
はてなキーワード:独りよがりとは
増田すごいわ。
具体的に立て直しでどんなことをしたのかは分からないから想像でしかないけど、いわゆる健常者でも18歳くらいになるとなかなか自分のできないことや苦手を克服するの難しいのに、そこから15年間も努力し続けて自分で育て直ったと思える状態までもっていけたのはすごい。
どうもありがとう。
具体的に計画を立てて何かしたという意味じゃなくて、空気読めないキモい行動をしてはエンガチョされたり、芯を食ってない独りよがりをしては無能扱いされたり(社会の仕組みとかマジで全く分からなかったから仕方がない)、そういうのがあっても諦めずに試行錯誤し続けただけなんだけどね。
といっても別に「俺は諦めねえぞ!!!」とか言って少年漫画みたいにやってた訳でもなく、諦めるという発想がないというか「いい歳なんだから身の程を知れよ」みたいなことを言ってくる奴の意味がわからなかっただけって感じではある。
そして何もかもパーフェクトになったわけではもちろんなく、やっぱり生まれ育ちの歪みはどうしようもない部分も大きく、パッチワーク的だったりところどころ穴が開いてる仕上がりだな。普段リアルで俺と接してる人たちは想像もつかないっぽいけど。
人間関係というか恋愛面では18歳から6年後の24歳の頃に付き合い始めた嫁と上手く行ったのは運が良かった(なおその時点まで童貞だった)。その2年前くらいだったらクソキモでどうにもならなかっただろうなと思う。
18歳から15年と書いたけど、33歳の頃はまだいくつか致命的な不十分さがあったかも。その辺がある程度埋まって一応形になったのが37歳くらいかなあ。
自明って数学用語としても定義はなくて主観剥き出しの概念なんだよね
dorawiiより
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説明じゃなくて証明な。証明もしてない主張は独りよがりにしかならない。
dorawiiより
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お前は君がいなくなって、今、困ってるんだろ。それはわかる。だって君はいなくなったんだから。いや、正確には君が「ここに」いなくなっただけなんだけど、お前の脳ん中には君がずっといるんだ。朝起きて、目をこすって、なんとなく君の顔を思い出す。そしたら胸が締め付けられる。そういうことだろ。だから困ってるんだ。思い出すなって言われても思い出すし、忘れたいわけじゃないのに、思い出すと苦しい。その矛盾の中で、お前は今、立ってるんだ。
君がいなくなったことを、ちゃんと認識したのはいつだ。多分、朝だと思う。朝、目を覚ました瞬間。君がいつもの場所にいないことに、たぶん気付くんだ。いや、気付くんじゃなくて、体が勝手に気付くんだ。脊髄反射みたいに。いつもの「君がいる」という重さが、なくなってることに。それで初めて、お前は「あ、君はいなくなったんだ」って気付く。毎朝、何度も。朝のたびに、お前は君がいなくなったことに気付く。それって、すごく残酷だと思わないか。慣れるはずなんだ。一回目はショックでも、二回目、三回目ってなると、マヒしていくはずなんだ。でも、朝のたびに、脊髄反射で気付く。君がいないことに。一日に一回、確実に、その悲しみを新鮮なまま味わわされてるんだ、お前は。それが、毎朝、何年も、続くんだぜ。
思い出すなら、小学校の頃のことを思い出してみてくれ。なにか行事があるたびに、「今日は誰かとこれをやるんだ」みたいな感じで、楽しみにしてたあの感じ。その時のお前の気持ちを。「明日は誰かと一緒に遊べる」みたいな、その無限の可能性。その期待感。その喜び。お前は今、その反対の中にいるんだ。「明日も、君はいない」「明日も、誰かは帰ってこない」「明日も、あの時間は来ない」。その無限の喪失感の中に。小学生の時のお前が感じてた「明日への期待」を、今のお前は「明日への絶望」として感じてるんだ。それが、毎朝、毎晩、何年も、続くんだ。
