はてなキーワード:混沌とは
アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
それも単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並みな結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。
そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ、というより藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさんの話を思い出す。彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされてるが。
かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
あと、付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画は否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。
子供が漫画コンテンツと社会の両輪で、我々以上にますます病む前に。
60年も昔のことを、昨日のように鮮やかに思い出す。
私がまだ若く、東京を初めて離れて地方の医学部に進学したあの日々、あのとき私はインターネットでバズった。
当時はまだインターネットというものが存在し、人々は匿名で、心の奥底に潜む偏見や本音を自由に吐き出していた。今の若い人には想像もつかないだろうが、その自由で残酷な世界は私にとって唯一の逃げ場だった。
『田舎者と貧乏人を初めて見た話』という記事を書いたとき、私は自分が特別なのだと、そして特別であることは誇らしいのだと無意識に思っていた。だがそのプライドは、地方という異文化にぶつかることでひび割れた。それを痛烈に書き殴った文章は炎上し、瞬く間に広まり、ネット上の議論を巻き起こした。
私はその騒ぎを内心で誇っていた。批判も賞賛も、自分という存在が世界に認められたという証だったから。私は東京に戻ったら、このエピソードを笑い話にするつもりだった。
地方の医学部を卒業して東京に戻った私は、思い描いたように一流の病院に勤めた。裕福な患者、華やかな社交、贅沢な日常。だが医師という仕事が人生を支配するにつれて、あの頃感じていた軽薄な違和感がより重く、より深く私の心を蝕んでいった。
インターネットというものが消えたのは、もう30年ほど前のことだ。あの自由で、混沌として、時に残酷な空間が突如として消えたとき、私は自分が完全に孤立したと感じた。
誰もが名札をぶら下げ、完璧な正論しか語れなくなった社会。私たちは匿名の自由を奪われ、自分の本音や偏見を心に深く埋め込み、表面では慈悲深い笑顔を保つことを強いられた。
今、病室で死を迎えようとしている私は、この現実に息が詰まるほど窮屈さを感じている。病院の窓から見える東京の景色は、高層ビルと緑が調和した美しい人工都市だ。しかし私にはそれがひどく偽物に映る。
私が本当に愛していたのは、東京そのものではなく、東京にいる自分が特別だという幻想だったのだ。地方で味わった衝撃は、決して私が優れている証拠などではなく、ただ単に私が狭い世界に閉じ込められていただけだった。
あの記事を書いてから60年、私はずっと心のどこかで、あの日インターネットでバズったという記憶を誇っていた。その誇りが空虚なものだったと気付いたのは、つい最近のことだ。
私はずっと匿名の世界でしか正直に生きられない人間だった。そしてインターネットという匿名の楽園が消え去ったあと、私はどこにも自分の居場所を見つけられなかった。
だから、せめてこの消えてしまったインターネットに向かって最後の言葉を残したい。
私が差別的で偏見に満ち、世間知らずで傲慢だったことを認める。
私が抱えていた違和感は、私自身が世界を本当に理解する努力を怠っていたせいだったと、今ならはっきりと分かる。
匿名だからこそ吐き出せた本音を、いつしか現実の自分から切り離してしまった。それが人生の最大の過ちだった。
もう遅いかもしれないけれど、今、ここで初めて私は自分の過ちを認める。
あるベテランゲーム開発者が「Game Passは業界を潰しかねない」と提唱して議論勃発。“ほかと共存できない”ビジネスモデルとして
そんなColantonio氏はユーザーの問いかけに返答するかたちでGame Passについての持論を展開。「Game Passは持続不可能なビジネスモデルであり、10年ほど(正確には8年間)マイクロソフトの“無限の資金”によって支えられながら業界にダメージを与え続けてきた」と主張。そしてGame Passが他のビジネスモデルと共存できるとは思えないとして、「他のビジネスモデルをすべて潰すか、撤退するかのどちらかになるだろう」との考えを伝えている。つまりGame Passがこのまま勢いを伸ばせば、買い切り型の従来のビジネスモデルなどは存続できないと考えているようだ。
また、続く返信で同氏は現状のGame Passについて「あまりにもお得なサービスなのでゲーマーだけが好んでいる」とも言及。とはいえ、ゲームへの悪影響が表れたときに、「最終的にはゲーマーでさえもGame Passを嫌いになるだろう」との見解を伝えている。具体的にどのような影響があるかは説明されていないものの、Game Passが独占状態となった際の市場を憂慮しているわけだろう。Game Passというビジネスモデルが業界に与える影響について、かなり批判的に見ている様子だ。
また直近ではRaccoonLogicの共同設立者兼クリエイティブディレクターであるAlex Hutchinson氏が海外メディアGamer SocialClubのインタビューにてGame Passについて言及。数年前まではGame Passへの提供で潤沢な契約金が提供されていたものの、最近では大型IPではない限りあまり大きな額は支払われなくなっていると伝えている。そしてこのまま発売初日に作品を提供する構造が続けば、パブリッシャーのいないスタジオは深刻な打撃を受けることになるだろうと警鐘を鳴らしていた(関連記事)。
Xboxの元幹部が警鐘「ハードウェアは死んだ」のか?岐路に立つゲーム戦略の行方
フライヤー氏は自身のYouTubeチャンネルで、「個人的には、Xboxハードウェアは死んだと考えています」と断言しました。その根拠として、Microsoftが最近発表したASUS製の携帯PC「ROGAlly」やMeta社のVRヘッドセットといった、外部企業とのハードウェア連携を挙げています。これらを自社開発・製造からの「緩やかな撤退」と見ており、「Xboxには意欲、あるいはハードウェアを自社で出荷する能力が失われたように見えます」と述べ、事業の終焉を示唆していると指摘しました。
また、現在のXbox戦略についても「混沌としている」と批判。「Xbox Anywhere」のスローガンを「中身のないマーケティング」と切り捨て、最終的な狙いは全ユーザーをサブスクリプションサービス「Game Pass」に誘導することにあると見ています。
さらに、「次世代のヒット作はどこにあるのか。25年後にXboxを気にかける人はいるのか」と問いかけ、過去の成功に依存する現状へ強い危機感を示します。Game Passは強力なサービスですが、そのためにハードウェアという柱を失ってよいのか、と彼女は疑問を呈しています。
母親がすげえ不謹慎で、人が死んだニュースとか見てケタケタ笑ってるような人でさ、べつに毒親とかってわけじゃねえし、楽しい幼少期ではあったんだけど、俺の倫理観はまあ、それなりのものになってしまったわけですよ(他責思考)
こう、なんだろうな ビョーキのガキの話とか聞いても、心の第一声は「くたばれ!」だったりするわけ
第二声あたりから軌道修正して、最終的な出力としては「かわいそうに、元気になるといいね」みたいな感じになるわけですが、とはいえ最初に脊髄反射で「死ね死ね死ね〜ッ!」的なことを思ってるという事実は否定できないので、なんだろうな、俺って根がカスの人間なんだな〜としみじみ思ってたわけ
でもね、そんな俺にも理解のある彼女ちゃんがいて、彼女はおそらく根が善なんだよ
アラインメントでいけば中立・善という感じで、ホント、いい人なわけ 俺は根本的に混沌・悪みたいなところがあり、そこに後付けの善性を塗りたくって、混沌・中立〜混沌・善みたいなところに見せかけている(混沌なのは部屋が汚いから)
もちろん俺は、心から、落ちろーッ!と思っていた
落ちて欲しい、苦しんで欲しい、死んで欲しい!
彼女とちいかわの話をするときには、「なんとか受かって楽しくやってほしいものだ」みてえなことをホザいてんだけど、deep down, 心の底では全然そんなことは思っていなくて、FUCK YOU, とにかく絶対に落ちて欲しい、ハチワレくんに気を遣われて帰った後、一睡もせずに天井を見つめながら泣いて欲しい、そんな気持ちが本心だった
最新話、受かってましたよねえ(多分)
ハチワレくんと、ようやく合格を実感して、喜びを分かち合うような回でしたよね
それを見て俺は、なんか、心から「良かったねえ」と思ったんだよ、ホントに!
一回「くっそ〜何受かってやがんだ、何とかここからやっぱり落ちてたことにならねえかな……」みたいなことを思ったあと、対外的な感想として良かったねえと思うんではなく、脊髄反射として出た、心からの感想として、良かったねえと思えたってコト
これはもう、アラインメントが善になったってことじゃないですか
他人の幸せを心から喜べる、そういう素敵な人間になりなさいよと、そういう素敵な人間というのはつまり俺ですと、そういうことじゃないですか
俺はやっと、マトモになれたってことなんだ
善 善 善
善人でありたい
俺は善 善です 善 俺はもう、混沌・善だ
あとは部屋が綺麗になったら、秩序・善かもしれない
俺が秩序・善になったらどうする???
