも無い。

というか、言ってる当人自分の主張がこのようになることを解って無い可能性さえある。

このザマで馬鹿にされたって、そりゃあ何も言い返せませんよ。

なんなら言い返す価値さえも無い。

Permalink |記事への反応(0) | 04:28

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2025-11-24

はてサ戦前と同じとかポンコツ過ぎない?

はてサ中国台湾侵攻に対して反発することが、戦前と同じ道を辿るとか寝ぼけたこと言ってるけど、

戦前日本と同じことやろうとしてるのは中国で、さらロシアはもう既にウクライナに踏み込んでるんだよね。

日本国憲法がー!とか、9条理念がー!とか言っても、

それは敗戦時の大戦反省しようという機運が高まった時期のものであって、

その後の警察予備隊自衛隊さら防衛省)の流れを見れば時代遅れなの間違いないんだよな。

戦後すぐの世界認識政治スキームで止まってるからこそ、自衛隊違憲とか未だに言ってる馬鹿共産党もいるわけだけど、

もう老害過ぎるから滅んで欲しい。

Permalink |記事への反応(1) | 16:38

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2025-11-22

高市政権発足1ヵ月おめでとう。自分リベラルだしそれはこれからもだけど、高市政権になってよかったか

高市政権発足1ヵ月おめでとうございます

  

タイトルにも書いた通りずっとリベラルでそれはこれからも変わんないけど、とりあえず高市政権になってよかったかなってのが今んとこの感想

 

もちろん理念的にはリベラルだし、これから投票行動はそうしていく。(特に夫婦別姓はさっさと導入してほしいかな)

でも、自分自身日本人男性だし、労働者より資本家側だから別に彼女政策方針で損しないんだよね、むしろありがたい。

  

顧みてよく考えると、自分って政治に関しては自分に直結する利益とは別にあるべき論を求めてたんだねって思う。人類歴史を考えれば波はあれど、国家に集中していた権利分散していく方向性は変わらないのだから一喜一憂しても詮無い

AIが発達して1984化ってのは恐れるけど、最早それは保守とかリベラルとかの話でもないような

  

それに中国覇権主義拡張傾向にはリベラルとしても安閑とはしてられないしね。とはいえ、この前の答弁は勇み足だと思うよ、あれは減点だし岡田を責めればいいってもんでもないでしょ。防衛省役人が一番焦ったと思うよ

  

外国人系の問題については、排斥寄りの人の気持ちはまあ気持ちとしてはわかるし、湾岸のタワマンなんかもう中国人だらけなんで地元スーパーも正直うっとうしいよ、日本人中産階級より教養品性も感じられない人も闊歩してるしね

でも、経済的には市場としての中国も、労働力としての外国人も欠かせないよ。日本人ってエリート主義よりも、現場主義や手技的な職人芸が好きだけどさ、それこそ製造業工場現場行ってごらんよ、外国人労働者いなきゃ回んないよ

  

このまま円安インフレ財政拡張労働者権利抑制といった方針で行ってくれれば自分経済的には良し。理念的な部分は後続の政権で確保すればいいやってのが今んとこの感想です

女性初の総理大臣ってのも意味があるしね、今後も頑張ってほしいです。寝ずに頑張ってるらしいし、トップがそういう姿を労働者に見せてくれるのも良いと思う

  

でも鹿はぶっちゃけどうでもいいかな…

Permalink |記事への反応(0) | 10:38

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2025-11-21

別に日本相手だけじゃない件

日本企業がお行儀が良すぎ、悪く言えばマージン取りすぎなだけで、基本的に行けるところまでとりあえず行ってみるってのは海外企業だとどこも変わらんでしょ

一時期のGoogleTwitterもそうだったけど、「日本で開示や削除の命令が出ても従わない、具体的に差押えとかを受けるリスクが高まってはじめて対応する」みたいな外資企業は多いわけで、別に崇高な理念に基づく行動ではなく、単に日本法律裁判所をなめているだけです— スドー🍞 (@stdaux)November 21, 2025

