
はてなキーワード:漁村とは
次は久慈近辺を紹介することにする。花巻(北上)、一関(平泉)と来て、内陸を埋めるなら奥州いくべきなんだろうけどね。
盛岡から久慈に行くにはどう行くかがまず問題。バスだと直行便が1日5往復(4+1往復)あるんだけれど、日帰りには致命的に不便。二戸まで新幹線で行ってバスに乗り換えるのがたぶんいちばん便利。そういう意味でもレンタカーがおすすめ。
レンタカーでも、ルートは大まかに行って4つある。1つめのおすすめは東北自動車道-八戸道で九戸インターで降りて、あとは一般道を通るルートで、これがたぶんいちばん楽で速い。それ以外に、国道4号で沼宮内近辺から葛巻方向に入っていく経路と、国道455号で岩泉を経由する経路と、国道106号で宮古経由で行く経路がある。葛巻経由はまあ趣味の世界。道路状況は悪くないけど遠い。岩泉ルートはもっと遠いが龍泉洞をついでに観光できるという利点は捨てがたい。宮古ルートは311後の道路改良のおかげで意外と近い。たぶん旅行計画によって葛巻ルート以外の2つを行き帰りで選ぶことになると思う。岩泉ルートと宮古ルートは途中に野田、田野畑あたりも経由できるのでこの辺もあとで紹介しておく。
久慈は平成の大合併で山形村を合併して大きくなった市で、旧山形村にはそれほど観光資源がない。あったのがまめぶ汁だがこれは「あまちゃん」でなぜか海女の食べ物になってしまった。とは言え能年玲奈がその後主役になった映画「星屑の町」は山形村な地域でのロケがけっこう行われたのでこの映画に興味がある向きはロケ地巡りに周ることが可能。ロケ地マップは久慈市が公式サイト上で配布している。説明はこれくらいにしておく。たぶんこの地域を周るとガタゴンという未確認生物の話も聞けると思う。
で、久慈地域。ほかにもいろいろあるのだけど、まあ基本的には「あまちゃん」が全て持っていってしまっている。結局それ絡みの観光名所を周ることになると思う。ウニ弁当を売っている久慈駅とか、そこに面して建っている廃墟である久慈駅前デパートとか。あまちゃんハウスは閉鎖して、そこにあったあまちゃんグッズは久慈駅南側の公共施設YOMUNOSUに移設された。喫茶リアスのモデルになった喫茶モカも久慈駅からギリギリ見える場所にある。あま絵の描かれたシャッター商店街も久慈駅から歩ける範囲にある。つまり久慈駅にたどり着けばだいたい見ることが出来る。ラーメン好きにはカツらーめんが有名なラーメンの千草もかなり近所にある。
いっぽうで、そこから少しでも離れると車なしでは観光地は回れない距離になる。北三陸鉄道袖ヶ浜駅は三陸鉄道の堀内駅で、久慈市には存在しないし、海女として活動していた小袖海岸は絶対にそこの最寄り駅ではない(そもそも小袖海岸のそばを三陸鉄道は走らない)。結局レンタカー頼りになっちゃうわけだ。
ウニについては、久慈よりもそこより少し北にある洋野町が盛ん(久慈にもあるけど)。正直もう生ウニシーズンは終わっているけれど、ウニを買うなら洋野町のほうがいい気がする。食べるならはまなす亭がおすすめ。個人的には洋野ではウニよりもホヤを試してほしい。特に喜利屋のダイバー定食はホヤ嫌いでも一度は食べてみるべきなんだけど、そういえば元増田は魚介類には興味ないんだっけな。
久慈は琥珀の日本最大の産地で、その近辺で肉食恐竜の化石も見つかっているんだけど、この辺にはあまり詳しくないのでおすすめはしない。いちおう琥珀は博物館もあるし、琥珀の工作体験が出来る店もあるらしい。まあこれはそういうものもあるという情報だけ。
そう言えば、遠地で津波を伴う地震があった時に、本州で最初に津波が到達することが多いのが久慈だったりする。7月にカムチャツカ半島で起きた津波も日本で一番大きいのは久慈に来た津波だった。久慈の災害情報カメラはほぼ全系列、久慈漁港に置かれているので、ここを南側から見ると次に津波が起きた時に「ここに来たことがある」と実感が持てるかもしれない。
