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2025-10-27

定期的に荒れる飼い犬の狂犬病予防接種について

狂犬病が恐ろしいはわかる。

でも、ヒトの致死率100%だろうとだから飼い犬に予防接種というのは論理の飛躍じゃないか

例えば、

電車脱線事故があったら危険だ。

バス事故ったら危険だ。

から電車バスは着座シートベルトを徹底すべきだ!チャイルドシートも完備せよ!

とはならないと思う。

事故が起きる頻度と起きた時の損害、それと対策費用を秤にかけて、安全犠牲にしないといけないことは多々ある。

それをさあ、狂犬病発症したら治療方がないとか、犬以外にもかかるからとか、色々すっ飛ばしすぎでしょ?

ここ10年で日本に何頭くらい狂犬病の犬が持ち込まれたのか?犬以外でもいいが何頭だ?

そして、対策として、飼い犬へのワクチンがはたして最適なのか?

犬以外の動物にもかかるってなら、犬以外の動物に打たないとと思うし、最終的な目的がヒトを狂犬病から守るというなら、ヒトに狂犬病ワクチンをうったほう

いいんじゃないか?

もともとは、予算は有限だから、犬が1番リスクファクターから犬に予防接種ってのがはじまりだったんだろ?

で、犬にワクチンを打つことによって、野犬の駆除を進めることによって、日本から狂犬病を根絶できた。

当時、犬がリスクファクターだったのは理解できる。

野犬が多かったし、飼い犬だって100%外飼いだったからさ。アングラだけど闘犬も多かったし。

一頭でも狂犬病が入れば、野犬の群れの中に、飼い犬に、そして野生動物に広まる。

功を奏して、清浄国になった。

でもさ、今もやっぱり犬がリスクファクターなのかって言われると、微妙でしょ?

Permalink |記事への反応(1) | 15:34

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2025-10-04

anond:20251004111813

なお、保存や持ち運びの際は直射日光を避け、開封後は普通牛乳と同様、10℃以下で冷蔵保存し早めに飲んでください。

https://nyukyou.jp/dairyqa/2107_013_464/

「常温保存可能品」と表示された牛乳ロングライフ牛乳)が、冷蔵庫に入れなくても日持ちするのはなぜですか?

A

nswer

生乳も容器も滅菌し、無菌状態を保ち製造しているためです。原料は冷蔵保存が必要牛乳と同じ生乳で、保存料などの添加物を使っているわけではありません。

種類 容器

もっと詳しく読む

ロングライフ牛乳」「LL牛乳」と呼ばれる「常温(外気温を越えない温度)保存可能品」は要冷蔵牛乳栄養には差がありません。保存料などの添加物は、一切使われていませんが、加熱殺菌や充填の工程に次のような違いがあります

●生乳を滅菌していること

冷蔵牛乳は、120~130℃、1~3 秒間殺菌しますが、LL牛乳は130~150℃、1~3 秒間で滅菌します。

●容器が違うこと

LL牛乳使用しているのはアセプティック容器と呼ばれ、紙容器にアルミ箔を貼り合わせ、光と空気遮断しています

冷蔵牛乳容器にはアルミ箔は使われていません。

アセプティック容器とは:アセプティック技術(無菌充填技術)を用いて食品を包装する容器

アセプティック容器とは:アセプティック技術(無菌充填技術)を用いて食品を包装する容器

無菌状態を保てる方法製造すること

清浄エアーを送り込んだ無菌環境下で、滅菌した容器に、加熱滅菌した牛乳無菌状態で充填します。

それ以外にも、生乳の細菌数、アルコール試験、容器の破裂強度など、常温で保存できるように食品衛生法の「乳及び乳製品の成分規格等に関する命令(乳等命令)」により基準が定められています

Permalink |記事への反応(0) | 11:22

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2025-10-01

自分作画」をノイズ認定…頂戴して誠に有難き幸せ←出来る?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20250930/1759244374

批判する自由」「言わぬが花知らぬが仏だった」「呼ばわり無問題のェビデンス」どこいったんすかね

つ…か…五老星涌くとかマ…?せめて…尻尾…てことに…?

とある馴れた環境こそをガンギマル御様子

権力マジョリティの成す事は正義

逆らう者は社会的に処す処す

ショセイ・ジツがタツジンワザマエゴウランガ!

清浄か静寂かなんかに百年でも邁進するこそが正…解…

それにつけても法華狼の作文の価値って?

「僕の心のヤバイやつ」のアニメ

かわぐちかいじの「ジパング」のアニメ

新谷かおるの「バランサー

改変こそヨロシサンどうぞどうぞ

出したり引っ込めたりではあるまいね

なおアツギ宇崎ちゃん戸定梨香温泉娘に撮影会への仕打ちに対して

とある「メイン」を推してた表現自体を「ノイズ」扱い

通しちゃっとるんだなあこれが

五老星しぐさぶちこむベキベキ本来の順番って?

