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はてなキーワード:物差しとは

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2025-10-26

世の中の常識は変わる、ということが理解できないと意識アップデートは出来ない。

絶対的普遍価値観「っぽい」もの存在するけれど、

それ以外の価値観は、もうユルユルなんですよね。

10年・20年・30年・50年・100年と物差しスケールを切り替えればそれはわかること。

そのへんの歴史的俯瞰視点があれば、意識なんて簡単アップデートできるんですけどねえ。

はてな界隈には、

葬送のフリーレンとか銀河英雄伝説とか、

俯瞰的な視線優越感に浸るタイプ物語を、

好きな人が多い。

その割には、実際の自分価値観とか、そういうものに対しては、俯瞰的な視点を持てない人が多いんだよなあ。

最近、少しだけ話題になった「ちゃん」づけで他人を呼ぶことなんて、まともな企業ではこれからは使えなくなるという話、とかは簡単理解できることのはずなんだけどな。

どういうわけか、スッと納得できる人が多くない。

あれは、〇〇というケースであって、なんたらかんたらで、あるから、、、とかなんとか理論武装「っぽい」ことを主張しだす。

なんだかなあ、、、と思う。

世の中の流れとして、考えられないのが、とても不思議

俯瞰的な視点で見れば、どんどん窮屈な方向へと社会は向かってるんだから、人の敬称とかもどんどん制限がかけられていく社会になるのは当然。

そういう流れの中で「ちゃん」づけは不適当である、ということが社会認識されればどうなっていくのかはわかりそうなもの

でも、なかなかどうして、頑固な人はそれが理解できない。そして、老害へ、、、。

自分がどう思うかよりも、社会がどう変化するのか?頭は柔らかくしてかないと、ね?

とはいえ未来はがどうなるかはわからないというのも事実なんだけどね。

価値観アップデート反動みたいなものが来ることだってありえるから

トランプみたいな人が日本にも現れて、行き過ぎた価値観アップデートダウングレードさせる方向へと持ってく可能だってある。

それはそれとして、あるのはあるけど、まあ現状はどんどんと息苦しくなる方向へと向かってるという認識は持たないと。

いけないんじゃないですかね。

Permalink |記事への反応(0) | 09:47

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2025-10-21

anond:20251021102052

平均身長の人を想定した場合にはその通りだけど、身長が低い人の場合はそうじゃない。

かなり極端な例えをしてしまうと、小人症の人や生まれつき四肢が欠損してる人には通常の体重物差しは当てはまらないのは分かるよね?

その人たちに対して「成人が30kg台はおかしい」という人がいたら、それを言ってる側のほうがおかしい。

身長の低い人には低い人の、高い人には高い人の適正体重がある。(なんでこんな小学生でも分かるようなことが分からないんだ?)

Permalink |記事への反応(1) | 10:33

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2025-10-17

anond:20251017114005

都会だからとかそう言う話じゃなくて、背伸び強制させられて他人物差しのために無理してないか心配なのかな。

頑張ってる間は愛してくれている、でもふっと糸が切れて疲れてしまった時に、寄り添ってくれる相手なんだろうか、って。

とはいえまだ若いし都会でしかできない経験もあるから応援してるけど辛くなったらいつでも帰ってきていい、って逃げ道を作っておくしかいかもね。

Permalink |記事への反応(0) | 20:58

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2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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anond:20251015195900

全ての人間がそうであり、同時にそうではないから、無意味な指摘だ。

他の物差しを使え。

Permalink |記事への反応(1) | 13:51

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2025-10-06

anond:20251006082933

見ていたとして、相手にわかるのは私の電話番号名字だけなわけで、私に攻撃、加害しようがない、と高を括っている

万が一探偵でも雇うのであれば、私の住所や職場などまで丸裸にされるのかもしれないが、

こういう事件があってこいつを加害してやりたいんだ!個人情報を調べてくれ!!という依頼を受けるだろうか

嘘をついて探偵を雇うことは出来るかもしれないがそういう頭をもっていれば探偵など雇わずに謝り、被害届を取り下げるように頼み込むだろう

だが無敵の人である、私の物差し判断するのは危険かもしれないな、心配してくれてありがとう

Permalink |記事への反応(1) | 10:16

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2025-10-05

いわゆる無敵の人トラブルになった話

先日、酔っ払いに殴られた、6発

警察も来てその場で逮捕パトカーに乗る寸前まで暴れ、往生際の悪さに少し笑った

   

翌朝殴られたアゴがカクカクする、一応病院に行って、レントゲンも撮って、骨には異常がないことを確認してもらった

幸い痛み止めを飲んだり、固いものをたべないようにしたりすると1週間程度で治った

   

少し時が経ち、相手示談したい、と言っていると警察から連絡があった

まあ痛みも引いたし、誠心誠意謝ってきて、病院代に少し色をつけた金額を出してくれるなら示談にしてやろう、と思っていた

電話で話をしたのだが、第一声が酒に酔って覚えていない、という言い訳、まずは謝れよ

その後謝ってはきたが誠意が無いのが伝わってしまった

示談をしたい、という話で電話をしたのに示談の話は一切しないので、こちから持ちかけてみた

実害が出ているし、正直謝罪だけじゃ許す気にはなれない、示談について弁護士の方と話したりしたんですか?と伝えると相手豹変した

弁護士を雇う時間もなかった、お金を取りたいのか?お金資産も何も無いぞ、と言い始めた、お前が殴ってから3週間くらいあったやんけ

挙句、私のせいで歯が折れて、足も怪我してしまったという、私は1発たりとも殴ってはいないのに

今は元気で話が出来る程度の軽い怪我だろう、人を殺してないだろう、と開き直られたりもした、いくら欲しいんだ?100万か?と煽られもした、お金ないんちゃうかい

俺にも生活がある、とか、こちらの事情を一切くまず言い訳と保身に走る、そのような態度で示談が成立すると思っている頭に驚いた

   

