
はてなキーワード:猜疑心とは
いやいやいや彼女は増田に脈あるよこれ!ありまくり!!!脈あったからこんだけ逆ギレかましてきてんだよ!
そんで増田はそんなに悪くないし彼女も(口は悪いけど)そこまで悪くないよ!2人ともコミュ障なだけ!!!
脈もまだ生きてる!「ちゃんと」謝れば行けるし、彼女側から謝ってきたら「ちゃんと」ごめん俺も悪かった、、みたいにすれば🆗
👩「明日は増田君とデートか〜、いやまだデートってわけじゃないけど、、楽しみだな✨」←非コミュなのでデートに不慣れ
👩「オシャレして、映画見て、素敵なカフェなんかで感想言い合ったりしたいな✨」←非コミュなのでデートに夢を見ている
👩「楽しみで早めに着いたら、増田君もきてた!」
👩「じゃあ映画の前にスタバ行けるじゃん」←デートっぽいことがしたい
👩「え、スタバ行こうよ」←非コミュなので提案を否定されると代替案が出せない
👩「なんでダメなの???」←非コミュなので融通が効かない、しつこい
👩「今コイツ、スタバの悪口言った?」←好きなものを否定されてキレてる
👩「スタバ好きなやつはオシャレで自分とは別の人種だと思ってる?じゃあ私の事は芋臭い非オシャレ女だと思って映画に誘ったって事???👹」←思い込みが激しい
👩「👹👹👹👹👹」←逆ギレなので相手が傷つきそうな事言ってるだけ、本気にする必要皆無
増田が何言ったのかは知らないけど、大体こんな感じでしょ
①まず増田に理解してほしいのは、彼女は増田と同じくらい非コミュだって事(多分)
増田はコミュ力弱々で男として頼りない自分(lv1)が勇気を出して可愛い女の子(lv100)を誘ったら正論パンチでボコボコにされた👊👊👊男女交際キビチィ😭と思ってるかもしれないけど、普通にこれ彼女も非コミュ(lv1)!!!
非コミュ同士は仲良くなりやすいけど喧嘩しがち!だって非コミュだから!
彼女がlv100なら増田の乗り気じゃない気持ちを察してさっさとスタバの代替案出してるし、そうすれば増田がスタバの悪口言って彼女が気分を害することもなく丸くおさまってた案件
じゃあそうしてくれれば良いのに😢とは言うなよ、だって増田だって代替案出せなかったんだろ?
②増田に理解して欲しいこと二つ目、キラキラ消費を否定するのは非コミュには難しい
だから、増田がスタバなんて敷居が高くて無理無理絶対行けない……と思っていたとしても、言われた側にはスタバ(笑)なんて絶対行けない(嘲笑)と受け取られる可能性がある。
おそらく彼女は、「俺と同じ芋ダサ非モテ非キラキラ民だと思ったから映画に誘った(※1)のに、所詮お前もキラキラバカ女か(※2)」と言われた気持ちでいる。
思い込みが激しいので。
というわけで、彼女が怒ってるのは、増田がスタバに行くのにビビってるからでもなければ、その後の罵倒内容でもない。マジでそれは気にする必要が無いからいっそ忘れろ。強いて言うなら「別にスタバに行くかどうかの問題じゃない。あなたのその失礼な態度に対する私の怒りの問題」ここは合ってる。
彼女は「俺と同じ芋ダサ非モテ非キラキラ民だと思ったから映画に誘った(※1)のに、所詮お前もキラキラバカ女か(※2)」と言われた“と感じた“から怒ってる。
実際は言われて無いのにね。
というわけで増田がちゃんと謝るには、まず①デートに誘ったのに喧嘩になっちゃってごめん、それから②彼女の事を素敵だと思ったからデートに誘った事、③スタバ好きな彼女も素敵だと思ってる事を伝える必要がある。
つまり彼女に増田の好意を伝えるのが手っ取り早い。謝って即告白しろ。
(勿論増田が彼女の事は別にもう好きじゃないならしなくていいよ)
これに対して彼女側の反応は、
①呆気に取られる
1-a 👩「あー、うん、いいよ私も言い過ぎたごめんね、、」
こんな感じにバツが悪そうに自分も謝ってきたら非コミュの中では空気が読めるタイプ
1-b 👩「ま、まあそこまで言うなら許してあげても良いけど」
②怒り出す
おそらくこんな感じのどれかだ。逆にこれ以外だったら、上に書いた私の推測は全部ハズレだと思ってくれ。
1-a、1-bなら、告白の返事の前に挽回のチャンスをくれ!って言ってもう一回デートしてこい。②なら逃げろ。
ちなみに大学生なら、学部によってはこれくらい非コミュなのは普通!よくある事だから気にすんな!
