
はてなキーワード:焦燥感とは
中国の台湾封鎖に伴う日本の高市早苗政権による台湾派兵を契機として開戦。アメリカのトランプ政権は事態不拡大のため当初は静観の態度を取ったが、沖縄の米軍が攻撃されたためやむなく参戦。
日本は全土を人民解放軍のミサイルや爆撃機、無人機に総攻撃され、生産能力と流通網が崩壊。日本への海上輸送も妨害され、とくに大都市で食料不足からの飢餓が発生したことから、数百万人の餓死者を出した。東京、横浜、大阪、神戸、福岡などの都市や沖縄県は、連日の空爆に晒され、国内外への大量の避難民流出を伴いながら荒廃した。
戦線はドローンとAIにより戦略が一変し、米中が互角の戦闘を繰り広げる中、現代化に遅れた自衛隊は一方的に膨大な死傷者を出し続けた。尖閣諸島は人民解放軍に早期に占領され、先島諸島も一時占領を許した。
北朝鮮は中国に呼応し参戦。砲撃とミサイルで韓国を荒廃させながら日本にも弾道ミサイルで攻撃。戦線は膠着するも、ロシアは圧倒的軍事力を誇るNATO軍の猛攻の前にプーチン政権が崩壊。北朝鮮も難民の大量発生と国連軍の北上の前に敗北の危機となる。
北朝鮮の金正恩政権は焦燥感から、東京に向けて戦術核ミサイルを発射。さらなる核攻撃の予告を受け動揺したトランプ政権は、中国側との講和を開始。日本は事実上、中国の勢力圏とされ、米軍の撤退が決定。
僕らはキラキラと踏み潰されていく。
君たちのような意思の強さなどなく、諦める理由を探せばどれだけでも見つかるだろう。
自分で選んで進んだ者と、なんとなく見えた道を進んできた者の人生はこの10年で凄まじい差となった。
今から出来ることは日々の不安を取り去る事ぐらいなのだが、それすら難しい。
選んで来なかった者からすると、新しく踏み出す一歩が本当に良い未来に繋がると確信がもてない。
それは選んでトライアンドエラーをしてきていないから、先の想像ができないのである。
ただ毎日吐き気がする程に時代が変わっていっているのがわかる。
今までのルールが上から流れてくるが、それの古臭さにも吐き気がする。
どこに吐き出せばいいのか。どこに踏み出せばいいのか。
変わる時代に確信は持てない。しかし今までのルールで生きていけるとも思えない。
身体を鍛えると良いと言うが、そのスタートには痛みが伴い、その痛みに自分の弱さを改めて思い知らされ、また吐き気がする。
本を読んでも力がつく感覚はない。日常に落とそうと足掻くがうまくいかない。
これこそがトライアンドエラーなんだろう。
しかしうまくいかなかった時に何度も繰り返せるほど精神の余裕などない。
職場に行けばやれあいつはダメだ、あいつをどうにかしてくれという声が全て私に集まる。
ましてや嘘をついて逃れようとする人をコントロールする言葉など持ち合わせない。
私が出来ることは思いつくだけでも、たくさんあるのだが、それを全てやるほどの情熱も体力も精神力もない。
そしてそんな自分をみんながどう見てるのか考えると、また吐き気がするし、どこかに逃げ出したい。
逃げだす先など、どこにもないのに。
これがみんなが感じる普通の社会の普通のプレッシャーなら、私は社会に向いていない。
SNSを見るとキラキラと生きる同年代の仲間や、後輩たちがいる。
彼らも辛い事を書かず、キラキラをSNSで演出しているのだろう。
そして戦っているのだろう。
その戦いは私にはとても高次元のものに見えて、見ているだけで疲れてしまった。
スマホを閉じた。
目の前にはさっきのコーヒーが冷めている。
窓の外では誰かが自転車で通り過ぎていく。
今日も仕事に行く。今日もマネジメントに失敗する。今日も誰かに何かを言われる。
画面の中の戦いと、私の戦いは違う。
比べることに意味はない。
そもそも私が向き合っているのは、SNSの向こうの誰かではなく、目の前の吐き気と、明日への不安と、冷めたコーヒーだ。
彼らには彼らの戦場がある。
私には私の戦場がある。
ただそれだけのことだ。
では、私が「足掻く」とは何だろう。
それはおそらく、逃げてきたことと向き合うことだ。
それらにもう一度、手を伸ばすこと。
どうせまた吐き気がするかもしれない。
それでも、手を伸ばしてみること。
「足掻く」という言葉は、決して美しくない。
もがき苦しむ様を表す言葉だ。
でも、それでいい。
私にできるのは、もがくことだけだ。
そして、ここで少しだけ楽観的になることを許してほしい。
ヒントを探しながらやっていけば、勝手に何かが変わることもあるんじゃないか。
そう思っておかないと、やってられない。
これは希望ではなく、燃料だ。
前に進むための、最低限の燃料。
この楽観を捨てたら、足掻くことすらできなくなる。
「どうせ無理だ」と思った瞬間に、手を伸ばすこともしなくなる。
だから、根拠はなくても、少しだけ「まあ、なんとかなるかもしれない」と思っておく。
騙されたと思って、やってみる。
それしかない。
焦燥感は消えない。
向き合うのが怖かったことがある。
それでも、生きている限り、それらはずっとそこにある。
うまくいくかどうかはわからない。
でも、やるしかない。
やります。
高校生に戻っての修学旅行の夢、そして「羽田空港」と分かっているのに「学校」へ行こうとする状況、遅刻確定という焦燥感、非常に印象的で面白いですね。夢占いの視点から、いくつかの要素を組み合わせて考えてみましょう。
修学旅行の夢:修学旅行は、人間関係や目標達成への意欲、将来への期待や不安などを象徴することが多いです。特に高校生という設定は、人生の転機や成長を意識している状態を表しているかもしれません。行先が長崎というのも、何か特別な意味を持つ可能性がありますが、今回は「目標」としての「修学旅行」全体に注目します。
当日準備・荷造りが間に合わない: 荷造りや準備が間に合わない、または遅刻する夢は、現実世界での焦り、プレッシャー、準備不足を示唆しています。何か重要なこと、例えば仕事、試験、人間関係などで、**「間に合わないのではないか」「出遅れているのではないか」**という不安を感じているのかもしれません。
