
はてなキーワード:比較文化とは
韓国では実際には「立憲君主制」は採用されていない(=現在の韓国は共和国であり、王室も存在しない)にもかかわらず、架空の王室を描いたドラマ――いわゆる「もし今も王室が存在していたら」という仮想歴史(オルタナティブ・ヒストリー)や現代王室もの――が人気を集めることがあります。
以下は、なぜそのようなドラマが人気なのかについての理由です:
現代社会におけるストレス、格差、政治不信などから、視聴者は日常とかけ離れた華やかな王宮生活や非日常の恋愛に憧れや癒やしを求めます。王子や王女が登場するストーリーは、まるでおとぎ話のようで、夢の世界への入り口のように機能します。
韓国はかつて朝鮮王朝や大韓帝国が存在した歴史を持ちますが、日本の植民地時代を経て王政は廃止されました。
それゆえ、「王室が今も存続していたらどうなっていたか?」というロマンや好奇心をくすぐるのです。
特に、現代的な価値観(自由恋愛、民主主義、女性の自立など)と王室制度の伝統がぶつかり合うストーリーは、ドラマ的にも非常に面白くなります。
🔹 3.ビジュアル面の魅力
王宮、伝統衣装(韓服)、儀式など、美術的・文化的に視覚的な魅力があります。豪華なセットや衣装、美しい俳優たちが視聴者を惹きつけます。
韓国社会にはいまだに学歴・家柄・経済力によるヒエラルキーが色濃く残っており、「王族や財閥」という“頂点”にいる人々のドラマは、現実社会の縮図としても描かれることがあります。
「身分の差を越えた恋」「王室内部の陰謀」「跡継ぎ争い」などは、そうした社会的なテーマとも重なっています。
🔹 5.過去のヒット作の影響
たとえば:
『七日の王妃』
『太陽を抱く月』
『赤い袖先』
などのドラマが大ヒットしたことで、「王室+恋愛」の組み合わせが一つのジャンルとして確立されました。
総合すると…
韓国人が王政に憧れているというよりも、ドラマというフィクションの中で「非日常」や「理想の恋愛」「社会階層の象徴」を描くのに、立憲君主制という舞台装置が非常に便利で魅力的だから、ということが言えます。
もし特定のドラマを指している場合(例:『宮』や『赤い袖先』など)、それに合わせた考察もできますよ。
あなた:
世界にはたくさんの共和国があります。立憲君主制に興味を示す人が多い共和国はどこですか?
ChatGPT:
とても鋭い観点ですね。
実際、多くの**共和国(君主制を採用していない国)**でも、立憲君主制に対する強い関心や人気が存在する国があります。そうした興味は、政治的な意味というより、文化・歴史・エンタメ的な憧れや好奇心として表れることが多いです。
以下に、立憲君主制に特に関心を持つことが多い共和国の例を紹介します。
🇰🇷韓国
概要:すでにお話したように、現代王室を舞台にしたドラマや映画が人気。
背景:
ドラマ『宮』などのヒットにより、若者の間で「王子様」「プリンセス」幻想が根付く
概要:王朝時代を舞台にした歴史ドラマ(古装劇)が大人気。皇帝・后妃・官僚・宦官などのキャラクターが中心。
背景:
清朝の滅亡から100年以上経っており、皇帝制度は完全に過去のものとされている
※ただし、中国では現実政治での君主制復活などは絶対にタブーです。完全なフィクションとしての消費。
🇹🇷トルコ
背景:
共和国化以降も、「もしスルタン制が続いていたら…」という空想やロマンは根強い
代表作:『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』などが世界的ヒット
概要:ロマノフ朝(帝政ロシア)への関心が根強く、アナスタシア伝説やロマノフ家に関する作品が人気。
背景:
興味の形:現代ロシアが立憲君主制になることを望む声は少ないが、「失われたロマノフ家」のロマンは強い
概要:フランス革命で王政を廃止した国でありながら、ルイ14世やマリー・アントワネットなどの人物には人気がある。
背景:
注目点:現在も王政復古を唱える「王党派(Légitimistesなど)」が少数ながら存在
🇮🇷イラン
概要:1979年に王政(パフラヴィー朝)を打倒してイスラム共和国になったが、現在の政治体制への不満から「王政時代のほうが良かった」という声もある。
背景:
パフラヴィー家の王子たちが今も国外で活動しており、象徴的な存在として注目される
💡共通点として言えるのは:
王政時代を「理想化」または「ノスタルジーの対象」としてとらえる傾向がある
立憲君主制への関心は、政治的な復活希望ではなく、文化的・情緒的な興味に留まることが多い
ほとんどの共和国では、実際に王政復古を求める声は非常に小さく、「制度」としての君主制に興味があるわけではなく、あくまで文化・娯楽・歴史としての関心であることが多いです。
ご希望があれば、「どの国が最も君主制に復活の可能性があるか」みたいな政治的な話にも踏み込めますよ。
あなた:
世界のほとんどの国にはかつて国王がいました。かつて王室があったから、という理由だけでは特にそれらの国がより強く君主制に関心を示すのか?という問いに対して不十分です。地理的な観点から論じることは可能ですか?