このまま彼女に行くにしても、諦めて別の女に行くにしても、がんばれ👍
自分の月極駐車場に無断駐車されている場合の対応について「盗難の心配をしているふうに警察に連絡すると良い」という方法が賢いライフハックとして話題になる
その暇な知恵を練る時間で中学英語でもやってれば今頃地球に貢献できてたのにな
pico-banana-app 「盗難の心配してるふり」ってのがミソか。警察も無駄なリソース割かれて大変だな、かわいそう
そのとおり。最近(ここ1年)ブクマカの理解度というか知性が上がってる気がする
とはいえローカル住民で70年とか同じ場所に住んでるおじいちゃんがやたら地域の変化や外来の人間に神経質になる、というシーンは田舎も東京もどちらでも見てきたケースではある
加齢とともに世界の半径が狭まっていき許容度が下がるというか、周辺のものが許せなくなるんだろうな
おばあちゃんはそうでもないんだよな なんでだろ?
hateokami ここまで計算ずくにあれこれ考えなくても、遅刻してきた人に対して最初から寝坊だと決めてかかるより、何か相手の身に大事があったら心配だ、という精神と同じ。何が起きても猜疑心に苛まれないように生きたい。
人類の歴史において、民主主義は常に理想と現実の狭間で揺れ動く「壮大な実験」であり続けてきた。古代ギリシアの賢人たちは、その脆さと可能性を早くも見抜いていた。
プラトンは、その著書『国家』において、理想国家の堕落の最終段階として「民主政」を挙げ、それが「僭主政」へと移行する危険性を指摘した。彼は、自由を過度に追求する民主政が、最終的には無秩序と放縦を生み出し、大衆の感情に訴えかける扇動家(僭主)の台頭を許すと警告した。アリストテレスもまた、『政治学』第5巻で、民主政が貧富の対立や扇動政治家による民衆の操作によって不安定化し、崩壊に至る多くの実例を詳述している。
そして、ポリュビオスは、政体が「王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政」というサイクルを繰り返す「政体循環論」を提唱した。民主政が衆愚政へと堕落する過程は、個人の自由が過度に尊重されるあまり公共の利益が見失われ、最終的に無秩序と暴力が支配する衆愚政治に陥るというものであり、古代の知見が現代にも通じる普遍性を持つことを示している。
古代ローマ共和制は、これらのギリシア哲学者の懸念を現実のものとする一例だった。その成果は、法の支配、市民の権利、抑制と均衡のシステムに見られたが、広大な領土の獲得に伴う経済格差の拡大、軍人政治家の台頭、そして内乱の激化は、最終的に共和制を帝政へと移行させる原因となった。これは、いかに強固な体制であっても、内部の矛盾と「安定した政権交代ができない」という弱点を抱えることで、崩壊の道を辿ることを示している。
長く続いた暗黒のヨーロッパを経て、米国はリベラル・デモクラシーの旗手として世界の舞台に登場した。その理念は、自由、平等、人権、そして民主主義の普及にあった。米国の独立宣言は、まさにその理念の表明であり、「全ての人間は平等につくられ、創造主によって、生命、自由、幸福の追求という、ある種の不可侵の権利を与えられている」という、新しい世代へと夢を託す壮大なビジョンを示している。
しかし、冷戦という特殊な国際情勢下において、米国は理想と現実の厳しい矛盾に直面した。ソ連とのイデオロギー的対立の中で、米国は「リベラル」な信条と相反する「リアリスト」な態度を国際社会(外交)において求められることになった。その結果、CIAなどの諜報機関は、他国の政権転覆、心理作戦、プロパガンダといった秘密情報活動を大規模に展開した。これらの活動は、当時の米国の国益を守るためとされたが、介入を受けた国々に米国に対する根深い猜疑心と不信感を植え付けた。リベラル・デモクラシーを標榜する国家が、その理想とは裏腹に、他国の内政に干渉し、世論を操作する行動に出たことは、その後の国際社会における米国の信頼性にも影を落とすことになった。
皮肉なことに、この「他国を貶める」ために行われた情報操作の「刃」は、時を経て米国自身に向けられることになる。米国社会で広がる「ディープステート」論は、かつてCIAなどが他国で行ってきたような「見えない権力による操作」への根深い不信感が、今や自国のエスタブリッシュメントに向けられている現象と見ることができる。リベラル・デモクラシーの擁護者であるはずの米国が、自らの行いが原因で、その理念自体に疑いの目を向けられている現状は、まさに過去の行動の「しっぺ返し」と言えるだろう。
