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2025-10-23

anond:20251023212056

湯豆腐

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2025-09-17

湯豆腐をキメる増田の鍋名の出す丸め記を風洞回文

おはようございます

今シーズン初の鍋のベーナーを決めるにはまだちょっと暑すぎたかもしれないけれど、

私は湯豆腐に挑戦!

まあ挑戦と言っても湯豆腐だし、

顆粒の昆布出汁を入れて

からコトコトと火を入れていくーって

そんで、

ハマチのお刺身の柵が食べ損なったのがあったので、

しゃぶしゃぶにーって思いつつ、

そしてなんかさみしいので白菜だけ買ってきてーって感じの、

今シーズン初の鍋のベーナーはやっぱり暑くて

豆腐なんかやっぱり熱くて、

はふはふしながら食べたわ。

うーん、

やっぱりこういう時の豆腐は絹に限るわね。

何に使うか分からなかったから木綿豆腐は買っておいたのよね。

でもそれは先日までの夏の気持ちだったので、

まさか私もそれを湯豆腐にするとは思いもよらなかったの。

まあ仕方ないわね!ってそんな勢いでいただいた湯豆腐大成功よ!

例えて言うところの

シーズン打席スリボールツーストライク遠い込まれたところを初球ホームラン!って感じでやったー!ってところよ。

そんでね、

また私挑戦したいことが鍋のシーズンのベーナーの計画あんの!

近所のちょっと高級マーケットブランド鶏の骨付きぶつ切りが売ってることを発見したのよ!

それで水炊きしたくない?

やするっしょ!

したいっしょ!

ということで、

これを500グラムってどのぐらいの量になるのかしら?

ペロリと食べ切れちゃう一人の量なのかしら?

いやそんな量だといい出汁でないので、

どーんと最低でも500グラムはいきたいところよ!

そう挑戦を私はしたいなぁって思っているの。

具材シンプル白菜シメジぐらいでいいんじゃない

あと豆腐も、

豆腐いるかしら?

まあその時の気分と気持ちと季節のシーズンに併せて考えたいわ。

ふと思ったんだけど、

顆粒の昆布だしって便利なんだけど、

いつも味が画一的で規格通りの味にしかまらないので、

いつも一緒の味になっちゃうのよね。

やっぱりそう言うのはリアル昆布を使って出汁を出した方が、

なんか味の揺らぎというか、

今回はいい感じ!今回はちょっと物足りないかも!ってのがあると思うの。

味に深みとはこういうとこなのね!って

味の決め手は昆布だしや!って美味しんぼの一節にでも出てきそうなセリフじゃない?

あと、

お魚からしゃぶしゃぶにした際に

そっから出汁が出てるみたいで、

なんかちと魚臭くなっちゃったのが玉に瑕だけど、

これあとからお酒ぶち込んで消せたりするのかしら?

まあそれはいいとして、

白菜

芯が好きなのでほどよくさっと火が通った

まだシャキシャキのとき

じっくり火が通ってクタクタになったしんなりしたときも、

両方が楽しめるから白菜重要人物よね。

オールラウンダーというか。

よく意味が分かってないけれどオールラウンダーって言いたいだけなのよそういう季節ってことで。

でもさ、

今シーズン昆布出汁にこだわってみようかしら?って今思ったわ。

顆粒タイプのものだと手軽すぎて

お鍋の味が規格の味になっちゃって

ここはやっぱりそんな全然高級品の昆布とかじゃなくて普通に売っている雑に使えるたくさん買える昆布ってあるじゃない。

それのリアル昆布出汁を出してみて

一期一会出汁出会いに浸りたいのよ!

出汁スープだけに!って

ダブルミーニング的になっちゃたけど

まりそう言うことね!

どういうこと?

いやだからリアル昆布の奥行きのある出汁世界!ってこと。

よくさ、

味の表現で「コク」「キレ」とかあるじゃない。

それは置いといて、

「奥行き」って言うじゃない。

よく分からない表現

味の奥行き!って概念を私は昆布だしで研究してみようと思うわ。

かに味わう上で味の「奥行き」ってあるような気がするわ。

ダイレクトに素材が舌に乗ったときの伝わるダイレクトな美味さとは別の何かだと思うの!