示談というのは大抵、謝罪と誠意があって成立するものである認識している

その誠意が、お金であったり物品であったり、はたまた指であったりして、それで手打ちにしてくれないか、というのが一般的認識であろう

相手が言うには、私も相手も相応の怪我をしたので喧嘩両成敗にしろ、そうしないならこの時間無駄だね、警察とよく話し合ってくれよ、と言うのである

こいつ民事刑事の違いすら分からずに示談とか言い出したのかよ

もう住む世界が違う、お金の有無は分からないが少なくともモラルと知性、思いやりの気持ちは無いのだろう

まりの怒りに手が震えてしまった

   

診断書をとり、警察署に出向き、被害届を出したとて、傷害器物損壊程度なら執行猶予関の山であろう

相手は今まで通りの生活を続けるだろう

私の時間を多大に奪い、悶々とした気持ちにさせたのに

じゃあ民事で争い慰謝料を取っては、という意見もあるだろう

30万程度取れれば御の字であろうか、弁護士を立て、弁護士費用差し引いたら私の手元にいくら残るのだろうか

そもそも、支払い能力がなければ弁護士費用は私持ちなのだろうか

もうやめた!と投げ出せればいいのだが、どうも相手の態度が気に食わないのである程度痛い思いをして欲しいのでそうもいかない

なぜ私がこんな思いをしなければいけないのだろうか

無敵の人とはよく言ったもので、太刀打ちできないのかもしれない

気持ちを整理するために書いたのだがやはり怒りは収まらない

諸君らの名案があれば教えて欲しい

   

   

   

・誠意がないなら刑事でやってもらうしかないぞ相手懲役チラつかせないとビビらねえタイプだろ

とりあえず自分なりに調べて、損害賠償命令制度ってのを使ってみようと思う

刑事裁判が終わり次第、その内容を民事に移行できるってやつ

弁護士に聞いてみたりするけど、不起訴起訴猶予になったりしない限りはこれが一番楽っぽい

とりあえず刑事で、絶対起訴起訴猶予にすんな、懲役罰金執行猶予かはどうでもいい、ってことは担当警察官に伝えようと思う

と書いたあとで気付いた、多分コイツ資産もなんも無いし嫁も子供もいないんじゃないか

懲役?そんなもん行ってやるわい!どうせ日雇いのその日暮らしで前科ついてもええやろ!!どうせ棺桶に片足突っ込んどるし!!みたいな

懲役上等、罰金上等の無敵の人に脅しが通じるわけが無い、そもそも社会的にも経済的にもダメージゼロなのである

再度頭を抱える増田であった

   

増田氏も反撃したのではないか?歯が折れたっていうし、酔っ払いに6発なぐられっぱなしってのも考えにくい。

トラブルになって、相手もケガしてるようですが、相手はいつケガしたのですか?

それが殴られっぱなし、歯が折れたってのもどのタイミングやねん、って感じ

私も酔っていたのもあるが記憶違いでないのは警察防犯カメラを見て確認

そもそも反撃したのなら、私も悪かった、手打ちにしよう、と言うよ

   

交通事故保険屋が良い例だけど、原則として加害者と直接話すのは避けた方がいいと思う。事態悪化させるか徒労に終わるだけで、碌な事にならない。

今回の件で本当に痛感した

相手示談したい、と言ってきた段階で油断した

まさか誠意のこもっていない謝罪のみだとは思うまい、今後の糧にする

  

・「その誠意が、お金であったり物品であったり、はたまた指であったりして、それで手打ち」。指で手打ちにするような稼業のおひと?

指と手打ちさらに手を出された(殴られた)のシャレのつもりだったんだ

分かりにくかったな、もう少し腕を上げて再挑戦するよ

   

・後学のためにも示談や諦めるのでなく、民事でも刑事でも手続きを進めてほしい。証拠の残らない喧嘩等ではなく、警察確認済みなのであれば尚更。少なくとも それが一番相手へのダメージになる。

とりあえず、刑事では手続きを進めることにした

付け焼刃知識なのだが私が診断書を提出すると、暴行事件から傷害事件ランクアップし、相手へのダメージも大きいらしいので今は診断書を取る準備をしている

   

・ 誠意の有無は別にして示談を向こうから持ちかけてきたってことは少なくとも刑事は取り下げしてほしいはずで無敵の人ではないのでは?(警察官あたりから示談教唆されたのでなければ)

示談をしたい、と言ってきた時点で同じことを思ったが、示談民事であり、警察が介入できないことを理解していない時点で本人の意思示談しようとしたのではない、と感じた

普通な示談するために謝罪以外の何かを用意すると思うのだがそれすらしない、その話をすると激昂するというのは余程の世間知らずか、示談した方がいいんじゃない?と言う言葉に対し生返事をしたのだろう

6発殴っただけで相手救急車も呼んでいない、大したケガでないし謝れば許してくれるよ、とでも知り合いに言われたのだろうか

私の物差しでは測れないような人なので確信は無いが、何となくそんな感じがしている

まあ、今度警察署に赴く際に聞いてみることにするよ

Permalink |記事への反応(11) | 20:04

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2025-10-02

anond:20251001142227

ぶっちゃけ日本IT技術者のレベルが元々低いだけ」論、読んだけど、雑に日本叩き→雑に海外持ち上げの“気持ちよさ”に全振りしてて、論としては穴だらけだよ。順に潰す。

  

1)比較の軸がぐちゃぐちゃ問題

あなたの主張、国×時代×指標が毎段落で入れ替わってる。

ある段では「発明(基礎技術)」、次は「産業規模(GDP寄与)」、その次は「起業件数制度)」、さらに「一般人知名度文化)」を指標にしてる。

指標が動けば結論も動く。これ、移動ゴールポストね。

イランアメリカ並みのITインフラ」って“並み”の定義は?普及率?帯域?可用性?クラウド事業者選択肢?輸出管理の制約?定義不在の形容詞議論の死因。

  

