
はてなキーワード:玉砕とは
・まんがタイムきらら絵柄で脱臭してもこのエグさって、現実ではエグさを超えたすぎてなんて言葉にしていいか分からないくらいエグいて…
序盤は「エグいて…いやエグいて…」から、「日本は、負けたのか…!?」あたりから「お、おも〜〜〜い!重い!!」になり始めた
エグさの許容可能量を超えると語彙がなくなる
・玉砕の悲惨さもエグいけどその後の潜伏パートも別種のエグさがある 情報が入ってこず、明日どうなるか分からない状態で2年はキツい
・戦争映画始めてみた
・デスノートか?と思ったけどそんなこと無かったぜ
・原作未読で和泉くんの口紅2コマだけを見て、和泉くんが主人公だと勘違いした状態で
「偶然生まれた、国や時代にすり潰される「個人のアイデンティティ」の話」を期待して観に行ったけど、思ったより王道の戦争映画だった そして戦争映画は万全の体調の時じゃないとHPMPの消耗がヤバい 寝不足の状態でみる映画じゃねえ!
・主人公くんと猟師くんの間にもっとホモソというか〜戦場の絆〜(湿度高め)を期待していたのですが、最初から最後までお互いにカラッと健康な信頼関係と互いを尊重する心を持ち 接していた 湿度は多少きらら絵柄によりカットされてるだろうがそれにしてもヘルシーな関係の二人だった
・主人公くんと猟師くん、仮に2人が2025年に大学とか職場で出会っても、映画の2人の健康な距離感で人間関係絆けるんだろうなぁという感じ 戦争という特殊な環境で出会った「からこそ」の人間関係の独特さは無かった 湿度については周囲の人々が担当してた
・タイトルの「楽園」の名前が恥ずかしくないくらい背景美術が美しかった
時間経過で焦土から元々の南国の美しさが取り戻されてく過程の美しさと文字通り「地獄」の玉砕から時間が経過していき「過去」になっていく「あの死はいったい…」とむなしくさせられる心が2つある〜だった
・命の儚さをシャボン玉で表現するし、大事な仲間が亡くなるシーンで切ないピアノ曲流すしエンドクレジットでは実際のペリリュー島の写真を挿入してくれる、 戦争映画の「王道」しっかり押さえとった
そういうシモ・ヘイヘ的な「本来発揮されることなく亡くなっていくであったはずの才能」が時代のいたずらにより 輝く瞬間は美しい…
・シャボン玉飛んだの鼻歌がイイ声すぎておもろい、そんな「演出がまっすぐすぎてそのまま受け止めるのがちょっと照れる」ひねくれたワイ
・1人くらいゴールデンカムイみたいな戦争に人格破壊された振り切った異常者出てくるかな と思ったけどいなかった
・戦争は終わっても、私の戦争は終わってないんです隊長も哀しいけど心情は「理解」できるから…
・人望ありんちゅ隊長の「人望をあつめられる人柄」の長所と短所(本人の責任感かつ今更引くにひけないんです…にみんなの人望が人数分かけ算デバフになりラストに繋がる)が両方描かれていてすき
・隊長ラスト、あれはあれで本人がよければ…まぁ…(村長もそうだと言っています)だったし…
・盗みのために忍び込むの回数こなしすぎて、敵地中で映画に見入っちゃうとこ、「慣れ」の怖さ感じた 猟師くんの遺体が燃やされてるのもちゃんと見届けるのも「2人の絆」と同時に「人間の肉体が燃えるのを抵抗なく眺められる慣れ」を感じて 「戦争ってよくないですね~」ってなった
・敵軍戦艦の前らへんがパカー開いて戦車が列になってキャタピラで出てくるとこ、「敗戦国の屈辱とメカへのロマンがガンダムや宮崎駿の男の子のメカロマンを生み出し、今の漫画アニメカルチャーに繋がったんやなぁ…」と複雑な気持ちになりながら見てた
・戦争は、クソザコ市井の民ワイにとっていいことが1ミリもないのでよくないと思いました
当時、オッペンハイマーとか風立ちぬとかのポジの人たちは普通にいい生活送ってたもんな…
・当時の人々は、情報に簡単にアクセスできる今の人々と比べて、圧倒的に手に入れられる情報が少ないもんな…と思いながら観ていたが、Twitterでイーロン君のアルゴリズムからお出しされるオススメ情報を貪り食ってるワイはコントロールしやすいチョロ市民やろなぁ…と思いながらみてた
・斜め後ろに序盤はポップコーン食いながら観て中盤以降ずっと啜り泣きしながらみてるおっさんおって、この映画を余すことなく楽しんでるな…と思った
27歳DT、この歳になってようやくというかいまさらというか、とにかく失恋をした。
知り合ったのは俺が19で相手が15のころ、7年の友人だった。
もっとも、「友人」だったかどうかは今となってははっきりと言えない。
それでも恋をしていたんだ。
許してほしい。
諦めるために書いている。
どうか最後まで読んで「お前キモいからさっさと死んだほうがいいよ」とコメントを残してほしい。
「彼氏ができた」報告をされた。
本当につらい。
いろいろなコンテンツを紹介してもらったから日常のありとあらゆる事象で思い出してしまう。
「黒髪のキャラクターが好き」と言っていたから黒髪を見るだけで辛くなる。
果てはお金の使い方を一緒に考えてた時期もあるからお金を見るだけで吐きそうになる。
それくらい世界のすべてだった。
他人から見たらまさしく「よくあること」なんだけど、俺にとってはすべてだったんだ。
Twitterを眺めていると二次創作でいろいろなキャラクターが性行為をしている。
それを見るだけで「彼氏とこういったプレイしているんだろうな」なんて思ってしまう。
本当に情けなくて、気持ち悪い。
知り合ったのは当時はまっていたゲームのDiscordサーバ。
当時にしてはかなり活気あふれたサーバだった。
接点を増やそうとメンションや個人DMを増やしてしまい、結果返信が帰ってこなくなった。
俺と2,3人が残っているだけのような、ほぼ個人サーバのような状況。
そんな時、不意に帰ってきたのである。
「俺さん元気だった?」なんて言われたときはうれしくて泣いてしまった。
俺は社会人になり、相手は浪人をして再受験のために努力をしているらしい。
会話を続けるうちに恋心を思い出した。やっぱりこの人しかいないと思った。
ふとメンションしようと思ったら一覧に表示されなくて気が付いた。
本当は少しずつ頻度を下げていたのかもしれない、「最近来ないね~」なんて他のメンバーと会話していたりもした。