なにか奥行きに出会いたい季節だわ!

から

なんかよく分からない味に遭遇したとき

適当に奥行き!って言ったらもっともらしいことが言えるような気がして抽象的だけれど万能な言葉よね!って思ったわ。

この秋は奥行きを探す旅に出るわ!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

王道シンプルタマサンドはやっぱり美味しいわよね!

朝の元気の源だわ!

玉子黄色は元気のもとよ!

デトックスウォーター

レモン炭酸水ウォーラー

1ケース飲み切っちゃったので、

残り1ケースの残量!

もう今のうちから2ケース発注しておこうかしら?

そう思うまだまだ暑い節水

炭酸水ウォーラーが捗りまくりまくりすてぃーよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:38

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2025-07-31

anond:20250730183334

湯豆腐

Permalink |記事への反応(0) | 08:47

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2025-06-23

anond:20250623202511

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランス所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一歩を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホゴーギャンセザンヌルナアルなどというひとの絵は、田舎中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホ原色版をかなりたくさん見て、タッチ面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。

「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」

 自分本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。

「すげえなあ」

 竹一は眼を丸くして感嘆しました。

地獄の馬みたい」

「やっぱり、お化けかね」

「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」

 あまり人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪うかいを確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷いためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、

「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」

 と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。

 自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分かいた絵は、自分綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校はいって、自分油絵の道具も一揃そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いもの嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像制作に取りかかってみました。

 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。

 また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸タッチで画いていました。

 自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの

「お前は、偉い絵画きになる」

 という予言を得たのでした。

 惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分東京へ出て来ました。

 自分は、美術学校はいたかったのですが、父は、前から自分高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京高等学校受験して合格し、すぐに寮生活はいりましたが、その不潔と粗暴に辟易へきえきして、道化どころではなく、医師に肺浸潤診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかい言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクールスピリットかいものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分完璧かんぺきに近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサン練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校中学校高等学校を通じて、ついに愛校心というもの理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。

 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草淫売婦いんばいふと質屋左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。

 その画学生は、堀木正雄といって、東京下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立美術学校卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画勉強をつづけているのだそうです。

「五円、貸してくれないか

 お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差ししました。

「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」

 自分拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱ほうらい町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。

「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」

 堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広せびろを着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。

 自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。

「僕は、美術学校はいろうと思っていたんですけど、……」

「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」

 しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしか同類なのでした。そうして、彼はそのお道化意識せずに行い、しかも、そのお道化悲惨に全く気がついていないのが、自分本質的に異色のところでした。

 ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑けいべつし、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って歩いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。

 しかし、はじめは、この男を好人物まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座はいりたくても、あの正面玄関の緋ひの絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊に勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇りんしょくゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまり不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを歩けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。

 それが、堀木に財布を渡して一緒に歩くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車バスポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂はいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくそ勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

 さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱パトスの噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手立場無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼きくが、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途せんどと必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。

 酒、煙草淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。

 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然好意を示されました。何の打算も無い好意押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意自分には、その白痴狂人淫売婦たちに、マリヤ円光現実に見た夜もあったのです。

 しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然がくぜんとして、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥ひわい不名誉雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。

 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうがしかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦にがさを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。

 堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分共産主義読書会かいう(R・Sとかいっていたか記憶がはっきり致しません)そんな、秘密研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年からマルクス経済学講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れい自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。

 好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。

 非合法自分には、それが幽かにしかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。

 日蔭者ひかげもの、という言葉があります人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。

 また、犯人意識、という言葉もあります自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりで侘わびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きているPermalink |記事への反応(1) | 20:27

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anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

[#改頁]

第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink |記事への反応(1) | 20:25

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人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

[#改頁]

