
はてなキーワード:猥褻物陳列罪とは
「遍く表現の自由は全て尊重されるべきであると考える立場」という時点で日本の法体系や自由主義国の人権観念と整合しない(もちろん権威主義国家のそれとも整合しない)ので、普通に考えてそんな候補者はまともでは無いということになる。
増田の考えにもっとも適合する思想は無政府主義だが、無政府主義を掲げて選挙に出る倒錯した有力政治家は居ない。
たとえば誇大広告表現の自由は尊重すべきであるとは考えられておらず、したがっておそらくほぼ全ての自由主義国家で誇大広告は規制されている。
さて増田にとって表現の自由の一丁目一番地である猥褻表現の自由についてだが、程度の差はあれど、これもまた世界中の自由主義国家で規制されている。公園のど真ん中で全裸で自慰をする自由を認める国は無い。猥褻表現は何らかの理由(それは公共の秩序かもしれないし多数派のお気持ちかもしれない)によって一定の規制を受けるという考えが一般的なのだ。
もちろんそのような考えに疑問を持っている者も市井には珍しくなく、猥褻物陳列罪廃止論者がそれである。山田はそのような主張をしていないから、増田の基準で言っても山田は「本当の」表現の自由の擁護者では無いことになろう。
だがしかし、半年に一度程出現する他人の服装にダメ出しをする人々の思想があまりにも突飛で分からない。
あわよくばこういった人類に無闇に説教吹っかけられたくないので絡まれない方法等をご存知の識者がいらしたら是非ともご教示願いたい。
ファッションに全く興味が無いです。
生まれながらの外観は下の下な為に自分を飾るメリットはありません。
次いで不可思議な方々からのお説教と食い下がられた際の説明例を紹介すると
→「オフィスカジュアル ワンピース」でググって購入しているのですが、これ以上何をしろと?
サイズ合った服着なよ
→痩せ型ではありますが肩幅があり、肩が入る服を選んでいるからサイズは合っているのではないですか?
→服を選ぶ事が面倒なのに服を選ぶ為に手間と金をかけろと?何なら服を着て外出するのは労働時ぐらいなのですが、それは経費になるのですか?
このような返答をしていると大体諦めてはくれるのですが、中には捨て台詞の様な文言を吐いて行く方々もいます。
勝手に話しかけてきて何なのでしょうか。他人を不快にさせる趣味でもお持ちなのでしょうか。
不思議です。
最後に願望を吐き散らかすと
ファッションやアパレルの業界って猥褻物陳列罪対策であり義務にも関わらず娯楽並みの手間がかかるのってなんでなのですか?尚且つ業界外にまでお洒落なるものに励んでいない人間を攻撃する自警団が存在する、宗教なのですか?
服装に評価があるなら国民服配って欲しいです。これさえ着ていれば大丈夫で着ている人をマナー違反やら服装評価下げる対象にしたら厳罰がくだるやつ。
もっと言うならば着るのが楽で、着ていて楽で、動きやすくて腕も上がるし、座ってもベルトが骨盤に当たらず尻もズリ下がらない、汗かいても肌荒れないシャカシャカしない生地で、喉元に当たって吐き気を誘発しないものがいいです。これらの全て逆を行くのがビジネススーツって代物なのですけどね。
アフィカスサイトなんかには着たい服を着るのがお洒落の何たらとか書いてあるし。
143条以下を見ると様式については制限があるけど、内容については制限がない
すると公職選挙法は候補者間の公正なルールと方法による弊害(勝手に道路とか乱立させて貼ったりするとか)を防止するための規定なんじゃないかな
内容について規制しないのは政策の主張が選挙の根幹であるし、これを制限すべきでないって考慮もあるのかも
その辺は全体の構造や立法過程、事例判断とか観てないからなんともいえないけど
ただその場合はやっぱり選挙ポスターについては内容が大事で規制すべきでないって元の話と整合的な気がする
その上で猥褻物陳列罪は内容についての規制だけど選挙ポスターの内容とは無関係で、いわゆる間接的付随的制約として及びうるとは思う
ただその場合も選挙ポスターだと猥褻な政策を訴える候補者はけしからんだとかの可能性もあるし、表現の価値も高いと考えると合憲化のハードルは低くないと思う
あと確かに地方の選挙で碌でもない手法のようにも思えるけど、性道徳による規制っていう刑法でも疑問視される行為についてカウンターとして過激な表現によらなきゃいけないのも事実なんじゃないかな
公民権運動では過激な表現が用いられてて、それと同視するわけではないけど、多数派が少数派の表現について見るときには簡単に考えずに規制を行う側は慎重さが求められるんじゃないかな