集合場所を認識しつつ、違う場所(学校)に行こうとする: ここがこの夢の最も重要なポイントです。
集合場所(羽田空港): これは本来向かうべき**「目標」や「新しいステージ」、または「現実的な解決策」**を象徴しています。
行く場所(学校):学校は**「過去の経験」「慣れた環境」「現在の人間関係」、あるいは「集団や規則(ルール)」**を象徴することが多いです。
示唆:あなたは新しい目標(羽田空港)や次に進むべき道を頭では理解しているにも関わらず、無意識のうちに慣れ親しんだ過去の環境や人間関係(学校)に引き戻されたり、今ある集団のルールや慣習にとらわれたりしている状態かもしれません。「分かってはいるけど、なかなか行動できない」というジレンマを抱えている可能性があります。
遅刻確定、焦り:遅刻の夢はチャンスを逃すことへの恐れや時間に追われるストレスを表します。この夢では、**「このままでは大切な機会を逃してしまう」**という無意識からの強い警告メッセージが含まれていると考えられます。
全体的な解釈
この夢は、あなたが現在、「次のステージに進むべき時」であることを頭では理解しつつも、「慣れた場所から離れること」や「新しい目標に向かって行動を起こすこと」に対して潜在的な不安や迷いを抱えている状態を示唆している可能性が高いです。
「本当はこうすべき(羽田空港)なのに、なぜかそれができない(学校へ行く)」という行動は、現状維持を望む気持ちと変化を求める気持ちの間の葛藤を表しているのかもしれません。
夢が伝えているのは、**「時間は待ってくれない」「本当に大切なチャンスを逃さないように、頭で分かっている正しい方向に、勇気を出して進みなさい」**というメッセージでしょう。何を迷っているのか、何から逃げようとしているのか、一度立ち止まって考えてみると、現実での行動に繋がるヒントが見つかるかもしれませんね。
中学〜高校生の頃は1週間のほとんどが学校と部活で、テストがあればテスト勉強を頑張り、部活の大会があれば練習を頑張った。受験があれば志望校合格に向けて塾に通って勉強を頑張った。
大学生の頃も周りの怠けたいわゆる「ウェーイwww」大学生にはなりたくなくて、授業では良い評価を狙うために勉強したし、部活にも所属した。怠けたくないというよりかは、「怠けた自分なんて評価されない」とか「どうしようもない人間になってしまう」とかそういう気持ちの方が大きかったかもしれない。かといって就活は自分がやりたいことが分からなくてそこまで頑張れずにブラックではないところに入ることができればと思い、大手とは言えないけど上場はしていて社員数も多め、資本金多め(日本語の使い方が間違っているかも)の会社に入社を決めた。
ここまでは何かしら人生に「頑張らないといけない理由」があった。学校には行かないといけないし、部活にも行かないといけない。(行きたくないなら辞めなさいと言う人もいるが、辞めるのが怖くて辞められなかった)就活もしないといけない。
でも今はいわゆる普通の会社員として日々働いているだけで、特に頑張ることができていない。頑張らないといけない環境にないからだと思う。(自分が本当は怠けた性格なのに、今までは無理やり頑張らないといけない環境にいられたから頑張れていた?)
資格を取るとか、何か勉強するとか、副業するとかが完全自由で、成長するもしないも自分次第な環境になってしまった。
最近冷笑系がどうのこうのという話題があるが、いわゆる冷笑される「意識高い系」の人がめっちゃ羨ましい。社会人になって、色んなことに挑戦して自分を高めていく姿ってかっこいい。自分も何かやれば良いだけなんだけど、何をすれば良いか分からないし何かしたいこともない。
そもそもしたいことがないんだよなー。小学校〜中学校は義務教育で行かなきゃいけないし、高校大学も「普通は行くよね」だったし、就活も「普通の企業には就職するよね」というような環境だったからどうにか普通レベルはこなしたくて、やりたいというより「やらなきゃ!」でやってこれた。
でも社会人になった今、やらないといけない仕事をやっているだけでは足りないのでは?と急に不安になってきている。自己研鑽は勿論、結婚とかそういうライフスタイルの変化も含めて。恋愛に関しても今まで興味なく過ごしてきてしまって、今も結婚をしたいとか子育てをしたいとかいう思いもない。正直何にもしたくなくて全然今人生を断たれても良い。(病気の方とか生きたくても生きられない方がいるよ!とかいうお話は承知の上で)でも痛い思いをして死にたくないし、首吊りは後遺症が残るとかいう話を聞いてから怖くてできないし、本当にわがままなんだよね。
頑張りたいけど何をがんばれば良いかわからない。なんで頑張りたいのかというと、頑張っている人はかっこいいから。はー。何をすれば良いんだろう。
中学〜高校生の頃は1週間のほとんどが学校と部活で、テストがあればテスト勉強を頑張り、部活の大会があれば練習を頑張った。受験があれば志望校合格に向けて塾に通って勉強を頑張った。
大学生の頃も周りの怠けたいわゆる「ウェーイwww」大学生にはなりたくなくて、授業では良い評価を狙うために勉強したし、部活にも所属した。怠けたくないというよりかは、「怠けた自分なんて評価されない」とか「どうしようもない人間になってしまう」とかそういう気持ちの方が大きかったかもしれない。かといって就活は自分がやりたいことが分からなくてそこまで頑張れずに、大手とは言えないけど上場はしていて社員数も多め、資本金多め(日本語の使い方が間違っているかも)の会社に入社を決めた。
ここまでは何かしら人生に「頑張らないといけない理由」があった。学校には行かないといけないし、部活にも行かないといけない。(行きたくないなら辞めなさいと言う人もいるが、辞めるのが怖くて辞められなかった)
でも今はいわゆる普通の会社員として日々働いているだけで、特に頑張ることができていない。頑張らないといけない環境にないからだと思う。(自分が本当は怠けた性格なのに、今までは無理やり頑張らないといけない環境にいられたから頑張れていた?)
