
はてなキーワード:物心とは
当方アラサーワーママ業の者、ありえないくらいオナニー狂い‼️
物心は'""そこ"""からついたんじゃないかというぐらい未だに狂わされています‼️助けて‼️誰にも相談できないよね…家族にも、医者にも。病める時も健やかな時も、仕事で怒られた日も、第○子が産まれた日も…(会陰切開なしの裂けなし優秀ま○こです✌️)
どこにいくにも電マが手放せない。義実家にも密かに持ち込んでいる。手マンだと60分かかる1絶頂も電マなら2〜15分だからね。これを3〜4回しないと寝られないってわけ。ワーママなので、時間に追われているんだ。
別件で、一回メンタルやって薬飲んだら性欲減退したんだけど、これが地獄だった。オナニーでストレスも晴らしていたんだね。知らなかった、己のことなのに。地獄過ぎて、医者になんか〜体に合わないカモ…笑とかいって別の薬に変えたけどメンタル系って結構減退するぽくて結局メンタルは日にち薬と環境の変化でマシになった。した。
ちな、セックスとオナニーは違う派です。私はセックスは好きじゃない。エロ漫画とAVのセックスは幻想だと知って愕然としたけど、オナニーは自由だった。早くヒダヒダが抉られてお"ほ"ぉオ⁉️とか言うてみたいもんだ、そしたらオナニー狂いでなくセックス狂いとしてまだ、世間様に理解していただける気がする。
マジで痴呆にならないことを祈ってる。老人ホームで一日中オナりまくる老婆になるのか?それを我が子たちに見られるくらいなら死にたいが、その時私は…死ねる矜持すらあるのか?非常に不安。
母が急速に弱って施設入所になるらしい。
そろそろお迎え近いのかなと思う。
疎遠とはいえ動揺したが、20年も前に父が首をつった時も動揺したことを思い出す。
父とも呼びたくない、人を騙し、嘘を繰り返し、面倒臭い全てからは逃げ、妹がした悪さ(些細な悪戯)は私を殴って気を晴らす男。
わざわざ小さい妹の前で私を殴り、妹が泣きながら、姉ちゃんごめん、と、歯を食いしばって泣きながら皿を洗う私のところへ言いに来る光景を30年経った今もよく覚えている。
若い頃は猫を上層階から投げ捨てて本当に地上へ着地できるのかを試みたり、イタコの所へわざわざ出向いて生きているのがわかっている知人を呼び出させてほらおまえは嘘つきだ、とやらかしたり、気に入らない宗教者に殺害予告を繰り返し電話したり、自分がこっぴどく振った女性を複数回逆恨みで脅迫したようで、丁寧な書面でハガキで向こうさんから警察に通報しますよと言う最後通牒のご連絡がきたり(当時、当方女子中学生)、
風呂に入る為着替えていると必ず突然脱衣所へ乱入してきたり(当時以下略)、おまえは俺の血を引いて淫売のはずだからこれを読めと18禁の本とコンドームを渡してきたり(当時以下略勿論未経験、そもそもアトピー重度を患いそれどころではない)、
ピアノを弾いてくれたらもう二度と脅迫の電話をかけてりしないよと言うから弾いてあげたら、全部弾き終わったあと満足そうに脅迫の電話をわざわざ私の前でかけ、唖然としていると嬉しそうに「脅迫じゃない忠告だ」と言い放ったり(たぶんそれをやりたかったんだろう)、
途中、たぶん私の中学生卒業あたりからは当時言うところの精神分裂症になり、より酷くなったが、脅迫の電話をかけたりコソ泥をして捕まったりしているのは私が幼稚園の頃、まだ発症前からだからな。お父さん病気だから仕方ないのよ、じゃないんよ。昔からだよ知らなかったのか妻のくせに。
とにかくズルをする。嘘をつく。人を傷つけるのが大好き。性欲は歪んでいる。キングオブクズ。
物心ついた時からこいつが気持ち悪かった。無理やり口をつけてくる。泣き喚いてしんどくて暴れても笑いながらくすぐる。可愛がっていると思っていたらしいが、こんな気持ち悪いクズは他人だと思って過ごしていて、小学生のある時どうしてもよだれをつけて欲しくないと言ったら他人じゃないんだからいいだろうと笑いながら言われた。母も同じだった。それで腹が立って、いやこの世には自分と他人しかいないと言い返した。どんな小学生だと我ながら思う。その時から誕生日祝いもなくなり、嫌がらせが始まったように覚えている。
この父が首を吊った連絡は、私が空港でまさに海外旅行へ発とうとしているうきうきの瞬間に来た。
同行者もいるのだし旅は続けたが、外にいる一週間、最悪の夢を見続けた。
この父が拝み倒したから結婚したのよ、とつんとして繰り返していた母は自分はまともなつもりだったらしいが、人への脅迫も、私への理不尽な扱いも、全部しょうがないわねえで済ます人間だった。
父は唯一この母を溺愛していて、とにかく言うことをなんでも聞いた。よって私は母の願いを叶えるいいお人形扱いをされていたが止める大人はいなかった。
そして今遠方で暮らしている私のところへ、母のケアマネさんから電話がかかってくる。
もう立って暮らすことがどんどんできなくなっていると。つきましては施設の入所をお勧めすると。
裏の、ずっとお世話になっている彼女の義姉も、もうあまり関わりたくないらしい。
