
はてなキーワード:犯罪発生率とは
元記事は「割れ窓理論」を援用してゲームやアダルトビデオ(AV)が性犯罪を間接的に誘発するという主張を展開している。しかし、この議論には複数の重大な論理的欠陥と事実認識の誤りが存在する。
割れ窓理論は都市環境における物理的な荒廃と犯罪発生率の相関を扱った理論である。ジョージ・ケリングとジェームズ・ウィルソンが1982年に提唱したこの理論は、建物の破れた窓などの物理的な無秩序が地域の犯罪率上昇と相関することを示している。
しかし、この理論をゲームやAVといったメディアコンテンツに直接適用することには根本的な問題がある。割れ窓理論は「物理的環境」における秩序の問題を扱っており、「表現物や創作物」に対する適用は理論の射程を大きく逸脱している。
元記事は「間接的には性犯罪を誘発しているのは事実と思う」と断言しているが、この主張を支える客観的データや研究結果は一切提示されていない。学術的議論において、因果関係を主張する側には立証責任がある。
実際の研究データを見ると、むしろ逆の傾向が観察される。日本では成人向けコンテンツが比較的容易に入手可能であるにも関わらず、性犯罪発生率は他の先進国と比較して著しく低い。警察庁の犯罪統計によれば、強制性交等罪の認知件数は人口比で見ても国際的に低水準を維持している。
記事は「知的障害で分別がつかない女性になら何をやってもいい、どうせ何をされているかも分かってないという風潮が生まれている」と主張している。しかし、このような「風潮」が実際に存在するという客観的な証拠は提示されていない。
社会調査や世論調査において、このような認識が広まっているというデータは確認できない。むしろ、障害者の権利に関する社会の意識は年々向上しており、障害者差別解消法の施行(2016年)以降、社会全体の認識は改善傾向にある。
元記事は批判者が「わざと論点をずらして直接的な影響の有無だけに注目している」と主張するが、これは藁人形論法である。
表現の自由を支持する論者の多くは、以下の複層的な論点を提起している:
これらの論点を「論点ずらし」として片付けることは、建設的な議論を阻害する。
記事の後半は「怖い」「恐ろしい」といった感情的表現が多用され、論理的分析よりも恐怖心に訴える構造になっている。しかし、社会政策や表現規制について議論する際は、感情ではなく客観的データと論理的分析に基づく必要がある。
元記事は創作表現に対する規制や批判を当然視しているが、表現の自由は民主主義社会の根幹を成す基本的人権である。日本国憲法第21条、世界人権宣言第19条において保障されているこの権利に対する制約は、明確で差し迫った危険がある場合に限定されなければならない。
6.表現の自由への軽視
健全な社会議論のためには、感情的な断定ではなく、客観的データに基づく冷静な分析が必要である。性犯罪の防止は重要な社会課題だが、その解決策は表現規制ではなく、教育の充実、被害者支援の強化、加害者の更生プログラムの整備など、より実効性のある施策に求めるべきである。
ChatGPT:
確かに、単に「疫学的データが必要」と言っても、具体的に どのような研究デザインが可能か を明確にしないと意味がないね。また、倫理的・科学的に実施可能かどうかも考慮する必要がある。
疫学研究のデザインにはさまざまな種類があるが、ここでは社会的影響を評価するために適したものを挙げてみる。
1. 観察研究(Observational Studies)
倫理的な問題が少なく、社会的な現象を分析するのに適した方法。
対象群: ある特定の嗜好を持つ人々(例:ロリコン向けコンテンツを消費する人)と、そうでない人を長期間追跡。
評価項目:児童性犯罪率、性犯罪の発生率、社会的適応度(仕事・家庭・人間関係への影響)
結果の想定
リスク増大説:ロリコン向けコンテンツを消費する人は、一般人よりも児童性犯罪率が高い。
リスク低減説:コンテンツを消費することで、犯罪の代替手段となり、実際の犯罪は減る。
