
はてなキーワード:犠牲者とは
「もう戦争だよ」クマ被害急増に前秋田県知事が怒り 犠牲者の状態「本当にむごい」「葬る方だって惨め」(ENCOUNT)|dメニューニュース(NTTドコモ):https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/encount/entertainment/encount-880001
まだたった9人だったんだな
そりゃ政治も動かないでしょ
C*****T:
CRITICAL ANALYTICALREVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造:実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層:理論的借用】
↓
【表層:顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
しかも、ピケティ本人もそこを完全には扱いきれていません。あなたの指摘が、まさに彼の理論の「弱点コア」です。
では、少し冷徹に整理してみましょう。
ピケティの「r > g」命題は、資本全体の平均収益率を一括で扱っている。しかし実際には、資産クラスごとにインフレ耐性がまるで違う。
| 資産クラス | インフレ時の挙動 | 備考 |
| 現金・預金 | 実質価値が目減り | インフレ最大の犠牲者 |
| 国債・社債 | 名目固定なら損 | 金利上昇で価格下落 |
| 株式 | 名目売上・利益上昇で中立〜プラス | ただしバリュエーション調整あり |
| 不動産 | 建設コスト連動でインフレヘッジ | 都市地価はむしろ上がる |
| コモディティ(金など) | 名目的に上昇 | 供給制約次第 |
| 事業投資 | コスト上昇と販売価格上昇のバランス次第 | 経営能力で分散 |
つまり、同じ「資本」でもインフレ感応度が全然違う。それなのにピケティは「資本」を一塊として扱うため、現実の再分配構造を平均化して潰してしまっている。
ピケティの主張は「労働 vs資本」の格差に焦点を当てたが、インフレ局面ではむしろ格差の主軸が「資本の質」に移る。
つまり
ここで重要なのは、富裕層は既に耐性資産を多く保有しているということ。だから高インフレでも、「資産構成を最適化している層」はむしろ勝ち続ける。
この現実を取り込むには、単一のrではなく資産別r_iを導入すべき。
r_{eff} = ∑_i w_i (r_i - Π_i)
格差が拡大する条件
r_{eff, upper} > g > r_{eff, lower}
つまり、上位層と下位層の資産ミックスの違いが格差維持メカニズムそのものになる。
インフレが起きても、上位層はREIT・実物資産・株式を持っていて、実質リターンが守られる。
中間層・労働者層は現金・定期預金・保険中心。実質資産が目減りする。
結果、名目インフレでも実質格差は拡大する。つまり、インフレはr > gの一時的な緩衝にはなっても、資産構成差が固定化されている限り、格差縮小にはならない。
| 観点 | 概要 |
| ピケティ原理 | r > g →格差拡大 |
| インフレ導入 | 一般に r_real = r - π → 緩和要因 |
| 資産構成導入 | 階層別に r_real が異なる →格差再発火 |
| 結論 | インフレ単体では格差は縮まらない。資産構造の分散を伴って初めて是正される。 |
草津町の件で当時暴れていた連中のことを何もわかってないなあ
あいつらにとって草津町の件は「毎日撃ちまくってる何百発ものミサイルのうち、たまたま一発が住宅地に落ちた」程度のことでしかない
たかだか数千人の犠牲者が出た程度で戦争をやめる理由にはならんのだよ
そんな些細なことで大いなる理念・正義を実現することを諦めるなど絶対にあってはならないんだ
トランス差別問題と言われているけど、争点になっているのって常に
・MtF
・男性器有り
FtMや、手術して戸籍変更して男性と結婚したMtFは全く問題になってない。
自認主義の過激な左派は、女性だという自認を持てば無条件に他者からも女性として扱われるべきという自認最強フリーハンドな考え方で、私はこれに完全に反対だし、
宗教右派は、性同一性障害や同性愛は存在しないと主張していて、私はこれにも完全に反対。
私の姿勢は、自認主義の過激な左派のお花畑思想が女装趣味のノンケ男性(性犯罪者)にハックされて、「未手術の自称トランスレズビアン」という肩書を作り出して、女装のノンケ男性による性犯罪を自認主義左派がアシストしている状態に対しての反対なんだけど。
何より「未手術の自称トランスレズビアン」の被害に一番遭っているのって本物のレズビアンのコミュニティだよね。レズビアンコミュニティのイベントに自称レズビアンの女装のノンケ男性が押し寄せて荒らすというのが実際に起きていて、そうしたトラブルから目をそらして未だにお花畑しているのが自認主義左派。
日本でも「心は女性」を自称して女湯侵入する女装のノンケ男性の事件が年3回くらいは報道されている。自認主義左派は知らん顔だけど。
左派がここでガバすぎたから、性同一性障害や同性愛は存在しないという極端な主張をする、医療を冒涜する宗教右派の台頭を許したんだと思う。
さすがに左派がバカだったし、弱者・マイノリティを保護すると言いながら本物のレズビアンを女装のノンケ男性(性犯罪者)に差し出したのは最悪だった。
自認主義左派vs反医療の宗教右派は、バカvsバカなんだよ。左派が負けたのは自陣のバカ勢力を自浄できず、具体的な被害を生み出しながら放置したせい。
左派がどうバカなのかって、白人男性が「黒人を自認します。黒人向けのアファーマティブアクションなどのサポートを求めます」と言い出したときに、その白人男性を攻撃したことなんだよね。
あと自認主義をバカにする人たちが「今から自認年齢65歳です。年金支給してください!150歳まで生きます!」みたいなこと言い出しても、自認主義の左派は攻撃一択だった。
自認主義って、バカにされてて、もはやスパモン教みたいに揶揄されてんの。IDみたいに信じたいものを根拠なく信じつつ権威化しようとしてる愚かな行為なの。自覚してほしい。
何より最悪なのは、その結果、犠牲者として差し出されたのが本物のレズビアンだってこと。あとは社会的地位の低い女性。
理屈がバカすぎたうえに、性犯罪者に塩を送って弱者を危険に晒したので、バカな上に有害な生ごみなので、もう何もしないで引っ込んでてください、むしろ生きてると余計なことしかしないのでもう死んでくださいってポジションになったのが自認主義の左派。
Permalink |記事への反応(11) | 14:19
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。
つまりこの人たちは女性の権利を守るフェミニストじゃなくて、従来の価値観を転倒させることが目的のポストモダニスト。