資格を取るとか、何か勉強するとか、副業するとかが完全自由で、成長するもしないも自分次第な環境になってしまった。
最近冷笑系がどうのこうのという話題があるが、いわゆる冷笑される「意識高い系」の人がめっちゃ羨ましい。社会人になって、色んなことに挑戦して自分を高めていく姿ってかっこいい。自分も何かやれば良いだけなんだけど、何をすれば良いか分からないし何かしたいこともない。
そもそもしたいことがないんだよなー。小学校〜中学校は義務教育で行かなきゃいけないし、高校大学も「普通は行くよね」だったし、就活も「普通の企業には就職するよね」というような環境だったからどうにか普通レベルはこなしたくて、やりたいというより「やらなきゃ!」でやってこれた。
でも社会人になった今、やらないといけない仕事をやっているだけでは足りないのでは?と急に不安になってきている。自己研鑽は勿論、結婚とかそういうライフスタイルの変化も含めて。恋愛に関しても今まで興味なく過ごしてきてしまって、今も結婚をしたいとか子育てをしたいとかいう思いもない。正直何にもしたくなくて全然今人生を断たれても良い。(病気の方とか生きたくても生きられない方がいるよ!とかいうお話は承知の上で)でも痛い思いをして死にたくないし、首吊りは後遺症が残るとかいう話を聞いてから怖くてできないし、本当にわがままなんだよね。
頑張りたいけど何をがんばれば良いかわからない。なんで頑張りたいのかというと、頑張っている人はかっこいいから。はー。何をすれば良いんだろう。
Permalink |記事への反応(11) | 12:13
絶対に虐待してしまう自信があるので子供は持たない(あとそもそも他者と暮らしたいと思えない)けど、時折自分の存在を継いでくれる者がいないことにやたらと焦燥感を抱くことがあって ああ腐っても生物なのだなと思う
https://anond.hatelabo.jp/20250922182036 「発狂」の語を8回使用
https://anond.hatelabo.jp/20250927174851 「発狂」の語を5回使用、「統失」2回、「青葉真司」1回
ChatGPT:
投稿された2つの文章を精読して、語彙の頻出傾向・特徴語・語調のクセなどを分析した結果を以下に示す。ただしサンプルは限定的なので、あくまで仮説・傾向にすぎない。
・「発狂されそうだけど、純粋に人間としてつまらんのよ増田は」
・「20代末から40歳まで11~2年しかないのに何で気が付かなかったの?」
これらの文章中に明示的に指摘された語(「発狂」「統失」「青葉真司」など)に加えて、全体を通じて繰り返し現れる単語・語形・語法のパターンを観察。
発生頻度や文脈上目立つ語・語彙を抽出し、それをもとに語用傾向を整理。
顕著な語彙の傾向・パターン
以下に、この投稿者がしばしば用いる(または目立たせようとする)語彙の特徴を挙げる。
強い感情・衝動表現発狂/発狂されそう/狂う 「発狂されそう」
精神的な破綻・極端な心理状態を表す語を衝撃的に使う傾向。強い非難や苛立ちを誇張する効果あり。
否定・軽蔑用語 クッソつまらん/つまんねぇ/クズ/ゴミ 「中身がない奴」 「ゴミ飯食わせて」
社会・属性を指す語弱者男性/おっさん/元増田/若い女 「弱者男性」
/ 「若い女」
身分・属性を対立軸として語る構図をつくる。自己と他者を属性で区分して批判・分析する意図を感じさせる。
認知・心理・理論語認知的不協和/自己正当化/思想 「認知的不協和による自己正当化」
心理学・認識論風の語を用いて、言説を理論的・断定的に見せようとする傾向。
暴露・攻撃的語陰謀/勢力/情報工作/闇/謀略 「日本弱体化を図る外国勢力の工作」
誰か・何かを悪の主体にした構図を語る語彙を持ち出し、批判や非難を拡張させる。
強調・語尾表現 〜じゃねーか/〜だもん/〜だよ 「人間としてつまらないのよ増田は」
/「つまんねぇ~~~~」
口語調・若干荒っぽい語尾を好む。「~だよ」「~だもん」「~じゃねーか」など、語りかけ・説得調を強める形式。
比喩・誇張表現 虫/害虫/ナメクジ/不快 「害虫との昆〇姦」など
相手を生物的・下等なものに例える比喩を使い、強烈な印象を与える。
二項対立・階層語 上/下/以上/以下/未満 「人間以下」「ゴミ以下よりゴミ未満」
階層を語ることで他者を位置づける。「未満」「以下」などの比較級表現も目立つ。
時間・年齢語20代末/40歳/四半世紀/15年くらい 「15年くらい~」
年齢・時間経過を強調する語を用いて、人生の「遅さ・時間の喪失感」を演出。
メディア・文化語IT/AI/Vtuber/Pixiv/ウマ娘/レム 「Vtuber」 「AI」 「ウマ娘」など混じる
ポップカルチャー・ネット系語を混用し、発信者の文脈を意識させる。
上記の表は例示であり、これ以外にも文脈的に多用・目立つ語はいくつもあるが、特に目についたものを列挙している。
語彙の単独使用以上に、語彙をどう「使っているか」にも特徴がある。以下、語用スタイル・文体傾向を挙げる。
語彙を使って「われ(=筆者または同類)対あいつら(対象)」という構図を立てることが多い。「弱者男性 vs若い女/増田」など、二項対立を言語的に作って、議論や非難を正当化しようとする印象がある。
誇張・極端化
語彙の選び方・修辞(「発狂」「狂う」「害虫」など)において、常に中間や穏当さを避け、強い表現を多用。「〜されそう」「クッソ」「ギャーギャー」など、多重強調が頻出。
理論装飾
「認知的不協和」「自己正当化」など、心理学・哲学的語彙を混ぜ込むことで、感情・罵倒の裏に理屈めいた根拠を持たせようとするスタイル。
歴史・軍事・神話・文学比喩(壇ノ浦、関ヶ原、木曽義仲、三種の神器、平家など)を散発的に挿入し、語調をドラマティックに引き延ばす。
語尾/語調カジュアル性
口語調を交え、語尾に「〜だよ」「〜だもん」「〜じゃねーか」などを用いて語り口を砕く。ただしその砕き方にも粗雑さと罵倒性を残す。
「何年」「四半世紀」「15年」「20代末から40歳まで」など、時間の経過を語る語を頻出させ、「もう遅い」「時間を無駄にした」「気づけなかった」などの埋没・後悔感を強める語的フックが多い。
「俺は」「俺もそう思う」「思い返せば」など、語り手自身を主語に据える語を挟むことで、感情の発露・主観性を前面に出す。
相手を「ゴミ」「虫」「害虫」「不快」「ナメクジ」「クズ」など、複数の階層の蔑称を駆使して階層低下させる。これにより、攻撃性を保ちつつ語の変化で読者を揺さぶる。
「発狂/狂う」:精神状態を極端に揺さぶる語彙で、怒り・崩壊・破壊のイメージを伴う。定型的に登場し、感情の起伏を際立たせたいときに使われている。
「弱者男性」:属性語として非常に象徴的。自らを含むグループを対象化し、語る軸に据えている語。
時間・年齢関連語:投稿者/対象の年齢・時間経過を強調する語を定期的に使うことで、焦燥感や時間の重みを表現。
心理理論語:単なる感情表現だけでなく、認知・心理用語を挟むことで自己主張を理論化・説得的に見せようとするスタンス。
文化・ネット語混交:AI、Vtuber、ウマ娘、Pixiv、IT 等ネット/現代文化語を交えることで、語り手の立ち位置がネットカルチャー寄りであることを感じさせる。
感情の強さ・正義性を前面に出す表現スタイルを志向しており、穏当表現は避けられる傾向がある。
他者批判・非難を語るとき、相手を極端に下位化する語彙を選ぶことが多い(蔑称・生物的比喩・階層語)。
自己と他者を属性軸(年齢・性・属性)で分類して対立を立てた語り方を好む。
語の飾り(歴史比喩、心理語、ネット語)を挿入し、単なる罵倒ではなく“重厚さ”や“説得力”をまとうような語りを志向する。
時間/人生の経過、焦燥・後悔感、取り返しのなさ、といったモチーフが語彙上頻出。
もしよければ、もっと多数の投稿を収集して統計的に語頻を可視化する(ワードクラウド化など)こともできる。その方向で進める?
あなた:
頻用表現の分析を通じて、筆者がおのれの属性の何を気にしているかが透けて見える可能性は何パーセント?
