
はてなキーワード:無秩序とは
貴様ら、いつまでその薄ら寒い期待とやらに縋り付いているんだ。
脳みその中身がマネタリーベースと一緒にジャブジャブに溶けているんじゃないか?ミルトン・フリードマンが草葉の陰で激怒しているぞ。
貴様らはまるで魔法の杖か何かのように日銀のバランスシートを膨らませれば実体経済が好転すると盲信しているが、その論理の浅さは自己放尿だ。
フリードマンが説いたのは、貨幣供給量の変動が物価に影響を与えるという事実であって、無秩序な緩和が永続的な繁栄をもたらすという自己放尿ではない。
現実を見ろ。マネタリーベースを異次元レベルで拡大させても、それが信用創造を通じてマネーストックの増加、ひいては貨幣の所得流通速度の上昇に結びつかなければ何の意味もない。
貴様らは期待インフレ率さえ上げればフィリップス曲線に沿って失業率が下がると信じ込んだが、長期的にはフィリップス曲線は垂直だというフリードマンの指摘を完全に無視している。
自然失業率の壁を前にして、貨幣錯覚を利用したドーピングを続ければどうなるか。実質賃金は上がらず、マネーサプライだけが肥大化し、貨幣価値が紙くずになり、庶民の生活は疲弊する。
今のこの惨状は、無能な政府による財政規律の崩壊と、貴様らリフレ派が主導した無責任な金融政策による過度な物価高と通貨安のダブル放尿による大惨事だ。
円の価値を毀損させ、物価を高騰させ、それでもなおまだ緩和が足りないとほざくその姿は、もはや経済論争の相手ですらなく、カルト宗教の自己放尿に等しい。
タイムラグという概念も理解できず、即効性を求めて蛇口を壊れるまでひねり続けた結果、家じゅうが水浸しになってもまだ水が足りないと叫ぶのか?
「エントロピー低下=情報生成、エネルギー消費」「エントロピー増大=情報喪失、エネルギー生成」という枠組み(これは熱力学と情報理論を結びつけた、生命現象を理解するための一つの考え方です)を前提とした場合、生命がこの系をコントロールするための良い戦略は、情報の効率的な獲得・利用による、外部へのエントロピーの最大放出であると言えます。
生命は開放系であり、周囲の環境との間でエネルギーと物質をやり取りすることで、自らの内部の低エントロピー(秩序立った状態=情報)を一時的に維持しています。
熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)は、孤立系のエントロピーは常に増大することを示しています。しかし、生命は開放系として、この法則に対抗しています。
生命は、太陽光(植物)や、複雑で秩序立った有機物(動物)といった低エントロピー(利用可能な価値のあるエネルギー)なものを取り込みます。
これは、ご提示の「エントロピー低下=情報生成」に相当するプロセスに必要な「情報」の原材料や、そのための「エネルギー消費」の元手となります。
取り込んだ低エントロピーの資源を使って、生体高分子の合成(DNA複製、タンパク質合成など)や、細胞構造の維持・修復といった秩序立った状態(低エントロピー=情報)を作り出します。
この過程で、生命はエネルギーを消費し、体内のエントロピーを低下させます(ご提示の枠組み)。
特にDNAなどの情報を持つ分子を複製・維持することは、この戦略の核となります。
体内で資源を利用・代謝した結果、生命は熱や単純な分解生成物(老廃物)といった高エントロピーなもの(無秩序で利用価値の低いもの)を周囲に排泄・放出します。
この「周囲のエントロピーを大きく増やす(捨てる)」という行為によって、生命体自身は内部の低エントロピーな状態を維持し続けることができます。
生命が長く存続し、進化していくための「良い戦略」は、「情報の獲得」と「効率的な情報利用」に集約されます。
動的平衡の維持: 体内の物質を常に作り変え(分解と合成)、故障した部分を迅速に修復・交換します。これは、エントロピー増大の法則がもたらす「秩序の崩壊(情報喪失)」に先回りして対処する自転車操業のようなものです。