ぶっちゃけこれって構造的な問題であって、お母さんも子供もそれの犠牲者なんですよね。
なんで子供たち(に限らないですが)が靴のかかとを踏むかというとちゃんと靴を履くのが面倒だからですよね。
で、なんで靴を履くのが面倒かというと、日本の家や生活習慣や教育機関が靴をちゃんと履ける環境になっていないからです。
日本の家は、といっても一軒家を除くんですが、玄関で靴を座って脱ぎ履きするようになってないんですよね。
一軒家でちゃんと上がり框がしつらえてあれば座って靴を履いたり脱いだりできるんですが、集合住宅だとたたきと5cmくらいの段差があるだけで座れる構造になってなくて、立ったまま靴を脱ぎ履きしないといけないようになっています。脱ぐときに靴ひもをほどいて、履くときは靴ひもを緩めて足を入れて靴ひもを締めて結ぶというのがきちんと靴を履くということですが、立ったままこれをやるのはかんりしんどいし、腰への負担にもなります。それでどうなるかというと、いちいち靴ひもを緩めたり締めたりしなくていいようにずっとゆるゆるにしておく、それでも面倒だからかかとは踏んでサンダルや草履みたいに履けるようにしてしまう、と。まあもともと日本人は草履と下駄を履く生活をしていたわけである意味原点回帰といえるかもしれないですね。最近はバリアフリーということで一軒家でも玄関の段差も低めになってたりスロープになくしたりするみたいで、ますます靴を履きにくくなっているのかもしれませんね。玄関に段差があるのは、日本では家屋を高床式にして基礎を30~50cm高く作るようになっているからで、これは湿度が高い気候で地面が湿っていて水害もままある土地に木造住宅を建てるには必要なことなんでしょうね。
それで次の問題は、そういうあまり靴をちゃんと履けるようになっていないところで靴をちゃんと履いても子供たちが学校に行くとせっかく履いた靴を脱げとなる上靴下靴文化ですね。せっかく靴を履いても30分もしないうちに脱げと言われるんじゃ、まともに履く気にはならないですよね。そして上靴を履くときに靴を履くための環境は全く用意されておらず、登校してきた子供たちがひしめく中で立ったまま履かないといけないわけです。立ったまま靴を脱ぎ履きできるようになることは新小学一年生が最初にできなくてはならないことの一つだそうです。学校が率先して靴の変な脱ぎ履きの仕方を教えているということですね。それで、休み時間にグラウンドで遊びたいと思ったらまた上靴を脱いで下足に履き替えないといけないし、休み時間が終わったらまた下足を上靴に履き替えないといけないし、グラウンドでの体育や校外学習があったりするとその時も同様ですね。なんというか日本の小学校に足育なんて夢のまた夢、学校がかかとを踏む子を育てていると言っていいでしょう。
大人は子供たちほど靴を脱ぐ場面があるわけではないですが、子育てしていると保育園の登降園時に発生しますし、職場でスリッパに履き替える人がいたり、履き替えないといけない職場だったり、デスクの下で靴を脱いでいたり、昼食や夕食に行った先が座敷だったり、ということもありますね。ちゃんと座って靴を脱いだり履いたりして、靴ひもを結びなおしている人がどれだけいるでしょうか。そもそも靴ひもは毎回結びなおさないといけないということを知らなかったりしますよね。子供のころからそういう風に指導されてませんからね。
まあ、そういうわけで靴のかかとを踏んでしまうのは、靴をきちんと履ける場所がないことと、それにもかかわらず高頻度での靴の脱ぎ履きを要求されるから、ということになりますね。
【衝撃】「ゲームのために人を殺した」 元警察官に下された甘すぎる裁き
高知の静かな町を一瞬で恐怖に変えたのは、まさかの元警察官だった。
2023年2月2日夜、国道を歩いていた小学校教諭(64)は、退職を目前に控えていた。その人生最後の二ヶ月は、家族と共に過ごすはずの時間だった。しかし彼を襲ったのは、一台の軽乗用車。運転席の男は前を見ていなかった。視線は、スマートフォンの画面に釘付けだった。
「人を轢き殺したのに、刑務所に行かないのか」
誰もが耳を疑った。高知地裁は被告に禁錮2年6ヶ月を言い渡しながらも、執行猶予4年を付けたのだ。つまり実際には服役しない。
身内に甘い司法の闇か
加害者は元警察官。判決直後から広がったのは、「身内だから軽いのか」という怒りだった。
「警察官なら罪も軽くなるのか」「司法は庶民を守らないのか」 SNSにはこうした声が溢れた。
遺族を置き去りにする裁き
退職を目前にしていた被害者は、家族にとって未来への希望だった。その命は、わずか数秒の「ながら運転」で奪われた。裁判官は「被告は寄付やボランティアで反省を示した」と言う。だが遺族にとって、その言葉は空虚でしかない。
スマホに気を取られたわずかな時間が、人の命を奪う。これは誰にでも起こり得る社会的凶器だ。しかし司法が示したのは「軽い判決」。これでは、次の犠牲者を防ぐことなどできない。
この事件は一個人の過失ではない。司法の甘さ、警察と裁判の癒着、そして社会の安全意識の低さを浮き彫りにした。
人命を奪ってなお刑務所に行かない社会を、私たちは「正義」と呼べるのか。
しょせん、クリエイターも資本主義の歯車の中で踊らされた犠牲者の一人にすぎないってことさ。オタクもね。
「清太はアホや」 火垂るの墓めぐる自己責任論、共感ひろがる理由は:朝日新聞
https://www.asahi.com/sp/articles/AST9C0SCRT9CULLI00QM.html
『火垂るの墓』の清太を「自己責任」で断罪する言説には、たしかに違和感がある。
まだ14歳の子供にすべての責任を押し付けるのは、あまりにも酷だし、戦争の犠牲者としての側面を無視してしまうからだ。
けれど同時に、「だから清太は悪くない」とだけ言って済ませてしまうのも、どこか引っかかる。
むしろそこには、彼を縛っていた“有害な男らしさ”の呪いが見えてくるんじゃないか。
「男は弱さを見せるな」「面子を守れ」という規範が、清太に頭を下げることを許さず、結果的に妹を餓死させてしまった。
この構図は、旧日本軍が民間人に「捕虜になるより自決を」と迫った場面を連想させる。
清太は戦争の犠牲者であると同時に、その「有害な男らしさ」に加担してしまった存在でもある。
だから彼を責めるというよりも、男らしさという呪いがどうやって彼を通じて節子に及んだのかを考える必要があると思う。
自己責任論としてではなく、“男らしさ”批判として読むとき、この物語が突きつけているのは戦争の悲惨さを超えて、現代にも続く抑圧の構造なんじゃないか。
女性たちが最も憎み怒り狂う「性加害/女性差別/ミソジニー」とは
「男の献身と犠牲に女が感謝する事」であるという意見を見かけて、色々腑に落ちて納得した
確かに女性たちからすれば男性は「犯罪者及びその予備軍、家父長制の抑圧、加害者」であり明確に「敵」であり
戦争での犠牲から3K職場での社会インフラ維持まで含めての「献身」している事実に対して
「敵」に「感謝を強要される」という状況となるため、より被害者感情が高まるのだろう
