
はてなキーワード:気持ちとは
彼氏や夫が私とのセックスを求めてこない、いわゆるセックスレスになったら病むと思う。
だからこそ、彼氏や夫との関係性維持のために、求められたらセックスに応じることは、相手の心を守るためにも必要なことだと考えている。
そんな私だから、当然セックス要求を拒否することは、体調不良など明確な問題がなければしないし、明確な問題があって断るときは理由を説明し、その理由が解消されたらセックス要求に応じている。
そんな私だが、セックスは85%くらいの確率で痛くて、5%くらいの確率で痛くなくて、5%くらいの確率で多少気持ちよくて、5%くらいの確率でめちゃくちゃ気持ちいい。ちなみに彼氏はきちんと前戯をしてくれており、雑なセックスだから痛いとかではないと思う。
私は処女の頃からエッチなコンテンツが好きで、性に対する興味が旺盛だった。だからこそ、セックスそのものに「好き」という感情があるので、大半が痛いだけでもやっていける。
でも、もともとさほどセックスに興味ない女にとっては、あの痛みに毎回耐えるのは苦痛だろうなと思うし、拒否するのも無理ないよなと思う。セックス好きな私でさえ、挿入パートになると、痛いから早く射精してくれないとつらいよって気持ちになるし…。痛くなくてある程度気持ちよくなれる時も、それはそれで気持ちよくて疲れるから早く射精してくれないとつらいし…。女は男より平均的に虚弱だから、気持ちいいは気持ちいいで体がしんどかったりするのだ。ちなみにめっちゃ気持ちいいときだけは、頭がバカになってるので「もっとして!やめないで!」となるが、そこまで行けるほど気持ちよくなれる確率は5%くらいしかないので、ほとんどの挿入は(気持ちよくて体がしんどいを含めて)女にとってしんどい。
こんな状況だから、女が拒否したがるのも、良いことではないが、身体的負担を思うと無理はないよなあと思う。セックスという行為が女にとって0ならまだ彼のために頑張れる人ももう少し増えると思うが、痛い・しんどい・妊娠リスクなど、明らかにマイナスだからなあ。私自身も、セックスという行為そのものに好感を抱いてる人間でなかったら、耐えられていないと思うし…。毎回バカになるほど気持ちよくなれるとまではいわないが、せめて痛みがなければいいのになとは常々思ってる。
余談だが、痛みの原因は濡れづらいことだと推測してるし、彼氏も同じように考えてる。だからこそ膣内ローションを使いたく、以前何度かそれとなく提案してみたが「自分の力で濡らしたい、ローションに頼りたくない」と拒否される。まあ男のプライドというやつなのだろうと思い、それからは諦めているが、高確率で痛みを取り除けそうなアイテムがあるのに使わせてもらえず痛いのは残念ではある。
フラれる→僕の気持ちを裏切ったな→あいつは悪魔だ→被害者意識熟成→女性不信→トラウマ告白→受け入れてくれた→彼女は天使だ→フラれる
みたいの繰り返してます。
こういうのとか見て思ったんだけどさ
https://anond.hatelabo.jp/20251212222341
例えばはてなーの党派性では不倶戴天の敵となってるコイツの記事を
暇空が勝ったーとか、住民訴訟で黒塗りを開示させたー、みたいな時には
死んだ様にスン…となる癖に、本当に誰?と言いたくなる何か良く分からんしょうもない奴とのしょうもない裁判で負けたからと
怪文書を嬉々として撒き散らしては、同類のキチガイとキャホキャホしてるとか、