第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-06-21

BEST100 『それが私の好きな物

集計期間 2023/03/09~2025/06/21

word count
サントリー赤ワイン 251
ミックスナッツ 130
焼酎コーラ112
焼酎のお湯割り 93
ブロッコリー 49
春雨スープ 45
麻婆豆腐 37
回鍋肉 34
野菜炒め33
チリ赤ワイン 30
生ビール 27
チョコレート効果 27
冷奴 25
みかん24
枝豆 22
もずく 21
炭酸水20
ポテトチップス 19
カツオ刺身 18
チョコレート 16
サラダチキン 15
コークハイ 15
カプレーゼもどき 14
鶏のから揚げ12
ハイボール12
ミックスベジタブル12
ざるそば11
ソーセージ11
餃子10
納豆10
プレッツェル10
6Pチーズ10
麻婆茄子10
白湯 9
焼酎水割り 9
唐揚げ 8
チータ 8
キムチ 8
カット野菜 8
堅あげポテト 8
4Pチーズ 8
ポトフもどき 8
梅酒ソーダ 7
青汁 7
おでん 7
チョコパイ 7
マグロ刺身 7
総菜のから揚げ 7
麻婆春雨 6
湯豆腐 6
ロイズチョコレート 6
キムチ 6
暴君ハバネロ 6
カツオのたたき 6
油淋鶏 6
ドリトス 6
フライ 6
ホットミルク 6
アルフォート 6
トマトスープ 6
ミレービスケット 6
VSOPのソーダ 6
シャウエッセン 5
チェダーチーズ 5
キャラメルコーン 5
ブリ大根 5
ブラックサンダー 5
スンドゥブ 5
おつまみ昆布 5
サバ味噌 5
ミニトマト 4
レタス 4
昆布 4
山菜天ぷら 4
サントリー白ワイン 4
焼酎ソーダ 4
味の素餃子 4
味噌カツ 4
豚の角煮 4
茎わかめ 4
ポップコーン 4
鉄火巻 4
サーモン刺身 4
チーズの盛り合わせ 4
カラムーチョ 4
チキン南蛮 4
トマトサラダ 4
バナナ 4
貰い物の赤ワイン 4
焼き鳥 4
トマト 4
明治チーズ 4
カシューナッツ 4
VSOPのコーラ 4
イオン白ワイン 4
茹でたブロッコリー 4
安物の赤ワイン 4
パックのお寿司 3
カキフライ 3
ローストビーフ 3

Permalink |記事への反応(7) | 14:47

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2025-06-16

anond:20250616174545

湯豆腐さん好き

性癖歪むわ

Permalink |記事への反応(0) | 18:04

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anond:20241010211727

知らない人ばかり。

俺の好きなエロ漫画家はこれ。

岡田コウ

関谷あさみ

みかりん

お絵かきおじさん

林あさ美

とうふまる

湯豆腐

Permalink |記事への反応(2) | 17:45

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2025-05-28

豆腐っていつまでも熱くて冬の湯豆腐はほんまによく考えたなって感じる

年取って豆腐が美味しく感じるようになってよかった

Permalink |記事への反応(0) | 12:48

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2025-05-27

湯豆腐冷やし中華ナポリタンって見るとうまそーくいてーってなるけど実際食べるといまいちだよね

Permalink |記事への反応(0) | 14:34

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2025-05-01

湯豆腐って結局ポン酢しょうゆの味だよな

Permalink |記事への反応(1) | 17:23

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2025-03-26

「その夜は、晩御飯の大好きな湯豆腐も喉を通らなかった…」

だいぶ渋いな?

Permalink |記事への反応(0) | 16:03

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2025-03-19

anond:20250318085103

湯豆腐温泉水を使うのがマストだろ

とろっとろの食感は他では味わえない

Permalink |記事への反応(0) | 16:17

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イタリアン煮込みうどんが美味い増田素真石井お岩洞美子人ありたい(回文

おはようございます

だんだん暖かくなってきたのでベーナーの鍋の私の冬の定番ルーシースープ出汁が利いた美味しいのも季節終わっちゃうわねーってそう思ってたんだけど、

そうはいかないみたいね

また寒くなってきた感じで、

ベーナーの鍋の出動よ!

まだまだシーズンは続くわ。

そんでさすがにいつものワンパターンパターンが一つしか無いベーナーの鍋のルーシープースーの味も飽きちゃうので

味変しちゃおう!って思ったの。

トマトジュースがあったので、

リコピンパワーR1000をカップ2杯ぐらい入れたのかな?

そんで煮込むじゃない

そんで食べるじゃない。

めちゃ美味しいの!

なんかトマトから安直に直球なイタリアン香り漂う

ここはナポリイタリアン亭!