韓国やウクライナでは男性兵士の犠牲者を「ミンチになったw」と嘲り
徴兵や軍隊生活を「まるでバカンスに行く様だ」「男達は休暇(徴兵)で楽しんでる癖に偉そうだ」
と叩く事が女性たちの間で流行し、問題となっている様だが、日本で同様の事が起こるのは目に見えている
女性にとって、大人としての義務と責任を果たした人達に感謝を捧げる物語は
「男性にとって極めて都合良すぎる、男性に媚びたポ◯◯ファンタジーに他ならない」という事なのだろう
即ち感謝を「強要」し押し付ける女性差別・ミソジニー行為である事を、強く自覚すべきである
「亭主元気で留守が良い」
死語となりつつあるこの言葉は、日本で有事が起こり兵士たちが戦場へ向かう時
「バカンスに行く男たちw」「死ぬまで働け!」「男たちは(戦場で)楽している、楽しんでいる、女性差別だ!」
という言葉と共に、復活するのだろう
Appleがこの問題を一向に直さないのってこういうのがSNSで流れてくるとなぜかAppleでなくMicrosoftを叩いてくれるやつがいるからじゃねーのと思ってるw
iPhone17に買い替える際に、また犠牲者が出ているのでシェアします
windows11マシンに繋いで、iPhone/iPadのOSをアップデートすると文鎮になります
解決方法はwindows10マシンでやり直すか、アップルストアに持っていくくらいしかできないのでご注意下さい
Appleはまだこれ直す気がなかったのか…https://t.co/2CJjpaf4SW—かーずSP(ニュースブログ運営&フリーライター) (@karzusp)September 18, 2025
AI退廃創作(AIたいはいそうさく、英語:AI degenerateart)とは、反AI活動家らが、AIを使用した創作や機械学習によるアートを、道徳的・人間性的に堕落したもので、真の創造性や人間の尊厳を害するものであるとして禁止するために打ち出した創作観である。
反AI活動家らは「退廃した」AI使用創作に代わり、伝統的手描き技法に即した「魂のこもった」健全な創作、より分かりやすく古典的なスタイルの芸術を「真の人間創作展」などを通じて公認創作として賞賛した。
これらの創作を通して人間の創造性を賛美し、危機にある芸術界のモラルをクリエイターに改めて示そうとした。
一方、AI使用創作は技術依存者や「怠惰な偽クリエイター」など、劣った創作姿勢だと反AI派が見做した人々が、デジタル社会の悪影響による精神的病気のため、古典的な創作の規範から逸脱し、ありのままの人間性や真実をゆがめて作った有害ながらくたと非難した。
AIユーザーらは、ギャラリーや教職など公式な立場から追放された上に制作活動を社会的に糾弾され、オンラインプラットフォームから作品が削除された上、「AI退廃創作展」によって全世界の展示会で晒し者にされ、多くの親AI派クリエイターが匿名での活動を余儀なくされた。
一方公認創作は、「創造性的に純粋な」手描き創作者たちが作る、技術的に純粋な「人間本来」の創作であり、創作観や表現手法や描写のスタイルに歪曲や腐敗のない健全な創作とされた。
「退廃」という概念を現代創作界全般を批判するために大々的に提起したのは、コンセプトアーティストで反AI活動の理論的指導者の一人とされる人物らの活動であった。
彼女らによれば、AI使用創作者は過密するデジタル環境や技術依存など現代生活による犠牲者であり、こうした生活によって創造性の中枢が冒された病人とされた。
反AI理論家らは疑似芸術論的な根拠として、「AI生成物」や「技術依存創作」の「倫理的堕落」に対して、伝統主義的な立場からの批判を行った。
近代のAIユーザーもまた、原始からの創造性の退廃に冒され、精神的・創作的な異常を抱えていると断言した。
彼女らにすれば、AI "art"、AI音楽など、あらゆる形式のAIメディアには、精神的怠惰と堕落の症状が現れていると見えた。
AIユーザーたちは技術への依存と創造力の減退の両方に苦しめられているため、すべてのAI関連創作は規律や創作倫理を欠き、首尾一貫した人間性がなくなっているとした。
反AI理論家らの疑似学術的なAI使用創作における退廃の理論は、SNSを通じて世界的に拡散され、各国のクリエイターコミュニティに広く浸透した。
この理論は、伝統主義的クリエイターや保守派によって大きく取り上げられ、人間の創作における純粋さを取り戻すための議論の基礎、技術化や創作の機械化の影響で文化も堕落したという主張の基礎となった。
正直、AI に命令を出すリード、マネージャ、リーダーの能力が上がらないと、AI でコードを大量生産すると手に負えないスラムが根深く絡み合った構造で広がっていくことになるだろうというのが既に見えている。
というのも、AIほとんど影響ないちょい前の時点ですら「うちはDDD、TDD、クリーンアーキテクチャ、k8s、アジャイル、スクラム等々を採用して云々」ってプロダクトが、リリースから半年、1年で開発がスタックしている、という事例は一般が想像する以上に存在している。
リリース時は、CTOやマネージャが腕組みしてWebページで華々しい成果発表するものだが、その裏で手動運用のオンパレード、一箇所変更したらどこに影響が及ぶかわからない地雷原、不具合障害が発生するたびに増える監視サービス、手動運用マニュアル。
その前で、「圧倒的ではないか、我がプロダクトは」って悦に入る経営陣、の図。
それ見て「SaaS界のネズミー王国や〜」って妄想を迸らせる利用者側経営陣と、ブルシットな手数だけ増えて、業績給与はぴくりくらいしか動かないで悶絶する利用者側従業員。
この状態で、「いや〜、新技術の導入、失敗しましたわ〜。経費が5倍くらいに膨れ上がってます。ごめんちゃい」なんてリリース出せないでしょ。
それ見て教科書ガイドエンジニア、カタログショッピングエンジニアが「世界を変える! 俺(の業務経歴書)が変わる!!」って初見手探りで導入して、連れション地獄。
これが現状よ。
ここにAI が入ってくると、ますます「中身も、他の処理との関係性もよくわからんけどプロダクトに組み込まれた謎プログラムの塊」が、「これ以上機能を載せるとバランスを崩して全体が倒れる」寸前のサイズまで育つわけよ。
ここまで行っちゃったら、どこをどうしたらどうなるか、「AI 使ってふふふふ〜ん」ってレベルのエンジニアでは太刀打ちできなくなってるだろう。
すっと
「動くな!」
となって、対策のための会議とドキュメントづくりが延々と半年とかいうオーダーで繰り広げられることになる。
その間やれること、というかやらなきゃならないことは、障害対応手動運用。
こういう状態に陥らせたリーダーやリードテック、CTOは「新しいことに挑戦したいので」と敵前逃亡、成果発表のWebページを担いで次の犠牲者の元へ。
ちゃんと設計したら、生成AIを駆使する必要、あまりないはずなんだよなー。
で、テストも書いてくれる、っていうけど、AI に全投げ似非エンジニアにその妥当性とか、判断できんのかな?