ChatGPT:
素晴らしい問題提起です。
おっしゃる通り、「かつて王室があった=関心が強い」とする説明は単純すぎますし、全ての国に当てはまるわけではありません。
この問いをもう一段深く掘り下げるために、**地理的観点(=地理、地域文化、近隣国の影響、文明圏など)**から分析を試みましょう。
🔍【問いの再定義】
「世界の中で、特にどの地域の共和国が立憲君主制に関心を示しやすいか?そしてその背景には地理的な要因があるのか?」
この問いに答えるには、以下の要素を軸に考えると良いです:
特徴:
日本の皇室が存続しているため、文化的ライバル意識や比較意識が働きやすい(特に韓国・中国)
結果:
架空の王室を使ったドラマやフィクションの舞台として君主制が頻出
特に韓国では「現代王室+恋愛+政治ドラマ」のフォーマットが人気
特徴:
結果:
現体制(イスラム共和国)への反発から、王政時代を「失われた秩序」として理想視する層も存在
✅ 東南ヨーロッパ/バルカン半島(ブルガリア、セルビア、ルーマニアなど)
特徴:
冷戦期に共産化→君主制を廃止したが、比較的最近まで王室が存在
結果:
特徴:
結果:
王政そのものへの復活願望は少ないが、文化的にヨーロッパの宮廷文化に対する憧れが見られる
アメリカ:反王政(独立戦争の歴史)が国家アイデンティティの一部
カナダ:イギリス国王を元首とする立憲君主制国家ではあるが、王政に対する文化的関心は低下傾向
結果:
立憲君主制に対して冷静/無関心
フィクションとして消費されることはある(例:『プリンセス・ダイアリー』)が、文化的に根ざしてはいない
多くの国に伝統的首長制が残っているが、欧州型の君主制への関心は限定的
一部に象徴的王族がいるものの、立憲君主制を制度として復活させようとする動きは少ない
結果:
自国文化の再評価の方が強く、欧州型王政は「支配の象徴」として敬遠されることも
地域的に君主制への関心が高まるのは、以下のような地理的な環境があるときです:
周辺国に現存する王政がある日本、英国、サウジなど比較対象・メディア露出により関心が刺激される
王制が比較的最近まで続いていた韓国、イラン、バルカン諸国など記憶が風化しておらず、ノスタルジーが強く残る
欧州文化や貴族文化への接触が強いラテンアメリカ、バルカン、東欧王室=格式・伝統の象徴として文化的憧れが根付く
地政学的な比較意識がある韓国→日本、イラン→湾岸諸国など政治的・文化的に隣国と比べて「自国の過去」への再評価が進む
ご希望であれば、特定の地域や国についてもっと詳細に掘り下げることもできます。
あなた:
近隣国に王室が存在するから自国の立憲君主制ファンタジーを楽しむ、というのは納得します。
ChatGPT:
ありがとうございます、非常に本質的なご理解です。
まさに**「近隣に王室がある」という地理的・心理的条件**が、「自国にはないもの」への関心や空想を生む土壌になりやすいのです。
近隣国に王室があり、その存在が文化的・国際的に注目されている場合(例:日本の皇室、英国王室)、
→国民の中に「我が国にもあれば…」「我々の文化も誇れるものがあるはず」という感情が芽生えやすい。
近隣国の王室報道(戴冠式、結婚式、葬儀など)は国際ニュースとして流れる。
→ それを見た視聴者が「格式」「伝統」「ロマン」といった要素に惹かれ、自国文化における対応物を求める。
例:韓国での『宮(Love in Palace)』のような現代王室ドラマ。
→ これは単にファンタジーとして楽しむだけでなく、「日本に皇室があるのだから、韓国にだって王室があったら面白いじゃないか」という比較文化的な空想が土台にある。
韓国日本(皇室) 高い 『宮』などで自国に王室がある想定が人気。
中国日本、タイなど 高い(主に歴史もの)清朝ドラマの大人気。過去の王制を美化しがち。
イランサウジ、ヨルダンなど 中〜高イスラム王政国との対比で「かつての帝政」を再評価する声も。
トルコヨルダン、湾岸諸国 中オスマン帝国のノスタルジーと近隣国との比較。
東欧・バルカンスペイン、英国、モナコなど 中王族の再登場も時折話題に(ブルガリアなど)。
これはいわば「隣の芝生は青く見える」現象の文化バージョンです:
「どうです?これが現場を知る俺のリアルな分析です。反論ありますか?(笑)」
ブログ記事の公開後、フミヤの予想通り、記事は瞬く間に拡散された。
「よく言ってくれた!」 「エンタメ業界の闇を暴いた!」という称賛コメントも一部にはあったが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