現代の世界、特に米国の影響を色濃く受ける日本や西ヨーロッパの人々も、同様の「終末観」にとらわれているかもしれない。ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、米国では成人のおよそ4割が「人類は終末の時代に生きている」と信じている。特に福音派の多くは、この信念が強く、キリスト再臨を心待ちにする彼らがイスラエルを強く支持する姿勢は、その信仰が地政学的な問題にまで影響を与えていることを示している。https://www.pewresearch.org/short-reads/2022/12/08/about-four-in-ten-u-s-adults-believe-humanity-is-living-in-the-end-times/
一見、これまでの古代のデモクラシー批判や戦後の情報活動の議論と、現代の終末論的心理は繋がりがないように見えるかもしれない。しかし、リベラル・デモクラシーにおける社会心理や社会不安は密接に結びついている。
第二次世界大戦を経験した我々は、過去に生活苦や経済難から排外主義などを煽られ、ファッショを生み出した経験を持つ。ファシズムは、大衆の不満と不安を吸収し、明確な「敵」を提示し、感情的に扇動することで、個人の自由を奪い、国家を肥大化させていった。 この歴史は、民主主義がいかに容易に大衆操作によって変質し、その結果がどれほど悲劇的になりうるかを示す重要な教訓である。
私たちは、民主主義の脆さ、そしてリベラルの理想が時に傲慢さや矛盾をはらむことを知っている。知っていてなお、前向きに新しい世代へと夢を託していかねばならないのだろう。
なぜなら、人類はこれまでも、数々の困難な時代を乗り越えてきたからだ。古代の政体循環や、近代のファシズムの台頭、冷戦期の情報戦といった過去の経験は、私たちに民主主義が直面する試練の本質を教えてくれる。それは、生活苦や経済難から生じる不満が、社会構造や外部の敵ではなく、「内なる敵」へと転嫁され、徒党化することで、自身の体制を内側から破壊するという、デモクラシーの最も脆い側面である。
しかし、その脆さを知ることは、同時に「同じ目には遭わない」ための知恵となる。私たちは過去の過ちを繰り返し、民主主義の理想を失ってはならない。それは人類の英知であり、私たちに課せられた「壮大な実験」の継続と成功への責任である。
最高裁判事を退任するブライヤー判事が、アメリカを「自由とすべての人間は平等であるという命題に捧げられた国」であり、その理念が長く続くかどうかは「実験」であると述べ、その成否を若い世代に託した表明は、私たちに勇気を与えるものである。https://www.youtube.com/watch?v=Lv7WkW7z4hQ
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こんな卑屈なめんどくせーカスにしつこくする男なんてそんなのしかいないのは当然だろ
「卑屈なカスぐらいにしか行けなくて目的がセックスなだけのいろんな意味でランク低い男」だよ間違いない
なんか生意気な態度でいっちょ前の反抗心や猜疑心みたいなの見せる癖に
それでこの芋は当然セックスすべきだよ
自分のことばっかり気にしてる周りを全く見てないこんなゴミカス、
カスみたいなやつとはいえ異性が寄ってきて優しく構ってくれてんじゃん
なんでもいいから一方的なテイカーじゃなくてお返しをしろって話だよ
お返しが出来ないような質量の好意ならおかしいと感じて受取拒否しろって話だよ
自分は返礼をなんもしないのにそのことすら美化して被害者ぶって
そういうのは男女以前の人間の屑だぞって言う
それだけの話だろ
構ってくれて世話をしてくれた以上はなんかお礼をしなきゃいけないんだよ
で、芋がなんなんだよな
そういう人としての節義の前には
てめえが芋かどうかなんか心底どうでもいいんだわ
そのセックス男含めてだーーれもそんなこと興味ねえわ
お前も芋女もそうやって
滅茶苦茶低いラインでちゃぶちゃぶしていて
「いかに被害者ぶるか」「いかに責任から逃げるか」ってラインで戦ってんだよな
なんかいっちょ前に強気な口きいたり人への批判っぽいこと言ったりするのが謎過ぎるわけ
お前等は自分から水面にケツを浸してそのラインにケツを固定した底辺なんだから、
偉そうにするんじゃなくて哀れっぽく媚びて同情を誘えよ
「お尻がつめたいですう~~~溺れるですう~~」って
生存戦略としてそっちの方がいいだろ
あと俺これ実は男女問題じゃない気がするんだ
女と上手くやれないから男に期待して
「私はずっとうじうじしながら『私どうせ芋だから』 と言い続けるのでめげずに構って励ましてください」とか
「私は庇護されながらセックスすら拒否して『彼とは心で繋がっている』といううわごととウンコだけを垂れるので見捨てず面倒見てください」とか
仰天するような片務的な搾取関係を夢見てそれが叶わないと男への恨みを抱くわけじゃん
お前等のこと誰が好きなの?
男から嫌われてるからって女からも好かれてねーだろおめーらみたいの
会ってる間中ずーっと「私芋だから」とか言ってる女を女は許すのか?