どうして脱退したのかはいまでもわかっていないが、大方なにか気に障ることをしてしまったのだろう。
わかっていないあたり、気持ちが悪いと思う。
あまりに悲しくてずっと泣いていた。
でも当然なにも解決しなかった。
サーバが過疎ったまま、1人また1人と来る人が減っていった。
俺もどこかで「サーバにいればいつかまた会えるかもしれない」と思っていたのかもしれない。
それから数年、今年の春。
当時遊んでいたゲームの続編が発売された。
とても面白く、その感動を誰かと分かち合いたいと思ってしまった。
Discordのサーバ一覧には当時加入しただけのサーバが多数残っている。
迷った。
一ヶ月くらい迷った。
どうしても諦めきれなくてDMを送った。
当時のことを謝りつつ、続編について語り合いたいことを話した。
帰ってこないだろうと思っていたのだが、返事があった。
本当にうれしかった。
それから数カ月ほど、その続編以外にもいろいろなことを話すことができた。
生活が変わったことだったり、新しいゲームにはまっていることだったり。
俺に彼女がいないことを煽られたり、彼氏がいないことを自虐していたりもした。
このやり取りで調子に乗ってしまったと後悔している、またアタックをしてしまったのだ。
それから返事の頻度が下がっていってしまい、とうとう帰ってこなくなってしまった。
3度目の過ちである。
するとひとことだけ。
最初に書いたとおり、世界のすべてだったから何をするにも思い出してしまう。
そして「今は彼氏とも同じ話をしているんだろうな」なんて考えてしまい余計辛くなる。
28歳のDTが年下の少女に恋をして、告白もできないままに振られて、勝手に鬱になっている。
それだけのはなし。
どこかのタイミングで意を決して自分の想いを伝えていたら違う結末もあったのだろうかとも考えてしまう。
初めて恋心に気が付いたタイミング、もう一度再開できたタイミング、互いにパートナーがいないことを煽りあったタイミング。
いくつかタイミングはあったかもしれないが、それらをすべて投げ捨ててしまった。
言わなかった現在が正解なのかもしれないが、今となっては言って玉砕したほうがよかったと感じている。
でも、2度見限ったのに2度とも再開を認めてくれたからもう一度を期待してしまっている。
もちろん、相手自身が幸せになってほしい。別れろとは言わない。
でも、もう一度友達になってはくれないだろうか。
毎晩とは言わないから、月に一回は会話させてくれないだろうか。
なんて言いつつも、やっぱりワンチャン付き合いたいななんて思ってしまう自分もいる。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
俺はどうすればよかったのか、どうすればいいのか、
もう一度やり直せるのか、それとも忘れる方法はあるのか。
考えたくもないけれど。
これを見たうえで許させれるとは思わないから、見られないことを祈っている。
それでももし見てしまったら、あなたが好きだったポケモンの名前をコメントに残してくれないでしょうか。
どうか、見つかっていませんように。
中国と戦争をしかねない右翼政権の危険を、日本人は感じ始めてきた。右翼政権がなぜ危険なのか。実は、高市早苗総理らの右翼勢力は、西側先進諸国の通常の国家観(第一の国家観)とはまったく別の国家観(第二の国家観)を有していることが根本的な問題だ。これを理解せずに右翼リスクを理解することはできない。この二つの国家観を理解すると、現在の政局、国防上のリスク、これからの日本がめざす方向がはっきりと見えてくる。次の文章(高校卒業程度の国語力で理解することができる。新聞社説一つ分ぐらいの分量)を読むことで基本知識が頭に入る。ぜひお読みください。
賛同なさるかたはリツイートしてください。多くの人がこの二つの国家観を理解すれば、日本は現在の危機を脱することができます
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいるhttps://gendai.media/articles/-/51438
より抜粋
二つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力の行動様式や、そのめざすものを理解しやすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。
第一の国家観では、国家を、ひとりひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考える。
国は水道や電気や医療や交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険な国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険な業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。
また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)。
この第一の国家観からすると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本で愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。
そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。
国家が愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である。
それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とみなされる。このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。
また集合的生命の根本にあるはずの神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である。