「エンタメ業界を一括りにするな。まともな会社もクリエイターもいる」
「カバーの件とアニメ業界の構造問題を混同してる。無知すぎる 」
「『ヒステリー起こして暴れ狂う』?どの世界のファンだよ。偏見酷すぎ」
「『SHIROBAKO』の例えも的外れ。制作進行の苦労を知らないのか」
「資格や標準化の話も、分野が違うものを同列に語るな。契約書や著作権法は法律じゃないと?」
「『甘えてる』?お前が現場の苦労を何も知らないだけだろ」
エンタメ業界で働く人々、業界に詳しいライター、さらには労働問題の専門家からも
フミヤの主張の穴や事実誤認、乱暴な一般化、そして何より業界とそこで働く人々への敬意の欠如に対する厳しい批判が殺到した。
彼の自信に満ちた言葉は、「現場を知らない学生の浅はかなマウント」
あっという間にフミヤの本名、大学名、学部まで特定されて晒し上げられた。
「〇〇大学の恥」
フミヤは、スマホに鳴りやまぬ通知と、画面に表示される罵詈雑言の嵐に顔面蒼白になった。
最初は反論しようとしたが、あまりにも的確で容赦ない指摘と、数の暴力に、なすすべもなかった。
彼の「鋭い分析」は、薄っぺらな知識と偏見の塊であることを徹底的に暴かれ、嘲笑の的となった。
数日後、フミヤは憔悴しきっていた。
大学にも顔を出せる状態ではなく、自室に引きこもるしかなかった。
自信作だったはずの記事は、彼にとって消せないデジタルの汚点となり、痛すぎる「学び」を刻みつけたのだった。
さらに数日が過ぎた、昼下がり。
文学部の真矢講師は、研究室でパソコンに向かい、次の講義の準備をしていた。
ふと目に入ったネットニュースの見出しに、彼女は眉をひそめた。
明らかにフミヤくんと思われる学生のブログ記事の内容とその後の顛末が書かれていた。
理系現場の経験を盾にエンタメ業界を激しく批判し、事実誤認や偏見を指摘され大炎上した、と。
真矢は溜息をついた。「…ああ、やっぱりこうなってしまったのね」
あの時、彼の危うさに気づき、言葉を尽くして諭そうとしたが、彼は聞く耳を持たなかった。
もしあの時、彼が少しでも立ち止まれていたら…
「…というわけで、今日のテーマは『異文化理解と情報発信の作法』について考えてみたいのだけど」真矢は穏やかに切り出した。
「その導入として、最近ネットで大きな話題になった、ある大学生のブログ炎上騒動について触れておきましょうか。知っている人もいるかしら?」
数人の学生が頷く。
「彼の主張自体、例えば労働環境の問題提起という点では、もしかしたら一理あった部分もあったのかもしれない。
彼なりに問題意識を持っていたのでしょう。
でも、結果として、彼は多くの人を傷つけ、自分自身も深く傷つくことになってしまった。なぜ、そうなってしまったのだと思う?」
「…内容が偏っていたから、ですか?」
「他の業界のこと、よく知らないのに断定しすぎたとか…」
「ええ、どれも的を射ているわね」真矢は頷いた。
「彼の一番の問題点は、自分の限られた経験や知識を絶対的な基準にしてしまったこと、
そして、異なる分野や価値観を持つ人々への敬意を欠いていたことだと思うの」
彼女は、かつてフミヤに語った言葉を、今度はゼミ生たちに向けて語り始めた。
「自分の経験から学ぶことは、とても大切よ。でも、その経験が『世界の全て』ではないことを、常に忘れてはいけない。
特に、自分が詳しくない分野について語る時、あるいは他者を批判する時には、より一層の慎重さが必要になるわ。
『俺は現場を知っているから正しい、知らない奴は間違っている』…こういう考え方は、非常に危険よ。
それを理解しようとせず、自分の物差しだけで相手を測り、断罪するような言葉は
真矢は続けた。
「情報発信する際には、感情的になったり、過度な一般化をしたりせず、
特に批判的な内容を発信する場合は、『これは自分の思い込みではないか』
一度立ち止まって考える癖をつけてほしいの。
知識や経験は、他者を打ち負かしたり、見下したりするために使うものではないわ。
むしろ、他者を理解し、より広い世界を知り、そして社会をより良くしていくために使うべきものなのよ。
今回の彼のケースは、私たち全員にとって、他人事ではない教訓を示していると思うわ。
それが、この情報化社会で私たちが身につけるべき、大切な作法の一つではないかしら」
学生たちは、真矢の言葉を噛みしめるように、真剣な表情で頷いていた。
静かに映し出しているようでもあった。
自分(30代後半男)もフルリモートで家族の都合で田舎に戻り、同じような悩みを最初もっていた、しかし、数年住んで慣れたというか田舎(県は地元だが馴染みない地方)も悪くないなと思った。その観点とまだ歯がゆい部分を自分の振り返りも兼ねてシェア。正直20代〜30前半のイケイケのときに田舎リモートは趣向があわないとキツイと思う。