Permalink |記事への反応(0) | 11:34

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2025-11-20

プロセカの「美しすぎる偏り」MOREMOREJUMP!は本当に“前向き”か――

男女共同参画を忘れたアイドルグループ構造問題**

プロジェクトセカイカラフルステージ!」がリリースされてから音楽ゲームとしての完成度やキャラクターたちの物語は多くのファンを魅了してきた。

だが――その華やかなステージの裏で、現代社会が決して見逃してはいけない構造問題が静かに進行している。

問題の中心にあるのは、アイドルグループMOREMOREJUMP!」。

“明るく前向き”“キラキラ”“かわいい”と称される彼女たちだが、そのメンバー構成女性のみ。一見すると当たり前に見えるかもしれないこの事実こそ、私たちが見落としてきた「ジェンダーの偏り」そのものではないだろうか。

女性だけのグループ=なぜ問題なのか?

現実世界では「男女共同参画社会基本法」が掲げられ、「性別に関わらず、あらゆる分野で活躍できる環境」が求められている。

しかし、MOREMOREJUMP!のステージに立つの女性アイドルのみ。

男性が挑戦する余地ゼロ

オーディションの形跡もない。

まりこれは、華やかなステージを装いながら、性別による“参加制限”が構造化されている状態に他ならない。

ゲーム世界観だから、と軽く片付ける人もいる。

だが、影響力を持ったコンテンツからこそ、そこに潜む偏りは現実へ強烈に波及する。

女の子可愛いアイドル」「男の子は外側から応援するだけ」

そんな旧来型の固定観念を、プロセカは無自覚再生産してはいいか

■ “前向き”を掲げながら、平等を掲げていない矛盾

MOREMOREJUMP!のテーマは「再起」「前向き」「夢を追う」。

しかしその夢は、なぜか“女性にだけ”開かれている。

男性ステージに立つ夢は、なぜ同じ形で描かれないのか。

アイドル女性であるべき」という古いステレオタイプを、キラキラした世界観の中でそっと肯定しているようにも見える。

これでは、作品がどれほど前向きなメッセージを語ったとしても、ジェンダー平等観点から時代錯誤だ。

多様性時代に、なぜ“男女混合アイドル”が一組も存在しないのか

プロセカには多くのユニットが登場するが、特にアイドルテーマにしたユニット女性限定であることは、“多様性”を唱えるべき現代コンテンツとしては明らかにバランスを欠いている。

男女混成ユニットひとつでもあれば

性別わず活躍できるステージ

というメッセージ自然に届けられるはずだ。

だが現状、MOREMOREJUMP!は、

可愛い女の子けが輝く世界

という旧来の価値観を温存する装置になっている。

■ 求む、“ジェンダーの壁を越えるステージ

これは決して「女性アイドルダメ」という話ではない。

しろ女性たちの活躍もっと広がるべきだ。

だが、男女共同参画社会を目指すのであれば、

性別による暗黙の排除をなくす構造改革が求められる。

もしプロセカが次のステージへ進む気があるのなら――

MOREMOREJUMP!に限らず、男女混合のアイドル像や、性別に縛られない表現開拓を避けて通ることはできないだろう。

結論MOREMOREJUMP!は、“優しい差別”の象徴になっていないか

華やかで、前向きで、輝いている。

からこそ、その陰に潜む偏りはより深刻だ。

性別によって“参加できる夢”が分断されている状態は、

男女共同参画社会理念から見れば明白に問題がある。

いま必要なのは

「夢見る権利を、性別で区切らない」

そんな新しいステージ提示だ。

プロセカがその未来を選び取れるか――

それが、次の時代の“本当のジャンプ”なのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 18:13

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2025-11-19

anond:20251119125235

不良セクタ以下のゴミデータネットにまき散らしてご満悦なんだろうけど、全部間違ってるからな。

まだこういうバカネットにいるのかと思うと暗澹たる気持ちだが、よそで恥をかかないために無料アドバイスしてやろう。感謝しろ


から「女が男に厳しくしても許されるのに男が女に厳しくするのは差別」みたいな現象が起きるのは、制度上の矛盾じゃなくて必然なんだわ。

構造的に強者側(男)が弱者側(女)に同じことをしたら、それはただの差別として認定される。

でも弱者側が強者側に向けてやる場合は、歴史的背景を踏まえた「補正」であって、そこに対等性を持ち込むのは筋違い

これやってダメだったのがラディフェミ

ラディフェミは「女性」っていう大きなカテゴリで「弱者vs強者」の図式を作って運動を先鋭化させて「男は加害者、女は被害者」っていう図式を強く押し出した結果、社会的な支持を失って孤立していったんだけど、その孤立に並行してあったのが、さらなる弱者運動からパージなんだよ。