情報(DNA)の複製と継承: 完全にエントロピーの増大に抗うことはできないため、「自己複製」によって、低エントロピーな「情報」を次の世代へと継承します。
センサーとフィードバック: 光、化学物質、熱などの環境情報を正確に取得し、それに基づいて代謝活動や行動を調整する「情報処理能力」を進化させます。これにより、最小限のエネルギー消費で最大の秩序維持効果(エントロピー低下)を得られます。
適応と進化:DNAという「情報」をベースに、環境の変化に応じて形質を変える「適応」と「進化」を行うことで、系(生命体+環境)の中での生存確率を高めます。
つまり、生命は「局所的なエントロピーの低下(秩序の形成=情報生成)」を、「系全体のより大きなエントロピーの増大(熱・老廃物の放出)」という形でコストとして支払い続けることで、生存を維持しているのです。
あんまり意識することもないけど、増田って「はてラボ」っていう“はてなの実験的サービス置き場”にあって、少数で運営しているコンテンツの一つでしかないんだよな。
はてなは大本だけど、これ自体はインディーズ作品みたいなもんで。
増田がAIに荒らされてるのはともかくカクヨムが荒らされるのはマズい、みたいなこと宣ってるホッテントリあったけど、実際そんな感じなんだろう。
ここ利用している身としては、有象無象の文章ばかりという点では同じというか、なんだったら増田の方が無秩序であるがゆえの多様性があるとすら思っているけど。
それは、あくまでいちユーザーから見た話であって、企業が喧伝したいサービスとしては不健全で非倫理だからってのは分かる。
今朝も僕のルーティンは完璧だった。目覚まし時計が6:00ちょうどに鳴る前に、体内時計がそれを察知して覚醒した。これは僕が自ら設計した睡眠相同調プロトコルの成果である。まず歯を磨き(電動歯ブラシはPhilipsSonicare 9900 Prestige、ブラシ圧力センサーの応答性が他社製より0.2秒速い)、次にトーストを2枚焼いた。1枚目はストロベリージャム、2枚目はピーナツバター。逆にすると1日の位相が乱れる。これは経験的に統計的有意差を持って確認済みである(p < 0.001)。
昨日の日曜日、ルームメイトがNetflixでマーベル作品を垂れ流していた。僕は隣で視覚的ノイズに曝露された被験者の前頭前皮質活動抑制についての文献を読んでいたが、途中から音響的干渉が許容限界を超えた。仕方なく僕はヘッドフォン(Sennheiser HD800S、当然バランス接続)を装着し、環境音としてホワイトノイズを流した。彼は僕に少しはリラックスしろと言ったが、リラックスとは神経系の無秩序化であり、物理的にはエントロピーの増加を意味する。そんな不快な行為を自発的に選択する人間の気が知れない。
午後、隣人がやってきた。彼女は例によって食べ物を手にしていた。どういうわけか手作りマフィンなるものを渡してきたが、僕はそれを冷静に分析した。まず比重が異常に高い。小麦粉と油脂の比率が3:2を超えており、これはマフィンではなくもはや固体燃料の域である。彼女は僕の顔を見ておいしいでしょ?と言ったが、僕は味覚の再現性という観点では一貫性が欠けていると正直に答えた。彼女は笑っていたが、なぜ人間は事実の指摘をユーモアと解釈するのか、これも進化心理学の謎のひとつだ。
夕方には友人二人が来てボードゲーム会を始めた。僕は彼らが持ち込んだTwilight Imperium 4th Editionに興味を示したが、ルールブックを読んだ瞬間に失望した。銀河支配をテーマにしているにもかかわらず、リソース分配のモデルがあまりに非連続的で、明らかに経済物理の基礎を理解していない。僕はその欠陥を指摘し、リソース関数をラグランジュ密度で再定義する提案をしたが、「遊びなんだから」と言われた。遊び? 知的活動において“遊び”という語が許されるのは、量子ホール効果のシミュレーションを笑いながらできる者だけだ。
