
はてなキーワード:特別支援学校とは
毎日8時半に保育園にいき、その足で9時に特別支援学校に送る。
14時に特別支援学校に迎えに行き、17:30に保育園に迎えに行く毎日。
下の子は全く喋れず
「ウォウ!ウォウ!」
間違いなく下の子も小学校は特別支援学校だから、下の子も小学校になれば送迎先の一本化で少し楽になるのかもしれない。
叫ぶし走るし暴れるし、スーパーすら連れて行くのがけっこう大変だ。
強く怒るとパニックを起こしてリノリウムに連続頭突きが始まるから、強く怒れない。
注意しない躾をしない親として白い目で見られる。
スーパーの選ぶ基準はとにかく通路が広いこと。急に走ったりするからね。
と言っても、子供をみないといけないので、巨大な肉をオーブンに放り込んで焼くとか、鍋に放り込んで茹でるとか、そういう料理ばかりになる。
アメリカ人が映画見ながらポップコーンやドーナツを貪り食うように、コーンフレークや白飯を手掴みでこぼしながら絨毯で食い、延々のYouTubeも Switch2に興じてる。
食費に4人で月5万や8万はすぐでも、20万とか食おうと思っても食えないしね。
そこそこ贅沢しても住宅ローン含めても年間に500万くらいの支出で回ってる。
田舎に引っ込めばこんな感じ。
児童手当と特別児童扶養手当で100万くらいは出るし、所得が少なければ他にもいろいろ手当が出るし、たぶん年収300万くらいで一家4人暮らせると思う。
もともとが高所得者でそれまでの蓄えの運用益だけでも暮らせるよ。
生活保護以外の制度は、蓄えがどれだけあるかじゃなくその前の年の住民税に関係する所得で決まるからさ。
極端な話、1億もあれば運用益だけで暮らしていけだろうし、60歳のときに2000万残ればいいってんなら(老後2000万問題ってんだからそんだけありゃまあいいんだろ)そんなにもいらねえ。
実際、俺はそんな感じでFIREしたんだ。
辛いっちゃ辛いよ。
なんもないど田舎住み。
百貨店とかレストランとか美術館とか行きたいけど、どうせ子供がいると行けないからさ、行動範囲にないほうが精神的には楽だ。
1歳9か月
一回だけ「パッパァ」と言う。
2歳
ballというスペルをみて「ボー」、アルファベットのEをみて「イー」と言うようになる。
同時期に数字を覚えだす。口には出さないが、数字あてクイズのようなアプリで正解する。
2歳1か月
15分くらいのストーリーのある話を見れるようになる。
2歳5か月
iPadのパスコードを教えてみたら6桁を一度で暗記。以後勝手にiPadを使うようになる。
2歳9か月
3歳0か月
マリオカート8をするようになる。
3歳1か月
3歳2か月
3歳4か月
あいうえお表を使って、えほんのフレーズを順に指さすようになる。
例「た る ま さ ん の」
3歳5か月
1one
2two
3three
3歳7か月
知っている英単語を打つようになる。主に惑星の名前など。大文字と小文字の切り替えもすぐ習得。
3歳9か月。
3歳11か月
3歳11か月
ショッピングモールでオムツからオシッコが漏れてズボンが濡れてしまって、替えのズボンを急遽購入するときに「これでいい?」と聞いたら「Yes,OK」と答えた。
4歳0か月
4歳9か月
かな入力をおぼえ、ひらがなでアニメのサブタイトルなどをキーボードで打つようになる。濁音や小さな「つ」なども入力をできるようになっていた。
4歳9か月
4歳9か月
5歳0か月~6か月くらいまで
「Yes!」「OK!」「行く!」「Left!」「Right!」「No!」
5歳6か月
5歳7か月
「パパいた」と初めての2語文。
6歳0か月~6歳4か月くらい
例「はやい、おそい」
「はい」
と返事をする。
6歳6か月くらい
急にオムツが取れる。
食べ物は、
フライトポテト、白米、豆腐、甘く煮たカボチャ、牛乳、グミ、じゃがりこ、チョコレート、チョコチップ入りのスティックパン
しか食べない。
氷河期世代で無職期間のニート期間があったりしながら、似た妻と縁あって高齢で結婚。
二人とも40超えてたけど、運良く第一子を授かった。
娘は可愛いよ。でも言葉が遅い目だったから、2歳半で相談に行ったら検査してくれてASD診断が出たよ。
最初は実感がなかったから誤診の可能性もあるかとセカンドオピニオンを探したけど、受け入れられないというわけではなくて、
一回のテストで急に療育に通うとか、そういうことになって戸惑ったのはある。
でも月5回の療育と保育園と様子を見ながら、だんだん「まぁ確かにASDなのだろうな」と理解し、4歳で2度目の検査をしたらDQが50ちょっとに下がってた。そして中等度知的障害の療育手帳も貰ったよ。
まぁ言葉がほとんど出ないからね。小学校はどうするかも考え出していて、見学などもしてきた。
特別支援学校が濃厚で、もしかしたら支援学級でも行けるかなぁと言ったところです。
将来どの程度になるか全然わからないけど、親の受容という意味では、そんなに強くがっかり落ち込んだりはなかったなぁ。
出来ることは何かを調べて、無理ない範囲でやれることはやってあげたいと思いつつも、子どもの人生なんて健常者でも定型発達でもどうなるか分からないしね。グレたり家庭崩壊するよりは、知的障害でものんびり生きていけたらマシだし。
本人が苦しむかも、なんて想定もしたところでどうなるかなんてわかりゃしないのだから。
「障害受容の摩擦抵抗ゼロな親の話をもっと聞けると嬉しい」とあり、「おっ!ワイか」と呼ばれた気がするので書く。
1歳になる前頃には既に兆候は見えてたけど、1歳半健診では「3歳まで様子見ですかね」と診断。そこまで待ってられるかー!と思って発達クリニックを受診して診断ゲット!