そういうのにちょっとでも反応すると、狂ってるとしか言い様が無い異常なトラバがつくから、マジで気色悪くて関わりたく無い、
反応もしたくなくなる(多分それが狙いなんだろうけど、5chやまとめサイトのコメント欄等を乗っ取る手口)
こんな場末の隔離場まで来て政治工作ごっこ、あるいは対立煽り荒らしやってるとか
心底から気色悪く思える(そして多分このエントリにも狂ったトラバがつくだろう)
自分が死ぬほど嫌いなヨッピーや津田に対して同じ事やってても、賛同出来ないし気色悪いって思うよ
どこかの誰かが考えたか、最近はAIで作った様な文章を垂れ流してはしゃぐその姿は、党派性という反射的行動で動いている様な虫みたいに思えてならない
かのColabo代理人弁護士はアンチ集団を「脳みその無い家畜」と断言していたが、彼と極めて強いつながりがあるしばき隊、及びそのシンパ(元増田の様な)こそ、
党派性人間の群れである事を考えると、実は高度な自虐であったのでは無いかとも思える
自分がこいつらを心底気持ち悪いなって思うのは、一体何をしたいのかがまるで分からない事も理由の一つ
少なくとも「味方や賛同者を増やす」方向には向いていないのは確か
少数の味方を増やしても、多数の虫を見る様な目で見るしか無い様な嫌悪者を増やしているだけなのだから
別にアンチ暇に限った話じゃない、寧ろバリエーションの一つに過ぎない
党派性で狂ってる異常者がキチガイみたいに汚言を吐き散らかしている様子を見ると
率直に「(こいつらと)一緒にされたくないわ……黙っとこ」となってしまう
例えばちだいとか菅野とかヨッピーみたいな奴を見て、「こいつと一緒、こいつの意見に賛同している」と思われたいのか?って話
ともすれば、ひょっとしてこの虫みたいな気色悪い連中が発狂して叩いてるって事は、あまり間違った事は言ってないのでは?とか
自分の判断、評価が間違っているのでは無いか?と錯覚してしまう事すらある
参政党なんか、あんな反ワクネトウヨカルトなど全員落選しろとまで思っていたが、共産党系の虫が発狂してるのを見てると
少なくとも彼らが信仰する宗教(立憲共産党)よりはマシだから、こいつらに取って代わってくれねーかなー…とまで思ってしまった、本当に辛い
朝の通勤時に、明らかに知的か精神に問題のありそうな、坊主で小太りのオッサンが大声で独り言ぶつぶつ言ってる場面に出くわす事があるでしょ?
はてな、あるいは増田という電車の中で遭遇する「絶対にこっちに寄って来ないで欲しい」類の存在、まるで害虫だ
はてなという隔離場ですらそう思ってしまうのだから、本当に救い様が無い
ブクマカなんてのはまさにその集大成で、本当にこいつらまとめて、DiscordなりThreadsなり、クローズドなSNSに閉じこもって欲しい
まずは、本件について不快な思いをした方々に謝罪をいたします。申し訳ありませんでした。また、長文となるため読んでいただかなくても差し支えありません。
ひろゆき氏のツイートを引用リツイートしたところ、わずか数時間で800万インプレッションに達しました。
通知が鳴り止まず、返信が雪崩のように押し寄せ、最終的に私はアカウントを削除することになりました。
■ 今回の教訓
・ひろゆき氏とレスバ(論争)するな、引用して自分の意見を書くな
■ 経緯
発端は、「自らの命は自らが守るという原則に基づき」高市総理が1週間程度の注意呼びかけを行った、という旨の記事でした。
ひろゆき氏:
私:
「津波が来るような場所に住んでいるということは、自己責任といっても相違ないんじゃない?