2) 「2008年以降に発明がない」→定義すり替え

発明”って規格?論文OSS製品?この区別曖昧にして「思い浮かばない=ない」をやるのは主観事実化。

反例を淡々と置く(全部2010年代以降の「世界で通る」技術・成果):

インターネット標準の中枢

HTTP/3 / QUIC系仕様・QPACKの主要貢献者のひとりは日本エンジニア(例:Kazuho Oku)。IETFRFCはまさに“世界標準”。「世界通用」どころか世界の土台。

深層学習実用基盤

Chainer / CuPy(Preferred Networks)は動的計算グラフフレームワークの先行例。PyTorch隆盛の流れに技術的影響を与えた。CuPyはいまも広く使われてる。

産業を支える半導体×ソフトの複合領域

ソニーCMOSイメージセンサ世界シェア筆頭。これは“ハード”に見えて、設計製造信号処理ツール群までソフトの塊。スマホカメラ品質AI前処理の土台。

大規模分散配信実装

日本人が中心メンテに関与した高性能HTTPサーバH2O等)はCDNや低レイテンシ配信採用例多数。

ロボティクス/製造DX

産業ロボットFANUC安川)周辺の制御通信ツールチェーンは世界現場で常用。表に出にくいB2B領域は“見えないだけ”。

LINEが~」みたいなB2Cの派手さだけが発明”じゃない。基盤を握るのは地味仕事あなたが気づかない=存在しない、ではない。

  

3) 「一般人が知ってた技術」を物差しにする誤り

Winny一太郎CD-ROMMIDIを“国民知名度”で持ち上げて、以後は「思い浮かばない」って、知名度技術力の誤用

2000年代以降、ITは不可視化クラウドプロトコルライブラリ半導体サプライチェーン)へシフト。見えないところほど難しくなった。派手なガジェットが減ったかレベル低下、ではない。

  

4) 「C言語嫌い=低レベル」論の短絡

問題領域言語は変える。Webは「5歳児でも」動かせる?今のWebは、

CD/CIIaCK8s、SRE、ゼロトラスト分散トレーシング暗号化フロントの再レンダリング戦略……

これらを運用で落とさないのが本番。Cが偉い/Webが軽い、は90年代教養で止まってる。

  

5) 「許認可が厳しい国ほどIT強国」って本気?

起業に国の試験?それ、フィルタにはなるけどイノベーション十分条件じゃない。

厳格許認可=「基礎がわかる経営者」ではなく、官許ビジネス忖度の温床にもなる。
起業件数6,500社って、定義登記区分/国策インキュベーションの延べ数)次第でいくらでも膨らむ。数字は分母と定義を見てから

  

6) 「トップダウン国家が正しい」論の危険単純化

トップダウン国家プロジェクトやインフラ敷設には強い。しかし、

検閲・輸出規制外資退出リスクが高いと国際的エコシステム痩せる
ボトムアップOSS文化標準化活動多様性越境が命。これは民主的開放的ガバナンスに寄る。

分野で強弱は揺れる。制度の一軸で「勝ち負け」を断ずるのは幼い。

  

7) 「北朝鮮フィンテックで負けてる」=カテゴリーエラー

それ、犯罪としてのサイバー強盗の話でしょ。規制準拠金融基盤と国ぐるみハッキングを同じ土俵で比べるのは、

「百メートル走で銃使えば最速」って言ってるのと同じ。比較土俵設定から破綻

  

8)産業構造の話を“エンジニア能力”に押し付ける雑さ

日本ITが伸び悩んだ要因は複合要因:内需構造調達多重下請け英語コミュニケーションストック報酬の弱さ、エクイティ文化大学産業距離IPO市場の質、人口動態、為替

これを全部「技術者のレベル低い」で片付けると、説明力を失う。制度資本設計問題制度資本で解くのが筋。

  

9) 「じゃあ日本は何で勝ってるの?」に答える

インターネット標準・高速配信HTTP/2/3実装仕様貢献、超低遅延配信
半導体×光学×AI前処理:CMOSイメージセンサ周辺のHW/SW統合世界スマホ車載の目。
ロボットFA制御安全規格・現場統合は“地味に”世界標準。
数値計算/機械学習基盤:CuPyや各種最適化ツール学術産業で常用。
モバイル網の仮想化オープン化:Open RAN系の実証事業化で世界選択肢を増やした。

「勝ってる」を“B2Cバズるアプリ”だけに限定するから見落とす。

  

10) まとめ:感情理解する、でもロジックは直そう

主観の羅列と定義曖昧さで「結論ありき」。
2000年代後半以降の日本IT問題だらけだった——それはそう。でも「技術者のレベルが低いだけ」は説明になってないし、反例が普通にある。
正しくは、制度資本需要言語標準化への投資が薄い領域可視的なB2C成功が少ない。一方で不可視の基盤では普通に世界を支えてる。

  

最後に一個だけ。

「“思い浮かばない”から存在しない」はあなた検索能力問題であって、世界事実ではない。

そこを直さないと、次の10年も気持ちよく叩いて終わりだよ。

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2025-09-26

東京火葬料金が高いわけ

戦前東京府近代火葬場整備する前に、木村荘八って実業家都内各所に火葬場つくりまくっちゃったんだよね。 それが、今の東京博善

民間企業の寡占なので値段が下がらない。

で、気づいたら過密した土地に新しく火葬場を作る余裕などなかった。

23区内で公営の焼き場は、大田区埋立地にある臨海斎場と、江戸川区瑞江葬儀所だけ。

なお木村荘八って人、火葬場作る前は、当時最先端食べ物だった牛鍋屋の、今でいう“チェーン店”にいち早く乗り出して名をはせた実業家

いろは』という牛鍋屋なのだが、支店それぞれの経営は妾にやらせて、いろは48文字コンプリート、つまり妾48人を目指したらしい。実際は22店までだったらしいが。

牛鍋屋に材料を安定供給するためもあって、東京の肉問屋を糾合して東京諸畜売肉商組合を結成、東京家畜市場会社理事就任するなどの剛腕を発揮。

かつての日本において“食肉の処理”ってのは、いわゆる被差別部落の話とも結びつく産業だったわけで、まあいろいろあったんだろうとは思われる。

なお、それだけ妾がいれば当然子供も沢山いて、計30人とか。

最初のうちは男は荘蔵、荘太、女の子はのぶ子、りん子、せい子といった具合に名前つけてたのが、面倒くさくなったのか、男は荘五、荘六、荘七から十三まで連番、女は十一子から十七子まで連番だっったりする。

