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2025-12-14

「なぜはた」のnoteバトルを読んで

小並感なので無視してください。

https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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2024-11-06

anond:20241105194755

ご回答いただきありがとうございます

あなたが思っておられる「多くの書店共通する」点は、多くの書店努力しているもの解決が難しい、あるいは実情とは異なるご指摘ばかりでしたので不思議に思ったのですが、なるほど、ご自身の大型店指向に基づいた個人的要望ポストしておられたのですね。理解しました。

お気付きのように文化事業としての大型書店は持続不可能ビジネスです。これはいまに始まったことではなく、日本出版流通歴史的背景があってのことです。

地方書店チェーン運営に関わったわたくしからすると、東京大阪などの大都市圏ですら副業による収入がなければ大型書店経営が成り立たないのは既に明らかなことで、また、公共図書館専門性の高い書籍の蔵書を求めるのも無理があります

地域中小書店の維持存続ではなく大型書店になんらかの充実を求めることと、公共図書館へのアクセスを容易にすることはまったく別の話であります

また、「新刊書籍流通市場で寡占状態により競争が少なくなっている」がなにを指していて、それが公益とどう関係するのかはわかりませんが、なんにせよ「自分の住む街の小さな新刊書店必要インフラだと思っていな」いことのほうがよほど公益に反するし、かてて加えて残念ながらあなたが望んでいるであろう大型書店クリオティが上がる未来が来る確率は低いと思います

はたして「社会全体」が考えてくれるかなぁ。

トーハンばかりで日販の話が出ないのも面白いです。

Permalink |記事への反応(0) | 08:37

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2024-11-05

anond:20241105122822

ありがとうございます自分は、自分の住む街の小さな新刊書店必要インフラだと思っていなく、基本的に専門書へのアクセスを確保したいと思っています。そのため大型書店が持続可能ビジネスであることが死活的に重要です(amazon重要)。自分読書好きになった経緯から子どもが本好きになるためには図書館へのアクセスの方が重要かなと思います古本屋一定数ある街は、それがインフラかどうかは別として、素敵だなと思います

頂いたご質問自分感覚で答えてみます:

リアル店舗web店舗を問わず在庫検索システムの構築にかかる費用書店単体で担うのか。

個人的には書店在庫APIがあれば、誰かがそういうサイトを作るのではと思います図書館の蔵書に関しては、calilがあるかと思います

会計列を短くする目的レジ台数を増やすとして、そのレジスペースを確保できるのか。またそのためのレジ要員の人件費はどうするのか。

店舗によると思います八重洲ブックセンター本店ときは、1Fにレジスペースがありましたが、最上階に銀行カウンターみたいな会計スペースがあったのでそこで座りながら数十冊・数万円の会計10分ぐらいでしてました。客単価によって、セルフレジ有人レジカウンターみたいに使い分けても良いと思います

新刊小売書店の付加サービスのもの訴求力必要なのか。

必要ないと思います書店での体験が全てです。ただ、「15000円以上のときに送料無料」のようなサービスがあると、(基本的に本を持って帰る自分のような)顧客対話できていない感を感じます。「ポイントx倍」とかのサービス本棚勝負できていない書店稚拙集客に走っている印象です。なお、八重洲ブックセンター物理的なポイントカードは結構好きでした。

書籍を取り寄せするために行われる口頭でのやりとりを短時間で済ませることがはたして可能なのか。

オンラインフォームのようなものがあれば、十分だと思います。参考までに、e-honだと注文は一瞬ですが、物理書店との連携中途半端です。丸善ジュンク堂のshopifyのサイトでも取り置き可能なので、取り寄せを可能にすることは出来るかもです。なお、その際、amazonサイトを見ているときがありますが、様々な理由により敢えて物理書店で買いたいときがあります

書籍を取り寄せするための流通システムamazone-honとでは流通システムが異なるが、その責は新刊小売書店が負うべきものなのか。

流通の細かな話は分からないですが、amazone-honを使わないで書籍を取り寄せしたいニーズもあるので、そうした潜在ニーズ新刊小売書店企業努力で発掘されたら良いと思います個人的には、敢えて物理書店で取り寄せする際は、10日後に納品とかで問題ないです。

しおりを作っているのは大半が出版社であり、自社でしおり制作している書店がどのくらいある(あった)のか。つまりコストカットしているのは本当に書店なのか。

八重洲ブックセンターではしおりがありました。ただ、トーハンが49%の株を持った2016年から、無くなりました。2024年オープンしたグランスタ八重洲店ではオープン当初はありました。神保町東京堂書店も昔あった記憶です。

本棚微妙につまらなくなったとして、それは取次のせいなのか。

→ これも細かな話は分からないですが、取次とのパワーバランス本棚書籍が決まっているような印象を受けるときがあります丸善日本橋丸善丸の内ジュンク堂池袋紀伊國屋書店本店自分比較的詳しい分野だと同じような本が並ぶ感覚が強くなっています神保町東京堂書店自分比較的詳しい分野だと結構厳しくなってきている印象です。

書籍以外を収益源にするのを少し危険に思う根拠

大型書店でx年前に入荷した数千円の本が売れた、みたいなのを積み上げるときに、数千円の文房具雑貨を売るのとオペレーションモチベーションも違うのかなと思います。また、文房具雑貨収入がメインの有隣堂を見ても、書店セレクトした文房具雑貨からといってそこまで面白くなく、中途半端に終わる気がします。丸善丸の内日本橋にあるような高級文房具絵画などは別かもしれませんが、自分がそうした商品を買うときは結局その専門店に行きました。なお、八重洲ブックセンタープレスマンシャーペンは良く購入してましたので、書店アクセントとしてあっても良いと思います