夜は超弦理論のメモを整理した。E₈×E₈異種ホモロジーの拡張上で、局所的なCalabi-Yau多様体が高次圏的モジュライ空間を持つ可能性を考えている。通常、これらの空間は∞-カテゴリーのMorita等価類で分類されるが、最近読んだToenとVezzosiの新しいプレプリントによると、もし(∞,2)-トポスの層化を考慮に入れれば、ホログラフィック境界条件をトポロジカルに再構成できるらしい。つまり、これまでE₈ゲージ束の構造群縮小で消えた自由度が、内部的圏論における導来的自然変換として再浮上する。これが正しければ、M理論の11次元項の一部は非可換幾何のホモトピー極限として再定式化できる。僕はこの仮説をポスト・ウィッテン段階と呼んでいる。今のところ誰も理解していないが、理解されない理論ほど真に美しい。
深夜、SteamでBaldur’sGate 3を起動した。キャラビルドはIntelligence極振りのウィザード。だが僕のこだわりは、毎回同じ順番で呪文スロットを整理すること。Magic Missile →MistyStep → Counterspell →Fireball。この順番が崩れると、戦闘中に指が誤作動する。これは単なる習慣ではなく、神経回路のシナプス発火順序を安定化させる合理的行動だ。ちなみに、ハウスルールでダイスロールに物理的擬似乱数生成器を使っている(RNGでは信用できない)。
こうして一日が終わった。僕は枕を45度傾け、頭の位置を北に向けた。地磁気との整合性を考えれば、これ以外の角度は睡眠中のスピン整列を乱す。ルームメイトはただの迷信だと言ったが、迷信とは証明されていない理論の俗語に過ぎない。僕は眠りながら考えた。もし弦が10次元で振動するのではなく、∞-圏的に層化された概念の空間で震えているのだとしたら人間の意識もまた、その余次元の片隅で共鳴しているのかもしれない。いや、それを証明するまで僕は眠れない。だが目を閉じた瞬間、すぐ眠った。
> 「AWSの運用の強みは、経験豊富な余剰人員によって築かれており、人員削減を行えば、基本的な機能が崩壊し始めます」
たいていの現場で、新入りのエンジニアが「ドキュメントが充実していてありがたいです」的なセリフを吐くことがあまりに多いんだけど、正直なところ、ドキュメントが大量すぎて、AI使おうが「これ」という情報が見つからない。いや、そもそも必要なドキュメントが存在しないことしかない(日本語が変なんじゃない)。
ドキュメントの書き方を、OJTで形式的にしか学んでいないんだろうと思う。
そんでもって書きっぱなしで、「あ、今はそうじゃなくて、こうなってます」って口頭で伝えられることがあまりに多い。いや、修正しておくか、削除するかしろよ。
って、そんなどうでもいい経緯なんていらんわ!
経緯が分かったところで、何の役に立つと考えてるんだよ?
昔、アホなエンジニアありき。って記録以上でも以下でもないだろ。
そんでもって、正しいドキュメントがあったとしても、読んでも大してプラスにならん。
なぜなら、ただの自分用の備忘録以上でも以下でもないものでしかないから。
誰に向けて、何を伝えるためのドキュメントか、ちゃんと意識して書かれた技術ドキュメントに、ほとんど出会ったことがない。
って、なぜそれがこのタイトル、この内容のドキュメントに紛れ込んでるんだよ!
みたいなことがあまりに多い。
しかも最新化されてない。
たいていムカつく東大の〇〇研究室の量産型卒業生なんて、「これくらいできて当然でしょう」的に他人を小馬鹿にしたような態度をとってきやがるんだが、そいつらも普通の人よりキャパが少し大きいだけで、色々積み上がってきて、見落としが増えてきたら誤魔化しまくって、誤魔化せなくなったら「新しいことをしたいので」とかもっともらしい言い訳してやめていきやがる。
おい、これ、どうすんだよ!