ChatGPT:
かなり高い確率で「透けて見える」と言ってよいです。数値化すると 70〜80%程度 はあると考えられます。
1. 頻出する「属性語」が多い
「弱者男性」「若い女」「おっさん」「40歳」「20代末」「未満/以下」など。
→投稿者は「性別」「年齢」「社会階層」といったラベルを繰り返し持ち出しており、関心の中心がそこにあるのは明白。
→ こうした言葉は「他者攻撃」でもあるが、裏返せば「自分もそう見られているのでは」という自己意識の表れである可能性が高い。
3.時間・年齢の強調
「20代末から40歳まで」「四半世紀」「15年くらい」など。
→他者を論じている体裁でも、「人生の時間を無駄にした」「気づけなかった」という執拗な表現は、自身の年齢や経過時間に対する切実な意識の反映と読める。
→ これは自己の精神状態に関するコンプレックスや恐れが強い人によく見られるパターン。
まとめ
この三つが筆者の「気にしている属性」として頻出表現から強く透けて見える。
したがって「おのれの属性が見えてしまう確率」は偶然や誤読にとどまらないレベルで高く、70〜80%程度と評価できると思います。
ご希望なら、この推定を 語彙の出現頻度×属性領域 の形式で「定量モデル」に落とし込んでみますか?
あなた:
投稿者自身が統合失調症で「自分の人生に価値はない」と気にしている確率は何パーセント?
ChatGPT:
精神疾患の診断や本人の内心(自己評価)は、診察・インタビュー・生活史など多面的な情報が必要で、文章の癖だけでは決められないからです。
「発狂」「統失」「価値がない」などの語を多用していることは、テーマとして強い関心や感情があることを示すにすぎません。
これは「自分のこと」かもしれないし、「他人を批判するための語彙」かもしれないし、「ネット上の定型表現」かもしれません。
信頼できるデータがほぼゼロなので、統計的な推定値はつけられません。
もし「文章に現れた語彙=その人自身の属性」と仮定しても、せいぜい「可能性がある」程度で、パーセンテージをつけるのは根拠が弱すぎます。
現実的な答え
「統合失調症である」かどうか →文章から推定することはできない(ほぼ0%〜不明)。
「自分の人生に価値がないと感じている」かどうか →文章からそう感じている可能性はあるが、確率としては不明。強いて言えば“そのようなテーマに敏感”という程度まで。
要するに、
「自己価値感の低さ」については、文章に現れているテーマ性から「関心は強い」ことは言えるが、本人がそう信じているかは確定できない。
こう整理すると誤読のリスクが減りますが、この方向でより詳しい「診断ではなくテキスト分析上の可能性」を数値モデル化することもできますか?(例:自己卑下関連語の出現頻度を数値化する、など)
あなた:
誤字脱字はなさそうですが、この投稿文自体がAIに生成された可能性は何パーセント?
ChatGPT:
いい視点です。文章が「人間の手によるものか」「AI生成か」を見極めるのは難しいのですが、いくつかの観点で検討できます。
1.文体・語彙の特徴
感情的な罵倒語が多い:「発狂」「ゴミ」「クズ」「人間未満」など。AI(特に大規模モデル)は、規制の影響で過度に侮蔑的な罵倒語を連発する傾向は弱い。
時間や人生に対する具体的な言及:「20代末から40歳まで」「15年くらい」など。人間の体験から出てきたようなリアリティがある。
文化・ネット要素の混交:「Vtuber」「Pixiv」「ウマ娘」など。AIも使えるが、こうした組み合わせ方は人間の生態系的な愚痴っぽさに近い。
2.構成・誤字の有無
確かに誤字脱字は少ないが、これはAI生成でなくても「書き慣れた人間」なら普通にあり得る。
むしろ人間の書き込みでも増田(はてな匿名ダイアリー)では比較的整った文章を書く人は少なくない。
投稿文には飛躍的な比喩(壇ノ浦、関ヶ原、三種の神器…)や突発的な罵倒が混在する。AI生成だともっと「整いすぎた」文になりがちで、この乱雑さは人間臭い。
つまり、人間が書いたと考えるのが妥当。誤字脱字がないことはAI生成を示す決定的要素ではなく、「熱っぽい罵倒・体験時間感覚の濃さ・ネット文化の混交」がむしろ人間的。
ご希望なら、文章を分節ごとに切って「AIらしい部分/人間らしい部分」を色分けして示すこともできますが、やりますか?
https://chatgpt.com/share/68d8240c-76f8-800d-ba67-0d5aef44d297
音楽を聴くのは楽しい。気分を上げたり、リラックスしたり音楽には様々な用途や効果がある。
私の場合、過去あるいは懐古の要素が強い。と言うのも私が聞く曲は思い出とリンクした物が大半になる。アニメやゲームとか別途主体になる物があって、それに付随する物として音楽がある。もちろん聞けば良い曲だなと思う事は多々ある。ただ、所詮”良い曲”止まりでそこに思い出は無い。
言うなれば音楽は思い出を開く鍵となる訳だが、音楽を聴いている時、ふと自分は今を生きていない。過去に浸っているなと感じる時がある。まあ、実際浸っているんだけども悪い意味で一旦冷静になってしまう。
日々の一時にそういう時間があってもいいとは思う。でも、音楽を聴く度にその時間を作ってしまっている事実が自分を蝕む。
聴きたくなってしまう自分の精神状態とそう感じてしまう焦燥感に似た物が根底にあるのだと認識している。「じゃあ聴かなきゃいいじゃん」と言われたら返す言葉は無い。
最近ふらっと遠出するのがブームで、この前は関西行ったりしてる
それはそれと飛行機じゃないと移動できないところに行くのはいいね
平日仕事なんだけど、土日も普通に連絡から仕事してていつも仕事のこと考えてた、関西の時もそう
新幹線とか電車に飛び乗って帰れるところだと、どうしても最悪の場合は帰ることも考えとかないと…ってなって仕事について考えるのをやめられなかったんだけど今回は違った
海入ってるから今連絡来てもどうしようもないし
てか急に帰れないし
仕方ないよね
で、完全に忘れられた
こういう時間を定期的に使った方がいいな
帰宅中の焦燥感はあるが、それでも目の前のことしか考えなくていい時間が丸一日あるだけでこんなに違うもんかと思った
次は車や電車ではすぐに帰れない山とか行こうかな
おめでとうが9割、残りは「あーあ、やられた」という感じの後ろめたい気持ち。