そして雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。
第一の国家観は、ひとびとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとうするリアリズム政治のための基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ何の意味もない。また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて保有されなければならない。
第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。そして21世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。
この毒物ともいうべき第二の国家観はどのようにして生まれたか。江戸幕府が支配していた日本列島は、列強の植民地にされる危険にさらされていた。
クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚に酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材からでっちあげるしかなかった。
それが天皇を中心とする集合的生命としての国体(という共同錯覚)である。そしてこの興奮剤は効いた。国家の集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。
生存のための必要に駆られてこのような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。目覚まし時計を管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物にのめりこんではいけない。
しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒が蔓延するようになっていった。ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬の自家中毒にやられたのだ。
狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカと戦争をするといった愚行に走り、敗戦の条件交渉にいたっては国民の生命や安全という本来の目的(第一の国家観)よりも国体護持(第二の国家観)などという幻想の薬物を大切にするありさまであった。国家の指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは類をみない。
学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本のありさまを「軍国主義」と呼んできた。軍国主義の社会であれば、軍事的成功を第一の優先事にするはずである。
しかし、戦争中の日本はそうではなかった。合理的に国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体をひかり輝かせることが優先された。
集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、臣民ひとりひとりが自発的に個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から高次の命としてひかり輝く。
カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。それは華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。
このような国体の覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊の合理的運用すら破壊した。
太平洋戦争では、みこまれる戦果と自軍の損失を計算すれば無意味であることが明白であっても、散華の輝き自体が目的となった軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。
毎日新聞記者の栗原俊雄は、このような輝きを後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄「日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。
また、航空機の援護なしに戦艦大和を沖縄に派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。これが抗いがたい空気となったのである。
もちろん、国体のなかでは「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民が自発的に集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である。戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕というすさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる
gendai.media
世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる(内藤 朝雄) |現代ビジネス |講談社
日本中、さらに世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。国内で芝居見物のようににぎわっている一方で、世界では、日本の現政権と右傾化がどうなるかという関心からこの疑惑を報じている。現政権は日本を戦前の社会に戻そうとしている「ウルトラ・ナショナリスト」政権であると考えられており、日本が戦前のタイプの社会に戻るかどうかは、大きな関心事だからだ。この社会は、これからどうなってしまう...
