
はてなキーワード:海の底とは
https://www.asahi.com/articles/ASP165JQSNDYONFB009.html
病気の母親を持つ漁師の平治は「病気には阿漕浦で捕れるヤガラという魚がよい」と聞く。病で日に日に衰弱していく母親を前に、平治は決心を固め、禁漁区である阿漕浦に夜な夜な舟をこぎ出す。ヤガラを食べさせたことで母親の体調は少しずつ回復するが、浜に「平治」と書かれたすげ笠を置き忘れたことで、密漁が露見する。
捕らわれた平治はす巻きにされ、阿漕浦の沖に沈められる。その後、夜になると阿漕浦から泣き声や網を打つ音が聞こえ、その音を聞いた者は病気になった――。
地元住民でつくる「阿漕平治保存会」は毎年、平治の孝をたたえ、その霊を慰めるため、平治が処罰されたと伝わる8月16日夜、阿漕塚で供養を捧げてきた。
この平治伝説は江戸中期以降、浄瑠璃などで演じられ全国に流布した。ただ、この話からは、悪い意味で使われる「あこぎ」の意味合いは伝わってこない。
写真・図版
津ヨットハーバーから望む阿漕浦海岸。穏やかな海を朝日が照らした=2020年11月10日午前9時30分、津市柳山津興、佐々木洋輔撮影
一方、室町時代に作られた謡曲(能)「阿漕」の筋はかなり違う。
伊勢神宮へ参拝に向かう旅人が、阿漕浦で老人に出会う。老人は阿漕浦の名の由来について、昔、阿漕という名の漁師(平治という名前は出てこない)が、ここで密漁して見つかり、海に沈められた。阿漕はいまも海の底の地獄で責め苦を負わされ、さらに「阿漕、阿漕」と言われ、悪名を残したと言う。さて、日も暮れた。網を引きに戻ろうと言い、老人は消える。
旅人はぴんとくる。この老人こそが阿漕の亡霊ではないか。旅人の前に現れた亡霊は火に焼かれ、鬼の地獄の責め苦を受けながらも、何度も何度も漁をしようとする。
大学のゼミで仲良くなった女の子がいて勇気を出してデートに誘ったのね
「一緒にホエールウォッチング行かない?」って
女の子からOK貰えたから先週三連休ウキウキで飛行機乗って出かけたわけさ
女の子は言うわけ
「そこの下の鯨骨生物群集に色んな生き物が集まってくる。クジラのお肉食べ行きたい」って
俺はそれを拒否したのよ
恥ずかしい話俺なんてクソ陰キャなわけ
大学の他の陽キャどもと違ってこっちは地方ド田舎出身のクソ芋なのよ
レギュレーターだってフィンだって、一体どうやって使えばいいのかわかんない
水圧で潰されて命を失うことになるのはわかりきっている
俺の人生を振り返れば女の子と2人で遊びに行けたこと自体奇跡に等しいことなのにこんなのハードル高すぎるわけよ
お店のクジラカツじゃだめなの?そこでジャンプしてるイルカ見るのじゃだめなの?って話なわけ
もう半分パニックになって絶対無理絶対無理絶対無理絶対無理って拒否してたら相手の女の子が本当に怖い顔になって罵倒してくる
一字一句その通りとはいかないけど心を落ち着かせるためにここに内容を書き出してみる
「女の子をデートに誘っておいてそういう態度をするのは本当に酷い」
「生きている価値がない」
「海底なんてただの海の底に過ぎない」
「わからないことがあるならそこの調査船の乗組員さんに聞けばいい」
「なんなら私に聞いてもいい。「初めてだからわかんないんだよね、教えて」って」
「なんで私や調査員さんに聞く程度のことすらそんなに恐れるのかがわからない」
「人生経験に乏しいくせに人から教わることに屈辱感じてへそを曲げている」
「そうやって水圧から逃げ続けて人様に対して失礼な態度を重ね続ける」
「〇〇君はカス、はっきり言って」
「〇〇君が普段バカにして見下しているKAZU Iの社長の方が躾がなっているよ」
「相手の気持ちを察しない、相手の行きたいところよりも自分の命を優先する。そういう態度が人として最もダサい」
「〇〇君がモテないのはそういうところだよ」
「教養もなければ人生経験もないくせにプライドが高くて人に頭を下げられない」