ああでも所詮結局無理か生涯の蓄積が名誉ーク程度では

やっぱりやはり出したり引っ込めたりの性根百までかもしれないて

Permalink |記事への反応(3) | 19:29

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2025-09-21

ロクソドン抹消かよってレベルでガズバンと化すの割と多いまた

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20250919/1758293264#bbutton

とある馴れた環境こそをガンギマル御様子

「人気者」の成す事は正義

逆らう者は社会的に処す処す

ショセイ・ジツがタツジンワザマエゴウランガ!

清浄か静寂かなんかに百年でも邁進するこそが正…解…

自らが報われるベキベキか報われなくてもヨロシサン

なお法華狼の作文の価値は…しゾ

批判する自由カスゴミクズ扱いて

ノイズ呼ばわりを「ただぐっとこらえるベキベキ」撒き散らすホンタイ尻尾かなんか乙

それにつけても「自ら」が「その程度かまされても」ヘッチャラへのへのかっぱと胸を張れるとかは

誰もアッピル出来ないのである…根…拠…

作品プロファイリングとやら」「自爆特権ゾンビ嘘吐き恥知らずクズ呼ばわり」法華狼えっ?

Permalink |記事への反応(0) | 00:35

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2025-09-18

ロクソドン抹消しちゃうんかなあってレベルでガズバンと化すの割と多

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kai-you.net/article/93374


ガズバンの中でひとつでもあらせられるんだろうか

自らがノイズ扱いされて以降「貫徹継続」を当然視できてる

なんて状態の発揮を強いられとるってのは

寧ろ仕打ちへのザッケンコラーこそを祈る…が…ムジュン


過去プロファイリングぶっこんでも俺が

マジホントどうにもならんし

「ガズバン」の「今現在」だけにすっか


とある馴れた環境こそをガンギマル御様子

「人気者」の成す事は正義

逆らう者は社会的に処す処す

ショセイ・ジツがタツジンワザマエゴウランガ!

清浄か静寂かなんかに百年でも邁進するこそが正…解…

自らが報われるベキベキか報われなくてもヨロシサン

なお法華狼の作文の価値は…しゾ

Permalink |記事への反応(0) | 03:53

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2025-09-13

anond:20250913142216

紫雲=院殿=政誉=清浄=晋寿=大=居士

Permalink |記事への反応(0) | 14:25

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2025-09-10

朝方、自分の屁が臭過ぎて目が覚めた

寝ている最中に屁をこいていたようで、朝4時ぐらいにあまりの臭さに目が覚めた。

こんなのは初めての経験だった。とんでもない硫黄臭だ。そのせいか空気清浄機くんの猛り狂った怒りの空気清浄化フル稼働音もすごかった。この音で目覚めた説はある。

Permalink |記事への反応(1) | 10:26

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2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-09-04

anond:20250904152356

feat司馬遼太郎

生田の丘、夢の残響

多摩生田、その高台に立つとき、人は時代狭間に立つ。眼下には東京の光が、無数の星屑のように瞬く。新宿ビル群が夜を切り裂き、国会議事堂の重々しい影が、権力の中心を静かに物語る。小田急線は、この丘からわずか三十分で日本心臓部へと人を運ぶ。一方、背を向けると、相模湾潮騒が寄せ、片瀬江ノ島の風光が柔らかく誘い、箱根の山々が清冽大気を湛えてそびえる。この地は、都会と田園、権力牧歌過去未来交錯する一瞬の結節点であった。まるで、人の運命歴史の奔流に翻弄されるように、生田の丘は静かにその姿を晒している。

彼――かつて私が友と呼び、共に少年の夢を語り合った男――にとって、この生田風景は魂の故郷だった。昭和残響が漂う住宅街、どこか懐かしく穏やかな家々の連なり。高台から眺める東京の光は、彼が少年の日に心奪われた「なろう小説主人公」のような輝かしい人生を映し出す鏡だった。レムやエミリアウマ娘に愛され、逆境を跳ね返し、オープンカー美少女を乗せて江ノ島の海沿いを疾走する自分。彼はそんな幻を追い、信じた。だが、歴史は無情である東京の光は彼を招かず、箱根清浄な山々も彼を癒さなかった。人の夢は、時代という大河の流れに抗う術を持たない。

彼はかつて自衛隊に身を置き、特殊戦闘の技を磨いた男だった。戦場の風を肌で知り、鉄と火薬匂いの中で生きる術を学んだ。だが、隊を離れた後の人生は、まるで戦国落武者故郷を失うように、坂道を転がる石の如く零落れていった。南ウクライナの戦野で、彼は「悪のロシア」を倒す「電光超人グリッドマン」になる夢を見た。自衛隊で鍛えた技、国内戦闘スクールで学んだ奥義を手に、盾の勇者の如く成り上がろうとした。だが、戦場現実は、物語の甘美な約束を裏切る。戦車戦闘機の鉄の嵐が吹き荒れ、彼は誰が放ったかも知れぬ砲弾に倒れた。藁束のように、儚く、無惨に。

彼の死を伝え聞いた私は、ロシア語のニュースと、彼の母から漏れ聞く断片的な話を繋ぎ合わせ、彼の足跡をたどった。自衛隊のどの部隊にいたのか、その輪郭がかすかにかぶ。だが、なぜ彼がそこまで墜ちていったのか。その問いは、まるで戦国末期の武士時代の奔流に飲み込まれる姿を思わせる。歴史は、個人の夢を冷たく見下ろすものだ。

