
はてなキーワード:現行憲法とは
2026年の選挙は、一つの「分水嶺」として記憶されることになるだろう。
石破政権の退陣を受け、新たに発足した高市政権。その直後に断行された、いわゆる「7条解散」。1月23日の解散から投開票までの短期決戦は、グローバル市場が発した「サナエショック(金利急騰・円安)」という警告音を、政治的な熱狂と列島を覆う大雪がかき消していくプロセスそのものであった。
結果として自民・維新を中心とする勢力が全議席の4分の3を掌握したという事実は、旧来の自民党支持者すら驚くものであった。それは「政治家の人気投票」という側面を加速させる、選挙戦術の技術的な完成を意味していただろう。
圧倒的な数の力を背景に、長らく議論のテーブルに乗るだけだった「憲法改正」は、いまや現実的な政治スケジュールへと組み込まれようとしている。高市政権は、地政学的リスクの高まりを背景とした「中国脅威論」や、国内に醸成されつつある排外的な空気を巧みに政治的駆動力へと転換した。その支持を追い風に、「9条改正は現実的要請である」というロジックが、強力なキャッチフレーズとして機能し始めている。
私たちは今日、騒がしい政治のタイムラインから距離を置き、無限に降ってくるエコーチェンバーの雪を視界から遠ざけることができるだろうか。
今、この国の変化した「重心」が何を成そうとしているのかを、静かに見つめ直す必要がある。
憲法改正について、世間ではどのようなイメージが流布しているだろうか。「古いものを令和版にアップデートする」といった、あたかもスマートフォンのOS更新のような、若々しく前向きなイメージが、おそらくは今後急速に普及すると予想される。
しかし私たちは、実際にどのような案が議論の遡上に載せられているか、その設計図を確認せねばならない。
議論の参照点となるのは、自民党が2012年に作成した「日本国憲法改正草案」である。このテキストには、単なる9条条文の修正にとどまらない、国家観の根本的な転換が示唆されている。
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
この条文は、人権が国家に先立って存在する「自然権(天賦人権)」であることを宣言したものだ。しかし、草案ではこれが削除され、11条を残すことで人権は国家が与える形を取ることになる。さらに第13条の「個人として尊重される」という文言が「人として尊重される」へと書き換えられた。
「個人」から「人」へ。97条削除に比べればわずか一文字の違いだが、ここに込められた断絶は深い。かつて草案起草に関わった片山さつき氏が「天賦人権論をとるのは止めよう」と明言した事実、そこに流れているのは当然、権利とは天から(あるいは生まれながらに)与えられるものではなく、国家という共同体に帰属し、義務を果たすことによって初めて付与されるものだ、という思想である。
これは良し悪しという感情論以前の、近代立憲主義というOS(オペレーティングシステム)の入れ替えに近い。国家が個人を守るための憲法から、個人が国家を支えるための憲法へ。その重心移動は2012年にすでに開始していたのである。
このような草案内容と、高市総理自身のイメージ戦略はどのように共鳴しているだろうか。
「日本列島を、強く豊かに」。これは、かつて安倍総理が「美しい国」というフレーズを用いたように、いま高市総理が繰り返し掲げているスローガンである。
一見すると経済的繁栄の約束に聞こえるが、彼女の支持基盤である日本会議的な政治的系譜や、選択的夫婦別姓への慎重姿勢、家族間の相互扶助を強調する福祉観などを俯瞰するとき、そこには明治国家のスローガン「富国強兵」と同型的な発想が見えてくる。
明治時代、「富国」という経済的な豊かさは、個人の幸福追求のためではなく、あくまで「強兵」という国家の強さを支えるための基盤として位置づけられた。
逆に言えば、それらを成し遂げなければ個人の幸福を保証できないような情勢なのだと言っているのかもしれない。
決して「日本国民を、強く豊かに」と言わないのは、あの時代の国家観を「美しい国」として、戦後の反省だけでは国を守れないとする意思を表しているのだろうか。
2026年衆院選において、高市政権は市場の警告を、左派の不安を、選挙勝利への多様な戦術でねじ伏せてみせた。その手腕は国家という物語を紡ぐ演出としてスケールアップし、いま有権者に受容されていく可能性を見せている。
圧倒的な議席数と、顕在化した憲法改正への熱望。この二つが揃ったいま、私たちはどう振る舞うべきだろう。
SNSで快哉を叫ぶか、あるいは嘆き悲しむか。過激な批判の応酬は止むことがないだろう。それでも政治的な熱狂から一歩身を引き剥がし、思考のための穏やかな場を確保することは可能だ。
たとえば、「憲法カフェ」のような試みがある。リラックスした空間で、コーヒーを片手に憲法について語り合う。そこでは「賛成か反対か」を叫ぶのではなく、法文がどのような意味を持つのかを学び、穏やかに思考を交わすことができる。
「国家」という巨大な物語に飲み込まれないためには、私たち一人ひとりが、暮らしの根元にいつでも存在する憲法を知り、尊重されるべき「個人」として位置付けられていることを知っておくことは大事だ。
厳冬の衆院選。その唐突な政治の季節は熱く、あまりに短く過ぎ去った。しかし憲法という国の形を変える議論は、これからが長い正念場である。熱狂の宴が終わったあとだからこそ、考えて欲しい。なぜなら憲法とは、普段の生活のほとんどすべてを支えている法律なのだから。
■現行憲法
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
(第97条)※最高法規の章
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
(第11条)
国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である
(第97条)… 削除
97条では、「侵すことのできない永久の権利として信託された」と書かれているが、誰に?