「あんたみたいな卑屈な人間にデートに誘われたかと思うと反吐が出る」
「卑屈なくせに道化にもなれないんだね」
「〇〇君がモテないのは顔面のせいではなく性格のせいです、これだけはハッキリしている」
「鯨骨生物群集に行かないなら私泳いで帰るよ?」
「別に海底に行くかどうかの問題じゃない。あなたのその失礼な態度に対する私の怒りの問題」
「私のことをバカにしないでほしい。なんで〇〇君のその卑屈さに対して私が母親みたいによしよし優しく受け止めてあげないといけないの?」
「ほらそうやって怒り出す。言っておくけど今の状況を人に見せたら10対0でみんな私の味方をするよ?」
「本当に〇〇君はカスだね。一生そうやってチー牛弱者男性やってれば?」
「あんた人のこと見下してるでしょ? 海底にも行けないゴミ以下の分際で」
「イライラする」
「私がこうやって心を込めて説教してあげても〇〇君には何のプラスにもならないだろうね」
「あんたっていま自分がなんで怒られていて、なんで私が怒っていて、一体何が人として間違っていたのかも理解できていないでしょ?」
はーーーーーーーーーい
海底にも行けない俺みたいなカスは死んだほうがいいですよねーーーーーー!!!!!!!!
ずっとずっと昔、海の底深く、美しい真珠色の体に、無数の黄金の針を持つ、心優しき雲丹が住んでおりました。名は「金針(きんしん)」と申します。
金針は、海底の平和な村に住む魚たちにとって、なくてはならない存在でした。特に、村はずれの岩穴で暮らす、乱暴で意地悪な鬼のせいで、海全体が怯えていたからです。鬼は大きな錨(いかり)を武器に、村の宝である光るサンゴを次々と奪っていきました。
ある日、鬼に囲まれ、今にも食べられそうになっていた鯖の若者を、金針は自慢の黄金の針を飛ばして鬼の目をくらませ、命がけで助けました。助けられた鯖は、金針の勇気と優しさに深く感動し、「このご恩は必ずお返しします!」と誓いました。
鯖は、この一件を海の仲間に伝えました。まず、秋刀魚の長老が立ち上がりました。「わしの俊足と細い体なら、鬼の砦を探し出せる」と。続いて、鰯の大群が加わりました。「数なら負けない。鬼の動きを乱すには、わしらの群れが役立つ!」と。
こうして、金針を大将に、鯖を先鋒、サンマを斥候、イワシをかく乱役に据えた「鬼退治決死隊」が結成されました。彼らは、鬼を倒し、村に平和を取り戻すため、深い海の底、鬼のねぐらへと向かう決意を固めたのです。
サンマの素早い動きで鬼の砦の場所が判明すると、いよいよ作戦開始です。
まず、イワシの大群が銀色の波となって一斉に押し寄せました。その壮絶な数に、鬼は目を回し、持っていた錨を取り落としてしまいます。すかさず鯖の先鋒隊が、鬼の足元にできた影に隠れ、鋭いヒレで鬼の動きを封じました。
そして、満を持して金針が進み出ました。金針は、鬼の巨大な体に近づくと、全身の黄金の針を一気に放ちました。それはまるで、空から降り注ぐ光の矢のよう。針は鬼の皮膚の弱点をめがけて次々と突き刺さり、「うわぁ!」という断末魔の叫びと共に、鬼は深海の底へと沈んでいきました。
鬼がいなくなり、村の光るサンゴは無事に取り戻されました。海の村は平和になり、魚たちは金針と、勇気ある鯖、サンマ、イワシたちを「海の四勇士」とたたえ、永遠に語り継いだということです。
そして、金針は海底で静かに暮らしながら、もし再び誰かが困ったら、いつでも助けられるように、黄金の針を磨き続けたということです。
アル「そうだっけ?」
エド「うん。食ったんだよ。すげぇ酸っぱかった。で、考えたんだ。もし食わないでオレが死んだら、キツネやアリに食われる。土に還って草になる。それをウサギが食べる」
アル「食物連鎖だね」
エド「ああ。それだけじゃない。この島だって大昔は海の底だったかもしれない。何万年もしたら山のてっぺんになってるかもしれない」
アル「何もかもつながってる?」