誰が彼を笑えようか。夢を追い、挫折に苛まれた彼と、社畜として日々すり減る私。その差は、歴史のページに記されぬ一瞬の差に過ぎない。彼は、少年の心を捨てきれなかった男だった。アニメ美少女に愛され、なろう小説英雄のように無双し、人生を逆転させる――そんな夢を、燻りながらも捨てきれなかった。生田配水池の高台に立ち、東京の灯を眺めながら、彼はかつて私に語った。「ウクライナロシアを倒し、サムライとして立つ」と。あの光の中心、高級住宅街に住む美少女たちを手に入れるのだと。それは、戦国若武者が天下取りを夢見たような、幕末若者洋装文明を前に刀を握りしめたような、純粋で危うい野心だった。

大人になること、それは夢を諦め、野心を折り畳むことだったのかもしれない。彼はそれを拒んだ。少年の心を抱えたまま、齢を重ねた彼は、うまくいか人生と、彼を嘲笑社会に怒りと悲しみを募らせた。その生の感情は、まるで戦国の世に生きた男たちが、己の無力を嘆きながらも刀を握った姿を思わせる。誰がそれを否定できようか。私にはできなかった。

彼は南ウクライナの地で、命を燃やし尽くして死んだ。友として、私はそう信じたい。生田の丘に立ち、東京の光と箱根の山々を眺めるたび、彼の夢と挫折が胸に去来する。あの風景は、彼の魂を映す鏡だった。だが、鏡は冷たく、ただ現実を映すのみである歴史は、人の夢を飲み込み、ただ風の音だけを残す。

彼はなぜ、都会と自然過去現在狭間で踏みとどまれなかったのか。その答えは、ウクライナの戦野に散り、箱根の山風に消えた。人の命は、時代という大河に浮かぶ一葉の舟に過ぎない。生田の丘に立つ私は、ただその舟の行方を思い、静かに目を閉じる。風が吹き、江ノ島潮騒が遠く響く。歴史は、ただ黙して進む。

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2025-08-28

anond:20250828202210

神酒清浄食べ物として神棚に供えるしね。でもタバコは基本供えない。不浄のもの

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2025-08-21

anond:20250821104420

包茎粗チンの方が清浄貞淑高潔というのが当時の観念

ダビデ正義ヒーローからそのようにつくられてるってのは常識常識

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2025-08-15

何故、馬鹿狂犬病ワクチンを嫌うのか

また、Xで狂犬病ワクチンを打つ打たないが話題になっている。

ワクチンに対する是非の問題個人思想の自由なのでとやかく言うわけにはいかないが、ワクチン接種自体義務なのでしないなら犬を飼うな、以上の言葉はない。

だが、不思議じゃないだろうか?

なんで彼らはそこまでしてワクチン接種を嫌うのか。

それを個人独断偏見暴言説明しよう。

 

狂犬病が怖い

 

そもそも彼らは狂犬病が怖いのである

こういうと不思議に思う人がいるかもしれない。

「じゃあワクチン打てばいいじゃん」と思うのが普通だ。

しかし彼らはそこで”狂犬病を見ない”という選択を取ったのである

 

考えてみてほしい、致死率100%なんていう病気がこの世に実在するのは恐怖しかない。

世界中を混乱させた新型コロナだって65歳以上と絞った上で4%前後だ。

ちなみにワクチンを接種することでこれが2.4%まで下げられるらしい。

 

そんな死神のようなウィルス自分が住んでいる世界存在している、その事実が彼らは怖いのだ。

からその存在を”否定”するか”自分関係ない世界”の話にしたいのだ。

よく狂犬病ワクチン否定する人の中に「日本狂犬病を根絶したから打つ必要はない」という人を見かけないだろうか?

それが後者タイプ人間だ。

狂犬病と言う恐ろしい病気は遠い海を渡った異国の世界の話であり、日本には関係がない”と思い込みたいのだ。

その道理が通るなら新型コロナウィルスだって中国国内で治まっているか日本アメリカまで感染が広がることはないのだが。

 

当然だが、国内での狂犬病を根絶したからと言って、今後100%国内で出ないとは言い切れない。

そもそも狂犬病と言うのは哺乳類全般がかかる病気であり、海外ではコウモリキツネ、猫等が媒体となっていることは有名だ。

日本ではあまり見られないが、飼い猫にも狂犬病ワクチンを打つべきだという人も少なくはない。

外来種問題がここまで有名になっている昨今、海外から持ち込まれ動物媒介者となって再び日本狂犬病が出る可能性は、国際化が進んでいる昨今の方がリスクが高い。

そうなっていないのは、航空や港で水際対策をしている人たちの陰ながらの努力のおかげでしかない。

 

想像力の偏り

 

