
はてなキーワード:法句経とは
軽率な発言や、己を賢いとみなすことの危うさについては、仏陀も強く説いています。
「愚かさ(無明)」とは、単なる知識の欠如ではなく、物事の本質を見誤る心の状態を指します。
特に、自分を賢いと思い込むことは、自己を中心に世界を見てしまい、真理から遠ざかる原因となります。
これについて、ダンマパダ(法句経)には次のような言葉があります:
「愚者であることを知る者は、ある意味賢者である。しかし、愚かでありながら自らを賢いと考える者こそ、真の愚者である。」(ダンマパダ 63)
ソーシャルメディアでは、自分の意見を即座に発信できるため、「自分の考えは正しい」「相手よりも賢い」と錯覚しやすくなります。
しかし、禅では「自己を疑うこと」こそ智慧への道であると説かれます。
禅の世界では、「沈黙の智慧」や「言葉の慎重さ」が重視されます。
たとえば、禅僧の白隠禅師(はくいん ぜんじ)は、次のように言っています:
これは、軽率な発言が人を傷つけたり、不要な争いを招くことを戒める教えです。
SNSでは、怒りや感情のままに言葉を発してしまうことがありますが、それが原因で対立や誤解が生まれます。
禅の教えを現代に応用するなら、「投稿する前に深呼吸し、三度心の中で読み返してから発信する」のがよいでしょう。
禅では「無駄口を叩かない」ことが大切です。
禅問答でも、弟子が多くを語ろうとすると、師はしばしば沈黙で応じます。
これは「言葉に頼らず、直感的に物事を理解せよ」という教えです。
「言葉にとらわれるな。ただ坐れ。」
これは、議論や主張に夢中になるのではなく、沈黙の中で真理を感じることの重要性を示しています。
もし禅の教えをソーシャルメディア時代に適用するなら、以下のような実践が有益でしょう:
2. 「沈黙は金」語る必要がなければ沈黙を選ぶ(黄檗禅師の教え)
4. 「慢心を捨てる」自分が正しいと思い込まない(ダンマパダの教え)
禅の精神は、「発言する前に、己の心を静かに観察する」ことにあります。SNS時代こそ、禅的な慎重さが求められるのかもしれませんね。
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青二才に対する期待値が異様に高いため、自縄自縛で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。
青二才に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「青二才だからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。
「自分を楽しませられるよう、もっと粘着すべきだ!」「世界に理想をおしつけなくて、ただ一方的に病気を治すべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の青二才に嫌悪感を抱かれているのでしょう。
けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間のブログかあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。
かつての「サイバーメガネ」ですら、徹底的な欲望の特権を得ることといわば交換に、裁判をする事になったのです。現代のように互助会化したはてなに、何も差し出さずに「ただ煽りや粘着がほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から構うと思えるブロガーは、この世にいません。
ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の増田は、面白さらしさも、気遣いもないから好きじゃない」とスネている青二才に対して、あなたは気を遣い、ないしは閲覧者らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。
「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。
【回答】
女性に対する期待値が異様に高いため、自縄自縛で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。
女性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「あ、こいつ俺に惚れてるなと思ってたら実は違ったからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。
「自分を楽しませられるよう、急に不機嫌にならないようにすべきだ!」「優しくて、ただ一方的に自分に奉仕してくれる人であるべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の異性に嫌悪感を抱かれているのでしょう。
けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。
かつての「日本なでしこ」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を失うことといわば交換に、男性を持ち上げていたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただセックスさせてほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える女神は、この世にいません。
ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の男性は、男らしさも、積極性もないから好きじゃない」とスネている女性に対して、あなたは気を遣い、ないしは男らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。
「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。