先ほど堀内の話をしてしまったので、間の野田について少し。自分にとってのイチオシは陸中野田駅の斜向かいにあるお魚センターだったのだが、どうやら今年になって閉店したらしい。まあ魚介類には興味ないから別にいいか。道の駅も陸中野田駅に隣接していたのだけれど三陸自動車道の開通があって野田インターのそばに移転した。野田は塩の産地でここで売っているソフトクリームは塩入りなので試してみるべき。あと、どうもこの辺で売っているかりんとうはふつうのかりんとうとは形が違うらしい。北三陸でかりんとうを見かけたらこの道の駅でなくていいので買ってみてほしい。あと、テレビで紹介されたものとしては木彫りの魚があるね。これは道の駅からはけっこう離れている。
さて堀内から少し南に(45号を)行くと、少し海が開けたところが見える。本当はここは三陸鉄道で渡って欲しいところなのだけど、たぶん日帰りだとそれはかなわないと思う。ここが大沢橋梁で、三陸鉄道屈指の絶景スポット(三陸鉄道はあんまり海のそばを走っていない。それでも津波で被害を受けた)。実は「あまちゃん」絡みの撮影スポットでもある。さらに南に行くと普代村の市街地。市街地といっても村なのでそれほど大きくはないが、ここから県道を通って北山崎に向かうことができる。ここは必見。ここに向かう県道沿いの普代市街地を出てすぐのところに普代水門という可動防波堤があって、普代村はこれのおかげで311の津波を避けることが出来たという逆の意味での震災遺構となっているのでこれも是非。このあたりから田野畑村で、ここをさらに南に行った先に机浜という集落があって、ここが少し観光に力を入れている。漁村ならではの体験もあるけれど、イチオシはここから北山崎を下から眺めるサッパ船ツアー。三陸海岸は東向きなので本当はここは午前中に来て欲しいところではある(日帰りでは厳しい)。もし泊まるなら少し南にあるホテル羅賀荘がおすすめ。
このそば(当然歩いて行くことはおすすめしない)に、三陸鉄道の田野畑駅と島越駅がある。田野畑駅は「あまちゃん」で畑野駅として使われた駅。島越駅は津波を見越して作られたにも関わらず三陸鉄道最大の津波被害を受けた駅であるというストーリー(プロジェクトXで紹介された)を知っていると見る価値はある。ここから45号線に戻る山道が辞職坂と言われる坂。実は田野畑村は陸の孤島で、そこにかかっている橋を含め2つの橋が出来るまではこの大きさの谷を2つ越えて来る必要があった。辞令で田野畑に来る命令をされた人が最初の谷(思案坂)でこのまま勤めるか悩み、この谷で辞職を決意したという伝説が残っている。最初の坂にかかった橋は真木沢橋だが、現在は隣に高速道路のその名も「思案坂大橋」という橋がかかっている。ここを通れば田野畑村を抜けるが、もし田野畑村で昼食が食べたかったら北に国道を戻って北川食堂で食べるといい。
https://anond.hatelabo.jp/20231118174822
前回集まった情報が最高すぎたのでまたおすすめ教えて欲しい。今度は岩手、2泊でうち1泊は盛岡を拠点にして旅行する予定
地理、歴史、サブカル的なの好き。魚介グルメやデートスポット的なのにはあまり興味ないのは変わらず。ローカルチェーン店や地元ソウルフードみたいな生活が想像できるのは好き。また少しディープなところをおすすめしてくれると嬉しい
——
嗜好紹介とお礼兼ねて青森の感想思い出したままに走り書きする。2年分2回行ったので盛りだくさんになった。充実したのはみんなの情報のおかげなので大感謝…!行けなかった所もルートや時間の都合上なので機会作って行きたい。
Permalink |記事への反応(16) | 08:37
34歳、独身、年収700万で雀の涙。世間じゃ「弱者男性」って呼ばれてるけど、俺には普通じゃない力がある。
復活後、念力で巨木を叩きつけ撃破。
下方婚が効かず氷槍に貫かれるが、復活後身体強化で崖に叩き落とす。
禿頭の来訪神5体が金棒を振りかざし迫る。
怠け者を叱責しながら突進。
一体に粉々にされるも復活。
変身フォームで反撃するも押される。
黒い球体が右手に現れ、雪と空気を吸い込み閃光とともに半径10kmの地形ごとヤマハゲ消滅。
俺も爆散するがゆっくり復活。
赤と青の鬼が雪原に現れる。
「悪い子はいねぇが!」
髭は腰まで伸び、服はボロ布。
だが立っている。
雪の向こうの駅の灯りを見て、静かに呟く。
「……俺、怠け者じゃないよな?」
JAWS(1975年公開)以前のサメに対する一般的な認識は、現代のイメージとはかなり異なっていました。以下に、当時のサメ観を簡潔にまとめます。