そこからは毎月通院して必要に応じて薬を処方してもらったり、療育にも通いはじめた。未だに発話はないが、絵カード使ったりでコミュニケーション取れるようになった。
やっててよかった早期療育。
来年からは特別支援学校に行く予定だが、特別支援学校の見学に行ったら、1クラス6人ほどの超少人数クラスで、子どもに合わせた個別カリキュラムが組まれててと最高かよと思ってる。
(いわゆる普通の小学校も進度別教材で勉強できたらいいのにと思う。)
また個人的にはSAPIXや日能研だったりのことを考えなくていいのは精神衛生上大変良い。
あと、これは社会保障費増に加担してる感があるので若干申し訳なさもあるが、障害者割引でいろいろなところに行けるのにはかなり助かっている。
屋内の遊び場だと「子どもの入場料半額、付き添いの親は無料」とかあり、1000円未満で入れるので一時期毎週利用してた。
一度知人家族に「安いから一緒に行こう〜!」と誘ったら「入場料3000円以上かかったんだけど…」と言われ申し訳ないこととかあったりした。
まあ、とはいえ、
・ショッピングモールで走り出したと思ったら見失って、全然違うフロアの電気屋に入ってるおもちゃ屋で見つかった
・公園で遊んでたと思ったらいなくなり、なぜか2つ隣駅までひとりで電車で移動してた
・レンタカーで一泊二日の旅行に行ったが、初日夕方に家に帰りたがって駅の改札に入ってしまい、結局4時間かけて家に帰ってきてしまった(引き返す可能性あったので妻に宿で待機してもらったが、結局翌朝妻ひとりでレンタカーに乗って帰ってくることになった)
・絶賛放課後デイサービスを探し中だが、空きが全然なくて、来年度午後には子どもが帰ってきてしまうので、仕事を時短にするか辞めるかの危機
などなどいろいろあるが、まあ生きてるので良しということで。
おそらく子どもが健常児だったら知らない制度や世界を知れて、interestingな日々を過ごしていて人生の幅が広がってる感がある。
(この記事は11:00から14:30現在、昼食にフードコートに行くのを嫌がりおもちゃ屋でずっと遊び続ける子どもを見守りながら書いた)
初投稿です。
私も少し読んでみましたが、過去の体験と重なる部分があったので書き起こしてみたいと思います。
私は現在大学一年です。障害者に対する理解や社会通念は持ち合わせているつもりです。
小学生の時、知的障害者との交流を目的とした特別授業がありました。
市内の特別支援学校に行き、同世代の障がい児と遊んだり、支援学校を見学したりしました。
授業では、ペアとなる児童を担任が決め、基本的にその子と共に行動します。
最初の授業ではその子と手をつないで支援学校を見て回りました。
「みいちゃん」と違って会話も難しく、交流といっても手をつないで校内を歩くだけでした。
当時小学生だった私ですが、「配慮が必要な人もいる」とか「障害を笑うのは許されない」といった事は理解していたと思います。
でも、授業が終わったあと、私は真っ先に水道で手を洗ってしまいました。その時の罪悪感が今でも忘れられません。
昨今のSNSでは、差別的な発言であっても共感されればいいねが押され、自浄作用が働いていないことも多々。
差別に限らず「福島」「津波」「原爆」「発達」……と不謹慎に溢れています。私はずっと「そういった発言をする人=救いようのない人」というレッテルを貼って処理してきました。
最近の世の中では、発達障害の診断を早期に受けることや、早期教育を推奨する風潮が強いけれど、私はそれはあまり良くないのではと考えている。
私が理想だと思うのは、発達障害かどうかに関わらず、困ったときにサポートを受けられる環境が整っていること。
診断の有無やタイミングを本人が自分で選べる自由も大切だと思う。
でも、これが効果を持つのは、本人が違和感を自覚できる年齢になってからだと思う。
幼い頃に診断されると、こんな影響が出ることがある。
療養施設は、自分の課題を理解し、自分の意思で向き合う人のための場所だと思う。
「将来困りそうだから」という理由だけ、通わせる場所ではない。
私は親が幼稚園教諭だったこともあり、幼い頃から病院を回された。
家族や周囲の扱いに違和感があり、自分で調べて、高校1年で自分の診断名に辿り着いた。
心理士になって、人を支えたいとも思った。
それを話した時に、両親が「向いていない」と一刀両断していたのは、「私だから」じゃなくて「発達障害だから」だった。
自分の両親は「自分の娘」ではなく「障害者」として認識していた。
私のアイデンティティや自己肯定感がボロボロになり、自分の見ている世界の何もかも信じられなくなった。
そこから私は、いち早く親元から離れて「発達障害者」というフィルターが外れた世界に行きたくて、
クラス1位の成績を取り、親元から離れ、東京の大学に進学した。
30歳になって自分を客観的に見ると、私は他の人より扱いにくい人種だと思う。
私は常にどこかしら「私は異常者である」自覚を持っているから、自分の意見に自信が持てない。
だから些細なやり取りでもChatGPTで意見を固めてから、相手に相談する。
躓くと「自分は向いていない」と切り捨ててしまい、別の道を模索してしまうため、人の話が素直に聞けないし、素直に実行できない。
それがコミュニケーションに亀裂を発生させる自覚もあるが、これまでの経験から、他の人の話を信頼していい方向に行った試しがない。
人の話を素直に聞ける人が羨ましい。
私は今、「自分が発達障害だと思われているな」って感じると、過呼吸になってしまう。
それで何度か休職→退職を繰り返しているが、誰にも相談できずにいる。
結婚して5年目になるが、私の過去の話や実際に診断を受けていることは、怖くて旦那にはまだ話していない。
SNSなどに投稿されている発達障害の多くが、発達障害を子どもに持つ親か、大人になってから発達障害と自覚した人だ。