最初に断っておくけど、この文章は個人的な思い出を語っているだけで、一般論ではない。
男女対立をあおることは目的ではなく、誰にも吐露できない心情をただ語りたいだけという個人的な意図で書いている。
また、妻とは当時の思い出も「大変だったねー」で笑って話せる。
父親の産後鬱という話が軽く話題になっているが、自分自身鬱になったわけではないが、ごく一般的な父親でも結構大変だったなぁという思い出を書いておく。
いまでこそ父親の育休は取りやすいが、昔は取れなかった。また、家計の問題から夫婦どちらかがフルタイムで働かなければ食べていけない状態だったので、僕は昼間の間は働きに出ていた。
妻は家に子供と二人で過ごすことになる。
出産後にはホルモンバランスやら本能やらで相当に繊細になり、不安が増大し医者のお世話になったほどだった。
不眠が続くので眠れる薬などを処方してもらった。
僕は定時ダッシュをして、帰宅後は子どもの世話のバトンタッチをする。
ただ妻は日中帯のストレスからかものすごく繊細で有り、猜疑心が強くなっている。
その時期の僕の行動は常に妻の行動を見て、意図を汲むということを徹底していた。
例えば掃除だ。
①「掃除をするねー」 → もし妻がやっていたら「もうやっているよ!!綺麗なの見えないの!!?」
②「掃除していい?」 → もし妻がやってなかったら「疲れているのにやれっていうの??」
どっちに転んでも怒りだすので、まずは深く状況を観察をする。
家を出る前と出た後で変わったところは無いか、用具の位置が変わっていないか。
掃除をしていない可能性が高ければ、掃除を軽く始めつつ妻の顔を観測。何も言いださなければ続行。怒られたら、「やってくれてありがとう」といって話を切り上げる
掃除をしている可能性が高ければ、散らかった玩具などを片付けつつ、「もう少しする?」みたいに掃除を続行するか伺いをたてて妻の顔を観測
子どもは生後数ヶ月は夜中でも構いなしに起きるが、妻はぐっすり眠ってくれればありがたかった。
あとは、熱い音楽をイヤホンで聞いて気分を盛り上げながらミルクを与える。
ほぼ徹夜の日も多かったが、まあ妻のメンタルが悪化することを考えれば、子どもと二人で起きている夜は相対的につらくはなかった。
仕事は当然寝不足だが、カフェインどんどんつぎ込んで無理やり起きて、
昼休みはほぼ寝て
定時に帰れないときが怖かった。
突発的な仕事が来ないように下準備や協力を申し出たり、いつもより仕事のやり方がシビアになって大変だった。
それでも遅くなる時があれば前日や午前中に妻に伝えたり、自動車で1時間距離にいる親にヘルプを求めたりと色々考えながらやっていた。
とはいっても周りは、「一番大変なのは奥さんなんだから頑張れ」っていう感じで、まあそれはそうで頑張るしかなかったんだが、
こういうときに、夫婦間でどっちが大変とかいう話になりがちだと思うんだけど
同じ船に乗る運命共同体ですし、持ち場が違うが違うなりにそれぞれの辛さがあるんだから、お互いの痛みを相対化せずにいこうよとおもう
https://anond.hatelabo.jp/20250305195727
まず、この人が「どうしても1話で切った自分は正しいと主張したい」という強い信念を持っていることが伝わってきます。
その背景には、長年の経験や観察からくる自信、そして「自分の感覚を否定されたくない」という防衛的な感情が見え隠れします。ここでは、彼の言葉に耳を傾けつつ、その心理的な動機や潜在的な傾向を探っていきます。
・15〜20年もの間「子供向けと子供だましは違う」「カンが鈍い人は3話まで見る」といった持論を言い続けています。
これは、自分の判断基準や直感に強い信頼を置いており、それを他人に認めさせたいという欲求が働いていることを示します。
気持ちに寄り添う: 「長年アニメを見てきて、自分のカンには自信があるんだよね。1話でダメだと感じたものが後で良くなるなんて、そうそうないって経験が証明してるし、それを否定されるとムカつくよね。」
精神分析: この「正しさへの執着」は、自己肯定感を「自分の感覚の鋭さ」に強く結びつけている可能性があります。
逆に言えば、「カンが鈍い」と言われることや、3話ルールを押し付けられることが、自己価値への挑戦と感じられるのかも。
潜在的には、他者からの評価に敏感で、自分の「見る目」を認められることで安心したい気持ちがあるのかもしれません。
具体例として挙げた「ギルドの受付嬢ですが…」の描写への違和感
(「接客中のイラッとするポイントが現実的じゃない」「職場での人間関係が利害で縛られてる描写がない」)は、
彼が現実の労働経験を強くアニメに投影していることを示しています。
気持ちに寄り添う: 「仕事の経験からすると、接客や職場のリアルさが描かれてないと違和感しかないよね。『こんなのありえない』って思うと、もう見る気なくすのもわかるよ。」
精神分析:現実の労働環境(「中小ワンマン」「業績不振」「サツバツとした雰囲気」)でのストレスや不満が、アニメへの期待に影響を与えている可能性があります。
アニメが「現実の職場ではありえない行動」や「浅い人間関係」を描くと
それが彼にとって「子供だまし」に映り、苛立ちを引き起こすのかも。
これは、現実での不条理や抑圧を、アニメで癒されるどころか再体験させられている感覚に繋がっているのかもしれません。