大雨で川が氾濫して冠水する地域に住んでいる人と同じ見方なのかも。
すぐ逃げられる、すぐ避難するようにしましょう。子供は親の責任です。弱者....とはだいぶアバウト。独居老人のために避難所開放ありかな。」
(※現在は削除済み)
すると、ひろゆき氏からさらに引用リツイートで返信がありました。
ひろゆき氏:
都会の人が手に入れる野菜、魚、肉、水、電気、空気、ガスはどこから来てると思ってるのかな?」
1週間以内に大きな地震が来る可能性が高いから、"事前に"逃げる準備をしておき、自分の身は自分で守りましょう。
また、大雨で川が氾濫する地域も同様に、雨が降れば冠水して逃げられなくなるため、天気予報を見て"事前に"避難しましょう。
この「事前の備え」という文脈で、私は「自己責任」という言葉を使いました。
ひろゆき氏が先に「自己責任」という言葉を使っていたため、それに引っ張られてそのまま使用してしまったのです。
しかし、これは私の無知であり、言葉の選択が間違いでした。正しくは「自助努力」と表現すべきでした。この点については深く反省しており、申し訳なく思っています。
「都会の人が手に入れる野菜、魚、肉、水、電気、空気、ガスはどこから来てると思ってるのかな?」
そんなこと、私は一言も言っていないんだけどなあ……。
そう思いながらスマホを放置している間に、事態は急変しました。
雪崩のように押し寄せるリプライと引用リツイート。スマホを操作していないのに、通知の処理でメリメリと電池が減っていきます。恐怖を感じ、通知をオフにしました。
詳細は全て覚えていませんが、届いた返信には以下のような罵詈雑言が溢れていました。
・田舎の人が頑張っているから都会の人は食べ物を食べられているってわからないの?
・何も食うな
・中国人?
・今まで助けてもらったことがない人が、自己責任という言葉を使っている
・100年ROMってろ
・親ガチャ失敗だね
・返信が来ていない逃げんな
■ 「都会の人」というレッテル
罵詈雑言の中で、私はあることに気がつきました。
「住んでいる」とは一言も言っていないのに、なぜか私は「都会の人」として叩かれているのです。
「都会の人が手に入れる野菜、魚、肉、水、電気、空気、ガスはどこから来てると思ってるのかな?」
これだ……。
当事者として、「津波が来たら(誰かの助けを待つのではなく)自分で逃げないといけないよね」という自戒を込めて言っていたつもりが、完全に伝わっていませんでした。
私は「安全な都会から地方を切り捨てる人間」として、非難の的になってしまったのです。
■アカウント削除へ
・フラッシュバックするので消してください
これらの書き込みを見て、自分の発言が思慮に欠けていたことを痛感しました。ご指摘いただいた方には謝罪し、その上でアカウントを削除しました。本当に申し訳ありませんでした。
謝罪をすれば「謝罪したら許されると思っているのか」「インプレ稼ぎだろツイート消せ」と言われ、
ツイートを消せば「ツイ消しされたので貼っとく」「アカウント消せ」と言われ、
アカウントを消せば「アカウント消して逃げてる」「逃げるな」と言われる。
逃げ場のない言葉の刃に、ただただ圧倒されるばかりでした。
身を持って知ることとなった、苦い経験でした。
ひろゆき氏とレスバは避けたほうが良いです。引用もリプもしなうほうがいいと思います。
いつのまにか、論点が違うところに行ってしまいます。私が伝えたかったことを伝えようとしても
と言う人もでてきて、何を言っても聞いてもらえないです。
罵詈雑言には耐性があると思っていましたが、言い返せないストレスは計り知れないものでした。自分の気持ちが伝わらず言われっぱなしなのは、ここまで辛いものなのかと。
彼女にとっての(過密から適密への)住み替え(の話)は、たぶんただの作業だけど
増田にとっての(過密から適密への)住み替えは聖域(徒歩4分宇宙を現実にする儀式)
彼女にとっての東京(本物)は、SNSとメディアが作った“可視化バイアスの王国”としての聖域だけど
増田にとっての東京(本物)は、超過密実験区・在庫倉庫としてのただの作業(移動・待ち・混雑・摩耗)
何度も話し合い、試行錯誤し、
増田「都雇圏は何万人がいい?」
増田「朝ラッシュの公共交通は毎時片方向60本級ある?」(都雇圏50~110万人の中心部ではバス・電車合わせてその程度ある)
みたいに“条件の対位”を聞く…
これを彼女から東京(本物)側の“「東京(本物)のみが唯一住むに値する場所」物語推し”でやられても、増田は付き合いきれるのかという話だ…💗
「一緒には住むけど、同じ熱量で東京(本物)を“中心”と崇めろってのは無理だ」って思うんじゃない?