カバレッジを100%に近づけるためだけのテストを手動で大量に書くのを代替してくれるかもしれないけど、あのテストが品質保証、障害対策になってる現場が一つでもあるか?
今流行りらしい、業務ドメイン分割マイクロサービスだと、AI で辻褄合わせてテストとか、無理やぞ。
という地獄が、2、3年後訪れるだろう。
楽しみやなぁ〜w
という話をすると、AI使いこなせないオールドタイプの負け犬の遠吠え、みたいにいうてくるのがいるんだけど、むしろAI を効果的に活用するための構造、構成とか模索してんのよ。
小学校のとき、先生に知能に障害がある子のうちに遊びに行かされた。
彼は脇目もふらずにポケモンをやっていて、正直、「こいつでもポケモンとかわかるんだなあ」と思った。
三十分ほど彼のプレイを見ていて、とても悲しい事に気が付いた。
彼がそのゲームでやっているのは、マサラタウンの周りでポッポやコラッタを倒す、ただそれだけだった。手持ちはただ一匹のピカチュウで、そのレベルは50を越えていた。彼は永遠、でんきショックで草むらのポッポを倒し続けた。
とても楽しそうだった。
先に進めてやろうと思いゲームボーイに手を伸ばしたら凄い剣幕で怒鳴られた。なんて怒鳴られたか聞き取れなかったけれど、とにかく怒鳴られた。
それを見て彼の母親が「ごめんなさいね、○○ちゃんはポケモン大好きのよ」と僕に謝った。
僕はそれ以来、ゲームをやらなくなった。以前のようにゲームにのめり込めなくなってしまったのだ。ゲームボーイを握るとやるせなくなった。友達の家に行ってもみんながやるのを見ているだけだった。
その間、僕はゲームに興じる友達の背中だけを見るように努めた。
本当にむなしかった。
その内に、僕はポケモンを憎むようにさえなった。今までの人生の中で、あんなに何かを憎んだことはない。
それは真夜中に僕を目覚めさせた。
僕はソフトを彼に全部あげて、本体は捨ててしまおうと思ったが、兄に怒られそれすらできなかった。
一人暮らしをしている今でもゲームは嫌いだし、もちろん家にも置いていない。
時々、彼と、永遠にチャンピオンロードに辿り着けなかったであろう彼のピカチュウの事を思い出すと、とても悲しくなる。
本日は「ポケモンは教育に悪いのではないか?」というテーマでお二人に語っていただきます。まず、佐伯先生からお願いします。
私は断言します。ポケモンは教育にとって“害悪”です。ある事例を紹介しましょう。小学生のある子は、知的障害を抱えていましたが、ポケモンだけに執着し、永遠にマサラタウン周辺でポッポを倒し続けていました。レベル50を超えたピカチュウで、ただ「でんきショック」を繰り返すだけ。これは“学び”ではありません。進歩も挑戦もなく、ただ同じ行動を繰り返す中毒状態です。
まったく同感です。その子自身が抜け出せないのも問題ですが、周囲の子供にまで悪影響を及ぼす。彼と遊びに行った友達は、ゲームの楽しさを失い、やがてゲームそのものを憎むようになった。つまりポケモンは、一人の子供を“閉じ込める”だけでなく、他の子供の心からも健全な楽しみを奪うのです。
ポケモンの構造そのものが問題なんです。捕まえる、倒す、育てる――。この単純なサイクルが「思考停止のループ」を生み、達成感のような偽物を与える。教育的観点からすれば、それは「成長を停滞させる装置」です。
しかも、親の側も「ポケモンだから安心」と思い込みやすい。母親が「この子はポケモン大好きなんです」と微笑ましく語る一方で、子供は現実に一歩も進めないままゲーム内で足踏みし続けている。これは健全な学びの奪取であり、家庭教育の崩壊を助長しているに等しい。
その通りです。ポケモンは「教育に良い」とされがちですが、実際は“害悪”でしかない。子供を中毒にし、挑戦心や創造性を奪い、現実社会に適応できなくしていく。
私は極論を恐れずに言います。ポケモンに夢中になる大人もまた、その毒に侵された犠牲者です。子供の頃に学ぶべき“現実との向き合い方”を学べず、社会に出ても幼稚なまま。ポケモンは世代を超えて教育に悪影響を与え続けているのです。
【結論】
「同志少女よ、敵を撃て」を今更読んだけどさ、母親の遺体を足蹴にして焼いた相手と恋仲になる展開とかありえないでしょ。
フィクションを入口にして独ソ戦を知ってもらおうとしているのかな?