住んでる場所は東京から新幹線とローカル線を乗り継いで3〜4時間くらいのところ。田舎レベルは同じかな?(車で1時間くらいで映画館がある、スタバも1時間)
道の駅が近いから旬の謎野菜をどう料理するかが楽しいよね。地域に根付いた食生活はひとつの文化だな〜と思う。
リモートワークの一部のブルシット・ジョブで荒んだ気持ちが、散歩して雄大な景色で逓減される。家から出たら自然がストレスを解放してくれる。これは全然気づかなかった。知り合いの畑の手伝いも以外と楽しい。生を感じる。(本腰で畑の人は大変だろうが)
これがデカい。東京水準給料で田舎に住む安心感。地方は地方の平均年収にあわせて生活できるようにな収束している。余剰があるというのは精神衛生上よい。まあ地方ネイティブだと選択肢が狭まりつらいから子供は大学は都市部に出てほしいが…。(そのためにお金を貯める)
個人的に良い。海外旅行では美しい地方にいって現地の文化を知りたくなることがある。しかし文化についてはどの地方にもそれがあるもので、居住者としてそれを再認識できるのは大きいかも。これは地方都会関係ないかもな。ただ地元でも知らなかったことが多くびっくりだよ。人間ミクロなこと知らずマクロのいいとこどり(ともすれば偏見)で生きているわと再認識。定年後郷土史を編纂する気持ちもちょっとわかるわ。まあ比較文化はやり辛い(後述)
・旅行に行きづらい
近隣は車でいけるが、遠方には東京経由で新幹線、飛行機に乗る必要がある。東京まで移動する時間を考えると二泊三日の休みをとらねばいけない…。(こちらはフルリモートだからどうとでもなるが家族の都合と合わせる必要あり)
海外旅行も東京にいたころは3日4泊で帰社→羽田空港→旅行羽田から家に帰らず出社ができたが今は無理だなあ 体感アジアがヨーロッパくらい遠くなった。比較文化がやり辛いのもここ。ただ本は通販で手に入るのでそこは甘えも。旅行の表面的になぞった知見で地方の文化なんてわからないし。
・イベントに気軽に参加できない
ライブハウスのインディーズバンドとか上野や代々木公園でよくやってる各国フェスとか(元増田の場合ミニシアターかな)、近場だったら行きたいけれどわざわざそのために新幹線のっていくかなあ〜と思うといかなくなる
まあ絶対行きたいやつは新幹線乗っていってるからそこまで不満でもないけれど(家賃の安さを交通費に転嫁して東京にいく)
やはり大都市圏にはかなわない!エスニックが好きだが、韓国中国ベトナムタイネパール以外はないかな!しかもオーソドックスなものしかないから各国地方の料理はなかなか難しい!いわんやアラブ料理、アフリカ料理(田舎でも北関東は豊富だけどね)
良くも悪くも同調化社会。平均であることがよい価値観。子供が平均から外れていたらツラい思いをさせてしまいそうで申し訳ないよな〜自分も浮いててつらかったし。その場合、田舎生活で浮く金を貯めておきなんとかしようとは思う。
行きたい展示をまとめてはしごしたり、出社のついでにいったり。(ただ東京付近に限る。千葉の国立歴史民俗博物館にいきたいがそうなると旅行になる)
・居酒屋が少ない
車社会だしね〜。飲み屋で知らん人と意気投合してぐだまける東京の下町は楽しいが、次の日の後悔もあるし、県庁所在地や観光地いけば移住者がやってる飲み屋もありそこで話せるだろうしまあいいかな〜 東京の下町のそういう居酒屋で地方から来ましたトークは話題のフックとして良い。
重要だが、これは人それぞれ…。自分は東京の友人関係をなんとか継続しつつ、家族の友人たちと仲良くしようとしている。余談だが、東京の友人たちからするといつ自分が来るか読めないため、逆に自分が東京の友人たちとの会合をセッティングするハメになった自分は本来誘われ待ちだったが、誘うことになれてしまった…(会合の機会も増えた)
結局日本の半数以上は地方に住んでいてその目線でニュースや政治を意識できるよかったが、結局東京の会社のリモートなので所詮他人事かもしれぬといった当事者意識がある。子供が大きくなったら違うかも。
ケチケチせずに土日に東京(ないし大都市圏)に遊びにいけばいくのがよい。東京の水準の給料で田舎の物価(≒家賃)なら月1,2はいけるはず。
ただ平日は諦める必要があるし、イエまわりの用事があって土日が潰れることもあるから、若ければ田舎フルリモートを恨むのも納得できる。
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
| ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
|---|---|---|
| 1027 | 私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫 | park.itc.u-tokyo.ac.jp |
| 714 | 滅びてほしい認証系の実装の話 | idmlab.eidentity.jp |
| 666 | 学生のためのお薦め図書リスト | 筑波大学比較文化学類公式ホームページ | www.hibun.tsukuba.ac.jp |
| 615 | 鳥羽周作シェフおすすめ人気レシピ「ナポリタンを超えたナポリタン」作ってみた | ヨムーノ(くふうLive!から変更) | yomuno.jp |
| 590 | AIを使った論文の読み方 | compass.readable.jp |
| 589 | 著名人になりすました詐欺広告に対する取り組みについて | Metaについて | about.fb.com |
| 559 | 24年4月の量子コンピュータ業界の動向がよくわからんというので書いてみました。by YuichiroMinato | blueqat | blueqat.com |
| 552 | 作家・山本弘氏ご逝去| | www.tsogen.co.jp |
| 528 | Top 250Japanese Albums ofAllTimeon11 Charts -Rate YourMusic | rateyourmusic.com |
| 502 | 「合理的配慮ではなく、合理的調整と呼ぶべき」芥川賞受賞作「ハンチバック」著者、市川沙央さんインタビュー - 成年者向けコラム |障害者ドットコム | shohgaisha.com |
| 463 | 紅麹問題ー小林製薬の一番大きな問題はなにか? -東中野セント・アンジェラクリニック | st-angela-clinic.jp |
| 437 | エンジニアが鬼怒川温泉でワーケーションしてきたよ - ひらめの日常 | hiramekun.hatenablog.com |
| 423 | 雰囲気でDocker Composeを触っている状態から脱するために調べたこと(2023) -Activ8 TechBlog | synamon.hatenablog.com |
| 410 | 川勝平太か森喜朗か |クイズメーカー | quiz-maker.site |
| 401 | 新作『バッタを倒すぜアフリカで』出版しました! -砂漠のリアルムシキング | otokomaeno.hatenablog.com |
| 399 | ドラえもんだらけ | dorachan.tameshiyo.me |
| 395 | 瞑想マスターへの道:失敗しない瞑想の始め方・初心者から上級者まで、毎日続けられる秘訣:Flowtimeで簡単スタート | kobito-koyubi.com |
| 382 | EVERNOTEの日本法人、エバーノート株式会社が解散 サービス自体は継続 |RTBSQUARE | rtbsquare.work |
| 378 | 八戸市美術館の館銘板 「美」の字のみ館長手製の発泡スチロール製に | hachinohe.keizai.biz |
| 377 | シグルイ・第一景 | championcross.jp |
| 371 | 生成AIで小説を書くためのプロンプト5選 | sasaboushi.net |
| 362 | 【脱税】薬屋のひとりごと漫画家・ねこクラゲ先生 こと池田恵理香氏を脱税で告発 約4700万円を脱税 人気漫画作品の脱税に衝撃走る : まとめダネ! | matomedane.jp |
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| 335 | 元横綱 曙太郎さん心不全により逝去 7年前から闘病生活 |めざましmedia | mezamashi.media |
| 317 | group_inou / HAPPENING | ac-bu.info |
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| 307 | スクラム開発がエンジニアから成長機会を奪うかもしれない話 - 開発日報 | ponpon-soft.com |
| 306 | ChatGPTで事業計画書を作ろう!プロンプト例や作成時の注意点などをご紹介 | sogyotecho.jp |