一応、憲法学的には、「最高法規の章でも記載することで、最高の法規なのだと宣言しているのだ」となるみたい
【憲法97条削除は「基本的人権が永久の権利でなくなること、それを侵してもいいものになること」を意味する。】
とか言っちゃう人もいるけれど、そもそも人権の章で「侵すことのできない永久の権利」と書いてあるのに
そういう整合性もなく、11条の存在も知らず、経緯を想像もせず、ただただ「基本的人権を削除」って騒ぐのが界隈の知性を示してる
AIに聞いてあげたぞ。
高市政権が「戦争への距離が近い」と捉えられる理由は、以下の4つのポイントに整理できます。
高市氏は、日本の安全保障において「自分の国は自分で守る」という姿勢を強調しています。
•敵基地攻撃能力(反撃能力):相手が攻撃を仕掛ける前に無力化する能力の保有を強く主張しています。
•国防費の増額:防衛予算を大幅に増やし、最新兵器やサイバー・宇宙空間での防衛力を強化することを優先事項としています。
• 核共有の議論:タブー視されがちな「核共有(ニュークリア・シェアリング)」についても、議論を排除すべきではないという立場を取っています。
高市氏は、現行憲法が日本の自衛権を不当に制約していると考えています。
•憲法9条の改正:自衛隊を「国防軍」として位置づけ、他国と同様にフルスペックの自衛権(集団的自衛権の全面行使など)を持たせるべきだと主張しています。
• 「平和主義」への解釈: 「何もしないことが平和」ではなく、「戦える準備があるからこそ平和が守られる」という論理を展開するため、これが軍事力行使へのハードルを下げると懸念されることがあります。
彼女の国家観の根底にある「保守主義」も、他国(特に中国や韓国)との緊張を高める要因と見なされます。
•靖国参拝の継続:閣僚や首相の立場になっても靖国神社への参拝を継続する意向を公言しています。
•歴史教育:自虐史観の払拭を掲げており、こうした姿勢が近隣諸国との外交摩擦を招きやすく、結果として安全保障上のリスク(有事のきっかけ)を増幅させるという批判があります。
高市氏は、経済を安全保障の一部と捉える「経済安全保障」の推進者です。
•サプライチェーンの脱中国:中国への過度な依存をリスクと見なし、先端技術の流出防止や経済的な切り離し(デカップリング)を重視しています。
•台湾有事への関心: 「台湾の平和は日本の平和」という認識が強く、台湾有事の際に日本が積極的に関与すべきだというスタンスが、中国を刺激し戦争を誘発しかねないという見方につながっています。
とのこと。
さあ、選挙特番みようかな。
https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
現行憲法97条の「基本的人権の尊重と恒久性を確認する条項」が削除されてる
これにより内閣総理大臣が緊急事態を宣言することで基本的人権を制限できるようになる
本来、憲法は国家権力を縛るものであるが、草案では国民一般にも義務を課している
現行憲法が「公共の福祉」としていた言葉を「公益及び公の秩序」に置き換えており、個人の権利制限につながる
・国民を縛り
・自由を奪い
「制服組」は防衛省の中で自衛官の幹部職員(いわゆる武官)を指すもので、対称となるのは「背広組」と呼ばれる国家公務員採用の防衛省幹部職員。
もう少し正確な定義をすると、いわゆる「キャリア官僚相当(定年時本省課長級以上)」の防衛省職員の中で、
制服組:防衛大学校・一般大学卒業で幹部候補生を経て指揮幕僚課程(あるいはそれに相当する課程)を出て防衛省・自衛隊の幹部となったもの及びそのコースに乗っているもの
背広組:国家公務員総合職または防衛省職員一種(技術系のみ)で採用された者
を指す。
戦後日本は現行憲法下でシビリアンコントロールが徹底されているため、基本的には「背広組」優位だが、特に安倍政権以降の自衛官厚遇で「制服組」が対等な力を持ちつつある。
防大卒・一般大卒のいわゆる「幹部自衛官」の中で、キャリア官僚扱い(本省課長級である1佐に昇任)を受けられるのは3~4割程度。
現代の戦争ではー、とか、島国だからー、とか、そういう観点で徴兵制に意味が無いと考えている層は多いであろう。
ただし、右派の人たちでは(自分たちの階級を除いて)徴兵制があってほしいと考えている層が、それなりに居るのだと思う。
どこかのブコメで「憲法13条・18条から徴兵制は違憲になる」という指摘があったが、その指摘はごもっともなので、自民党改憲草案では、丁寧に徴兵制の障害となる条文は変えてあるのだ。
今でも公表されているので、自民党の改憲草案のstableバージョンという扱い。
https://www.jimin.jp/constitution/document/draft/