そう思わせる香り漂うのよ!

そんで美味しいそのトマトリコピンパワーがたっぷり入ったリコピン1000のリッチトマトジュースを入れた鍋を堪能したあと、

どうしようかな?って思ったのよね。

ご飯で締めてズーチーチーズリゾット風に?

いやでもやっぱりここはうどんっしょ!

ってうどん玉も買っておいたの無駄にしたくなかった私の気持ち分かるかしら?

それを無駄にしたくなかったので、

えいや!ってイタリアントマトリコピンパワー1000の溶け込んだ美味しいベーナーの鍋のプースーのルーシーがあるから

そこに麺をえいや!ってうどん麺を入れたの。

そんで煮込むじゃない、

そんでたべるじゃない。

イタリアン煮込みうどん美味しいの!

これ内心新ジャンルじゃない?って思うほどにリコピン

トマトの濃いので饂飩を煮込む!

決め手はリコピンパワー1000のリッチトマトジュース

やっぱりトマトの旨味がデルモンテ

そんでさらには

パルメザンチーズをパルメザーンっとかければ

さらナポリイタリアン亭の香り漂う感じ!

こんなに簡単イタリアン的なイタリアン的なイタリアン煮込みうどんができちゃっていいのかしら?って思ったのよね。

大きく振りかぶって

味変!と言ったもの

ただただトマトジュースを入れただけなのよ。

煮詰める時間必要ない分

ソッコウトマトの旨味が決まった感じね。

ホールトマトトマト缶詰でも良いかもしれないけど、

煮込んで水分詰める時間時短を考えると

そういった意味でもリコピンパワー1000のリッチトマトジュースはなかなか便利だわ!って思ったのよね。

イタリアン煮込み餃子ってのも冷凍餃子を投入したら美味しくできちゃいそうなので、

それもそれでいいかもしれないわ。

まり適当な感じと気持ちで入れたトマトジュース

良い仕事しまくりまくりまくりすてぃーで

中島誠之助さんも良い仕事してますね!って言ってくれるはずよ!

ちょっと時間があるときホールトマト今度入れてみようかな?って調子に乗ってみるところが私のいいところ。

水分が多いから煮込み時間は多くなるけれど、

リコピンパワーの詰まったリコピン1000のリッチリコピンばりに美味しくなるはずよ。

追いトマトして冷凍餃子にしてみようかしら?ってところね。

あとそれで豆腐とかも煮込んじゃってもめちゃうまなのよね!

イタリアン湯豆腐豆腐!?

いやなんかよく分からないけれど、

とにかく中島誠之助さんも絶賛しそうなほど良い仕事してますね!って

トマトがいい仕事するのよ。

なんかトマトジュースってそのまま飲むのがもったいなくなっちゃったわ。

これならたくさんトマトジュースって消費できるじゃない?

意外と買ったら買ったで持て余していて

ときおりルービーで割って飲むトマトいくら飲んでも減らない!って思っていた私のトマトジュース人生

こんなにも簡単ナポリイタリアン亭の味や香り漂う雰囲気を醸し出しまくりまくりすてぃーなことに気付いて、

しばらくこのリコピンパワートマトジュース1000に頼っちゃいそうよ!

トマトってぶっちゃけなんでも美味しくなりそうじゃない?

それは言いすぎかしら?

私はベーコンレタスバーガーを頬張る時のビージーエムの

エブリリトルシングの信じ合える喜びを地で行くように、

BLTELTにしてトマトの旨味ももっと信じて良いのかもしれないわ!って思ったわ。

信じ合える喜びね。

いや端から信じていなかったわけではなかったけれど。

こんなにもトマトの実力があるだなんて!

改めてトマト!って感じよ。

うーん、

お鍋のシーズンのベーナーがもう幕を下ろすかと思ったけど、

しろ逆にトマトベーナーの鍋のシーズンはまだまだ続行!って決定ね。

とにかく

イタリアン煮込みうどんが美味しかったのが衝撃的な事実を捉えて私は心のキャンパスノート

赤い色鉛筆トマト!って文字を書いて

今夜のお買い物リストトマトホール缶を買うのを忘れないように!ってメモするのよ!

