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はてなキーワード:熟練労働者とは

2025-10-12

anond:20251011161343

TakamoriTarou 求められるのはありうるけど、学芸員図書館司書みたいなやりがい搾取系は除いていたらほぼ絶滅しつつあると思うけど。転職エージェントがそういう高スペ人材を集めてリモワ可能職に入れるようになって久しいよね

外資系企業英語での社内サポートリモートワーク可。期限付雇用年収250万て案件をこの前見た

事務系の非熟練労働者AIのおかげでこれ以上いらんてのが労働市場の「総意」なのだから被雇用者現業職転向すればいい話ではとは思う

需要が少なくて希少だからこそ、そのポジションに就きたいという考えもあるのかもしらんが)

Permalink |記事への反応(0) | 09:59

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2025-07-29

anond:20250729091419

ChatGPT曰く:

2023年ドイツなどが熟練労働者受け入れに向けた制度改革実施ポイント制度導入)
2024年EU全体で「移民庇護パクト」を採択。不法入り口件数大幅減。返還政策強化、庇護権利一時停止など各国で強化動向。
2025年共通送還制度法整備European Return Order/return hubs)。国連との連携進展。EES・ETIAS導入に向けた準備進行。庇護申請数減少傾向継続

2024年不法入国件数の大幅な減少は、EU政策強化や対外協力の成果とも評価できます

一方で、制度面・法的運用面において未解決問題が残っており、それを批判的に見る視点もしっかり注視すべきです。

2023年以降、EU域内では移民管理庇護制度送還体制の大改革フェーズに入っており、2026年以降、PactEES/ETIASの本格実装により制度的に大きな変動が予想されます

Permalink |記事への反応(1) | 09:38

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2025-06-27

中国人日本語学能力の優秀さ

日本留学仕事で来ている中国人と接しているかバイアスがかかってるかもしれないが、他の国籍の人に比べてもそうとう優秀な人が多い。

まず、漢字文化圏のためか日本語をすぐにおぼえる。

日本能力検定というのがあり、N 5が一番低く、N 1が一番高い。N 4で初歩的な文法や会話ができ、N 3で日常会話がある程度できる。日本語を使いこなすレベルになるのがN2になる。

日本語学校は二年のカリキュラムが多く、N 4レベル入学できて、二年間みっちり学んでN 3が取れたらおめでとうという感じ。就職したり結婚したりで日本在留が続いて、勉強を続けてN 2まで到達できるのは、一握りの優秀な人だ。

一方、中国人留学生は、一年もあればN 2に到達する人がほとんどだと思う。早い場合は数ヶ月とかでN 2レベルになってしまい、卒業までにはN 1を取っている人がたくさんいる。中韓以外の人が10日本にいても到達できないレベルを、1年ちょっと凌駕してしまう。

インドネシア介護福祉士候補生が、五年の実務経験を経ても試験に受からないというニュースがあった。候補生は概ねN 3レベル入国してるが、先述のようにN2レベルに到達するのはかなり大変。国家試験日本語は法律用語など難しい語彙が相当含まれており、N 2レベルでも対処できるかあやしい日本人なら三、四か月勉強すれば取得できる資格だが、外国人は相当才能がないと難しいのである。一方、中国人日本語学習において優秀なため、実務経験がなくても数ヶ月勉強して受かってしまう。未熟練労働者外国人介護人材の上位資格である介護」がとれて、豊富な実務経験を有する人材試験合格までの「特定活動」というイレギュラー資格に甘んじなければいけない。

Permalink |記事への反応(2) | 19:46

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2025-06-15

善の外国人と悪の外国人

外国人人間からいいやつも悪いやつもいる。

国は自国民を守るために悪いやつはいれてはいけないし、国内で悪さをしたら国は収容送還する義務がある。国民国家である以上当然のことだ。不法滞在者や、累犯外国人に対しては、国に対応を求める必要がある。

これをなぁなぁにすると、アメリカみたいになる。スペイン語しか話せない未熟練労働者スラムをつくり、他のブルーカラー労働者の職を根こそぎ奪う。トランプ大統領になれたのは、半数のアメリカ国民不法移民対策を支持したからだ。リベラル層は、不法移民という言葉差別だとして、「非正規移民」という言葉メディア強制したが、国民の反発を買う結果に終わった。

日本に話を戻す。クルド人コミュニティは、偽装難民だった川口メフメトが解体業をはじめたのかはじまりだ。メフメトはのちにトルコ帰国したが、解体業につく者は増え、どんどん家族を呼び、二世が生まれた。日本人と結婚して在留資格を持つ者もいるが、それ以外の多くは不法滞在者だ。仕事を安く受けてるため、「不法滞在者を雇うな」といってもなかなか難しい。この状況は正常化する必要があるし、議論自体封殺するのは間違っていると思う。

Permalink |記事への反応(2) | 09:14

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2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 →融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点理由

経済思想市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

Permalink |記事への反応(0) | 19:04

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2025-01-02

移民政策において、高度人材のみに永住権を与える政策サステナブルか?