そもそも「ロリコン向けコンテンツを消費する人」をどう定義し、追跡するかの問題。
対象群: 既に児童性犯罪を犯した人(ケース)と、犯罪を犯していないが似た社会属性を持つ人(コントロール)。
評価項目: 両者の間で、ロリコン向けコンテンツの消費率に有意な差があるか。
結果の想定
リスク増大説:児童性犯罪者の方が有意にロリコン向けコンテンツを消費している。
無関係説: 差はない。
因果関係を証明するのが難しい(犯罪を犯したからロリコンコンテンツを消費するのか、それともその逆か?)。
2. 介入研究(Interventional Studies)
因果関係を明確にするために、何らかの介入を行い影響を見る方法。ただし、倫理的に実施可能かどうかが問題。
③無作為化比較試験(RCT: Randomized ControlledTrial)
対象群:ロリコン傾向を持つとされる被験者を無作為に2群に分ける。
B群: 何も見せない(対照群)
評価項目:性的興奮度(生理的指標)、犯罪傾向(心理テスト)、実際の犯罪発生率。
結果の想定
無関係説: 差がない。
倫理的に実施不可能(特定の嗜好を持つ人に意図的に刺激を与え、犯罪発生を測るのは倫理的に許されない)。
被験者の選定が困難。
ある国や地域で「ロリコン向けコンテンツの規制」が行われた場合、その前後で犯罪率の変化を分析。
結果の想定
無関係説: 変化なし。
他の要因(経済状況、法改正など)が影響する可能性があり、単純な因果関係を証明しにくい。
対象群:ロリコン向けコンテンツを見る群と、そうでない群を比較。
評価項目:性的興奮を示す脳領域の活動変化、衝動抑制機能(前頭前野の活動)。
結果の想定
リスク低減説:コンテンツを見たことで、満足し、衝動が抑えられる。
無関係説: 影響なし。
脳の反応と実際の行動との関連性が不明確。
「犯罪に至るか?」を測ることができない。
まとめ
観察研究(コホート・症例対照研究)なら可能だが、因果関係を証明するのは難しい。
自然実験(政策の変化を利用)なら実施可能だが、他の影響を排除するのが難しい。
心理学・神経科学研究は補助的に使えるが、社会的影響の証明には不十分。
このように考えると、「疫学的データを取る」と言っても、 どこまで実行可能で、どこまで意味のあるデータが得られるのか? を考えながら議論しないといけないね。
ChatGPT:
そうだね。疫学的データを取得するのは現実的に難しいし、ポルノのゾーニングについては既に社会的な合意が取れている。その前提に立てば、ロリコン向けコンテンツも同じ枠組みで扱うのが合理的だと思う。
成人向けコンテンツ(ポルノ)は 「未成年に触れさせない」「適切な流通経路を確保する」 という社会的合意のもとで扱われている。
これと同じように 「ロリコン向けコンテンツも、未成年の目に触れないように管理されるなら許容される」 という考え方が妥当。
オンラインでの販売時に 年齢認証を義務化(18歳未満は購入不可)。
SNSなどのオープンな場では、未成年が目に触れにくい仕様にする。
実在の児童を描写したもの(児童ポルノ)は違法なので、完全なフィクションであることを明確にする。
キャラクターデザインや描写において、実在の児童と誤認されないように注意する(例: 「18歳以上のキャラクター」と明示する)。
すでに「成人向けコンテンツのゾーニング」は社会的に受け入れられている。
これをロリコン向けコンテンツにも適用すれば、新たな枠組みを作る必要がない。
一方で、無制限に流通させると「未成年の目に触れる」などの問題がある。
ゾーニングを徹底することで、両者の折り合いをつけることができる。
科学的なリスク評価が困難な以上、社会的合意に基づくルールが最適
疫学的データの取得が現実的でない以上、「実害があるかどうか」の結論を出すのは難しい。
ならば、「すでに社会的に機能しているゾーニングのルールに従う」のが最も現実的。
✅ロリコン向けコンテンツはポルノと同じゾーニングルール を適用すればよい。