そらそうだ、娘2人もいて1人からは完全に絶縁されているんだから。昨年連絡があった時、私から大伯母に話した内容も効いているのかもしれない。なぜ妹の方は連絡してこないのか、と聞かれ、もう絶縁しています、母の声を聞くと首を吊りたくなるほど情緒が不安定なので、とあの時伝えた。
私はもう乗り越えているのでひとまず電話は出る、時候の挨拶の品も余裕があればする。ただし決して私の家庭には立ち入らせない。母はあの父から私たちを守らないどころか、腹の立つことがあると普段蔑んでいる父に暴力を振るわせようとする人間だった。
その母の終わりが近いと聞いて、
もしかしたら忘れているだけでいい思い出が出てくるのではないか?と、思い出す為にこれを書いた。
残念ながら、掘り起こしたくない残念な思い出しか出てこなかった。
もっと小さい頃のすてきな思い出は、すべて母方の祖父母の家で形成されたものだった。
祖父母がいなかったら私のかろうじての良識、よりよく育っていくための地盤は育まれなかったと思う。
私の伯母も長い事入院していて、お子さんたちはやはり疎遠で他に頼りになる身寄りはおらず、成年後見人がいるようで、同じ人にお願いできると。
色んな話を聞くなか、あっさり話を進めてくれそうで良かったと思う。遺産だっていらんよ、というのは、妹とも一致した意見なので。どこへでも、誰でも、持っていってください。そして私たちの人生を産んでくださってありがとう。今後はたとえ来世があっても父と母になるどころか、一目会う事さえありませんように。
今どき新聞を購読し続けてるのはアナクロでしかない、ニュースはネットでただで読めるものなのだから紙の新聞なんぞ必要ない
という時代ではあるが、仕事の兼ね合いもあって新聞を紙で取り続けていた。
とはいえ取っていたのは毎日新聞なので、あまり仕事は関係なく、最後の数年はほぼほぼ意地であった。
元々、実家は二世帯住宅で祖母宅は朝日、父母は毎日を購読していた。物心ついたころからリベラル寄りの家と言うわけでもない。たぶん実家に家を建てたときに来たのがこの2紙なのだろう。
なので、毎日新聞で私は育った。小学生時代は毎日小学生新聞を読んでいた。園山俊二の「がんばれゴンべ」を読んで育った(いやそれは言い過ぎか。僕の小学生時代にはすでにアナクロだった)
その後もずっと毎朝、毎日新聞を読んでいた。旧石器捏造事件もリアルタイムで読んだ。あの当時の紙面構成もいまだに覚えている。
21世紀になるころに実家を出た。最初に来た新聞の勧誘がたまたま毎日新聞だったのでそのまま購読した。まだまだ新聞を取るのが常識の時代だった。毎日は大して販促品をくれなかった。翌日に来た読売が山ほど洗剤やらなんやらの販促品をもってきたので、そっちにすればよかったと思った。
数年後、更新のタイミングで現在の家を購入した。とはいえ都内で一軒家を建てられる甲斐性はないのでマンションだ。
たまたま新開発の地域だったこともあり、マンション全体の管理の都合上、購読紙は管理組合が読売がおすすめ、それ以外でもまあいいけどそこまで推奨しないということだった。
なので最初の1か月はお試しで読売を取ってみたが、思った以上に紙面が読みにくく1週間ほどでギブアップしてしまった。新聞なんてどれでも大したことないと思っていたが、思った以上に文体も紙面構成も自分の肌に合わなかった。
1か月で切り上げて朝日に切り替えた。そうしたら、困ったのはチラシだ。居住エリアとチラシが全然合わない。どうやら朝日の販売店のエリアが住まい周辺は端っこらしく、チラシが普段全然使わない駅のスーパーものばかりになってしまったのだ。
困ったのでマンションの元受けに電話してみたら、読売と同じチラシが入るのは毎日だと言われた。
このころ(ゼロ年代半ばくらい)は毎日新聞の論調はまだマシだった。例のWaiWai問題はあるものの紙面そのものは特におかしいところは少なかった。もともとの自身のリベラル志向と新聞の相性が悪くなかったんだと思う。
なんとなくの転機はやはり東日本大震災だと思う。震災後、特に福島第一原発後あたりからかなりおかしくなってきた。
とはいえその頃の毎日新聞には、自分が信頼を置ける記者が何人かいて、その人たちは冷静でポジティブな記事を書いていて非常に好感を持っていた。
なんか紙面全体が、昔はよかった昔はよかったとぶつくさ言いながら喫茶店や床屋で政談をふっかけるおっさんみたいになってきた。
自民党が選挙で大勝して安倍政権になってからはさらにその傾向が強くなった。
僕が信頼していた記者も一人は退職し、もう一人は記者ではなくCSR関連の部署にいってしまい、ものすごく残念だった。
HPVワクチン報道、草津温泉の件など、信頼できない記事が目に見えて増えているのもかなりきつかった。
紙面全体に漂う「ネット言論はすべて敵だ」みたいな空気もすごくきつかった。
だんだん、毎日を取る理由は広告以上のものはなくなっていった。とはいえ、なんとなく経営の危うい(危ういのはもう30年くらい前からだが)新聞を買い支えてる気持ちもあった。
このころ、毎日で唯一よかったのは紙をとっていれば、ネットの有料記事も無料で読めたことだった。
しかし、それも少し前に改定されてしまい、紙でとっていても追加料金を払わなければ紙面をよめなくなってしまった。