だから、幼少期に診断されるデメリットについて、そこまで深く議論されていない。
もちろん、「自分に向いていない職業に就いて苦労する」という意見もわからなくはない。
でも、得意不得意は人によって違うから、挑戦してみないとわからない。
発達障害だから鬱になるような職場があるとすれば、それは職場環境そのものに問題があることが多い。決して当事者のせいではない。
健常者だって、仕事をしていて「自分に向いていない」と感じることはあるのに、障害者だからと挑戦する前に諦めざるをえない環境は、残酷だと思う。
私の経験を通して思うのは、発達障害の診断や早期教育がすべての子に必要なわけではない、ということだ。
それよりも、一人ひとりを「一人の人」として扱い、誰もが安心して挑戦できる環境や支えがある社会が、何よりも大切だと思う。
②財源は?
→大阪で公立高校を減らしているように公立学校は私立と比べて高コスト体質なので、公立中学をなくしてその分を私学無償化の財源とする。
③教職員は?
→可哀想だが早期退職してもらう。辞めない場合には出向という形で人手の足りない役所の場所に行ってもらう。
④定員足りないのでは?
→今後少子化でガンガン子どもが減るのでなんとかなる。定員増に非協力的な学校は無償化の対象外とする事で定員を確保する。教員は公立から放出された者を雇い入れることで確保可能。
⑤公立学校が不経済なのは特別支援学校など民間がやりたがらない分野までやっているからでは?
→その辺は公立でやるしかないので温存する。ここはコストとかとは別の話である。
⑥不良などはどうするのか?
→受け入れる私立中学を探すしか無い。不良高校が成立しているので中学校でも成立するはず。
→実際は半分くらい諦め組がでるので、名前を書けば受かる中学校に入学する流れになるだけである。
⑧通学距離が長くなるのでは?
→徒歩での通学は難しくなる可能性が高い。公共交通機関を使う必要はでてくると考えられる。公共交通機関がない地域の場合は寮生活をする事を視野にいれるしかない。
つらつらと書いてみたが意外といけるのでは!?
2003年、東京都立七生養護学校(現・七生特別支援学校)で行われていた性教育が、都議会議員と教育委員会の介入によって押し潰される事件がありました。対象は知的障害のある子どもたち。自分の体を守り、心を大切にする力を育てるために、先生たちは人形や歌、教材を工夫して授業をしていました。それは、被害を防ぎ、自立の力を養うために不可欠な教育でした。
ところが、都議会の自民党系議員らが「過激だ」「常識外れだ」と批判し、教育委員会とともに学校に押しかけます。土屋正忠氏、古賀俊昭氏、田代博嗣氏、そして当時都議だった萩生田光一氏。彼らは教材を引き剥がし、記者の前で人形の下着を脱がせて撮影させ、教員に「感覚が麻痺している」などと告げました。授業は中止され、教材は回収され、先生たちは処分されました。後に裁判で「不当な支配」と認定されましたが、その間、子どもに寄り添っていた先生たちは孤立し、努力は踏みにじられました。
七生養護学校は多摩動物公園に隣接する谷あいにあり、当時は周囲もまだ森が多く、人里から少し離れたような学校でした。
「七生のように」と言われることが、全国の学校で性教育をためらう空気を生みました。先生たちは沈黙を選び、現場は萎縮しました。子どものために必要だと分かっていても、政治の目を恐れて口をつぐむしかない。その理不尽さは、当時の先生たちにとってどれほどつらいものだったか想像に難くありません。
この事件の背景には、自民党保守派による性教育・ジェンダー批判がありました。そして後になって明らかになったのは、その思想が旧統一教会の教義と不気味なほど重なっていたということです。統一教会は「性の純潔」「家族の秩序」を掲げ、性教育やジェンダー平等を敵視してきました。自民党議員がその言説を繰り返し、現場を締め付けていたのです。
萩生田光一氏は、七生養護学校事件で現場に踏み込み、教員を非難した議員の一人でした。その後も政治家として昇進し、自民党の幹部にまで上り詰めます。そして近年、統一教会や関連団体とのつながりが次々と報じられました。
自身の後援会・支部が、旧統一教会関連団体「世界平和女性連合」に2012〜2019年の間に計6回、合計9万円を支払っていた記録。https://mainichi.jp/articles/20220908/k00/00m/010/339000c
2022年6月には、生稲晃子氏とともに統一教会の「家庭教会」を訪問していた事実。https://mainichi.jp/articles/20220908/k00/00m/010/339000c
落選中の2011年など、教団関連のイベントで講演していたとする証言。https://www.youtube.com/watch?v=841ome9i2ZI
TBSの報道では「一緒に日本を神様の国にしましょう」と旧統一教会系団体で語っていた記録まで紹介されています。https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/130324?display=1
本人は「教団本体との関係はない」「名称の似た団体との縁」と釈明しましたが、こうした関わりは一度や二度ではありませんでした。七生で先生たちを「感覚が麻痺している」となじったその口が、今度は統一教会系の集会で「神様の国に」と持ち上げていた――そう考えると、教育現場の先生たちが味わった理不尽はさらに重く感じられます。
2022年、安倍元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会と自民党の癒着が一気に可視化されました。長い間「見えない力」として教育現場や政策を縛っていたものが、ようやく人々の目に触れるようになったのです。七生の先生たちが受けた屈辱や孤立は消えません。しかし、あの事件を経て「誰が現場を潰したのか」「どんな価値観が教育を縛ってきたのか」が明らかになったことは、せめてもの救いでもあります。