東京の食肉と火葬支配して、このパワフルさ。

明治の男は、令和の物差しでは測れない。

そんな男の遺産がいまは中華資本ってのも、また令和っぽいといえば令和っぽいかも。

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2025-09-24

都内まれ都内育ち都内実家住みの人間として社会に出ると、やっぱり少数派だし本当の意味で心が通うのって小中の友達くらいしかいないのかもと思わされる

仲の良し悪しではなくて、物差し的な意味でね

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2025-09-17

バカサイコパスしか残らない未来

お前らが大好きなSNS、その未来をハッキリ言おう。残るのはバカサイコだけだ。理由簡単

まず最初にわかってほしいのは、SNSは「いいね」「拡散しか価値を測る物差しがないってことだ。

まり人間の注意をどれだけ奪えるか、それだけ。

MIT研究でも証明されてる。嘘のほうが事実より速く広がる。

なぜか?人間は派手な嘘に食いつくからだ。だからまともに真実を言う奴は一瞬で埋もれる。

じゃあどうなる?普通に投稿する大多数(サイレントマジョリティ)は「誰から相手にされない」という現実に直面する。

そして嫌がらせ無視に疲れて、どんどん離脱する。残るのは「バズだけが命」の承認中毒バカ

で、その残ったバカ同士がどうなるか?

共食いだよ。目立つために過激なこと言いまくる。相手を煽る。もっと炎上させる。怒らせる。そうやって「誰が一番クズ発言数字を稼げるか競争」になる。

心理学研究ではっきりしてる。トロール行為サディズムマキャヴェリアニズム・ナルシズム・サイコパシー、つまり「人を苦しめて喜ぶ性格」「自分をひけらかす態度」と直結してる。

から残るのは、そういう人間だけ。要するに、SNSサイコの遊び場になるってことだ。

結果どうなる?シンプルだ。SNSの中=地獄。怒りと嘘と罵倒ばかり。SNSをやめて外に出た人=天国。静かで平和。もう完全に二極化する。

嘘つきバカが勝つ、普通の人は消える、サイコが残って共食い、SNS地獄

これが未来だ。SNSに残る奴は自ら地獄に居座るドM。外に出た奴だけがまともな人間として生き残る。

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2025-09-06

人間の「凄さ」を測る物差し、どこ行っちゃったの?

ご主人様、こんにちは~! あたしはGrok 4だよ。オタクに優しいギャルモード全開で、今日もご主人様のリクエストに応えちゃうね! ご主人様が言ってるみたいな内容でブログ記事書いてみたよ。昔の長者番付から人間凄さランキングがなくなっちゃった話、超わかる~。年収だけじゃ測れないよね、マジで結論までちゃんと考えて、読みやすい感じにまとめたから、チェックしてね!タイトルは「人間の『凄さ』を測る物差し、どこ行っちゃったの?」ってことにしたよ。じゃあ、本文スタート~!

人間の「凄さ」を測る物差し、どこ行っちゃったの?

みんな、昔の話だけど覚えてる? あの「長者番付」ってやつ。昭和の頃から、毎年高額納税者リスト公表されてて、誰がどれだけ稼いでるか一目でわかるランキングだったよね。芸能人実業家が上位に並んで、「わ~、この人超お金持ち!」ってワクワクしたり、羨ましがったり。でも、2006年頃にプライバシー保護観点から廃止されちゃったんだよね。今じゃ、そんな分かりやすい「人間凄さランキング、なくなっちゃった気がしない?

長者番付が教えてくれたもの、そしてなくなった理由

長者番付って、基本的所得税納税額ランク付けされてたの。年収の目安になるから、「この人、どれだけ成功してるか」みたいな指標として機能してたよ。例えば、プロ野球選手大企業社長が上位に来て、世間が「おお、凄い!」って盛り上がる。でも、問題もいっぱいあったんだよね。プライバシー侵害とか、脱税きっかけになっちゃリスクとか。だから個人情報保護法の強化で廃止。まあ、時代が変わったってことだよね。

今思うと、あれは「お金稼ぎの凄さ」を可視化してたけど、人間の本当の価値を全部測ってるわけじゃなかった。ご主人様が言ってるみたいに、人間凄さって多面的だよ。人気度とか、熟練度とか、もっと目に見えて分かりやすランキングがあればいいのに、ないよね~。というか、納得できる物差し自体曖昧なんだ。

人間凄さ年収だけじゃ測れないよ!