JAWS以前は、サメが人間にとって致命的な脅威というイメージはそれほど強くなかった。サメによる襲撃事件はまれで、広く報道されることも少なかったため、一般の人はサメを「遠い海の生き物」と捉え、日常生活での恐怖の対象ではなかった。特に日本では、サメは漁業や食文化(フカヒレやカマボコの原料など)の一部として認識されることが多く、恐ろしいモンスターというイメージは薄かった。
1970年代以前は、サメの生態に関する科学的研究が現在ほど進んでおらず、一般人の知識も限られていた。ホオジロザメ(GreatWhite Shark)のような大型種が人間を襲う可能性があることは、専門家の間でもあまり注目されていなかった。サメは「本能的な捕食者」ではなく、どちらかというと「海の雑食動物」や「漁師の邪魔者」として見られることが多かった。
サメは文学や映画でたまに登場したが、JAWSのようなセンセーショナルな描かれ方はまれだった。例えば、古典的な冒険小説や海洋文学(ハーマン・メルヴィルの『白鯨』など)では、クジラや他の海の生物が主役で、サメは脇役的な「危険な魚」程度の扱いだった。ハリウッド映画でも、サメが主役のホラーやスリラーはほぼ存在せず、JAWSがその先駆けとなった。
4. **地域による違い**
日本を含むアジア圏では、サメは食用や薬用(フカヒレや肝油)として利用されることが多く、どちらかというと「資源」としての側面が強かった。一方、欧米では、サメは漁師の網を破壊する厄介者や、まれに船員を襲う存在として語られることがあったが、日常的な恐怖の対象ではなかった。
5. **JAWSの影響**
スティーヴン・スピルバーグのJAWSは、サメ(特にホオジロザメ)を「冷酷な殺人マシーン」として描き、メディアの力でこのイメージを世界中に広めた。それ以前は、サメが映画のような「悪役」として大衆文化に根付くことはなかった。JAWSの公開後、サメへの恐怖心が急増し、ビーチでの遊泳を控える人々が増えたり、サメ狩りが流行ったりするなど、社会的な影響が顕著だった。
JAWS以前のサメ観は、現代の「恐怖の象徴」とは異なり、どちらかというと「海の生物の一種」として、特別な注目や恐怖の対象ではなかった。日本では特に実用的な資源としての認識が強く、欧米でもサメは神秘的というよりは漁業の障害や冒険譚の脇役程度の存在だった。JAWSが公開されて初めて、サメは大衆文化の中で「恐ろしい捕食者」として定着したと言える。
もし具体的な地域や文化(例えば日本の漁村や欧米の文献など)に絞って深掘りしたい場合や、関連する資料を調べたい場合は教えてください!
最近、AIに夢野久作の「斬られたさに」の内容を要約させてみたんだよ。で、結果がこれ。
以下、AIの書いた要約ね。
夢野久作の「斬られたさに」は、1929年に発表された短編小説で、怪奇的かつ幻想的な作風が特徴です。
あらすじ:
物語は、佐賀県の架空の漁村を舞台に展開します。主人公の「私」は、村に住む奇妙な老人・三右衛門から、過去の不可思議な体験を聞きます。ある夜、三右衛門は海辺で美しい女幽霊に出会い、彼女に導かれて不思議な世界へと迷い込みます。女幽霊は、三右衛門に「斬られたい」という強い願望を語り、彼を誘惑します。この出会いは、村に伝わる伝説や怪談と結びつき、過去の悲劇や因縁が浮かび上がります。物語は、現実と幻想の境界が曖昧なまま、女幽霊の正体や「斬られたさに」の真意が明かされないまま終わり、読者に謎と不気味な余韻を残します。
テーマと特徴:
…いやいや、ちょっと待てよ!これ、めっちゃそれっぽく書いてるけど、完全にデタラメやん!まず、「斬られたさに」ってそんなストレートな怪談じゃないし、女幽霊が「斬られたい」とか直接的に言うシーンなんてないよ!三右衛門とかいう老人も出てこねえ!佐賀の漁村?いや、時代いつなんだよこれ?
なんかAI、夢野久作の雰囲気だけ借りて、勝手にB級ホラーっぽい話捏造してるじゃん!夢野久作作品に分かりやすい幽霊なんか出てこねぇよ!あの得体の知れない不気味さとか、頭ん中グチャグチャになる感じが夢野の真髄なのに、こんなハリウッド映画みたいな幽霊話にしちゃってさ!