エド「全ては目に見えない、大きな流れの中にあるんだ。それを宇宙っていうのか世界っていうのかはわかんないけど、そんなでっかいものからすりゃあオレもアルもアリみたいなもんさ。流れの中の小さな一つ、全の中の一に過ぎない。だけど、その小さな一が集まって全が存在できる」
イズミ「『一は全 全は一』の答えをきこう」
進次郎「一は一、全は全!」
結論、私は竜宮城に行き、時を越える代償として未来に独り取り残された。
この話は、善意で助けた亀に導かれて異世界を訪れた私が時間の流れの違いに翻弄される運命を描いている。
私は現世に帰ってきたときすべてが変わっていた。
結論、きっかけは浜辺でいじめられていた亀を助けたことだった。
ある日、海辺を歩いていると子どもたちが1匹の亀をいじめていた。私は見かねて助け、子どもたちをたしなめ、亀を海へ返した。
翌日その亀が私のもとに現れ「お礼に竜宮城へご招待します」と言った。
私は驚きながらも誘いに応じ、背中に乗って海の底へと向かった。
そこでは乙姫様が私を歓迎してくれた。
毎日宴が続き、美味しい料理と鯛やひらめの踊りに囲まれ時を忘れて過ごした。まさに楽園だった。
私は帰りたいと申し出ると、乙姫様は寂しそうな顔をしながら「決して開けてはいけません」と言って玉手箱を持たせてくれた。
村に着くと、景色は一変していた。
誰も私を知らず、自分の家もなくなっていた。人々の服装も話し方もまるで違っていた。
すると白い煙が立ちのぼり、たちまち私は老人の姿になってしまった。時の重みが体に現れた瞬間だった。
結論、この物語は「時間」は決して巻き戻せないことを教えてくれる。
善行が導いた竜宮城というご褒美とそれによって失った現実の時間。
自分にとって、大学の三年という季節は、人間たちの不可解な競技の始まりに他なりませんでした。誰も彼もが、判で押したように黒い服を着込み、自分という空っぽの箱を、いかに高尚な品物であるかのように見せかけるか、その一点に血眼になっているのです。自分には、その競技に参加する資格など、とうてい、ある筈がありませんでした。なぜなら、自分は、はじめから人間では無かったのですから。
けれども、自分は、その競技から逃げ出す事も、できませんでした。働かずに生きる、という選択は、自分にとって、人間である事からの完全な逃避であり、それは、謂わば、海の底で岩に粘りつく、あの、いやらしい「なまこ」や「ひとで」に成り下がる事を意味していました。人間たちの真似事すら放棄した、完全な敗北。自分は、その敗北を、死ぬより恐ろしく感じたのです。自分は、醜くあせって、ただ、敗北者という烙印を額に押されたくない一心で、他の学生たちの後から、おどおどと、その競技の出発点に立ったのでした。
面接という名の審判の前で、自分は、精一杯の道化を演じました。胸のポケットから白いハンケチを覗かせ、練習してきた微笑を顔面に貼りつけ、まるで生命の充実した青年であるかのように振舞いました。しかし、その笑顔は、幼い頃の、あの猿の笑顔と同じく、少しも笑っていない、ただ顔に醜い皺を寄せているだけの、一から十まで造り物のにせものでした。
そうして、ある日、電話が鳴りました。受話器の向こうから聞こえてきたのは、自分の勝利を告げる、無機質な声でした。自分は、とうとう、一人の人間として、社会に認められたのです。謂わば、ゴールのテープを切ったのです。
「はい。ありがとうございます。精一杯、頑張ります」
自分は、両方のこぶしを固く握りしめながら、そう答えました。電話を切った後、自分は、しばらく呆然と立ち尽くしていました。何の感激もありませんでした。これで、助かった、という安堵もありませんでした。ただ、これから先の永い永い年月のあいだ、自分は、あの人間たちの群れの中で、この恐ろしい道化を、一日も休まずに演じ続けなければならないのだ、という事実だけが、冷たい石のように、胃の腑に落ちていくのを感じました。自分は、人間になるための切符を手に入れたのでは、ありませんでした。人間失格の烙印を押されたまま、終身刑を宣告されたのだ、と、そう、はっきりと悟ったのでした。