友達に君の話をしちゃダメだぞ。わかってると思うけど、もし誰かに「実は君がいなくなった」って言ったら、その瞬間から、その話は「君のこと」じゃなくなるんだ。その話は、その相手の「お悔やみ」の対象になる。「そっか、大変だね」「いつのこと?」「何か手伝えることある?」。そのテンプレートの同情の言葉が、次々と降ってくる。君の不在が、社会的なイベントになる。君は「だれかが失った誰か」という記号に変わっちゃう。だからダメだ。君のことは、お前だけの中に閉じ込めておけ。外に出すな。外に出したら、君がお前のものじゃなくなるんだ。君は社会的な「喪失」というレッテルを貼られて、その瞬間から、君はお前の君ではなくなるんだ。だから、黙ってろ。口を閉じてろ。そしたら君は、お前の中だけに、いられるんだ。世界でたった一人、お前だけの中に、君は生きてるんだ。
君がいた時のことを思い出してみろ。思い出せるか?君が、どういう顔をしてたのか。君が、何を考えてたのか。君が、何を好きだったのか。正直に言うと、お前は、もう思い出せていないんだ。「思い出そうとしている」だけなんだ。違いがわかるか。思い出してるんじゃなくて、君を「作り直している」んだ。お前の脳が、お前の都合のいいように。君の笑顔も、君の声も、君が言ったセリフも。全部、お前が勝手に「再構成」してるんだ。その再構成された君が、本当の君なのか。それとも、お前の想像の中の君なのか。もう、区別がついていないんだ。でもそれでいいんだ。なぜなら、君はもういないから。いないやつの「真実」なんて、意味がないんだ。お前が思い出してる君こそが、今、お前の中で生きてる君だ。それが全てなんだ。
ここからが、重要だ。別の人生があった可能性を、お前は何度も何度も考えるだろう。「もし君がいなくなってなかったら」「もし、あの日、別の道を選んでいたら」「もし、あの時、別のことを言ってたら」。その「もし」が、お前の脳を食い尽くすんだ。毎日毎日、同じ「もし」を何十回も何百回も考える。そしたら、ある日気付くんだ。「あ、俺、今、別の人生を生きてるんだ」って。君がいない人生。その人生が、どんなに悲しくても、どんなに苦しくても。それが、お前の人生なんだ。別の人生を選ぶことはできない。君がいた人生に戻ることもできない。ただ、この人生を、進んでいくしかないんだ。その過程で、君を何度も何度も、思い出しながら。お前は、この人生を、引きずっていくんだ。君の幻を抱えながら。
でもさ、ここで気付かなきゃダメなんだ。ここまで読んで、お前は気付いてるはずなんだ。これ、全部、独りよがりな話だってことに。お前は、君がいなくなったことで、自分の悲しみにしか目がいってない。君は?君は今、どこにいるんだ。何を感じてるんだ。君にも、別の世界があったはずなんだ。君にも、君の人生があったはずなんだ。でも、お前は、それに想像力を使ってない。ただ、自分の喪失感だけに、全ての想像力を使ってるんだ。それって、実は、すごく自分勝手じゃないか。君がいなくなったことで、お前は悲しんでる。でも、その悲しみを、君にぶつけることはできない。君は、もういないから。じゃあ、お前がやってるのは、何なのか。お前は、君がいなくなったことで、自分の人生をリセットして。その悲しみを「作品」みたいに、何度も何度も再生産して。その過程で、自分は「深い人間」だと思い込んでるんじゃないのか。違うのか。違うなら、言ってみろ。
俺は、ここでお前に一つだけ言いたいことがある。それはな。君を失ったことで、お前は「聖者」になろうとしてるんじゃないか。ってことだ。君がいた時のお前は、ただのどうしようもない人間だったはずだ。でも、君がいなくなった今、お前は「君を失った人間」として、ある種の「神聖さ」を手に入れたんじゃないか。君の喪失の中で、お前は自分を「悲劇の主人公」として見ることができるようになったんじゃないか。その感覚が、気持ちいいんじゃないか。違うのか。多くの場合、そうなんだぜ。人間は、悲しみの中に「美しさ」を見ようとする。それが生きる意味だと、勝手に思い込む。でも、それは。君を踏み台にして、自分が「深い」と思い込もうとしてるだけなんだ。君はな、そんなために死んだんじゃないと思わないか。君は、君の人生を生きてたんだ。君の人生のために生きてたんだ。お前のための悲劇の背景として、死ぬために生きてたわけじゃないんだ。