そのやり方は理解できるけど…趣味嗜好の発散と飯の種のために遊んで良い話じゃないだろ。
なにより独ソ戦で命を落とした兵士や犠牲者の血の上にチラ裏妄想百合話をトッピングした物語を大衆が平然と受け入れる状況が怖すぎる。
本屋もこんなもん大賞にするなよ。
そんなに本売れてないのか?
小説は面倒くさそうで読まず、ラノベはオタク向けでキモいからと娯楽小説を読まない層を取り込むために「ラノベの内容を文学風に装った作品」で新規顧客を開拓したのかなぁ…
買春は暴力の一形態であり、女男平等の原則を根本から損なうものです。
貧困の犠牲者を罰するのではなく、お金と引き換えに性的関係を強要し、他者の人間性を尊重しない人を罰するべきです。そのため、私を含む国民議会(下院)の女性の権利代表団は買春を撲滅する法律を提案することにしたのです。
――16年の法律制定までに多くの反対があったと聞いています。
上院と一部メディアは「客への罰則」について反対しました。これが性を買う人の数を減らすもっとも効果的な方法だということを知っていたからでしょう。
また「収入が少ない女性たちをより貧困に追い込むことになる」「売買春があるから性的暴行を減らすことができている」「妻がセックスを拒否している場合には売買春が必要ではないか」などとして、「必要悪」だと主張する人もいました。
研究者たちは、まず*Messor ibericus*の働きアリが非常に高いヘテロ接合性を示すことを発見しました [6]。これは、遺伝子解析によって、*M. ibericus*の働きアリ(164個体)が、女王アリや他の4種の女王アリ・働きアリ(127個体)と比較して、43,084の多型部位において平均で15倍も高いヘテロ接合性(平均0.797対0.047)を持つことが示されたためです [6, 7a]。この高いヘテロ接合性は、*M. ibericus*の働きアリが**雑種である**ことを強く示唆しています [6]。第一世代雑種を検出するための分析も、すべての*M. ibericus*の働きアリを雑種であると特定しました [6]。
雑種である働きアリの起源を特定するために、母系遺伝するミトコンドリアゲノムの系統解析が行われました [7]。その結果、すべての雑種働きアリが*M. ibericus*の有性生殖個体と同じミトコンドリアゲノムを共有していることから、**母系は*M. ibericus*である**ことが示唆されました [7]。次に、雑種ゲノムの母系および父系アレルを分離し、核DNAの系統解析を実施したところ、すべての父系アレル(164個体)が*M. structor*の個体と強固なクレードを形成し、**父系は*M. structor*である**ことが確認されました [7]。さらに、5,856遺伝子(44,191変異)を用いた集団構造分析では、*M. ibericus*のコロニーの働きアリが、*M. ibericus*と*M. structor*からほぼ等しい集団祖先割合(それぞれ平均0.49と0.51)を持つことが明らかになり、彼らが第一世代雑種であることがさらに裏付けられました [8, 7a]。
これらの結果は、*M. ibericus*が働きアリの生産において**異種交配に依存している**ことを示唆しています [8]。これは、女王アリが別の系統や種の精子を利用して働きアリを生産する「精子寄生 (sperm parasitism)」の既知の事例と同様です [8, 9]。しかし、*M. ibericus*の場合、この依存は**厳密に*M. structor*のオスに限られており**、この2種は系統的に遠く、非姉妹種であることが指摘されています [9,11c]。
さらに驚くべきことに、これらの2種は正確に同じ分布域を共有していません [8,10,11]。地中海地域を含む南ヨーロッパの広範囲で、父系種である*M. structor*が全く存在しないにもかかわらず、*M. ibericus*の雑種働きアリが発見されています [9,17b]。特に、イタリアのシチリア島では、最も近い*M. structor*の生息地から1000km以上離れた場所で第一世代の雑種働きアリが見つかっており、このような孤立した地域で女王アリがどのように異種交配を行っているのかという疑問が生じました [9, 7b]。この謎を解明するために、研究者たちは*M. ibericus*のコロニーから得られたオスを詳細に調査しました [8]。
形態学的および分子学的分析の結果、*M. ibericus*の女王アリは、働きアリの生産に必要とされる**M. structorのオスも産んでいる**ことが明らかになりました [5]。26の*M. ibericus*コロニーから採取された132匹のオスを調査したところ、顕著な形態的二型性(pilosty)が観察されました [10,11a,11b]。サンプリングされたオスの44%は毛深く(*M. ibericus*に属する)、残りの56%はほとんど毛がありませんでした(*M. structor*に属する) [5]。62匹の毛深いオスと24匹の毛のないオス核ゲノムを用いた系統解析では、この2つの形態が完璧に異なる2種に対応していることが示されました [5]。毛深いオスはすべて*M. ibericus*に、毛のないオスはすべて*M. structor*に属しており、これら2種は500万年以上前に分岐した非姉妹種であることが推定されています [10,11c]。
1. **共通のミトコンドリア**: *M. ibericus*の巣で発見された*M. structor*のオスは、*M. ibericus*の巣の仲間と同じミトコンドリアを共有しており、コロニー全体の共通の母親が*M. ibericus*であることを示しています [12, 13]。このような核-ミトコンドリアゲノムの不一致は、*M. ibericus*のコロニーで発見されたオスに特有のものであり、*M. structor*が自身の種のコロニーで発見された場合には観察されませんでした [12]。
2. **卵の遺伝子型解析**: 5つの*M. ibericus*実験コロニーから採取された286個の卵または幼虫の遺伝子型を解析したところ、11.5%が exclusively *M. structor*の核ゲノムを含んでいました [12]。16匹の女王アリを隔離し、24時間後に産んだ卵の遺伝子型を解析した結果、9%の卵が exclusively *M. structor*のDNAを含んでいることが確認されました [12]。