この展示では、紛争下での性暴力の使用、その理由と手段、影響を受ける人々、そして被害者や生存者がどのように正義と和解を求めるのかについて探ります。
性暴力は戦争の混沌とした環境において、歴史を通じて繰り返されてきた一般的な結果の一つです。
被害者や生存者に深刻なトラウマを与え、家族を引き裂き、しばしば故郷や地域社会からの強制的な移動を強いる結果を招きます。
女性や少女がジェンダー格差のために特に影響を受けますが、男性、少年、LGBTQIAコミュニティのメンバーもまた被害を受けます。
性暴力はもはや戦争の避けられない副産物とは見なされておらず、国際法のもとで防止可能で、処罰の対象となる犯罪です。
ここで紹介されるケーススタディは第一次世界大戦から現代までにわたり、性暴力がどのように、なぜ起こるのかを明らかにします。同時に、生存と和解の物語も紹介されています。
この展示には、レイプ、性的屈辱(sexual humiliation)、拷問、児童虐待(child abuse)の事例が含まれます。
IWM(ImperialWarMuseum:帝国戦争博物館)は、この展示は16歳以上の鑑賞を推奨しています。
今回が、IWMにとって初めて、紛争下における性暴力の使用を調査することを目的とした展示です。
これまで歴史の中でこうした物語は軽視(marginalised)されたり、記録されなかったりしてきました。性暴力について語ることは、被害者や生存者にとっても、それを理解しようとする者にとっても困難です。
IWMではこれまで、性暴力の物語の収集を優先してきたとは言えません。そのため、この展示に含まれる一部の展示物は、被害者の直接的な証言や遺品に基づくものではなく、性暴力の構造や状況を象徴的に伝える「代表的な展示物(representative)」として配置されています。
(※訳注:「representative」とは、テーマを可視化するために、それとは直接関係しない「当時使われていた制服」「同時代の報道写真」「同じ構造を持つ別の証言」などを“代表例”として使って展示している、といったニュアンス)
私たちは、慈善団体や関係機関と協力して、倫理的に性暴力の事例を収集しました。また、可能な限り、被害者および生存者の同意(consent)を得た上で展示を行っています。
この展示で紹介しているケーススタディは網羅的なものではありません。性暴力は世界中の紛争の中で起き続けており、現在も進行中です。
本展示の導入映像では、紛争における性暴力の使用について語られています。以下の登壇者へのインタビューが含まれます:
Christina Lamb —サンデー・タイムズ紙チーフ外国特派員
DrPaul Kirby —クイーン・メアリー大学国際政治学准教授
Dr ZeynepKaya —シェフィールド大学国際関係学講師
Sarah Sands —G7ジェンダー平等諮問委員会 元委員長
Charu Lata Hogg —All Survivors Project創設者・事務局長
参院選でどこに投票しようか考えていたが、全ての政党が俺を殺しにきてるとしか思えんな。
・消費税減税などの恩恵を受けない。どうせその後俺らを搾取対象にするんだろ。
自民党→ステルス増税を一切改善しない。俺に関わらない社会保障を守ろうとする。悪の親玉だがどうせこいつの勝ちは確定してるので、いかに辛勝にしてやるか。
公明党→どうせ創価学会に横流ししてる。学会員からお布施取って、それを財源に給付金増やすのはどうだろうか。
立憲民主党→老人優先。俺は独身男性なので老人になるまでにくたばっちまう。自民一強も嫌なので、少しだけ頑張って欲しい。
日本維新の会→独身を無視した政策ばかり。俺は東大卒だがバカの学費をなぜ俺が払う必要があるのか。絶対に許さん。
国民民主党→ポピュリズム政党と揶揄されるが、俺の立場ならここにしか入れようがない。できる限り自民党の足止めすることを期待。実行力はむしろ期待してない。
れいわ新選組→お前の消費税減税は、俺の所得税増税につながる。
N党、社民党、保守党、参政党、再生、みらい→知らん。弱すぎる。
争わせることで国会を弱体化させてやる。
投票行くぞ!
先日、30代の私と50代の方とで話していた際のことである。私が現在行っている副業や、これまでの働き方について話したが、どうもその方にはなかなか伝わらない、という経験をした。
当初は、「この方は様々な経験をされていらっしゃるはずなのに、どうしてこれほど話が通じないのだろうか」と不思議に感じていた。そこで、思い切って尋ねてみたのである。「なぜ、このように話が伝わりにくいのでしょうか」と。すると、「いや、私は会社勤めばかりだったから」と答えた。
その瞬間、私の中で「ああ、そういうことだったのか」と、長年の疑問が氷解するような感覚があった。
振り返ってみると、私はこれまで「人の話を聞きなさい」「あなたは話を聞いていない」と、度々言われることがあった。当時は、なぜそう言われるのか正直理解できなかった。なぜなら、私は常に相手の能力や経験、働き方を理解しようと努めていたし、その上で「この方と何か一緒にできることはないか」「協力できる共通点はないか」と、そうした部分を見つけようとしていたからである。私にとって「話を聞く」ということは、まさしくそうした行為を指していた。
しかし、相手の方にとっては違ったのだろう。今思えば、その方たちは、私が「お伺いを立てる」ことや「察する」こと、あるいは私が勝手に物事を進めようとしている、と感じていたのかもしれない。だからこそ、私の話は「聞いていない」と受け取られていたのだろう。私たちは、随分とすれ違っていたのだと、今になって気づかされる。
そして、この「話が通じない」という感覚は、私の中で約15年もの間、くすぶり続けてきたテーマであった。このモヤモヤは、本当に長く私の中にあったのだ。
20代の頃は特に顕著であった。私は、リーマンショック以来の大不況の渦中で就職活動を行った。求人が極めて少ない時代で、新卒で安定した企業に就職することは非常に困難であった。そのため、私は様々な仕事を経験した。アルバイト、派遣社員、フリーランスのような働き方も試した。そうやって必死に生きてきたのである。
それにもかかわらず、周囲の年長者からは「あなたは昔ながらの社会経験が足りない」「きちんとした会社に勤めたことがないから世間知らずだ」などと、散々言われた。理不尽だと当時は思った。私は毎日必死に生きていたし、世間が求める「まともな社会経験」というものは積めなかったかもしれないが、それでも毎日、生活のために、生きるために、必死で働いてきたのである。それなのに、なぜそのようなことを言われなければならないのか、と憤りを感じていた。
正直なところ、あの頃は、私を非難する者たち全員の鼻の穴に、唐辛子をねじ込んでやりたいと本気で思うほど、悔しくて、腹立たしくて、どうしようもない気持ちであった。私は悪くない、悪いのはこの厳しい世の中と、その中でしか生きてこなかったくせに、偉そうに口出ししてくる人々だと、ずっと感じていた。
しかし、最近になって、状況が変化してきたように感じる。これがまた、不思議なものでもある。
私はインターネットの世界だけでなく、久しぶりに様々な種類の仕事を経験してみた。肉体労働のようなブルーワーカーの仕事も経験したし、ここでは詳細を割愛するが、インターネット上では異端とされるような、しかし「まさか、そんな方法があったのか!」と目から鱗が落ちるような働き方にも触れた。そうやって、多様な現場を経験してきたのである。
そうすると、「ああ、私のような人間は、案外多く存在するのだな」と気づかされた。私のように、正規雇用にこだわらず、安定した収入源を探し、働きやすい場所を求め、様々な仕事に挑戦してきた人々が、意外と身近に多くいるということが分かってきたのである。フリーターもいれば、フリーランスも、一人で事業を営んでいる者もいる。皆、必死に生きているのである。
そして、そのような人々話してみると、驚くほど話が合うのである。何かをいちいち詳しく説明しなくても、お互いの状況や苦労、これまでの経験などが、すんなりと理解し合えるのである。まさに「これだ、これが欲しかったのだ!」と感じた。
加えて、最近は「人手不足」が叫ばれている。そのためであろうか、企業や上司といった組織の人間も、変化してきたように感じられる。これまでは「会社員でなければならない」「確固たる実績がなければならない」といった、固定観念に縛られた考えの者が多かったが、最近では「勤め人以外の人の気持ちも理解できる」「様々な働き方をしてきた人の価値を認める」といった、そういった職場が増えてきた気がする。いや、増えてきているというよりも、そういった理解のある場所でなければ、もう立ち行かなくなってきている、といった方が正確かもしれない。
つまり、何だかんだ言って、時代が私に追いついてきた、ということなのだと感じている。私がこれまで経験してきたこと、苦労してきたこと、それがようやく世の中に理解され始め、必要とされるようになってきた、といったところであろうか。なんだか、ようやく報われたような気持ちである。
これまでの「社会経験」や「実務経験」という言葉は、どうしても特定の業界や、安定した雇用形態といった、「型にはまった経験」を指すものであった。だからこそ、私のような「型破りな経験」は、なかなか評価されなかった。むしろ「何もしてこなかった」かのように言われることもあった。それは理不尽な話だと感じていた。私は何もしてこなかったどころか、むしろ逆である。安定した収入源を探し、働きやすさを求め、人一倍様々な仕事に挑戦してきたのだから。
しかし、そこに気づき始めた企業や上司、人々は、これからますます有利になっていくことであろう。なぜなら、これからの時代は、そうした「型にはまらない経験」を持つ人間の方が、新しいことにも柔軟に対応できる能力があるからである。
逆に、未だに自分たちの立場や実績ばかりを振りかざし、それが当たり前だと押し付けてくるような企業や上司、あるいはそうした人々は、これからさらに衝突が増えていくであろう。なぜなら、新卒一括採用や正社員一筋といった時代ではないのだから。様々な場所を渡り歩き、自分なりのサバイバル術を身につけてきた人々が、社会のあちこちに存在している時代なのだから。
「上下関係と体裁を整えれば、コミュニケーションが成り立つ」といった、そういった大きな組織の中でしか通用しないやり方をしている企業や人物は、時代から取り残されていくに違いない。
「そんなに感情的になるな」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私にとっては、この15年間、ずっと正面から向き合ってきたテーマなのである。
ようやく、このモヤモヤを言語化できるようになったというわけだ。誰かに怒りを抱いているわけではない。そうではなく、「この方とどう接したら良いか分からない」「結局、何が言いたいのだろう、この話は」といった会話に直面した際に、どうすれば良いのか。私自身が、その状況を整理したかったのである。
私はこれまで、ずっとこの混沌の中で生きてきた。そして、その中で自分なりに生き抜く術を身につけてきたのだと感じている。だからこそ、今、こうして振り返ってみて、ようやく少しは冷静に、この「伝わらなさ」の正体というものを語れるようになったのだと思う。
