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はてなキーワード:演繹とは

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2025-12-10

anond:20251210131501

その通報をするのは合致人物


まあ論理的演繹ではないが、統計的推測ではあるな

おそろしく低い知能。俺じゃなきゃ見逃しちゃう

Permalink |記事への反応(1) | 13:16

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anond:20251210131129

運営対処するのは、そのワードに対する通報があったからであり、その通報をするのは合致人物

まあ論理的演繹ではないが、統計的推測ではあるな

Permalink |記事への反応(1) | 13:15

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2025-11-22

anond:20251121045442

お前は人権とか平和とかの抽象概念数学的にどう定義するの?

なんで全てが数学的に演繹されると思ってるの?バカなの?

Permalink |記事への反応(0) | 22:55

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anond:20251122225224

IQ70のバカ演繹という語彙を覚えても何も伝わらないという例

Permalink |記事への反応(0) | 22:53

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anond:20251121045442

例えばさ、思考を共有するエイリアンみたいなのが人間にたくさん紛れてるとするじゃん?

そうだとして、何が問題なの?

そうすると社会改善する方法自然言語知識を発表することじゃなくて、冷徹に数式で演繹することなんだよな

なんで?

IQ1000の化け物でも、数学的にそうなっているという事実は変えようがないか

数学のあるところにの自由存在する

IQ1000のエイリアンを説得するのは数字だけってこと?

なんでエイリアンと戦ってるの?

Permalink |記事への反応(1) | 22:52

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2025-11-21

anond:20251121045442

なんか学部三年生ぐらいの経済学大好きっ子みたいな発想だな。

与えられた経済モデルを解いて数式で演繹し、それが社会的に表わしているものを読んで喜んでいる頃の。

実際にはその与えられた経済モデルの設定にこそ色んな見方仮定が詰め込まれているのに。

Permalink |記事への反応(1) | 21:58

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anond:20251121045442

そうすると社会改善する方法自然言語知識を発表することじゃなくて、冷徹に数式で演繹することなんだよな

IQ1000の化け物でも、数学的にそうなっているという事実は変えようがないか

数学のあるところにの自由存在する

カッコ良さげなことを言いたくなっちゃう年頃ってあるよね

Permalink |記事への反応(1) | 17:29

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anond:20251121045442

数学演繹したらお前の人生改善されるのか?

Permalink |記事への反応(0) | 12:01

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anond:20251121045442

仮定から演繹については数学100%正しくても、どういう仮定を置くのが正しいかについては数学は何も教えてくれない、ってじっちゃが言ってた

Permalink |記事への反応(0) | 11:31

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例えばさ、思考を共有するエイリアンみたいなのが人間にたくさん紛れてるとするじゃん?

そうすると社会改善する方法自然言語知識を発表することじゃなくて、冷徹に数式で演繹することなんだよな

IQ1000の化け物でも、数学的にそうなっているという事実は変えようがないか

数学のあるところにの自由存在する

Permalink |記事への反応(24) | 04:54

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2025-11-09

[日記]

僕は今、いつものように自分で定めた前夜の儀式を終えたところだ。

コーヒーは精密に計量した7.4グラム抽出温度92.3度で、これが僕の思考を最高の線形性と可逆性をもって保つ。

寝室のドアは常に北側に向けて閉める。ルームメイトは今夜も例の実験的なシンポジウム(彼はそれを自作フォーラムと呼んでいる)に夢中で、隣人はテレビの音を限界まで上げて下界の俗事を増幅している。

友人たちは集まって未知の戦術を試すらしいが、彼らの興味は僕の多層的位相空間理論議論とは無関係だと見做している。僕にとっては、他人の雑音はただの非可逆なエントロピーである

今日は一日、超弦理論のある隠れた側面に没入していた。通常の記述では、弦は一次元的な振動として扱われるが、僕はそれを高次元カテゴリ対象として再解釈することに時間を費やした。

物理的場のモジュライ空間を単にパラメータ空間と見るのは不十分で、むしろそれぞれの極小作用の同値類が高次ホモトピーラクタンスを持ち、ホモトピー圏の内部で自己双対性を示すような階層化されたモジュライを想定する。

局所的超対称は、頂点作用素代数の単純な表れではなく、より豊かな圏論双対圏の射として表現されるべきであり、これにより散乱振幅の再合成が従来のFeynman展開とは異なる普遍的構造を獲得する。

ここで重要なのは、導来代数幾何学のツールを用い、特にスペクトラル的層とTMF(トポロジカル・モジュラー形式)に関する直観を組み合わせることで、保守量の整合性位相的モジュライ不変量として現れる点だ。