3. **直接観察**: 1匹の*M. ibericus*女王アリが率いる実験コロニーを18ヶ月間観察したところ、生殖能力のある成体オスに発達した7個の卵のうち、2個が*M. structor*(毛なし)のオス、3個が*M. ibericus*(毛あり)のオスであることが確認されました [14]。これらのオスは形態的・遺伝子的に確認されており、母親女王アリのゲノムは exclusively *M. ibericus*と一致していました [14]。
ハチ目昆虫のオスは通常、受精していない卵から母親の核ゲノムを受け継ぎますが [15, 16]、*M. ibericus*の女王アリは自身の核ゲノムを伝達することなくオスを生産できることが示されました [15]。この観察は、オスが胚の核遺伝物質の唯一の供給源となる「**アンドロジェネシス(雄性発生、すなわちオスのクローン性)**」を示唆しています [15,17]。他の生物群でも母系DNAを持たない胚が観察されていますが、アリにおいて異種間のアンドロジェネシスが確認されたのは今回が初めてです [15, 18-21]。これは、交配嚢に貯蔵された他種由来の精子からのオスクローニングが種を越えて起こることを意味します [15]。この説明と一致して、*M. ibericus*の女王アリは多配偶者性であり、*M. ibericus*と*M. structor*の両種のオスと交配し、両種の精子を交配嚢に貯蔵していることが確認されました [15]。
働きアリ生産のための義務的な異種交配と、異種間クローニングの組み合わせは、次のようなシナリオを示唆しています。まず、*M. ibericus*の女王アリは他種の精子を貯蔵し、その後、この精子からオスをクローンとして生産し始めたというものです [22]。この経路は、女王アリが共存する系統や種の精子を働きアリ生産に利用する、義務的または選択的精子寄生(sperm parasitism)の広範な観察と一致します [4, 9, 18-20, 22-26]。
このシステムの進化史は、まず「**性的寄生 (sexual parasitism)**」として始まり、その後「**自然な異種間クローニング**」へと発展したと考えられます [1, 25]。祖先的な状態では、*M. ibericus*は共存する*M. structor*のコロニーから精子を搾取していました(図3a) [15, 16a, 21]。これは、他の*Messor*種でも観察されている現象です [12, 22, 27]。しかし、進化した状態では、*M. ibericus*の女王アリは、自身が依存する種を直接生産するようになり、その結果、***M. ibericus*のコロニー内で*M. structor*のクローン系オスが維持される**ようになりました(図3b) [15, 16b,17, 84c]。
このクローン系オスの出現を確認するため、*M. structor*の核ゲノム系統樹の2つの主要な下位区分が調べられました [17, 16c]。予想通り、一方の下位区分はクローン系に相当し、*M. ibericus*のコロニー内で見つかった、ほとんど同一の*M. structor*のオスのみで構成され、すべて*M. ibericus*のミトコンドリアを持っていました(24個体) [17, 16b, 16c, 80]。対照的に、「野生型」系統は、自身の種のコロニーで見つかったすべての*M. structor*の階級をグループ化していました(53個体) [17, 16a, 16c, 80]。
ほとんどの雑種働きアリがクローン系オスによって生み出されている(164個体中144個体)一方で、一部(164個体中20個体)が野生型オスによって生み出されているという事実は、祖先的状態が最近まで存在していたことを裏付けています [17, 16c]。祖先的状態の事例は、両種がまだ共存する限られた地理的地域(例:フランス東部)に限定されていました [17, 7b, 84b]。対照的に、進化した状態の事例はヨーロッパ全域に広まっており、クローン系オスを維持することで、*M. ibericus*が*M. structor*の本来の生息域を超えて急速に拡大できたと考えられます(例:地中海ヨーロッパ) [17, 7b, 84c]。この経路は、*M. ibericus*が*M. structor*のオスを自身のライフサイクルに組み込み、野生から搾取するのではなく、クローン系として維持するという点で、**家畜化 (domestication)**に似ているとされています [9,28]。
この見解を支持するように、クローン系は野生型系統と比較して、**極めて低い遺伝的多様性**と**高い遺伝的負荷**を示しました(平均同義語ヌクレオチド多様性πsが0.00027対0.0014、非同義語対同義語ヌクレオチド多様性πn/πs比が平均0.43対0.21) [23, 29]。このパターンは、クローン種や急速な生息域拡大後、または人間によって維持される家畜化された系統で典型的です [23,30-35]。興味深いことに、クローンオスは形態的にも異なっていました。*M. ibericus*の巣の仲間と異なるのと同様に、野生型の*M. structor*オスと比較しても毛が少ないように見えました [18,11, 16d, 16e]。
クローンオスが野生のメスと交配することで「家畜化された」状況から脱出できるかどうかを評価するために、45の*M. structor*ゲノムの詳細な分析が行われました [24]。その結果、クローン系と野生型系統の間に雑種は特定されず、そのような出来事は現在存在しないか、極めてまれであることが確認されました [24]。しかし、系統解析や集団遺伝学的構造分析など、さらなる分析は、クローンオスが依然として*M. structor*の**家畜化された系統**であるという考えを支持しています [24]。全体として、これは*M. ibericus*のメスが、形態的にも遺伝的にも異なる最大3種類のオス(*M. ibericus*オス、「家畜化された」*M. structor*オス、「野生の」*M. structor*オス)と相互作用し、そのうち2種類を産み(図2)、3種類すべてと交配している(図3)ことを意味します [24, 36, 37]。
異種出産への移行は、寄生-共生連続体における性的進化の結果と考えられます [25]。*M. ibericus*は、他の数種の収穫アリと同様に、まず義務的な精子寄生へと移行しました [9,12,23, 25, 40]。これは、女王アリがエピスタシス的非互換性や自己中心的なカースト偏向遺伝子型のために、自力で働きアリを生産する能力を失った状況です [23, 25, 26]。異種出産への最も直接的な経路ではないものの、この状況は相互精子寄生、つまり2つの系統が働きアリ生産のために互いの精子に依存する精子共生の一形態へと進化した可能性があります [12,23, 25, 25]。単純な寄生であれ相互寄生であれ、他種のオスへの依存は女王アリにとって最適ではありません。なぜなら、2種類の異なるオスと交配する必要があり、コロニーの地理的範囲が宿主のそれに制限されるためです [25]。しかし、*M. ibericus*は**自身が求める種のオスを自らのコロニー内で生産する**ことで(図3b)、明確な利点を得ました。これにより、義務的な異種交配を維持しつつ、それに伴う固有の制約を最小限に抑えることができたのです [21, 84c]。
