
はてなキーワード:現場監督とは
けれど、点検報告書には「異常なし」とだけ、そっけなく印字されたPDFが添付されてくる。
三十年前なら、それを見逃す者はいなかった。
いや、“生き残った”というべきか。
当時の仲間の多くは職を失い、家を売り、なかには命を絶った者もいた。
バブルの余熱がまだ残るころ、祐介の所属した会社は全国にリゾート開発を展開していた。
銀行は金を貸し、不動産会社とゼネコンはその金を使って「未来」を建てていた。
小泉政権が“構造改革”の名のもとに進めた金融再編は、銀行にとっては救済だったが、
祐介の会社も、4000億円規模の開発が“回収不能”とされ、メディアに名指しで叩かれた。
だが、祐介は知っていた。
開発案件の大半は、もともと国主導の“ケース事業”だったことを。
裏では大蔵省が土地を押さえ、リゾート政策を煽っていたことを。
現場で汗を流した職人たちは、開発計画が潰れても責任を問われることはなかった。
代わりに、技術者や現場監督たちが矢面に立ち、切り捨てられた。
協力会社の担当者にそう言われた夜、祐介は初めて会社のトイレで吐いた。
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そして今。
祐介は小さな建設コンサル会社で、インフラ点検の補助をしている。
自治体からの委託案件が多く、担当者は若い、30代前後の契約職員ばかりだ。
経験がなく、知識も浅く、なにより「責任を取らされるのが怖い」という眼をしていた。
ある若手が問う。
「たぶん、じゃダメだよ。記録に残すか、写真を撮って報告するか」
祐介は答えながら、心のどこかで諦めていた。
この青年が次の現場に行くころには、もうこの異変のことを忘れているだろう、と。
チェックリストに○をつけ、Excelで表を整えれば、それが“点検”になる。
本当に危ない橋やトンネルを救うには、「異変を感じ取る目」と「報告する勇気」が必要だ。
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「昔は、職人が天井裏を覗いて“ヤバい”って言えば、それで補修工事が決まったんだよ」
祐介がそう話すと、若者たちは苦笑した。
祐介は思う。
これはもう、先進国ではない。
国がコストカットと外注主義を極めた結果、「インフラという生命維持装置」が壊れていく過程なのだと。
そして皮肉なことに、あの時“ムダだ”と叩かれた公共事業を切り捨てた代償は、
今になって「工事費5割増し」「技術者不足」として跳ね返ってきている。
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日が落ちる。
継ぎ目の錆は、もう一段深くなっていた。
あの夜のトンネル崩落事故のように、何かが起きるまで誰も動かないのかもしれない。
もう誰も彼に命令しない。だが、彼は知っている。
そして、
「俺たちは、本当にあの時“ムダ”だったのか?」
という問いだけは、永遠に胸に灯し続けるつもりだった。
昨日は朝からトンネル工事の現場で作業してたんだけど、なんか今日はめちゃくちゃ暑い。
汗だくになりながら掘削作業をしてたら、ちょっと集中力が切れてきた。
ふと、「この先ってどこにつながるんだろ?」と思った。別に今すぐ知る必要はないんだけど、気になったら試してみたくなるのが俺の性格。
で、ちょっとだけ試しに掘る方向を変えてみた。
いや、ほんの少しだし、大した問題にはならないだろうと思ったんだよ。
そしたら、なんか急に地面がやわらかくなって、ガコン! って崩れた。え、やばくない? と思った瞬間、向こう側から光が差し込んできた。
ていうか、普通に電車走ってるし、人いるし、みんなこっち見てるんだけど???
そしたら案の定、現場監督がすっ飛んできて「お前何やってんだ!!」ってめちゃくちゃ怒鳴られた。
いやいや、俺もちょっと掘っただけだし、こんなすぐ地下鉄にぶち当たるなんて聞いてないんだけど??? ていうか、地下鉄がこんな浅いところにあるのが悪くない???
なんか大問題になりそうだったから、「とりあえず埋め戻します?」って提案したら、「そういう問題じゃねえ!!!」ってさらに怒鳴られた。
いや、でもどうせ穴開いちゃったんだから、もうどうしようもなくない???
これ結論だと思うんだがどう?