もし君が数学に親しんでいるなら、これは高次のコホモロジー演算子物理対称性の生成子へとマップされる、といった具合に理解するとよいだろう。

ただし僕の考察抽象化階段を何段も上っているため、現行の文献で厳密に同一の記述を見つけるのは難しいはずだ。

僕は朝からこのアイデア微分的安定性を調べ、スペクトル系列収束条件を緩めた場合にどのような新奇的臨界点が出現するかを概念的に解析した。

結果として導かれるのは、従来の弦のモジュライでは見落とされがちな非整合境界条件が実は高次圏の自己同値性によって救済され得る、という知見だった。

日常の習慣についても書いておこう。僕は道具の配置に対して強いルールを持つ。椅子は必ず机の中心線に対して直交させ、筆記用具は磁気トレイの左から右へ頻度順に並べる。

買い物リスト確率論的に最適化していて、食品の消費速度をマルコフ連鎖モデル化している。

ルームメイトは僕のこうした整理法をうるさいと言うが、秩序は脳の計算資源節約するための合理的エンジニアリングに他ならない。

インタラクティブエンタメについてだが、今日触れたのはある対戦的収集カード設計論と最新のプレイメタに関する分析だ。

カード設計を単なる数値バランス問題と見做すのは幼稚で、むしろそれは情報理論ゲーム理論が交差する点に位置する。

ドロー確率リソース曲線、期待値収束速度、そして心理的スケーリングプレイヤーが直感的に把握できる複雑さの閾値)を同時に最適化しないと、ゲーム環境健全競技循環を失う。

友人たちが議論していた最新の戦術は確かに効率的だが、それは相手期待値推定器を奇襲する局所的最適解に過ぎない。

長期的な環境を支えるには、デッキ構築の自由度メタ多様性を保つランダム化要素が必要で、これは散逸系におけるノイズ注入に似ている。

一方、漫画を巡る議論では、物語構造登場人物情報エントロピー関係に注目した。キャラクターの発話頻度や視点の偏りを統計的に解析すると、物語テンポと読者の注意持続時間定量化できる。

これは単なる趣味的な評論ではなく、創作効率を測る一つの測度として有用だ。隣人はこれを聞いて「また君は分析に興味を持ちすぎだ」と言ったが、作品合理的に解析することは否定されるべきではない。

夜も更け、僕は今日計算結果をノートにまとめ、いくつかの概念図を黒板に描いた。友人が冗談めかしてその黒板を見ただけで頭痛がすると言ったとき、僕はそれを褒め言葉と受け取った。

知的努力はしばしば誤解を生むが、正しい理論は時として社会的摩擦を伴うのが常だ。

今は23時30分、コーヒーの残りはわずかで、思考の波形は安定している。

眠りに落ちる前に、今日導いた高次圏的視点でいくつかの演繹をもう一度辿り、明朝にはそれを更に形式化して論理体系に落とし込むつもりだ。

明日もまた秩序と対称性を追い求めるだろう。それが僕の幸福であり、同時に囚われである

Permalink |記事への反応(1) | 23:30

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2025-11-08

anond:20251108235525

裏とか対偶とか、そんな話をするのはアスペだけ

自然言語のすべてを逐一演繹レベル評価する奴なんてむしろ狂ってるだろ

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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爆発律って最初タイポかと思ったけどそういう言葉あるんだね

古典論理直観主義論理、および類似形式体系において、爆発律とは、矛盾から任意命題証明できるという原理である。 つまり矛盾からは、任意の主張が演繹されるということであり、これは deductiveexplosion としても知られている。”

Permalink |記事への反応(0) | 21:02

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2025-10-27

短絡評価経済学

短絡評価とは、それが真とわかったらそれ以上の議論をしないことを意味する。

例えばA or Bという論理で、Aが真とわかったらBは評価しない。あるいはA and Bとあって、Aが偽なら評価をしない。

一見すると、プログラミングにおける演繹の話でしかないように思える。しかし、これは人生知識についてあらゆるところで使える考え方である

 

短絡評価の考え方を経済学的に言い換えるなら、「限界分析を打ち切る合理性」ともいえる。

経済主体は、すべての選択肢無限検討するわけにはいかない。情報収集分析のものにもコストがある。

これを経済学では「情報限界費用」あるいは「取引コスト」と呼ぶ。 追加の情報探索コストよりも、得られる期待便益が小さいと判断した段階で、人は探索をやめる。

合理的無知もまさにこの文脈に属する。 つまり、ある命題Aが真であるとわかった瞬間に、Bを検討しないのは、最適停止問題一種である

 