最終更新
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私を見てスルーする人
ナルシストは90%の確率で行為は上手くないですね(断言する!!!)
自己性欲発散優先型なので、綺麗な女を抱くことがステイタスなので
単女も自分が美人としっかり自覚した上で(ここ大事)口説かれにいってください
あと、「イケメンとセックスできればいいや、イケメンとセックスできる私可愛い」って人はオススメ、
②だれでも行ける常連単男
おそらく良単男の部類の人、
店員さんの人望がアツい人は間違いないはずれなし!
話も優先的に振ってくれるのもこのタイプが多いし
誘うのも慣れ過ぎているのもこのタイプなので結構すぐルームにいける
女性優位の行為をしてくれるし、行為中も追加の要望を答えてくれる人
新規単女さんはこういう人をまず狙ってほしい。
③久しぶり単男
かなりの確率で下手が多いかMが多い(稀にうまい人いるけど確率的に低い!!!!)
声をかけて「●ヶ月ぶりなんです~」とか久しく来ていない人は要注意です
ルームいくとヘタレや失態を出すことが多い→行為中に女性が冷める
女性が「この人になんでもお任せ~」がしにくいので
ある程度性癖の打ち合わせしないと
「え?さっきと言ってること違う」になりかねない(というか、なった)
女性が不満足を被る結果になる。
この単男は「されて当たり前」が抜けてないので、クソ単男に部類してもいい。
④壊滅的に話が下手単男
絶対近づくな
空気読めない奴
自慢話しかしない人
絶対近づくな
例外として寡黙でも話下手でも
⑤勝手に触ってくる男
触る人は無理
(これはイケメンだとしても無理!)
⑥ずっと誰が来ても動かない奴
何しに来たのかも不明系単男
(これ以上会話が続かない)
これ系はあわよくば複数に便乗するか
裏で「ハプバーつまらん!」とかいって自分の技量のなさを相手やバーのせいにしがち
これは行くべき
掲示板見て「●●さんいいよ!もうすぐ来るから!」って言ってくれる人は
声はかけたほうが良い
ただエロイことを純粋にしにきた男なので頭おかしい(いい意味で)
隣の会話きいてたり
上手く誘えない男女を見守り、店員ばりにアシストしてルームへいざなおうとする。
ニヤニヤかへらへらしてる人が多い
⑨私に声をかけてくれる単男
「隣いいですか?」と来てくれる単男
私に多少興味があるから来てくれたので、
生理的に無理な見た目じゃないとか性癖が合うならばルームいける
風俗と勘違いしているし、単男でお金かかっているから元取ろうとするやつ
新規か数回来ている人が多い
おそらく他でもこいつはこうだから
何かしらの診断うけたほうがいい。
⑪他単男と会話盛り上がっている単男
撃沈しても、後悔はあまりしない(ハズ)
以上です。
無言の帰宅はどのような経緯で死の湾曲表現となったのでしょうか。
ChatGPT:
とても良い質問ですね。「無言の帰宅」という表現が、なぜ「死の婉曲表現(遠回しな言い方)」になったのかについては、言葉の由来や使われ方の変化をたどると理解しやすいです。
■ もともとの意味
「無言の帰宅」は、文字通りには「何も言わずに家に帰ること」です。
たとえば、ケンカをして口をきかずに家に帰る、というような場面にも使えます。
しかし近年(特に2000年代以降)、この言葉はネット掲示板やSNSなどの文脈で「死亡」を婉曲的に表すスラング として使われるようになりました。