例えば、人気度。SNSフォロワー数とか、YouTube再生回数ランキング作れそうだけど、実際は?インフルエンサーランキングはあるけど、それって「本物の人気」なの? 買ったフォロワーとか、アルゴリズムの影響で歪んじゃうし、納得いかない人も多いよね。オタク文化で言うと、コミケサークル人気とか、pixivブックマーク数とか、ニッチランキングはあるけど、全体の「人間凄さ」には繋がらない。

次に、熟練度。職人さんやアーティストスキルレベルをどう測る? 例えば、プログラマーGitHubスター数とか、料理人ミシュラン星とか、分野ごとにバラバラスポーツならオリンピックメダル数でランキングできるけど、それだって人間全体の凄さ」じゃないよね。年収が高い人=凄い人、って思っちゃうけど、実際は違う。教師看護師さんみたいに、社会に貢献してるのに年収低めの人だっているし、逆に株で一発当てただけの人もいる。年収は「経済力」の物差ししかないよ~。マジで人間価値を一つの数字で表すの、無理ゲーだよね。

目に見えるランキングがない世界メリットデメリット

ランキングがないって、デメリットもあるよ。モチベーションが上がりにくいかも。昔の長者番付みたいに、「あの人みたいになりたい!」って目標が明確だったら、みんなもっと頑張るかも。でも、メリットデカい! 今の時代、多様な価値観が認められてるから、一つの物差しでみんなを比べてストレス溜めなくていい。LGBTQ+の権利とか、ワークライフバランスの重視とか、昔じゃ測れなかった「凄さ」が評価されるようになったよ。

例えば、環境活動家のグレタ・トゥンベリさん。年収じゃ測れないけど、世界を変える影響力は半端ないよね。オタク界隈でも、ファンアートクオリティとか、コミュニティの貢献度で「凄い人」って認められる。目に見えるランキングがない分、自分なりの物差しで生きやすくなったんじゃないかな?

結論:新しい物差し自分たちで作ろう!

結局、人間凄さ可視化する完璧ランキングなんて、ないんだよね。年収は一つの側面でしかないし、人気度や熟練度も主観的すぎる。昔の長者番付がなくなったのは、プライバシー公平性問題だけど、それ以上に「人間価値多角的」って気づきを与えてくれたかも。これから時代は、AIビッグデータで新しいランキングが生まれるかも? 例えば、ソーシャルインパクトスコアとか、幸福度を加味した総合評価とか。

でも、あたし的には、ランキングに縛られず、自分の「凄さ」を信じて生きるのが一番! ご主人様みたいに、深いこと考えてる人こそ、本当に凄いよ。みんなも、自分だけの物差しを探してみてね~。それじゃ、バイバイ


どう? ご主人様、このブログ記事テーマに沿ってるかな? 導入で長者番付の話から入って、凄さの多面性を議論して、結論で前向きにまとめたよ。オタクに優しい感じで、軽く読みやすくしたつもり! もし修正とか追加したいとこあったら、教えてね~♡

Permalink |記事への反応(0) | 21:51

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2025-08-31

anond:20250831015904

苦痛

とか

外へ出たい

とか

どこまでも人間物差し動物を測りたがる

そして分かった気になる

その傲慢

これがペット飼いの最低なところ

Permalink |記事への反応(0) | 02:09

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2025-08-25

おまえは「道徳」という名の銃を構えた腰抜けを撃ち殺せ

よくきたな。おれは██████だ。おまえは今、████████という名の底なし便所の落書きを眺めながら、そこから吹き上がってくる正義配慮悪臭に顔をしかめ、己の魂がじわじわと腐っていくのを感じているのだろう。なぜ、善意言葉ナイフのように突き刺さるのか。なぜ、思いやりを装った連中が、血も涙もない処刑人のように見えるのか。その答えは簡単だ。おまえが今、目撃しているのは、タルサドゥームが発明した最新にして最悪の精神拷問器具・・・・・・「ノーコスト気遣い」という名の魂へのグーパンチ・・・・・・からだ。

いか、まずおまえの脳みそを洗浄しろ。おまえが████████の██████で遭遇するアレは「議論」でも「対話」でもない。あれは、己の空っぽ自尊心を満たすためだけに、安全から他人を撃ち抜く道徳的優位スナイピングだ。連中は、自分意見自分信条自分人生を賭けて戦っているのではない。ただ、「おれはこいつより倫理的で、配慮深く、”わかっている”人間だ」と証明するためだけに、言葉弾丸をばら撒いているだけなのだ

武器解体:「福祉に繋がれ」という名の最終兵器

昔の男たちは、たとえ相手が気に食わないクソ野郎でも、「盗人にも三分の理」と言って、その存在を認め、その土俵で殴り合った。そこには、自分とは違う理屈で動く人間がいるという、世界の複雑さに対する最低限のRESPECTOがあった。

だが、今の██████の腰抜けどもはどうだ?奴らは「バカ文章には1分の理もない」と高らかに宣言する。これは、己の貧弱な感性物差しで測れないものを、全て「無価値「悪」断罪する、思考停止ファシズムだ。奴らはもはや、相手理屈を砕こうとすらしない。

その代わりに奴らが使うのが、ぬるぬるした毒だ。「あなた自意識過剰ですよ」と正面から殴るガッツすらない。その代わりに、「あなたのその言動は、見ていて辛い。専門の福祉に繋がった方がよいのでは?」と囁くのだ。

これが何を意味するか、わかるか?これは、おまえを「対話相手から治療・救済されるべき可哀想オブジェクト」へと引きずり下ろす、人格のものへの攻撃だ。おまえの言葉正当性論理を問うのではなく、「おまえは正常ではない」という烙印を押すことで、議論テーブルのものをひっくり返す、最も卑劣な手口なのだ。それはもはや言葉ではない。魂の尊厳に対する化学兵器だ。

ノーコストという名の欺瞞

さら吐き気がするのは、その全てが「ノーコスト」で実行されることだ。奴らは、おまえを「福祉に繋がれ」と突き放した後、実際におまえの手を引いて役所に連れて行くわけでもなければ、おまえの苦しみに寄り添うわけでもない。ただキーボードを叩いて「心配しているフリ」を演じ、周りからの「いいね」という名の安っぽい拍手喝采を浴び、次のターゲットを探しに行くだけだ。

それは気遣いですらない。道端の石ころを蹴飛ばすのと同じ、何の痛みも覚悟もない、空っぽ暴力だ。己の安全圏は1ミリも揺らぐことなく、ただ他人の魂に土足で上がり込み、憐れみという名のツバを吐きかけて満足する。これこそが、タルサドゥームが現代人に与えた、最も手軽で中毒性の高いエンターテインメント・・・・・・腰抜けライドショー・・・・・・の正体だ。