ワクチンを反対する人の中に、副作用による死亡を危惧する人も少なくない。

事実副作用によって死亡したケースも存在する。

麻布大学論文によると15年間で打った7257万3199回のワクチン接種のうち重篤副作用発症したのが317件でそのうち死亡したのが71件あった。

重篤副作用が起こる可能性が0.4%であり、死亡率はさらに低いことになる。

こういうことを言うと、この人たちは必ずと言っていいほど「でも0%じゃない!可能性はある!」と声高に叫ぶ。

人が1年間のうちに交通事故にあう可能性は1-2%と言われているが、これを知ったら狂犬病ワクチンに反対する人は外出できなくなるんじゃないかと私は心配である

なにせ狂犬病ワクチン副作用の2倍の確立である

私も先月、愛車をぶつけられたばかりだ(涙)

 

もちろん、そんなこと心配して外出しない反対派はいないだろう。

では、どうしてそこまで彼らが0%に拘るのか、と言われれば”愛犬の死は想像やすいから”だ。

巷にもペットとの死別の話は山のように存在しているし、ドラマ映画等々で映像で見ることも多い。

からこそ「もし、自分の大好きなペットが死んだら……」という想像は容易い。

 

では狂犬病はどうだろう?

これを書いている私も狂犬病患者を診たのはブラックジャック漫画の中くらいだ。

実際、日本清浄国になったのは1957年であり、大体70歳以下の人は少なくとも国内で見たことがある人はまずいないだろう。

身近な病気ではないので創作物でもなかなか取り上げられることはなく、どんな病気なのかもわからない人もいるだろう。

 

この結果、何が生まれるかと言うと、想像やすい愛犬の死を致死率100%病気と比べて前者を優先してしまうのだ。

ちなみに狂犬病での世界の死亡者数は年間で5万5千人であり、万が一この病気がまた日本蔓延すれば、71匹など目ではない人数の人間と犬が死ぬ

だが、彼らには年間5万5千人の死亡者は見えない、見ようともしない。

遠い異国の何万人の死亡者想像できない。

半世紀前にはその病気日本にも存在して猛威を振るっていたけど、現在はないか想像できない。

もしその病気日本に渡ってきたら数多くの人や犬が死ぬかもしれないけど想像できない。

でも、身近な愛犬の死は想像できるから死亡率0.4%以下のワクチン忌避したい。

だ っ て 想 像 力 が 偏 っ て る か ら。

 

そうやって狂犬病の恐ろしさから目をそらしてワクチンに反対しているのだ。

 

もちろん、重篤副作用から犬を護るために安全性を高めることを製薬会社に求めるのは間違っていない。

たとえ0.4%でも自分の愛する家族へのリスクが減ることに越したことはない。

可能な限り0に近づける努力をすることは製薬会社義務である

愛犬を護るために打ったワクチンで、苦しむ犬が少しでも減ることは大事ことなのだからちゃんワクチンを打ってる人がそれを求めるのは当然の権利だ。

 

不勉強勉強

 

陰謀論にハマってしまった人に対して「不勉強勉強家」と表現する人がいる。

これは、何かに対しての不安を解消するのに自分が信じたい情報だけを集めて間違った考えを強固にしていく人を指している。

狂犬病ワクチンの反対派にも言えることだ。

おそらく、最初は小さな気持ちが始まりだったのだろう。

注射を嫌がる愛犬を見て心を痛めたり、ワクチン費用の出費が痛かったり、ただ単純に連れて行くのが面倒だったり。

そうした時にふと沸き上がった”ワクチンて本当に必要なの?”という不満。

そう思ってネット検索すれば、その自分気持ち肯定してくれる情報が次々と見つかってくる。

「やっぱり自分は間違ってなかったんだ!」という歪な承認欲求が満たされ、さらに”自分肯定してくれる”情報ばかりを集めていく。

都合のいい情報ばかり集めて自分肯定し、安心を得ているからこそ、それを否定する人たちに強く反発する。

だって、それを否定されたら安心できないから。

だって、それを認めたら自分否定されたと思うから

そうやって否定する人を遠ざけて、自分にとって都合のいい人たちだけ集めてお互いにいい子いい子して安心している。

それが”不勉強勉強家”の哀れな姿である

 

最後

 

狂犬病ワクチンの接種は飼い主の義務であり、これを拒否する人間は犬を飼う資格はない。

日本はそういう風にルールを敷いているので、それが嫌なら日本を出ていくしかない。

文句があるなら法律を変えてくれる政治家を探すか自分政治家になればいい。

ワクチンを打った上でワクチンに疑問を呈するのは何ら問題はない、それは認められている。

そういった最低限の義務も果たさずに文句を言ったとしても、誰も受け入れてくれるわけがないのだ。

 

最後にとやまソフトセンターyoutubeチャンネルでは毎年、狂犬病予防接種会場の様子を編集してあげている。

飼い主とワンちゃん悲喜こもごもな様子はとても面白いで興味がある方は是非、見てほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 11:45

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何故、馬鹿狂犬病ワクチンを嫌うのか

また、Xで狂犬病ワクチンを打つ打たないが話題になっている。

ワクチンに対する是非の問題個人思想の自由なのでとやかく言うわけにはいかないが、ワクチン接種自体義務なのでしないなら犬を飼うな、以上の言葉はない。

だが、不思議じゃないだろうか?