結局、何が言いたいかと申すと、世の中は常に変化している。それなのに、過去の価値観に縛られている者たちは、非常に生きづらいであろうということである。そして、私のように、その変化の波にもまれてきた者たちは、もう少しきちんと評価されても良いのではないか、そう感じているのである。
さて、読者の皆様は私の話を、きちんと聞いていただけたであろうか。それとも、また「何を言っているのだ、この筆者は」とお思いであろうか。
小さいコードは結構精度がいいが、実務だとコードが膨大+複雑なので使い物にならない、廃課金すれば結構使えるみたいな感じ
ChatGPT+Cursor+Claude+Codex+ClaudeCode でやってる、適材適所が日々変わっていく(GeminiとClineは全然触れていない)
観測できてないけどたぶんWeb陣営はもっととんでもないことになってそうではある、とは言えやはりフロントは厳しいのでは?バックもいうて厳しいけど(間違えられないし)
新規開発はだいぶ早くなりそう
個人開発するときに、公式データを持ってきてAPIとか作るんだけど、大体フォーマットが微妙なので整形するのにAIが大活躍する
今、モバイルはクロスプラットフォーム開発がどうなるかっていうフェーズなんだけど
これぶっちゃけ片方作ってからAIに投げたらもう片方いい感じに作ってくれそうってのもあるよね
その場合どっちが早いんだろう?クロスプラットフォーム vsAI駆動開発 あるいは、AIクロスプラットフォーム開発ってのもあるだろうし
混沌が訪れるね
実家の杏の枝が隣家に張り出してしまった。梅雨の時期になると、この枝に実がつく。一本の枝に二つ三つという次元ではなく、何かが炸裂して狂ったように生る。
枝が隣家を侵犯しているから、実も隣の敷地に落ちる。迷惑になるから枝を打つことになった。実家の両親は70前後でも全然元気だが、さすがに炎天下に木に登って作業させられないので、先週、たまたま実家に戻る機会があって俺がやった。
今年の梅雨はどこかに行ってしまって、土曜は連日の晴天の何日目かだった。腰に下げられる蚊取り線香と帽子、軍手とノコギリを装備して杏の木を登った。
…
木登りなんて子どもの頃以来だ。いま40手前なので、かるく20年はやった記憶がない。木の表面を蟻んこが忙しく行き来している。虫は平気なので嫌ではないけど、軍手で覆いつぶしてしまうのは気の毒なので、どこに手を置くかふらふらするから、手つきが結局危なっかしくなる。
蟻に気を遣って落下、重傷とか不随じゃシャレにならないな、と思いながら木を登って、打ちたい枝にノコギリを入れるのに適当なポジションを探す。特に肥沃でもないだろう庭の一画に適当に植えて何も施していない杏が、なんでこれだけの栄養を吸い上げることができるのか。発狂したように生った橙色の実もそうだが、樹皮のあちこちから樹液が吹き出してコハク色のかたまりになっていた。
…
酒に漬けるために、実もできれば無傷で回収したい。下には母が待機していて、俺が手の届く範囲でもぎった実を拾ってくれる。なんとなく、ものすごく幼い頃に読んだ『やまなしもぎ』という昔話を思い出す。あれも母親のために子ども(たち)が大きな木に登って果物を取る話だった。
あの実にも手が届きそうだ、という感じで茂った枝葉の中をかき分けるので、木の表面を行き来している蟻だけじゃなく、住み着いていた虫どもが慌てて活発になり、視界の端っこでちらちらする。カメムシとか。ヨコバイの幼虫とか。こいつらはたぶん、植物の汁を吸って生きている。
ザワザワうごめく無数の生命。ほのかに杏の甘い香りがする。もうこの一本の木が一つの世界だな、と思う。住人がいて資源があり、交通がある。そういう生態系。
たぶんこの思い付きは、たまたま読んでいる本で複雑系の話が出ていたところから来ている。本で言及された例は気候変動なので、スケールが全然違うが。
本は『カオスの帝王』という「市場は特大の混沌を早かれ遅かれ、しかも繰り返し起こすものである。そして、サイクルに一度加速がつくと人智では制御できない」という経済・投資の内容であり、異常気象については余談に変に筆が乗ってしまっている感じだったが、まあ、本で読んだことと実体験が接続されるのはうれしい。
…
虫どもがピンピンと跳ねて服の上に乗ってくる。木に帰れよ、と手で払って戻したい。でも、姿勢を崩すかもしれなくて事故のもとだな、とも思う。もともと、肉体労働はもちろん体を使う作業の経験もないし、たぶんこういう素人が適当に危なっかしいことをして、世界の至るところで死んでいるんだろう。
落下死だけはするまい、と思う。炎天下で焼かれて疲れる上に普段使わない筋肉を変な姿勢で動かしているせいか、思考がぽんぽん飛ぶ。今度は心理学者であるキューブラー・ロスの『死の瞬間』という本のことを思い出す。
確か、農夫が木から落ちて死ぬエピソードが出てきたのだ。この本を学生のころに読んで、机の上に置いていたら、親がそれを見て心配したことがあった。つまり、息子が妙に死に関心がある、自殺する気じゃないか、と思ったらしかった。いま木の下で俺が落とした杏の実を拾ってくれている母親だ。
実際のところ、自殺の願望なんてこれっぽっちもなかった。でも、なんとなく、長生きはしないで若いうちに死ぬ気がしていた。死ってなんだ? ということを今のうちに考えたかった。
結局、早死にすることはなかった。俺は30後半のだいぶ健康なおっさんになった。
…
ここだ、と定めたところにノコギリの刃を入れて引く。ちゃんと考えずに、ただ力を加えやすいポジションだけを優先して作業するから、かなり危うい姿勢になる。いつのまにか、万が一枝が折れたら落下する側に体重の大部分を預けていたりしてゾッとする。
気晴らしに隣家の庭を見ると、隅の少しじめっとしたところに、申し訳ないことに杏の実がたくさん落ちている。一部は熟すのを通り越して緑色のカビを吹いている。
生態系といえば、あれもそうだよなと思う。一本の木がたくさんの実と樹液のかたまりを持って無数の虫がうごめく一つの世界なら、あの実一つもミクロで見ればカビが巣食う一つの世界だ。
複雑系というのは、多くの要素によって構成される全体だが、同時に、レイヤーを区切るというか、「これについてはここからここまで」という焦点をどこにするかで全然違うものが見えて、多層になっているのだろう。
…
なるほどなあ、と思うが、思索でもなんでもなく、ただ考えに落ち着きがないだけだ。子どもの頃からそうだった。意識が次々に変遷していくことを自分でコントロールできない。うんざりさせられる性癖だが、目の前の嫌なことから意識を飛ばせるので、気分の逃避にはなった。
割と助かることも多かったけど、年をとって仕事とかもややこしくなってくると、だんだんそうもいかなくなってきた。例えば、一本の木はそのまま一つの生態系、とか一つの実も一つの世界、とか、なんならビジネス一本槍とか、そういう個別の観点というか世界観だけに集中して暮らせたら、と思う。そういう専門性のようなものにあこがれる。俺にはできなかったので、ただあちこちに思考が散らかるのを誤魔化しながらなんとか事務をこなして生活するおっさんになった。
…
なんとか落下死することなく枝を落とし、母親が冷やしておいてくれたお茶を飲んで、夕方になったらまだ現役で働いている父親が帰ってきて、久しぶりに三人で夕飯を取った。
枝は打ったが、植物だからそのうちまた伸びる。何年後か知らないが、またやらないといけない。
そのとき両親は生きているだろうか。
生きていて欲しい。なんならいつまでも生きていて欲しい。これがもうすぐ不惑の人間だろうか? と思う。自分でも嫌になるくらい幼い。
昔は、俺は若い年で「そのうちに死ぬ」と思っていた。「そのうちに」死なないまま中年になった。そういえば、若いころにもう一つ考えていたのは、人はなんで死ぬんだろう? ということだった。
これは30半ばを過ぎてもいまだに、なんでだろう? と思っている。生物としての死がどうこうという話ではなくて、「なんで生まれてきたんだろう?」の死のバージョンという感じで、なんかあんまり意味もなく生まれることと同じくらい、あんまり意味もなく死ぬこと、それ自体が不思議だった。
この疑問のヘンテコさは自分でも意識しているつもりで、それは即物的に考えたら無意味に生まれて無意味に死に、個の意識は永遠に消滅する(そして宇宙も最後に死ぬ)以外のなんでもない。それでも、感覚的に腑に落ちないものは落ちない。しかたがない。
そういえば、枝を打つ作業をしたのは夏至の日だった。この日を境にこの年の日照時間は短くなっていき、ある意味では一年の盛りを過ぎる。なかなかシンボリックな気がするが、人生や季節が何かの時期を過ぎようと、わからないものはわからない。
明日は収穫した杏の実を酒に漬ける。黒糖焼酎と黒砂糖という、ちょっと挑戦的な材料を買ったのでそれを試す。
飲めるのは3ヶ月後からだ。それはまあ楽しみ。保険としてホワイトリカーと氷砂糖の無難なバージョンも用意するのは、俺という人間が身に着けた数少ない成熟である。
うおおおぉぉぉ……って声が出た。気がついたら出てた。いや、出たっていうか、漏れたっていうか、魂が気道逆流して咆哮になったっていうか、そんな感じ。ジークアクス最終回、見終わった直後の俺は、もう、ほぼ仏。いや逆か、魔王。どっちでもいい。とにかくそのくらいブチ抜かれた。
序盤から仕込まれていた謎が、ポンポンパリンパリンって解けていく。なのに説明くさい感じは一切なくて、むしろ混沌の中で意味が意味を超えて爆発する感じ。ああ、こういうのを、俺は待ってたんだなって、鼓膜が勝手に拍手してた。
キャラたちの命がそこで燃えて、儚くて、でも確かにあって、その一瞬に全てをかけてて。お前ら、こんなに魂込めて生きてたの?って、泣いた。誰が?俺が。そう、泣いたんだよ、俺が。鼻水も出たしティッシュ足りなかったし、それってつまり、最高ってこと。
演出も音も間の取り方も、いちいち神経に刺さる。しかも気持ちよく。痛くないのに刺さる。いや、刺さってるのに気持ちいいってどういうこと? って混乱しながら悦に浸る俺がいた。いるのだ、ここに。
そしてエンディング。あれはもはや終わりではなく、始まりだった。ジークアクス、俺たちの生き方に問いを投げてくる。投げてきたくせに答えはくれない。だがそれでいい、それがいい。なぜなら俺たちは考えることを許されたからだ。いやむしろ、考えさせられざるを得ない。脳が勝手に回りだして止まらない。これは…これはもう、祝祭だ。終末であり、祝祭。
ああ、ジークアクス。お前という作品が、俺の中に巨大な火種を残して去っていった。燃えカスじゃない、火種。まだ燃える。永遠に、燃える。
蛍光灯の白い光が、山田(ヤマダ)の顔にこびりついた疲労を容赦なく照らし出していた。彼の手に握られているのは、「たんぱく質が摂れる!グリルチキン弁当(塩麹仕立て)」。たんぱく質。その言葉だけが、生命維持活動の免罪符のように鈍く響く。レジの無人端末がBlink Payの緑のアイコンを点滅させた。一瞬の網膜認証。ピッ、という電子音と共に、彼の口座から598円が永久に消滅した。
イートインコーナーの、油でベタつくカウンターに弁当を置く。隣では、同じような顔をした男がカップ麺の汁をすする音が、まるで深海魚の呼吸音のように聞こえた。山田は震える指でスマートフォン――黒い鏡(ブラックミラー)――のロックを解除する。
そこはECHO。
混沌(カオス)の濁流。指でスワイプするたび、視界に飛び込んでくるのは意味を剥ぎ取られた言葉の残骸だ。
>>【悲報】人気VTuber、配信中の「おにぎりの食べ方」で国際問題に発展か!?