| 【日本国憲法第13条】 | すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 |
|---|---|
| 【自民党憲法改正案第13条】 | 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。 |
「個人」がただの「人」という表現に変えられており、「個々の個性をもった人間」ではなく、「生き物としての人間」としてだけ守られると解釈できる。
また、戦後積み上げてきた「公共の福祉」という概念を迂回し、新たに「公益及び公の秩序」という、より狭い範囲でだけ守られるように変更。
| 【日本国憲法第18条】 | 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 |
|---|---|
| 【自民党憲法改正案第18条】 | 第1項 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。第2項 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。 |
現行憲法での「いかなる奴隷的拘束」を、「社会的又は経済的拘束」だけ禁止するように後退、つまり「政治的拘束」はこの条文の対象外なので違憲とならない。
徴兵制が実施されたら、政治的だから拘束も仕方ないよね、というロジックとなる。じゃなければ、制限した表現に変更するメリットが何もないので。
| 【自民党憲法改正案 前文】 | (略)日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。(略) |
|---|---|
| 【自民党憲法改正案9条の3】 | 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。 |
国民の皆様、この度第○○○代首相に就任致しました、○○○○でございます。
私(わたくし)がこの場に立たせていただけたのも、ひとえにこれまでの皆様のお力添えのおかげでございます。
さて、私がどのような考えを持って議員活動に取り組ませていただいているかにつきましては、これまでに何度かお話しする機会をいただきましたが、今回初めて私の話をお聞きになる方もおいでになるかと存じますので、ここで改めて私の政治思想というものをご紹介させていただくことで、所信表明演説とさせていただきます。
まずは、私が護憲派なのか改憲派なのか、国家の安全保障についてどのように考えているのかについてお話しいたします。
憲法改正に対する私の立場は、「真(しん)の護憲派」である、と申し上げております。真の護憲派とは、
「これまで日本国は現行憲法を順守していないため、現行憲法がどの程度国家安全保障にとって有用なのかの判断は不可能である。そのためまずは、現行憲法を遵守せよ。その後、将来的に機能不全が明らかになれば、改正することもありえる。しかし現時点では改正する必要はない。」
尚、ここで言う憲法の遵守とは、武力を放棄せよ、という意味ではなく、憲法の精神を守るべし、という意味でございます。
では憲法の精神とは何か、ということなのですが、日本国憲法には条文の前に前文が書かれており、そこでこの憲法がどのような意図をもって制定されたのかについて、憲法が定められた背景、あるいはその精神が書かれております。ここでいわゆる憲法の三原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」について述べられていますが、特に平和主義につきまして、現状どの部分が守られていないと私が考えているかについて、お話ししたいと思います。
憲法前文には、武力を放棄することによって自国を守る、とは書かれておりません。そうではなく、日本国民は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。これは平たく言えば、人間には善を受けると善を返そうという性質があるので、この性質を信頼することで自分たちの安全と生存を守ります、ということです。つまり日本国憲法は、日本人は善を為す高潔な国民であるということを世界に知らしめることにより、自動的に国防が達成されるようにする、と定めているのです。
もしも世界中の国の人々が「日本人は私たちに本当に良くしてくれた。彼らは真に高潔な人々だ。私たちが日本を武力攻撃するようなことは決してないし、万が一日本がどこかの国から武力攻撃受けたなら、私たちは命がけで日本を守るために戦う」と思ってくれるなら、日本は国防のための武力を保持する必要があるでしょうか?