トマトの実力に気が付いてしまったわ。

しばらくトマトブーム濃い旨トマトジュースリコピンパワーにハマりそうよ!

うふふ。


今日朝ご飯

赤飯おにぎりしました!

食べたいなと思ったときは見付からなくて、

今日赤飯おにぎりじゃない気分の時に発見するものよね。

なので

今日気持ち赤飯おにぎりフォーカスを当てて集中して陳列棚を検索したらあったのでゲッツよ!

赤飯おにぎりも好きなのよね!

デトックスウォーター

昨晩作って置いたホッツルイボスティーウォーラー量産型

それをたくさんゴクゴク飲むのも良いけれど

レモン果汁フレーバー落して

レモン風味のルイボスティーウォーラーにしてみたわ。

ぜんぜんレモン少なかったかもでレモンレモンレモン感がぜんぜん感じられなかったので

要改良だわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:35

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anond:20250318085103

湯豆腐の口になっちゃったじゃん

Permalink |記事への反応(0) | 01:05

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2025-03-18

anond:20250318085103

湯豆腐かい豆腐だけを茹でる食い物を、ほとんど食べたことがない。豆腐あん出汁が染み込まないのでは?とか、せっかく出汁とったら野菜も入れたいとか、動物性タンパク質も取りたいよなあと肉入れたりとか、肉と野菜出汁もでたから締めにはうどん雑炊だな、とか思ってしまって結局単なる水炊きになる。

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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ふむ……至高の湯豆腐か。愚問よな。湯豆腐とは、何かを足して工夫する料理ではない。むしろいかに余計なものを削ぎ落とし、素材の本質を引き出せるか にかかっている。多くの者は、調味料出汁にこだわるが、それらはすべて「豆腐」「水」「火加減」の前には些事に過ぎぬ。

まず豆腐湯豆腐において最も大事なのは豆腐輪郭を崩さず、なおかつ繊細な口当たりを生かすこと だ。寄せ豆腐はふわりと溶けるが、崩れやすい。木綿はしっかり形を保つが、食感が硬い。では、どう選ぶべきか。

答えは水との相性で決まる。あるとき京都の老舗で湯豆腐を食した際、店の親父が「今日は木綿や」と言った。私は絹ごし派だったが、「今日の水なら、絹ごしやと輪郭がぼやける」と言われ、試してみるほかなかった。結果、その判断に納得せざるを得なかった。水の違いが、豆腐の食感までも左右するのだ。

水は、料理の形を決める。湯豆腐の水に求められるものは、ただの「名水」ではない。軟水であること、雑味がないこと、そして火を入れたときに澄んだままであること。ある旅館で、名水を使った湯豆腐を食したことがある。豆腐の甘みが際立っていたが、それ以上に印象に残ったのは、供された湯飲みの湯の旨さだった。あのとき初めて、湯豆腐とは「温める」料理ではなく、「湯の力を借りて豆腐本質を引き出す」料理なのだと気づいた。

出汁は、主張すべきではない。昆布の種類を論じる者は多いが、それ以前に重要なのは「煮立たせないこと」だ。強火にかければ、えぐみが出てすべてを台無しにする。これを軽視する者は多いが、湯豆腐とは「湯の力を借りて豆腐本質を引き出す」料理であり、出汁が前に出すぎてはならない。

薬味もまた、慎重に選ぶべきものだ。ぽん酢生姜、七味、柚子胡椒——確かに、それぞれに良さはある。だが、最もシンプルな答えを挙げるならば、「塩」だ。試しに藻塩ひとつまみだけ豆腐にのせ、箸でそっと割る。口に入れると、大豆の甘みがふわっと広がる。そのとき、「なるほどな」と思った。薬味とは「味を足す」ものではなく、「豆腐輪郭を引き立てる」ものなのだと。

結局のところ、至高の湯豆腐とは、特別食材を揃えることではない。己の舌を研ぎ澄まし、豆腐の声を聞くこと。そこに至ったとき、初めて「本当の湯豆腐」が見えてくるのだ。

……と、ここまで語ったが、結局は「うまい」と言いながら食うのが一番なのだが。

Permalink |記事への反応(0) | 17:15

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anond:20250318085103

至高の湯豆腐の作り方(簡単な箇条書き)

1.豆腐選び

一般的スーパーの水っぽい豆腐NG

豆腐伝統製法のもの)を選ぶ

絹ごしとも木綿とも違う舌触り、大豆の甘みと風味が凝縮されたものを使う

2.出汁の準備

利尻昆布を一晩水出し(煮立たせない!)