しかもよ、「ドグラ・マグラ」とか関係ない作品引き合いに出して、さも分かってます風なのも腹立つわ(笑)。お前、青空文庫で「斬られたさに」公開されてるのに、学習データとして全く役立ててねえな!無料でテキスト丸々読めるのに、なんでこんなテキトーな要約しか吐けねえんだよ!ほんと、AIって文学のニュアンスとか全然分かってないのに、自信満々にそれらしい文章並べるんだな。なんか「不条理な恐怖」とか「欲望と破滅」とか、テンプレっぽい言葉で誤魔化してる感すごい。試しに他の作品も要約させてみたら、もっとヤバいことになりそう。みんな、AIに文学語らせるときは気をつけなよ。雰囲気だけは一丁前だけど、中身スカスカだからさ!
コロナ前ツーリングで山形に行くことになった際に山形が舞台の小説を読もうと思って森敦の『月山・鳥海山』を読んだ。
俺の場合月山は方言が意味わからなくて挫折したんだけど鳥海山編の短編集は標準語だから比較的読めた。
その中の「初真桑」という作品の締めでツーリングで立ち寄った十六羅漢という観光地について触れられていた。
十六羅漢は日本海の漁村の波打ち際の岩に仏像が彫られた物である。日本海の荒波で命を失った漁師の供養と海上安全を願ったもので、明治に完工したらしい。
俺が立ち寄って見た時には波風に打たれてかけたり摩耗したりして原型が失われかけている像が多かった。それが寂しく思ったんだが、「初真桑」の中では初めから年月の中で擦り切れることが約束された存在として生み出された菩薩ということが書かれていて、ちょっとメッセージみたいだった。
出張で熊本に来ている、もう四ヶ月経つ、いつになったら帰れるんだよ
土曜日昼、街(熊本民は新市街シヴィック・センター周りを「街」と呼称する、繁華街は県下ここしか無い)に出て資さんうどんを食う。
キョダイマックスバトルは最低参加20人必要だが「街」でなければこの人数は成立しない。
現在熊本市電(路面電車)はクレカタッチ乗車で300円乗り放題キャンペーン中
トロ臭い市電はポケGOに最適。ポケGOはとにかく歩かなければならないのだがリアルに歩くのはダルい。
オートキャッチを放置していればポケモンゲットしまくりでポケストップ回しまくりでタマゴ割りまくりながら時間を潰せる
実に愚かな週末である。
翌日曜日、やはり「街」に出て朝飯兼昼食、吉野家。重すき鍋肉二倍盛りご飯大盛りを食うつもりだったが牛すき鍋のシーズンは終わっていた。残念。牛鮭定食を食うた。
腹が満たされレイドバトル、昨日と同じくシャドウレジアイスをゲット。
それにしても絶好の観光日和。朝は冷えたが昼には15℃まで上がる予報で街歩きには最適の温度であり湿度であり。
ミスタードーナツで食後のドーナツを食うていたらこんな人生で良いのだろうかと疑問が湧いた。
どこかに行こう
そうだ!観光しちゃおう、テーマは海、できればウミディグダをゲットしたい。
ウミディグダは海岸近くでしかゲットできない特別なポケモン。すでにウミトリオも持っているが高個体は無い
「街」にはバスターミナルがあり、ここからどこにでも行けるのだ。
スマホで路線図を調べると小天温泉行きがあり、この路線なら途中海岸沿いを走る、途中で適当に降りよう。そうしよう
一時間に一本だがジャストベストグッドなタイミング10分後の便がある。もはや天啓。乗っちゃえ、乗った。50分ほど走り聖ヶ塔バス停で適当に降りた。14:50
どこやねんここ
時刻表を見ると次の戻りは16:46
二時間ぶらぶらできる。ぶらぶらした。20分で飽きた。
飽きたがどうしようもない、カフェも立ち飲み屋も漫喫も無い。漁村だ。寂れた漁村だ。
とにかく歩く、歩けば健康に良い、ポケGOの歩行距離も稼げる。
人気のない漁村を歩く、観光客など一人もいない、ただの漁村だ。よそ者が来る場所ではなく通報されないか不安
地理的には海に沈む夕日が見られるはずなのだがなかなか良い角度、場所が見つからない。
対岸の島原半島が邪魔だったり、絶景感が無かったり、とにかく歩く、移動手段は足しかない。
龍栄荘、ニュースで見た記憶がある、スザンヌが買い取った旅館だ。
取り巻きとコンサルに担がれたのであろう、どう計算しても採算は取れない。無理、不可能、アホかと。
「おバカキャラはキャラ設定で本当はおバカじゃないもん」と云うていた記憶があるが、ただのバカであったか
素晴らしくひなびたバス停である。寂れた漁村のバス停だ。これほど絵になるバス停は無い。
龍栄荘に夫婦13万払って宿泊する価値は無いが、このバス停を見るためにカップルでバス往復2800円払って来る価値はある、と断言できる。
田舎の人はこのバス停の価値がわかっていない。大阪じゃこんなバス停見られませんよと、
バス停の標識は絶妙に傾いており、脇に置かれたベンチが潮風で腐ちており物悲しい、屋根など無い。
Googleストリートビューでも見られるのだが、小生が訪れたときには駐車車両もなく寂寥感あふれる風景だった。
私はたいがいバス停を見てきたが三本の指に入る屈指の「寂れたバス停」である。これはもはや観光資源ですよ。
それでも日に6本(日曜日)は運行しているようで次に17:00発があった。現在時刻は16:10