たとえば:
敵にやられて無言の帰宅。
→(=キャラクターが死んで帰還した、つまりゲームオーバーになった)
■ 「死」の婉曲表現になった経緯
オンラインゲームやFPSなどで、プレイヤーが倒されることを「帰宅」「ログアウト」と呼ぶ文化が生まれました。
「無言」=死者の静けさ という連想
死者は言葉を発さない、というイメージが、「無言」という言葉に重なります。
「死んだ」と書くと生々しいため、冗談めかして「無言の帰宅」と書くことでトーンを和らげる目的もありました。
→ 同様に「天に召された」「成仏」「お亡くなりになった」なども同系統の婉曲表現です。
■現在の使われ方
つまり、実際の死から比喩的な“敗北・脱落”まで幅広く使われるスラングになっています。
■ まとめ
もしご希望があれば、「無言の帰宅」と同様に“死”を婉曲に表す日本語表現(たとえば「長い眠りにつく」「帰らぬ人になる」など)の一覧も紹介できますが、見てみますか?
このご時世、玉砕するとは思わなかった。少しずつ距離を縮めていたつもりだったが、それは俺の勘違いだったようだ。二人きりで食事や飲んだり買い物したりして、「増田くんみたいな人が彼氏だったらいいのにね」の言葉までもらってたのに。フラグ立ったと思い、その後告白したら「ごめん、友達としてしか見られない」とのこと。そこから疎遠になり、LINEも返信が遅くなり(既読スルーはない)、一年が経った。
そうやって今俺は酒を飲んでいる、一人で。晩御飯は唐揚げを揚げるつもりだ。酒と唐揚げが彼女の代わりになることはないが、せめてもの幸せを得ないと、どうにかなってしまいそうだから。
どうやら彼女には彼氏ができたらしいと人づてに聞いた。そうなんだ。好きな人がいたのかな。その人と付き合えたのかな。でもそんなこと聞けない。もう終わったのだ。俺の恋は終わったのだ。
それなのにこうやってまだ好きでいる俺はなんなのだ。意味あるのか。無駄じゃないのか。どうなんだ。答えてくれきんにくん。「おい、教えてくれ俺の筋肉!振られても忘れられない恋に意味はあるのかい!?どっちなんだい!ある、ない、ある、ない、・・・あるーっ!」そうか、意味はあるのか。確かに彼女を思って飲む酒は悲しいが美味しくもあるよ。だがきんにくん、もう忘れるべきだと思うんだ。次の恋を探すべきじゃないのか?「パワー!」いや、パワーじゃ分からないよきんにくん。「アーノルド・シュワルツ…ネガァ」いや発音いいけどそうじゃなくてさ。「ヤー!」だめだこいつ、話にならない。とりあえず唐揚げを揚げるか…
因習村の住民が騒ぐのは、これまで積み上げてきた「因習」の内、どの禁忌を犯すと村が消滅するか分からないから。
明文化されることのない数々の「因習」が恐らく自分たちの創作活動を守っているに違いないと信じているから、守らない人間を排除しようとしている。それ自体は否定されるべきものでもない、むしろまっとうな反応だろ。
もちろん誹謗中傷は言語道断だけど、版元のお目溢しだけで生存できている村民にしてみれば、手当たり次第に祠壊して回るあんなモンスターの存在を許せるわけなくないか?
そもそも版権ニ次創作自体が、「暗黙」のうちに「許されているともいないとも言えない状態」にあるだけなの忘れてるのか?「明文化されたルールがない」んじゃなくて「明文化されたルールが作れない」んだってちょっと考えたら分かるだろ。キングダムのグッズ作ろうとして突撃した馬鹿が玉砕してたの見てねぇのか?