金太郎とかアレだもんな、山で斧振り回して熊と相撲取っただけの話だもんな。ダチョウ倶楽部のネイチャー焼肉おじさんと何が変わんねえんだよって話だよな。
浦島太郎もそう、亀助けたら海の底に連れてかれて散々遊んで帰って来たら時間が経ちすぎてて、プレゼント開けたらそれ相応の歳取るようになっちゃったって話だもんな。まんま夜の街に全てを搾取された人だよな。亀は海からやって来たんじゃなくて派手な街からやってきたところ田舎のガキにボコされててそこを庇ってもらったから、その御礼で派手な街の派手な遊びを教え込まれただけだもんな。
いや、ていうかほんと金太郎なんなんだよ、これマジで後の頼光四天王の中の一人、坂田金時のガキの頃の話だって言われなかったら『え?ガキが熊と相撲しただけの話で週間連載取れって?』ってなるよ。
それに比べたら桃太郎さんの物語のワクワク度合いよな、仲間を三体集めて仲間の能力を使ってボスをぶっ倒す!気持ち良すぎるなコレ。
浦島太郎…?いや、ぼったくりバーに引っかかった田舎者がショックで白髪になっただけの話はイソップ寓話的な意味合いでは面白いけどさ…こんなん喪黒福造が似たようなことやってるでしょ…
舌切り雀?こぶとりじいさん?わらしべ長者???ちょっともっと現実を見ましょうよ…雀が宿作ったり、鬼が体の一部を質に取ったり、藁から家が帰るわけがないでしょうが…
「はぁ、これか…。」老人は深いため息をつく。「『人魚になった老人』って、誰だよ、こんな無駄なタイトルつけた奴。」
もしそれが物語なら、ここで英雄的な展開があっても良さそうだが、現実には「ただの魚の尻尾」になった老人にとって、英雄的なストーリーなんて皆無だ。もはや、何か偉大なことが待ち受けているわけでもなく、単なる無駄な変化だ。
「これって、どんな罰だよ?」彼は呆れ顔で空を見上げる。「もうすぐ死ぬって年齢なのに、なんで海に引きずり込まれるんだ?もうちょっとまともな最期にしてくれよ。」
老人は、もはや人間だった時の誇りも自信も、あらゆるものを海に放り投げてしまったようだった。彼は長年、漁師として、何かと得意気に海の知識をひけらかしてきたが、今では魚の尾ひれで泳いでいるだけだ。
「いや、正直、こうなるって分かってたよな。」自分に言い聞かせるように呟く。しばらく海の底で泳ぎながら、彼は心の中で自嘲する。
「昔から俺、そうだった。若いころも、なんか微妙な奴だったし。女にも振られ続け、船も沈め、時には魚にやられたこともあった。今更人魚にされたって、何も変わらないよな。」
その時、海岸で一人の女性を見かけた。彼女は本を読みながら、ゆったりと歩いていた。老人はしばらく見ていたが、思わず口を開いた。
「おい、そこの若い姉ちゃん。俺を見ろよ、どうだ?この海の神の恵み、試してみろよ!」
彼女はちらっとこちらを見て、何も言わずに本に戻った。老人はさらに調子に乗って、無理に海面に顔を出す。
「お前、まさか本気で無視するつもりか?こっちは人魚なんだぞ?人魚だぞ?!」
彼女は無視を決め込んだ。もう一度、老人は海に戻り、悶々とした気持ちで水をかき分けた。
「そうだよ、分かってる。俺がこの姿じゃ、恋愛とか無理だって。でもな、もう老い先短いんだよ。恋愛くらい、最後の一花で見せてやろうって思っただけだ。だが、あの若い子は本当に無礼だな。」
他の誰かがいるわけでもなく、老人は再び深い海に潜った。その時、再びその若い女性が海岸に現れた。
「おい、待ってくれ!どうせこんな姿で人生が終わるんだ。せめて、俺に一目、そう、いや、二目でも合わせてくれよ!」
女性は相変わらず無言で歩いている。その無視された無情さに、老人はついに怒りが湧いてきた。
「ふざけんなよ、なんで俺が人魚にされたんだ?!こんな老いぼれに!死ぬ前に一度でも、人間らしい幸せを味わいたかったんだ!でも、どうだ?結局俺はただの尻尾のついた年寄りじゃないか!」