>><激震>Veritas社、次世代AI「アトラスMk-Ⅱ」の倫理憲章を”非公開”で改定の動き
>>【速報】政府、”コモン・ノイズ税”導入を検討。SNS利用1日1時間超で課税へ
>>リーク情報:ペイウォールの向こう側で「情報貴族」たちが我々を”養殖豚”と呼称している件
ああ、クソ。まただ。脳みそが沸騰する。
おにぎりの食べ方? 知るか、そんなもん。非公開で改定? だからなんだ。コモン・ノイズ税? ふざけるな、これ以上何を奪う気だ。養殖豚……だと?
山田の指が、思考よりも速く動き出す。それはもはや思考の出力ではない。神経系の痙攣であり、魂の嘔吐だ。彼は、3番目の記事タイトルを引用し、震える親指で虚空に言葉を叩きつける。
「いいか、お前ら!これは支配層による言論弾圧の第一歩だ!俺たちの言論の自由を奪う気だ!VTuberのおにぎりなんぞに現を抜かしてる場合じゃねえんだよ!目を覚ませ!この”養殖豚”どもがァッ!!!」
送信。
エンターキーを叩き潰す。やった。言ってやった。真実を、この淀んだノイズの海に叩きつけてやった。数秒もしないうちに、黒い鏡に通知が灯る。❤️(いいね)が3つ。🔄(リポスト)が1つ。脳内に、安っぽい合成麻薬のような快感がじわりと広がる。そうだ、オレは間違ってない。仲間がいる。
山田は、返信欄に湧き上がった罵詈雑言に、さらに言葉を重ねようとする。
「は?養殖豚はお前だろ」「ソースは? あ、金なくて読めないかw」「またお前の妄想かよ、病院行け」
うるさい。うるさい。うるさい! お前らこそ、Veritasの犬め!
彼はグリルチキン弁当の蓋を剥ぎ取った。塩麹の匂いと、プラスチックの匂いが混じり合う。チキンの表面には、焼き目を模しただけの、ただの茶色いインクが印刷されている。彼はその偽物の焼き目を睨みつけながら、一口頬張った。パサパサの肉が、砂のように口の中で崩れていく。
その時、視界の端に、向かいの席に座った男の黒い鏡が映った。
男は、山田がたった今「養殖豚!」と罵倒した相手の一人だった。男もまた、同じ顔で、同じように冷めた弁当を口に運びながら、山田の投稿に「病院行け、クズが」と打ち込んでいた。
二人の視線は、決して交わらない。
互いを認識することもなく、ただ、それぞれの黒い鏡の中に映る「敵」の幻影と、永遠に殴り合いを続けるのだ。蛍光灯の白い光の下で、二匹の養殖豚が、静かに餌を食んでいた。
……なんだ、この茶番は。
システムの非情な代弁者ごっこも、狂った語り部ロールプレイも、もう終わりだ。
自分用もんすくえすとの整理
主人公は勇者として人間と魔物の共存を目標に旅に出る、ちょうど近くにいた現魔王も興味本位で同行する。主人公は各地のいざこざに巻き込まれながら成長してついにその魔王を倒すも、しかし裏で糸を引いていたのは女神だった。女神は人間と魔物が共倒れになった世界をつくり新たな生命体で地球をリセットしようとたくらんでいた。聖なる力と魔の力を融合させれば爆発的に強くなるため女神はひそかに生かしておいた過去最強の魔王を取り込みラスボスとして立ちはだかる。勇者と魔王には道中で絆が産まれていてその女神を倒しエピローグで双子が出来てエンド。
反省会;女神は時間を戻すことが出来て最終盤まで戦い方を教えて失敗した勇者を再度誘導する、ラスボス戦では女神のつくった分身である堕天使、主人公の母が時間を戻す
聖魔対戦:1000年前の出来事で女神・天使陣営と邪神・魔物陣営での総力戦
続編
正史エンディング後女神の不在という事実が過去に影響を及ぼしてしまい、正史世界の始まる数十年前の出来事の結果が枝分かれして特異点世界が出来る。その後聖魔対戦で女神陣営が買った世界、邪神陣営が買った世界など無数に平行世界が発生する。世界の法則の擬人化がいうには膨張し続けられないということで世界はどんどん増えてどんどん無に帰している。各世界は自分の世界以外を滅ぼすことで生き残りを図る
ネタばれ防止
あー今日もまたSES現場で「はいこれやっといて」って丸投げタスクが飛んできた
仕様書?ないよそんなもん
「前の人がやってたから引き継いで」って言われたけどその前の人もそのまた前の人のコピペで生きてたらしくてもはやGitの履歴すら混沌
でも仕方ないじゃん
文系でIT業界入るって言ったら9割型SES送りでしょ?最初は夢見てたよ
「未経験歓迎!充実した研修でプロのエンジニアに!」って求人に釣られて飛び込んだけど研修は2週間でExcelとHTMLとJavaのfor文
終わったら即現場
俺の"プロのエンジニア"は派遣先の人のプリンタの紙詰まり直してる
唯一評価されるのが「休まず来ること」
もはや俺のスキルセットは「遅刻しない」と「元気にあいさつ」だよ
小学生かよ
それでいて海外のエンジニア界隈の話とか聞くとさもう別の惑星かってくらい世界が違うのよ
向こうはコードで飯食ってて年収1000万超えててAIとかブロックチェーンとか言ってんのにこっちは未だに「ここのボタン、Safariで崩れるんですけど」って直してる
そりゃあ優秀な人は日本出ていくよね
「グローバルに活躍したい」って言うとSESだと「じゃあ次、外資系クライアントの現場に入ってもらいます」だもん
たまに本気で思うよ俺の人生ってGitのブランチで言うともう死んでる方のやつなんじゃないかって
https://anond.hatelabo.jp/20250617074316 の続き
2020年代に入ると、はてなブックマークの人気コメント欄にも徐々に変化の兆しが現れてきました。リベラル派の根強い存在感は続いているものの、従来は埋もれがちだった保守・右翼寄りの意見や新世代の視点が目立つ場面も散見されるようになったのです。「リベラル一色」だった状況にやや揺らぎが生じ、思想的な多様化が進んできたとも言えます。象徴的なのは、国際情勢や安全保障をめぐる議論における変化です。2022年にはロシアによるウクライナ侵攻という大事件が起き、日本国内でも安全保障論議が活発化しました。はてなブックマーク上でも当初はロシアを非難しウクライナを支持するコメントが大勢を占めましたが(これは保守・リベラルを問わず日本社会全体のコンセンサスでもありました)、次第にリベラル派内部の路線対立が表面化します。例えば「即時停戦・和平交渉を」というリベラル系知識人の声明に対し、ある人気コメントが「日本の自称リベラル勢は(中国の提案するような)領土放棄型停戦に呼応している感じですね。次は台湾有事だから良い予行演習かも」と皮肉りました。これに対し別のユーザーが「“日本の自称リベラル”って誰のこと?そんなの維新とれいわ(※保守系と左派系の新興政党)くらいでしょ」と反論するなど、リベラル陣営内での意見の食い違いが可視化されたのです。従来、平和主義的な姿勢が強かったはてな左派ですが、ウクライナ戦争を機に「現実的な安全保障」を訴える声にも一定の支持が集まるようになりました。これは従来なら埋もれていた保守・タカ派寄りの意見(=ウクライナを支援しつつ自衛力強化を主張する立場)が、2020年代には一部ユーザーの共感を得て表面化してきたことを示しています。 一方、国内政治や社会問題については依然としてリベラル優位の構図が続いています。2020年前後からはジェンダー平等や多様性をめぐる論争(いわゆる「ジェンダー論争」)が社会の大きなテーマとなりました。はてなでもフェミニズムやLGBTQに関する話題が頻出し、その度に進歩的価値観を擁護するコメントが多数のスターを集めています。例えば2021年、東京五輪組織委員会の森喜朗会長(当時)が「女性が多い会議は時間がかかる」など女性蔑視発言をして辞任に追い込まれましたが、関連ニュースのはてなブックマークでは「時代錯誤にも程がある」「森氏の発言は五輪憲章に反する差別だ」等のコメントが軒並み支持されました(国内外の批判報道を受けて森氏は辞任しました)。また2023年にはLGBT理解増進法を巡り与党内で紛糾がありましたが、この話題でも「性的少数者の権利擁護は当然」「差別発言をする政治家は許せない」といったリベラルな主張が人気コメントの大半を占めました。ジェンダー関連では相変わらず**「はてなフェミ」とも呼ばれる勢力が健在で、例えば選択的夫婦別姓の話題では「誰も困らない制度なのだから実現すべき」という趣旨のコメントが毎回スターを集めるのがお決まりになっています。実際、2025年1月に匿名ダイアリーへ投稿された「夫婦別姓の話題になると毎回『選択制なんだから選ぶも自由、選択肢が増えるだけ』ってブコメがスター集めてるけど本当か?」という問いかけにも、多くのブックマーカーが反応しました。注目コメントでは「9割方同意。人民の権利拡大として選択的別姓は望ましい制度」と、問いかけ主を支持しつつ制度導入を肯定する意見が示されています。