七生養護学校事件は20年以上前の出来事ですが、いま子育てをしている私たちにとっても無関係ではありません。特に知的障害や発達障害のある子どもを育てる親にとっては、自分の子が「体を守る力」をつけられるかどうかは切実な問題です。
先生たちは、そのために工夫を重ね、子どもに届く形で性教育を試みました。それが「過激だ」と政治家に叩かれ、踏みにじられた。あのときの理不尽を知っておくことは、私たちがこれから子どもをどう守るかを考えるうえで、とても大切なことだと思います。
政治や宗教の思惑に翻弄されず、子どもに本当に必要な教育を守るためには、親自身が知り、声を持つことが欠かせません。七生の先生たちが払った代償は、次の世代が繰り返さないための警鐘でもあります。
子どもを守ろうと必死に工夫した先生たちが処分され、声を失い、政治家は出世し、宗教団体に持ち上げられていた。あまりに不公平で、物悲しい出来事です。けれど今、統一教会と自民党の関係が白日の下にさらされたいまだからこそ、あの時の先生たちの姿を思い起こすことに意味があるのではないでしょうか。子どもを守る教育が、再び理不尽に押しつぶされないようにするために。
一昔前、特別支援学校に行ったら詰むと言って燃えたあのろくでなし子
https://togetter.com/li/2508505
ろくでなし子の息子は発達障害で、特別支援学校を薦められ進学するが、やはり通常学級に行きたいと言う話だ
転校したいと言うが教育委員会はいい顔せず、通常学級に体験することを教育委員会が要求してきた(が、ろくでなし子はとにかく早く転校させたい)と言うところで終わった
https://note.com/69d745/n/n864a77161ff5?magazine_key=m4f6f318c7e29
ろくでなし子が自信満々に「うちの子は通常学級でやっていける」と主張する割に算数の授業で本棚に登ろうとしたり、音楽体育でフラフラしたり…
本当にろくでなし子の言う通り健常児に近いのか怪しい
最初の発語は、1歳半くらい。
Ball、アルファベットのE、いずれも書かれていた単語をみてそう読んだ。
ずいぶん遅いし、こっちが喋ったののオウム返しじゃなくて看板の文字からってのが変な感じだったが、自分も喋るのが遅かったそうなので気にしなった。
その後進歩がない。数字→アルファベット→ひらがなの順でなんとなくわかってる風だった。
「だ、る、ま、さ、ん、が」と順に指をさしたりしてたので。
2歳半くらいのときに、iPadのパスコードを教えたら、6桁を一発で覚えてしまった。
その後、勝手にiPadを開くようになったので番号を変えたら、何度も失敗されて3日くらいロックされてしまったので、元にもどして自由に使わせるようにした。
キーボードを触らせたら、すぐに配列を覚え、必ずアルファベット24文字を大文字と小文字で打ち、1から10まで数字を打つというルーティーン。
単語として最初に打ったのが、1one2two3three4four5five6sixで、3歳になる手前。
相変わらず、いくつかのアルファベットと英単語の他は喋らない。
しかも、画面や本にむかってつぶやくだけで、対人コミュニケーションはゼロ。
これはと思い受診。児童精神科への3か月おきの通院と児童発達支援センター(以下児発)での療育が始まる。
児発が好きらしく、休日に児発に行こうと脱走を試みて確保される。
確保されても「イィー!」しか言えない。
発達障害は自己肯定感が低くなりがちという言説を聞いたことがあるが、長男は真逆で「自分が絶対的に正しい」というスタンス。
どんなに周りに心配されても叱られても、本人的には「ブツブツうるせー」としか思ってないので、好き勝手行動してしまう。
道順とか一発で覚えてしまうので、道順が違うと騒ぐし、玩具屋のほうに誘導される。
「パパいた」と呟くのを目撃される。ようやく2語文。
弟のことをフルネームで呼んだところを目撃される。
家庭内で苗字をつけてよぶことなんかないのにフルネームってのが長男らしかった。
こっちがかける言葉への反応はずいぶんと良くなったような気がしたが、基本的に、利害が一致したら従う、それ以外は無視というスタンス。
例えば「公園でかけるよ!」と言ったらシュババっと出てくるけど、「ご飯できたよ!」といっても無反応。
当時、オムツを履いてないときはトイレにいけるが、オムツを履いてるとオムツにするという拘りで、トイレさせるためにフルチンで過ごさせていたのだけど、フルチンのときに数字をカウントアップする動画を見ると必ずちんちんをしごいて大きくしてた。どういう条件反射だ。
4歳の頃もそうだったが、5歳のときは物欲の権化だった。これが欲しいとスイッチが入ったら、ガンとして聞き入れない。
どんなに優しく言っても、怒鳴りつけても、叩かれても引かない。
自己肯定感の塊だから、ママに嫌われたら怖いという感情がない。
この時期、会話能力は伸びなかった。
相変わらず、都合がいいときだけ反応するのみ。
しかし、「ちょっと待って」と言われて文字通りちょっとだけ待てるようになった。
本当に「ちょっと」しか待たずに勝手にどっか行ってしまうのでヤバかったけど。
そこはさ、空気読めよって思うんだけど、自閉ってそういうもん。
全く持って、コミュニケーション意欲がない。
Big, Small
Long, Short
Hot,Cold
と対義語を並べて言い続けるだけ。
それと、時々だが「Yes!」と「OK!」と「No!」を言うようになった。数を数えるのは英語だった。