なんで彼らはそこまでしてワクチン接種を嫌うのか。

それを個人独断偏見暴言説明しよう。

 

狂犬病が怖い

 

そもそも彼らは狂犬病が怖いのである

こういうと不思議に思う人がいるかもしれない。

「じゃあワクチン打てばいいじゃん」と思うのが普通だ。

しかし彼らはそこで”狂犬病を見ない”という選択を取ったのである

 

考えてみてほしい、致死率100%なんていう病気がこの世に実在するのは恐怖しかない。

世界中を混乱させた新型コロナだって65歳以上と絞った上で4%前後だ。

ちなみにワクチンを接種することでこれが2.4%まで下げられるらしい。

 

そんな死神のようなウィルス自分が住んでいる世界存在している、その事実が彼らは怖いのだ。

からその存在を”否定”するか”自分関係ない世界”の話にしたいのだ。

よく狂犬病ワクチン否定する人の中に「日本狂犬病を根絶したから打つ必要はない」という人を見かけないだろうか?

それが後者タイプ人間だ。

狂犬病と言う恐ろしい病気は遠い海を渡った異国の世界の話であり、日本には関係がない”と思い込みたいのだ。

その道理が通るなら新型コロナウィルスだって中国国内で治まっているか日本アメリカまで感染が広がることはないのだが。

 

当然だが、国内での狂犬病を根絶したからと言って、今後100%国内で出ないとは言い切れない。

そもそも狂犬病と言うのは哺乳類全般がかかる病気であり、海外ではコウモリキツネ、猫等が媒体となっていることは有名だ。

日本ではあまり見られないが、飼い猫にも狂犬病ワクチンを打つべきだという人も少なくはない。

外来種問題がここまで有名になっている昨今、海外から持ち込まれ動物媒介者となって再び日本狂犬病が出る可能性は、国際化が進んでいる昨今の方がリスクが高い。

そうなっていないのは、航空や港で水際対策をしている人たちの陰ながらの努力のおかげでしかない。

 

想像力の偏り

 

ワクチンを反対する人の中に、副作用による死亡を危惧する人も少なくない。

事実副作用によって死亡したケースも存在する。

麻布大学論文によると15年間で打った7257万3199回のワクチン接種のうち重篤副作用発症したのが317件でそのうち死亡したのが71件あった。

重篤副作用が起こる可能性が0.4%であり、死亡率はさらに低いことになる。

こういうことを言うと、この人たちは必ずと言っていいほど「でも0%じゃない!可能性はある!」と声高に叫ぶ。

人が1年間のうちに交通事故にあう可能性は1-2%と言われているが、これを知ったら狂犬病ワクチンに反対する人は外出できなくなるんじゃないかと私は心配である

なにせ狂犬病ワクチン副作用の2倍の確立である

私も先月、愛車をぶつけられたばかりだ(涙)

 

もちろん、そんなこと心配して外出しない反対派はいないだろう。

では、どうしてそこまで彼らが0%に拘るのか、と言われれば”愛犬の死は想像やすいから”だ。

巷にもペットとの死別の話は山のように存在しているし、ドラマ映画等々で映像で見ることも多い。

からこそ「もし、自分の大好きなペットが死んだら……」という想像は容易い。

 

では狂犬病はどうだろう?

これを書いている私も狂犬病患者を診たのはブラックジャック漫画の中くらいだ。

実際、日本清浄国になったのは1957年であり、大体70歳以下の人は少なくとも国内で見たことがある人はまずいないだろう。

身近な病気ではないので創作物でもなかなか取り上げられることはなく、どんな病気なのかもわからない人もいるだろう。

 

この結果、何が生まれるかと言うと、想像やすい愛犬の死を致死率100%病気と比べて前者を優先してしまうのだ。

ちなみに狂犬病での世界の死亡者数は年間で5万5千人であり、万が一この病気がまた日本蔓延すれば、71匹など目ではない人数の人間と犬が死ぬ

だが、彼らには年間5万5千人の死亡者は見えない、見ようともしない。

遠い異国の何万人の死亡者想像できない。

半世紀前にはその病気日本にも存在して猛威を振るっていたけど、現在はないか想像できない。

もしその病気日本に渡ってきたら数多くの人や犬が死ぬかもしれないけど想像できない。

でも、身近な愛犬の死は想像できるから死亡率0.4%以下のワクチン忌避したい。

だ っ て 想 像 力 が 偏 っ て る か ら。

 

そうやって狂犬病の恐ろしさから目をそらしてワクチンに反対しているのだ。

 

もちろん、重篤副作用から犬を護るために安全性を高めることを製薬会社に求めるのは間違っていない。

たとえ0.4%でも自分の愛する家族へのリスクが減ることに越したことはない。

可能な限り0に近づける努力をすることは製薬会社義務である

愛犬を護るために打ったワクチンで、苦しむ犬が少しでも減ることは大事ことなのだからちゃんワクチンを打ってる人がそれを求めるのは当然の権利だ。

 