これは実現不能な理想論でしょうか。私はそうは思いません。しかし、現時点で達成されているとも考えていません。むしろこれまで日本は、憲法で定められた高潔さによる自動国防を実現するために、国家として何もしてこなかったために、理想から遠く離れた場所にいるように思います。武力を持たない高潔な国は攻撃されないかもしれませんが、武力を持たない下劣な国は攻撃されてしまうでしょう。そのため今後は、当面の間は現行戦力も維持しつつ、高潔さによる国防も併せて進めてまいります。
そのために、国家として平和貢献隊を組織します。この組織の目的は、世界の国々に奉仕し日本の高潔さを知らしめ、それによる自動国防を達成することです。そのため予算は防衛費から拠出することになります。武力を増強することは、相手が日本を攻撃したくてもできない状況を作ることを目的とする消極的な平和維持であり、世界に貢献することは、相手が日本を攻撃したいと思わなくなることを目指す積極的な平和構築と言えるでしょう。今後は自衛隊による抑止力と平和貢献隊による自動国防という、2つの側面から国防を担ってまいります。
平和貢献隊の具体的活動内容としましては、まずは世界各国が抱えている様々な問題を調査していきます。その中で、日本の強みを活かして効果的に解決に導いていける課題を抽出し、その活動によって日本の高潔さを知ってもらえる活動を選択していきます。
こうした活動は、国家としてではなく民間で実践しておられる方々も居ます。アフガニスタンで現地のために活動されていた医師の中村哲さんのような方々です。
https://www.bbc.com/japanese/50657223
こうした活動の恩恵を受けた人々は、例えばアフガニスタンが将来強力な武力を持ったとして、その武力を日本に対して振るおうとするでしょうか?
こうした活動は、単に寄付金を送るなどではなく、実際に平和貢献隊の日本人が現地に赴き、日の丸を背負った制服を着て活動を行っていくことで、世界の人々に日本の国家としての活動が認識されていきます。
民間人が行った活動であってもこれだけのことができるのですから、国家として予算を使った国防活動として大きく行っていけば、どれだけの貢献を世界の国々に対して行えるでしょうか。
活動の成果の指標として、世界の主要な国々の国民に対するアンケート調査を行い、日本が攻撃されたら日本のために戦うと回答するという人が80%以上となることを、当面の目標としていきます。現在世界の多くの国において、様々な理由で人々が苦しんでいます。その内容を精査し、我々日本人ができることをよく考え、世界中の人々の幸福のため、ひいては世界の人々に日本国民の高潔さを知ってもらうために一番効果的な活動を選択して実施することで、この目標達成に近づけていくのです。
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
この憲法を掲げているのですから、日本国内にも様々な問題があるとしても、それを言い訳にして、世界の人々のための活動を停止してはならないのです。
現在日本と中国との間では、領海を巡ったいざこざがあります。ですがもし、1954年の自衛隊発足と同時に平和貢献隊も発足していたならば、そして中国の人々が困っている時に平和貢献隊が協力できていたならば、現在とは異なる関係があったかもしれません。
例えば1960年ごろ、中国では飢饉によって数百万人が餓死していました。しかしそれまでに平和貢献隊がその活動を通して、その意義や実績を世界に認められていれば、中国も食料配給のための平和貢献隊派遣を受け入れてくれたかもしれません。そうなっていれば、大勢の中国の人々を餓死から救えていたことでしょう。もしそのような歴史があったならば、その後の日中関係は、現在とは違ったものになっていたことでしょう。自分や自分の両親が日本の平和貢献隊の配給で餓死から救われたという人々は、日本に対する攻撃を認めるでしょうか。
これは仮定の一例ですが、日本はこれまで平和貢献隊を創設してこなかったために、70年間の世界への貢献の機会を失ってしまいました。日本が提案してもその国が平和貢献隊の活動を受け入れないという場合もあったでしょうが、もし70年間活動できていたならば、現在どれほど多くの国の人々が、「日本を攻撃するなどとんでもない、もし日本が攻撃されたら日本を守るために戦いたい」と思ってくれていたでしょうか。どれほど日本の平和が強固になっていたことでしょうか。
70年は失いましたが、私はまだ遅くないと考えます。今からでも平和貢献隊を創設し、積極的に活動していけば、それだけ日本の平和を守りやすくなっていくのです。武力増強だけではなく、高潔さによる自動国防も併せて進めなければいけません。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
権利と義務という考えがあります。義務を果たさない者は、権利を主張できないのです。ですから、日本国憲法によって何らかの権利を享受している日本国民は皆、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」義務を負っているのです。皆さんはこれまで、憲法の定める義務を果たしてきましたか?