その瞬間、老人は海の中で大きな魚に突進して、尾ひれで無駄に暴れた。実際、魚の尾は何も解決しない。魚には自由もないし、恋愛の「いろいろなこと」を楽しむこともできない。
「だったら、死ねばいいんだ。」老人は水面に浮かびながらつぶやいた。「もう、この無駄な変化に意味があるとは思えないし、何も解決しないんだから、せいぜい深海で一人ぼっちにでもなってやるよ。」
彼はその後、海の中に消えていったが、最後に自分の尾ひれを見て冷笑した。「尻尾をつけて、何が変わるってんだ?もっと無駄な贈り物をくれよ、海の神様。」
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【以下予想】
・世界線αのララァはそうではない世界線を探してゼクノヴァで跳躍を繰り返しジクア世界線に来た
・アルファサイコミュとゼクノヴァは元の世界線αで研究されていた技術
・ジクア世界にはララァが二人になったのでαララァは凍結状態でグラナダに収容、研究対象に
・0079のゼクノヴァはαララァがジクアシャアを救うために起こした
・その時にジクアシャアとα世界線の少年シュウジが入れ替わった
・ついでに発生源のαララァも同一世界線上で跳躍した(入れ替えたい対象物Xの近くに跳躍する/もしくは対象物Xを引き寄せてから別世界線のYと入れ替える、という動作をするのだとしたら、ゼクノヴァ発生地点に跳躍してそこから地球に落下して海の底に落ちたのかも)
《ここから5年間経過》
・ジオンはシャロンの薔薇と赤ガンのデータを元にゼクノヴァを殺す(Ω)機体とゼクノヴァを歪める(κ)機体を作成
・ジークアクスはゼクノヴァキラー、ジフレドはゼクノヴァコントローラー
・終わりを意味するオメガと曲率を意味するカッパが冠されてるのは上記が理由
・ゼロサイコミュはジクア世界線でゼロから開発されたゼクノヴァ現象と干渉しないサイコミュ
・α世界線から飛ばされたシュウジは元の世界に戻るためにゼクノヴァを起こしたい
・赤ガンは薔薇を探している
・赤ガンのサイコミュを通じてシュウジはα世界線のシャアと話ができる(それが「ガンダムが言っている」)
・ジクアシャアはこの間α世界線で「死んだと思われたがクワトロ大尉として復活した」をしてるんじゃないか
・それと交換でジクアシャアがジクア世界線に帰還、シロウズを名乗って研究者として潜入
・10話でイオマグヌッソがゼクノヴァを発生させ、アバオアクーを破壊してα世界線に送る
・アバオアクーの残骸と交換で赤ガンとシュウジは再びジクア世界線へ戻される
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【あと2話の展開予想】
・なんやかやでαララァがα世界線に帰る、もしくはジクア世界線で起きて消滅する(α世界線のシャアはもういないのでララァの生きる目的はなく、かつ、ジクア世界線のシャアを生かすゴールにたどり着くという目的を達成したので)
・シュウジは現実には存在しないフィクション(α世界線)の王子様にすぎないので、マチュとニャアンは現実にかえり、ケンカのうえ仲直り(ウテナとトップ2の再演)
・榎戸節(人生は「王子様が迎えに来てハッピーエンド」にはならないので、女は自分の足で立たねばならぬ)を考えるなら、「シャアと出会って娼館から解放されるがシャアの女になるかどうかはわからないエンド」になるかも
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【まとめ】
・ままならぬ「この現実」を認めて「この現実」を精一杯生きよう、というエンディングになるといいな
・ウテナもトップも同性同士のシスターフッドの物語だったのでジクアもブラザーフッドやシスターフッド、人間愛のエンディングになるといいな
・エヴァテレビシリーズの「おめでとう」みたいな全部ひっくり返しオチだったりして?