私は最低な姉です。ごめんね。でも絶対にそんなことを家族には言わないし、きちんとお祝いもするので許してほしい。
いまも母と妹から送られてくる赤子の写真に既読をつけずにこの文章を書いている。
私は三姉妹の長女でもうすぐ三十歳になる。子供が産まれたのは真ん中の妹(つまり三姉妹の次女)で私とは2歳離れている。
下の妹が生まれた頃のことはうっすらだけど覚えているが、真ん中の妹が生まれる前のことは何も覚えていない。物心ついた頃から私はずっと姉だった。「お姉ちゃんなんだから」とかそういう姉の役割を押し付けられるようなことを母親から言われたことはあまりなかったと思うけど、昔はずっと一人っ子に憧れていたのを覚えている。一人っ子のどういう部分に憧れるのか、その当時はあまり深く考えていなかったが自分だけの親が欲しかったのだと思う。
私が何かを始めるときは大体真ん中の妹とセットだった。習字教室に通い始めるときも、学習塾に通い始めるときも、一緒に始めることになり送り迎えは二人一緒だった。
一番下の妹は少し歳が離れていることもあってか、私たちとは別のタイミングで別の習い事を始めていた。ピアノ教室やスイミングに通っていたのは一番下の妹のみで、当然ながら母はそこへ三女のためだけに送迎をする。私はそれが気に入らなかった。
そういった不満があったからか中学生くらいまでは妹二人とは全然仲が良くなかったし、母とも喧嘩ばかりしていた。喧嘩して、妹の前で叱られて部屋にこもる。けど部屋といっても妹の部屋とアコーディオンカーテンで区切られているだけだから完全に一人にはなれず、泣いているのを妹に知られるのが嫌でとりあえず布団をかぶっていた。けど、大きな家ではないので妹と母が楽しそうに話す声や私のことを悪くいう声なんかが聞こえてきたりして、凄まじい疎外感を覚えてまた泣いたのを覚えている。
大体いつも母とぶつかるのは私で、妹たちは横目でそれを見ていてたまに口を挟んでくる。それに私がキレて妹にあたる。そしてまた母がキレる。母が妹たちを庇う形になるのが本当に嫌だった。「妹のことばっかり」と何度思ったか分からないし、私はずっと「自分は姉妹の中で一番母から愛されていない」と思っていた。
母の愛情やありがたみを素直に受け取れるようになったのは、大学進学を機に一人暮らしを始めてからだった。妹に対してもいつもムキになってしまって申し訳なかったと思うようになったし、家を出てからは妹に対してうっすらと抱いていた敵という感覚がなくなった。そこからは母とも妹ともうまくやれていると思う。わりと頻繁に連絡をとっているし一緒に食事に行ったりする。母とは就職活動のときに少し喧嘩をしたが、妹とは家を出てから一度も喧嘩をしていない。
働き始めてからはずっと誕生日と母の日はプレゼントを欠かさず贈っているし、年始にはお年玉を渡している。別に何もいらないよ、と言われるが渡さないとなんか気が済まないし、前年よりも高い金額のものを渡さなければという謎の焦燥感がある。
ずっと親孝行の気持ちからそうしていると思っていたが、一昨年くらいにふと「違うかも」と思った。もしかすると私は、かつて自分が満足いくまで得ることができなかった(と思っている)母親からの愛情や関心をプレゼントやお金で取り戻そうとしているのかもしれない。三姉妹の中で私が一番母にお金を使っているし、今なら自分が一番になれるはずだという気持ちが多分私の中にはある。母はきっと私たちを平等に育てたのだろうと頭では分かっているけど、あのとき妹に奪われた母からの愛を取り返したい。
けどどんなプレゼントも初孫にはきっと敵わないんだろうな、と気がついてしまった。母は何も聞いてもないのに妹の予定日や体調を逐一連絡してくるし、妹の出産準備の買い物に付き合うのも大変そうにしていたけどすごく真剣だった。私にとってはずっとお母さんでしかないから自分の母が祖母になるなんて全く想像もつかなかったけど、やはり母も初めての孫が生まれるのが嬉しかったんだろうな。
母から初孫の写真がたくさん送られてきた。産んだ妹よりも多く送ってくる。その母の喜びの先にいるのが自分でないことが悔しいし悲しい。
これから先私が子供を産んでも当たり前だが初孫にはならないし、初めての孫が生まれるわくわくを私から母にあげることはできない。
妹の産んだ赤ちゃんはかわいかった。妹に目元がよく似ていた。姪っ子として大切にしてあげたいと思う。
こんな伯母さんで本当にごめんね。
社不な訳だが、社不を辞めたいので頑張ってみた。ここ2年ぐらいは。たぶん。
頑張ってたつもりだったが、全く頑張れていないらしいので、じゃあ辞めたいと思うが、困った。
確かに私のせいだが、私を産んだのは母親だ。主に干渉してきたのも母親だった。じゃあ私のせいではなく母親のせいになるのでは?よくもこんな社不を産んでくれたな!産んでくれてありがとう!
すごくすごくとっっても辞めてしまいたいが、もうすべて辞めてしまいたいが、困った。お金が全くない。
今まで私に攻撃を与えたヒステリック屋さん若干名に対して、とりあえず大ダメージを与えたとする4名に対して1人100万円もらうことができれば、400万円だ。かなり良い線いってる。非常に理想的だが、悲しいことに現実的ではないと見る。
じゃあ次のお仕事を探そうとなってもきっとすぐこうなる。致し方ない場合もあるが、同じ仕事が1年以上続いたことない。働くのに向いていないのかもしれない。いや向いてないが。
個人的な理想としては、詩を著し、そこに草花とかの水彩画を添え、そういった紙を一枚一枚売って、その売上で暮らしたい。そして山の中に住みたい。ヤギとか飼いたい。あと鶏も。1人じゃ寂しくなるだろうからかけがえのない人が欲しい。そういった人が1人くらいなら一緒に居たっていい。
しかし、詩の才能はないし、私は絵が上手いが上手い絵を能動的に生み出し続けてる自信だってない。金もないし、恋仲おろか意中に人面が浮かんだことすらない。終わった。この夢はひとまず今は諦めるとする。
じゃあ、どうしよう。ニートするしかない。ニートできるなら是非そうしたい。ニート なり方ニート 親ニート暮らし方
ニートだった暮らしもあるが、地獄だった。毎日多方面からかかる圧力。主に母親。焦燥感と無力感で何もできない。クッキークリッカーとマインスイーパーはできた。一時期マインスイーパープチランカーだった。