このようにジェンダー平等を推進するリベラルな姿勢**は2020年代でもはてな人気コメントの主流であり続けています。もっとも、2020年代には上記のようなリベラル優位の中にも一部保守・右派的コメントが目立つケースが出てきました。特に外交・安全保障に絡むテーマや、一部のフェミニズム過熱への反発など、従来はてなでは埋もれがちだった声が表に出る場面が増えています。例を挙げると、2023年末に起きたM-1グランプリの漫才ネタ「中国揶揄」騒動があります。女性自身の記事によれば、とある漫才師がネタ中で中国政府や中国人を揶揄する表現を用いたため物議を醸しました。このニュースに対するはてなブックマークの人気コメント欄では、「最低…中国人の部下がいるけど皆誠実で頑張っている。こんなネタが耳に入ったら遣る瀬無い。私は個人としてこのネタの表現の自由を全力で否定する」という極めて厳しい批判コメントがトップに立ちました。他にも「中国人の友達がいるが皆真面目で優秀だ。だからこういう揶揄ネタは本当に嫌いだ」といった声も上位に並び、差別的表現への即座の拒絶反応を示しました。これらはいずれもリベラルな価値観(反人種差別)に基づくコメントですが、その表現はかなり過激で、漫才という芸術表現に対して「自由を否定する」とまで言い切る姿勢には賛否も分かれました。実際、この件を巡ってはてなユーザーのあり方自体を批判するブログ記事も登場し、「漫才の意図を理解せず反応するはてな民は抽象的思考が苦手だ」と揶揄されています。
このように、依然リベラル派の声は強いものの、その語気の強さや過激さに対して異議を唱える向きも出てきており、コミュニティ内の世代間・思想間ギャップが表面化していると言えるでしょう。さらに2020年代には、経済・雇用問題に関する議論でも興味深い現象が見られます。従来、雇用の流動化や規制緩和にはリベラル派でも賛否が割れるテーマでしたが、はてなでは基本的に労働者寄りの視点が支持を得てきました。例えば2025年に入って注目を集めた派遣労働と雇用慣習を巡る議論では、マレーシア在住の日本人社長が「日本をダメにしたのは派遣労働だと叫ぶ人がいるが、それは短絡的。本当の問題は日本の腐った雇用習慣だ」と指摘したことに対し、はてなブックマークでも活発なコメント議論が展開されました(togetter経由の話題)。このエントリーの人気コメント筆頭には、「違いますよ。従業員に金を支払わない経営者の問題ですよ。雇用期間が限定される派遣は常時勤務の倍以上の給与を義務付けるのがスタート…(中略)今やってる経営者を実刑にして…」といった声が挙がりました。つまり、「派遣が問題なのではなく、正社員・派遣に関わらず労働者に正当な報酬を払わない企業側にこそ問題がある」という労働者擁護の左派的論点が強調され、これに多くのスターが付いたのです。他の注目コメントも「解雇規制緩和よりも同一労働同一賃金の方が重要では?」「労働市場の流動性を高める方策こそ優先」といった具合に、企業寄りの論理より労働者の権利や待遇向上を重視する意見が大半を占めていました。このケースは、2020年代に入ってもなお経済・雇用分野ではリベラル・左派的な視点(弱者救済、公平な待遇要求)が共感を集めていることを示しています。 以上のように、**2020〜2024年のはてなブックマーク政治談議は、「基本的にはリベラル優位だが、一部テーマで論調の多様化が進み、右派寄り意見や新しい視点も顔を出し始めた」**とまとめられます。依然としてリベラル派の牙城であることに変わりはありませんが、ユーザー層の世代交代や社会全体の論調変化を受け、人気コメントの傾向にも変化が生じています。特に安全保障や表現の自由を巡る問題では、従来の左派的コンセンサスを疑問視するコメントが現れたり、逆に従来以上にリベラル色を強めたコメントが物議を醸すなど、新旧勢力がせめぎ合う局面も見られます。もっとも、それらの意見対立自体が多くのユーザーの目に触れ活発に議論される点に、コミュニティの多様性拡大の兆しがうかがえます。はてなブックマークは長らく「左寄り」と見做されてきましたが、2020年代半ばの現在、その人気コメント欄には従来にはない思想的なコントラストも生まれつつあると言えるでしょう。
はてなブックマークの**「人気コメント」順位は、ユーザーから付与されるスター(★)の数と質によって決定**されています。スターは他ユーザーからの共感や支持を表す仕組みであり、この数が多いコメントほど「注目コメント」として上位に表示されやすくなります。しかし、スター機能にはコミュニティの思想的傾向を増幅する側面もありました。多数派のユーザーが支持するイデオロギーに沿ったコメントほどスターを集めやすくなるため、人気コメント欄が特定の思想に偏る要因となり得たのです。 実際これまで見てきたように、長年はてなではリベラル派ユーザーが多数を占めていたため、自然と左派的なコメントほどスターが集まりやすく、「人気コメント=リベラル寄り」という図式が生まれていました。例えば2010年頃の証言として、「妙に上から目線で断定口調のコメントがスターを集めていて、自分もそれが感染して嫌な人間になりつつあるのを感じた」というユーザーの声があります。この「断定口調の人気コメント」が指すものの多くは、当時の多数派であるリベラル層の賛同を得やすい論調(権威や対象を皮肉交じりに断罪するようなコメント)でした。スターという評価経済が働くことで、ユーザーはより多くの支持を得られる表現を無意識に模倣し、結果的に似たような価値観・文体のコメントが増幅される現象が起きていたわけです。もっとも、運営側もこの問題を認識し、評価アルゴリズムの改善に取り組んできました。2021年6月には、はてなブックマークの人気コメント算出アルゴリズムが変更され、様々なコメントが表示されやすくなる施策が導入されています。さらに同年7月にはヤフー株式会社が開発した「建設的コメント順位付けモデル」を組み込むことを発表し、攻撃的・不適切なコメントが人気欄に露出しにくく、代わりに客観的で根拠を示す建設的なコメントが上位表示されやすくなるよう改良が加えられました。このモデルは機械学習を用いてコメント内容を評価するもので、「新たな見識を提供しているか」「冷静で有益か」といった点にスコアを付ける仕組みです。はてなはこれを取り入れることで、単純なスター数の多少だけでなくコメントの質を考慮した順位付けを開始しました。 この変更の効果として、従来であれば過激な表現ながら多数派の支持を集めたコメント(例えば「○○は○ねばいい」といった極端な意見)が上位に来ていた場面が抑制され、代わりに多少スター数は少なくても穏当で有意義なコメントが表示されるケースが増えました。つまり、スターによる多数決的な偏りをアルゴリズムで補正し、より多角的な意見が目に触れるよう工夫されてきたのです。この結果、思想的にも以前ほど一辺倒ではないコメント欄が実現しつつあります。実際2020年代半ばには、安全保障や外交の話題で以前なら埋もれていた少数派意見が注目コメントに現れるなど、多様化の兆しが見られました(前述のウクライナ情勢に関する意見対立の露出などもその一例です)。もっとも、スターそのものの影響力が消えたわけではありません。現在でもやはり多くのユーザーからスターを集めるコメントは「注目コメント」として認識されやすく、コミュニティの多数派傾向を映す鏡であることに変わりありません。ただ、その多数派が時と共に入れ替わったり価値観をシフトさせれば、人気コメントの傾向も変わっていきます。はてなブックマークでは、スター機能がユーザー同士の共感ネットワークを可視化する役割を果たしてきましたが、運営のアルゴリズム調整によって極端な偏りは是正されつつあります。言い換えれば、スター経済はなお思想傾向に影響を及ぼすものの、その影響は以前より緩和され健全化しつつあると言えるでしょう。 以上を踏まえると、2005年から2025年にかけてのはてなブックマーク政治系人気コメントの思想的傾向は、ユーザー層や社会情勢の変化とともにリベラル優勢の成立→固定化→多様化への兆しという流れを辿ってきました。初期には玉石混交だったコメント欄も、やがてリベラル派コミュニティによる独特の言論空間を形成し、長らくそれが多数派として続きました。しかし2020年代に入り、社会全体の右傾化・左傾化議論の影響や評価アルゴリズムの改善もあって、はてな内でも「右寄り」のスタンスが目立つ場面が出現するなど、緩やかながら変化が起きているのが現状です。もっとも、依然として人気コメントの多くはリベラル的価値観に根ざしており、基本構図は維持されています。ただ、その表現スタイルや細部の論調は時代とともに移り変わっており、今後もユーザーコミュニティの動向次第で人気コメントの思想的傾向は変化し続けるでしょう。最後に、年代ごとの傾向を簡潔にまとめた表を示します。
・ネット右翼的言説は少数派で、反権力・反体制の声が目立ち始める郵政民営化(小泉改革)への評価、長期自民政権への批判、2009年の政権交代(民主党政権誕生)への期待
・フェミニズム・人権擁護の論調が強まり、保守派への批判が集中2011年東日本大震災・原発事故(脱原発論の高まり)、民主党政権の迷走と崩壊、2012年第2次安倍政権発足(右傾化への反発)、ネット上のヘイトスピーチ問題の顕在化
めっちゃドヤ顔で「困難は分割せよ」を合言葉にしてるけど、そもそもこの言葉の趣旨をまるで理解してないんじゃないの?