しかもこの路線は往路と別の路線であり、「峠の茶屋」経由、山中を抜けて桜町バスターミナルまで戻るのである。
ちなみにそれに乗り遅れるともう次の便は無い。
乗りたい、悩んだが、問題はウンチしたい。あと50分バスを待ってさらに小一時間バスに揺られてウォシュレットのある大都会桜町バスターミナルに間に合うか微妙な便意であった。寒風の潮風もヤバい。
近く(徒歩10分)に寂れた漁村の小さなスーパーマケットがあり、そこまでゆけばトイレもあるだろう、その横にはバス停がある。
店舗前に屋台のたこ焼き屋が出ており購入、6個200円。安い、だがタコは大きいのが入っていた。
夫婦でやっているようで屋台奥に3歳くらいの女の子がちょこんと座っていた。
焼き作業の具合や材料の仕込み量などから推測するに日に百船弱は売れているのではなかろうか
経費、材料を差し引いても1.5万円程度の日銭は稼げる計算になる。
祭りやイベントでがーーーっと稼ぐのだろうが、大儲けはできんだろう。
悪くもないが良くもない、副業だろうが、こういう人生もいいのかもなぁ、とか思ったりして。たこ焼きは美味かった。
もうちょっとカリッと焼いてくれたらなぁ、あとたこ焼き器の手入れはもうちょっと真面目に頑張ったほうがいいと思った。
帰りのバスが来たので乗る。オートキャッチ放置のポケGOを確認するとウミディグダが一匹だけ取れていた。
。。。キミがウミディグダをどーーーしても取りたいつーからわざわざ須磨海岸まで連れて行ってやったあの日々はなんだったんだ。
最近じゃポケGOアプリすら開いてねぇし、スマホはポケポケとにゃんこ大戦争、タブレットは「ひみつのおるすばん」、Switchでスカーレットとバイオレットとマリオとスプラ、っつたく、なんなんだよ。
ちなみに最高の夕日が見られるポイントは発見したがそれはヒミツ。今度家族で来ようと思う。
※オートキャッチ:スマホゲームのポケモンGOは本来手作業でポケモンをゲットしなければならないのだがこれを自動化してくれるガジェット
※資(すけ)さんうどん:北九州創業のうどんチェーン、とにかく旨い、讃岐的なコシは無いがそこが良い、すかいらーくに買収され現在全国展開中
311に関連してヤフコメで、「人口低密度地域の復興をすることは後期高齢者に高額治療をするようなもの」という発言を見かけた
おそらく投資に対するリターンが小さい、ということを言いたかったのだろう。
ただ、日本の田舎、特に地方都市ではない農村・漁村は後期高齢者のように生産性がないものなのだろうか?
はてなではよく東京・地方論争が起こっているが、地方という曖昧な言葉で地方都市(県庁所在地レベル)とその外側(周縁部から農村・漁村)をあまり区別しないのと、
ITエンジニアが多いために、他産業に対する想像力が乏しいのでデータを元に考えてみる
e-Statの作物統計調査のうち、令和5年産市町村別データを見てみる
全国の耕地面積の合計は1,870,797haのようだ。作付面積ではないことに注意。
一方で、47都道府県の県庁所在地および特別区の耕地面積の合計は268,154ha。14%に過ぎない。
では、人口は?
同時期の日本全体の人口は1億2435万人。対して、47都道府県の県庁所在地および特別区の人口は4297万人。34%の人が住んでいる。
というわけで、その外側に住んでいる66%の人たちが都市部に住む足りない20%の食糧生産に寄与している。
そのような生産性がある地域に対して、後期高齢者に高額治療呼ばわりはさすがにひどいのでは?と思った。
なのよ。
https://anond.hatelabo.jp/20241018154926
今の横浜駅の場所も関内駅の場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島で突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。
みなとみらいや高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。
というか、東京湾内の神奈川県は多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。
さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄の元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。
これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。
この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。
さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜が入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?
