
はてなキーワード:玄関とは
なあ、俺はね、人生ってのは「運」だと思うんだよ。
別に、哲学的な話じゃなくてね。マジでそう思うんだ。同じことをやっても、タイミングで全然違う結果になる。それが「運」なんだよ。
俺の話をしてみようか。
42歳の係長。そっちも想像つくと思うが、そういう男だ。会社では「さえない」。家に帰っても、家族がいない。友人もいない。趣味もない。毎日、同じ電車に乗って、同じデスクに座って、書類を扱う。そういう人間だ。
こういう人間ってのは、世の中にいっぱいいるんだと思う。で、そういう人間は、大抵、そのまま人生を終わるんだ。何も起きない。何も変わらない。それが普通だ。
ところがね。ところがですよ。
金曜日の飲み会で、部署の女の子が「家まで送ってもらえますか」と言ったわけ。その子は20歳。二年目。彼氏と別れたばっかり。
いや、待てよ。そっちが誤解するといけねえから、ここで正直に言っときますがね。俺は、その時点では、何も思ってなかったんだ。ホント。
彼女は、単に飲みすぎてるだけだと思った。父親に送ってもらうみたいな感覚でね、上司である俺に頼ったんだろうと。ね、純粋でしょ。俺、このとき、マジで純粋なんだよ。
駅から家までね、10分くらい歩いたんだ。その間、彼女は、俺にもたれかかってくる。
「大丈夫か」って聞いても、「ごめんなさい」って言うだけ。
俺は、「いいよ」って返す。
これが、全部、普通の会話だと思ってたんだ。上司と部下の。ね。
彼女の家の玄関に着いてね。俺は「気をつけてな」って言って、帰ろうとしたんだ。
ここで帰るべきだったんだ。マジで。
「水、飲みませんか。また気分が悪くなったら……」
ああ、この瞬間だ。俺の人生が変わった瞬間ってのは、多分ここなんだ。
俺は、「そっか。じゃあちょっと上がるか」って言った。
理由は?別に下心がねえから、だ。彼女が酔ってるし、一人にしておいて何か起きたら大変だから。上司として、責任感を持ってね。
部屋にね、上がったわけ。
彼女は、水を注いでくれた。旨い。飲みすぎた後の水はホント旨い。
そしてね。彼女が、急に何か言い始めたんだ。
「係長、実は……」
この瞬間。ここだ。俺は、何か異変を感じたんだ。
でもね。でもですよ。
俺は、何もしなかった。何も反応しなかった。
なぜって、俺はね。42歳で、さえない係長の俺は、自分に何かが起きるってことを、想像する能力を失ってたんだ。
人生半世紀、何も起きてねえ人間に対して、人生が「急に何か起こす」って想像することは、難しいんだよ。
で、朝だ。目が覚めたら、彼女が寝てた。隣に。
「あ、俺。何やってんだ」
その瞬間だな。その瞬間に、俺は理解した。
今、一週間経ってる。
彼女からはLINEが来てる。「係長のことが好きです」「付き合ってください」
でも、俺は返せない。
彼女は20歳だ。人生、これからだ。その人生のなかで、彼女は、もっと良い男に出会うだろう。
そういうことになる。俺には、それが分かってるんだ。
会社では、何事もないように、過ごしてる。
でも、彼女の目が、俺を探してる。
その目を見るたびに、俺は思うんだ。
「あ、これが『運』か」
俺は、彼女を家まで送るつもりだった。それだけだった。
でも、世の中は、そうした無垢を許してくれない。
女の子が自分から「家まで送って」なんて言ったら、結果は決まってるんだ。
それは、彼女の『運』でもあり、俺の『運』でもある。
悪い『運』。
で、俺は何もしてない。
臆病者だ。完全に臆病者だ。
でも、ね。ここが重要なんだが。
世の中の40代の男ってのは、ほぼみんな、こういう臆病者だと思うんだよ。
別に、俺が特別に悪い男じゃなくて、タイミングと『運』で、こうなっちゃったんだ。
彼女だって、本気じゃないかもしれん。彼氏と別れたばっかりで、頭がぐちゃぐちゃしてて、52歳のおじさんに優しくされたから、ちょっと恋愛感情だと勘違いしてるだけかもしれん。