問に答えるっていうことができないからちゃんと調べられなかったけど、ちゃんと位取りもわかってるみたいで、100くらいまで数えられるっぽかった。
「Yes!」と「OK!」と「No!」が板につき、けっこう答えてくれるようになった。
テレビゲームをしながらよく「Yes!Yes!Yes!」と叫んでた。「イィー!」から進歩。
相変わらず対義語を言う遊びはよくやってた。
英語と日本語を並べたり日本語で対義語を並べたりもするようになった。
HotCold
Hot あつい
Cold つめたい
あついつめたい
という感じ。
少しずつ発音もよくなってきたが、トイザらスから力づくで強制退場させるときに「Help! Help me!」と大声で叫ばれていろんな人にこっちを見られて焦った。
シンカリオンとニンテンドーラボを飽きずに何度もバラしては組み立てを繰り返してた。
説明書の文字はそこそこ読めるらしい。たぶん8割図からだろうけども。ミニ四駆も手伝われながらも理解して組み立ててた。
マリオオデッセイ、ピクミン4、スプラトゥーン2(ヒーローモード)を最後までクリアした。
ゲーム内の仕組みをわかってるし、数の概念もだいぶ育った気がする。
座ってられただけで凄いのに初めての「はい」
急に日本語を喋るようになった。
「いくわよー」
「だめよ」
「あかだよ」
という感じで、語尾に「よ」をつけるのは、学校の先生を真似てるからだろうか。ラッパーみたいでかわいい。
親とのコミュニケーションのなかで覚えるんじゃなく、「お勉強」で言葉を覚えるタイプのようだ。
例えば、スーパーマリオ3Dワールドのセーブデータを弟に消されたが、全く怒らなかった。
長男にとっては、どこにグリーンスターがあるかを覚えるのが重要で、セーブデータには興味がないっぽい。
例えば、長年知的障害や発達障害の当事者を診療し、成人後の経過も見てきた平岩幹男先生は、『知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来 』で以下のように述べている。長くなるが印象的なので引用する。
モラトリアム
たとえば10歳から特別支援学校高等部を卒業するまでは8年間ですが、知的障害を抱えた子どもたちは、そこで社会に出されてしまうこともあります。一方で障害を抱えていない子どもたちは専門学校や大学などを含めて社会に出るまでに10年以上の期間がある場合も少なくありません。
発達を含めて社会生活上の困難を抱えて、いわばそれまでは「ゆっくり」と言われてきた子どもたちがなぜ「困難」を抱えていない子どもよりも早く社会に出ざるを得ないのか。
もっとゆっくり趣味を見つけて磨いたり、いろいろな場所や人に触れ合うことで経験を増やしたりするモラトリアム(猶予期間)をもつことがなぜできないのか、長い間の疑問でした。モラトリアムをもつことにより、ひたすら就労を目指す場合よりも趣味や余暇活動につながるものを見つけたり、身につけられたりする可能性もあります。
著者は障害を抱えた子どもたちへ対応する生活を45年あまりしていますが、40年前には障害者就労や就労支援(移行支援も継続支援も)もありませんでした。ごく一部の企業が就労を受け入れていましたが、精神薄弱と呼ばれて社会から疎外される状況でした。
その後、児童福祉湖をはじめとする法令改正などもあり、生活介護などの整備がなされるようになってきましたが、そこではとにかく「就労できれば」「お金が稼げれば」いいという意識がとても強かったように感じています。
これまで知的障害を抱えている方々のサポートもしてきましたし、実際に生活介護を行っている作業所を訪問したり、お手伝いしたりしたこともあります。そこで出会った方は、40歳を過ぎても単純作業の毎日で、会話も2語文程度なのですが、ノートには出かけたときの道順などが車の中からの景色とともに書かれていたり、路線図の駅名がすべて漢字で書かれていたりしました。もし子ども時代に適切な教育を受けることができたら、現在の居場所はここではなかったのではないか、重度の知的障害と診断されることもなかったのではないかと感じたこともあります。
知的障害を抱えた方の就労がままならなかった時代も知っていますが、最近の20年間、特に10年間は、就労については十分とはいえないもののかなり展望が開けてきました。一度の就労で人生が決まるわけでもありませんし、障害を抱えている場合、初任給の額がそのあとも続く場合もあります。
著者は可能であればモラトリアムを使って世の中には楽しいこともいろいろあることを知り、趣味をもつことによってその後の生活を安定させてほしいと思います。そして、最終的には初任給ではなく、生涯賃金(所得)が多くなることを願っています。
(平岩幹男『知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来』図書文化. p.84-85)
本書でも述べているが、こうした問題意識から最近は「福祉型カレッジ」という自律支援と就労移行支援を組み合わせた大学のような事業所というのがあるらしい。
「福祉型カレッジ」とは、「自立訓練+就労移行支援」「自立訓練+就労継続支援B型」といった形態をとる多機能型事業所のことで、障害のある若者が社会で活躍するための力をつけるために、最長4年間学ぶことができます。
カリキュラムは、「日常生活を営むための基礎作り」(自立訓練)が2年間、「働くための訓練」(就労移行支援・就労継続支援B型)が2年間の計4年間という形が多く取られることが多く、青春を謳歌しながら、社会に出るための力をじっくりとつけていきます。
当事者の親はこうした性急な就労だけではない選択肢も視野に入れながら、子どもがより安定してひらけた生活を将来送れるように考えていく必要があるだろう。
(後で書き足すかもしれない)
もし、子供が将来Fラン大にしか進学できないと知ったら、産むのをやめるか?
