
はてなキーワード:狩猟とは
要は、本来は狩猟採集民であるヒトにおいて、オスは己が努力で取ってきた餌をぽんぽん渡すようにできているし、メスは獲得してきた餌を自分の子のためだけに確保するようにできている。
それが満たされないとイラつく。
己の生物の部分をハックするのが良い、とされている。
「食料を夫からの手渡しで受け取る」(振込等よりハック効果が期待できる)
「ケーキを買ってきてもらう」(安くても可、要は感情的に好きな食べ物)
「セックスする」(子を育成してるモードにて傾向が強くなり、繁殖時は違うため)
などだ。
家事折版系は実はあまり効果的ではない。本来は家の祖母の役割のため。
脳内で「手伝ってもらっているということは私は夫ちゃんから愛を受け取っている~」と変換手続きを絶えず行う必要があろう。
だいぶ生物的な話。狩猟に行くときに、狩猟にガチろうとする性質の一端。
その旦那は、ガチる先が金銭的報酬の発生する仕事ではないが、中身は同じ。
邪魔すると不機嫌になりろくなことにならない。合理的じゃないからこそ。
そういうガチり要素を持たなくなったヒトのオスは、休日で寝転び主婦に邪見にされるジジイのようになり、お前も魅力を感じなくなるだろう。
オスじゃなくなるということなので。
まあ、いっしょにどうぶつの森をしたい、共に時間を過ごしたいというお前の欲求も、
つまりお互い様ってことだが。
まず社会とは本来自分でやらなければならない事をそれぞれが実施して回るものである。
めっっっっちゃ簡略化して説明するけど治安維持、食糧生産(狩猟、農耕、畜産)、住居維持、インフラ維持(上下水道)みたいなね
これを社会としてそれぞれが実施し価値との交換としてお金を使うのが経済なんだよ
その上でクリエイターってこれの何処にも属さないってわかるよね?
クリエイターってただ単に社会の相互によって生まれた余力に乗っかってるだけにすぎないって自覚しような
社会を維持するために勤め人として働いてる人間はその時点で社会の歯車たり得て何者なのかであって
社会の余力の上で生活出来ているに過ぎないクリエイター(笑)が何者でもないだけだ
君らは社会の歯車にも慣れず中途半端な創作をして万能感を得てお前は何者にも慣れなかったのだ!って煽ってくるなよ
それはお前にとっての悪口でしかなくお前が何者にも慣れないだけだ
他人の仕事へのリスペクトがない時点でお前らこそただただ単に色塗りが出来るだけのないものでもない存在だぞ
生物学的ハードウェアから始めましょう。女性は、社会的排除が生存に多大なコストをもたらす環境で進化しました。妊娠中は狩りはできません。授乳中は抵抗できません。生き残るためには、部族からの承認、つまり保護、食料の分配、一時的な脆弱性への寛容が必要でした。何百万年もの間、このような状況が続き、社会的拒絶を深刻な脅威とみなすハードウェアが生まれました。男性は異なるプレッシャーに直面していました。何日も行方不明になる狩猟隊、探検、戦闘。あなたは我慢しなければなりませんでした。
一時的な排除を精神的に崩壊することなく乗り越えられた男性には、より多くの選択肢があった。より多くのリスクを負い、より自立し、より困難な状況から抜け出す能力があった。(男性の地位は依然として生殖において非常に重要であり、地位の低い男性は困難を強いられた。しかし、男性は妊娠中や授乳中の女性よりも困難な方法で、一時的な排除から立ち直ることができた。
これは性格研究にも現れています。デイヴィッド・シュミットによる55の文化を対象とした研究では、どの文化においても同様のパターンが見られました。女性は平均して協調性が高く、神経症傾向(社会的拒絶の兆候を含む否定的な刺激への感受性)も高いのです。男性は平均して、意見の相違や社会的対立に対する寛容性が高いのです。これらの差は大きくありませんが、研究対象となったすべての文化において一貫しています。
https://x.com/IterIntellectus/article/2012220254504530043/media/2012211298830868480
Startwith the biologicalhardware.
Women evolved in environments where social exclusion carried enormous survival costs.You can't hunt pregnant.You can'tfight nursing. Survival required the tribe's acceptance: their protection, theirfood sharing, their tolerance ofyour temporaryvulnerability. Millions of years of this andyougethardware that treats social rejectionas serious threat.
Men faced different pressures. Hunting parties gone fordays. Exploration. Combat.You had to toleratebeingalone, disliked, outside thegroup for extended periods.
Menwho could handle temporary exclusion withoutfalling apart hadmore options.More risk-taking,more independence,more ability to leave bad situations.
(Male statusstill mattered enormously for reproduction,low-status men hadit rough. But men could recover from temporary exclusion in ways that were harder for pregnant or nursing women.)
This shows up in personality research.David Schmitt's work across 55 culturesfound the same pattern everywhere: women average higher agreeableness, higher neuroticism (sensitivity tonegative stimuli, including social rejection cues). Men average higher tolerance for disagreement and socialconflict. The differences aren'thuge but they're consistent across every culture studied.