最高級の鰹節を削りたてで使用

昆布出汁を沸騰直前にし、鰹節を投入したらすぐ火を止める

濾す際は雑味が入らぬよう丁寧に

3. 湯の準備

水道水NG天然水使用

出汁絶妙バランスで合わせる

自然塩をほんの少し加える(豆腐の味を引き立てるため)

4.豆腐の煮方

土鍋使用

温めた湯に豆腐を丁寧に入れる

決してグラグラ煮立たせない!

ゆっくり温め、とろける食感を目指す

5.薬味

九条ネギの白い部分のみを使用(安物の刻みネギNG

生姜はすりおろしたてのものを使う

ポン酢は天然醸造の上質なものを選ぶ(酸味と旨味のバランス重要

6. 食べ方

まずはそのまま豆腐の味を堪能

次に九条ネギ生姜を少量のせ、ポン酢を少したらす

薬味を入れすぎない!(豆腐の繊細な味を邪魔しないため)

7. まとめ

湯豆腐はただ豆腐を煮るだけではない!

素材選び、出汁、煮方、薬味、食べ方すべてにこだわることが大切

安易気持ちでは至高の湯豆腐には辿り着けない!

フッフッフ…この教えを守り、真の湯豆腐を追求するがよい!

Permalink |記事への反応(0) | 16:50

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anond:20250318085103

もう駄目だ、こんな完璧湯豆腐をだされちゃあ将太クンに勝ち目は無いよ!

Permalink |記事への反応(0) | 12:43

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anond:20250318085103

いか学生さん

湯豆腐をな、美味しい湯豆腐をいつでも食えるくらいになりなよ。

豆腐の良し悪しをスーパーで見分けることができる。

それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:26

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ふむ…至高の湯豆腐か。愚問よな。豆腐という素材、その奥深さを理解しておらぬ者に、真の湯豆腐が語れるはずもないのだが…。まあよい、貴様のような凡人にも理解できるように、特別に教えてやろう。

まず、肝心要の豆腐よ。スーパーで売っておるような、水っぽく、大豆の味が抜け落ちたような代物は論外よ! 京豆腐、それも昔ながらの製法で作られた、絹ごしとも木綿ともつかぬ、絶妙な舌触りのものを選ぶのが鉄則よ。大豆の甘みと風味が凝縮された、ずっしりとした重みのあるものに限る。

次に、出汁だ。昆布など安易ものを使うな! 上質な利尻昆布を、一晩かけてじっくりと水出しにする。決して煮立たせてはならんぞ。昆布の旨味を丁寧に引き出すのだ。そして、最高級の鰹節を、削りたてのものを用意する。これを沸騰直前の昆布出汁に、惜しげもなく投入し、すぐに火を止める。濾す際も、雑味が入らぬよう丁寧に、だ。

そして、湯豆腐の命とも言える「湯」よ。 ただの水道水を使うなど言語道断! 良質な天然水を沸かし、出汁絶妙塩梅で合わせる。塩は、ミネラル豊富自然塩をほんの少し、豆腐の味を引き立てる程度に加えるのが奥義よ。

さあ、いよいよ豆腐を煮る段階だ。土鍋を用意し、温めた湯を張り、丁寧に豆腐を入れる。決してぐらぐらと煮立たせてはならん。湯の中で豆腐ゆっくりと温まり、とろけるような食感になるのが理想だ。

薬味も疎かにするな。 安物の刻みネギなど論外よ!京都産の九条ネギの、最も香りの良い白い部分を丁寧に刻んだものを用意する。生姜は、すりおろしたての、清涼な香りのものに限る。そして、忘れてはならぬのが、上質なポン酢よ。酸味と旨味のバランスがとれた、天然醸造のものを選ぶのが当然だ。