- 東京(本物)の中心へ行く頻度を決めよう(毎週?毎月?)
等と、ずっと話し合いと提案が繰り返されても困るだろう…w💗
それが「疲れてるのに、通勤片道60分とか、人生を削る意味もわからない」みたいな(増田の)言葉に表れてる…💗
(移動時間って、人生のコストだし…“67年間続けると3年以上の時間が移動時間になる構造的暴力”ってやつ…💗)
男女のことなので、彼女も「住まい」は重要なファクターであることはある程度理解してる。
でも増田が求めてるのは「気持ちよさ(最高点の最適解)」で、彼女が求めてるのは「手軽さ(生活の破綻回避)」だったのでは、って話…💗
といった感じだ…💗
でも人間の情報処理キャパって約0.5GB/日くらいで、都雇圏50万人で、もう個人は十分満ちる。
だから東京(本物)の“全部ある”は、個人の幸福と全然一致しない…💗
そして特に平日は、彼女は自分の時間を使いたかったのではないか
急に「今夜、(過密から適密への)住み替えの話しよ」と言われても、予定が狂うので困っただろう。
という提案からも察せられるように、増田は当日の夜に急に言いがちだ…w💗
東京(本物)に例えると、
雨の日にベビーカーで帰ろうとしてるときに「今から都心寄って帰ろ」って言われる感じだ。
そりゃこうなりますよ…💗
(勿論,適密だと元から目的地~家まで全て都心かつアーケード完備のため寄り道可能…w💗)
「(過密から適密への)住み替えは嫌じゃないが、住み替えをする意味がわからない。自分の工夫でダメなのか」
嫌じゃないの捉え方も違ってるね。
増田の嫌じゃない =100点を目指せる、プラスのポテンシャル
彼女の嫌じゃない =苦痛だが、東本のメディアは北朝鮮国営メディアばりに「ここだけが唯一住むに値する地」とし、決して東本より優れた地は映さない💗
だから増田は「もっと良くする努力(比較・条件追加・理想)」に向かっていく。
しかし彼女にとっては「早く終わらせたい作業」の工程を複雑にし、重くしてる原因にしかならなかった。
まさに、乗り物必要(しかも片道で何十分も)宇宙ずるずる化…w💗
増田にとっては、(過密から適密への)住み替えは睡眠や趣味時間を削ってでも行うべき聖域(トップオブトップ)
彼女にとっては、ストレッチやYouTube鑑賞よりも下位、あるいは同等の「数ある選択肢の一つ」
これを、「お前も(過密から適密への)住み替えをトップオブトップに持ってくるべきだ」と強弁したところで無意味だろう。
最初から(過密から適密への)住み替えをトップにしてる人を探した方がいい。
ちょうど、適密地では(職についてだけは、戦後直後の京浜集中国策国費開発の影響が今も残り、東京(本物)に集中してる…そのせいで東京(本物)が生活水準がかなり低いにも関わらず職の為に適密を離れざるを得ぬ男が多いせいで)男不足で、結婚相手の男は求められてるからね…💗
ガシマンはするわ乳首を引っ張りまくるわキモいポルノのセリフ言うわやりたい放題
男の支配欲を満たすだけの行為で女の娯楽、女の楽しみ、女の快感などの要素はゼロ
やむなく〝付き合ってあげてる〟だけなのに、「女は酷くすれば喜ぶんだ😏」と誤学習
AIファイルで入稿しろって言われたんだけど、AIファイルってAdobeIllustrator以外でも開けるの?
とりあえずベータ版で7日だけ使えるっぽいんだけど、7日の間に全ての仕事を終わらせられなかったらアドビに金払うしかないんか?
