
はてなキーワード:民俗学とは
深夜、誰もいないはずの部屋でふと視線を感じることはないだろうか。
振り返っても誰もいない。
ただ、鏡の端に一瞬、見知らぬ顔が映りこんだような気がする。
それが「弱者男性」だと囁く者がいる。
しかし、それは単なる言葉遊びではなく、人類の歴史を通して現れては消えてきた「影の人類」だと考えることもできる。
彼らは表舞台には決して立たない。
光を浴びることはなく、常に誰かの後ろ、社会の亀裂の中、暗がりに潜む。
その存在は、あたかも古い民俗学に語られる「隠れ里の住人」に酷似している。
弱者男性を語る時、常に問われるのは「彼らは実在するのか」ということだ。
しかし別の学説では、弱者男性は人類の集団無意識が生み出した「幽霊」にすぎないという。
女の人生はイージーモードだと嘆き、下方婚を拒む社会の中で、その怨嗟は形を持ち、やがて都市伝説となった。
記録によれば、深夜のコンビニやネットカフェで「声をかけられた」という証言がある。
――「君は、僕と同じだよね」
そう囁かれた者は、奇妙なことに一様に人生が狂っていく。
まるで弱者男性と接触することで、社会から切り離される呪いを受けるかのようだ。
かつて村落共同体の中で排除された者、近代都市で取り残された者、その全ての怨念が一つに重なり合って、この怪異は形を持った。
もしあなたが人生の隙間に足を取られたとき、ふと背後から冷たい息を感じるだろう。
振り返った先には、無数の「顔」がこちらを覗き込んでいる。
高校の倫理の授業で「ハレ」と「ケ」っていう民俗学の概念を習った記憶があるんだけど、セッ○スが「ハレ」から「ケ」になってセッ○ス自体をエロいと思わなくなってしまった(使い方間違ってたらごめんなさい。ふと思い出して使ってみたかった)
30代。新しい恋人ができて去年の夏ごろからなんとなく週1~2(毎週金土固定。同棲はしていないが週末はどちらかの家にいる)でセッ○スするようになってからセッ○スに対して「待ってました!」感?がなくなった。やってるときは興奮するし楽しいし気持ちいいしまた来週もやりてーなって思うけど、一緒に夕食食べたレベルの日常になってしまっているというか
でも別に性欲がなくなったわけでもセッ○スが嫌になったわけでもないし(面倒とも思わないし)、相手に飽きたりはしてないし。マンネリとか思っていいホテル取ったり旅行行ったりコスプレしたりしてみるけど、結局やることも興奮度も変わらないという。
ひとりでムラムラすることもあるしAV見て抜いたりするけど、エロいことするぞ!!!ヤりてえ!!!みたいな勢いがない。風俗含めて新規探そうみたいな冒険心もなくなった。百万が一恋人以外の人に誘われれて実際にやったとしても一緒に飲み行ったくらいの感覚だと思う。
とにかくセッ○ス=エロいみたいな感覚がなくなって戸惑ってる。このままいくと飽きるのか?あんなにやりまくりたかったのに?飽きたら他に何を楽しみにすればいい?高校の時、妊娠報告して産休取った担任のこと「先生、中出しセッ○ス報告するとかエロ!」とか同級生とニヤニヤしてたのに、今会社の人が報告してきてもおめでとー以外の何にも感じなくなってしまった。逆に、ネットとかでセッ○スをセッとかおせっせとか致したとか言ってるのをみると、意識しすぎて逆に恥ずかしくない?とさえ思う
レスの予兆だったり、このままだと冷めるのか?と思って若干焦ってもいる。もしこのまま結婚とかして夫婦になるとこんな感じが続くのだろうか?ていうか年齢的な衰えもある感じか?誰が悪いわけでもないんだけどなんか毎日楽しくない、みたいな
文学だって、言語学だって、歴史学だって、民俗学だって、学術研究は全て客観的な根拠を元にして論理的に議論が成り立っているよ。
当然それらは数学のように厳密に証明が出来るわけではないかもしれないけど、それでも客観的な証拠から論理的に結論を導いているんだよ。
だからそれに対して反論が出来るの。例えばその証拠は本当に正しいのか(偽物じゃないのか)検証したりとか、その結論に反する例を挙げたりとか、論理展開に存在する間違いを指摘したりとかね。
実際に従来の学説と反する新しい遺物とかが見つかって、学説が大きく変わるということは何度もあったわけだよね。小中学校の歴史の教科書なんて親世代とその子供では内容が結構違うなんて当たり前にあるわけだし。
それが出来たのは証拠と論理によって学問が成り立っているからだよね。現状存在している証拠とそこから合理的な推察により客観的に現状最も尤もらしいと考えられる結論を導く、というのが文系学問でも当然行われているの。
でもそれをすっ飛ばして「私はこう思う、なぜなら私がそう思うからだ」と言われてしまったらもう反論の余地がないわけ。「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」としか言いようがないでしょ。
これは学問ではないの。そんなものは理系文系問わず学問の世界では許されないの。だから文系学問に客観性が無い、なんて言ってしまうのは本当に学問をやったことが無い人ぐらいなの。
