
はてなキーワード:民衆とは
だから、何度も言うけど、君の間違いは、資本主義以前と以降を「変化量」という単一のもので見てしまっていることに起因するんだ。
資本主義以前は、ヘゲモニーを握っているのは封建制の固定を目論む種々の主要プレイヤーで、それを単純にひっくり返すことが左派であり、革命だった。
でも、資本主義以降は、すべての民衆が好き勝手に世界を改変し続けるのが常態であり、大資本はその結節点に過ぎない。
汚職があろうが仕事してくれるなら、まあOK、ジャニー喜多川がどうあれ、ジャニーズで楽しませてくれれば視聴者はOK…😟
そりゃ、枕営業も何も、視聴者には、消費者には関係ないもんな、自分達をサーカスで楽しませてくれればOK、 そりゃ、自分が君主だったとしても、パンとサーカスを提供するし、民衆をコントロールしようとは思うけどさあ…😟民衆側が、率先して俺たちも上級国民にコントロールされるぞ!というのは、ちょっと違うんじゃないの?って思いました…😟
いやー衆院選すごかったですね。そりゃあ負けるとは思ってたけど歴史上初めてレベルの負け方するとはさすがに思ってなかった。ちょっと笑っちゃったもんね。
当然、お仲間が荒れたり凹んだりしているところがいっぱい目に入るわけですが、今回どうも良くない。いや毎回選挙後はよくないんだけど今回特によくない。正直ね、うんざりしているよ。
まず、実際に少数派であることをちゃんと認めよう。ほんとに、事実として。
「正しく考えられれば左翼になるはず、愚かな民衆は目覚めるべき」みたいに思ってるやつが多すぎる。お前が目を覚ませよ。右翼が全員寝てるわけないだろうが。
次に、他人に向かって肉屋を支持する豚呼ばわりするのは本当にやめろ。そんなこと言われて誰がなびくんだよ馬鹿が。
もうちょっとなんかこう、言い方とかあるだろ。増やさないといけないのは仲間であって敵ではないんだよ。頼むよ。
最後に、拗ねるのをやめろ。見苦しいんだよ。
「今回自民に投票した愚民どもが世界情勢の悪化にほえ面をかくのが楽しみでヤンスねえ……」とかやるの、戦略としてもシンプルによくないよ。
それはさすがに「敵」だって効いてる効いてるってなるよ。
でも、おれのフィルターバブルの中には「ポピュリズムにはポピュリズムをぶつけんだよ!」って噴き上がっちゃったやつは今のところ出てきてなくて、そこだけは安心した。
漫画とかのフィクションを読んでてそこに出てくるテンプレ悪党みたいな嫌なモブを見て、
現実にはそんな奴はまずいないのに民衆を愚かに描きすぎ、露悪的に過ぎると思い、冷めた気持ちで見ていたけれど
高市政権になる前辺りから素で人種差別、民族差別的な言動を表に出す人間が増えた
まさかフィクション作品の「嫌なモブ」みたいな人間が、現実にこんなにいるとはなぁ…って驚いている
それも工作としてやってるならばまだ分かるんだけど、
普通に趣味のアカウントで推しキャラ推しカプの話をしている仲間にそういう奴がいたりするものだから
そいつらは確かに生きた人間であって工作員でもbotでもなく素で書いているのが分かってカルチャーショックを受けている
それも作者の主義主張として調和と友好を重んじる作品の、その中でも差別される弱者的なキャラを推していながら平気でそういう発言をするものだから、本当に得体が知れなくて怖い
自分等が推しを虐げる嫌なモブキャラみたいな言動をしている自覚があるのかないのか
Permalink |記事への反応(14) | 15:32
本来、危なっかしい高市の楔として野党が正常に機能することが求められていたが、
有権者はその楔としての機能を遥かに満たしていないと判断を下したのだ。
高市の評価は功罪相半ばで、大勝利によりその罪の側面が強く出ることを私も危惧している。
だが、その高市の暴走を止めるだけの力が野党に全く欠落していたのが今般の選挙の民主的ジャッジである。
中道その他の野党は徹底的に反省し、その支持者も考えを改めるべきなのだが、
はてなブックマークのコメントを見ていると、その望みは僅かすら見当たらず、
高市を選んだ愚劣な民衆共はいずれ後悔することになるだろう、そのときに自らの愚劣さを思い知っても遅すぎる、
野党に何が足りなかったのか。
どこが支持されず、反感を買ったのか。
そうした真摯な反省こそが、今回負けたとしても次の選挙での雪辱を果たす最低限の要件だと言うのに、
愚かで劣っている高市よりも、遥かに救いようのないレベルでお前たちが劣っていたのだ。
民主主義における有権者の審判は、お前たちに峻烈なNOを突きつけたのだ。
それを理解できない限り、
お前たちの敗北は次回以降も必ず約束されているし、
お前たちの愚劣さはいつまで経っても治らないだろう。
高市未満の愚劣さの呪いを、自らにかけたまま年老いて朽ち果てていくのだ。
惨めじゃないか?