・学生のためのお薦め図書リスト | 筑波大学 比較文化学類公式ホームページについての感想です
・「まず読みたい100冊」の話しかしません(次に読みたい100冊は単に好きな本リストでしょうから)
最初にこの2つを持ってくる意味が分かりません。あらゆるリストにおいて最初の2つはこのリストがどういった順序になっているのかを示すものであるべきです。五十音順かと思いましたが、それなら次は『二千日回峰行大阿闍梨酒井雄哉の世界』になるはずですから違いますね。大学生向けということですから対象年齢順ではないでしょうし、難易度順というはずもないでしょう。
もしもあえての順不同だとしても、最初のいくつかはコンセプトの紹介となるものを選ぶべきです。このリストを見た人がどういう思いを受け取ればいいのか迷わないように。
まさか、それで選んだのが「漱石が明治時代の大学生を描いた名作です。自分と比べて見るのも一興。」「何百もの小説を残した芥川。「羅生門」だけじゃ物足りない。」ですか?ならば多くの人がこのリストを見限るでしょうね。「若造ども、俺が超おすすめの古典文学ってのを教えてやるよ。無教養な君たちはまずはこの辺でも読みなさい」ですか?まあ確かに、そういうリストなのかも知れないですね。だからといってそれをいきなりぶつけてみせるのは初対面の相手に対しての礼を失している。礼を失しているようなものが作ったリストに載せられたあらゆる作品が不憫でなりません。
紹介としての体をなしていません。ただ名前を挙げるだけで仕事をした気になっていいのは山手線を暗記したことを自慢する幼稚園児の鉄道オタクぐらいのものです。なぜオススメするのかを書いてください。オススメされたものへの礼儀です。オススメする側が上で、された側が下だと考えるから礼を失するのです。
大学とは大人の通うものです。先日まで高校生だった人間であっても、言動に子供っぽさがあっても、大人として扱ってやることによって、彼らに自分たちはもう大人なのだという自覚を与えるのも大学の役割です。学生を大人として対等に扱ってあげてください。大人同士だと認識しているのに教える側が絶対的に偉いと思ってるなら、それはもうただの人格破綻です。
どう一般教養なのか、どう名著なのかを書いて下さい。最低限の表現力が欠如しています。先入観を持たれることを恐れて書かないというなら、そもそもが間違っています。入門的な書物の名前を出した時点で多くの学生は「お前らはまずこの程度のものから身につけなさい」という説教のような印象を受けるでしょう。実際にそう言いたいのですか?そうだとしても、それは効果的な態度ではありませんね。
なぜ学生がまだ最低限の教養を身につけていないのかを考え、そこから「バカだからだ」という結論にでも至ったのでしょうか?それなら、そんなバカな相手にただオススメするだけで意味はないですよね?それでなにかやった気になって「俺はやれっていったけどなー」とチャチいペシミズムにでも浸りますか?そうじゃないでしょう。なぜ、これをまず学ばなければいけないのかを、言語化してください。それが無理ならリストの作成に関わらないで身を引いて下さい。リストの作成者の人も、こういう人に身を引かせられるようにしてください。座組の段階の問題でもあるのですよ。
一番オススメの出版社のものはどれですか?いくつもの出版社の作品を読み比べて欲しいと言うならそう書いて下さい。もしもこれを読んでほしいという一番のオススメがあるならそれを書いて下さい。少しでも多くの情報を伝える努力をする姿勢を。
あっ、駄目だ。
そろそろイライラして変なこと書きそう。
もうここで俺は辞める。
誰か続きを書いてね。
まあ6割ぐらいは割と悪くないんですけどね。
参考文献が書いてあったり、オススメ理由が書いてあったり、とりあえず興味を持った順に読むって形に持っていきやすいし、自分がひとまず何から読むべきなのかの道筋もある程度示されていると思いますし。書店での入手可否やkindleでの有無なんかがあるのもいいと思います。結構いいと思いますよコレ。
はてなに限らずネット民ってたいていSTEM系はそこそこ真面目に向き合うけどそれ以外の分野は適当に思いつきで話すからきらい
jamira13 確かに。単に料理スキルだけじゃなく料理史や文化人類学やマーケティング、ブランディングなどの領域も込みにするのがいい。
dynamicsoar料理も生物/農林水産/化学/熱流体/調理/栄養/生理学/心理学(?)など、様々な要素が別個には研究されているはずで「これらが料理大としてまとまっていないのはなぜか?」という意味なら歴史的な経緯が強いのかなぁ?