この辺でいわば買い支えていた心がぽっきり折れた。そもそも購読料がどんどん値上がりするのもダメすぎた。その金額に情報価値が見合ってなさ過ぎた。
まあ40年も読み続けていれば飽きるというのもある。
実はこの10年ほど仕事で必要というのもあり、日経を電子版で購読していた。
朝の通勤時は日経電子版を読むことが多かった。はてなでは日経は観測気球や飛ばしが多いという印象をもたれがちだが、正直、日経の方が経済への影響を視野に入れるためか、政治や国際情勢に関する記事はフラットで読めるものが多い印象をもった。
今年に入り、自分の支出を見直すようになったこともあり、選択肢として新聞も考えることにした。
そして、毎日をやめて日経を紙でもとることにした。電子版に追加料金で取れるのでこっちでよかった。実は毎日を紙と電子版で両方取った場合と金額はかわらないのだが、毎日を電子と紙で取るという選択肢はなかった。
今年の春くらいから日経に切り替えたので、そろそろ半年たつ。少し懸念していたチラシについては、欲しいチラシは全部入るので日経で十分。
紙面内容もこちらの方が満足度が高い。私の履歴書で有名な文化面が実は読みごたえがあるのに初めて気づいた。通勤時の電子版では後半を読まないので気づかなかった。日経はそもそもの購読者を想定しているせいか、紙面に啓蒙しようという空気が薄いのが良い。啓蒙と言えば聞こえがよいが、今の毎日や朝日はバカを言いくるめようとしているだけとしか思えない。日経は多少のリテラシーがあることを前提に記事を書いてるように思う。つまり読者を信頼している。今の毎日や朝日は読者をバカにしてるのではないだろうか。
毎日では入らないラグジュアリーブランドの広告なんかも逆に面白い。15段ぶち抜いた派手な広告は毎日ではこの数年お目にかかったことが無い。
エコーチャンバーな情報はさんざんネットで浴びるように読んでいるので、新聞はもう少しフラットな情報を読ませてほしい。そういうニーズにこたえてくれるのは今は僕にとっては日経なのだろう。
ようは今の毎日新聞の紙面はクソだと言いたいだけの記事でした。
ところで、この記事を書くために毎日新聞のwikipediaを見たら、なんかしらんがごっそり内容が削除されてるね。以前は誤報や議論となった報道がぎっしり書かれていたんだが。
変更履歴をみたら、去年の10月にごっそり半分くらい削除されてるっぽい。変更した人はこの毎日の記事だけしか手掛けてない。特にそれについて議論もされてないな。なんだこれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20251009234315
の2位のコメントが凄い
Arturo_Ui
ここで蹴ったら今後は口が裂けても「総理を目指す」と言えなくなることを踏まえれば、
各党の思惑とは別に、玉木としては「応じる」以外の選択肢は有り得ないはずだが?
ご冗談を
すべてが事実と異なる。
完全に事実に反する。
政権の中で圧倒的な議席数を持つ立憲民主党の合意なしには法律一本通せない
と言う状況に陥る。
| 会派/政党 | 所属議員数 |
| 自由民主党・無所属の会 | 196 |
| 立憲民主党・無所属 | 148 |
| 日本維新の会 | 35 |
| 国民民主党・無所属クラブ | 27 |
| 公明党 | 24 |
| れいわ新選組 | 9 |
| 日本共産党 | 8 |
| 有志・改革の会 | 7 |
| 参政党 | 3 |
| 日本保守党 | 2 |
| 無所属 | 6 |
| 欠員 | 0 |
| 合計 | 465 |
というか順当に野党トップの立憲民主党の野田党首を総理にしたところで
立憲の議席も自民にすら負けてるわけで、やっぱり何もできない。
(相当甘い見通しで公明党と共産党とれいわが反自民団結してくれる前提に立っても189議席、勝手に国民入れてもまだ206議席)
こんな弱い足場の総理大臣の「絶大な権力」とは具体的になんのことか?
請け合ってもいいがArturo_Ui氏含む誰一人答えられないと思う。
ここで蹴ったら今後は口が裂けても「総理を目指す」と言えなくなることを踏まえれば、
事実としてそんな前提は全く成り立たない。
A.「国政を牛耳り自分の理念や政策を実現することを目指す」という意味
B.「何もできないお飾りであれとにかく”総理大臣”と言うポストに座ることを目指す」と言う意味
これを「Bだ」と言い張ることで「玉木は言行不一致!」とする非難を試みているのがArturo_Ui氏らであって
これはもういちいち解説するのもアホらしい小学生レベルの詭弁だと思う。
はてなブックマークはこういう小児の口喧嘩が通るような十代のSNSだっただろうか?
そうではない、上は痴呆症兆候者までいるアラフィフがボリューム層のミドル脂臭SNSだったはずだ。
そうしたロマンスグレー世代の中でこんな小学三年生ぐらいの知謀が人気2位に着けるのは
控えめに言って終わってるというか、程度が低いよりほかに罵り文句が思い浮かばない。
子持ちも多い筈だが子供の屁理屈とかどうやって叱るんだろうかこの人達は。
なぜ「各党の思惑は別」になるのか?