今からでも遅くない。
Permalink |記事への反応(23) | 23:24
今回の自民党の大勝を受けて野党支持者の皆さまは「愚かな日本国民」といつもの通り選民主義に陥っている様子です。
しかし日本国民はバカではありません。日本が窮地にあることを理解しています。
生活は楽ではなく、少子高齢化は進み、GDPは追い抜かれ、仮想敵国の中国は経済的にも軍事的にも強大になっている。
「いま日本は滅亡に向かっている」というのが日本人の肌感覚でしょう。そしてそれは当たっています。
与野党ともに、日本の将来のグランドデザインを提示できていません。当然、普通に考えて現状はお先真っ暗ですから。
日本国民は、民衆は「何かを変えるリーダー」を欲しました。言い換えれば、権力を誰かに集中させたがりました。
調整に奔走する、これまでの前例を踏襲する「普通の」首相はいらないのです。
なぜ高市首相に人気があるのか?それは高市首相に人気があるから。
歴史を振り返れば、このようなパターンはそれなりに発見されます。
時代の流れに乗るものと、それを食い止めようとするものたちでは勝敗は明らかです。
憲法改正には参議院で2/3を確保する必要があります。このハードルは非常に高いです。
参議院は任期6年で半数改選。3年ごとに選挙ですから、もし次の参院選で自民が100議席とったとしても2/3には届きません。
あと5年この勢いを持続させる必要がありますので、非常に困難な道のりになるでしょう。
この国は強力なリーダーをそもそも抑制する制度設計がされているわけですね。昔の人は賢いですね。
日本国民はとりあえず、相対的に大きな権力を高市早苗に託しました。
どこに行き、どこにたどり着くものか、まずは見てみましょう
追記、よい文章と思いました。「現実」という言葉の持つ政治性、もっと言えば宗教性に多くの人は無自覚だし、だからこそ「現実」は強固なものなのだけれど、でもまったくひっくり返せないわけではない。それを相対化し、数ある可能性の一つに格下げしてきたのは、人類の文学的・芸術的・学問的な努力であって、それによって人間社会は進歩し、悲しみの種を少しずつ摘んできた。そんな社会を後退させるのは、現実とはこれひとつであると主張する権力であり民衆の諦観です。われわれが本当に抗うべき敵はこれなんだと思います。
ただし、現実もまた相対的だというのが事実だとして、その間に強度の序列があるのも事実です。苦痛や生存にダイレクトに関わる現実、例えば暴力という現実はなかでも強度が高い。この現実が前面に出るときには、他の現実の可能性が背景化する。現実が一つに見えてしまう。暴力の問題とは、それが苦痛を生むという以上に、人が世界を眺める視点をひとつに限定してしまうところにあると思っています。
ではどうやってそれに立ち向かうのか。他の現実が暴力という現実に塗りつぶされてしまうのなら、どのようにしてそこから距離をとるのか。ひとつの逆説的な方法は、あえて現実を突き詰めることです。この増田が提起した「強いとはどういうことなのか?」がひとつの例でしょう。「国際関係は武力で決まるのだ」(だからどんどん軍備を拡大するべきなのだ)という諦観と思考停止を乗り越えて、ではどのくらい軍備を拡大するべきなのか、そもそも核兵器は「強い」のか?と冷静に立ち止まって考える。真剣に現実を見据え問題解決を考えるならば、外国に対する漠然とした恐怖や悪感情など無駄です。それこそ「現実が見えていない」のですから。
ですから、これを読んでくれた暇な(心に余裕のある)皆さん、現実的に考えましょう。徹底的に現実的に。あいまいな暴力への恐怖や排外感情なんてわきにおいて。そうすればもしかすると、もっとましな現実に移れるかもしれません。そうなるといいなと思います。
たとえば防衛(?)として核兵器を持つことが「強さ」だとしたら、何発あれば強くなって安心できるんだろう。
北朝鮮と同じ50発?