高度人材のみに永住権を与える政策は、短期的には効果的かもしれませんが、長期的なサステナビリティには課題があります。以下の点を考慮する必要がある。

労働力多様性

社会には、高度人材だけでなく、さまざまなスキルレベル労働者必要である特にサービス業製造業などの分野では、熟練労働者単純労働者重要役割を果たす。

社会統合

高度人材のみを優遇する政策は、社会的な分断を引き起こす恐れがある。多様なバックグラウンドを持つ人々が共存し、互いに理解し合うことが重要である

経済的影響

高度人材のみに依存することで、経済の一部が過度に専門化し、他の分野が疎かになるリスクがある。バランスの取れた労働力の確保が求められる。

人口動態の変化

少子高齢化が進む中で、幅広い層の移民を受け入れることが、持続可能社会の構築に寄与する。

これらの点を踏まえ、移民政策は高度人材だけでなく、さまざまなスキルレベルの人々を包括する形で設計されるべきである。多様な労働力を受け入れることで、経済的な安定と社会的な調和を実現することができる。

Permalink |記事への反応(1) | 11:00

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2023-11-11

これさぁ、「新卒一括採用じゃないと若者就職出来なくなる」って理屈を本当によく見掛けるけれど、

純粋に「なんで?」としか言えないんだよね。

熟練労働者じゃなくても出来る仕事で人手が必要仕事はあるんだから

普通に採用すればいいだけの話じゃん

別に新卒じゃなくても未経験者を一から雇って同時に教育すればいい話じゃん?

22歳の新卒と25歳のフリーターとで、仮に学歴スキルが同程度だとしたら、そこに格差を付ける意味ある?

なんで新卒に異様に拘るのか全く理解出来ないんだよね

https://egg.5ch.net/test/read.cgi/bizplus/1524992321/

Permalink |記事への反応(0) | 13:07

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2023-10-05

anond:20231005153935

とは言え、売り手相場・買い手相場ってのはあるだろ。需給関係な。 むしろ熟練労働者というか低レベル労働者こそコモディティから影響を受けやすいわけで。

運送業者トラックドライバー)が足りてるうちは値切れるとしても、そもそも数が足りなくなってきて輸送需要が満たせなくなってきたら、そうも言ってられんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 19:08

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2021-09-19

公助は削って、福祉家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会貧困化するよという主張が感想レベルからダメですかそうですか。そもそも自助互助貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識範疇と思っていたよ。

例えばこれは東京大学名誉教授大森彌によるもの

この自助・共助・公助という3分論は、自民党綱領平成22(2010)年)で政策基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律文言にもなっている。

総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。

われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気事故災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマル支援、すなわち互助である自助互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合行政支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。

個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護責任から解放できないのではないか家族大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。

互助は、自発性ゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲支援能力限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからであるしかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである老いて心身が弱っても、自分生活に関することは自分判断し、できるだけ自分で行おうとする個人自助努力尊重し励まし支援する、それが互助の意義である自然災害ときにも、真っ先に頼りになるのは自助互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である

わが国にはシステム化された地域自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかにリスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度存在し、国と自治体の行政公助)が関わっているから、共助の主体地域だけではない。共助システムである医療介護社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費租税)で賄っているし、介護保険では保険者市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国からシステム運用を通ずる効率圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である

https://www.zck.or.jp/site/column-article/20702.html



共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf

工業化に伴う人々の労働者化により、血縁地縁機能希薄化した)

産業資本主義社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けが病気などで働けなくなった場合労働者所得を得られなくなる。その一方で、労働者血縁地縁関係から一定程度独立した結果、それら血縁地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義社会では、労働力商品化の結果、モノやサービス生産が「使用者労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者自己労働力以外に機械原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己労働力提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇リスクさらされるようになる。過酷貧困生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助組織を設けるなどして生活上のリスク対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。