不勉強勉強

 

陰謀論にハマってしまった人に対して「不勉強勉強家」と表現する人がいる。

これは、何かに対しての不安を解消するのに自分が信じたい情報だけを集めて間違った考えを強固にしていく人を指している。

狂犬病ワクチンの反対派にも言えることだ。

おそらく、最初は小さな気持ちが始まりだったのだろう。

注射を嫌がる愛犬を見て心を痛めたり、ワクチン費用の出費が痛かったり、ただ単純に連れて行くのが面倒だったり。

そうした時にふと沸き上がった”ワクチンて本当に必要なの?”という不満。

そう思ってネット検索すれば、その自分気持ち肯定してくれる情報が次々と見つかってくる。

「やっぱり自分は間違ってなかったんだ!」という歪な承認欲求が満たされ、さらに”自分肯定してくれる”情報ばかりを集めていく。

都合のいい情報ばかり集めて自分肯定し、安心を得ているからこそ、それを否定する人たちに強く反発する。

だって、それを否定されたら安心できないから。

だって、それを認めたら自分否定されたと思うから

そうやって否定する人を遠ざけて、自分にとって都合のいい人たちだけ集めてお互いにいい子いい子して安心している。

それが”不勉強勉強家”の哀れな姿である

 

最後

 

狂犬病ワクチンの接種は飼い主の義務であり、これを拒否する人間は犬を飼う資格はない。

日本はそういう風にルールを敷いているので、それが嫌なら日本を出ていくしかない。

文句があるなら法律を変えてくれる政治家を探すか自分政治家になればいい。

ワクチンを打った上でワクチンに疑問を呈するのは何ら問題はない、それは認められている。

そういった最低限の義務も果たさずに文句を言ったとしても、誰も受け入れてくれるわけがないのだ。

 

最後にとやまソフトセンターyoutubeチャンネルでは毎年、狂犬病予防接種会場の様子を編集してあげている。

飼い主とワンちゃん悲喜こもごもな様子はとても面白いで興味がある方は是非、見てほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 11:45

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2025-08-03

anond:20250801135515

そもそも、こと恋愛結婚において、すべての人は差別的である

 

そのとおり!!

 

から、誰かを愛するということは、それ以外の優先順位を下げるということだし、

何かを神聖もの清浄でsacredなものとして崇めることは、そうでないもの不道徳で穢れたものとして忌避軽蔑することになる。

 

被差別部落問題を追求すると天皇制にたどり着いて皇室解体を主張することになる(一般人は脱落する)のと同じか

 

人間は業が深いなあ……

 

AV女優を使った写真館vs清浄イメージウェディングドレス写真欲しい勢の争いは、

ワイの目にはどっちも悪くないと見えるので、どっちも誇りを持って折れずに頑張って欲しい。

赤勝て白勝て!フレーフレー

Permalink |記事への反応(0) | 15:34

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2025-07-22

anond:20250721234915

選挙に負けたら責任取って切腹自殺するべきだよな

この国の政治清浄にならないのは敗者には死を与えるというペナルティがないからだ

Permalink |記事への反応(0) | 14:53

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2025-07-13

不祥事を起こした政治家はもれなく死刑にするべき

不適切発言をした政治家ももちろん死刑

そうしないと清浄なる政治は実現しえない

Permalink |記事への反応(0) | 02:13

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2025-07-11

anond:20250711103550

みんな自分のことは普通だと思ってるんですよ

青き清浄なる世界のために、私には皆さんを導く使命があります

Permalink |記事への反応(0) | 10:39

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2025-06-25

anond:20250625115934

エアコンとは、正式名称を「エアコンディショナー(Air Conditioner)」といい、室内の空気温度湿度などを調節する空調設備のことです。

日本では1950年代に初めて国産エアコン製造され、当時は「クーラー」と呼ばれていましたが、冷房機能だけでなく暖房機能も持つようになったことで「エアコン」という名称一般的になりました。現在、家庭で使われている空調機器ほとんどは、冷暖房兼用エアコンです。

エアコンの主な働きは以下の通りです。

温度調整(冷房暖房): 部屋の温度を快適な状態に保ちます

湿度調整(除湿): 部屋の湿度を下げて、じめじめ感を解消します。

空気の循環(気流の分布): 部屋全体に空気を循環させます

空気清浄(除塵・空気の汚れ):フィルターを通して空気中のホコリや汚れを取り除きます

エアコンの仕組みは、主に「冷媒れいばい)」という特殊なガスが、液体と気体を行き来する際に熱を吸収したり放出したりする性質を利用しています

具体的には、エアコンは「室内機」と「室外機」で構成されており、これらが配管でつながっています

冷房場合:

室内機が室内の暖かい空気を取り込み、熱交換器で空気中の熱を冷媒に伝えます

熱を吸収した冷媒は気体になり、室外機へ送られます

室外機で冷媒圧縮されると高温になり、室外機の熱交換器で外へ熱を放出します。

熱を放出した冷媒は液体に戻り、膨張弁で圧力を下げられ、さらに低温になります

低温になった冷媒が再び室内機に戻り、このサイクルを繰り返すことで、室内の空気が冷やされます

暖房場合:

冷房とは逆の働きで、室外機が外の空気から熱を取り込み、冷媒に伝えます

熱を吸収した冷媒は室外機で圧縮され高温になり、室内機へ送られます

室内機の熱交換器で冷媒が熱を放出し、その熱が暖かい風として室内に送られます

熱を放出した冷媒は液体に戻り、膨張弁で圧力を下げられ、室外機に戻ります

このサイクルを繰り返すことで、室内の空気が暖められます

このように、エアコン冷媒という熱を運ぶ物質を循環させることで、室内の熱を外に移動させたり、外の熱を室内に取り込んだりして、快適な室温を保っているのです。

Permalink |記事への反応(2) | 14:20

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2025-06-23

未だにボタンひとつしかないエアコンが無いのは何故だ?

なんか色々センサーついてんだから夏でも冬でもボタンひとつエアーコントロールしてくれや

人間様を煩わせんな

冷房暖房除湿空気清浄もカビショックも自動洗浄も勝手にやってくれ

Permalink |記事への反応(2) | 00:36

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2025-06-10

anond:20250610004618

銀河に決まってんだろ

森羅万象担当大臣紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士聖帝閣下辞書不可能文字はない

Permalink |記事への反応(0) | 02:00

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2025-06-05

ジークアクスの感想(9話まで雑に語る)

なんか薔薇の正体出て来た所で終わっちゃいましたね。

来週大気圏近くでドンパチ?

マチュは緑のおじさんの鉄砲玉かな?

マチュがかわいそう、という意見もあるけど、俺は全然思わないなあ。

何かバカな女がガンダムパチった結果、違法バトルで小金稼いで、好きな男と地球に行きたいから仲間の金庫を襲って強盗してエッホエッホ → ジオン軍に捕まりました、としか

シャリアさん、今回GJ!! としか

見事な泳がせ具合、と。

後、主人公としての魅力に欠けるのよね……何か感情だけで生きているとか。

特に一番見損なったのが7話の空調機(意味深)がコロニーで暴れている時なんですよ。

歴代人気主人公ガンダムに乗って戦っているシーンを比較すると……

アムロ「サイド7でザクが暴れやがって!! これがガンダム? ええい、このスイッチだっ!!」

カミーユ「ホンコンシティサイコガンダムが暴れている? サイコガンダムを退治しに行かなきゃ!!」

ジュドーダブリンの街ボロボロだけど、サイコガンダムMK.IIが現われた? 倒さないと!!」

キラコロニーが危ない!! 何だこのひどいプログラムは!! カタカタカタ、ターン!! ナイフしかないや!! ええい、取り敢えずあのジンに刺しちゃえ!!」

マチュ「シュウジ地球に行くためにアンキー達の金庫から金盗もう。アンキー五月蠅いから発砲しちゃおう。鞄に紙幣を入れてエッホエッホ」

何この差……ガンダム主人公のやることじゃあねえよ……

ジークアクスがスパロボ参戦の時、これどーすんだよ……w

どんなシナリオにするのか悩むじゃねーかw

あの強盗しているシーン再現したら最高に笑うw

寧ろ再現してくれw

別に無理に戦えっていうわけじゃあないんだけど、何か違うんだよなあ……まああの回自身ひとつなんですが。

自分の半径2mしか見えてない人、って感じで。

もしかして2mも見えてないかもしれない。

あの回でもっと容赦なくサイコガンダムが暴れ回って、サイド6をめちゃめちゃにして義憤に駆られてジークアクスで立ち向かっていたのならともかく……と。

カミーユなんかよく「MK.IIパチってMPバルカン斉射して「ザマあないぜっ!!」って喜んでいるアレな主人公」というのはあるけど、そこに至るまである程度理由表現されているのよね……

カミーユという名前が女っぽいということで馬鹿にされやすいからそれに対する反発、ティターンズのジェリドに馬鹿にされてタコ殴りにされて、というのはあるけど、そこにはティターンズへの怒りなどある程度ストーリーが描かれているわけで。

そこから自分感情暴走させながらも、世界を良くしようと偽名のグラサン男(仮名某氏ニュータイプのなり損ないが!」)を「修正」しながら戦っているから支持されるわけであって。

ジュドー根底には「妹のリィナの出来がいいから、山の手学校に通わせてやりたい」というのがあるから、致命的なまでに酷いことはしない。

Ζガンダムパチろうとしたけど、まあなし崩しにアーガマに乗ってΖΖで戦う事になるわけで。

まあ弁当を落とした時のファのビンタが堪えたからだろうというのもあるだろうけど。

あの後シンタとクムが落ちた弁当を集めようとしているのがより一層……

キラに関しても「コロニー壊されて超ヤベー!! 友人を救いたいんだ!!(カタカタカタ、ターン」なわけで。

(この際「本気になったらサイがボクに敵うわけないだろ!」は置いておこう。友人の彼女を寝取る(2回も!!)というややアレな人格だがwやはりNTRは滅ぼさなくてはならない、青き清浄なる世界のために!!)