中国と同じ600発?
他の国より核兵器を持ってる数が多かったら「強い」なら、どんどん作ったらどんどん強くなるってこと??
pp(ピアニッシモ=弱い声)を会場の一番奥まで届かせるときの方が、
ずっっっと深く、強く、お腹に力を込める必要があったことを思い出す。自分がイメージする強さって、弱い音を届けようとするその時の感じ。みんなはどうなんだろう
『ポエムとしてはええけど、国際政治と合唱は別物やろ。現実見ようや(´・ω・`) 』
コメントありがとう。合唱の話が例として良くなかったのかもしれない。合唱の話してる奴と政治の話できないとか言われててしょぼんとしている…。
(あと政治の話になると、すぐに左翼とかリベラル、右翼とか保守みたいにラベリングしてしまうのはなんでだろう?しかもそのほとんどが、目の前にいる相手の声をもっとよく聞くためでなく、相手の声を黙らせるために使われることが多い印象。右派左派ともにね。)
自分は、「現実」と呼ばれているものが、いつの間にか一つの見方に固定されてしまうことに引っかかってる。軍事や国益の話は現実で、人が何を恐れて、何を信じて、何を希望するかは「ポエム」なのかな。
実際には、どの言葉が現実的で、どの言葉が空想だとされるか自体が、社会の中でつくられてきたものだと思う。差異や多様さ、弱さや希望が「非現実的」と片づけられるとき、それはしばしば「これしかない」という前提を守るための言葉でもある。希望を語ることや、別の可能性を想像することは、現実逃避ではなく、今ある価値の序列や暴力の前提を問い直す行為だと思っている。言葉や政治が、人を排除もするし迎え入れもするのだとしたら、どんな言葉を「現実の言葉」として使うかは、とても政治的じゃないかな。
それをポエムと呼ぶなら、そうなのかもしれないけど「別の世界はあり得る」と言い続けることなしに、現実が変わってきた場面があったとも思えない。
現実を見ることと、現実が一つではないと問い続けること。その両方を手放さずにいたい、という話です。
この話は、外国人労働者や移民が増えていることへの恐れとも、どこかでつながっている気がする。でも自分は、それを「侵略」と同じものとして語ることには違和感がある。
たとえば、結婚したい相手の苗字を、どちらかが手放さないと制度上結婚できないことも現実だし、性的マイノリティの友人たちが国から存在を認められていないことも現実。
どの現実を「現実」と呼ぶのか。その選び方自体が、政治ってことなのかな??
ー
長々とごめん。政治の言葉で使われる「強い」ってなんなのかが知りたいって思ってる!言いたいよりも、聞きたい。
ー
『核兵器(ff)と斬首作戦(ppを会場の一番奥まで届かせる)はどちらが強いかみたいなことを考えてもあまり意味は無いと思う。』
自分はppが斬首作戦とは思ってないよ!ただ強さについて考えるときに、自分が思い出す身体感覚を書いてみた。政治的なことも、自分自身の身体感覚から考えられないかなと思ったんだけどな。
ー
『さて、増田はいったい何がいいたいんですか?増田は勝てない相手に逆らったことがあるんですか?増田は、喧嘩したことがあるんですか?理想を語ることなんて誰でもできるんですよ。そんなことで人より上になったとか思うのは、恐ろしく恥ずかしいことですよ。口先だけの人間は、この世で一番価値がないですよ。(抜粋)』
うーん。この前の文章は分かるんだけど、後半の↑の文章はどうしてこうなるかわからなかったな。
一応、答えておくと、勝てない相手に逆らったことはあるけど、具体的な暴力での喧嘩はないよ。痛いのやじゃん。あなたは好き?理想を語ることはほんとうに誰でも出来て、口先だけの人はこの世で一番価値がないの?