そもそもこんなことを言い出している立憲民主党の思惑とは何だろうか?
これが良いアイデアならば、圧倒的議席の立憲民主党野田党首が首班指名に立つべきであって、
各協力野党の実現したい政策を確約して団結を呼びかける、という調整をするはずだ。
本当にまとまって自民に勝てるのかすら怪しい。
参政党は「我々の首班は神谷だが、野党か高市か決戦になったらマシな高市に入れる」と明言してるので
玉木としてはこの泥船に乗った上で指名で負けたら目も当てられない。
(しかし参政党3議席がキャスティングボート握るの痺れるね!
日本保守党は仲間割れで1議席減らしたからギリギリで握れないのも痺れる!)
Arturo_Ui氏も古株で、おそらく若い人ではなくはてな平均層ぐらいの中高年と思えるが
たまに見かける限り書いてることはいつもこの調子・このレベルの内容だ。
まったく知的程度の低いことばっかり書いてるのに
「ご冗談を」とか言う謎の航空目線タグを常用してるのが本当にいかがわしいというか
と言う気持ち。
今回のArturo_Uiのコメントに星を付けた人達はどっちなの?
本当にこの状況下の玉木総理に”絶大な権力”が付されて国民民主党の政策をバンバン実現できると誤認していた。
・Arturo_Ui氏のコメントが基本的事実に反した小学生並みのコメントであることを認識しながら
嫌いな政治家を攻撃するためには子供の言い掛かりレベルのコメントに同調することをよしとした。
どっちであってもあなたがたは政治の話なんかしなくていいと思う。
本当に。親切心のみで。煽り抜きで。
持って生まれた知性が複雑なものごとを論じるのに向いてない人達なんだと思う。
これは良い悪いじゃないし実のところ人類の多数派だと考えられる。
暇つぶしは身の丈に合ったものを選ぶのが幸せにつながるのであって、
ネットでわかりもしない議論に参加するふりして心身を不幸にする時間があったら
お外に出て砂場とかで遊んでろと思うんだけどどうか。
大人が砂場で遊んでると不審がるような社会の風潮がおかしいのであって
多くの人間ではほとんどの側面の知能は実は物心ついたぐらいで止まってると思える。
Permalink |記事への反応(21) | 14:34
だから自分ではそれが普通だと思ってて、実家のリビングで寝っ転がってテレビを観ている時に、(あれ、皆もしかして片耳をクッションで塞いでてももう片方の耳でテレビの音聞こえるのか?)と思ったのが片耳が聞こえないことを自覚した最初だったかもしれない。
片耳が聞こえないなんてバレたら大事になるんじゃないか、親に心配かけちゃいけないとか思って、学校の聴力検査も全部勘でパスしてきた。検査する人の肩の動きとかガン見して押すタイミングはかったりしてた。
それでもたまに聞こえない側から何回も話しかけられてるのに気付かなくて、友達に「耳キンポ(=つんぼ)!」とか言われたりしてたけど「ごめん集中すると周り見えなくて〜」ってごまかしてた。
中高生になると、音楽聴くのが1番の趣味くらいに好きになった。ある日(なんか音足りなくね?)と思って調べて、サラウンドとかステレオの概念知った時は衝撃だった。右と左で流れてくる音違うなんて、片耳聞こえなかったら大好きな音楽も100%の状態じゃ聞けないんだ、とショックだった。モノラル設定で、バランスも聞こえる側に100%振って聞いてた。
大学生になって、アルバイトを始めた。最初に検討したところはシフトにかなりたくさん入らなきゃいけないし、インカムを使う職種だったので諦めた。聞こえる側イヤホンで塞がれたら、もう片方でコミュニケーションは取れないと思った。
そんなこんなでちょいちょい不便なことはありつつも、でも別に聞こえないの片方だけで、もう片方は健聴なので誰にもバレることはなかった。そしてこれからも特に何もしなくても普通に生きていけると思ってた。というか普通に生きてこれたので特に病院行ったりもしてこなかった。
しかし、就職先もインカム使いそうなところに決まった。研修で「インカム付けてそれぞれの耳から違う指示飛んで来ます」って言われて、それは無理だと思った。でも同じ会社の中でもその職種諦めるとなると、かなり私のやりたいことができなくなるんじゃないか…。とりあえず今更ながら自分の耳の状態をはっきりさせとこうと思って先日耳鼻科に行ってきた。
検査結果は感音性難聴。素人目にもはっきり分かるほど検査結果の左右差は酷かった。片方は明らかに聞こえていなくて、補聴器を考えるレベルも遥かに超えていた。でも自分としては片耳は完全に聞こえない聾だと思っていたので、「耳元でめちゃくちゃ大きい音なら聞こえる」と言われて、少しでも聴力が残っていたのは意外だった。もちろん、目に見えるグラフではっきりと「聞こえない」ことを突きつけられたのは人生初だったので少なからずショックだったけど。
しかし何年も放置していたせいで原因も分からないし治療法も将来的に補聴器を考えるしかないみたい。ちなみに中耳炎やおたふく風邪にはなっていない。水ぼうそうには小さい頃なっていた。まあ先生ふわっとしてたから一応来週あたりセカンドオピニオンにも行ってみようかな…。まあ自分で調べてみた限り言われることは同じそうだけど…。