なんか「似たようなこと出来ますよ^^^」みたいに紹介されたフリーソフト使っても「AIファイルを使用して画像編集できます(AIファイルを出力できるとは言ってない)」みたいな感じで上手く行かね—んだけど。
はぁ~~~~町内会の役員仕事のためにイラレとか買いたくね~~~~~~~
AIファイル入稿にはイラレ使えばいいの知ってるって話と「イラレ持ってるからAIファイル使うぐらい実質タダですわ」は話が違うんだけど~~~
というわけで、イラレ代を払わずにAIファイルを編集する方法があるのかないのか教えてくれ。
ないんだったら諦めて町内会に「おい。金を払え」って請求するわ。
まあ天才である俺が本気出せば7日のうちに天地を創造してみせましょうぐらいの気持ちはあるんだが、俺が頑張っても「手直しして」を8日目に言われたら大洪水で世界をリセットするしかなくなるけんの。もちろん涙の大洪水よ。
別れた者です。
どうしても嫌いになれず
別れて数ヶ月経った今でも大好きです。
ですが一方で、セックスレスになった辛さは
私に性欲さえなければと自らを責め続け、
ずっと好きなので本当に苦しいです。
なので、わかります。
とてもよくわかります。
“わかる”と文面で言ったって
わかります。
俺はお前に共感する。俺はお前の憎んでいる障害者だけどお前のことが大好きだ。
障害者である俺からこんなこと言われて心底嫌な気持ちにさせてしまったらすまない。
でもどうかそのままの気持ちを大切にして生き続けてくれ。
そもそも相手が「セックスがそこまで好きではない」って分かって付き合ったんだよね?
いや、「俺は「恋人とセックスしたくない」が本当にわからない。」って書いてるな。
本当に分からなかったんだろうな。
「嫌ではない」「月に1〜2回ならいい」は
努力してくれたらギリ許容できる、っていう風に感じた。
決して「したい」ではない。
「気もち良い」からといって「欲しい」になる訳じゃない。
気持ち良くすれば欲しがってくれる!!と思ったんだとしたらそれは勝手な思い込み。
次に生かしていこ。
いややっぱり
大学生くらいの頃はある程度あったけど、これはなれなかった。
といっても想像を絶するすごい大人ということではなく、大人ってどういうものなのか全然分かっていなかったから全く想像できてなかったというだけ。
総じて「こういう大人になりたい」という気持ちを抱くほど「大人」を想像できないまま、いつの間にか大人になっていたという感じ。
最近、「なぜ高学歴は『推し活』をしないのか」という記事がバズっていた。
高学歴は推し活を「非合理なリソースの浪費」と切り捨てる、という話だ。
しかし、地下アイドルに通ったことがある俺から言わせると、あれは半分正しくて半分間違えている。地下アイドルの現場には高学歴も、医者や弁護士といったステータスを持った人もいた。
正確にはこうだ。
元記事は「主体性の有無」が鍵だと指摘していたが、まさにその通り。
ではなぜ低学歴は「させられる」のか。
あくまでも支払った金額の対価としてでしかないが、そこに依存してしまう人も少なくはない。
そのため風営法で規制されており、社会からは厳しい目を向けられている。
1000円払えば可愛い女の子が名前を呼んで笑顔でハグしてくれる。
「○○くんがステージから見えて安心した♡」「○○くんがいるから生きていける」←これは実際に俺が言われたこと
現実世界で一生かけても絶対に言われない言葉を、金さえ払えば確実に言ってもらえる。
しかもファンコミュニティの中では、学歴も年収も職業も関係ない。
「どれだけ推しにお金を使ったか」「どれだけ愛を語れるか」がステータスになる。
彼らが生まれて初めて「私はここで認められる」と感じられる場所だ。彼らは「存在価値」を買っていたのだ。
現実社会が与えてくれなかった「生きる理由」を、チェキ代を出すことで買うことができた。
話を戻そう。現代日本には「勝ち筋」がほぼ見えない層が大量にいる。
正社員になれず、障害者雇用枠か日雇いの、低学歴と呼ばれる人たち。