自分もできる範囲で、困窮者支援への炊き出しや、学習支援、子ども食堂のボランティアを手伝ったりもしているんだけど(だからといって別に偉いとも思わない)、
口先だけってなんだろう?あなたのその文章と、どこが違うんだろう?あなたはどんなふうに行動している?もしよかったら聞かせてほしい。
ー
『歴史を勉強すれば(過去に人類が何をやってきたのかを少しは知れば)そのラノベかなんかみたいなシンプル過ぎる発想から脱却できると思うよ』
コメントありがとう!オススメの本とかある??自分は最近「歴史的に考えること」「背景マッカーサー元帥師」を読んだよ(もしかして、ラノベかなんかみたいなシンプルすぎる発想っていうのは政治家のことを言ってる?)。
どれくらい歴史を勉強すれば、政治について分からないことを誰かに聞いてもいいんですか?
ー
『強さは相対的だから「全員が」「絶対に」強いと言い切れる事んて無いよ…ffも「100db±5」とかルール化されてない以上、ウィスパーボイスでも「ff!!強すぎ!!」と言う奴や、鼓膜が破れるくらいでかい音でも「まだpp」と言う奴がいるかもしれん
(中略)設問が悪いので「知らねーよ」と答えるしかない』
あ〜、確かに強さって相対的だ。ここに関しては、かなり同意。強さは相対的だし、尺度次第で全然変わる。
だからこそ、自分が気になったのは「日本列島を、強く豊かに」ってコピーが、その“尺度”を一切示さないまま、強さだけを断定してる点で
だから「政治の言葉で使われる強いって何?」って質問は、答えを出すためというよりも、みんながどんな尺度でその言葉を受け取っているかを聞いてみたいって思って聞いたよ。
ー
『強くても安心できない国もあれば弱くても安心できる国もあるので、分からないのは強さじゃなくて安心かもしれない。』
軍事的・経済的には「強い」とされていても将来が見えなかったり、分断が深かったり、生活の足元が不安定な国は普通にあるし、逆に「弱い」と言われがちな国でも、日常の安心感が高いところはあるのかも。
そう考えると、分からないのは「強さ」じゃなくて、政治が何をもって人を安心させようとしているのかなのかもしれない。
ー
『追記、よい文章と思いました。「現実」という言葉の持つ政治性、もっと言えば宗教性に多くの人は無自覚だし、だからこそ「現実」は強固なものなのだけれど、でもまったくひっくり返せないわけではない。それを相対化し、数ある可能性の一つに格下げしてきたのは、人類の文学的・芸術的・学問的な努力であって、それによって人間社会は進歩し、悲しみの種を少しずつ摘んできた。そんな社会を後退させるのは、現実とはこれひとつであると主張する権力であり民衆の諦観です。われわれが本当に抗うべき敵はこれなんだと思います。(抜粋)』
返信ありがとう。
読んでいて、そうだなぁと思いました。「現実」という言葉が、いつのまにか一つの見方だけを指すようになってしまうこと。それに抗ってきたのが、文学や芸術や学問だった、という話も、その通りだと思います。
自分が「強いって何なんだろう」と考え始めたのも、ニュースや選挙のチラシで「強い日本」とか「守る」とか「抑止力」という言葉を見るたびに、それが自分の生活のどこに触れているのか、よく分からなくなる感じがあったからです。朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、誰かと話す。その一日の中で、いま言われている「強さ」は、何を支えているんだろう、と。
おっしゃる通り、暴力や生存に直結する現実の強度は無視できない。暴力は実際に人の体や生活を壊すし、それが前に出てくると、世界が一色に見えてしまう。だからこそ自分は、「国際関係は武力で決まる」という言葉をそのまま飲み込まずに、いったん立ち止まりたかったんだと思います。じゃあ、どれくらい持てば「強い」のか。そもそも核兵器は、本当に「強さ」なんだろうかと。
