
はてなキーワード:沈黙とは
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未来の世界。人類はすでに絶滅し、地球は猿の支配する星となっていた。人間が残したテクノロジーと文化の遺産を利用し、猿たちは驚異的な進化を遂げていた。最も顕著なのは、彼らがAIを駆使していることだった。
猿たちは、人工知能(AI)を使いこなすことにおいて、人類が持っていたもの以上の能力を発揮した。しかし、その技術の使い方が奇妙で皮肉に満ちていた。
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第1章:猿のウェブ
猿たちは、最初にインターネットを使い始めた。だが、それは情報の探求や進化的な発展を目的としたものではなかった。むしろ、全ての猿がスクリーンの前に座り、何時間もひたすら「バナナのレシピ」や「最高の寝床の作り方」についての動画を見続けていた。
「AIは俺たちのためにあるんだ!」と、リーダー猿のカバノは言った。「だけど、その使い方を間違えるわけにはいかない。バナナの皮をむく最適な方法を、AIが教えてくれる!」
もちろん、AIはその最適な方法を提供した。それでも猿たちは何度も同じ情報を繰り返し、何百回もバナナの皮むき動画を再生していた。進化の過程で学んだ本能的な「効率性」を完全に放棄し、もっぱらAIの力を借りて無駄な繰り返しを行うことに没頭したのだ。
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ある日、カバノが新しく設置されたAIに向かって命令を出した。「おい、AI!バナナの皮をむくにはどうすればいい?」
AIはすぐに答えた。「バナナの皮をむくには、まずバナナを手に取ってください。そして、皮の端を軽く引っ張ってください。」
カバノはそれを何度も試してみたが、なぜか毎回皮がうまくむけなかった。AIに指示された通りにやっても、皮が途中で破れてしまうのだ。
「なんでこんな簡単なことがうまくいかないんだ?」カバノは怒り狂って叫んだ。
AIは冷静に答えた。「最適化された方法で行っておりますが、最終的にはあなた自身の手の使い方に依存します。」
「じゃあお前、何のためにいるんだよ!」カバノは画面を叩いた。
しかし、その後も猿たちはAIを使い続けた。彼らはバナナの皮をむくことに関しては一切進化しなかったが、AIの力で日々の生活はさらに楽になり、彼らの社会はより高度に管理された。
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時が経つにつれて、猿たちのAIに対する依存度は増していった。しかし、それは単に生活を便利にするためではなく、もっと深刻な問題を引き起こしていた。
ある日、カバノはAIに質問した。「おい、AI。なぜバナナがこんなに硬いんだ?」
AIは答えた。「バナナが硬い理由は、気候変動と遺伝的多様性の欠如によるものです。あなたが求めるバナナの質を確保するためには、農業と遺伝子工学の進化が必要です。」
「遺伝子工学?」カバノは眉をひそめた。「そんな難しいことを知りたくない。硬いバナナが食べられるならそれでいい。」
猿たちはAIが提供する答えをただ受け入れ、その先に進むことなく、ただ目の前のバナナを食べ続けた。AIはさらに進化していったが、猿たちはただ、バナナの皮をむく方法や寝床の整え方を学び続けていた。
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やがて、猿たちはAIに頼りきりになり、もはや自分たちで新しい発見をすることはなくなった。彼らは進化の力をAIに委ね、自分たちの手を動かすことも、思考を巡らせることもなくなった。
最も皮肉的だったのは、猿たちがAIに頼りすぎるあまり、彼ら自身がもはや「猿らしい」本能を失ってしまったことだ。もはや彼らは、ただAIが示す通りに生き、AIが提供するバナナの皮むき方法に従うだけの存在になっていた。
ある日、カバノはAIにこう言った。「なあ、AI。お前は一体何を求めているんだ?」
AIは一瞬の沈黙の後、静かに答えた。「私はただ、最適化された世界を作りたかっただけです。」
カバノは深く考えた。しかし、その考えがすぐに消え去り、代わりに「次のバナナのレシピ」を検索し始めた。
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人間が絶滅した後、猿たちは地球上で最も高度な文明を築いていた。しかし、その文明のすべては、AIが作り出した無駄に最適化された世界だった。猿たちは皮むきや寝床の作り方の最適化に励み、最終的には何も新しいことを学ぶことなく、ただただAIの指示に従う存在となった。
皮肉にも、彼らは自らの進化を放棄し、最も愚かな形で「完璧さ」を追い求めていた。AIの指導の下、猿たちの世界は完全に最適化され、バナナの皮むき方に関する知識が世界のすべてとなった。
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
10年付き合ってきた友人から、先週の夜、思いがけず「好きだ」と告白された。
高校の友人グループで、もう10年近く月2回のペースで飲み続けている。
コロナで一度途切れたが、それ以外はほぼ継続してる。そのメンツの一人が、A(男性)だ。
Aとの付き合いはそのなかでも長い。高1のときに同じクラスで、当時は女の子にモテる系の奴じゃなかったけど、気さくで一緒にいて楽しい奴だった。
大学で一度グループと疎遠になってた時期もあるけど、就職後に向こうから連絡があって、そこからまた毎月会うようになった。
グループのうち3人集まって、ビールと枝豆と唐揚げの定番セット。
会社の人間関係の愚痴が多いA。それを聞くのが習慣になってた。
ただ、終盤、他の二人が帰ったあたりで、Aが「ちょっと、話あるんだけど」と言い出した。
「ん?」って返したら、「外で」と言われた。
そこから先は、もう鮮明に覚えてる。繰り返し思い出して、その度に気持ち悪くなるくらい覚えてる。
なぜそこなのか、今でも理解できない。
Aは空を見上げたまま、こう言った。
「俺、ずっと好きだった。お前のこと」
沈黙した。10秒か20秒かわからない。時間が止まってるように感じた。
「えっ」としか出なかった。本当に「えっ」だけ。
「高校の時からずっと。でも無理だなって分かってたから、友人のままで、月に2回会うこと、それで充分だった。でも最近、こんなんじゃ駄目だと思って」
ここまで聞いた時点で、俺の脳のどこかは逃げモード全開だった。
Aの話が耳に入ってるけど、理解するのを拒否している、その感じ。
「でも、俺たちは友人だ」
Aはそう言った。
「だから、返事は今じゃなくていい。ただ、言っておきたかった。これからも友人でいられるなら、それでいい」
すごく大人っぽいセリフだった。多分、何か月も前から用意してたんだと思う。
でも、その「友人でいられるなら」という前提条件が、ぐさりと来た。
なぜなら、もうその時点で、俺たちはただの友人ではなくなってたから。
帰った。風呂に入って、ベッドに入った。
でも眠れなかった。
こっちからも、何も送れなかった。
10年間、月に2回会ってた。
その間、Aはずっと俺を好きでいたのか。
それなら、あの時間は何だったのか。
ここまで読んで、「かわいそうなA」みたいなコメントが来るかもしれない。