それがね。人生ってもんなんだ。
みんな、ぼんやり生きてて、ある日、『運』がやってきて。
ぐちゃぐちゃになる。
「家まで送ってもらえますか」
その一言が、全部を変えた。
その結果が、これだ。
だからね。俺は言いたいんだ。
人生ってのは、『運』なんだ。
42歳の、さえない係長の俺は、何もしなかった。
ただ、「家まで送る」って言っただけ。
それが、全部を変えた。
それが人生だ。
で、これからどうすんのか。
俺は、彼女に「ごめんなさい」って言うんだと思う。
「全部、俺の責任だ」ってね。
そう言って、距離を置くんだと思う。
でも、その間、俺は何を考えるんだろう。
42歳の、さえない係長は、ずっと、あの朝のことを思い出すんだと思う。
「ああ、俺に、こういう『運』が来たんだ」
って。
それだけだ。
僕は、世の中のほとんどのことと同じように、この問題についても特に強い意見を持っていなかった。
それは、僕がそもそも強い意見というものを持つ才能に恵まれていないからだ。
雲を見ても、その形についてあれこれ考えることはない。
雨が降っても、それが自分たちの関係にどのような影響を与えるのかについて、深く考えることもない。
僕はいつも、世界の側面的な住人で、本来あるべき場所からは少しズレたところにいるのだ。
彼女はそれが嫌いらしい。
その言い方は、別に怒っているわけではなく、むしろ困惑しているような、腑に落ちないことがあるときの人特有の口調だった。
「何も考えていないなんて、それだけでも問題なのに」
僕たちの関係は、おおよそ三年続いていた。
三年というのは、人間の関係性において、ちょうど日常性がしっかりと根付く時間のように思える。
二年目は、その知識を自分たちの共通の基盤として使うことに費やされた。
そして三年目は、その基盤の上に、少しずつ、重力が働き始める時期だった。
重力というのは、退屈さのことかもしれない。
あるいは、責任感のことかもしれない。
どちらにせよ、何かが沈み始める感覚がある。
僕は一人、アパートにいた。
テレビをつけたり、消したりしながら、特に何をするでもなく時間を潰していた。
多くの男性がそうであるように、僕もまた、そうした場所の存在を知っていた。
僕は、スマートフォンを手に取った。
昼間、仕事で嫌なことがあったわけでもない。
ただ、そういう気分になったのだ。
それは、突然、冷たい水が飲みたくなるような、特に理由のない欲求だった。
僕たちの体は、時々、理由なく何かを求める。
その求めに応じることは、自然なことのように思える。
それから三十分ほど経ったのだろうか。
スマートフォンを置いた。
「何してた?」と彼女は聞いた。
それは、嘘ではなかった。テレビはついていたのだ。ただ、それが全部ではなかったというだけで。
その夜、僕がシャワーを浴びている間に、何かが起こった。
詳しいことはわからない。ただ、何らかの痕跡が残されていて、それが彼女の目に入ったのだ。
その視線には、怒りよりも、むしろ一種の悲しみが含まれていた。
その問いは、僕を困らせた。浮気という言葉が、それほどまでに的外れに思えたからだ。
「違う」と僕は言った。「それは浮気じゃない」
「何が違うの?」と彼女は聞いた。「何か別の人のことを見てるじゃない」
浮気という行為は、二人の人間の関係に関わるものではないだろうか。
しかし、僕が見ていたのは、実在する人間ではなく、スクリーンの向こうの、一種の虚構のような存在だった。
「それは、浮気ではなく、単なる...」と僕は言葉を探した。「気分転換みたいなものだ。歯磨きみたいな」
「歯磨きみたいな?」と彼女は眉をひそめた。「あなた、本気で言ってるの?」
僕は、本気で言っていたのか、そうでなかったのか、その時点では判断がつかなかった。