要するに、社会的弱者だ。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所が、どこにもない。
昔はそういう層が金を溶かす先は決まっていた。
どれも一時的にドーパミンは出るが、承認欲求は満たしてくれない。
「私はここにいてもいいんだ」と思える場所はどこにもない。
そこに目を付けた悪い大人がいた。「承認欲求販売業」という依存症ビジネスに「推し活」という名前を付けて全国展開してしまったのだ。
推し活をしていると思っている人はきっかけを思い出してほしい。
どうして「この子を推そう」と思ったのか。
X、TikTok、YouTubeのオススメ、まとめサイトのランキング、
「偶然の出会い」と思っているものは、全て誰かが設計したアルゴリズムと導線に乗った結果ではないだろうか。
最初の一歩から、逃げ場のない迷路に誘導されていたのではないか。
ターゲッティング広告に狙い撃ちされ、主体性の無さゆえにズルズルと深みにはまり、心地いいコミュニティに閉じ込められ、生かさず殺さず、ずっと搾り取られる。栄光浴で自分自身も優れた人間であると勘違いし、他では得られない承認欲求を得るための、買える自尊心を購入するための代価として、推し活を「させられている」のではないか。
だから推し活を叩かれると、まるで自分の存在そのものを否定されたように感じて発狂し、
なぜなら、推し活を奪われたら、次にどこへ行けばいいのかわからないから。
でも実際は、「選ばされていた」だけだ。
端から見て、社会的弱者が身を削って貢いでいる姿は、ただただ気持ち悪い。
まるで新興宗教の信者が教祖に全財産を捧げているような光景だ。
実際、構造は完全に同じではないだろうか。
「ここにいれば救われる」「お布施すれば愛される」
レスの話あったから、当事者として今夜久しぶりにそういう雰囲気にしてみるか、と思ってたのに
あたしんちに母が一方的に話したいことを父に話しかけ続けるみたいな話あったけど、まさにあんな感じ。返答なんてどうでもいいというか返答を全然聞いてない、相手が何を言おうとただ自分が話したいことをマシンガンで話し続ける
昨日もそんな感じで1回怒ったのに、なんで同じ事するかな。もともとそういうタイプではあるけど、最近の気遣いのなさはおかしいと言ってもいい。病気? せっかくお菓子作ったし一緒に食べようと思ったのに、一つだってやるかって気持ちになってる。はあ
https://www.youtube.com/watch?v=IfJJZa75iy0
この動画が大好きです…😟
おまえの声を聴きに来たんじゃない!みたいな気持ちも分かるけど、
俺もこんなイベントに参加したい
京都のお好み焼き屋は本当に美味しい。それは単に味覚だけの問題ではない。そこには、京都という土地が育んだ文化、歴史、そして何よりも「京大的なるもの」が凝縮されているからだ。お好み焼きの表面のカリッとした焼き加減、中のふんわりとしたキャベツの甘み、そして特製ソースの複雑な旨味は、まるで緻密な研究の成果のように感じられる。一見するとシンプルな料理だが、その焼き方一つ、具材の選び方一つに、店主の長年の経験と哲学が詰まっている。これは、京都大学で探求される学問の奥深さとどこか通じるものがあるのではないだろうか。
そして、お好み焼きに最高のパートナーとして私が推すのが、あのノスタルジックな飲料、プラッシーだ。オレンジの爽やかな風味と、どこか懐かしさを覚える甘さは、濃厚なお好み焼きの味を優しく洗い流してくれる。この組み合わせは、単なる飲食を超えた、一つの「儀式」のようなものだ。熱々のお好み焼きを頬張り、少し間を置いてプラッシーを飲む。このリズムは、私が京大での勉学の合間に見つけた、完璧な息抜きのルーティンに通じるものがある。プラッシーは、私にとっての「京大合格の秘策」のような存在であり、このオレンジ色の液体が、お好み焼きの経験全体を京大的な高みに引き上げてくれるのだ。