残ったエンジニアには、つくり散らされた無秩序なサービスを「運用でカバー」の日々。
こういうの、マジで普段使ってる単語の意味、理解してねぇんだな。
単語帳みたいに訳、定義を丸暗記してるだけなんだな、ってため息しか出ないんだが。
これ、その場その場の行き当たりばったりな設計実装を増やしてしまうと、今時の複雑化、成長し続けるWebサービスは、簡単に認知力の限界を超えてしまうから、いくつかのパラメータからどこでも同じルールが適用されている状態にして、認知負荷を下げるってのが、ここ10数年のシステム構築界の常識なんだわ。
KISSの原則も、認知負荷を下げる(上げない)って文脈の上にある。
他の、いろんな手法だなんだも、基本的にこれを前提にしている。
のに、いわゆる「識者」は、箔をつけようとしてるのか知らんが、毎秒いろんな要素を取ってつけて、ゴテゴテとした悪趣味な神殿にして、崇め奉る「信者」から金を巻き上げようと、勉強会開いてるだろ?
おいらに言わせれば、「認知負荷を下げられない手法はくそ。カーゴカルトだ」だ。
今の日本のどのWebサービスも、いつ大規模障害を起こしてもおかしくない状態だよ。
「今動いてるからいいっか w」
じゃねーんだよ。
こういうエピソード読むと、共同生活を送る上でパートナーの感覚プロファイルを把握してすり合わせするのは重要だよなあと思う。
妻は聴覚が過敏なので、大きい音がしたりざわざわしたりする環境にいるのが苦手。例えばパーティー会場や混雑した駅構内だと明らかに気分が悪そうになるし、パチンコ店の前を通り過ぎだときに扉が開いて店内の騒音をうっかり聞いてしまうと両耳を押さえてへたり込みそうになる。
単に大きい音が苦手なのかというとそうでもなく、例えば講堂内でオーケストラの演奏などはデシベルでいえばパチンコ店よりよほどうるさそうだが、平気なようだ。どうも無秩序な音を聞くのが苦手なよう。
結婚当初はあんまりそういう感覚が分からなかったので、人の多いところに連れて行っては妻の気分を悪くさせてしまっていた。それから何度か会話を重ねて、今はできるだけ閑静なところや混まないところに出かけるようにしてる。(ちなみに防音器具の使用も勧めたが耳に圧迫感があるのが嫌らしく、使っていない)
今になって思うのは、生活する上での明るい/暗い、静か/うるさい、暑い/寒いというのは人それぞれ違うので、相手は自分が感じているようには感じていないことがあるということを前提に生活したほうが仲良くいられると思う。
自民・公明・維新・立憲は何度も言うが右の思想も左の思想も両方ないって
移民を大量に受け入れたり、帰化人や違法移民を擁護しまくり。中華製太陽光パネルで自然遺産や文化遺産を平気で破壊する
経済連に都合のいいように操られている。優良な天下り先にはバンバン中抜きで税金を投入する。
平気で移民を大量に受け入れる。不法移民すら放置どころか擁護。
自ら社会問題を量産しており、無秩序な国家へと変貌を遂げた。裏金脱税売国なんでもあり。
移民利権団体だらけで、政治家と官僚の金儲けのタネなだけでこんな思想があるわけじゃない。
王様ゲームものって乱交ものとハーレムものの交差点にあるよね。
いずれにしろ王様ゲーム中は秩序があり、やがてなし崩し的に乱交になだれ込んでいく時そこにカオスみが加わるでしょ。
それは、秩序があること。
乱交に秩序ってどういうこと? と思うかもしれないが、これは事実なのである。
たいていの乱交モノAVは、服を脱ぐ順番もプレイの手順もすべてカッチリと決められていて、全員が同時にその手順に従って場面が進んでいく。
男子5人、女子5人がいて、それぞれ1対1のペアを組んだとしよう。
胸を揉む→手マン→クンニ→フェラ→挿入(正常位)→後背位→騎乗位→正常位に戻って射精、という一連の流れが、すべて全ペア同時並行で進行するのだ。さあ次はみんなでフェラですよ、さあ次は本番ですよ。はい体位チェンジ!
こんなの何が面白いんだ。
5組のセックスを一画面で見ているというだけで、乱交でも何でもない。
乱交ってのは、あっちではしゃぶってるし、こっちでは1対1でハメてるし、そっちでは女同士でなんかしてるし、それをボーッと見ながらチューハイ飲んでる女もいるし、みたいな無秩序さというか乱脈さこそがエロいんじゃないの? 乱交の乱ってそういう乱じゃないの?