人間が食うのに手頃な大きさの虫が絶滅しなかったのは、人間が虫に対してそれほど食欲がそそられなかったからだ、って理由がひとつ。
手間隙かけて虫を集めるくらいなら、もっと他の動物や魚とかを狩猟するほうがより多く食べることが出来たからだ。
この仮説を考え進めていくと、虫にとっては、
人間から忌避される存在になることは非常に重要な生存戦略だということだ。
ゴキブリなんて非常に身近なところにいるわけで、あれがもしも人間の食を誘うものだったら、
「油でカラッと揚げたら美味しそう」とかゴキブリが思われる存在だったらとっくの昔に絶滅していただろうことは想像に難くない。
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
有性生殖の壮大な歴史を概観する、いわゆるビッグヒストリーもの。
ぱっと見ではちょっと下世話なタイトル。しかし、20億年というバカでかい数字も含まれているとおり、読み始めるとビッグバンの話から始まって、地球が天体レベルで迎えてきた過去の大絶滅のイベントが進化に与えた影響について紹介するなど、大変にスケールが大きい&しっかり科学的な本。
作中では、まず物質から命が生まれ、単細胞から多細胞になり、性別を持ち…という流れが、生物史のイチから描かれる。やがて、多細胞生物は進化とともに性的役割分担を生じ、その中の一種であるホモサピエンスは狩猟採集から農耕に移行する中で複雑な社会を形成するようになり、階層が生まれ、新しい社会で性別は役割や職業だけでなく差別とも切り離せなくなり、そして現代では? というところまで総観される。
後半の主役はどうしても人類になるけど、一方で、人間とて有性生物の一種に過ぎず、我々の社会も「生物がつくりうる群れのパターンの一つ」でしかない、という視点が体感できるのが、この本の良さ。いわゆる文系でも読める。そこそこ厚めの科学系ノンフィクションがいける人はぜひ。ちなみにオチの一文がシャレている。
まったく余談だけど、本作は集英社刊行。この手のジャンルは早川や河出、みすずあたりが強いイメージがあるので意外だった。
俺は小さめの青虫なら手で触れるぐらい虫が好きで、知識もそれなりにあるつもりだけど、それでもどのページを開いても「ほお~」と嘆息してしまうぐらい情報が豊か。この本も、地球というのが生命の壮大な実験場で、長い歴史の中で膨大な選別と滅亡を繰り返している世界であり、いま生きているやつはみんな、構造の複雑さや大きさに関係なく、各自の戦略でもって何かしらの頂点、キングであることがわかる一冊。
見入ってしまう理由はもう一つあって、写真が本当に美しい。昆虫嫌いはどのページを開いても卒倒すると思うけど、うっかり手にとって目覚めてほしい気持ちもある…。
イスラエルのIT企業が制作・販売し、やがて各国要人のスマートフォンに忍び込むことになったスパイウェアをめぐるノンフィクション(←重要)。
作品としていくつかの側面があり、「テクノロジーの悪用を追求する社会派ノンフィクション」「追うものと追われるものの駆け引きを描いたサスペンス」「一つの大きなプロジェクトを、組織横断で運営する困難を描いた仕事もの」として読める。
俺は、どんな技術でも基本的にそれ自体には善い悪いはないと思っている。実際、優秀な若者だったイスラエルの起業家たちがペガサスを立ち上げたエピソードは、そこだけ読めば、ほかのビッグテックの成功譚の導入と変わらない。
ただ、巨大な力の行使を自主的に規制せず、金を払えるところならどこでも売る、という条件だけで市場に開放すれば、やがて歯止めが利かなくなる…というか、大きなクライアントから契約を得ること以外の指標がはじめから存在しないため、ブレーキのかかりようがなく、最後はろくなことにならない、ということがよくわかる。
いわゆるマルチバースについて、いくつかの可能性を科学的に整理した本。
俺のような文系にはややハードだったが、逆に言えば、宇宙物理学(ビッグバンとか、観測できる宇宙の果て)や量子力学について、ぼんやりとでもイメージができれば、なんとなく理解しつつ読める。
この本、何が素晴らしいかというと、一般的にひとくくりにされがちなマルチバースという概念について、いくつか種類があるということを整理してくれるところ。
俺は宇宙物理とか量子力学の本をたまに読み、その中でいわゆる多世界解釈についても目にするので、「いろいろと読んだけど、こんな本が意外とマジでなかったな~」と感動している。
例えば、ある宇宙における一つの文明から物理的に到達しうる距離の限界を仮定して、その範囲を超えたところに別の文明や星が存在するなら、それはある意味でマルチバース。もちろん、まったく別の宇宙が別次元に複数存在してもマルチバース。
一方、超ミクロにも視点を移して、量子のゆらぎが世界の一つの可能性に収束するのではなく、複数の世界に分岐していくのだ、と主張するなら、それもマルチバース。