じゃあ、高卒だったらどうだ?
エリートサラリーマンがタワマンに住むところ、障害者は都営住宅に住むだけだ。
終電で帰って家は寝るだけのサラリーマンより、17時に作業所から帰る障碍者のほうが幸せかもしれない。
極論をいえば、障害者は、ステータスバトルで勝てないというだけだ。
誰しもいつか敗者になる。
幸せは、心の持ちようだ。
障害があったとしっていても、1人目は産むと思う。
でも、2人目は、それはちょっと悩む。
いろいろと心境変化はあったけど、人生のいろんなことに興味がなくなった。
イーロンマスクでも生活保護民でも、食ってるものも着てるものもたいして変わらない。
イーロンマスクがするように、生活保護民だってTシャツだってジーンズだって着れる。
イーロンマスクがするように、ハンバーガーを食えるし、ビールを飲める。
庶民だからって、シャワーを浴びることも、布団で寝ることも禁じられることもない。
でも、それでも、俺が働くのは、子供たちに選択肢を増やしてやりたかったからだった。
少しでもいい学校に入れてあげたかったし、やりたい習い事は挑戦させてあげたかった。
ディズニーランドに行きたいとせがむ子供たちに、お金がないからダメと言いたくなかった。
それが、子供の成長と共に、そんな心配は不要だと現実が突きつけられる。
この子らはこの先も、
でも、今は心底羨ましい。
うちはさ、ずっとずっと、お金に困らない。
「働くな!そんな暇があったら子供と過ごせ!」
って社会に言われてる気がする。
この先の人生は、今と同じことがずっと続くだけだ。
東京都平均からしたら普通だけど全国平均からしたら高所得だったからさ。
安上がりだろ?
羨ましいか?
他所の家庭は、お年玉とか、国がくれる児童手当とか将来の学費として積み立てたりしてるんだろ?
だよ。
羨ましいか?
外食と旅行と娯楽を限りなくゼロにして、教育費もゼロだからよ。
要するに、外食のラーメンが1000円する時代に、家帰って白飯と豆腐食べて水道水飲んでれば安上がりって話だよ。
たぶん、一年の350日くらいそれを食ってる。
なんならよ、今すぐ仕事辞めたって困らないんだ。
というか子供のためにはそのほうがいいのかもしれん。
障害児を育てる各種手当が、国から、都道府県から、市町村から振ってくるからさ。
それで暮らせるほどじゃないけど、今までの蓄え切り崩していきゃいい。投資してたから蓄えはかなりある。
計算すると、投資収益をゼロとしても30年くらい食いつなげる。その頃には年金も降りるし、子供らは障害年金。それでも苦しかったら家を売って都営住宅にでも入ればいい。
それでなんも、困らないんだ。
一人暮らしをする大学生の息子に仕送りをするとか、そういうのは今後のライフプランにないんだ。
最初に書いたとおり、世界一の富豪でも生活保護でも、暮らしぶりはそう変わりゃしない。
イーロンマスクだってビルゲイツだってマクドナルドのハンバーガーを食べて、普通の綿のTシャツを着て過ごす。
Permalink |記事への反応(17) | 20:17
内容、拝見いたしました。
常に横に補助員が居ないというところからすると、発達障害でも軽度なのかと思います。
子どもの母親は、うつ病になったため、二人のケアをしていた状況でした。
リレーで同級生と手を繋ぎ、導かれて一緒に走ったという姿。ショックなのは分かります。
しかし、日常生活補助の先生が常に介入してくれていたこと、またパニックになった場合に保健室が避難所として常に機能してくれたことで、なんとか通常学級に所属させていただくことができました。
もちろん(ということであってはならないのですが)、同級生とその親からは、かなり嫌われていました。
言葉はかけられないのでどんな嫌われ方をされているかは全くわかりませんが、無視されている事は確実です。
しかし、だからどうということはありませんでした。私も彼らに関心がありませんので。
子どもが小4になったあたりで、妻がパワハラにより鬱病に陥ってクビになり、私はコロナの影響でフルリモートワークになりました。
コロナの影響で補助の先生もこれなくなり、これが常態化します(これについては、良かったのか悪かったのか、判断付いていません)
その頃から、私はリモートワークであることと、管理職で労働時間に自由度があることを活かし、濃密にケアをするようになりました。
気をつけたのは、
・学校で何があったかを聞くこと(毎日を同じ日にしないように起こった事をユニークな事象として解釈し、それをなるべく面白おかしく解釈してコメントを入れること)
・家が、最終的な逃げ場所になること
・自己肯定感の向上は無理には目指さず、低下を招かないことだけを気にすること(医者は自己肯定感の向上を物凄く気にしますが、いろいろ理由があってあえて無視しました)
です。
(診断があった時に精神科の先生から説明がありましたが、)自閉症と多動症は重度でなければ次第に改善してくることが多いそうです。
実際に子どもは、少しづつ多くの人の中に居てもパニックにならないようになり、自分の症状に自覚が出て対処方法を考えて行動するようになっていきました。
中学では、通級がありました。
