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2025-10-13

飯野賢治」を理解するには当時のゲーム雑誌文化についても理解する必要がある

[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html

kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う

トップブコメのこの意見、まじでそうなのよ。

飯野賢治理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。

90年代日本雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲーム情報ゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。

飯野ゲームスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。

 

SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二糸井重里さくまあきら広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。

 

ゲーム雑誌においてゲームクリエイター露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。

――他に音楽業界手法で言うと、クリエイタークレジットちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれものですよね。

 

川上氏:

 当時は、みんなゲームクリエイター名前は隠していましたからね。

 

丸山氏:

 でもさ、レコード映画クレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤースターがいて、クリエイタースターじゃないというのはヘンじゃない。だからメーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションやすいよ」と説得したんだ。

 

高橋名人

1959年まれゲーム関係者本名高橋利幸ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント所属ファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。

 

 実際、これは有効なんだよ。だって普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。

 

――つまり音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?

 

丸山氏:

 そうそう。で、クリエイターには「ミュージシャンは顔出してやってるから、どこ行ってもモテるんだぜ」と教えてまわった。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3#i-2

 

PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社ゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者インタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。

 

飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者いかにも会社組織所属するサラリーマンオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社ゲーム言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョーク坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネット動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治奥さんゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。

彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオパーソナリティや、現代ならばSNSインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。

 

飯野ゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野インタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野インタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野インタビューを取る→宣伝になるから飯野インタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンド記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。

 

いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。

 

----

 

参考までに1990年代ソフトバンクセガハード専門誌からスタッフインタビューリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。

Beep!メガドライブ1993年12月

バーチャレーシング -永田浩一(セガ

ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ

矢野一隆(セガファルコム

重田守(セガ

 

セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)

ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修セガ

エネミー・ゼロ - パーラム飯田和敏(※開発者ではない)

デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ

サイバーボッツ - 醤野貴至、澤田悦己(カプコン

ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ

新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ

意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキーブンブン丸、柏ジェフリー

天外魔境 第四の黙示録 -広井王子森本レオ桜井智

シャイニング・ザ・ホーリィアーク -高橋宏之ソニック

EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也イマジニア

佐々木建仁セガ)×後藤友恵、片平貴子レースクイーン

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

セガサターンワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト

センチメンタルグラフィティ -為我井徹

サクラ大戦 -田中公平牧野幸文(セガ)、原太郎ティーズミュージック

セガスキースーパーG -菅原誠(セガ

ラストブロンクス -山下信行(セガ

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕セガ

スカッドレース -名越稔洋宮本英明西村英士(セガ

 

DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)

小島弘和、荷宮尚樹(セガ

シェンムー 一章横須賀 -松風雅也安めぐみ、岡安啓司(セガ

電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎セガ

クレイジータクシー -菅野顕二(セガ

スペースチャンネル5 -水口哲也セガ

セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽

プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之加藤真樹、石原学(セガ

Dの食卓2 -飯野賢治ワープ

ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ

東京バス案内 -泉麻人

ベルセルク千年王国の鷹篇喪失花の章 -平沢進

爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー

央華封神 央華咲きし刻 -金月真美田沼雄一郎

お・と・い・れ -中村立行(ワカ製作所)、光吉猛修(※開発者ではない)

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

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2022-08-06

anond:20220806105840

美國很好地利用了中國的 "面子"概念

說實話,我仍然不明白為什麼中共如此反對佩洛西訪問台灣

我仍然不清楚為什麼中國共產黨如此反對佩洛西訪問台灣,但美國可能已經決定,無論如何,這將是有效的。

訪問期間,美國和日本取得了以下進展。

・火箭的發射加深了日本對中國的看法,認為中國是一個與朝鮮一樣危險的恐怖主義國家。

∙ 預測中國海軍能力和火箭彈的移動。

創造了 "中國首先採取軍事行動 "的歷史事實。

史料記載中可以略知一二,如司馬遷的《史記》中。

春秋時期的五霸不會接受地位較低的對手的使節,如果使節地位較低。

我想這是一種意識,即對方的地位=忠誠度的高低。 反過來也是如此。

這是一個為自己作為最高統治者地位感到驕傲問題嗎?