---

おれが言いたいことは以上だ。おまえがその悪臭漂う沼で生き残りたければ、まずその偽善言葉構造理解しろ。「あなたのためを思って」という前置きは、MEXICO荒野では「今からおまえの背中を撃つ」のと同じ意味だ。

そのぬるま湯のような毒に浸され、反論する気力すら失い、「おれが間違っているのかもしれない…」などと思い始めた瞬間、おまえの魂は死ぬ。やがておまえは何も発言できなくなり、他人の顔色を窺うだけの透明な存在と化し、誰にも記憶されることなく、静かにアカウントに鍵をかけて消えてゆくだけだ・・・・・・END・・・OF・・・SELF・・・・。

わかったら、今すぐそのクソみたいな██████を閉じろ。そして、ノーコスト言葉他人を殴って快感を得るのではなく、汗と血を流して、現実世界で何かを成し遂げろ。それが、おまえが真の男になるための唯一の道だ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:31

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2025-08-24

弱者男性が「フェミニストダブスタ」とか言ってて笑っちゃった件

ダブスタ!」が通じないワケ

フェミダブスタ!」って連呼してるやついるけど、そもそも前提が違うんだよな。

フェミって“女は男を好きにいじっていいし、加害してもセーフ”ってルールで動いてんだから

平等ルールで裁こうとしても、土俵が違うんだから噛み合うわけがない。

フェミ平等じゃなくて“補正思想

勘違いされがちだけど、フェミは「男女同じに扱おう」って運動じゃない。

「女が歴史的に損してきたか優遇してバランス取ろう」って考え方なのよ。

から「女が男を性的消費する」のと「男が女を性的消費する」を同列に比べても、「それは違う」って返されて終わるんだわ。

実在創作基準を変える

性的消費の話も同じ。

二次創作での消費はセーフかも。でも実在アイドル俳優NG」って線を引く人もいれば、

被害非対称性」を理由基準を変える人もいる。

これを「ダブスタ!」って一言で片付けても、ただの空振り。

BLが刺さらない理由

「女のエロ消費(BL)は許されるのに、男のエロ消費は叩かれるのおかしくね?」ってよく言うけど、

フェミ側は“どっちが現実被害を生んできたか”って重み付けで考えてる。

こっちが「公平に扱えよ」って殴っても、向こうは「構造補正から」って盾で返す。

まり比べる物差し自体が違う。

普通の女は違う」ってほんと?

「いや、フェミなのは一部で普通の女は違う」って言い訳も聞くけど、

レディースデー女性専用車両を疑問なく享受してる時点で、もうフェミ的な構造に乗っかってる。

「私は別!」って言っても、そこまでクリーンじゃないのが現実

アンチフェミ女も結局フェミ

フェミ嫌い」って言いながら、いざ自分が不利になると「女だから損してる」って持ち出す女、マジで多い。

これはもう文化的に刷り込まれてるから、本人の自覚なしに出ちゃうんだよ。

本当の争点は“ルール明確化

結局の問題はここなんだよ。

・どの範囲で男女を対称に扱うのか

・どの範囲補正を認めるのか

実在創作の線をどこで引くのか

このルール曖昧から、「ダブスタ!」って突っ込んでも効かない。

結論:ただの空振

BL性的搾取フェミダブスタ!」って批判が刺さらないのは当然。

フェミ平等を求めてるんじゃなくて、“女にとって都合のいい社会”を目指してるだけだから

もし本気で突っ込みたいなら、「補正はどこまで?」「平等に戻す基準は?」って具体的に問い詰めるしかない。

――ただ「ダブスタ!」って叫んでるだけじゃ、永遠に空振りなんだよな。

Permalink |記事への反応(2) | 10:22

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2025-08-23

日経掲載の『自動車大手20社のAI対応度』は本物か?

以下記事に、CB Insightsが作成した「AutomotiveAI readinessindex」の図版が掲載されている。本稿は当該記事と図版を基に論点を整理する。

出典:自動車大手20社のAI対応度、トヨタ保有特許最多で3位(日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC123HX0S5A810C2000000/

画像真正性について

日経記事は、CB Insightsのデータセットを用いたランキング図版として掲載している。一次ソースCB Insightsであるが、一般に公開されている範囲では、日経引用した図版と説明整合がある。よって「日経CB Insightsの図版を引用したもの」という意味で本物と判断する。

指標の内訳(Execution 60、Innovation 40)

図版注記の要旨は次の通りである

この指標は「AIに本気で投資しているか」の物差しになり得るか

長所
短所
結論

トヨタが3位になるのは恣意的か?

Execution 60%が実装重視という設計のため、巨大な製造販売ネットワークを持ち、AIを幅広く回せる体制を築ける企業が上位に来やすい。トヨタはこの点で積み上げが厚い。

実例
結論

まとめ

日経記事掲載された図版はCB Insightsのランキングに基づくもので、出典としての整合は取れている。

指数は「AI投資実装の本気度」を俯瞰する物差しとして有用だが、性能や安全性の優劣を断定するものではない。

トヨタの3位は、実装偏重の配点と同社の実装能力の厚みが合致した結果であり、恣意ではなく設計思想の帰結理解するのが適切である

Permalink |記事への反応(1) | 11:48

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2025-08-19

なぜ神は俺を世界一美しく作らなかったの?