それは、表面的な冷えではなく、一種の根本的な誤解が、二人の間に横たわっているような冷え込み方だった。
僕たちは会話をしなかったわけではない。
むしろ、いくつかの複雑な会話もした。
僕たちは、同じ言葉を使いながら、全く別の世界について話しているようだった。
「愛情というのは、独占的なものじゃないの?」と彼女は言った。
「独占?」と僕は聞き返した。
「私があなただけを見て、あなただけを考えているのに、あなたは別の誰かを、画面の中だけにせよ、見ているということ」
その説明は、完全に間違っていないような気がしたが、同時に、完全に正しくもないような気がした。
愛情が、本当に独占的であるべきなのか、僕には確信がなかった。
そして、スクリーン上の虚構と、現実の人間を、果たして同じレベルで考えるべきなのか、それについても疑問があった。
なぜなら、そもそも僕たちが論じるべきなのは、論理的な正しさではなく、感情のレベルでの傷つきなのかもしれないと、漠然と感じていたからだ。
一週間後、彼女は少しだけ、僕に目を向けるようになった。完全に和解したわけではなかった。
むしろ、何かが変わってしまったような、そういう感覚が残っていた。
「ねえ」と彼女はある晩、言った。「あなたは、私のことが好きなの?」
「好きだ」と僕は答えた。
「本当に?」
「本当だ」
その会話は、ここで終わった。
僕たちはそれ以上、何も言わなかった。テレビがついていて、その中で登場人物たちが、何か重要なセリフを話していたかもしれない。
しかし、僕たちの耳には、それは入ってこなかった。
その夜、僕たちは一緒に寝た。ただし、何かが変わってしまったような感覚は、完全には消えなかった。
それは、一本の亀裂のようなもので、一度入った亀裂は、どれほど表面的に修復されたとしても、その下にはずっと残り続けるのだ。
世界というのは、時々、そうした亀裂に満ちている。
その亀裂を完全に修復することはできない。
僕たちにできるのは、その亀裂と一緒に生きることだけだ。
もともとの日程より勝手に一週間ほど早まった日程で到着することになり、待っていたのだが、なぜか何も問い合わせも連絡も玄関での訪問伺いも何もなく勝手に不在にされて持ち帰られていたので、即座に翌日の午前中での再配達を依頼したのだが、
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
普段の嫁さんは、いつも大らかでよく笑って、喧嘩したことなんて一度もないんだが
ある日近所のおっさんがゴミ当番のことで要領の悪い話ばかりして、まったく融通が利かない。
そのせいで玄関先で揉めはじめた。結局、その場は俺が巻き取って収めたんだが
「うわ、やるじゃん…」って思ったよ。
知らない一面を見て、ちょっと惚れ直した。
ある所に浦という男がいました。浦が近所にある学校のプールに隣接した道を歩いていると、二人の子供が写真に向かってひたすら悪口を言っていました。しばらく眺めていると、子供は写真を捨ててどこかに行ってしまいました。浦は写真を拾い、見てみるとそれはウミガメの写真でした。
結構いい写真なようで浦はつい「なかなかいいな」と口に出してしまいました。
そばにいた男は言いました。
「褒めてくれてありがとう、お礼に家へおいでなさい」男の誘いで浦は男の家に行くことになりました。男の家は壁の所々に海の様な青い何かが貼ってあったり、価値のわからない宝石が箱にも入ってないまま置いてあったりしました
男は冷蔵庫からスーパーで買ったお刺身をなるべく綺麗なお皿に盛り付け、出してくれました
ビデオを浦に見せました。
幼稚園の学芸会で踊っている二人は確かにかわいくて一生懸命で(これは確かにこんな親バカになるのも無理ないな)と浦は思いました