要するに、「マルチバース」という言葉の意味自体がマルチなのだが、そのことをかみ砕いてくれる本というのが実は貴重。これ系好きな人はおすすめ。次の本を読む上での下地にもなるかも。
アテンションエコノミーによって駆動している現代のデジタルプラットフォーム・SNSとの付き合い方について、作者が専門家と交わした議論をまとめた対談集。
アテンションエコノミーとは、ざっくり言って、ユーザーの注意関心を定量化し、それを指標としてコンテンツや運営方針を決めていくスタンスのこと。これを重視しすぎるあまり、商環境におけるモラルが二の次になってしまう、という問題がとっかかりなのだが、本作のすごさは、そこから人間の認知構造まで踏み込み、「そもそも、人が自由に自立して何かを消費するとは?」まで進むラディカルさにある。
例えば、人間の認知というのは迅速にorゆっくり判断する、という二つの軸を持ち、同時に、無意識にor意識して評価する、という二つの層を持っている、という点が説明される。そして、アテンションエコノミーというのは「迅速&無意識」の部分を攻撃しているため、やっかいであるとされる。
攻撃と表現したとおり、本作においてアテンションエコノミーとは、(全面的に悪とは言えないまでも)人類最高峰の知能を持つ人たちが、一秒でも長く少しでも多い反応をユーザーから引き起こすために仕掛けてくるハッキング行為でもある、というスタンスをとっている。
ここでジレンマ、というタイトルにつながってくる。俺たちが社会全体でアテンションエコノミーとの付き合い方を学ぶとしたら、有効な方法の一つは、教育を通じて学習することである。ただ、学んで育つとは、基本的に人間の本来の強さ・賢さを信じ、それを伸ばそうとするものであるため、「俺達は根本的に抗いようのない領域を抱えており、そこをハッキングされるとひとたまりもない」という弱さの認識とは食い合わせがあまりよくなく、手段の確立に苦労している(書いていて思ったが、性教育や薬物の危険さを学ぶことの難しさも同じかもしれない)。
今後、どうしたらいいかは探っていくしかないよね、という感じだが、一つ面白かったのは、デジタル技術は基本的に、自主的な決定と自己責任を重んじる、いわゆるリバタリアン的な価値観によって推進されることが多いが、その行く末が「ユーザーにそもそも判断させる余地を与えない無意識下の攻撃」に成り下がってるのでは? という指摘は、皮肉でかなり響いた。
ジレンマをもう一つ。利益面で言えば、プラットフォーマーにとっては無思考に時間とお金を費やしてくれるユーザーが一番ありがたいわけだが、消費者もそこまでお人よしではない。「全然自由度が低いっていうか、なんかナメられてね?」と思うこともある。
そこで、「じゃあ自分好みにいろいろ選べるように協力しましょう」という良心的な運営もあるだろうが、「ユーザーが自分で自由に選べた、という感覚さえ演出できれば、実態は別でもかまわない」という方向に進んでしまう運営も現れうる。いまやテックジャイアントの在り方とは、消費者の自主性を尊重している姿勢を見せつつ、いかに自分たちの利益に誘導できるか、その妥協点の模索に陥っているのでは(そもそもの理念はそんなじゃなかったはずなのに…)という見方も紹介されており、面白かった。
本年ベスト級。下で紹介している『アルツハイマー病の一族』がなければ1位だった。
九州の農協に勤めていたあるエース営業マンの不審死を追ったドキュメンタリー。
一人の優秀なサラリーマンが、組織内にも地域にも一つの「帝国」を築き、邪魔者は排除し、しかし、最後は(おそらく)破滅した様が描かれる。
大げさな言い方をすれば、社会における悪とは何かを考えさせられる作品。主犯とされる男が周囲の人に行ったことや、横領行為は悪いに決まっている。しかし、こんなやつは罰さなくては(もう本人は亡くなっているが)、という義憤がときどき迷子になってしまうのは、「本当に彼だけが悪いのか?」、そして「そもそも、この社会はこうした『悪』を罰せられる構造になっているのか?」と思ってしまうから。
読み進めると、彼が所属していた組織もお金の流れもあまりにいい加減で、根本的に腐敗しており、システムの中心としてそれを差配していた彼の周囲に群がっていた同僚や市民も、何か妙なことが起きていることを薄々察知しながら甘い汁を吸い続けていたことがわかる。
つまりこれは、悪事と責任が彼以外にも分散しているということなのだけど、もう一つ思うのは、そもそも社会というのが、本質的に悪の所在をあいまいにし、「悪」でさえなくす、ロンダリングする仕組みなのではないか? ということである。