秀吉與中國明朝談判時,他的回答是'我承認你是日本的國王'這樣的話。

換句話說,等級制度中的第三級對中國來說比我們想象的更重要

然而,它在今天的國際社會中是否有任何意義,令人懷疑。

結果,中國獨自跳舞,使日本和美國的關係惡化。

然而,這是一個困難的問題,因為如果它放棄了霸權意識,中國/中國的想法也會消失

中國的等級制度地位可能一種身份,就像日本神道教和武士道

我想更多地了解這個'面子',因為我對它的理解還不夠透徹。

通過www.DeepL.com/Translator(免費版)翻譯

Permalink |記事への反応(0) | 11:09

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2022-02-02

本気糞激怒

激怒尓的糞態度

激怒為我頭痛、我不眠

不能視尓的顔、因尓的顔超腹立

Permalink |記事への反応(0) | 02:16

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2021-06-08

家事をしない母親」の愚痴はどこで言ったらいいのだろう

自分母親は、専業主婦だったが全く家事をしない人だった。

半年に1度しか掃除機をかけようとしないし、洗濯もまともに出来なかった。

その為我子供たちや、仕事でも重役を務めクタクタの父が家事をやっていた。

母の作るルーが溶けてない状態で出てくるカレーやガビガビの米が固まったおにぎりは正直とても食えたものではなく、生焼けのハンバーグが当たったこともあった。

それでは育児を頑張っていたかと言うと、放置を一時の過干渉で埋めようとするタイプだった。

しかけても話の一つも聞いてくれないと思えば、ある時ふとちょっとした事で怒り、中傷され、殴ったり蹴ったりされた。

幼いころから子供心に、「こいつは何をしてるんだ?」という疑問があった。

働いてもいなければ、家事もしていない。子供への当たりも褒められたものではない。

多少大きくなってから分かった事だが、こいつはずっと昼間ゴロゴロして映画とか見てた。本当にクソ野郎だった。

仕事をして、家事をして、休日も幼い事はいつも遊びにつれて行ってくれた父の事は本当に尊敬している。

ただ父よ、貴方に一つ欠点があるとすれば女の趣味が本当に最悪だ。

「うちの母親家事しないんですよね~ほんと無能で困っちゃうね」

なんて、今のご時世言ったらまあ、大炎上だろう。

母親ばかりに家事やらせるなんて!」「母親人間だ!家事マシーンじゃない!」「今時の考え方じゃない!」とか好き放題言われるんだろうな。

でもさあ、じゃあ教えて。

仕事家事もしないでダラダラしてる母親の事をどうやって評価したらいいの。

分かってるよ。世の中のお母さんはこうじゃないんだよね。

共働きなのに家に帰っても頑張って家事したり、専業でもきっと文字通り毎日本当にしっかり家事をしてるんだよね。子供の話を聞かないで殴ったり蹴ったりしないんだよね。

でもうちのお母さんはこうなの。いい所も功績も一つもない、ガチ無能なの。

母親家事に対する意識が見直される時代なのは結構なんだけど、では私のような子供たちはどうしたらいいの?

「お母さんが何もしないんです」って言ったら、「でもね、今はそういう時代じゃないのよ。」とかって言われるのかな。

変な言い方だけど、こういう世の中になる前に子供でなくなったことは幸いだった。

件の母親ももちょっとヨボヨボしてきてる。あまり自由に動けなくなった頃に2、3発殴ったり蹴ったりすれば私の気持ちも晴れるだろう。

でも日本のどこかにはきっとそういう子供がまだいるんだろうなって思うと切なくなる。

Permalink |記事への反応(1) | 18:27

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2021-01-20

仕事終。今終。全身凝固痛疲寒。超速帰宅欲。

帰宅後暗寒狭部屋我独唯寝。

可能場合我欲実家帰。実家犬猫会欲。

実家犬猫、過可愛、過優、肉球桃色。

実家犬猫、匂良、触感柔。

我欲犬猫共炬燵入寝。

映像箱眺乍、犬猫撫。

我世市世市、犬屁路屁路、猫午路午路。

身体心暖暖、幸幸。

五六為我不可帰実家、我不可会犬猫

我呪五六七。我願全滅五六七。

Permalink |記事への反応(10) | 22:23

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