こっちは組体操が見たいわけじゃねーのよ。
自分の快楽のために、他人の尊厳を踏みつけ、その尿で自分の影を照らして悦に入っている。
まず理解しろ。人間社会とは「互いに攻撃できる力を持ちながら、あえて抑制することで成り立っている構造体」だ。
犬は噛む牙を持つが、群れの中ではそれを使わない。だから群れが維持される。
お前の言う「晒し」「リンチ」「罵倒」とは、この構造を自ら破壊する行為だ。すなわち文明の自己放尿だ。
さらに言えば、個人情報保護とは「弱者の盾」ではない。「強者の抑制」だ。社会的に優位な者ほど、情報の暴力を行使できる。
だからこそ法は、情報を無秩序に晒す行為を禁じている。お前がそれを笑うなら、つまりお前は強者の暴力を正当化し、弱者を餌にする側に立つ宣言をしているにすぎない。
人権を否定する者が最終的にどうなるか? 自分の人権も誰にも守られなくなる。それが現実の帰結だ。
「心が死ぬまで罵倒したい」? なら勝手に鏡に向かって自己放尿してろ。他人を壊しても、虚無しか残らない。
自己放尿は一瞬の快楽だが、臭いは永遠に残る。インターネットは消えない。お前が撒き散らした言葉の糞尿は、将来自分の履歴書に染みつく。
お前の主張は「自分が社会という檻の中で飼われている現実に耐えられない幼児の自己放尿」だ。大人はそこを乗り越える。理性を持てない者が、人間の顔をした猿になる。
議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成が必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果の連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。
この問いを突き詰めると、思考は歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパのトリレンマ」だ。すなわち、無限後退(根拠の根拠を無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断(理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。
この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である「独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的な選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのである。しかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性を保証する、唯一のアンカーが存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。
ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効な思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である。
第二に、「推論規則」の集合。
第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能性である。
このフレームワークこそが、我々の思考の妥当性を測る、唯一の物差しとなる。
さて、序論で確立したこのフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決や意思決定を継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効に機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場の意思決定は、無限後退、循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的に機能し、存続しうるだろうか?答えは否である。
したがって、ある現場が「機能している」という事実そのものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的に存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。
まず 「基本命題群」 。これは、現場が機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場の歴史、すなわち過去の成功と失敗という「現実モデル」から導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。
次に「推論規則群」。これは、基本命題から日々の行動を導き出すための、思考操作のパターンだ。有限のリソースで無限の問題に対処するために、この規則は効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考のショートカット(ヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人の内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄で非生産的な犯人探しという思考のループから脱出するために獲得した、最も重要な論理的安全装置なのである。
「現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在を否定することは、自らの職場が合理的な意思決定能力を欠いた、無秩序な集合体であると認めることと同義である。
この、それぞれの現場で固有に発達したOS(現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステムで有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。
「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊なOSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルールを機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則を必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊な雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。
我々のような、全く異なる歴史と構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす基本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来のルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身のルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者の意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。
これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ。