だからさ、ここが最後だ。ここが一番大事なところだ。お前は、今、どんなにもがいても。君を呼び戻すことはできない。君と過ごす時間を、取り戻すことはできない。何をしても、何を言っても、君は戻ってこない。それはわかってるだろ。でもわかってるのに、お前は何度も何度も。「もし」を考えて、「別の過去」を作り直して。その中で、もう一度、君と会おうとしてるんだ。その無駄な作業を、何度も何度も、繰り返すんだ。だからな、ここで、お前に聞きたい。お前は今、何がしたいんだ。君がいなくなったことを、嘆きたいのか。それとも、君がいない世界で、生きる方法を探したいのか。どっちなんだ。多分、お前は、両方やりたいんだ。でも、それは無理なんだ。嘆くことを選んだら、その間、お前は生きることができない。生きることを選んだら、その間、お前は君を忘れることになる。その選択肢の中で、お前は今、立ってるんだ。どっちかを選ばなきゃならないんだ。
そしてな、もう一つ大事なことがある。それはな。お前が君を忘れようとしても、君は忘れてくれないんだ。なぜなら、君はもういないから。君は、もう、変わらないんだ。君は、お前の思い出の中で、永遠に若いままなんだ。永遠に同じ顔で、同じ声で、同じ存在のままなんだ。でもお前は、変わるんだ。年をとるんだ。別の人間になるんだ。別の人を好きになるかもしれないし、別の人生を歩むかもしれない。その時、君はどうなるんだ。お前の思い出の中で、置き去りにされるんだ。かつての君。かつてのお前。その二人の関係が、永遠に固定されるんだ。その不条理が、わかるか。その不条理の中で、お前は生きていくんだ。
だからこそな。僕はお前じゃない。だからお前がどうしたらいいのか、わかんない。本当に、わかんない。わかるわけがない。お前の君を失ったその悲しみを。僕が理解することなんて、できるわけがない。できないんだけど。一つだけ、言っておきたいことがある。それはな。お前が「どうしたらいいのかわからない」って言ってることそのものが。実は、一番、誠実な答えなんじゃないか。ってことだ。君がいなくなった。どうしたらいいかわかんない。その「わかんない」の中で。お前は、もう既に、答えを持ってるんだと思う。その答えが、何かはわかんない。でも、わかんない中で、お前が何をするか。その「何をするか」が。唯一の、お前の答えなんだ。僕には、それ以上のことは、言ってやることができない。ただ、そういうことだ。君がいなくなって、お前がどうしたらいいかわかんないなら。その「わかんない」の中で、お前は生きるしかないんだ。それが、全てなんだ。それが、お前の人生なんだ。それが、君を失った人間が、唯一できる、君への敬礼なんだと思う。
「コロナ禍で電子書籍の漫画を読む習慣が自分に付いたから」という動機は、単なる自己正当化の言い訳に過ぎません。なぜ、その動機付けが読書リストの評価に必須なのか理解に苦しみます。
「ここに書いてないけど楽しんだ漫画も沢山ある筈だけど、一旦置いておく」という断り書きは、リストの網羅性に対する責任放棄です。大量に挙げたところで「もっとある」と言われては、提示された情報の価値が薄れます。
「とりあえず頭に浮かんだタイトルを片っ端から書いてみる」という姿勢は、構成や論理的な並びを放棄した怠惰の表れです。これだけ大量の情報を提示するなら、もう少し読者に対する配慮(整理整頓)があってもよいでしょう。
過剰な情報量による疲労: 70以上のタイトルを羅列した結果、一つ一つのコメントが短く、表面的な感想に終始しています。「面白い」「名作」「熱い」といった形容詞に頼りすぎており、読者に新しい洞察を与えるレベルに達していません。
例:「これも面白い」「面白かった」「めちゃ面白い」など、具体的な深掘りのない感想が多すぎます。
ネタバレ回避の失敗と中途半端な配慮: 導入で「ネタバレ注意」としながらも、多くの作品の感想が「〜編が面白い」というあらすじの列挙や、既に広く知られた事実の繰り返しに留まっています。特に核心に迫るような鋭い考察は見られません。
「全話無料公開してた時読んだ」「サンデーうぇぶりは〜が全話無課金で読める」といった情報は、**日記を読んだ時点では無効になっている可能性が高く、持続的な情報価値がありません。**これは作品の評価ではなく、単なる「当時の自分の行動記録」であり、読者にとってはノイズです。
『キン肉マン』『彼岸島』『タフ』などの「ネタ要素がある面白さ」を共通項とするのは、広く知られたネットスラング的な評価であり、独自の考察とは言えません。
『ボルト』を『ドラゴンボール』や『ジョジョ』の影響と見るのは、画風や台詞回しというよりも、少年漫画の表現の変遷を深く見ていない浅い感想です。