そうして、ロマンポルノを見たりしていたらもう
一時間は経ってしまったようで、そろそろ浦は帰ることにしました
外に出てみると真っ暗!浦はびっくりです
男の家の時計はおかしくなっていたようで、一時間では無く、4時間ぐらいいたらしいです。
中には何枚かのCDが入っていました。
「いつの間にかどれもこれも懐かしくなってしまったんだな…私も」裏はそう思うと、自分が一気に歳をとった様な気になってしまいました
診断を受けたわけじゃないけどADHDとかASDとかではないと思う。心療内科で軽度の躁鬱はあると言われた
書類の提出期限とか納期は守れるんだけど、毎日時間だけが守れない。早起きしても絶対に5分とか遅刻する
→小学校のときに習い事(クラシックバレエ)をさせられてたんだけど、教育ヒスママだった母親に「学校と塾の宿題と公文終わるまでレッスン行っちゃいけません!」と言われ
習い事の時間始まっても全然終わらないし、全然終わらなくて泣いてしまったから母親がキレてて送迎してくれないしで、子どもの足で号泣しながら走って30分、ついた頃にはレッスンはもう終わってた
先生がいつも厳しかったから、小学生の自分的には人生終わった、、、しんだ、、、ぐらいの絶望だったんだけど、先生は(たぶん何か察して)普通な感じで「一人できたの?今日はお母さんは迎えに来てくれるの?」って言われ拍子抜け
それまで時間守らなかったら(朝家を出る時間とか)母親にヒスられるからビビって守ってたけど、それから↑みたいなことが数回起きて、時間通りに動くことがバカらしくなって(人生終わらないじゃんと思って)、時間を全然守れない人間になってしまった
と思う
中学校は時間通りに行った記憶がない(ほとんど不登校)、高校も遅刻3回で欠席扱いのシステムで週3で遅刻するから出席はギリギリだった。大学は文系で試験一本勝負みたいな学部だったからほとんど行った記憶がない
会社は新卒で入った会社をすぐ辞めて縁故採用の会社に入社、幸い社長に事情を説明して自分だけフレックス扱い(でも最終出勤時間の朝11時も全然遅刻しそうになる)
友だちとの約束も守れないし、自分で予約した店も時間通りに行けない。病院とかも早い整番取れても営業終了ギリギリにしか行けない。15分以上遅刻したら自動キャンセルの店(美容院とかも、13分とか遅刻して迷惑かける
相手を舐めてるからできるんだろ、とか言われてるけど、目上の人がいる集まりにも普通に遅れるし(そもそも会社すら間に合わん)、自分に不利益あるときもちゃんと遅刻する。その時は反省も後悔するけど次もまた同じこと繰り返す
早起きしても無理。なんなら朝は5時には起きてるのに始業の9時に間に合わない(通勤時間ドアトゥドア20分)。何してるのと聞かれたら、掃除とか、、、?何もできなくて玄関で座り込んでぼーっとしてたりもする。高校のときに遅刻の理由聞かれて「家を出るのに時間がかかりました」とか言って意味不明がられてた
予定通りに家を出れない。乗りたい時間の電車に殆ど乗ったことない
家出る45分前から準備すれば間に合う、、、みたいな場合、45分も準備だけにしか時間使えないのが人生を無駄にしてるように思えて、30分前から準備し始めてだいたい間に合わなくなるみたいなことが多い
最近副業バイト(飲食店)始めて油断してて、5分前には着替えて厨房いないといけないんだけど、うっかり油断して店についたのが5分前、厨房に入ったのが時間ちょうどでクソ怒られた(5分前から給料出るから実質遅刻)
今年で30になるけど本当に情けないしやばい
取引先に訪問するときとかは遅刻が怖すぎて1時間前とかに近くのカフェで待機する(これはまだやらかしてない)けどマジで馬鹿らしい
すごく前の時間から待機するか、ギリギリ遅刻みたいな極端なことしかできない
遅刻癖をどうにかしたい
治せた人いませんか?