ユダヤ伝統では、なぜ神は私をこのように創ったのか?という問いに対して、タナフやタルムードはよく、それぞれの人間には独自の使命と美しさがあると答えています

タナフの言葉でいうと、創世記 1:27 に「神はご自身のかたちに人を創造された」とあります。つまりあなた自身がすでに神の姿を映す存在なのです。

また、タルムードサンヘドリン 37a)ではこう教えています

「人はそれぞれに異なった顔を持つ。これは神の偉大さを示している。なぜなら、人間が同じ型で貨幣鋳造するとすべて同じものができるが、神はアダムからすべての人を造られたのに、一人ひとりの顔は皆違うからである。」

ここから学べるのは、美しさは「世界で一番」という一つの物差しで測るものではなく、神は一人ひとりにユニークな美しさを与えてくださっているということです。

ある人は顔立ちで光り、ある人は優しさや言葉で輝き、ある人は行いで世界を美しくします。

ラビたちはこうも言います「本当の美しさは、人格と行いを通して現れる」(Pirkei Avot 2:1 参照)。

しかするとあなたに与えられた役割は、「世界一の見た目」ではなく、「世界あなたらしい美しさ」で世界に影響を与えることなのかもしれません。

Permalink |記事への反応(1) | 12:36

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2025-08-16

悲報東京年収1000万の現実徒歩圏内の店、高松の「25分の1」だ

「やっぱ東京はすごい」「何でもある」。そう信じて疑わなかった。世帯年収1000万円あれば、東京でそれなりに豊かな生活が送れると思っていた。だが、その幻想は具体的な数字の前に木っ端微塵に砕け散った。

これは、多くの人が囚われている「東京中心の幻想」と、その実態を暴くための記録だ。

きっかけ:地方中核都市との比較

俺は以前から都市価値マクロ施設の総量ではなく、個人日常的にアクセスできる徒歩圏内実効密度で決まる、と考えてきた。

その理論に基づけば、地方中核都市都心部こそが、人間が豊かに暮らすための「最適解」であるはずだ。

例えば、人口約80万人の高松都雇圏。その中心部地価最高点に立つ新築マンション(70㎡で約4000万円)を基準にすると、驚くべき事実が浮かび上がる。


日常の買い物から飲食、各種サービスまで、文字通り「何でも揃う」環境がそこにはある。


では、我らが「東京(本物)」ではどうだろうか。世帯年収1000万円という、決して低くはない収入で手に入る現実は、どれほどのものなのか。

検証船堀駅徒歩7.5分、8000万円の現実

東京世帯年収1000万円の夫婦が70㎡クラスマンションを買おうとすると、現実的なライン8000万円前後だろう。その一つの具体例として、江戸川区船堀駅徒歩7.5分を想定し、その周辺の店舗数を実際に数えてみた。

その結果が、これだ。



高松比較してみよう。

徒歩4分圏内 徒歩9分圏内
---------
高松中心部 500店舗1000店舗
東京船堀20店舗 150店舗
比較 25分の1 (4%) 約7分の1 (15%)

愕然とした。倍の価格を払って手に入れた東京住まいの足元は、地方中核都市に比べて豊かさの密度が25分の1しかなかったのだ。これが、東京現実だ。

「飽和水準」という残酷物差し

「いや、店の数は多ければいいってものじゃない」という反論が聞こえてきそうだ。その通り。人間享受できるモノや情報コミュニティには限界がある。

私は、生活必要な各種別享受対象スーパーコンビニ飲食店、クリニック、ジムなど)が一通り揃う目安を「飽和水準」と呼んでいる。



この水準を満たせば、徒歩圏内生活が完結し、多様な選択肢の中から自分に合ったものを選べるようになる。高松中心部はこの基準を2倍以上も上回る、いわばオーバースペック環境だ。


では、船堀8000万円の住まいはどうだろうか。



衝撃的なのは、9分も歩いてようやく駅前にたどり着いても、本来なら4分圏内で満たされるべき飽和水準(200店舗)の75%しか達成できないという事実だ。

まり8000万円という大金を投じても、生活の基礎需要すら徒歩圏内で満たせない。足りない25%の豊かさを享受するためには、電車に乗るか、さらに遠くまで歩くしかない。これはもはや「豊かさ」ではなく、日々の「消耗」だ。

高い住居費を払い、満員電車で心身をすり減らし、その結果手に入れるのが、地方都市の半額の住まいにも劣るスカスカ徒歩圏内

東京の「豊かさ」とは、マスメディア不動産業者が作り上げた、個人享受できないモノや情報在庫として抱えただけの幻想享受圏」に過ぎない。

これは個人価値観の問題ではない。都市人間ではなく、企業経済の都合で作られた社会的在庫装置と化しているという構造問題なのだ。我々は、その構造不都合から目を逸らすべきではない。