例えば投資について考えよう。「素人個別株はダメインデックス投資一択でいい」という論理。この論理容認するなら、個別株それぞれを見ていくことは単なる時間無駄ということになる。

あるいは「自分スポーツ全般が苦手だ」とわかっていれば趣味探しでスポーツ検討しないし、「俺の将来の出費はこうだ(不確実性込み)」と事前にわかっていればそれ以外の出費はない。

 

選挙で、有権者がすべての候補者政策を精査しないのは怠慢ではなく合理的行動だ。自分一人の票が結果に与える影響がほぼゼロであるなら、情報を調べるコストの方が高いからだ。これは「政治的短絡評価」とも言える。

さらマクロ視点で見れば、企業投資判断も同じ構造を持つ。市場分析無限に続けるより、「一定確信度に達した時点で投資する」方が、機会費用を最小化できる。

 

経済学ハーバート・サイモンが唱えた限定合理性が示す通り、人は完全情報世界ではなく、限界的に合理的世界で生きている。

ゆえに、どこで議論を打ち切るかを考えるべきだ。 短絡評価とは「思考怠惰」ではなく「思考最適化なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 04:13

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2025-10-21

dorawii@執筆依頼募集中

回答1

執筆依頼は半分ジョークユーモア道化を演じるためにそう言っているだけ、という気もする。その本気度の低さが依頼が来ないような行動の原因にもなっていると思う。

そもそも執筆依頼らしきものが来たところでやり取りの仕方諸々、どうすればいいのかわからない。

そもそも嘘か見分ける手段確立できていない。

執筆依頼のトラバに今後の意思疎通をするための連絡先等書いてなかったらこちらは連絡先を求めるトラバを書くことになるだろう。

それに対して別の増田が茶化して偽りの連絡先を書くような攻撃を受けるかもしれないし。

でもこれは「連絡先やホームページをさっきのトラバ追記してください」とトラバすれば事足りることかもしれない。

回答2

アスペも好きで厳密さを追い求めているわけではない

ほとんど直近で書いたこれも個人的にはなかなか自己内省的かつ自分と同じ障害を持つ人の代表を、総意を自負した文章だと思っているのだけど。

お前はたぶん知ってて言及してないのだから、お前の挙げる記事には及ばないということだろう。

まり何が言いたいかと言うと、なにをもって「あれほど」と評しているのか、その他俺が個人的にそれなりの記事だと思っているものに対してどういう基準で劣るものとしているのかいまいち判然としない。

単に文章量だろうか?

それなら、「あれほどの」記事がその後出てない理由簡単で、そこまでの文章量を要するような話したいことがないからだ。

「どのような人でも、一篇の長編小説を書くことができる」という言葉がある。

俺にとってそのような文章を書く一つの契機があのときだったということだ。

俺にとってはあれは文章量が普段と比べて尋常じゃなくなっているだけで、日記を書いているのと変わらない。

ただ、統合失調症体験記というテーマにおいて、事実の方が有り余っている。

俺はその事実を列挙するだけであれだけの記事になった。俺は事実を列挙したに過ぎない。

今の俺には列挙するような事実が無い。

回答3

あれは正確に書けば「俺が今まで書いたもののなかで、受け応えとして採用するには嚙み合わないものをわざわざ選び取ってトラバをしているように見えるが、そうだとしたら目的がわからぬ」となる。

↓それは、このツリー

https://anond.hatelabo.jp/20251017183258#

いや期待はしてるよ?根気強く話せばなにかしらが伝わる可能性は捨ててないから。

むり

と返されたわけだが、俺が言ったことがある言葉であるが、何がむりなのか読み取れなかったから。

どうやらこの「むり」は「根気強く話しても伝わる可能性はない」ということを主張する意図で俺の過去言動引用したもののようだ。

ということで今は目的がはっきり推測できるので、発言撤回する。

回答4

はてなブックマーク仕様に対してそのような妨害策を取っている人が今までいなかったから。

要するに、なんとなく人と違うことがしたくなった。いや、そういうことに対して、増田ブクマカたちにどのような反響が出てくるか、ということへの興味の方が大きいかもしれない。

回答5

からない。経済面等支える人がいなくなったらどうなるか。

ほぼ確実に来る未来なのに、考えようとしても実のある道筋演繹されない。どうすればいいか、ああどうすればいいか、うーんどうしよう、という、ただ思考をしているという合図にしかならない言葉無限に頭の中をこだまするだけなんだ。