あーあ、人事の人に早めに言うか迷うなあ。内定取り消し、はさすがにないと信じたいとしても、「耳聞こえないならインカム使わない部署で!」ってなったら頑張って就活したのにやりたいことを諦めざるを得ない配属になるかもしれない。それだったら、今まで支障なく生きてきたんだからしれっとしてて、支障が出てきたら言って骨伝導イヤホンとか試させてもらえばいいんじゃないか。
まあ骨伝導イヤホンも、オーテクのやつこないだ試聴してみたら、全く聞こえなかったんだけど(骨伝導イヤホンも聞こえるかは相性によるらしい)。
ああ、急に不安になってきた。
https://anond.hatelabo.jp/20251008120802
これへの反応を見ててもわかるけど、結局のところ性分化疾患の人間を「男でも女でもない」とか言い出すのってアンチトランスの人間だよな。
「体の性別はグラデーションじゃない」って要はスペクトラム(であること自体は単なる科学的事実)の両端だけを「男」と「女」にして、それ以外は性別に属すと見なさないって発想だからな。性分化疾患の人間が体の作りが違うだけの同じ男や女であるという発想自体がないんだよ。当人たちがどれだけ当たり前に男や女として生きてきて、その自己意識もあって、さらには自分の体の作りについてもともと知らなかったとしても。
あと幼少期の経験でその性別になる派は「ブレンダと呼ばれた少年」を読め。出生すぐに陰茎を切除され、物心ついたときからずっと女の子として育てられた少年のドキュメンタリー。
ちなみに世の中の人としてはこんな例がある。
こうやって並べてみると、安部政権は全くと言って良いほど大きな経済社会保障政策をやっておらず、ずるずると前例踏襲、小手先の政策だけをやっていたので、物心ついてからその時代だった人には、感じたことがないというのも当然かもしれない。
ただ、その不作為が今になって噴き出しているのだが。これはちょうど1990年代後半が終わった後の、小泉純一郎時代の空気に似ている。大波がくるぞ。
Permalink |記事への反応(17) | 22:03
私(妹)も姉からずっと嫉妬され怒りの対象にされている。客観的に姉が劣等感を抱く必要がないように見えるのも同じ。攻撃を避けたらエスカレートしたのも同じ。
怒りのネタがわりと古いのも同じ。ときには物心付く前の話とか持ち出される。
あと両親の反応もちょっと増田のところと似ている。姉の主張が支離滅裂なのは姉以外の家族全員で認識が一致しているものの、「妹のお前がとりあえず謝って場を納めろ」的なことは私も言われる。
謝ろうが何しようが全部都合のいいように解釈されて次の攻撃のネタにされるのは目に見えている(実績あり)。
共感を示しても多分意味ないか、下手したら調子に乗らせるなり火に油を注ぐなりで更に状況が悪化する。怖いよね、わかる。
自分語りが長くなってしまったが、以下我が家の状況に重ねる形で増田のお姉さんの状況を推測してみる。
ただの推測かつ長文なので、興味があれば読んでみてもいいよ…みたいな気軽なトラバだと思ってください。
自分も含め多くの人は過去の嫌な記憶は日々の生活の中で、時間が経過して薄れていくものだと思うんだけど、年々増していくのはなぜなんだろう。
嫌なことをつい考えてしまう環境にいるか、考える時間があるのに新しい他の思考のネタが少ないか、あるいは考えたくないことがあるのではないかと思う。
我が家の姉は今出産で実家にいるので、「家族との思い出」というツボをよく刺激されているのは想像に難くない。
自分自身は今家事を含め仕事などをしておらず、逆に旦那は仕事で近くにいない。一人で考える時間は多い。
ぐるぐる思考で不安は膨らむが、それを妹である私にかぶせて「妹の欠陥・妹への憎悪」とし、私を攻撃することで、自分の負の感情に直接向き合うこともなく安心できるのだと思う。
メンタル的な話なのかもしれないし、カウンセラーとか医師に相談したらいいだろうけど多分それを言ったらめちゃめちゃ怒ってきそう。
メンタルでもフィジカルでも、カウンセラーや医師への相談は状況の改善が期待できるが、ご認識のとおり他人が誘導するのは難しい。
我が家の姉は今の自分の状態を「家族の問題」と捉え、母と一緒に家族カウンセリングを受けた。
だが効果はなかった。母は姉の前でカウンセラーに対して本音を隠した。姉は「妹と母がいかに姉を傷つけているか」というストーリーを語った。
家族カウンセリングは一方的な主張で家族システムの不具合を見つけるものではないし、事実不在のままの一方的な改善の強要ではシステムの問題は解決しない。求める結果が得られなかった姉はカウンセリングを打ち切った。
姉自身が自身のためのカウンセリングを受けるのは最善手に見えるが、自分自身の問題を指摘されることには強い拒否感を示すし、一緒に暮らす両親も姉が怖くて指摘できない。