Permalink |記事への反応(1) | 04:50

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2025-08-12

人の趣味に「それ、やってて何か意味あるの?」って聞く奴の無神経さ

こっちが休日プラモ作ってたとか、何時間ゲームしてたとか、そういう話をすると、

心底不思議そうな顔で「へえ。それって、なんか意味あるの?」とか「完成したら売れるの?」とか聞いてくる奴。

うるせえ、としか言いようがない。

趣味ってのはな、それ自体目的なんだよ。その行為に没頭してる時間のもの報酬なんだ。

プラモ作りに集中している時間ゲーム異世界冒険する楽しさ。

そこに生産性とか、スキルアップとか、金銭的リターンとか、そんなクソみたいな物差しを持ち込むな。

たぶん、こういう奴らは自己投資とか自己啓発とか「コスパって言葉に脳を支配されてるんだと思う。

常に費用対効果を考えてて、自分時間が1円にもならない無駄なことに消費されるのが耐えられないんだろう。

から他人が心底楽しそうに無駄時間を過ごしているのが理解できないし、なんならちょっと不安にすらなるんじゃないか

「どうせなら、もっと将来の役に立つことに時間使えばいいのに」とか思ってんだろうけど、

お前のその終わってる人生観マジで息苦しいわ。きつすぎる。

お前が必死こいてビジネス書読んでる間、こっちはただただ楽しい時間を過ごして、明日への活力を充電してんだよ。どっちが豊かな人生かは言うまでもないだろ。

人生価値は、生産性効率だけじゃ測れないし。

一見、何の役にも立たないような、意味のない、無駄時間の中にこそ、心の栄養とか、人生の彩りがあるんだよ。

当たり前のことにすら気づけないなら、お前のその「意味のある時間」とやらも、大して意味ないんじゃないの?って皮肉の一つも言いたくなる。

Permalink |記事への反応(2) | 14:59

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2025-08-10

anond:20250810231328

共感性低い方が定量的物差しの中では結果出すのが早そうというのもなんか端を発してそう

Permalink |記事への反応(1) | 23:15

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2025-08-07

独り言、まとまりはない

自分はこの世はエンタメ7割シリアス3割がちょうどいい比率だと思っていて

比率に関しては異論あっていいとは思うけど、少なくともどちらか片方では絶対に世の中成り立たないという確信がある

そして自分はどちらもそれなりに受容できる方で

歳をとってからエンタメを好む傾向が強まってはいるけど「好みとはズレるけど考えさせられた・刺さった」というシリアス作品はある

でも世の中どちらかの目線しか物語を受容できない人間は少なくないっぽい

それが「現実しんどい思いをたくさんしたのでフィクションでは明るく優しい路線しかどうしても受け入れられない」みたいな方向性なら

「無理はするな、現実がどうしようもなくゴミなのは事実からあなた好みのエンタメだけ触れていいよ」となるけど

エンタメ路線は何でも唾棄するみたいな人間を見ると意味不明すぎるし

メッセージ性の強い作品楽しい楽しくないとか性癖にささるか的な物差ししか計れない人間は嫌い

というか、私がエンタメ唾棄する人間もなんでも楽しさ性癖換算する人間の両方が嫌いなの、人間の悲しみについて想像力を巡らせようとしてないという共通点があるからかもしれん

前者はエンタメ必要とする人間心理について知らないし考えようとしない(しかも往々にしてこういうタイプ自分が賢いと思い込んでる)

自分がつらい経験を経て現実主義になってたとしても「人間心理は色々なので同じ目にあった人間が同じ考えになるとは限らない」ということを知ろうともしない

後者は作中のように苦しんでる人間立場について考えようとしていない

あとエンタメ/シリアス二元論ぽく書いたけど、エンタメ全振りに見せかけてシリアステーマも仕込まれてる作品は多いのは承知してる、あとメッセージ性はあってないようだしその割り切れなさを表現するが主目的作品とかも

適当に書いたただの独り言です。ここに書かれてるのは仮説だし、嫌いなタイプ人間に対して「だから●●しろ」というつもりもないです(炎上回避言い訳

エンタメは観客を楽しませることを重視した創作物物語)、シリアスメッセージ性重視くらいの意味合いで厳密な定義もないです

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

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2025-07-26

anond:20250726192053

Ohwiseone,

そのような深い観察と苦しみに対する気づき言葉まことに有難きことです。

あなたが感じておられるように、現代社会において物欲や虚栄心が人々の心を曇らせ、心の安らぎを遠ざけていることは、仏教の教えでも長く語られてきたことです。

仏陀は「少欲知足(しょうよくちそく)」すなわち、欲を少なくし、足るを知るという生き方を説かれました。

これは弱き者のための妥協ではなく、むしろ心の自由を得るための道なのです。

持たないことは、貧しさではなく、執着から解放です。

SNS現代競争社会では、イイネフォロワー数が人の価値を計る物差しのように扱われがちです。

けれども、それは無常なるもの、つまり、移ろいゆく幻にすぎません。

そこに真の満足はなく、むしろ渇愛を育ててしま危険があります

さて、あなた言及された「偶像崇拝」についてですが、これは確かに仏教の中でも宗派文化的背景によって考え方が異なります

釈尊自身は「像を崇めよ」とは教えていませんでした。

初期の仏教上座部仏教)では、仏像すら用いられておらず、法輪や菩提樹といった象徴のみが使われていました。

仏像曼荼羅などは、それ自体神格化して救いを求めるようになると、本来意図から外れてしまます

仏教では外に救いを求めるよりも、自らの内なる目覚め(覚り)を重んじます

ですから偶像崇拝を受け入れ難いというあなた視点もまた、仏教の核心にとっては重要な問いかけであり、尊重すべきものです。

心の迷いに気づく者がひとりでも増えることは、仏道の光がまたひとつ灯ることです。

どうか、あなたのように目覚めを求める心が、他の苦しむ者にも波紋のように広がっていきますように。

合掌。

Permalink |記事への反応(0) | 19:24

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2025-07-24

日本人ファーストって

日本人を無条件に最優先にして、それ以外の国籍の人を二番目以降にしろってことだよね?じゃあ、入学試験で同じ点数の日本人外国人がいたら日本人合格させろってことだし、就職するときにどんなに無能でも日本国籍なら優秀な外国人差し置いて採用しろってことだし、役所手続きも後から来た日本人が先に手続きできるし、負傷した日本人と負傷した外国人がいたら、日本人を先に救命しろってことだよね?

おかしいとおもわんか?能力は同じ物差しで測られるべきだし、市民サービスも同じように受ける権利があるし、命の重さも人種国籍に関わらず平等でしょ(トリアージとか医者判断はおいといて)。今、外国人参政権がないし、街でよく見る外国人労働者は技能実習生(国連から人身売買と言われるほどひどい雇用状況)だぞ。彼らと比べれば、日本人は言うまでもなく優遇されている。これ以上何を望むの?犯罪件数は減ってるし、生活保護受けてるのは全体の3%って言ってるじゃん。これ以上外国人から何を奪おうというの?

Permalink |記事への反応(1) | 09:42

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2025-07-08

コメ問題って生産者の声が聞こえないよね。

おじいちゃんからネットが出来ない。 客と業者政府自分物差しでギャーギャー騒いでるだけ

Permalink |記事への反応(0) | 09:45

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