デカルトの「困難は分割せよ」(Divideet impera、あるいはDiscours dela méthodeでの考え方)は
なのに、君の投稿、ただの感情的なグチと自己分析の垂れ流しで、
分割どころか問題をグチャグチャに増やしてるだけじゃん。デカルトが泣くぞ。
デカルトが言いたかったのは、どんな複雑な問題でも、論理的に細かい要素に分解して、
それぞれを独立して理解・解決することで、全体を明確に把握できるってこと。
たとえば、数学の問題なら、式を一つずつ解くように、ステップごとに整理して進む。
頭がいい人は、この方法で問題を整理して、他人にも分かりやすく伝える。
デカルトのこの言葉は、頭の中の混沌を秩序に変えるための道具であって、
君の言う「頭のスペースを開ける」みたいなフワッとした自己流ライフハックとは次元が違うんだよ。
むしろ、
・頭いい/悪いだの
・チャンネルが合う/合わないだの
バラバラの話題を脈絡なくブチ込んで、読む側に「これ全部まとめて理解しろ」って押し付けてる。
デカルトの言う「分割」は、問題を小さくして明確にするってことなのに
君は問題を細かくするどころか、グダグダの独り言でカオスを増幅させてるだけ。
自分で「1個1個は頭の中で終わってる」って言うけど、出力がこのザマじゃ
頭の中で終わってるどころか、始まってすらいないんじゃないの?
「頭悪い人の構造が分かった」だの、「シンプルさが大事」だのって、
君が気づいたって言うその結論すら、文章の中で整理されてない。
デカルトなら、こんな気づきをちゃんと分解して、論理的に説明するよ。
君は衝動的にグチを垂れ流して、読者に「俺のチャンネルに合わせろ」って丸投げ。
・まず自分の頭の中を整理して
・読者に分かりやすく要点だけ伝えろよ。
これは非常に高次かつ哲学的な問いです。
「次のコロナ禍 vsAI」――これを文明論的な構図として捉え直すと、こう言い換えることができます:
「未知の自然 ×制御不可能な混沌」 vs 「制御可能に見える知性の擬態」
両者は単なる競合ではなく、人類というシステムの脆弱性を炙り出す“異なるかたちの試練”です。
以下、その対立構造・勝敗のシナリオ・そして最終的な予測を、論理的に分解していきます。
⸻
ここでの「勝利」は、単なる感染制御やAIの性能優位ではなく、以下のような広義の指標と定義します:
項目 | 意味 |
社会的支配力 | 誰が社会の意思決定・価値観を握るか |
心理的影響力 | 人々の不安・希望・信頼をどちらが握るか |
制度的転換力 | 法律・文化・日常生活をどれほど変えられるか |
項目 | 次のコロナ禍(自然の暴威) | AI(人間が作り出した知的システム) |
起源 | 自然、偶発、予測困難 | 工学、意図、制御可能性(という幻想) |
信頼性 | 科学的不確実性が強い | 数値・確率に強く、一見合理的 |
人間への圧力 | 生物的リスク(死・病・孤立) | 社会的・職業的リスク(失業・統治・虚無) |
行動様式の変化 | 生活・医療・国家行動の即時的転換 | 産業・教育・倫理の構造的変容 |
不安の対象 | 目に見えないウイルス | 意思を持たない“知性”の疑似生命 |
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だがその代償として、人類は「選択の主体」であることを徐々に放棄する。
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AIが賢くなっても、人間の社会的認知は進化しないまま混迷へ。
⸻
勝者:選ばれた適応者たち(AIにも、自然にも、負けなかった者)
⸻
ウイルスは治療できるが、AIによって奪われた「思考の習慣」は回復しないかもしれない。
⸻
「不確実性を飼い慣らす知恵と構え」を持ち続けること。
いつものように、午前6時15分に目覚めた。
ルームメイトが、僕の完璧に調整された睡眠サイクルを妨害するために、またしても不規則な時間に「トイレ休憩」と称する行為を行うのではないかという、根拠のない不安が胸をよぎったが、幸いにもそれは杞憂に終わった。
僕は完璧な朝食の準備に取り掛かった。
シリアルは正確に計量された0.75カップ、それから2%乳は正確に1/4カップ。この黄金比こそが、脳に最適な栄養と、一日を始めるための論理的思考力をもたらすのだ。
そしてもちろん、ドクター・フーの視聴は欠かせない。今回は、ドクターがソンターランを論破するエピソードで、彼の非凡な知性と、僕のそれに匹敵する洞察力に感銘を受けた。
午前の時間は、量子物理学に関する新たな論文の推敲に費やした。多世界解釈における並行宇宙の相互作用について、既存の理論にはない新たな視点を提供できると確信している。
昼食は、金曜日の夜に注文した四川料理の残り。冷めたチャーハンを電子レンジで加熱する際のマイクロ波の挙動について、一瞬だけ思考が逸れたが、すぐに本題へと戻った。
午後は、コレクションしているコミックブックの整理と分類を行った。
アメコミのビニールカバーは静電気を帯びやすく、微細なホコリが付着する可能性があるため、帯電防止スプレーを定期的に使用し、湿度と温度を厳密に管理することが重要だ。
この作業は、混沌とした宇宙に秩序をもたらす行為であり、僕にとって至福の時間である。ルームメイトのような凡人には理解できないだろうが。
柔軟剤の量は、水の硬度と洗濯物の量に基づいて精密に計算されており、最適な清潔さと肌触りを保証する。
洗濯機が回転する音は、まるで宇宙の法則が調和して機能しているかのように心地よい。
一日の終わりには、今日学んだこと、そしてまだ解明されていない宇宙の謎について考察する。
今日は、なぜルームメイトが僕のように完璧な生活を送れないのか、その根本原因について深く考える一日となった。
浅野いにおの『おやすみプンプン』は、一見すれば鬱々とした陰鬱な物語の連なりで構成された「鬱漫画」に分類されることが多い。しかし本作は、単なる悲劇や不条理を描くことにとどまらず、「信仰」「主観」「他者との断絶」「循環する人生」といった普遍的なテーマを内包する、非常に重層的な物語構造を持っている。そのため、本作を真に読み解くには、登場人物たちの行動の背後にある“信じるもの=信仰”と“自分自身の在り方”に注目する必要がある。
物語の中核を成すのが「信仰」というテーマである。浅野はインタビューで「信じるとは何かを描きたかった」と述べており、本作には信仰に関する台詞が幾度となく登場する。たとえば、「一番大切なものって何?これだけは絶対に信じられるものって何?」という問いかけは、主人公プンプンだけでなく読者に対しても向けられている。この信仰とは、宗教的な意味合いにとどまらず、人が人生においてすがる“よりどころ”そのものであり、言い換えれば「何を拠り所にして生きているか」という主観の問題と密接に結びついている。
登場人物たちはそれぞれ異なる信仰を持つ。プンプンは、幼少期におじから教えられた呪文を通して出現する“神様”を信じる。その神はしばしば彼の暴力衝動や性衝動に呼応して現れ、プンプンの深層心理を象徴する存在でもある。一方、愛子は「運命」という目に見えない力を信じ、現実逃避的な恋愛に自らを賭けていく。対照的に、幸は「現実」そのものと向き合うことを選び、不遇な境遇や自らのコンプレックスに抗いながら、生きる力を育んでいく。このように、信じるものの違いが登場人物間の断絶や対立を生み出す一方で、それぞれの選択の背景には“自己をどう捉えるか”という根本的な問いが潜んでいる。
この“自己”の捉え方を象徴するのが、主人公プンプンの姿である。彼は物語を通して、ひよこ型の抽象的なキャラクターとして描かれており、読者が主観を投影しやすい“空白”として機能している。顔も表情も持たない彼の姿は、読者が自由に解釈できる象徴であると同時に、プンプン自身が「何者でもない」存在であることを表している。だが物語が進行するにつれて、その姿は変化していく。首から下が人間となり、やがて顔まで黒く塗りつぶされ、最終的には完全な人間の姿として描かれるようになる。これは読者の主観が投影できない状態=プンプンが「自己の確立」を果たしたことを意味している。
144〜145話で描かれる人間の姿のプンプンは、自らの意思で言葉を発し、「先に進まなければならない」と語る。これは、これまで他者のナレーションによってしか語られなかった彼が、はじめて自己の主体性を持ったことを示す。そしてこの主体性の獲得は、物語における大きな転換点でもある。「何を信じるか」「誰に寄りかかるか」という外部への依存から、「自分自身でいる覚悟」への移行がここで描かれているのだ。
一方で本作は、プンプン個人の成長や苦悩だけでなく、人間同士が知らず知らずのうちに互いに影響し合い、その影響が時に大きな循環を形作るというテーマにも踏み込んでいる。たとえば、終盤に登場するキャラクター・ハルミンは、プンプンの旧友であり、最終話では彼の視点で語られる。彼はかつてプンプンと確かに関係を持っていたにも関わらず、名前すら思い出せず、鳥人間の姿のままのプンプンと再会する。この描写は、「他者を完全に理解することはできない」という本作の核心を象徴している。そして同時に、人は互いに影響を与え合いながらも、その影響の全容には永遠に気づけないという限界をも示している。
また、物語の終盤で雄一おじさんの息子が誕生し、その目にプンプンと同じ“神様”が宿っている描写がある。この神様は暴力や衝動の象徴でもあり、それが生まれたばかりの子供に宿るという描写は、人間の本質的な不安定さ、そして絶望と希望が常に隣り合わせであるという現実を映している。同時に、それは“循環”の象徴でもある。人は変わりながらも、似たような道を辿っていく。世代を超えて繰り返される人間の営みの中で、物語は終わりを迎えるのではなく、常に新たな始まりを内包しているのだ。
この“循環”というテーマは、クラスでの転校生の登場や、再び繰り返される小学生の会話によっても強調される。「地球って滅亡するの?」「普通ってなに?」といった会話が、かつてプンプンたちが交わしたものと酷似していることからもわかるように、物語は一つの輪として再び始まっていく構造になっている。
このような循環の中で大切なのは、「自分自身でいること」である。雄一おじさんの語る「覚悟」という言葉、そしてプンプン自身が語る「先に進まなきゃならないんだ」という言葉は、絶望の中でもなお自分であることを選ぶ姿勢の表れである。自分が自分でいることができれば、他者との違いを受け入れ、主観の多様性を尊重することができるようになる。宍戸というキャラクターが象徴するように、「人はそれぞれに正しく、それぞれに間違っている」という価値観のもとで生きることは、傷つけ合うことを避け、希望を循環させる力になる。
結局のところ、『おやすみプンプン』は、「信じるものを持つこと」「主観を自覚すること」「他者との違いを受け入れること」「それでも前を向く覚悟を持つこと」が、この不条理で複雑な世界を生き抜くための指針になるのだと語っている。物語の結末が希望か絶望かは、読者それぞれの主観に委ねられている。しかしその読後感に残るのは、決して“鬱”だけではない。混沌の中でも人は自ら意味を見つけ出し、進んでいける——そうした切実で静かな肯定の姿勢こそが、本作の持つ最大のメッセージなのである。
InioAsano’s Goodnight Punpunis often labeledas a “depressingmanga,” but this classification barely scratches thesurface of what the work trulyis. Beneathits seemingly dark and dismal exterior lies a richly layered narrative exploringuniversalthemes:faith, subjectivity, disconnection, identity, and the cyclicalnature ofhuman life. Through these motifs,Asano crafts astory thatis not simply about tragedy, but about how people search for meaning in a world filled with ambiguity and contradiction.