どういうことかというと、物事や手続というのは本来は筋道や道理があり、それらにのっとらないといけないはずなのだが、これを四角四面に処理しようとしても遠回りになるだけで何の意味もないことが往々にしてあり、そして、よく言えばそれを円滑化する、悪く言えば本筋をねじ曲げることのできる人物がどこにでもいるもので、結果としてその人のおかげで、(あくまで、そのコミュニティの中では)物事がうまくいく、ということがよくある。
肥大化&形骸化したナンセンスな仕組みなら見直せばいいのだが、組織にそんな向上心もリソースもなく、それでも体裁を取り繕わないといけないとき、それを(自分の利益とブレンドしつつ)調整する役目を負う者が求められ、必然的に出現するとしたら、その誰かを悪と断じることの意味はなんなんだろう? と思ってしまうのである。
もちろん、シンプルに悪事は悪事であるという答えはぼやかせない。
盗んだり誤魔化したり、他者をいじめたら悪いに決まっている。当然のことだ。ただ、システムを悪用して悪事の限りを尽くすやつと、有能ゆえに組織の悪徳を背負わされて破滅するやつが、同じ人物ということもあり得るよな、とは思う。
19世紀のコンゴを舞台に、西洋文明による資源と労働力の搾取を描いたジョゼフ・コンラッドの小説。1902年刊行。
ホラー作家である平山夢明の短編『すまじき熱帯』がまず面白かったのがあり、その元ネタがたぶん、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』であって、その原作が『闇の奥』…という紆余曲折あって手に取った。
例えば気まぐれに古典を読むと「名作ってやっぱすげえ」と思うことが多く、実はこれは意外ではなくていまの俺たちの価値観や言葉の下地になっているものである以上、それなりに当たり前のことなのだが、はじめて読んだ『闇の奥』も例に漏れず強烈だった。
基本的にこの作品は、西洋によるアフリカの搾取、強制された苦役と恥辱の物語として読まれている。有名なセリフである「地獄だ!地獄だ!(the horror!)」も、まずこの視点から解釈するべきで、それは先進国に必須の認識だと思う。ちなみに、 セリフを発したのは現地で開発を差配していて発狂してしまったクルツという西洋人。
一方で、個人的な印象としては、クルツにある種の英雄性を感じてしまったのだった。
暗黒大陸とも形容される当時のアフリカの奥地に、「文明の担い手」として一人で立ち向かった人間。「闇」と「文明」が接する最前線で彼が発した「地獄だ!」といううわ言は、その言葉自体が、未知の世界から切り出されて西洋側に持ち込まれた(負の)成果物であると思う。『対馬の海に沈む』でも思ったが、俺は腐敗した組織の一員である誰かが役目に邁進し、自身の欲望と背負った責務の中で破滅するナルシシズムが好きなんだろう。
もちろん、コンゴの側から見れば、勝手にやってきた侵略者の一人が勝手におかしくなって破滅しただけであり、そこにヒロイズムを感じるのは先進国の大変な欺瞞だと思う。加害と被害の歴史は前提として理解しないといけないし、意見を発するうえでバランスは気にかける必要があるのだが、↑のような感想を抱いてしまった。
余談だけど、今年刊行された本に『ブラッド・コバルト』というすさまじいノンフィクションがあり、同じコンゴが今度はハイテク機器に使用されるレアメタルの産出国として、ふたたび西洋社会による深刻な搾取を被っている様子が描かれている。
医師として病院に勤務する主人公。ある日、救急で運び込まれてきた心肺停止状態の患者は彼とうり二つの顔をしていて…という導入から始まるミステリー。
2025年はミステリーやホラーを中心に15冊ぐらい小説を読んだんだけど、その中でもぶっちぎりで面白かった。
※ 以下、少しネタバレ。注意
今作の優れたところは、冒頭の謎をオチまで温存することなく、あくまで読者を引き付けるためのフックとして割り切ったところだと思う。
導入部分の真相については、正直「科学的にあり得るならこうだろうな」という域を出ない。それを冷静に見越したうえで、いわばロケット(作品)を高く飛ばすための燃料として中盤で切り離し、さらに高い地点への加速と突破は他の要素や伏線回収で狙う、という戦略だと感じた。別作品の批判になるが、同じようなネタを武器として最終盤まで引っ張ってしまったミステリーも同じ年にあり、個人的には格が違った印象がある。
ベタな表現になるが、後半もどんでん返しが続き、飽きさせない。逆に言えば、スキャンダラスな波乱の展開をいくつ詰め込めるかを始点に逆算してつくられた感じはある。これを品がないと思う人もいるかもしれないが、こだわりがない人は面白く読めると思う。
後半に続く。
先月、父が65才で逝去した、ガンだとか大病でなく、急性の心臓が止まったことによる突然死だった。
俺にとっては自慢の父だった。家族仲は良く、父は、元警察官で退官後、民間で働き、ちょっとしたIT企業の役員まで勤めていた経験があった、