なにかっつーと、「女性」の中にもさらに抑圧されてる層がいるわけじゃん。黒人女性障害者女性貧困層女性とか。

で、ラディフェミ論理って「女性男性に抑圧されてる弱者から補正必要」っていう構造なのに、その論理さらに内側に適用されると自分たち強者側になるわけだ。

そうなると、黒人女性が「白人女性中心の運動だ」って批判するのとか、障害者女性が「健常者女性視点しかない」って指摘するのに対して、「弱者の声を優先すべき」っていう自分たち論理否定できないから、運動が分裂して内ゲバになったんよ。ラディフェミ論理で戦ってると、いつか弱者属性カードゲームになるからな。ネットのツイフェミがそうしたクソゲーを延々と遊んでるからわかるだろう。


ラディフェミが死んだあとに頑張ったリベラルフェミニズムがそこから一定の成果を上げられたのは、「性別関係なく能力に応じた機会を」っていうジェンダーを問わない、誰も表立って否定しづらい原則を掲げたからで、それで法改正制度変更を引き出せた。

納得できねえだろうけど、社会ってそうやって変えてくもんなんだよ。メンタルとオツムがクソガキだからからねえだろうけど。

運動の成否って、正しさだけじゃなくて戦略問題なんだよ。どんなに理念が正しくても、攻め方を間違えると同じナイフ自分が刺されて死ぬ。だからラディフェミは研ぎすぎた自分ナイフで刺されて死んだし、リベフェミは扱いやすサイズナイフをうまく使って攻め切った。

お前みたいに「差別されてきたから分け前をよこせ」なんてバカ主張がクソ真面目にされてたら、フェミは何一つ成果を上げられなかっただろうな。

Permalink |記事への反応(0) | 22:52

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七草繭子氏による「森脇透青氏から強姦未遂事件告発顛末まとめ

顛末まとめ

11/17の夕刻に3つのポストからなる「強姦未遂事件告発がX上でなされる(現在は削除)。

スクリーンショット投稿している人もいるので現在でも確認可能だが、概ね下記のような内容であった。


数年前森脇透青氏に強姦未遂に遭い、それ以降頻繁にフラッシュバックに悩まされPTSDになっている。

この間本人から真摯謝罪はなく、昨日もフラッシュバックに襲われ、ひとりで抱え込み精神的に限界であるためここに投稿することとした。

このような内容であった。この投稿は万単位インプレッションとなった。

森脇透青氏と仕事上のつながりのあるゲンロン代表上田洋子氏はこれを受け、11/17夕刻に下記のようにポスト(以下全て投稿はX上のもの)。

森脇透青氏に対して七草繭子氏が訴えている件、いまリポストした投稿で知りました。森脇氏には『ゲンロンy』の編集委員をお願いしており、事実であれば弊社としても看過できません。情報の把握に努めます

https://x.com/yuvmsk/status/1990334468079640623

その後、七草氏は当事者の森脇氏より対面で謝罪する意思のある旨連絡があったとポスト

投稿した責任として書くと、彼は今から直接こちらに会いに来て謝罪をしたい、と連絡が来ました。後のことは、わからないです。

https://x.com/LUVNA_LEVI/status/1990345913320214537

その晩に当事者間での対面でのやりとりが実際に行われたようで、森脇氏はこの間Xになにも投稿していなかったが、11/18の2:45に下記の「和解のご報告」ポストがなされる。

七草繭子( @LUVNA_LEVI )氏の私に対する告発について、お騒がせしています

七草氏とは直接お会いして、謝罪の上和解いたしました(七草氏のツイートはすでに削除済)