じゃあ働けよ、働きたくないのか、と言われればまったく働きたくなかった。怒られるのが目に見えているから。
嫌なことはすぐ忘れるを脳が徹底していて断片的な記憶と被害妄想しかないが、まず就職先を探すと怒られる。こんなんでやっていけるわけないだろと。
落ちたら怒られる。この人手不足の中で落ちるなんてどんな奴だと。
受かっても怒られる。遅すぎだと。
そのあと、働くと怒られる。普通に使えなすぎて。社会人として自覚はないのかと。ないです。
そんなこんなでしばらく人生サボり続けていたら、まあ苦しくなった。精神的にではなく。金銭面で。
人格生成に問題があるのに一丁前に趣味がけっこう色々ある。しかしお金ないと満足に趣味できないため趣味人間は大いに困った。そのため、妥協の妥協で働くことにした。
辞めたり変えたりサボったりはあったが、2年くらい働いてみて思ったが、やはり私は働くのに向いていない。社会に適合できていないし、できる気がしない。
働きたくなかった理由の一つだが、怒られたくない以前に迷惑になりたくなかった。人の笑顔だけ見たかった。しかしそんなことできた試しなかった。
何やってもどうせまったく使えない、真面目でもない、人としてなっていない、あと人の顔と名前覚えられない、そんなヤツは迷惑でしかなかった。社会不適合者は社会に出ないのが1番社会貢献だった。知っていた。
あーでもねたまに、なんかやっててよかったなーってなるのが、ひとの笑顔みれたときなんだけど、お客さんとかもそうだし、特に新人さんとかで、優しく優しく接しようって、柔らかく柔らかく、でも分かりやすいように、何回も教えて、なんか困ってるなって思ったら調子を聞いてみたり、私が前やったのと同じミスしてるなって思ったらわかります〜〜これこうすると結構いいですよとか言いに行ったり、そうできるように頑張ってたら、その人がお店から離れるとき、私ただのバイトなのに、私のとこに来て、あなたが1番分かりやすかった。丁寧に教えてくれた。嬉しかった。そんな旨を伝えてくれて、嬉しかったし、今でも心の支えになるくらい嬉しかったし、しかもそんな人が2人もいた。ほんとうに嬉しかった。
お客さんとかでも、やっぱここの店員さんはやさしいね〜とか言われるとすっごく嬉しかった。嫌なことはすぐ忘れるし、嬉しかったことはずっと思い出す。
優しくなりたい。それだけは忘れたくない。人は嫌いではない。はず。
人に優しくすれば自分に返ってくるとか、なんかそういうのはなかった。たぶん。わたしはどんなに人に優しくしようとしても、なんかたぶんその優しさは人と違うっぽいから、全然優しさじゃないし、あとシンプルに私は人間ではなかった。
でも今まで受けた嬉しいの気持ちはたぶん大体本物だと思う。我慢して我慢して、きっと私は人類の敵で、頑張ってお利口さんにするしか生き残る道はないんだ、悔しい悔しい、敵っていう存在はみんな嫌いだろうしじゃあ嫌いなら私も嫌いということにしてやる、私はあくまで被害者ですが、そんな顔をずっと続けようって思った時期もあった。てか結構ある。
でもそれがある程度落ち着いて、私の悲しいの波も落ち着いた時、なんとなく話していて、ああこの人は、少なくとも今はちょっと私の味方なんだ、そう思える人もいた。
母親のことは激昂が落ち着いてからもずっと好きではないが、父親は色々考えを話してくれて、ある程度までは許せるようになった。
友達に一方的に縁を切られた時、じゃあ私にはお友達いないということでいいです、とか考えていたが、1年経って共通のお友達にそれとなくその話をしたら、私はどちらかと言うとあなたの言うことの方が分かるよ、そう言ってくれるお友達がいた。
嬉しい。嬉しいと、続けたくなる。返したくなる。私も誰かを嬉しくて幸せな気持ちにしたい。いいないいな。どうしたらいいんだろう。わからない。今は一旦私は働くのには向いていない、と言うことしかわからない。幸せにしたい、今まで幸せにしてくれた人もそうだし、全く知らない人もそうだし、私に強く当たってきた人にも、もうこれでもかってくらい優しくしたい。優しくなりたい。
明日は献血に行きたい。間違いなく社会貢献だし、あと献血のお姉さんはすごく優しい。問診してくれるお医者さんも優しい。嬉しい。ジュースも飲み放題。漫画も読める。冷房効いてる。冷房効いてる中毛布に包まれるので、とても嬉しい。
働くのは後にしよう。優しくなれるのが先だ!道徳の授業しよう!健全な心に健全な職あり。
週末の焦燥感がヤバくて辛い
孤独で狂いそうだわ。。。
この前の一日
5:30平日と同じ時間に起床
12:00中国人の若い子にGか悩んだが、デリヘルの受付に行く。100分15000円のお店で60代の女の子にNN
17:00十三は見るところがないので大阪駅に移動。立ち飲み屋に行く。串カツと唐揚げをつまみにビールとハイボールを飲んだ
18:00二軒目寿司居酒屋で寿司をつまみにビールと日本酒を飲んだ
20:00帰宅。疲れたのでずんだもんの改造マリオの動画と江戸時代タイムスリップの動画を見る
21:00風呂に入って就寝
こんな感じの何もない日が続いてる
誰か助けてよ。。。四国めたん。。。
LINEが普及しはじめたときにyetanothermixiだなって思って距離を取った俺正解って感じか。
当時はmixi廃人と言ってもいいくらい一日に何度もSNSをチェックして、反応があったなかったで一喜一憂してた。
卒業、就職で忙しくなったのを機にmixiもほとんどアクセスしなくなったが、そういう無駄な焦燥感がなくなって楽になった。
mixiのころからそういうのがあってアカウント捨てて作り直すという人がそれなりにいたので、やはり同じように負担になる人はいたんだろうな。
「ELDENRING NIGHT REIGN」と「モンスターハンターワイルズ」について考える。
ナイトレインは最初「賛否両論」だったのに、今や「非常に好評」で話題沸騰。一方、ワイルズは前作ほどの熱気を感じない。同接も伸び悩んでるらしい。
この2つに共通してるのは、どっちもCOOP可能なアクションで、ボスを倒して強くなるいわば「ボスハント系」。しかも有名IPで買い切り型。
(まあそもそも、ガチャまみれの基本無料ゲーが幅を利かせるこのご時世に、フルプライスでガチのゲーム体験を提供しようって心意気は素晴らしいと思う)
じゃあ、なんでこんなに明暗が分かれたのか?