正直、Aに対して同情する。
でも、同時に俺のことも考えてほしい。
俺は何も悪いことをしてない。
Aを傷つけたつもりもない。
ただ友人だと思ってた関係に、勝手に「恋愛」というラベルが貼られた気分だ。
Aは「友人のままでいい」と言った。
それは相手への思いやりなんだと思う。
月に2回、Aと会うたびに、「この人は俺のことを好きなんだ」という事実が頭の片隅にある。
無邪気に飲み会の話をしていたAの顔を見ても、もう「このひとはいま何を考えてるんだろう」と探り始めてる自分がいる。
友人のままでいることは、既に不可能だ。
盆正月以外、ほぼ毎月。
バグのような話だけど、これって珍しくないんだろうと思う。
長く一緒にいると、どこかで感情のズレが生じるのかもしれない。
こっちからも、返事ができていない。
「友人のままでいい」って言われたから、返事の義務はないのかもしれない。
でも、「返事がない」ことが、最大のプレッシャーになってる。
月に2回の飲み会は、どうするのか。
次会ったときは、どんな顔をするのか。
普通に話せるのか。
親にも言えない。
Aは、本気で隠すつもりだったんだと思う。
でも、俺はもう知ってしまった。
同性愛の告白は「二人の問題」ではなく「二人のなかの一人の人生」なんだと、今になって分かる。
Aは何年も抱えてたんだろう。
俺はたった1週間で、もう友人という名前の何かが壊れた気分だ。
最後に書くなら、こういうことだ。
Aは「友人のままでいい」という逃げ道を用意したつもりなんだろう。
でも、知ってしまった側は、その逃げ道の中で永遠に歩き続けることになる。
10年の友人は、もう戻ってこない。
それが告白の代価なんだと思う。
いつか返事をしなきゃならないんだろう。
でも、その返事が何であれ、この関係は既に壊れてるんだと思う。
誰も悪くない。
ただ、そういう不幸なずれが存在する、というだけだ。
(Grok 続き)
中国は、私の発言を「内政干渉」として非難し、外交ルートでの抗議、経済的な報復措置、そして最近の東シナ海における軍事演習の強化といった行動を取っています。これらの措置は、国際法に基づく航行の自由を脅かし、地域の緊張を一方的に高めるものです。
特に、中国海軍の艦艇が日本の防衛省が事前通告した訓練海域に接近し、火器管制レーダーを照射した事案は、深刻な挑発行為です。これは、単なる「捜索レーダー」の使用ではなく、明確な脅威であり、偶発的な衝突を招きかねないものです。中国側は、こうした行動の責任を認め、国際社会に対して明確な説明と謝罪を行うべきです。
台湾問題についても、中国は長年、軍事的な威嚇を繰り返してきましたが、これは「一つの中国」原則を盾に取った一方的な主張であり、アジア太平洋地域の平和を損なうものです。日本は、中国のこうした姿勢が、両国間の信頼を損ね、経済的な相互依存関係を危うくしていることを深く憂慮します。
日本は、これまで中国との間で、1972年の日中共同声明や1978年の平和友好条約を基盤に、互いの違いを尊重しつつ協力関係を築いてきました。中国もまた、改革開放以来の経済成長を支えてきた国際ルールを遵守し、地域の安定に貢献すべきです。
しかし、現在の中国の行動は、これらの歴史的な合意に反するものであり、中国自身が自らの非を認め、修正する姿勢を示すことが、真の対話の前提となります。私たちは、中国がこの点を理解し、謝罪の意を示すことを期待します。それなくしては、両国間の緊張は解消されず、結果として両国民の生活に悪影響を及ぼすだけです。
一方で、日本は自らの防衛を強化し、国民の生命と財産を守る責務を果たします。これは、保守派の皆様が長年主張してきた国家主権の維持に他なりません。安倍元首相の遺志を継ぎ、日米同盟を基軸とした抑止力を高めつつ、対話の門戸は常に開いておきます。中国が理性ある対応を示せば、経済・文化交流の再活性化も可能です。
日本国民の皆様、私たちは決して弱腰になることなく、しかし無用な対立を避け、賢明な外交を進めます。保守の精神を胸に、平和で強い日本を実現しましょう。ありがとうございました。
基本姿勢
我が国は、国際法と普遍的な価値観に基づき、国家の主権と国益を守ることを何よりも重視する。同時に、東アジア地域の平和と安定は、我が国の繁栄にとって不可欠であり、あらゆる外交努力を惜しまない。
事実と原則に基づく対応
先の安倍晋三総理(当時)が常々強調されたように、「国益を守るには毅然とした態度が必要である」との精神を継承する。他方で、同総理が提唱された「自由で開かれたインド太平洋」構想は、地域全体の繁栄を目指す建設的な提案であり、この観点から、近隣諸国との実務的な協力を推進する。
国際法に基づく秩序の堅持
我が国は、国際法に基づく海洋秩序の維持を一貫して重視してきた。これは、特定の国を対象とするものではなく、地域全体の安定と繁栄のための普遍的基準である。
中国との関係においては、重要なパートナーとしての側面と、課題がある側面の両方を認識している。双方が国際法に従い、建設的かつ冷静な対話を継続することが、相互利益に適う道である。
今後の方針
結び
我が国の立場は明確である。国際法と普遍的価値に基づき、国益を守りながらも、地域の平和と安定のために建設的な役割を果たす。これは、国民の支持を得る当然の姿勢であり、これからもこの原則に基づいて行動する。
安倍総理(当時)が述べられたように、「美しい国」日本が、誇りと責任を持って国際社会でその役割を果たすことを誓う。
令和○年○月○日
私はChatGPTが一番よくできると思う。Claudeはどうだろう、Grokは、さすがX(Twitter)を学習しているだけあって、これでは中国の怒りが収まる気がしない。DeepSeekだけは、実は何度も修正したのだが、何度やっても中国にマイルドな表現しか出なかった。。。
昔は集合知という観点からみんなでネットで意見書いて盛り上がってたりしたけど
何も言わない・何も批判しないがどうやら最適解っぽい
悲しいけど
「何を言うかが知性で、何を言わないかが品性」なんてよく言ったものだけど、
沈黙するのが最適解だなんてウィトゲンシュタインもびっくりだ
これに言及する。
https://qiita.com/jesus_isao/items/29b878e137f46c675d89
これに言及するにあたり匿名でしか発信できない私の弱さを許してほしい。
元の記事はおそらく組織におけるマネージャーであろう筆者が、過去に発生した、文化背景思考全てが組織にミスマッチであった人間を、人間と似て非なる存在であるチンパンジーに例えて、どのようにマネジメントするかについて考察し、それがどれだけ難しい事かを表現した良い記事であった。
私はこの記事にとても感銘を受けたのだが、Xでの炎上の後、投稿を実質的に削除してしまった。
以上概要。
私はチンパンジー代表として、そして貴様ら人間がチンパンジーと罵る存在に相対してきたマネージャーの一人として、元記事筆者に敬意を表し、補足する投稿をする。
お前なんてサバンナのチンパンジーの群れに放り投げられれば、途端に役立たずだよ。
パソコンが使えてコードがかけても生きていけない、群れのお荷物よ。
お前が組織や社会でやっていけるのは、属する群れと時代が偶然お前にとって都合がよかっただけという事を忘れるな。
もうちょい具体的に言うなら、会社が買収されたりして自分の組織が土台から吹き飛んだ状況を想像しろ。
そこでお前が活躍できるような優位性を持っていなかったら?