柔道が得意で、狩猟や射撃競技に熱中し、パソコンやIT技術が得意で、珍しい趣味でもあったのか学校の授業参観やクラスメイトからも「お前の父ちゃんすげー!」と一目置かれる程で、俺にとっては本当に優しくて頼もしい、「理想のカッコいい大人」そのものだった。
前置きはそれまでにしておいて、父の「世間に隠し続けた本当の顔」を書き出したいと思う。
父は、俺が生まれる前から国際勝共連合に籍をおき、所謂そこの「非公然部門」にずっと属していた、それが父の本当の顔だった。
勝共連合と統一教会は、IRAとシン・フェイン党の様に表と裏の顔が違うだけの同じ組織だという。
勝共連合の非公然部門については、それこそ古くは赤報隊事件の頃だとか、最近でも有田氏が記事を出したりしているので、簡単な概要にとどめておきたいと思う。
1970年頃くらいに元自衛官や警察官の統一教会所属の人たちが、「有事が起これば自衛隊の後方で警備や非対称戦争を行うゲリラ軍としての秘密軍」として、自然発生的に成立したものらしい(諸説あるが、父や後述する「父の友達のおじさんたち」から俺が聞いた設立経緯はそうだという)
1970年代頭くらいの頃は青思会(※青年思想研究会という今はなくなった右翼団体)と並んで韓国へ渡航して軍事訓練だとかをやっていたというが、結局それも1~2回くらいで終わってしまったらしい。理由はわからない。
合法的に持てる銃器といえば、猟銃…つまり散弾銃で、これらを合法的に許可を取って所持して、近場のクレー場などで射撃サークルの体で、同じく非公然部門に属する人たちと定期的に「射撃訓練」を行っていた。(俺が見て、父がいた場所では統一教会所有の射撃場や鉄砲店でなく、普通の鉄砲店や公共の射撃場を利用していた、各地によってばらつきはあるらしい。東京周辺の話である。)
当時小学生の子供だった俺もよく父に連れられて「秘密軍」の練習場へいって、そこで「友達のおじさん達」に可愛がられたことをよく覚えている。当時は合法的にもてたクロスボウ(バーネット・コマンドという黒い奴)を撃たせてもらったりしていた。俺が10歳の頃なので、その時は1995年の話だった。
統一教会といえば山上事件などを見ればわかる様に、酷い搾取で有名であるが、父の非公然部門はそういうものは免除されていた。母は統一教会信者だったが、ノルマやそういったものが同じく免除されていた。つまり、俺の家の暮らし向きは非常に良かった。
「おじさんたち」もみんな元警察官や元自衛官の人たちばかりだった、そういう人たちしかスカウトされないという。中には、1980年代にアフガニスタンでソ連軍と戦っただとか、ミャンマー民族紛争帰り(当時は優勢だったカレン民族解放軍に参加していた)といった人たちもいた、本当なのか、今となっては本当にそうだったのかはわからない。
公平にいって、みんなネットで愛国を叫ぶ大半の連中と違い、右翼テロリストとは思えない位優しくて、学や社会的地位もあり、いい人たちだった。
本物のテロリスト組織なんてところにいる人たちは、みんなそうなのかもしれない。本物の地下にいた人間ほど、表では慎み深い。
正直言って、ここまでなら図書館を巡ったり古雑誌の記事を探せばわかる部分かもしれない。だから俺は、実際の所、父やあの人たちは何を思ってテロリストとして生活してたのかを書きたい。それが秘密を持ったまま人生を終えた父の、本当の供養になると思うからだ。
世間やネットでは、例の事件以降統一教会の秘密組織といえば、いつでもテロやクーデターを起こし警察と銃撃戦が出来そうな程の凶悪無比な重武装部隊という様な神話が膨れ上がっている。だが、俺が見てきた「父がいた秘密軍」はそうでなかった。実際、他のすべての非公然部門もそうだったと思う。
俺が父に連れられて「秘密軍」をつぶさに見て回れたのは5歳(1990年)から22歳(2007年)の17年間だった。そのころには、訓練といっても本当にただのクレー射撃サークル以上のことはしていなかった。みんな普通に働くことで忙しかったのだ。
父やおじさんたちの話を聞けば、80年代の若い頃はそうでなかったらしい。アメリカはミッチェル・ウェーベルの主催するコブレイ・スクール、フランク・キャンパーの主催するマーク・スクール、STスクールといった傭兵学校に学んできたり、ジェフ・クーパーのガンサイトアカデミーでアメリカから最新の射撃技術を学んで持ち帰ったりしていたこともあったようだ。中には海外の反共勢力にいってちょっと戦って戻ってきた人も前述のとおりいた、その傭兵学校のコネ経由だったらしい。
公平に言って、1991年くらいまでは相当レベルが高い技能を保持していたんじゃないかと思う。
「野外訓練(戦闘訓練)」は、1970年代に何回か行っただけで、俺が見た時にはとっくに行われなくなっていた。単純な話で、散弾銃を猟区に持ち出せるのはたったの冬の間の三か月、それ以外であっても大規模に野戦だの市街戦だのを訓練できる場所や施設を用意するのに苦労したからだ。