経験したことがない未来想像することが難しい、という特性なのか。

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Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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2025-10-10

anond:20251006040833

元増田です(初めて使ったので用法があっているかわかりませんが)

この日記を書いた時点で何かついた反応に返信する気はなかったのですが、あまり運命を感じたので返信させていただきます

というのも、わたし数学科学生で、とくに公理演繹といったことにとても興味があり学んでいるようなひとなのです。

数学的な論理学(数理論理学)を学んでみて今思っているのが、数学における「演繹」なんてものは、ほかの思考と比べて、まったくもって絶対的優越性があるとはいえない、ということです。

しか数学公理から導くという意味で厳密かつ客観的だと思われるかもしれません。しかしその「導く」ということの正しさは何によって保障されているでしょう?おおくのばあい、それはあくまで「数学者同士の共通認識」でただしいとされているから、ということになります

結局のところ数学の正しさも帰納的(当然数学帰納法のはなしではありません)な「信じる」対象に過ぎず、真に正しいという保証はないのです。

わたし数学証明の正しさを追い求めて証明論という分野を学びました。

証明論では、演繹根本となる推論規則を設定し(設定の仕方等でいろいろな種類があります)それが多くの数学証明記述できること、つまり数学の多くがその推論規則を使って導かれていることを示しますが、結局のところその推論規則がただしいことは示していないのです。

さらにいえば、「数学の多くがその推論規則を使って導かれていることを示した」ことじたい数学の考えに依って示しているわけですから堂々巡りだ、という批判もできます

そういった論理自体の正しさ、というのは数学範疇を超え哲学領域に入ります

結局のところ数学でも本質的には数学存在実在性とか、論理自体の正しさなんかは「信仰して」進んでいくしかないものなのです(有限・無限わず数学実在を信じずに数学をすることは可能ですが)。

同じように、あなたの仰る「公理人間存在仮定せずに存在し得る」というのは信仰です。

でもよいではないですか。信仰で。信じましょうよ。そのほうがよいから。それで十分ではないですか。

Permalink |記事への反応(0) | 02:24

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2025-10-06

anond:20251006034936

数学客観だぞ

人間存在せずとも、公理一定なら演繹によって同じ体系が生まれ

「その公理人間が設定したじゃないか」というのが相対主義者、公理人間存在仮定せずに存在し得るというのが客観主義者

Permalink |記事への反応(1) | 04:08

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2025-09-29

anond:20250929162608

一般人のよくある言い回しとして「大学数学科でやっているのは数学ではなく哲学だ」というものがあります。これは実態を誤解したものと考えます数学哲学論理構造依拠する原理の違いに着目し、どのように誤解であると言えるかを解説してください。

以下の観点から解説します。

---

## 1. 「数学哲学」という素朴なイメージの背景

多くの人が「大学数学科は“哲学的なこと”をしている」と感じるのは、次のような体験的印象に基づいています

**抽象度の高さ**

学校数学数値計算や図形、方程式など具体的な操作が多いですが、大学では集合・位相・群・環などの抽象概念が中心になります実体がない記号を扱うため、「思弁的で現実離れしている」という印象を受けやすい。

**証明の重視**

高校までの数学では、公式定理を使って問題を解くことが主でした。大学数学では定理を“証明する”こと自体が中心になります演繹的に進むため、哲学の論証と混同されやすい。

**直感に反する結果**

カントール集合やゲーデル不完全性定理など、常識を裏切る結論出会うと「これはもはや哲学では?」と感じがちです。

こうした印象から数学哲学」という言い回しが出てきます

---

## 2.数学哲学論理構造の違い

### (1)数学は**公理的体系+形式的推論**

数学ではまず**公理系**(集合論論理体系など)を定め、そこから**形式的定義定理を導く**ことが中心です。

証明論理整合性のもとに、有限の推論ステップで厳密に完結します。

「真偽」は定められた公理系の内部で決まる(たとえば ZFC の下での定理かどうか)。

### (2)哲学は**前提の妥当性そのもの問題化**

哲学では「公理」や「定義」の選び方自体が主要な思考対象です。

例:真理とは何か、存在とは何か、数学の基盤は何に依拠するか。

推論自体論理を用いますが、**議論目的は推論よりも前提や概念意味吟味すること**にあります

証明可能性よりも「概念的・認識論的な一貫性」を探ります

### 要するに:

数学は**選んだ前提の内部で閉じた演繹体系**。

哲学は**前提や体系そのものを開かれた問いとして扱う**。

---

## 3.依拠する「原理」の差

数学哲学
----- ---------------- ----------------
基盤公理定義形式論理 推論+概念分析経験メタ理論
真理の基準公理系内の定理妥当性・合理性批判検討
方法定義補題定理→系の形式的構築問題設定→概念批判異論との対話
ゴール 内部一貫性定理発見 前提の吟味概念明確化