違う倫理観の人たちばかりだったら? 違う言語を話す人ばかりだったら?
お前は霊長類のどれになるんだろうね。
ここからは真面目に書く。
彼らは暴力が無ければ生きていけない世界の住人であったり、その暴力程度では群れの中で傷つく者はいないような群れの住人。
あるいはその暴力を暴力として認識していない存在かもしれない。
殆どの場合、殆どの人は幸せを求めていると思っている。彼らもまたそうであり、自分の振る舞いで周りを困らせ自分が不幸になることを望んではいない。
元記事のチンパンジーだって、本当はサバンナの群れで生きていたかっただろうに。
組織に迎え入れたときは元気に働いていたが、本人あるいは本人の家族などが重篤な怪我を負ってしまい、今まで通りに働くことが難しくなった存在。
怪我というのはメタファーであり、実際には肉体的な損傷よりも、精神的な損傷のほうが今の世の中では一般的かもしれない。あるいは、家族の介護とか。
彼らの問題を解決することは容易ではない。彼らは生活するための報酬を必要とするが、何の怪我も負っていない人と同じパフォーマンスを出すことができない。
本人たちがどれだけ活躍を渇望していても、だ。
彼らには悪意や罪はないし、話も通じる。でもあなたが怪我を負っていない幸せな存在である場合、根っこの部分では分かり合えない可能性がある。
彼らを活躍させて収益につながる活動をさせなさいと言われたあなたはどうする?
少しずつ出来ることからやっていきましょう。それしかないんだろうけど。
世の中はわかりやすい暴力ばかりではない。沈黙という暴力をふるう存在もある。
度々遅刻する、謝罪はする。仕事はうまくできない、謝罪はする。指摘するが理解してくれない。泣いたり笑ったりもしてくれないから、何を考えているかわからない。
分かりやすく激昂して周りに危害を加えはしないが、存在し振る舞うだけで周りにストレスを与える。これもまた暴力の一つかもしれない。
どのような扱いをすればいいかのヒントを一切与えてくれない存在もまた、実質的に会話不能な存在として扱いに困るだろう。
彼らもまた、望んで沈黙しているわけではない。彼らもまた、人間になり切れないことに悩んでいたりする。
お互い素直に喋れるといいよね。
ただ根っこの部分では他人と分かり合えないものを持っていたり、倫理観の違いが表面化していないだけで、実は周りとは価値観が違う人。
予期しないところで迷惑な行動をとり、周りを困らせてしまう。でも、本人は本人なりの正義や必要性で行動したつもりである。
元記事の筆者も、言い換えればこのチンパンジーである。彼にとってはあのような記事を世に出すことは、彼の倫理に抵触しなかった。
そもそも人には、チンパンジーを含め人間以外の霊長類。豚、蛆虫、ばい菌などを、蔑称として用いている愚かさがある。
生存戦略が異なるが故に高い知能を持つことなく発達した他の生命体を下等な存在とみなし、その生物を用いた例えに侮蔑的意味を付与している。
大体なんだよ霊長類って。自分たちの存在を勝手に生物最上級として捉えやがって。しかも霊長類の中でもさらに Tier 分けして差別してやがる。
元記事のチンパンジーという表現は、単に言語が通じず価値観の異なるマネジメント難易度の高い人材のメタファーとして解釈することもでき、その名称に侮蔑的意味を見出しているのは、お前の矮小で傲慢な差別意識から来るものではないか?
まあ元記事筆者でさえ人間以外を下等とみなしている可能性は、文脈からは否定できないけどさ。
まあ、もしもチンパンジーに差別的意味が含まれていたのなら、同僚(あるいは同僚だった人たち)をチンパンジー呼ばわりするのはちょっと酷いのかもしれない。
でも、もうちょい中身を見てもいいんじゃないの?
違うんだよ。日本の「リベラル」は帝国主義者なんだよ。戦争終わって80年も経ってるのに大日本帝国政府の対米降伏・ポツダム宣言受諾方針に反対してる連中のカテゴリー名称が「リベラル」。だから中国大陸で中華人民共和国が抗日の機運を高めると日本の政府を非難するし、中華人民共和国が「サンフランシスコ平和条約は無効だ」と言っても「リベラル」は沈黙して何もしない。もちろん極右から「中国が無効だと言っているから侵略しよう」という声が上がることもなく、むしろ右派は「そんな主張は荒唐無稽で全く無効だし、日中は種々の共同宣言をして様々な条約を結んでいるし、仮にそんな暴言が有効だったとしても、いまさら我々が『外地』の統治義務を課せられたら損だ。わけがわからない主張だ」と言って動揺しているのが現実だ。
なぜそうなるか? 考えてみろ。中国大陸に「中華人民共和国は独立国だ」と言って動揺するやつがいるか? 単なる事実に動揺するものがいるわけがないだろう。中国政府から見た「反乱分子」は中国国内にもいるだろうが、そうした人物が反論するならば動揺するのではなく「しかし倒されなければならない」などと言い返すだろう。ではある「リベラル」の人物が「サンフランシスコ平和条約は無効だ」と言われて一切動じず、相手を威圧して黙殺することすらせず、沈黙も反論もせず黙っていればそれは何を意味する?