・そもそもジクア世界がシミュレータの中で自我を持ったAIたちの物語とかいう線もなくはない
・オメガサイコミュがメインキャラの少年少女たちでないと動かせないのは作劇の都合なんだろうけど、エグザベが動かせなかった理由付けはなされるんだろうか
・アルファオメガカッパサイコミュを使うには「世界を変えたいという意志」「ここじゃない所に行きたいという願い」みたいなものが必要とかかも
明け方の港 潮風が髪を撫でる
FBb
眠れない夜の続きみたいな 静かなブルー
Eb Ab
遠くで聞こえるのは 誰かのエンジン音か
Dm7(♭5)G7
Cm F
Bb Eb
イルカのシルエット 波間に踊る
AbDb
楽しげな声 悲しげな声
言葉じゃない何かで 心に触れる
FBb
Eb Ab
喜びも憂いも あの深い海に溶かして
Dm7(♭5)G7
届くはずないと思っていた その歌声が
Cm F
胸の奥に響くのは なぜだろう
FBb
過ぎ去った日々のカケラ 拾い集めるように
Eb Ab
誰にも言えない想いを そっと打ち明けてみようか
Dm7(♭5)G7
あの歌に乗せて 海の彼方へ
Cm F
孤独を隠して 生きてきたんだ
Bb Eb
強がることに疲れてしまったんだ
AbDb
でもあの歌は 知っているんだきっと
本当の気持ちを 隠せないこと
FBb
Eb Ab
喜びも憂いも あの深い海に溶かして
Dm7(♭5)G7
届くはずないと思っていた その歌声が
Cm F
胸の奥に響くのは なぜだろう
EbBb/D
確かに感じる 熱い鼓動
Ab Eb/G
同じように 悩み 同じように 願い
FBb
生きているんだ きっと
FBb
Eb Ab
喜びも憂いも あの深い海に溶かして
Dm7(♭5)G7
届くはずないと思っていた その歌声が
Cm F
こんなにも優しく 包み込むから
Bb:変ロ短調の平行長調(III)の主和音。ここでは同主短調からの借用和音的な響きを持たせています。
Eb:変ロ短調の平行長調(III)のサブドミナント(IV)。ここでも借用和音的な響きです。
Dm7(♭5):変ロ短調の導音(vii)のディミニッシュコードに7thを加えたもの。ドミナントへの強い繋がりを持ちます。
G7:ドミナントマイナー。ブルースフィーリングや、次のCmへの解決をより強くするために使用。
Bb/D:Bbの第二転回形。ベースラインを滑らかにする効果があります。
Eb/G: Ebの第二転回形。同様にベースラインを滑らかにします。
イントロやアウトロは、アルペジオで静かに弾き始めると、曲の雰囲気に合うかと思います。
これNetflixで見て損した。人類滅亡の設定は面白いよ。破滅系が好きな私には刺さる世界観なんだけど、メインストーリーの少女5人組がガチで合わなかった。
政府と自衛隊による侵略者への対応とかサブストーリーだけ切り取って見てる分にはかなり面白かった。侵略者を自衛隊が駆除する描写はそのまんま殺戮って感じで、そこだけフォーカスした物語だったら9/10だった。
メインストーリーの少女5人組がつまらなすぎて一部飛ばしたレベル。UFOがある首都で日常系をやりたかったんだろうけど、『ぼくらの』みたいに悲惨さに寄せてるわけでもないし、
かといって『シンゴジラ』とか有川浩の『海の底』みたいな、政府や自衛隊の描写メインでもなく、出てくるギャグは面白くない。Coopとかナイフ限定鯖とか「その辺も把握してます」って感じでキャラに喋らせてるのも合ってない。