クローンオスは、精子を利用する種のライフサイクルに囚われながらも、*M. ibericus*の生殖努力と育児を通じて自身のゲノムを伝播させます [10]。ある意味で、クローンオスは「**完璧なオス寄生体**」と見なすことができます。なぜなら、彼らはメスの宿主にとって不可欠でありながら、メスの卵を犠牲にして繁殖するからです [10]。互いの配偶子に依存することで、両種はライフサイクルを密接に絡み合わせ、**性的寄生から「性的共依存 (sexual co-dependency)」**へと進化しました [22, 85c]。にもかかわらず、メスはこの関係の条件をコントロールしているようです。卵の遺伝子型解析データは、メスがオスの卵の発達と成熟のタイミングを課していることを示唆しています [10]。このような状況は、*M. ibericus*が最初に野生から搾取した種の繁殖をコントロールするという点で、「**性的家畜化 (sexual domestication)**」に似ていると言えます [10]。
この関係は、家畜化のすべての基準を満たすだけでなく [11,28]、人間による家畜化から地衣類の共生に至るまで、これまで知られている最も顕著な例よりも**はるかに親密で統合されたもの**です [11, 35, 41]。これらの例とは異なり、両パートナーは**義務的な交配相手**であり、家畜化する種は自身の卵細胞質を利用して家畜化される種を直接クローン化しています [11]。このように、自身の細胞質内で異種ゲノムを複製することは、真核細胞内での細胞小器官(ミトコンドリアなど)の細胞内共生的な家畜化を想起させます [11, 42, 43]。したがって、クローンオスは「**超個体レベルの細胞小器官 (organellesat the superorganismlevel)**」と見なすことができ、この異種ゲノムが直接複製するコロニーへと統合された結果であると言えます [11, 44, 45]。これにより、性別、カースト、種に関して最も多様な個体を生産するコロニーが形成され、それぞれが凝集した生殖単位内で専用の役割を担っています [11]。
このように、**ある種が別の種をクローンとして産む必要のある生殖様式**を明らかにするだけでなく、この「**2種からなる超個体 (two-species superorganism)**」は、**個体性の通常の境界**に挑戦しています [11]。個体性における主要な進化的転換は、異なる実体が統合された高次の単位へと進化する際に起こります [11, 46-48]。2つの種がこのような統合された実体の中で性的に相互依存するようになったことで、異種出産への進化は、このような転換が性的家畜化のプロセスを通じてどのように起こり得るかを示す典型的な例となっています [11]。
ジャンプラで連載している英雄機関という漫画なんだけど、絵やストーリーは嫌いじゃない
この話って、未知の生物を狩る組織で戦っていた父親が組織によって粛清されたことがきっかけで始まる復讐憚なわけだけど、じゃあわざわざ犠牲者を出した理由って何なんだろうね
確かに英雄扱いになりましたよ、って言われているけども、別に殺す必要が全くないんだし
主人公の父親以外にも民間人を救っていた可能性はあるわけで、それらを英雄機関が演出していたとしても特に驚かない
そもそも殺された父親は重要な情報を何も握っていなかったので、案山子として生かすことだって全然ありだろう
だから殺すという前提でストーリー作ってはいるけど、肝心の中身はほぼないんだろうな
今回、主人公を含めた大量の生徒が粛声されることが分かっているけど、それだって一切する必要がない
もちろん、あえて大きな被害を出したうえでそれを救う英雄をまつりあがるというシナリオは決して間違ってはいないんだが、数字読めてないとしか思えない
自分たちで育てた生徒を襲わせることで自分たちにどんだけの被害があるのか考えているんだろうか?何らかの保険に入っているとか?
ストーリーとしては王道の学園ラブコメ風なので悪くないけど、根幹部分がとってつけた感しかないのでいただけないかな
ご都合主義や主人公補正は別にいいんだけど、これって組織の目的を暴くというのが最終目標なので、そこをおざなりにしているってのはなあ
https://www.chickensblog.com/new-japan-llm/
の件について
個人的にはうまく行くとは全く思わない。発案者はSechack 365採択者のようだが、本気で国産LLMを作ろうとしたらすぐにその難しさを理解するだろう。発案者はまだ若く、技術についての能力はあると思うので、今回の件が大言壮語であると自覚をし勉学に努めることで自身の殻を破って成長できると信じている。
情報系の分野ではSechackや未踏などのシステムがあるが、早熟な10代をチヤホヤ褒めちぎってしまう欠点がある。国産LLMの発案者もある種、そういう流れの犠牲者だろう。若手を褒めて伸ばすことも重要だが、天狗にならないようにしっかりと叱責をしてあげることも大人たちの責任だ。
大東亜戦争で日帝がアジアに対して、特に中国・韓国・シンガポール・インドネシア・フィリピンでやったことについては複雑で、かつ二面的に見なければならないと思います。
確かに日本はオランダを追い出してインドネシアを統治下に置き、ポツダム宣言後にはスカルノによる独立を導いたという「解放」の一面がありました。スカルノが象徴するように日本に対して感謝の念を示し、インドネシアは親日的な姿勢を取り、ビジネスのパートナーとして長年良好な関係を築くことができました。これは確かに事実としての正の側面です。
しかし同時に、日本統治下ではインドネシア人をロームシャとして過酷な強制労働に従事させ、その多くが命を落としました。現地では日本統治時代を「飢餓と暴力の時代」とまで伝え残しており、この負の一面も決して忘れてはなりません。
フィリピンでも同様です。バターン死の行進やマニラ市街戦での民間人虐殺は戦争犯罪の象徴であり、その記憶はつい最近までお札に印刷されていました。これは反日的というよりも「独立に至った歴史を忘れない」ためのものでした。フィリピンはもともと独立を目指していたため、日帝の「解放」が大きな影響を与えたとは言い難い面もあります。