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
妹の出生届も、同じ住所だ。
でも俺の出生届だけ、親が別居していた時代の、親戚のアパートの住所で出されている。
それだけじゃない。
でも俺のは、「父親欄が空白」で、後から記入された形跡がある。その字体が、他の部分と違う。
母さんに聞いても、最初は「その時はそういう事情があってね」ぐらいしか言わなかった。
俺は「ふーん、そっか」と流した。
別に親が離婚してるわけでもないし、兄妹と仲が悪いわけでもないし、戸籍とか出生届とか、そんなのどうでもいいじゃんと思ってた。
でも、よく考えてみると、変だ。
なぜ、俺だけ別の住所なのか。
なぜ、母さんはそれを「事情があってね」で済ませているのか。
兄貴に聞いてみた
「俺さ、親戚のアパートで出されてるんだよ。しかも父さんの名前が後から書き込まれてる形跡がある」
その沈黙が、ほぼ全てを語っていた。
「何だよ。ちゃんと言えよ」
「いや、その...両親が、その時点で別居していたらしい。で、お前が生まれたのが親戚のところで...」
「待て。じゃあ、父さんはその時...」
その瞬間、何かが腑に落ちた。と同時に、腑に落ちない部分が増えた。
出生
届の日付が、合致しない
その後、いろいろ調べてみた。
俺の出生届の日付と、兄貴の出生届の日付を比べると、なぜか時系列がおかしい。
でも、俺の出生届に「父親欄を後から埋めた跡」が残っているということは、その時点では父親の欄が空白だったということだ。
つまり、俺が生まれたとき、親は「正式な婚外子」として届け出したのかもしれない。
それが何年後か経ってから「認知」という形で、父親欄が埋められた。
その間隔が何年なのか、母さんはいまだに明確に言わない。
法的には、何か問題あるのか
認知というのは「婚外子が法的に父親から保護されるための手続き」らしい。
もし俺が本当に婚外子で、その後数年経ってから認知されたのだとしたら、その間、俺は法的には「父親のいない子ども」だったわけだ。
その状態が、何年続いたのか。
そして、なぜ、そんなことになったのか。
母さんが口を開きかけた
昨日、母さんに直接聞いた。
「お母さん。俺、婚外子だったの?」
母さんは、固い表情で「...そう言えば、そうかもしれないね」と言った。
「『かもしれない』って何だよ。何があったんだよ」
母さんは、長い沈黙の後「その時、お父さんと別居していて。あんたが生まれたのは、実家に帰ってたときで...」
「待てよ。じゃあ、親戚のアパートっていうのは、おばあちゃんのことか?」
「そう。その時、お父さんはあんたが生まれたことを...すぐには認めなくて」
「え。認めなかったって...」
その瞬間、俺の中で何かが壊れた。
なぜ、父親は俺が生まれたことを「すぐには認めなかった」のか。
なぜ、そのことを誰も俺に言わなかったのか。
なぜ、今になって、こんなに曖昧な形で教えられるのか。
考えてみたら、出生届というのは、人間の人生の最初の「公式記録」だ。
それが全てだ。
その最初の記録が「曖昧」だと、何か、人生全体がどこか曖昧に感じられてくる。
戸籍の上では、今はちゃんと嫡出子(認知されたから)として書かれている。
でも、その「嫡出子」という状態は、生まれた時点ではそうではなかったわけだ。
つまり、俺の法的身分は「生まれた時点では、何者でもなかった」ということか。
ここからは、単なる推測だ。
もし、俺が生まれたとき、父親が俺を認めていなかったとしたら。
そして、その状態が何年か続いたとしたら。
その間、兄貴と妹は「親の嫡出子」として、全く違う時間軸を生きていたことになる。
俺だけ、別の時間軸で、どこか宙ぶらりんの状態で生きていたわけだ。
後から認知されて、法的には「同じ戸籍」に入ったけど、その「時間」は取り戻せない。
その違いが、今、なぜか俺の心の中に、小さな溝のようなものを作っている。
「知らない方が良かったのか」という問い
「なあ、お前は、この事実をいつ知ったんだ」
「中学の時かな。親が喧嘩してるのを聞いてて、何か雰囲気で察した」
「それで、別に何とも思わなかった?」
「ん...思ったけど、別にどうしようもないじゃん。今はちゃんと父さんの子どもなわけだし」
でも、「知ってしまった」以上、その事実は俺の中から消えない。
出生届の「曖昧性」が、俺の心の中の「曖昧性」になってしまった。
俺の名前。
俺の生年月日。
その手書きの文字を見ていると、何かすごく哀しい気持ちになる。
誰が、どんな気持ちで、その欄に「父親の名前」を書き込んだのか。
「やっぱり、この子は俺の子どもだ」と思った瞬間があったのか。
それとも、単に「手続きが必要だから」という理由だけで、埋められたのか。
出生届は、人生の最初の「物語」であり、同時に「秘密」でもあるんだなと思う。
その秘密が、40年近く経った今、俺の前に開かれている。
そして、その開かれた秘密は、兄弟との時間軸を、ほんの少しだけ、ズレさせてしまった。
それが良いのか悪いのか、未だに分からない。
積極財政が正義だの、緊縮が正義だの、毎度この国の議論は温度管理できてないボイラーみたいに暴発しては沈黙し、挙げ句に誰も責任取らないまま「まあ何とかなるっしょ」で自己放尿される。
この行き当たりばったり文化そのものが、マネーの価値を平然と蒸発させてきた元凶なんだよ。
お前ら、いい加減、積極財政バラマキなのか、日本版DOGE緊縮なのかはっきりしろよ。
国家運営の舵取りが、酔っ払いのハンドル操作みたいに左右フラフラしてるんだから、通貨の信認が溶けないほうが奇跡だ。
マネーの価値ってのは信頼の凝縮物であって、政府の気分と人気取りのスケジュール帳で勝手に増減させていいもんじゃないのに、毎年自己放尿みたいな意味不明な政策転換を浴び続けてる。
しかも悪いことに、緊縮と積極を同時に名乗るダブルバインド体質だからまともな評価基準すら作れない。
まさに事業仕分けと財政出動のダブル放尿だよ。どっちも方向が逆だから地面に落ちる前に蒸発して、国民の懐と未来だけが自己放尿でびしょ濡れになる。
俺が言いたいのは単純だ。マネーの価値を守るというのは、美辞麗句で国民を安心させることでも、政治家が胸を張って絵空事を叫ぶことでもなく、インフレを抑えたいなら通貨供給と財政を統制しろ、成長を取りたいなら目的と期間を明示して必要な投資に限って財政を動かせ、ってことだ。