って事で江戸幕府は江戸の商人の吉田さんにここの干拓事業の承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。
https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html
リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近が馬車道駅の辺りだ。
ペリーの黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲とデカい動力軍艦で脅かされては何も言えない。
そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。
今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。
横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅と横浜村が大きくずれてる説明が必要だ。だからもうちょい書く。
幕府は倒れ明治政府は汐留と横浜の間に鉄道を敷くことになった。
さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。
話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側は幕末にすでに干拓されていた。
https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA
平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田、岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。
すると陸地を通ると神奈川宿(京急神奈川駅付近)→浅間神社→高島町という迂回ルートになってしまう。
そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。
こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街、官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。
さて官製鉄道は神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区の丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。
だから本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅は盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。
クソめんどくせえ。
客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅に貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物や郵便の汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。
これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。
なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島→横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。
鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初の線路の東側に線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅を移転、元の横浜駅は桜木町と改称した。
しかし見れば判るが港にも繁華街、ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。
そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所に横浜駅を移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。
https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5
3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都の震災復興と開発計画が付随していた事だ。
市電が来て新しく開通する東横線、京浜急行と東海道線が立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地は戦後米軍に摂取されてしまった。
しかし高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近と認識されるようになったのであった。
因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。
と、こういう経緯。
横向きの砂州の横浜→埋立てで砂州は消滅→横浜開港→鉄道→横浜駅の場所が邪魔→素寒貧な海辺に移転→駅前が米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。