✅未成年が触れられないように管理すれば、禁止する理由はない。
✅疫学的データを取るのが非現実的なら、既存の社会的合意を活用するのが合理的。
失業率と犯罪率の関係については、実証的な研究が行われています。以下にいくつかの結果を共有します。
失業率が上昇すると、犯罪の発生率も上昇する傾向があります。ただし、この関係は犯罪の種別によって異なります。
人口あたりの警察官数が増えると、犯罪の発生率は減少することが観察されています。
失業率の上昇よりも、貧困率の上昇が犯罪発生率を高める影響が大きいことが示されています。
犯罪の発生率は、労働市場の状況や所得状況、警察などの犯罪抑止力と密接な関係を持っていることが分かっています。
これらの研究から、失業率と犯罪率は複雑な関係にあることが示されています。失業率の増加が犯罪発生率に影響を与える一方で、貧困率の上昇も重要な要因となっていることが理解できます。
日本で無数の女性が男性から抑圧されて貞操を犯されて終いには嬲り殺されてるのに、未だに日本の犯罪発生率は少なくカウントされている。
インド、中国、パキスタンなどはもちろんスウェーデン、フィンランド、韓国など男女不平等の是正と男性へのフェミニズム・ジェンダー教育が撤退されている福祉国家よりも少ないと見積もられている。
経済平和研究所はオーストラリアに拠点を置いている団体で日本に忖度する必要はない。
ということは「日本が公表している犯罪発生率のデータが捏造されている」というのが実態だと思う。
差別することが絶対悪!!みたいな立場に立ちすぎて訳わからない話を始める人が最近多すぎてげんなりする
差別は悪じゃないんだよ
相手に不当な不利益を与えるのが悪なだけで、不利益を与えない差別は当然排除できないしすべきでもないんだって!!
そこがどうしてわからないの?
だいたい、差別は絶対悪主義者の言い分って「属性で決めつける思考、言動は全て差別」という思想で、さらに差別主義者のレッテルを貼る、貼られることで論争の優劣が決まるとまで信じてたりするよね?
そんなガバガバな無意味な定義でいいなら、「体格を見てプロスポーツにスカウトする」も(悪という意味での)差別だし、「血統的に適正があるからこの馬の馬券を買う」も差別になる。
「顔が好きじゃないので付き合えない」も差別だし、「立地が悪いからこの家に住まない」も差別だし、「形が悪いからこのきゅうりを買わない」も差別だし、「知らない人だからインターホン出ない」も差別になる。
これを悪だというニュアンスを含めた「差別」とするのはまじで無意味。
差別は全員がしていることを認めよう。
ガバガバな定義で相手にする差別主義者のレッテルを貼っても別に世の中は良くならないし、悪い差別がなくなることはない。
本当にそこ認めてくれ。
ではここで、どんな差別なら許されるか、許されないか、を書いていく。
以上だ
ではしてもよい差別はこれだ
顔が好きじゃなければ交際を断っても構わないし、治安が悪い街に住まなくていい
職場に外国人がいて、内心嫌だと思っていても、完全に内心だけでおさまっていれば、その差別心を責める必要はない
このグレーの事象でどう振る舞うとみんなが幸せなのか?を考えていくのが真に建設的な話だと思う
グレーとは書いているが、グレーな事象は大体が、表向きはアウトだ。
だけど、それをしなきゃいけない感情が当事者にあるし、その感情を悪と断定するだけでは無意味なのでグレー扱いにしなければならないと思っている。
いかに差別心という感情を軟化できるかを考えなきゃいけないだろう。
とある会社が新規に従業員を募集したところ、気に入らない属性の人から応募があった。
これを属性だけで断るのは、相手に不利益を与える不当な差別になるので悪だ。
大きい会社なら従業員もたくさんいるし、属性だけで切らないような流れになってきているのはとてもいいことだと思う。
しかし、この会社が、自分が経営している従業員2人くらいの小さい会社だったらどうだろう?