通級は情緒障害に対応していたはずですが、実際の指導内容は知的障害者向けの内容でした。
そこで夏休みのタイミングで、校長等を巻き込んで、情緒障害やPDDがどういうものか、知的障害とはどう違うのか、どういう治療法が提案されているのかを 60ページくらいのスライドに纏めて説明し、理解を求めました。
通常学級の先生もそれを見て、どう対応すればいいのか理解してくれました。
そうする中で通級指導教室の先生も、通常学級の先生も、対処がうまくなってきた関係で、通常の授業に常に出れるようになりました。
何件かイジメ事案はあったものの学校側の対処が成功し、こちらも発生しただけで重大事案にはならずに収まるようになっています。
相変わらず、学級の大半は無視をしているようですが…学級での必要な連絡が停止する事がないようになっているので、問題はないでしょう。
先日授業参観に行ったところ、子どもは通常学級のグループワークで積極的に発言して、課題に取り組む姿が見えました。
去年までは全く見られなかった行動で、その成長ぶりに涙がながれそうになりました。
ここまでつらつらと、私の経験を話してまいりました。
そうですね。今は辛いとおもいます。少なくとも、私は辛かった。
しかし、絶望せずに、何ができるかを考えて行動していくことにより、定常発達の子では味わえないような成長の実感を得られました。
今は、そういう特別な成長実感の機会を与えてもらえたんだと、前向きに考えております。
以上、何かの参考になれば幸いです。
(今の問題は…ここまで改善していることを全く精神科の先生に伝えるのを忘れていたことです。先生はまだ中等症だと思っており、怒りとともに特別支援学校を勧められているんですよねぇ…。どうやって説明しよう)
この増田がきっかけでチームみらいのマニフェストとプルリクエストを読んでみました。
[B! 福祉] 障害者だから、チームみらいのマニフェストの就労移行支援とかにどうしても目が行くんだけど、
提案内容とマニフェストへの反映内容を比較してみるとだいぶニュアンスが異なります。
https://github.com/team-mirai/policy/pull/3251/files
***障がいを持つ若者の就労支援を拡充します。** - 本人の特性に合わせ、短時間の職業体験や公的インターンシップの機会を増やします。 -特定の才能を持つ若者には、専門学習支援や在宅ワークなど柔軟な働き方を推進します。***障がいを持つ若者が、AI時代に活躍できる社会をつくる** * 本人の特性や意欲に合わせ、短時間の職業体験や公的インターンシップの機会を増やします。 *AI時代に適応した、新たな職域開拓やスキル習得を支援し、リモートワークなど柔軟な働き方も推進します。
https://github.com/team-mirai/policy/pull/4318/files
###現状認識・課題分析就労移行支援や特別支援学校における職業訓練が、依然として紙資料の整理や手工芸などに偏っており、企業の実務で求められるスキルとの間にギャップが生まれています。AIやDXの進展に伴い、訓練内容の時代適合が急務となっています。###政策概要支援機関や特別支援学校での訓練内容が時代に即したものとなるよう、AIやデジタル教材を活用し、教育・支援者自身のスキル更新や情報アップデートを継続的に支援します。
上記の変更によって傷つく人を想像していないことが一番の問題だと思います。
小1の知的障碍児を育ててる。
でもnumberblocksというコンテンツはよく見てるし、マリオオデッセイとかピクミンとか、ブレワイけっこう頭をつかうゲームが既にできてるから、算数を教えようと思ったんだよね。
で、無理やりやらせてみると、単純な計算問題とかはそこそこできるのだけど、文章問題になったとたんだめ。
「いけにあひるが6わいました。2わいけからあがりました。いけにあひるはなんわいるでしょう?」
で、紙はあきらめて、「トドさんすう」っていうアプリをやらせてみたんだけど、やっぱり文章から式をくみたてるコンテンツでつまった。
苦し紛れに、英語にしてみると、ほぼスラスラと解けるようになった。
普段出る言葉も、日本語だとなにかの定型文ばかりなのだけど、英語は主語と述語があることを言ってるっぽい。
ただ、発音が非常に悪いし、親の我々が英語ができないので、なにを言ってるかはよくわからないけど、日本語よりは文になった言葉をいってるように思う。
日本語は、限られた定型文と、知ってる単語が聞こえたら単語の意味だけで類推するくらいの言語能力。
英語は、単語だけでなく文法構造も少しはわかるから、それよりもう少し理解できるという感じ。
案1
机に向かうのは中断して、出来るだけ英語を遮断して日本語に慣れさせる。
案2
英語でも日本語でも、慣れた言語でいいので問いに対して答えるという訓練をする
特別支援学校だと小6で掛算くらいの速度らしいんだけど、もう少し出来る子だと思うんで。
掛け算くらい今でもできてるみたいだし、なんかしてやりたいなと。
英語のほうがカンマ区切りと一致してて将来良さそうではあるけども。
できればiPadで動くやつ。
Permalink |記事への反応(19) | 14:24