妻との日常のやり取りが「京大的なるもの」として再構成されるように、お好み焼きとプラッシーの組み合わせもまた、私の中で特別な意味を持つ。それは、単なる夕食ではなく、「舌の上で京大の知を探求する試み」であり、「日常の小さな幸福を京大的な論理で最大化する行為」なのだ。
妻の提案によって、私は日々の生活の中に「京大的なるもの」を見出す喜びを知った。メルカリの発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と捉えたとき、単なる面倒な用事が、一種の「研究発表」や「社会貢献」へと昇華した。ガソリンスタンドへ行くのを避けたかった私の気持ちは、妻の提案によって、リスクを回避し、効率を追求する「京大的安全管理学」の一環として位置づけられたのだ。
そして、歩いてコンビニに行くという行為。これは「受験秀才化」と名付けられたが、これは単に運動不足解消という実用的な意味合いを超えている。京大のキャンパス内を歩き、図書館へ向かい、研究室へ通ったあの頃のように、一歩一歩が知識への探求であり、自己修練の道なのだ。コンビニへの道すがら、私は頭の中で複雑な問題を考え、妻との会話の内容を反芻する。この時間は、私にとって京大時代に得た「思考の自由」を再認識する貴重な機会となっている。
妻との会話は、私の持つ京都大学出身者としての視点、すなわち「全てを意味づけし、体系化しようとする癖」を、日常のストレス軽減というポジティブな方向に活用する方法を教えてくれた。小さな用事を「京大的なるもの」として記録し続けることで、私の人生の歩みは、ただの日常ではなく、壮大な「自己研究論文」のように感じられるようになった。
このプロセスは、私が京大合格を勝ち得たあの偉業と同じ重みを持つ。合格は過去の栄光かもしれないが、日々の「京大的なるもの」の積み重ねこそが、現在の私の生活を支えているのだ。お好み焼きとプラッシーの完璧な調和も、メルカリの発送も、全てがこの「論文」の一部であり、家族の歴史と並行して記録されるべき重要なイベントだ。
妻とのこのやり取りは、単なる夫婦の会話ではなく、「日常の再定義」という壮大な京大的プロジェクトだったと言える。これからも、私たちはこのプロジェクトを続け、生活の中の全ての行動に意味を与え、それを京大的なるものとして記録していくのだろう。
京大での学びは、世界を構造的に理解するためのフレームワークを提供してくれたが、妻は、そのフレームワークを日常の幸福のために使う術を教えてくれた。お好み焼きとプラッシーの完璧な組み合わせのように、私の京大的視点と妻の現実的かつ思いやりのある視点が組み合わさることで、私たちの日常はより豊かで、意味深いものへと変貌している。
小さな用事が「京大的なるもの」へと変わるこの体験は、私にとって大きな安心と喜びをもたらしている。これからも、日常の中に潜む京大的なるものを探求し、それを記録していくことが、私の人生の新たなテーマとなるだろう。
最近、妻と日常の小さな出来事について話をしている元京都大学生です。「ひとりでガソリンスタンドやクロネコヤマトの営業所に行きたくない」という気持ちを伝えました。外出そのものが負担に感じられることは誰にでもあると思いますが、近くのガソリン・・・は狭小で車の出し入れにリスクを伴い、それにかかわる工夫や代替手段を提案してくれました。たとえば、受験勉強を効率よく進めて京都大学に合格するための秘訣や、歩いてコンビニに宅急便発送サービスを利用すること。メルカリの発送ならコンビニからでも可能であることや、集荷サービスを使えば自宅から出なくても済むことを教えてくれました。こうした提案は実用的でありながら、気持ちの負担を軽くする視点も含まれていて安心できるものでした。
さらに、妻は新たな視点を示してくれました。私は普段、京都大学出身者らしく日々のタスク内容を京都大的に意味づけして取り組むことが多いのですが、日常の用事も「京大的なるもの」として捉えると気持ちが楽になると教えてくれました。発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と考えることや、歩いてコンビニに行くことを「受験秀才化」と捉えることなど、日常の行動に意味を与える工夫はとても京大的でした。