近代的な社会保障制度の創設はドイツからまり欧州各国に広がっていった)

近代的な社会保障制度世界最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相地位にあったビスマルク(Otto von

Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法1883年)、労災保険法1884年)、老齢・障害保険法1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主負担と併せて被保険者労働者等)自ら保険料負担拠出)することにより給付権利を獲得するという関係があるため市場整合であるとして、多くの工業国で社会保障手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的権利関係裏付けを欠くために、社会負担、あるいは自助能力を欠く者との差別偏見から逃れられず、受給スティグマ汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。

(略)

社会保障は、個人生活上のリスク社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義社会国民国家の発展を支えていった)

このように、産業資本主義が発展する中で、血縁地縁がそれまで果たしてきた人々の生活保障する機能限定的ものとなっていった。それらの機能代替するため、傷病、老齢、失業などのリスク公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。

そして、社会保障血縁地縁機能代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障産業資本主義社会国民国家の発展を支えていったともいえる。

世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)

1929年には、アメリカニューヨーク証券取引所での株価の大暴落きっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安ますます増大した。

(略)

ケインズ理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活保障すれば、有効需要が増え、さら失業者が減る。このように、ベヴァリッジケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズベヴァリッジ主義体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(FromtheCradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用11国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12

戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)

1970年代オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障福祉国家批判は大きな潮流になった)

1980年代新自由主義的な政策採用され、社会保障福祉国家の「見直し」が行われた)

新自由主義的な政策は、経済グローバル化趨勢とも親和的だった)

社会保障福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)

(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)

1990年代以降、社会保障重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障福祉国家を再編成する時期に入っている)

今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たち経済社会に欠かせない重要な仕組みである

今日では社会保障は、個人視点からみれば、傷病、失業高齢など自活するための前提が損なわれたとき生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会セーフティネット社会安全装置)」という機能果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得個人世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態社会全体で備える「リスク分散」という機能果たしているといえる。

さら社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能果たしている*20

このように、社会保障私たち経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能制度を構築していくか、若年者等の失業問題社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度機能させていくべきか、経済グローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要政策課題となっている。



社会貧困化するの件が感想しかないので、感想に対する反論などありません残念でした

感想を論だと思ってる時点で問題あり

もっと勉強しましょう

からでも大学行ってみては?

人生に遅いということはないよ

anond:20210919030225

Permalink |記事への反応(0) | 07:21

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2021-08-19

anond:20210819215648

いや、そんな御大層な話じゃなくてさ、労働者階級は大きなマス(カタマリ)なんだけど、底辺と言うと「辺」なんだから層としては薄い(つまり数は多くない)と言いたかっただけ。

労働者階級と言うのが嫌なら単に下層とか下層階級とかでもいい。

労働者階級の中でも階層があって、いわゆる底辺というのは非熟練労働者を指すことが多い。(もちろん非正規雇用が多い)

Permalink |記事への反応(0) | 22:11

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2020-12-08

anond:20201027234459

産業革命当時は、職を失った熟練労働者の大半は非熟練労働者として工場勤務に吸収されたのだと思うが。

これを現代比喩に持ち込むのは難しそう。

Permalink |記事への反応(2) | 12:19

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2018-05-27

anond:20180526201903

コトバンクで悪いが

一般的には特別職業訓練を受けていない未熟練労働者を指すが,外国人労働者の受け入れ問題について議論されるときは,「いわゆる単純労働者」という言葉が用いられている。単純労働者とは入国を認めうる専門的な技術知識を有する労働者との対比で用いられており,無技能・未熟練労働者のみならず,販売員家事サービス職業技能工などある程度の技術技能知識等を有する労働者を含むものである

https://kotobank.jp/word/%E5%8D%98%E7%B4%94%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85-159943

"一般的には特別職業訓練を受けていない"という定義なら営業マンなんかも当てはまってしまうし、"販売員家事サービス職業技能工などある程度の技術技能知識等を有する労働者を含む"なら、学士レベル以上の高等教育を受け且つそのノウハウを活かせる職種に就いていない者は総じて単純労働者と呼んでも無理はない気がする。

単純労働」という言葉定義あやふやなまま、なんとなくブルーワーカーの言い換えという感覚で使われているんだろうがな。

Permalink |記事への反応(0) | 04:15

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