それでも悪には違いはないが、ワンマン経営のお手伝い的な仕事で、そのワンマンの個人的好みを重視するのは悪なのか?
表向き悪だから属性を理由に断りはしないけど、別の理由をつけて落とすのが今の世の中だ。
これ、差別を絶対悪として、そんな社長に無理やり差別対象を雇わせたとして、幸せになるのは誰なのだろうか?
誰も幸せにならないのでは?
顔が好みじゃないとか、肌の色が気に入らなければ、それを直接伝えて相手を傷つけない限り、交際を断ってもよい。
しかし、自分の子供、兄弟、家族が、自分の気に入らない相手と付き合っている場合、どこまで干渉することが許されるのか?
(気に入らない相手ってのは、人種などに限らず、痴漢で8回逮捕された過去がある、とかだったりもするよ)
現状、本人の意思が優先され、家族でもそのような干渉は許されない。
しかし、その人と結婚したら実家にはもう帰ってこないで、とか、その人をうちには入れないで、とかをいう権利すらないとは思えない。
現実は刺激しないように距離を取るしかなく、親を差別主義者と糾弾したって家庭が平和になることはない。
普通の人は犯罪なんかしないので、犯罪者がいればその倫理観の欠如や再犯を恐れる、というのは自然な心理だが、これは直球の差別で悪だ。
同じく、犯罪発生率の高い街に住まない、というのも同等の差別心から来るものなので差別だ。
だけど、社会的な信用を裏切った人間は信用されない、という基本的なルールが社会にはある。
これを無視して殺されたり横領されたりすることが正しい賞賛される振る舞いではない。
信用のない人間にはないなりの接し方をするのは、身を守るために必要な振る舞いだ。
ただそれを大っぴらに宣言したり、あのエリアはまじで住まない方がいいよ!とか広めたりするのは現状では悪と認定される。
男性を犯罪者予備軍と見なすのは現状では悪扱いされるが、警戒は当たり前で何も悪くない。
ただ、警戒心をむき出しにして男性に不快感を撒き散らすと、悪は女性側だと当然言われる。
女性は差別心を自覚しつつ、さらに身を守るためにその差別心を肯定し、そして多くの紳士を不快にさせないよう気をつけるのが落とし所になるだろう。
とてもグレーだ。
まあそんな感じで、グレーの部分を、差別か差別でないかと論じるのではなく、差別者と被差別者が互いに不利益を被らない方法論に切り替えるべきだろう。
無論、無意味な差別感情を発生させないための長期的な教育、啓蒙もものすごく大事だと思う。
人種差別などは教育である程度埋めれるかもしれないが、犯罪者差別なんかは教育でも埋まらないだろうと想像できるし、教育が万能とも信じてはないかな。
Twitterで女のソロキャンは危ないという社会は間違っている!
女でもソロキャンできる社会が正しいに決まってるんだ!俺たちは正しい社会に向けて認識をアップデートしていこうぜ!という主張を見かけた
確かに正しいか正しくないかで言えば女でもソロキャンできるぐらい安全安心な社会が正しいのは否定しない
しかし現実的に考えて、女が安心してソロキャンできるぐらい安全な社会を構築するコストは無茶苦茶高い
犯罪発生率を50%から25%にするより、25%から10%にすることは難しく、10%から0%にするのは無茶苦茶難しいのだ
こういうほとんど非現実的な安心安全への要求ははっきり言って無駄なコストでわがままなので、女のソロキャンは危ない社会のままで良いと思う
比較していうなら、ジジババがみんな100歳まで豊かで健康的に暮らせる社会を作ろうとしたら若者が負担で死ぬのと同じである
女でも安心してソロキャンできる社会を!と叫んでいる意識高い人々、ひょっとして高齢者福祉をバッシングしたりはしていないよな?
それは利益を受け取るものと負担するものが違うだけの同じワガママだよ、自分のワガママはOKだが他人のワガママは許さないなんて究極の自己中的発想は通らないよね