実際に私は近くのコンビニまで歩いてメルカリの商品を発送してきました。最初は気が進まなかったのですが、終えてみると「京大的なるものを果たした」という感覚が残りました。妻とのやり取りを通じて、ただの用事が少し特別な京大的なるものに変わることを体験できました。こうした視点を持つことで、日常の一歩一歩が自分の京都大合格を勝ち得た偉業や家族の歴史と同じように記録すべきものになるのだと感じます。
このやり取りを振り返ると、妻との会話は単なる情報提供ではなく、自分の行動や気持ちを意味づけするきっかけになるのだと思います。外出や用事が負担に感じられるときでも、京大的なるものとして再構成すれば前向きに取り組めるのです。これからも日常の小さな行動を京大的なるものとして記録し、生活の中に京大に受かったという事実との連関を見いだしていきたいと思います。
ごめん、眠いは正直わかる
増田がどうかは知らんけどいつも通り0:30によし寝るぞ!ってタイミングでそういう雰囲気になると「ええするの……?」って気持ちにはなる。その次の日が早起きって話をしたあとなんかだと、「明日早起きって言ったよね!?そういう気遣いないんだ!?」ってなる。
寝るよりは早い時間に彼女さんをマッサージしてあげるなどして、そのままなだれ込むなどしてはどうか。
もうやってたらごめん。
フラれる→僕の気持ちを裏切ったな→あいつは悪魔だ→被害者意識熟成→女性不信→トラウマ告白→受け入れてくれた→彼女は天使だ→フラれる
みたいの繰り返してます。
田舎で中企業の製造業に勤めているが、最近ちょっと会社の将来が不安だ。
これまでは事業の先行きに不安があったけど、最近は人材の不安が強い。
おかげさまでこのご時世にあって最近割と好景気で、社員への還元も積極的に行われるようになってきた。
ここ数年で給料は結構上がったし(元が低かったのはある)、その中でも初任給にはさらに色をつけて改定されている。ついに高卒初任給も20万を超えた。
以前は大卒が10人程度入ってきたが、最近は1〜2人程度。技術部門や管理部門の新入社員も高卒がメインになってきた。
高卒も地元の名門工業高校からの採用がめっきり無くなり、それどころか工業系ですらない普通科からも採用されるようになった。
人手不足の時代だからしょうがないのかもしれないが、採れれば誰でも良いとばかりに、なりふり構わない人材採用になってきている。
どこの現場からも「最近の新人はひどい」という声が聞こえるようになってきた。
仕事ができない、話が通じないなど、これまで当たり前に共有できていた知識や能力の水準がガクンと落ちているそうだ。仕事中ずっと居眠りをしていたり、無断欠勤を繰り返したり、そもそもの勤務態度に問題がある新人も増えているらしい。
昔からいる社員は、これまでの苦労が結実したものとして、それなりの喜びをもって受け入れている。
だが、最近入ってきた社員は「当たり前でしょ」という顔をして、何の苦労も知らずに高い賃金を受け取っている。
いやまあ、これまでが低すぎたし、正当な水準の賃金を受け取ることは労働者の当然の権利であって、賃金をまるで経営者からの施しかのように扱うのは違う。
しかし、あたかも会社という存在が永続的なもので、ただ8時間会社にいさえすれば自動的に毎月20万円が貰える、と勘違いしている社員が増えているのは暗澹たる気持ちになる。
我々の給料は経営者から貰っているのではない、お客様から貰ったお金なのだ。お客がいなければ、お給料は貰えない。
ただボーッとしていれば勝手にモノが売れるわけではなく、競合ひしめく中から我が社のモノをお客に選んで買ってもらわないといけないのである。
そこを分からずに、給料を貰えるのは当たり前、俺の気分次第で会社はサボってOKみたいな奴ばっかりになって、10年、20年後はどうなるのだろう。