ジャンルの偏りが激しすぎる: バトル、スポーツ、ギャンブルといった「熱血」「劇画」系のジャンルに極端に偏っており、知的探求心や感性の幅が非常に狭いことを露呈しています。日常系、SF(ハードなもの)、純文学系、ミステリー(トリック重視)、本格歴史もの、アート系など、多様なジャンルへの興味が見られません。
「人を選ぶ」作品への過剰な言及: 「人を選ぶ」「クセがある」という言葉を多用していますが、これは逆に自分の好みが極めてニッチであることの告白であり、大衆的な視点や客観的な評価能力に欠けていることを示唆しています。
「一気読み」依存の危険性: 連載中の作品より完結作を好むという姿勢は、新しいトレンドや未知の才能を発掘するアンテナを持っていないことを意味します。電子書籍の「後追い」という受動的な読書に依存しており、能動的な読書家とは言えません。
全体として、この日記は「電子書籍を大量に読んだという事実の自慢」に終始しており、個々の作品に対する深い洞察や、読者に新しい発見を提供する価値に乏しい、情報過多で中身の薄い読書ログであると言わざるを得ません。
以上です。
以下、「なぜ読んでキモく感じるのか」を文章技法・態度・認知スタイルの観点から冷静に分解して説明します。政治的立場とは無関係に、あくまで文章として不快感を生じさせる要因を分析しています。
⸻
文章全体に「お前は分かってない」「俺だけ分かってる」という態度が織り込まれていて、読者が自分を攻撃されているように感じやすい。
例:
• 「知らなかった?」
• 「もう国民の2割とは話通じないよな」
• 「何が聞きたかったのかねえ?」
→ “知識を語っている”というより“マウントをとっている”ように読める。
⸻
一見カジュアルだが、断定+馴れ合いの組み合わせで不気味な上から目線になる。
例:
• 「してないんだなあ」
• 「何も困ってないんだよ」
• 「詰んでないんだなあ」
→ この語尾は“説明”ではなく“人格マウント的煽り”に聞こえやすい。
⸻
自分のペースで相手を引っ張ろうとする文章は、読む側からすると意図的に操作されているような感覚になって不快になる。
例:
• 「本題は〜だ」
• 「という、前フリである」
⸻
しゃべりかけているのに実際は聞く気ゼロというズレが気持ち悪さを生む。
例:
• 「知らなかった?」
• (実際は答えを求めていない)
→ “対話のフレームに見せた独白+煽り”という構造が不快感の根源。
⸻
敵役を作って殴ることで、自分の正しさを演出するタイプの文章。
例:
• 「ニホンサヨク」
• 「こいつらも何も困らない」
→ 雑に攻撃する相手を大量に想定する文章は、読者まで巻き込まれたように感じて不快。
⸻
文章全体が“俺だけが真実を理解している”というトーンで統一されている。
例:
• 「現実が共有できない」
• 「もう、見えてる現実が違うんだよなあ」
→典型的な「啓蒙者ムーブ」になり、ナルシスティックな印象を与える。
⸻
内容そのものより“態度”が前面に出ており、
読者は情報ではなく筆者の妄想的自己像を見せつけられる構図になる。
⸻
✔ 読者を下に置く
✔ 馴れ馴れしいが冷たい口調
✔ 敵を粗くまとめて侮蔑
✔ 「俺だけわかってる」マインド
の組み合わせで、自己陶酔+マウンティング文章になっているためです。
⸻
もし希望があれば
などもできます。
>ひょっとしてもしかすると、心構えの時点で何か間違ってるのか??🤔という疑いが出てる・・・。
悪いけどこの可能性は高いと思う
「清潔と清潔感は違う」という、よく言われることを間違えてるあたりからしてそう
人に限ると、
清潔とは「本人の衛生状態が良いこと」であり
見るからに不潔だと印象が悪くなるので清潔と清潔感とは無関係ではないが、
この場合に「不潔」には衛生状態そのものが悪いだけでなく、不潔そうな内面も確実に含む
というか外面に表れる内面を「清潔感」で推しはかろうとしているのがこの言葉の正体
身だしなみができていない(TPOに合わせた装いでない)、
服装や髪型の流行度合いが許容ラインより大幅に下=他人に興味ない内面を映している、
表情操作や姿勢、体の使い方(背中を丸めて爪を噛みながらひっきりなしに貧乏ゆすりしていたら”清潔感がない”)、
こういうものだ
答えなくていいけど増田は友人は多い方?他人とすぐ打ち解けられる?