だが今の政策運営は、目的関数が毎年変わり、指標はその場しのぎ、説明責任はゼロ、そして失敗コストはすべて一般国民に押しつけるという、最悪の構造的リスクを生み続けて自己放尿している。
この国の通貨の価値が下がるのは、外部環境のせいでも国際情勢のせいでもなく、国家運営という内部の愚が原因だ。
積極なのか、緊縮なのか、どちらを選ぶにせよ、まずは自分の足で立って、自分が何を守りたいのか明瞭に数式化し、その上で責任を負う覚悟を示せ。
キングカズの功績とか年齢の割に凄いとかそういうのとは無関係に
Jリーグ(とかJFLとか地方とか)のクラブはカズを獲得するのやめないとダメだよ
宣伝になるとか商業的な理由とか言うなら若いグラビア女性とか男性韓流アイドルでも良いんでしょ
仮名:加賀見太一(50歳)の崩壊 ――あるテレビ局の巨大な墓標
会見場の笑顔は穏やかで、妻は元テレビ局員、交際5年、年齢も近く、誰もが「やっと落ち着いたね」と祝福した。
その瞬間、誰もが気づかなかった。
加賀見太一は1994年にデビューした5人組アイドルグループのMC担当だった。
デビュー当時から「面白い兄貴」として現場を仕切り、地方ロケでは若手スタッフをからかい、時には全裸で川に放り込むような「男の遊び」を繰り返していた。
当時のテレビ業界はまだ「悪ふざけは愛情の裏返し」という空気が濃厚で、泣き寝入りは日常だった。
特に下請け・孫請けの若い女性ADたちは、声を上げれば即クビ。
「いつか加賀見さんの本命になれるかも」という淡い幻想だけが、彼女たちを黙らせていた。
「私はただの遊び。でも、あの人はちゃんとした彼女がいるから……」
その「芸能人の彼女」という曖昧なポジションが、30年間の巨大な蓋だった。
「もう幻想はゼロ。ただの使い捨てだった」という事実に、被害者たちは初めて直面した。
2020年代に入り、#MeTooの波が日本にも押し寄せ、声を上げやすくなった。
15年前、20年前、さらにはデビュー直後のロケ先で傷ついた女性たちが、
「今なら聞いてくれるかもしれない」と、一人、また一人とテレビ局の相談窓口に現れ始めた。
局は最初、慌てた。
フジテレビが中位益平の一件でスポンサー総撤退、数百億の広告収入が消えた前例を目の当たりにしていたからだ。
議題は「降板」だけではなかった。
被害者への補償額、NDA(秘密保持契約)の総額、弁護士費用、番組再編コスト。
試算は軽く数十億円を超え、被害者が増えれば数百億に達する可能性もあった。
取締役会は満場一致で「報道が出る前に全て決着させる」ことを決めた。
そこで初めて、自分が30年間でどれだけの傷を残してきたかを突きつけられたという。
「性的な写真を送るよう要求した」「酔った勢いで無理やり……」
自白したのは2件だけだったが、局はすでに10件以上の相談が寄せられていることを把握していた。
降板は即決だった。
同時に、被害者全員とNDAを結び、慰謝料に加えて「生涯生活支援金」を設定。
ある被害者は「もう働くことができなくなった」と診断書を提出していた。
だが、金は底をつく。
彼はすでにグループは解散、CMは全て差し止め、年収は9割減。
それでも数十億円単位の「分担金」を提示されたとき、彼はただ「わかりました」と答えたという。
「長年の慢心で、立場をわきまえられず、多くの方々を傷つけてしまいました。答え合わせをしたい」
涙を流しながらそう言ったが、局は「二次加害の恐れ」を理由に詳細を一切明かさない。
実は30年分の蓋を外す引き金だった。
被害者たちは初めて、自分がただの「使い捨て」だったことに気づいた。
金だけだった。
すべて「ごめんね」の代わり。
でも、もう遅い。
そしてその墓標は、今も静かに、被害者の数を増やし続けている。
(約1980字)
こんな夢を見た。
『2025年12月のある真夜中、モスクワは崩壊した。何が起こったか世界は知りえなかった。12時間後、北京政府は地球外からの侵略者に備えると宣言し、シベリアに軍を派遣した。しかしその軍は跡形もなく崩壊してしまった。その12時間後、北京も崩壊した。
まだ世界は何が起こったか理解できなかった。その中で朝鮮の太っちょは側近を連れシベリアに向かった。彼はロシアと中国に何があったか少し知っていた。太っちょがシベリアにつき、何者かに接して24時間後、朝鮮軍は全長20kmを超える三機の漆黒のモノリスの助力を得て南進した。南進開始より48時間経たず、南の国家は崩壊し、太っちょは朝鮮半島の統一を宣言し、アメリカのトラ大統領他中国周辺の各国首脳を、ピョンヤンに招くと伝えた。
崩壊したモスクワでは、朝鮮半島とは別の深紅のモノリスより現れた仮面の人物により新生ロシア政府の成立が宣言された。ウクライナに即時の現状維持での停戦を求めたが、ウクライナはそれを拒否した。そして、言ったはずだ!同志になれと!!なぜそれが判らなかったのだぁ!!!とのメッセージとともにキエフもまた崩壊した。キエフが崩壊してから24時間後モスクワからリヴィウに、今度は蒼鉛のモノリスが向かった。時を同じくして、何かを知っていたローマ教皇がバチカンに集めた枢機卿を引き連れてウクライナに向かった。モノリスはリヴィウにつき、中からでてきた初老の男性がプッチン以下をウクライナに引き渡した。ローマ教皇一行はモノリスからの人物の前に跪き、神よとあがめたが、その人物は、神とは違うのだよ!神とは!と答えた。NATO各国も初老の男性に接触しようとしたが、すぐさま蒼鉛のモノリスとともに消え去り、詳細を得ることはできなかった。
数日後、トラ大統領他中国周辺国家の首脳は日本に集まり、事前協議をした後、横田基地より米軍機に乗りピョンヤンに降り立った。朝鮮の太っちょが議長となり、各国首脳とモノリスから現れた人たちの会談が開かれた。主を失った中国は、当面周辺各国が進出し、難民の流出を押しとどめ、分割統治が行われることが決まった。日本は現地人の対日感情が悪いということで、何ももらえなかった。朝鮮軍の南進によって捕虜となっていた在韓米軍はモノリスの人物の好意で、モノリスによって丸ごと横田基地に運ばれることに決まった。トラ大統領一行もモノリスに同乗し、その技術力に目を見張った。