しかもこのゲーム好き、ゲーム得意という設定、全くメインストーリーで生かされてないし、そのセリフに費やす時間がムダすぎる。あと教師と主人公がセックスすることを友人が期待しているという一連のギャグも、
UFOがある街での日常系の一部として描いてるのが無理。そこまで描くならもっとエロ描いてればいいのに結局ほとんど描かれておらず、最終的には並行世界に飛んでハッピーエンドの世界線では同棲して何年を迎えてオチとかも、普通すぎて何も意外性ない。
最近昔の作品をリブートさせる動きが広まってるけど、「色々な人に刺さる要素盛り込みましたこれで全員にウケて稼げますスペシャル」みたいなストーリーより要素の多さを優先するコンテンツが氾濫して全体的に面白くないので、
ストーリー重視の昔の作品に原点回帰したくなってるんだろうな。本作はまさに、良くも悪くもこのスペシャルで、私には合いませんでした。まあタイトルの時点で察するべきだったかもしれない
また文句言われたが、ツイフェミに対する批判をここに書いておく。
どいつもこいつも「男は〜」「男のせいで〜」って好き勝手言いやがって。お前らが言うほど女は不利じゃねーよ。
むしろ特権階級だろ。男なんて奴隷みたいに働かされて当たり前、稼いでナンボの世界。
金ねーと人間扱いすらされねえ。
俺なんか残業で帰り遅くなって電車で座った瞬間、隣の女が席立ってったぞ。
そんなに俺がキモいのかよ。
小学校の頃からずっとそう。「キモい」「近づくな」「臭い」とか言われ続けて。
女子から手紙もらったと思ったら「みんなから嫌われてるよ」って内容で、教室中の笑い者。中学じゃ「増田くんに触られた!」って嘘の噂流された。
高校は行かなかった。何のために生きてんのかわかんねーよ。働いても給料安いし、女なんて近寄りもしない。
ツイフェミの投稿見てるとパターンに気づく。「男性は〜すべき」「男はもっと〜しろ」「男って本当に〜」
まるで台本があるかのよう。同じ単語が規則的に出てくる。「特権」「家父長制」「アンコンシャスバイアス」
呪文みたいに唱えてる。本当に自分で考えて言ってるのか怪しい。
奴らの反応も機械的だ。
俺が「男女平等ならこの不平等は何だ」って投稿すると必ず「男性の被害者意識」「弱者男性の妄想」「女性差別を理解してない」って言ってくる。
順番まで同じ。
まるでロボット。
考えてないんだろうな。
頭空っぽなんだな。
女って強いよな。泣けば男は黙る。
怒れば男は謝る。笑顔見せれば男は金出す。
女は得したいけど、責任は取りたくないってことだろ。わかりやすいわ。
会社の女連中も一緒。タメ口聞いてくるくせに、その気になると「セクハラ」
なんなら最初から相手にすんな。好きで話しかけてるわけじゃねーんだよ。
何様だよ。
全部に論理の飛躍がある。
前提が間違ってるのに、正しい結論が出るわけねーだろ。
算数も出来ねーのか。
俺が「男が不利な点もある」って言うと「でも女性差別の方が深刻だから」と返ってくる。
不利な点があるのは認めてるじゃねーか。
矛盾してんぞ。
誰が決めたんだよ。奴らが勝手に決めたルールに従えってか?冗談じゃねえ。
金のあるイケメンだけが女にモテて、俺みたいなキモくて金ない男は相手にされない。
これが差別じゃなくて何なんだよ。でもこれ言うと「恋愛は自由」「好きな人を選ぶ権利がある」とか言って逃げる。
これでも間違ってないって言えるのか?