そうでないのなら、その辺に「清潔感がないと言われる」の答えがあると思う
「清潔感がない」と言われるやつは基本的に認知がズレてて他人に関心がない
この組み合わせ結果、何か会話してもズレてる印象を与えがち
だから悪い奴ではないかもしれないが、仲良くなれる気がしないと他人に思わせる
コミュニケーション力を磨くべし
そこからが問題で、認知がズレまくってるのと本人の性格次第では
1つのことを理解してもらうのにまずべらぼうな時間がかかる(伝えた通りに受け取らない)、
次にそれを飲み込むのにやたらに時間がかかる(「いやだって違うでしょ?やっぱ清潔感なんか女が男に理不尽に採点してるだけのうんぬんかんぬん」)、
こういうやつをたくさん見てきた
他者視線を把握しづらいから独りよがりなのに本人の中に他者視線が希薄だからその自覚すらまずないんだよね…
あるいは明らか違うだろなこと言う敵の”アドバイス”も鵜呑みにして盲従しちゃうとか
増田はどっちだろうね
面と向かって「清潔感がない」と言われる状態で女性向け雑誌読んでも意味ないかなあ
だってそれ読んでどう会話につなげるつもり?どう「話してる女性の増田への好感度が上がりそう」だと思ってるんだよ?
(ただ読んでみて面白かったなら引き続きどうぞ)
増田の改善策で一番効果的だと思ったのはコミュニケーション術を学ぶだね
あと
これ
それよりも風呂上りに使うデオドラントを効果の高いものに変えるとか、
乾燥肌ならボディローション使って「見た目の清潔感を向上させることを狙う」とか、
顔にオールインワンゲルでいいから塗ってから爪がまだ柔らかいうちに爪やすりでささくれと爪の形整えるとかそっちやるべきでしょ?
変えるのもシャンプーじゃないよね
髪の毛を「今自分ができる範囲で好感度の高いヘアスタイルに変える」んだよ
シャンプーを良いものに変えてもその後剛毛ほったらかしで女性にモテるのは生まれつきさらさらヘアの絶世の美男子だけだから
「清潔感」とは「他人から見た時の印象」だということを思い出してもらいたい
シャンプーは変えてないけどストレートアイロンでおしゃれなふうにクセをつけました、清潔度は上がってないが他人が「見て」わかるだろ?
これが清潔感を変えうる要素(高くなるとは言っていない)
なぜ「高くなるとは限らない」かというと、清潔感とは総合的な印象だからだ
だからもしも服装や言動、体の使い方が「他人の視線なんか考えたことすらありません」な強烈なメッセージを発していたなら
髪の毛だけいじっても大幅得点にはつながらないし、もしも失敗してたらそれで減点すらあり得る
しかし忘れないでいてもらいたい
私服でいる知らん他人を見たとき、パッと見で「普通に見える」「近寄って話しかけてみたい印象がする」のなら、
その人たちは間違いなくかなり若い時分から身だしなみや清潔感というものに努力し続けて見た目を磨き上げているのである
それは美形になるためではない(いやそこも含まれてはいるけど)
他人に「清潔感」を受け取ってもらうための身だしなみにかなりの労力と時間を割いてきている、だから彼らは印象が良いのである
増田のやることは一つだ
簡単に清潔感があると言われないからといって投げ出すなってことだ
たいていの人間は一生やってるんだ
それと筋トレは続けてもいいけど、
それに筋トレって食事から変えてかなきゃならないのでかなりの時間とられるものなんだけど
増田そんなことやってるヒマあるのかな
それに体形の問題じゃないと思うよ
少しやせてるかどうかよりも猫背で巻き肩ってことはない?
人の多い場所歩いてみな
どっかのカフェの窓側の席に陣取ってもいい
そうすると、「不潔なわけじゃないけど清潔感はない」奴が必ずいて、
そういう人は顎を突き出して肩を丸めながら変な歩き方しているのがわかるかもしれない
で、家に帰って素の状態で姿見の前に立ってみろ
家に鏡あるよね?