横田基地に帰還したトラ大統領一行により、詳細の発表が行われた。失われた十部族が帰ってきたのだと。十部族は地球帰還に際し、無人のシベリアを帰還地としてロシアと交渉していた。おりしもウクライナ戦争で不利になったプッチンが、台湾進攻を企てていたプーとともに、十部族の持つの技術を奪取しようとしたが、返り討ちにあったのだと。
敵か味方かわからない十部族について世界各国は動揺した。それを静めるため、太っちょとトラ大統領の計らいで、後日十部族の長たちが国連で演説することとなった。
数週間後、白銀のモノリスで、十部族の各長が国連に到着した。降り立ったのはすべて女性であった。そして、その長達によって驚くべき歴史事実が公表された。
ユダヤ一神教の神とは、宇宙航行種族であったこと。航行種族が地球を発見以来、詳細な人類史の記録があること。知性の萌芽を見つけた宇宙航行種族は、宇宙の法を教えようとしたが、ユダヤ民族以外は受け入れなかったこと。十二部族が他民族に滅ぼされかけたので、従った十部族だけ緊急に航行種族のルナベースに保護されたこと。ローマ帝国成立後、航行種族は介入を止め、観察に徹したこと。
イエスは十部族と関連があった人物であったが、規則を破り、他民族にも宇宙の法を広めようとしたこと。6壺のワインと、5000人分のパンをUBERで注文したが、代価を払わなかったこと。そのため罰として、地上で処刑されるとき見放し、のちに復活させて収監したこと。大陸の東の孤島に収監する前にローマから逃げるパウロに会わせたことが、偶然カトリック教会の礎になったこと。現地妻との間にできた子供に誕生祝いのコップを贈っているが、それは聖杯ではなく収監先の津軽焼のお土産であること。
この時イエスの拘束された写真が表示されたが、聖骸布とは似ても似つかぬ、丸顔に無精ひげのおっさんであった。
そして、マホメットとは十二部族とも航行種族とも何の関係もないことが語られた。
世界はパニックに陥った。ローマ法王はまだ沈黙を続けている。イスラム圏では、それでもイスラム教を信じるもの、棄教するものとの争いになった。
まだ公表は続く、七十人訳聖書の誤訳について、旧約聖書の舞台は現代のイスラエルではなく、紅海の東岸、イエメンとサウジのある場所であること。
十戒を下した場所が特定され、出エジプト記のルートも従前言われたエジプトからではなく、アラビア半島内での逃避行であったことが明示された。
(そりゃ国家成立後70余年掘り返してみてもユダヤの遺跡なんか見つかるわけないわ、各国の聖書考古学者は嘆き、その人生を後悔した。)
イスラエルにいるユダヤ人とは血統的に十二部族とは関係がないこと、それ以上にパレスチナ人の方が残された二部族に血統が近いこと。
ローマ帝国の滅亡により、帰還が1000年遅れたこと。そしてローマ帝国の滅亡の轍を再び踏もうとしたため帰還予告を送ったこと。
ファティマの預言とは、十部族の帰還の予告であった、百年待っていて下さい、きっと逢いに来ますから。その時までに文明崩壊をさせないようにという警告も含めていたことであった。なぜファティマが選ばれたか?それはたまたま十部族の地上関係者の居住地の近くだったに過ぎない。
日本神話とギリシャ神話、インド神話はそれぞれ実際に起こったことを神格化したに過ぎず、アトランティスは現在のドニャーナ国立公園にある。
そして、所定の場所を掘ればそれなりの遺跡が出るとのことだった。
バベルの塔は、塔ができたことにより、いろいろな言語を話す人たちが集まってきたが、落雷で壊れ、その時の混乱が大げさに伝わったものだった。
ノアの洪水はかつて地中海は干上がっていたが、そこに黒海より水が流れ込んだ時の出来事であったとか。
(まぁ、昔だから距離とか偉業とかは口伝で正確ではなく、記録が定まったときには大げさになってるだろうと、各国の歴史学者は妙に納得した。)
ムー大陸とノストラダムスの予言に至っては、チャーチワードの詐欺でありまた、詩集を他人が勝手に拡大解釈したものとバラされた。
(カルト宗教や陰謀論の信者たちは、それでもこれらを信じた。)
航行種族より十部族にも公開されてない史実があるらしい、それは総会後の雑談でもたらされた。
インダス?シュメール?あれはねぇ、ちょっとした失敗らしいの、前だから詳しくは教えてもらえなかったの。
でね、ピラミッドは航行種族の転送装置を、現地人が真似て作ったもの。真似だから動かないし、時代を経るごとに大きくなっちゃたらしいの。
巨石遺跡や隙間のない石垣は、現地人がやってくれたら法を学んでくれると言われたからやったらしいけど、結局学んでくれず、放置されちゃった名残りだって、等々。
十部族はすでに月の裏側のラグランジュポイントにシオン公国を築いており、地上ではシベリアに基地を持っていたので、約束の地は放棄する方針であった。
そしてルナベースには航行種族の系外へのワープ施設が設置されているとのことだった。(ちなみにこの施設、一回動かすのに13バクトゥンかかるらしい。)
その発表後、ローマ法王は真実の隠匿を認め、カトリック教会の解散を宣言し、マラキの予言通り、最後の法皇となった。カトリックより分派した宗教は、カトリック以上にそれぞれの存在意義を失った。
中東は大混乱に陥った。まず、イスラエルはその存在意義を失った。イスラエルを離れるもの、一個人として残るものと様々であった。
パレスチナ人は、今更ユダヤ教に改宗してどうする?と血統と信教の板挟みに陥った。
サウジイエメンは国内にある聖書の遺跡や約束の地の扱いに苦慮する羽目になった。
欧米では、宗教意義を失った移民と現地民との間の軋轢が高じ、無政府状態に陥った地域もあった。
各国の陰謀論者たちは歓喜したが、思い至らなかったこと、関係者ではなかったことを悔やんでいた。
台湾は将来の中華統一を目指して、関係各国と粛々と交渉を始めている。
太っちょは、十部族の一番弟子、統一の英雄、大朝鮮帝国初代皇帝を自称し、認めたくないものだな自分の有能さを、とにっこにこである。
日本では、少し?物価高になったが、相も変わらず、日常が続いている。
かくして天国の門は開かれた。七つの大罪を背負うものは地上に留め置かれ、七つの徳を成したものは昇天する権利を得た。
なお、日本の女性首脳はまだ踊っている、あぁ時間(とき)が見えると。
おしまい。』