「著作権法は親告罪だから、怒られるまでは許されているのと同じ」って言って、グレーゾーンで不躾タップダンスしてる奴がいたら周りの奴らはブチ切れて当然だろ。今この瞬間にグレーゾーンが黒になったら確実にそいつのせいだから。
1年前くらいにマッチングアプリで年下の女の子と飲みに行った。
その子はイケイケと噂のS社の社員で見た目も可愛くてモテそうな感じだった。
自分は陰キャだが性欲を満たしたくてアプリで玉砕しまくりながら見た目を整えたり女性と話す経験を積んだ結果、多少の成功経験はあるものの、相手の対異性能力とは歴然の差があることを少し話しただけで理解させられた。
その子は愛嬌を振りまき、おれを気持ちよくさせるような会話をし、完全に手のひらの上で転がされているのがわかるのだが抗う気にもなれず、気持ちよく転がった。
完全に白旗を上げていたおれはそこそこ高かった会計を一人で支払っていた。
一体どこまでおれを弄ぶんだと思ったが、当然めちゃくちゃセックスしたくなった。
だが心がすくんで誘えなかった。
今思えばとりあえず誘っとけよと思うが、そのときはなんか怖くなったんだと思う。
相手の強さを計り知れなかったのもあり、なんか裏があると思ってしまったのだろう。
竹槍で戦って勝とうということじゃなくて
戦って潔く死んだほうが幸せってこと
「死のう」って意味
当時でさえみんなが同意する以前にそもそもの意味を理解してたものでもなく
でも、そう言われると逆らえない空気
アーカイブされてました
https://web.archive.org/web/20250716142047/https://anond.hatelabo.jp/20250715202628
以下引用
日本推理作家協会の会員名簿が参政党のDM配りに利用されて、日本中の推理作家の家にアジビラみたいなハガキが届いてちょいとした騒ぎになっている。
当該の参政党員はれっきとした日本推理作家協会の会員だった。推理小説家ではなく、それどころか作家ですらないにもかかわらず、だ。
なんでそんなのが協会に潜り込んでいたのか……という話の、前日譚を知っている範囲でちょこっと。
日本の推理小説界はけっこう格差・断絶があって、「権威があるとされる新人賞(例えば江戸川乱歩賞とか鮎川哲也賞とか……)から出てきた人」「信頼に足るとされるいくつかの版元から継続的に新刊を出せている人」とそうでない人で、批評筋の、版元の、読者からの見方・信頼度が歴然と異なる。なんとなく「保守本流の人」か「そうでない外様の人」という分けられ方になり、「外様の人」だと見なされると年末の各ランキング誌で上位に行くのが難しくなったり、文学賞にも名前が挙がりにくくなったりする現状がある(そうしたものの投票や選考に関わる人たちはまず「保守本流の人」から見ていくので)。
勿論、それはいわゆる「業界内の評価」「オタクからの評価」だったりするので、実はトータルの売上は「保守本流の人」より「外様の人」の方が多かったりする。
だから時に、「俺の方が売れてるのに業界の連中は評価してくれない!」とコンプレックスに感じて病んでしまう「外様の人」が居る。
そういう人たちは、たとえば本屋大賞周りの書店員さんと仲良くしてみたり、推理小説界からは距離があるインフルエンサーの人に接近するなど、「俺の方が人気あるもん!」を強化する方向に走ったり、あるいは本人の得意分野でもないのに業界内ウケのために無理して「保守本流」っぽい作風に挑戦して玉砕したりと迷走してしまって気の毒なのだが、今回はそんな「外様の人」のひとりの話。
その人は今、推理作家協会の理事を務めてらして、その人を中心になんとなく「外様の人」の若手中堅のクラスタがあったり、協会内に年次で区切った「若手部会」をつくって自分がそのリーダーになろうと動いたりと(このあたりは人づてに聞いた話なので間違ってたらごめんね)、非常に精力的に活動されていた。……というか、どうやらその方は保守本流vs外様のヒエラルキーを、自身が代表理事にまで上り詰めることでぶっ壊してやりたいという野心をお持ちらしい。
推理作家協会の理事は会員による互選で、もちろん求心力のある人気者、しっかりした肩書のあるベテラン・実力者が選ばれる。それから、あまりいないけど「やりたい!」と手を挙げて積極的に票を取りまとめた人。
