
はてなキーワード:湧別町とは
もう20年ほど前の年末、12月の29や30あたりだったろうか。
その時自分はまだ中学生かそのあたりで、妹も小学生くらいだったと思う。
父は普段から気分のムラが大きく、その日もそういう日で、冷蔵庫の残り物を床に叩きつけて怒鳴りつけていた。
個人的には面白かったのだが、笑ったら殴られるので家から逃げることにした(こんな感じで家にいられなくなって逃げることがたまにあったが、今は離れて暮らしている)。
私たちは寒い地方の田舎に住んでいた。山と田畑と住宅しかないような小さな市町村である。
徒歩で行ける距離にあるコンビニは1件しかない。年末の最高気温は0度を下回るし、積雪もかなりある地域だ。
ゆえに吹雪の中歩き回るのは得策では無いのだが、友達の家には自分の家族の問題で何度も避難させてもらっており、年末まで団欒をお邪魔する勇気は、どうしても自分には無かった。
祖父母の家は両親の職場より遠く、年末ゆえか吹雪ゆえかは忘れたが唯一の公共交通機関のバスは運行していなかった。誰も頼れないと思った。
今思うと、近所の小学校なんかに職員が居たなら路頭に迷った子供くらいなら受け入れてくれるだろうし、なんなら隣家だって頭を下げれば入れてくれるはずだと感じるのだが。
親父に殴られやしまいかとそればかり考えるガキ風情にそんな機転は無かった。
少し考えて、隣町のショッピングモールまで歩くことにした。小さいながら暖かく、フードコートで水も飲めて好きだったし、自転車で行ったこともある。
母の職場も近く、当時の自分には、もうそれしか方法がなかった。
通学バッグを持って、何を着たかは忘れたがとりあえず防寒して、自分と妹は歩いた。
今googlemapで調べたが、およそ7kmの道のりである。途中に山があって、たかが7kmといっても子供には過酷だ。
前が見えないながらも携帯なしで目的地までたどり着くことが出来たのは、ひとえに田畑というのが周りが開けていて迷いにくい道だからだと思う。
風を遮るものも無いけど。
吹雪というものを体験したことがない人のために解説するが、まずかなりの勢いでクソデカい雪が目の中に入ってくる。スキー用のゴーグルでもしなければ目を開けていられない。
そして雪の1粒1粒がとても大きい。成人男性の中指の第1関節くらい大きな雪が、とめどなく顔や襟に侵入してくる。冷たいし不快だ。
ただでさえ視界が悪いのに、さらに雪が目にダイレクトアタックしてくる。
そこまで強くない風にも、雪という氷の粒が乗るだけで破壊力が増す。
積雪があるということは、道が悪いということでもある。
常に脛くらいまで積もった雪の中を足で掘ったり蹴散らして進むので、体力の消費が早い。
柔らかい雪を蹴散らしたとて、硬い地面も雪で覆われてゴツゴツ・ギュムギュムしており、大人になった今でも体力を持っていかれる。
その日は雪ばかり降って気温があまり低くなく、凍っていなかったのは幸いだった。
10代の体力があったのも助かった。
家から持ってきたか買ったかは忘れたが、途中でお菓子を食べた記憶があるのもよかったと思う。
積雪があるということは、道路脇に大きな雪の山が築かれる、ということでもある。
道路の除雪で溜まった大量の雪が、歩道と道路の間に大きな壁となる。
高さはおよそ2~3メートル。歩行者側に崩れてくることはほぼないが、沢山ある歩行者用信号のない道路を渡る時、致命的に邪魔であり、事故になりかねない。
視界が悪いなら当然だ。今思うと危なすぎる。
雪がマフラーにびっしりこびりつき、吐く息で水滴になって、外気温で凍ってパリパリになるのが気持ち悪くて嫌いだった。
歩いて汗をかいて全身蒸れているのに、休憩のために座り込んだらたちまち冷えた汗が体の末端からキンキンに冷えて、つま先や指の先から感覚が無くなってゆくのも嫌だった。
子供の頃からの吹雪への慣れや体力もあって当時は耐えることが出来たが、これが妹がもっと幼ければ死んでいたかもしれないな、と今は思う。「年末に子供が2人、吹雪の中行方不明になる」なんて、大人になった今は洒落にもならない話だ。子供ながらなんてことをしたのかと今になって反省しているが、当時を考えるとどうにもできなかったな、とも思う。
昼から歩き始め、猛吹雪を身体中に受けて、なんとか山を超えて、ショッピングモールに着く頃にはもう夕方だった。
入口端の公衆電話で、室内に入り体についた雪が解けてビシャビシャになりながら母の番号に電話をかけ、仕事終わりに拾ってもらい、家に帰る頃には真っ暗だった。
自分たちが家を出て吹雪の中歩いて避難したことについて両親から言及された記憶は無い。怒られた覚えも、謝られた覚えもない。
なんなら自分たちが何も言ったのかも覚えていない。
2013年に起きた、北海道・湧別町の暴風雪により遭難し命を落とした岡田さんと助かった娘さんのニュースを、この時期になると思い出す。
1月2月だったとしても酷い暴風雪に、きっともう大丈夫だろうと思った春先に襲われて、2人ともとても怖い思いをしただろう。
お父さんの冷たくなってゆく体を見ているしかなかった娘さんの気持ちを考えると、心が固く締め付けられる。
自分の命を捨ててまで娘を守ろうとするお父さんの決死の勇気に、今の自分は果たして新しい家族に同じことが出来るだろうか、と襟を正される思いだ(もちろん、自分だってできるだけ家族も両方生き残れるよう努力するが)。
そして、もしもっと自分が出来た子供なら、こんな風に命をかけて自分を守ってくれる存在がいたのかな、とも思う。
以上、あまり参考にならない体験談と自分語りだが、少なくとも幼い自分自身の頑張りを成仏させるため、ここに記しておく。
ついでに、子供の頃の自分と妹は運良く生き残ったが、これを読んでいる諸兄らも決して甘く見てはいけないと警告しておく。
※訪れる際は時期外れ、移動距離の長さ、ガソリンスタンドの少なさ、渋滞、雪、アイスバーン、狭い山道、公共交通の少なさ、畑や牧場への不法侵入、ヒグマなどに注意する。
※それぞれリンクを貼ろうとしたがスパムと見做されたのか弾かれたので諦めた。
※残念ながらどこのステマでもない。25万円欲しい。
https://www.google.co.jp/imghp?hl=ja
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