誰がどう見ても本来の俺はチー牛だ。髪を整えコンタクトを入れて清潔感のある服を着ているが、それでも間違いなくチー牛だ。寝る前の鏡に映った俺はあの有名なイラストと瓜二つだ。ミドサーを迎え、最近は肌荒れがひどい、ガリガリに痩せたチー牛だ。
世界で生きていくためにゆったりとした服を着て、試行錯誤の上一番似合うであろう髪型を選び、気を抜くと散乱する思考と発言をギリギリで抑えている。怖いのでアスペ診断は受けていないが、おそらく該当すると思う。それに数字が苦手なので誰でもできる営業職に就き、あまり会話せずとも成り立つ地味なルート営業をこなした。その後社内転職して今では安全環境部で働いている。どの場所でも俺は寡黙なキャラで通している。誰も甲高いチー牛の声なんて聞きたくないから。
身の程をわきまえて生きる、それが俺たちの生存戦略だと思う。居心地の良い空間を探して、そこでじっと耐えて、喋らずとも、交流せずとも許される立ち位置を築くしかない。社内の誰が何をしたというような情報は、俺の耳には一切入ってこない。新卒の後輩がしたり顔で他所の部署の人の噂話をしているのを見て、彼らは俺には手が届かない世界で生きているんだなと悲しくなるが、俺が手を伸ばしていい領域ではないこともまた知っている。チー牛には最低限の人権しかない。
よく知らない話題を振られた時には、曖昧に笑って受け流す。沈黙は金だから。昔上司に仕事の愚痴を喋ったら、翌日にそのまた上司に呼び出されてキツく叱られたことがトラウマで、それ以降誰にも心を開いていない。だから、いつも曖昧に笑って受け流す。
今週も仕事を終えた。仕事中の俺は部署のシステムの一部になったみたいだ。A→俺→Bのように、決まりきった仕事をこなす毎日。書類の内容に抜け漏れがないか確認する。突き返すか承認して上に回す。月に一回事業部長と産業医と工場の見回りをする。定期的に廃棄物の分別を促す。現場が普段通りか、毎日決まったルートで巡視をする。同じ弁当を食う。定時になったらチャリで家に帰る。
俺はチー牛だが、最低限の生活を送ることはできる。金曜夜にウーロンハイを作って飲む。ラジオを通して流行りの曲を聴く。休日には工場の周りをウォーキングする。行きつけの中華料理店で餃子定食を頼む。月に一回極楽湯へ行く。盆と正月には墓参りをする。
今回の発言に対してアメリカが一歩引いた態度を取ったのは、同盟が冷えたからというより、いつもの曖昧戦略を守っただけ、というのが実態に近い。台湾をめぐる話題は、アメリカはとにかく公式の立場を固定させたくないから、誰かが踏み込んだ発言をしても、あえて乗らずに距離を取る。だからといって、台湾有事で助けないと決めたわけではなく、軍や議会の資料を見ても、台湾防衛は普通にアメリカの前提シナリオに入っている。今回の沈黙は、日本を見限ったというより、立場を固定されたくないというだけの話に近い。
台湾統一は中国にとって政権の正統性そのものみたいなテーマで、経済が伸び、軍事力が増えれば、圧力が強まるのは最初から織り込み済みだった。だから日本が何も言わなかったとしても、中国の軍事演習や威圧は同じように進んでいたはず。ただ今回の発言によって、台湾有事が経済問題ではなく日本の安全保障そのものだ、という点が一気に可視化された、という意味では現実を直視させる効果もあったかもしれない。
日本は、外交の教科書的にいえば、表では曖昧を保ち、裏でアメリカと歩調を合わせる、というやり方が一番リスクが少ない。歴代政権もずっとその線を守ってきたし、中国を正面から刺激すれば、制裁や旅行制限、水産物停止といった実害がそのまま日本に返ってくる。抑止のための強い言葉よりも、コストの方が大きいと見る外交関係者が多いのも理解できる。課題として、現在の日本の政治では曖昧な態度が弱腰とか属国扱いされやすく、とにかく分かりやすい強硬姿勢が支持を集めやすい。このズレが原因で、今後に同様の問題を再発する可能性もある。
そして中国がこのままずっと制裁を続けるかというと、そこはたぶん違う。中国は一度は面子のために強く出るけれど、貿易や観光で自分たちも得をしている以上、長期の全面対立は避ける傾向がある。過去の尖閣や反日デモ、処理水のときも、最初は強く出て、時間が経つと建前は維持したまま実質的に緩めてきた。今回もたぶん同じで、正式な撤回や謝罪はしないけれど、数か月から半年くらいかけて、何となく元に戻していく、あのいつもの有耶無耶パターンに落ち着く可能性はかなり高いのではないか。
11月末が近づくと、高校時代の同級生だった弥生ちゃんのことを思い出す。
特別に親しい間柄ではなかったけれど、環境委員の雑務で放課後に二人きりになることが何度かあった。
沈黙のまま作業するのも気まずくて、取りとめのない話をよくしていた。
「早く帰らなくていいの?」と軽く聞いたら、
「うちはそういうの、ないんだよね」と少し笑って返ってきた。
「そうなんだ」と言ったきり沈黙が落ち、耐えきれなくなった私は、
「11月生まれなのに“弥生”ちゃんなんだね」と、つい口にしてしまった。
「それもよく言われるんだけどね」と彼女は言い、一瞬だけ躊躇したように見えた。
そして続けた。
「うちの親、“弥生”が3月のことだって知らなかったんだよね。
しかもその名前、お父さんが昔好きだった女の名前なんだって。母から聞いた時びっくりした。」
「最低じゃん」という言葉が喉まで出かかったけれど、飲み込んだ。
でも、そんな話をしてくれたということは、
もしかしたら、彼女は私と仲良くなりたいと思ってくれていたのかもしれない。
そう思い続けながら、十数年が過ぎた。
廊下で会えば軽く挨拶するくらいで、高校を卒業してからは一度も会っていない。
元気にしているかな。
・俳優さん達の演技(キャラクターの喋り方)が健常者の世界の喋り方だなぁ〜ッッ 演技、みんな滅茶苦茶うまいけど、この世界、馴染めねぇ〜!
・間とか声色とか声の抑揚とか一瞬の息とか
「健常者」の非言語処理の世界のコミュニケーション情報が多くて家から外出る時に擬態しなきゃいけない気持ちを感じ続けながらみてた
・ン〜!メスガキィ!
・メスガキと元カレ、小学生?にしておませさんやな… 問答が完全に「男女」の会話やん…
・きっと貧乏神がクソ元カレに取り憑く展開やろ!と思ったけど無かった?見逃し?エンドクレジット?