sakuragaoka99 今年一番頷いた増田。仰るとおりで化学、芸術、比較文化、料理史があり、超巨大産業であり、家庭の重要な要素でもあり、飲食店としては経営学でもあるので、それらを統合した学問領域として体系化すべきと思う
ブクマカが秒で思いつくような範囲は先人がとっくに考えてて教科書もある
https://www.jatcc.or.jp/works/teaching_materials/
食堂の明るさと風通しとか、食器の文化とか、和やかな雰囲気の大切さとか
第3巻 食品の安全と衛生
熱い汁物に入れる木の芽はどうせ香りが立つので叩く必要はない、などいろいろ有益なことが書いてあった
第5巻 調理実習
そばの打ち方が詳しく載っていた。エスコフィエなどの歴史的なシェフについても書いてあった
大量調理に必要なグリストラップの手入れとか、飲食店のケーススタディ(箱の中でおとなしくしてる魚を選べと助言されたのに「ピチピチはねてるほうが活きがいいに決まってる」と思い込んでピチピチのを買ったが生簀に入れたら案の定元気がなくなった事例など)があった
なんで統合しないのかって、そりゃオーナーシェフみたいなのは一人で全部こなさないといけないからこうして全部勉強するけど学問は狭く深く細分化に進むって
工科系総合大学だって中身は学科に細分化されてるしひとりひとりの教授はそれぞれごく狭い範囲を一生研究してたりするだろ
Z世代だ何だと若者を雑に叩くのキメ〜と思ってるけど、たまに大学の他の学生の書いた文章を読むとえぇ……って思う事がある。
ポータルサイトで授業ごとにページがあって、提出物が遅れたとかで公開スレッドで出す学生がいる。それはまあよくある事だ。私はネトスト気質でキモいので、たまにそれを覗いてみる。
まず毎度の授業の感想を提出する時、普通はワードに書いてファイル名に授業名名前学籍番号を記し提出するというのは、大学生活を送っていれば分かるはずの事だ。しかし、メモ帳のスクショを貼っ付けてる学生がいてビビった。youtuberの謝罪文か。一年の子だったとしても、もう後期の授業なのに。
その授業は茶文化を通じた比較文化というものだったが、内容も「私も午後の紅茶が好きでよく飲みます。紅茶といえばイギリスのイメージでしたが、やはりそうだったのだなと知りました(勿論授業ではもっと突っ込んだ話をしてる。中国から伝来して、各国の美意識が反映され〜云々とか)」みたい感じ。誇張や抜き取りではなく、マジでこんな感じ。
やる気がなくただの単位回収だとしても、もうちょっと書けるだろ……って。
レポートなんかも読んでみると、ですます調がダメと言われたからなのか、文末で「なのだ」とか使っちゃってたりする。感想じゃなくてレポート。
netflixでそれが実現し、まさにアメリカ人は児童虐待だという意見を言っていて笑った
シミュレーションした想像通りのことを言うアメリカ人はちょっと面白い
子供は未熟で未完成だから、完成された大人が監視しなければいけないっていう世界観なんだよね
日本というかアジアは、大人と子供の定義があいまいだってよく言う
日本のRPGで子供が旅に出るのもこのへんに違いがあるんだよね
日本はそもそも問題が起こらないようにすればいいっていう考え方で
銃規制とかやってきたんだけど
あめりかは問題が起こったらどうするんだを前提に銃社会を容認する
沢山書いたやで
・実名主義
80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数の社会的人格を持って経済活動する事ができた。
職場で旧姓を使い続けても問題無かった。1986年に米国でマネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。
MDMAが非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。
心臓発作を惹起する為に規制。m.o.v.e.のmotsuが所属していたMOREDEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。
90年代のクラブではマリファナは普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙で景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員も米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。
・式場での結婚式
1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式、キリスト教教会一般的。
団塊世代のロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻の自由は憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手と結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。
団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。
古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。
1990年頃まで日本人の公共空間でのマナーは先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。
・外国で旅の恥をかき捨てない
かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本人旅行者(特に団体)は眉を顰められる存在だった。
遺跡に名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクターに痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。
これを西洋は宗教倫理の文化で日本は恥の文化、共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。
電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。
この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年頃から段階的に廃止された。
森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバのIIS(インターネットインフォメーションサーバー)サービスでHPを提供していたため。
終業時間になるとサーバとルータの電源を落として帰っていた。サイトの作成は役人の趣味みたいな感じで作っていた。
1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタはパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。
駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口に100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。
民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。
90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両とタクシーの客待ちで二重駐車になっていた。
2000年頃から増える。警察が路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。
和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習。
家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員と交渉で決めるという風になった。この為に店員は電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。
客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。
バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎(1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機と建物袖看板の道路使用料徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。
これに対応して既存機の撤去とスリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。
以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフ、リセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。
2006年ころに一世を風靡したネットブックでSSDが一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。
嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局、銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。
当然平日3時までしかやっていない銀行に会社員が行けるわけがない。
そこで振り込みの為に仕事を中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅。