現状、そうではない方が居たとしても、それは国民の責任ではなく、そのための方法を示してこなかった政府の責任であると私は考えます。理想と目的を達成するために何をすればいいのかを国として国民に示さなければ、努力したくてもできないでしょう。
ですから私はこう話します。国民の皆さん、憲法の精神を守り、平和貢献隊を創設し、世界に貢献していきましょう。そのためには皆さんの協力が不可欠です。平和貢献隊が、どの地域で、どの国に対して、どのような活動をすれば、一番効果的な働きができるのか一緒に考えてください。提案を広く募集します。また、平和貢献隊への入隊希望者も募集します。詳細は後程発表しますが、世界の人々の幸福と日本の平和のために、働いてはくれませんか。そしてまた、平和貢献隊をサポートしてくださる方も募集します。
そして何より、これらの活動を維持していくためには、私たち真の護憲派に対する皆さんの支持、投票が不可欠となります。「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ために何ができるのか、皆さん一人一人が良く考えていただき、その結果として真の護憲派に対する応援、投票、参加が理想と目的の達成に繋がると思われたならば、どうぞお力添えください。そして一緒に、「国際社会において、名誉ある地位を占める」日本国を創っていきましょう。
ご清聴、ありがとうございました。
○○○○年○○月○○日、第○○○代内閣総理大臣 ○○○○
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
現行憲法内で可能な社会設計プランとして、若い女性に出産を促すためには産まないまま高齢になれば医療費10割負担になりいつかは破綻して自分の命を諦めざるを得なくなるという将来を見せる必要がある。出産経験はマイナンバーカードで管理できるのでコスト低く制度を導入できる。
三十歳までに出産しなかった女性の社会保障を停止することが必要になる。
病気になっても金がなくて病院にかかれない女を見て、若い女性は必死になって出産するようになる。
高額療養費制度を削るよりずっと根本的な少子高齢化による社会保障費増大への解決策になる。
男性に対しても同じ施策をした方がいいという意見があるが、出産記録は女性にしか残らないので男性に同じ施策をすることはできない。
また男性はずっと高齢になっても生殖可能性はあるので死んでもらっては困る。
何より、若い女性に対する見せしめとしての政策なので男性に対する施策は何の役にも立たない。
https://anond.hatelabo.jp/20240805223215
左翼ではないものの集合体が右翼であり、実に様々な思想が右翼に含まれる
たとえば「新自由主義」は本来は左翼だが、現在は右翼とされている
「宗教的原理主義」は最初から左翼じゃないかもしれないが、思想的には左翼と類似した要素がある
理性主義とは、世の中のあらゆる問題は人間の理性によって解決可能だという主義だ
科学の進歩によって、人間は神に頼らなくても人間自身の力で解決可能だという自信を持った
それは「人間が神にとって代わる」ということだ。「人民が王にとって代わる」のと同じく革命の重要な精神となった
よって宗教・伝統・習慣といったものは憎悪・軽視され「理性によって正しいものだけが正しい」と考える傾向がある
インテリに左翼が多いのは、理性の力を強く信じてる人が多いから
■左翼が憲法を「保守」し、右翼が憲法を「革新」しようとするのか?
左翼が「理性」によって「平和憲法は正しい」と考えたからというのは正しいといえば正しい
だが「理性」によって「憲法改正すべき」と考えるのは有り得ないことだろうかといえば、そんなことはない
ところが現在の日本においては、そのような考えは「左翼的ではない」ということになってしまうので
理性によって憲法改正を唱える者は、思想的には「左翼」であっても「右翼」となってしまうのだ
実際、憲法改正の必要性を理性によって説明する「右翼」は、思想的には実に「左翼臭」がする
■「保守」とは何か?