一方で、自分の周りを見渡すと、名字の制度のせいで結婚の選択肢が制限されていたり、クィアの知り合いが「国から存在を認められていない」と感じながら生きていたりする。それもまた、確かに現実です。でもそういう話は、よく「理想論」や「ポエム」に押しやられる。
恐怖や敵意を前提にした「現実」だけが前に出ると、他の現実が見えなくなる。だから、あいまいな不安や排外感情をいったん脇に置いて、できるだけ具体的に、現実的に考えたいと思っています。それは空想というより、自分や周りの人が、明日も普通、、、いや普通っていう言葉じゃないな。もっとマシに暮らせるかを考えることに近い。
これを書いてて思ったけど、もしかすると有権者が諦観に飲み込まれないことが「強さ」なのかもしれないですね。「もっとましな現実に移れるかもしれない」という言葉、ほんとに自分もそうあってほしいって思う。
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『合唱やってるんなら、合唱コンクールを思い浮かべればいいのでは。そこにも強弱差はあるだろうし、毎年入賞している強豪チームもいれば参加するだけで終わってるチームもあるだろ』
たしかに、合唱コンクールの順位を思い浮かべれば「強い/弱い」はあるよね。毎年入賞する学校もあれば、参加するだけで終わる学校もある。その意味で、合唱の世界にも力関係や差はあると思う。
でも自分が気になっていたのは、その「強さ」が何で測られているのかなんだと思う。声量なのか、技術なのか、編成なのか、審査基準との相性なのか。同じ曲でも、ホールや聴き手が変わると評価が変わることもある。
政治の話で「強い」と聞いて、例えば自分が思い浮かべたのは「軍事力」だったけど、合唱コンクールでも声がでかい学校が常に勝つわけじゃないのと同じで、政治において何を「強さ」と呼ぶかは本当はもっと複数あるはずだと思う。それを知りたいと思った。
Permalink |記事への反応(14) | 08:44
現代日本において「こども食堂」は、貧困対策や地域交流の象徴として、メディアや行政から手放しの称賛を浴びている。しかし、その急速な普及と活動の実態を冷静に観察すれば、そこには単なる慈善事業を超えた、極めて政治的な意図が透けて見える。かつて毛沢東時代の中国で展開された「人民公社」や「公共食堂」が、伝統的な家族の解体と党による民衆支配の拠点となったように、現在のこども食堂もまた、日本社会の根幹を揺るがす「人民食堂」へと変質しつつあるのではないか。
日本社会の最小単位は「家族」である。家族が共に食卓を囲む「一家団欒」は、道徳や文化を継承する神聖な儀式であった。しかし、こども食堂は「孤食の解消」という大義名分を掲げ、子供を家庭から連れ出し、外部のコミュニティへと誘導する。
これは、共産主義思想が古くから提唱してきた「家庭教育の否定」と「子供の社会化」に合致する。家庭というクローズドな空間から子供を切り離し、特定の思想的背景を持つ運営者の管理下に置くことで、親の影響力を削ぎ落とす。食の提供という生存の根幹を外部に依存させることは、精神的な依存の第一歩であり、それは家族の絆を希薄化させ、国家や組織による「個」の管理を容易にする土壌を作り上げるのである。
全国に広がるこども食堂の運営母体を精査すれば、そこには革新系団体や共産党系組織、あるいはそれらと密接な関係を持つNPO法人の影が色濃く投影されているケースが少なくない。彼らにとって、こども食堂は「福祉」ではなく「革命の拠点」である。
幼少期から特定の政治色を持つ大人たちに囲まれて育つことで、子供たちの価値観は無意識のうちに偏向していく。
「善意」という最強の武器を用いることで、本来政治に保守的な層の懐に入り込み、地域住民の個人情報や生活実態を把握する。
自治体からの助成金や補助金を獲得することで、本来は自派の政治活動に充てるべきリソースを温存し、公金を使って組織の持続可能性を高めている。
こども食堂が目指すのは、地域の互助ではない。それは、伝統的な地域コミュニティ(神社仏閣、町内会、地縁団体)を、イデオロギーに基づいた「新秩序」へと置き換える作業である。