昼過ぎ頃に布団から這い出るも思考に靄がかかっていて体が重くて気持ちが悪かった。
先月くらいから抑うつ状態が悪化している自覚があった。おそらく冬季うつというやつだ。
私は気分変調症を患っており年中うっすら抑うつ状態が続くのだが、時期によって程度がまちまちなのだ。
お腹が空いてはいるが何を食べればいいか思考がまとまらなくて、とりあえずお菓子を食べた。
気持ち悪さが増した。
前回不調でキャンセルした精神科受診の振替日だったのだがあまりにも体が動かなくてすっぽかした。
休職している職場から休職延長の診断書を取得するよう言われているのに。
気がついたらそのまま眠っていて病院の電話対応時間が終わっていた。
胃があまり動いていないようで昼に食べたカレーがそのまま出てきた。
クレカの引き落とし日が迫っているがまだ口座に入金をしていない。
通院のついでにするつもりだったから。
明日の私が動ける保証が無さすぎるので這うように外出の準備をして真っ暗な外に出た。
無性に死にたくなった。
そのためほとんど死にたい気持ちになることはない。(なっても実行する気に全くならない)
でも今日は世界がいつも以上に冷たく見えて、死の感覚が私の背後にそっと寄り添っていた。
寄り道せずまっすぐ帰路についた。
「たとえば今夜眠って目覚めた時に起きる理由がひとつも見つからない朝が来たら私はどうする」
歌詞を聞いて涙が出てきた。
激鬱の時に聞く「きゅうくらりん」はこんなにも響くものなのだ。
同時に、成功しても失敗しても良い結果にならないんだよなと思った。
玄関の扉を開けたら、猫が扉に張り付くようにして私の帰宅を待っていた。
猫は私を見つめて、たくさん鳴いて、喉を鳴らして、全身全霊で私の帰宅を歓迎していた。
猫はそんな私にまとわりついて体を擦りつけてシッポをピンと立てていた。
そういえば、宮崎勤の証言のネズミ人間は解離なのかという議論があった気がするけど、
まあ、解離って、専門でも何でもない俺が言うのもなんだけど、
現実逃避を医学的に言い換えたみたいなもの、という解釈でいいんだろうか、
病的なものもあるし、極限状態に置かれれば誰でもなりうるというのもあるし、
要は現実を直視できなくなってしまうんだよね、直視すると発狂する、脳がオーバーヒートしてしまう…😟
でも、彼は自分で殺してといてなんなん、というのもある…😟
そういえば、夫に日常的に酷い暴力、DVを受けてたセレブ妻が夫を殺害して、
夫の遺体をバラバラにして、旅行カバンに詰めたものの、運転免許も持ってないし、
呼んでも、ある程度の山奥まで行って、そこから遺体を遺棄する場所まで移動しなければならないし、
とか色々考えたんだろう、マンションの玄関前の植え込みに放置した、
というのは、まあ、よくわかるんだよね、自分もそうなると思う…😟
そうかんがえると、座間9人の人は、やっぱり変わってるというか、
意外と冷静に人体をバラバラにしてる、パニックでやった感じがない、
かなり冷静に下水に流したり、近所のゴミ収集場に持ってってるし、
なんでこんなこと書いてるのかというと、マシンパワーが非力で、トラック数がすぐに限界みたい…😟
打ち込みギター音もAmpliTubeを通してるわけだけど、ホントにこれ落ちるよなあ、
華金、奥さんは会社の飲み会があると事前に言ってたので自分は晩御飯を宅配で手短に済ませ、趣味に没頭してた。
趣味に没頭していると突如聞こえる玄関のドアを開ける音、奥さんが帰ってきたっぽい。
不機嫌な顔で開口一番「LINEしたよね?」とのこと。LINE見てみると夕方に「疲れたから飲み会行かないで帰る、晩御飯どうする?」と連絡が入ってた。
自分はスマホサイレントなので全く気付いていなかった。しかもなんかLINEの通知も死んでたから事実として「スマホ全然見てなかったし通知も死んでた」と奥さんに伝えるも、奥さんめっちゃ不機嫌。
奥さん都合で飲み会行く行かないの話なんだから帰ってきたときに「予定変更して帰ってきちゃった!晩御飯どうする?食べた?」位明るく言ってくれれば全て穏便に収まるのに...とモヤモヤ。
いや旦那が変なことしてたとかなら怒る理由分かるけど、別にご飯食べ終わって趣味に没頭してただけですやん...どうするべきだったの?