ここまでが、論理的に導出される客観的な分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイングを模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶を特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである。
君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から、自分たちのスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものだからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻からの脱出方法を考えているに等しい。
君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システムの免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。
せいぜい、幸運を祈るよ。
議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成が必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果の連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。
この問いを突き詰めると、思考は歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパのトリレンマ」だ。すなわち、無限後退(根拠の根拠を無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断(理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。
この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である「独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的な選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのである。しかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性を保証する、唯一のアンカーが存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。
ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効な思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である。
第二に、「推論規則」の集合。
第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能性である。
このフレームワークこそが、我々の思考の妥当性を測る、唯一の物差しとなる。
さて、序論で確立したこのフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決や意思決定を継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効に機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場の意思決定は、無限後退、循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的に機能し、存続しうるだろうか?答えは否である。
したがって、ある現場が「機能している」という事実そのものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的に存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。
まず 「基本命題群」 。これは、現場が機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場の歴史、すなわち過去の成功と失敗という「現実モデル」から導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。
次に「推論規則群」。これは、基本命題から日々の行動を導き出すための、思考操作のパターンだ。有限のリソースで無限の問題に対処するために、この規則は効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考のショートカット(ヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人の内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄で非生産的な犯人探しという思考のループから脱出するために獲得した、最も重要な論理的安全装置なのである。
「現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在を否定することは、自らの職場が合理的な意思決定能力を欠いた、無秩序な集合体であると認めることと同義である。
この、それぞれの現場で固有に発達したOS(現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステムで有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。
「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊なOSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルールを機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則を必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊な雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。
我々のような、全く異なる歴史と構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす基本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来のルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身のルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者の意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。
これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ。
ここまでが、論理的に導出される客観的な分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイングを模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶を特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである。