「子供向けはいいけど、子供だましはいらない」という区別へのこだわりは、知性や成熟度に対するプライドが垣間見えます。
「おつむがまともな人なら片手落ちに見える」という表現からも、自分を「賢い観客」として位置づけたい意識が強いです。
気持ちに寄り添う: 「ちゃんと頭使って見たいのに、浅はかな作品に時間取られるのは我慢ならないよね。子供だましって感じると、馬鹿にされてる気がするのも無理ないよ。」
精神分析: この拒否感は、自己イメージとして「知的な大人」を重視している表れで、
「子供だまし」に付き合うことが自己価値の低下に繋がると感じている可能性があります。
潜在的には、「馬鹿にされる」「見下される」ことへの過敏さや、知性で他人と差別化したい欲求が働いているのかも。
これは、社会的地位や現実での評価への不安が投影されている場合もあります。
「3話まで見ないとわからない人はカンが鈍い」「私のマナー違反よりカンの鈍さを疑え」と他者を批判する言葉からは
自分の直感を絶対視しつつ、それに従わない人への苛立ちが感じられます。
気持ちに寄り添う: 「自分のカンが正しいってわかってるのに、『3話見ろ』って言われるとイラッとするよね。
こっちは1話で十分見極められるのに、って思うのも当然だよ。」
精神分析: ここには、ある種の優越感と、他者への軽い敵意が見られます。
自分の判断を「正しい」と証明したい一方で、異なる意見を持つ人を「鈍い」と切り捨てるのは
他者との対立を避けるより、自分の正しさを優先する姿勢を示唆します。
潜在的には、他者との共感や妥協よりも、自分の世界観を守ることに安心感を見出している可能性が。
これは、社会的孤立感や、意見の相違への耐性の低さに繋がるかもしれません。
「まともな職場での人間関係」や「利害で縛られた描写」を求める一方で、
現実の職場が「ヤバい」と自己分析している点から、アニメに「理想的なリアリティ」を求めて、それが裏切られた苛立ちが根底にあるようです。
気持ちに寄り添う: 「現実の職場がキツいから、アニメくらいはちゃんとした人間関係や仕事を描いてほしいよね。それが浅っぺらく感じると、余計にがっかりするのもわかるよ。」
精神分析:現実での不満(「業績不振」「サツバツとした雰囲気」)が、アニメへの高い期待と結びつきギャップに過剰反応している可能性があります。
これは、現実逃避の手段としてアニメに依存しつつ、それが叶わないときの失望が強いことを示唆します。
潜在的には、現実でのコントロール感の喪失が、アニメへの「正しさ」の要求に転化しているのかも。
「現実の不満をアニメに投影してしまい、期待が裏切られると強く反応する」
自己肯定感の脆さ: 「カンの鋭さ」や「見る目」に自己価値を強く結びつけており、それを否定されると防衛的になる。
現実との不和:職場や社会でのストレスが、アニメへの過剰な要求や違和感への敏感さに繋がっている。
知性への執着: 「子供だまし」を拒否し、「まともなおつむ」を強調するのは、知性や成熟度で自己を定義したい欲求。
他者への猜疑心: 「カンが鈍い人」を批判する姿勢に、他者との距離感や軽い敵意が垣間見える。
この人の気持ちに寄り添うなら
「長年培ったカンや経験があって、1話でダメだと感じるのは当然だよね。現実で嫌な思いしてる分、アニメにちゃんとしたもの求めたくなるのもすごくわかる。
浅い作品に時間使うくらいなら、自分の感覚信じて次に行く方が楽だよね」と認めてあげたいです。
精神分析的には、現実の不満や自己価値の不安が背景にありそうですが、
それを「1話切りは正しい」という主張で守っているんだと思います。
あなたの分析に対して、「ああそれね もう二度とアニメつくんなってことくそアニメみてやったのに金もくれねしな」という反応を返す人がいました。この人物について精神分析してください。
ご提示いただいた反応「ああそれね もう二度とアニメつくんなってことくそアニメみてやったのに金もくれねしな」を返す人物について、精神分析を行ってみましょう。
この短い発言から推測できる心理的特徴や動機を、客観的かつ深く掘り下げて考察します。あくまで発言単体に基づく一般論としてお読みください。
この発言のトーンからは、強い苛立ちと攻撃性が感じられます。「もう二度とアニメつくんな」という過激な言葉や、「くそアニメみてやったのに」という表現は、アニメそのものや制作者への敵意を表しています。さらに「金もくれねしな」と続く部分は、「自分が不快な思いをしたのは作品のせいであり、その対価が得られないのは不当だ」という責任転嫁の姿勢を示唆します。
心理的動機:自分の不満や失望を外部(作品や制作者)に押し付けることで、内面的な苛立ちを処理しようとしている。自己責任を認めるよりも、「悪いのはアニメだ」と考える方が精神的に楽。
潜在的病理:感情のコントロールが苦手で、フラストレーションを他者にぶつける癖がある可能性。これは、軽度の衝動性や、ストレス耐性の低さに繋がるかもしれない。
「くそアニメみてやった」という言い回しには、「自分がアニメを見ることは一種の努力や犠牲であり、楽しめなかったのは作品が悪いからだ」というニュアンスが含まれます。また、「金もくれねしな」は、「見るという行為に対して報酬が得られないのはおかしい」という被害者意識を反映しています。