保守と呼ばれてる人にもいろいろいるけれども、
本来の保守は「理性を崇拝する左翼に疑問を持つ人」だといってよい
〇よって憲法改正についても護憲左翼や改憲右翼のように「理性」だけで考えたりしない
彼ら左翼・右翼はいついかなる状況であっても憲法を「改正すべきでない」「改正すべき」と考えがち
現行憲法は「正しい」から守るべき、または「間違ってる」から改正すべきなのだ
〇保守はそのように「理性」によってのみでは考えない
現行憲法が成立して以降、日本は世界でも稀な平和国家になった。その点は軽視しない
しかし、現在の世界の状況において「このままで良いのか?」とは考える
「保守」には、改憲反対も賛成もいるだろうが、それは「理性」崇拝からの結論ではない
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
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安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
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現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
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だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
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その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
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NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
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今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
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自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
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このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
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英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。Permalink |記事への反応(1) | 18:42
赤坂正浩氏は「少数の意見」として現行憲法の規定に同性婚を含むという解釈があることを認めてる。
樋口陽一氏は、憲法は「革命的」ではないと言っているだけで、同性婚を許容する意見が6割を超え、すでに「革命的」でもない現在に同じ意見が成立するかは疑問。
高橋和之氏も、憲法が「カバーしてない」と言っているだけで、同性婚を憲法が許容しないと言っているわけじゃない。
何より、これらを踏まえた政府見解自身が「想定していない」と言ってるだけで、「禁止したものと解することができる」なんて言ってはないよね。
これを踏まえて増田は札幌地裁の結論を「相当危険だ」と批判してるけど、その批判は妥当かなあ?
たとえば
憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)
これ。「社会情勢の変化」というのを増田はどうも近年の風潮を指していると理解している節があるけど、こと日本国憲法の解釈について言うなら、明治民法との比較において述べていると理解するのが妥当じゃないかね。つまり、「婚姻には戸主の了解が必要」としていた家父長制・家族制をベースとした明治の民法規定に対して「個人の尊重がより明確に認識されるようになった」日本国憲法における第24条の、両性の合意「のみ」という規定は、「結婚する二人以外の人の了解は(婚姻の成立において)必要とされない」という趣旨の条文であると解釈することが相当だろう、という意見。この点、札幌地裁の見解はきわめて穏当な解釈であり、個人的には十分納得できる意見だ。もちろん、その時点で同性婚が「想定されていなかった」という点については、全く異論はないよ?
でもって、「想定していなかった」事態が起きてきたときに、法の精神に則りどう解釈すべきかと議論するのは、言葉の意味からいって「解釈の変更」ではないんだよ。「解釈の変更」というのは、あくまで従来から「解釈A」があるのに、それに反する「解釈B」と差し替えようとするようなことを指すんだよね。これは、与党が交代しようが何しようが、国家体制が変更していない限り軽々しく変更してよいものではないはずだよ。近年では、慰安婦問題を最終的かつ完全に解決とした見解を、次の政権であっさりひっくり返した韓国さんの対応とか(あれには呆れた)、あと本邦でも大いに批判された「集団的自衛権」に関する解釈変更が記憶に新しい。あれ、世界各国の状況を理由にした強引かつ「危険」でまさに「ド直球」な解釈変更だったよね。これらについては当然増田も同意してくれると思うし、あの時はさぞあれらを批判してくれてたんだろうと思うんだけど。