あとは、統一教会(勝共連合)の意向もある。ハッキリ言って、91年当時、とっくに父のいた非公然部門は時代遅れになっていた。猟銃だとかは自弁持ち出しだから費用が掛からないので、殆どお飾りの物と化していた。それが、実態だった。
ただ、「活動記録」は報告しないといけなかったらしく。実際は休日、みんなで集まってクレー射撃で何ゲームか和気あいあいとしながら行った後、昼飯を食べて雑談をし、夕方になればちょっとした酒席で飲み会。
そんな当たり前の「牧歌的なおじさん達のサークル活動」が、活動記録では悪の左翼や共産主義、中国やロシアといった「サタン」と戦うための戦闘能力を涵養する激しい訓練を行った。そう仰々しく書かれて、のぞき見した当時笑ってしまったことをよく覚えている。
父も、おじさんたちも、もう本気で戦う気もなければ、反共だとか、秘密戦だとか、非対称戦争だとか、ましてや日本を支配するだとかは考えてもいなかったように思う。ただみんな、若い頃に与えられた「役割」を、人生の居場所としてそこに留まっていただけなのだろう。
父も、おじさんたちも、楽しく幸せそうだったが、同時にどこか寂しそうだった。「自分たちの時代が終わった」ことを、どこかで理解していたからだろう。
それでいいのだろう、と俺は思う。俺は父がゴルゴ13の様なことをすることが想像できなかった。ましてや世間でよく見る右翼や愛国者と自認する連中の様なヤカラですらなかった。
どう考えても、人を害するより人の中で生き、人のために真面目に働くべき人だった。
それでもおじさんたちや父が働いていた職種を選んだ理由は、「何かこの勝共連合の秘密軍に役に立つ技能を得よう」というもので選んだものだったらしい。父はIT系だった、おじさん達も大半は産業(鉱業だとか化学薬品だとか金融や不動産)といったなんらかの経営者だった。大学に入り直していた人たちもいた。
余談だが、IRAのテロリストたちも、こんな風にして大学の講義に入り込んで工学や理系分野で役に立つ技術を「産業スパイ活動」していたらしい。海外で戦ったことがあるというおじさんが、色々と教えてくれたことを覚えている。
結局、この統一教会の「反共秘密軍」と俺との関係は、大学を卒業するまで17年間続いた。
世間では、1996年くらいまでは続いていたと記事やニュースで出ているが、俺が見てきた父のいた場所は「長続き」していたのか、みんなが高齢でどんどん活動に参加できなくなっていく2014年までは続いていた、と聞く。多分、統一教会の「秘密軍」の最後は父のいたところだったんじゃないかと根拠はないが思っている。
俺の父は、勝共連合の秘密軍に属する警察でさえ実態がつかめず恐れるテロリストだった。
…ただテロリストである父も、友達のおじさんたちも、ただの一度も「サタンの日本人」に向けて銃を撃ち、「サタン国家」に挑戦することなく、人や社会を害することもなく、ましてや警察に一度もお世話になることもなく、「サタン警察」を憎むこともなく、
優しい普通の人や父として、秘密というには余りに凶悪な響きに対して、
牧歌的でずっと続くぬるま湯の様な、退屈で、楽しくて、優しくて、愛おしいこの素晴らしい「サタン国家の世界」でその生涯を終えていった。
俺は、それでいいのだと思う。
この話を信じるか、AIだというか、ネットで気を吐いている統一教会信者の人たちがどう判断するかは、読み手にゆだねたいと思う。
まして話としてマズいから運営削除になるのかはわからない。ただ、俺は6歳の頃に任命された「勝共連合秘密軍、特別隊員」として、最後の「活動報告」を、統一教会や勝共連合ではなく、世間に報告したいと思う。
亡き父と父の友人たちを偲んで。
今俺たちが目の当たりにしてるのは、メール、Google検索、スマホの普及とは次元が違う人類史上の大革命だよな
狩猟採集による食料確保の限界を突破して人口爆発を起こし副産物として階級社会を産んだ。
情報の記録・複製・共有コストをほぼゼロにして世界を狭くしたが考える主体は最後まで人間のままだった。
人類史上初めて「考えること」を人間以外に任せられるようになったという点でIT革命をはるかに凌ぎ、農業革命や産業革命と並ぶ大転換点になる。
AI以前の時代では漫画やSFでも描かれなかった発明がこれから噴き出してくる。
この命題は一見、居酒屋の冗談のように聞こえるかもしれません。一般的に文明の利器として挙げられるのは、火、車輪、あるいは文字でしょう。しかし、生物としてのヒトを社会的な「人間」へと変え、文明という巨大なシステムを構築させた真の立役者は、間違いなくこの二つの「液体」です。
なぜ、ただの煮汁と発酵飲料がそれほど重大な役割を果たしたのか。その歴史的かつ科学的な真実を紐解いていきましょう。