男は獲物を的確に仕留めるチームプレイのために瞬時に自分の前後左右上下の空間把握するための能力が育てられ、
このために現代の街中でも急に立ち止まったり前を見ずにぶつかることが少ない。
一方で狩りは死亡者が出ることは織り込み済みの危険なミッションなので、
目的を達成することが最優先として個々人の感情には配慮する必要がなかった。
女は長期間にわたって木の実なんかを見つけるために能力が育てられていったから、
瞬時の状況把握を身につける必要はなく、むしろ長時間モチベーションを維持するための精神的なマネジメント能力が求められた。
女のスケジュール帳が妙にみっちり書き込まれているのもこれが関係していると思う。
こうして考えると女はマネージャーには向いていても現場監督には向いていないと思うんだよな。
正直、"タイミー"で特殊清掃の案件を見つけた時点で胡散臭かった。でも"日給25,500円。交通費込。早上がりでも満額保証"って書いてあったから、つい応募しちゃったんだよね。
オレは大学を中退して性別適合手術(ちなみにFtMな)を受けた身。手術費用の返済がまだ残ってて、呑気に正社員なんてやってる場合じゃない。だから手っ取り早くスポットで稼げる高時給バイトを探してた。
現場は都内の古びた木造アパート。"節分の夜"に作業するって指定されてて、それも怪しかったんだけど、金の力には勝てなかった。
待ち合わせ場所に行ったら、同じバイトが5人いた。みんな俺みたいな感じの人たち。性別も年齢もバラバラ。
現場監督って人が説明を始めた。曰く、"江戸時代に徳川家が埋めた財宝の封印を解く儀式"が必要で、その準備作業として特殊清掃をするんだとか。
なんかカルトっぽいって思ったけど、「取り分は平等に分配する」って言われて、まんまと釣られた。
作業が始まったのは深夜0時。"豆まきの音"が近所から聞こえてくる中、アパートの一室に入った。
部屋は異様な臭いが充満してた。家具や床に赤黒い染みが残ってる。この時点で逃げるべきだった。
清掃を始めて1時間くらい経った頃、現場監督が「儀式の準備が整った」って宣言した。
次の瞬間、オレたち作業員6人は円になるように並ばされて、何か呪文みたいなのを唱えさせられた。古い和紙に書かれた文字を読むんだけど、"文字が勝手に動いて見える"。
そのうち、床から"黒い液体"が染み出してきた。最初は水漏れかと思ったけど、よく見ると液体が"人の形"を作っていく。
完全に形になった時、それは着物を着た侍の姿だった。侍は一人一人の顔を見て、最後にオレの前で止まった。
「汝、かつておなごにあらざりしも、今や新たなる器として相応しき存在なり」
その声を最後に、オレは気を失った。
目が覚めたのは翌朝。オレ含め作業員全員が路上で倒れてた。アパートはなぜか更地になってて、お札がビリビリに破れて散らばってた。
タイミーのアプリを確認したら、その現場の募集は消えてた。報酬も一切入ってない。でも、オレのズボンのポケットには"小判1枚"が入ってた。
鑑定に出したら"本物の江戸時代の小判"だって。でも、なぜかどの博物館も買取を拒否してくる。学芸員が顔色を変えて、「これは触れない方がいい」って。
今でも節分の夜になると、あの侍の声が聞こえる気がする。そして、小判の表面に刻まれた文字が、少しずつ変化してるような気がしてならない。
追記︰
ちなみに、この話を他のSNSに書いたらアカウントが謎に凍結された。
あ、誰か後ろに...
人工知能が人間を超えるとか超えないとか言ってて、もう単純作業では人間が敵う相手じゃない
では管理職的にAIのマネジメントをすべきか?となると、現場監督みたいな役割はやっぱりAIにやらせてしまうほうが効率はよさそうで、AIの階層化により全自動でそこそこ大きな目標を自動で達成するAIまでは一瞬で到達してしまうと思う
ここが進むと、電力や計算資源を用意して巨大なAI組織を作ることができるグループの一人勝ちになる
電力とか計算資源の物理的な制約から、即座に知的労働職のすべての職が失われることはないだろうけれども、
そこじゃなくて
質問内容が完全に「やろうとした人」じゃなくて「着手もしてない人」のそれじゃん
つまりふられた仕事を「新人の独断」で「やりもせず、進めなくて問題ない」って判断してたってことなんだよ
少しでも進めようとしておかしなポイントをみつけたら、この会話の最初に、こことここ確認しなきゃな、って絞れてるから、あの会話にはならない。
要件の確認もせず、ただ放置して、誰かに聞かれるまで放置してたのを隠す「新人(周りも全体の状況も把握してない人)」だよ。やばすぎない?