従来のコミュニティが歴史や信仰に基づいていたのに対し、こども食堂を核としたネットワークは「弱者救済」という絶対正義を盾に、既存の秩序を「古いもの」「冷淡なもの」として排除する。これはまさに、かつての文化大革命において「旧思想・旧文化」を破壊した手口の現代版である。こども食堂という名の「人民食堂」が普及すればするほど、日本人が守り続けてきた道徳観や自立心は失われ、万事において「お上(あるいは党)」を頼る依存心ばかりが助長されることになる。
共産主義の最終目的は、既存の国家体制の転覆である。日本においてそれは、天皇を中心とした国体の破壊と、私有財産制度の否定、そして徹底的な平等社会の構築を指す。こども食堂は、この目的を達成するための「トロイの木馬」である。
まず、経済的格差を強調することで階級闘争の意識を植え付ける。次に、家庭の教育機能を奪い、国家(あるいは組織)による画一的な人間形成を行う。最後に、地域社会から伝統的な結びつきを消滅させ、すべての人間を「食堂」という名の管理下に置く。食を制する者は生殺与奪の権を握る。日本社会を内部から腐食させ、伝統を断絶させる企みは、今まさに「温かい一膳」の陰で着々と進められているのである。
我々は「こども食堂」という言葉の響きに惑わされてはならない。真に子供たちの未来を思うのであれば、必要なのは食堂への誘導ではなく、各家庭が自立して食卓を囲める経済的・精神的基盤の再構築である。
今、この国の伝統と未来を守るためには、善意の仮面を剥ぎ取り、その背後にある冷徹な政治的意図を白日の下にさらさなければならない。
最近、ネットやSNSでチームみらいという連中のマニフェストが話題だが、正直に言って、私はこの連中の掲げる政策に強い危機感を抱いている。
いや、ハッキリ言おう。この政策は、これまでの平等や福祉の概念を根底から覆す、極めて冷徹な生存戦略だ。連中の主張を分析すればするほど、連中が何を切り捨て、何を生かそうとしているのかが透けて見えてくる。
https://anond.hatelabo.jp/20260125003141
まず、独身高齢者の方が吐露した「居場所がない」という不安。これは感情論ではない。チームみらいの政策は、高齢者の命綱を、次世代の成長のために再配分すると言っているのだ。これまでの政治家は、たとえ嘘でもお年寄りを守りますと言ってきた。その声こそが安心だった。しかし連中は違う。彼らが掲げるデジタル化による効率化の本質は、対面窓口というコストを削り、支援が必要な人を不可視にすることだ。 これが何を意味するか。プライマリーバランスの崩壊であり、移民の推奨だ。日本人が日本人としてある日本を壊すものだ。
◆チームみらいの子育て減税がとんでもないばら撒きなんだが
https://anond.hatelabo.jp/20260127214134
批判者が指摘する通り、これは金持ち優遇に見える。年収900万の世帯が60万以上の還元を受け、低所得世帯はわずかしか恩恵に預かれない。考えてみてほしい。連中がなぜ定額給付ではなく定率減税を選んだのか? それは、奴らが持つ者だからだ。経済的に最も合理的な選択であるというインセンティブ構造の再構築だ。血が通っていない、冷たいという批判。それこそが奴らに対する民衆からの評価だ。
チームみらいは、身元保証や孤独死といった個人の不安を、感情ではなくテクノロジーと契約で解決しようとしている。そこに情緒はない。情緒はない。あるのは、冷酷なまでの優先順位だ。もしあなたが、頑張る人間が報われる国にしたいと思うなら、オールドメディアに騙されずによく考えてほしい。目覚めてほしい。この政策が実現すれば、日本は終わる。それは、弱者に優しかった旧来のコミュニティや仲間の情が完全に破壊されることを意味する。君たちは、本当にこの冷徹な合理性とやらを受け入れる覚悟があるのか?
切り捨てられるのは君だぞ。
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