それに比べれば、「想定していなかった」事態にどう処すべきかというのは、まさに現在の人々の意見・見解や国際的な潮流、そして立法の精神を踏まえつつ、新たに「解釈」を立てるだけのことであって、それ自体はむしろ必要なことだよ。あくまで憲法は「想定していない」。同性婚も、それに対する民意の大きな変化も。そして、「想定していない」事態が生じたとして、私たちの社会はそれに対応しないわけにはいかない。なぜならそれは、そこに厳然と存在する人一人ひとりの権利に関わる問題であり、何よりそれが憲法の他の条文
日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
とバッティングするおそれがある以上はね。
でもって「現在の人々の意見・見解や国際的な潮流、そして立法の精神」を考えた時に、憲法24条をもって同性婚が許容できない、許容しようとする解釈を作るのは「危険」だなんだと騒ぐのは、結局のところ、日本国憲法の条文を勝手に「同性愛差別」に利用しようという魂胆(歪んだ認知)をお持ちの場合だけなのではないかと思うんだ。まあ、増田の意見自体は勘違いによるものではないかと思うけどさ。そもそも憲法は、国民を縛るものではなく政府に対して国民の権利を縛るなよと規定するものだ。だから、24条は「結婚に第三者の意見がいるような法はダメ」、13条は「幸福を追究する国民に、最大限配慮しないとダメ」って条文なんだよね。国民を縛ってるんじゃなく、国民を縛ろうとする政府にストップをかけている。だから、想定されていなかった事態(同性婚)に対して、あたかも公式見解(解釈)がすでに存在するかのようにふるまい、ましてや憲法の条文をタテに国民の幸福追求権を阻もうとするなんていうのは、憲法解釈を大いに歪める行為であり、許せないよね。憲法解釈を大切にする増田なら当然賛成してくれることだと思うんだけど。
ただ、札幌地裁も、まだ同性婚に関する国民の意識が依然として議論の渦中であることを踏まえて、従来の法が憲法13条に現時点で違反しているとまでは言えない、という見解を取っており、これは増田も引用してくれているとおりだよね。個人的に残念ではあるけど、そこにも異論はないんだ。ただ、注意しておきたいのは、判決文に言う国会議論が進まず、同性婚を認める立法が進まなかったことが「憲法違反であることが明白になっていたとはいえない」というのは、当然ながら、国民の意識が高まり議論が成熟した暁には「(同性婚を妨げる法規定は)明白に憲法違反である」という意見と同義なんだよね。この点も、判決文を熟読した増田にはよく分かっていることだろうけど。
だから、「憲法24条で同性婚は認められてませんwお前らの大好きな憲法でなwwww」てやるのは、ちょっと完全アウトな行為であり、地裁判決はそういう連中に「御前ら、違うからね?」とまともなツッコミを入れただけ、その程度のものであって大騒ぎするようなものではないんじゃね?ってのが俺の解釈なんだけど。
AVを守るために生まれた第三者団体AV人権倫理機構の代表理事も務める、表現の自由界隈のヒーローとしてお馴染みの筋金入りの自由主義者さん「同性婚は現行憲法によって要請されていると解釈できる」
法学部生が大学でみんな読む標準的なテキストの著者Aさん「現行憲法が同性婚について何か言及していると解釈するのは難しい。少なくとも同性婚を認めて違憲になることはない」
法学部生が大学でみんな読む標準的なテキストの著者Bさん「概ね上に同じ」
無名大学で教鞭をとりつつ南京虐殺否定論などを展開する、統一教会とも繋がりのある極右活動家さん「同性婚は違憲」
https://twitter.com/napori_ankake/status/1623521046556205056
縁もゆかりもないのにパレスチナで起きている虐殺に心を痛めるくらいには生活にゆとりを持っている。だが募金をすることもなければデモに足を運ぶこともない。
作家をしている友人が停戦を求めるデモに足を運ぶのをインスタグラムに淡々とアップしているのを見て、罪の意識というほどでもないが、何もしていない自分がどこか責められているように感じる。
そして同時に「そりゃ戦争はみんな嫌だし止めたいけど、デモをやったくらいで戦争が止まったら苦労しないよ」とも思う。
そもそもそこまで貿易のないイスラエルに日本ができる有効な経済制裁ってあるの?とか主張を疑ってみたり
日本は米国と利害関係があり、米国はかのユダヤ人国家と利害関係があって、これを無視して人間として直感的に正しい主張を貫いてしまうと後で困るのは安全保障的にも経済的にも独立していない日本なので、まずは自衛軍擁立賛成デモからやらないんですか?とかニヒルに構えてみたり
デモに参加している人のアカウントの多くが反原発・#metoo・BLM・現行憲法・政権批判・性被害撲滅などの運動にも参加していて、なんか「被害を受ける弱い私たち vs クソ体制」って二項対立スタンスが強すぎてちょっとね、とかよく知りもしない参加者の属性を嫌がってみたり
仮にそうだとしても、私が世の中の醜悪な出来事に対してどんな形であれ意思表明をしない理由にはならない。
わかっているよ。それでも、やっぱりデモが苦手なんだ。