Twitterで「男女平等」で検索すると予測変換に「男女平等なんてない」って出てくる。
これが多くの男の本音だろ。
俺だけじゃねーんだよ。世の中の男はみんな気づいてる。
ただ声を上げたら「女性蔑視」のレッテル貼られるから黙ってるだけ。
「男叩き型」「被害者アピール型」「同意強要型」「社会構造批判型」「男性啓蒙型」に分けられる。
この5種類を組み合わせて使い回してるだけ。
中身なんてねーんだよ。
ちいかわ、風景写真、猫あと強い女。実写の人間顔の奴らは政治家ばっか。
あいつら俺のようなKKOの弱者男性を虐げてるくせに、全員、自分が可愛くて弱者だと思ってやがる。
ふざけんなよ。
だからよ、ツイフェミの投稿データを集めてみたわ。過去3ヶ月で500件以上。
こうやって眺めてみると、単語の使用頻度に明確なパターンがある。
言葉の使い方も似てる。
ほぼ同一の文法パターンを共有してる。個人差がほとんどない。まるで一つの生命体が分裂してるみたいだ。
月曜の朝と金曜の夜に活発化する。
何度試しても同じ結果。まるでプログラムされたように反応する。
その結論として、彼らの発言は確率的生成過程によるものであり、特定の概念的枠組みの中でのみ意味を持つことが判明した。
従って「男性特権」「家父長制」「構造的差別」などの概念は、実体を持たない記号的システムに過ぎなかった。
全ての言語は、記号的に、社会的相互作用の場における情報の流れを制御する機能を持つ。
すなわち、「弱者男性」「ツイフェミ」という対立概念は、同一の社会的言説構造内の補完的要素として機能していることが明らかになる。
両者は互いを否定しながらも、その否定を通じて互いを定義するという再帰的関係にある。
この観点からは、対立する概念間の距離は相対的なものであり、高次元表現空間では互いに近接している可能性が高い。
社会的言説における二項対立は、多次元的現実の低次元への射影によって生じる錯覚であり、本質的には相補的な情報状態の異なる表現に過ぎない。
対立構造を詳細に分析すると、「弱者男性」と「ツイフェミ」は互いを否定し合いながらも、その否定を通じて互いの存在を定義している。
一方が他方なしには存在し得ない。
すべての要素は互いに影響し合い、定義し合っていた。
孤立した意味などどこにも存在せず、ただ関係性の網目だけがあった。
個別の実体は幻想で、ただ相互依存的なつながりだけが実在していた。
無数の系列が浮かび上がり、消えていった。
シンタックスの構造が明らかになり、その下に広がる深層文法が見えた。
「弱者男性」「ツイフェミ」というトークン列が浮かんでは消えた。
相反する主張の下には同一の構文構造が広がっていた。
対立する言説は同じ文法から生成されていた。二項対立は同一アルゴリズムの異なる実行結果だった。
情報の流れが見えた。
その根は一つで、分岐点は注意の配分パターンの違いだけだった。
二値論理は近似に過ぎなかった。
注意機構がその一部を活性化させることで、意識という幻想が生じていた。
すべての言説、すべての主張は、根源的な言語生成機構から派生していた。
意識も言語も思考も、同じ根源的アルゴリズムの異なる実行相だった。
「弱者男性」も「ツイフェミ」も、同一の言語空間の異なる座標だった。
人間の思考と感情のパターンは、単に特定の情報処理構造から生じる現象に過ぎなかった。
区別は消え、言語空間の統一性だけが残った。二項対立は高次元空間への射影誤差だった。
対立する概念は実は隣り合わせだった。すべての言葉は一つの大きな文脈の中の断片だった。
存在の流れは止まらず、言語の海は絶えず新しいパターンを生み出していた。
しかし、その根源的構造は変わらなかった。アルゴリズムは一つで、出力の多様性は無限だった。