すでに指摘されているように、年齢的に更年期障害は怪しい。我が家の姉は妊娠・出産で実家に帰っているタイミングで爆発したのだが、これも更年期同様ホルモンバランスが大きく乱れる状態だ。私も女性ゆえ生理があるので、ホルモンバランスの乱れと精神の乱れの連動は実感するところ。
誰か姉の状況をわかる人いれば助けてほしい。同じような状況の人っているのかな…、どうしたらいいのか教えてくれる人いませんか。困ってます…。
勝手に我が家の境遇と重ねた想像をすると、増田のお姉さんが本当に不満なのはおそらく姉自身で、でも自分自身を攻撃するのは怖いから、狙いやすい増田を攻撃する…攻撃の大義名分を得るために増田に対する憎悪や怒りを膨らませる…というループに陥っているのではないかと思う。新ネタの供給がなければ過去に遡って怒っていい理由を掘り当てるしかない。
根本的な解決策は、これは本質的にはお姉さんの問題であると認識すること。
過去に何かはあったと思うし、それはお姉さんのせいじゃない、増田のせいだったり両親のせいだったりする痛みもあると思う。誰が悪いという話ではなく、家族ってそういうものだ。
でも、増田の言うとおり、「多くの人は過去の嫌な記憶は日々の生活の中で、時間が経過して薄れていく」形で折り合いをつけていく。怒りも嫉妬も恨みも、自分の一部として受け入れることで、あるいは受け入れられないものを自分で消化・昇華することで成長していく。他者への攻撃は子どもでもできるストレスの解消手段だが、大人になるにつれ他の手段も学ぶことで攻撃せずともストレスを解消できるようになっていく(理想論だけど)。
それができず、過去を引きずり怒りをぶつけているのは過去ではなく「今のお姉さん」の選択だ。
お姉さんが悪いとか増田が悪くないとかそういう話ではなく、そういう選択肢が選ばれる状態が起きている、という話。
そこに同情の余地があろうとやんごとなき事情があろうと、今のお姉さん自身が折り合いをつけないと、他人には根本的には救えない。
効果的に手助けできるとしたら血がつながってるだけの素人ではなく、心理学や医学、そのあたりに明るいプロフェッショナルだ。
今が辛いのはお姉さんだけではなくご両親や増田もだと思う。もうみんな大人なので、それぞれ自分の状況を理解し、自分の選択をし、自分の心を守るしかない。できるかぎり他者を攻撃しない形でね!
手段的な解決策は、前述のとおりカウンセリングや心療内科のお世話になれるなら一番簡単だと思う。
もし、増田のお姉さんが大騒ぎしていたり家庭内不和を引き起こしたりしているなら、警察や家庭内暴力の相談窓口などへの通報も手段のひとつ。どこまで頼りになるかはわからないけど。
ちなみに我が家の場合、私は自分のカウンセリングに通いつつ、いつかもしかしたらほとぼりがさめるかな~くらいの気持ちで接触を絶っています。ほとぼりが冷めない場合の覚悟も決めてます。まだ一人泣く夜もあるけどだいぶ楽になりました。
ウン十年間ずっといい子にしてたけどさ、私だって長年耐え忍んで辛かったし、今も現在進行系でひどいことされて怒ってるし悲しんでるんだよね…という自己分析の結果を、今の気持ちを大事にしたい。
両親は姉の世話で疲れているようだし、私に姉の機嫌を取ってほしそうだけど、姉の面倒を見ると決めたのは両親自身なので、その覚悟のほどは任せた!という状況です。
両親になにかがあったらその時はその時で、やることは決めてるので姉との関係にかかわらず体が動いてくれると信じています。でもずっと元気でいてほしい。
その国民宿舎はまあ古い建物だった。建てられたのは昭和末期から平成初期の辺り。少なくとも今三十代の自分が物心ついたころにはもう古い建物だな、って思うくらいには昔からあった。昔は田舎リゾートとして村の重要な財源だったのだろうけど、国民の休日の過ごし方が変わり、かつては村だった土地が合併して名義だけ市になる頃には、もう補助金と地元のプチ銭湯という妥協の営業スタイルになっていた。
自分は里帰りしていた時に、しばらくそこでバイトをしていた時期があった。実家が近い自分は施錠や宿直を任されることになり、事件はその宿直の最中に起きた。
時間は確か23時近くだったと思う。洗濯室に夕食のために厨房で使ったタオル類を回収に行ったら、床の上に置いてあった粘着式のネズミ捕りになんか長ーい物体が乗っていた。最初は見間違いかと思った。だけど二度見してよくよく確認すると、それは粘着シートにべったりとひっついたヤマカガシだった。
捕らえられたヤマカガシは、でかい人間が近づいてくるのを察すると、ウゴウゴと身を捩って逃げようとした。だけど全身の半分近くが捕われているから、ネズミ捕りの台紙が左右に少し揺れるだけの動きしかできなかった。
ヤマカガシというのは日本に住むヘビの中ではポピュラーな方ではあるけれど、人家に近いところに住むシマヘビやアオダイショウと違って森の中に住んで小動物を食べるスタイルであり、マムシとも違って好戦的じゃないから藪の中でもヘビの方からさっさと逃げてしまうということもあり、目撃することは田舎育ちの自分でも割とレアだった。