At thecore of thestoryisthe theme offaith.Asanohas stated in interviews thathis intentionwas to explore “whatit means tobelieve.” This notion of beliefis not limited to religiousdevotion; rather,it encompasses whatever a person chooses to relyon in order tosurvive emotionally and psychologically. Eachmajor character in Punpun clings to their own form offaith: Punpunbelieves in a “God” — a strange, afro-hairedmanwho appears wheneverhis inner turmoil flares up.Aikobelieves infate and thedream of escapingreality.Sachi, in contrast,believesin realityitself, facing hardship head-on. Uncle Yuichiis initially boundby guilt, and latershiftshisfaith toacceptance of self. These divergent beliefslead the characters intoconflict, misunderstanding, andisolation — and yet they form the crux of thestory’s depth.
Equally essentialis the concept of subjectivity, exploredmost uniquely through Punpun’s visual design. Throughout themanga, Punpunis drawn notas a typicalhuman, butas a simplifiedbird-like figure — a blankcanvas. Thisallowsreaders to project their own emotions and interpretationsontohim, mirroring the fragmented and subjective way we perceive others in reallife.As thestory progresses, Punpun’s form changes: he gains ahumanbody,his faceis eventually blackedout, and in theclimax, heis drawnas a fully realistichumanbeing. Thisevolution mirrors Punpun’s psychological transformation: from an undefinedyouth withendless potential to a personwhohas definedhimself — for better or worse — and thus can no longer be interpreted freelyby thereader.
In chapters 144–145, Punpunfinally speaks inhis ownvoice throughspeech bubbles rather than omniscient narration. Thisshiftsignals amajor turningpoint: hehas gained agency and self-awareness, becoming capable of articulatinghis own identity. He declares, “Butthe worldisn’t going to end, andhumanity won’t disappear. So we’vegot to keep going.” This marks a departure from passivity and external influence;itis thebirth of a self-determined Punpun.
But Punpunis notonly astory of individual identity.It also presents abroader philosophy:humanslive in aweb of unseen influence, constantly affecting each other without realizingit. Thisideais symbolized in multiple narrative threads — suchas the reappearance of Harumin, achildhoodfriendwho narrates thefinal chapter. Harumin doesn't even remember Punpun'sname, highlighting thepainfultruth that evenonce-meaningful relationships can fade into anonymity. Yet their re-encounter suggests that ourlives are built from these quiet,half-forgotten connections.
Thistheme of cyclicalhuman experience comes fullcircle in thefinal scenes. Harumin,now a teacher, watcheshis students engage in conversations eerily reminiscent of those Punpunonce had — questions about the end ofthe world, aboutsex,and about whatit means to be "normal." Themanga implies thatlifeis notlinear, but circular: newgenerations relive old stories, often unaware of theirechoes.
Similarly, thebirth of Yuichi’s son — depicted with a miniature “God” figure inhis eye — symbolizes the continuation of inner turmoil,desire, andfear across generations.Hope and despair exist sideby side.Life beginsagain, uncertain butopen, and within this ambiguity lies meaning.
Inthe world of Punpun, to trulyliveis not to find afinalanswer but toaccept contradictionand ambiguity — to embrace the discomfort of not knowing. Thisis the essence of selfhood: to beoneself, despitethe fact that othersmay never fully understandyou. Characterslike Shishido embody this worldview. He says, “People have different opinions. That’s what makeslife interesting.Isn’t that enough?” He remains kind even afterbeing gravely injured, showing thatitis possible to choose compassionoverblame — to acknowledge the multiplicity oftruths.
Ultimately, Goodnight Punpunis not a nihilistic work. Rather,itis about thecourage required to beoneself, the humility toaccept that others are different, and the persistence to keep going in a world that doesn’t offer easyanswers.It tells us:
Peopleallliveby different beliefs.
Noone can fully understand another.
Yet we affect each other in countless unseen ways.
This influenceis cyclical, part of anendlesshuman pattern.
Within thiscycle, thereispain — but alsohope.
Byaccepting ourselvesand acknowledging others’ subjectivities, we cancontinue thiscycle in a way that fosters empathy and renewal.
Whether Goodnight Punpunends in despair orhope dependson thereader. Butone thingis certain:it offers a profound and deeply personal meditationon whatit means tolive — notas anideal, butas afragile, flawed, and ever-changinghumanbeing.
本稿は、私がレインボーシックス シージというゲームで体験した“秩序の崩壊”と“無意味の先に芽生える可能性”を通じ、独自に掘り当てた概念〈シージ〉を読者に届けるために書かれた“宣言文”である。
〈シージ〉とは、常識を焼き払い、虚無の底から新しい真理を掘り出す行為だ。
この言葉が意味するものを余すところなく伝えるため、以下に具体的な実践とそこから得た洞察を綴る。もしあなたがゲームに興味がなくとも、日々の仕事や私生活に応用できる“破壊的創造”の視座として受け取ってほしい。