日本はイギリスを撃退し、シンガポールを「昭南島」と名付け統治しました。しかし統治の始まりには民間人華僑の虐殺(粛清)が行われ、さらに強制労働と飢餓で住民を苦しめました。現在でもシンガポールの老華僑の間では「苦難の時代」の記憶は完全に消えておらず、市内には当時の加害を記録し伝える石碑や博物館が今でも残されています。
一方で日本人はしばしば、本土空襲・沖縄戦・原爆2発、あるいは兵士の6割が餓死や病死で帰ってこなかった事実を強調し、平和国家を自称してきました。しかしそれだけを前面に出すと「加害への反省が足りないのではないか」と中韓などから指摘されます。
戦争の加害側であった歴史を忘れ、否認する姿勢さえ見せる者もいます。これはドイツでは考えられないことです。日本がサンフランシスコ講和条約を結び、反省を示して国際社会に再び受け入れられ、さらに多くのアジアの国々に許されて仲良くしてもらえたことは、決して忘れてはいけないと思います。
特に中国は1980年代まで「悪いのは日帝であって日本人ではない」と教え、中国残留孤児を育て上げて日本に送り返すまで面倒を見ました。1972年の日中共同声明では賠償請求すら放棄し、日本を受け入れてくれていたのです。
近年、中国が歴史問題で強くアピールする背景には、日本国内で一部政治家や都知事が加害の歴史を否認し始めたり、教科書の記述が「侵略ではなかった」と書き換えられるようになったことがあります。中国にとってこれは大きな衝撃であり、その反動として南京事件や731部隊の問題を国際社会で強調するようになりました。
結局のところ、何が大事かといえば経済であり外交です。侵略の歴史を否認すれば、特に中国や韓国をはじめとするアジア諸国から信頼を失い、貿易や協力関係にも支障が出ます。日本はもはやあぐらをかいていられる国ではなく、斜陽国として国益を守るために何を優先すべきかを考えなくてはなりません。その意味で、石破茂氏のスピーチは国益を重視した姿勢として評価に値すると私は考えます。
大東亜共栄圏構想は「西欧列強からアジアを解放する」と掲げていました。しかし実際には資源獲得と軍事拠点化を目的とし、欧米支配に代わって日本が「統治」しただけであり、現地住民に甚大な犠牲をもたらしたのも事実です。
国際法・歴史学的には「侵略」と評価されるのが正確であり、WW2における日帝の行為をそれ以外で評価するのは国際的には正統派とは言えません。
ただし独立運動の観点からは「欧米植民地支配からの解放の契機」と評価されている面もあり、この両面を見なければなりません。
アジアの戦争犠牲者は2000万人以上と見積もられており、これは忘れてはならない歴史的事実です。日本人からすれば「侵略」と「解放」の二面的に見ることができる、という認識が最も現実的だと思います。
二度と戦争に関わらないこと。殺し合いや餓死や特攻、核兵器の使用には断固として否定の立場を取ること。これが何より大切だと思います。ですから、今回の参院選で改憲勢力が三分の二を超えたことを、個人的にはとても危惧しています。
ちなみに…もっと深堀りするならば。
各国の独立運動家が日本を利用したのには明確な理由がありました。
インドネシアのスカルノやハッタは、オランダから独立するために日本の軍政を「利用」し、敗戦後に即座に独立を宣言できる体制を整えました。
インドのチャンドラ・ボースも、日本軍を頼りに「インド国民軍」を組織し、反英独立運動を推進しました。
日本に帰らなかった敗残兵達がインドネシアやインドの独立に協力したというか利用されたというのもまた歴史的な事実です。
また、戦後すぐにアジア各国の対日感情が今ほど悪化しなかった理由もあります。
第一に、戦後日本が米国主導で急速に経済復興を遂げ、ODAや投資を通じてアジアに「恩恵」を与えたこと。
第二に、欧米列強の植民地主義(アフリカなど)がなおも続いていたため、「日本の侵略だけが特別に悪」という視点になりにくかったこと。
第三に、多くの独立運動家は「日本を利用して欧米から独立した」という現実を直視しており、一概に反日感情に流れなかったこと。
これらの事情が重なり、アジアの多くの国々は戦後日本を受け入れ、経済的パートナーとして信頼関係を築いてきました。
侵略の事実を直視することは、日本にとって不名誉ではなく、むしろ国際社会からの信頼を守るために不可欠なことです。解放の契機という側面も併せて語り継ぎつつ、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うこと。それが日本の国益であり、未来への最大の投資だと信じます。
いま現役世代のお前、そうお前だよ
お前、結婚できそう?それとも淘汰される側?
だってさ「普通の人間」以上じゃないと誰も相手にしてくれないもん
良識があって、顔のパーツにひとつも瑕疵がなくて、スゴイ職に付いている……そんな「ハイスペック人間」しか結婚できない
X見ても「年収800万以上」「20代の女性希望」みたいな声が飛び交ってる
個人主義が行き過ぎて、娯楽も多様化して、みんな自分勝手に個人の幸せ追いかけて、結婚も子供も都合よくメリデメを整理して簡単に諦める
インターネットでは男女論争が過激化して性別で分断が煽られ、酸っぱい葡萄の狐みたいになってるやつもいる
俺達は今までにないスゴイ淘汰圧を受けている「淘汰世代」だっていう認識を今一度持ってほしい
「周りも独身だらけなら怖くないじゃん」
そう思ってるやつも多いだろうが、それは間違いだってこと、警鐘を鳴らしたい
と、いうのも次の世代ではこの風潮が確実に変わってくるのが目に見えてるからなんだよ
考えてみ、この淘汰世代を生き延びた「勝ち組」たちの子供たちが、次世代の主役になる
ハイスペックな親から生まれた子供って、良い教育受けて、安定した家庭で育つわけよ
で、俺たちみたいに孤立しまくった大人を見て、「いや、こんな人生嫌だわ」ってなる
さらに少子化で労働力足りなくなって、労働力の相対的価値が上がって、給料も上がる。
そうなると経済的な不安は減って、結婚や子育てに前向きなやつが増える
また、旧来の社会的な価値観、「家族って大事」「協力し合おうぜ」みたいな価値観が復活する
高齢者たちがやってる不毛なフェミニズム/アンチフェミニズムへの反発が、大きくて長期のムーブメントとして次世代から生まれる
だからさ、今の俺たち、淘汰世代のど真ん中にいるって自覚持とうぜ
結婚したくても「理想の相手」が見つからないとか、インターネット小遣い稼ぎマン主導の男女論争にうんざりして恋愛諦めてるとか、マジでそれが淘汰への第一歩だよ
今からでも遅くない
次世代に笑われないように、せめて逆襲の種くらい蒔いてこうぜ