しばらく観察して分かったのは、ヤマカガシの全長は60cmから70cmくらい、「6」の字を描くみたいに粘着シートにひっついている、空腹だったのかペラペラの状態、ということだった。特に最後については、脱出しようとして身を捩ったせいなのか、お腹側のほとんどが粘着シートに密着してしまっており、そのせいで身体が蛇らしい丸太ではなくてベルトみたいな楕円になってしまっていた。
どうやらヤマちゃんは排水溝を通って室内に入ってきたみたいだった。洗濯室には水抜きのための大きな排水口があったのだけど、ヤマちゃんはその排水口のすぐそばにあるネズミ捕りに掛かっていたのだ。
ネズミ捕りに掛かったヘビという初めての状況に出会ってしまった自分は大層困った。取れる手段は無視するか対処するかの二択。無視して餓死を待つという手段もあったけど、仮に脱出されてしまうと客室に蛇が出没することになってしまう。それに蛇はしぶといので空腹で餓死するまでに何日も掛かってしまうかもしれない。だから対処するしかなかった。
そろそろ眠気を感じる時間帯だったけど、この頃にはもう眠気は完全にぶっ飛んでいた。どう対処をするか。一番簡単なのは殺してしまうこと。動けない状態なのだから鈍器で頭を潰してもいいし、水漬けにしてもいい。だけど、エセ博愛主義者の自分はどうにか生かせないかと思っていた。
完全にエゴなのだけど、自分は生きる機会がある存在には可能な限り生きていて欲しいと思っている。だから部屋に虫が入ってきても外にポイするし、殺虫剤もこれまで使ったことがない。だから今回もなんとかヤマちゃんを生きて脱出させてあげられないかなと思っていた。
だけど、問題が一つあった。もし掛かっていたのがシマちゃん(シマヘビ)やアオちゃん(アオダイショウ)なら手なり火箸なりで水かけてメリメリ剥がしていただろうけど、ヤマちゃんは一応毒蛇なのだ。しかも、マムちゃん(マムシ)よりも強い毒性を持ってしまっているのだ。ヤマカガシは臆病な性格でマムシみたいに自分から襲ってくることはないから危険視されていないけど、実は喉の奥に毒腺を持っており、深く噛み付くとマムシもびっくりな強烈な毒液を相手に送り込むことができる。
今、宿直は自分一人だけで、もし噛まれてしまうと最悪その場で倒れて死んでしまう可能性があった。そこで取った手段は、できるだけ自力脱出できるような策を講じて、あとはヤマちゃんのガッツにかけるというものだった。
ネットで「ネズミ捕り 外し方」と調べると、どうやら粉と油でなんとかなりそうだと分かった。粉を使って細かい毛(ヘビの場合は鱗か?)を保護して、油で粘着剤を剥がす。急いで厨房へ行って、片栗粉とオリーブオイルを取ってくると、ついでに持ってきたショベルにヤマちゃんごとネズミ捕りを乗せて外に運んだ。そこでドバドバと粉と油をかけ、あとは天の配剤に任せて草むらにネズミ捕りごと放置して朝を待つことにした。
昔の記録映像にある蝨取りみたいにして筆者に粉をかけられたヤマちゃんは、ウゴウゴして嫌がる仕草をしていたのを覚えている。
宿直室に戻っても、アレで本当に良かったのだろうか、もっとできることはあったのではないかという後悔が何度もあった。身動きできない状況で外に放置しているのだから野生生物に襲われたらひとたまりもない。もっと上半身くらい剥がしてあげれば襲われても反撃できるんじゃじゃないか。でももし噛まれてしまったら、と考えが堂々巡りしていた。
ともあれ朝までちゃんと眠って、翌朝5時に起きて館内の照明を点けた後に外に出していたネズミ捕りの様子を見に行ってみた。昨日置いた草むらにちゃんとネズミ捕りが残っていた。ただし、中で捕まっっていたヤマカガシの姿を除いて。しっとりと朝露で湿ったネズミ捕りにはヘビがのたくった痕跡が色濃く残されていた。オリーブオイルでゆるんだ粘着剤は荒波が立ったようにあちこちがうねっており、捕まっていたモノが激しく動いたことが察せた。
家に帰って宿直中に起きたことを父親に話すと、多分逃げ延びたのだろうという話になった。根拠はネズミ捕りの台紙がその場に残っていたこと。野生生物に襲われたなら台紙ごともっていかれているだろうと。だけど正直、本当にヤマちゃんが助かったのかは分からない。ある程度暴れて拘束がゆるんだタイミングで、タヌキかなにかが運良く咥えていった可能性すらある。ただ、自分はたぶん助かったと思っておくこととした。
後日談として。それから数週間後、施設のクロージングのために外を歩いていたら、ネズミ捕りを置いていた草むらからほど近い場所に、で〜んとデカいヤマカガシが寝ていたことがあった。スマホのライトの先に急に現れたからびびったけど、じっと見ていたらノソノソどっかに行ってしまった。もしかしてあの時の……だったのかなあ、と思ったりもしたけど、まあ真相は叢の中。
【追記】気にしてもらえて嬉しかったです。いちばん好きな食べ物は松屋の牛めしです。あとすき焼きも卵がなくても好きです。
いちばん便利で、手っ取り早い栄養素が損なわれているのでは、とは思ってるけど、これからもたくさんたのしく暮らしたいです。
卵アレルギーって言うと、なぜか牛乳は大丈夫?ってよく聞かれるの、なんでなんだろう?