18才は未成年で飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。
ゼミの飲み会で普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。
・線路を歩かない
都電やローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関が線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。
90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故が連続し、その後厳しくなっていった。
初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキーは酩酊するからダメ」と書かれている。
・小銭を所持しないで外出
1000円札の読み取り装置が一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道の券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。
この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。
1989年の消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉は公共料金以外殆ど使われていなかった。
・個室
和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。
・個人
家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員のプライバシーに踏み込む」という感覚が余りなかった。
「会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。
ウオークマンは街で個人的空間に浸るものだとして批判の対象になった。個人主義はそれ自体が罵倒文句だった。
全共闘運動はあらゆる権威を攻撃し、大学の知の権威というものも破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態が継続。やがて学生は脱政治化したが大学や学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。
90年前後の大学改革でICUや上智の比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり、学生が勉強するという当たり前の状態が復活した。
この為に卒業年1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。
・様々な塩製品
塩は国家専売品だったので専売公社の製造する塩以外の岩塩、ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可と標識の掲出が必要だった。
・「メイド喫茶」などの語
「メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制や階級制の象徴のような職業であって、戦後の身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤が一般的な「雇用」となった。
一周回ってメイドの構造が過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。
・キャノーラ油
キャノーラ油の原料は菜種。
米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。
米国で生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。
過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法が改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。
1991年に大店法が改正されるまではデパートの閉店時間はPM6時、スーパーの閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。
基本的に地元の商工会の意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正が商店街の全滅に繋がった。
・生ビール
ビールは酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール。
この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。
1970年代末にサントリーがフィルターで酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。
だから地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品の生ビールはサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。
バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。
それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。
これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導の対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。
1990年から。1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業の有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去。札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的。
1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。
冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまち、ひとめぼれが席巻するようになった。
駐車違反にバイクと車の別はないが、バイクの駐車違反は2006年まで摘発されていなかった。摘発を民間に委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗に駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。
・大学生の専攻無し
学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行や福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から。
Permalink |記事への反応(27) | 09:35
以前田川玄教授(エチオピアの部族ボラナの研究者)の講義(おそらく比較文化論、6~8年前)を受けていたのですが、その際先生が話されていたエピソードで印象に残っているものがあります
女性は「ベポポパー」「ベポパー」などと話しており、周りの現地住民曰く「白人の霊に取りつかれ」「白人の言葉を話している」らしい。
住民は女性に「白人の恰好(探検隊の服装)」をさせどうにか話を聞こうとする。 ❞
細かい違いはあると思いますがとにかくボラナ人が精霊に取りつかれベポポパーは覚えています。
田川先生の講義を覚えている方がいたら詳細を書いていただけたらと思います。
もしくは先生の著作に該当フィールドワークの詳細が書かれているという情報でも構いません。(ちなみにネットに上がっている無料の論文と『セックスの人類学』は既読です。)
同じ切込隊長という人物について書かれてるのに、
サイトごとによって「こんなに」評価が分かれるのかという、
面白い事例をご紹介します。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kirik.tea-nifty.com/diary/2009/10/post-08f2.html
次にゲーハーと呼ばれる人たちが集まる某カリスマブログのコメント欄の人たちの切込隊長への反応です。
コメントの雰囲気をざっと流し読みしましょう。
http://jin115.com/archives/51632137.html#comments
どうでしょうか。
切込隊長という同一人物について書かれてるのが不思議になってきませんか。
最後に厨房どもの巣窟、2chです。
2chは、無視しようとおもいましたが、おもしろいのがIPアドレスごとに地域表示がでることです。
つまり、切込隊長への批判投稿をしてる人はたった一人の工作じゃなく、日本中に多数ちらばっていることがわかるところです。
前述のカリスマブログのコメント欄がたった一人の粘着さんの工作ではないことも推測できます。
http://www.unkar.org/read/dubai.2ch.net/news/1226394653
http://www.unkar.org/read/dubai.2ch.net/news/1227884325
http://www.unkar.org/read/dubai.2ch.net/news/1228203337
http://www.unkar.org/read/namidame.2ch.net/news/1198076216
私は逆に思うのですが、はてなも地域表示やID表示ぐらいやったほうがいいのではないでしょうか。