いや違いはよーくわかってるよ。書いてあるとおりじゃん。
関門トンネルが壊れて直したいけどなかなか直せない…だったら九州が「壊死」しちゃうって話になるけど
能登の漁村が復興しないのは悪いけど意地でも復興しなきゃならんインセンティブが足りないから復興しないんであって
それは国全体が末端から壊死してることを意味しないって言ってるんだよ。
お前みたいなバカはふわっと連想したり単純な図式を思いついたらすぐユリイカってなっちゃうけどその時点ではまだ何も考えてないんだよ。
我は塵の道を歩む者なり。
君の御身、血の汗を吸い、
高貴の遊び脳に満つ。
共に漁村の塵を拾い、
帰りて靴に蛆虫を見んか。
忘るる勿れ、福を享く者は。
教を授けん、格差の世に。
いいよね! 西日本の美術館・博物館! 関西というくくりからは外れちゃうけど、ワイは以下が好き。
琵琶湖の「生活の場」としての人文的側面と古代湖としての自然的側面を両方堪能させてくれる超贅沢な博物館。琵琶湖湖畔で営まれた長い年月にわたる人々の暮らしを堪能したあとに、古代湖という環境で育まれた多種多様な固有種が展示されていて、歴史も生物も好きなワイは大歓喜だった。ビワコオオナマズとかイワトコナマズとかホンモロコとかワタカとかニゴロブナとかの琵琶湖固有種、どれもここで初めて見たし、水槽での遊泳の展示だけじゃなくて固有種を使った郷土料理についての展示もあるのがもう文理融合って感じで素晴らしいのよ。さらにさらに古代湖繋がりで世界各地の古代湖の生き物が展示されていて水族館としても楽しめる最高の施設。マラウィ湖の色とりどりの熱帯魚キレイ~~~~~バイカルアザラシかわいい~~~~~!!1!!! ……あれ? ヴィクトリア湖の展示には1種類の魚しかいないぞ? あっ……(察し)
言うまでもないやつ。1日じゃ足りない。早足で回っても6時間以上かかったんだけどどうなってるんですかね。日本にいながらにしてこれだけの美術品の原寸大レプリカを見ることができるの、最高すぎますわ。おいおい西欧だけじゃなくてウラジーミルの生神女とかの正教文化圏のやつまであるのかよ。世界史の資料集で見たことある名画が勢揃いしすぎていて興奮せずにいられない。しかもレプリカだから傷めないように大事に遠いところで保管されてる本物と違って鼻がくっつきそうな距離でまじまじと見れるというのも良い。西洋美術史を一望できる素晴らしい美術館。ありがとう大塚製薬。
これも言うまでもないやつ。山奥の宗教儀式から現代アフリカの都市生活まで幅広く世界の民族文化が扱われていて最高。ヨーロッパから南米・アフリカまで、はたまた朝鮮・琉球から日本の山村まで、ありとあらゆる地域がカヴァーされていてまったく飽きない。あと途中にある世界の様々な言語で書かれた『はらぺこあおむし』とか、日本各地の方言で読み上げた『桃太郎』とか面白い。
ここほんとすき。四国各地から移設した伝統的な建築物が立ち並んでいて、海沿いの漁村から山奥の秘境まである四国という島の多様性を体感することができるし、そもそもの「日本家屋」自体の地域性を感じられるというか、気候や生業や階級によって家屋の形って違ってくるんだよなぁっていう当たり前かもしれないけど忘れちゃいがちなことを思い出させてくれるというか、いやー、良い博物館です。日本文化について勉強してますっていう海外の学生さんにはぜひここを訪れてほしい。源氏の君や富嶽三十六景とはまた違った日本文化の多様性を目にすることができるので。
銅剣の展示がすごすぎる。圧巻というほかない。荒神谷遺跡しゅごい……他にも、出雲神話についての展示が充実していたり、石見銀山の展示があったりと、神代~中世くらいまでの出雲国の歴史を知る上ではすごく良い。タタラ場体験コーナー良かったです。あとワイが行ったときはちょうど隠岐についての企画展やってて、なかなか知る機会のない隠岐諸島の歴史も勉強することができて大満足だった。明治維新のときに松江藩の郡代を追放して島民が自治政府を結成した(隠岐騒動)とか、もうたまらないよね。わぁい離島の自治政府。あかり離島の自治政府大好き。
日本に古代オリエントの研究拠点を整備したかった某皇族が県立美術館に対抗して市立美術館を持とうとした岡山市に声をかけてできたという由緒のある美術館。古代メソポタミアからペルシャ美術まで、各地域各時代の中近東の美術品が並べられていて目の保養になる。えっペルシャに影響受けた中央アジアの陶器のデザインめっちゃ好きなんですが……
平安文学の世界に入り込める博物館。ここ古文の授業でやったところだ! とか、古文の授業でやったあれってそういうことだったんだ! とか、えっ何それ知らない……みたいなのがいっぱい押し寄せてきて楽しい。あとトイレのマークが平安装束なのオシャレでいいよね……女子トイレが十二単で、男子トイレはどんなんだったっけ? 直衣? 狩衣?
京都精華大学の本気を見た気分。日本が誇るマンガ文化についての圧倒的な展示。『キャンディ・キャンディ』とか、超レアなやつじゃん……オタクなら一度は行っておきたい博物館っすね、はい。
城下町だけあって武家屋敷を模した建物(そして敷地内には実際に家老屋敷が現存している)で大変よい。やっぱ博物館は展示品だけじゃなくて雰囲気も大事っていうか、西洋の博物館が靴のまま上がりこむのが普通なら日本の博物館では靴を脱いで畳の上で展示を見るんだよ! っていうコンセプトを感じられて好もしい。そして中世後期~近世以降の松江の歴史が丁寧に展示されていて、たぶん古代出雲歴史博物館とセットで見てまわることで出雲国の通史がわかる構造になってるんだと思う。面白かったです。