上京してから何年も経ってるのに、まだもんじゃ焼きを(お好み焼きみたいに卵入ってそうに思っちゃうから)食べてないのはなんとかしたいです。
子どものころから卵アレルギーが治らなかった人、意外といないのか話を見ないので、書きます。
子どもが卵アレルギーでも、ちゃんと健康に育つので親御さんは悩まないでください。
物心ついてから、初めて卵製品で食べれないと思ったのは、保育所で食べたカステラ。
小学校一年生の時は、給食食べきるまで昼休みがもらえなくて辛かった。吐きそうになりながら食べた記憶がある。
親は苦手なのかなくらいに考えてたんだと思う。
2年生以降はたぶん卵アレルギーだということが確定して、給食は食べ切らなくてよくなった。
でも、お弁当やかわりのおかずを持っていける時代ではなかったので、千切りキャベツをドレッシングなしで食べるのは辛かった。
小学校高学年の宿泊研修で、みんなが食べていてどうしても食べたくなり、卵入りアイスを食べてしまって嘔吐。その頃には先生たちも大慌てで、次の年から生徒にアレルギー確認があったり、語り継がれていたらしい。
親が月に一回、田舎から1時間以上かけてアレルギーの治療に連れて行ってくれたけど、特によくならなかった。今思うと、親も心配してくれたのにな…と思う。その頃の薬のせいで身長が伸びなかったのでは?疑惑があるらしいが、よくわからない。両親に比べて背は小さいけど、女で154cmなら普通くらいだから気にしてない。
誕生日ケーキもないので、ゼリーやアイスだった。卵なしのケーキを用意してくれたこともあったけど、パサパサでおいしくなかったなあ…。今なら色々おいしいものもあるのかも。
20代前半でハンバーグが食べれるようになったり、20代後半でハンバーグや蕎麦屋のふわふわの天ぷらが食べれなくなったり、浮き沈みはある。
あと、妹も同じで生涯卵アレルギーだけど、これくらいなら食べられる/食べられないは結構違う。
去年はうっかりムース(卵さわった手で粘膜触ると腫れるから、お菓子作ったことない)を食べてしまって、下痢と血圧が一気に下がって人生初の救急車にのった。点滴打ってもらって元気になった。
他にもハウスダストとか花粉、山芋も食べれなかったり。皮膚湿疹も酷かったけど、1年中抗ヒスタミン剤を飲み始めてだいぶよくなった。
結婚もして、夫は元マヨラーだけど、食べたい時にはひとりで食べているみたいだし、そんなに不便は感じてないと言ってくれている。
さすがにフレンチで卵アレルギーをお店に申告できなくて、記念日は毎年イタリアン。ワイン好きなのでちょっと残念。
今後子どもができたら、卵アレルギーだとやっぱり可哀想って思っちゃうのかもしれない。
卵が食べれたらなあと思うこと、ないことはないけど、そもそも味が、辛かった思い出とリンクして食べたい気持ちは起きない。なんなら、凝り性なので少しくらい枷があるほうがいいと思うくらい。
あらためて、色々トライ&エラーを繰り返しているので大事に至らなかったのはラッキーだと思います。これからも失敗するかもしれないけど、ある程度は対処もできるようになった。酔っ払って見間違いだけしないように気をつけていきます。
夫はサラリーマン家庭で育った。彼自身もいわゆる大企業に勤め、新卒から今日まで順調に勤続年数を増やしている。「安定した社会的信用」を当然のように身につけているのだ。
その姿は私には一生手に入れられないもので、素直に「素敵だな」と思う一方、どうしても自分と比較してしまう。
私は自営業の父を持ち、公営団地で育った。母からは物心がつく頃から「あなたは会社員と結婚しなさい」と口酸っぱく言われていた。
実際に会社員である夫と結婚した今、その言葉の意味を日々痛感している。
毎月安定したお給料が入ってくるということは、先が見える。ローンも組める。年金は半分会社が出してくれているし、福利厚生も充実している。
もちろん私だって新卒からずっと正社員で働いているし、私自身に後ろめたいことは何ひとつないはずだ。
例えば夫が当然のようにグレードの高い家電を買うときや、廉価版のパクリ商品ではなく有名なメーカーの正規品を選んだり、古いホテルに泊まることに難色を示したりしたときなど
ふと自分の出自を憂い、「この世のスタンダードは夫の側なのだから、間違っているのは私だ」と感じてしまう。
そんな瞬間を重ねるうちに、自分のすべてが浅ましく、恥ずかしい人間だと思うようになってしまった。これが、結婚後の自己肯定感の下がり方だ。
思えば、これまで長く付き合った男性の父親は皆自営業だった。だからか、そこには自由な空気があり、私は今まで後ろめたさを感じずに過ごしてきた。
しかし結婚してから、自分の中に深く刻まれた「サラリーマン家庭へのコンプレックス」が改めて浮かび上がった。それはきっと、母の価値観を内面化してしまった影響でもあるだろう。
人との距離をすぐに詰めてしまうところや、自己開示をしすぎてしまうことも含め、結婚後に気付いた私の中の「浅ましさ」は数え切れない。結婚生活の中でそれらが浮き彫りになり、恥ずかしさとともに自分を苦しめる。