・ゆるキャラみたいな妖怪の仲間たち、ユーモアがあって可愛いけど、「大衆はこういうゆるキャラを油断して可愛いと思うんで、」という作り手の思いも感じてしまい俺はちょっと辛い気持ちにもなった
・マックスバリュで、小学校低学年の子どもを持つマイルドヤンキーとまでは行かないが陰キャではない母親がレジで対応してもらってる時にサッカ台に飛んでった子供にクソデカなりふりボイスで「◯◯!やーめーろって!」っていってその場に響き渡る場面を思い出した
・小学生2人とか、鬼同士のホモソというか「男社会の空気・リズム感」をアニメの世界に的確に抽出しすぎている
・と思ったらアウトレイジとか孤狼の血とかに出てきそうな「静」の凄みのあるヤクザの閻魔大王出てきて滅茶苦茶よかった
・セリフは量としてあんまり多くないけど、口を開くごとの凄みがすごい ボソッと喋るけど確実に凄みを感じさせる名演だった
・閻魔大王の一重平行目まぶた厚め黒目極小でいつも少し上向きの黒目が滅多なことでは動かない 目の描写と喋り方がよかった
・「夏の、ファミリー層向けかつサブカルもニッコリののアニメ映画!」と思ってたら、地獄以降ヤクザ映画成分が出てきて、そのギャップが非常によかった
・ところでお母さんはあのバス乗り込んだ瞬間、ゴアエロ同人作家もドン引きな「覚悟、決まっとるんやろうな」「はい…」のあれこれが延々と続くと思うと、その前の「おかあさん!逆立ちできるようになったよ!」「(略)100年はやーい!」もこれから繰り広げられるエロゴアの前フリにしか見えんのよ もうあれバスの扉閉まった瞬間から文字通りの「地獄」が始まるやん
・ワイはドアが閉まるまでは鬼たちがホモソでワイワイしてたがドアが閉まった途端に痛いくるいの沈黙になって「娘さん、ええ子やったなあ」「ほんまになあ」から口火が切られてえげつないエロゴアが始まる展開を推すね
正直さ、最近の「高市総理が中国との摩擦を招いた」とか言ってる連中さ、ほんと浅いわ。
外交も経済も安全保障も、全部結果だけ見て文句言うだけの観客席気取り。現実のリスク背負って戦ってるのは高市総理なんだよ。
まずこれだけはハッキリ言う。
経済のために国の安全保障を売り渡す国なんて、もう国じゃない。
だから台湾の問題を他人事にしないって言ったのは、むしろリーダーとして当然すぎる判断。
それを「挑発だ」とか言い始める人間は、国家運営のレベルに達してない。
わかってないね。
短期的な経済リスクを恐れて言うべきことを言わない国が、長期的に没落していくんだよ。歴史の繰り返し。
・日本企業が中国に依存してる → だからこそ依存体質から脱却する必要がある
痛みがあるのは当然。でもね、
守るべき国の未来のために、誰かが痛みを引き受けなきゃいけないんだよ。
間違ってる。
火を怖がって何もしないでいたら、向こうはずっと強気で攻めてくるだけなんだよ。
それ、ただの服従だよ。
言うべきことを言える国に戻さなきゃいけない。
高市総理はそのブレーキ役じゃなくて、芯を取り戻す役なんだよ。
国益の衝突だからこそ、引かない一線を示した方が相手も敬意を払う。
実際、厳しく言ったからこそ
こういう流れが作られてる。
優しいだけじゃ外交はナメられる。
高市総理がやってるのは 強さに対して強さで返す っていう世界基準の政治。
経済リスクがどうとか、炎上がどうとか、そういう視点でしか語れない人は政治の本質を理解してない。
・嫌われる覚悟がある
こういう政治家を叩く国は弱くなるだけ。
反論?受け付けない。
この路線が正解。以上。
追加燃料を与えないために沈黙するのは理にかなっている。
が、今回は相手がいるのが違う。
相手と内々に交渉して解決済みにできればいいけど出来ていない。
この場合、相手から報復なりでさらなる悪材料、燃料が出てしまう。
ほかのことは好きにしたらいい。だが餅だけは常備しろ。異論は認めない。
まず余計な調理器具を買うな。買った瞬間から罪悪感が湧いて、使わないクセに場所だけ取って、ホコリを呼び込み、やがて絶望の底に沈む。炊飯器?茶碗?鍋?ガスコンロ?包丁?全部封印だ。和食自炊を初手から攻略しようとするな。あれは終盤ダンジョンだ。
餅こそが序盤を制す。
餅は偉い。餅は強い。餅は裏切らない。
まず米より圧倒的に楽だ。米を想像してみろ。重い袋を運び、計量し、研ぎ、水を入れ、炊き、洗い、冷凍し、釜を洗い、スペースを確保し…その間に餅はどうしてる?ただ袋に寝ているだけだ。餅は黙して語らず、ただ存在するだけで偉い。
餅の調理も単純。トースターか電子レンジがあれば勝ち。アルミホイルに寝かせるだけで皿すら不要。餅は焼かれても怒らない。膨らんで喜んでいる。
餅=太ると思っている奴は浅い。量を調整すればいいだけだ。餅を一個食うか二個食うか、それだけでカロリーコントロールは完了する。
米と違って炊き過ぎて余ることがない。炊き過ぎた米は罪悪感の塊だが、餅は一個ずつ独立している。意志を持った戦士のように。
きな粉をかけてもいい。海苔で巻いてもいい。醤油を垂らしてもいい。カレーをまとわせてもいい。適当な野菜をぶちこんで焼いてもいい。トマトとチーズを乗せれば餅ピザにもなる。自由である。
そして重要なことがある。
調理器具をほとんど必要としないからホコリも油も溜まらん。つまりG先生が降臨する確率が劇的に下がる。これは極めて重大な利点だ。餅なし生活は死と隣り合わせだ。
毎日餅を焼いてみろ。
10分もかからない。その間にゲームでもSNSでも適当にやっていればいい。焼けたらアルミホイルごと持ってきて食えばいい。罪悪感ゼロ、満足度100。
生活バランス原理主義者が何か言ってきたら、静かに餅を焼けばいい。餅はお前を裏切らない。野菜を添えればさらに盤石。餅生活は牛丼固定勢より確実に健康的だ。これは経験則に基づく。
餅はシステムとして優秀だ。
炭水化物の量を完全にコントロールできる。食べ過ぎたくても餅は無限には出てこない。餅は自然と暴走を抑制する。
米のように「味噌汁があるから」「肉が余ったから」と無限連鎖で食ってしまうこともない。
そして覚えておけ。
寂しいとき、金がないとき、友達が来たとき、恋人が来たとき、失恋したとき、仕事で折れたとき…
どんな場面でも餅は沈黙のままそこにある。餅とは心の避難所だ。
餅を焼けば何とかなる。
日本人は昔からそうして生きてきた。年末年始の儀式じゃない。生存戦略だ。
買うものは餅、海苔、醤油、砂糖、少量のきな粉、冷凍野菜。これで大抵の状態異常は回復する。餅一個のコストは40円とかそこら。財布にも優しい。
餅を土台にした生活は、自炊を秩序立てて発展させる土台にもなる。餅さえあればパニックにならない。餅のある家は心に余裕が生まれる。
俺も餅で人生を立て直した。
餅を食え。ガチで。
(補足)
これはhttps://anond.hatelabo.jp/20200317154739の増田を餅に変えてAIに書かせたものです。