ガンダム主人公って、基本的自分感情を元に動きながらも、それを正しい方向に向けていこうとガンダムに乗るから支持されるんだと思うのよ。

(あー……Hサウェイ(仮名)さんは取り敢えず置いとこう。続編マダー?)

まあガロード場合ティファを、フリーデンの面々を守りたい、という感情でやっている側面多いが……

マチュにはそれがないんだよな……「地球行きたい、シュウジお金クラゲになりたい、キラキラ!!」と……

ジュドーみたいに生活がかかってないから、生活費や学費は両親が健在でお小遣いとかも心配しなくてもいい、という恵まれ環境なんだよな……自分欲望のためだけに、と。

何かそういう意味で俺の中では既に「(マチュは)もうどうなってもいいや」。

まあ正直な話俺の中ではジークアクスはシャリア・ブル、ジオン系の話ともう切り替えている。

その辺しか魅力がないんだよなあ……

マチュは上に話した通りだし、シュウジは一体何がしたかったのかわけわからんまま退場だし、ニャアンはまだありそうだけど、正直このメインのはずの3人に魅力がないんだよなあ……

緑のおじさんのやりたい放題(Beginingでのシャアとの絡み、ランドムーバーで空からエグザベ君救出、キケロ無双、マチュをシャロン薔薇探しパシリに使う等)の方が面白いんだが。

後、2話がピークだったと思う。

8話の前半部分も。

それと何かキラキラといえば何やってもいい、と思ってないか、と。

ガンダムで「取り敢えずサイコフレーム光らせれば何やってもヨシ!!」というのと同じ感覚キラキラ乱用しすぎじゃあありませんか、と。

あいう超常パワーなんていうのはラストの方に1回か2回程度を入れる程度がいいのに、もう最近では何回も入れてインフレさせて、というのはガンダムとしてはどうなのよ、と。


00800083ではそういうのは基本的になくって、ガンダムって基本的にそういう通常戦力的な物がメインで、だと思うのよ。

もうなんか「サイコミュサイコフレームと言えば何やっても許されるヨシ」という勘違いをした某ガンダムを作ったのはかなりどうかと思わないでもない。

それはそうと今回ジオン水泳部が健在で安心したなw

ゴッグズゴックマッドアングラーと出ていたし。

Permalink |記事への反応(1) | 01:31

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2025-06-02

昭恵「私がプーチンを惹きつけてる間にヤれ」

ウクライナはい

ドローン襲来!

ってこと?

流石、紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士の嫁だわ

Permalink |記事への反応(0) | 19:00

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2025-06-01

anond:20250531193457

紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士についてどう思う?

Permalink |記事への反応(1) | 00:15

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2025-05-28

anond:20250528164501

紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士

Permalink |記事への反応(0) | 17:22

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2025-05-25

anond:20250523144238

一方で女性向けコンテンツでラリってる人への笑いというかツッコミ機能がこの社会にはまだ弱いのじゃないだろうか。

巨乳エルフやろこれ」って思っちゃうんだよなぁ

その「女性慰撫コンテンツ性」ってやつ

聖女言いがかりから追放爵位持ちのアルファオス(現代ものだと最年少のイケメン部長とか)が出てきて契約結婚のち溺愛みたいな、広告でよく出てくるベタパターンをだいたいそのまんま踏襲してきやがる感じの

社会派で言うと朝ドラで散々擦られてる「おなごはつまらん! 損!!」みたいなお決まりフェミ要素みたいな(そしてそういうのやるだけやって、結局話が進むと普通にアルファオスや理解のある彼くんを掴んでたりする)

果たしてターゲットであるところの女性の皆様が巨乳エルフバーン! をちゃん巨乳エルフ認識できているのか、謎ではあるが


個人的には何が流行ろうがどうでもいいし、好きにすりゃいいだろうとは思いつつも

自分推しコンテンツをすぐ社会正義にかこつけてイキるのが大好きで、しまいにゃ少年ジャンプにまで堂々とジェンダーフリー思想を求めてくる勢力まで現れて

一般コンテンツがどんどん見かけ上ポリコレ清浄化されていく中で、いきなりそういうのガン無視上等の実写ドラマがポンと出てきやがるのは何なんだと思う

性別ひっくり返したらなろう系の「欲望構造丸出し」って言われるようなコンテンツとか

大昔の2chざまぁコピペの焼き直し以外なーんも中身がないようなめちゃコミック原作系とか

あとは「夫の浮気相手年下の男!?」とか詰めるにしたって詰め込みすぎだろメスの幕の内弁当かよオイってツッコミ入れたくなるような作品とか

さすがに落差デカすぎんだろ……と引くものは正直ある

つーか、他にネタ、ないのか


話をミッドサマーかに戻すと

日頃が国語増田言うところのフシダラ狩りに熱心な皆様まで、女向けと、あと左派思想が絡んだ時だけいきなりエログロ不謹慎バーン上等! みたいなノリになっちゃうので

そこのエアポケットがいつか大事故になんなきゃいいけどなぁ、って横目で見ているのでした

Permalink |記事への反応(0) | 17:54

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