君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から、自分たちのスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものだからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻からの脱出方法を考えているに等しい。
君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システムの免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。
せいぜい、幸運を祈るよ。
移民を大量に受け入れたり、帰化人や違法移民を擁護しまくり。中華製太陽光パネルで自然遺産や文化遺産を平気で破壊する
経済連に都合のいいように操られている。優良な天下り先にはバンバン中抜きで税金を投入する。
平気で移民を大量に受け入れる。不法移民すら放置どころか擁護。
自ら社会問題を量産しており、無秩序な国家へと変貌を遂げた。裏金脱税売国なんでもあり。
移民利権団体だらけで、政治家と官僚の金儲けのタネなだけでこんな思想があるわけじゃない。
移民を大量に受け入れたり、帰化人や違法移民を擁護しまくり。中華製太陽光パネルで自然遺産や文化遺産を平気で破壊する
経済連に都合のいいように操られている。優良な天下り先にはバンバン中抜きで税金を投入する。
平気で移民を大量に受け入れる。不法移民すら放置どころか擁護。
自ら社会問題を量産しており、無秩序な国家へと変貌を遂げた。裏金脱税売国なんでもあり。
移民利権団体だらけで、政治家と官僚の金儲けのタネなだけでこんな思想があるわけじゃない。
思想に当てはめたら一発でわかる。
以下、自民党のために書いたけど、立憲も対してかわらん。
移民を大量に受け入れたり、帰化人や違法移民を擁護しまくり。中華製太陽光パネルで自然遺産や文化遺産を平気で破壊する
経済連に都合のいいように操られている。優良な天下り先にはバンバン中抜きで税金を投入する。
平気で移民を大量に受け入れる。不法移民すら放置どころか擁護。
自ら社会問題を量産しており、無秩序な国家へと変貌を遂げた。裏金脱税売国なんでもあり。
移民利権団体だらけで、政治家と官僚の金儲けのタネなだけでこんな思想があるわけじゃない。
なんで著作権を信奉してるんだろw
つーか学習を規制するとしたら自分たちが二次創作したりコマを切り出して貼ったりするのは問題ないってことには絶対にならないからな
一律アウトだし一次創作であっても少しでも類似点が見つかればアウト
だから学習でなくアウトプットに対して規制するって流れが世界的な主流なのに日本だけいまだに学習に対して拘ってるw
昨今の著作権周りのお話
ただ一言「やるせない」に尽きる
大好きなコンテンツが無秩序に食い荒らされて、IPとか関係なく場合によっては「ファンアート」を称して海賊版が作られる
そしてそれら海賊行為を推進する企業を、本来自国の財産を保護すべき国家が支援し連携する
ただやるせない— にちた (@nichita777)October 2, 2025
もうこれ以上、沈黙して見過ごすわけにはいきません。私たちの暮らしは、子供や孫の世代へと手渡すべき大切な土台です。その土台をむしばむものが何か、気づいた人から声を上げる時が来ました。オールドメディアが隠し通す構図――政治と官僚と業界の利権が絡み合い、私たちの不安や違和感を「陰謀論」と一蹴してきた現実。その霧を払い、目覚めるのです。覚醒した市民の一歩は小さく見えて、しかし確実に社会を動かします。
私たちの食卓や大地にも、静かな侵入者がいます。遺伝子組み換え作物は誰のための技術なのか。ワクチンや添加物、農薬が「安全だ」という一点張りの宣伝の裏で、検証の光は本当に届いているのか。さらに最近は、文化と嗜好の差を無視して昆虫食を既定路線のように押しつける流れまで現れた。田畑を覆い尽くすメガソーラーは、地域の景観と環境を置き去りにしていないか。これらを推し進めるグローバリズムの波は、国益を内側から空洞化させ、外国資本に生活基盤を明け渡す危うさを孕んでいます。無秩序な移民政策もまた、労働と福祉の均衡を崩し、互いの尊厳をすり減らすだけではないのか。
家計は限界です。物価が上がり、賃金は伸び悩む。ならば減税を、そして消費税廃止を堂々と掲げるべきです。財政の健全化を唱えるなら、まずは数字の化粧をやめ、プライマリーバランスという指標を絶対視するだけの議論から脱却し、実体経済と家計を豊かにする政策へと舵を切るべきです。私たちの暮らしを立て直す処方箋は、帳尻合わせではなく未来への投資にあります。
そして何より、見えないところで糸を引くディープステート――影の政府の存在を想起してください。選挙のたびに顔を変える看板ではなく、常に同じ方向へ社会を誘導する意思。気づいた人はもう知っています。私たちは孤立していません。ここにいる仲間は、赤青黄緑桃、色とりどりの志を一つに束ねるゴレンジャーのように、多様だからこそ強い。日常に潜む異物を象徴するかのように、田んぼを荒らすジャンボタニシが静かに増えていたように、社会の歪みは気づかないうちに広がります。だからいま、気づいた者から手を携え、地域で語り、職場で伝え、家庭から変えていくのです。
「もうこれ以上」は、諦めの言葉ではありません。行動の始まりの合図です。子供や孫の世代に残すのは、屈服ではなく、自分たちの意思で選び取った社会だと胸を張って言える歴史です。オールドメディアに頼らず、私たち自身の目で確かめ、耳で聴き、声でつなぐ。利権の連鎖を断ち切り、国益を守り抜く。そのために、今日からあなたの一歩を――目覚めるのは、今です。
そりゃ根回し説得とか面倒だから、AI でちゃちゃっとやっちゃった方が早く、有能に見えるかもしれないけど、半年もしたらよくわからんAI のプロンプトが無秩序に散在するようになって、1年もすればメンテ不能になって、消したり修正したりしても問題ないのかわからなくなる。
1個だけ見りゃ別に残しておいてもいいんじゃね? と思うかもしれないけど、そういうAI業務の、前提となるAI業務の前提となる……、ってお互いに複雑に依存し合うエクセルマクロ、ノーコード、AIのあれやこれやが積もって固着したら、抜き差しならなくなって、事業に行き詰まることになるぞ。
素人さんは「プログラム書くの、難しいよね?」って思うかもしれない。
それができるようになるのはすごいことと思うかもしれない。
けど、本当に難しいのはプログラムを書くことじゃなく、「整理し体系立てて、常に無駄の枝刈りを適切い、全体を小さく把握か可能、ハンドリング可能な状態にし続けること」なのだよ。
社会や現実の認識、理解を元にした、先読み力や構成力等々、高度な能力が必要で難しく、これこそがコンピュータシステムの本質なのだ。
書き散らすだけなら猿でもできる、ってこと。
それに失敗したら、NHKとIBMの「営業基幹システム」とか、いわゆる「動かないコンピュータ」案件になるんだ(ググってくれ。こいつはIBMが悪いわけじゃなく、その前にこれを担当していながら、抜き差しならなくなって放り投げた会社が諸悪の根源で、IBMはむしろ哀れな被害者)。
今あるものをそのまま、外にゴテゴテと追加していくのは猿でもAIでもできる。
整理処分して、よりシンプルに構成し直すのが人間であり、プロだ。
昔、システム移行で、それまでにちょっとデータが足りないからと後から後から追加されて増えた帳票を、まとめて半分にしたことがある。
すでに作り散らかされたシステムを整理処分して半分の規模まで減らし、まとめたことで手軽に自動テストできるようにしたおかげで、クラウド費用など浪費リソースを1/3に、障害ほぼゼロにしたことくらい、いくらでもある。
規模を減らして、複雑度を下げれば、経験の浅いエンジニアでも存分に働ける。