○タイトル回収
Youtube上でYoutube自身が流しているフェイクニュースに注意というYoutuberを使った啓蒙CMに、杏も出演している
AI有名人の偽投資広告とか、有名人が番組内での発言で逮捕(当然嘘)のクリックベイト広告とか
その直後批判殺到(中華フォント)という外国製の再生数稼ぎの濫造読み上げ動画とか
俺への評価か、俺が視聴しているコンテンツの程度が低いせいで流れてきているのかなと甘んじてスキップ押してたけれども
我慢ならなくなって片っ端から非表示・違反報告しまくって、記述欄には広告ビジネスで成立しているYoutubeが
信用性を無くすような広告を流し続けるのはどうなんだと文句つけたらそれ以降は
新作映画とか、新作ゲームとか、PCスマホメーカーとか、食品・自動車とか、TVCMレベルのまっとうな動画広告ばかりになった
Youtube的だなと思う広告は、Vtuberのセルフ広告とか歌い手のオリ曲宣伝くらいかな
これが本当に違反報告の結果によるものなのかはわからないけれども
グーグルは広告の信用性をランク付けしている、または文句言ううるさ型には日本国内発の動画を流すようにしているのかも
違反報告する時に出稿元を確認してたけれども偽広告のほとんどがインドとか香港とか外国からだった
Metaは悪質広告をわかって流していてevil、みたいなニュースがあったけど、Alphabetも同じ穴のムジナ
フェイクニュースに注意なんてマッチポンプ動画を恥ずかしげもなく出せるようじゃないとITガリバーにはなれない
昨年までのクマ被害統計を持ち出して怖くはないと言われても、今年は過去最悪のクマ被害状況だから怖いとしか言えない
森や山という生息域に入ってクマと遭遇するのではなく、玄関開けたらクマとかショッピングセンターにクマとか今年は異質だ
東出トリビア
https://x.com/kurodoraneko15/status/1828646516224876809
東出昌大さんと結婚した松本花林さんのお母様は「水は答えを知っている」(江本勝)と専属契約して高額ジュエリーを売っていますね。水にありがとうや音楽を聴かせたら結晶が綺麗になるとするトンデモ話です。スピった非科学的な言説が広まり、今でも信じる人がいて教育現場にも悪影響を及ぼしています
https://x.com/news_postseven/status/1851162721502605789
松本花林2カ月半ぶり更新のSNSに異変、“社長義母”と“セミナー義父”の「ビジネスリンク」が示す共通の家族観
https://news-postseven.com/archives/20241029_2001577.html?DETAIL
「ジュエリー」「mixs.呼吸と細胞活性 松本孝一』は、両親が展開しているビジネスのページだ。
クマ関連の調べ事
長野でハーフライフルを使った犯人によって警官2名が殉職、ほか住民2名死亡の事件を受けて、銃刀法改正の法案が提案されたときに
クマ対策がこんな状況なのにハーフライフル規制するのかよ、という思いで情報をちょっと集めたけれども集めただけに終わったのを今お蔵出し
ブナやナラの木が薪炭として活用されていた頃は、木は伐採後に芽を出し再生するのにエネルギーを使いドングリはあまり実らなかった
活用放棄されたブナやナラの森はドングリを多く実らせて熊やシカの餌となり個体数を増加させた
実りの豊凶サイクルや天候の影響でドングリが少なくなると、増えた個体に対して餌が不足し人里近くまで熊が降りてくる
人家や畑の近くの林が手入れされなくなり生い茂ったくさむらは人間の生活空間と山をつなぐ道になる
個人宅で植えていた柿やイチジクなどの果樹が高齢化や空き家などで放置されていると格好の餌
西日本-熊保護のために個体数を正確に把握、近年増加が激しいため市街地捕獲された熊を学習放獣から駆除に切り替え
東日本-熊が多いため狩猟・駆除の対象であり個体数の把握が不十分で、推定数をはるかに超えるほど増殖していた可能性
北海道-春グマ駆除1966ー1989、ヒグマ絶滅の懸念により中止、現在のヒグマは1990年の倍以上と推定、春期管理捕獲2023-
〇学習する熊
偶然山を下りてきた熊も、農地が作物でいっぱいなことや、牧場に家畜がいることを覚えれば再びやってくる
熊は他の個体の行動を模倣するし、母熊から子熊へエサの獲り方は受け継がれる
〇狩猟者の減少
狩猟免許の発行数(種別による重複保有あり)は昭和50年前後のピーク時に50万ほどだったが、平成に入る頃には30万を下回り、平成末には20万弱で推移
数年前は、クマ被害の多さに警察が素早く動いてハンター部隊を組織するとは思いもよらなかったよ
軍事専門家が、自衛隊の対人小火器ではクマ駆除はできないし車載兵器では過剰火力だから無理と主張する記事があったが
猟銃と同じ弾丸が使えるライフルも自衛隊装備にあるはずだけどな
狙撃手は小数精鋭しか居ないから便利屋として呼ばれる陸自の人員にカウントしないで欲しいということなんだろうか
クマ対策に使われる「麻酔吹き矢」 射手として活動する盛岡市動物公園の園長が実演