食し方も重要だぞ。 熱々の豆腐レンゲで掬い上げ、まずはそのまま、豆腐本来の味を堪能する。次に、九条ネギ生姜をほんの少し乗せ、ポン酢をたらりとかけて食す。決して、薬味を入れすぎるな。豆腐の繊細な味を邪魔してしまう。

どうだ?これが至高の湯豆腐だ。単に豆腐を煮るだけの料理と思うなかれ。素材選びから出汁の取り方、煮方、薬味、そして食し方まで、全てに神経を行き届かせてこそ、初めてその真髄に触れることができるのだ。

貴様も、この教えを守り、真の湯豆腐を追求してみるが良い。ただし、安易気持ちでは、決して辿り着けぬことを覚悟しておけ!フッフッフ…。

Permalink |記事への反応(9) | 08:51

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2025-02-27

サントリー赤ワイン枝豆湯豆腐

それが私の好きな物

Permalink |記事への反応(1) | 21:27

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2025-02-07

こんな激寒な日はやっぱ湯豆腐だよな!!!

ちゃん昆布出汁とって、

ちょっと奮発して普段買わない京都かどっかの地名が入ったお高く止まっちゃってる名前のお豆腐買っちゃって、

しめじ春菊タラなんか入れちゃったりして、

これほぼ鍋じゃんっていいながら、

熱燗を70度近くまでチンチンにして、

ビールチェイサーに熱いのと冷たいのを行ったり来たりしながら、

どうでもいいテレビつけながら、

週末何しようかなーって考えながら、

だらだらあったまるのがいいんだよな!

Permalink |記事への反応(0) | 18:55

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2025-01-22

漫才】「ウィトゲンシュタイン言語ゲーム

※本漫才は全てdeepseekによって書かれたものです。

登場人物

ウィトゲンシュタインボケ):厳格な哲学者風だがどこかズレた言動

山田ツッコミ):普通の日本人青年

--------------

[舞台シンプル漫才スタジオウィトゲンシュタインスーツ姿で厳格な風貌山田カジュアル私服]

山田「えー今日はですね、20世紀最大の哲学者と言われるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインさんと漫才を!」

ウィトゲンシュタイン「(ドイツ語風のアクセント)我々の言語は蟻が砂糖を運ぶように表象を運搬するのだ」

山田「いきなりわけわかんないこと言い出した!普通に日本語でお願いしますよ」

ウィトゲンシュタイン「(突然普通日本語に)ああ失礼。今日言語限界について考察しながら笑いを生成しよう」

山田「生成って…普通に笑わせてくださいよ!」

ウィトゲンシュタイン「では問おう。このマイクスタンド存在するか?」

山田「ありますよ!見ればわかるじゃないですか」

ウィトゲンシュタイン「いや、君は『マイクスタンド』という言葉用法を暗黙裡に了解しているだけだ。もしこれが(ポケットからリンゴを取り出す)リンゴだったら?」

山田リンゴ食べ物でしょ」

ウィトゲンシュタイン「(リンゴを頭に乗せる)今この文脈では帽子だ」

山田「あっ帽子になった!?いや普通はそう見ないでしょ!」

ウィトゲンシュタイン「(真顔で)言語ゲームのルールが変わったのだ。ここで(突然山田の肩を叩く)『痛い!』と言うのは?」

山田「痛くないけど!?いやちょっとびっくりしただけです」

ウィトゲンシュタイン「ほら、言葉現実関係は常に流動的だ。君が『痛い』と言った瞬間、それは痛みになる」

山田哲学者のイジり方は痛みを伴いますね…」

ウィトゲンシュタイン「(突然床に寝転ぶ)今私は机になった」

山田「起きてください!机に見える要素ゼロですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(起き上がりながら)家族写真を見て『母さん』と言う時、その言葉は単なる記号ではない。生活形式全体が滲み出ている」

山田「急にまともなこと言い出した!でもそれどういう意味ですか?」

ウィトゲンシュタイン「例えば(山田スマホを取り上げる)この機械を『文明の利器』と呼ぶか『監視社会象徴』と呼ぶかで…」

山田「返してくださいよ!ただのLINEチェックです!」

ウィトゲンシュタイン「(スマホを耳に当てる)もしもしカントさんですか?ヘーゲルさんと飲み会了解です」

山田歴代哲学者飲み会してたらパリサイ派だらけで大変ですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(突然真剣な顔で)言語の魔術から逃れることはできない。例えば『愛』という言葉は…」