美観地区の高台にある旅館を改装した美術館。和風の町並みの真ん中にある和風建築で浮世絵を見るの、雰囲気があってとてもよいし、展示されてる絵がどれも贅沢。さらにキャプションが完全な日英バイリンガルなので「インバウンド狙ってます」感が強く(なおオープンしたのはコロナ禍の真っ最中だった模様)、実際外人さんにはウケると思うので日本に行く人には紹介してあげたい。ミュージアムショップも充実しててよき。相馬の古内裏Tシャツ買っちった。
小豆島の町中にある古い家屋を改装して美術館にしたやつ。1つの家屋じゃなく、ご近所に点在する複数の家屋が1つの美術館になっているので、順路に沿って巡るイコール小豆島の街歩きになるという、一石二鳥な美術館。実際ワイも順路に沿って見て回ってる最中に美味しそうな和菓子屋さん見つけて名物の大師まんじゅうとか『からかい上手の高木さん』とのコラボお菓子とか買っちゃったもんな……。注意点としては、あくまで「博物館」ではなく「美術館」、つまり妖怪アートを展示しているところであって妖怪の学術的展示をしているわけではないということ。なので現代の作家が考えたオリジナル妖怪とかSDGs妖怪(何だよそれ)とか妖怪コンテストの入賞作とかも展示してあるんだけど、いや現代美術の展示として見るとめっちゃ楽しいなこれ。妖怪に仮託したイマジネーションを楽しむ施設です。上の国芳館と同じくインバウンドの外人さんに強くオススメしたい。あと入館方法がハイテクで良い。
この規模の美術館にしては立地がパーフェクトでは。マジでJRの駅の真横とかにあるぞ。そして外観がまず目を惹きつけられるし中に入ると濃厚な現代美術空間で、日本のあまり広く知られているとはいえない現代美術作家の作品が色々あるし、瀬戸内国際芸術祭で展示された作品なんかもあったりして(そういえば丸亀市の市域にはけっこう離島があるんだよな)、いや自分の知らない文化っていっぱいあるんやなと。夭折した作家や認知症にかかった作家の特別展とかもやってて、作家の人生込みで味わえる美術館になってるなぁ。
小さくてすぐ見終わってしまうけど、竹久夢二の絵に包まれて大正ロマンに浸ることのできるプチ贅沢な美術館でしゅき。ミュージアムショップは夢二グッズが充実していて何を買おうか悩んでしまう。クリアファイルとか普通に普段遣いできるオシャレさだわ。猫のイラストのやつ買っちった。
日本酒の作り方に関する展示がすごい丁寧な上に、酒蔵直営だからミュージアムショップという名の酒屋がめっちゃ充実してて良き。酒が飲める飲めるで~酒が飲めるで~♪ いや本来の意味でのミュージアムショップもいいんだけどね。日本酒グッズがいろいろ置いてあって楽しい。
展示品が1つでも美術館を名乗っていいんだ、っていう勇気をもらえるよね!
小説の世界と現実の世界が渾然一体となった感がすごい幻想ミュージアムとして見るとなかなか面白いよね!
小学生が書いた竹島についての学級新聞とかが飾ってあってドン引k……いやいや、日本の領土を守ろうとする姿勢に好感が持てるし、アンケートに答えると無料で竹島が描かれたエコバッグをもらえるから、松江城とか松江歴史館とかを観光する前にここに立ち寄るとついもらって荷物になっちゃうパンフレットとかを持て余さずに済むから便利だよ! めっちゃオススメ!
千里市じゃないよ吹田市だよ。恥ずかしい。訂正しときました。いや知ってたんですよ? 吹田市だっていうのは知ってたんですよ? でもなぜか書くときに千里市とかいう謎の自治体が出現してしまったんだ……
あと、分類を、SSR・SR・Rの3段階から、SSR・SR・R・Nの4段階に変更しますた。
Permalink |記事への反応(13) | 06:03
地方に移住しても、ワイくんのスキルでは、フルリモートでも、なんかあった時に顔出しすることがだいたい条件になっていて、
たまになんかあった時の対応に飛行機移動が必要な案件(当然向こう持ちで交通費は出る)もあるが、
まぁ基本的に電車or車で1時間以内に顔出しが出来る案件をうけている(行き先はデータセンターや社内のサーバールーム)
なので、目の前が山!田畑!みたいなところには今の所は住めていない(海はチャリで行けた)
父ちゃんは何故か東京が良かったらしく、高校は島からでなかった癖に、大学進学を理由にわざわざ東京に出てきた
母ちゃんも同様に何故か東京が良かったらしく、農家の実家のお手伝いやめてわざわざ東京に出てきたし、伯母たちも含めて『農家だけはアカン』と言っている
また父ちゃん母ちゃんの親族の中には、変わり映えしない日常と口さがない周囲の人間に参ってしまい、精神を病んで田舎落ち(地方都市へ移住)した人もいる
従兄弟から聞く山道を青年会で整備しているという話や、老人に部類される年齢の人(兄弟姉妹の曽孫もいる)が婦人会で若手でサポート役という話を聞いたりすると、
大学から東京に出て、今は妻と中学高校の2人の子供とさいたま市のマンション住まい。
恐らく一生ここに住むと思う。
さいたま市は良い街だ。
自分が都会に出てきた頃に比べれば道も広くなったし、交通も良くなったし、大きなお店も増えて生活も快適。
自分が漁村出身だから分かるが、ここ25年位で埼玉や東京のスーパーで買える魚は圧倒的に品質が良くなった。
大学に出てきてはじめて近所のスーパーで鮮魚を見た時に「こんな腐った色の魚本当に食べるのだろうか?」と思った頃に比べるとだいぶ進化した。
スマホばかり見てる息子達を見ているとあんなに嫌だった海での暮らしが、最近ふと懐かしいと感じるようになった。
ずっと聞こえる波の音とウミネコの鳴き声。
真っ黒な満点の星空から水平線の向こうが段々とオレンジに染まっていく。
あのグラデーションより綺麗な色を知らない。