揚げ足取る前に自分のやってるプロジェクトに置き換えてみてよ。
相手は全体をみてこれは誰かにつっこまれるまでほっとけばいいとか判断できる現場監督じゃないんだよ。
右も左もわからない状態で、一番簡単で責任の薄いものを任されて、着手すらしてなくて、理由をきいたら「意義に疑問が」「週末の定義は」って返してくるんだよ。
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
Permalink |記事への反応(13) | 12:23
最近、また精神科の診察に行くことになった。自分には長い間、うつ病と診断されていて、抗うつ薬のパキシルと睡眠薬のロゼレムを処方されている。初めて診断されたのは5年前のこと。まだ20代の後半だった。仕事はITベンチャー企業、そう、あの有名なサイバーエージェントの関連会社に勤めていた。
仕事が忙しすぎて、次第に夜も眠れなくなり、食欲もなくなってきた。あの時の社長、T社長は「頑張れ、頑張れ」と言ってくれていたけど、結局は自分が壊れてしまった。休職するように言われて、親会社のサイバーエージェントの社内カウンセラーに相談して、その時はじめて「精神科に行った方がいい」とのアドバイスを受けた。
あの頃の自分がとても愚かだったことにうんざりする。鬱になる前に、信頼していた友人Aにも一度相談した。しかし、彼は「お前、ただの甘えだよ」と一蹴した。彼との関係も、それ以来ぎくしゃくしたままだ。友人Kも「悔いのないように頑張るべきだ」と言っていたけど、精神的に追い詰められている自分にはただのプレッシャーだった。
実家に戻ることになり、親戚や近所の皆さんには「何してるの?」と聞かれる度に「療養中」と答えるのも辛い。うちの親も精神疾患者への理解がほとんどなく、「いつまでそんなことしてるつもり?」なんて言ってくる。父親は現場監督をしていて、昼間から酒を飲むこともある。そういうふうに家庭内の雰囲気も悪くなっていった。
今では、週に1回、近所のクリニックに通院している。診察券には「Sクリニック」と書いてあるが、正直、そこがどれだけ信用できるのかもわからない。先生は笑顔で接してくれるが、内心何を考えているのかはわからない。薬も増えたり減ったりで、自分の状態が良くなっているのかもよくわからない。
自分の手元には、大学時代に書いた卒業論文が残っている。その時は早稲田大学を卒業することに全力を尽くしていたが、今となってはただの紙の束に過ぎない。その紙も、今の自分にとっては重荷だ。
SNSも見ないようにしている。FacebookやInstagramで皆が楽しそうにしているのを見るのは辛い。自分も楽しい時期があったはずだが、今となってはただの遠い記憶だ。Twitterでは同じような境遇の人がいるのを知っているが、だからと言って慰めにはならない。
こうして文章に書いてみても、自分の気持ちが晴れることはない。それでも、何かしらの形で吐き出さないと、もっと心が苦しくなる。これからも、自分がどうなるのかはわからない。ただ、一歩一歩前を向いて歩くしかないのかもしれない。でも、その一歩がとても重い。
投稿者さんのように、早い段階で業界を去っていく人が多いのは残念ですが理解は出来ます。
建築設計をしたい人がゼネコンに入社してはいけません。ゼネコンは建設業です。
ゼネコンの設計部も有りますが、アレは設計施工するための部門。オマケと思って下さい。
ゼネコンは給料が良いし、企業規模も大きいので就職の際によく見えます。しかし建築設計を
したい人が欲しい訳では有りません。建築学科の学生としてゼネコンが求める人材は
『現場管理(現場監督)』です。設計の現場監理ではありません。
建築設計は仕事として、一人前になるまではしんどいです。しかし大分やりがいが有る部類だと思います。
まずは一級建築士を取得しましょう。その後は、転職の選択肢は幅広いですよ。
もうしんどいのはイヤな場合、役所に逃げ込む人もたくさん居ます。
ゼネコンに高給で転職も出来ますし、インフラ業界でもそこそこ求人有ります。
一級建築士が取れない人は知りませんw