だからなんとなく派閥を分けるとすれば「保守本流の偉い人たち=複数の文学賞・新人賞で選考委員を務めるなど影響力があり尊敬されている新本格第一世代やそのフォロワー世代の人」や、「推理作家協会が主催する江戸川乱歩賞出身の、いわば『生え抜き』の人気者・実力者の人たち」が優勢というか、多数を占めることになるので、「外様の人」から理事になっても結局は少数派になってしまう。
だから――なのかは知らないが、その理事の方と周辺の数人の「外様の人」たちが音頭を取って、推理作家でない人の新規入会をどんどん増やすようになった。
日本推理作家協会への入会は、一人の理事ともう一人の会員、計2名からの推薦が要件となっている。その先に理事会での承認という行程があるが、ここで弾かれることはほぼほぼない。
本来なら20人とかしかいない、しかも大物ばかりの理事から推薦を取り付けるのが関門になるのだが、理事の側から「入りたいって言ってくれてるならどんどん新しい人を入れていこうよ!」と旗振りしているならハードルはぐっと下がるのは言うまでもない。
くだんの理事氏とその周辺の人たちはここ数年、異業種交流会などを通じて知り合ったジャンル外の人(たとえばそのジャンルの作家団体が確立していないファンタジー系の人とか、推理小説界隈の人と仕事したいと思ってくれている映像系やイベント系の人とか)などに声がけして、次々に推理作家協会員に推薦し入会させてきた。
これ自体は決して悪いことではないし、正規の手続きを踏んでいるのだから非難されることではない。
協会に入っておけば、文芸美術健康保険の加入資格が得られたり、業界内のパーティ・イベントに出やすくなったりなど、フリーランスでお仕事をしている人にとっては有利なことも少なくないので、入会したいのにツテがなくて困っていた若手作家さんなど、助かった人も多いはずだ。
ただ、そうやってジャンル外の人をどんどん入会させようとする彼らの動きを「推理小説界にしがらみのない、自分たちの意向通りに動いてくれそうな人をたくさん入会させて子飼いにし、自分たちの発言力を高めようとしているのでは」と邪推する人もいて……正直、筆者もそうなんじゃないかと思っている。アレですね、ハンター協会におけるパリストンの立ち回りですわ。
試しに推理作家協会のホームページに飛んで、ここ一年ほどの新規会員の「入会の挨拶」を見ていってほしい。
http://www.mystery.or.jp/search/article/?cid=9
メインの肩書が「推理作家」でない人の殆どが、特定の理事・会員の推薦で入会していることに気づくだろう。それも、けっこうな数の人が。
そう、その「同一推薦者による大量の新規入会者」のひとりが今回の参政党員氏なのだ。
http://www.mystery.or.jp/magazine/article/839
これだけの人数の、言い方は悪いが「推理作家の団体に入会させるべき、推理小説賞の受賞などの客観的な実績があるわけでもない人」をどんどん推薦していった会員、そしてそれをどんどん承認していった理事会は、果たして公正で十分な審査を果たしたのかという責任追及の声は上がるべきだと思う。
そもそも今のご時世に「入会さえすれば、東野圭吾の住所も京極夏彦の住所も書いてある個人情報の塊の冊子が毎年貰える」という、あまりにガバガバな運用を考え直す時期が来ているはずだ。
いやー、まいったね。
政治家だと能登で地震は運がいいという発言は許されないわけだが、テレビのコメンテーターはどうなのか?
コメンテーターをしているだけの本業教授の人間はその本業にまで響く?
あくまで自分の研究結果として「日本は滅ぶべき」という結論を得た人は、そもそもテレビに呼ばれないだろうけど、著作のなかで述べるだけでも謝罪を要求される?
「日本は原爆を落とされて幸運だった。落とされなかったら一億総玉砕モードに入ってもっと国体として再起不能になっていた。」と主張するのも政治家は当然無理だけど教授としての意見なら?
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