---

## 4. 誤解が生じる理由反駁

1. **抽象化=哲学化ではない**

数学抽象化は「より多くの具体例を統一的に扱う」ための道具です。たとえば群論は「対称性」という実際的現象一般化しています現実逃避ではなく応用力の拡張です。

2. **証明形式性は哲学よりも厳密**

哲学議論自然言語意味依存しますが、数学証明形式言語に還元可能レベルまで精密化されます

3. **大学数学目標は“真理の条件”の探求ではない**

哲学は「数学の基礎は何か」「無限とは何か」を問うかもしれませんが、数学科学生が行うのは、すでに受け入れた公理体系の中で定理を立てる作業です。

---

## 5. まとめ

数学科でやっているのは数学ではなく哲学だ」という見方は、

抽象度の高さや証明重視の新鮮さを「哲学的」と感じているに過ぎない

実際には**数学は厳密な公理体系の中での定理の探求**であり、前提の批判概念意味のものを問う哲学とは方法目標も異なる

したがってこの言い回しは**印象論的な誤解**であり、数学実態を正確に捉えていません。

Permalink |記事への反応(0) | 16:31

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2025-09-22

anond:20250922112829

女が気に入らない、を「男に都合のいい」と呼んだのがクソなのであって、

別に男に都合がよかったわけではないし。

 

人権概念から演繹的に導きだされる、本来フェミニズム、は存在すると俺は思うで。

ただ人権不快ものなので、女全般が受け入れることはない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:51

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2025-08-20

anond:20250820145438

数学は、理解力のある奴は公式を見て「これは何らかの演繹から証明されたものだな」ということがわかる

例えば二次方程式の解の公式がなぜそうなるのかという話になれば、それは「まず二次方程式一般形を書き、それをxについて解くように変形する」で証明されることがわかる

「なぜ公式必要なのか」という話になれば「入力・処理・出力、という形式だけで簡単に答えが求まるから」ということを、理解力の高い奴はわかる

もっと理解力の高い奴は、二次方程式現実に応用される問題を見つけることができる。例えばY=R-Cという形式問題二次方程式になる場合、最適解が微分で導かれることを見抜く

 

理解のできない奴は、どんな分野でも丸暗記。丸暗記系は人類の9割。企業従順さを見るためにこの能力を測る

Permalink |記事への反応(0) | 15:08

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2025-07-07

AI支配できる分野:プログラミング数学

決められたルール上での遊びであり、しかルールは厳密なので。ゲーデル不完全性定理関係ない。なぜならAI人間しかないと言われた直感のような飛躍した推論ができるから演繹だけではないので。

 

逆にAI支配できるか怪しい分野は物理学

まず新しい現象説明するデータさえあれば、人間物理学だって新しいことをできる。

そのデータの枯渇が問題なのであり、推論能力問題ではない。

あと仮に物理数学法則に則っているとしても、数学には無数の分野があり、物理説明可能数学がどれなのか、というのはデータがないとわからない。

 

AIが関与してもしなくても大差ない分野は人文系

なぜなら自称インテリパヨ文系によって重要なのは「誰が言ったか」だから。要するにAIの内容を絶対に認めようとしない。

Permalink |記事への反応(1) | 01:25

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2025-07-01

AI当為命題の真偽判定をする事は可能でしょうか?

ヒューム法則より、演繹体系から当為命題の真偽を判定する事はできません。

また、AIプログラムという演繹体系で駆動しています

以上、三段論法を用いて、AI当為命題の真偽判定をする事が不可能であると考えます

Permalink |記事への反応(0) | 01:38

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2025-06-25

anond:20250625062402

横だが、抽象度合いの高低が理解できるかどうかの話じゃなくて、抽象化には演繹が伴い、間違った抽象化というもの存在するという話だと思うぞ

Permalink |記事への反応(0) | 06:49

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2025-06-19

dorawii

じゃあとにかく馬鹿な策で人を殺せないというのなら、低能先生が人を殺すときに使った策は馬鹿な策じゃなかったってことだね。

これはお前の発言から勝手演繹した独り言から気にしないでくれよ。

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Permalink |記事への反応(3) | 15:29

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2025-06-15

anond:20250615061152

完全に合理的個人とか特定仮定を想定した上での演繹理論から現実で役立つかというとだいぶ怪しいで。

Permalink |記事への反応(1) | 06:17

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