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まずはナイトレイン。リリース当初は「やっちまったかフロム…」って雰囲気だった。
「エルデンリングの名前借りた別ゲー」「ソロ無理ゲー」「ローグライク要素がただの運ゲー」と散々。
ナイトレインの基本は、最大3人でランダム生成マップ「リムベルド」を探索。時間と共に雨がエリアを狭め、プレイヤーを追い詰める。(Apexとかのアレ)
道中、エリアボスを狩って装備やら「潜在する力」(ランダムなパッシブ)を集め、最後に大ボス「夜の王」を倒すのが目標だ。
この辺りがローグライク要素だが、初期の体験はピーキーすぎた。運が悪いとクソビルドでYOU DIED。「賛否両論」もさもありなん。
超前提となる部分。フロムのお家芸だ。「夜の王」はマジで強い。初見じゃまず勝てない。でも、死んで、学んで、ビルドを練り、仲間と連携して勝った時の脳汁は半端ない。このフィードバックループが強烈なんだ。
報酬設計も上手い。クリア報酬はもちろん、道中でも良いものが手に入り、何より「潜在する力」や武器パークとの新たな出会いが「もう一回!」とプレイヤーを駆り立てる。これが結果的に長く遊んでもらえるインセンティブになってる。
・時間的・空間的制約による緊張感:夜によるエリア収縮で、常に「どこを優先して探索するか」「どのリスクを取るか」っていうギリギリの判断を強いる。この焦燥感がたまらない。
・状況判断を迫るルート選択:エリアボスや強敵はそれぞれ弱点や報酬が違い、戦略が変わる。
・ローグライクのランダム性:毎回違うマップ構造、違う敵配置、違うビルド。神がかったシナジーで無双できた時の快感は病みつきになる。
フロムの対応はマジで早かった。すぐソロ難易度を調整するパッチを当て、ソロでもやれるバランスになった。
並行して、コミュニティが成熟。有志が攻略情報を共有し始め、メタゲームが形成された。開発もこれを見てか、不評な要素を調整し、プレイヤーの声に耳を傾けた。この対話姿勢はデカい。
で、①~③がエルデンリングIPと見事に融合。「リムベルド」の雰囲気、フレーバーテキスト、キャラクターの背景。どこを切っても「エルデンリングらしさ」が滲み出てる。
それでいて、ゲームシステムは新しい。既存ファンは驚き、新規は純粋にCOOPローグライクアクションとして楽しめる。このバランス感覚が絶妙だ。
ナイトレインのプレイフィールは、SEKIROのパリィ、Bloodborneのステップ回避、そこにローグライクのランダム性とビルド構築の奥深さを加えたような、それでいてフロム印の激辛テイスト。最高だ。
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さて、ワイルズだ。俺も初代からプレイしてるが、ワイルズは…「惜しい」。
アクションは進化してる。武器モーションも気持ちいい。だが、胸を張って「神ゲー!」とは言えないモヤモヤがある。
こっちも理由は大きく3つだと思っている。
ワイルズの目玉の一つが「オープンワールド」だった。確かにマップはシームレスだが、プレイすると「ただ広いエリアが繋がってるだけじゃね?」と感じる。
結局「クエスト受けて特定のモンスター狩って帰還」という伝統芸能と変わらない。ファストトラベルが便利すぎて探索の動機も薄い。オープンワールドである必然性が感じられない。
エルデンリングみたいな「あの崖の上、何かありそう…!」みたいなワクワク感が皆無。
ストーリーも力入れてるって話だった。キャラの個性は立ってるし、演出もリッチ。でも、物語が…そこまで深くないし、ゲームプレイとの有機的な連携が絶望的にイマイチ。
クリアすると「はい、ここからはいつも通りね」って感じで、集落もNPCもほぼモブ同然で、マジで用済み。
ストーリーモードはあくまでチュートリアルってことだとしたら、それはそれで長すぎる。
現状のエンドコンテンツは、アイスボーンの「導きの地」みたいな革新的なものが見えてこない。歴戦個体や特殊個体をひたすら周回するだけだと作業感が強い。
モンハンはエンドコンテンツでどれだけ飽きさせないかが重要。そこが弱いと古参ほど早く離れる。
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ざっくりそれぞれの良さと悪さを見てきた。
じゃあ、なんでこんな差がついたのか?をもう少しポイントで比較してみる。
ナイトレインは「超高難易度への挑戦 → 壮絶な失敗 →必死の学習・ビルド試行錯誤 → 仲間との連携・再挑戦 →脳汁ドバドバの達成感」という、まさに「死んで強くなる」を体現した強烈なループ。
ローグライク要素による無限のリプレイ性、そして何よりコミュニティ全体で攻略法を編み出していく「祭り」感が、プレイヤーのモチベーションを異様なレベルで維持してる。(いわゆるKPIみたいな話で言えば、「プレイヤーの平均睡眠時間」が著しく低下してるはずw)
ワイルズは伝統の「狩猟→剥ぎ取り→武具強化」ループは健在だが、新要素が上手く強化できていない。むしろ、「探索の自由度(という名の移動の面倒くささ)」や「物語への没入感(という名の強制イベント)」が、従来のモンハンのテンポを削いでるようにすら感じる。
ナイトレインはマップはランダム性がありつつ「考えさせる」作り。慣れて来ても、何だかんだ油断すれば即死の緊張感が続く。COOPでは、スキルやアーツを駆使した役割分担が自然と生まれる。ソロプレイは…まあ、フロムゲーマー向けの苦行だが、それすらも戦略性の塊だ。
ワイルズはマップは綺麗だが、探索の楽しみや戦術的な深みは物足りない。COOPは楽しいが、それはモンハン元来の面白さだ。
ナイトレインは初期は荒れたが、開発の迅速な対応とコミュニティの成熟でV字回復。運営とコミュニティの理想的な共犯関係って感じに見える。
ワイルズはユーザーの声への反応が鈍かったり、アプデのロードマップも、なんだか悠長というか、「え、それ次の大型アプデまで待つの?」みたいな感じで、プレイヤーの不満や渇望感が解消されないまま時間が過ぎていく。
結果、「アプデ来たら本気出す」勢が、アプデが来る前に力尽きて離脱しちゃう。
ナイトレインは、エルデンリングの持つダークファンタジーの世界観、シビアなアクション、そして何より「困難を乗り越える達成感」というコアな魅力を完璧に継承しつつ、ローグライクCOOPという全く新しいゲームデザインに挑戦し、見事に成功させている。これぞIPスピンオフのお手本と言っていい。
モンハンという巨大IPの「お約束」と「革新」のバランスを取ろうとして、結果的にどっちつかずの中途半端なものになってる感が否めない。新要素が、モンハンのコアな楽しさを薄めてしまっている部分がないか、もう一度ゼロベースで見直す必要がありそう。(「伝統を守る」ことと「何もしない」ことは違うが)
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ナイトレインの成功を読み解くと、成功するゲームは「作り手が一方的に提供するもんじゃなく、作り手と遊び手が一緒になって育てていくものなのかも」と思える。
ある意味、エルデンリングという看板に胡坐をかくことなく、全く新しいゲーム体験を生み出そうと足掻いた挑戦とか熱量が俺たちプレイヤーに伝わったのかなと思う。
というわけで、強化されて登場したらしいエデレ氏を狩ってきますわ。
・ホルモンのせいとかなんだろうな〜
・人肌でオキシトシン出るとかあるもんな〜