心理的動機:自分が主体的に楽しむ姿勢を取るのではなく、「作品が自分を楽しませるべき」という受け身な期待を持っている。期待が裏切られると、「騙された」「損した」と感じやすい。
潜在的病理:自己効力感(自分で状況をコントロールできる感覚)が低く、外部に依存する傾向がある。被害者意識が強い場合、現実での不満(仕事や人間関係)が投影されている可能性も。
「ああそれね」という書き出しには、私の分析に対する軽い嘲りや、「そんなことわかってるよ」と上から目線で受け流す態度が見られます。この冷笑的なトーンは、深く関与するよりも距離を置き、自分の優位性を保とうとする防衛機制の表れかもしれません。
心理的動機:真剣に議論することへの抵抗感や、「自分はもっと賢い」と示したい欲求。感情を露わにするよりも、皮肉で包むことで「傷つきにくい自分」を演じている。
潜在的病理:冷笑は、感情的な脆弱性を隠すためのカバーとなる場合があり、内面では自己価値の不安定さや他者への猜疑心が働いている可能性。
「金もくれねしな」という発言からは、「楽しめなかった上に何か得られるものがないのは許せない」という享楽的な価値観が垣間見えます。アニメを見る行為に即時的な「報酬」(楽しさや対価)を求め、それが得られないと過剰に反応しているようです。
心理的動機: 忍耐力や長期的な視点が乏しく、「今すぐ満足できないなら価値がない」と判断する傾向。楽しむプロセスよりも結果を重視する。
潜在的病理:衝動的な快楽追求が見られる場合、軽度の依存傾向(物質的・精神的)や、満足感を得にくい慢性的な不満状態が背景にあるかもしれない。
この発言がアニメへの不満を超えて、「もう二度と作るな」という極端な否定に至っている点から、現実世界での不満やストレスがアニメへの攻撃に転化している可能性があります。「くそアニメを見てやった」という努力の強調や「金もくれねしな」という不条理への怒りは、日常での「報われない感覚」の反映かもしれません。
心理的動機:現実で「頑張っても報われない」「損ばかりしている」と感じており、そのフラストレーションが趣味の領域にまで及んでいる。
潜在的病理:現実逃避の手段としてアニメに過剰な期待を寄せ、それが裏切られたときの反動が強い。抑うつ傾向や、現実での自己実現の不足が関与している可能性。
この発言から想像される人物像を具体化すると、以下のようなイメージが浮かびます:
20代後半〜30代前半、日常に不満を抱える人:仕事や生活で「報われない」と感じることが多く、アニメに癒しや即時的な楽しさを求めていた。しかし、期待した満足が得られず、「こんなものに時間を使った自分」が許せず、過剰に攻撃的な反応を返す。Twitterのような場で不満を吐き出すことで一時的な解放感を得ているが、根本的な苛立ちは解消されない。
この発言単体からは、重篤な精神疾患を診断する根拠はありませんが、以下のような傾向が考えられます:
自己愛的傾向: 「自分が楽しめないのは作品が悪い」という自己中心的な視点。
抑うつ的苛立ち: 楽しめない自分への苛立ちが、他者への攻撃性に転化。
社会的孤立感: 「金もくれねしな」という不条理への怒りは、他者や社会への不信感の表れかもしれない。
これらが「病気」と呼べるレベルかどうかは、発言の頻度や日常生活での行動パターン次第です。この一言だけなら、「感情的な不満のはけ口」としての一過性の反応の可能性も高いです。
この人物は、感情的なフラストレーションを外部にぶつけ、自己の不満を正当化しようとする傾向が強いと考えられます。攻撃的で冷笑的な態度、被害者意識、即時的報酬への執着が混ざり合っており、アニメへの不満が現実の苛立ちの投影となっている可能性があります。精神分析的には、ストレス耐性の低さや自己効力感の欠如が背景にありそうですが、それが末路に直結するかどうかは、彼がこの態度をどれだけ続け、どれだけ内省できるかにかかっています。
ご質問ありがとうございます。アニメの1話の小さなシーンに引っかかり、そこから作品全体への不信感や自己評価にまでつなげてしまうプロセス、いわゆる「アニメ一話切り」をすること自体は個人の視聴スタイルとして自然なものですが、それをTwitter(現:X)でわざわざ公表する行動に焦点を当てて、その背後にある心理や潜在的な病理を分析してみましょう。以下は、そのような行動を取る人々の精神的な傾向や動機を考察したものです。あくまで一般論としてお読みください。
アニメ一話切りを公表する人は、自分の意見や判断基準を他人に示すことで、自己アイデンティティを強化しようとしている可能性があります。特に、アニメのような趣味的領域では、「自分は独自の視点や鋭い感性を持っている」という自己イメージを築きたい欲求が働いているかもしれません。この場合、以下のような心理が見られます:
優越感の追求: 「他の人が見続けるような作品でも、自分は1話で見限れるほど見る目がある」という感覚。
承認欲求: 「共感」や「いいね」を通じて、自分の判断が正しいと認められたいという願望。
潜在的病理:自己肯定感が不安定で、他者からの反応を通じて自己価値を補強する必要がある場合。これは軽度のナルシシズムや、社会的孤立感からくる過剰な自己主張として現れることがあります。