医療少年院に勤めていた精神科医の本が話題になるたびに思い出す人がいる
ゲームが好きだった
ど田舎で特別支援学校が近くにないという理由で小中は知的障害のある子も割といる学校だったからその頃はあまり目立たなかった
Aはよく泣く男だった
理由を聞いても答えない
小中の出来事は忘れたけど
高校では
授業中に当てられて泣き、
テスト返却で泣き、
当番になって泣き、
マラソン大会で泣き、
そしてケーキが切れずに泣いた
4人一班で2人は片付け、1人は先生に呼ばれたのでAに切るのを頼んだ時、Aはケーキを見つめ包丁に手を伸ばさなかった
どうした?と声をかけると泣き出してしまった
その時は均等に切らねばいけないとプレッシャーを感じてしまったのかもしれないと思っていたが
学年主任の先生に入試用書類の添削をしてもらってたらクラス担任が駆け込んできた
一度も教員に見せずに勝手に志願書を提出してしまった生徒がいる
疲れ切った学年主任が戻ってきた
今日忙しくなっちゃったからまた今度と言われ教室に行くとAが泣いていた
近づいくと机に鉛筆で書き殴られた入試関係の用紙が置いてあった
自己PRの楽しかった事みたいな欄に虫をすりつぶした事と書いてあるのが見えてしまい何も言わずに教室を出てしまった
何か障がいがあるんだろうとは思っていたが
提出書類を鉛筆で書いている、しかも線や枠をはみ出している、虫を殺したことを書いている、それをもう郵送してしまった
必ず先生に見せることも
何度も何度も言われていた
十数年たった
Aも今だったら色々な支援を受けもっと穏やかに学校に通えてたんじゃないかと思う
そして学生時代Aは少しみんなと距離はあったけど無視されたりいじめられたりはなかった
友達もいた
何か一つ欠けていたら自殺や他害、犯罪の方に走っていたかもしれない
少年犯罪を起こした子達も環境が違えば正しく前に進めた子もいたかもしれない
夏が来る度にそんなことを考えてしまう
かなり大きなミスをしてクビになりおかしくなってしまったらしい
あれからの続きです。
言語は2歳児くらいにはなった感じです。
今更ながら、リサイクルショップで未使用品のニンテンドーラボを買いました。
あれはなかなかすごいものです。
長男の言語理解は推定2歳児くらいなので、とても説明を読めてるとは思えませんが、絵だけで組み上げました。
このニンテンドーラボのダンボール工作物、次男も楽しんでます。
タッチパネル上のオブジェクトを直接触るiPadなんかとちがって、コントローラーのボタンを押すと画面に反映されるというのが、幼児(しかも知的の遅れがある)には難しいようですが、このダンボールで作った工作物は、そんな彼でも楽しめています。
物理って偉大です。
ただ、難点は、次男は壊すのが好きなところです。
楽しんで壊す、気分が高まると壊す、イライラすると壊す、さっきまで完成形だった長男の力作が、ちょっと目を離した隙に部品レベルでバラバラになってしまっています。
でも、やっぱり長男は怒らないんですよね。
力作が無惨にぶっ壊されたら、私だったら怒るんですけど、長男はいそいそと修理するばかりで、次男をまったく怒らない。
前のエントリーで書いたとおり、長男はよく次男から理不尽な怒りをぶつけられるんですが、殴られても蹴られても怒らないのは相変わらずで、涙を拭いてあげにいったり頭を撫でたり、お菓子を与えたりするんです。
自分の宝物をぶっ壊してくる相手に、攻撃してくる相手に、なんで優しくできる、すごい能力な気がします。
怒りの感情だけ、抜け落ちてる。
他者に興味がないわけじゃないんです。
むしろ、長男は、他者に対する心の壁が無さすぎるところがあります。
公園にいくと、他の子と揉みくちゃになるのが好きで、初対面なのに抱きついたり押し合ったりして、我々両親は叫んでばかりです。
次男のほうが、嫉妬や怒りといった人間臭い感情がありますが、次男は人混みや知らない人がダメです。
長男は、罪を憎んで人を憎まずを地でいってる感じで、なんか、ヒトを超えてる気がする。
特別支援学校に提出を求められた「医師の意見書」とやらを書いてもらいに主治医のところへ。
かくかくしかじか、このフォーマットを埋めてほしい的な話をして、書類を預けた。
診察らしい診察はしてない。
というより、子供は連れて行かずに、親の私が話をしただけ。
診断書:5500円
保険外併用療法費:3300円
通院精神療法(30分以上)3900円
再診料以下は自治体が負担してくれるので、窓口負担は8800円であるのだけども。
以下、詳しく説明する
これが、例の医師の意見書っていうやつの文書作成料。保険適用外なので丸まる自費。
プール参加可とか、バス搭乗可とか、そういうのにチェックして名前を書くような書類。
学校によってフォーマットが違って難しい場合もあるんだろうけど、5500円ってけっこう高いなと思うけど、これはまあ仕方ないなと思う。
予約料らしい。
定期の診察だったらかからないけど、突発だと予約料がかかるのでご了承って言われた。まあこれは仕方ないなと思う。
お医者様とお話しさせて頂いた対価みたいな理屈なの?いや、それも含めて文書料じゃないの?
しめて、13460円。