客観性があるからこそ「何が正しいのか」を議論して追求できるの。一見ただの主観に見えても、それは単に教科書の表面を眺めているからに過ぎなくて、その結論が導かれる裏側には厳密な考証や議論が重ねられているの。
AfD躍進はイスラム移民過剰による摩擦がどーたら、リベラルの綺麗事が嫌われてなんたら…と言われているんだがさ、元々AfDって旧東独で強い政党だったわけよ。
で今回もやはり同じ。ただ南方地方での得票が増えてるって特徴がある。
真っ青な東の中に赤と灰色の地域が見えるが、これはベルリン。東ベルリンではCDU、西ベルリンではSPDが強いって事になっている。
ドイツが統一して暫く後からネオナチの活動が問題になっていた。
当時犠牲になっていたのはトルコ人で、殺人や放火などの被害に遭っていた。当時のネオナチはスキンヘッドのフーリガンで、要するに愚連隊。だから直接の政治問題というよりクズの若者の問題と見做されていた。
東西ドイツは合併したように見えるが、実際は西への併合で、共産体制が否定されただけじゃなくて西側のやり方、価値観で上書きされてしまった。
西独はマイスター制で10歳でブルーカラーとホワイトカラーの進路が分かれる、結構不自由な社会だ。逆に言うとモラトリアム期間が認められていないから若者がアイデンティティで悩んだりする事も少ない。
社会主義から転換した東独は圧政からの解放によるアイデンティティの不安定さがあった。
西独はキリスト教の信仰が強く、政党まで作られているが、政治の世俗化などの近代の約束事の周知が前提となっている。
東独では宗教は縮小されて「歴史の必然到達点」である共産主義が全て解決すると教えられていたのに歴史の終点が蒸発したので近代の約束事が前例とか慣習に結びついていない。
西独には中間共同体が残っていてお祭も盛んだが、東独は社会主義国家が多くを破壊したので無い。
戦争の総括や反省は東独では「社会主義への進歩への反逆」のような文脈でされていて西独とは大いに異なる。
という風に、要するに大いなるアノミーと自由からの逃走ですな。そういう問題に苛まれた。
しかも「ドイツ」として参照されるのは西独ばかりなのでやな感じだ。
『グッバイレーニン!』という映画を知ってるだろうか?熱烈共産党員の母が意識不明になってしまったが、その間にベルリンの壁は崩壊し東独は無くなって資本主義の品々だらけになってしまった。目を覚ました母がショックを受けないように「家から見える資本主義」を全て無くす為に息子が奔放するって内容だ。面白いぞ。
なんでこんな映画が出来たかというとその背後に東独の痕跡を全部消されるような忸怩たる旧東独民の思いがあったわけよ。
ネオナチもこういうのを背景に旧東独で猛威をふるっていたわけで、当然AfDもそのベースは共有している。
旧東独地域は人口が減っている。旧西独側に流出しているのだな。
で、移民が来るには来るが、結局行くのって旧西独側ばかり。するとブレグジットで見られたように、移民が余り行かない地方の人が移民に反対しているって事になるわな。旧東独のあちこちに池袋や西川口や葛西があるってわけじゃ無かろう。
なので以上の事も含め、イスラム系移民との軋轢が原因というのはちょっと無理があるんじゃね?
増田的には、イタリアがやったような地域開発支援や、民俗学で東独地域の歴史や風俗を掘り返して祭復活させたりということを長く続けるしか無いように見えるんだが。
この増田がまとめている党是にも出てくるが、
https://anond.hatelabo.jp/20250224204010
再生エネのうち、風力だけが敵視されている。太陽光はおkなのね。
トランプ政権も風力発電敵視しているが、同じ再生エネの太陽光はおkになってるね。
イーロンマスクのXポストツリーにぶら下がってる最近の極右集団も同じなんだよね。
日本では展開されていないが、テスラ社は自動車だけじゃなくて電池部門も展開している。
それもモバイル向け小さいセルじゃなくて、蓄電池事業、例えばEcoFlowみたいな手軽な大きさのものから、家庭用、会社用の小型中型蓄電池システムを展開している。
データセンターとか医療用、精密工場なんかの無停電電源は専門業者に握られていて参入が難しいのでやらず、再生エネの拡大で出来たニッチを市場にしてるのよ。EV連携とかね。
一方、風力というのはそれなりの資本力が必要だから、これらの蓄電池システムと組み合わせ出来ない。
とすると、イーロンとしては再生エネはウォークだと腐しながら、太陽光は除外するしかない。そこで風力だけに憎悪が行く、というこういうワケなのだ。アフォらしいな。
なので、各地の極右が風力だけ憎むのは、パトロンとかタニマチ、若しくは強力シンパのビジネスの都合だろ、ってことなんであります。
つーことで、AfDなどの事を「イスラム移民との摩擦によるもの」と考えるのは無理があるんじゃね?ってお話でござった。摩擦が少ない地域で躍進してるわけで。他の原因無視しすぎ。
そもそも移民の毒を問題視するなら、今一番自国を滅茶苦茶にしてのってイーロンじゃん。あいつ放り出せ、ああいうのが来たらどうする!って言うはずだよな。
あ、バノンには言われてたのか。