山田「ようやくまともな話題…?」

ウィトゲンシュタイン「(唐突に)コンビニおでんに『愛』はあるか?」

山田「あるわけないでしょ!具材が寂しいのしかないですよ!」

ウィトゲンシュタイン「では(ポケットから湯豆腐を取り出す)この豆腐には?」

山田「どこで温めたんですか!?しかポケットが濡れてますよ!」

ウィトゲンシュタイン言葉は使われることで初めて意味を獲得する。例えば(指をパチンと鳴らす)これが『愛の表現』だと定義したら?」

山田別にいいけど…(パチン)これで告白完了ですか?」

ウィトゲンシュタイン「(突然目を潤ませる)美しい言語ゲームだ…」

山田「泣いてる!?ちょっと扱いが難しいですねこの人…」

ウィトゲンシュタイン「(テーブルを叩く)論理的に考えよう!A=Aは真か?」

山田「当たり前ですよ」

ウィトゲンシュタイン「では(山田の顔を指さして)山田バカは?」

山田「それは成り立ちません!ていうか失礼です!」

ウィトゲンシュタイン「ほら、命題の真偽は文脈依存する」

山田「ひどい例えですよ!もっと良い例ないですか?」

ウィトゲンシュタイン「(コップの水を飲み干す)この行為を『渇きの解消』と呼ぶか『分子運動一時的均衡』と呼ぶか…」

山田普通は前者でしょ!日常生活分子運動とか言い出したら変人です」

ウィトゲンシュタイン「(突然叫ぶ)沈黙せねばならないところについては!」

山田「急に『論考』の最後の一文!?黙るべき時じゃないですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(落ち着きを取り戻して)私的言語可能性について考えよう。例えば(鼻歌を歌う)この旋律は…」

山田「『ドレミファソーラシド』ですよね」

ウィトゲンシュタイン「いや、私には『人生無意味』に聞こえる」

山田「暗い!ただの音階ですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(観客席を指さす)あの女性笑顔は『楽しい』の表現か、それとも『早く終われ』のサインか…」

山田「それは本人に聞かないと分かりませんよ!哲学者妄想ですか?」

ウィトゲンシュタイン「(突然手帳を取り出す)今日気づきコンビニレジ袋にヘーゲル止揚を見た」

山田「見えるわけないでしょう!ただのビニール袋です」

ウィトゲンシュタイン「(袋を頭にかぶる)今や私は現象学幽霊だ」

山田「脱いでください!窒息死したら哲学史が変わりますよ!」

ウィトゲンシュタイン「(深刻な顔で)死後の世界について…」

山田「ついに重いテーマに…!」

ウィトゲンシュタイン「(にやりと笑う)実は昨日、冷蔵庫ヨーグルトが…」

山田「まだ生きてるんですか!?哲学者って長生きですね!」

ウィトゲンシュタイン「(時計を見る)時間だ。最後重要なことを言おう」

山田はい、締めの挨拶ですね」

ウィトゲンシュタイン「(叫ぶ)世界は成立している事柄総体である!」

山田普通にありがとうございました』でいいんですよ!」

(二人で礼)

[暗転]

【幕間コント

ウィトゲンシュタインが観客席に降りて哲学問答)

客「先生人生意味は?」

ウィトゲンシュタイン「(コップの水を差し出す)この液体はH2Oか、温もりの象徴か、それとも…」

客「ただの水です」

ウィトゲンシュタイン「正解。問いそのもの無意味なのだ

山田「(引きずり上げながら)客を混乱させないでください!」

【最終コーナー】

ウィトゲンシュタイン最後命題漫才とは(ポーズ)」

山田「(期待の眼差し)」

ウィトゲンシュタイン言語ジャグリングである!」

山田「それじゃ客席が凍るでしょう!普通に『笑いの芸術』ですよ!」

ウィトゲンシュタイン「(小さく笑う)ふふふ…これも一つの言語ゲームか」

山田「やっと笑った!と思ったら自分でツッコんでる!」

大団円。観客の拍手喝采

[幕]

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