以下は事実説明です。

https://x.com/satodex/status/1990476383911621074

数分後に、七草氏のアカウントからも下記の投稿がなされる。

当該のツイートは消しました。お互いの過去記憶曖昧ながらに擦り合わせ、意見感情を交換し合い、納得のいく謝罪と今後の対応約束してくれました。起きてしまたことはどうしようもないことですが、今後森脇氏とは自身の傷が癒える方向に向かう為、お互いに良い方向へ進むことを望みます

https://x.com/LUVNA_LEVI/status/1990477195442336254

これらを受けたかたちで、ゲンロン代表上田氏も下記のポストをして一件落着となったようである

森脇氏から納得のいく謝罪があったとの投稿がされていた。コミュニケーションによってわだかまりが減ったならよかった。

https://x.com/yuvmsk/status/1990490622759969053

被害告発がこのように数時間のうちにあっさりと「和解」をみたことについて、X上ではがんりん氏や小山氏などにより疑問が示され、いくらか騒ぎになっている。

問題点

この顛末についていろいろな論点が設定できると思うが、核心部は「不同意性交未遂罪」という刑事事件が実際にあったのかどうかである

これは森脇氏の「和解のご報告」で画像として貼られたテキスト文字通り読めば、「朝までホテルで過ごすことになり、森脇は当然セックスできると思ったが七草同意しなかったのでセックスはしなかった。それと時を同じくして森脇が"物音"を立てた。七草はその物音に脅迫意図を読み取り、それが以後数年にわたる強姦未遂に遭ったという信念の根拠になっていたが、このたびその"物音"はアルコール摂取に起因する身振りのコントロール不能による偶然であって、決して"やれない"ことにキレて物にあたったわけではない旨、双方合意をみた」とのことなので、単純に「レイプ未遂はなかった」というのが当事者の回答である

そうすると森脇氏は虚偽告発被害者ということになるが、「当該ポストは削除されたし、自分も傷つけちゃったかお互い様だよ」で当事者間の決着をみたというならまあいいのかもしれない。こういったデリケート話題では、司法介入ばかりが正解でもないという考えも当然あるだろう。

とはいえ、お騒がせカップルの「強姦未遂告発騒動としてこれで終わるにせよ、ここに登場した七草氏と上田氏はかなりのダメージを負うだろう。

まず、森脇氏はほぼ無傷である渡部直己セクハラ事件記憶もあるなか、同様の事案に発展しそうなところ数時間のうちに直談判で「和解」に持ち込んだことで評価を上げるかもしれない。

七草氏は大ダメージである

前提として、SNSでの性被害告発という手法は血の歴史を背負っている。

性加害を受けた女性の多くが、組織内での告発など穏当な手段においても「痴話げんかの延長」などと相手にされず、挙句警察にも軽視され苦しみを深めたという歴史があり、そこから Startby believing といった、まずは被害者の言い分を信じ、寄り添うという支援方針が生まれた。その支援を一瞬にして広範に得ようという手段が「SNSでの告発である。一方でこの支援理念は「草津町被害でっちあげ事件」により大きな逆風にさらされてもいる。このような微妙な状況の中で、七草氏は「強姦未遂」のほか、フラバPTSDなど重大なワードをちりばめて告発を行った。やむにやまれ事情があったと考えるべきだろうが、意外にも加害者当人とあっさりと面会し、わずか数時間のうちに「和解」に至ってしまった。

構図としては、この重大なアテンション手法を森脇氏を呼び出すためだけに使ったことになり、SNSでの告発の重大性を低下させてしまった。さらに、「所詮は痴話げんか」という信念を強化し、また、「草津」以後の逆風の中でも真摯支援しようとした人のはしごを外す形にもなっただろう。

今回の「和解」はそのような汚名七草氏に負わせる効果を持つし、またある晩「フラッシュバック」に襲われ、やはりあれは紛れもなく「強姦未遂」だった、と再度考えを変えたところで、もう信じてくれる人はいいかもしれない。人文界隈での仕事もやりにくくなるだろう。本当にそれでいいのかと問いたいくらいである。

また、上田氏も、上述のような問題点のある幕引きについてより踏み込んだ見解を示さない限りは、性被害告発について「看過できない」としておいて、当事者同士の直談判による解決をあっさり受け入れたことで、このような話題を取り扱う資質について信用を失うだろう。

Permalink |記事への反応(18) | 12:57

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anond:20251119085124

政策理念関係なく女性ってだけで肯定してたらただの党派性じゃん

Permalink |記事への反応(1) | 08:53

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