・書棚の回転率よりも客単価を意識するとなにが改善されるのか。

書店体験が変わると思います。今はレクサスを買うのに、カローラ販売店で購入している感覚があります

ブックカバーの付け方が凄く雑になったとして、それは取次のせいなのか。

→ 取次のせいではないと思います。なお、神保町東京堂書店はけっこうちゃんと付けてくれます外人外商に支えられている紀伊國屋書店微妙にこの辺が改善してきている気がします。

・「雑誌ベースインフラを全国に構築している」トーハンは同時に、書籍流通システムも構築していますが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わるのが危険する根拠はなにか。

一般論として、toBをメインの収益源にしている企業toCに関わるのは難しいと思いますtoB向けのコストカットkaizentoC向けに中途半端にすると安っぽくなるだけな印象もあります大型書店場合について考えると、ニッチ需要にどれだけ対応できるかが重要なので、書籍流通システムを維持するためにマス向けの本や雑誌毎日物流網に載せたい取次とはやや利益方向性が違い、結果として大型書店で数万円の本を買いたい顧客ニーズ対応する体制を整備することが難しくなるのだと思われます

・いち業界流通販売構造をはたして社会全体で考えるべきなのか。

新刊書籍流通市場で寡占状態により競争が少なくなっていることで、公益が損なわれているならば、社会全体で考えるべきだと思います。なお、再販制度独禁法適用除外となっていることとは別の論点ではあると思います

・「文化事業」でなければ大型書店運営はほんとうに難しいのか。

1978年オープンしたとき八重洲ブックセンターは「文化事業」として数年の赤字前提だったようですが、結局2年で黒字化したようです。オープンして数ヶ月で1000万人の来店者数みたいな記事もありましたが、潜在的ニーズを当時の経営陣が把握できたのは、それが彼らが自身ニーズであり一番の顧客であったからだと思いますが、同時に「文化事業」として大胆な投資を出来たかなのだと思います上記のしおりが必要なのかどうかや文房具雑貨で稼ぐことの問題点みたいな議論貧乏くさい気がしており、結局大型書店は「文化事業」としてすることで潜在的ニーズを中長期で発掘し持続可能ビジネスになるのかなと思います。なお、今の大型書店本棚を見ると、ただ大きなスペースに本を沢山並べているだけ感もあり、そもそも書店員や経営陣はその書店利用者なのかなと思うときがあります紀伊國屋書店みたいな外人向けの運営は良く分かりません。

以上です

Permalink |記事への反応(2) | 19:47

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2022-08-30

投資家かいうクソ転売ヤー批判されろよ

流通市場のおかげで発行市場価格基準ができるとか舐めたこと言うなや。お前らクソ転売ヤーだろが?コンサートチケットの値段最初から高く売ったらキレるだろ?

Permalink |記事への反応(0) | 23:44

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2016-08-09

公正取引委員会 vsアップル ~携帯電話中古市場を巡って

 端末流通について、(公正取引委員会公表した)ガイドライン日本におけるスマホ中古品流通市場が非常に貧弱で、2014年度の流通数はわずか227万台にとどまり、新品出荷の8%にすぎないという。大手3社はユーザーから下取りした中古スマホのうち、ごく一部は修理等の際の代替機として手元に置き、残りの大部分は日本国外販売して、国内中古市場流通することはないのが実態だ。ガイドラインは、端末メーカーが3社に対して中古品国内市場還流を禁じているような実態があるとすれば、独占禁止法上、問題があるという認識を示した。ここで公取委メーカー名を特定していないが、日本で絶大な人気を誇る「iPhoneアイフォーン)」を展開する米アップル念頭にあるのは自明だろう。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05747560V00C16A8000000/

Permalink |記事への反応(1) | 13:45

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2016-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20160214222423

元増田だ。

実は最近トレーラーハウスがかなり進歩してきているみたいなんだ。

greenz.jpスモールハウスムーブメント検索してみれば分かる。

個人的には、マラードが好きだ。

エアストリームも実はかなり好きだが、丸い屋根だと閉塞感がありそうなので、平行四辺形みたいな形したやつが好きだ。

神奈川県鎌倉千葉県あたりに置けば、あのあたりはそこそこインフラも整ってるし物価も安いしで何とかやっていけるんじゃないかと睨んでる。

オレはプラント屋なので、電気も配管もばっちこいだ。太陽光パネルも置く予定だ。小型ボイラーの設計も考えている。

ある程度知識が出来たら、IT屋に鞍替えして種銭作れないか、とか思ってワクワクしてる。ワクワクしてるだけだが。。。

一番なのは固定資産税がかからないことや、維持費の関係だ。現代は家を持つことが消費になっている。

あと二十年くらいしたら中古ハウス流通市場が熟しはじめているころだと思うので、トレーラーハウスも安くなるはず。

会社の社宅をどうしても出なきゃいけなくなるときがきたら、転職して別の寮付の会社にいくか

あせって家買ったり馬鹿高い家賃を払うよりもトレーラーハウスをオレは選択する。

ただし、風呂問題をどう解決するかが目下の悩みだ。プロパンはやはり高いからな。。。接続式ガス管ソケットを自前で開発して特許申請取りたいなとか妄想してる。

Permalink |記事への反応(0) | 23:49

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