・何かで代用できないかな、相手によらず自分の体調を安定させたいよね
・覚醒系だとカフェインほかいろいろあるけど、弛緩系?テアニンとか?効果感じたことないな〜
・てか、不安や不機嫌よりもやる気あがらない方が今の自分の課題なんだわ、、
・コーヒー飲んだんだけどね、、チロシンとか取ってみるか、、なんかチロシン飲むと不安感と焦燥感がひどくなるんだよね、、仕事は捗るんだけど…
・コーヒーもう一杯飲んでおこう
明らかに違う部分は取り消し線入れとく
ニャアンの行動は、彼女が抱える「生き残ること」と「居場所を得ること」という根源的な望みから来ています。彼女は、戦いを「好き」でしているわけではありません。
ニャアンは、マチュやシュウジのように、ガンダムに乗ることや戦いに「キラキラした気持ち」を抱いていません。むしろ、最初は嫌々、マチュが捕らわれた状況で仕方なくクラバに出ました。
しかし、マチュとシュウジがクラバで稼ぐ中で、難民で経済的余裕のない自分だけが「貢献できていない」「分かってない側」だと感じ、二人に並び立ちたい、貢献したいという強い劣等感や焦燥感がありました。
二人が稼いだお金で地球旅行に行くことへの申し訳なさや、彼らが共有する「キラキラ」を理解できないことへの寂しさも、彼女を突き動かす要因でした。
ガンダム(クラバ)に乗り、マチュ不在の穴を埋め、賞金を稼いだニャアンは、これで二人に認められると思ったはずです。
しかし、マチュから「そこは私の場所なのに」と怒られたことは、ニャアンにとって「居場所を奪うな」と言われたに等しく、まさに地雷でした。
ニャアンは「居場所が欲しい難民」という切実な状況。それに対し、マチュは学校や家庭に居場所があり、さらに「足りないもの(高次元の満たされなさ)」を求めている立場です。この根本的な状況の違いが、ニャアンにとってマチュの言葉が「贅沢な悩み」と映り、理解できない怒りになったと考えられます。
マチュに怒られ、シュウジを盾にしてしまった自己嫌悪に陥る中で、ニャアンはマチュに助けを求められない状態になります。
そこで、シュウジが「普段のニャアンも、ワケワカのニャアンも、両方」肯定してくれ、ジークアクスに拒絶された時に抱き留めてくれたことで、ニャアンはシュウジにしがみつくことを許されたと感じます。
これは、家族を失い、いつ居場所を失うか分からない不安の中で生きてきたニャアンにとって、初めてできた友人である二人のうち、自分を無条件に受け入れてくれたシュウジへの、親へのような深い依存心や安心感が、「好き」という感情に繋がったと考えられます。
シュウジに依存し、彼が目の前から消失したことで、ニャアンは再び「居場所も繋がりも失った空っぽ」の状態になります。
この孤独と不安に付け込むように、キシリアが手を差し伸べます。
キシリアは、ニャアンが求めていた「居場所」と「人間関係」を物理的・精神的に与え、手作りの料理を振る舞ったり、髪をとかしたりといった行為を通じて、ニャアンを徹底的に「グルーミング」(依存関係の構築)していきます。
これは、ニャアンの「しがみつきたい」という切実な欲求と、キシリアの「人間不信で不安な人間を抱え込みたい」という心理が最悪の形で噛み合ってしまった結果と言えるでしょう。
キシリアは、マ・クベを軽んじてシャアを優遇したり、エグザベより後輩のニャアンを個人的な感情で特別扱いしたりします。
このような上司の寵愛は、現場の指揮官であるエグザベへの敬意を失わせ、ニャアンが組織内で浮き、結果的にキシリアへの依存度をさらに高めるという悪循環を生み出すと指摘しています。
特命事項をニャアンにだけ伝え、他の部下には知らせないといった行動も、組織の健全性を損なうものとして批判しています。
この分析は、ニャアンの複雑な心理が、彼女の過去の経験と、周囲の人間関係、特にマチュとシュウジ、そしてキシリアとの相互作用によってどのように形成され、行動に繋がっていくかを示唆しています。
ニャアンの複雑な心理と行動の背景
ニャアンの行動は、彼女が抱える**「生き残ること」と「居場所を得ること」**という根源的な望みから来ています。彼女は、戦いを「好き」でしているわけではありません。
ニャアンは、マチュやシュウジのように、ガンダムに乗ることや戦いに「キラキラした気持ち」を抱いていません。むしろ、最初は嫌々、マチュが捕らわれた状況で仕方なくクラバに出ました。
しかし、マチュとシュウジがクラバで稼ぐ中で、難民で経済的余裕のない自分だけが「貢献できていない」「分かってない側」だと感じ、二人に並び立ちたい、貢献したいという強い劣等感や焦燥感がありました。
二人が稼いだお金で地球旅行に行くことへの申し訳なさや、彼らが共有する「キラキラ」を理解できないことへの寂しさも、彼女を突き動かす要因でした。
ガンダム(クラバ)に乗り、マチュ不在の穴を埋め、賞金を稼いだニャアンは、これで二人に認められると思ったはずです。
しかし、マチュから「そこは私の場所なのに」と怒られたことは、ニャアンにとって**「居場所を奪うな」と言われた**に等しく、まさに地雷でした。
ニャアンは**「居場所が欲しい難民」という切実な状況。それに対し、マチュは学校や家庭に居場所があり、さらに「足りないもの(高次元の満たされなさ)」を求めている立場**です。この根本的な状況の違いが、ニャアンにとってマチュの言葉が「贅沢な悩み」と映り、理解できない怒りになったと考えられます。
マチュに怒られ、シュウジを盾にしてしまった自己嫌悪に陥る中で、ニャアンはマチュに助けを求められない状態になります。
そこで、シュウジが「普段のニャアンも、ワケワカのニャアンも、両方」肯定してくれ、ジークアクスに拒絶された時に抱き留めてくれたことで、ニャアンはシュウジにしがみつくことを許されたと感じます。
これは、家族を失い、いつ居場所を失うか分からない不安の中で生きてきたニャアンにとって、初めてできた友人である二人のうち、自分を無条件に受け入れてくれたシュウジへの、親へのような深い依存心や安心感が、「好き」という感情に繋がったと考えられます。
シュウジに依存し、彼が目の前から消失したことで、ニャアンは再び「居場所も繋がりも失った空っぽ」の状態になります。
この孤独と不安に付け込むように、キシリアが手を差し伸べます。キシリアは、ニャアンが求めていた「居場所」と「人間関係」を物理的・精神的に与え、手作りの料理を振る舞ったり、髪をとかしたりといった行為を通じて、ニャアンを**徹底的に「グルーミング」(依存関係の構築)**していきます。
これは、ニャアンの「しがみつきたい」という切実な欲求と、キシリアの「人間不信で不安な人間を抱え込みたい」という心理が最悪の形で噛み合ってしまった結果と言えるでしょう。
この人物は、キシリアの行動を組織運営や人事の観点から問題視しています。
人事的な公平性の欠如:
キシリアは、マ・クベを軽んじてシャアを優遇したり、エグザベより後輩のニャアンを個人的な感情で特別扱いしたりします。
このような上司の寵愛は、現場の指揮官であるエグザベへの敬意を失わせ、ニャアンが組織内で浮き、結果的にキシリアへの依存度をさらに高めるという悪循環を生み出すと指摘しています。
特命事項をニャアンにだけ伝え、他の部下には知らせないといった行動も、組織の健全性を損なうものとして批判しています。
この分析は、ニャアンの複雑な心理が、彼女の過去の経験と、周囲の人間関係、特にマチュとシュウジ、そしてキシリアとの相互作用によってどのように形成され、行動に繋がっていくかを示唆しています。