人類史における最大の革命の一つは、土器の発明によって「煮る」ことが可能になった瞬間です。それ以前、直火で焼くことしか知らなかった人類にとって、スープの誕生は生存戦略を根底から覆す出来事でした。
生の食材や、単に焼いただけの肉や硬い根菜を消化するには、莫大なエネルギーが必要です。他の霊長類は、起きている時間の多くを「咀嚼」と「消化」に費やしています。しかし、食材を水と共に長時間煮込むスープは、言わば**「外部の胃袋」の役割を果たしました。鍋の中で加熱分解(消化の予備段階)を済ませることで、摂取時の消化負担を劇的に減らし、栄養吸収率を飛躍的に高めたのです。 この余剰エネルギーはどこへ行ったのか? それが「脳」**です。スープのおかげで、人類は消化器官を縮小させ、その分のエネルギーを脳の巨大化へと回すことができました。
スープがもたらしたもう一つの奇跡は、「歯のない者」の生存を可能にしたことです。狩猟採集社会において、歯を失うことは死を意味しました。硬い肉を噛めなければ餓死するからです。しかし、スープは違います。咀嚼が不要な流動食は、歯を失った高齢者を生きながらえさせました。これは人類にとって決定的な意味を持ちます。なぜなら、長老たちは「過去の経験」「狩りの知識」「物語」「薬草の知識」という文化のデータベースそのものだからです。スープによって高齢者が生き残ることで、知識が次世代へ口伝され、人類の知恵は蓄積を開始しました。スープは「福祉」の始まりであり、文化継承のインフラだったのです。
スープが「個体」を生かしたなら、酒は「集団」を結びつけました。 近年、考古学の世界では**「パンよりも先に、ビールを作るために人類は定住した」**という説(宴会説)が有力視されています。
初期の人類にとって、家族以外の他者は「敵」であり、常に警戒すべき対象でした。しかし、集団規模が大きくなるにつれて、見知らぬ他人とも協力し合う必要があります。 ここで機能したのがアルコールです。酒は前頭葉の抑制機能を麻痺させ、不安や警戒心を解きほぐします。焚き火を囲み、同じ甕(かめ)から酒を酌み交わすことで、他者への警戒心は「仲間意識」へと書き換えられました。人類が数百人、数千人の都市を築くためには、シラフの緊張感だけでは不可能でした。酒という化学的な潤滑油が、「他人を信じる」という社会契約を成立させたのです。
古代において、生水は死のリスクを伴う危険なものでした。病原菌が潜んでいるからです。しかし、発酵プロセスを経た酒(ワインやビール)は、アルコールと酸によって殺菌された**「安全な水分」**でした。中世ヨーロッパに至るまで、酒は嗜好品である以前に、生存に不可欠なライフラインでした。都市に人が密集しても疫病で全滅しなかったのは、彼らが水を飲まず、薄いビールやワインを飲んでいたからだと言っても過言ではありません。
酩酊状態は、古代人にとって神や精霊と交信するシャーマニズム的な体験でした。この「理性のタガが外れる」瞬間は、芸術や宗教儀式を生み出し、論理だけでは到達できない創造性の源泉となりました。現実は過酷ですが、酒による変性意識は、人々に希望や物語を見る力を与えたのです。
スープと酒。この二つに共通するのは、**「自然界にあるものを、化学変化(加熱・発酵)させて、人間にとって有益な形に変える」**というプロセスです。
さらに重要なのは、これらが**「待つ」ことを人間に教えた点です。スープを作るには、材料を煮込む長い時間が必要です。酒を作るには、穀物や果実が発酵し熟成するまでの、さらに長い月日が必要です。 この「待機時間」は、人類に「計画性」と「忍耐」**をもたらしました。明日のスープのために今日薪を集める。来年の酒のために今年種を蒔く。この未来への投資こそが、文明の基礎です。
現代の私たちもまた、スープと酒に支えられています。風邪を引けば温かいスープで身体を癒やし、祝いの席や悲しみの席では酒を酌み交わして心を共有します。
人類を進歩させたのは、鋭利な槍でも堅牢な城壁でもありませんでした。 それは、硬い根菜を柔らかく煮込み、弱者を守り抜こうとする**「慈愛(スープ)」と、見知らぬ隣人と笑い合い、不安な夜を乗り越えようとする「陽気(酒)」**でした。
この二つの液体があったからこそ、私たちはただ生き延びるだけでなく、人生を「味わう」ことができるようになったのです。 今夜、あなたの前にあるスープとグラスの中には、数万年の人類の叡智と歴史が、静かに波打っています。
いかがでしょうか。 「スープは身体の安全を、酒は社会の結合を担った」という視点で構成しました。
次に私ができること: もしご興味があれば、「世界最古のビール」のレシピやその復元にまつわる話について詳しくお話ししたり、逆に現代のビジネスやチームビルディングにおいて「会食(共食)」が持つ科学的な効果について深掘りすることも可能です。いかがなさいますか?