自分は18で親元離れるときに先輩から「家に(全身が映る)鏡がないのは社会的に〇んでると思え」と言われたんだが
認知がズレまくってる社不は自宅に鏡がない率高いらしいな
誰調べなんだろ
それはともかく鏡の前にいつもの自分で立ってみて、他人の目線で見てみろ
それは無理なんだけど他人になりきってみろ
少し姿勢を変えてみろ
エヴァオタクだけど、見てなかったんだよね、見れなかったというか
内容は知ってたけど
28年ぶり?25年かな
思ったより分かりやすかった
てかシンの方がむずくね?わからせる気無かったよねあれ
ゲンドウが人類補完計画やろうとしたら、綾波がシンジのところ行って「どするー?」って聞いたらシンジも人類補完計画望んで
なんやかんやあってやっぱやーめたってなったってことだよね?
(合ってるかな)
徹頭徹尾、ロボものに見せかけたSFものに見せかけた内面重視の話なんだよねエヴァは、セカイ系そのもの
こういうのが定期的にブームになる
【転載】北九州市の『ムスリム用ハラル給食』に関する市議会質疑は相当面白かった - INVISIBLEDojo. ーQUIET &COLORFUL PLACE-
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/m-dojo.hatenadiary.com/entry/2025/09/22/090812
これのブコメがけっこう酷いのだけれど…
は特に酷い
ハンバーグ好き好き教がなぜ、カウンターになるの分からないが、ハンバーグが子供に人気の食べ物であることを考えると
好きな物だけを食べさせろという一般的にわがままと思える主張と宗教上の配慮を求める主張を同一視しているのだろう
毎日ハンバーグは栄養の偏りという点から却下されるが宗教上の配慮は、そう簡単ではない
宗教上、給食が食べられないとなった場合、給食の目指すところである、子供の健康を害する恐れがあるためである
神主の家系に生まれながら継がなかった身としては、命や健康より大事なものがあるのだろうかと思うが他所の事情は分からないし、そういう人たちもいるのだろう
まあ、わがままだと主張するのは分かるけれど学生団体出てこないかなが酷いのだ
まだ、道理の分からない子供が主張するのは分かるが、成熟したはずの大人が自身の主張を子供に擦り付けようとしている
僕は甲殻類アレルギーがあるが喉がイガイガする、痒くなる程度で重度ではなかった(エキス程度は問題ない)
当時は、アレルギーに対する考え方が今ほど厳しくなかったこともあり、配慮も何もなくヤバそうな物が出た時は、友達に食べて貰っていた(そもそも給食で甲殻類はほとんどでない)
そのような中で、配慮してもらっていたそばアレルギーの子を羨ましく思ったことはある
体に強いコンプレックスがあり、人前で肌を晒さすことに強い抵抗があるから、プールを生理で休める女子を羨ましく思ったこともある
だから、子供があいつだけズルいと思うことはあると思う、でもそれは、道理が分からないからでしょう、過去の自分を正当化するようで恥ずかしいが
なのに道理を分かっているはずの大人が、当てつけを道理の分からない子供にやらせようとするその醜悪さに自覚がないのだろうか
コメントした人も☆を付けた人も少し考えてみた方が良いと思う
第20条
・信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
教育基本法
第15条
第1条
・この法律は、学校給食が児童及び生徒の心身の健全な発達に資するものであり、かつ、児童及び生徒の食に関する正しい理解と適切な判断力を養う上で
重要な役割を果たすものであることにかんがみ、学校給食及び学校給食を活用した食に関する指導の実施に関し必要な事項を定め
もつて学校給食の普及充実及び学校における食育の推進を図ることを目的とする
第10条
・栄養教諭は、児童又は生徒が健全な食生活を自ら営むことができる知識及び態度を養うため、学校給食において摂取する食品と健康の保持増進との関連性についての指導
食に関して特別の配慮を必要とする児童又は生徒に対する個別的な指導その他の学校給食を活用した食に関する実践的な指導を行うものとする
以上の3つがまず、議論の大前提なのだがそれを満たしているブコメが少なく感情的なものが目立つ
代表的なのは「出ていけ」や「イスラムは他に配慮しないだろ」的なものであるがどちらもこの問題には関係ない
日本人がイスラム教国に行って様々な権利の制限を受けても、日本国憲法の及ぶ範囲では、そのようなことは一切関係なく平等である
特定宗教への配慮が宗教的活動に当たるのかという議論はあって当然だが
文部科学省は「外国人児童生徒受入れの手引き」で一定の配慮を求めているのが現状
この問題は、宗教的活動に触れるからと宗教へ一切の配慮を行わなかった結果、特定の宗教が大きな不利益を被る可能性がある場合、どうするかという話だと思う
有名な神戸高専剣道実技拒否事件があるじゃんか、エホバの証人の信者の学生が剣道の実技を拒否していたら、留年、退学になったっていう