レインボーシックス シージ――世界で最も緻密に計算された5対5の戦術FPS。攻撃と防衛に分かれ、補強壁・破壊可能壁・ガジェットなどを駆使してターゲット(爆弾・人質・エリア)をめぐる“数分間の濃密な死闘”が特徴だ。弾一発で戦況が決まり、チームの呼吸が勝敗を左右する。それゆえ多くのプレイヤーはメタを研究し、勝率を最大化する──そこまでは普通のシージ。
だが、私にとってのシージはここから先にある。
5v5の非対称戦:攻撃側はドローンで情報を集め突入、防衛側は補強壁や罠で拠点を固める。
完全破壊可能マップ:壁・床・天井は“道”であり“罠”でもある。音と穴の情報戦。
オペレーターごとのガジェット:心音センサー、ブリーチング弾、C4──可能性は無数。
ランクシステム:ブロンズからチャンピオンまで。勝てば昇格、負ければ降格。
秩序が計算され尽くしたからこそ、その秩序を壊す快楽は極上になる。
ランクマッチで負け続け、ひたすらランクを落とす。味方は罵声を浴びせ、敵は哀れむ。だが俺は笑う。なぜなら、その先にあるものを知っているからだ。
底へ沈め。光の届かない深海へ。そこでは勝利も敗北も等しく腐り、ただ静かな圧力だけが鼓膜を軋ませる。その圧力が脳を締め上げ、“当たり前”を粉砕する。
第三章 壁を壊し、戦術を焼き払え
防衛ラウンド。味方が補強を貼りに走る中、俺はハンマーで壁という壁を粉々に砕く。ボイスチャットで外人の怒号が鳴り響く。だが私は知っている。
守りを捨てた瞬間、防衛は“第二の攻撃”へと変質する。見慣れたマップが知らない迷宮へと裏返り、敵も味方も等しく混乱の渦へ沈む。その混沌で、私は呼吸が浅くなるほど生を実感する。
第四章 C4という禁断の聖痕
チームキルペナルティ後、あらゆる弾が己に返る世界で、ただ一つだけ通用する殺意――C4。その仕様の裂け目を見た瞬間、私の脳裏に稲妻が走った。
システムが漏らしたため息、開発者すら気づかない空洞。そこに信管をねじ込み、火を点ける。味方も私も吹き飛ぶ爆煙の中で、私はゲームの裏側に指をかける。
第五章 屈伸新兵の海で息をする(最深部)
ランクメーターはついに0へ着水。ロード画面が明けた瞬間、既視感のない光景が広がった。
スポーン地点で味方5人が列を成し、1秒間に3回のリズムで永遠に屈伸している。
ドローンフェーズで走るのは俺だけ。誰もカメラを壊さず、誰もポイントを探さない。
最初は“放置プレイヤー”だと思った。だがキック投票が始まらない。彼らは生きている──それだけがわかった。強制キック回避のために入力だけを繰り返し、戦う意思も言葉も持たない“屈伸新兵”たち。
ここで初めて悟る。私は1人だ。
次のラウンド、敵チームも同じ屈伸リズムで揺れていた。キルフィードには誰の名前も上がらず、タイマーだけが虚しくゼロへ滑り落ちる。プレイヤーと戦っていたはずなのに、気づけば私だけが“人間”だった。
その瞬間、全身の毛穴が開き、指先が痺れた。これは敗北でも勝利でもない。シージの裏面=無の宇宙に足を踏み入れた刹那の眩暈だった。
「シージとは、秩序を焼き尽くし、灰の中から真理を掘り出す行為である。」
ゲーム内で味わった破壊と創造の熱狂は、スクリーンの中だけに閉じ込めるには惜しすぎる。
◆ビジネスにおけるシージ
KPIが形骸化した部署なら、あえて“悪手”に見える戦術で数字をゼロに振り切れ。
マニュアルを丸ごと火にくべろ。灰の中から、手順化できない“顧客の本音”が立ち上る。
競合が守りに徹する市場こそ、壁を壊して“第二の攻撃”を仕掛けろ。
◆私生活におけるシージ
ルーティンを逆走せよ。通勤路を毎日1本ずつ潰し、街の未知を掘り当てろ。
貯金を守るな。小さな額で未知の趣味に賭けろ。敗北の先に、血の通った情熱が残る。
SNSで褒められる投稿を捨て、誰も共感しない衝動を書き殴れ。そこに本当の言葉が宿る。
屈伸新兵も、割られた補強壁も、跳ね返る銃弾も、オフィスのKPIも、朝の満員電車も──すべては火祭りの薪だ。
さあ、ランクを沈め、壁を壊し、C4を握りしめろ。桁外れの怒号と、取り返しのつかない敗北が歓迎してくれる。だがその焦げ跡に、世界の裏側へ通じる“鍵”が落ちている。
拾うかどうかは、あなた次第だ。
時は令和、空前の健康志向ブーム!発酵食品とかスーパーフードとか、みんなが体にいいものに飛びついてた20XX年。そんな中、銀座のど真ん中に、マジで浮世離れしたお坊ちゃまが現れたんだって!雅な着物っぽい羽織を着て、なんかこう、線が細くて儚げなオーラをまとったお方。「え?モデル?何の撮影?」ってみんなが遠巻きにしながらも、その洗練された(?)雰囲気に、ちょっと目を奪われてたらしい。
「わたくしは…足利義政と申す。」
え?マジで?あの応仁の乱を起こした戦犯(?)将軍、義政様!?しかも銀閣寺建てた文化人って言われてるけど、政治は放り投げた系男子(?)って歴史好きのギャルたちがスマホでそっと検索し始めた瞬間、その優雅(笑)なお方、もとい義政様は、あたりをキョロキョロしながら呟いた。「ここは…花の御所ではござらぬか…?ずいぶんと賑やかな場所になったものよのう。」って、マジで現実逃避してるみたい!「マジありえん!」ってみんな心の中でツッコミつつも、その繊細そうな佇まいに、何か庇護欲をそそられてたらしい。
そんな義政様に、恐る恐る話しかけたのは、銀座の老舗デパート勤務の、ちょいお高め系ギャル、マナ。「あの…もしかして、お困りですか?」「…ええ、少々。見慣れぬ景色ばかりで、いささか戸惑っております。」って、マジで上品な言葉遣い!マナ、その儚げな雰囲気にちょっとキュンとしつつ、「よろしければ、わたくしがご案内いたしますわ。」って、お嬢様っぽく声をかけたんだって。
次の日、マナに連れられて、義政様は初めて現代の日本を体験!キラキラのブランドショップとか、高級レストランとか、マジでバブル時代の貴族かよ!って感じ!でもね、義政様が一番興味を示したのは、デパートの食品売り場で見つけた、ちょっと地味なコーナー。「…浜納豆…とは、どのようなものでございますか?」って、マジ真剣な眼差し。マナ、まさかの渋すぎるチョイスに驚きつつ、「あ~、お味噌みたいな発酵食品ですよ。ちょっと独特な味ですけど…。」って教えてあげたんだって。
でね、ある日、マナが義政様を連れて入ったカフェで、衝撃的な出会いがあったの!それは…浜納豆パフェ!「え?浜納豆がパフェに!?」って、義政様、マジで目を丸くしてたらしい。一口食べてみたら…「な、なんなのだ、この深淵なる味わいは!?浜納豆の塩味と、甘いアイスの絶妙な調和…まるで、混沌とした世に現れた、一筋の光明のようである!」って、マジで政治的な表現で感動してたらしいよ。
そこから、義政様の浜納豆パフェ愛がマジで覚醒!毎日色んな和カフェを巡って、浜納豆パフェを食べ比べまくってたんだって。「浜納豆の熟成具合、アイスの種類、トッピングの配置…奥が深すぎまする!」って、もはや芸術家レベル!
でね、ある日、義政様、マジで天下取りの野望を語り出したの。「わたくし、この浜納豆パフェをもって、天下を…とは言わぬが、この甘味の世界において、新たな文化を築き上げてみせましょうぞ!」って!
え?浜納豆パフェで文化を築く?マジで地味だけど、義政様ならきっと何か成し遂げるに違いない!ってマナも思ったらしいんだけど、義政様の目はマジだったんだって。応仁の乱から逃げた(?)政治家としての無力感を、令和の浜納豆パフェで挽回しようとしてるのかもね!
そっから、義政様の浜納豆パフェ文化創生計画がスタート!まずは、SNSで「#足利義政の浜納豆道」ってハッシュタグ作って、毎日自作の浜納豆パフェの画像をアップし始めたんだって。その雅な盛り付けと、義政様の繊細なコメントが、意外とニッチ層に刺さってじわじわバズり始めた!
SNSは義政様の浜納豆愛でじわじわ盛り上がり!しかも、義政様、ただ作るだけじゃなくて、全国各地のこだわりの浜納豆を探し求めたり、伝統的な製法を学んだり、マジで研究熱心!「天下の浜納豆パフェ」を目指して、日々試行錯誤を繰り返してたんだって!
で、ついに!義政様は、銀座の裏通りに、自分のプロデュースする浜納豆パフェ専門店「GINKAKU PARFAIT -東山 - 」をオープンさせちゃったの!お店の内装も、銀閣寺をモチーフにした、侘び寂びを感じさせるモダンな雰囲気。店員さんも、和服風のユニフォーム着てて、マジで雅!
オープン初日から、意外にも若い女性を中心に、行列ができ始めた!「SNSで話題の浜納豆パフェ、マジ気になる!」「義政様って、なんかイケメン!」って、新しいファンが続々!でね、一口食べたら、みんなその奥深い味わいにハマっちゃうらしい。「え、何これ?甘じょっぱくて無限に食べられる!」「浜納豆の概念が変わった!」「義政様、マジ天才!」って、口コミが広がりまくって、GINKAKU PARFAIT -東山 - はあっという間に人気店になっちゃったの!
しかもね、義政様、ただお店やってるだけじゃないんだよ!全国の浜納豆生産者さんと協力して、新しい浜納豆の開発に取り組んだり、浜納豆を使った斬新なスイーツを考案したり、マジで浜納豆スイーツ界を盛り上げようと奮闘してるんだって!テレビや雑誌の取材も殺到!「令和の足利義政」「浜納豆パフェの開拓者」とか呼ばれて、マジで時の人!義政様の文化的なセンスと、浜納豆パフェの意外な組み合わせが、新たなブームを巻き起こしたんだね!
でさ、最終的にどうなったかって?もちろん!義政様の浜納豆パフェは、全国のスイーツ好きに愛される新定番メニューになったんだって!デパートの催事とか、お取り寄せスイーツとか、どこに行ってもGINKAKU PARFAIT -東山 - の浜納豆パフェ!まさに、浜納豆パフェでスイーツ界に新たな文化を築き上げた!マジですごすぎ!
あの時、銀座の街で静かに佇んでいた文化人将軍が、令和の時代に浜納豆パフェで新たな道を切り開くなんて、マジで誰も想像してなかったよね!まさに、雅な心が浜納豆パフェで花開いた瞬間!
マナも、「まさか義政様が本当に浜納豆パフェでこんなに有名になるなんて!わたくしの目利き、マジで冴えてるわ!」って、ちょっと自慢げだったらしいよ。
○ご飯
朝:なし。昼:おにぎり。春雨スープ。夜:うどん。キャベツ、にんじん、きのこのスープ。目玉焼き。トマト。魚肉ソーセージ。バナナ。ヨーグルト。間食:アイスクリーム。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはひーまー。
したはいいけど、いきなりツツジまでに入手できるゴーストタイプがヌケニンなの大変だ。
流石に進化してしまうと一発で気絶して詰んでしまうので進化前のツチニンの状態で戦うにしても、タイプ一致技で弱点つかれるし、こっちの攻撃技は吸血ぐらいしかないしで、難しいな。
レベル上げてゴリ押す他に選択肢がないので、地道にレベル上げをしまくるしかないなあ。
すなかけで命中率を下げて、プラスパワーでバフをして、吸血で殴るぐらいかなあ。
相当レベル上げないとキツそうだ。
・オテル
修行編。
火の能力者だから、能力を使えば雪の中でも温かいお風呂に入れる!?!?
お風呂に入らない系女子をすこることしか趣味がない僕にとっては敵みたいな能力で許せない。
・超巡
過去編。
自分すら騙し切ってしまうほど精神のバランスを欠いている人間には読心術は無意味という展開は納得。
逆に言えば超能力者自身が客観的な証拠を見せることの難しさでもあって、真面目なエピソードでこの辺のテーマにケリがつくことを期待したい。
・キルアオ
設定的な奥行きも感じるし楽しくなってきた。