○タイトル回収
Youtube上でYoutube自身が流しているフェイクニュースに注意というYoutuberを使った啓蒙CMに、杏も出演している
AI有名人の偽投資広告とか、有名人が番組内での発言で逮捕(当然嘘)のクリックベイト広告とか
その直後批判殺到(中華フォント)という外国製の再生数稼ぎの濫造読み上げ動画とか
俺への評価か、俺が視聴しているコンテンツの程度が低いせいで流れてきているのかなと甘んじてスキップ押してたけれども
我慢ならなくなって片っ端から非表示・違反報告しまくって、記述欄には広告ビジネスで成立しているYoutubeが
信用性を無くすような広告を流し続けるのはどうなんだと文句つけたらそれ以降は
新作映画とか、新作ゲームとか、PCスマホメーカーとか、食品・自動車とか、TVCMレベルのまっとうな動画広告ばかりになった
Youtube的だなと思う広告は、Vtuberのセルフ広告とか歌い手のオリ曲宣伝くらいかな
これが本当に違反報告の結果によるものなのかはわからないけれども
グーグルは広告の信用性をランク付けしている、または文句言ううるさ型には日本国内発の動画を流すようにしているのかも
違反報告する時に出稿元を確認してたけれども偽広告のほとんどがインドとか香港とか外国からだった
Metaは悪質広告をわかって流していてevil、みたいなニュースがあったけど、Alphabetも同じ穴のムジナ
フェイクニュースに注意なんてマッチポンプ動画を恥ずかしげもなく出せるようじゃないとITガリバーにはなれない
昨年までのクマ被害統計を持ち出して怖くはないと言われても、今年は過去最悪のクマ被害状況だから怖いとしか言えない
森や山という生息域に入ってクマと遭遇するのではなく、玄関開けたらクマとかショッピングセンターにクマとか今年は異質だ
東出トリビア
https://x.com/kurodoraneko15/status/1828646516224876809
東出昌大さんと結婚した松本花林さんのお母様は「水は答えを知っている」(江本勝)と専属契約して高額ジュエリーを売っていますね。水にありがとうや音楽を聴かせたら結晶が綺麗になるとするトンデモ話です。スピった非科学的な言説が広まり、今でも信じる人がいて教育現場にも悪影響を及ぼしています
https://x.com/news_postseven/status/1851162721502605789
松本花林2カ月半ぶり更新のSNSに異変、“社長義母”と“セミナー義父”の「ビジネスリンク」が示す共通の家族観
https://news-postseven.com/archives/20241029_2001577.html?DETAIL
「ジュエリー」「mixs.呼吸と細胞活性 松本孝一』は、両親が展開しているビジネスのページだ。
クマ関連の調べ事
長野でハーフライフルを使った犯人によって警官2名が殉職、ほか住民2名死亡の事件を受けて、銃刀法改正の法案が提案されたときに
クマ対策がこんな状況なのにハーフライフル規制するのかよ、という思いで情報をちょっと集めたけれども集めただけに終わったのを今お蔵出し
ブナやナラの木が薪炭として活用されていた頃は、木は伐採後に芽を出し再生するのにエネルギーを使いドングリはあまり実らなかった
活用放棄されたブナやナラの森はドングリを多く実らせて熊やシカの餌となり個体数を増加させた
実りの豊凶サイクルや天候の影響でドングリが少なくなると、増えた個体に対して餌が不足し人里近くまで熊が降りてくる
人家や畑の近くの林が手入れされなくなり生い茂ったくさむらは人間の生活空間と山をつなぐ道になる
個人宅で植えていた柿やイチジクなどの果樹が高齢化や空き家などで放置されていると格好の餌
西日本-熊保護のために個体数を正確に把握、近年増加が激しいため市街地捕獲された熊を学習放獣から駆除に切り替え
東日本-熊が多いため狩猟・駆除の対象であり個体数の把握が不十分で、推定数をはるかに超えるほど増殖していた可能性
北海道-春グマ駆除1966ー1989、ヒグマ絶滅の懸念により中止、現在のヒグマは1990年の倍以上と推定、春期管理捕獲2023-
〇学習する熊
偶然山を下りてきた熊も、農地が作物でいっぱいなことや、牧場に家畜がいることを覚えれば再びやってくる
熊は他の個体の行動を模倣するし、母熊から子熊へエサの獲り方は受け継がれる
〇狩猟者の減少
狩猟免許の発行数(種別による重複保有あり)は昭和50年前後のピーク時に50万ほどだったが、平成に入る頃には30万を下回り、平成末には20万弱で推移
数年前は、クマ被害の多さに警察が素早く動いてハンター部隊を組織するとは思いもよらなかったよ
軍事専門家が、自衛隊の対人小火器ではクマ駆除はできないし車載兵器では過剰火力だから無理と主張する記事があったが
猟銃と同じ弾丸が使えるライフルも自衛隊装備にあるはずだけどな
狙撃手は小数精鋭しか居ないから便利屋として呼ばれる陸自の人員にカウントしないで欲しいということなんだろうか
クマ対策に使われる「麻酔吹き矢」 射手として活動する盛岡市動物公園の園長が実演