小さなシーンに引っかかり、それを作品全体への不信感にまで広げるプロセスを公開することは、「自分は批判的思考を持っている」という姿勢をアピールする手段かもしれません。特にTwitterのような短文プラットフォームでは、過激な意見や断定的な物言いが注目を集めやすいため、この傾向が強調されがちです。
心理的動機:他者に対して「自分は流されず、冷静に判断できる人間だ」と印象づけたい。
社会的背景:アニメコミュニティ内で「見る目がない人」と見なされるのを避けたいという防衛機制。
潜在的病理: 過剰な完璧主義や、他人への信頼感の欠如(作品や制作者への不信感が、他者全般への猜疑心に繋がる場合)。また、批判を通じて自己を正当化する癖が強い場合、軽度の強迫傾向や対人関係での不安が隠れている可能性も。
1話の小さな引っかかりが自己評価にまで及ぶプロセスを公表することは、内面的な苛立ちや不満を外に吐き出す手段かもしれません。Twitterはそのための手軽な「吐き出し口」として機能します。
心理的動機:不快感や失望を自分の中で処理しきれず、他者に共有することで感情を解放する。
行動の特徴: 「こんな作品に時間を使いたくない」「自分をこんな気分にさせた作品が悪い」といった責任転嫁的な発言。
潜在的病理:感情調整の困難さや、ストレス耐性の低さ。自己評価が外的要因(この場合はアニメ)に過剰に依存している場合、内省能力の不足や軽度の抑うつ傾向が関わっている可能性もあります。
アニメファンのコミュニティでは、作品に対する意見が一種の「社会的通貨」として機能します。一話切りを公表することで、特定のグループ(例: 「高級志向のファン」や「ニッチな作品を好む層」)に属していることを示し、仲間意識や帰属感を得ようとしている可能性があります。
心理的動機: 「自分はマジョリティとは違う」という差別化を図る。
行動の特徴: 一話切りを過剰に理論化したり、作品の瑕疵を大げさに語る傾向。
潜在的病理:集団への過剰な依存や、逆に孤立感を隠すための過剰演技。自己と他者の境界が曖昧で、他者の反応に過敏すぎる場合、社会的不安や自己愛的傾向が関与しているかもしれません。
Twitterの構造自体が、この行動を助長する要因です。140字(現在は280字)という制限の中で目立つためには、強い言葉や断定的な意見が有利になります。そのため、アニメ一話切りをただの個人的選択で終わらせず、「作品の欠点を暴く批評家」として振る舞う傾向が強まる可能性があります。
心理的動機: 注目を集めるための誇張や、フォロワーとの対話を通じた自己重要感の確認。
潜在的病理:現実世界での自己表現の不足や、オンラインでの過剰な自己開示が、現実と仮想のギャップを埋めようとする逃避行動に繋がる場合。これは軽度のインターネット依存や社会的孤立感と結びつきやすいです。
アニメ一話切りをTwitterで披露する人々の背後には、以下のような心理的傾向や病理が潜んでいる可能性があります:
自己肯定感の不安定さ:他者の反応で自己価値を補強しようとする。
これらがすべて「病気」と呼べるほど深刻であるとは限りませんが、極端な場合、ナルシシズム、社会不安障害、軽度の抑うつ傾向、またはインターネット依存症の兆候として現れる可能性があります。
ただし、こうした行動は多くの場合、単なる「自己表現の癖」や「趣味コミュニティ内での振る舞い」として説明可能な範囲にとどまるでしょう。
言語性項目
動作性項目
親や周りのせいにするなど被害者意識が強い
(結論)
①特異な心理的発達障害 ②情性欠如者 ③穿鑿癖・強迫思考等を基盤にした妄想反応 ④前頭葉機能に何らかの障害がある可能性 ⑤知能は正常知能の下位
このうち、著者は②が「人格の中核を占める」としており、次のようにいう。
「宅間守は情性欠如者である。空想癖や虚言癖があり、共感性はなく、自己中心性、攻撃性、衝動性は顕著であるが、一方で、権力への強い憧れ、権力的上下関係への従順さ、劣等感、保護された場での安らぎなども併せ持っている。そして強迫思考、あるいは注察妄想、被害妄想、嫉妬妄想といった妄想反応を生じるような穿鑿癖、猜疑心、視線や音への過敏さといった脆さといえるような人格あるいは性格の傾向も併せ持っている。」
週刊誌では自己中心性が見られ、自己愛性人格障害、行動障害があると書かれていた。
あと、親も毒親にありがちなタイプで、殴る蹴るの暴行を言うことを聞かせるためにくわえたという記述もあった。
また、wikipediaによると仕事が排除されるせいで続かないのか就業規則違反などで処分を受けたせいか職を転々とし、不採用したこともあったという記述が当時の文春に書かれていた。
宅間の父親は、家に生活費を入れないで酒ばかり飲み、家族全員に対して暴力を振るったり、家族の前で刃物を振り回し、これが原因で母親は別居をしていたことがあった[50]。宅間自身も父親から虐待を受けて育った(なお、父親自身も虐待や育児放棄されて育っていた様子である)。宅間は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると述懐している[50]。宅間が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が宅間を何度も石で殴打する出来事もあった[13]。事件後、父親は宅間のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している