学生側が処分の取り消しを求めて裁判を起こしたわけだけど、最終的に原告が勝って、処分は取り消され、復学した訳で
健康や心身の発達に関わる給食の場合も一定の配慮が求められる正当性があるんじゃないかって思う訳よ
もちろん、コスト的に難しいってのはよく分かる、リソースは無限じゃないし、だからこそ、色々方法を探って議論をして何とか道を探っているんじゃないか
それなのに、そういう建設的な議論をすっ飛ばしたブコメが目立っている
弁当を持たせたら良いというのはその通りで実際にそうしている家庭も多くある、で、弁当の時に問題になるのがコピー弁当問題
コピー弁当というのは、アレルギーや宗教の関係で給食を食べられない子に親が学校の献立と全く同じ弁当を持たせるというもの
学校で子供が浮かないようにやいじめられないようにという親心、子供が求めるケースもあれば親の独りよがりなケースもある
コピー弁当でなくても大丈夫という指導があるようだが親として少しでも子のリスクを減らしたい、同じ給食を共有という体験をさせたいのだろう
それなら、子供のために教えをちょっと逸脱してもいいのではと僕は思うけれど当事者はそう簡単にいかないらしい
また、子供たちが宗教への理解がある程度あれば、献立の違う弁当でもいじめられたり、妬まれたりすることは多くないだろうと思う
しかし、子供たちのお手本となるべき大人がカウンターとしてハンバーグ好き好き教を立ち上げて宗教上の理由で毎日ハンバーグを食べさせろみたいな学生団体出てこないかななどといい
キャッキャしているのだ、これで子供が同じ釜の飯を食べない子供を尊重出来るだろうか?
世の中、理念だけでは回らないし、リソースも有限だしでどこかで線を引いてやりくりしていく必要があるが、理念まで忘れてしまってはいかんでしょう
わしは怒らない方のオジ
これ以外のことは全部やっているわ。自分の場合は妄想というよりも推理小説とかに近い。学生の頃からガチ理系だったから、世の中が100%に推論できないことは肌感で理解しているので、その延長上で自分や部下の思い込みを論理的に分析する、確率として推し量る、の繰り返しだよ。
しかもそれを身に着けたのは、小学校にまで遡るよ。家庭環境で、自分の感情を押し殺さないと生きていけない状況だったので、厳しい状況に耐え忍ぶ術として自然に身についた。
今はわりかしまともな会社で管理職をやるのに重宝している。わしは息吸うように自分の感情をコントロールしてるけど、まわりの管理職を見ると、自滅してるパターンがむっちゃ多い。しかもこれって言語化しても実践できない人がむちゃくちゃ多い。感情にまつわる問題は人や組織を簡単に破壊するけど、そうした破壊者につける薬はないんだわ。言っても無駄。
これは、感情のコントロールに苦労している独りよがりな人の陥りがちな間違いだよ。
こんなことをしてる人の多くは自分がコントロールできないものを絶対的なルールとして周りに強制してしまう(人間が小さい)。結果として、皆を不幸にする。仕事なら、既存の枠を超えた幸せやサービスを人に提供できなくなる。
ぶっちゃけ前橋ウィッチーズってつまらなかったよな。その最大の原因は、脚本家の変な癖が強すぎたことに尽きると思う。キャラや舞台設定以前に、話の進め方そのものが独りよがりで、見ていて「またこのパターンか」とうんざりさせられる瞬間が多すぎた。
まず会話。やたら回りくどく、日常会話のテンポをわざと崩しているのが「リアルっぽい」演出のつもりなのかもしれないけど、視聴者からすると単純に冗長でストレスが溜まる。キャラの個性を出したいのか、同じ語尾や言い回しを繰り返させる癖も強すぎて、結果的に誰もが「脚本家に操られている人形」っぽく見えてしまった。
ストーリー展開も癖の塊だ。妙に説明を後回しにして引っ張るくせに、結局たいしたオチにならない。伏線を張ったように見せかけて回収が雑だったり、逆にどうでもいい部分だけをやたら細かく掘り下げたりする。こういうアンバランスさが積み重なって、作品全体がチグハグになってしまった。
さらに悪いのは、「ご当地要素」をねじ込む手法にまで脚本家の癖が出てしまったこと。本来なら自然に地域性を活かすべきところを、唐突に説明セリフで押し込んだり、キャラに無理やり言わせたりするから白々しくなる。せっかくの舞台設定すら「ネタに使われてるだけ」に見えてしまった。
結果的に、キャラも物語も舞台もすべて「脚本家の癖」の犠牲になった。前橋ウィッチーズを見終わったあとに残るのは、作品そのものの余韻ではなく、「あの人の書き癖、やっぱり強すぎて邪魔だったな」という苦い感想だけだ。だからこそ、どんなに題材が魅力的でも、ああいう脚本が続く限り「つまらない」と言われるのは避けられなかったのだと思う。
お前一人が喚いてるだけだよな少なくとも今の状況は
そんな独りよがりじゃ理解のある彼くんも彼女ちゃんも現れんよさすがに
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悪いけど無理やり言い返すために言ってるように見えるね
具体的にどういう立場か言える?
そういいながら消してるのは何で?
俺はお前の文を全部引用して答えてるんだから消しても無駄だと思うけど
論点ズレてる、
どのようにずれてるのか具体的に述べよ
V界隈のもともとの民度とかしらん、
じゃあ俺の言ったとおりじゃん
「相手の状況も理解せずに独りよがりな助言をする頭があんまりよくない奴」がお前
今できることは放置と言っただけだ
放置しても逆上するよ
「反応はランダムです」の体が身を守ってくれるよ
が俺のアドバイス
お前は殆どの文がまともに読めてないよ
俺の文も元増田の文も
断片的な部分に反応して脳を使わないレスをしてるだけで
「相性」というのは確かにあって、おれ自身元カノはそんな感じだったけど、今の妻とは良好。
その上で「うちはこうしてうまくいった」というだけだけど、参考になれば。
とにかくおれがしたいんだから、おれが努力した。相手に変化とか望んでもたぶんうまくいかないと思う。
仕事以外の時間は家族に捧げた。朝の登園、夜帰ったらさくっと自分のご飯食べて、お風呂入れて歯磨きして寝かしつけ。
で、週末は寝かしつけてそのままおれも撃沈してしまったり、なんとか成功しても妻が寝てしまったりするけど、何もかもうまくいった場合、やっと夫婦の時間ができる。
そこでこっちだけヤル気になってもまず無理。一緒にビール飲んで映画とか見る。でマッサージしてあげる。
最初はこのくらいがゴールなんじゃない?マッサージして気持ちよくなってくれたらうれしい!こっちは妻に触れられるだけで満足。
その先に進展した場合もまだ先は長い。おれの場合、妻もそれなりに好意的だったんだけど独りよがりなセックスだったころがあって、やっぱり険悪になったときがあって。
そこで相手のせいにしても意味なくて。なんか解決方法はないかと思って「ポリネシアンセックス」というのを知る(たぶん増田で知ったのかも)
要するにスローセックスで、相手の反応を見ながらくっつくだけ。挿入を目指さない。
なんかどれも普通に言われてそうなことばっかりだな。特に蕎麦とかサプライズとか、叩かれてるイメージしかない。
変なのはプールくらい? 使わなきゃプール持ってる意味がないだろってくらいで。
キャッチボールも子供が透明化されててよくわからないけど、言うタイプの想像はつく。
キャンプも準備段階で言うなら理解できる。登山とかアウトドアによっては珍しくないし、準備の苦労を嫌って他に重点を置きたい人はいるだろうよ。
相手の求めてない物事で自分本位に空回りしてたら「でいいよ」くらい言われるのも当たり前でしょ、というのがこのミラーリングでよくわかる格好になってる。
独りよがりの苦労を労ってもらおうなんて態度が嫌われるのは性別関係ないと思うけどな。
こういうコミュニケーションになる奴と付き合いたくねぇというのには同意するけど、コミュニケーションの問題よりも感性の違いの話になると思う。
別に気を使って言い方変えたとて相手が求めてないのは変わらないんだから、それでもやるべき・やりたいと意思を押し通すか、報われないのでやめるかを選ぶしかない。
「身長172cmでいい」「係長でいい」に至っては、平均を妥協ラインに持ってくる奴が高望みって笑われてることの方が多くないか?
イラつく人が出るのは各々のコンプレックスと関連する蔑視発言の問題だし、「男性がイラつく」「でいい」以上の共通点が何も無い。