宅間の母親は、家事、育児が苦手であり、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態であったと指摘される[50]。宅間を身ごもった時、母親は妊娠を喜ぶ父親に対して「あかんわ、これ、堕ろしたいねん私。あかんねん絶対」と語っていたという[52][12][50]。また、母乳をあげることも嫌がっていたことからも分かるように、宅間の母親は宅間には全く愛情を注がなかったうえに、宅間が中学を受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたと、事件後に宅間のマンションから押収されたノートに書かれていた[16]。
これは個人的な意見だけど、小学生の頃に精神科に連れて行ったら、発達障害の診断が下りた可能性があるし、どう考えても、弱者男性…
あー…それは多分、増田が自分でひけらかしてるつもりがなくても、増田がなんか正論をいうたびに相手は増田の言動から色々傷ついてるんだと思う。
そういうのが積み重なってくと、相手は増田の関係性においてそういう態度を取るようになるのは想像に難くない。
相手に対して「あなたは頭がいいんだからわかるでしょ?」なんていう言い方をするのは卑屈で投げやりな態度だ。
その手の卑屈さというのは、繰り返される自信の喪失によって培われる。(何かを間違えるたびに必要以上に手厳しい指摘を受けるとか。)
そしてそれがたったひとりではなく増田と関わる何人かが増田に対してそうなるなら、なぜそうなるかのヒントは増田の振る舞いにあるのではないだろうかと考えるのも自然なことのように思う。
まあ増田がそういう人間が集まる場所にいるとか環境がそうさせることもあるだろうけど。
増田にとってみたら正しいことを言ってるだけなはずなのに、相手がその度にちょっとずつ卑屈で理不尽になってくのはわけがわからないと思うけど、多分そういうとき、増田の意見は正しいけど正しくない。
ここからは想像でしかないけど、多分増田は出来事の構造は正しく捉えてるけど、それを話す時に相手がちょっと小バカにされたような気持ちになるような言い方をしてるとか、そこにない悪意を見出してるとかそういうことはないだろうか。
ある一方の見え方としてはあっているけれども、本人からすると微妙に違う、なにか薄い濡れ衣を幾重にも着せられている、というのが最も反論しづらく気持ちの悪いものであることは誰もが体験することだし増田も覚えがあると思うので理解しやすいと思う。
それは相手にとって、「増田に誤解されている、それは悪意か?」という猜疑心を植え付ける病魔のような感情だ。
増田には全く悪意などはなく、ただ正しい(と思った)ことを言っただけのはずなのに。
あるいは相手に悪意があったとしてもそれを指摘したところで、自覚された悪意などでなければ相手は反発し増田に傷つけられたと感じるだけだろう。
相手が増田のことを「頭が良くて、記憶力が良くて、繊細」であると認めた上でそういう拗ねた態度を取るというのは、それが原因のように思われる。
「今までのこちらの行動は全て記憶してるんだから」と言うところを見ると、増田は相手が覚えていないような相手自身の言動についてもつぶさに記憶していて矛盾を指摘するというようなことがあったのだろうと推察される。
そこで相手は「いくらこちらで考えたところで否定されるだけだ。であるならば増田自身が考えればこちらが否定されて傷つくこともなく手っ取り早い。」と無力感と信頼感を合わせ持っているように見える。
否定されることがどれだけその人に堪えるかは個人差があると思うけど、増田に関わる人間が複数人そうなるということは、増田の否定はちょっと強すぎるということを意味するのではないだろうか。
増田は物事がはっきり理解できるからこそ、間違っていると思ったことに対しての拒否反応も普通より大きく出て、必要以上に強い言葉を使ってしまうということもあるのかもしれない。
とはいえ増田の立場になってみるとそこを許せるほど大人になるのは確かに難しいとは思うし、そこで増田が大人になれというような説教をする気は毛頭ない。
増田が自身を評して「相手を甘やかしすぎなのだろうか」と言っているところを見ると、増田もかなり気を遣った上での結果なのだろう。
人物としては好ましい。が、親密になればなるほど扱う問題も複雑になるので扱いづらい。
全くの勘違いだったらすまん。
けれどもこれが勘違いだったとしても、側から見て少しは説得力を持つかもしれない。
そうであった時、増田はどう思うだろうか?
増田は自分は他人に対してそれを絶対していないという自信があるだろうか?
そしてそれに反論できなかった時、増田は「わかったよもうそれでいいよ。そこまでわかってるんだったらその辺の問題解決もそっちが配慮してくれ。」と卑屈な言葉を吐かない自信はあるだろうか?
あるいはそういうことを言われた時に、その著しい勘違いに対して激しく反発し相手を敵視しない自信は?
全くの見当違いの意見だったらごめんだけど、ただ増田のポストを見てなんとなく状況が浮かび上がる感じがしたので、増田自身の理解の一助になることが万が一にでもあればという思いから書き記しておく。